わたしのわるいひと 3話
北の冬は寒い。
そんな中外で仕事をしなくていいなんて天国だ。窓の外の奴らはざまあみろ!
高揚感に浸りつつ仕事後の紅茶を飲んでいたら、とてとてとご主人様が階下から現れた。
「ヨー」
「なんですかご主人様。おれは今忙しいんですよ」
「セックスとかしないの?」
どふっ。
口から紅茶が派手に流れ出た。
その衝撃でカップがひっくり返り、がちゃがちゃと音を立てて大惨事となった。
「どこで覚えたんですかそんな言葉」
火傷した腿に氷水で冷やした布をあてながらご主人様にたずねた。
「え、師匠が男の人はみんなそれを求めてるって」
「誰ですかそいつは。ともかく」
腿から布がずれないように直しながら、できるだけ冷静な顔をしてご主人様に言う。
「薄幸の少女で売ってるんですからそんな言葉を口に出さないでください」
「はい」
ご主人様はおとなしく耳をうつむかせた。と思ったら、急に明るい調子になった。
「じゃあさ、欲しいものはある?」
「特には」
ご主人様はとたんにがっかりした顔になる。
「どうしてそんなことを聞くんです?」
「もうすぐクリスマスだから」
ああ、なるほど――おれはひりひりする腿を打った。そしてご主人様に諭す。
「ご主人様、たかだか商業主義の日に踊らされてはだめですよ」
「ヨー、ひねくれてる……」
その夜から、ご主人様が部屋に閉じこもってしまった。
いや、仕事はしてくれるのだが、それ以外の時間はほとんど自室にいる。
理由を問いただそうとしても、「えーほら、寒いから」とかなんとか下手な嘘をつかれる。
さらに最終手段のジャーキーで釣っても出てこない。
……これは問題だ。
ひょっとしたら愛想をつかされたのか。
いや、だから何だというんだ。落ちモノ商の仕事はおれがいないと立ち行かないわけだし。
ご主人様が懐いてなくてもおれの生活には別段支障はない。やるべきことをやるだけだ。
そう思って、今日も帳簿をつける。
クリスマス当日は、陰鬱なこの街もなんとなく明るい。
おれには関係ない。
「できた……」
「どうしたんですか」
自室から出てきた反射的に心配の言葉を発してしまうほど疲労していた。
「クリスマスプレゼント」
「は?」
予想していなかった言葉におれは一瞬理解力を失った。そのままぽかんとしているおれに黒い何かが渡される。
「それを着て外に出てみて」
広げてみると、黒いコートだった。
「どういう意味ですか」
「うーん、説明が難しいんだけど……とりあえず、出てみて」
外、という言葉にいろいろ嫌な思い出がフラッシュバックする。
おれはひるんでご主人様を眺める。疲れてはいたけれど、ご主人様の黒い瞳はしっかりしていた。
おれはゆっくりコートを羽織る。
久しぶりに出た街路は雪が降り積もっていた。
空は憂鬱そうに曇り街の上にかかっている。
街を行きかう人は皆忙しそうに通りすぎていく。
そう、通り過ぎていくのだ。このおれを。
「よかった。問題ないみたいだ」
「で、これは何なんですか。ご主人様」
「暗示魔法」
眠そうなご主人様をソファーの隣に座らせ、おれは脚を組んでいた。
「『このコートを着たヒトはヒトであることを気づかれない』魔法をかけたの」
おれは着っぱなしのコートを撫でてみる。見た目は普通のコートだ。
「魔法なんて使えたんですね」
「うん、使うのは、あんまり好きじゃないけど」
「好きじゃないのに何で使ったんですか?」
ご主人様はあくびをした。その目から涙がにじむ。
「だって、そうでもしないと、ヨーにあげられるものなんて、ないから」
「ご主人様?」
ご主人様はソファーにぱたりと倒れた。ふわふわしたしっぽがわずかにゆらめく。
「ごめ……まほう、へただから。じかん、かかった……」
それだけ言うと、すうすう寝息を立て始める。
――まったく。
おれはご主人様のほっぺたをぷにぷにつねった。
起きる気配はない。
買い物のメモをすませると、おれは街中に繰り出した。
きらきらしいクリスマスのデコレーションに目を細めると、地図を頼りに足早に市場へと向かう。
疲れてるからたくさん食うだろうな。ケーキは一番でかいので問題ないだろう。