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ぶ-仏性

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仏性(ぶっしょう)とは、仏の性質、本性をいう。

仏教は概ね大乗仏教(北伝仏教)と部派仏教(南伝仏教)に二分類されるが、大乗仏教の経典である大般涅槃経では、一切衆生(生きとし生けるもの全て)に成仏できる性質が備わっている(一切衆生悉有仏性)と説いている。一切衆生悉有仏性は大般涅槃経を特徴づけるキーワードとも言える。

部派仏教では、この穢れた世界(娑婆世界、穢土)に生まれて苦しみを受けるのは煩悩によるものであると捕らえ、厳しい戒律を保つことによって煩悩を断ち切ることを目的としている。煩悩を断尽すると自然と身から火が出て消滅し二度と生じないとされ、この究極の解脱は灰身滅智(けしんめっち)と呼ばれている。

これに対して、大乗の大般涅槃経では全ての衆生の生命に「仏に成る種」、すなわち仏性があると説き、この仏性を開発し自由自在に発揮することで、煩悩が残された状態であっても全ての苦しみに煩わされることなく、また他の衆生の苦しみをも救っていける境涯を開くことができると説いている。この仏性が顕現し有効に活用されている状態を成仏といい、仏法修行の究極の目的とされている。また勝鬘経(勝鬘師子吼一乗大方便方広経)などでは如来蔵という用語を使っている。

特に、初期大乗経典である法華経においては、それ以前の経典では成仏できないとされていた部類の衆生にも二乗成仏、女人成仏、悪人成仏などが説かれ、その後成立した大般涅槃経で一切の衆生に仏性が等しく存在することが説かれ、一切衆生悉有仏性の根本理念が完成を見るに至った。

しかし、さらに時代を下り後期大乗経典であり法相宗が所依とした解深密経などでは、衆生には明らかに機根の差があり誰もが成仏できるわけではないと説く。そして法華経が一乗を説くのは、能力のない衆生が意欲をなくすのを防ぐための方便である、と説いた。

なお解深密経などは、天台宗の智顗が創始した五時八教の教相判釈においては、法華経や涅槃経以前に説かれた方等部の経典にあたり、権大乗(仮に説かれた方便の教え)で法華経に導く手前の教えと位置付けられた(これには異論もある)。また華厳宗も涅槃経に説かれる一闡提(仏の正法を誹謗し懺悔せず否定し罪を犯す人)の成仏説などを以って、この一乗仏性方便説を否定し論争に終止符を打ったといわれる。

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