猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

太陽と月と星22

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太陽と月と星がある 第二二話

 
 
 目を開くと、カーテン越しに薄暗い灰色の空が見えた。
 あの時と同じ凍えた空。
 
 温暖なネコの国といっても、この街は山が近いので気温も低くめなここしばらく。
 御主人様もヘビだけあって寒いのが苦手で、先日とうとうコタツを購入した。
 ネコの国に暮らすようになって数年経っているはずなんだけど、なんで今更買おうと思ったのか判断に苦しむ所です。
 クリスマスの翌日だったし、もしかして自分への御褒美 とかだろうか。
 ……幸い、コタツ代の為に売り払われる様子もないので私には関係ないわけですが。
 念の為に貯めていた小銭は、今度の時の為にとっておこう。
 
「お前は、からおけぼっくす に行った事はあるのか」
「まぁ……そこそこ」
 ペラペラとサフが片し忘れた雑誌を捲りながら御主人様が問い掛けてきたので、私はチクチクとボタンを付け直しながら適当に答えました。
 そう、カラオケボックス……以前まるごと?落ちてきたとかで、最近では地方進出も進みこちらでも類似施設が作られはじめてます。
 季節が冬に入ってから工事をしている現場をみた覚えがありませんが……。
 そう考えると、ちゃんと診療所をあけるジャックさんは比較的真面目だと言えます。
 ……雨が降ったら半休だけど。
「なにか?」 
 雑誌を伏せ、私の手元をのぞく御主人様は無表情です。
 ……頭撫でられました。
 ……もう終わりですか。もうちょっと触ってくださっても……いや、いやいやいや。
「ちゃんと出来ているな」
 裁縫を褒められたようです。
 家庭科の授業を真面目に受けてよかった。
「カテーカ?」
 ……うっかり口に出してしまったようで、御主人様は不審げな表情を浮かべています。
「勉強科目のひとつです」 
 近くのチラシに、それっぽい単語を書き並べると御主人様は理解できたらしく納得した表情になりました。
「国が花嫁修業をさせるとは、さすがはヤマトナデシコの国だな」
 ……どこでそんな言葉覚えてきたんだろう。
「男女一緒ですよ?」
「男も嫁になる習慣があるのか」
 一瞬、黙っておこうかと思いましたが、それで恥をかいたら悪いのでとりあえず否定。
 更に詳しく日本の義務教育について話すと、御主人様は非常に感銘を受けたらしくうんうんと頷きました。
 なんとなく遠足やら課外授業の話をすると、更に食いつきます。
 ……次は何を話そうかと首を捻った所で、我に返りました。
 なんだか嬉しそうにしている御主人様が、なんか斜めに見えます。
 御主人様はいつでも美形ですが、嬉しそうにしてると格別だとしみじみ感じます。うん、この角度も素敵。
「なに首曲げている」
「何故でしょうね?」
 首が痛くなってきたので元にもどし、針山に針をもどして御主人様を眺める。
 御主人様は真顔が無表情ですが、…チェルやサフの話を聞いている時は優しげな顔をしてたりジャックさんの話を聞いているときは笑ったり呆れたりしてるわけですが。
 ですが、私があった事を報告してるときとかは無表情だし、でなきゃちょっと怒ったみたいな顔だったりする事の方が多いのですが。
「もしかして、あっちの事に興味あったりするんですか?」
「お前は余り話さないからな」
 そうかな?
 あー……そうかも。
 うん、ちょっと喋り過ぎたかもしれない。
 御主人様が日本の事とかに興味があるなら、出来るだけ出し惜しみして引き伸ばしておこう。
 そうしよう。 
 所で何で私コタツから引っ張り出されているんでしょうか。
 腕きつ過ぎ尻尾巻き過ぎです。 
 ……いいけど。
 なんで背中ぺしぺしするんだろうか。
 御主人様は最近特によく判らない行動が増えたと思う。
 深く追求してもきりがないので、最近は出来るだけ流すようにしていますが。
「からおけぼっくす、か……」
 憂いげな口調のターバン巻いた物凄い美形の口からカラオケとか聞くと凄いシュールです。
 マイクを握る姿を想像しようとしましたが、色々無理だと思いました。
「歌好きなんですか?」
「お前が好きだろう」
 御主人様顔近い近過ぎ息があたりますよ。
 ……頬を引っ張るのはやめていただけないでしょうかと思わなくもないのですが。
「試しにちょっとうたってみろ」
「は?」
 目がマジですよ?御主人様。
「ジャックの前では歌えて、俺の前は嫌なのか」
「めっひょうもありまひぇん」
 ……爪立てずに痛くない程度に引っ張るという、高等技術です。
 御主人様はしばらく頬をぐにぐにしてから、指を離した。
 なんとなく、指の感触が残って気になる。
「なら、なにか歌ってくれ」
 
 
「お前、トリは――お前、穀物ばかりだし、羽根もよく抜けるぞ」 
 選曲に失敗しました。
「それに羽を広げると風を起こすし、飛べない種族もいるし、真っ白の羽だと光を反射するからな。しかも石を呑むんだぞ」
 空気に耐え切れなくなったので家をでると当然のような顔をして御主人様が(トカゲ男バージョンで)付いて来ました。
 そして懇切丁寧にトリについて詳しくお話して下さってます。
 ただの歌詞なのになにか、琴線に触れるものがあったのか……。
 うっかり普通の邦曲とか歌わなくてよかった。恋愛系のとか。
「飛ぶというのは魅力的かも知れないが……いや、他の種族でも魔法を使えば……くっ」
 何を言ってだろうか、この御主人様。
 しかもなんでちょっと悔しそう?トリに関して嫌な思い出でもあるんでしょうか。
「ウロコよりもハネがいいのか?」
 顔近いです。
 なんか、必死ですよね。
 なんだか面倒なので取り合えず首を横に振っておきます。
「ウロコ派です」 
 仕方なく付け耳をいじって気を紛らわそうとすれば、目障りだとばかりに手を取られました。
 チラリと見やれば、先程の必死さはどこへ行ったのか、大変晴れ晴れとした面持ちです。
 心なしか、尻尾も元気そうです。
 ぐいぐいと手を引っ張られ何故か私を店舗側に押しやり、歩きにくくて仕方ありません。
 今日は2のつく日で、しかも新年はいって初の市という事で、道路は馬車や荷馬車がひっきりなしでただでさえ道を狭く感じているというのに。
 地方とはいえ、それなりに大学とか映画館がある都市なのでそれなりに人も多く、思わず眼を奪われます。
 あと山の幸とか。
 あまり突っ込んで不審がられたら怖いので、他の人に訊いた事はないのですが……。
 ジャックさんだったら聞かなくても色々と説明してくれるのに……。
 顔見知りの姿を見つけ軽く挨拶するたびに、御主人様がいちいち人物説明を求めてくるのが少々ウザイです。
「所で、どこに行くんですか?」
 ゴジラ顔が固まりました。
 通行の邪魔になるので端により反応を待つと、しばらくして水でも掛けられたようにばちばちと瞬きし、ギクシャクとした動きで首を回してます。
 ……関節、柔らかいですよね。
「むこうだと、こういうときどこへ行く?」
「むこう?」
「お前の、国」
 意味不明です意味不明過ぎて頭痛すらしてきたような気がしますが頑張って解読します。
 今日は祝日で、今は特に意味もなく外出中……っていうことでいいのかな。だとしたら
「休みの日に出かけるといえば、買い物とかカラオケとか遊園地とか図書館とか美術館、…映画…スポーツ観戦…あとは家で」
 友達とだべるとか。
 家族と出かけるっていう人もいるだろうけど、兄弟の居ない私には縁のない話で。
 うん、あと部活もあったかな。試合観に行くとかとか。
「あまりこちらと変らないな」
「そうですね」
 知ってるけど。
「念を押すようだが…余暇は井戸掘りとかまじないを行うとかではないんだな?」
 御主人様が冗談をいえるとは知らなかったのですが。
 ……なんで、真顔?

 ***

 ネコの国には映画館があります。 
 他の国にあるかどうかは知りませんが、少なくともここにはあります。
 映画館はちょっと古びた建物で、面には大きく主演の俳優や女優が描かれた看板絵が掲げられています。
 改装前の地元の映画館がこんな感じだったような気がします。
 もしくは、イメージとしての昔の映画館。
 にもかかわらず、結構な大入りです。
 看板絵の横には大ヒット上映中とデカデカと幟が立てられ、ファングッズを売る屋台が所狭しと軒を並べポップコーンやコーラっぽい飲み物も売っています。
 子連れやカップル友達同士など、さまざまなネコ達…と時々イヌとか、が集いみんな楽しそうです。
「そんなに珍しいか」 
 御主人様、どことなく上機嫌です。
 まぁ、映画おもしろいですもんね。
 こっちのがどういう話が多いのかは知りませんけど、面白そうですもんね。
「そうですね、映画館に近寄る事自体、五年ぶりぐらいなので」
「…四年じゃなかったか?」
 ウロコ顔が出来うる範囲限界の訝しげな表情です。
「イヌの国で四年で、こっちでもう一年ですから……どうかなさいましたか?」
 何故か眉間に皺が寄ってます。不穏な雰囲気です。
 悪い事を言っただろうか。
 とばっちりを食わないうちに早く逃げよう。うん。
「じゃあ、終わった頃にまたこちらに伺いますので」
 そう言ってダッシュで逃げようとしたら足払いを掛けられ、豪快に地面に転がりました。
 ……痛い。
 何が痛いって、周囲の好奇心に満ちた目が。
 ヒソヒソ聞こえる憶測に満ちた声を聞こえない事にしつつパタパタと埃を払い、…石畳でよかった。
 御主人様は何故か異様に動揺した様子で私の手を掴むとぐいぐいと人気のない方へ引っ張っていきます。
 手、汚れてんですけど……。
「すまん、まさかあんなに転がるとは」
 訳のわからない事をいいながらベンチに私を強引に座らせ、膝をのぞこうとするので取り合えず押し留めます。
 とっさに手をついたのでほとんど無傷だし。
「お前がいきなり走るからだぞ」
「すみません」
 とっさに謝ると御主人様は眼を逸らし、何かごちゃごちゃと続けていましたが良く聞こえませんでした。
 ……御主人様と並んでベンチに腰掛けたりすると、妙な連想をしてしまって困るんですけど。
「今から質問をするから、正直に答えろ」
「はい」
 ・ ・ ・ ・ ・ ・。
 ……わー、何ですかこの沈黙。
 都合よくデート中のサフやナンパ失敗中のジャックさんでも現れないかと周囲を見回しますが、映画館の裏側の公園には人っ子一人いません。
 精々、もこもこした小動物がびょんびょんと跳ねまわっているくらいです…あっ
「トロローっおいでーっ」
 形容し難い鳴き声をあげながらやって来たのはジャックさんと同居している神出鬼没の怪生物。
 もっふりした毛並みが堪らない謎のトトロもどきです。名づけてトロロ。
 つやつやもこもこふわふわです。
 膝の上でくぐもった鳴き声を上げ体をこすり付けてきたので私も喜んでもふり倒しました。
 御主人様は、一応の経緯は知っているものの相性が合わないのか、時々微妙な眼差しでみてます。
 もふもふもこもこ。
「それで…あの」
 御主人様は半眼でトロロを見ていましたが、しばらく見つめて意を決したようにもこもこした頭に手をやりもふもふと撫でそれから私の頭も撫でました。
「映画、嫌いなのか」
「え?」
 手が止まりました。
「それとも、俺と観るのが嫌なのか?」
 ウロコ顔がどうも傷付いたような雰囲気を醸しています。
「……すみません、話が見えないんです…が」
「映画、観たくなかったのか?五年ぶりなんだろう」
 意味もなく立ち上がると、トロロが膝から転げ落ちかけたので慌ててまた座りなおしました。
 ううん、聞き間違いかな?うん。
「あの、もしかして聞き違いだと思うんですけど……あの、その……」
 無意味にトロロをもふもふして、御主人様が怒っていないかどうか確認。
 ……怒っては……いないようです。
「もしかして、私も映画観ていいんですか?チケット代掛かりますよ?そもそも公共施設はペットきん」
 頭を撫でる指先にぐっと力が入りました。
 痛いです。
 地味に痛いです御主人様。
 
