堕羽蟲たちのバラッド - Ballad of Fallen Angeloid - ◆l.qOMFdGV.



 ……――

「アルニャン、ベーニャン」
「なぁに? フェイリス」
「機関からの通達があったニャ」
「機関……」
「……いいわ、聞いてあげる。言ってみなさい」
「どうやらフェイリスは“闇の使徒”のNo.2たる《黄昏れの朝》の第三波動攻撃のせいで、残念だけどこれ以上歩くにはかなりの支障をきたしちゃうのニャン……。でも心配はいらないのニャ! 防御結界を張ったからベーニャン達には影響がニャいし、フェイリスだってほんのちょっと、ほんのちょっとだけそこの我が機関のセーフハウス《ネスト》に立ち寄らせてもらえればきっとすぐ治療法が見つかるのニャン!」
「……へぇ」
「この呪いは失われし”部族の最後”の生き残りである《黄昏れの朝》しか使い手が残ってなくて、フェイリスたち機関もこの技には長く苦しめられいたニャン。でもでも、ある時ひとりの研究者が秘められた古文書を解読することによってその対抗策を編み出したはずだったのニャ! ところがその彼も“闇の使途”の極悪非道な罠にはまって命を落としてしまったものニャから、今では《黄昏れの朝》に対抗できる人がいないのニャン……。でもそこの《ホーム》には彼が最後の力を振り絞って残した資料が残っているはずだし、それさえあれば治療の糸口は見つけられるはずなのニャン!」
「……ふぅん」
「そもそもこの《黄昏れの朝》とはフェイリスの個人的な因縁があってそのゴタゴタにベーニャンたちを巻き込むのは本当にほんとーうに心苦しいんだけど、でもフェイリスはどうしてもここで決着をつけたいのニャ! だからほら、ちょーっとそこにある《アジト》に寄り道さえできれ――」

「――ああ、ああ! わかったわよ! もうわかったったら!」
「まだ《ベース》についての説明が終わってないニャン」
「要は寄り道したいってことでしょ!? 変なこと言ってないで素直にそう言いなさいよっ!」
「疲れたのニャ……フェイリスの足はもうボロボロニャン……お休みさせてほしいのニャン……」
「ここまで引っ張って結局は素直に言うの!? っていうか! 《ネスト》なのか《ホーム》なのか《アジト》なのかはっきりしなさいよ! なんでバラバラなのよ!」
「ちなみに《ベース》も同じものなのニャン」
「わざと間違えてたのかよ! 疲れてたから間違えたとかじゃないのないのかよ!! 全部わざとかよっ!!!」
ニンフ、口調が変わってる……」
「フェイリスのせいよっ! アルファー、あんたもぼーっとしてないで何とかツッコミなさいよ!」
「『わざとかよ』、二回言ってる」
「私に突っ込んでどうすんのよぉ!! そこは私じゃないでしょ、しかも無駄にハキハキ喋ってっ! どう考えてもフェイリスにツッコむ流れでしょ!?」
「ニンフ、少し落ち着こう……?」
「ね~休憩しようよ~ベ~ニャ~ン」
「あああああもおおおおおおぉぉぉ!!」

 ――おおおぉぉぉ!!
 ――――おおおぉぉぉ!
 ――――――ぉぉぉ……
 ――――――――…………

OOO

 ……――星の巡り合わせ、などといういかにも地蟲(ダウナー)らしい言い回しを、ニンフは信じていなかった。
 夢を見ないというエンジェロイドの特性もあり、何より事あるごとに迷信がついて回る古い彼らを「地を這う蟲」と見下していたからだ。鎖も切れた今となっては昔の話であるが無理に信じようと考えを改めることもなく、その認識は宙ぶらりんのままだった。

「……まあ、アンタたち普通の人間に気を使わなかったことは謝るわ」
「気にしないでほしいニャ。それよりも謝らないといけないはフェイリスなのニャン……」

 だがその見解は改めるべきだろう。巡り合わせ、運というものは確実に存在する。でなければ、ニンフが天然と厨二病の二人を相手にツッコミ役を務めなければならなくなったことの説明がつかない。

「そんなこと、ない……」
「アルファーの言うとおりよ」
「ううう、アルニャンもベーニャンも優しいのニャン……。四天王と戦った時に切り落とされた背中の翼を取り戻せればこんな迷惑もかけなかったのに、本当に悔やまれるニャン……」
「はいはい……」

