東京都八王子市生まれ、北は函館、南は熊本までを転々とし、のちに関東に落ち着く。 2008年現在は都内に住んでいることが確認されている。 熊本在住歴があるため鶴屋百貨店のテーマソングは楽勝で歌える。
当初は「ニコ鉄バス」と名乗ったが、初音市再開発局に異動になって以降、「局長」という呼び名が定着してしまっている。 本人も面倒なので「局長」で通してしまっている。実質的に改名したようである。 なお本人は長音をつけずに「きょくちょ」と名乗ることが多い。
動画中は「湾岸の高速屋」の名で登場。ニコ鉄で唯一のバス部門出身の支社長である。 学生時代に初音駅交通センターで旅客案内のアルバイトをしており、卒業とともに正社員として採用。センターの管理業務を経て、大型二種免許を取得したのを機にバス乗務員となる。 おもに東方地区の営業所で路線バス運転士として経験を積み、上白沢営業所で高速バス運転士となるが、蓬莱湾岸自動車道を営業運行中にスピード違反でオービスに検知されてしまい、営業運行中のスピード違反として問題になり、結局乗務員を降板。「湾岸の高速屋」のあだ名は、この時に鴉天狗通信社の報道によってついたものである。 その後は紆余曲折を経て、運行管理者として長く雛見沢営業所に所属、雛見沢営業所の分社にともない本社へ転勤。本社では土木部にて、当時計画の進んでいた初音市営地下鉄のプランニングに従事するが、路線計画が大幅に縮小されたのに異議を唱えたことから、遠く秘書課に飛ばされ、会長の秘書をすることとなり、会長の補佐をよくした。 会長が雛見沢工場群戦争以来、人格が変わったかのようにNDFの軍拡を突き進めたことに不信感を抱く。また同時に、ニコ鉄に聞き入れられなかった市民の意見をなんとかして取り入れたいと考え、雛見沢死守同盟をはじめとする「反ニコ鉄勢力」との対話を個人的に持ったりした。 そのことを耳に入れた会長は、やっかい払いをするかのごとく、彼を秘書職から解任。初音市より遠く離れた弘南地区の開発を着手させる。 弘南地区におけるライバル会社・鶴屋鉄道との勝負に打ち勝った後に、会長が北アメリカにさらわれる。 その後、株主総会において満場一致で、彼が会長代行としてニコ鉄の舵取りをすることになる。 彼の行う初音市再開発は悲願であった雛見沢の工場撤去となったが、ニコ鉄の孔明からの退却を行うなど、まさに住民同士の意見がぶつかっており、このことが彼を苦しめている。