 夢の様な二時間のあと。
 余りに真剣に見すぎたせいで目がシパシパします。太陽が眩しくて仕方ありません。
 足元までふらついていたのか、御主人様が腕を組んでくれました。 
 体格差があるので、ほとんどしがみ付くような形になり申し訳ないと思うのですが……。
「すっごい面白かったです!本当にありがとうございます」
 御主人様は私を見下ろすと、軽く息を吐いて空いた手で頬を掻きました。
 マフラーが当たって、痒いんだろうか。
「映画なんて、二度と観れないと思ってました」
 目がシパシパするし、暖かい館内から寒い野外に出たので鼻水まで垂れそうです。
「目がウサギだ」
 御主人様が私の顔をハンカチで強く擦ると瞼がヒリヒリと痛みました。
「次は、図書館だな…ここからだと大学まで距離があるが大丈夫か?」
  
  
 大学……敷地内に入り、思わず息がでました。
 予想以上の広さに途方に暮れる私とは対照的に、御主人様は慣れた様子で…まぁ勤務しているので当然なんですが、ずんずんと進んでいきます。
 しかし、全然人が居ません。
 時折遠くの建物に明りが入っている程度です。
 聞けば冬休み中との事。
 横切った食堂らしき建物も封鎖され、寒々しい感じです。学食とか、興味あったんだけどな……。
 大きな木や、石碑、教室などをぽかんと眺めているとぐいぐいと引っ張られ危うくこけそうになりました。
 大学って、こういう感じだったのか……。
 そりゃ、世界が違うからもしかしたら全然違うかもしれないけど……でもなんとなく、テレビで見た断片的な『大学』のイメージを裏付ける感じで。
「ちゃんと前見て歩け」
 チラリと見上げると、御主人様はなんともいえない表情を浮かべ、私の頬に軽く触れた。
 ……今日、御褒美率高すぎじゃないだろうか。
「正直、今すぐ家に帰りたいところだ。あいつらもまだだろうしな」
 思わず愕然としたのをどうにか繕い、軽く頷くと私は買い物のリストを取り出しました。
「では私は市場によってから帰りますから、先にお帰り下さい」
「冗談だから、その眼はやめろ」
 頭をガシガシ触るのはやめて欲しいです。
 
 御主人様は学校の先生なだけあって、図書館の人とも仲が良いらしく、入口で速攻捕まりなにやら話し込んでしまいました。
 大学の図書館、大きさは向こうの市立図書館と同じぐらいだと思うのですが、地下階もあり階段の方からは薄暗い雰囲気が立ち込めています。
 ……超、行きたい。
 いやいや、一応部外者の私としてはあまり御主人様の傍を離れすぎるというのも……うん、どうせこっちの文字で書かれたものばかりし、専門書とかよくわかんないし。
 経済とか、経営入門……商業…さすが、ネコの国だけあってそういう本が充実してます。
 うん、開いてもさっぱりです。
 御主人様が居れば、ちょっとは説明……うーん、どうだろう?
 でも、せっかくだし私でも読めるような本とか教えてくれたりとか……チラリと御主人様をみれば、まだ話し込んでいます。
 料理の本とか、あったりしないかな。
 案内図を見る限り多分…そんなに遠くないみたいだし…うーん…天井ギリギリまである本棚を見上げると、なんだか頭がくらくらしそうです。 
 ちょうど梯子もあることだし、一番高い所の棚とか、見てみようかな。
 いや、別に本が見たいわけじゃないんだけど……梯子使ってまで見る本棚ってはじめてみたし。
 ……ん…?あれ。 

「―――で?」
「昔、ネコが木から降りられなくなってレスキュー隊が呼ばれる面白ニュースがやっていたのを思い出しました」
「俺はお前が何故本棚に張り付いているのかを訊きたい」
 とっさに本棚を掴んだ腕がプルプルしてきました。
 ついでに片足だけ乗っている傾いだ梯子もカタカタと音を立てています。
「梯子が…ちょっとバランスよくなかったみたいで、ぐらっと」
 御主人様は深く溜息をつくと、梯子を元の位置に戻しました。
 私は両足を慎重に動かし、痺れてきた指先をゆっくりと滑らせ本を一冊抜きとり、足元を確認しながら梯子を降り……
 ……なんで手を広げてるんでしょうか。
 よくわからないまま床に立つと、御主人様は不機嫌そうな素振りで梯子をガタガタ言わせ、根元が少し斜めになっているのを見て更に不機嫌そうになりました。
「気をつけろ」
「すみません」
 あまり怒ってはいないようです。
 心の広い御主人様でよかった。
「俺は少しまた向こうで話してこなければならないのだが」
 チラリと眼を向けた先には、さっきの職員さんに加え……ネコの女性やイヌが居ます。
 なんか、めっちゃ皆様こっち見てますね。
 御主人様、大人気。
「冬休みなのに、人多いんですね」
「研究の為に資料を取りに来た連中だ」 
 ……御主人様、仕事ないんだろうか。
「俺はウチでやるから良いんだ」
 そういえば、よく部屋に篭ってカリカリしたりチェルがサフが居ない時は居間でカリカリしてます。
「……こっちの方が、能率よくお仕事できると思うんですけど」
「家で晩飯が食べたいんだ」
 何故か耳が熱くなったので、本を掴みなおし顔を扇ぎ、なにやらヒソヒソと話している人達の方を軽く一瞥し、冷静そうな声がでるように深呼吸しました。
「どうぞ、お話してきて下さい。私あっちの席でこの本読んでいますから」
 うん。本読んでれば邪魔にはならないし。
「悪いな」
 ……今日、頭撫で過ぎです。
 私、尻尾が生えてなくて良かった。
 私はしばらく御主人様の背中を見つめた後、なにやらスキップでもしたくなるのを堪えて、古びた椅子を引き腰掛け本を開きました。
 有名古典文学です。
 超有名ですが、不幸な事に私は今まで読んだことがありませんでした。
 しかし、まさかの翻訳です。
 確かに古くて有名なものならそれだけ発行部数が多いというわけで、こちらに落ちてくる可能性もぐんと増えるわけで。
 一人ぐらいは、日本の本をこちらの文字に翻訳しようなんていう物好きが居てもおかしくありません。
 分厚い表紙になにやらパリパリとする変色した紙、古い本特有の仄かな異臭。
 文章の文字は、古いだけあって所々掠れたり、今では恐らく使われないような単語があったりして、ちょっと読みにくい字です。
 私はわくわくしながら古びた装丁を眺め、表紙の文字をゆっくりと読み返しました。
『我輩は、ネコである』 
 著:ナツメ・ソウキッ?誤訳だろう。きっとそうだ。
 私は期待に胸を躍らせてページを開いた。
 
 目を開くと、ゴジラとガメラのハーフが。
 驚きの余り仰け反って、そういえば力尽きて机に突っ伏してたのを思い出した瞬間、椅子が空転し床にぶつかる寸前、背後から支えられ危うい所で止まりました。
「大丈夫か」
「すすみません、ちょっとビックリして」
 テーブルの上の本は開かれたまま、難解な文字を晒しています。
 本を一瞥し、御主人様は何か言いたげな表情を浮かべましたが、傍らのイヌ男性…?をちらりと見て尻尾を軽く振り、私の手を引っ張りました。
 素直に椅子から降りて、隣に立つと何故か肩に手を回し、そっと引き寄せてきます。
「キヨカだ」
 イヌ男性は眼を瞬かせ、ぱたりと尻尾を振ると私と御主人様を交互に見比べ、もう一度交互に見ました。
「君……ちょっと若過ぎじゃないかい?いや、ヘビの常識的には問題ないかも知れないが、ウサギって」
 何の話だろうか。
 一方御主人様は何故か不敵な笑みを浮かべています。
「悪いな」
 ……なんなんでしょうか。この腕は。
「ご馳走様。馬に蹴られない内に帰るよ僕は」
 げんなりとした表情を浮かべるイヌの人。
「ああ、帰って独り身を謳歌すればいい」
 御主人様は背を向けるイヌの人に手を振り、私の耳元に口を近づけるとある事を囁きました。
 ……何考えているんでしょうか。
「頬でいい」
 じっと見つめると 頼む、と言われてしまいました。
 ……御主人様なんだから、頼まなくたって命令すればいいだけなんですけど。
 あんまり、命令しないんですよね。御主人様なのに。
 御主人様に言われたら、どんな事だってせざるをえないのに。私に頼んでくれる御主人様。
 だから…・ ・ ・ なんだけど。
「じゃあ、目瞑って下さい」
 背伸びして顔を寄せたけど、マフラーが邪魔だったので開いてる部分に変更したら御主人様の尻尾がベシベシと床を叩き、
 音に驚いたイヌの人がこちらを振り向いたので私は取り合えずダッシュで逃げようとしましたが、素早く尻尾が巻きついてきたので何故かもう一回する羽目になりました。
 このゴジラ顔だと、口のつくりが違うので困ります。
 非常に困りました。
 というか、公共の場で何をやってるんでしょうか。私。
 ……私のせいじゃありません。
 御主人様が素敵な声で頼んだりするからです。
 そうです御主人様でなきゃこんな事絶対にしません、頼まれたってお断りです。うん!大丈夫、全然私ノーマルだし!
 うん。
 御主人様じゃなきゃ、絶対嫌だし!!
 
 …… うん?  
 
