有り得ざることに――
螺旋を描く迷宮を進めば進むほど、その先にあるはずの終点は遠ざかっていった。
もう、輪郭さえも見えない。
螺旋の呪い。
覚えておいて欲しい、これは憎むべき欺瞞だ。
現在を贖いうるものが、現在しか有り得ないなどとは。
「朝ごはんは食べなきゃダメダメダメですよぅ~♪」
――tu-la,lalalala,tu-la,lalalala,
――――Tanec,Tanec Tarantella,
聞いている方が吃音りそうになるほどに、軽快に迸るリズム。
かなりガタのきた、暖房兼用の大きな魔洸オーブンの上。
台所の一角を占領する調理台の上で、小さなドーナツほどのマリオネット『繰り蜘蛛』達が、摘みたてのパセリを背に器用に走り回る。
――tu-la,lalalala,tu-la,lalalala,
――Pravo,tu-la,lalalala,
コモリグモ族に伝わる伝統技能、『繰り人形』。
女主人――にして、ヒト奴隷 藍人の"姉"――、エウリュアレの無造作にまとめた髪の下で、コモリグモ族の特徴である絡糸肢がぴこぴこと跳ねた。
ガラス色の糸をひきずった銀色の自動人形が、奇妙な旋律に合わせて短い八脚をふりふり、ぽてぽてと跳ねる。
――tu-la,lalalala,tu-la,lalalala,
――Leve,tu-la,lalalala,
遥々キンサンティンスーユから運ばれた住宅地の石垣をすり抜けて、内海の陽気な日差しが食卓を彩った。
穏やかな港町ナアトの朝。サー・ガエスタル区の外れ、コモリグモの時計人形店"アイギス堂"。
からくり時計とマリオネットを商う工房裏手の台所では、今日もエウリュアレが朝食の準備に勤しんでいる。
「ごくろぅうー、MB-4号君!では、パン粉とスパイスの投下に移りたまへ♪」
パセリをボウルに投下したあやつり人形達は、わらわらと踊りながらパン粉の袋に突撃を敢行し、よってたかって蝦の殻を剥いて、トマトを角切りに。
アルケールを入れた大鍋は、両端でシーソーのようにぶらぶらする繰り蜘蛛に揺らされて、カタコトと中をかき混ぜている。
――tu-la,lalalala,tu-la,lalalala,
まだ眠い、明度のない視界で、ちょこまか動く影絵が、騒々しい日差しを蹴散らかしていく。
ヒト奴隷、藍人はため息をついた。
普段はドン臭くても、こういうときのエウ姉は実に素早い。むしろ無駄に。
高い難易度の技術である『繰り蜘蛛』を同時に幾つも操りながら、自らもお気に入りの紺のエプロンを舞わせ、台所でくるくると立ち回る。
必要なのは、覚悟だ。今日こそは。
大きく深呼吸。はい、朝の新鮮な空気を吸って。
「……あの、エウ姉?今朝は俺が作るから」
「ぱぎゃーぁーあーーぁ」
「それにこういうのはやっぱり、ヒト奴隷にやらせ」
「ぎゃおうぅうーうーー」
なにやら威嚇された。
「もう、アト君は何でもお姉ちゃんの欲しがる。お仕事とらないで?」
よいしょ、と掛け声をかけながら、エウが鍋をオーブンに入れる。
―――tu-la,lalalala,Jed
メトロノーム代わりの歯車の音が、繰り蜘蛛の胴体で少しづつテンポを上げている。
お姉ちゃん指揮のオーケストラも、いよいよ佳境。
壊れたゼンマイさながら、エウの体さばきが徐々に勢いを増しはじめる。
―――tu-la,lalalala,Lek
紺のエプロンに刺繍された竜が、引き伸ばされて赤い螺旋の軌跡を描いた。
ミトンから手を抜いたと思えば一瞬、指の間にはスプーンとフォークがずらり。
手元が閃くと、獅子国製の陶器匙が飛びかって、寸分たがわずナプキンの上に並ぶ。
テーブルの上には手品のようにサラダが現れて、パンと白米が並び。
今日もいい天気だ。
タイマー代わりのトポガン鉄琴を弾くと、透明感のある音を立てて、ビー玉が規則正しく転がり落ちていく。
―― 現実逃避してもいい手が思いつかなかったので、取り敢えずもう一度深呼吸。
――――tu-la,lalalala,tu-la,lalalala,tu-la,lalalala,
「姉さん?」
厚手のエプロンのすぐ上。
エウの首から上が、体に振り回されながらカクカクと踊る。
目を閉じて、すやすやと寝息を立てながら。
「……うぁ゛?なんか、こげくさい?」
「姉ちゃん、髪、髪!とりあえず目、開けよう?」
「……ね、寝てない、お姉ちゃん、寝てないよ?(汗)」
――――tu-la,lalalala,tu-la,lalalala,lalalala,lalalala,lalalala…
,Tu--LA!
