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後輩とドローの法則とバーチャル世代

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後輩とドローの法則とバーチャル世代



「先輩、……んがょぺっ!」
「今の何?」

 びたーん!と凄まじい音が、誰かの奇声に続いて聞こえてきた。しかしどういう発音。
 振り返って長い廊下の果てを見やると、毎度お馴染みアホの後輩がうつ伏せになって倒れていた。
 この距離では顔など判らないが、人間、見慣れてくると物腰から遠くの影が知り合いと気づくものだ。

「あ、あれ? ……うん、うんっ!」

 後輩は震える手を伸ばして指紋を床に食いつかせ、爬虫類のようにずりずりと這ってこちらに少しずつ向かっ
てきた。……先週鳴り物入りで日本に上陸したホラー映画よりは怖かった。

「……ハァ、ハァ……」

 たっぷり数十秒を掛けて、どこか人外魔境産の怪生物が俺の爪先まで到達。荒い呼吸には艶っぽさが少し、な
いでもない。正直、かなり身の危険を感じた。
 足早に立ち去るなり大声で誰かを呼ぶなりしてもよかったのだが、謎の期待に満ちた彼女の上目遣いが気にな
って(もといムカついて)堪らず、どちらも却下。

「……」
「……ちょっとこけるタイミングが早すぎましたね」
「どういうつもりだ。奇行をこじらせて何か別の生命体に進化したのか、さもなくば新手の痴漢か」

 強すぎる情念に身を焦がしたり、三年寝たりするだけでも、人間は妖怪のカテゴリに片足を突っ込むのだとい
う。こいつなら余裕という気がする。すごくする。
 そこで後輩は「あ」と何かを思い出したような声を発してから、ゆっくりと体を起こして廊下で女の子座りを
し、打ってもいない頭を押さえて「うぅ~痛いです~」などと涙ぐんでみせた。
 今更っ!? フリにしても鈍すぎるよお前の痛覚。
 ……それから、先輩としては、目薬がスカートのポケットからこぼれそうなことに気づいて欲しい。
 俺の視線には冷たい“呆れ”の成分が相当多めに含まれていたはずだが、彼女は雑巾の身代わりに真っ黒にな
った制服をはたいてから、得意げな表情になって胸を張るのだ。

「これが、ドジっ娘(こ)です! 萌えますでしょう」
「おお萌……えねーよっ!」

 ……ああ、今日はそういう趣向なのね。
 明らかになった彼女の意図は、予想以上に下らなかった。
 恒例になった求愛のアピール。豊富なバリエーションはいやはや大したものといえようが、思うにドジっ娘と
いうやつはあざとくちゃいけない。

「そんな『どや!?』とでもいいたげに自信満々な顔をされてもな。……お前ね、計算づくでドジやられても困
るだろうが」
「でっ、でも先輩はその昔、“天然は腹が立つ”っていいましたもん! いいました。絶対にいいました。いー
いーまーしーたーっ! だから養殖物でいいんです!」
「……それは確かにいったが」

 後輩が論点をずらして強弁。
 高校一年生にしては幼い、曲げた腕を上下させる駄々っ子モード、それを可愛いと思うか身の程知らずと思う
かは意見の分かれるところだ。男は意外とこういう露骨なのに弱いっていうけど。
 俺? 俺はほら。……慣れた……。

「それはさておき――さあさあ食らうがよいのです! そして芽生えよラブ! ときめけハート! “守ってあ
げたくなる光線”! びびびー! 先輩のココロにズッギュンポン!」

 後輩が宇宙的恐怖を呼び覚ます奇天烈なポーズとともに、指先から不可視の怪光線を放ってくる。
 その妙にお手軽な感じの「ポン」は何の擬音なんだか。……どうでもいいな。

「ところで、用件はそれだけか」
「女の子にここまでさせておいてパーフェクト無視ーっ!? あんまりですっ!」
「……付き合ってられん」
「ああんっ、ちょっ、待ってくださいよー。……今日の先輩は何だかいつになくつれないですね。何かリアルで
イヤなことでもありました?」

 どこリアル。

「お前はどこの世界に生きているんだ」

 バーチャル世代の希薄な現実感に現代社会の闇を見た!というわけでは全然ないが、思わず振り返ってしまっ
た。……やだなァ俺、最近、パブロフの犬みたいにツッコんでいる気がする。
 果たして後輩は神妙な顔で答えた。

「はい。仮想と妄想の狭間で」

 だからどこだよ。



 ※


「とまあ、今日はこんな感じで先輩にアタックしてみました」
「おつかれさまでした」
「おつかれー」

 『女三人よれば姦しい』とはよくいったもの。
 その日の喫茶・茶々森堂は、窓際の一スペースに陣取った女子高生のために、それはそれは賑やかだった。い
ずれもどこか透き通った色香と若者らしい驕慢さを匂わせる、仁科学園の夏服姿だ。
 黒髪ボブカット、長めのセミロング、薄茶色のツインテールを突き合わせて意見を交わすのは、恋する乙女ふ
たりとその友人ひとり。
 ひょんなことから知り合った彼女ら三人組は、たまの放課後には誰からということもなくこうして集まり、近
況報告やら作戦会議やら愚痴の言い合いやら傷の舐め合いを行っていた。

