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先輩、土曜日の午後です!

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先輩、土曜日の午後です!




「先輩、うなぎ食べに行きましょうようなぎ!」
「いきなり何だお前」

 ボクらのクラスに小さな台風がやって来た!
 心の中だけでもそんなふうにおどけてみないと気力がもたない土曜日の午後だった。今週は何だかやたら忙し
く、木曜日あたりから精も根も枯れ果てている。
 やっと休めると思ったら、この後輩だ。

「思うに、先輩はもっと精をつけるべきです! そしてケダモノへと先祖返りして私を襲うべきなのです!」
「思うに、お前こそもっと学生らしい節度を身につけるべきだろ」

 後輩はサタデーアフタヌーンフィーバーとでもいおうか、テンション最高潮だ。うなぎの食いすぎじゃないの
かと思う。
 というか、そもそも何故このタイミングでうなぎなのか。
 などと考えてみると、そういえばと思い当たる節がある。
 昨日の昼休みに校内放送された番外授業は、あろうことかうなぎの捌き方と調理の実演だった。包丁をとった
のは家庭科の白壁やもり教諭で、お世辞にも危なげないとはいえない手つきで視聴者をハラハラさせていた。

「……あれの影響か」
「ご安心を! 何に影響を受けようとも、先輩への愛だけは不変です!」
「愛はいいから、傍若無人なところ変えろよ」
「傍に人無きが若し? ……いいえ! 傍に先輩以外無きが若しです!」

 傍迷惑な女だった。
 ……今更か。でも監督不行き届きといわれても、俺にもどうしようもないんだ。だからそんな目で見ないでく
れよ学友諸君。あと隣の近森さんは涎拭け?
 やかましくなって来たので移動する。スピーカー搭載の選挙カーじゃあるまいし、高校生の身で騒音公害を気
にしなければならんとは嘆かわしい。
 踊り場の掲示板をざっとお浚いしながら昇降口まで下る。『悪漢退散 デートのピンチにCウォッチャーダイ
ヤル』『卓上同好会部員募集中だっつってんだろ!』『スクープ!! 学園イベント企画中!? “逃げ足自慢
ども、足を磨いて待っていろ”と学園長』……今日も今日とてロクな貼り紙がない。

「ねーうなぎ食べに行きましょうよー。イクシオトキシンたっぷりですよー」
「それ、アピールポイントじゃないからな」

 毒だし。
 予定調和気味だが、後輩との会話は不思議と飽きない。口にすると調子に乗るからいわないけど。

「……いよいよ、うなぎの気分じゃなくなった。今日はアップルパイでも摘もう」

 校門を出て市街へと足を向ける。
 俺は味覚に執着はないほうだが、問われればリンゴだけは好物として挙げる。特に、適度に火が通って独特の
歯ごたえが生まれたリンゴほど美味しいものはこの世にないと思う。

「また、あの喫茶店ですか」

 後輩はあからさまにイヤそうな顔をした。拗ねる兆候だ。

「あそこの何をそんなにお気に入りなんですか、和風給仕服フェチなんですか、あの意地っ張りの給仕さんが可
愛いからですか、私をやきもきさせてほくそ笑んでいるんですか!?」
「アップルパイがうまいからだよ!」
「いっ、いつぞやの私のフェ○モンパイは一蹴しておきながら~!!」

 ……そんなこともあったな。
 ホンキでしでかしたのかタチの悪い冗談だったのか今もって真相は闇の中なのだが、この俺をして「こんなも
んが食えるかァァッ!」といわしめた食べ物は、後にも先にもあれだけだ。
 フェ○モンパイが何なのか分からない人はそのままのピュアーなきみでいて欲しい。

「というか、何で俺が茶々森堂(ささもりどう)の常連だって知ってるんだよ。お前と茶をしばきに行った覚え
はないんだが?」
「え? それは乙女センサーで……」

 ……尾けたな。

「じゃあな、へっぽこストーカー」
「まっ、ちょ、お待ちください! たったひとつの冴えたやり方! 妥協案として『うなぎ料理もやっている喫
茶店』にごいっしょしましょう!」
「ああもう面倒臭い女だな。うなぎはまた今度にしろ……」

 とっちらかった不毛な会話に疲れた俺は、先延ばしの方向でめでたく交渉を成立させ、一路行きつけの喫茶店
を目指すのだった。

(……うん?)

