猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

放浪女王と銀輪の従者09

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放浪女王と銀輪の従者 第9話

 

 魔法生物学者として生命とは何かと問われれば、清浄と汚濁のつづら折りだと答えるつもりでいる。
 その定義に従うのならば、この黒い石は汚濁の究極と言えるだろう。
 万物にして唯一。根源にしてなれの果て。錬金術の最奥によってのみ精製可能な完全物質。数多ある名を連ねるとするならば、ナタニエルの瞳、カーバンクル、柔らかい石、真なる黄金、などなど。そして、もっとも世に知られた名前で呼ぶならば、『賢者の石』。
 指輪程度の大きさでも城が建つような値段のそれが、大人の拳程度の固まりになって魔法陣の中心で静かに使われるのを待っている。だが、
「これだけあっても5服分がせいぜいだ」
「5服分って……つまり、五回使ったら終わりですか?小さい国なら丸ごと買えるほどの賢者の石を使って?」
 魔法儀式の準備・練習中に、ラケルに呆れられる。これだけの量の賢者の石を使用してたったの5服分。壮大な馬鹿だと自覚してはいるが。
「思いついてしまったからな。試さずに我慢できるほど、我輩、大人ではない。ほれ、これを読んで憶えろ」
「思いついたって……何ですかこの呪文。いや祭文ですか、これ?しかもウサギどころかネコやらイヌやらいろいろチャンポンだし」
「魔法は魔力を媒介にして意志を具現化する技術。そのもっとも原始的且つ根元的な姿が偉大なる存在への祈念だ。ここまで色々な種族の理論を組み合わせた魔法式には、そしてこの薬を作る為の呪文には、神への祈りの言葉が最もふさわしかろう」
「……あの、肝心な事聞いてなかったんですけど、いったい何の薬を作ろうとしているんですか?」
「ああ、言ってなかったか。この薬はな……

   *   *   *

二つの細い三日月がしめしろす暗い夜。荒野に赤く脈打つ光が灯った。
 ちょっとした小屋ならまるまる囲めそうなほどの広さに緻密に描き込まれた魔術式。蛍苔と血塊石の粉で描かれたのであろう、明滅する赤い魔法陣が荒野に灯った明かりの正体だった。
 その魔法陣を挟んで二人の女が跪いていた。片や長い黒髪にウサギの耳を持つ美女。片やオオカミの耳に猛禽の翼を持つ、これも美女。魔法陣の中心には拳ほどの大きさの黒い石とそれを囲むように五つの小瓶が置かれている。女達は互いに陣の中心を向き、精神と星辰を同調させるべく瞑想に入っていた。
 やがて同調に成功した二人が同時に立ち上がり、合図も無しに声をそろえて祭文を唱え始めた。
『あめつちあまたに宿りし 陰陽太極の霊に 我らが奏上つかまつる』
 オオカミが右に一歩。
「シャマシュに帰命し奉る」
 ウサギも右に一歩。
「シンに帰命し奉る」
「天照に帰命し奉る」
「月読に帰命し奉る」
「ラーに帰命し奉る」
「トトに帰命し奉る」
 一歩ごとにオオカミが太陽を司る神の名を、ウサギが月を司る神の名をそれぞれあげていく。
「アポロンに帰命し奉る」
「アルテミスに帰命し奉る」
「スーリヤに帰命し奉る」
「チャンドラに帰命し奉る」
 一柱の名を呼ぶごとに一歩。その一歩ごとに魔法陣の脈動は強くなっていく。
「イルダーナに帰命し奉る」
「ヘカテに帰命し奉る」
「ミスラに帰命し奉る」
「マーフに帰命し奉る」
 やがて二人が魔法陣を半周し、お互いの元の位置まで来たとき。そのたどった足跡が輝き幾何学的な模様を形作った。
『天地万物 陰陽合一 あまねく諸天よ精霊よ 無垢なる命に祝福を』
「天道金烏!!」
「冥道玉兎!!」
 光が渦巻く。
 魔法陣と足跡から放たれた光が、陣の中心へと収束して黒い石へと吸い込まれていく。
 その光の力を受けてか、黒い石は徐々に宙に浮き上がり、その形を完全なる球形へと変え――突如五つに分裂した。五つの黒球は導かれるかのように周囲に置かれた五つの小瓶に入り込み、そして、荒野に静寂が戻った。
「……成功ですか?」
「儀式はな。薬が成功しているかどうかは試してみなければわからん」
 おそるおそる質問する弟子に慎重に答えて、しかしどこか楽しそうにザラキエルは小瓶に蓋をして回収する。
「試すのは良いんですけど、どうやって試すんですか?……まさかご自分で?」
 ラケルのその問いに、珍しくザラキエルは戸惑い、しかしすぐに首を振る。
「まさか。どこかのカップルにでも協力してもらおう」
「協力してもらうったって、お師匠様にそんな知り合いがいるんですか?」
「ん、まあなんとかなるだろう。我輩、そういうのにはちょっと自信があるからな」