「ドジっ娘で父性本能をくすぐる作戦は、華麗なる大失敗に終わったわけですが」

 “後輩”後鬼閑花、黒髪ボブカットが参った参ったと笑う。愛する“先輩”先崎俊輔に執拗もとい熱烈なラブ
コールを送り続け、断られ続けている少女だ。

「やっぱり、無理があったんだよこれ……っていうか何であそこで、あのタイミングでこけるかな」
「ええ巧妙な罠が」
「ないよそんなもの」

 上原梢、薄茶色のツインテールが、ひと言で切って捨てる。進展しないのは閑花にも問題がある気がする。
 的確なツッコミがあったことに満足したのか、閑花はにこにこしながら引き下がった。

「えっと、わたしもいいかな? ……バレるの、早かったね……」

 河内静奈、長めのセミロングが、そういって沈む。当事者の閑花よりも今回のことについて残念がっている節
があった。彼女もまた、同じクラスの牧村拓人への熱い想いを秘めた、とびきり可愛らしい恋する乙女だからだ
ろうか。

「確かに、日頃の行いってのもあるんだろうけど、先崎先輩はあれで閑花のあざといところ、見抜くもんね」
「先輩は、私のことなら何でもお見通しなのです!」

 えっへんと胸を張る閑花だが、もちろんそういう問題ではまったくない。
 「これが、ドジっ娘(こ)です!」という爆弾発言ですべてを台無しにする以前から、怪しまれ、いぶかしま
れていたことは間違いない。

「でも羨ましいなぁ、そういうの……」

 静奈がぽつりと呟いた。
 彼女は意中のひとへの告白も“まだ”だ。競争ではないが、そういう意味では、閑花より一歩も二歩も出遅れ
ていることは確かである。
 でも、と。一方で、閑花は思う。

「そうですか。私は静奈さんのほうが羨ましいです」

 今の自分たちの関係は、誰が見たって膠着状態に陥っている。
 先崎俊輔は、後鬼閑花の気持ちをあるていど理解していながら、それをはっきりと拒絶している。
 諦めのいい人間であれば、これはとうに終わった恋なのだ。後鬼閑花の妄執めいた思慕と、先崎俊輔の誠実さ
や忍耐強さのために、一方的な求愛行動が延々と続いているだけで。
 どうしてそこまでと思うほど、先崎のスタンスは頑なだった。態度から嫌われていないことは分かる、何のか
んのと気に掛けていることも分かる。しかし最後の一線はどうしても越えようとしない。そこまでが、途方もな
く遠かった。
 想いを伝えて拒まれ続けるということは、それはそれで、閑花にもつらい。無尽蔵にひとりを愛せる彼女にだ
って、愛されたいと思うことはある。手ごたえが欲しい。
 けれど、河内静奈の恋愛は、“大事にとってある想いを伝えれば、もしかしたら魔法のように全ての願いが現
実のものとなるかもしれない”のだ。後鬼閑花から見ても、静奈は素敵な娘だ。どちらかが男だったら惚れてい
たかもしれない。
 こればかりは当事者同士の問題で、一歩踏み出したその先が花園か茨の路かなど分かりはしない。そして、そ
れは、後戻りの利かない進化のレースのようなものだった。
 だから閑花は、彼女なりの筋として、静奈に「頑張れ」とも「告白しちゃえ」ともいったことがない。

「ともかくっ」

 上原梢がひと言発して方向性を失い掛けていた空気を締める。
 混迷しがちな彼女達の井戸端会議に、議論を引っ張っていける彼女のような人材は欠かすことが出来ない。自
然、司会進行役となっていた。

「あたし前から思ってたんだけど、閑花が先崎先輩といちゃラブの関係になるには、まず二人のそのネタっぽい
ムードをどうにかする必要があるんじゃないかな」
「ネ、ネタぁ!?」

 閑花が電撃を浴びたように身を仰け反らせた。強がりと願望と誤魔化しも露骨に喚く。

「どっ、どこがネタですか! 私の全力誘い受けと先輩の愛ある切り返し! まるで長年連れ添った夫婦漫才コ
ンビのような……信じ・て・いる・の、ミラクル・ロ・マ・ン・ス!」
「そういうところがね……少なくともそのセリフ、“漫才コンビ”以降が超余計だと思う」

 静奈も言及こそ避けていたが、「うーん……」と顎の下で指を組んで苦笑していた。
 平時はともかく先崎がらみとなると、閑花の言動は確かに相当に突飛なものだ。ウケを狙わなくては死んでし
まうとかそういう変な病気に罹ったような女だった。恋愛の対象と見るにはかなり難儀しそうで、その点では先
崎に同情しなくもない梢である。