 まったく不運な話だ。心の底から湧き出すように、否定の色のない呆れのため息が漏れる。
 先程に出会った裸の気違いに始まって、様子のおかしなトモキや糞メガネといった憂慮すべき事態は山積みだというのにフェイリスの「『非』常識」は真剣になることを許してくれない。なにもかもをうっちゃって飛び去るという選択肢もあるが、イカロスのことを置いても今のニンフにそれはできないだろう。

(こんなふざけた子に付き合うなんて……ほんと、私も丸くなったもんだわ)

 自分でも信じられない話だ。好んで、というと間違いだが、それでもニンフは自分から進んでまるで人間のような行動をしている。そはらのような常識人がこうむるはずの気苦労を背負い込んでまで、ツッコミ役という立場に立っている。
 マスターに盲従するだけの人形ではなく、自らが自らのしたいことに従う自身。トモキ達との生活の恩恵なのか、それとも弊害なのかはわからないが、ともかく彼女の行動は自分でも戸惑うほどに「人間」らしいそれだった。

 返す返すも、「そのような振るまいをしなければならない」状況とはまったく不運な話だ。決して嫌ではないことになおさら溢れてくる倦怠感に、ニンフはもう一度ため息をついた。

「こ、この家は!」
「……なんなのよ」
「幾度となく転生を繰り返して記憶が擦り切れきったフェイリスが唯一覚えている最初の生家、"始まりの地"!」
「"始まりの地"……」
「…………」
「そうなのニャ、アルニャン。間違いないニャ、ここにこそフェイリスが幾多の希望の出会いと数多の悲哀の別れをしなければならなくなった運命の源、"原初の魔導書"が眠っているのニャ……!」
「……セーフハウスではなくなったのね、いつの間にか……」

 まあ、それはともかく。
 移動がフェイリス基準であるゆえにこれ以上彼女の歩みを遅らせるわけにはいかない。抱えて飛べば話は早いのだろうがイカロスもまだどこか顔を曇らせたままだし、どうにも言い出すきっかけをつかめず歩きつづけてきた。そういう訳で最短距離を直進すること叶わず、道なりに方角を合わせて進んで現在地はD-3の南東端っこ。
 いっそフェイリスから「乗せてくれ」と言われないかな、イカロスもコアを取り込んでメダルには余裕があるのだから言ってくれればな、とぼんやり考えながら一時間歩きつづけて、たいした距離を稼ぐこともできずにとうとうフェイリスが音を上げ道のわきにある家屋での休憩を提案したと、そういう話であるのだった。

「……《黄昏れの朝》との因縁、聞きたいかニャ?」
「もうええっちゅーねんっ!」
「ニンフ……」

 エンジェロイドである我が身にこの程度の行動で休憩は必要ない。畢竟するにこの道草で安息を得るのはフェイリスだけであるのだが、彼女とイカロスと行動を共にしなければならないニンフにはただただ疲労が積っていくだけだろう。休むはずなのにどうして余計な疲れを背負わねばならないのか。
 全身が萎えたような気がして溜息をついてみても、この憂鬱を吐き出してしまうことはできなかった――……

OOO

 ……――そこは二階建ての家屋であった。
 一階にはリビング、二階には住人の個室と、特に目を引くものもないオーソドックスな一軒家。構造はどことなく智樹の家を連想させて、その廊下を歩くイカロスはひどく心がざわつくのを感じた。
 あの家に帰りたいと思い、同時に主の姿を思い浮かべてしまって、追い払うようにかぶりを振る。何も考えたくない。

 ぼぉん、ぼぉん、ぼぉん、ぼぉん。そんな時計の音が四回、ぼんやりと歩むイカロスの耳朶を打つ。もう四時間も経っているのか、と気を紛らわし紛れにそんなことを思った。
 殺し合いが始まってから時計の長針が四周したと告げるそれを導かれるように、イカロスは目に付いたドアを開ける。赤みを帯び始めてきた陽射しが部屋に陰影を書き込み、軽く軋んだドアが巻き上げた塵クズたちは斜めに走るその光の中を我先にと踊りだした。
 それらに続いてむわりと立ち込めるのは鼻につくくすんだ香り、埃の臭いだ。しばらく使われていないと窺い知れる、人の生活からは縁遠い時の止まった香りが充満するなかを歩いて、ゆっくりとイカロスは部屋の中央に進みでた。
 書斎といった体のそこをぐるりと見渡す。敷き詰められた柔らかい絨毯、アンティークの書斎卓、オーディオ・プレーヤー、日焼けした本棚、十六時を示すシックな柱時計。少し豪華なだけで他に変哲のない設えの部屋は、きっと家長の私室であったはずだ。
 ふと目についた、本棚から背を飛び出させた一冊の本を手に取り、開く。 そして視界に飛び込んできたそれにむかって、イカロスは小さく呟いた。