   *   *   *

 アディーナの夜の名物、屋台街。その一角で白いネズミのおばさんが黒糖を振った揚げパンを売っているのを見かけた。
 ……たくましいなあ。あの村がアディーナ属領に入ってからまだ二ヶ月だってのにもうこっちで商売始めてる人がいる。
 いや、もう二ヶ月と言うべきか。気球による山脈越えも成功し、多少トラブルもあったものの紙の買い付け交渉も契約がとれた。それからはもう、王宮の用意したメンバーへの訓練やら二号機の制作やら運用・整備のマニュアル作りやら。それがやっと昨日第二期メンバーの単独往復成功という形で報われ、めでたく試練クリアの認定をもらったわけだ。
「そんなに苦労した俺が自分にご褒美をあげるべくラーメンを食べに抜け出しても、一体誰が責められよーか?」
「わざわざ口に出して自分を騙そうとするくらいには自覚があるんれすね」
「そんな事実を指摘されても認めないぞぉ♪」
「流石れす、ますたぁ。強靱な精神力は自己欺瞞かられすっ!」
「あっはっはぁ、褒められるのは嬉しいなぁ」
 クシャスラとのやりとりに、道行く人があからさまに距離を取るけども、今日は気分が良いので気にしない。そんなことより今はビールとラーメン。いつもの暖簾をくぐると見知った顔が……四つ?
「うお?何でお前が?」
 驚いて無駄に長い角を屋台の低い屋根にぶつけるカモシカのマダラ、カルロと
「この国にいるとは聞いてたけど……、なんでこんなとこに食べに来るの?」
 小柄な白い巻き毛のイヌ、エリーゼ。
「なんだ、兄さんの知り合いかい?」
「あんれまあ。お客さん、ずいぶんと顔さ広いおヒトだなあ」
「え、あ、いやまあちょっとした知り合いで。あ、いつものお願い」
「あい、ただいまぁ」
 注文しながら二人の隣に座る。まさかとは思うけど……。
「一応確認しておきたいんだけども、俺とかサーラ様とかに用があってアディーナに来たのか?」
「いんや?たまたまだ、たまたま。この店来たのだってエリーゼが看板見つけて入ろうって言ったからだしな」
「いやー、看板見たらつい食べたくなって。そういえば、今日はご主人様は?」
「今は一人。後から来ると思うけども」
 其処まで話したところで、むわっと湯気の気配。おっちゃんが出してくる二つの丼。
「あいよ、担々麺とチャーシュー麺お待ち」
「お、来た来た」
 そう言うカルロの前には担々麺。たっぷりの練りごまの入ったスープに、これまたたっぷりのラー油。具に炒めた挽肉とゆがいた菜っ葉が彩りを添えて見た目だけでも食欲をそそる。ポタージュ並に濃ーいスープで誤魔化されてはいるが、かなりの辛口。いやむしろ激辛。顔面が溶け出すかと思うぐらいぶわっと汗が出る危険な一杯。でも、んまいんだよなぁ……。
「きゃー☆ほんとに厚切りー♪」
 旅慣れたイヌに存外可愛い悲鳴を上げさせたのは厚切りのチャーシュー(豚じゃなくてマトンらしいけども)。木綿糸できつく縛って煮込んだあれ……ではなく、香辛料を擦り込んで釜でじっくりと焼いた本当のチャーシュー。それが1cmぐらいの厚さで四枚乗っていて見た目だけでもお腹一杯。胃弱の人にはお勧めできないごつい一杯。
 そのぶ厚い肉を箸で持ち上げ、しばし恍惚と眺めてからおもむろに『はむっ』とかぶりつく。
「…肉、好きなんですか?」
「ああ、こいつすっげえ肉好き。三食ステーキでも平気とか言うし」
「肉食獣だなあ……」
 三食ステーキは正直引くわ。
「いいじゃないの。種族的嗜好をとやかく言わないで」
「種族的って……」
 ビールのジョッキを受け取りながらエステアさんとおっちゃんに目を向ける。蛇と猫。ともに肉食。
「エステアさんは一日三食ステーキ食える?」
「はい?えっと、オラはそのあの……」
 正直に言うと客の面子を潰し、さりとて嘘も付けないジレンマに、わかりやすくあたふたするエステアさん。「てきとーに誤魔化す」と言う発想がないんだろうなあ。
 あんまりいじるのもかわいそうなので、野菜を炒めてるおっちゃんの方にも話を振る。
「おっちゃんはどうよ?」
「俺の舌の基準を聞かれんのは、料理人として困るなあ。企業秘密ってことにしておいてくれ」
「あっ、オ、オラもだんなさまと一緒って事で……」
 苦笑しながら誤魔化すおっちゃんに、慌ててあわせるエステアさん。それをみて、まあ楽しくはないのかエリーゼさんが憮然とした表情を作る。
「ばればれの気配りありがとう。いーわよ、別に。肉大好きで恥ずかしいわけでもないし」
 ぶちぶち言いながらも箸は止めないあたりどうなのか。名うての女盗賊のプライドも食欲には勝てないってことか?いやむしろこの場合は単に……。
「エリーゼさん、もしかしてカレーライス好き?」
「好きよ?それがどうかした?」
「ケチャップたっぷりのスパゲッティも好き?」
「ええ」
「で、ピーマンとセロリは嫌いだったりする?」
「……何でわかるの?」
 ……単に、舌が、子供。
「カルロ、お前がエリーゼさんに惚れた理由が少しわかった気がする」
「わかってくれるか」
「え、何?なんで二人して分かり合ってるの?」
 驚くエリーゼさんから二人で示し合わせたように目をそらす。
 分かるまい。女子供には、言ったところで分かりはしまい。漢の萌えツボのことなどッ!!
「……まあ言いたくないなら聞こうとは思わないけどね」
「ああ、ねぇさんが聞いても、多分わかんないだろうなぁ」
「ご主人までなんかわかってるし」
 エリーゼさんとエステアさんを置いてけぼりにして男三人が軽く頷く。うん、主義主張や種族などを超えた理解は確かにある。明らかに駄目な方向だけども。
 と、そんなとき、唐突にカルロが立ち上がった。
「……わり、ちょっと席取っておいてくれ」
「どうしたの、突然?」
「いやちょっと便所に」
「あんらぁ、お客さん。そったらあちらの酒場で借りてくんさいな」
「お、ありがとな」
 そう言ってカルロが立ち、エステアさんは他のお客さんのご用聞きに、おっちゃんは料理に集中する。当然残されるのは俺とエリーゼさんの二人だけ。まあクシャスラもいるけども、目立つの嫌だしサーラ様に場所ばれてるしで食事中は引っ込めてる。
 なんつーか、妙に気まずい。まあ共通の話題もなければ特にフレンドリーに接しなきゃいけない理由もないので黙ってビールに集中……。
「ねえ」
「はい?」
 むこうから話しかけてくるとは思わなかったな……。俺に気がある?ないない、それはない。
 そのエリーゼさんは、口説くわけでもなく語るわけでもなく世間話を振りながら麺を手繰る。
「この国ってさ、意外に機械化が進んでるわよね。あの工場とか空飛ぶ乗り物とか」
「そうですか?噂に聞くシュバルツカッツェは魔洸とかいう不思議システムで路面電車が走ったりしてるそうですが」
 丼を受け取りながら、しゃべらないように心でクシャスラに命令する。何かに気付いた訳じゃない、ただの勘だけど、何かヤバイ。
「あそこは魔洸技術の聖地だもの。ル・ガルでも必死に追いつこうとしてるけど、あの血まみれフローラの才覚に匹敵するのが3人は出ないと追いつけないわね、技術では。魔法大国という意味ではアトシャーマも凄いわよ?なんせ都市が丸ごと魔法陣の上に乗ってて、それで国家丸ごと暖めてるんだから」
「へえー。そんなことまでできるなんて、魔法って凄いですね」
「凄いってほどでもないわよ。大陸の、いえ、この世界の基幹技術だから発達してるってだけ。ヘビの精霊だって、他の国から見たらとんでもないアーキテクチャよ?でも――」
 そこで一端言葉を区切って、チャーシューの最後の一切れをほおばる。もむもむと幸せそうに味わい、名残惜しげに飲み下して、たっぷりと焦らせた続きを言った。
「でも、あの工場からは魔力を感じなかった」
「……へえ、調べたんですか?」
「魔力感知は基礎の魔法よ?ま、それはそれとして、あの工場の中は魔力も使わずに手で織るよりもずっと速く布を作っている。これってちょっと凄いと思わない?」
「落ち物のコピーが成功したんじゃないですか?ヒトの世界には魔法を使わない機械がフツーにありましたし」
 まあ首輪姫なんて例外はいたけど工業生産に魔法が必要ないのは事実だしな。
「あなたが作ったんでしょ?あの工場を」
 不意打ちの一言に、思わず口に含んだ麺を吹きそうになる。が、後一歩のところでこらえて何とか飲み下す。
「なんでまたそんな無茶な……俺にそんな権利あるわけないでしょ」
「あら、魔法を使わないヒトの機械を作れるのは、やっぱりヒトだと思わない?」
 現在アディーナでの工業化を推し進めているのは、王宮で集めた学者達ということになっている。あの工場も気球も印刷機も、作ったのは『学者達』。なんでこんなしちめんどくさいことをしているのかと言えば、ヘビの面子と俺に対するテロ――つまりは拉致や暗殺――対策の二重の意味合いがあるわけで……。これがばれるのは、ひじょーにマズイ。
「こっちの住人がすべからく魔法に詳しいわけでもないでしょう?」
「でもあなたは王宮に出入りしていて、機械にも通じてる。あなたが関わっていないと思うほうが不自然よ」
「何を根拠にそんな――」
「あなたの使ってたつるまきバネ式のボウガン、ここの衛兵が使ってるのと同じよね?」
 ……しまった。たしかにそうだ。まだ全員にいきわたってるわけじゃないけど、それでも三人に一人ぐらいの割合で配備されている(しかも筋力の関係で俺よりも強いやつを)。そのうえで一般には出回ってないはずだから、俺が王宮関係者と見られて当然か。
 とはいえ、ばれたからってぶっちゃける必要もないか。
「あら、急に黙ってどうしたの?」
「……」
 相手が職業工作員だとすると、こちらから話を引き出すような会話は薮蛇か。ここは沈黙は金と決め込んでだんまりを貫く策でいこう。視線で悟られないように目は明かりによってきた蛾に合わせて――おや?羽を立ててとまってる?


「これ……蝶か?」
「見たことない種類ね。……あら、こっちにも」
「あ、ほんとだ……っ!?」
 気がつくと、一匹や二匹じゃない。それどころじゃないほどの蝶の大群が、屋根の裏、椅子の下、箸たての影なんかにとまっている。まるで忍び寄って包囲しているかのように!
 思わず立ち上がりかけた、そのときにはすでに遅かったらしい。蝶は一斉に飛び上が……。

 ぶわっと、視界に青い霞が広がる。いえ、霞じゃない!霞に見えるほどの濃密な蝶の鱗粉!
 とにかく風で……どこに吹き飛ばすというの?すでに周囲全部が青い蝶に囲まれているというのに!
「きゃああぁ……」
 お店の女性の悲鳴が上がって、すぐに尻すぼみに消える。青い霞の向こうに倒れていく人影。
 攻撃?でもだ、れが、あ、だめ。こ、れは、スリー、プ?

