ある昼過ぎ、一人のマダラがうちにやってきた。
小柄な、大層目つきの悪いネコの少年は、私の顔を見てにこりと明
らかな作り笑いを浮かべ言った。
「こちらの医院にマリノ・サルトーがいると聞いて来たのですがい
ますでしょうか」
「あ?」
「申し遅れました私はマリノ・サルトーの甥リズという者ですこち
らの医院にマリノ・サルトーがいると店の者に聞いて来たのですけ
れどこちらにお邪魔していませんか」
今度は一度も瞬きせず一息に言った。
黄緑色の瞳がじいっと私を見下ろす。160㎝もないだろうチビマダ
ラでもガンつけられるとけっこう怖い。てめえこのガキ私よりでか
いじゃねえか耳引っ張ってやるぞ!
しかし、私は、成人した、職を持つオトナだ。冷静に対応する。
「だれだ」
「リズです」
「違う。マリノ・サルトーとはどこのどいつだ」
「え?」
「え?」
彼がこてん、と首を横に倒す。そこではじめて瞬きしたようにも思
う。左右色違いの耳を一通り掻いてリズ少年が唸った。
「アンデセンさん、ですよね?」
「いかにも」
「え?あれ?三番通りの、服屋の…ネコ知りません?」
リズ少年は困惑した表情でまた唸った。
ふわふわとした黒髪に手を差し込み、白い方の耳の付け根をまたが
りがりと掻く。そこだけハゲるぞ。
ネコで服屋の知り合いは残念ながら一人しかいない。ヤツはそのよ
うな名前だったかしら、と考え私は少年の肩を叩いた。
「もしかしてアレじゃないか?」
私の指差した先、ここから十数メートルの位置にサバトラが見えた。
リズ少年はその方向を見た瞬間、走り出した。
というか、ほぼ跳んでいた。
彼を認めて、のんきに手を振るサバトラ。
相対するリズ少年はそこらのガキ並みの全速力で突っ込んで行く。
あまり速くはないがマダラだ、仕方ない。勢いそのまま身体を前傾
させ、彼の最大力であろうタックルがサバトラの腹部に叩き込まれ
る。ノーガードのサバトラはそれをまともに喰らい、傾ぐ。ひょろ
いジジイだ。
無情にもあの男は懐くリズ少年をぺいと投げ捨て、こちらに早歩き
でやってきた。
「こんにちはー、晩御飯何食べるか決まりました?」
「まだ昼飯も食べてない。」
「あ、っそうですか。インスタントラーメン食べたくって、買って
きちゃいました。コレ食べましょうよ。プリンも持ってきたんです
よ」
にまにま笑って水色の菓子箱を掲げる。
おお!某ぱのつく店のプリンではないか。先ほどのやりとりで蓋が
外れたりはしていないだろうか。私は確認するため箱を開ける。む
ふふバニラの良い香り。おお、よかった。無事だ無事だ。明らか三
人の量ではない12個入りだが、冷蔵庫に入るだろうか。
「ああ、そうだ。今お前が投げたショタにしては眼光鋭いマダラ少
年だが、」
「甥です」
玄関前の段差を踏み外しそうになった。
こいつは、甥を投げるのか。
まあ、家族の形はそれぞれだ。うんうん。それよりラーメンに入れ
る野菜を考えよう。今、チヨコがインゲンのスジをとっているから
…
「まーくんっ!」
「そういえば、お前マリノって言うんだったな。てっきりウエダだ
と思っていたよ」
「そうだろうと思っていました。ミラ先生」
やれやれ、というポーズを取るサバトラの足を踏む。
むかついたのでつま先をねじり食い込ませながら、マダラのリズ少
年と向き合う。
やや埃っぽいが、まあ仕方あるまい。
ラーメンは塩だ。チヨコがマダラを見て言ったのは「ねこみたい
な子ね」の謎の一言だけで、彼女は特に興味もないのかすぐ調理に
入ってしまった。彼はネコだよ。
チヨコとサバトラが揃うと、台所に私の居場所はなくなる。仕方
なく私はリズ少年と自分の茶を用意し、大人しくテーブルに着く。
