土の恵み プロローグ
土のにおいが嫌いだった。
湿った土、乾いた土、腐葉土。化学肥料にまみれた土、牛糞を混ぜた土、粘土質の泥。
何もかもが嫌いだ。アニキは好きだっていうけど、オレは嫌いだ。大っ嫌いだった。
だから、逃げ出してやった。何もかも捨てるつもりで。
そして、オレは全てを失った。
※
太陽は既に風車小屋の翼を逃れ、遠く見える山々に向けて傾き始めていた。青い空の下、影は徐々にその長さを伸ばし始める。
「もうこんな時間か。おーいガキども、メシにすっぞー!」
オレがそう呼びかけても、ガキどもはひとりも姿を現そうとしない。そうまでしてオレに見つけて欲しいか、おい。
「タリィな、ったくよぉ」
ガリガリと髪を掻きむしりながらオレはひとつ盛大にため息を落とした。こいつらにメシ食わせねえと親御さんたちに怒られるのはオレなんだぞ、全くよぉ。
好かれてる? 冗談じゃない。ガキはガキなりに、自分たちと長く遊んでもらうにはどうしたらいいか、ずるがしこくもちゃーんと知ってやがるってだけだ。オレはそれに付き合わされてるに過ぎない。
「ほれ、早速ふたり見っけ」
「きゃーっ」
「見つかっちまったぜ」
もっとも、ガキがかしこいのは遊んでもらうための理由付けだけで、肝心の隠れ場所についてはいっつも同じ。
だから普段どおり、オレのいた広場にある箱の陰にふたり、茂みにはひとり。大人たちが中身を持っていって空の用具入れにはさんにん、曲がり角の向こうにふたり。
それぞれ早々に見つけては、抱えてオレのいた広場まで連れてくる。見つけられた後は勝手なもんで、さっき呼んだ時はまるで反応しなかったくせして、今は「メシよこせー」とピーチクパーチクうるせえ。
「あー、はいはい。すぐ食わしてやるからちょっと黙っとけ。えーっと、ひぃ、ふぅ、みぃ……」
黒いの白いの白黒斑。赤茶に灰に焦げ茶の双子。名前は覚えてねえが、ざっと数えて……あれ?
ひとり足りねえ。しかもそいつだけは名前が言える。
「……マリーがいねえな。アイツ今日はどこに隠れやがった?」
唯一毎日隠れ場所を変えるマリーだけがまだ見つかっちゃいない。またか、と思う。もう今日は茂みも倉庫も屋根も煙突の中も、取り敢えず思い当たるところなら全部探したんだが……。
「マリーなんていいじゃん! ほっといって早くめしにしようぜ!」
「そーよ、おなかすいちゃったよ」
ガキどもが図々しくも叫び始めるが、当然無視。呼んだ時に出てこないテメエらが悪い。少しは飢えとけ。
そういうことで喚くガキどもは無視し、オレは再びマリーを探しに広場を出る。もう一度さっきも探した場所をまわり、それでもいないマリーを探して右往左往。
そしてしばらくした後、もしやと思ってある家の扉を開けると、そこには思ったとおりの姿があった。
「……マリー、かくれんぼの時は外だけって言わなかったか?」
「いわれた」
「なら隠れるなよ……」
ガクリとうな垂れるオレの目前、自分の家の椅子にちょこんと腰掛けたマリーはまるで悪ぶれた風もない。
むしろ本当にオレの言ってることを理解出来ているのかを悩むほどの仏頂面でオレを見ていた。同年代のガキどもはあんな笑ってるっていうのにすごい違いではある。
だがそんな仏頂面でも、マリーなら様になるとオレは思う。
ぷっくりと柔らかそうな色白のもち肌に、良く映える髪色はキャラメルのような亜麻色。ふんわりとしたボブカットはその幼さをより強くして、まるで人形のようにも見える。
整った面立ちは、今からでも将来が楽しみな可愛らしい幼女のそれだった。それまで仏頂面だったそこに、マリーはうっすらと柔らかい笑みを浮かべる。
「それでも、マサミはみつけてくれたよ? やっぱりマサミは、わたちのことなんでもわかってくれるのね」
「ま、まあな」
ハハハと、オレは乾いた笑いを浮かべる。本当は探しまわった末にようやく見つけたんだが、間違っても本当のことは言えない。
嬉しそうな美幼女の幻想を壊してはいけません、どっとはらい。
「ありがとう! それでこそ、マサミはわたちのたいせつなどれいね」
「……ああ、そうだぜ」
オレは答える。乾いた笑みももはや消して、マリーの述べた残酷な現実を、受け入れるための答えを。
そう、マリーはまるで人形のような少女だ。いや、幼女という方が正しい。小さなマリーの体は、未発達でまだ背丈はオレの腰にも届かない。
そんなマリーの、人形とは決定的に違う場所。亜麻色の髪の間から覗くマリーの耳はその肌と同じ純白だが、その形状は細く長く、どう見ても人の持つソレではない。
当たり前だ、マリーは"ヒト"じゃない。オレと同じヒトではなく、この世界の人間・獣人。ウシの幼女。
「さ、そろそろメシにしようぜ。オレの小さなご主人様?」
「うん!」
これ以上なく微笑んでオレの手を取り、早く早くと急かすマリーに連れられオレは家を出る。
オレの所有者でありご主人様である幼女のおぼつかない足取りに従いながら、腹を空かせて待つガキどもの元へと歩いていった。