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荵、走る。~Let's forget shedding tears~

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荵、走る。~Let's forget shedding tears~


 勇者は赤面した。
 王の御前で勇ましく叫ぶつもりだったのに、あまりにも相手の迫力が圧倒したものだったからだ。

 「王様は人を殺します」

 長く伸ばした金色の髪を王は垂らし、市井の声を拒むがごとく玉座にもたれてうな垂れていた。両目を閉じて現実をそむける。
立てば身の丈天を突くほどの体、あらゆる視線を奪い威厳を放つ暴君は耳だけを傾けて、名もなき若き青二才を無き者にしようとしていた。

 「くくく……。もう一度その言葉を言ってみよ」
 「王様は人を殺します」
 「まるでわしのことを全て知ってかのようなセリフだな。若造よ」

 一言一言に語句に重みがある声だ。
 まるでボディーブローを受けているかのような苦しみ。徐々に体を内部から蝕んでいく様子がひしひしと居合わせたものに伝わる。

 「市を暴君から救うのだ」

 南無三。開けてはいけない箱を開けた。
 箱の中から毒蛇が牙をむいて襲い掛かるのかもしれないというのに。

 「暴君。つまり、わしのことか。ちらほらわしをそのようなに呼ぶ者も多いと聞くが、なるほど……。だから人は信じ得ぬ生き物なのだ」

 ゆっくりと王は片目を開ける。鋭い刃物のようなまなざしから切り刻まれる危険さえ感じずにいられない。
 指を折り、長い髪を垂らす王はもはや人の領域を超えた者と理解しても差し支えない。

 「わしは人の闇を憎む。取り除かねばならない。けしてそれが暴力だの残虐だのとは思わない。
  人を信じることは愚かだからだ。闇が人の信じる心に巣食い、人を怠惰させてしまうのだ」

 待て。そんなセリフは一言も台本に書かれていないぞ。
 もしかしてアドリブなのか?ジャージ姿の哀れなメロスは、金糸の滝のような髪が目立つ王を疑った。

 「言うな!」

 メロスの反駁も王に届かず、一ミリも微動だにしない姿に舞台下で見るものは圧倒され「どうしてコイツが素人なんだ」と
疑問を抱かずにいられなかった。講堂の中の者全ては古ぼけた椅子にもたれる素人に視線を注ぐしかない。
 メロスを演じる迫さえも例外ではなかった。

 「……」
 (どうした、黒鉄)
 「……」

 セリフ無しで演技をこなし、圧倒的存在感を放つことは物書きにとってはご褒美でもあり、屈辱でもあった。
言葉もいらない。王の孤独を言い表すには。黒咲あかねは三日三晩部屋に篭って書き上げた『走れメロス』の台本ノートを片手に
ぐっと奥歯をかみ締めて「わたしが書いてきたプロットと違うのに、こっちの方がすごい」と立ち尽くしていた。
 しばらくは耳を突く静寂だけが続いた。

 「……」
 (……)
 「命じたな」
 「え?」


 解き放たれたケモノが扉に拳を打つ。封じていたはずの鋼の鍵が斧で打ち砕かれて、扉の奥から爪で激しく叩く音がする。
やがて鈍い音を立てて鍵が外れ、血に飢えた慈悲なき猛獣がメロスに襲い掛かった。

 「命じたな……と言っておるのだ」
 「……はい。確かに」
 「下賤の存在で思い上がるとな!このディオニスに意見しようとは笑わせられるわ!身分をわきまえることも知らぬとでも!
  わしは人を信じぬ。信じるものは全て愚か者だ。愚か者に堕ちることは神として生まれたわしにとってもっとも恥ずべきことだ。
  だが、お前はわしに命じた。お前の言葉をわしに信じろといったと相違は無い!よろしい!たった今から、お前は
  わしの憎むべき者に堕ちるがよい!地を這い、泥をなめ、人の尊厳を失い、磔の露と消えるのが相応しいぞ!!」

 こんなセリフは書かれていない。完全完璧にアドリブだ。
 暴君ディオニス役として迎え入れられた黒鉄懐は、まるで創作の世界からディオニスが乗り移ったように演じてしまった。
 メタルバンドのボーカル仕込みの発声が人々の耳を、そして振り乱す金髪が人々の目を奪った。

 「そこまで!!黒鉄先輩!そこまでですっ」

 男だけの舞台を止めるあかねの声。このタイミングでは自分の敗北とも取られても仕方が無いが、もはやなりふりなんか構わない。
あかねは舞台への階段を駆け上り、懐の正面にすっと立つ。物書きとしての意地か、それとも誇りをかなぐり捨てるのか。