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Antidote
2danza tarantella
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スパイスの効いた美味しそうな匂いが、嗅覚をくすぐる。
今朝は蛇国風らしい。
とれたての食用蝦に、オーブンで焦がした醤の辛いソースが香ばしい。
虎国鉄道から近い手軽さが良いのか、はたまた自国に海がないせいか。沙漠蛇のグルメ達に、港町ナアトは人気が高い。
とある蛇邦の女王が食べに来たとかで、中でもエビチリはちょっとしたブームだ。
えっへん。律儀にわざわざ口で言いながら、エウリュアレがぽよん、とたわわに実った胸を張る。
「むーふ。今朝はアト君も大好き、ナアト式カリデシ・ギュヴェチだよー♪」
「うん、いつもありがとう。でも姉さん、それ柱時計だから」
「……し、知ってるもん。」
誠に遺憾ながら、姉の瞼の開花状況はまだ4分咲きです。
朝食の準備が済んでしまうと、台所での勢いは嘘のように消えた。
錆付いた時計人形さながら、エウが危なっかしい足取りでテーブルを巡って、ふにゃふにゃと席に着いた。
一瞬遅れて、クモ族の中でも特大サイズの乳が盛大に食卓にバウンドし、あたりを弾き飛ばす。
「あれ、アト君、たいへん、お姉ちゃんのスプーンどっかいったー」
「……高い確率で、どっか『やった』の。あなたが。そこのスープポットの裏とかない?」
「おお!ホントだ」
何が嬉しかったのか、寝惚け眼のエウがスプーンをぶんぶん振り回す。
「アト君は良い子だねえ?お姉ちゃんは鼻が高いよ♪」
……一応、時計技師エウリュアレ=アイギスと言えば、全土でも指折りのマリオネット匠のはずなんだが。
少なくても今は、性質の悪い居眠り中毒患者でしかない。
スプーンを並べなおしている内に、朝の時鐘が響いた。
近所の音叉塔たちが共振して、三々五々と磨り減った唸りを上げる。
――黒き聖母よ、食うものと食われるものとに、
――――等しき愛を注ぎたる慈悲ぶかく狂える母よ、
――――――今朝の贄にも一度の慈悲を
――――――――かくあれかし
もう意味すら忘れ去られた、古いナアト語。
交易が主体の自治都市ナアトでは、そもそもあまり宗教に熱意がない。
草創期、農村から流入した労働者たちがてんでに地元の神を持ち寄って、そのうち飽きて、やめた。
何もかもが風化した後、ごちゃまぜになった豊穣神を誰言うともなく最大公約数的に"黒聖母"とか"タランテラ"とか呼んでいる。
むにゃむにゃと食前の祈りを済ませたエウは、ゆっくりと重たげな瞼を開け、食事に取り掛かった。
「むふふ。朝はやっぱりぃ~アトシャーマのスコーンに~、未回収区の金香蜜~」
……すでに生地からジャムを練りこんであるスコーンに、微塵の情け容赦なくさらにどっちゃりシロップを。
「隠し味に九魔屋さんの蜜柿を~~」
……隠すという発想はどうだろう。ふりでも良いので。
藍人の感想もどこ吹く風、通常の3倍の糖分にも臆することなく、エウリュアレは顔中をべたべたにしながら「スコーン付き蜜柿」を頬張る。
あれだけ喰っても太らない蜘蛛族の体質、一部種族の女性には敵が多いのもむべなるかな。
「ふぁ、あおくん、おふぁああいふぁ?」
「いや、もうお腹いっぱい。。。てか、一応嫁入り前なんだし、食べてから話そう?」
「ふふーんら。ひほへてるんらひゃら、ひーはん♪」
歓喜の表情で咀嚼するエウの手元から零れたスコーンの破片が、机に乗り上げている巨乳に次々にバウンドしていく。
テーブルの下で、撒き散らされた欠片を拾いに蜘蛛たちが走り回る。
「……ほほへ、ひははひほん。あとひゅんはほあっへ?」
「…?」
今度のはちょっと、暗号化強度が高い。
何故か涙目で睨みながら、もきゅもきゅとエウがスコーンの残骸を飲み下す。
「…………どんふぁん」
誰がドンファンだ。
朝食を済ませると、念のため藍人は鞄の中の調律道具を確かめた。
「じゃあ、行ってきます。今日はゴルゴラさんの時計塔のメンテだけですから、エウ姉は寝なおして良いですよ。」
「んむ、心配だから、お姉ちゃんも行きますー」
ふーふーしていた兎血茶をむりやり飲み干すと、エウリュアレがよたよたと椅子から立ち上がろうとする。
「でも、もうそろそろ出ないと。来たければ、エウ姉は後から」
「や。」
「でも」
「やー。」
「だけど」
「むー。行くのぉー!」
「ちょ、大丈夫?」
「ぁよ?」
やっと半分まで開いた目元を袖口でぐしぐしとこすりながら立ち上がったエウは、すぐによろけて藍人にしがみついた。
――女性の平均身長が2メートルを超えるコモリグモ族に抱きつかれれば、必然的にヒト族の顔は胸のあたりに来て。
むやみに柔らかい何かが2つ、藍人の顔面を埋める。
「ちょ!姉さん、まず着替えよう、取り敢えず」
「むーむー♪」
甘えるようにエウがむずかるたび、エプロンの隙間、ボタンがずれた胸元から甘い匂いが零れ落ちる。
「こおおおおお!……アト君がッ!連れてくまでッ!ぱんつをッ!穿かないッ!」
「いや、それは穿こうよ!てか穿いてなかったのかよ?!」
「ぱんつ……それははかない」
「……何うまいこと言ったみたいな顔してるかな、この姉は」
「?どうだっけ」
「めくらない!」
「もう穿いてた」
「!……はやくしまって」
「しましまの」
「知りません」
「……あよ、藍人?しましま好きじゃなかったっけ?」
「何歳の頃の話だよ!てかパンツの柄まで関知しないよ!」
「アト君も大好き~あおい、しまぁーしーまー♪」
「…………降伏するので士官待遇を要求する。具体的にはせめてご近所に聞こえない程度に」