「これ、アルバム……」

 それを開いた瞬間から時間を少し遡り、きっちり三十五分前の話である。この建物に入るなり、フェイリスは吸いこまれるようにしてリビングに据えられていたソファに飛びこんだ。あきらめきった表情のニンフは「出発してもよくなったら教えてよ」と告げるなり二階に消える。おかげで残されたイカロスは三十分以上フェイリスの話に付き合う羽目になった。
 イカロスには彼女の言っていることが正直よくわからない。ただ、よく思いつきが枯れないな、などといった感想を浮かべてフェイリスの話に小さく相槌を打ち続ける。
 そうして、よく回る舌をいつも以上に回転させた彼女がとうとう眠りに落ちたのがつい先ほど、ほんの五分ほど前だ。
 フェイリスが寝付ききったことを確認したその足でリビングを後にし、向かう先は見る間もなかった他の部屋々々。適当に入り込み、適当に物を手に取り、適当にそこを後にする。

 ニンフに遅れること三十五分。ようやく始まった家探しで、そうしてイカロスはそのアルバムを見つけたのだった。

「お祭りの写真……。……こっちは、動物園の……」

 それは軌跡だった。どこの誰だか知らない家族が時を刻んできた確かな証。笑顔と、それにまつわる記憶の記録。
 片手に背表紙を乗せて、もう一方でページをめくる。あどけない笑顔、照れたような笑顔、共にあることが嬉しくて仕方ないという笑顔。
 ああ、楽しかったのだろうな。そう思った。

「私も、マスターと……」

 動力炉が締め付けられるように痛み、イカロスは大きく剥きだされた胸元で拳を握りしめる。エンジェロイドとしての本能と、マスターとの生活のなかで、そしてニンフの言葉によって今一度目覚めた意志が激しくぶつかり合う。瞬くように記憶が走って、痛みはまた一段と激しさを増した。

 あのマスターの言葉は信じたくない言葉だった。己と過ごしたはずの楽しかった日々を、信じたいモノを嘘に変えてしまう言葉。
 そして、その言葉を「信じたくない」と思う、思えてしまう自分。誰であろうマスターの言葉のはずなのに、よりにもよってそれを「信じたくない」と。
 シナプスでこんなことを考えたら即座に廃棄処分だろうが、そもそもシナプスにいさえすればマスターの言葉に悩むことすらなかったはずだ。

 ――「私は……いいと思う」――

 そして、ニンフからもらったあの言葉。シナプスに、マスターという存在に縛られていたはずの彼女からもらったあり得ないはずの言葉だ。彼女が変わったことは朴念仁のイカロスにも理解できていた。それでも、こんな言葉がニンフから零れるなんて今でも信じがたい。本当に以前のニンフとは別人のようだ。

 ――「自分自身で決めなさいよ……!!」――

 彼女がそんなふうになったことには、間違いなくマスターが関わっている。イカロスが信じたい、彼女の全てであると言って過言ではない彼。でも先の命令を下したマスターは、ニンフを変えた彼と同じだとはとても思えない……。

(信じたい。ニンフを、私を変えたマスターを信じたい……信じていたい)

 ああ、思考が煩わしい。強く強くそう願っているはずなのに、それでもまだざわめき立つ心が煩わしくて仕方がない。眉根を寄せてさらに強く自分の胸を抱き寄せる。そうしないとバラバラになってしまいそうで、イカロスは小さく「マスター」と呟いた。

 ……閑話ではあるが、少しイカロスというエンジェロイドの話をしよう。
 彼女はシナプスから降りてから様々な出来事と遭遇する。そして今まで考えてもみなかったもの全てについて、どうすればいいのかを考えて自分で解決しようと行動する。もっともそれはずいぶんと最近の、同時に"未来"の話であるのだが、それはいい。
 ともかく、それは決まって上手くいかない。彼女が主との生活でようやく得た「自分で決める意志」というものを考えると残念なことであるが、そう決まっているのだ。
 そうして、迷って迷ってさらに彷徨って、結果としてそれはいつもマスター……智樹の力によって答えに導かれる。