 

 ちょっと小便に行ってただけだ。
 たったそれだけの時間で、大通りの一角が青く染まっていた。
「なんだこりゃあ!?」
 よくみてみると、なんかちょうちょみたいなもんが飛び回って、そいつが青い粉を振りまいてやがる。沙漠には変な生き物がいるなぁ。
 ……って、見てる場合じゃねえ!エリーゼがあの中じゃねえか!
 突っ込んであの目立つ暖簾を探す。なんか人がいねえな。探しやすくていいけど。ああ、あった、あそこで飯食ってたはず――
 ……何だ、この眠気?これは、もしかして、粉、か?
 やばい、俺も、吸って……くそ、エリ、ーゼ……。

   *   *   *

 近くで一番栄えている都に潜入する――1日。
 その都で有力な奴隷商人にあたりをつける――半日。
 魔法医師という名目で雇ってもらう――1日半。
 房中術と医術と口車で大旦那をたらしこむ――3日。
 同じ要領で商会の全員をたらしこむ――1週間。
 そうして作ったコネで、実験台になりそうなカップルを探す――2週間。
 そのカップルを確保する――10分。
 実験結果はプライスレス。
「――お師匠様、生活力ありすぎです」
「そうか?人徳だろう。しかしヒトとイヌまで拾え……げふんげふん協力してもらえるとはな~♪やはり普段から品行方正な生活をしていると、いいことが起こるのだな。しかし、この顔はどこかで見たような……」
 裏通りを目立たないようにすすむ馬車の中で、顔を覆っていた布をはずしながら師匠の、なんというか、凄さをかみ締める。師匠と再会してから一ヶ月足らずでこれですか。
 人間力というか生活力というか、それに長けているのかそれともだめなのか。コツとか聞いても「それは、愛だ。愛をどう使うかが人間関係の鍵だ」とか言うし。というかこんなことができるのに学会追放されたりとかわけがわからない。
 というか、それがわからないから師匠みたいになれないのかな。
「一応言っておこうと思うんだが」
「は、はい?」
 寝ている犠牲――もとい協力者に小瓶の薬をかがせて起きないようにしながら、師匠が唐突に口を開く。
「我輩は天才だ」
「なんですかいきなり。てか自分で言いますか?」
 そりゃ否定はしませんけども、というよりも誰もそのことを否定する人はいないと思いますが。
「そして、天才はすべからく精神の奇形だ」
「……ご自分で言っちゃうんですか?そういうことを」
「だから憧れるな」
 言葉が出ない。私の考えていることを、もっとも簡単な忠告の形で言い当てた。
「師がそうだったからといって、弟子までそうなる必要はない。愛するのも尊敬するのも好意を寄せるのも恋するのも感謝するのも欲情を催すのも、逆に憎むのも恨むのも殺意を抱くのも絶海の孤島にある不吉な噂を持った洋館にあからさまな匿名で招待するのもいいとは思う。だがしかし、我輩に憧れるのだけはやめておけ」
 普段の自信満々の師匠からこぼれ出たとは信じられない、断絶の言葉。
「……奇形であることは、不幸ですか?」
「まさか!しかし、望んでなるものでもない」
 小瓶を懐にしまいながら――さすがに街中では目立たないように服を着ている――師匠がごとごと動く木箱に腰掛けて一息つく。
「それに、我輩みたいなのがもう一人増えるのは、世界平和のためによくないだろう」
 自重も自嘲も見せない顔で、ボケも突っ込みもできないようなことをいう師匠。
 自覚があるなら、もう少し穏便に生きましょうよ。


   *   *   *

 いつもどおり抜け出したサトルを追ってきて、大混乱に出くわす。
 夜の大通りはいつものとおり屋台と人でごった返していたが、それどころではないほど騒然としている。衛兵も駆けずり回って何かをしているようで、混乱は徐々に収まりつつあるようだが……。とりあえず捕まえて聞いてみるか。
「おい、何があった?」
「何だ、こっちは忙し…あっ、す、すいませんサラディン様」
「謝罪はいい。状況を」
「えっとですね、なんか沢山の虫が出て、それに集られたやつが倒れたって話で。今は死者が出てないみたいなんですが、それを確認するために駆けずり回ってるという状況です」
「虫?まだいるのか」
「今はいなくなったって話ですよ。それで、あの、こっちも仕事が……」
「ああ、すまなかった」
 返事を聞かずに兵士を放して「らあめんや」に走る。くそっ!一体何が起こっている?目的はサトルか?ありえなくはないが、この手口はなんだ?虫の精霊使い?いや、この手のありえない生き物を作るのはやはり奴か?しかしだとするなら目的は何だ?
 まとまらない思考をそのまま頭の中で流しながら、倒れた人々をよけて走る。ようやく着いた赤いのぼりの屋台にも、客であろう人々が倒れている。その中にサトルの姿はない。代わりに倒れているのは長く頑丈な角を持った……。
「何でこいつがこんなとこに?」
 近づいて顔に手をかざすと、安定した呼吸をしている。……もしかして、寝てるだけか?
「てりゃ」
「ぬごぼっ!?」
 背骨にこぶしで活を入れてやると、盛大にのけぞって跳ね転がる。
「いっっっっっっっってえぇぇぇぇぇぇぇぇえ!?」
「うむ、脊椎の痛点を結構本気でついたからな。痛かろう」
「殺す気かっ!……って、あれ?サトルのゴシュジンサマじゃねーか」
 存外早く痛みから復活しながらカルロが立ち上がる。
「こんなところで何をやっている?何があった?」
「いや、俺もよくわかんねーよ。そこで飯食ってて、便所いって、戻ってきたら蝶々だらけで……ってエリーゼ!!」
 跳ねるようにカルロが暖簾をめくる。中にはいくつかの食べかけの丼と、眠りこけたヘビの客。厨房のほうに目を向けるが、ご主人もエステアもいない。
「エリーゼ!?くそ、どこいったってんだ!!」
「ここにいたのか?」
「ああ、サトルもな。そういや、あいつもいないな」
「ご主人とエステアもいないな……あつまって失踪するような面子じゃない」
「ばっくれるだけならこんな派手なまねしねえよ!拉致られたに決まってるだろ!!」
 怒りに任せてカウンターに振り下ろされるカルロのコブシが、木の板にビキリとひびを走らせる。……ん?
「カルロ、その握ってるのはなんだ?」
「あ?」
 本人も指摘されて始めて気がついたらしい。手を開くと、奇跡的に死ななかった瀕死の虫がひくひくとその触角を動かしていた。
「ああ、これか。こいつが沢山飛び回ってなんか青い眠り薬ばらまいてたんだよ。とっさに掴んでたんだな」
「周りにはいないようだが」
「ん?そういやそうだな。まあ見たとおり魔法の生き物っぽいし、エリーゼ拉致った奴のところに帰ったんじゃねえか?」
 ま、確かに順当に考えればそうなるな。ということは、
「つまり、そいつが帰っていくところが、サトルの居場所ということになるな」
「……それはそうだな。けどよ、いくらなんでもこいつはもう飛べないだろ。ほかの奴を探すか?」
 確かにそのくしゃくしゃになった蝶はもう飛べそうには見えない。こうなると、虫の逃げていった先を聞き込んだほうが早いか?
 いやまてよ、たしかポケットの中に……。
「いや、そいつに一働きしてもらおう」
 そういって小瓶を取り出す。ラドン家に伝わる治癒の霊薬を。

