猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

昨日よりも、明日よりも 06上

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「…まずい」


ここ最近の胸の高鳴りをとうとう無視しきれなくなり、冷静に自分を見つめなおしてみたが実に危険な状態になっている事を自覚する。
カルトが傍にいると安心する。
カルトの顔をしばらく見ていないと胸が苦しくなる。
町を歩いていても似た声が聞こえただけで振り向いてしまうし、無意識にカルトが好みそうな土産(主に調理器具)を買おうとしてしまう事も多くなった。
原因はやはり風邪をひいて倒れた時のあの


(考えんようにしてきたが、逆に言えば考えないようにと考えれば考えるほど思い返しとるわけじゃし)


と推測。
が、原因がわかった所で過去が変えられる筈もなく、むしろそれを自覚してしまった事でまた一歩踏み込んでしまった気がする。


「ぬああ、ドツボに嵌っとるじゃろコレー!」


頭を抱えて転がりまわった。
畳なので埃が舞うかと思ったが綺麗なものだ。
それに微かに茶の匂いがする。


(茶がらを撒いてから箒で掃くとか、なんでそんな小技ばっかり思い出しとるんじゃ、あやつは)


半分呆れ混じりの吐息をもらす。
未だに自分の名前すら思い出せていないと言っている癖に、こんな生活の知恵ばかり思い出しているらしい。
その分役に立つのは確かなのだが。


「あやつの立ち位置がはっきりしてくれんと、どうにも…のう」


そう。
もし万が一自分とカルトがどうにかなったりならなかったりしたとしても、記憶が戻れば別の話になるだろう。
最悪の場合、以前の事を思い出す代わりに今の事をそっくり忘れる可能性すらある。
まあ他にも自分は狐、相手はヒト、というのもあるが、その点については正直どうでもいい。
むしろ他人の所有物ではないだけマシ…という所まで考えて


「じゃからドツボに嵌りっぱなしじゃろこれはー!」


ぐしゃぐしゃと髪をかき回す。
一度は開き直った身とは言え、やはり最後の一線を越えられない。
そのため中途半端な位置をうろうろしていたが、最近はその一線に近付きすぎてにっちもさっちもいかなくなってきた。
これ以上踏み込めば決着を付けなければならなくなるし、離れる事も出来ない。
決着をつけるにしてもこちらの方が随分と不利なのだ。
たとえば最近は多少攻勢に出てみてはいる。
三日に一回程度の割合で一緒の風呂に入ってみたり、あるいは添い寝をしてみたり、時には小遣いを渡してみたりはしているがまるで効果が見えない。
それどころか


(風呂は尻尾の洗い方がどんどん上達しよるからもうされるがままじゃし、添い寝では結局こっちが眠れなくて寝不足になるだけじゃし、渡した小遣いは調理器具や食材に化けるから結局普段と変わらぬし…)


このように、むしろこっちが追い詰められてきている。
それはもう風呂あがりにはぐったりするし、夜明け頃に眠りに落ちるため昼過ぎまで寝てしまって生活が不規則になるし、食後はますます腕の上がったカルトの料理に満足してぐーたらするし…


(そう言えば最近、ちと腰周りに肉がついて来たような気が)


と、嫌な事を思い出す。
酒飲みにに始まり最近は仕事もないので精進潔斎の必要もなく思う存分カルトの料理を堪能している。
更に寝不足やら生活時間の乱れやら何やらも加わるとなると。随分と脂肪が溜まりそうな生活だ。


「…いやいやいや、どうせ本性は変わらぬのじゃし、この姿も太りはせんじゃろ。うむ」


逃げる。
決して体重計だとか腰囲の事を気にしているわけではない。
どうせならもっと上、胸の辺りに付いてくれた方が嬉しかったりそうでもなかったりするが、単に思考が脱線しすぎたから元に戻すだけだ。それだけだ。


「とは言えどうしたもんかのう…」


挑発がまるで通用しない。
確かに、客観的に見て自分にそうした魅力が乏しいという事は認めないでもない。
胸も薄いし尻も薄い。
触れた感触は悪くないとは思うのだが、逆に言えばそれだけだ。
幸い、腹回りが細いので寸胴ではないが、だからと言ってそうした魅力があるかと言うと…一部の好事家に限っては『ある』だろう。
そしてカルトは恐らくそうではない。
つまり、今の自分はカルトの好みではない。


「…う、ううむ、何故泣きそうになっとるんじゃ、わしは」


目に溜まっていた涙を頭を振って吹き飛ばすと同時にドツボに嵌っていた頭を正常化する。


「ええい、もう腹が立ってきた! こうなればいっそ当たって砕けて粉砕玉砕大割砕じゃ!」


もう一度開き直ってあっさりと一線を越える事にする。
とりあえず自分の中の辞書から『後悔』の二文字は消しておこう。うん。


とは言え現状不利な事は変わらない。
ならば狐は狐らしく、策を弄する事としよう。

 