「あい」
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かつてナアトを取材したTVクルー曰く。
『ナアトとは、不屈の創造魂と飽くなき執念の、ついうっかりした計算間違い』なんだそうだ。
内陸側の沿岸。人工島のサー・ガエスタル区からは運河の反対側、乗合亀のゴンドラで6駅。
尖塔がその高さを競う"百塔区"。
高さも暦法も千差万別の高層塔が、群生した向日葵の花のようにずらりと数字盤を並べている。
海賊除けとも、古代の舞踊信仰の名残とも言われる入り組んだ街路が、塔の下で同心円のような模様を描く。
長距離交易でその基盤を築いた自治都市ナアトでは、航路算定に必要な天測・時計塔は社会的ステータスでもあるらしい。
――それにしたってこれは建て過ぎのように、藍人はいつも思うのだが。
中でも一際高くそびえ立つ、女占星術師ゴルゴラの時計塔の最上階。
静かに、音にまでならないサラサラした振動がして、動力軸が藍人の居る機械室を震わせた。
測定機器が詰め込まれた機械室では、数え切れないほどの大小さまざまの歯車と文字盤が、さながら星座のように軌道を散りばめられて。
「……早めにお願いします」
「はい、すぐ直しますね」
薄明かりの中、藍人は苦心惨憺しながら愚黄鉛の保護フタを外すと、自動蜘蛛を放した。
検証用の曳光糸を牽いた自動蜘蛛は、落ちモノ映画の喜劇王のように歯車から歯車へぶら下がりながら、薄闇へ奇妙な軌道を描いて消えていく。
アルゴリズムに問題はないようだ。分解掃除は去年したばかりだし、念のため油を差させて終わりだろう。
「とりあえず仮回線、つなぎます。動かしてみてください。」
「……はい」
機械室に隣接した執務室から、何処か棘のある声が返った。
真新しいビジネススーツと、入念に手入れされた長い黒髪。貴重品のヒト用眼鏡。
女占星術師ゴルゴラの愛妾ヒト"リョーコ"。ゴルゴラに身請けされて数ヶ月ながら、ヒト世界で学んだという経営手腕を発揮し、すでに事務一般を取り仕切っている。
不自然なほど白く細い指が、鍵盤を叩く。
配線箱の中で目まぐるしく回転する対数棒が、次々に組み合わされて。
表面に彫り込まれた魔洸経路が薄緑に輝いて、結果が画面に映し出される。
「…………動きました。」
「良かった、何よりです」
「……………………」
「あ…えーと、主回線つなぎますね」
そっとため息をつきながら、藍人は繰り蜘蛛を戻した。
ゴルゴラからの依頼で何回か会ってはいるが、リョーコは自分を含めた"ヒト"とは必要以外、決して会話をしようとしない。
事実上こちらの世界で育った自分とは違い、"落ちて"間が無いせいだろうか。それとも、単に自分達が嫌われているだけか。
回線をつなぐと、年代物の仮想カロリック交換機がきしりながら動きはじめる。
動力チェーンに巻き取られたブラインドが上がり、ステンドグラスから意外なほど多量に光が投げかけられた。
貴重品のヒト用眼鏡の端が、不意の昼過ぎの日差しに光る。
反射的に目で追うと、感情のない瞳と目があった。
長い黒髪の陰から、何処か人形じみた整った容貌が藍人に向けられている。
「……………………?」
「あ……失敬」
愛想笑いで誤魔化して目を逸らそうとしたとき、突然にヒト奴隷の眼鏡の奥で瞳が揺らいだ。
―― 初めて向けられた、感情。
「……あなたは」
「……?」
「……あなたは、この世界に押し込められて、もう何年も奴隷で、……それで、平気なの?!」
―― 絶望と悪意とが、堰を切ったように吐き出された。
「いや、あの……?」
「……!…………!」
血走った瞳。
裏返った声。
回答を拒否した、窮させるための問い。
言いたいことは、藍人にも理解できた。
自分は運のいい例外だ。
通常は性風俗用、愛玩用、それに、食用。
この世界では、どうあがいても、結局はヒトは奴隷で。
魔法が自由に使え、筋力においてもヒトに数倍する"人類"が普通の世界。
"自由なる都市の空気"を憲章に掲げる同盟都市ナアトでも、本質的にはそれは変わらなくて。
それでも――
答えを迷う一瞬。
「うむ、さすがだな、二級時計士アイト」
「わ」
「きゃ、ちょ、お姉さま?!」
"隠行"の魔法が解かれ、黒いローブをまとったネコの女占星術師、ゴルゴラが忽然と現れた。
ネコ族独特のしなやかな動きに、切りそろえられた銀色の髪が褐色の肌に映える。
「ちょっと前まで子供だったのに…ヒトは成長が早いな。腕の方も頼りになる。あの無駄乳の弟子とは思えん」
「はは……どうも」
いつの間に潜り込ませたのか、藍人に話しながらも右手はリョーコの服の中でわきわきとくねらせる。
「そ、だめっ…………!今、いまは……」
口では健気に拒否するものの、リョーコはすぐに甘い吐息を零して、あっさりと崩れた。
腰を抜かしてもたれかかる肢体を素早く抱きよせ、ゴルゴラが左手で鍵盤を叩く。
入射角を修正する星座盤が、くるくると回る。
「うむうむ、いつもながら感度も良好」
「だ、めぇ…………み、見られ、て」
柔らかい首筋から耳朶を容赦なく舐るざらついたネコ舌に、細身のヒト女体は瞬く間に声を切羽詰らせていく。
「そして片手で操作できる親切設計♪」
「……!、!!ふ、あぁ……ぅ、!、むーっ、むむ、ぅ…………」
上気した肌がひくつきながら、沸騰したように熱をはらむ。ゴルゴラがリズミカルに打鍵する傍らで、涙で濡れた睫毛と瞳が忙しなく幾度も宙を彷徨う。
声を押し殺して食い締めた歯が早くも震えて、カチカチと音を立てる。
……何だか左手より右手が動いている気がするけど。今日に始まったことでもないし、まぁ、いいのか。いいのか?
