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灰被り

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灰被り



「おお!この娘こそ、ガラスの靴の持ち主だ!」
町の広場で声が響く。人だかりが波を起す。その中心に一人の少女。
みすぼらしい服を身に纏い、足元には不釣合いな美しい靴。まるで、ゴミくずから這い出したようなすすけたスカート。
まるで、這いつくばって階段を雑巾で拭いていたような髪の毛。美しい町とは正反対。そして、少女は困惑していた。
光を浴びたガラスの靴が、彼女の脚にはまっていた。まるで彼女の為に作ったような感触。
灰被りの娘の足元は、光り輝いていた。役人が少女に近づく。

「さあ、あなたこそが我らの王子の嫁君になるべきお方ですぞ!さあ!祝いの支度だ!」
彼女を囲んだ一同が歓声を上げるも、少女の顔は曇る。突き抜ける快晴の中の雨雲のように。
その雨雲の隙間から、一筋の光が零れるように少女は告白する。
「……わたし、ほかに好きな人がいるんです」
一瞬の静けさ。
長いようで短い。
少女の言葉を鼓膜に焼き付けて、その後沸き起こるどよめき。
怒涛の歓声を掻き分けるように、少女は続ける。

「わたしのために、わたしの幸せを本当に望んでいる人。そう、それは」
スポットライトが二つ。ひとつは少女に。そして、もうひとつは朴訥とした特徴の無い少年。
静まり返るステージで、刻む時の流れはゆっくりと過ぎ去る。ざわざわ……。
客席からの声は静粛を掻き毟る。
灰被りの少女が静かに手を握り締め、ゆっくりとライトを当てられた少年の方に振り向いた。
「あなたが好きです」

暗転。のちに、拍手。

    #

「あーちゃん、すごかったね!」
あーちゃんと呼ばれた子は、となりの友人の掛け声さえ聞き逃すぐらいに興奮していた。
みどりの黒髪が冬風にのって、白い頬は未だ赤らんでいる。
初めて舞台を見た。高校生の素人芝居なのに、ぐいぐいと観客を引きずり込む魅力は、誰でも知っている名優と同じぐらいのものであった。
高校生の素人台本なのに、生きていくうちの何もかもを知ったような、リアルでかつそれを損なわせないぐらい劇的なものだった。
仁科学園で開かれた演劇部定期発表会。学内はもとより、学外からも観客が来ることも珍しくない。
あーちゃんは仁科学園中等部に通っているにもかかわらず、友人から誘われるまでこの舞台を見に行こうとは思っていなかった。
友達の誘いに負けて、そして観劇後……。
「わたしもあんなお芝居やりたい!」と口を開いたのはあーちゃんだった。
「わたし、高等部に進んだら演劇部に入る!」と、まで言い出す始末。
ここまで自分の意思を見せる姿を友人は見たことがなかった。しっかりと握り締められたパンフレットで彼女の決意が伺える。

あーちゃんは、初等部のころからファッション雑誌の読者モデルを続けている。
毎月毎月きれいな服を着て、新しい小物も携えて、華やかな紙面を飾っている。
それも、これも、まわりの誰かが『黒咲あかね』を『あーちゃん』にしたかったから。
みんな大好き『あーちゃん』を理想の姿に染めたくて育て上げた。
「あーちゃんだったら、きっと人気者になれるよ」
誰もが自分を許してくれた。自分の意思とは裏腹に。

ねえ。『あーちゃん』って、誰?知りませんよ。
知らん振りをしたくても、世間さまが許してくれはいたさない。
『すごいよ!あーちゃん!』
だって、さ。
みんなが作った『あーちゃん』なんて、知らないから。

    #

迫先輩!」
あかねの声が、演劇部部室にこだまする。
長い自慢のみどりの黒髪、モデル顔負けのプロモーション。そして、膝小僧透けて見える黒タイツ。
黒咲あかねは、年季の入った木製の机を両手で叩いて立ち上げる。冷たそうで、温かい瞳は彼女の演劇愛を感じさせた。

「わたし、シンデレラの脚本を書きたいです!」
「何故」
「だって、だって。女の子の憧れですから」
「男子は無視か」
「でも。わたし!見たんです!昔、仁科の学祭でですね、『シンデレラ』やってたの。わたし憧れて、やってみたくて」
「遠賀先輩がシンデレラをやったやつだろ」
迫は缶コーヒーで手を温めて、あかねの質問にぶっきらぼうに答えた。
初めて見た演劇、そのシンデレラを演じたのは遠賀希見。あかねがそのときに持って帰ったパンフレットにはそのように書かれていた。
「えっと、他の演者は王子役に川嶋先輩……OBの方ですね。そして、見習い靴職人に迫先輩」
「やめろっ」