翌朝

 

 

朝、台所に入ると普通の朱風がいた。
…いや、言い直そう。
朝、台所に入るとおかしな朱風がいた。


俺の常識がこの世界の常識とはそれなりに乖離しているのは理解している。
だが、服はきちんと着る、と言うのは幾らなんでもこの世界でも常識だろう。
普段の朱風は浴衣(のような服)を幾分だらしなく着ている…と言うか家の中限定ではあるが、帯は緩いし袷から素肌が臍近くまで見えているし裾は引き摺るしでよく裾がほつれる。
一体何度縫い直した事か、と思い出すと腹が立ってきた。
次回躾ける時に加味しよう。
それはともかく、朱風は着崩しているのが普通だった。
その朱風が…

 


-第六話-

 


(どど、どうじゃろうか、わし)


心臓がバクバク言っているのを顔に出さないように注意しながら振り返る。
今回の策はカルトの清楚萌え(実際の所、ちと怪しいが無視じゃ)を狙って、普段の着こなし…と言うか着崩しをせず、服自体も普段の『猫国製狐耳国風』ではなく『狐耳国の着物』をきっちりと作法に従い身につけてみた。
更にその上につけたエプロン(本当は割烹着が良いのだがさすがに見つからなかった)のおかげで少し違和感があるが仕方ない。


「おはようございます」
「…何をしている、主人」
「えっと…たまには朝御飯を作ってみようかな、と」


そしてもう一つ。
昔の口調に戻している。
ある意味本来の自分を出しているようなものの筈なのだが、何か違和感が。


(まあこうなってから長いからのう…)


その効果は、と言えばカルトが目を丸くして一瞬後ずさった程だ。
…後ずさる?


(幾らなんでも驚き過ぎじゃろ!)


と口からツッコミが飛び出そうになったのをなんとか押さえ込むが、危うくいつもの口調になってしまう所だった。


「その格好は」
「格好…あの、似合いませんか?」


くるり、と見栄えに気を遣いながら廻って見せた。
ほんの少し乱れた袷から生足がチラリと覗くのも計算尽くだが、果たして効果の程は…


「まあ、似合わないとも思わないが」
「微妙な表現ですね」


やはり反応無し…かと思いきや、僅かに視線を逸らしているような気がする。
ただ、先程の狼狽具合から考えて、なんと言うか野生動物が正体不明の物を見て怯えているようにもとれる。
普段見た事のない一面を見て『照れる』のと『怯える』のとでは随分と差があるような気が。


(…め、めげるなわし。別にこの程度の空回りはいつもの事じゃろう)


それはそれでどうか、と言う声が何処かから聞こえてくるが無視だ。


「ふふ。こんな格好は久し振りです。普段は普段で楽なのですが、これはこれで身が引き締まる気がしますね」


と、目をそらし気味なカルトの顔を下から覗き込んだ。
…解ってはいたが、改めて見ると結構な身長差がある。
抱き締められたりするとちょうど胸の辺りにすっぽりと入ってしまうだろう。
カルトはヒトの中でも別にそれほど長身というわけではない、という事を考えると自分が小さいという結論に達してしまうのだが、それは仕方ない。


「どうしました? 先程から目を逸らしてばかりですけれど」
「いや…」


ふと、いやな気配を感じてカルトの右手に目をやる。
すると


(…臨戦態勢?)


腕全体から力が抜けているように見えて、いつでも動ける程度の力が込められている。
カルトが誰かとやりあう時、それも初動の一撃で決着をつけようとする時の気配。
狙いは恐らく延髄か後頭部だ。
…殺す気満々過ぎだろう。


「本当に、主人か?」
「そうですよ。どこが私ではない、と?」
「話し方と雰囲気。気配が主人なだけに気持ち悪い。変装にしては話し方を似せていないのがおかしい。何かの擬態か?」
「し、失礼にも程があるじゃろ! …ってしもうた、いつもの話し方に」
「……」


いくらなんでも気持ち悪いだの擬態呼ばわりだのは酷い、とつい普段の話し方に『戻って』しまった。


(…もうすっかりこっちが素じゃのう)


感慨深いと同時に少し寂しくなる。
が、そのおかげでカルトの警戒がゆるむ。
そんなにおかしかっただろうか?
確かに自分でも違和感はあったが、昔はあれが自然で、むしろ今の口調に違和感を覚えていたものなのだが。
まあ、今はそんな事よりも折角いい感じで(…だと思いたい)推移していた『カルト篭絡計画』が別プランに移行せざるを得なくなってしまった事の方が大事だろう。
この朴念仁め。