 *** 

「あの、所でさっきのイヌさんはどういう――」
 人気のない構内で、やけに響く自分の声に驚いて口を閉じると、前方の大きな背中が止まった。
 踏み止まり損ねて鼻がぶつかる。
 図書館と違って、大学の構内は人が少ないので間抜けな姿を見ている人がいないのが救いかも。
 鼻を撫でていると、御主人様が上から乱暴にゴシゴシ擦り手を離しました。
「同僚だ。それと、イヌではない」
「……へぇ」
 そうか、同僚なのか。
 ……仲、良さそうに見えたけど、どうなんだろう。
 ていうか、イヌじゃなきゃ、ナニ。
 御主人様はとある部屋の前で止まると、扉を念入りに調べてから鍵を取り出した。
「いいんですか?勝手に入って」
「俺の研究室だからな」
 戸を引くと上から黒板消しが落ちてきた。
 ボフンと粉塵が舞い、ターバンが白くなる。
「……お約束ですね」
「ネコはこういうのが好きでな」
 御主人様、相当苦労しているらしい。
 ターバンを解くと寒かったのか一瞬体を震わせ、私を部屋の中に引っ張り込むとしっかりと扉を閉め暖房をつけました。
 部屋の中には絨毯に大きなソファーと大量の書籍で埋まった卓、棚には所狭しと変な薬草ぽいのとか骨とかが置かれていて。
 ……ちょっと、埃っぽい。
 むしろ、何この胡散臭い部屋。
 私の中のレッドアラームがガンガン鳴り響いてますよ。
 具体的にいうと、初めてジャックさんの部屋に入った時級の駄目感。
「たくさん物があるんですね」
「全部こっちへ移したからな」
 御主人様は、棚をごそごそやると中から変な色の壜を取り出し、フタをとると一気に呷り、顔を顰めました。
 ……なんだろ。
 私の不思議そうな目線に気がついたのか、御主人様は壜を軽く揺すって咳払いをひとつ。
「補給用だ」
「補給用ですか」
 オウム返しに答えると、御主人様がすっと壜を差し出した。
 受け取って、ちょっと一口。……微炭酸?
「甘いですね」
 後味が…なんだろ。ヘン。
「魔力補給用の栄養剤だ。それぐらいなら害はないだろう」
 御主人様は、私の微妙な表情を見て噴き出すと、更に戸棚を引っ掻き回し、干した杏を取り出しひとつ口に放り込み残りを私に持たせた。
 ……あ、袋破けそう。
 仕方なく両手でお皿のように持って、御主人様の探し物が終わるのを待つ。
 一体何を探しているんだろう。
「食わないのか」 
 御主人様はふと振り返り、こちらをみてしばらく固まったあと、ひとつ手に取り私の口元に突きつけました。
「これはアンズという果物の一種で、栄養素も高い。甘いぞ。口直しだ」
 知ってるけど……杏と御主人様を交互に見上げしばらく考えてから口を開けてみた。
「あーん」
 開けた口に杏が押し込まれ、掠めた指先を反射的に舐めると御主人様の尻尾がバタンと床を打ちつける。
 やはり、気に食わなかったんだろうか。
 もぐもぐしながら考えていると、御主人様はようやく目当ての物を見つけたらしく堆積した物で埋もれたソファーにどっかりと腰をかけ、
 雪崩のように襲ってくる紙の束を押しのけ、場所を空けてバシバシとそこを叩きました。
 ……座ってもいいらしい。
 杏をこぼさないように足元に注意しながら横に座ると、おもむろに肩に手が回され、もうひとつ口に押し込まれた。
 ついでにほかのモノまで押し入ってくる。
 こっちは手がふさがっていると言うのに、何を考えているんでしょうか。
 ぐちゅぐちゅと水音がして、みっともないというか、食べ物を粗末にしちゃいけませんとか。
 そんな事を思いつつやっと離してもらえたので、ごっくりと口の中のものを飲み下す。
 なんか、餌もらう雛みたいだ。
「いつまで持ってる気だ」
 杏のことですか。自分が持たせたんじゃありませんか。
 笑いを含んだ声にムキになって言い返しそうになり、慌てて口を噤む。
 ちょっと私、反抗的っぽい。
 うっかりジャックさんに接するみたいな受け答えになっている事に気がついてちょっと反省。
 ……でも、落とさないように必死なっているというのにその言い草とか、どうでしょう。 
 頑張って手を伸ばし、多分大丈夫じゃないかと期待できそうな変なお皿っぽいのの上に杏の袋を置く。
 すぐさま、腰に手を回され、ぴったりとひっつきあう。
 尻尾がぐるりと体を巻き……なんといいましょうか。
 ……ていうか、ココ大学なのに何してんだ。この人。
 そういうの、どうかと思うわけですが。
 ……ま、まぁ…五百歩譲ってこうやってくっついてるのはイイとして。
 ちょっと埃っぽいけど。
 というか、ウッカリ動くと危険だと気がついても後の祭り。
 主に雪崩的な意味で。
「この後、どうされるんですか?」
「そうだな」
 まだお昼くらいだから、時間はたっぷりある。
 買い物をして家に帰って、頑張って料理を作ってもいいかもしれない。
 御主人様にできる御礼といえばソレぐらいだし。 
 コートのボタンが外され、特に理由はないけど今日は御主人様が家にいると思い出して着替えたセーターの下にひやっとした手が滑り込む。
 相変わらずぎこちない仕草で下着のホックを外そうと悪戦苦闘している目前のゴジラ……ちょっとごつごつしたヘビの顔を見つめ、素朴な疑問が湧いた。
「そのままで出来るんですか?」
「できる」
 ……へぇー……。
 ヘビ顔のままだと、見慣れなくて妙な気分ではあります。
 あ、でも眼は一緒だし、声も一緒だし、頬をなでる指も一緒だし。
 怖くはないからいいけど。
 ……息荒いです。御主人様。
 
 首筋にひやっとした舌が這いずり、なんだか背中がむずむずする。
「あの……やっぱりこれ以上はやめた方がいいんじゃないでしょうか」
 尻尾で私を巻き寄せ、膝に載せると……あ、そうか、膝あるのか、なんか凄く変な感じだと思いながら、キャミソール越しに胸を揉みしだく御主人様を凝視していると、ウロコ顔がぎょろりと動い

た。
「このままでは駄目なのか」
 駄目って言うか。
 手が離れる。
 目の前の深刻な顔をしたゴジラ。
 シュールすぎです。
 唇といっていいものかどうか微妙な口元からはシュルシュルと細い舌がのぞいてて、ちょっと可愛い。
「そういうのがお好みならヤブサカではありませんが、衛生面ですとかを考えるならシャワーを浴びられる所がいいと思いますが、どうでしょうか」 
 よいしょと膝から降りて、隣に座る。
 拳を開いて、うっかり近くの本の山を崩しそうになって慌ててスカートの裾を掴む。
 明るいと余計なモノとか、見えたりするしね。うん。やっぱり暗い方がいいな。どんな顔されてるか、見ないで済むし。
 いつだって準備と用心は大事ですよ。
 御主人様は髪に指を絡め引き寄せ、溜息交じりにキスをした。
「お前、本当に風呂が好きだな」
「自分だって好きじゃありませんか」
 というか、御主人様なんか余裕で二三時間は出てこない。
 いや、洗うのが大変な長い尻尾だから仕方ないかもしれませんが。
「なら風呂で続きをするか?」
 ……前、試した時の事が蘇り、言葉に詰まる。
 寒いし、毒あるし。
「服が濡れると風邪を引くのでよくないと思います」
 何故私の口をつつくんでしょうか。
 笑わなくて結構ですから。
 いやあの。
 何で天井が見えるんでしょうか。
 そりゃー床に対して平行だからですって
「全然身動きできませんよココじゃ!」
 足を振り起き上がろうと腹筋を使おうとしたらあっさり押さえつけられ馬乗りにされた。
 ……ヘビ乗り?ん?ヒト乗り?
「なら動くな」
 御主人様、無茶すぎます。
 
 
 2メーター弱とはいえ、ゴジラ似の爬虫人類に押し倒されるって、フツーにB級映画っぽいなぁ……。
 折りしもここは大学で、研究室で。
 怪奇!トカゲ人間現る!ってカンジ。
 いやでも私もウサミミ付けてるからどっちかというと………C級パロディか。
 だったらせめてナイスバディな金髪美女じゃないと駄目かな…うーんせめて巨乳……巨乳じゃないと。
 ……全部の条件当てはまらないなぁ、私。
 いやむしろウロコのある巨乳美女が一番ベストなのかな。
 うーん……難易度高い。
 そんな事を考えつつ、埃っぽいソファーの上でまな板の鯉の私。
 動くなって言われたし、そもそも動くとドサドサとなんか落ちてきそうで怖いし。
 首筋を舐められたり胸を触られても、視界の隅に謎生物の骨格標本があるとそちらが気になって仕方ないし。
「なぁ、コレ使ってみてもいいか」
「御自由にどうぞ……なんですかソレ」
 トカゲ男のまま憮然とした表情をしても可愛いなと思いながら御主人様の手にある薄い包みに目をや――
 ……アレ、今あの標本動かなかった?気のせい?気のせい?
「おい」
「はい?」
 目の前で包みをプラプラされて気がついた。
「えーっと……コンドーム?」
 しかも、多分ノーマルなの。
 割と普通の色の、妙なトゲトゲやら妙な物体がついているわけでもないソレは、正直、目新しい。
 しげしげと見てから、御主人様を見上げると本人も居心地が悪そうな表情を浮かべている。 
「実は、これを使うのは初めてなのだが……」
 ……今後の為に練習したいって、事……だろうか。
 だとしたら、……ヤ…じゃなくて困るな。私、お払い箱って事だし。
 御主人様がヘビ女性を連れて街を歩いたり、一緒にコタツ入ってたりご飯食べてるのを想像すると……。
 チェルもサフも楽しそうで、……私の居場所はどこにもない。
 ……私の人生なんか……そんなものなのかな。
「どうします?私がつけましょうか?ご自分で着けてみます?私は無しでも一向に構いませんが」
 そして付け方がわからず、ヘビの女の人に振られ…それは可哀想かも。
 別に私は、御主人様に不幸になって欲しいわけじゃない。むしろ逆なんだ……けど。
 ゴム使ったり、気を使わない方が楽なので、私を手元において置くってのがいいな。うん。 
「ない方がいいのか?」
 御主人様が真剣な口調で尋ねてきたので、思わず首を振ってうなずく。
「ええまぁ」
「そうか」
 思案した口調でそういい、しばらく見詰め合う。
 
 妙な表情を浮かべた御主人様の顔を見てふと気がつき、

 それからなんか、じわじわと顔が赤くなってくるのがわかった。
 
「ちち違いますッナマの方がイイとかそんなんじゃないです!誤解です違います曲解しないで下さい!!」
 ひどく熱い顔を手で押さえてゴロゴロと悶える私の頭上に容赦なく本が雪崩れてくる。
 ……痛い。
 埃っぽいし。狭いし。
 動きを止めて、ぜーはーと息をついてから、さり気無く体を離そうとしても、足をがっちり固定され動けない。
 ……ゴジラの笑顔って…凄い迫力。
「わかった。なら今回だけな」
 何が!
 
 結局私が自分でブラを外したあたりで突然いつもの美形に戻った御主人様は、混沌とした紙類の海に埋もれていてもやっぱり美形だった。
 ほんのちょっとばかり余裕のありそうな表情のまま私を組み伏せ、服を捲り痕跡を残してく姿は中々面白い。
 口を塞がれ、ぬめぬめとした長い舌が絡み、スカートの内側でもよからぬ動き。
 時折、私の顔を見ては顔を撫でたりする。
 ……考えてみれば、明るい所でするのは初めてなので、それなりに新鮮味があるのかも……。
 それにその……普段は即座に奥に突っ込んでるのに、今のところは浅くついては、抜けない程度に引くという行為を繰り返してるのも新鮮というか。
 よくわからない。
 て、いうか、なんか。
 いつもと、ちょっと違うし……。
 ……奥突っ込まないんだろうか。
 十分ほぐれてるし、濡れてると思うんですけど。
 いや、別にどうでもいいんですけど、落ち着かないというか……。
 思ったことが顔に出たのか、なんなのか…唇が放され唾液が糸を引いた。
 体が離れ、湿った音と共に軽い喪失感。
 深呼吸を繰り返しても、さっぱり空気が吸えている気がしない。
 そのはずだ、尻尾が巻きつき胸を圧迫してるんだから。
 ……重い。
 こちらが必死になって呼吸を整えているというのに、御主人様は濡れたソレに薄ゴムを嵌めようと悪戦苦闘している。
 それを眺めていると、キッと睨まれたので仕方なく視線を外す。
 何なら口ではめてもいいんだけど……。
「できたぞ」
 どこか自慢げな声に目を戻せば御主人様の局部からそそり立つ完全体のアレが薄いゴムに包まれている。
 もはや、なんと答えればいいのかわからず無言で頷き、体を動かすと物凄く湿った感触がした。
 ……濡れすぎ。
 だって……ゴジラもキライじゃないけど、やっぱりこう……美形が目前でちょっと切なげだったり苦しげだったり、
 …もしかしたら……な感情かもしれない表情でく…口付けてくれたり目が合った瞬間に微笑んでくれたりとかすると、やっぱり、その。
 ゆっくりと挿入された感触に、一瞬背筋が反り返る。
 ゴム効果でちょっと普段より……ちょっと違うような気がしないでもない。
「締めるな」
「ごごめんなさい」  
 御主人様はあんまり動かない。
 締め付けたままぐちゅぐちゅと……奥に突っ込まないんだろうか。
「ところで、何で急にゴムなんか?」
 御主人様が私の背中に爪を立てた。
 驚いて息を詰まらせると、押し殺した声でさっきと同じ事を囁かれ慌てて力を抜くように努力する。
「ここで汚れたら、困るだろうが。お前が」
 御主人様の声、凄く色っぽくて、耳元で囁かれると内容が頭に入らなくて困る。
 それでもなんとか咀嚼して、どうやら気遣ってもらったらしいという事は理解できた。
 ……それなら最初からここでしなければいいと思うんだけど。
 御主人様は、また行為に没頭する事にしたのか半端に突いては戻すという行為を繰り返して、非常に……いやいやいやいや、うん。
 御主人様の好きにすればいい。
 別に全然どうってことないし。
 もっと、グリグリしてほしいとか、そういうんじゃないし!
 早く奥の方に入れて欲しいとか、別に思わないし!
 前の方のアレが別の部分をヌルヌルと普段以上にこするからといって、別にどういうわけでもないし!
 ……素股と同時に突かれるってどうなのと思わなくもない……けど。
 これって、ヘビだけの特権……かな。
 頑張って両方とも気持ちよくなってもらうべく、私も太腿に力を入れてゆっくり体を動かした。
 御主人様が合わせて背中に腕を回し、奥の方にぐいぐい熱い……いや、ちょっとひんやりなものが入ってくる感触に思わず溜息が洩れる。
 御主人様、結構早い方なのに今日は頑張るなぁ……。
 汚名返上ですね。
 知ってるの、多分私だけだけど。
 長い尻尾がぐるぐると体に巻きつき、挙句にこうやって奥のほうまで押し込まれてると、首輪ももらえないし、仕方なく置いてもらってるとしても、今だけは御主人様の所有物っぽくて、ちょっと

