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仁科学ライオン第10話

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仁科学ライオン「お前が代わりに」



 窓の外から夕日が差し込み、廊下を赤く染めて行く。
 グラウンドで運動部が走っているのが見えた。野球部だろうか。真っ白なはずのユニフォームは、土でこれでもかと汚れていた。
 それを眺め、缶コーヒーをずずっと一口。
 懐は、開けた窓に両肘を付いて外を眺めていた。

「決心ついたか?」

 空知亮太が言った。
 廊下の真ん中で懐と二人、静かに立っていた。

「まぁ……。やるならやってもいいけどさ」
「はっきりしろよ」

 二人は何故、廊下の真ん中に居たのか。
 亮太は懐に、一体何を言ったのか。彼が懐に迫った決心とは、一体何か。
 全ては、ほんの一時間程前。演劇部の部室で起こった。




 第十話:「お前が代わりに」




 爆発。それが轟いた。
 懐に要求されたたった一回のロングトーン。静かな始まりで動き出したそれは、唐突にエネルギーを撒き散らした。
 天を仰ぎ、目を見開いて。
 一瞬にして低音域から高音のオペラ歌唱へと移行し、懐が最初に行ったのは「天空を貫く事」
 天井を突き抜け、遥か彼方の空にまで、突き抜けるように声を弾き出す。
 これはイメージだ。だが懐は比喩では無く本当に、自身の声で空に大穴を開けるつもりで行った。それほどのエネルギーを注いでいたのだ。
 その場に居た迫達は驚いたろう。
 発声ならば演劇部である彼らも日々修練はしている。だが、根本的な何か。今それを見せ付けられて居るのだ。
 努力ではどうにもならない壁。声を出す能力の根源的な差。

 ほんの数秒ではあったが、それは長く続いたように感じた。
 ビブラートが空気をビリビリ揺らし、聴く者の鼓膜を破かんばかりに揺さぶる。
 そして、遂に迫達の知らない領域に達する。
 声はさらに高まる。声帯が限界まで絞られる。それでも吐き出す息の量は変わらない。
 高音の限界まで高まった懐のロングトーンは、ヘヴィメタルの「金属的なまでに拡張」された音域へと突入したのだ。
 高音でのスクリームは耳慣れない者にはただのノイズに聞こえるという。だが、それで正解なのだ。
 ノイズに聞こえる程、限界まで攻めなければならない。それをコントロール出来なければならない。
 意図的にノイズをたたき出す。懐にはそれが可能だった。

 天を仰いだままだった懐は、腹の中の息を全て吐き出すべくうずくまるように身体を丸めた。
 金切り声のような声は、一転して最低音へ変化する。獣が唸るような、地面が震えているかのようなグロウルだ。

 見学していた者の一人、空知亮太は震えた。
 彼は今までも、数多くのシンガーを見てきた。もちろん、上手い奴から下手な奴までたくさん知っていた。
 しかし、今目の前で唸る少年のようなタイプと出会った事は無かったのだ。
 懐の歌が上手いかはまだ分からない。そこは別の技術なのだ。
 それとは別の、ロック、ひいてはメタルという音楽で歌うに必要な、もっとも重要な要素を懐は持っていた。

 声量。音域。それに耐える頑強な喉。そして、限界まで攻める気概。

 グロウルは終わりに近づく。
 最後まで身体の中の空気が空っぽになるまで声を出そうとする懐。眉間に皺を寄せ、身体を震わせ、唸り上げる姿。
 長い金髪がざわめいているように見えた。
 怒りすら感じる程の表情になりながら、唸る懐の姿は、猛々しく吠える一頭のライオンのように――。

 懐が持っていた能力。それは、圧倒的なまでの叫ぶ才能なのだ。




※ ※ ※




「で、どうするんだ」
「急かすなよぉ」

 そして今に至る。
 演劇部の部室でのほんの数分の出来事ではあった。葱やととろは懐が叫び終えるとしばしきょとんとしていた。
 その後はどうなったかは懐には解らない。迫によって解放された懐は、そそくさと逃げるように退室した。すぐに帰ろうと思っていた所、追い掛けて来た亮太に呼び止められ、缶コーヒー一本と引き換えに話に付き合っていた。

「はっきり言ってくれ。イヤならイヤでいいんだ」
「だから急かすなっての。だいたい俺、お前さんの事何にも知らないんだし」「これから解って行けばいいさ」
「強引だな。俺より強引」
「逃がしたくないからね」
「だとしてもよ? いきなり『俺のバンドに入れ』ってどうよ?」