 ……しかしよく考えたら、あれよあれよと今日の昼食をいっしょにすることになっているし、そのうち食事に
行く約束までさせられているのだが、これって実は後輩の目論見通りなんじゃないだろうか。
 というようなことについて後になって臍を噛むばかりの俺は、一生この子には勝てない気がする。


 ※

 喫茶・茶々森堂は、仁科学園から徒歩数分ていどの距離にある。
 煉瓦造りを装った建物は、小ぢんまりとしながら上品な佇まい。飾り気のない金属製の看板を出してある。
 外側から見る分にはアピールが足りないためかいつも千客万来というふうではないが、かといって客足が途絶
えるようすもなかった。来る度に誰かいる気がする。

「いらっしゃいませー。――あ……っ」

 来る者拒まずの扉を引くと、ベルの軽やかな音と、ウェイトレスの明るい声が俺達を出迎えた。
 見知った娘である。こちらから名乗ったことはないが、マスターが頻繁に口にするので、向こうの名字だけは
分かる。
 『あまもと』さん。たぶん、天本。名前で呼ぶ機会など訪れそうにもないが。
 猫のような吊り目が印象的な少女で、黒い髪をいわゆるツインテールにしている。そういえば以前、聞かれて
もいないのにこの店のマスターが『あの“ついんて”は私が奨めたのだよどうだいGJだろう』などと肩を組ん
できたことがある。馴れ馴れしい人なのだった。
 あまもとさんを仁科学園で見掛けたことはないので、近隣の学校の生徒かもしれない。こんな時間からアルバ
イトしていることから、子どもっぽい大学生という可能性もある。
 この店の制服で、濃紺の袴に編み上げブーツを履いている。桜色の着物は無地だ。清楚な白のエプロンドレス
が眩しい。
 店長である佐々森笹男推定五十代後半既婚者が、大正浪漫への情熱をフルに動員して選んだというコスチュー
ムは静かな人気だ。大きな声ではいわないが、俺もちょっと憧れだったりする。……そんなことはどうでもいい
んだよ。
 カウンターの奥から、寝ぼけた熊のような男が野太い声を発した。

「おう先崎くんか。……おや? この前連れていたコと違うね」
「こんにちは。割と深刻に命に関わりそうだから、そういう冗談は止めてください」

 首筋にちくちくした刺激を感じた。痛い。後輩さん痛いです。

「二名様ですねこちらへどうぞー」

 何故か四人掛けの席に案内される。
 ……この場合の相手との位置関係は、確か心理学の題材にもなっていたはずだ。対面であれば対立、隣であれ
ば同調だったか。いかにも心理学らしい曖昧さだ。
 微妙に意識して、向かい合うように席に着いた。近くの壁にアルバイト募集のチラシ、時給はまあまあ。
 離れていくのを見計らったように、後輩が口元に手を添えて囁いた。

「さっきの、まるで蕾がほころぶような『あ……っ』がめちゃんこアヤシイです。背後の私を見てから笑顔が引
き攣ってましたし」
「ないからそういうの」

 自慢じゃないが、俺は生まれてこの方、この変わった趣味の後輩を除けば異性にモテた試しがない。……うわ
ほんとに自慢じゃない。
 中等部時代も彼女をつくるどころではなく、むしろあの件この件でほとんど総スカンを食らっていた。いやは
や女の悪意ってのは恐ろしいな。おかげで甘い幻想が吹き飛んだ。

「……ほら、何でもない素振りを装って、ちらちらこっち見てます」
「ウェイトレスがお客に気を配るのは当然だ。いいからとっとと注文を決めろ」

 疑心暗鬼で枯れ尾花が幽霊に見えているだけだ。
 視界の端では、マスターが楽しそうにあまもとさんに何やら吹き込んでいた。あんたはこっち見んな。

「先輩は何になさるんですか?」
「アップルパイと、ストレートの紅茶だ」
「ならば私はうなぎパイと――」
「ねーよ」

 うなぎに未練たらたらの後輩だった。
 それでも宥めつすかしつ選ばせ、手を挙げてウェイトレスを呼ぶ。
 伝票を片手に袴姿が近づいて来る。

「いつもの。アップルパイとストレートティーですね。……そちらのかたは?」
「俺はアップ……って、あの、ウェイトレスさん……?」
「このひとと同じもので」
「へーえ」

 待って? なんか空気がおかしいよこの喫茶店……。
 後輩がいらん対抗心を燃やすのはまだ分かるが、あまもとさんまで接客の心得を失念したかのようなウェイト
レスにあるまじき暴挙。
 まさか、ほんとうに後輩のいう通りだとでもいうのだろうか?
 いやでも二人の間に飛び散っている火花を自分を巡っての恋の鞘当てなどと考えるのは、思春期にありがちな
恥ずかしい自意識過剰というものだ。
 「私がこうして汗水垂らして働いているっていうのに何このバカップル死んじゃえば」的な誤解と八つ当たり
の可能性なんかも残っている。……ちょっと無理があるか?
 実際のところ、確かにいつもの彼女とは確かにマニュアルにないような世間話めいた会話もするが、そこまで
親密なわけでもない。常連客とウェイトレスの分を越えるような気配は微塵もない。
 ……正直に白状すると、淡い期待をしてしまわないでもないがな。我ながらキモいと思うけどほら、俺だって
男の子なんだ。ほっといてくれ。
 のっぴきならない状況に助け舟を出してもらおうと経営者を見やるが、髭面でにやにや見物気分だ。

(……どうしろってんだよ)

 その日は変な緊張感のせいで、せっかくのアップルパイも大味に思えた。
 ここに後輩と来るのは止そうと心に誓う俺だった。



 おわり


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