いいとおもう。
 服の下に潜り込んだ手が、優しい手つきで柔らかくて醜い辺りを撫でられると、やけに肌が熱くなる。
 触るのは、面白いかもしれないけど、見られたらきっとどん引きする。
 でもこの人に触ってもらうのは、受け入れてもらえてるみたいで、嬉しい。
 
 てゆーか、ぶっちゃけ
 
 この人に優しくしてもらえると、死ぬほど嬉しい。
 
 そんな答えが光速で飛来し心臓に突き刺さり棘を出して爆発して、色々な部分が一斉に不治の病にかかった。
 しまった。これは治らない病気のアレだ。
 動きが止まった私を、御主人様が不審に思ったのか顎を引き寄せ柔らかく口付けてきたりしてきた。
 困る困る凄い困る。
 物凄い勢いで取り乱してしまいそうになったので、今までの人生であった嫌な事を思い出すことに専念しようと思ったのに、出来ない。
「あ、あの、こうしてもいいですか?」
 口が勝手に動き出し、手を背中に回して、肩口に顔を埋める。
 御主人様は今日動くなって言ったのに、こんなことしたらマズイだろうなという、経験則による感想が黄色いアラームを鳴らしてるのに。
 
 ぎゅっと抱きしめてくれて、髪の毛撫でるなんて反則過ぎる。
   
 *** 
 
 買い物用のメモを取り出すと、御主人様が頭上から覗き込みシュルシュルと舌を動かして考え深げな声を出しました。
「今日はトリか」
「大きいの買っていきましょう。セールですから」
 そう言った拍子にお腹が鳴った。
 ……考えてみれば、色々したせいでお昼抜きなんだけど、御主人様はお腹がすかないんだろうか。
「今日は、本当に人が多いですね。ネコの日効果でしょうか」
 ツンツンなんていう可愛らしいものじゃなく、ぐいぐいと引かれる手に視線を上げると、ゴジラ顔が屋台の一角を指しています。
「アイスでも食べるか?」
「どうせ食べるならオールドファッションライムバニラアイスを頂きたい所ですが、……寒いのでどうでしょう?」
 コタツで食べるならともかく。
 いや、御主人様が食べたいというなら……いくらでも合わせるけど。
「冷たいものを食べたら、体冷えて辛くないですか?温かい物の方がいいんじゃありませんか?」
 御主人様は冷血動物だし。
 さっき運動して、体温が上がっただろうけど食べ物はあったかい物がいいだろう。
「たとえば、うどんとか、おでんとか……ラーメンとか」
 微かに記憶にある醤油とダシの味を考えると胃が情けない声をあげたので、気を逸らすべく私はゴジラ顔を熱心に見つめた。
「もしのんびりしたいなら、ダッシュで買い物して帰って作りますが」
 御主人様は、ゴジラ姿に変身していても、精神集中が乱れたり、魔力が切れると元の美形に戻ってしまうらしい。
 つまり、できるだけ元の姿でいる方が疲れないって事だと思う。
 だとしたら、私に出来る事は気を回すぐらいの事なので、これからはもっと色々頑張りたい。 
 うん、頑張る。超頑張る。
 もはや、何度目かわからない決意に苦笑いする自分は、なんなんだろう。
「ラーメンか……」
 思わせぶりな口調にどきりとして見上げれば、御主人様は憂い気な表情を浮かべています。
 あ、そうか。
 猫舌だから無理なわけだし、そもそもここらへんにはラーメン屋がないって前に言ってたし。
 うどんもちょっと熱いし、おでんはカツオ出汁が効いてて美味しいけど時間がかかる。
 うーん…温かくて、御主人様も食べられて、手早く作れる物……むう。
「カレーとラーメンどっちの方が好きだ?」
「両方ですが?」 
 質問の意図を掴みきれず戸惑いながら返答すると、ゴジラ顔の眉間に深い皺が寄った。
「実は、最近屋台を見つけてな」
「ラーメンですか!?」 
 あ、しまった。声が上ずってる。
 我侭言っちゃだめだってば。
「で、でも熱いの苦手ですよね。いいです。全然あの、全然いいです。そんなあの……無理しないで下さい」
「でも食べたいんだろう?」
 うっかり……頷いてしまった。
 
 大学を出て繁華街方面、オフィス街との境目、大通りから裏道を抜けたところで小さな屋台と、テーブルとベンチ。
 それから赤い暖簾が見えた。
「いいか。ちゃんと座ってるんだぞ。間違っても店主を見ようとするな」
「わかりました」
 謎の注意に内心首を捻りつつラーメンに期待を高ぶらせる。
「やっほーほら、あのコがマイシスター」
「へー」
 暖簾からひょいっと現れたのは、よく見慣れた黒ウサギ。
 その隣に座っていたのは……
「あの、なんですか?」
「見るな。そのまま大人しく座れ」
 何故か御主人様に視界を塞がれた。
 おかげでジャックさんの隣の人の姿がよく見えない。
「やーねーヘビって嫉妬深くって」
 面白そうな口調のジャックさんに、掠れたハスキーな笑い声が重なる。
「黙れ」
 険悪な表情の御主人様に促されるまま、ベンチに腰掛けメニューを探す。
「えーっと……じゃあ、私はとんこつラーメン大盛りチャーシュー二倍で」 
 何故かジャックさんが吹いた。
 ゲフゲフと噎せる声と、大うけしている隣の人と心配そうな…多分店主の若い男性の声。
 御主人様は、お酒とおつまみを頼んで、メニューを見直した。
「美味いのか?ラーメンとは」
「ええ、と。多分。私は週一で食べるくらい好きでしたけど。初体験ですか?」
「ああ」
 知らない人が居るので、ちょっと小声で答える。
「キライっていう人は多分居ないと思うんですけど……」
 ジャックさんと隣の人は、やけに盛り上がってるので気になって仕方ないんだけど、体を動かそうとすると御主人様がブロックしてくる。
 おかげで、ジャックさんの隣の人も店主さんの方も見えないので、凄く気になるんですけど……。
「あの、隣の人知ってる方ですか?」
「いや。だがお前は見なくていい」
 どういう意味だろ。
「ねぇねぇキヨカちゃん。ウサギってさー」
 ハスキーな声が近づくと、御主人様が全力でガードしてきた。
 そしてさり気無く私の隣に座るジャックさん。
「キヨちゃんここは野菜大盛り塩ラーメンチャーシュー抜きでしょ」
「え、何言ってんですかチャーシュー抜きとかありえませんよ」
「おまたせしました」
 涼やかな声に驚いてみれば、店主は白いネコのマダラらしい涼やかな風貌の美青年。
 ネコのマダラは凄く少ないそうで……生でみるのは初めてだ。
 へーっと思いながらラーメンとご主人様用のビールとつまみを受け取ってお礼を言う。腕のキラキラしてるのは…鱗?
 御主人様はジャックさんに肩を掴まれ真剣に話し合っている。
「あのー冷めますよー。先食べてもいいですか?」
 とんこつのいい香りにゴマの香りと焦がしネギに真っ赤な紅生姜。
 縮れた黄色い麺に白濁したスープ。
 蕩けんばかりのふっくらチャーシュー。
「先、食べますよ?」
「ウサギなのに肉食えるの?」
 ひょいっと顔を覗かせたのは、これまた……センパイを連想させる綺麗系の………紫な巻き角さん。
「悪食なんです」
 答えてから、ふと気がついた。
 その人が手に持っているのも、チャーシューたっぷりのラーメン。
「アナタは、肉食べられるんですか?…どうみても草食…」
「―――悪食だから☆」
 整った顔が変な風に歪んでいる。
「そうですか」
 頷いて顔をラーメンにもどす。訊いちゃいけなかったらしい。
 それはともかく、
 とんこつラーメン。
 夢にまで見たラーメン。
 早く食べないとのびちゃうラーメン。
 箸を握り締め、湯気が目に滲みるのを耐えて待ってても話しは終わる様子がない。
 ……。
 
 戻ってきた御主人様は、やや疲れた様子で席に座ると泡の消えたビールを飲んでおもむろに野菜炒めをフォークで突き刺した。
「それが、とんこつラーメンか」
「いえ、これは醤油ラーメンです」
 メンマがコリコリして美味しい。ワカメも美味しい。
 麺をひと掬いしてふうふうしてから差し出す。
「はい、あーんっ」
 隣で前歯剥き出しにしている黒ウサギには小さく切ったチャーシューを放り込むと、無言でジタバタしていた。
 どうでもいいことですが、ゴジラな御主人様がラーメン食べて熱ッとか言うのって凄く萌える。
 
 結局、御主人様はつけ麺を選び、私は幸せな気持ちのまま隣に座りなおした。
「つけ麺も美味しいですよね」
 箸が苦手なのでフォークでクルクルしている姿が可愛い。
「ねぇーキヨちゃんバッファロー・ビルかドクトルレクターって知ってる?」
「いいえ」
 紫な人とジャックさんは謎の会話で盛り上がっているので適当に受け答えし、御主人様を眺めていると騒がしい足音が近づき、紫さんが慌てて立ち上がった。
 なにか弁解している紫さんと説教している……でっかい…イヌ男性……ぐんじんぽい。
「どうした」
「え、いえ」
 プルプルと嫌な記憶を振り払い、お冷を一口。
「最近ねぇー黒髪の女の子が襲われる事件が増えてるんだってさ。キヨちゃんも気をつけてね」
 ジャックさんはそう言って、花柄刺繍のハンカチを取り出し、使い方をレクチャーしてくれた。
 付け耳と一緒で、衝撃を与えると光るらしい。
「俺の傍を離れなければ問題ない」
 御主人様は憮然とした表情でジャックさんに抗議したけど、軽くいなされてしまった。
 首根っこを掴まれ、コネコみたいに引きずられていく紫さんを見送る。
「そういえば、私マダラの人はじめてみました。結構ビックリしますね」
 途端に表情を無くし、無言でつけ麺を大口で頬張る御主人様。
「あーカッコイーと思う?ネコミミー」
 屋台のカウンターには新しく来たお客さんが座っているので、店主の姿は見えない。
「そうですねーもてそう」
「キヨちゃんもそう思うんだ~だってーがっくん」
 御主人様、無言でつけ麺に胡椒をかけ…かけ過ぎです。
「辛くなっちゃいませんか?」
「味がしない」
 財布でも落としたような空ろな口調になってしまいました。
 ……なんで?
 