 彼の行動で、言葉で、あるいはその両方で、初めてイカロスは笑顔を浮かべることができるようになる。

 つまりそれは、決して彼女がひとりで答えに辿り着くことのない盲いた天使であると、そういうことと同義であるのだった。

「マスター、教えて下さい……」

 ニンフもフェイリスもマスターが偽物だといって、私もそうであってほしいと願っている。
 でも、私がそれを信じることを、「マスターを否定するエンジェロイドがどこにいる」と本能は激しく否定する。
 でも、あのマスターが本物であるとは信じたくはない。
 でも、マスターが仰られたことは。でも、自分で決めてもいいと。でも、でも、でも……。

「…………」

 ぱたん、とアルバムを閉じる。知らない誰かの笑顔が隠れて消えた。

 ――きっとニンフたちの言う通りなんだ……「信じたいことを信じろ」。あのマスターは偽物で、私は偽物に騙されていただけ。私のなかで光るあの日々の記憶に嘘はなく、どこにも信じられないものはない。
 真実は、忘れられない日々は、正解は、私の記憶の中のみに存在する。

 マスターに出会った。
 そはらさんたちに出会った。
 ニンフが来て、記憶が戻って、彼女の鎖が切れた。
 マスターと、みんなでの生活が始まった。
 スイカが欲しかった。
 デートに行った。
 ……マスターと手を繋ぎたかった。

 イカロスの記憶に嘘はなく、信じたいものが真実で、それと違うマスターは、偽物。

 そう、偽物。
 イカロスの記憶と違うから、あれは、偽物。

 揺れる己を確定させる答えを導き出してそれに縋りつく。心の中にマスター(鳥籠)を作り出し、そこに自身の心を納める。主を求めるエンジェロイドの本能のようなもので、それは同時に彼女が唯一つけられる自身の迷いとの決着だった。

 ようやくだ。ようやくイカロスは安堵した。これでニンフとの問答で導き出した答えをわだかまりなく信じることができる。
 これでもう、自身が信じたいマスターを信じることに悩む必要はないと、そう安堵した。

 そして、その瞬間のことだった。
 自己保全に働いた防御本能が形を成したその瞬間。
 そうだ、私はそれを信じるべきなんだ、と、確信を嚥下するように喉が蠢いたその瞬間。

 “それ”に気づいて、動力炉が小さく波打った。

 ――偽物。

「……あ、れ」

 頭がマスターのことでいっぱいで、だから気がつかなかった。

 ――そういえば、どうして。

「……ちょっと、待って」

 私の記憶こそが唯一正しいものだと確信した今になるまで、まるで気付いていなかった。

 ――ニンフの背中に。

「……どうして?」

 ハーピーに襲われた彼女を助けたのは、ああ。
 忘れもしない、忘れようもない。
 私のマスターじゃないか……!

 ――羽があったんだ?

「……ニンフ?」

 襲われたニンフ、羽をもがれたニンフ。
 記憶との齟齬。記憶と違うもの。
 つまり嘘。
 つまりニンフは。笑顔をくれたニンフは。時折小さく羽をはためかせた、あのニンフは。

 名を呼ぶ声が茜色の日に拡散していく。世界が赤色に溶けていくようで、動力炉が平時を遥かに超えて脈打って、視界の全ての輪郭ぼやけてが崩れて、そして――。

「――こんなところにいたのね」
「ッ」

 脳髄を揺さぶるように、さして大きくないはずのドアの開閉音がイカロスの思考を引き裂いた。
 弾かれたようにむける視線の先には、ドア枠の向こうで腰に手を当てて立つニンフの姿がある。そして、その背中には、勿論。

「フェイリスのところにいないから探しちゃったわよ。あの子ったら寝ちゃってるし、しばらくはここで足止めってことになりそう」
「ニン、フ」
「それにしても無駄に広い家よね。なんかちょっとだけトモキの家っぽいわ」