   *   *   *

「くっくっく、目覚めるがいい被験者よ」
 闇の中に狂気を秘めた言葉が響き、ヘビの少女エステアを眠りから覚ました。
「……う、あ、ここは」
 いまだはっきりしない意識を首を振って振り払うと、だんだんと状況がはっきりとしてくる。窓のない石壁の部屋。暗い照明の中に倒れている自分を見下ろす人影を見つける。
 ――奇妙な、人影だった。
 白く、清潔そうな薄手のコートを全裸の上から羽織り、その頭は三角頭巾の覆面で隠した女。熟したボディラインを惜しげもなくさらし悠然と腕を組んで立っている。その姿を見て、エステアは一目で理解した。
「ひ、ひぃっ!変態さんだぁ……」
「うむ、よく言われる」
「あああ、しかもすっかり開き直っとるだ……」
 変態呼ばわりされて激昂するでもなく否定するでもなく淡々と認めるその人物に、人買いに攫われようとしたとき以上の恐怖を感じながら後ずさり、そこで気づいた。自分の体が縄で縛られていることに。
 しかも全裸で。
「ひィッ!?ま、まさかオラをこれから手篭めにするんだか?」
 田舎の出とはいえ、エステアも女同士で求め合う特殊な趣味が存在することは知っていた。だが、よもや自分がそれを迫られるとは想像もしていなかった。目の前の変態がいつでも自分を陵辱できるというこの事態に、エステアは生理的嫌悪感と絶望感を味わう。だが
「それもありだとは思うが」
「や、やめてくんろぉ!」
「本来の目的は、実験でな」
 そういって変態はコートのポケットから何かを取り出す。なにやら呪文の書かれた小瓶。
「じ、実験だか?」
 ことによっては陵辱なんか足元にも及ばないほど物騒な単語に、エステアの顔からさらに血の気が引く。それを目ざとく感じ取ったのか、変態は安心させるつもりなのか気楽に声をかけてきた。
「うむ、我輩の作った秘薬『愛の雫』の実験台になってもらおうと思ってな」
「あ、あいのしずく?」
 誘拐までして試す薬とは思えない名前に、むしろ禍々しさを覚える。だが、そんな感想などどうでもいいのだろう。変態はどこか芝居がかった声音で続けた。
「うむ、大陸の生物学を根底から覆す素敵なラブのメディシンだ。どれぐらい革命的かというと、かのリュカオン帝の256倍ぐらい。どのぐらいラブかというと、アトシャーマで生産される愛の年間生産量の1.5倍ぐらい。そんなステキドラッグの栄えある使用者第一号に君が選ばれたのだよ!光栄に思いたまえ、君の名前は将来の魔法学の教科書に載るぞ」
「……帰ってええだか?」
 びしり、と指差してハイテンションに宣言する謎の生き物。はたして会話が成立するのか、かなり不安だったがそれでも一応聞いてみる。激昂するかとも思ったが、返ってきたのは落ち着いた返答だった。
「うむ、実験が終わったら日常に戻ってもらってかまわんぞ。経過を観察しに行くが」
「も、戻れるだか?」
「そりゃそうだろう。いくらなんでも成人女性を一生飼い続けるのはコストがかかる」
「そげな問題?しょ、処分とか言って殺したりするもんなんでねえか?」
 言ってしまってから藪蛇かと思ったが、覆面の変態は呆れたような声で当然のように言った。
「何を言っている。人を殺すなんてのはよくよくのことだぞ?たとえ事情があったとしても、簡単にやって良いことではないだろう」
 説得力という言葉がある。
 言葉にこめられた意味を相手に納得させる力のことである。
 この日エステアは、説得力とは発言内容とまったく無縁であることを思い知らされた。
「さ、攫うのはええんだか?」
「この手のことは説明すると余計こじれるんでな、まあちょっと強引に」
「いったいオラに何させる気だ……んっ!」
「なあにすぐわかる。今は黙って飲んでもらおうか」
 手馴れた様子でエステアの鼻がつままれ、開いた口に小瓶が押し込まれる。どろりとした変に甘い薬液が気道に入りかけ激しくむせるが鼻と口をぴたりと押さえられて吐き出せない。仕方なくそれを飲み込むと、変態はすぐに手を離した。
 息苦しさから空気をむさぼる。その間にも、胃袋に入った薬がそこから体に吸収されていく感覚を覚える。意外に不快感はないが、それが逆に未知への恐怖をかきたてた。
 薬を飲ませた当の変態は、どこまでも気軽な様子でエステアをお姫様抱っこに抱えあげると、扉の向こうに声をかけた。
「よし。ラケル、開けてくれ」
「はい」
 オオカミかイヌらしき耳の女性が扉を開くと、そこも石造りの小さな部屋だった。
 ただひとつ今いる部屋と違うのは、大き目のベッドがおいてあり、そこに白いもこもこが寝かされていることだった。
「だ、だんなさまぁ!!」
 エステアの驚きの叫びに、ピクリとらあめん屋の主人の耳が動くがそれ以上の反応は見せない。だが、目覚めたところで意味はなかったかもしれない。彼もまた全裸で縛られていたのだから。
「どんな様子だった?」
「よく眠ってましたよ」
 変態がラケルと呼ばれた女性(よく見ると背中に大きな猛禽類の羽がある、まっとうでない生き物だった)に簡単に確認して、エステアをベッドに、つまり主人の傍らに優しく寝かせる。
「は?え?な、なぬを……」
 エステアの問いには取り合わず、変態は女性を伴って部屋を出る。
 あまりに突発的な事態とすぐそばの主人の体温にエステアが混乱していると、程なく部屋の中に声が響いた。
『あー、あー、テステス。本日は晴天なり。部屋の中のエステアさん聞こえてますかー?』
「へ?ああ、聞こえとりますけんども」
 先ほどの変態の、ややくもぐって聞こえる声にあっさりと答えてしまうのは生来の素直さゆえか呼びかける方の緊張感のなさゆえか。ともかくも、声が聞こえることを確認した変態はとことんマイペースにことを続ける。
『よーし、それじゃカウントダウンいくぞ。3、2、1、キュー』
「ん……。んん?」
 いったいいかなる魔法か、壁越しのカウントダウンに合わせて眠っていた主人が目を覚ます。
「ここは、ど。……おうわあっ!?」
 首だけめぐらして周囲を確認する途中でエステアを視界に入れ、慌てて背を向ける。
「だ、だんなさま、気がついただか?」
『うむ、ジャストタイミング。我輩の麻酔に狂いなし』
『魔法で調整しようとしないあたり、凄いのかダメなのか……』
 聞こえてくる声をとりあえず無視して主人の顔を覗き込もうとするが、白く長い毛玉はエステアと目をあわそうとしなかった。
「だんなさまぁ。無事だか?なんか体に悪いことでもされただか?」
 常成らぬ主人の態度に(といっても状況がすでに異常すぎるが)エステアが不安を掻き立てられ、縛られたままの腕で主人をゆする。だが、主人の変調は体ではなく。
「いや、体がどうじゃなくて、エステア、服!服!」
「――っ!!」
 自分の様子を思い出し、声に成らない悲鳴をあげてエステアがベッドの逆端で丸くなる。見られた恥ずかしさと、今同じベッドに寝ている恥ずかしさを意識して心臓が壊れそうなほど脈打つのをエステアは自覚した。
 そのまま何とか心臓が収まるまで時間が過ぎるのを待つ。主人も今のエステアと同じような格好で背を向けてその大きな体を丸めていた。やがて主人のほうが先に落ち着いたのか、先に口を開く。
「な、なあ。ここどこだ?何でおいらたち縛られてんだ?」
「えっと……」
 どこから説明したものか、というよりどう説明したものか言いよどんでいるうちに、変態の声が割り込んだ。
『おお、まだ縛っていたな。よし解こう』
 その声とともに、全身を縛っていた縄がはらりと解けて、ひとりでにするすると床を這っていく。そのまま部屋の隅でとぐろを巻くようにまとまると動きを止めた。
『さて、それでは実験の続きをしようか。ネコの方には起き抜けで悪いが、ちょっとセックスしてくれ』
「え?あ?はあああああああ!?」
「そそそそそそそそげなこといきなりいうもんでねっ!?」
『できれば中出しで3回以上』
「な、なな、なかなかなかなかな」
「お、おま、ちょ、何を言うかっ!?」
『……ん?なんか我輩変なことを言ったか?』
 まったくの自覚のない様子で変態の声が部屋の中に響く。エステアはもう言葉を出すことすらできずに湯気が出そうなほど赤面した顔を清潔なシーツに埋め、主人はあえてそちらを見ないようにしながら上半身を起こし大まかに天井に向かって叫ぶ。
「へ、変も何もどういう要求だ!?というかどの辺が変でないつもりだ!?」
『どの辺も何も、男と女を裸でベッドに入れておいて、それ以外の展開があるとでも』
「それ以前だ、それ以前!そもそもなんでいきなりおいら達にそれをさせる?」
『うむ、実験台として異種族同士のカップルが必要だったからな。この近辺でよさげなカップルで生活力や人間性などを鑑みた場合君たちが適任かと』
「……い、いや、ちょっとまて。別においらとエステアは、あの、今のところそういうあれじゃなくてだな」
 やや抗議の声が小さくなり、目を泳がせる白いネコ。ベッドの逆端に寝ている黒い肌に、なるたけ視線が行かないように気を遣いながらそれでも細々と抗議する。だが、明らかな失言を含んだ反論は、変態にとって待ち望んでいた隙に他ならなかった。
『ほほう、では彼女は君にとって魅力的ではないと?』
「そ、そういうわけじゃねえけどよぉ……。その、こういうことは、両方の好みがあれだろ?」
 言い訳じみたその反論に、変態の言葉が何故か止まる。代わりに、意外なところから意外な返事が来た。
 ふわ、と白い尻尾が軽い力で掴まれる。
 思わずビクッと身体がすくむと、握った手もそれを感じてすぐに引っ込む。
 背中越しにもぞもぞと動く気配。遠慮がちなその気配と同じような遠慮がちな声が、主人の耳に届いた。