 亮太は窓に背を向けた。両腕を組み、下を向いたままだった。その飛び抜けた長身故か、動作の一つ一つが嫌に目立つ。
 懐は少しイラっとした。

「さっきも言ったけど、逃がしたくないんだよ。バンドなんて人材の取り合い奪い合いだしね。それに最近、そっちも解散して宙ぶらりんなんだろ? ちょうどいいじゃないか」
「よくねーよ。それに解散じゃねー。メンバーをクビにしただけだ。まだ俺とベースは残ってる」
「なら二人ともこっちにくればいいさ」
「んな事言うけどよ。そっちは何人だよ?」
「一人」
「ダメじゃん」

 亮太は苦笑い。勧誘の口説き文句の第一声が「俺のバンドに入れ」だったが、これではおかしい。
 正確には亮太が懐のバンドへ加入するのが妥当だ。

「そういう事だ。お前が加入するって事で」
「はいはい。それでいい」
「決定じゃねーぞ」
「解ってるさ」

 缶コーヒーは空っぽになった。それを持った手を窓から外に出し、ブラブラ遊ばせてため息一つ。
 夕日が目に映る。目を細めて懐はそれを見た。

「で、具体的に何考えてんだお宅は?」
「バンドをやる。それだけだ」
「メタル?」
「もちろん。ロックナンバーだってやってやるさ」
「頼もしい事で。で、なんで俺?」
「希少価値だから。あとは解るだろ?」
「はぁ……」

 ため息もう一つ。
 空っぽのはずの缶コーヒーを啜る。香りだけはまだ残っている。
 懐にとってもメンバー候補の出現はありがたい事ではあるのだが、どうにもこの空知亮太という男は今まで出会った人物とは違い、少し戸惑っていた。
 いつもは自分のペースで事をガンガン進めるタイプであると自覚はしていた。今もそのつもりであったが、気がつけば向こうにイニシアチブを取られているような気がしていた。

「他のメンバーの心当たりは?」
「無い。俺とトオルと、あとは空席」
「俺はギターだ」
「じゃ、あとはギターもう一人とドラムか……。って、メンバー? もうメンバーですか?」
「その前の奴らはどうだったんだ?」
「あ? ああ、変態と暴力的な奴。腕はいい」
「濃い連中だな。空中分解やむなしか?」
「そんな所だ。てかどうすんの? 何するの?」
「腕はいいんだろ? 他に心当たり無いなら呼び戻そう」

「呼び戻す? ムリムリ!」
「解らないさ。一回集まったんだから、ムリって事は無い」
「んな事いいますがねアンタ。こっちが気まずいのですよ」
「なら尚更。仲直りするチャンスかもしれんぞ?」
「簡単に言うなよ……」
「簡単さ。俺に任せろ」

 亮太はニヤリと笑う。
 懐の性格は何と無く理解した。前にトオルの姿も確認したし、情報は集まっている。件の元メンバーも、この二人に負けない程、キャラクターの濃い連中であろう事も予想はついた。
 そして、懐達のバンドの欠点も瞬時に見抜いた。

「まずバンドとして機能していない。お互い好き勝手やっても無意味だろ? そしてそんな濃い連中をまとめる奴も居なかった」
「う……」

 グサリ

「残念ながらお前にゃ無理だな。ベースのトオル君もそんなガラじゃ無い事は想像つく」
「う……。う」

 グサリ

「お前はバカだし、他も似たようなモンだ。バラけて当然のバンドだよ」

 グサグサ

「な……。なんだよ好き勝手いいやがって! 俺も頑張って……」
「だからお前には無理だ。ガラじゃ無い」
「じゃどうしろって……」
「バンドは俺がまとめてやる。お前はバカのままでいい。いや、お前はそうじゃなきゃいけない」

 亮太は言う。
 そして懐と同様、それは亮太のみが持つ希少な能力。

「リーダー不在なら行き先も解らないだろ? 現実的な事は全部俺がやる。お前はバカのままで、好き勝手やればいい。制限する必要はない。
 バンドの面倒は俺が見る。お前は代わりに夢を見ればいい」

 亮太の持つ能力は、懐達にもっとも足りない物。リーダーの資質。

「言うねアンタは」
「どうも」
「で、本当に呼び戻すつもりなの……?」
「当然だ。明日から作成会議だ」
「ムリだと思うけどなぁ~」
「まぁ見てろよ」
「最後に聞いていいか?」
「何だ?」
「もうさりげなくメンバー入っちゃった的な流れなんだけど……?」
「……。ニヤッ」

 亮太はちょっぴり腹黒いかも知れない。


続く。


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