「あ…えーと、席はずしますね」
「むぅ。せっかくアト坊に見せつけようと思ったのに」
悪戯っぽい仕草で目を細めると、改めてゴルゴラがリョーコを抱き直した。
「…ひっ……ひぅ、う、ま、まって、お姉さま……も……もう、私、わた、、わ、あ、ぁ…、ーっ!!」
加わった左手が脚の間へ動き、その奥にまで静かに挿し入れられる。
内腿から始まった痙攣はすぐに全身に伝染して、背筋が跳ねながら限界まで頤がのけぞった。
鼻にかかった泣くような嬌声を上げながら、黒のストレートロングが振り乱される。
「…!、!!………!、わ、あ、あわわわわっ…、ーっ!、ふ、ふーっーー!!……!、っ!、!!!………………………!…」
発作のように震える唇をゴルゴラのキスが塞ぐと、声にできない絶叫を上げる細い体がしなる。
胸元をかなり強めに捩じ上げられ、全身を驚くほどに引き攣らせながら、呆気なくリョーコが極みに達した。
ゴルゴラが手を緩めてからもしばらくは、脚先から頭まで波打つように痙攣が続いていた。
「ふぅ。さてリョーコ、済まないが下階で月震偏差計算をしておいてくれないか。ここは私がやろう」
「………は、はい、お姉さま」
あられもなくはだけた服をすばやく整えると、リョーコはゴルゴラに一礼して退室した。
リョーコの退出を見届けると、女占星術師は窓を開け、大きく伸びをした。
薄手のローブが透けて、引き締まった体のラインが浮かび上がる。
「良い子だろう?私が身請けして数ヶ月だが……たいへん優秀だ。付き合い難いかも知れんが……仲良くしてくれると有難い」
さっきまでとは打って変わった神妙な表情で、ゴルゴラが呟いた。
大仰に右手を舐めながら、おどけたようにゴルゴラが続けた。
「因みに、夜の反応もたいへん優秀だが」
「セクハラですが」
「アイトが最近遊んでくれないからだ。小さい頃はいろえろしてあげたのに」
「…!そ、そーゆーことは言わない方向で!てか、どっちかというと襲われたんだった記憶が?!」
カラカラと笑いながら休憩ブースに向かうと、ゴルゴラは水煙草を取り出した。
「大丈夫だ。言って置くが、リョーコとは合意の上だぞ?なにしろ、君らの技術との接触で得られるモノは、今やナアト産業の競争力でもあるからな。我々とて、尊重するにやぶさかではない。」
女占星術師の繊細な指が、手際よく乾燥葉を揉み解してゆく。
「アイト、それは君もだ。ヒトは滞魔しないから機器に誤差を出さないし、種族的に3原色見える。
毛皮やら羽が無いので、そこらにはさむこともない。我々としては、まさに理想的な技術者だ」
「……ありがとうございます」
天測窓の外では、入り組んだ外壁に行く手を阻まれた潮風が不貞腐れて屯しながら、海の匂いのする埃を巻き上げている。
「コモリグモ族のからくり技術、照準機や偏角測定器については精度がいいんだが、やはり占星術か交易商人向きだ。
それだけでは兎国の圧倒的なシェアには勝てない。ヒト族の手で改良してこそ、意味がある。手を焼かせると思うが、これからもエウと協力してがんばってくれたまえ。」
「了解です」
「ついてはさしあたり、私の昔の友人を救助に行って欲しいのだが、都合はどうだろうか?」
「……?」
ギアとカムがどこまでも続く騙し絵のような機械室の、ずっと向こう。
ゴルゴラが指差す先で、見覚えのある人影が糸にぶら下がってじたばたしている。
誰が ――
「よいしょ、よいしょ、これかなぁ?」
「…あよ?ええと、ええと、これがこうなって~」
「ひ~ん?!(涙)こ、こんどはこっちがぁ~?!」
――はい、あれは私の姉です。
体をよじっている間にさらに絡まったのか、両手と右足をまとめて胸の前で吊り上げるような珍妙な体勢で、踊るようにくるくると回っている。
「ね、姉さ……師匠?!」
藍人と目が合ったエウが、えへへ、と笑う。
「えーと、あのねあのね?お姉ちゃん、アト君のお手伝いしようかなーと思って」
「……アイトなら問題なく業務しているぞ。句読点含め5字以内で」
「からまった」
「い、今行きます!待ってて」
「……傭兵時代からの腐れ縁だが、糸に絡まる蜘蛛は貴様ぐらいだ」
「ちょっと動かないでくださいね」
「はぁーい♪」
さりげなくすりすりしてくる姉に動悸を隠しながら、藍人は結び目に取り掛かった。
幸いにして、絡まり方は軽い。
「ほどけますよー、よっと」
ほどなく、複雑に絡まっていた索が解ける。
「だっしゅつー!」
窮屈な体勢から解き放たれたエウは、自由になっていた左爪先で華麗にターン。
そのまま藍人を抱きしめようと腕を広げて、
――僅かに目算を誤って、床に激突した。
「……いだび。」
「気のせいです、きっと」
幸い(?)胸がクッションになったらしい。大したダメージもなく、エウはぱたぱたと服をはたいた。
差し込んだ日差しが強まって、埃がきらきらときらめく。
「??……それもそっか♪」
「納得するんだ?!」
「仲良いな、君ら」
やや呆れたように、ゴルゴラが呟く。
「あい、仲良し姉弟だよ~」
の し 。
エウが満面の笑みとともに、藍人の後ろから抱きついてきた。
馴染んだ弾力のある感触が2つ、頭の上に。
「……重い」
「ひどい?!お姉ちゃん重くないよ?!」
涙目でえぐえぐ抗議するエウをよそに、ゴルゴラが煙を吐き出した。
「仲が良いのは良い事だが……当分の間、身辺を警戒しておいてくれ。この間のトラの騎士団も、未だ嗅ぎまわっているらしい」
「騎士団?盗賊団の間違いでは?」
日差しと薄闇の間で、猫目がバネ仕掛けのように収縮を繰り返す。
やや砕けた口調で、機嫌よくゴルゴラが煙をくゆらせた。
