【名前】大西 八重子(おおにし やえこ)旧姓:三好
【容姿】170㎝ 黒髪ショート(ハネっ毛)
【生年月日】1962年8月25日(56歳)
【所属】京都キャバリアーズ(一軍投手コーチ)
【利き腕】右投右打 オーバー77(YS小川)
【守備位置】投手
【能力】(87年)152㎞ DE Hスライダー3 シュート3 中○抑○
ピンチA 回復B 緊急登板○ 打球反応◯ 闘志 (接戦時)
【背番号】78
現役時代はほぼ一貫して38番
【球歴】高松商―西武(81~89)‐中日(90~97 96〜投手C兼任)
中日二軍投手C(98~01)―西武二軍投手C(10~14)―西武一軍投手C(15)―ソフトバンク投手C(16二軍、17一軍、18二軍)―京都一軍投手C(19〜)
【性格】男勝りでファイター気質
若い頃は外国人や星野ともやりあうほどだったが、流石に丸くなってきてはいる。
【その他】黄金期西武において存在感を発揮した名リリーバー。
むき出しの闘志で押しまくる投球スタイルで、窮地ほど力を発揮する様は火の玉ガールと称された。
なお主な役割はその気質を活かした「火消し屋」というべきものであり、愛称と噛み合っていない。
連覇が途切れた89年のオフ、その気質を買った星野監督からの打診によりトレードで中日に移籍。
その会見席上では「一度あの人(星野)の下でやってみたいと思っていた」と笑顔で語り場を戦慄させた。
中日ではセットアッパーとして活躍したが、93年頃から故障もあって徐々に下降線。
ナゴヤドーム元年の97年、チームが最下位に沈んだこともあり現役を引退した。

引退後もチームに留まり若手の育成にあたっていたが、星野監督の退任とともに契約満了で退団。
その後は出産、育児もあり現場から離れていたが、2010年に古巣西武で9年ぶりにユニフォームを着る。
2015年には一軍投手コーチも務めたが、この年限りで西武を退団。翌年からはソフトバンクに転じた。
19年からは京都の一軍投手コーチ(ブルペン担当)を務める

香川県高松市出身。

  • 選手として
西武時代は150km超のストレートとスライダー、シュートの横変化で勝負するタイプで、ゴロPの向きが強かった。
中日移籍後は次第にシュートの代わりにフォークなどの割合が増え、9前後の奪三振率を記録するようになった。
特別な球質を持っていたわけではないが、まとまりの良い上に持ち前の気迫とタフネスを武器として長く活躍した。

  • コーチとして
自身はそれほどでもなかったが、コーチとしては空振りを取れる投球を志向する。
また、体作りやウォームアップ、フィールディングなど基礎的な部分から念入りに鍛え上げることに定評がある。
口うるさい面はあるが、お互い納得のいくまでじっくり話し合うタイプであり押しつけがましいというわけではない。

  • 交友
北代にはコーチングを務めたこともあり、志向も近く親しい関係である。
近年の主な教え子はノア及川竹川など。
好みはやはり姫宮杉浦星川(琴)など「スピリットを感じる」投手の模様。
印象深い対戦相手としては信濃西矢を挙げており「女でもこういう対決ができる、ということを見せられて幸せだった」と語っている。なおプライベートでの交友は引退後からである。
中日時代に同僚だった稲葉には事あるごとに憎まれ口を叩いているが、仲は悪くない様子。
四国出身の選手のことは、広義の同郷ということで気にかけている。

  • 人物
様々な誘惑が解禁される時期を広岡監督の下で過ごした影響で、私生活は割と禁欲的。
タバコは手にしたことすらなく、酒も付き合いで口にする程度(それも日本酒しか飲まない)
とはいえ、それをチームに持ち込むことはしない。

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最終更新:2019年08月14日 11:56