猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

太陽と月と星23

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集

太陽と月と星がある 第ニ三話

 
 
 ぼたぼたと滴り続ける雨の音 
 
「 ――君、ぽいよね。ね、ちょっとこうやってみて」
 短い直立した角に黒と灰の混ざった髪、耳は丸くて黒い筋模様が入ってる。
 包帯で隠された正体。
 カモシカのマダラ。
 二重で大きな瞳に愛嬌のある鼻。
 顎はやや細め。
 肌は日焼けしていて、全体的に筋張ってる。
 ネコの国に落ちて一般人に拾われたマダラに飢えてるヒトメスっぽく、ジャックさんの口調を真似してノリよく。
 とりあえず、褒める。
 目が覚めてから、少し頭が混乱し日付を数日間違えたんだけど、カモシカ的にもその方が都合がよかったらしい。
 私は……盗まれたんじゃなくて、売られたんだと思っている方が。
 ちなみにお値段はなかなかよかった。中古だとバレていないからだろう。
「誰?」
「ていうか、声もちょっと似てるかも。目元とか、カッコいい所がにてるかな」
 人数が多い事で有名なアイドルグループの名前を適当に上げ、似てるを連呼。
 髪の毛をこうして、と軽くいじるとまんざらでもなさそうな声で、ふーんといいながら顔をこすり付けてきた。
 髪をいじられてるせいか、膝に乗られてなのか、尻を撫でているからかは謎。
 ……クソエロジカ。
「カモシカって、ホントにマダラの人多いの?ラっ君だけじゃないよね?」
「男の半分くらいはマダラだぜ」
「そーなんだー♪じゃ私超ラッキーだね!」 
 太腿を抓られたので、間抜けな声を上げてしなだれかかる。
 微かに黄みがかった茶色の瞳は、あの人と違う。
 マダラなので体毛も薄い。
 そういうわけで……非常に――わかりやすい。
 本当にいるんだなぁ……女なら誰でもいいなんていう人種が、ジャックさん以外に。
 あ、ヒトメス好きの特殊性癖という可能性もあるかな。
「ホントかっこいーよね」
 鼻の下を伸ばすって、こういう表情なんだなとはじめて知った。
 だって、あの人は、こんな馬鹿っぽい顔しないし。
「それにアソコなら大勢の」
「アソコ?」
 長い尻尾の房を撫でつつ様子を窺うと、タン、と軽い音がして髪を引っ張られた。
 半拍遅れて、顔を歪め痛いと小さく言う。今度はもっと早く言わないと。
「またコイツ?アンタいい加減にしなさいよ」
 私を憎憎しげに睨み付けているのは、褪めた金髪に二本の角の女。
 こっちのエロ鹿と同じくカモシカ。
 さっきの音は跳んだ音だったらしい。山岳地帯に住むだけあって走り幅跳びとか得意らしい。
 抵抗しても意味がないので大人しく殴られる。蹴りも入った。しまった。悲鳴出すの忘れた。
 カモシカというのは、山岳地帯に住んでいるとかで、男女共にムキムキしている。
 三度ほど殴られたところで、マダラではないシカ男が制止に入った。
「フィロメラ、いい加減にしろ。ヒトなんかに嫉妬してどうする」
「フェフは黙って!」
 マダラがその場から離れていくのをシカ女が見咎め、金切り声を上げて追いかける。
 その場に残された私は藁屑満載の木箱に手を付け上半身を起こし顔を擦り、髪の毛を軽く整えた。
 足が痛い。
 スカートが少し裂けてる。
 脇腹が痛む。
 ところでカモシカというのは、なんというか……背が高い。
 よって見下ろされる私には影が差す。
 ひりつく唇を歪めて笑顔を作る。
 褐色の草食獣特有の大きな瞳を見つめて7秒。
 シカ男は溜息をついて私を担ぎ上げた。
 体が上下する。肩が腹部を圧迫して気持ち悪い。
 シカ男の長くて鋭い角が体を突き刺しそうで、怖い。
 この納屋は隣に馬車置き場が併設されているので、ちょっとした一軒家ぐらいの大きさがある。
 それこそ、宿にあぶれた外国人を泊めることができるぐらいには。
 シカ女とマダラの怒鳴り合う声がかすかに聞こえる。
 シカ男は息を吐くと、近くにあった藁束の上に私を降ろした。
 てっきり荷馬車に戻されると思っていたので、意図が掴めずしばらく見つめる。
 ……と。
「なに?」
 無邪気そうに見えることを祈りつつ、首を傾げる。
 マダラを見て喜んでるバカなヒトメスに見えるように。
 ヒトが大勢いる所に連れてって貰えるなんてラッキーありがとう なんて言う、世間知らずな。
 逃げ出そうなんて、欠片ほども思ってないように。
「あ、そうだ。痛み止めある?少し欲しいんだけど、もらえないかな」
 返事がない。
 赤くなった箇所を撫で、かさぶたになってる膝をちょっといじる。
 服の内側に藁屑が入り込んだのか、お風呂に入ってないせいか、肌がチクチクする。
 虫が出るのはまだ早いと思うんだけど、ネコの国は暖かいからなぁ……。
 噛まれると膿むからヤだなぁ。
「お前、ウソをついてるな」
 心臓が飛び跳ねる。
 顔を上げて首を傾げ、笑みを作ってみた。
「何のこと?」
 シカ男は表情のよくわからないシカ顔の口を曲げてでっかい臼歯をむき出した。
「お前が落ちたばかりだというのはウソだ。お前は奴隷として扱われるのに慣れてる」
「そんなことないですよー?ちょっと天然とは言われるけど」  
 普通の女の子がすれば可愛らしい仕草を真似て、ちょっと首を曲げて肩を竦める。
 殴られた。
 まぁそうだろうな。
 私なんかがやっても逆効果だ。
 次はやらないようにしよう。
 それにしても藁って、どう考えても美味しくないなぁ……。
 口に入った藁をこっそり吐き出しながらぼんやり考える。
 腕を捻り上げられ、反射的にばたつくものの、両腕を背中に回されて縛られた。
 ……
 ……あ、しまった。
 つい習慣で黙ってしまった。
「なにするの?」
 脅えて聞こえる事を祈りたい。
 上目遣いで表情を窺うも、あいにくシカの表情は陰でわからない。
 ……鼻息荒い。白目が赤い。キモイ。
 しかし、ヒトメス一匹に随分と警戒したものだと思いながら、蓑虫よろしく肘を突いて這いずろうとすると首根っこを掴まれる。
 スカートを捲り上げられ下着が下される。
 イヌと違って、においを嗅ぎださないだけよしとしよう。
 断りもなく指で弄られ、不快感で死にそうになるのを耐えて感じてるような声を出す。
 毛深い
 気持ち悪い。
 吐きそう。
 ぐちゃぐちゃと内臓をかき回される不快さを藁の束に顔を突っ込んで誤魔化す。
 痛みを流す為にハァハァと荒い息を吐き、早く終わるように体をくねらせた。
 
 痛みも屈辱も箱に詰め込んで、暗い川に投げ捨てろ
 
 
 *** 

 この大型トラックのような、荷馬車の前部はカモシカ三人のスペース、後部は檻になっている。
 入り口は後部から外鍵を開けるしかない。
 厚い布地を巻き上げると重厚な錠前が目に入る。
 やたらと仰々しい音を立てる所を見るに、どうやら結構錆びついてるみたいだ。
 年季が入ってるとも言う。
 薄暗い檻の中で、最初に目に入るのは固められた干草の山。
 それから雑多な臭い。
 ゴミ回収車にゴミ袋を突っ込むのと同じくらいの気軽さで檻に押し込まれる。
 下半身の鈍痛と頬骨の痛みをどうやって紛らわそうか。
 そのまま蹲り、ゆっくり息する。
 コレぐらい、全然大丈夫。
 体を丸め、納屋の屋根に当たる雨音に耳を澄ます。
 雨はずっと止む様子を見せない。
 雨がやまない限りは、出発しない。
 出発しないという事は、まだ時間があるっていう事だ。
 目を瞑り痛む部分を撫でる。
 
 私がこの……ヒトに変装していたカモシカ達に捕まって数日。
 目が覚めたときには既に都市を抜け、土砂降りの中を走っていた。
 流通の要である街道は、国同士を結ぶだけあって舗装されてるし、それなりに整備されて入るけど、なにせ走るのは生き物。
 雨で足を滑らせて事故があっても困ると、ネコの国を出る前に街道のひとつにある宿場町で足止めを余儀なくされた。
 冬の休みにあわせ旅行者が多く、宿屋はネコ優先で客を取り、私達…というかカモシカ連中は納屋で寝泊りを余儀なくされ不満らしい。
 まぁ……それを利用しようとしてるわけだけど。
 だってほら……私、性格悪いし。
 不意に布を上げられ、体を丸めたまま硬直する私に檻越しにマダラが左右を気にしつつ手を差し入れてきた。
「ほら、痛み止めだ」
「あ…りがとうございます」
 床に置かれた薬の包みに目をやって、お礼を言うとマダラは目を細めた。
 シカ男とマダラはあまり仲良くはないようだと薄く考える。
「雨で全然進まないから2人ともイラついててさ」
 口を曲げて笑顔を作る。
「……あの、実は私…あなたに言わなきゃいけないことがあるの」
  