「ん?おなじさ? 言わなくてもお金が入るのが騎士団。言えばしぶしぶながらお金が入ってくりゃ傭兵団。『料金の徴収』まで御奉仕大サービスで盗賊団。兼任してない奴なんざ、今まで見たことないね」
苦笑とともに吐き出された紫煙が、埃と日差しにからみついた。
「頭が出張りーの、上位護符使いーの、狙ったヒト奴隷一匹にまんまと逃げられましたあー……じゃあ、頭の面目丸つぶれさ。沽券にかけて追い回してくるだろうよ」
「…それって、逆恨みのような気が」
「そんなもんさね。大きな内戦が一段落してからここんとこ、傭兵仕事は買い手市場続き。狗鹿蛇の戦争大好きトリオに、ケンドル流行とやらで人減らしされた剣闘士。氏族争いで追われた狼が、一族郎党まとめて傭兵に鞍替えなんてのまである。競争相手が多いご時世、舐められたら食い扶持に関わんのさ。」
「……大丈夫。アト君は、私が守るよ。」
エウの長いしなやかな腕が、藍人を背後から静かに抱きしめた。
「…………重い。」
「ひどいよアト君?!重くないってば?!」
「君ら仲良いな、ブチ」
広島の方でしたか、ゴルゴラさん。
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螺旋を描く迷宮を進めば進むほど、その先にあるはずの終点は遠ざかっていった。
もう、輪郭さえも見えない。
螺旋の呪い。
覚えておいて欲しい、これは憎むべき欺瞞だ。
現在を贖いうるものが、現在しか有り得ないなどとは。
「朝ごはんは食べなきゃダメダメダメですよぅ~♪」
――tu-la,lalalala,tu-la,lalalala,
――――Tanec,Tanec Tarantella,
聞いている方が吃音りそうになるほどに、軽快に迸るリズム。
かなりガタのきた、暖房兼用の大きな魔洸オーブンの上。
台所の一角を占領する調理台の上で、小さなドーナツほどのマリオネット『繰り蜘蛛』達が、摘みたてのパセリを背に器用に走り回る。
――tu-la,lalalala,tu-la,lalalala,
――Pravo,tu-la,lalalala,
コモリグモ族に伝わる伝統技能、『繰り人形』。
女主人――にして、ヒト奴隷 藍人の"姉"――、エウリュアレの無造作にまとめた髪の下で、コモリグモ族の特徴である絡糸肢がぴこぴこと跳ねた。
ガラス色の糸をひきずった銀色の自動人形が、奇妙な旋律に合わせて短い八脚をふりふり、ぽてぽてと跳ねる。
――tu-la,lalalala,tu-la,lalalala,
――Leve,tu-la,lalalala,
遥々キンサンティンスーユから運ばれた住宅地の石垣をすり抜けて、内海の陽気な日差しが食卓を彩った。
穏やかな港町ナアトの朝。サー・ガエスタル区の外れ、コモリグモの時計人形店"アイギス堂"。
からくり時計とマリオネットを商う工房裏手の台所では、今日もエウリュアレが朝食の準備に勤しんでいる。
「ごくろぅうー、MB-4号君!では、パン粉とスパイスの投下に移りたまへ♪」
パセリをボウルに投下したあやつり人形達は、わらわらと踊りながらパン粉の袋に突撃を敢行し、よってたかって蝦の殻を剥いて、トマトを角切りに。
アルケールを入れた大鍋は、両端でシーソーのようにぶらぶらする繰り蜘蛛に揺らされて、カタコトと中をかき混ぜている。
――tu-la,lalalala,tu-la,lalalala,
まだ眠い、明度のない視界で、ちょこまか動く影絵が、騒々しい日差しを蹴散らかしていく。
ヒト奴隷、藍人はため息をついた。
普段はドン臭くても、こういうときのエウ姉は実に素早い。むしろ無駄に。
高い難易度の技術である『繰り蜘蛛』を同時に幾つも操りながら、自らもお気に入りの紺のエプロンを舞わせ、台所でくるくると立ち回る。
必要なのは、覚悟だ。今日こそは。
大きく深呼吸。はい、朝の新鮮な空気を吸って。
「……あの、エウ姉?今朝は俺が作るから」
「ぱぎゃーぁーあーーぁ」
「それにこういうのはやっぱり、ヒト奴隷にやらせ」
「ぎゃおうぅうーうーー」
なにやら威嚇された。
「もう、アト君は何でもお姉ちゃんの欲しがる。お仕事とらないで?」
よいしょ、と掛け声をかけながら、エウが鍋をオーブンに入れる。
―――tu-la,lalalala,Jed
メトロノーム代わりの歯車の音が、繰り蜘蛛の胴体で少しづつテンポを上げている。
お姉ちゃん指揮のオーケストラも、いよいよ佳境。
壊れたゼンマイさながら、エウの体さばきが徐々に勢いを増しはじめる。
―――tu-la,lalalala,Lek
紺のエプロンに刺繍された竜が、引き伸ばされて赤い螺旋の軌跡を描いた。
ミトンから手を抜いたと思えば一瞬、指の間にはスプーンとフォークがずらり。
手元が閃くと、獅子国製の陶器匙が飛びかって、寸分たがわずナプキンの上に並ぶ。
テーブルの上には手品のようにサラダが現れて、パンと白米が並び。
今日もいい天気だ。
タイマー代わりのトポガン鉄琴を弾くと、透明感のある音を立てて、ビー玉が規則正しく転がり落ちていく。
―― 現実逃避してもいい手が思いつかなかったので、取り敢えずもう一度深呼吸。
――――tu-la,lalalala,tu-la,lalalala,tu-la,lalalala,
「姉さん?」
厚手のエプロンのすぐ上。
エウの首から上が、体に振り回されながらカクカクと踊る。
目を閉じて、すやすやと寝息を立てながら。
「……うぁ゛?なんか、こげくさい?」
「姉ちゃん、髪、髪!とりあえず目、開けよう?」
「……ね、寝てない、お姉ちゃん、寝てないよ?(汗)」
――――tu-la,lalalala,tu-la,lalalala,lalalala,lalalala,lalalala…
,Tu--LA!