***

「えー今日トリニクゥー?ならオレ様に特大サラダつけてよキヨちゃん。あの上の茶色いカリカリ多めで」
「わかりました。……あの、腕掴むのやめて下さい」
 超ご機嫌なジャックさんに引っ張られるようにして市場へ。
 御主人様はすっかり萎れたようになっています。
 何でだか見てはいられないので、腕を掴むジャックさんの耳を捻り腕を開放してもらうと、御主人様の隣に滑り込む。
「トリじゃなくってカエルにしますか?季節外れですが、少しぐらいは売ってるかもしれません!」
 何故か、どんよりした面持ちで見返されました。
「どうかしました?」
「マダラ」
 ネコの子供達が大騒ぎしながら目の前を横切っていく……先頭、チェルだし。仲が良くていいことだと、思う。
 楽しそうなので見送るだけにして、再び御主人様に目線をもどす。
「マダラなラーメン屋さんでしたね。美味しかったです!本当にありがとうございます」
 御主人様もマダラだし。
 眼福だったし、お腹もいっぱいだし。
 ……御主人様、頭痛か目が痛いのか、目付きが不穏ですよ。
 何か、不満な事でもあったんだろうか?
 でも御主人様も結構食べてたという事は、ラーメン自体が問題なわけじゃないだろうし。
「キライなんですか?マダラ。ご自分だって、えーっと……ナーガなのに?」
「ラミアだよ。キヨちゃん」
 どうでもよくありませんが、重い顎を頭に載せるのはやめて欲しいと思います。
 ……でも顎の下の毛がモフモフです。口がニンニク臭いけど。
「古代においては男の場合はナーガと総称されていたが、剣聖ナーガラジャに憚り男もラミアと称するようになったので間違いでもないな」
「へぇー」
「ふーん」
 モコモコする顎を頭でグリグリしてモフモフを味わっていると、御主人様は更に目付きを不穏にしてつけ耳とジャックさんの耳を掴み、ぐっと引き剥がしてきました。 
「お前は帰れ!帰って仕事しろ」
「じゃあキヨちゃん、今から開けるから行こっか!」
「駄目だ!」
 2人は本当に仲が良い。
 御主人様とジャックさんはひとしきり殴り合ってから、再度私を間に睨みあった。
 ……狭い。
 現在市場では大規模なイベントが行われていて、賑やかな音楽が聞こえてきたり、普段は見かけない種族の人達が大勢居てかなり混雑している。
 地面に敷物を敷いてその上でアクセサリーや謎の物体を売っている怪しげなネコに、揃いの艶やかな衣装を着て自慢の喉を披露するトリ達。
 ……人力車…みたいなので縦横無尽に走り回るイヌに客席には澄まし顔で座る…ネコの国では珍しくキツネの家族。
 もしかして雑貨屋さんの親戚かもしれないとチラリと思った。
 ……今、建物の上をジャンプして行ったのは……スパイダーマン?
 眼を丸くした私の目線をヘ二人が追い、またああだこうだと議論を始める。
 まさに、異世界情調溢れるって感じ……。
 なんとなく付け耳を撫で、少しだけ息をつく。
 ほんの少し、当然の事なんだけど……疎外感。
 それを感じなくなるような日が、来るんだろうか。
 いつの日か……。
 自然と俯きかけたので背筋を正し、人の波を縫うように前へ突き進んでいると、目立つ黄色が目に入った。
 明るい黄色のミニスカ制服に小さな帽子を被ったネコ美人が片手に小さな旗を持って引き連れる団体さんは、物凄い厚着の…あ、ヘビだ。
 しかも御主人様と違ってカラフルな模様のウロコで……え?
 思わず見比べると、私の疑問に答えるように自分の地味な色合いの鱗を撫で、ヘビの団体さんに軽く会釈しました。
 鮮やかな模様のヘビ男性が、厚手のコートを着込んだきつめの美人を守るような位置にずれて少し列が乱れる。
 何事か囁きあい、男性が手に持った杖が石畳を叩く音に御主人様が目を細め…私が服の袖を引いたのに気がついて微かに首を曲げた。
「あの……ナンパなら、私がいないところでして下さい」
 間違いない。この目付きはバカだと思われてる。
 幸い、私の声は相手にも聞こえたらしく、カラフル鱗の男女の雰囲気が少し緩んだ。
「え、ナンパ?どこで!?」
 黄色い帽子のネコ美人をガン見していたジャックさんが、きょろきょろと左右を見回しふざけた声を上げたので、背中をつついてコートを少し引っ張る。
 ついでにさり気無く御主人様もひっぱり団体さんから距離をとると、彼らはあっという間に人の波に紛れていく。
 これでよし、と。
 奇妙な表情をしたままの御主人様の顔を見上げ、笑顔を作ってみる。
 確か、ヘビの邦…は、長年戦争が続いていて……私には想像も出来ないことがあるんだろう。
「尻尾ない人もいるんですね」
 思いついたことを口にしてみた。
 御主人様は、やっぱりヘビとか言いつつトカゲだったんだろうか。
 いや、ゴジラだから恐竜系?……トカゲか。
「始祖が異なるからな、彼らはおそらくケツアルコァトル家の」
 意味がわからない。
 御主人様はしばらく瞑目して、私の唇を撫でました。
「ヘビは龍神と人が交わって生まれた種族だと言われているのは知っているな?」
 世界種族辞典か、ヘビの料理本か何かに載っていたはずだ。
「始祖も様々だからな、特に始祖の血が濃いといわれるそれなりの血筋であれば……なんだ」
 胡乱な御主人様にジャックさんがいつもの前歯剥き出しな不気味な笑顔でつっと服屋の一角を指す。
「落ちモノのフリソデだって。欲しい?」
 目を向けた先には、綺麗…だけどなんだか謎の花柄着物が吊るされていた。ちなみに薄手で、浴衣っぽい。
 近づいて値札を見る。
「200セパタ……」
 つまり、四十万円くらい。高い。
 お店のネコが手もみしながら近寄ってきたので、慌てて手を振って御主人様の元へ戻る。
「アレ、落ちモノじゃないですよ。多分…なんか日本人用って感じじゃないです、お風呂のお色気シーンで使ってそうですもん。しかも振袖でもないし」
 しばらくきょとんとした顔をして、それから瞳がキラキラしてきた。
「お風呂!そっか!フリソデはヒメハジメーで使うんだよね!二種類買っちゃう!?」
 しばらく能天気な顔を見つめ、息を吐く。
 ……本当に悪意があるわけじゃないっていうのは、判ってるんだけど。
「生憎、着付けは出来ません。あと振袖は、成人式とかお祝い事の時に着るものです……私も本当は今年着る筈でしたが」
 向こうに居たら、きっとレンタルのを友達と一緒に選んでただろう。
 唇を噛んで着物から目を逸らし、今日買うべき物を頭の中で読み上げて、ついでにチェルが欲しがっていたお菓子を追加する。
 ああ、アレは早くしないと売り切れるからすぐ行かなきゃ。うんそうだ。そうしよう。
「私、ちょっと向こうで買い物してきますから、いつもの酒屋さんの所で待っぐぇッ」
 最後まで言う前にジャックさんに背中から思いっきり抱きしめられ、内臓が口から出るかと思った。
 幸い腕はすぐに放され、ふらつく私の目に入ったのは地面にめり込むジャックさんと、止めを刺そうとする御主人様と……わくわくした顔のチェル。
「やめて下さい。子供の前です」
「キヨちゃん、なんか違う」
 即座に復活したジャックさんが私の後ろに隠れて耳元でぼそぼそ言うのが、ウザい。
「チェル、遊んでたんじゃないの?」
「遊びしゅーりょー!」
 しゃがみこんで尋ねると体当たりの勢いで抱きつかれ、地面にしりもちをつきかけ、何とか耐える。
 背中に手を回して、何とか立ち上がる。
 凄くご機嫌。
 今日は泥まみれでもないし、漆喰も灰もついていないみたいで助かるかな。主に洗濯的な意味で。
 ……所帯じみてるな…私。
 まぁ、家政婦みたいなものだから、いいのか。
「あのねーあっちでいっぱい屋台あるんだよ!すごくおいしそーなの!」
 知ってるけど。
 御主人様が何か言いたげなのを気がつかないフリをして、チェルをそのまま抱いて歩くと、ジャックさんがチェルを奪い肩に乗せた。
 視界が高くなってチェルのテンションが更にヒートアップしているけど……ジャックさんは耳掴まれても嬉しそうだからいいか。
 しかし御主人様、いきなり顔を近づけるのはやめて下さい。手首掴まないで下さい。尻尾を腰に回さないで下さい。
 焦ります。
「何を怒っている」
「怒ってません」
 とんだ勘違いだ。
 ゴジラ顔がジーっとわたしをみて尻尾を離した。
 ゴジラな体型にしては意外なほど綺麗な手がゴシゴシと顎をこすり、何か思案している。
 見ていても仕方ないので、黙々と歩いていると前方から猛烈な勢いで尻尾の曲がった白黒ネコが着物に向かってダッシュしてきたのでそっと避けた。
 向こう側には小柄な黒ネコのお姉さんが呆れた目をして腕組してる…多分、観光客なんだろうなー……。
 きっと新婚に違いない。
「さっき、フリソデで成人式とか言っていたな」
「日本だと二十歳で大人と法律的にも認められるので、お祝いにみんなで集まって振袖とか着たりするんです」
 いらない情報だとは思いつつ、一応説明すると御主人様は更に微妙な表情を浮かべました。
 ジャックさんに肩車されたチェルの歓声に一瞬気を取られてから、すぐにこちらに圧し掛かるようにして口を開く。
「成人は確か、15、6だと文献にはあったぞ。女なら、10に満たなくとも嫁に行くと」  
「国際的に見ればありますけど……そういう所は平均寿命がアレな所とか……」 
 だからイヌの国は、マニアックな変態揃いだと思ってた。
 そもそも役人に賄賂代わりにヒトあてがう娼館の客なんか、ろくでもない変態に決まってるんだけど。
「だが、ニホンの成人は、男は十五ぐらいだと聞いたが。ヘビだって大半は二十歳で成人だぞ」
 しばらく様子を窺っても、御主人様の表情は変らなかった。
 マジで言ってますね、これは。
「人生50年とか言ってた時代はそうらしいですが、何百年も前の話し出し。今の日本の平均寿命80歳だし、100歳越えだって少なくありませんよ」
 驚愕するトカゲ男!!といいたい所だけど、表面上表情が変化する様子はない。
 但し、動揺はしているらしく尻尾がバタバタしているので付近の人には大迷惑ぽいですよ。
「だ、だが、お前の歳ならチェルぐらいの子供がいるのが通常だろう?」
「チェルが15ぐらいでお婿さん連れてきたらどうします?」
「許さん」
 0.1秒で否定しました。この御主人様。
 十年後が楽しみです。チェル、絶対美人になるし。
 ……まだそのとき、私が居ればいいんだけど。
「私、落ちたの……14の時で、彼氏なんていませんでしたけど」
 ……私、なんでこんなこと言ってんだろう。
 もしかして、私は …… 到った結論に我ながらげんなりした。
 私、本当に性格悪いな。
 御主人様が動揺しているのをよい事にこっそり袖を掴み、少しだけ後ろを歩く。
「二十歳で成人ですが、大学生とかそこらへんか働きはじめとかで、結婚する人は少ないと思います。普通もうちょっと待つかなって」
 ……こちらを必死な目で見る御主人様。
 普段は穏やかな目の色が、ちょっとテンパってるらしく、長い尻尾を屋台にぶつかりこけた。
 キラキラした物が宙を舞い、ネコの悲鳴が重なる。
「大丈夫ですか」
「大丈夫じゃないのはお前だ」
 意味不明な御主人様にヌルい眼をしたジャックさんと水飴をくわえ上機嫌なチェルがからかいの言葉を投げかけたが、あまり耳には入っていないらしい。
 ……ジャックさんの頭、水飴でツヤってるけどいいのかな……。
 落ちて汚れたから買い取れという店主はジャックさんに任せて、落ちてしまったアクセサリーを拾い集め、お店に返す。
 御主人様は、どことなく苦しげな顔つきをしていますね。
 深く寄った眉間の皺を背伸びして指で撫でると、凶悪無比なゴジラ顔が物凄く困惑した表情に変った。
 ……かわいい。
 ちらちらする舌も可愛い。
 やっぱりカエル探そうかな。具合悪いなら、尚更。
「ねぇ、どれが欲しい?好きなの選んでー☆」
「最低三つニャ。にゃんにゃら全部買い取ってくれても買わないニャ」
 渋い顔のネコとジャックさんから察するに、ジャックさんがうまいこと話をまとめてくれたらしい。
 肩から下ろされ、目を輝かせて覗き込むチェルの邪魔にならないように後ろに下がり、ちょっとだけ覗き込む。
 露天にしては、女の子向けの……結構可愛いのが揃っている。
 細部を見ればちょっと作りが甘いというか粗雑ではあるんだけど。
 素材はいいのに、勿体無いなぁ……。
 植物や文字の彫られた指輪や、ビーズを繋げたネックレス、ティアラにブレスレット、ピアスなんかも色々。
「ちーねぇ、このお姫さまみたいなのとえーっとねぇ」
「ネズミの癖にお目が高いにゃーこの髪飾りは10セパタにゃー」
「高ッちょ500センタしないよこれーちょっとー吹っかけ過ぎぃー」 
「にゃにをいうニャ!この原料だけで1セパタはかたいニャ!」
「えーじゃー505センタ」
「ボッタくりニャー!?」
 きゃあきゃあと楽しそうなのを余所に、屋台の下にまだ指輪が落ちていたので拾い上げて泥を払う。
 作り手が違うのか、ちょっと雰囲気が違う。
「コレ、綺麗ですね」
 桜色の石がついた細い指輪はシンプルだけどちょっといい。
「指輪は別口から仕入れたヤツニャからお勧めしないニャー」
 あんまり売る気がなさそうな雰囲気なのは、仕入れた先と仲が悪いのかな。
「いくらなんですか?」
「これは5セパタニャー委託モノニャから値引きできないニャ」
「へぇー」
「そこを値引きするのがネコでしょ」
「山猫と交渉するのはイヤにゃ」
 はっきり言い放つネコに苦笑するジャックさんを見る限り、多分ソレは真実なんだろう。
 泥を拭ってちょっと薬指にはめてみる。
 サイズピッタリ。
「お前はソレか」
 驚いて慌てて指輪を外す。
「ち、ちがいます。すみません……」
「指輪ならこれとかこれもあるニャー。勧めはしにゃいけど、買うなら買うといいニャ。さっきも売れた黒髪に似合うペアリングもあるにゃー」
 どんどん取り出され焦って御主人様とジャックさんを見れば、2人とも好き勝手に批評している。
「キヨちゃん手かしてー」
 手は、一時期よりはだいぶよくなったけど、相変わらず手荒れで皮がむけていて気持ち悪い。
 茹でた後干からびた海老みたいだ。
「いえ、私は結構ですから」
 そうジャックさんに言うと、顎をつかまれぐぎっとまわされた。
御主人様が吐息のかかる位置で私を睨み、ちらちらと赤い舌を伸ばしました。
「買ってやる」
 ……本気だろうか。
 しばらく考えてから指輪を一瞥し、それから端の革製品を指す。
「なら……どうせなら、コレを……」
 御主人様は、細工の粗い革のチョーカーを見て嫌そうに顔をゆがめた。  
「奴隷みたいだから、駄目だ」
「そうですか」
 やっぱり、……そうなのか。
 頷いて諦め、チェルが熱心に覗き込んでいる方を見る。
 ビーズを繋いだ単純なつくりの腕輪が欲しいみたいだけど、あいにくサイズが大きすぎるみたいだ。
 というか…これなら繋ぎなおせばいいような気がする。
 ビーズの色が綺麗だから、それがいいのかな。
「えーっと……すみません、……コレを」
 御主人様がネコに向かって頷くと、ネコは嬉しそうに頷き、ブレスレットを私に手渡した。
「えー!ちーもほしい」
 ピョコピョコと跳んで口を尖らすチェルに微笑み、ブレスレットを二重にしてぷにぷにした手首に通すと、顔が輝いた。
「お前用だろうが」
 付け耳を引っ張られて頭が傾ぐ。
「いえ、私は……」
「コレなら在庫があるニャー運がいいニャ!」
 ネコが眼を輝かせてブレスレットを取り出し、勝手に私の腕にはめた。
「にゃーぴったりニャ!」
「キヨカとおそろい!!」
 チェルの喜びように水をさすのも気が引けて、手首に当たるビーズの感触がなんともいえず、思わず眼を落とす。
 装飾品……贅沢品、自分を飾るもの。無くても、生活には関係しないモノ。
 こういうの、娼館以来だ。
 あの頃は、いつも寒くてどこか痛くてお腹がすいてて……孤独で。
「じゃあ、コレとコレ二つでー」
 ジャックさんは値下げ交渉をはじめ、御主人様はむっつりとしたままお金を支払った。
 喜び勇んで髪を飾り、自分と私のブレスレットを見比べては笑顔を浮かべるチェルはいいんだけど……。
「あの、帰ったらちゃんとこの分お返ししますから、大丈夫ですよ」
 御主人様にそう囁くと眉間にぐっと皺が寄った。
「それぐらい買ってやると言っただろう」 
 押し殺した低い声も美声だなと思いつつ、私は頷く。
「でも、ジャックさんからお給料頂いてますし、私が使う物ですから」
 ……なんで睨むんだろう。 
「買ってやる」
 唸り声に軽い恫喝が含まれていたので、私は大人しくうなずいた。
 御主人様は私の飼い主じゃないから、私に対してお金を使う必要は一切無いんだけど……。
 大体、映画や図書館につれてもらえただけで本当…感謝してるし。
 けど、それを説明するには人が多過ぎる。
 突然派手な音楽が鳴り響き、周囲のネコ達がぎょっとしたように音の方を向いた。
 見れば拡声器に半被姿のネコが台の上に立って、音割れした声で中央広場から何かのイベントが始まるというアナウンスをはじめている。
「みんなよくこの音平気だよね……」
 最初の音声で耳を押さえて倒れたジャックさんが、苦虫を飲み込んだような絶望交じりの表情を浮かべていた。
 無理もないか。
「音楽のイベントみたいだし、きっと物凄くウルサイですよ」
「ちー行きたい!」
 ……そういうと思った。
 空は少し雲がではじめているけど、まだ十分明るい。
 どうせすぐ飽きるだろうから、ちょっとのぞいて、それから買い物をして帰ればいい。
 そう提案すると、いつの間にか鯛焼きの大袋を抱えたジャックさんが頷いて一個づつ私達に渡し、顔をキリッとさせた。
「じゃ、オレりっちゃんをストーキングしてくるよ!晩御飯までには帰るから!!」
 ……。
「どこにリーィエさんいるんですか?」
「んー三丁目の角で、屋台物色してるみたいだから☆んじゃね♪」
 ……ジャックさんには、大音量をもうちょっと聞かせておいた方が、世間の為になる気がする。
 チェルと私に頬ずりし、御主人様の攻撃を軽やかにかわすと、それこそウサギらしい軽快な走りで、黒い垂耳があっという間に人混みの中に姿を消した。
 鯛焼きを抱えたままのチェルがきょとんとしたまま見送り、私の顔と御主人様を見比べそれから猛然と鯛焼きに齧り付く。
 ……拗ねてるらしい。
 掴んだ拳を所在投げに下した御主人様と顔を見合わせる。
 この子、本当に可愛い。
「俺は少し用事がある。すぐ戻るから、噴水で待ち合わせで構わないか?」 
「わかりました」
 御主人様は手に持った鯛焼きをチェルに渡し、頭を撫でてから路地に入り姿を消した。
 しばらくその背中を見送り、チェルの手を握って広場を目指す。