チヨコは専用の小さなイスにもたれて調理する。右脚が太ももの半
ばからないためだ。義足ははいているが、座った方が楽らしい。
湯を沸かしている間に、鍋に油をひく。シュウウウ、という熱され
る音とともに香り油の匂いが漂う。コマ肉を軽く炒め、一度引き上
げる。それからハクサイとモヤシ(とチヨコが呼んでいる)を入れて
強火で炒め塩コショウで味付けする。このときに少量のラーメン
スープを入れるのがコツらしい。今日はハクサイがクタクタの気分
らしく、それに蓋をして少しの間煮込む。湯が沸いたらラーメンを
投入。肉を戻してからめ、でんぷん粉でとろみをつける。
それからラーメンを薄味で用意し、その上に野菜炒めを乗っけて完
成だ。
「なんかないか。腹が減った」
「たくあんのキンピラがあります」
「はいはい」
私より冷蔵庫の中身に詳しいチヨコの指示で、サバトラが壷をひと
つ持ってくる。まだ残る香り油の匂いにうっとりとしながら、ぽり
ぽり食べる。これが甘辛くてうまい、しかも酒に合うのだ。
ひとりで壷の中身を消費しそうな勢いだ。またチヨコに作ってもら
おう。
完成したラーメンが卓に運ばれる。忘れていたインゲンがちゃんと
乗っている。ひょこひょこと歩くチヨコの手にはフォークがあった。
「リズくん、お箸つかえる?」
チヨコはなんて優しいのだろうか、感動する。リズ少年は一度サバ
トラを見て、頷いた。
「ありがとう。フォークください。」
「お口にあうといいんですけれど」
フォークを受け取ったリズ少年ははじめてほんとうの笑顔をみせた。
目つきは悪いが笑うとけっこうかわいい。
チヨコが席につき「どうぞ」と言うと食事が始まる。器用に麺を
すする。ずぞぞっという音が彼女のドンブリだけからする。私とサ
バトラはもそもそだ。擬音するならばだが。
リズ少年はお祈りの途中だったが、サバトラに食べなよと言われわ
たわたと食べ始めた。
皆、無言で食べる。
サバトラが一番に食べ終わり、ドンブリを持って立ち上がる。リ
ズ少年、私、チヨコの順に食べ終わり水を飲む。あーうまかった。
箸休めのもやしにポン酢をかけたのを摘んでいると、今度は剥いた
リンゴが置かれる。ご丁寧にデザートフォークも人数分。だが私は
そのまま箸を刺すぞ。口の中がさっぱりして実に美味である。気の
利くリズ少年が食器を下げ、そのまま洗ってくれた。サバトラの血
縁と確認して遠慮はしない。
「改めまして、リズです」
「わたしはチヨコです。うぇ、マリノさんにお世話になっていま
す」
「ミラ」
チヨコがぺこぺこと頭をさげるのでリズ少年もそれに習い、ぺこぺ
こ合戦がはじまった。
「で、何しに来たんだ。まさか食事をたかりに来たわけではあるま
い」
「くだらない理由だったら窓から捨てるよ」
温厚な、むかつくことに滅多にペースを崩さない、サバトラがリズ
少年を見据える。これだけでリズ少年がどれだけヤンチャなのか想
像が付く。
リズ少年は背筋をただし、真横に座るサバトラを見た。
「キンコを教えてください」
「…うん?……きん、…こ……?」
「ナニソレハジメテキイタって顔すんじゃねえよ!もっもっ、もふ
ってやる!金庫だよエセ金庫せっえっふっ!セキュリティボック
ス!アンタの得意な手品だよ!」
「ああ、よじげんポケット」
耳と尻尾を逆立て膨らませたリズ少年が立ち上がる。
「大学生になったら教えてくれるって言ってたじゃん!もう卒業し
ちゃうんだけど!」
「卒業できるんだ、おめでとう」
大の男が精々中学生にしか見えぬマダラ少年に襟首掴まれカック
ンカックン揺らされるのは見ものだった。その動きを追ってチヨコ
が首を縦に振る。
チヨコはサバトラの持つ金庫に心当たりがあるらしい。かく言う私
もあるのだが。