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Antidote
2danza tarantella
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スパイスの効いた美味しそうな匂いが、嗅覚をくすぐる。
今朝は蛇国風らしい。
とれたての食用蝦に、オーブンで焦がした醤の辛いソースが香ばしい。
虎国鉄道から近い手軽さが良いのか、はたまた自国に海がないせいか。沙漠蛇のグルメ達に、港町ナアトは人気が高い。
とある蛇邦の女王が食べに来たとかで、中でもエビチリはちょっとしたブームだ。
えっへん。律儀にわざわざ口で言いながら、エウリュアレがぽよん、とたわわに実った胸を張る。
「むーふ。今朝はアト君も大好き、ナアト式カリデシ・ギュヴェチだよー♪」
「うん、いつもありがとう。でも姉さん、それ柱時計だから」
「……し、知ってるもん。」
誠に遺憾ながら、姉の瞼の開花状況はまだ4分咲きです。
朝食の準備が済んでしまうと、台所での勢いは嘘のように消えた。
錆付いた時計人形さながら、エウが危なっかしい足取りでテーブルを巡って、ふにゃふにゃと席に着いた。
一瞬遅れて、クモ族の中でも特大サイズの乳が盛大に食卓にバウンドし、あたりを弾き飛ばす。
「あれ、アト君、たいへん、お姉ちゃんのスプーンどっかいったー」
「……高い確率で、どっか『やった』の。あなたが。そこのスープポットの裏とかない?」
「おお!ホントだ」
何が嬉しかったのか、寝惚け眼のエウがスプーンをぶんぶん振り回す。
「アト君は良い子だねえ?お姉ちゃんは鼻が高いよ♪」
……一応、時計技師エウリュアレ=アイギスと言えば、全土でも指折りのマリオネット匠のはずなんだが。
少なくても今は、性質の悪い居眠り中毒患者でしかない。
スプーンを並べなおしている内に、朝の時鐘が響いた。
近所の音叉塔たちが共振して、三々五々と磨り減った唸りを上げる。
――黒き聖母よ、食うものと食われるものとに、
――――等しき愛を注ぎたる慈悲ぶかく狂える母よ、
――――――今朝の贄にも一度の慈悲を
――――――――かくあれかし
もう意味すら忘れ去られた、古いナアト語。
交易が主体の自治都市ナアトでは、そもそもあまり宗教に熱意がない。
草創期、農村から流入した労働者たちがてんでに地元の神を持ち寄って、そのうち飽きて、やめた。
何もかもが風化した後、ごちゃまぜになった豊穣神を誰言うともなく最大公約数的に"黒聖母"とか"タランテラ"とか呼んでいる。
むにゃむにゃと食前の祈りを済ませたエウは、ゆっくりと重たげな瞼を開け、食事に取り掛かった。
「むふふ。朝はやっぱりぃ~アトシャーマのスコーンに~、未回収区の金香蜜~」
……すでに生地からジャムを練りこんであるスコーンに、微塵の情け容赦なくさらにどっちゃりシロップを。
「隠し味に九魔屋さんの蜜柿を~~」
……隠すという発想はどうだろう。ふりでも良いので。
藍人の感想もどこ吹く風、通常の3倍の糖分にも臆することなく、エウリュアレは顔中をべたべたにしながら「スコーン付き蜜柿」を頬張る。
あれだけ喰っても太らない蜘蛛族の体質、一部種族の女性には敵が多いのもむべなるかな。
「ふぁ、あおくん、おふぁああいふぁ?」
「いや、もうお腹いっぱい。。。てか、一応嫁入り前なんだし、食べてから話そう?」
「ふふーんら。ひほへてるんらひゃら、ひーはん♪」
歓喜の表情で咀嚼するエウの手元から零れたスコーンの破片が、机に乗り上げている巨乳に次々にバウンドしていく。
テーブルの下で、撒き散らされた欠片を拾いに蜘蛛たちが走り回る。
「……ほほへ、ひははひほん。あとひゅんはほあっへ?」
「…?」
今度のはちょっと、暗号化強度が高い。
何故か涙目で睨みながら、もきゅもきゅとエウがスコーンの残骸を飲み下す。
「…………どんふぁん」
誰がドンファンだ。
朝食を済ませると、念のため藍人は鞄の中の調律道具を確かめた。
「じゃあ、行ってきます。今日はゴルゴラさんの時計塔のメンテだけですから、エウ姉は寝なおして良いですよ。」
「んむ、心配だから、お姉ちゃんも行きますー」
ふーふーしていた兎血茶をむりやり飲み干すと、エウリュアレがよたよたと椅子から立ち上がろうとする。
「でも、もうそろそろ出ないと。来たければ、エウ姉は後から」
「や。」
「でも」
「やー。」
「だけど」
「むー。行くのぉー!」
「ちょ、大丈夫?」
「ぁよ?」
やっと半分まで開いた目元を袖口でぐしぐしとこすりながら立ち上がったエウは、すぐによろけて藍人にしがみついた。
――女性の平均身長が2メートルを超えるコモリグモ族に抱きつかれれば、必然的にヒト族の顔は胸のあたりに来て。
むやみに柔らかい何かが2つ、藍人の顔面を埋める。
「ちょ!姉さん、まず着替えよう、取り敢えず」
「むーむー♪」
甘えるようにエウがむずかるたび、エプロンの隙間、ボタンがずれた胸元から甘い匂いが零れ落ちる。
「こおおおおお!……アト君がッ!連れてくまでッ!ぱんつをッ!穿かないッ!」
「いや、それは穿こうよ!てか穿いてなかったのかよ?!」
「ぱんつ……それははかない」
「……何うまいこと言ったみたいな顔してるかな、この姉は」
「?どうだっけ」
「めくらない!」
「もう穿いてた」
「!……はやくしまって」
「しましまの」
「知りません」
「……あよ、藍人?しましま好きじゃなかったっけ?」
「何歳の頃の話だよ!てかパンツの柄まで関知しないよ!」
「アト君も大好き~あおい、しまぁーしーまー♪」
「…………降伏するので士官待遇を要求する。具体的にはせめてご近所に聞こえない程度に」