迫の『見習い靴職人』への異常な反応は、あかねの胸を痛める。あかねがこんなに自己主張することは珍しい。迫もどうしていいのか分からない。
言葉を強めては、それを恥らって頬を赤める。後悔しなければいいのに、それでも『シンデレラ』の魅力を語り出す。
食い下がることを知らないあかねに根負けしたのか、迫は『シンデレラ』の台本を探すことにした。
迫の後姿にあかねはドキリとすこし胸を鳴らす。

「遠賀先輩が脚本を書いたんだけどな。たしかここに」
スチールのロッカーを開くと、仁科学園演劇部の積み重ねといえる資料が顔を見せる。
質の悪い藁半紙にガリ版で刷られたものから、PCを使って製作されたものまで部の歴史を一目で振り返ることが、ロッカーだけで出来る。
その中から迫はあかねが話していたときの『シンデレラ』の台本を探すふりをしていた。

「うーん」
「どうしました」
「無いな」
「でしょうね。さっき、久遠が持っていきました」
肩を落とす迫の姿はコミカルでいて、あかねの手のひらで転がされる姿は貴重なものであるだろう。しかし、問題は久遠だ。
目を輝かせながら、小さい体を飛び跳ねさせながら、あかねと同級の久遠荵が台本を両手に持っている姿が迫にはすぐに浮かんだ。
迫が頭を抱えているうちに、その想像は具現化する。こんなアフターサービス要りません、と迫を悩ませる後輩が一人。

「迫せんぱーい!この台本、すんごく面白いですねー!わたしもこんな台本が書けるようになりたいっ。わー!あかねちゃん!」
「久遠っ」
「見て見て見て!すごい!すごいよ!基本を守りながら、それでも古さを感じさせないのは、遠賀先輩の腕だからだよねっ。
物書きの神さまは選ばれし者を分かって才能を与えているって感じだ。わんわんおー!紙よ、わたしに降りてこいー!」

仔犬のように飛び出してきた久遠荵は、尻尾を丸めながらあかねの懐に飛び込んだ。
頭をぐりぐりとあかねに擦り付けると、両手でしっかりと『シンデレラ』と表紙に書かれた薄い冊子を自慢げに見せ付ける。
「あかねちゃんにどうしても見せたい台本だよ!これこれこれこれ!すんごい勉強になるって!」
「うん、わたしも見てみたい」
「でしょでしょ!!よーし、特別にあかねちゃんに見せて進ぜよう。やったね!わんわんっ」
迫は言葉にこそしないが「まったく……」と、聞こえぬように舌打ちだけはしておいた。

あかねがページを捲るに連れて、シンデレラの世界へと浸ってゆく。
いじわるな継母に姉、魔法の時間、かぼちゃの馬車、ガラスの靴、そして舞踏会。夜に浮かぶ宮殿は夢のよう。
そして、残酷にも時は12時、慌てて階段を降りて、ガラスの靴を残して消えるシンデレラ。ガラスの靴の持ち主は誰。
女の子の憧れが短い時間に詰まって、伝わって、そして、憧れて。

「あれ。ない」
ぴょんぴょんとあかねの側で飛び跳ねる荵も、台本を覗き見して声を上げていた。
忍のスカートからは見えないイヌの尻尾が見えているような気がする。その尻尾がふらふらと。
しかし、それに気付かないのか迫は、冷たい風のような一言を添える。
「だろ」
そうだ。
迫の言う通り。あかねもこういう一言で返すしかない。
「この先のセリフがない」

    #

「そうですけど、何か」
「どうしたらいいんですか。わたしたち」
「はい。ここからは、エチュードです。皆さんの実力を信じてアドリブ勝負!正しい終幕はありません!」
遠賀希見の勝負に臨んだ声が部室を揺らす。彼女の意見をじっと、ときの部長が耳を傾けていた。
台本にないということは、舞台に臨んだ者の心身次第。
舞台とは言え、人を憎めば、そのまま憎む。
舞台とは言え、人を蔑めば、そのまま蔑む。
そして、人を好きになれば、そのまま好きになる。