「お、オラは……だんなさまとなら……」

 その一言が主人の脳の中で意味をなしていくにつれ、長い毛足の背中と尻尾の毛が逆立っていく。
 次の瞬間、エステアは電光石火の早さで白い毛皮に包まれていた。
 一瞬でエステアの目の前が真っ白に染まり、その中で大きな金色の瞳が彼女を見つめていた。問答無用で唇を奪われ、口の中をざらざらした舌にかき回される。貧相な身体は太くふさふさの腕に締め付けられ、あばらがみしみしと悲鳴を上げる。獣臭いネコの体臭が鼻孔から彼女の肺を満たす。
 情交と言うよりも捕獲に近いその包容に、それでもエステアは喜んだ。鑢のような舌に自分の舌を絡め、締め付けられる身体を必死に毛皮の胸にこすりつけ、牡の匂いを貪るように嗅ぎ、愛しい男から与えられる物を自身の限界まで全て受け止めようとしている。
 だが、エステアの身体が壊れるよりも早く主人が唇を離した。
 キスから、というよりも、酸欠から解放されて朦朧とするエステアに主人から責めるような言葉がぶつけられる。
「ば、ばかやろう!俺も男なんだからな!辛抱してたってのに、くそっ!」
「はうっ」
 ほぼ叩きつけるように、エステアの身体がベッドに押さえつけられる。主人がその首筋に食らいつき、傷つけない程度に歯を立てる。
「エステア、お前が、お前が悪いんだからな!お前が変なこと言うから、ええいっ!」
 言ってしまえば短く、どうということもない安っぽい言葉を、それでも避けるのは男の意地か度胸のなさか。だが、言われなかった言葉よりも雄弁に男の身体は動く。肉食獣特有の尖った牙とざらざらの舌が少女の乾いた滑らかな肌をちくちくと刺激する。皮膚だけではなく鱗の上も味見され、羞恥に少女の鼓動が早くなる。
 肉球のある指先が肉付きの薄い胸から腹の上をはい回る。なだらかな曲線に沿って撫で回し揉み回し、その感触を確かめる。愛撫と言うよりは盲人が手探りで形を確認しているような動きで少女の身体がこねられていく。
「は、ふうぅ……」
 白いネコは無言で味わう。ヘビは時折ため息を漏らしてそれを受け入れる。余り上手いとは言えないがっつくだけの愛撫の前に、少女はやはり快感よりもまさぐられる恐怖の方が勝るらしい。ぎゅっとつぶった目の端に涙を浮かべながら身体を小さく震わせる。だが、それでもその行為を拒否しないのは、恋慕の情なのか。それとも『男に求められる』という事を喜ぶ牝の本能か。
 顔や首筋を舐めていたネコの頭がゆっくりとずり降り始めた。ちゃぷちゃぷと舌と唇で乳肌を舐めつつその頂点に向かう。その意図を察した少女が小さく息を呑んだと同時に、こぶりの乳首がくわえらえた。
「や、むぅっ!!」
 出しかけた声を反射的に押し殺して少女の身体がこわばる。今までの愛撫の中にはなかった、初めての純粋な快感。寒い夜に屹立したそこが服に擦れたことはある。水浴びなどをしているときに触れてしまったときはある。それと同じ感覚が、それとは比較にならない強さで彼女を襲った。
 立て続けに牙の先端がふにふにと甘噛みされる。唇で固定されて鑢のような舌で撫で上げられる。そのたびに甘い刺激が少女の脳幹に叩き込まれる。
「んーっ、んーっ!」
 イケナイコトをしている、という子供じみた背徳感と羞恥心に喘ぎ声を必死に殺す。だが、両腕は彼女の自覚のないままに白い毛玉を抱え込み自らの胸に押しつけてしまう。
 押しつけら得た胸に、というよりも頭を抱えられたその反応に、主人はますます興奮してしまう。けなげで純朴な少女が快楽を求める姿に欲情が煽られ、もっと乱れた姿を見てみたくなる。その欲望に素直に従った指先が、少女の内股に分け入った。
「ひゃう!?」
 反射的に閉じた細い太ももが白い毛むくじゃらの侵入者を拒もうとするが、膂力の差か強引に割って入られる。そして肉球の指先が肉丘に触れた。
「ん?」
 指先に感じる柔らかくつるりとした感触に疑問を憶え、主人が胸から顔を離してそこを覗く。
「生えて……ねぇのか?」
「ひゃ、な、何がだか?」
 ヘビは種族的傾向で体毛が薄い、と言うよりもほとんど無い。そこが無毛であることも珍しくない、というよりむしろ生えている方が珍しいのだが、ネコの主人がそんなことに詳しいわけもなく。そして生えてないことを当然と思うエステアがその驚きを理解できないことも当然ではあった。そして、それが主人の興奮を誘うと言うこともエステアには理解できなかった。
「きゃ、きゃあああ!!」
 弾かれるように主人が少女の両足を力ずくで開き、其処に鼻先を埋める。股間にこもった体臭と恥垢と尿の臭いが主人の嗅覚に叩きつけられる。
「や、やっ、そっただところ臭ったらだめだぁ!そんなひぐっ!?」
「すげぇ……いやらしい臭いだ…エステア…」
 文字通りの乙女の秘部に顔を埋められ匂いまで嗅がれて、エステアの頭が恥ずかしさではち切れそうになる。さらに、主人は匂いを嗅ぐにとどまらず、顔面をこすりつけて、尻の穴にまで舌を伸ばしエステアを味わい尽くそうとする。
「エステア…エステア…エステア…」
「あっあっ、や、やめてくんろぉ……ひああぁぁ」
 うわごとのように名前を呼ぶ男に止めるよう懇願するが、エステアは脚を閉じようともせず手で顔を隠してイヤイヤをするばかりだ。恥ずかしければ逃げればいいものを、名前を呼ばれるたびに脚から力が抜けていき動けなくなる。
 主人はエステアのそこを唾液でべとべとになるまで嬲り尽くすと半身を起こした。そのまま膝立ちでにじり寄ると、少女の目に先走りでてらてらと輝く肉筒が目に入る。白い毛並みを割ってそびえ立つ血管の浮いた赤黒いそれは、生殖器官と言うよりももっと暴力的な筋肉のかたまりを思わせる。まるで戦につかう矢の様に『かえし』の棘まで付いていて、それで人を刺し殺せると聞いたら信じてしまえそうな迫力がある。
 その凶暴なかたまりに手を添えて、主人がエステアの入り口に押しつける。その目からは普段の優しさや余裕などは欠片もうかがえない。ただ、獣欲だけが男の身体を支配していた。
「ひ……」
 思わず悲鳴を出しそうになる口を、エステアは自分で押さえた。望んでいたことだと自分に言い聞かせ、身を捧げる覚悟を自分の中から掘り起こそうとする。だが、その覚悟が決まらないうちに男が押し入った。
「――っ、ああああああああぁぁぁぁぁあああっ!!」
「――ふうっ!」
 想像を遙かに超える痛み。それこそ心臓に白木の杭でも叩き込まれるような痛みが少女の身体を貫く。初めての膣肉は男を阻もうと懸命に閉じようとするが、そんな努力を意に介さず凶器はぐりぐりと押し込まれる。やがてその根本まで押し込まれ、褐色の肌と白い毛皮が重なった。
「うああ……」
 あまりの痛みにエステアが子供のように泣き出した。その泣きじゃくる少女の身体に白いケモノが覆い被さる。牙の生えた口がうわずった声で謝罪を囁く。
「悪ぃ、エステア。辛抱ならねえ」
 そのおざなりな謝罪の言葉の直後、荒々しい抽挿が始まった。
「あっあがっ、いだっ、うあぁん、あ゛あ゛!!」
 初めて男を受け入れて引き裂かれた其処を、ネコの棘つき男根が容赦無用にかき回す。激痛にオーバーフローしたエステアは何も感じることはなく、ただ肉体が反射的に悲鳴を漏らす。その無惨な少女の姿に嗜虐心を刺激されるのか、獲物をいたぶるネコの性か、主人はよりいっそう力強く腰を使う。
「エステア、エステア、えすてあぁっ!」
 名前を繰り返し、少女の身体を抱きしめる。頭の鱗に舌を這わせ、背中から脇の下に左手を入れ、右手で尻を鷲づかみにする。まるで壊れてしまったかのように断続的に悲鳴を上げ続ける少女を、壊れてしまったかのようにがむしゃらに求め続ける。だが、その興奮も長くは続かなかった。限界が近づき、男根が膨張する。その気配に恐怖心を刺激されたのか、少女の瞳にわずかに光が戻った。
「ひ、ひうっ!?」
「あ、ああっ、出すぞっ!!」
 宣言が終わるやいなや、男根の先端が、つまり少女の最奥が爆発した。盛大に射精された精液が、先ほどまで処女だった田舎娘の子宮にたっぷりとたまっていく。
 どくんどくんと脈打つ射精のリズムに合わせて、二人の身体もびくんびくんと震える。やがてそのリズムが小さくなり、折り重なったままで動きが止まった。
「ああ、あ……」
 エステアは、もう泣いてはいなかった。体内に注ぎ込まれる熱にどこか満ち足りた感覚を味わっていた。身を引き裂かれるような痛みはまだあるが、慣れたせいなのか激痛がにどうでもよく思える。
 そんな忘我の縁をさまようエステアに、主人の声がかけられた。
「なあ、エステア」
「あぃ……だんなさまぁ……」
「おいらの嫁になってくんねぇか?」
「ぇ……」
 華奢な背中に回された白い腕が微かに震えている。長い時間を過ごしてきたはずの、男の声が震えている。
「ほんとに勝手な話だけどよ、ひとりぼっちでこっちまで流れてきてよ、今まで生きてくのに必死でよ、気付かないでいたってのに。お前を抱いたら、気付いちまった」
「だ、だんなさ……」
 声を上げようとした少女の頭を胸にかき抱いて言葉の続きを止めた。
「おいらぁ、寂しかったんだなぁ」
 しみじみと、だが、震える声で大きなネコの主人が小さなヘビの少女に縋り付く。
「故郷(クニ)にゃあいられなくなってよ、ここまで逃げてきてよ、誰にも追って来れないとこまで来てよ、まわりは全部ヘビでよ、ネコなんかいるはずもねえからよ、望んでここまできたってのによ……」
 褐色の細い腕が、白くたくましい背中に回される。それに気付いているのかいないのか、告白は続く。
「もう、一人にゃ耐えられねえんだ……。傍にいてくれ……」
 たくましい腕に抱え込まれた柔らかい身体が、もがきながら這い上がる。その動きに、力を入れ過ぎていたことに気付いた腕から力が抜ける。鎖骨の上まで頭を出して、エステアは一息吐いてからこたえた。
「喜んで、いさせてもらいますだ。だんなさまぁ……」
 白いケモノがむせび泣いた。
 小さなヘビも釣られて泣いた。
 泣いたまま、二人とも眠りに落ちていった。