 一回分である粉薬を三つに分けた。
 三分の一を懐に仕舞う。
 ここには私の他に二人の男のヒトがいる。
 一人は日本人の鉄葉さん。三十代独身。落ちる前は私も知ってる有名な会社で働いてたそうだ。
 指を無くし自暴自棄になって、無理やり車を運転し崖から落ちたらこっちだったらしい。
 無精ヒゲが生え、痩せた頬、日本人の平均の顔色が思い出せなかったけど、どう考えても血色がいいとは思えない。
 おまけにこの納屋に泊まる為にこの納屋の持ち主のネコに一晩貸し出され、ひどい熱をだしていた。
 軽く揺すって起こして、薬を水と一緒に飲ませる。
 何度か噎せながら、それでも最後まで飲んでくれたので少し安心。
 カモシカは、ヒトと同じくらいの寿命だそうなので薬の分量もあまり変らないと思うけど、落ちて間もないのであまりこっちの薬へ耐性がないので不安がある。
 下に敷いていた湿った干草を掻き寄せて端に積み、乾いてるのを敷きなおす。
 汗で汚れたワイシャツを脱がせて、赤い蚯蚓腫れが無数にある肌を拭く。
 体を動かして再度寝かせ、上にボロい布を被せる。
 少し考えて干草を積み体を覆う。
 シャツは後で何とかして洗おう。
「悪夢だ」
 鮮明なうわごと。
 こういう目に合ったのは、どうやらはじめてだったらしい。
 もう少し干草を積んで枕代わりにしておこう。
 あと一人は隅から動かない、憎悪の篭った緑の瞳に茶髪の白人の兵士。 
 あいにく迷彩服は裂けたり泥がついたりで国がわからない。
 私の下手な英語にも答えてくれないし。
 顔に白っぽいヒゲがぽよぽよ生えてるところからみるに、私と同じくらいか少し年上……あ、白人だし老けて見えるだけで年下かも。
 右足に怪我をしているけど、触らせないので手当てが出来ない。
 おまけに左腕もヤバイ感じに腫れている。
 カモシカ達は、自国に戻るまで保てばいいと思っているらしい。
 そんなに医療技術があるんだろうか。
 少なくとも、ネコの医者に見せるよりは安上がりなんだろうけど。
「これはただの痛み止めだから、とりあえず飲んで」
 薬と素焼きのカップを差し出すも、当然無視される。
 彼は隅に座ったまま動こうともしない。
 しょうがないのでカップに薬を溶き、一口啜る。
 ……甘苦くてマズイ。
 そしてカップを差し出すが、受け取ろうとしないので最後まで口に流し込んで彼の襟首を掴んで口移しで流し込む。
 床に押し付けて鼻を摘んでそのまま動かずにいると、諦めて飲み込んだ。
 ジャックさん直伝ののませ方は、中々の効果があるらしい。
 カップに壷から水を汲んで差し出すと、今度はそのまま飲んだ。
 後味が悲惨だもんなぁ……。
 頭をちょっとだけ撫でると、きょとんとした表情を浮かべた。
 年下だと思えば、うん、ヒト換算でサフと同じくらいなのかも。
 ポケットからハンカチを取り出し、壷から水を溢しながら濯いで傷口を拭う。
 血は止まっているものの、得体の知れない黒いねばねばした汚れは…油かな?
 石鹸が欲しいなぁ……。
 ない物ねだりしても仕方ないので、とりあえず腕の傷を綺麗にすると、腫れは膿んでいるからだとわかった。
 パンパンに腫れあがり今にも膿が弾けそうだ。
 触るだけで痛そうに顔を顰めている。
 暴れるのを無理やり抑えてブーツを脱がせ、ズボンを強制的に捲り汚れた包帯を解くと、赤黒い傷が目に入った。
 臑の傷は血は止まっているけど穴が大きくて、臑肉が千切れそうだ。
 まいったな……。
 隠しをバタバタと探り色々出す。
 包帯一巻きと裁縫セット、ビーズが数粒、飴玉、ボタン。
 小銭の入った予備財布。
 萎れた黄色い花は、台所においている鉢植えのを折ってしまったヤツだ。
 バックとコートがあれば、もう少し色々入ってたんだけど。コート、どこ行ったんだろう。
 裁縫セットの中には白と黒の糸と、針に小さな鋏。
 せめて消毒液と化膿止めが欲しい……。
 無害な飴を選んで食べさせると、物凄く微妙な表情を浮かべつつ大人しくなめはじめた。
 子供は素直が一番。
 できるだけ傷を綺麗にし包帯を巻きつけ、端を黒い糸で縫いつける。
 これで多少動いても肉がもげる事はないだろう。
 本当は、縫合するべきなんだろうけど……。
 というかもっと専門的な治療とか……もっとちゃんと自分で勉強しなきゃ。
 薬が効いてきたのか、瞬きを繰り返し上半身が安定しなくなってきたので横たわらせ腕を握る。
 腫れてる所をゆっくり揉み解す。
 ブチリという音と共に大量の膿が飛び出しても彼は悲鳴を上げず、朦朧とした顔のままだった。
 痛みで昨日も眠れなかったようだから、体力も限界だったんだろう。
 汗と膿を拭き取り、重い体をぶつけないようにゆっくり動かし、鉄葉さんの隣に寝かせる。
 汚れた干草を集めて端に押しやる。
 彼が座っていた辺りに期待を込めて探るも、木の床と鉄の棒が無常に立ちはだかるばかりだ。
 そもそもこっち側だとカモシカ達の住居部分だから、作りがしっかりしてそうだし。
 少し気落ちしたけど、仕方ない。
 他の手段を考えなきゃ。
 
 息遣いを感じて瞼を開くと、マダラ男がほっとしたような表情を浮かべていた。
「どうかしたの?」
「あの薬、のまなかったのか?」
「アレなら…2人に。2人とも痛がってたから……」
 マダラ男の顔には赤い…殴られたような痕。
「アレな、一回の量じゃないんだ。ヒトには強すぎるって」
 まぁ、知ってるけど。
 どうやら、今後薬をもらうのは難しくなりそうだ。
「そうなの?じゃあ、2人とも大丈夫かな?」
 2人は私達の会話で起きる様子もない。
「まだしばらくはこのままだろうな」
 そう言って嘆息するマダラ。
 思案する私をよそに辺りを…というか、干草の山に目をやり、それから顔を顰めた。
「なんか、臭うな」
 ……お風呂、入ってないしね。
 
 雨の降りしきる中をタライを抱えてうろつく私。
 濡れない所から眺めるカモシカ達の視線を感じつつ、洗濯に励む。
 いや、乾かないけど。
 この時期にしては恐ろしいほどの雨に宿屋からは喧騒が溢れ、逆に外では全くというほど人を見ない。
 そもそも宿の裏手、納屋の横なんていうところに来る人は宿の人間だけだし。
 だからカモシカ達も安心して私を外に出せるわけで。
 幸い、井戸の上は屋根があるのでゆっくり洗い物ができるのが助かる。
 ついでに押し付けられたカモシカ達の衣類を洗う為に石鹸があるのも助かる。
 井戸から汲み上げた水は凍りつくほど寒いけど。
 感覚の無い手足で何とか洗い物を終え、ついでに自分も洗うとだいぶ気分がマシになった。
 カモシカの方も見ているのに飽きたのか、シカ男しか残っていない。
 井戸周りに生えていた見覚えのある植物を毟って端を齧るとレモンミントと蓬を混ぜたような味がした。
 もう少し抜いて葉を齧っていると、シカ男が目付きを不穏なものにして腕を掴まれる。
 痛いな。
「何してるんだ」
「お腹がすいたから。食べる?」
 シカの顔というのも、意外と表情豊かだ。
 腕が放されたので、パリパリと残りを齧る。
 筋張ってるなぁ……まぁ、本来は蕗と同じく茎を食べるものだけど。
 喉に詰まるのをどうにか呑み下す。
「結構美味しいよ?」
 笑顔を作って葉っぱを差し出すと案の定、無視された。
 手に持ったままのをそっと洗い物の下に隠す。
 
 カモシカの女もマダラの姿も見えず、納屋の中は微かに家畜の鳴き声が聞こえるだけだ。
 当然のように押さえつけられ服を毟られ、吐き気と眩暈が止まらない。
 寒くて、体が震える。
 見上げた納屋の天井は高く、出口は遠い。
 歯を剥きだして笑うシカは随分と醜悪だとぼんやり思う。
 ……生臭い。
 ぼんやりとされるがまま動かずにいると、金属を叩く音がした。
 何度も何度も鳴り響くので、シカ男は舌打ちし体を離す。
 感覚の薄れた指を変な方に曲げないように注意しながら体の向きをかえると、音の正体がわかった。
 鉄葉さんだ。
 どうやってかあの布をめくりこちらを見て格子を叩いている。
 ……何か、あったんだろうか。
 シカ男と何か口論を始めたらしい。
 ぼんやりと座っていると、足音荒くシカ男が戻ってきて私の髪を掴みあげた。
 痛い。
「売女がっ!ヒトの分際でッ」
 同じ所を二度殴るかな、普通。
 まぁ、シカにオリジナリティを求める方が間違ってるか。
 鉄葉さんが何か言うと、シカ男は手を止め、私を射殺しそうな勢いで睨みつけた。
「さっさと戻れ!」
 意味がわからないまま荷物をまとめて檻に近づくと、鉄葉さんは格子に手を掛けこちらを奇妙な顔で見ている。
 表情の意味がわからないまま、シカ男に押され檻に入る。
 バサリと布が落とされ、薄暗い檻の中で干草とヒトの臭いが鼻に触った。
「だいじょうぶかい?」
 覗きこまれた顔も、意味の分からない表情を浮かべている。
 うん、ヒゲがあるからだろう。きっと。
「君の言うとおり、本当に我々は高価なんだね。自殺を仄めかすだけで慌てて… みただろう?」
 半分笑ったような、……自嘲と軽蔑の混ざった声色。
 鉄葉さんは落ちたばかりで何も知らない状態だったので、一応色々おしえたけど、あの時は全然信じてはいなかった。
 けど、自分がネコに嬲られ、納得したらしい。
 鉄葉さんは他にも色々言いながら、私の手に水の入ったカップを握らせた。
 干草の山が掻き分けられ、中央の辺りが少しスペースができている。
 心なしかここだけ温度が高いみたいだ。
 金髪の彼はまだ眠っていたけど、呼吸は楽になっている。
 鉄葉さんは私を座らせ、もって帰ってきた洗濯物の中から適当な布を取り出し、腫れた箇所に押し当てた。
 井戸で洗ったばかりなので、当然冷たい。
 なんか、顔近いな。
「あの……」
 言葉が思いつかず、口を半開きにしてしばらく鉄葉さんの無精ヒゲの生えた顔と寝癖ではねた短い髪やうっすら残る蚯蚓腫れを眺めた。
「あんまり見つめられると、照れるな」 
 目を落とす。
 押さえ付けられた時にできた赤い痕と、藁の屑を払い落し、再度目を上げた。
「さっきの……もしかして、……助けて……くれたんですか」
「私なんかを庇ったら、後でひどい目に合わされるかも知れないとか、思わなかったんですか?」
 私の言葉に鉄葉さんは無精ヒゲを引っ張り、困ったみたいに眉を潜めた。
 悲鳴を上げても泣いて懇願しても誰も助けてなんかくれなかったから、泣くのも助けを呼ぶ事もやめたのに。
 あの人みたいなことをされると、困る。
 そんな風に期待してしまうような事をされると、困る。
 自分で何とかしなきゃいけないのに。
 ……困る。
「いいですか?今後こういう事はしないで下さい。貴方まで恨みを買う事はないですから」
 私は、慣れてるから、大丈夫だ。
 大丈夫。
 まるであの人のような表情を浮かべて押し黙る鉄葉さんに笑顔を作って、私は1つ提案する。
 声が聞こえたら困るから、字に書いて。
「それはいいけどね」
 同意を得られたようで何より。しかし鉄葉さんは、そわそわと落ちつかない様子だ。
「どうかしましたか?」
「どうかしましたかって……あのね」
 何故か天を仰ぎ、嘆息する。
 
「その涙が止まったら続きを話そう」 
 
 *** 


「薄気味悪い天気ね」
 カモシカ女の高い声とそれに応じるシカ男の声がこちらまで響く。
 つまり今御者しているのは、マダラだ。
 あの三人の中で、リーダーはシカ男、シカ女が二番目、マダラが一番下っ端らしい。