 何を気負う様子もなく、ニンフは部屋に踏み込んでくる。まるで平静といったその様子に背筋が粟立ち、イカロスはニンフの歩みに合わせるように小さく一歩、後ずさった。

「……何? っていうか何持ってんの? それ」

 イカロスの態度へ怪訝な表情も一瞬、すぐに猫のような好奇の色が顔を覗かせる。ニンフはつかつかと詰め寄りイカロスの手にあるアルバムを引っ手繰った。抗う力も最早なく、興味深げにアルバムを開いたニンフを視線で捉えたまま、イカロスはゆっくりと部屋の出口へ近付いていく。

「アルバムじゃない。ここの家の人のかしら」
「……そうみたい……」
「へー。あ、動物園。私たちも行ったわよね」

 あのときのトモキの慌てた顔、いまでも思い出せるわ。困ったような笑顔を浮かべてそう零すニンフ。
 そうだね、行ったよ。私も覚えてる。だからそれは本当。

「この家族スイカ割りもしてるわ。アンタもスイカ好きだし、また今度これやってみましょうよ、こないだみたいに」

 そうだね、スイカは好きだよ。私が初めて欲しいと思ったものだから。だからそれは本当。

「プールの写真もあるし……、あ、お花見も行ってるわね。……なんだかどれもトモキがアホやってることしか思い出せないわ……」

 ――プール? お花見?
 ――マスターが、どうしたって?

「はあ……。本当に、いろんなことがあったわ、こっちに来てから。アルファーがこっちに来てから、かな? カオスに襲われたこともあったけど……まあそれも含めて色々ね」

 ――そういえばさっきもカオスのこと、言ってたよね。
 ――それで、それは、なんなの?
 ――私はそんなもの、知らないのだけれども。

 くすくすくす。そう笑うニンフはひどく楽しそうで、彼女にとっての日々がどれだけ大切なものなのかを物語っている。
 でも、そんなものは関係ない。
 だって、イカロスの記憶にないものは、全部嘘なんだ。
 だから、ニンフが語る日々は、全部、存在すらしていないもの。

「アイツの前じゃ絶対に言えないけど、トモキには本当に助けられてるわ」
「…………」
「だからアストレアだって仲間になったんだし、私も今こんな風に笑えるんだしね」

 ――アストレアが、仲間。

「だからアルファー」

 ――マスターを殺しにきたΔが、仲間。

「アンタが信じたいものモ」

 ――もう間違いない。

「私ガかなラズ」

 ――つまるところ、このニンフのように見えるナニカは。マスターの敵を仲間と呼ぶナニカは。

「トリモドシテアゲルカラ――」

 ――偽物!!

 ニンフが何を言っているのか、そんなものは理解する必要がなかった。
 だってあれは、偽物なのだから。イカロスの大切な日々、信じたいモノ、そのどこにも居場所がない、必要のないものなのだから――……

OOO

 ……――どしん、と、建物が揺れて、目が覚めた。

「ニャニャニャニャなんニャッ! 前世に封印した魔神がとうとう暴れ出したのかニャッ!?」

 まどろみの底にあった身体を無理やり引きずり起こして、フェイリスはベッドと化していたソファから飛びあがった。
 染みついた口癖と病気は寝ぼけた頭でも仔細なく動作するが、それに反応するものは周りにいない。アルニャンとベーニャンはどこだ?

「アルニャ――」

 さっきまで傍らに座り話に付き合ってくれた天使のような美貌の彼女を呼びかけて、そしてその言葉が結ぶより早く彼女は現れた。
 残念ながらそこには先までの美しさもすっとぼけたような表情も、欠片もありはしなかったのだけれども。

「フェイリス……!」
「アルファー、待ちなさい!」

 行く手を阻む家具を大きく広げた羽でなぎ払うようにして、その出入り口からイカロスがリビングを突っ切った。彼女の背から追いかけてくるニンフの声の意味も、その鬼気迫る表情の意味も、何を問う事も許さずイカロスはフェイリスを抱え上げる。

「ちょっ、アルニャ」
「しっかり捕まって……!」

 床に放置されていたはずの赤と黄の魔槍が二本、イカロスの翼に打ちすえられて木っ端へと帰した椅子や床板に混じって宙を舞った。パニックから勝手に暴れだす手足は、しかしイカロスの蛮行を阻むには至らない。
 かろうじてその槍を視界の端に収めて、枕替わりに敷いていたデイバッグをふたつイカロスが掴むのを見て、遅れて現れたニンフをリビングの出入り口の向こうに捉えて、フェイリスの意識はそこでぷつりと途切れた。彼女を抱きかかえたイカロスが即座に窓を突き破って家を飛び出し、そうして襲い来たGはおよそ人間の身体に耐えられるものではなかったからだ。
 何も知らぬうちに全てを置き去りにして、フェイリスは再び闇の中へと沈んでいく――……

