中道(ちゅうどう)とは、厳しい苦行や、それと反対の快楽主義に走ることなく、目的にかなった適正な修行方法のことをいう。釈迦は、六年間(一説には七年間)に亙る厳しい苦行の末、いくら厳しい苦行をしても、これでは悟りを得ることができないとして苦行を捨てた。これを中道を覚ったという。釈迦は、苦行を捨て断食も止めて中道にもとづく修行に励み、遂に目覚めた人(=仏陀)となった。苦・楽のふたつをニ受(にじゅ)といい、有るとか無いという見解を二辺(にへん)というが、そのどちらにも囚われない、偏らない立場を中道という。
その中道を、天台大師は真理とよび中諦(ちゅうたい)を説いた。諦とは真理という意味である。
中国で説かれた中庸と同一視されることもあるが、厳密には別のものである。中庸の「中」とは偏らないことを意味し、「庸」とは易(か)わらないこと、と説明されている。中道の「中」とは偏らないことを意味し、「道」は修行を意味するとされる。