「むー」
「何故睨む」
「はぁ…仕方ありません。次です、次」
「なんの話だ」


本題。
本来の予定ならカルトがどぎまぎしている間に何でもない事のように畳み掛けるつもりだったが、この状況では不自然だろうか。
否、今は攻める時。
二の足を踏めば次に踏み出すのが難しくなる。
だから


「その、奴隷ではなく、カルトと呼んでもいいでしょうか?」


踏み込んだ。


「?」


首を傾げられる。
確かに随分と話の流れがズレたような気がする。
が、どうせこの奴隷はそんな事は大して気にしないだろうしこちらも気にしないことにする。


「始めは記憶を戻すのに支障があるかと思いましたが、一年たってもあまり効果はないようですし」
「まあ、そうだな」
「ですから、その、あまり奴隷奴隷と呼ぶのも情が薄いかと思いますので」
「別にどうでもいい。好きにしろ」
「はい」


ほう、と内心で胸を撫で下ろしした。
まあ確かにカルトならそう言うだろうとは思っていたが


(たまに頑固と言うか、妙な事に拘ったりするからのう…)


特に家事関連。
家には調理器具が一通り揃っていたにも関わらず、今ではほとんどがより質の良いものに買い換えられた物だ。
特に包丁などは新しいのを買ってきたかと思ったら「自分で作った」などと言い出した。
確かに獅子国産神鉄製の包丁など普通に買える訳がないのだが…いくらなんでも拘り過ぎだ。
まあ、それはともかくついでにもう一歩。


「それでは私の事は主人ではなく朱風と呼んでも構いませんよ」
「いちいち呼び方を変えるのは面倒臭いんだが」
「ええ。ですから主人でも朱風でもお好きなように」
「…わかった」


これでよし。
そう簡単に名を呼んでくれる事はないだろうが、もしかしたら何かの弾みで呼ばれないとも限らない。


(…まあ、ないじゃろうがのう)


と諦め混じりだが、それでもやらないよりはマシだろう、と考えながら葱を刻む。
さすがに凝った料理は作れないが、昔取った杵柄だ。
豆腐と葱の味噌汁程度ならなんとかなる。
随分と腕は落ちているし、そもそも全盛期の自分と比較してもカルトの方が料理の腕は遥かに上なので少しばかり複雑な気分になったりしているが。
…ふと視線を感じて振り向いてみるとカルトがこちらをじっと見つめていた。
その事実に対して心臓が跳ねる。
驚く、と言うよりもこれはむしろ…


「あの、そんなに見つめられると、その…」
「?」
「は、恥ずかしいといいますか、その、動きにくいのですが…」


そう。
恥ずかしいというかむずがゆいというか、顔が熱くなるような感情を覚える。
多分実際に顔は赤くなっているに違いない。
それに対してカルトは


「…ん」


と、軽く頷くと背を向けて去っていってしまった。
方向からして恐らくこの合間に洗濯でもしておこうと言うのだろう。


(…結局こっちが意識しとるだけか)


どうせ先程見つめていたのも包丁や食材をまともに扱えるかどうかを見ていただけなのだろう。
その限りなく確信に近い予測に対し、小さく溜息をついてから料理を続けた。

 


「……」


そろそろいいだろうか。
と、台所の朱風から十分距離をとったところで


「ふんっ!」


柱の角に額を打ち付ける。
かなり痛い。
が、おかげで多少は冷静になれた。


「…このままだとペースが乱される、な」


それはまずい。
何がまずいのかはよく解らないが、とにかくまずい。
何らかの対処が必要だ。
混乱の元凶は明白。
だが、あの格好や口調が悪いという訳ではない。
そうなると躾けるわけにもいかない。
つまり対処法が今のところは存在しない、と言う事だ。
それは困る。とにかく困る。
平常心が保てない。
ではどうすればいいのかを考えて…


(同じ事をすれば手がかりになるかもしれない)


と思い立つ。
それほど意味があるとは思わないが、かと言って他に有効そうな手立てもなし。
試してみるしかないだろう。
服…はまあどうせこの類の服しか貰っていないし、特に着崩しているわけでもないのでどうしようもない。
となるとあとは敬語か。


「敬語…?」


知識としてはある。
あるのだが、使った事はない。
正確にはこの世界で目覚めてから使った事はないのだが、恐らくそれ以前の自分もほぼ使わなかったに違いない。
それぐらいの違和感がある。
だが、自分ですら違和感を覚えると言う事は相手に違和感を覚えさせる事も可能、と言う事だ。