「人いっぱいだね」
「はぐれたら、噴水の前で待ち合わせだからね」
「わかってるよー!」
 広場の最奥には舞台が据え付けられ、その周囲には予想通りの人だかり。
 噴水は入って左側の方にあり、幸いな事にそちらの方が人がまばらだ。
「カラオケ大会だって。ジャックさんいなくて正解だね」
「ちーは歌スキー。あのねぇ今日学校で黒ネコのタンゴ歌ったんだ」
「へぇー……」
 噴水の縁に腰掛け、ぼんやりと舞台の方を見やる。
 チェルは周囲の様子を窺ってから、舞台がよりよく見える位置まで移動してぴょんぴょんはねてる。
 キュロットから出ている細い尻尾が上下に揺れてかわいい。
 既に舞台ではカラオケが始まっていた。
 ……ていうか、テレビ局っぽいのもいるからもしかして、…舞台の上には、デカデカと『出張:のど自慢』の看板。鐘まであるし。
 『猫になりたい』という曲を歌い始めた縞ネコが即座に鐘1つで失格になる。
 その後も、野次が飛んだり、拍手喝采を受けたりなかなか面白いけど、案の定チェルは飽きてしまったらしく欠伸を1つ。
「がっくん遅いねー」
「もうちょっと待ってね」
 退屈なのか、うろついては通りすがりのネコに好奇の視線を向けられているので、正直気が気じゃない。
 なにせチェルは可愛いし、小さいし、なによりネズミだし。眼を離したら誘拐されそうで。
 屋台は知り合いがいるらしくさっき挨拶してたから、大丈夫だと思うんだけど。
 一応、警備員らしきネコの姿もあるし。……サボってるけど。
 しかし、この広場でも様々な種族がいる。
 大半は観光客らしく、物珍しげに建設中のカラオケボックス(寒いので冬は工事中止)を指差していたり、猫技の営業所のショーウィンドを覗き込んでいるのが見えた。
 あとはのど自慢大会を見物して、ゲスト審査員のトークに湧いたりしている。
 ……噴水は、石造りなので座ってると冷える。
 隣に腰掛け足をぶらぶらさせているチェルは完全に飽きているらしく、つまならそうにブレスレットをいじくりはじめてしまった。
 うちに帰ったら、長さを調節した方がいいだろう。
 チェルのアクティブさを考えるとすぐなくしてしまいそうだけど……私も小さい頃はそんなもんだったと思うし。
 そんな事を考えつつ人混みを眺めていると、不意にぶちりという音と小さな物が石畳に零れる音。
 呆然としたまま動かないチェルの手の中には、千切れたブレスレットと僅かなビーズに切れた紐と、地面に広がる鮮やかなビーズ。
 しばらくあっけにとられ、それからチェルは顔を真っ赤にしてぼろぼろと泣き始める。
 私は地面に落ちたビーズを拾い集め、ポケットに仕舞った。
 ……怒るのは、簡単なんだけど。
 しゃくり上げているチェルの頭を撫でて、私のを外して手に渡す。
「交換しよう、ね。だから泣かないで」
 ……しまった、何がいけないのか余計に泣き出してしまった。
 困った。……お母さんなら、こんな時どうしたんだろう。お父さんは、どうしてくれたっけ。
 コートを掴まれ、鼻水を啜るのでちり紙を取り出して洟をかんでやる。
「せっかく買ってもらったのに、がっぐんに、おこられる……きらいっていわれる」
 ぐしゅぐしゅになった顔のままそんな事を言い出したので、頬と鼻をもっと擦ってから小さな体をぎゅっと抱きしめた。
「子供が嫌いになるお父さんなんか居ないから、大丈夫」
「がっくんお父さんじゃないもん。ちーのお父さん、ネコにやられてしんじゃったもん。ちーはただのいそーろーだもん」
 ……やっぱり、そうなのか。
 抱き上げるとちょっと重い体を膝に乗せてコートでくるんだ。
 ジャックさんがくれたコートは、お古だというわりに新品としか思えないぐらい清潔で暖かい。
「そんな事ないよ。あの人、照れ屋だからちゃんと言えないだけで、チェルのお父さんの代わりになりたいと思ってるよ」
 根拠はないけど、確信はある。
 チェルのふわふわした髪は、冬の埃っぽい風に巻かれてすこしざらついていた。
 私は体を洗ったりしてあげることは出来るけど、一緒にお風呂には入れないから、御主人様がよく一緒に入っている。
 算数と理科ぐらいなら何とかなるけど、それ以外の宿題はサフと御主人様が教えたりしてる。
 公立の学校か、私塾かどっちの方がチェルにとっていいのかサフとジャックさんと私も交えて真剣に検討した事だってある。
 プレゼントを渡す為に、街中のおもちゃ屋を廻ってた事だってある。
 結局、諦めきれず、王都から取り寄せる事になってたけど……。
 それでもって、私はそういう所も好きなんだけど。
「何ビービー泣いてるの。チビ助」
 荒い息をしながらイヌが覗き込んできたので驚いて危うく噴水に転げ落ちかけた。
 腕を掴まれて、何とか止まる。
 イヌと言っても……サフだから、大丈夫だ。
「サフ、今日バイトじゃないの?」
「終わった。そしたらチビの泣き声が聞こえて」
「な゙い゙でな゙い゙!」
 サフは舌を出して喘ぎながら、私に顔をくっつけたままくぐもった声を上げるチェルの髪を乱暴に撫でる。
「誰かにいじめられた?キヨカは大丈夫?がっくんかジャックは?」
 鼻がくっつきそうな勢いで顔を突き出し、ニオイを嗅がれた。
 ……あの時、ゴム使ってもらえてよかったかも。
 場違いな感想がちらりと浮かび、恥ずかしくなり首を勢いよく横に振る。
「大丈夫。買ったばっかりのが壊れちゃって、ビックリしただけだから」
 千切れた紐とビーズを見せると、サフは瞬きして深く息を吐いた。
「よかった」
「よかったじゃねー!!」
 背後から可愛らしい怒声が響き、サフがビクリと体をこわばらせた。
「あ、ニキさん」
 つかつかと歩み寄ってくる白ネコに手を振ると、ニキさんは一瞬眼を見開き、それから気を取り直し、再び口を開いた。
「ちょっと聞いてよキヨカ!信じらんねーのコイツ、アタシの事置き去りにしてダッシュするし!」
「ごめん」
 サフは冬に入って毛が一層モコモコしただけでなく、なんだか一回り以上大きくなった気がする。
 日光を浴びて輝く灰銀の毛並みは白味が増えて、娼婦に人気のあった人気役者に似ているかもしれない。
 一方ニキさんは中学生ぐらいに見えるので、歳ほとんど変らないはずなのに性別の違い以上の、種族の差がはっきりとしていた。
「今日、デート?」
「うん」
「いや別に」
 顔真っ赤にして照れるニキさんを好ましげにみているサフ。
「いいね」
 そう言うと、一層赤くなって長い尻尾を膨らませてサフの背中に隠れた。
「ち、違うって言ってるだろ!ぐ偶然あったんだよ!」
 可愛いなぁ……。
 褐色の指はサフの指と絡んで、離れようとしない。
 邪魔したら、悪いかな。
「あっちの露店の方で、ニキさんが好きそうなこういうの売ってましたよ」
「へ、へぇー」
 ニキさんはパシパシとサフの背中を叩いてから、隣に腰掛けた。
 ……そういうつもりじゃなかったんだけど。
 チェルの腕にはめたブレスレットを見せる。
「ふーん……」
「ちょっと不良品混ざってましたけど。コレぐらいなら、後で自分で何とかできそうですしね」
 裁縫セット持ってるけど、今やったらビーズをこぼしそうだし。 
「キヨカってマメだよなー。イヌみたいだよな。そういうとこ」
 褒められたのか、けなされたのか判断がつかず、曖昧に笑って誤魔化す。
 ニキさんは、特に意図があるわけでもないらしく、ビーズを眺めてちらっとサフを見た。
「ほしーなーこーゆーの」
 買わせる気満々だ。
 サフは、魔法を勉強する傍ら、アルバイトに励んでいる。
 魔法を勉強するにも色々と掛かるそうなので、大変だと思う。
 チェルが鼻を鳴らして体を動かし始めたので腕を緩めると、もぞもぞとした動きで隣に座りへたれた耳を私の体に押し付けた。
 細長い尻尾が体に回り、ちょっとむずむずする。
 軽く事情を説明しつつ三人で話をしていると、落ち着いたチェルが握った指をにぎにぎして何か言いたげな表情を浮かべていた。
「僕、がっくん探してくるよ。ニキ、悪いけどちょっと待ってて」
 居心地の悪そうな表情を浮かべたサフが、ニキさんに囁いてチェルの頭をポフポフと叩くと眦を上げたチェルが拳を振る。
「バカサフー!」
 ビックリするほど大きな声は、少し嗄れていた。
 サフは薄蒼の瞳を心配そうにしてから、私を見て頷き猛ダッシュで駆け出す。
 ピンと張った尻尾は、風にはためく旗のようだ。
「あのね」
 大きな瞳が躊躇って揺れ、睫に残る涙が光る。
「ちーのこと、お父さんはどう思ってるかな」
 難しい質問だ。
 まぁ、少なくともチェルは私と違って……
「幸せになって欲しいと思ってるに決まってんじゃん」
 ニキさんは私の膝越しに顔を突き出し、ハッキリと言い切った。
「つかさ、サフのバカもおんなじこというんだよな。下らない事でいちいち悩んでさ、バカなの?」
 鼻を鳴らし、金色の瞳をキラキラさせて。言い方はきついけど、声色には気遣いと優しさが含まれている。
 サフが、ニキさんの事好きな理由がちょっとわかった。
「ちーバカじゃないもん!ネコじゃないからいろいろ考えるだけだもん!」
 膝の上で、逆転トムとジェリーが始まりそうです。
 ニキさんがつんつんとチェルの鼻をつつく。
 大変、猫っぽい。
 ニキさんは、ムキになったチェルが食って掛かるのを軽い動きで翻弄する。
 噴水の周りをぐるぐると追いかけっこが始まったので、私は足を引っ掛けないように体を寄せた。
 ほとんどの人はのど自慢の方を観に行ってるので、こっちの方は人がまばらだからいいけど……。
 広場の中央を、大きな荷物を抱えたお婆さんがよろよろとしながら横断していくのが目に入った。
 そんなに混んではいないとはいえ、往来があるからいかにも大変そうだ。
 思わず腰を上げ、お婆さんに近寄る。
「良かったら荷物持ちましょうか」
 ネコのお年寄りらしく、目が細くて皺が寄った顔に白髪。猫耳は艶のない白毛が多い。
 何百歳なんだろうか……。
 五百歳以上とか、ソレぐらいかもしれない。
 お婆さんは目をしょぼしょぼさせ、もごもごしながら悪いね、とか助かる、みたいな事を言ったので私は笑顔を作ってチェル達の方を向いた。
 2人は、笑いながら追いかけっこをしている。
 もう大丈夫だ。
「すぐ戻るから!」
 私はそういって手を振った。
 