私はリンゴの続きを食べた。これは先と品種が違い蜜が多くて濃い。
気が済むまで揺らされたサバトラはため息をつく。そして懐に手を
やりぶっとい油性マジックを引っ張り出した。
「マホーは苦手なんだけどね」
リズ少年の腕を取り、手のひらになにかを書き込む。リズ少年は
いささか興奮した顔だ。尻尾がぶるぶるしている。
書き終えるとリズ少年の口元にマジックをあてた。
「口あけて、飲め」
「え」
「ほら」
おずおずとリズ少年はマジックをくわえた。緊張の為か頬が高潮
している。飲めといわれて、飲み込める長さではない。決心したよ
うに薄い唇がマジックを食む様子は淫靡だ。
あー、と自身も口を開けながら診察のような気軽さでサバトラは咽
喉を覗き込みマジックを押し込んだ。
これは咽頭に当たる。痛い。
しかし、リズ少年は固く真っ直ぐであるはずのマジックを飲み込ん
だ。
嚥下。
「う。お、あああああああ!!飲んじゃった!飲んじゃったこれ!
大丈夫なの?大丈夫なの?おれ?」
「うるさい」
ぺし、とはたかれてリズ少年はやっと席についた。
チヨコが拍手をしながらリズ少年にたずねる。
「どうやって取り出すんですか?やっぱり下から?」
くさくない方法があると思うよ、チヨコ。
「適当にポケットにでも手、入れてみて。それでさっきのマジック
でてこーいって念じて」
「で、でてこーい」
素直だね、リズ少年。
「うほわああああ!!」
手ごたえを得たリズ少年がまた騒ぐ。ポケットから出した、その
手にはしっかりと飲み込んだはずのマジックが握られていた。興奮
するリズ少年の襟首をサバトラが掴んだ時、彼はやっと口に手を当
て黙った。だが、遅い。彼は本当に窓から捨てられてしまった。ブ
ラインドが下ろされた窓の向こうから情けない子供の声が聞こえる。
やっぱり中学生なんじゃないかな。
「手のひらに描いたのはなんでもないんですよね?」
チヨコは泣き言からシフトした恨み言が聞こえる窓を見つめながら
言った。
私も同じ方向を見る。リズ少年も玄関に回ればよいのに。
「魔法は、まじないは、集中力が基本だ。私とて薬を作るときなど、
少しは使う。強く認識して願うことが大事だと私は思っている」
おいしくなーれっ☆レベルだが。
リズ少年はラクガキで魔法が使えるように思いこむ。そして飲める
はずのないマジックを飲み込むことにより、そのマジックを強く印
象つける。チヨコの下から発言により、ポケットから出てくること
を願う。強引だが初心者にはとってもやりやすいな。
「魔法が使いたいんだったら、どこかに弟子入りでもすればいいの
にねえ」
だめだなこいつ、わかってないな。
サバトラの言葉にチヨコと顔を見合わせる。
リズ少年はまだ謝罪とともに窓をカリカリと爪を立て引っかいてい
る。昼間からホラーな窓の外だ。
もの言いたげなチヨコの視線に、私は苦笑して窓を開けた。
「玄関から入っておいで」
「…まーくん怒ってない?」
なんだこいつ、かわいい。あんなの怒ったうちに、はいらないだろう。
私は窓から身を乗り出し、リズ少年の頭を撫でた。
小柄な、大層目つきの悪いネコの少年は、私の顔を見てにこりと明
らかな作り笑いを浮かべ言った。
「こちらの医院にマリノ・サルトーがいると聞いて来たのですがい
ますでしょうか」
「あ?」
「申し遅れました私はマリノ・サルトーの甥リズという者ですこち
らの医院にマリノ・サルトーがいると店の者に聞いて来たのですけ
れどこちらにお邪魔していませんか」
今度は一度も瞬きせず一息に言った。
黄緑色の瞳がじいっと私を見下ろす。160㎝もないだろうチビマダ
ラでもガンつけられるとけっこう怖い。てめえこのガキ私よりでか
いじゃねえか耳引っ張ってやるぞ!