「わたしがもしかして、王子のプロポーズを断るのかもしれません。もしかして、皆さんが知っている大団円になるのかもしれません」
台本が配られた日から、舞台本番までの間にラストシーンが決まる。そして、誰にも分からない。脚本を書いた本人でさえ。
自分が死ぬなら舞台の上で、と言い出しそうな遠賀は『演劇』を生ものだと語って止まない。
しかし、みんなが付いて行ってくれるのか。
「怖いなあ、この台本」
「はいはい!リアルな空気を取り入れることで、わたしたち演者はよりリアルな演技に集中できるのです。
そして、このことは見ているお客さんにまったく教えません。そう、わたしたちとお客さんとの勝負なんです!演者だけでなく、裏方も同じ!」

新たなものには必ず障害がある。遠賀の意見を穿り返す者がいる。同級の女子が一言とげを刺す。
「それって、前衛ですよね」
「なによ、それ。漢字なんか使っちゃって」
「わたしたち、基礎から始めたばかりな演劇をやっているんですよね。だから、実験的なことってやるべきではないと思うんですが、ね」
その意見は間違いない。でも、誰かがやってみなくてはわからないこと。
「わ、わたしが、責任を取る!」
「どうやって」
大海原よりも深い沈黙。遠賀の声が海よりも冷たい。
黙っていた後輩たちも、さすがに遠賀を心配する。それでも部長は海の底に沈んだように静かだ。

「やたらに『責任』とか、言わないで下さいよ。どうする気ですか、失敗したら」
考えなしで遠賀が言い出したことはではないと、みなが承知。
「やりたいうちにやって、大やけどするならする!恨みっこなし」
「いやですよ、やけど」
部員たちは遠賀の実力は認めている。だからこそ、遠賀に脚本を委ねていた。みんなが望むものを書きあげるだろう、と。
ただ、それを演じるのも仲間たちだ。信頼した仲間がなかなか首を縦に振ろうとはしないので、遠賀もだんだん弱気になる。
もしかして、自分はこの部にいらない子なのかもしれない、と。それでも、部長は口を開かない。

「……やらせてください」
わたしは台本しかないんです。
それを捨てたら、どうしたらいいんですか。
分かりません。教えてください。でも、誰も教えてくれないでしょう。

だって、わたしは……。
「部長、お願いです」
机に両手を付いて、額擦る遠賀の姿は、黙って床を拭く灰被りの少女よりも惨めに見えた。

    #

舞台は無事に始まった。そして、無事に幕を閉じ、歴史を刻んだ。
目撃者は語る。黒咲あかね、その一人。あかねの記憶を手繰り寄せるものの、そうだ。あの場面は、たしか……。
「シンデレラが、若い靴職人をじっと見ていた!」
確かにその部分は台本では空白の部分である。遠賀が望んで空白にした。
それが意味することは、本番までの揺らぎによって、遠賀の気持ちで脚本の空白が埋まるということ。
「おれが『靴職人』役だったんだけどな」
迫先輩の背中は、世界中のどんな政治家よりも雄弁で、弁護士よりも誠実で、心を引き付ける魔力を持っている。
あかねもそれにかどわかされる。迫のメガネがあかねを照らし、正気に戻すと乗除は頬を赤らめた。

「無茶な台本ですね」
「だろ。やりたいか?こんな本」
「わたし……」
「あかねちゃんのなら、見てみたいのだっ」
髪をいじりながら、あかねは目線を床の木目に合わせる。そういうときは、決まって頬が赤い。
だが、久遠に言っておきたいことがある。普通ならひと捲りすれば捨てられるような案を許したという理由を。
「でも、みんな遠賀先輩に付いて行った。分かるか、黒咲」
こくりと長い髪を揺らして頷くと、荵は夢中で台本を捲っていた。
黒咲あかねが遠賀希見の灰被り姿を見て、演劇に憧れた理由と似ていると思わないか。

そういえば、この演劇を見て自分も演劇をやりたいと思ったんだ。
たった一人でファッション雑誌を飾るより、みんなで創り上げることに心引かれて演劇部の扉を叩いたのだ。
もしかして、遠賀の台本は暴走かもしれない。異端呼ばわりされても仕方がないかもしれない。それでも、舞台は人を呼び
拍手の波に洗われて、一人の少女の行く先を決めるように背中を押したのだ。それでも無茶な台本なのか。異端なのか。
それとも、演劇なのか。

黒咲あかねは結末の書かれていない台本をじっと見つめていた。



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