 あの土砂降りの中を無理やり抜けると、一時間もしないうちに空は快晴になった。
 道も冬らしく乾燥しているようで、平坦な道のりで揺れが少ない。
 幸い、まだ辛うじて馬車酔いは耐えられる範囲。
 カモシカ達が、ネコの魔法とかイヌの軍がどうとかと言う会話が漏れ聴こえたので、私は不精髭がちょっと汚い鉄木さんと視線を交わし指で字を書いた。
 <雨の原因は、魔法だと予想している?>
 <雨を降らす魔法があるかは知らない。でも、可能性はある?偶然あの場所が実験に使われていたのかも>
 晴れたお陰で、幌の中も明るくなったのは少し嬉しい。
 手元が暗くなる。
 目の前の金髪頭が邪魔なので、ちょっとつつくと不満そうな顔をされた。
 彼は洗ってみたら茶髪じゃなくて金髪だったレオ……正確にはレオナール…鉄木さん曰く多分フランス人の兵士。
 こっちもヒゲ。カイワレのようなまばらなヒゲ。抜きたい。
 欧米の人らしくやたらとボディタッチが多いのは引く。
 今も私の肩を抱いてくるのがちょっとウザイ。
 まぁ……兵士とはいえ、おそらく年下だし言葉が通じないしで不安が大きいのだろうから、仕方ないけど。
 金髪碧眼の男の子は人気があるそうなので、手足が不自由かもしれないとい危険があってもカモシカ達は確保したかったんじゃないかと私は推測した。
 少し体を動かすよう手振りで伝えると、レオはこちらへ投げキスして少し離れた。
「フランス人て、よくわかんないですね……」
「君の方がミステリーだよ」
 どういう意味かと見返すと、鉄木さんは目を逸らした。
 レオは一番揺れる檻の端で準備体操を始めるている。
 格子を掴んで運動するので、キィキィと金属音が耳障りだ。
 一方、鉄木さんは熱が下がったけど、未だ憔悴した様子が痛々しい。
 この人は私と違って大学院も出てるし、機械を作ったりする会社で勤めていたりで、……買われたのが噂の猫井ならこんな事をされずに済んだんじゃないかと思う。
 まさに、知識は力なり。
 私と違い、鉄木さんには容姿以上の十分な価値がある。
 彼の今後の身の振り方を考える上では好都合だ。
 ただ問題な事に、カモシカ達も鉄木さんを有用だと考えているみたいで、本人曰くネコとの交渉はかなり時間が掛かっていたとか。
 マダラが零した言葉やシカ女の言葉を総合すると、王都まで売りに行くまでに死にそうな怪我や病気のヒト。
 様々な理由で市で売れなかった(2の日までに市場に辿り着けなかったとか)を安く買い集めるのが彼等の仕事らしい。
 それなのにレオや鉄木さんを買ったというのは、それだけの価値があるという事なんだろう。
 一方、私は逃げ出す素振りを見せないようにしているので、カモシカ達は比較的安易に私を外に出す。
 やはり虐待を受けてたと言って、古傷を見せたのが効いたらしい。
 少し前にネコに殴られた痕が痣になっていたのがダメ押し。
 あのままいるよりはこっちの方がずっとマシだと、私が心底思っているようにみせるというのも、なかなか大変だ。
 
 
 簡単な地図を描く手を休め、蕗を口に含むとレモンに似た酸味が口に広がった。
 水で流し込み、血の味を洗い流す。
「よく食べる気になるね」
 複雑そうな表情でみる鉄木さんにおもわず苦笑。
 落ちたばかりの人には、しょうがない話だ。
 鉄木さんは昼食として渡された固いパンをちびちびと齧り、顔を顰めている。
「ドッグフード以外はどれもイケるようになりますよ」 
 無論、そういうネーミングではないけど。
 冬が厳しく、雑食とはいえ基本肉食のイヌは肉類を食べないと体がもたない。
 しかし家畜の数は限られている。
 とすれば、その家畜を最大限利用するという事で出来上がったのが、家畜の骨や臓物類を粉末にし加工された……アレ。
 ビスケット風なお煎餅だと思って食べるとヒドイ目に合う一品……。
 イヌ的にも乾パンか脱脂粉乳という扱いらしい。
 まぁ、……食べたけど。
 以前を思い出し暗澹たる気持ちになっていると、鉄木さんが目を伏せた。
 馬車が止まる。
 乗り降りする音が聞こえ、布を上げられた。
 蕗を干草の下に隠す。何食分かのパンが手に当たり、そろそろ別の隠し場所を探さなきゃなと思う。
 明るくなった車内にマダラの顔は逆光で霞んで見える。
 基本的にマダラが私達の世話係で、顔を合わす機会が多い。
「休憩だ。川あるから、水汲みにいくか?」
 鉄木さんと顔を合わせ、頷く。
「この2人も出たら駄目かな、体腐っちゃう」
 マダラが困った風なので軽く肩を竦める。
「駄目なら……しかたないね」
 溜息。
「ここらはちょっと物騒だからな」
 国境が、近いからだろうか。
「一人ずつでも駄目かな」
 上目遣いで甘えた口調をしている自分の姿は、正直誰にも見られたくない。
 鉄木さんと考えた作戦だ。
 一度提案をして断られると、次の提案を断りにくくなるとか何とか……。
 心理学的だのマーケティングだのいわれても、理解できないのが残念だ。
 レオが急に顔を突き出し、マダラに向かってあの鼻に掛かった言葉で話しかけると、マダラがあっさり頷く。
「塩ぐらいなら後でやるよ」
 レオはなおも何か話し、マダラから笑いをとる事に成功する。
 レオがカモシカと会話しているのは初めて見た。
「待って、言葉通じるの?」
 マダラがきょとんとした表情を浮かべ、レオが更に何か話す。
「お前、コイツの言語わからないのか?」
「ふ、フランス語わかる日本人の方が珍しいかな……」
 この世界は何故か日本語が通じる。
 私は今まで、『日本語が』通じるんだと思っていた。 
 そうじゃ……なかったのか。
 落ちた人間はこちらの言葉が通じる。
 けど、落ちた人間同士は……。ああ、そんな事、考えてもいなかった。
 だって、私は今まで……。
 マダラがきょとんとした表情を浮かべているので、無理やり笑顔を作る。
 鉄木さんも一部始終を聞いてたので、こちらに向かって軽く頭を頷かせた。
 私も頷き返し、マダラに顔を寄せる。
「なら、レオに言ってもらえる?御飯残すなって」
 マダラがそのままレオにそう繰り返すとレオが何事か答え、マダラが苦笑する。
「マズイから無理」
 フランス人らしいコメント。
   
 空は先程までの快晴が嘘のように曇り始めている。
 よく見れば、曇っているのはここらへん上空だけ……他の部分は驚くほど綺麗な青空なのに。
 シカ男をシカ女は地図を見ながら話し合っているのを横目に、私はマダラに監視されながら川縁へ降りた。
 水が冷たい。
「もうすぐ国境を越えるから、しばらく外には出られないぞ」 
 水壷を洗う私の横でマダラが語るのを真面目な顔で聞き、できるだけ甘えたような口調で尋ねる。
「どうして?」
 マダラは肩を竦め、人気の無い川岸を指差した。
 一瞬、人影が見えたのは気のせいだろうか。
 私よりも目や耳が利くはずのマダラが気にしていないようなので、勘違いだろう。
「ここからはずっと山だからな。イヌの山賊なんかが出易いし、道も狭いし。あぶないだろ?」
 確かにうっすら見える山脈は上の方が少し白く、下の方がこんもりと茂っている。
 登山の経験はほとんどないし……、随分大変そうだ。
 川を覗きこむと、ちらちらと黒い魚影が見え隠れする。
「ねぇ、魚捕れたら食べちゃだめ?」
 カモシカ達の間では、私は大食いとして認識されているようなので試しに言ってみたけど、マダラは首を横に振った。  
 残念だ。
「そろそろ戻ろう。まだ進まないと」
 頷いて腰を上げる。
 大き目の石を数個ポケットに忍ばせ、岸辺に咲く花や草を無造作に毟る。片手分しか取れないのが残念だ。
 片手で持つには、水壷はやや重い。
「コレ、美味しそう」
「それは火通さないと食えないぞ」
 頷いてそれもポケットにしまう。確かこの葉は、潰して塗れば血止めに使える。
 名残惜しく川を眺めた。
 この下流に沿っていけば、運河に辿り着けるはずだ。
 そしたら。
 
 甲高い声が響き、驚いて顔を上げるのと轟ッという水音が私を包むのは、ほぼ同時だった。
 
 ***
 
 耳に入った水を抜き、服と髪を絞る。
 さむい……。
 くしゃみをひとつして、濡れた服…まだ服、ちゃんと洗えてないから薄汚れたのを着込む。
 風邪を引いたら困るから、馬車に戻ったら脱がなくては。
 距離的にはそんなに流されていないと思うけど……。
 鉄砲水はそんな大したものでもなかったらしく、特に怪我をすることもなく私は下流に打ち上げられた。
 冷えて痺れる指先を擦り合わせ、立ち上がる。
 水壷はさすがに割れてしまっただろうな……。
 周囲を見回しても破片すら見当たらず肩を落とす。
 八つ当たりされないといいけど……無理だろうな。
 目に付いた草花を毟り、一口齧ると苦さで吐き気がした。カラッポの胃が絞られる感触。
 水で口を濯ぎ人心地をつく。
 風の音に混ざる足音にはっとして耳を澄ます。
 不器用に藪を掻き分ける音と石を踏む音、川の音に以前の記憶を呼び起こされ、心臓が恐怖で高鳴った。
 あの人は、来ない。
 慌てて上流の方へ駆け出す。
 背後からの足音に焦りながらバランスを踏み外しそうになりつつ、どうにか前に進むとシカ顔が正面に飛び出した。
 こけてつまずく。膝をぶつけた。痛い。
「わー良かった!迷ったかと思っちゃった!迎えに来てくれたの?ありがとう!」
 腕を強く掴まれ、正直痛いのを気がつかないフリして、抱きつく。
 シカ男の服は乾いているので羨ましい。
 シカ男は戸惑ったように私を見て、背後から息荒く駆けつけたマダラを振り返った。
「見つけたぞ」
 私は笑顔を作り、手を振る。
 マダラは笑顔でシカ男の肩を叩いた。
「ホラ、言っただろ。逃げないって」
 ……今は、ね。
 
 檻に戻され代わりにレオが出る。いちいち人の顔を触らなくていい。あと投げキスもいらないし。
 鉄木さんは私から一部始終を聞き終えると眉間に皺を寄せた。
「どうして」
 そのまま一人で逃げなかったんだと、疲れたきった掠れ声。
 低い声はお父さんに少し、似てるかもしれない。
 記憶にある顔はぼやけて自信が無い。
 母さんにいたっては、殆ど覚えてない。
 でもひとつ言える事がある。
 間違っても聞かれたりしないように首に手を回し、モミアゲと髭が一体化しつつある耳元で囁く。
「みんなで逃げる為に戻ったんですよ」
 私は落ちてからずっと父さんや母さんに見せられないような事をしてたけど、それでもコレだけは曲げるわけにはいかない。
 