しかし、私は、成人した、職を持つオトナだ。冷静に対応する。
「だれだ」
「リズです」
「違う。マリノ・サルトーとはどこのどいつだ」
「え?」
「え?」
彼がこてん、と首を横に倒す。そこではじめて瞬きしたようにも思
う。左右色違いの耳を一通り掻いてリズ少年が唸った。
「アンデセンさん、ですよね?」
「いかにも」
「え?あれ?三番通りの、服屋の…ネコ知りません?」
リズ少年は困惑した表情でまた唸った。
ふわふわとした黒髪に手を差し込み、白い方の耳の付け根をまたが
りがりと掻く。そこだけハゲるぞ。
ネコで服屋の知り合いは残念ながら一人しかいない。ヤツはそのよ
うな名前だったかしら、と考え私は少年の肩を叩いた。
「もしかしてアレじゃないか?」
私の指差した先、ここから十数メートルの位置にサバトラが見えた。
リズ少年はその方向を見た瞬間、走り出した。
というか、ほぼ跳んでいた。
彼を認めて、のんきに手を振るサバトラ。
相対するリズ少年はそこらのガキ並みの全速力で突っ込んで行く。
あまり速くはないがマダラだ、仕方ない。勢いそのまま身体を前傾
させ、彼の最大力であろうタックルがサバトラの腹部に叩き込まれ
る。ノーガードのサバトラはそれをまともに喰らい、傾ぐ。ひょろ
いジジイだ。
無情にもあの男は懐くリズ少年をぺいと投げ捨て、こちらに早歩き
でやってきた。
「こんにちはー、晩御飯何食べるか決まりました?」
「まだ昼飯も食べてない。」
「あ、っそうですか。インスタントラーメン食べたくって、買って
きちゃいました。コレ食べましょうよ。プリンも持ってきたんです
よ」
にまにま笑って水色の菓子箱を掲げる。
おお!某ぱのつく店のプリンではないか。先ほどのやりとりで蓋が
外れたりはしていないだろうか。私は確認するため箱を開ける。む
ふふバニラの良い香り。おお、よかった。無事だ無事だ。明らか三
人の量ではない12個入りだが、冷蔵庫に入るだろうか。
「ああ、そうだ。今お前が投げたショタにしては眼光鋭いマダラ少
年だが、」
「甥です」
玄関前の段差を踏み外しそうになった。
こいつは、甥を投げるのか。
まあ、家族の形はそれぞれだ。うんうん。それよりラーメンに入れ
る野菜を考えよう。今、チヨコがインゲンのスジをとっているから
…
「まーくんっ!」
「そういえば、お前マリノって言うんだったな。てっきりウエダだ
と思っていたよ」
「そうだろうと思っていました。ミラ先生」
やれやれ、というポーズを取るサバトラの足を踏む。
むかついたのでつま先をねじり食い込ませながら、マダラのリズ少
年と向き合う。
やや埃っぽいが、まあ仕方あるまい。
ラーメンは塩だ。チヨコがマダラを見て言ったのは「ねこみたい
な子ね」の謎の一言だけで、彼女は特に興味もないのかすぐ調理に
入ってしまった。彼はネコだよ。
チヨコとサバトラが揃うと、台所に私の居場所はなくなる。仕方
なく私はリズ少年と自分の茶を用意し、大人しくテーブルに着く。
チヨコは専用の小さなイスにもたれて調理する。右脚が太ももの半
ばからないためだ。義足ははいているが、座った方が楽らしい。
湯を沸かしている間に、鍋に油をひく。シュウウウ、という熱され
る音とともに香り油の匂いが漂う。コマ肉を軽く炒め、一度引き上