「対抗手段としてはアリ、か…?」


とにかく、やってみる事としよう。
ちょうど朱風の気配も近付いてきた事だし。
…気配自体はやはり変わらないのが不気味だ、とは思うが。


「カルト、朝御飯が出来ましたよ」


とにかくここだ。
頭を敬語を使うように切り替えなければ。


「ああ。わかった…りました」
「?」
「…なんでもありません」


…ダメだった。
やはり、と言うべきか否か、最初から躓く。
慣れない事はするべきではないのかもしれない。
そんな俺を見て、朱風が


「ふふっ」


と、袖で口元を隠して上品(少なくとも普段に比べれば)に笑う。
…むしろ怖い。


「何故笑う? …のですか?」


再び試すも失敗。
やはりダメか。


「なにをしたいのかは解りませんが、無理をしすぎですよ」


と言われて諦める。
いずれにせよ何の手がかりにもならないうえに、更に律が乱れた。
敬語など使わない方がマシと言う事だろう。


「…調子が狂う。別に悪い事じゃないんだが、いつも通りの方がいい」
「いつもと違うからこそ、という事もあります」
「意味が解らん」


一体何を考えているのか…


いや、もう面倒臭い。どうでもいい。
しばらくすれば慣れるだろう。

 


…本当に慣れるだろうか?

 


- 始 -

 


「はい、どうぞ」
「ああ」


味噌汁をよそった茶碗を受け取る。
豆腐と葱と油揚げの味噌汁。
少々煮立ちすぎているような気もするが、許容範囲内だ。


「…まるで新婚夫婦みたいですね」


唐突に聞こえた朱風の台詞に対し、自分の喉が異音を発した。
あまりにもあまりな内容に飲み込みかけた味噌汁が逆流しかけたのを何とか飲み下したためだ。
おかげで少し気管に入ったが、喉内だけの咳払いで何とか復帰する。
いきなり何を言い出すこのバカ主人。
ともかく。


「それはない」
「もう。相変わらず張り合いがないです」


…絶対にこの朱風はおかしい。
どこもかしこも、だ。
それでいながら朱風という存在自体はどこも破綻していない。
まるで俺の知覚だけがズレたかのような壮絶な違和感だけがある。


「なあ、主人」
「なんですか?」
「病院に行った方が…」
「失礼にも程があります!」


叱られた。


「う…すまん」


と謝ってからまたもや違和感に気付く。
心配して言った事なのだから、別に俺が謝る理由は無い。
なのに何故か反射的に謝ってしまった。
普段ならば勝手に怒ったと判断するところが、何故か叱られた…『怒られた』ではなく『叱られた』と感じたからだろうか。
これまで暮らしてきて何十回も怒っているのを見た事はあるが、そう感じたのは初めてだ。


「まったく。演技なんじゃからそう気にするでない」
「……」


朱風が元の口調に戻った瞬間、違和感が消滅する。


「居心地が悪いんだ。何かこう、主人が…何と言っていいのか」


何かを言おうとして詰まった。
表現する言葉が見つからない。解らない。
俺はなぜ朱風の雰囲気が違うというだけでこれ程までに動揺している?


「これは効果ありじゃな…」
「…なんの話だ」
「いやいや、こちらの話じゃ。気にするでない」


とやり合っているうちに食事が終わる。
悪くない味だった。
まあ、参考にはならないが。


「こほん。ところでカルト」


と朱風が居住まいを正す。
綺麗な正座だ。
…またもや違和感が発生し始める。
まだ異常は終わっていなかったらしい。


「なんだ」


警戒しながらの返答。


「今日は少々案内したい場所があります」


(案内?)


嫌な予感こそしないが…何故、俺がここで生活を始めてから一年もたったこの時期に?


「…何処だ?」
「狐耳国からの輸入品を扱う雑貨屋です」

 

- 間 -

 


「…ぷはー、緊張したー」


自室に引っ込んでから盛大に溜息を吐きつつ力を抜く。
特に力の入っていた肩が微妙な痛みを訴えていた。
軽くその箇所を叩きながら先程のカルトの様子を思い返す。


「くふふふふ。大分戸惑っておったが、照れ混じりなのは確実じゃのう。駄目かと思うとったが、わしの狙いは間違っとらんかったようじゃな」


と評価する。
カルト本人は何だか解っていないような様子だったが、間違いなくこちらを意識していた。
清楚萌え…とは違うかもしれないが、効果がある事は間違いない。
ただ