 父さんなら、一人で逃げたりしない。
 母さんは、子供を見捨てたりしない。
 
 鉄木さんは諦めて天井を睨み、何事か考え始めていた。
 請われるまま、この世界の話をする。
 何かの役に立つかもしれないから。
 丈夫な檻、馬にカモシカ三人。コレをどうにかしないと、帰れない。
 
 野営するために止まったのは少し開けた場所で、意外にも先客が居た。
 声から察するに、トリ。
 しかもかなりの大勢らしく、カモシカ達が場所を変えるべきか相談しているのが壁越しに辛うじて聞こえた。
 鉄木さんとレオはトリを見たことが無いらしく興味津々という風だったが、荷馬車の中からでは見えないし、リアクションを起こしようも無い。
 こういう時に声を出すと、後で報復されるので黙っておく。
「アンタが舌噛んだら、このメス娼館に売り飛ばすわよ、か」
 口の中でそっと呟く。
 鉄木さんに対してシカ女がいった言葉は、それなりの威力があった。
 お陰で鉄木さんはむやみに自分の命を秤に掛けなくなったのは、幸いなんだけど。
 トリがカモシカに話しかけ、無愛想にあしらわれているようだ。
 不満げな鳴き声や囀り、羽音が遠ざかる。
 ポケットを探ると、固いものに指が触れた。
 ビーズだ。
 鮮やかな色が、……ちゃんとご飯を食べてるだろうか。
 しばらくビーズを指でもてあそんでから、檻の隙間から外へ放り投げた。
 ぴちゃんという水溜りに落ちる音が聞こえ、トリの羽を動かす音。
 トリは目敏く、鮮やかな色をした物が好きだ。
 一層賑やかになったのを尻目に、荷馬車が緩やかに動き出した。
 ここで野営するのは諦めたらしい。
 溜息を押し殺して、もう一度、ビーズを投げた。
 作戦失敗。
 
 夜、予想通り熱が出た。
 吐き気を堪えて、カモシカの出す…普段なら速攻捨てている睡眠薬入りのスープを飲み干す。
 少なくとも、お腹は膨れるし温かくはある。
 2人はパンに塩やら砂糖をかけて食べ、一口スープをすすって顔を顰めてたので残りをもらう。
 私は2人よりも薬の耐性があるので、朝には目が覚めるはずだ。
 鉄木さんとレオがお互いに言葉を教えあっているのを聞きながら、干草の中にもぐりこむ。
 夢を見た。
 マッシュルームカットのニワトリ男達がパンクな服装で歌を歌っている。
 逃げたくても体が重くて動けず、耳を押さえようとしても私の耳は兎耳でどこまでも聞こえてくる……とてつもなく恐ろしい悪夢だった。

「ホントどんくさいわね!」
 シカ女の蹴りに悲鳴を漏らして、体を丸める
 開いた口に落ち葉入り込む。気づかず噛み締め、苦味とカビの味で吐きそうだった。
 だってほら、小さい虫とか混ざってそうだし。
 一通り芸の無い侮蔑を投げつけ息を切らせたシカ女が他の手段を思いつかないうちに立ち上がり、こぼした薪を拾い集め、周囲を見渡して食べられそうな物を探す。
 どんぐりは苦いんだっけ、じゃあ……茸とか…木に生えたサルノコシカケっぽいのは、さすがに食べる気がしない。
 歩きながら少しばかり燃えやすい物を拾いつつ、走りにくいよう縛られた足で再び転ばないように注意しながら荷馬車に戻る。
 早くも暮れかかった空はどんよりと曇り、また雨が降りそうだった。
 
 荷馬車の横では、馬達が近くの木に繋がれ餌を食んでいる。
 シカ女に背中を小突かれたたらを踏む。
 焚き火の横で足を縛られた鉄木さんとレオが、シカ男に見張られながら火に当たっていた。
 うっすら漂う食べ物のにおいに唾がわく。
 この冬の時期に山道に入ろうとする人はいないらしく、カモシカの国へと繋がるこの街道で同じように足止めされている人の姿は見えない。
 御者台に腰掛けているシカ男にしか女が近寄り、真剣な表情をして話し始めた。
「―― の形跡ならあったわ。――ぐらいに―――」
 シカ女の声は高いので聞こえるけど、シカ男の声は低いので聞き取りにくい。
 私は拾った薪を一纏めにして、焚き火の横に座った。
 ……暖かい。
 シチューの入った器を抱えたレオが足を引きながら私の背後に回って、横に座り込む。
 鉄木さんが位置をずれて詰めてくる。……狭い。
 レオは相変わらず何を言っているか解らないし。
 頬に手が触れ、葉っぱをとってくれたのを見れば、少なくとも怒ったわけではないようだ。
 鉄木さんは匙を私に持たせると、ちらりとシカ男達の方に目を走らせた。
「大丈夫かい?」
 頷いて、レオが差し出した固体物の見えない茶色っぽいシチューを口に含む。
 バターの濃厚な塩味と、煮込まれた野菜の甘い味、今日は薬を入れない日だ。
 喉が焼けるような味に咳き込むと、更に焼いたパンをシチューにつけて口元に押し付けてきた。
 ああ、そうやって食べればいいのか。
 古くて固くなったパンでも、焼けばもうちょっと食欲をそそるものになる。
 シチューにつけて柔らかくなったのを口に頬張ると、香ばしい味がして、なかなか美味しいと思う。
 レオが私の背中に手を回すと、密着した部分がとても温かい事に気がついた。
 ……熱があるのかもしれない。
 その事を鉄木さんに告げると、鉄木さんは妙な表情を浮かべて私とレオの額に手を置き、それから自分の額に手をやった。
「平熱だと思うよ。君が冷え過ぎなんだ」
 そうなのか。
 鉄木さんとレオが寒いのか更に体を寄せてくるので、真ん中の私はぎゅうぎゅうと押され食べにくい。
 なんか、三人で体を寄せ合う姿に、電線に止まった雀の姿を連想する。
 饅頭のように膨らんだ冬の小鳥。
 食べながら吹き出した私に、2人は一杯に目を見開き、それから口を真一文字に結んで顔をそれぞれ別のほうに向けた。
 ……まぁ、いきなり笑ったら気持ち悪いか。
 器のシチューをパンでこそぎ、最後まで食べきると久しぶりにお腹がいっぱいになった気がする。
 食べている間に戻ってきたマダラが、シカ男に更に指図されているのが見えた。
 じっと見ているとこちらに目を向けたので、笑みを作って小さく手を振る。
「スティーブ・マックィーンの映画が観たいな」
 私は鉄木さんのほうを向かずに手を振り、視界の隅でシカ女が不快そうに顔を歪めるのに気がついて、手を止めた。
 姿勢を戻して焚き火に手を翳す。
 左右に顔をやって、なんとなく視線を足元へ落とす。
 尻尾も全身もさもさの毛がなくても、男の人というのはなんかちょっと苦手だ。
 でっぱった喉仏や無精ヒゲや固そうな体毛なんか、凄い違和感。
 特にレオは肌が白い分、胸毛とか腕毛とか……お父さんもヒゲ濃かったけど……。
 って、何考えてるんだ。私。
 顔を膝に埋めてぼんやりと揺れる火を眺め、レオに髪を撫でられるまま放っておく。
 私より背が高いからといって、あまりいい気にならないで欲しい。

「じゃあ、イヌの国を通っていくの?」
 ゆらゆらと揺れる焚き火の下、マダラが地面に簡単な地図を描いていく。
 イヌの国と湖を挟んでカモシカの国、ずっと先の方に目的地。
「この道が使えないなら、こっち側を通って行くしかないだろうな」
「遠いの?」
「まだかかるな」
 向いた目線を追いかけても、黒々とした闇に覆われ見当がつかない。
 今夜も空は雲で覆われ、月も星も見えない。
 普段二つの月に照らされているこの世界においては、珍しいほどの暗闇。
「そう」
 私はよく手入れされたマダラの顔を見上げ、笑顔を作った。
 頬にできたあざは、もう殆ど目立たなくなっている。
 荷馬車から聞こえる歌は、ミスチルから、サザンに変わった。
 シカ女は車内で眠り、シカ男は周囲を巡回しているはず。
 私はマダラの服に手を掛け、一瞬躊躇した。
 私の躊躇いをどう受け取ったのか、マダラが私を引き寄せる。
 ……くそ。
 地面が背中に冷たい。
 肋骨を辿る指は男にしては細く、女に比べれば太い…マダラだからだ。
 肩に手を回し、首にかじりつく。
 ヒトメスの調教されっぷりを堪能させていると、マダラは低い呻き声をもらし下半身をもぞつかせ、馬の尻尾に似たハタキのようなのを私の体に忙しなく打ち付けた。
 体を離そうとしてきたので、軽く膝を曲げて押し、上下を反転させる。
 顔の横を流れる髪が邪魔だけど、目隠しにはちょうどいい。
 もう歌は聞こえない。
 瞼から鼻筋に沿ってイヌっぽく舐め、唇を軽く噛み舌を絡ませる。
 片手でマダラの目を塞ぎ、首筋に顔を埋める。
 期待と欲望に満ちたマダラのベルトを外し、一物を取り出す。
 なんとも正直な状態になっているのは、幸か不幸か。
「日頃のお礼に、……ね」
 私は股間に手をやり、や さ し く 掴み、笑うと、マダラの背後に立つ鉄木さんとレオが、ヒゲ面を歪ませ同じように笑った。
 
 干草で編み上げた縄で幾重にも手足を縛り、溜めておいた鎮痛剤を先に縛り上げられていたシカ女とマダラの2人に飲ませる。
 催眠効果があるのは実証済み。
 木に繋がれていた馬の縄を切る。 
 蹄の辺りがフサフサした馬達は、不安げに嘶く……シカ男に聞かれたかもしれない。
 レオは長い鉄の棒を片手に周囲を警戒しながら馬を落ち着かせようとしている。
 鉄木さんがトリの旅人から歌と引き換えに手に入れた金切り鋸は、歯がボロボロに崩れ、役には立たなそう。
 小さなナイフやボウガンも一応奪ったものの……。
「鉄木さん、馬乗れます?」
「タイヤ付ならね」
 軽く肩を竦められた。
 しかもこの暗闇の中、足元すら覚束ないし……。
「ラパン」
 頭上からの声に振り仰ぐ。レオは私を変な風に呼ぶ。
 カモシカの持っていた剣を腰に帯び、長い鉄の棒を片手に持ったレオが手綱をつけただけの馬に騎乗していた。
 上着は染みだらけで片袖も半分ないし、元の色のわからないほど汚れたズボンも包帯が巻かれ、お風呂も入ってないヒゲ面だけど。
「レオって、フツーの兵隊さんですよね?」
「案外、いいところの出身だったのかもね」
 頬髭をガリガリと掻き鉄木さんが嘆息し、荷物を背負いなおす。
 中身は食料ぐらいしか入っていないので軽い。
「僕達は歩いていこう。明るいならともかく、この暗闇で初心者が乗るのは危険だ」
「わかりました」
 レオが馬に乗れるのは誤算だったけど、コレはいい誤算だ。
 ポクポクとレオが馬を歩かせ始めたので、私はその少し前に立ち方向を確かめる。
「こっちが川でしたから、下っていけば……」
 うちに帰れる。
 