   *   *   *

 ――地下室?
 目を開けているはずなのに、真っ暗。いえ、細い隙間からわずかに光が漏れてるから、真っ暗じゃない。よどんだ空気。わずかな音の反響から感じる圧迫感。まず間違いなく地下室。
 耳を湿った床に当てて音を探る。
 同じ部屋にいるであろう、誰かの呼吸音。扉があるだろう方向に時折通るであろう歩哨の足音。
「あ、あー、あめんぼあかいなあいうえお」
 歩哨が遠のいたタイミングを見計らって小声で声が出ることを確認。よし、これで簡単な魔法なら使える。
「真なる円形 巡る暦 高みの者 我が意に添いて 踊れ 漂え ライト」
 即席の魔術式で組んだ輝く球体を天井近くに漂わせる。そうしててらした部屋の中は、やはり地下室のようだった。窓のない石組みの部屋。近くに転がされているのは、サラディンの従者。手首と足首を縛られた状態でなにやら夢にうなされている。
 私も同じように縛られていて、魔法の腕輪と腰の剣が取られている。他に何かされているのかもしれないけど、とりあえずわかるのはそんなところかな。
 さて、これからどうしたもんかな。攫う手管の割にはどうにも手ぬるい対応、というか、起きたら犯されてたぐらいのことは覚悟してたんだけどもそう言った様子もないし、ここにいないって事はカルロが一緒に捕まったってわけでもないのよね……。
 犯人の正体も目的も判ってない以上、一刻も早く逃げた方が良いわね。となれば……。
「もしもしー、起きてー」
「……だめです、それは飲めません……問題は味じゃ……ピンクの髭はいやぁぁ……」
「てりゃ」
「ぼふっ!?」
 なにやら良くわからない寝言を言っていたサトルの脇腹に諸手手刀で活をいれ……たんだけど……。なんか横隔膜の良いところを付いちゃったみたいでえづきながら身もだえてるんですが、大丈夫かしら。
「もぷっ!もぷっ!……うう、あ。なんだここ?」
「ああ、無事みたいね。どうやら眠らされて捕まったみたいよ」
「なんか右脇腹の肋骨の隙間を縫って、内臓に衝撃を突き込まれたかのようなダメージがあるんですけど」
「ああ、それ私。うなされてるみたいだから起こして上げようと思って」
「……それはどうも。ってか、ごまかしすらしないのか……」
 呻きながらサトルが上半身を起こして周りを、というか部屋の中を見回す。それに私が掴んだ状況を伝えてあげると、大体理解したようだった。
「……じゃあ、とりあえず縄だけでも何とかしますか。クシャスラ」
「あいあいさ~♪」
 舌っ足らずな声とともに精霊が現われると、縄を……切るわけではなく、ブーツの踵に仕込んであるらしい、小指に引っかけるタイプのリングナイフを抜いて術者に手渡した。
「わりと抜けてる連中ですね。身体検査でブーツを見逃すなんて」
「……魔法で切る訳じゃないのね」
「いや、まあ。魔力の節約ってことで」
「くしゃすら、鉄とますたぁ以外のものに触れないれすからねぇ」
「まあ、ロープが切れるなら何でも良いけどね……」
 程なくロープがはずれて、身体を伸ばしてほぐしてみる。予想以上に凝ってないなー。サトルも顎のあたりを撫で回して不審な顔をしていた。
「捕まって、それほど経ってないみたいですね。髭が伸びてない」
「みたいね、縄の痕も大したこと無いし。……んで、どうする?」
「そりゃ脱出でしょう。相手の出方わかんないし、早く帰らないとサーラ様に怒られるし。クシャスラ、扉の鍵がどんな感じになってるかわかるか?」
「ん~、青銅の金具にごっつい木の閂を外からかける仕組みれすね~」
 すでに精霊をぶ厚そうな木製の扉に突っ込ませて扉の構造を探っているらしい。精霊を見とがめられないのか心配になったけど、地下の薄暗い視界に半透明の姿ならそんなに目立たないか。にしても、閂とはね……。
「ちょっと原始的すぎて対処に困るわね」
「サーラ様なら裏側から閂切り落とせるんですがねえ」
「カルロならヤクザキックの2,3発でぶち抜くんだけどね」
 むう、お互い相方のパワータイプがいない状態なのね。おまけにサトルは装備の大半を持ってないみたいだし、私も腕輪を取られてるし……どうしよ。
「……古典的だけど、ここはあの手かしら?」
「あの手?……ああ、あれですか?」

 

 彼は正直に言えば退屈していた。牢屋の前の通路を行ったり来たりしているのも別に職務に忠実だからと言うわけではない。単にそうしていないと退屈で眠ってしまいそうだったからだ。
 退屈しているのは余り危険のない仕事だという事もある。戦慣れした凶悪犯を閉じこめておくような監獄ならいざ知らず、食い詰めた親に売られた子供や戦火で身寄りを無くした借金漬けの女や無力なヒトなどを閉じこめる奴隷用の牢屋にどれほどの危険があろうか?少しばかり反抗的でも腰に吊した棍棒で少しばかりこづき回してやれば大人しくなるものだ。むしろ不潔さやストレスで奴隷が病気にかかる事の方が見張りとして心配なぐらいだった。
「きゃああ!やっ、やめてえ!」
「ど、どうせ死ぬんなら最期に一発やってから死んでやるぅ!」
「私には夫がいるのよ!」
「そんなの関係あるかっ!」
 なのでこんな声が聞こえてきたとき、むしろ彼は喜んだ。先ほど客人が、運び込んだイヌとヒトの部屋からだ。余り手荒なことはするなと言われてはいるが、この事態にかこつけてヒトを叩きのめしてイヌの女で楽しませてもらうのも悪くない。その後でヒトのせいにしてしまっても良いだろうし、ばれたところで大した罰があるわけではない。
「オラオラ、奴隷同士でさかってんじゃねー……ぞ?」
 喜びを隠しきれない声で閂を外し中に入る、すると其処には泣き崩れたような姿勢のイヌの女だけがいた。ヒトがいない。それを疑問に思った瞬間、脳天から突き抜けるような衝撃を受けた。