OOO

 ……――どうしてこんなことに、なんて、歯噛みしたところで何も変わらない。
 眼前にあるものは、ただイカロスがニンフを突き飛ばしフェイリスを抱えて自身から逃げ去ったという、その事実だけ。
 飛び散った槍のうち、赤く長い方――本来イカロスに渡したはずのものだ――だけを掴んで飛び出せたことだけがかろうじて僥倖と呼べるかもしれないが、そんなことではとてもこのすれ違いの不運は覆せない。

「待ちなさいよっ!」

 身に余る丈の槍を持て余しながらも、取り戻したばかりの羽を広げて先行するイカロスを追う。その行為がさながら挑発のように先を行くイカロスの足をさらに速めることになるとは、ニンフには知るよしもないことだった。

「アルファー!」

 目指していたはずの方向とはまるで見当違いの南へイカロスはまっすぐ飛んでいく。
 抱えた人間を気遣ってのことか、その速度は最高のそれから程遠かった。当のフェイリスはぐったりとしているが恐らく気絶しているだけだろう。
 対するニンフは全速力だ。直接的な戦闘に向かない彼女の速度でも、現状のイカロスのそれに比べればいくらか速い。
 やがてその速度差は、しばらくの追いかけっこの末に功を奏した。

「待ちなさい、ってば!」
「くっ……ぅ、離して……!」

 かろうじてイカロスに追いすがったニンフが空中で彼女に掴みかかる。手の中の槍は邪魔だが、当然それを攻撃に用いることはない。戦うのではなくただ泥臭くもつれ合う。徐々に高度が下がるその状態からイカロスが離脱しようと暴れるが、ニンフはそれを許さなかった。

「落ちつきなさい! 何があったってのよ、アルファー!」
「消えて……あなたなんか、見たくもない……!」
「アルファー……ッ、キャア!」

 錯乱しきったイカロスの言葉は予想だにしないものだった。がつんと殴られたような衝撃が胸の内を走って、それは想像以上にニンフの心を抉っていく。

 ――あの忘れられない日々に私はいらない、って?
 ――「出来損ないのくせしてトモちゃん狙わないでよ」、アルファーも、そう思ってたって?

 わずかな逡巡と膠着。おかげで団子になった二人はそびえる木を避け損ない、大きく砂埃を立てて墜落した。
 その衝撃に組み付いていた体が吹き飛ばされる。

「ぐぅっ!」
「……っ!」

 ざりざり、と全身が地を舐めた。損傷はかすり傷程度に収まり握り締めたゲイ・ジャルグも離れず手の中にあったが、全身はどうしようもなく砂まみれだ。
 だが今は当然それどころではない。昔は耐えられなかったその汚れを払う事すらせず、ニンフは跳ね上がるようにして起きあがった。フェイリスは――。

「…………っ」

 よかった。フェイリスは同じく墜落したイカロスの腕の中にいる。目立った外傷も見当たらない。イカロスがかばったのだろう。
 一息つきかけて、すぐに頬を引き締めた。

「アルファー、何があったの!? どうして私から逃げるの!」
「――あなたが! 偽物だから!」
「偽物っ?」

 突拍子もない、どころではない。
 いったいこいつは何を言っている?

「ニンフは羽を毟られた。アストレアは敵。カオスなんてものは知らない。お花見もプールも、私は、マスターと、行ったことなんて、ない……っ!」
「んなっ――」

 ――記憶域(メモリー)プロテクト?
 咄嗟にそんな言葉が頭をよぎる。

 お花見だってプールだって、みんなで行って、みんなで楽しんだじゃないか。
 「みんなで楽しんだ」こと、それが重要なのだ。記憶を共有して、あの「忘れられない日々」を永遠にする。それが何より嬉しく、泣きたいぐらいに幸せなことだというのに、イカロスはそれを忘れたと言う。
 何かが込み上げてきそうで、ニンフは無理やりそれを飲み込んだ。吐き出したい衝動を叱咤して思う。
 何かの間違いだ。少しばかり辛いけど、間違いは間違いに違いない。そうだとも、屈するにはまだ早過ぎる。