 空が白々と染まり始めた頃、風を切る奇妙な音が聞こえたような気がして私は足を止めた。
 数秒遅れて鉄木さんが止まる。
 馬の足音がしない。
 振り返れば、馬に乗ったシカ男がボウガンを構えていた。
「まったく、困ったものだ。……なんぞにかぶれるから奴隷が助長する」
 草食獣に有るまじき目付きの悪さ。
 尖った角を振り、シカ男の声には隠しきれない苛立ちが混ざっていた。
 鉄木さんが息を呑み、足元で砂利が鳴る。
 私は無言でポケットの中の石を詰めた小袋を握り締めた。
 こちらに背を向けたレオの肩から、細い棒が突き出ているのに今更気がつく。
 撃たれたんだ。
「逃げたら撃つぞ」
 レオが短く答え、シカ男は鼻を鳴らした。
 シカ男はボウガンをしまい、腰から剣を引き抜いた。
 白い刀身が日を浴び目を刺す。
「行こうっ」
「え!?」
 腕を掴まれ引っ張られた。
 足を取られコケかけるのを更に引っ張られ、仕方なく走る。
 レオがチラリとこちらに目をやり、ただの鉄の棒を槍のように構え、不敵に笑った。
 シカ男も笑っている。
「誑し込んだわけか、大したモンだ」
 レオが鋭く何か答え、シカ男と問答しているのが背後に聞こえる。
「み、見捨てるんですかッ!」 
 上擦った声で問うと鉄木さんは苦しげに喘ぎながら斜面を登り、足を滑らせかけた。
 咄嗟に手をかし斜面を上がる。
 遠くに白い山脈が見え、反対には森に囲まれた街道が見える。
 あの道を行けば。
「本当に見捨てるんですか?」
 鉄木さんは私よりも背が高いので、支えるのには少しの苦労が必要だった。
「僕達が行って、何が出来る?」
 間近で見た瞳はよくみればダークブラウン。
 日本人の瞳は、黒じゃなかったっけ。
「彼なら馬で逃げられる。だとしたら僕等は足手まといにならないように、できるだけ遠くへ逃げるしかない」
 ああ、そうだ。
 鉄木さんも、カモシカ達にとっては価値があるんだ。
「……わかりました」
 私は頷き、街道に沿って歩き出した。
 いつレオが追いついてもいいように、時々後ろを振り返る。
 
「私……マダラじゃなくて、レオを誘惑すればよかった」
 太陽が空の真中に来た頃、とうとう疲れ果てて茂みの中で倒れ込むようにして体を休めながらそう呟くと、鉄木さんは地面に伏せた顔を上げた。
「なぜ?」
 ここしばらくずっと檻の中だったから、体が予想以上に鈍っている。
 もっと早く進む方法を考えないと、カモシカに捕まらなければ、他に捕まる。
「そうすれば、レオも絶対一緒に来ようとか、考えたかも」
 あまりの下らなさに少し笑える。
 落ちたばかりでこっちの価値観に染まっていない人にとっても、私なんか論外だ。 
 
 その日は一日、雨が降らなかった。

   
 ***

 蝉の鳴き声、老人達がベンチに腰掛けていた小さな神社、朱い鳥居の上に木々のざわめき。
 縁の割れた石段を下ると長年やってる豆腐屋があって、友達が二階の窓から手を振った。
 さよなら。
 アスファルトには丸やバツのチョークの掠れた落書き。
 門柱の上には猫が丸くなっていて、顎の下をくすぐると迷惑そうに欠伸する。
 白い自転車に乗ったお巡りさんが警邏をしているのとすれ違う。
 振り返ってもその警察官は、父さんじゃない。
 

 嗚咽のような風になぶられ涙のような雨が頬を伝う。
 運行停止のアナウンスに数少ない乗客が不安げに身動ぎする。
 屋根のない駅に降ろされ、慌てた様子で他の人が改札へ向かう。
 その時、足を止めたのは小さな泣き声。
 周囲の人はもう足早に行ってしまって、誰も居ない。
 雨の音がひどすぎて、何も聴こえない。
 もしも、……生き物だったら。
 ローファーの中に水が染みて情けない気分になる。
 たかが十数メートル。
 踵を返すと、靴がきゅっと鳴って少し面白いと思いい無理やり口の端を曲げる。
 音の先、ホーム下を恐る恐る覗き目を凝らすと、手の平サイズの…ライトを点滅させた携帯電話。
 生き物じゃなくて良かったと息を吐くのと、山の斜面を滑り落ちる泥に巻き込まれるのと、どっちが先立っただろう。
 
 そして私は、イヌの国のゴミ捨て場で息を吹き返した。
  
 ***
 
 もしかして、鉄木さんにとってはカモシカの繁殖所に行った方がよかったんだろうかという疑問が離れない。
 知識があるから、優遇されるのは間違いないしそれにレオだって……。
 私は自分が逃げたいが為に、2人を利用したのだろうか。
 答えが出ないまま、鉄木さんの合図で足を止め、近くの木の下に座り込む。
 向こうから、疾走する蹄と車輪の音が聞こえ、更に身を低くして草むらに体を隠すと、木々の隙間から街道を抜ける一台の馬車が見えた。
 猛スピードで通り抜けるそれの半分扉が壊れているのが見える。
 黙ったまま2人で顔を合わせそのままじっとしていると、その後ろから騎馬したイヌが複数追いすがって行った。
 少なくとも、イヌ達は統一された服装をしていない。口々に何か叫びながら、玩ぶように馬車に矢を射掛けている。
 あっという間にそれらは見えなくなり、しばらく様子を伺ってから街道に出ると地面には弓矢が落ちていた。
「馬車強盗?山賊かな」
 鉄木さんは弓矢を拾うとそう呟き、左右を見回して私の腕を引っ張った。
「仲間が増えたら困るからね。イヌは鼻が良さそうだし、アイツラに捕まったら元も子もない」
「そうですね……」
 ふと場違いな明るい黄色に目が引かれた。
 馬車から落ちたものだろうか。
 泥まみれのぬいぐるみ、長い尻尾には黄色いリボン。
 ……チェルも、似たようなのを持ってたなぁ……。
 不意に泣き出しそうになって、慌てて目を擦ってぬいぐるみを拾い上げた。
 ここは日本じゃないから警察も居ないし、誰も助けになんか来てくれない。
 ただ馬車が逃げ切れる事を祈るしかない。
「行こう」
 頷いて、感覚のない足を動かす。
 コレがこっちじゃ普通の事なんだから、仕方ない事だから慣れなきゃいけない。
 大丈夫、慣れる。諦めればいいんだ。簡単な事なんだから、大丈夫。
 なのに……なんでこんなに辛くて仕方ないんだろう……慣れたはずなのに。

 2人で無言で歩き、足もとが見えない夕闇の中、あの馬車が横転しているを見つけた。
 車輪がひどく壊れ、そのため動かすことが出来なくて捨て置かれたらしい。
 飛び出して中を覗き込んでも人の気配はなく、ただ散乱した衣服や僅かな血のあとが、何が起きたかを克明に語っていた。
 馬も連れて行かれたのか……それとも?
 街道に入らず木の陰に隠れるように立ったままの周囲を見張っている鉄木さんに頷き、踵を返そうとした時、小さな呻き声。
「だ、だいじょうぶ!?」
 目を凝らすと横転した馬車の窓から体が飛び出したのか、馬車のほんの小さな隙間に小さな子供の姿を見つけた。
「鉄木さん手伝って!怪我人です!!」
 近くに見えるものを総動員してなんとか荷台を持ち上げ、横たわる小さな怪我人を引っ張り出す。
 抱き上げようとしたけど、重い。
「代わろう」
 鉄木さんに任せ、馬車の幌をカモシカから盗った短剣で出来るだけたくさん切り取る。
 多少の食料と刃物以外は持って居なかったので、布地は凄く貴重だ。
「川の方へ行きましょう。怪我の手当てしなきゃ」
 
「暗くてよくわかりませんでしたけど、お金持ちっぽいですね。この子」
 血を拭うと傷は案外大きくない事がわかった。
 ぬいぐるみを横に置いて、上から幌を毛布代わりにかける。
 拾ってきた衣類を身に纏い、少しまともな外見になった鉄木さんは複雑そうに子供を見下ろし恐る恐る乱れた髪を撫でた。
「コレ…が、イヌか。セッター系かな?こっちに男の子がスカートをはく習慣はないよね?」
「普通はないとおもいます」
 緩くウェーブのある髪に分厚い垂耳、肌の色はチョコレート色、身長から見るに小学生高学年ぐらいだろうか。
 洒落たシルクのブラウスには馬車から引っ張り出したときについた泥の筋がついてしまっている。
 瞼が切れたのかひどい痣もあるので布を濡らして目の上にそっと載せると、小さく呻き声が上がった。
「母様?」
 ぎくりと鉄木さんの肩が跳ねる。
 私は答えずに怪我のない頬を指で撫でた。
「寝心地悪いでしょうけど、少し我慢して寝ていてください」
 ひっと息を呑み、体が固まる。
「あなたは誰」
 硬い声の中に含まれているのは、怯えと不安。
 まさかこっちの方がよっぽど怖がっているとは、思いもよらないんだろう。
 けど。
 困った顔でこちらを見る鉄木さんに頷き、冷たい布を少しずらす。
「……こんばんわ」
 明るい鳶色の瞳が一瞬戸惑い、大きく見開かれた。