「本来ならあっちのわしが素の筈なんじゃがなあ。ま、こうなって長いから仕方ないと言えば仕方ないんじゃが」


と昔を思い出して、『二人』に対して申し訳ないような感謝するような微妙な気分になる。
まああの二人の事だ。
むしろ喜んで…いや一人は微妙な所だが、まあ少なくとも恨みはしない…筈だ。
仰向けに倒れこむようにして天井を見上げる。


「…もうしばらくしたら、わしもそっちに行けるかのう」


最近、自分の体の状態が少しずつ変わって来ていることに…成長し始めている事に気付いている。
仮の姿であるこの姿が成長しているという事は、本性の方も成長している、という事だろう。
恐らくあと百年程で寿命を迎える事になる筈だ。
ちょうどカルトと同程度かそれより少し長い、という事になる。
それがいい事なのか悪い事なのか…どちらかと言えばいい事だと思う。
少なくとも子ども扱いされる事はなくなる。
順調に成長できれば、の話だが。


「…身長はいいとしても、せめて胸は育って欲しいもんじゃな」


と服の上から触れてみる。
元々狐耳服は体型を隠すのだが、それにしても真っ平ら過ぎだ。
この姿は仮のものだが、それでも自分の体という事に変わりはない。
本性の方もこの姿よりは多少は成長しているだろうが、姿自体はこの体の延長線上にある。
つまり、これから急にこう、色々と膨らんだりしない限り、今の姿と本性とでは胸の大きさには大差ない、という事だ。


「母様や姉様方は普通の体型だったんじゃがなぁ…何故わしだけこんな貧相なんじゃろ?」


まあ巫女連の中には同様に貧相な体型の者もいたが、少なくとも血の繋がった姉妹達は皆そこそこあった筈だ。
血筋としては悪くないという事になるが、そうなるとやはり環境だろうか。
師匠が師匠だったし。


「今から揉んでも間に合うかの?」


と服の上から揉んでみようとして


「……」


まったく手応えがない事に軽く絶望した。

 

- 行 -

 


雑貨屋…と呼ぶには少々品に偏りがあったが、そこにある物はどれも狐耳国からの物らしい。
確かに味噌や醤油等、この猫国ではあまり見ない物だ。
似たような物はあるが味や匂いが猫向けなのか違和感があり、代用するには少々コツがいる。
以前めんつゆのような物を使おうとして味見したときは…あの時は出汁を取り直したりしたので面倒臭かった。


「…ここのはまともそうだな」


と棚にある調味料を検分する。
そもそもまともかどうかという基準が俺の味覚と嗅覚なのであまりあてにはならないかも知れないが、それでもほとんどの調味料から鰹節の匂いがするよりはいいだろう。
まあ鰹節は鰹節でいいのだが、そればかりになるのは少し問題だ。
それに比べてこの店は品揃えにやや偏りがあるとは言え、最低限欲しい物は揃っている。
ただ、それ以外の問題があった。


(店主と店員以外に姿を隠しているのが八人か。床下と天井裏に二人ずつ、残りは壁の向こう側…監視にしても厳重すぎる、な。一体何なんだ、ここは)


気配を探ると隠れているものが数人、更に気配自体を隠しているのが同じく数人。
この様子だとまだ何かいてもおかしくない。
相手に気付かれないようにこちらも警戒してみるが…


「言い忘れとったが、怪しいのがおっても無視しとれよ。騒ぎはご法度じゃからな」
「わざわざ厄介事に首を突っ込もうとは思わない。が、後で説明はしてもらうぞ」
「うむ」


朱風もこの気配の事は知っているらしい。
ならば別に気にする事はない…と思おうとしても、視線が集中しているのを感じる。
俺達以外の客がいるにも関わらず、だ。
俺がヒトだからかとも思ったが、それにしては周囲の客の中にもちらほらヒトが混じっている。
意外と数が多い。
特に漬物の類の場所に多いような気がする。


「ん? なんじゃ、ぬしも漬物にご執心か」
「何がだ」
「いや、店の者から聞いた話なんじゃがな」


妙な気配から気を逸らすために話を聞いてみると、何やらヒトの半分近くは『ニホン』という国から落ちてくるらしい。
単一種族しか存在しない世界のはずなのに複数の国があるとは面倒臭い。
まあ数が億単位でいると言う事はひとつの国にまとめるのも難しいのだろうが。
ともかく、その『ニホン』という国の文化は狐耳国のそれに近いらしい。
細かな違いは多いが、食べ物に関しては共通項が多く、味噌や醤油のような調味料もニホンで好まれるものだとか。
となるとそれを自然と使える俺も恐らくその国の出身なのだろう。実感は無いが。
そしてニホンから落ちて来たヒトは故郷の味が懐かしくなってこの店に足を運ぶ、と。
まあ確かに猫の家には漬物は無いだろうし、仮にあっても『ニホン』の漬物とは味が違いそうだ。
ただ