「馬鹿言ってんじゃ……馬鹿言ってんじゃ、ないわよっ!」

 声を大にして叫んだあとの気分といったら、まるで心のつかえが取れたようだった。うっとおしい悲嘆の代わりにむかむかとした気分が腹の底から湧き上がってくる。
 そうだ、どうしてここまで虚仮にされたものだろうか。あの日々を、あの笑顔を嘘だったとは言わせない。大方これはあの眼鏡うじ虫に施された措置だろう。いや、シナプスの主かもしれない。でも誰だってかまわない。わずかな齟齬を発生させて、そこから不和を生み出すための措置。そんな舐めたまねをしてくれるやつは、どうあっても断罪すべきだからだ。
 手のひらに力を込めて握り締める。槍の柄の堅い感触が、ニンフの決意を後押ししてくれる確かな足場のように感じられた。

 私たちの大切な記憶をそんな風にもてあそぶなんて、絶対に許されることじゃあない。
 だって、やっと掴んだんだ。アルファーも、無論私も。
 だというのに、それをこうして穢すなんて、こんなことはあってはならない!

 「あんたはメモ――」

 ――リープロテクトをかけられてるだけなのよ。そうだわ、私たちが生きた、初めて生きることができたあの日々が嘘なはずないじゃない。それが偽者だなんて、誰にも言わせないわ。もちろんあんたにもね――。

 言葉にするのはあまりにも簡単だったはずだ。それなのに、余すところなく心を吐き出すはずのそれは掻き消された。
 他の誰でもない。
 トモキの次くらいに大切で、なくてはならない人で、そして、言葉を伝えたかったアルファーその人によって、だった。

「……アルファー。あんた、ほんとに」
「それ以上私のニンフを、記憶を、汚さないで」

 イカロスが構える弓矢を模した破壊兵器には見覚えがある。一度それを向けられた恐怖は、どうしたって拭い去れなかったからだ。
 最終兵器『APOLLON』。
 御しきれない細かなエネルギーの余波がじりじりと鼓膜を焼く。
 フェイリスを弓を引く左手に抱きかかえたままの暴挙だ。
 彼女が気絶していてくれて助かったという思いが頭のほんの片隅を過ぎった。自分たちを天使と呼んでくれた彼女に、こんな堕ちた姿を見せたくはない。

「……嘘でしょ……?」

 そんな考えはあっという間に過ぎ去って、想いが次から次へと脳裏に去来していく。やっとの思いで言葉を漏らすも、その白々しさが痛々しい。
 ニンフ自身が理解していたからだ。
 あの時はただの脅しで済んだけど、これは違う。
 その強い意志の瞳は、皮肉にもあの光り輝く日々によって形成された、真なる彼女の望み。

 イカロスは“この”ニンフを排除したいと、切にそう願っている。

「アルファー」

 これ以上なにも言うことはない、言葉にされずともニンフがそう理解した瞬間、掠れ切った自身の声は灼熱に穿たれ消散した。
 向かい立つ彼女にも自分自身にも、目の潰れた天使たちを導く機能を持たされた彼にも、その声はまるでひとかけらも届かない。

 無意識に伸ばした手に鏃が触れる。着弾と同時にそれは炸裂して、あとはもう――……

OOO

 ……――行かなければ、そんな意識だけが残っていた。
 目障りな偽物がなくなった今も心はざわついたままで、この障音は何を置いても取り除かねばならない。

「マスターに会わなくちゃ。本物のマスターに会わなくちゃ。私と生きた、私が信じたマスターに会わなくちゃ」

 それ以外には、何もない。

 考えてみればおかしいのは羽の話だけではなかったのだ。
 どうして気付けなかったのだろう。
 なんと愚かなことか。
 間抜けなイカロス、馬鹿なイカロス。
 私はまた、「嘘」にまんまと騙されたという訳だ。

 イカロスはニンフの撃墜を確認していなかった。偽物のニンフなど、その残滓を目にすることすら吐き気がする思いだったのだ。だから爆炎も収まりきらぬうちに、自身を破壊の余波から護るイージスを展開したまま飛び去った。

 そこまでは首尾よく運んだのだが、しかし今のイカロスにはメダルの残量が心許ない。E-4のどこかに降りて方策を立てるか、それともこのままあのひと際大きな建物――鴻上ファウンデーションビル――まで飛び続けるか、どうにも決めかねる。
 放送までは残り一時間半強。いっそのこと放送まで手近なところで休んでしまうべきか。