「別にヒトなんか、珍しくもないわ。わたしにだって、アポロがいるもの」
 女の子はそう言って毛布代わりの幌布を剥ぎ取り、お尻の下に引いた。
 手入れのされた尻尾に繊細そうな長い毛が絡み付いている。
 彼女は上着のポケットから櫛を取り出すと、丁寧に縺れをほどきはじめた。
 動くたびに膝上のぬいぐるみが落ちそうになるのを律儀に戻している。
 ……よほどの金持ちなんだろうか?それなら護衛くらい雇っていそうなものだけど。
 何はともあれ、しっかりしているみたいだし人の居る所まで連れて行けば大丈夫だろう。
 それに……いざという場合でも、この位の子なら私達でもなんとかなる。   
「あなた達、もしかしてルカパヤンに行く途中?」
 女の子は一通り尾の手入れを終えると、首を傾げてそう言った。
「ああ、そうなんだ。でも道に迷ってね」
 言葉に詰まった私に代わり、鉄木さんが淀みなく話を進めた。
 女の子は、イヌらしく年上に見える方を立てることにしたらしい。 
 鉄木さんのほうに向き直ると、ようやく少し笑った。
「アポロもルカパヤン生まれなの。人に教えちゃダメだって言われてるけど、あなた達はヒトだし問題ないわよね」
 繁殖場でもあるのだろうか。
 少し暗澹とした気持ちになる。
 鉄木さんを値踏みするように上から下まで眺め、特にヒゲを興味深そうに見つめた。
「お嬢さん、名前を聞いてもいいかな?」
「人に聞く前に、自分が言うのが先だって習わなかった?」
 きっぱりといわれ、鉄木さんがヒゲ顔を歪め苦笑する。
 鉄木さんが自分と私の事を紹介すると女の子はトーリィと名乗った。
 裕福な商人の娘らしい。
「母様とアポロと私の三人で叔父様の所へ行く途中だったんだけど……ねぇ、2人を知らない?」
 彼女の問い掛けに答えられず、思わず鉄木さんを見る。
 鉄木さんはしばらく考え、ボサボサのヒゲを扱いた。
「明日の朝、探しに行こう。さっきは君しかいなかったし、こんなに暗くちゃ何もわからないからね」
 そう言って鉄木さんはトーリィの肩を慰めるように叩く。
 唇を噛み締め俯く姿に思わず抱きしめる。
 小さい背中。
 子供が泣くのは、苦手だ。
 
 彼女が眠った事を確認してから、鉄木さんは私を少し離れた所へ連れ出した。 
「公共機関に彼女を預けるのが最善だろうね」
 イヌの警察関係がどれくらい信頼できるのか、という疑問はあったけど考えればきりがない。
 馬車から持ってきた革紐…多分、馬具の予備を適当な長さに切り取り、お互い首に巻いた。
 首輪の代わりだ。
 女の子にノラヒト付よりは、ヒト召使だと思われた方がいいだろう。
「あえて言うなら、家出した令嬢に付き添う召使二人って所かな」
「召使いにしては、私達ガラ悪過ぎです」
 鉄木さんは、久しぶりに笑った。  

 翌朝、
「もしかしたら、アポロと母様は馬で先に行ったのかもしれないわ」
 馬車周りを調べ、私達が無言で顔を見合わせていると彼女はそういい始めた。
「だから、またここに戻ってくるわ。わたしを迎えに」
 そういって座り込み、てこでも動きそうにない。
 彼女は現状をわかっていないのか、……信じたくないだけかもしれない。
 鉄木さんも子供にきついことを言いにくいのか、困ったようにこちらをみている。
 結構丸投げだ。
「なら手紙を残していくっていうのはどうですか?ここじゃ寒いし」
 まぁ……とりあえず、ここを離れたいだけとはいえないし。
 子供にここで長時間過ごさせるのも問題だ。
「確かに。お父さんの方に知らせが行ってるかもしれないしね。近くの家に居た方がお互い安心だろう?」
 窮余の策にトーリィは不承不承頷く。
 そうと決まれば話は早い。
 手紙代わりに使えそうなものを探し、三人で馬車をあさ事になった。

「これなんかどうだろう」
 鉄木さんが見つけたのは書類の裏紙。
 一応文章に眼を通し、トーリィに渡す。馬車の保証書なんてあるとは知らなかったけど。
 トーリィは座席に隙間に入り込んでいた折れた色鉛筆で文章を綴りはじめたので、一番無傷に近い御者台を覗いた。
 めぼしい物はやはりないけど、この皮袋は役に立つかもしれない。
 私とトーリィを見比べていた鉄木さんに袋を手渡し、更に漁る。
 しゃがみ込んで隅っこをごそごそしていると、馬の嘶きが聞こえた。
 トーリィが声を上げて飛び出す。
 鉄木さんがすぐさま馬車裏から出ようとしたのを押し留め、傾いだ車輪の下から覗く。
 馬の足に人の足、トーリィの小さな足。
 泥染みのついた足が、一歩後ずさった。
 鉄木さんに手でトーリィと指差し、持っていたわずかばかりの食料を押し付ける。
「あの子と、逃げてください」
 深呼吸する。
 何気ない様子を装い、足音を立てて正面に回った。
 馬に乗ったイヌがこちらを見たので、私もそちらを向く。
 茶色い目にだらりと下がった長い舌。
 荒い息遣いにケダモノの体臭。
 皮の鎧らしき物を纏ったイヌ2人に馬に乗ったのが一人、と、その向こうで表情を強張らせている少女の姿。
 どうみても、トーリィの家族にも、警察にもみえない。
 盗賊にみえた。
「たすけて!」
 もしも、助けを求めている子供がいたら。 
 
 そんなもんだって、諦めるのはもう嫌。
 
 私は叫んで来た方へ向かい、真っ直ぐに走り出した。
 ちらりと振り返って見えたイヌは二人、イヌは逃げるものを追う。
 それが価値の低いほうでもそうなのか……そこまで判断が回らなかったらしい。
 幸運な事に。
 足裏の痛みを無視して必死で走る背後からはイヌの鳴き声が増えてく。
 斜面を転がり落ち、痛む関節を誤魔化しながら河原に降り浅瀬を越える。
 できるだけ、遠くへ。
 腐りかけた丸太橋を駆け抜け、藪の中へ飛び込むと、むき出しの手足に容赦なく枯れた枝が刺さった。
 目の前に現れたイヌに避けきれずぶつかり地面に転がる。
「手間掛けさせやがって」
 背中を踏まれ、身動きが取れない。
「ヒトかよ、ツイてんな」
 笑い声で頭蓋骨が軋む気がする。
 荒い鼻息が気色悪くてもがけば、何がおかしいのか大笑いだ。
「ヒトが、女とどう違うか比べてみるか」
 目脂が汚らしい眼を睨みつけて、蹴ろうとして足を上げると掴まれ地面に押し付けられる。重い。
「コイツ、口利けねぇのか?」
 口に汚れた指が突っ込まれ噛みつくと笑いながら平手打ちされた。
 ぬるりと熱い感触が鼻を伝う。
 顔を舐められ息が出来ない。
「コラ顔傷つけんな」
「腹にしとけ」
「腹もだめだろ。すぐ死ぬぞ」
 水っぽい胃液を吐くと、ジャンケンで負けた黒イヌに引きずられた。
 浅い川底に押し付けられ鼻にも耳にも水が入り込む。
 痛みと息苦しさで暴れると、後頭部を掴まれ頭ごと水の中に押し込まれ息が出来ない。
 
「だからよーガキか女連れて来いつっただろうが、このクソどもがッ」
 一番体の大きい赤イヌに、焦茶イヌが殴り飛ばされる。
「手間かけさせんじゃねぇぞオラ!」
 アレが、群れのボスなんだろうか。
 ついでとばかりに焦茶を寄ってたかって蹴ったり殴ったりしている他のイヌを一瞥し、赤イヌはつまらなそうに私を見た。
 私といえば、ご丁寧に手を後ろで縛られ身動きできないまま、襟首を掴まれぽたぽたと冷たい滴を垂らしている。
 雑巾の気分だ。
 俯けば、胸元が半分裂け新しく出た血で点々と汚れている。
 まぁ……元々汚れてたけど。
 元々何かの施設だったのか、向こうに見える石造りの建物の周囲は開けていて見通しがいい。
 ぼんやり周囲を見ていたら、軽く殴られた。
 あー…瞼、切れたかも。
 なにしろ口も切れているので息がしにくくて、頭がふらふらするので数えにくいが、イヌは十人以上。
 トーリィを攫う為に来たのが五人。ボスの近くに居たのが二人、残りは空手で戻ってきてはボスイヌに叱咤されている。
「ヒトっつてもよー。フツーの女と同じじゃねぇか」
 ずぶ濡れでピッタリと肌に引っ付いたままの服が引っ張られ、裂ける。
「見ろよこの白さ。そこらの田舎娘じゃ到底かなわねぇ、さぞイイモノ食って、ヌクヌク生きてきたんだろうなぁ」
 イヌの目にチラつく黒いものには、覚えがあった。
「コレ一晩で30は掛かるってハナシだ。スゲーよなァ、クソネコに妹は2セパタで人生買い叩かれたってのによォ」 
 息が出来ない。
 気管に食い込んだ指は硬い毛に覆われ、鋭い爪はいかにも不潔で、あとで感染症を起こすのは間違いない。

 いや……その前に
 
 無意識に足が空しく宙を掻く。
 
 不意に圧力が抜け、体が地に落ちる。
 冷たく獣くさい空気を吸い込んでは吐き出す。
 舌がびりびりする。
 頬にあたる地面が冷たい。ぶつけた足が痛い。
「お前等、順番に使っていいぜ。最後まで潰すんじゃねぇぞ」 
「ボスは使わないんで?」
 下っ端っぽい甲高い声が尋ねる。
「ハッ オレはヒトなんかいらねぇ」 
 鼻で笑うのは結構だけど……。
「だが、コイツを売っていい女買うのもいいな。豪遊できるぜ」
 あーそう来たか。
 イヌの不審げな目を見て、血の味のする唇をゆがめる。
「私に比べられるのが怖いんでしょ。下手糞だってばれたらヤダもんね」
 何をいわれたのか浸透するのに少し間があったようで、口を塞がれるまで猶予があった。
「手下の前で見せられないくらいなんでしょ」
 お腹を蹴られ悶絶する。
 ああくそ、いたいいたいいたい
「ちょっと躾が必要みたいだな」
 嗜虐の悦びに満ちた声。
 髪を掴み上げられ、体を仰け反らす。
 鼻痛い。目が痛くて開けてられない。頭も体もみんな痛い。
「おい」
 近くのが慌てて細い月を思わす刃物を差し出すと、ボスイヌはそれを私の耳元にぴたりと当てた。
 冷たいナイフの感触。
 硬直する私の耳元でブチブチと切られる音。
 顔の横に長い髪が降り注ぐ。
 イヌは適当に切り取った髪を指先に絡め、においを嗅いだ。
「クセェ家畜の臭いだ」
「アンタに比べたらマシ」
 にっこり笑って答えると、即座に殴り飛ばされた。
 
 イヌの涎って、どうしてこんなにクサイのだろうか。
 て、いうか今何時だろ、夕方のセールにはもう間に合わない頃……かな?
 二人分の体重に押しつぶされたままの腕は、痛みを伝えてくるのが厄介だ。
 動かされると、簾のように切られた傷が余計に……。
「あーらら、楽しそうなコトしてるじゃなーい?」
 場違いな甲高い幻聴。……肩、痛いなぁ……。クソへたくそ。
「いーれーて♪」
 圧し掛かったイヌの顔が奇妙な具合に歪んでいる所を見ると、どうやら幻聴ではなかったらしい。
 痛む目を動かすと、奇妙なモノが見えた。
 ……下着姿の女……長い耳を顔の横で振っている……うさぎ。
 ウサギがこちらを向くと大きな胸がぶるんと揺れ、イヌの顎が一斉にかくんと落ちる。
 思わず体を動かそうととしたが、痙攣のように少し動いただけだ。
 ウサギらしく一足飛びで私の前に仁王立ちして腰に手を当て胸を張る…きょにゅう。
 強調された部位に劣等感が刺激される。
「ナニナニー?こういう時は呼んでよ☆」
 謎のキメポーズ、緑色に光る瞳。
「な、なんだテメェ!」
 我に返ったイヌの罵声に歯を剥き出し笑うウサギ。
 あいにく、イヌはズボンを戻しながらなので迫力がない。
「ただの、通りすがりデス☆」
 白い歯を見せる笑顔に背中がゾクゾクしてくる。
 別に肉食系のように歯並びが悪いわけでもないのに、妙に……怖い。
「やぁん、スゴーイ緊縛!緊縛?ちょっとヤらせて触らせて♪」
 ウサギは適当な事を言うと、さっさとこちらへ向き直りイヌを軽く押しのけた。
 さしたる力を込めたとも思えなかったけど、イヌは無様に地面に転がり、他のイヌ達はあまりの身勝手さに呆気に取られている。
「おじょーさん心配しないで。思い切り可愛がってあげる♪」
 そういってウサギは下着に手を掛け、勢いよく下すとブルンと……
 
 ……ぶるん?
 