「あい」
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かつてナアトを取材したTVクルー曰く。
『ナアトとは、不屈の創造魂と飽くなき執念の、ついうっかりした計算間違い』なんだそうだ。
内陸側の沿岸。人工島のサー・ガエスタル区からは運河の反対側、乗合亀のゴンドラで6駅。
尖塔がその高さを競う"百塔区"。
高さも暦法も千差万別の高層塔が、群生した向日葵の花のようにずらりと数字盤を並べている。
海賊除けとも、古代の舞踊信仰の名残とも言われる入り組んだ街路が、塔の下で同心円のような模様を描く。
長距離交易でその基盤を築いた自治都市ナアトでは、航路算定に必要な天測・時計塔は社会的ステータスでもあるらしい。
――それにしたってこれは建て過ぎのように、藍人はいつも思うのだが。
中でも一際高くそびえ立つ、女占星術師ゴルゴラの時計塔の最上階。
静かに、音にまでならないサラサラした振動がして、動力軸が藍人の居る機械室を震わせた。
測定機器が詰め込まれた機械室では、数え切れないほどの大小さまざまの歯車と文字盤が、さながら星座のように軌道を散りばめられて。
「……早めにお願いします」
「はい、すぐ直しますね」
薄明かりの中、藍人は苦心惨憺しながら愚黄鉛の保護フタを外すと、自動蜘蛛を放した。
検証用の曳光糸を牽いた自動蜘蛛は、落ちモノ映画の喜劇王のように歯車から歯車へぶら下がりながら、薄闇へ奇妙な軌道を描いて消えていく。
アルゴリズムに問題はないようだ。分解掃除は去年したばかりだし、念のため油を差させて終わりだろう。
「とりあえず仮回線、つなぎます。動かしてみてください。」
「……はい」
機械室に隣接した執務室から、何処か棘のある声が返った。
真新しいビジネススーツと、入念に手入れされた長い黒髪。貴重品のヒト用眼鏡。
女占星術師ゴルゴラの愛妾ヒト"リョーコ"。ゴルゴラに身請けされて数ヶ月ながら、ヒト世界で学んだという経営手腕を発揮し、すでに事務一般を取り仕切っている。
不自然なほど白く細い指が、鍵盤を叩く。
配線箱の中で目まぐるしく回転する対数棒が、次々に組み合わされて。
表面に彫り込まれた魔洸経路が薄緑に輝いて、結果が画面に映し出される。
「…………動きました。」
「良かった、何よりです」
「……………………」
「あ…えーと、主回線つなぎますね」
そっとため息をつきながら、藍人は繰り蜘蛛を戻した。
ゴルゴラからの依頼で何回か会ってはいるが、リョーコは自分を含めた"ヒト"とは必要以外、決して会話をしようとしない。
事実上こちらの世界で育った自分とは違い、"落ちて"間が無いせいだろうか。それとも、単に自分達が嫌われているだけか。
回線をつなぐと、年代物の仮想カロリック交換機がきしりながら動きはじめる。
動力チェーンに巻き取られたブラインドが上がり、ステンドグラスから意外なほど多量に光が投げかけられた。
貴重品のヒト用眼鏡の端が、不意の昼過ぎの日差しに光る。
反射的に目で追うと、感情のない瞳と目があった。
長い黒髪の陰から、何処か人形じみた整った容貌が藍人に向けられている。
「……………………?」
「あ……失敬」
愛想笑いで誤魔化して目を逸らそうとしたとき、突然にヒト奴隷の眼鏡の奥で瞳が揺らいだ。
―― 初めて向けられた、感情。
「……あなたは」
「……?」
「……あなたは、この世界に押し込められて、もう何年も奴隷で、……それで、平気なの?!」
―― 絶望と悪意とが、堰を切ったように吐き出された。
「いや、あの……?」
「……!…………!」
血走った瞳。
裏返った声。
回答を拒否した、窮させるための問い。
言いたいことは、藍人にも理解できた。
自分は運のいい例外だ。
通常は性風俗用、愛玩用、それに、食用。
この世界では、どうあがいても、結局はヒトは奴隷で。
魔法が自由に使え、筋力においてもヒトに数倍する"人類"が普通の世界。
"自由なる都市の空気"を憲章に掲げる同盟都市ナアトでも、本質的にはそれは変わらなくて。
それでも――
答えを迷う一瞬。
「うむ、さすがだな、二級時計士アイト」
「わ」
「きゃ、ちょ、お姉さま?!」
"隠行"の魔法が解かれ、黒いローブをまとったネコの女占星術師、ゴルゴラが忽然と現れた。
ネコ族独特のしなやかな動きに、切りそろえられた銀色の髪が褐色の肌に映える。
「ちょっと前まで子供だったのに…ヒトは成長が早いな。腕の方も頼りになる。あの無駄乳の弟子とは思えん」
「はは……どうも」
いつの間に潜り込ませたのか、藍人に話しながらも右手はリョーコの服の中でわきわきとくねらせる。
「そ、だめっ…………!今、いまは……」
口では健気に拒否するものの、リョーコはすぐに甘い吐息を零して、あっさりと崩れた。
腰を抜かしてもたれかかる肢体を素早く抱きよせ、ゴルゴラが左手で鍵盤を叩く。
入射角を修正する星座盤が、くるくると回る。
「うむうむ、いつもながら感度も良好」
「だ、めぇ…………み、見られ、て」
柔らかい首筋から耳朶を容赦なく舐るざらついたネコ舌に、細身のヒト女体は瞬く間に声を切羽詰らせていく。
「そして片手で操作できる親切設計♪」
「……!、!!ふ、あぁ……ぅ、!、むーっ、むむ、ぅ…………」
上気した肌がひくつきながら、沸騰したように熱をはらむ。ゴルゴラがリズミカルに打鍵する傍らで、涙で濡れた睫毛と瞳が忙しなく幾度も宙を彷徨う。
声を押し殺して食い締めた歯が早くも震えて、カチカチと音を立てる。
……何だか左手より右手が動いている気がするけど。今日に始まったことでもないし、まぁ、いいのか。いいのか?
