「痛ぇ~~!!ちょ、ちょ、折れてんだって!!」
「男が叫ぶな、耐え給え。」
水国軍司令部の一室では、男の恥も外聞もない大声が、扉を突き破らんばかりに響き渡っていた。
——この部屋の主、ロロケルム・ランガスター中佐が、大男の肩に手を置いている。それだけ、なのだが。
大男はといえば、膝を折り曲げ、脂汗を垂らして激痛に顔を歪めていた。
「おいお嬢この軍人頭おかし——ん、あれ。何か、軽くなったような。」
「骨折ではない。筋繊維が捻れているだけだ。戻しておいた。一応、医務室に行って来い。
……それにしても、回復が早いな。面白い。後で話がある。戻ってきたまえ。」
「へ、へぇ。……じゃ、お嬢。またな。何かあったら連絡してくれや。」
大男が扉を開けて、部屋を出て行く。ロロケルムは手を払うと、執務机の向こうに深く腰を下ろした。
室内だというのに年代物の軍服を被り、碧眼は鋭い光を湛えている。——それが、向かいに座る夜色の少女を映した。
「あの男、私の元で雇おう。丈夫さは才能だ。いい人材を連れて来てくれた。
……さて。これで私は君に融資をする必要が無い訳だ。」
「……えぇ、仰るとおり。」
大男の治療費、というのは名目でしかないと、最初から分かっていたのだろう。
ロロケルムの口角が、冷ややかな角度に上がる。——本人曰く、このような笑い方しかできない、との事だ。
初は、彼のこういった所が苦手だった。自らは政治に興味がない、戦争をしたいだけだ、と嘯きながら。
その辺りの政治家よりも鼻が利き、頭が切れる。そうでなくては、軍部という魔窟で上り詰めることもできないのだろうが。
「まぁ、折角久方ぶりに身元引受人の所へ顔を出したのだ。ゆっくりして行きたまえ。
聞きたい話もある。—— これは、どういう事かね。」
軍人がモニターの映像を付ける。小さなニュースの一幕、という扱いだが、そこには確かに彼女の姿が映っていた。
逮捕された容疑者が警察署の外壁を爆破し、脱走。警察官三名が負傷。犯人は現在も逃走中。
「……話しても信じないでしょう。」
「信じるさ。——信頼できない、と言うのなら、そうだな。
この魑魅魍魎の巣で生きる私にとって、管理下にある君が逮捕される、というのはどれほどの不利益か。」
「——、警察官がロボットで、襲われました。身に覚えはありません。」
「成程。どうにも面白そうな話だ。私の権限では介入不能だな。
金銭が必要な事情は、大方諒解した。」
「なら、」
「それはできない。恐らく、君の過去に関わることだろう。その点の助力は、森島君から止められている。」
また彼だ。初の心中に、堪え切れない怒りが湧く。彼女が彼と会ったのは、ただ一度だけ。混濁した記憶がまだ、元に戻らない頃。
その態度からして、過去を知っているに違いない人物。そうであるのに、彼女の前には、決して姿を現そうとしない。
彼は何の権限で、自分を縛ろうとするのか。何様のつもりだ。——初は息を吐いて、はち切れそうな風船を、何とか萎ませる。
「それとも、何か他の理由かね。言ってみるといい。」
「協力して貰えないなら、話す義理はありません。——お金は、奥さんの所に借りに行きます。」
「あぁ、あれは君を可愛がっているからな。今度は上手く嘘をつくことだ。」
「……。」
「クックック、そんな顔をするな。連絡などしないさ。
——危険を感じたら、此処に逃げ込み給え。身の安全は守ってやろう。」
「それは、どうも。」
どん、と大きな音を立てて扉を閉め、彼女は執務室を出て行く。ロロケルムの手が、卓上の受話器を取った。
それから、一旦降ろす。——思い直し、懐から旧式の携帯電話を取り出した。記録させた連絡先を呼び出す。
ワンコールもしない内に、はい、と応答する声は彼にとって聞き慣れたもの。
「テレビは見たか。彼女が此処に来たよ。——いや、違う。
あんな阿呆な力の使い方をする人間ではないことは、君も分かっているだろう。」
“————。”
「—— 止める?滅相もない。
私は彼への義理として彼女に助力はしないが、彼女を止めることはない。
平安と幸福と安寧を願うのならば止めるべきなのだろうが、生憎、私はそのような事を願う人間ではない。承知の通り、な。」
“————。”
「あぁ、そういう事だ。彼女は自らの過去を求めているのではない。
求めているのは、その末にある“自身”だ。矜持と言ってもいい。——、≪ロマン≫だよ。」