 

 あれ?やけに軽いわね、この棍棒。……ああ、中をくりぬいて軽くしてあるのか。なるほどね、商品を痛めつけても傷つけない為の道具なんだ。
「他に使えそうなものはないわねー」
「やっぱりそうですか」
 サトルに見張りを任せて、縛り上げたヘビを身体検査。使えそうなのは棍棒一振りだけ。財布の中身も銅貨が少々のみ。
「これ、私がつかっちゃっていい?」
 警棒をぷらぷらさせて聞いてみると、先ほどまで天井にぶら下がる為に使ってた楔(魔法で膨張させるのが抜き差し自在の秘密とか)を見せて答える。
「いいですよ。俺にはブーツがありますし、クシャスラもいます」
「ありがと」
「さて、次はどうします?他の奴隷も解放して反乱を煽るってのが定石だと思いますが」
 見張りの「奴隷」って単語を聞き逃してないでやんの。分かってたこととはいえ、相当の場数を踏んでるわねー。まあそれはそれとして。
「捕まってるのが盗賊とか海賊とか過酷な条件で働かされてる肉体労働者ってんならともかく、人買いに買われるようなのだと、戦力としてはあてにできないわね」
「んじゃあ、俺達だけで脱出ってのが無難なとこですかね」
「……そうね。腕輪は惜しいけど、どこにあるかわかんないし。脱出最優先で、後はケースバイケースってことで」
「そいつに聞けば良いんじゃ?」
 そう言ってサトルがのびた見張りを指さす。ま、それはそうなんだけど。
「呼吸は安定してるんだけど目を覚ます様子がないのよね。起こすのに手間取ってると交替が来たりして状況悪化しかねないし、早く動いた方がいいと思う」
「んじゃあ、その方向で」


   *   *   *

「呼吸、心拍、ともに安定です。お師匠さま」
「治癒の符も問題なく機能してるみたいです」
「ようし、それではいくぞ。天地玉兎、生命解析」
 お師匠様が囁くように呪文を唱えると、その単眼鏡から紡がれた細い光の糸がその先端に一抱えほどの大きさの魔法陣を作り上げる。そのまま魔法陣は空中を滑り、ベッドに寝かされているヘビ――名前はエステアだったか、を頭からくぐらせるように動いていく。
 よほど高密度の魔力がやりとりされているのだろう、魔法陣と単眼鏡をつなぐ光の糸が激しく、そして細かく明滅する。やがて魔法陣が爪先をくぐりきって、お師匠様が大きく息をつくのと同時に光が消えた。口の端に笑みが戻る。
「定着を確認した」
「成功ですか?」
「今のところ失敗していないと言うだけだ。油断はできんよ。ドナテア、水を一杯」
「はい、お師匠さま」
 口ではそう言いつつも、お師匠様の表情を見るに実験は順調に進んでいるのだろう。満足そうに微笑んで水を飲む。
「それで、彼女はどうするんですか?」
「目覚めたら、説明した上で夫婦共々お帰りいただくさ。あとはまあ、経過観察と状況に応じてだな」
「いいんですか、ほっぽり出しちゃって?どこか知らないとこに逃げちゃうかも」
「どちらにもマーカー細胞を埋め込んである。その気になれば大陸から逃げたって追えるぞ」
「……ネコの方にはいらないんじゃ?」
「念のためだ。さて、我輩はこれからレポートの作成に取りかかる。二人はもう休んでいいぞ」

   *   *   *

 遅い。
 もう、何というか、遅い。
 いや、蝶だから仕方ないのだが。
 シャンティ殿の薬はどうやら虫にもちゃんと効くようだ。10分ほどのたうち回りながらへしゃげた羽根やもげかけた肢を直し、今はゆっくりと街のどこかに向かっている。少し早足程度の速さで。
 そうなると、追いかける方としてもその程度の速さにならざるを得ない。たとえどんなに急いでいてもだ。だが、大剣を左手に掴んだ大男はどうにもそれに耐えられないらしい。
「ほんとに飼い主の所に戻るのか?」
 苛立ちを隠さずにカルロが12度目の同じ質問をする。
「他にあてもあるまい」
 同じ疑念は私も抱えていたが、12度目の同じ答えを返す。遅いとはいえ迷いのない道の選び方をしている蝶の動きをみるに、少なくとも「何か」はあるのだろうが……。
「お?」
「む」
 今まで人の高さほどにしか飛んでいなかった蝶が急に高く飛び上がり大きな屋敷の塀の向こうに消えていった。
「はいってったな」
「ああ、入っていった」
 そう言ってカルロが大剣を右手に持ち替え肩に担ぐように持ち替える。
「ついでに言えばな、たしかここはアディーナでも有数の奴隷商人の屋敷だ」
「んじゃここが終点って事で間違いなさそうだな」
「……なるべく殺すなよ?後々大変だからな」
 殺気、というよりも闘気をみなぎらせてカルロが牙を剥く。
「わかった、刃は使わねえ」
 それだけ言い残して鬼が駆けだした。

   *   *   *

「いっ――!」
 悲鳴を上げそうになった口を慌てて塞ぐ。反射的に閉じた口に手の皮を噛まれてしまったけど、まあそれはしょうがない。程なくおっちゃんが落ち着くのを待ってから手を離した。
「ヒトの兄さん?なんでこんな所に?」
「俺も捕まったの。んで、逃げてる途中でおっちゃん見つけたんだよ」
 そう言われたおっちゃんは自分のほっぺたに手を当てて少し考えた。
「……もしかして、さっきの痛ぇのは」
「悪い、ほっぺ叩いても起きなかったら髭抜いた」
「……まあ済んだことだからいいけどな。――って、エステアは?」
「え?エステアさんもつかまってんの?」
 それはちょっと意外。俺とエリーゼさんとおっちゃんが捕まってたから、てっきりヘビ以外を捕まえてるのかと思ったけども。つーか、どういう人選で攫ってるんだこいつら?
「ああ、まだ捕まってるんなら助け出してやらねえと」
「……それ聞いちゃうと逃げ出しにくいなあ」
 エリーゼさんの装備を探す途中、たまたま見つけちゃったからおっちゃんを助けにきたわけだけど、これ以上素人に増えられると俺達の脱出もおぼつかなくなる。さてどうしたもんかな……。この建物で何かあったのか、俺達の逃亡に気付かれたのか、さっきから廊下をばたばたと走る連中が多い。おっちゃんだけでも厳しいのに、それにエステアさんが加わるとなると……ん?
「おっちゃん、何してんの?」
 何故か全裸の上にシーツ一枚だけ被ってベッドに寝てたおっちゃんは、適当にシーツを破って腰布を作り、更に包帯のようにほそい布を作って手に巻き始めた。これって……。
「なあに、エステアはおいらに任せてくれ。兄さん達は脱出だけ考えてくれればいいさ」
 そう言ってテーピングを終えるおっちゃん。それを見計らったかのようなタイミングでエリーゼさんが警告を発した。
「見つかったわ!!」
 同時に怒声を揚げながらこの部屋に近づいてくる複数の気配。それに対して身構える前に、傍らを白い風が駆け抜けた。
 エリーゼさんが棍棒でジャンビーヤ(短い曲刀)をいなしながら部屋の中にバックステップで飛び込む。追いかけて飛び込んできたヘビの傭兵に、白い風が殺到した。
 右のストレート一閃。飛び込みの勢いと体重を乗せた一撃が傭兵の身体をはじき飛ばし壁に叩きつける。全くの不意打ちにあっさり気絶したのか、ぴくりとも動かない。
 続いて部屋に飛び込んできたヘビは流石に不意打ちを喰らわない。短く軽いナイフ特有の、細かく四肢の末端を狙ってくる動きでおっちゃんを牽制する。
 個人的な経験則で言うなら、一番不利なのは素手でナイフとやり合う場合だ。なんせ、懐に飛び込んで間合いを殺す事が出来ない。拳はまともに当てないと意味がないのに、ナイフは皮膚にさえ当たれば出血を招く。拳はナイフで防げるけど、ナイフは素手で防げない。素手と同じように扱えて、なおかつ素手に勝る。それがナイフだ。だけど……。
 左ジャブ一閃。ひっかくような奇妙な軌道を目に焼き付けて拳が柄を握る指を打つ。痛みに思わずナイフを手放してしまったその男に、右のショートフック、左アッパーのコンビネーションが一呼吸で叩き込まれる。
 そのままあっさりと床にくずおれる傭兵。誰がどう見てもテンカウントは必要ない。
 その予想外の強さに、目を見張ったエリーゼさんがうわずった声を上げた。
「まさか、“スラップ”ミッキー!?」
「……まだ、その名前を知ってる奴がいるたぁな」
 苦みばしった口調でそう言うおっちゃん。ってか、何でボクシング?
「あのー、ミッキーってだれですか?」
「かつてシュバルツカッツェで活躍したボクシングの世界ランカーよ。超人的な握力と手首の強さで、インパクトの瞬間に手首を内側にひねる猫パンチを得意技にしていたの。そこから付いたあだ名が“スラップ”ミッキー。タイトル戦直前で傷害致死事件を起こして逃亡中のはずだけど、まさかこんなところでラーメン屋の親父をやっているとは……」
「……ちと詳しすぎませんか?」
「うんまあちょっと。賭けボクシングにはまってた時期があって」
 ちょっとで済まされるような詳しさかなのかどうか。まあ突っ込んでる時間ももったいないからどうでもいいけども。
「昔の話さ。今はただのラーメン屋の親父だよ」
「……ナイフを持った傭兵を素手でKOしといて『ただの』もないもんだ」
「それもそうだけど……ねえ、ミッキーさん」
「なんだいねえさん。おいらはこれからエステアを助けなくちゃならねえ。二人は早く逃げてくんな」
「いや、そうじゃなくて。三人がかりでエステアさん見つけて逃げたほうが、実は全員が楽なんじゃない?」
 ……確かに。
 この面子の中での最強戦力だがこういった荒事は少ないおっちゃんとプロ工作員のエリーゼさんといろいろできる俺がまとまって動くのが一番安全だな。仮に俺とエリーゼさんだけで動いても、エステアさんを見かけてしまったらほおって置けないだろうし。
 同じ考えに達したのかおっちゃんが頷く。
「じゃあ、手ェ貸してもらおうか」