げる。それからハクサイとモヤシ(とチヨコが呼んでいる)を入れて
強火で炒め塩コショウで味付けする。このときに少量のラーメン
スープを入れるのがコツらしい。今日はハクサイがクタクタの気分
らしく、それに蓋をして少しの間煮込む。湯が沸いたらラーメンを
投入。肉を戻してからめ、でんぷん粉でとろみをつける。
それからラーメンを薄味で用意し、その上に野菜炒めを乗っけて完
成だ。
「なんかないか。腹が減った」
「たくあんのキンピラがあります」
「はいはい」
私より冷蔵庫の中身に詳しいチヨコの指示で、サバトラが壷をひと
つ持ってくる。まだ残る香り油の匂いにうっとりとしながら、ぽり
ぽり食べる。これが甘辛くてうまい、しかも酒に合うのだ。
ひとりで壷の中身を消費しそうな勢いだ。またチヨコに作ってもら
おう。
完成したラーメンが卓に運ばれる。忘れていたインゲンがちゃんと
乗っている。ひょこひょこと歩くチヨコの手にはフォークがあった。
「リズくん、お箸つかえる?」
チヨコはなんて優しいのだろうか、感動する。リズ少年は一度サバ
トラを見て、頷いた。
「ありがとう。フォークください。」
「お口にあうといいんですけれど」
フォークを受け取ったリズ少年ははじめてほんとうの笑顔をみせた。
目つきは悪いが笑うとけっこうかわいい。
チヨコが席につき「どうぞ」と言うと食事が始まる。器用に麺を
すする。ずぞぞっという音が彼女のドンブリだけからする。私とサ
バトラはもそもそだ。擬音するならばだが。
リズ少年はお祈りの途中だったが、サバトラに食べなよと言われわ
たわたと食べ始めた。
皆、無言で食べる。
サバトラが一番に食べ終わり、ドンブリを持って立ち上がる。リ
ズ少年、私、チヨコの順に食べ終わり水を飲む。あーうまかった。
箸休めのもやしにポン酢をかけたのを摘んでいると、今度は剥いた
リンゴが置かれる。ご丁寧にデザートフォークも人数分。だが私は
そのまま箸を刺すぞ。口の中がさっぱりして実に美味である。気の
利くリズ少年が食器を下げ、そのまま洗ってくれた。サバトラの血
縁と確認して遠慮はしない。
「改めまして、リズです」
「わたしはチヨコです。うぇ、マリノさんにお世話になっていま
す」
「ミラ」
チヨコがぺこぺこと頭をさげるのでリズ少年もそれに習い、ぺこぺ
こ合戦がはじまった。
「で、何しに来たんだ。まさか食事をたかりに来たわけではあるま
い」
「くだらない理由だったら窓から捨てるよ」
温厚な、むかつくことに滅多にペースを崩さない、サバトラがリズ
少年を見据える。これだけでリズ少年がどれだけヤンチャなのか想
像が付く。
リズ少年は背筋をただし、真横に座るサバトラを見た。
「キンコを教えてください」
「…うん?……きん、…こ……?」
「ナニソレハジメテキイタって顔すんじゃねえよ!もっもっ、もふ
ってやる!金庫だよエセ金庫せっえっふっ!セキュリティボック
ス!アンタの得意な手品だよ!」
「ああ、よじげんポケット」
耳と尻尾を逆立て膨らませたリズ少年が立ち上がる。
「大学生になったら教えてくれるって言ってたじゃん!もう卒業し
ちゃうんだけど!」
「卒業できるんだ、おめでとう」
大の男が精々中学生にしか見えぬマダラ少年に襟首掴まれカック