「俺は家で漬けてるからここで買うつもりはない」
「は? 漬けとる、じゃと?」
「気付いていなかったのか。最近食卓に出しているのは俺が自作のぬか床で漬けたものだぞ」


漬物はいい。
準備は少々面倒だが、ある程度手を入れてしまえばあとは適当に放り込んでたまにかき回すだけで何とかなる。
それにぬか床をかき回していると妙に落ち着くので、精神衛生的にも悪くない。


「じゃからなんでぬしはそう細かな事ばかり…はぁ。もう良い」
「?」


何故溜息をつくのだろうか。


「まあいい。とにかく今日は味噌と味醂が欲しい。だから金を出せ」
「一部分だけ聞いとるとカツアゲされる気分になるのう」
「出すのか出さないのかどっちなんだ」
「出すに決まっとろう」


と袂からがま口を取り出して渡してくる。
ずしりと重い。
最近気付いたが、どうやら朱風はかなり裕福なようだ。
大して働いているようには見えないのだが…少なくとも日々の生活に加えて奴隷相手に小遣いをよこす程度の蓄えはあるらしい。
おかげで俺の私物も随分と増えたし、食材や調味料も少しだけ高級なものが使えるようになった。
その点については満足している。


「まったく。こういう買い物ならわしが全部出してやると言うとろうが。何で小遣いを注ぎ込もうとするんじゃ」
「わざわざ申告するのも面倒臭い。それなら手持ちの金から出した方が早いし楽だ」
「ぬぅ」


実際、味噌や味醂程度ならしばらく問題ない程度に買い込んで保存中だ。


「…のう、カルト」
「なんだ」
「ほれ」


と、今度は立派な財布を渡された。
こちらも負けず劣らず…と言うか、より重い。
開けてみると


「…金貨だらけだが」
「どうせわしが持っとっても賭け事ぐらいにしか使わんからのう。今後、家の金はぬしに預ける。好きに使うが良い」
「それは奴隷に管理させていいものなのか?」
「どうせ全財産の一部じゃ。仮に無駄遣いされても痛くも痒くもないし、そもそもぬしは無駄遣いせんじゃろ」


一部、とはいえ十分大金だ。
これだけあればあの以前から欲しかった魔洸式スチームオーブンが十台は買え…いや、無駄遣いと衝動買いはやめておこう。
欲しくないわけではないが、かと言って必要と言うわけでもない。
小遣いを数年分溜めれば買えるのだし、今回は見送ろう。


「わかった。使わせてもらう」


とりあえず、今必要そうなものを片っ端から購入させて貰う事にする。

 


- 出 -

 


「ふう、緊張したわい。あやつら、わしがもう一人連れてきたとは言え注目し過ぎじゃろ」


通りに出た朱風が大きく伸びをしながら呟く。
やはり、あの気配の事は知っていたか。


「説明してもらうぞ。あいつらは何者だ」
「ああ、七狐衆じゃよ」
「七狐?」
「ありゃ。説明しとらんかったかの」


聞き覚えのない単語だ。
まあ忘れたか覚えていないという可能性もあるが。


「ま、簡単に言えば狐耳国の諜報機関じゃ。七つの部署があることから七狐と呼ばれとる。あの雑貨屋はそこの支所じゃの」
「諜報…」


国の諜報機関。
それも猫国ではなく狐耳国の、と言う事はただでさえ厄介な存在がさらに厄介になる、という事だ。
面倒臭い。


「わしは昔に色々とあって多少は内情を知っとるが、一般人はあまりしらぬのではないか?」
「その支所が雑貨屋なのか?」
「『表向き』の支所じゃがな。実際のところ、狐耳国からの輸入品を扱うておる所は多かれ少なかれ影響下に置かれとるじゃろうて。ま、ここは単に最初の『草』が商いをやっとったからじゃが」
「草…土着の諜報員か。それで、表向きと言うのは?」
「なんで『草』の知識があるんじゃ…相変わらず訳の解らん知識量じゃな。ま、それはともかくどう説明すればよいものかのう…」


と腕を組んで考え込む。
そんなに難しいのだろうか。


「簡単に言えば囮じゃ。本当の機密ではなく、猫国が『他国にくれてやっても問題の少ない機密』をこれまた『ある程度内容が漏れる程度の強度の暗号』で狐耳国に送っておる」
「何故そんな面倒臭い事を」
「それによって『狐耳国には重要な機密は漏れていない』と思い込ませられるしの。ついでに七狐の実力を過小評価するから油断も誘えるんじゃろ」
「そんな簡単に騙されるのか?」
「やらぬよりはマシ、程度じゃろうな。まあ狐の欺瞞技術は大陸屈指じゃし、猫はちとアレじゃから意外と効果ありそうな気もするが」
「そうか」