 ***
 
 
 広場の反対側は、古くからある住宅街が広がっている。
 いい感じに古びた煉瓦作りのアパートに、ペンキのはげかけた木戸。
 塗り直しされたばかりのような小さな家の前には、子供用のバケツや縄跳びなんかが無造作に転がり、石畳には無数の白墨アート。
 半分崩れかけの壁にはカラフルなペイント。
 そこで私は―――迷子になっていた。
 
 ……いや、ちゃんと道は覚えていたはずなんだけど。
 お婆さんの家まで荷物を届け、…幸い、恰幅のいいお母さん!なネコが迎え入れてくれ、お茶でもどうかというのをお礼を言って断り……。
 それなら、と頂いた飴を握ってニヤニヤしていたら……道に迷ってしまったわけで……。
 
 大規模な市が行われているという事もあり、ほとんど人は見かけないし、時折見るのは迷子か探検にやってきた風の観光客。
 道を訊いても、明るく「わからない!」と返されたりして……。
 いいのか、ネコって、それで……。
 物売りがいればそっちで訊く所だけど、みんな市場の方へ出張してしまっているらしく全く姿が見えない。
 時折目にする人は、妙にせかせかとした足取りで通り過ぎ、とてもじゃないけど道を訊くような雰囲気ではないし……。
 市場の目前まで出たものの、道路の真ん中に工事中のまま放置された場所があったために迂回する。
 ああいう工事現場は、道路が陥没とか水道管が破裂以外の要因の可能性があるので、近づかない方がいいそうだ。
 魔法が関係してるかもしれないとか……。
 難しい。
 塗りつぶされた道路標識をむなしく眺め、左右を見渡すと女性2人組の姿が目に入った。
 近寄ってみると、なんと片方はネコではなく、もう片方は女性でもなかった。
 褪めた金髪に角が二本で二等辺三角形の耳の長身の女性と、黒髪に頭に包帯を巻いた男の……ヒト……。
 2人とも似たような服装をしていて、立場に差があるようには見えない。
 おまけに……首輪も見えない。
 その事に気がついた瞬間、心臓が大きな鳴った。
 2人の関係って、何だろう。
 ヒトが堂々とあんなふうに歩くのはやっぱり危険だから、隣の人は御主人様…なんだろう。
 けど、男のヒトにはそういう暗さが見えない。
 むしろ、なんだか……。
 だとしたら、もしかして……そうなのかな。え、っと、でも……だとしたら……
 冬の寒くて乾いた風が吹きつけ、妄想から立ち直る。
 凝視する私に気がつき、不審そうな眼差しを向ける2人の視線に頬が熱い。
 私は赤面して謝りさっきの道を戻り、角を曲がり……更に道に迷った。
 