ンカックン揺らされるのは見ものだった。その動きを追ってチヨコ
が首を縦に振る。
チヨコはサバトラの持つ金庫に心当たりがあるらしい。かく言う私
もあるのだが。
私はリンゴの続きを食べた。これは先と品種が違い蜜が多くて濃い。
気が済むまで揺らされたサバトラはため息をつく。そして懐に手を
やりぶっとい油性マジックを引っ張り出した。
「マホーは苦手なんだけどね」
リズ少年の腕を取り、手のひらになにかを書き込む。リズ少年は
いささか興奮した顔だ。尻尾がぶるぶるしている。
書き終えるとリズ少年の口元にマジックをあてた。
「口あけて、飲め」
「え」
「ほら」
おずおずとリズ少年はマジックをくわえた。緊張の為か頬が高潮
している。飲めといわれて、飲み込める長さではない。決心したよ
うに薄い唇がマジックを食む様子は淫靡だ。
あー、と自身も口を開けながら診察のような気軽さでサバトラは咽
喉を覗き込みマジックを押し込んだ。
これは咽頭に当たる。痛い。
しかし、リズ少年は固く真っ直ぐであるはずのマジックを飲み込ん
だ。
嚥下。
「う。お、あああああああ!!飲んじゃった!飲んじゃったこれ!
大丈夫なの?大丈夫なの?おれ?」
「うるさい」
ぺし、とはたかれてリズ少年はやっと席についた。
チヨコが拍手をしながらリズ少年にたずねる。
「どうやって取り出すんですか?やっぱり下から?」
くさくない方法があると思うよ、チヨコ。
「適当にポケットにでも手、入れてみて。それでさっきのマジック
でてこーいって念じて」
「で、でてこーい」
素直だね、リズ少年。
「うほわああああ!!」
手ごたえを得たリズ少年がまた騒ぐ。ポケットから出した、その
手にはしっかりと飲み込んだはずのマジックが握られていた。興奮
するリズ少年の襟首をサバトラが掴んだ時、彼はやっと口に手を当
て黙った。だが、遅い。彼は本当に窓から捨てられてしまった。ブ
ラインドが下ろされた窓の向こうから情けない子供の声が聞こえる。
やっぱり中学生なんじゃないかな。
「手のひらに描いたのはなんでもないんですよね?」
チヨコは泣き言からシフトした恨み言が聞こえる窓を見つめながら
言った。
私も同じ方向を見る。リズ少年も玄関に回ればよいのに。
「魔法は、まじないは、集中力が基本だ。私とて薬を作るときなど、
少しは使う。強く認識して願うことが大事だと私は思っている」
おいしくなーれっ☆レベルだが。
リズ少年はラクガキで魔法が使えるように思いこむ。そして飲める
はずのないマジックを飲み込むことにより、そのマジックを強く印
象つける。チヨコの下から発言により、ポケットから出てくること
を願う。強引だが初心者にはとってもやりやすいな。
「魔法が使いたいんだったら、どこかに弟子入りでもすればいいの
にねえ」
だめだなこいつ、わかってないな。
サバトラの言葉にチヨコと顔を見合わせる。
リズ少年はまだ謝罪とともに窓をカリカリと爪を立て引っかいてい
る。昼間からホラーな窓の外だ。
もの言いたげなチヨコの視線に、私は苦笑して窓を開けた。
「玄関から入っておいで」
「…まーくん怒ってない?」
なんだこいつ、かわいい。あんなの怒ったうちに、はいらないだろう。
私は窓から身を乗り出し、リズ少年の頭を撫でた。