「け、けどそれ削っちゃうと、個性が!」
「……恋愛に個性ってそこまで必要?」
「あ、あのね? 閑花ちゃんと話しているときの先崎先輩、すっごく楽しそうだと、わたしは思うな」
「まぁ、それはそれでいいんだろうけどね……」

 そこで梢は「ん?」と首を捻った。

「って違うよ。話がずれてる。つまりあたしは“閑花の場合、恋愛の進展には、それなりのムードづくりが肝要
ではないか”といいたい。あなたたちの会話、ほんとにほぼボケとツッコミで成り立ってて、色っぽい話題もキ
レーに流されていくじゃない」
「うっ、それは確かに……」

 閑花の目が泳いだ。

「ということで! 第四回“恋する乙女会議”、始めるよー! 本日の議題は、『恋愛のムードを盛り上げるも
の~閑花のばあい~』!!」
「きたこれ」
「わー」

 こうして、何ともいえないゆるい雰囲気で、恒例となりつつある作戦会議が開始された。

「はいっ!」
「はい、いきなり閑花」
「初詣、恋愛映画、ビーチ、肝試し、衣替、プラネタリウム、文化祭、水族館、――夜這い」
「それオチ? オチいらないしっ」

 上原梢はふと思った。彼女にあまいムードを期待するのは酷なんじゃないかと……。
 とはいえ、定番をきっちり揃えてくるあたりは、伊達にオラオラとアプローチしていない。……ついでに閑花
の行動力なら、このうちの幾つかで既に手ひどい失敗をしていても何らおかしくないけど。

「まったく閑花は仕方ないなぁ。じゃあ次はあたしね。ずばり、協力して何かをやり遂げた後での二人きり、い
つもと違う表情や服装、とか。具体的には例の演劇はチャンスだったんだけど、タイミングが悪かったね……」
「先輩も別件が忙しかったみたいですからね。次の機会を待ちましょう。文化祭とか」

 文化祭なら、そのどちらも積極的に狙っていけると思うのだ。
 梢は肯いて、うんうん唸っていたもうひとりに意見を促す。

「静奈はー? 何か思いついた?」
「んと。ちょっとしたギャップとか、吊り橋効果とか、ストックホルム症候群とか?」
「ストックホルム症候群だけは絶対に関係ない」

 とぼけた静奈に、手厳しいツッコミが炸裂していた。

「そういえば、先崎先輩ってどんな女の子が理想なのかな? ムードっていうなら、そのあたりも大事だと思う
んだけど?」
「静奈スルドイ。どうなの閑花?」
「もちろん、先輩のタイプは、まさにこの後輩そのもの」
「この期に及んでそういう冗談いいから。いらないから」
「……確証はありませんが、大方、“包容力のあるお姉さんタイプ”だろうとニラんでいます」

 ブーたれながら閑花はしぶしぶ白状した。

「あぁ、ね」
「うん」
「ちょ、そのリアクション一体全体どういう意味ですか!?」

 三人の視線がこのときばかりは交わらなかった。喫茶・茶々森堂のマスターである、佐々森笹男推定五十代後
半既婚者はそう証言する。
 ちょっと気まずい雰囲気の中、「そのへんのことを踏まえつつ、また作戦考えてこようか」という上原梢の取
り成しに乗っかるかたちで、四回目の恋する乙女会議は閉会した。すぐに文殊の知恵が出るとは限らない。そう
いうものだ。

「じゃあ、またね」
「ばいばい」
「ごきげんよう」

 笑顔で手を振り、それぞれの帰り道へと爪先を向ける。
 すっかり、遅くなってしまった。
 閑かで暗く冷たい街並みを眺めながら、後鬼閑花は少しだけ唇を動かして息を吐いた。

 ――先崎俊輔以外の人間に、心を許してはならない

 そう思っていた。強く。愚かで弱い自らへの自戒だ。
 人間、笑顔の裏で何を考えているか分かったものではない。みんな陰口が大好きだ。表情も振る舞いも、“仮
想”にすぎない。しかしそれは、“そういうもの”だと諦めなければいけないのだ。

「だから、こんなふうに、楽しんでいては、いけません」

 手つかずの深層心理にまで、刻みつけるように呟く。
 ああ。
 楽しかった。
 楽しいのだ。あのふたりとの時間は。いつも、いつも。
 こうして別れてから「河内静奈さんだって、上原梢さんだって、裏では――」と言い聞かせてしまう自分は、
最低なのだろう。本来は友達と笑い合う資格などない“怪物”だ。ごめんなさい、ごめんなさい。
 思考はとうに支離滅裂だった。だからといって胸のうちを整理してはいけない。それは、信じていたものを砕
いて散らしてしまうからだ。

「……帰ったら、また笑う練習をしよう、かな。それから」

 それから、先んじて形だけでも覚悟を整え、裏切りに備えなくては。心を凍らせて。それを怠れば、いつかき
っと、血を吐くほど傷つくことになる。
 住宅街の翳に消えていく後鬼閑花の歩みは、やはり危うい。
 けれど、抑えようもない何かのために、その靴音は心なしか弾んでいるようにも見えた。



 おわり


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