 「黒鉄先輩っ」
 「……」 

 無言は幾多の言葉よりも勝る。雄弁は銀、沈黙は金。
 言葉は人を動かし、傷つけるという古からの道理。

 「……」
 「……」
 「ごめーんね?俺、演劇の才能、ゼロって感じ?」

 椅子から立ち上がった懐は舞台下で見るよりもはるかに大きく感じた。
 演劇部秋の公演、初めての通し稽古は、素人役者が全てをかっさらう。

 迫は「アイツよりもディオニスを演じられるヤツがいるなんて」と震える拳を握った。

   #

 「『アイツしかいない』って、迫先輩が言ってました!」

 立ち尽くす迷子の子犬のよう。
 久遠荵は演劇部の一年だ。
 部活のことも慣れた。ちょっとは演技も上手くなった。台本のいろはも覚えた。
 ただ、知らないことはまだまだある。
 例えば、荵の目の前の『アイツ』。

 「仁科を離れて随分となるな」
 「そうなんですね」
 「迫は?」
 「今、講堂で通し稽古しています!メロスをします!だから」
 「わたしにディオニスを演れというのか」
 「はいっ、お願いします。石動先輩」

 石動という男は元々仁科学園にいた。迫の名前を知っていることは、演劇部にも関わっているということに違い無い。
だが、石動は仁科を去った。誰もが止めたが、決心は揺ぎ無かった。疲れ果てたメロスを目の前にする以前のディオニスのように。
 石動は荵に背を向けたままだ。背を向けて、座禅を組むように背筋を伸ばす。表情は分からぬ。スキンヘッドが眩しい。
 板張りの部屋、冬ならばしもやけを起こしてもおかしくないぐらい肌を切る冷たさ。禁欲の持ち主の自宅には相応しいロケーション、
と言っても過言ではない。仁科学園から歩いて30分ほど離れた禅寺は人を厳しく育て上げる。

 「まだ迫はあんなことを言っているのか。『石動以外のディオニスは許さん』と……バカなヤツだ」
 「迫先輩はバカじゃありませんっ」
 「おっと。バカと言ったら自分もバカなんだぜ、お嬢ちゃん。だがな、わたしは役者バカだからバカと言っていいのだ」
 「でも、でも。迫先輩はバカじゃありません!」
 「すまん、謝る。だがな、確かに迫はああ言っていたかもしれんが、わたし以外の者に演じられる者を探そうとしないことは怠惰なことよのう」

 純真無垢な石動の言葉に荵は身動きできなかった。座禅の警策(きょうさく)で肩に「喝」を入れられたように。
 荵は迫の話を聞いてここまでやって来たのだ。仁科を去っても再び石動のディオニスを見たいんだ……と迫が望むから。
同級だからこそ信頼しているんだ。尊敬しているんだ。だから、荵は走る。石動の元へと走る。だが、願いは叶わぬ。
目頭が熱くなる。言ってしまえば迫と荵の勝手じゃないか。許されるものか、そんなもの。と、切り捨てるのは簡単だ。
迫と荵の純粋に『石動のディオニス』が見たいという情熱を簡単にただの笑いものに貶めていいものだろうか。

 「わたしは仁科を去った。演劇部からも去った。ただ、演劇に関しては諦められぬ。お嬢ちゃんよのう……
  迫に伝えてくれないか。『お前の中のディオニスはもう居ない』と。そう、諦めないと試合は終わらない。
  終わらない試合こそ悪あがきにしか成り得ないのではないのでは……よな。信じているぞ、お嬢ちゃんよ」
 「え?石動先輩ーっ」
 「王に二言は無いぞ。さあ、走れ。久遠」

 背中を向けたままの石動はそれ以上語ることはなかった。
 会釈をした荵はくるりと踵を返すと石動の元を離れて夏服のスカート翻し駆け出した。

 「ディオニス以外をも演じられぬわたしはバカ役者じゃのう」と、ゆっくりと荵が居なくなったことを確認して石動は振り向いた。

 荵は走った。
 ぱたぱたと『くまさんぱんつ』が見えそうなのを気にしながら、両手を小さく振って学園を目指す。
 夏の日差しは暑い。雲さえも遠慮して、太陽に空の座を明け渡してしまうほど。濃い影を落としながら荵は道なりを行く。
失った過去にすがるより、走るしかない。過ち、恥、挫折。抱えているだけで不良債権じゃないか。捨てちまえ。