 ダッシュで逃げようとしてたものの、立ち上がる事すらできず、地面にダイブする。足、捻った……。
 イヌ達のほうからもどよめきが上がり、何人かが思わず尻尾を丸めたのが目に入る。
「すげぇコレがフタナリってやつか」
 食い入るように見つめるのも、何人か。
 一方こちらといえば、自慢げに見せびらかしている。
 ブラブラし過ぎ。
 黒い長いし太いしなんか形が!!!
 パニックに陥った私や手下イヌとは対照的に、ボスイヌは大爆笑だ。
 それを見たウサギも爽やかに微笑する。
「というわけで、チェンジ♪」
「いいだろう」
 ボスイヌへ抗議の声を上げようとした手下が他の手下に殴られ黙る。
「ありがと☆ ハイハイ、痛くしないからねー」
「はあああああああああああああ!?」
 逃れようと全力で暴れるもあっさり掴まれ唇奪われた。
 ぬるぬるしたものが口いっぱいに溢れ、吐き出そうとしても叶わない。
 我に返り、舌に噛み付こうとしたものの、一足早く顔が離れる。
 素早く胸を揉まれ、驚きと違和感で変な声を上げると、ウサギは緑の瞳を爛々と輝かせ、股間のアレを一層膨らませていた。
 おかしい物理的におかしい無理無理無理無理
 きゃーとかいいつつまだ血の出る傷をぺろりと舐めると、唾液が糸を引く。
 必死で足を閉じようとしても、あっさり力負けした。
 何度も掻き毟られてでこぼこになった太腿の痕に柔らかそうな唇が触れ、男でもイヌでもネコでもない舌の感触。
「やっやだやだっ!」
 ジタバタと暴れる様を見て、何がおかしいのかウサギは鼻の下を伸ばした。
「ヤダ、カワイイ」
 ウサギらしくイカレら事を口走るのをどうにかしようと、腹筋を使って上半身をもたげ頭突きを試みるも失敗。 
「もうちょっと肉つけないとダメだねー♪」
 無遠慮に揉みしだく手を見たくないので、ニヤけた顔を睨みつけた。
 あの調教師は白ウサギだった。
 白も黒もキライになりそうだ。ホントにウサギというのは理解不能としか言いようがない。
「オイまだかよー」 
 イヌの野次に対し、ウサギは眉を吊り上げ股間の極悪無比なモノを揺らすと、イヌ達は一斉に後ろへ後ずさった。
「女の子を泣かしていいのは、キモチイイ時だけって知らないの?」
 そういって私の顔を覗きこむので、霞んだ目で睨みつける。
「……キヨちゃん?」
 手の力が抜けたので、必死に暴れてウサギの下から転がり抜け出ると、すぐにイヌに捕まった。
 ボスイヌが短くなった髪を掴む。
「なんだウサギのねーちゃんーやめるのか。オイ、どいつでもいいぞ。どっちがえらいかキッチリ仕込んでやれ」
 もがくと舌打ちされ、手が振り上げられた。
 喉が鳴る。
「ちょっとーオシオキはそういう風にしちゃダーメ☆あ、やべ」
 ぐっと引っ張られ、体が宙に浮く。
 いや、抱き上げられた。
「テメェ!魔法だと!?」
 首を曲げると白くて大きな歯が見えた。
 いかにも柔らかそうな毛並みに顔には大きな傷がある。
「と、いうわけで山賊イヌ君達、キヨちゃんは返してもらうよ☆」
 なにが、というわけになるのか不明だけど、、ジャックさんは左手をキツネの形にしてツンと指先をこめかみにくっつけ、謎のポーズをキメる。うざい。
 挑発にイヌ達はそれぞれ武器を手に取りじりっと詰め寄った。
 無言で突き出された槍の切っ先を後ろへ飛んで避けた先にボウガンの矢が地面に刺さる。
「ジャックさん、なんでここに!」
 抱えられたまま尋ねると、ジャックさんはどこからか取り出した卵らしいのをイヌに投げつけた。
 イヌの顔面に当たったそれは、ひしゃげピンクの煙を吐き出す。
 もうもうと立ち上る煙を吸い込んだイヌ達は咳き込みがくりと膝を折りはじめている。
「凄くない?オレ魔具なし性転換よ?凄い魔力食うんだよアレ。持続時間五分だけど」
「……後で、一回殴ろう」
「キヨちゃん本音が漏れてる」
  
 完全に隙をつかれたイヌを尻目に、まっしぐらに林を抜け、傾いた太陽に向かって走る。
 
 しばらく林の中を通り、街道へは出ずに開けた場所にたどり着く……大量の水…巨大な川…じゃなく湖だ。
「もしかして、道迷ったんですか?」
 反対岸まで結構あるし、船も見当たらない。
 艀にはボートらしき物があるのが見えるけど、あそこまでは少し距離がある。
 よっこらせっと降ろされ、足首が水に浸かる。……膝、笑っているし。
 それ以上どこにもいけないという事にイヌも気がついたのか、包囲網が少しずつ小さくなってきた。
「てめぇ飼い主か?フザケた真似しやがって」
「違いますぅーおにいちゃんですぅー♪」
 イヌの恫喝にジャックさんはそう答え、私の体をしっかりと抱き……。
「あんまり引っ付かないでくれます?当たるから」
「当ててんだよ♪」
 ……あとで三回殴っておこう、棒で。
「所でさーこのまま大人しく帰る気ない?今なら無傷で帰れるよー。オレ温和だし?」
 ジャックさんの言葉は、まさに火に油、イヌ達は一斉に低い唸りを漏らした。
「ウサギの生皮剥いでその上で孕むまでマワしてやる」
「イヌ孕むぐらいならドジョウ孕むわ。ていうか、口開かないでくれる?発酵に失敗した乳製品みたいなニオイがするから」
 口を塞がれた。
「キヨちゃん、お兄ちゃん、今真面目なお話してるから」
 返答代わりに眉を吊り上げる。
「ねぇねぇー最終チャーンス☆今すぐ水から上がって息が切れるまで走れば、いい事あるかもよ?」
 ひたひたと水が押し寄せては引く。
 ジャックさんはイヌから目を離さず、いつもの飄々とした口調で牽制しているけど……。
「ウサギってのは、本当にイカれてるな。ガキでももうちょっと巧くホラ吹くぜ」
 イヌ達はニヤニヤ笑い、私達を捕まえてどうするか、怖気を奮うようなことを楽しげに話し合っている。
 ギラギラとした琥珀色の目に、黄ばんだ牙にだらりとよだれが伝っているのが不愉快で、……怖かった。
「お前ら、好きにしていいぜ。でもまだ殺すなよ」
 十人強のイヌが武器を構え、じりじりと近寄ってくる。
「所でジャックさん……さっきも訊きましたけど、なんでここにいるんですか?」
 このまま奥まで走って、泳いでしまえば逃げられるだろうか?
 ジャックさんが逃げる時間ぐらい、稼げるといいんだけど。
 イヌ達の動きを視界の隅に見ながらジャックさんを見上げると、ジャックさんはだらりと髭を下げ、鼻をひくひくさせた。
「え……だってオレ、キヨちゃんのお兄ちゃんだし」
 何を言い出すんだろうか。
 怖さのあまり、頭がどうかしちゃったんだろうか。
「ほら、今のうちに感動のあまり感涙したり抱きついてくれていいよ!」
 意味不明のことを口走りながら、ジャックさんが宙に描きだすと光と共に矢が落ち、向かい来るイヌが一斉に足を取られて転げまわる。
「魔法だ!散れ!」
 ボスイヌの号令にイヌが遠ざかりかけ、ジャックさんがなぜか凄く不満そうな表情を浮かべた。
「感激のチューとか、感謝のチューをすべきだよね。フツー、あ、お礼エッチでもいいけど」
「……なんの?」
「これのー」
 ジャックさんがさっと手を挙げ、振り下ろす。
 同時に干潮のように足元の水が引き始めた。 
 ふわふわの体毛についた滴を浴びて、ジャックさんが嬉しそうに笑う。
「殺しちゃだめだよ。がっくん」
 