   *   *   *

「オラァッ!!」
 体重を乗せた靴の裏が木製の扉をへし折る。鍵の有無など関係なく開かれた扉の向こうに、その女はいた。
「……おや?」
 背を向けて何か書き物をしていたのだろう。その姿を、というよりも耳を見た瞬間に走り出す。
 この世には確かに存在する。何もさせてはいけない奴というものが。
 カルロも同じ考えらしい。扉を破った勢いのまま部屋に飛び込み、女の後頭部をつかんですぐさま机に叩きつけた。そのまま頭を押さえつけ、左腕をひねり上げる。
 即座に私も続く。机に横を向いて押さえつけられた顔の直前に刀を突き立てる。刀を少し傾ければ即座に目から上を切り落とせるように。だが、その程度では、この女は取り乱さないようだ。
「~~~~っ。い、痛いじゃないか」
「寝ぼけたこと言ってんじゃねえや、質問に答えてる間だけ生かしてやる。エリーゼはどこだ」
「サトルもな。今どこにいる」
 黒く熱い焼き鏝のような殺気を隠しもしない、押し殺した声のカルロの質問。
 それにおびえた様子も見せず、だが、あっさりとウサギの女は答えた。
「奴隷用の地下室だ。麻酔で眠っているだけなので心身ともに健康だ。サトルも同じ部屋に入れている。ああ、あと白いネコの主人はまた別の場所で、エステア嬢は隣の部屋だ」
「えすてあ?」
「あの屋台で給仕をしていたヘビの女性だ。って、そんなことまで聞いてないぞ」
「ふむ、余計だったかね?」
 押さえつけられた痛みに眉をしかめながら、そんなとぼけたことを聞いてくるザラキエル。一体なんだ、こいつの余裕は……?
「俺にはいらねえ話だったな。あばよ」
「待て、カルロ!」
 髪をつかんで引っ張り上げ、もう一度机にたたきつけようとするカルロを静止した。
「ザラキエル。貴様、なぜサトルとエリーゼをさらった?」
「その場にたまたまいたからだな。本命はネコのご主人とエステア嬢だ。少し前から観察した上で、彼らがちょうどいいと判断してちょっと強引に実験にご協力願った」
「ああん?」
「あだだだだだだっ!」
 エリーゼの誘拐をどうでもいいと言われたことにいらついたのか、カルロがさらに強く左手をひねり上げた。さすがのザラキエルも悲鳴を上げるが、そんなことはどうでもいい。だが、ザラキエルは腕をひねられた理由を勘違いしたのか、聞かれてもいないことを答えた。
「い、―――はい薬の実験だ!」
「何の実験してようと俺の知ったことかよ。俺の女に手ぇ出したんだ、そろそろ死んどけ……」
「待てカルロ!ザラキエル、貴様今なんと言った!?」
「あ、ああ――――薬だ。わかりやすく言えば違う種族の間に――」

   *   *   *

「カルロの匂いね」
「サーラ様もいますね。どうやってここをかぎつけたんだろ」
 死屍累々と、屋敷の使用人だろう連中が叩きのめされて転がる廊下。ところどころに落ちている木の板を拾って観察する。扉の破片の、鉋をかけたかのような滑らかな断面。この斬り方はカルロにはできない。
「皆殺しかと思ったけど殴られてるだけね」
「サーラ様が止めてるんじゃないですかね?街中で人殺しはいかにもまずいし」
「いや、街の外だってどうかとおもうけどなあ」
 おっちゃんが目の前の光景にあきれ返りながら言う。なんかやけに屋敷の中が騒がしくなっているなあと思ったら、あの二人のカチ込みか。そりゃ混乱するわ。まあおかげでエリーゼさんの荷物も楽に取り返せたわけだけど。
「とりあえず、この痕跡追ってサーラ様たちと合流しましょうか」
「そうね。……いえ、その必要もないみたいよ?」
 そう言って暗い廊下の向こうに視線を向けるエリーゼさん。つられてそっちを見ると、エステアさんを連れた二人が走ってきた。
「エリーゼ!!」
「カルロ、どうやってここがって、きゃあ!?」
 走りこんできたカルロが右腕一本でエリーゼさんの小柄な体を抱え上げる。
「細かいこたあ後だ、後!」
「ちょ、なに?やっ」
「早く出るぞー!宿に戻るぞー!今夜は寝かさねえぞー!」
「なになになんなのいきなりぃぃぃぃ!?」
 まるで嵐のようにエリーゼさんをかっさらって、というよりかっぱらってカルロが廊下を走っていく。なんだろう、あのハイテンション。ヤバイ薬が脳にキマったか?
「だんなさまあ!」
「エステア!」
 遅れてきたエステアさんとおっちゃんはがっしりと抱き合っている。ってか、恋人だったのか。まあエステアさんはおっちゃんを慕ってるようだったけども。
 そして最期に。
「サトル、余り面倒をかけさせるな」
「あ、すいません」
「気にするな。収穫もあった」
 サーラ様の面倒そうで、でもどこか嬉しそうな声。それをまた聞くことが出来てほっとしている自分がいる。半日も離れていたわけじゃないのに、何時かそうなることもあると覚悟していたはずなのに、やっぱり、それを怖がっていたたんだなあ、俺。
 ――って、いまさらりと何か言わなかったか?収穫?
「サーラ様、収穫ってなんですか?」
「ふふ、試練が全て終わった後に教えてやろう。今は逃げ出すのが先決だ!」
 とびっきりの悪戯を隠しもしない笑みでサーラ様が廊下を走り出す。俺もおっちゃん達を促して、サーラ様の背中を追った。

   *   *   *

「……あの、肝心な事聞いてなかったんですけど、いったい何の薬を作ろうとしているんですか?」
「ああ、言ってなかったか。この薬はな、薬と言うよりは一種の魔法生物に近い。まず母体がこれを飲むと、胃壁から循環系に侵入し母体の遺伝情報を記録しながら子宮へと移動する。そして子宮で液体からゲル状態になり待機する。この状態で母体以外の牡の遺伝情報を受け取ると、二人分の遺伝情報からその両方の形質を受け継ぎ且つ最も安定した生体情報を設計して、その情報を自らの遺伝子として獲得する。その後は化学物質と精神波動で母体に自分を受精卵だと錯覚させて受胎し子宮内部で発育していく。ま、平たく言ってしまえば――」

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