 「わおおーーん!」

 メロスと競争だ。バカ正直の競争だ。正直者がバカを見るとはよく言ったものの、バカを見ることは決して恥じることではない。
むしろ誇りに思え。それだけがメロスを駆り立てていたんだから、荵も身をもって感じるのがよろしい。
 ただ、体力はメロスには負ける。荵は暑い中夢中で走っていた。ふらふらと脚が重くなる。息が上がる。胸が苦しい。
迫先輩、ごめんなさい。わたしは石動先輩の伝えたいことを伝えられないかもです。でも、迫先輩が石動先輩の演技をもう一度
見てみたいって理由は石動先輩に会ったことで、なるほどなーって思いました。ごめんなさい……、久遠荵は力尽きちゃいます。
 大げさな言い訳をして荵は俯いたまま歩き、やがて歩みを止める。くらくらと頭がしてきた。幻覚を見てもおかしくは無い。
 やがてぱたりと倒れ、地面に伏すまでとなった荵はもう動けぬ。大地がこんなに暑いとは、頬で触れるまで知らなかった。

 「あっ……。イヌだ」

 一匹、二匹、三匹……。そして多くのイヌが荵の周りを群れを成して通り過ぎてゆく。
 目の前を四本の獣の脚が通り過ぎてゆくのが見える。
 幻覚でもいい。荵はイヌたちの流れを見ているうちに、やがて疲れ果てた脚も体も気力も回復していった。
 イヌを追いかけるように荵はすくと立ち上がり、再び学園へと走っていった。

    #

 「これが通し稽古ってやつ?俺、遂に舞台デビュー!的な?」
 「まだまだ、黒鉄。練習に練習に続けて台本を調整したりもするからな」

 講堂の入口が騒々しい。大勢?いや、たった一人だ。一人の少女が叫びながら飛び込んできた。

 「ただいま……帰ってきましたあ」
 「久遠っ」

 息も絶え絶えに這えつくばりながらとまではいかないが、荵が迫の元へと帰ってきたのだ。
 ふらふらとよろめく足元はまるで灼熱の地獄から生還してきた旅人のよう、あかねがペットボトルを携えて彼女の元へ駆け寄るも、
講堂の床に足を取られて荵は前のめりで倒れる。反射的に荵を抱えるとあかねの胸元へ荵の顔がむにゅっと収まる。

 「い、いするぎ先輩は……来れませんでしたが」
 「言うな、久遠」
 「ディオニス役は……く、くろがね……」

 幸せそうな顔とは荵の顔のこと。
 夏に光に満ちた講堂が、冬の厳しさに閉じ込められた教会に見えてくる。
 荵のまわりには天使の群れ。
 あかねちゃん、わたしもう疲れたよ。

 「ほら、久遠。迫先輩が見てるよ。黒鉄先輩も」
 「わん!」

 迫と黒鉄の名前を聞くなり荵は尻尾を振って飛び起きた。

 黒鉄懐を連れてきた張本人は久遠荵だ。
 かねてから目をつけていたのだが、合う役が無いということで見送られ続けていたのだった。
 そして黒鉄自身もあまり荵に近づかないようにしていた。だが、あかねだ。黒咲あかねがネタの収集でたまたま訪れていた
バンドの練習、黒鉄がファンだと勝手に勘違いして「じゃあ、恩返しに」と演劇部に加勢する形となったのだ。
 彼に飛び込んだのは『走れメロス』のディオニスの役。もちろん迫は反対した。石動以外は考えられないと。だが、間に合わぬ。
黒鉄にも台本を渡してしまった。黒鉄曰く「英語ばかりのリリゥックよりも覚えやすい」とのこと。ふざけているのか真面目なのか
イマイチつかみ所の無い黒鉄はジャージ姿で長い金髪を振り乱し、演劇部の部員が集まる講堂に現れた。

 「黒鉄と演るのか?」
 「黒鉄先輩は天才ですよっ」
 「王様でも、メロスでも、セリヌウンティウスでも、妹でも、メロスに蹴飛ばされるイヌでも、おれはやるよ」
 「大丈夫か、コイツ」
 「大丈夫だって!ね?あかねちゃん」

 あかねは黙って三人を見ていた。迫は出番の無い荵に提案をする。

 「石動先輩を連れてきたら黒鉄に役をやらせてもいい」
 「え?」
 「黒鉄の役は石動先輩に決めてもらうことで、お互い納得できるだろ」
 「わん!」
 「そして、黒鉄はここで思い切り『ディオニス』を演じろ。相手してやる」

 この言葉を信じて荵は走った。初めての通し稽古直前のことだった。結局、石動は来なかったが、ディオニスの役は決まったようなもの。
石動が話した一切合財を落ち着いた荵は話した。迫の負けだ。言い訳無用。歯軋りを抑えながら、メロス役の迫は肩を震わせるものの
自分で言い出した勝負から逃げることなく黒鉄を彼らの仲間として迎え入れた。黒鉄はにまにまと笑いながら荵の肩を叩いて呟いた。

 「で、迫ちゃん。おれって演技下手だよね?」

 メロスは激怒した。


   おしまい。




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