 そして
  
  
 ***
 
「だから言ったのにねぇ~ホラ、警告したじゃん?親切だよねオレ」
 ジャックさんが氷漬けになった最後の一人を縛り上げ、他のと纏める。
 木や氷を工夫し、檻のようなモノのを作ってしまったのには、ただ感心するしかない。
「もうー結局オレばっかりじゃん」
「すみませんっ」
 立ち上がろうとしたら無理やり肩を押され、仕方なく倒木に腰を下す。
「動くな」
 怒られて、思わず外套に顔を埋める。
 この外套はジャックさんのものではなく……変温動物用に防寒の効いた素敵な代物……つまり、その。
 中が血や泥で汚れるからいいと固辞したら、簀巻きにされそうになったりしたわけだけど。
 相変わらず、……意味不明な人だ。
 ジャックさんが触れるたびに絶叫を上げるイヌを眺めながら倒木の上で三角座りをしていると、爬虫類な瞳と視線が交わった。
 ……気まずい。
 何を言えばいいのかわからず、湿地帯のような足元に目を落とす。
 水の精霊使い……一応話は聞いた事があったものの……。
 湖を氾濫させイヌの群れを溺死寸前まで追い込んだり、人の頭ぐらいの大きさの雹を降らせて撲殺しようとしたり、体内の水分を抜いてミイラにしようとしたり……。
 ジャックさんが居なかったら、大量殺人犯だ。
 まぁ……ヘビというのは龍の血を引いているそうだし、容姿からみても日本昔話からみても、天候操作はお手の物って感じだけど。
 イヌのミイラはちょっと……色々問題だ。本人的、世間的にも。
「ところで……仕事はどうしたんですか?」
 あとチェルとサフは。
 私の言葉に、スリムでヘビでかっこいいゴジラ顔がちょっと歪む。
「お前」
 言い掛けた言葉を遮りくしゃみしてしまった。
 ぐしゅぐしゅしていると、ドスドスと落ち着きなく周囲を歩き回り始め、ジャックさんにニヤニヤされている。
「あ、そうだ!女の子がお母さんを探しているんです。あいつらに襲われて逸れてしまって!」
 立ち上がった拍子にぐらりと視界が真っ暗になり思わずへたり込んでしまった。心臓がバクバクいっているし、体全体が粘るように重い。
「ちょっとダメだよー痛いの止めてるからって治ったわけじゃないんだからね!」
 ジャックさんの声が頭に響く。
「すみません」
 大人しく頷き、手を倒木がある辺りに伸ばすと、引っ張り上げられ、何とか立ち上がる。
「ところで、女の子って美人?」
「……たぶん」
 嘘は言ってない。
「エェェ!そういう事は早く言ってよ!」
「え……すみません」
 眼を瞬かせ、しばらくうごかずにいるとようやく視界が明るくなってきた。
 少し、目を閉じていた方がいいかな。
「とりあえず、近くの人家を探してそこで待ち合わせようって……ちょっともう場所わかりませんけど」
「馬車壊れてた所だよね。あそこなら、すぐ近くに衛兵所あるから大丈夫」
 短くされた髪が撫でられる感触にちょっと違和感。
 ……悪くはないけど。
 ずり落ちかけた外套が肩の上まで引っ張られ、外気が遮断された。
 厚い布地は、男性用で丈が長いので足首近くまで届く。
 これいいな、あったかい。
「そうか」
 低くてかっこいい声におもわずうっとりしそうになり、慌てて正気に戻る。
「ごごごごごめんなさいすみませんっあれジャックさんは!?」
 慌てて周囲を見回しても、霞んだ視界に黒ウサギの姿は影も形もない。
「向こうへ走って行った」
 スキップにしてはありえない超高速で跳ねて行くジャックさんの姿を想像し、深く納得する。
 でもこの山賊達どうすればいいんだろうか。
 縛られているとはいえ、このまま放置していくのもなんだ。
 その旨を告げると、理知的なヘビフェイスがしばらく思案し、どさりと倒木に腰掛けた。かなり疲れているらしい。
「俺達が見張っていればいいだろう。おそらくそのまま通報してくるはずだ」
「そうですか」
 喋りながら腕に力込めるのやめてもらえないだろうか。
 なんというか……胸が詰まる。
「コレ、苦しくないか?外すぞ」
 慎重な手つきで、首に食い込んだ革紐が外された。
 泥と血が縫い目に入り込んでいて、汚らしい。
 私と一緒だ。
 無感覚の頬と瞼を擦り、その擦った手を見れば爪は割れてるし指は青緑だし……。
 鏡がなくてよかった。外套を使わせてくれてよかった。少なくとも、今はコレを隠せる。
「痛いだろうが、もう少し我慢してくれ」
 ぎこちない仕草で撫でられるのを感受しかけ、大切な事を思い出した。
「仕事どうしたんですか?!クビになっちゃいますよ?」
 チェルが路頭に迷う姿を連想し怖気が走る。
 ジャックさんはいい。開業医だし、家賃収入もあるけど!
「お前…ちょっと黙ってろ」
「黙りません!」
 ちょっと引き攣る口をどうにか動かし言い返す。
「サフはまぁ、自分でアルバイトしてるし意外としっかりしてるからいいですけど、チェルはどうするんですか!お父さんの自覚ないんですか!
 お仕事だって、ネコと違って真面目に働くのがポイントなのに、欠勤したら意味ないじゃないですか!
 そりゃ水の精霊使いだから資格とかありそうですけど、不安定な状態は大変なんですよ?警察に不審者扱いされても文句言えないじゃないですか!
 それに収入が無いと何かあったときこま…………」
 お金が無いと、病気や怪我の時困るし、それ以外でも色々お金があった方がいい。
 欲しい物だってあるだろうし……あ、……そっか。
 あまりに嬉しかったから、思いつかなかった。
「キズモノ中古でも売れる場所、見つけたんですね。どれくらいの値段でした?」
 チェルとサフにお別れを言う時間はあるだろうか。
 髪は伸びるからいいとして、問題は外傷だ。
 どうも何本か骨が折れているし、体中痣だらけだし。
 また変な刃物傷付けられちゃったし。
 額に形がいい鱗付の手が触れる。
 下瞼を少し押され覗き込まれ、すこし黄味がかっているもののまだまだ穏やかな秋の色をした瞳にどきどきした。
「熱が出たな。怪我のせいか」
 かすかに眉間に皺が寄るのを感じる。
「質問に答えて下さい。いくらだったんです?上乗せできるよう努力しますよ」 
 目の前をチラつく赤い舌を引っ張ってやろうかと思いながら再度尋ねると、綺麗な指先が目元から唇へ優しく上下してきた。
 ムカついたので姿勢を変え、肘を胴に当てた。
 外套越しなので大した威力はないが、意図は伝わったらしい。
 驚いたように爬虫類な瞳が見開かれ、まじまじとこちらを見つめてくる。
 この人に見つめられるのは……正直、悪くない。
 って違う。
「質問に答えて下さい。いくらで売ったんですか」
 どうせ売られるなら、売られないように努力する必要は無い。
 私に外套を使わせているせいですっかり冷えてしまった鱗のある肌を無事な親指と人差し指で抓った。
「お前、何を言っているんだ?怪我のせいか?」
 困惑した声色に滲むのは……心配だろうか。
 売れなくなる心配?
「馬鹿にするな。お前と子供一人二人、養える程度の甲斐性はある」
 背中に回された手の感触。
 黙ってその全てを堪能する。
 いつまでこうしてられるんだろう……。
「私……あなたのなんですか?」
 少しでも長く一緒に居られるなら、なんでもよかった。
「カナイ」
 なんのつもりだか、ひょいとヘビの口角が頬に当たったのでお返しに舌を甘咬みする。
「カナイだ」
 二度いった。
「カナイって何です?」
 穏やかな瞳がきょとんと瞬く。
 ……かわいい頬擦りしたい抱きしめたい。
「連れ合い、伴侶、ああ、妻、女房とも呼ぶがそっちでは使わない名称か?」
 考える暇もなく平手打ち。
「いつから?」
 よほど驚いたのか、口を半開きにしたまま動かないので、ちょっと頬を抓った。
「い・つ・か・らお…お嫁さんのつもりだったんです?」
 私の問い掛けに、訝しげだった瞳が欝金色の輝きを帯びて見開かれる。
「いつって、お前……まさかわかってなかったのかッ!」
 後半が絶叫じみてたので口を塞いだ。
 しばらくして動揺が収まったようなのでしぶしぶ離す。
「おおお前、何考えてるんだ。自覚ないとかいうなよ。惚れてもいない女と褥を共にするはずがないだろうそれに俺は散々求婚したしお前だってちゃんと受け入れたからこそ」
 意外にも、ヘビの顔色というのは変わるものらしい。
 必死な姿にしばらく考えて、クビをひねる。
「求婚?」
 プロポーズだ。つまり。なにかそれっぽい事を言ったことがあっただろうか?
 実はいわれてたのに、気がつかなかった私が悪いのだろうか。可能性はある。
 ちょっと後ろめたい気持ちが湧き上がってきたので、頬を掴んだままの指を外す。

「そうだ!種族が違うからといって省略したりはしてないぞ俺は!ちゃんと伝統に則り求婚の踊りを」
「わかるか」
 ぐーで殴っておく。
   
 そのあと、それ以上動くと怪我が悪化するからやめてくれと騒いだので仕方なく今回の尋問は中止した。

 

 ――― 一年後 ―――
 
 氷の上で私がジャンプすると、隣のチェルが驚愕と感動の面持ちでこちらを見た。
「キヨカ、凄い」
「慣れ慣れ」
 手をパタパタさせ、ついでに遠くのリーィエさんを招き寄せる、ついでに耳あて付の帽子を少し直す。
 リーィエさんが不安げな面持ちでスケート靴の紐をもう一度結びなおし、恐る恐る氷の上に乗る。
 滑った。
「フニャー!」
 手をバタつかせ暴れるので、腕を掴んで引っ張り氷の中央で軽くレッスン。
 すぐ逃げようとするので、真ん中まで連れて行かないと練習にならないのが困る。
「大丈夫ですよ、ヒトでも一時間あればそれなりに滑れるくらいですから」
「氷は、困る水は困る」
 困るじゃなくて、ただ単に嫌なだけじゃないかと思いつつ宥めすかして滑る練習。
 このスケート靴は、リーィエさんの会社で改良し、こちらの世界の住民の巨体でも支えられるよう作りかえられたものだ。
 当初は氷の上で遊ぶというアイディアを拒否していたネコも多かったけど、リーィエさんとジャックさんの説得で試作を重ね、販売まで後一歩までたどり着いたのは記念すべき事だと思う。
「リーィエさん、落ち着いて。ヒトですら出来るんですよ?」
 私の小声の挑発になんとかバランスをとって立ち上がったリーィエさんは凄く嫌そうな顔をした。
「私の友人を卑下しないで」
 嬉しくて抱きつくと、バランスを崩し甲高い悲鳴が上がり、氷の向こう側の見物客と自称保護者、それにイヌの国からやってきた商人とその家族が色めき立つのがわかった。
 仲良しぶりを見せ付けておこう。
 いいでしょう。私には、こんなにいい友達が居るの。
 チェルを挟み込んで氷の上でぐるぐる回し友達に悲鳴を上げさせる。
 面白がってチェルが笑う。
 誰かの持ち込んだラジカセからは、トリのロックバンドによるフランス語の歌が流れてきて頬が緩む。
 私には歌詞がわからないけど、重要なのは、それが彼の声だっていう事。
 へっぴり腰のイヌとネコがやって来たので手を振って歓迎すると、2人はあわてて逃げ出しそれをチェルと追いかける。
 繋いだ手の先で引っ張られた彼女がまたも悲鳴を上げた。
 視界の隅で、加わりたくてうずうずしている姿が見えたので手を振って誘う。
 足を踏み出し、即座に表面で転び、各所で悲鳴と笑い声が弾ける。
 別にネコでもイヌでもネズミでも、ヘビでもウサギでもトラやトリ……ヒトも。
 似たような風景が、いつかもっとたくさんの所で見れるといい。
  
 太陽が照り、月は霞み、星が煌く。今は見えなくとも、そこにあるのは変らない。
 
 それさえわかっているなら、いつか
 

 追伸。天国のお父さんとお母さんへ 
 
 通りすがりに寒いのを堪えて氷を維持しているかっこいい私の旦那さんに感謝の口付けをしたら、氷が全部解けて大変な事になりました。

 

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
ウィキ募集バナー