…どうでもいい。


「…急に興味なくしよったな」
「諜報機関とか言っていたからやりあう事になったら面倒だと思っていたが、その程度なら俺には関係なさそうだ」
「やり合うって…いくらわしでもそんなのに喧嘩売ったりせんわ」
「そうなのか?」
「むう」


確かに正面から喧嘩を売るようには思えないが、普段の行動を見ているとどこでどうかち合うかわかったものではない。
それはともかく、一つだけ疑問に思っていた事を聞いてみる。


「それで、これまで俺をここに来させなかったのは何故だ?」
「もうない」
「…もう?」


意味が解らない。


「話すと長くなるんじゃが…」
「ならいい」
「ぬう」


長い話は面倒臭い。
こと朱風の場合はその中でどう話題を捻じ曲げてくるか解ったものではない。
これまで何度引っかかった事か。


「簡単に言えばの」
「ん?」


それでも、一応説明はしてくれるらしい。
話題が逸れたら放置しよう。


「一年ほどあればぬしへの警戒も薄れるしな」
「何の話だ」
「表向きの支部とは言え、どこでどう捻くれてぬしを殺そうとするか解ったものではないからのう」
「…物騒だな」
「狐耳国は半鎖国しとるから、表立って他国への干渉が出来ぬ。故に裏での暗躍が多くなるんじゃよ」


とは言え、諜報組織ならそんなものか。
まあ、それでも疑問は残るが。


「それで何故俺が殺されなければならない」
「んー…ま、色々あるんじゃよ、色々」


その色々が…気にはなるが、だからと言って聞くのも面倒臭いな。
どうせその話し振りだと正確な情報を渡すようには思えない。


「ま、とりあえずその対処としてわざと目立って『これだけ目立っているのなら裏で何かする事は無いだろう』と思わせたんじゃよ。ある意味、あやつらと同じような手口じゃな」
「…まさか、俺を色々と巻き込んだのはそれが目的だったのか?」
「いやまあわしが楽しかったと言うのも多分にあるが」


一瞬だけ感謝しそうになった分、腹が立った。


「そうか。なら躾ける」
「え? あ、だっ!」


ご、と痛そうな音が朱風の頭頂部から響く。
まあ砕くほどの力は入れていないので死にはしない。
上下の衝撃なら顎でも狙わない限り脳震盪も起こさないだろう


「まったく。今後はもう少し落ち着け…いや、最近は比較的落ち着いているか。いい事だ」
「うぅ、主人に手を上げるでないわバカルトめが」
「やかましい。毎回毎回人を面倒事に巻き込んで。このバカ主人…バカ風が」
「ぬうっ…貴様、初めてわしの名前を呼んだかと思うたらバカ風呼ばわりか! わしの乙女心が深手を負ったぞ!」
「知るか。意味が解らん」


…バカ朱風、と呼んでも良かったのだが、何故か呼べなかった。
本当に、何故なんだろうか?


「それはともかく、今後はあの店で買い物が出来る、という事か?」
「騒ぎを起こさなければ、な。まあこの街は通商の要所とは言え、特に重要人物がおるわけでもなし。七狐衆としてもちょっかいをかけるようなのはよこさんじゃろうて」
「なるほど。調味料がいつでも手に入るのは助かる」
「これまでもわしに言って買って来させておるじゃろ」
「言ってから一週間は待たされるがな。結局使い切ってからようやく補充される事も多いぞ」
「ぬぐ」


言葉に詰まるぐらいならまめに買って来てくれればいいものを。
それだったら感謝しないでもなかったんだが。


「ま、まあそれは脇に置いとくとして。道は覚えたかの?」
「大体は」


頷く。
これまで来た事のなかった地区だが、入り組んでてはいても大体の傾向は掴めた。
もう一本か二本、裏道に入ると鬱陶しいのが生息していそうな場所だ。
逆に言えばこの通りならさほど問題はないだろう。
付け耳があれば、だが。


「ところで一つ聞きたいことがあるんじゃが」
「断る」
「せめて中身を聞いてからにせい!」


質問してもいいかどうかを尋ねているのに、断ると文句を言われるのは理不尽な気がする。


「…はあ。で、なんだ」
「油揚げは作れるかの?」


油揚げ?