 更に寂れた建物に人の気配がない。
 窓から何か噴出したように紫や黒に染まった壁。
 ガラスの割れたまま放置された窓から僅かに見える室内は、壊れた家具が散乱している。
 一体いつから干されていたのかわからないくらい黒ずんだ洗濯物。
 張り紙がベタベタと張られた建物の横には干からびた……。
 たしか、ここの辺は再開発地区……だったと思う。
 古い所なので、看板の大半は日で晒され文字が読めないし、石畳も所々朽ち果て植物が生えていた。
 建物の大半も取り壊し中か、廃墟としか言いようのない惨状に目を背け、私は周囲を見渡しやっと見覚えのある物を見つけた。
 街の東側にある鐘楼。
 鐘楼へ向かえば、市場から更に離れてしまうのは百も承知だけど、道がわからない以上、仕方ない。
 迷ったまま、このあたりをうろつくのは嫌だった。
 すぐに陥没し苔むした石畳に足を取られてこける。
 手の平がじんじんとするのを撫で、立ち上がる。
 早く、ウチに帰りたい。
 足元に影が差すのは、俯いてるせいだ。
「お嬢さん、どうしたんだい?」
 背筋を伸ばして正面を向くと、灰髪猫耳のお婆さんが居た。
 住民第一号を発見!というナレーションが脳裏に蘇り、何故か少し笑えた。
「こんにちは。すみません、市場への道を教えてもらえませんか?」
 お婆さんは、焦点の位置がわかりにくいくすんだ色の瞳でこちらを見た。
「綺麗な黒髪だねぇ。染めてるのかい?」
「いえ、違います。地毛です……あの、市場への道を教えていただけませんか?」
 もしかしてボケてるのかもしれないと、ちょっと不安に駆られる。
「ああ、いいよ。こっちだよ」
 お婆さんは、体に見合わぬ力で私の腕を掴んだ。
 反射的に振り払いかけるも、腕が全然動かない。
 ……ネコだからかなぁ……お年寄りなのに、やっぱり私より力が強い。
 ほとんど引きずられるようにして、見知らぬ区画を突き進む。
 ……私、思うんですけど、このお婆さん完璧にボケているような……。
 どんどん鐘楼が遠ざかる。
「あ、あのですね、すみません、迷っている私が言うのもなんですがこの道はちょっと違うような気が…するんですけど……」
 腕を掴む手の力を抜いてもらおうと、地味に努力している私にお婆さんは僅かに指の力を緩めました。
「家に孫がいるからね、アレに案内させようと思ったんだよ」
「そ、そうですか!すみません。ありがとうございます!」
 疑った自分が恥ずかしい……。
 うろたえる私を気にする様子もなく、お婆さんは歩を進める。
 いや、でも孫の人に案内してもらうのも悪いし、地図とか描いて貰えれば……。
「ここだよ」
 着いたのは、他に比べれば比較的マシ…という風なアパートの一階。
 窓は目張りがしてあって、中は見えない。
 ひび割れた階段を上り、鍵をあけて部屋にお邪魔するとひどく生臭い。
 生ゴミ出し忘れだろうか。
 壁紙が剥げた部屋に古びたテーブルと椅子。
 部屋の隅にゴミが積み上げられている。
 お婆さんは気にする様子もなく奥の部屋への扉を開く。
 マネキンがチラリと見えた。
 布らしき物がぶら下がっているなー…と思ったのが先か、強烈な異臭に後ずさりしたのが先か。
 思わず口元を押さえる。
「あの――お孫さんは?」
 こんな臭いの中、人が居られるとは思えなかった。
 お婆さんは私の前に立つと、口元を歪めた。
 黄ばんだ歯に、驚くほど赤い舌。
 身を翻して部屋から飛び出そうとしたけど、ウサ耳を引っ張られたたらを踏む。
 振り返れば、先程までの老いた姿は無く、赤と黄の毛をしたネコは狂喜に爛々と輝く瞳に真っ赤な口を開き、べろりと舌なめずりをした。
 背中にべったりとした汗が噴出す。
 掴まれた腕を振り解こうと身を捩ると、鋭い痛みが走り、袖がザックリと裂ける。
 更に鉤爪が襟首に突き刺さり、首を締め付けられ頭が白くなった。
 ……マズイです。超マズイです。
 不意に首から手が離され、私は噎せながら床に膝をつく。
 喉の奥に胃液の味がする。
「絞め殺すと、皮が汚くなるからな」
 力の抜けた私の両手掴み吊るし上げるとネコは荒い息を吐いてしばらく様子を伺い、それからおもむろに顔を寄せてきた。
 ざらざらとした痛みと生暖かい感触が頬を舐める。
「柔らかい」
 ゴツンという音は、腰骨がテーブルにぶつかる音。痛い。
 荒い鼻息に息が詰まる。
 ねちゃねちゃとした唾液が頬を伝う。
 臭い。
 死ぬほど生臭い。
 キモイ。
 肩甲骨に当たるテーブルが痛くて堅くて冷たい。
 調子に乗って更に体を押し付けてたので、勢いをつけて足を振り上げる。
 一瞬の間のあと、物凄い悲鳴。
 拘束が解けた。
 ネコは股間を押さえて床に転がったので、痺れる指先で隠しに入った防犯用ベルを投げつける。
 ベルはネコの頬に当たると同時に凄まじい音量の警笛を鳴らし始めた。
 即座に踏み潰され音が止まる。
 あと、なにか
 恐怖で痺れた頭を必死で巡らせ、渡されたばかりのハンカチを取り出し床に叩きつけると、あっという間に部屋の中が真っ白になった。
 煙幕だ。
 視界を奪われた狼狽と怒りの声に押され、テーブルにぶつかり床に倒れこむ。
 ネコが怒りに任せて家具を叩き壊す音に竦みそうになる体を叱咤して、立ち上がらずに四つんばいで扉があるはずの方へ向かうも、脇腹に衝撃。
 痛みで目が霞む。
 ウサ耳と髪を掴まれて足が宙に浮く――ブチッという音と共に耳が引きちぎれた。
 そのまま床に落ちた私が体を丸めると同時に、焼けつくような眩い光が重なる。
 飛び起きて外へ飛び出そうとするも、ガラスが破られる音に慌ててテーブルの下に潜り込む。
「確保しろー!!!」
「シャミ・セ! 連続女性殺害容疑、及び公務執行妨害ぐっワッ!」
「魔法無効符を使えッ!」
 ドタドタという騒がしい複数の足音と罵声が重なる。
 焦げた臭いとイヌとネコの吠える声。
 体を丸めたままやり過ごし、頭を抱えて心の中で百まで数える。
 頭を抱えた腕がガタガタと震えててるのがわかった。
 音が収まらないので更に三百まで数える。
 やっと視力が戻り、白煙も完全に消えた室内をテーブルの下から覗けば、スラックスの足が三本。
 ブーツが二本。
 ブーツの上のズボンは見覚えのある制服だ。
 確か……。
「被害者は?ウサギの女性が居たはずだ」
 テーブルの下を覗き込まれ、スーツ姿の青い眼のダルメシアンと目が合う。
 差し伸べられた手を首を振って、頭をぶつけないようにしながらテーブルの下から這い出ると、手錠を掛けられ猿轡までされた赤黄のネコが目に入った。
 所々焦げたり毛が毟られたりしてるようだ。
 ……考えてみればコイツ、あまり性差の無い服とはいえ女装したままだし。
 このまま護送されるんだろうか。
 幸い気絶しているのか目は閉じられたままだけど、警察のネコが警戒したまま様子を窺っている。
 引き攣れた声でダルメシアンにお礼を言うと、黒い斑のある尻尾がパタパタと振られた。
「無事確保、搬送願います」
 無線…だろうか。
 肩掛け鞄みたいなのから線で繋がった受話器っぽいのに向かい、制服のネコが告げる。
 ……怖かった。
 膝、笑ってるし。
「変身、変装の名手だ。脱走に注意しろ。それでル・ガルで女性警察官が被害にあっている」
「イヌと一緒にしないで欲しいね。今回は特例として受け入れしたが、今後このような機会があるとは……」
 イヌとネコの警察官同士は、あまり仲が良くないらしい。
 ハリウッドなら、ここで手を握り合う所なのにとぼんやり考える。
 膝が震えているのを叩いて、周囲をもう一度見回す。
 スーツのネコが私の肩に手を載せた。
 すこし、ほっとして見上げるが、ネコはこちらを見ずに他のネコの方を向いている。
 ……それなのに、なんで他の人達は、そんな目でこっちを見ているんだろう。
 無意識にウサ耳を撫でようとして、それが無い事を思い出す。
 少し離れた所にある床に踏みにじられた黒くて、長いもの……。
 凍りついた私を余所に、眉間に皺を寄せたダルメシアンが隣のシェパードに向かって口を開く。
「先輩、こういう場合、どうなります?」
「どうもなにも、飼い主を探して居なければ、しかるべき…あ、いや」
「ニャ!?王都まで持っていけば、フローラ様が高額で買い取ってくれるニャ!」
 制服のネコが興奮した口調でイヌの会話を遮る。
「それは職権乱用でしょう。そもそも見たところ落ちたてでもないようだし」
「首輪もないし、ペットじゃないんじゃないの?」
「ノラ?それにしては―――」
「どちらにしても、証拠品として当局に収容ですね」
「ボーニャス確定♪」
 ……冗談じゃない。
 肩に手を載せたままのネコは私を見ない。
 こちらを向いているのに、私を見ているのは…誰も……いえ、シェパードの蒼眼。
 サフに似た澄んだ空の瞳。
 私は眼を落として痛む腕を撫で、小さく溜息を吐く。できるだけ無力で気力がないように。
 私が逃げるとは思っていないらしく、会話に熱中して誰も注意を払っていない。
 そしらぬ顔で様子を窺うと、開かれた扉を背にした制服ネコは、会話に加われず興味なさそうに体を左右に軽く揺すっている。
 私はもう一度、足を撫でて震えが止まった事を確認した。
 身を捩って肩に載せられた手から逃れる。軽い抵抗。
 ビリッという布が千切れる音と、ネコの驚愕した声。
 爪が刺さってたのか。
 扉に突進する私を抑えようとするダルメシアンに、シェパードがさり気無くぶつかった。
 思わぬ助力に注意が向きそうになるのを堪えて、私は扉の前であっけにとられたままのネコにダイブした。
 さすがのネコも驚き体をそらし、隣のネコにぶつかる。
 道路に勢いよく転がり、全身が痛い。
 手を使って立ち上がり、近くの路地に飛び込みそのまま黒と橙の街を走り抜ける。
 
 将棋倒しに巻き込まれたスーツネコが叱咤の声を上げるも、巨体のネコに押しつぶされ身動きが取れない。
 タイミングを逃したダルメシアンは埃と血のついた尻尾を恨めしく見つめた。
 上官たるシェパードは、興味のなさそうな表情で夕暮れの街を駆け抜けるヒトメスの後姿を見送っている。
「先輩、こういう場合は――」
「犯人は無事確保できてるから、問題ないな。今回の被害者は不在だが、これだけ状況証拠もあるわけだし」  
 これで国に帰れると、内心安堵の息を吐くイヌ2人。
 無論、それぞれ恋人や、どういうわけかついて来てしまった人物の事をを考えているわけだが。
「ボーナスがああああ!!」
「コラはやくどけ!重い!!」
 
 
 三度角を曲がって、足音が追いかけてこないかどうか耳を澄ませ、どうやら大丈夫そうだと判断して私は体を折った。 
 思い出したように腕が痛い。
 手首から血が滴りつづけ、白いコートは猫毛と埃と血で汚れてしまった。
 ボサボサの髪を手櫛で整え、慰みにいつもの柔らかい感触を握ろうとして気がついた。
 そうだ。ウサ耳もないんだ。
 市場へ戻れば人が増えるから、今のうちに何とかしなくちゃ。
 ひりつく頬を擦って気合を入れなおす。
 これがフード付のコートだったら良かったんだけど……まぁ、考えても仕方ない。
 周囲を確認しつつ路地を進んでいくと、少し開けた場所に出た。
 馬車の停留場だ。
 近隣の村や町を行き来する馬車や、街の中を走る辻馬車、それに市場へ売りにきた荷馬車が置かれている。
 幸い、持ち主たちは市の方にいるようで人は少ない。
 管理人や警備員のが巡回して気のない会話をしているのが目に入り、路地に引っ込む。
 ……ここからなら、裏道通れば家に戻れる。
 見つからないように注意しながら進んでいくと、聴き覚えのある歌が聞こえた。
 声の方向に、それに予想もしなかった人物が居る。
 さっきのカモシカとヒトだ。
 二人はこちらを見て、一瞬動揺したようだった。
 そりゃ、そうだろう。
 だって、ヒトに会うなんてそうそうある事じゃない。
 私は引き攣った顔に、どうにか友好的な笑みを浮かべて―――

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