「あ…えーと、席はずしますね」
「むぅ。せっかくアト坊に見せつけようと思ったのに」
悪戯っぽい仕草で目を細めると、改めてゴルゴラがリョーコを抱き直した。
「…ひっ……ひぅ、う、ま、まって、お姉さま……も……もう、私、わた、、わ、あ、ぁ…、ーっ!!」
加わった左手が脚の間へ動き、その奥にまで静かに挿し入れられる。
内腿から始まった痙攣はすぐに全身に伝染して、背筋が跳ねながら限界まで頤がのけぞった。
鼻にかかった泣くような嬌声を上げながら、黒のストレートロングが振り乱される。
「…!、!!………!、わ、あ、あわわわわっ…、ーっ!、ふ、ふーっーー!!……!、っ!、!!!………………………!…」
発作のように震える唇をゴルゴラのキスが塞ぐと、声にできない絶叫を上げる細い体がしなる。
胸元をかなり強めに捩じ上げられ、全身を驚くほどに引き攣らせながら、呆気なくリョーコが極みに達した。
ゴルゴラが手を緩めてからもしばらくは、脚先から頭まで波打つように痙攣が続いていた。
「ふぅ。さてリョーコ、済まないが下階で月震偏差計算をしておいてくれないか。ここは私がやろう」
「………は、はい、お姉さま」
あられもなくはだけた服をすばやく整えると、リョーコはゴルゴラに一礼して退室した。
リョーコの退出を見届けると、女占星術師は窓を開け、大きく伸びをした。
薄手のローブが透けて、引き締まった体のラインが浮かび上がる。
「良い子だろう?私が身請けして数ヶ月だが……たいへん優秀だ。付き合い難いかも知れんが……仲良くしてくれると有難い」
さっきまでとは打って変わった神妙な表情で、ゴルゴラが呟いた。
大仰に右手を舐めながら、おどけたようにゴルゴラが続けた。
「因みに、夜の反応もたいへん優秀だが」
「セクハラですが」
「アイトが最近遊んでくれないからだ。小さい頃はいろえろしてあげたのに」
「…!そ、そーゆーことは言わない方向で!てか、どっちかというと襲われたんだった記憶が?!」
カラカラと笑いながら休憩ブースに向かうと、ゴルゴラは水煙草を取り出した。
「大丈夫だ。言って置くが、リョーコとは合意の上だぞ?なにしろ、君らの技術との接触で得られるモノは、今やナアト産業の競争力でもあるからな。我々とて、尊重するにやぶさかではない。」
女占星術師の繊細な指が、手際よく乾燥葉を揉み解してゆく。
「アイト、それは君もだ。ヒトは滞魔しないから機器に誤差を出さないし、種族的に3原色見える。
毛皮やら羽が無いので、そこらにはさむこともない。我々としては、まさに理想的な技術者だ」
「……ありがとうございます」
天測窓の外では、入り組んだ外壁に行く手を阻まれた潮風が不貞腐れて屯しながら、海の匂いのする埃を巻き上げている。
「コモリグモ族のからくり技術、照準機や偏角測定器については精度がいいんだが、やはり占星術か交易商人向きだ。
それだけでは兎国の圧倒的なシェアには勝てない。ヒト族の手で改良してこそ、意味がある。手を焼かせると思うが、これからもエウと協力してがんばってくれたまえ。」
「了解です」
「ついてはさしあたり、私の昔の友人を救助に行って欲しいのだが、都合はどうだろうか?」
「……?」
ギアとカムがどこまでも続く騙し絵のような機械室の、ずっと向こう。
ゴルゴラが指差す先で、見覚えのある人影が糸にぶら下がってじたばたしている。
誰が ――
「よいしょ、よいしょ、これかなぁ?」
「…あよ?ええと、ええと、これがこうなって~」
「ひ~ん?!(涙)こ、こんどはこっちがぁ~?!」
――はい、あれは私の姉です。
体をよじっている間にさらに絡まったのか、両手と右足をまとめて胸の前で吊り上げるような珍妙な体勢で、踊るようにくるくると回っている。
「ね、姉さ……師匠?!」
藍人と目が合ったエウが、えへへ、と笑う。
「えーと、あのねあのね?お姉ちゃん、アト君のお手伝いしようかなーと思って」
「……アイトなら問題なく業務しているぞ。句読点含め5字以内で」
「からまった」
「い、今行きます!待ってて」
「……傭兵時代からの腐れ縁だが、糸に絡まる蜘蛛は貴様ぐらいだ」
「ちょっと動かないでくださいね」
「はぁーい♪」
さりげなくすりすりしてくる姉に動悸を隠しながら、藍人は結び目に取り掛かった。
幸いにして、絡まり方は軽い。
「ほどけますよー、よっと」
ほどなく、複雑に絡まっていた索が解ける。
「だっしゅつー!」
窮屈な体勢から解き放たれたエウは、自由になっていた左爪先で華麗にターン。
そのまま藍人を抱きしめようと腕を広げて、
――僅かに目算を誤って、床に激突した。
「……いだび。」
「気のせいです、きっと」
幸い(?)胸がクッションになったらしい。大したダメージもなく、エウはぱたぱたと服をはたいた。
差し込んだ日差しが強まって、埃がきらきらときらめく。
「??……それもそっか♪」
「納得するんだ?!」
「仲良いな、君ら」
やや呆れたように、ゴルゴラが呟く。
「あい、仲良し姉弟だよ~」
の し 。
エウが満面の笑みとともに、藍人の後ろから抱きついてきた。
馴染んだ弾力のある感触が2つ、頭の上に。
「……重い」
「ひどい?!お姉ちゃん重くないよ?!」
涙目でえぐえぐ抗議するエウをよそに、ゴルゴラが煙を吐き出した。
「仲が良いのは良い事だが……当分の間、身辺を警戒しておいてくれ。この間のトラの騎士団も、未だ嗅ぎまわっているらしい」
「騎士団?盗賊団の間違いでは?」
日差しと薄闇の間で、猫目がバネ仕掛けのように収縮を繰り返す。
やや砕けた口調で、機嫌よくゴルゴラが煙をくゆらせた。
「ん?おなじさ? 言わなくてもお金が入るのが騎士団。言えばしぶしぶながらお金が入ってくりゃ傭兵団。『料金の徴収』まで御奉仕大サービスで盗賊団。兼任してない奴なんざ、今まで見たことないね」
苦笑とともに吐き出された紫煙が、埃と日差しにからみついた。
「頭が出張りーの、上位護符使いーの、狙ったヒト奴隷一匹にまんまと逃げられましたあー……じゃあ、頭の面目丸つぶれさ。沽券にかけて追い回してくるだろうよ」
「…それって、逆恨みのような気が」
「そんなもんさね。大きな内戦が一段落してからここんとこ、傭兵仕事は買い手市場続き。狗鹿蛇の戦争大好きトリオに、ケンドル流行とやらで人減らしされた剣闘士。氏族争いで追われた狼が、一族郎党まとめて傭兵に鞍替えなんてのまである。競争相手が多いご時世、舐められたら食い扶持に関わんのさ。」
「……大丈夫。アト君は、私が守るよ。」
エウの長いしなやかな腕が、藍人を背後から静かに抱きしめた。
「…………重い。」
「ひどいよアト君?!重くないってば?!」
「君ら仲良いな、ブチ」
広島の方でしたか、ゴルゴラさん。
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