「何故そんな事を聞く」
「それがのう。どうやら今年は大豆の収穫量が減っとるようでな。ちと値上がりが」
「なるほど」
「もしぬしが作れると言うのであれば、多少は節約になるじゃろ?」
「…別に我慢すればいいだろう」
「き、狐に油揚げを我慢しろじゃと! 殺す気か!?」
「狐は全員油揚げ依存症か何かなのか…?」


まあ確かに、三日に一回は食わせないと機嫌を悪くするし、食わせると途端に上機嫌になるが。
となると依存症の条件は満たしているな…大丈夫か、狐。


「まあ、作れなくもないし節約というのであれば協力してもいいが…」
「いやいや、作れとは言わん」
「?」


作れるか聞いているのに作れと言わない…?
一体何を言い出すのか。
警戒をしなければならない。


「わしが作るから作り方を教えてくれればよい」
「気持ち悪いぞ、主人」


つい反射的に本音が。


「…さすがのわしもぬしに『気持ち悪い』とか言われると物凄く傷付くんじゃが」
「気持ち悪いと思ったのは事実だが、傷ついた事に対しては謝ろう。すまん」
「謝る前にさりげなく追撃を入れとくのが余計に傷付くのう…」


珍しく朱風がしょんぼりしていた。
どうしたのだろうか。


「ま、なんじゃな。少しは効果あるみたいじゃし、一気呵成にやってしまうか、と思うての」
「意味がわからん」
「じゃろうなあ…ぬしは乙女心を欠片も理解しとらんじゃろ?」
「…主人が言える事ではないと思うんだが」
「何がじゃ?」


何がだろう?
ふと口から滑りでた言葉だが、自分でも意味が解らない。
気にはなったが…頭を振って思考を初期化した。


「まあいい。作れと言われたのなら断るが、教えろと言うのなら…やはり面倒臭いので断る」
「ってそこまで言っておいて断るのはおかしいじゃろ!」
「主人に物事を教えるぐらいなら、俺が自分でやったほうが余程面倒臭くない」


あの朱風に物事を教え込む。
少なくとも不可能に挑戦するほど俺は酔狂じゃない。
そして不可能ではない、程度の可能性しかないものに対しても同様だ。


「わしは物覚えは良いほうじゃぞ。自分で言うのもなんじゃが」
「嘘だな」
「即座に否定すな!」
「なんど同じ事を言われて躾けられたと思っている。それとも俺に対する嫌がらせか何かか」
「あ、あれは、そのう…」


朱風がくねくねと身悶えし始めた。
家でならともかく道端ではさすがに異様だ。
いや、家でも異様か。


「最近握られるのが癖になってきているなどとは言えんぞ」
「何か言ったか?」
「いいいいや、別にっ」


今度は慌て始めた。
…周囲からの視線が痛い。
無視しようと思えば出来るが、出来る事なら目立ちたくは無い。
何せ今の俺は付け耳がない。
その状態で顔を覚えられると色々と面倒臭そうだ。


「それで、一体何なんだ。理由があるなら言え」
「その…まあ、わざとじゃな」
「わざと、同じ事で躾けられている、と…?」
「まあ、そういう事になるかのう」
「……」


とりあえず拳を握って振りかぶって


「ぐぺっ」


振り落としてみた。


「無言で殴りおったな!」
「当たり前だこのバカ主人。絞めるぞ。尻尾を」
「さ、さすがにそこまでされると壊れてしまいそうじゃな」


ざざ、と足音を立てて距離を取られた。
意外とすばしっこい。
捕まえようと思えば捕まえられる位置だが…と、雰囲気が妙だ。


「お願いです、カルト。決して面倒はかけませんから」


…またか。


「…その話し方はやめろ」
「何故ですか?」
「何でもだ」
「作り方を…」


これは、こちらが不利、だが。
よく考えると別に教えるだけならそれほど手間でもないし、仕方が無い、か。


「ち…解った。ただし適当だぞ」
「有難う御座います」
「その話し方を続けるならやめる」
「っとと、これでよいかの?」
「……」


弱味を握られたような気がする。
何とかしなければならない。
そうは思うが、有効な対策は…慣れるしかない、か?
厄介だな。


と、考えていると


「のう」


いつの間にか隣に戻ってきていた朱風がこちらの袖を引っ張っていた。
何故か顔をこちらに見せないように俯いている。


「まだ何かあるのか?」
「狐にとって手作りの油揚げを食わせるというのは、結構重い意味があるんじゃよ」
「それがどうした」
「いや、豆知識というやつじゃ。大豆だけにな」
「…?」
「そこで首を傾げるでない。イタいじゃろ、わしが」


まったく意味が解らない。
が、これ以上関わっても理不尽に怒り出すだろうという事ぐらいは解るので、放置する事にした。
本当に、今日は、疲れたな…

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