 いくつかの案が泡のように浮かんでは溜まっていく。どちらにしても、近くに本物のマスターがいてくれれば他は、それこそメダルのことすらどうでもいいのだけれども、そう思いながら胡乱げに飛んでいると、その腕の中で小さく震えるものがあった。

 彼女、フェイリスはいまだに気絶したままで、目覚めるようには思えない。頻度が低く小さな身じろぎに加え、ただ機械的に呼吸を繰り返しているだけだ。
 マスターがいたらきっとこの機は逃すまい。王子気取りのキスか人工呼吸と称したそれかを間違いなく狙うだろう。肩からずり落ちかけたデイバッグふたつを背負いなおし、容易く想像がつく自身のマスターの行動に想いを馳せる。

 イカロスたちの日常とはそんなものだ。
 ――そんなものなのだ、イカロスが隣にいようと、何一つ変わりなく。

(そういえば、こいつも)

 私の記憶の中にはなかったな、と。
 イカロスはほんのちょっぴりだけ、そう考えた――……



【一日目-夕方】
【E-4/上空】

【イカロス@そらのおとしもの】
【所属】赤
【状態】健康、とてつもなく不安、とてつもなく冷静
【首輪】25枚:0枚
【コア】クジャク(使用済み)
【装備】なし
【道具】基本支給品×2
【思考・状況】
基本:本物のマスターに会う。
1.本物のマスターに会う。
2.嘘偽りのないマスターに会う。
3.共に日々を過ごしたマスターに会う。
4.鴻上ファウンデーションビルまで飛んで休むか、E-4の街中のどこかで休むか
【備考】
※22話終了後から参加。
※“鎖”は、イカロスから最大五メートルまでしか伸ばせません。
※“フェイリスから”、電王の世界及びディケイドの簡単な情報を得ました。
※このためイマジンおよび電王の能力について、ディケイドについてをほぼ丸っきり理解していません。
※「『自身の記憶と食い違うもの』は存在しない偽物であり敵」だと確信しています。
※「『自身の記憶にないもの』は敵」かどうかは決めあぐねています。
※最終兵器『APOLLON』は最高威力に非常に大幅な制限が課せられています。
※最終兵器『APOLLON』は100枚のセル消費で制限下での最高威力が出せます。
 それ以上のセルを消費しようと威力は上昇しません。
 『aegis』で地上を保護することなく最高出力でぶっぱなせば半径五キロ四方、約4マス分は焦土になります。
※消費メダルの量を調節することで威力・破壊範囲を調節できます。最低50枚から最高100枚の消費で『APOLLON』発動が可能です

フェイリス・ニャンニャン@Steins;Gate】
【所属】無所属
【状態】健康、嫌な物を見せ付けられた不快感、気絶
【首輪】100枚:0枚
【コア】ライオン
【装備】なし
【道具】デンオウベルト&ライダーパス@仮面ライダーディケイド
【思考・状況】
基本:脱出してマユシィを助ける。
0.天使や妖精と友達になったニャ! けど……
1.アルニャン(イカロス)達と一緒に行動する。
2.凶真達と合流して、早く脱出するニャ!
3.変態(主にジェイク)には二度と会いたくないニャ……。
4.桜井智樹は変態らしいニャ。
5.イマジン達は、未来への扉を開く“鍵”ニャ!
6.世界の破壊者ディケイドとは一度話をしてみたいニャ。
【備考】
※電王の世界及びディケイドの簡単な情報を得ました。
※モモタロス、ウラタロス、キンタロス、リュウタロスが憑依しています。
※イマジンがフェイリスの身体を使えるのは、電王に変身している間のみです。


【全体備考】
※D-3最南東端の二階建て民家(1F南側の壁にでかい穴あいてる)に、ゲイ・ボウ@Fate/zero が放置されています。



OOO

 ……――大地はいまだじりじりと焼けていて、大気は吸えばたちまちその肺を焼き切る熱を孕んでいる。
 戦略エンジェロイド「空の女王(ウラヌス・クイーン)」が持ちうる兵装の中で最強の破壊は、標的であろうがなかろうが全てを例外なく食い尽くすそれのはずだ。その暴威を一身に受けてあらゆる物が打ち砕かれ原型を留めずいる元公園のなか、こともあろうにそもそも矢に狙われていた彼女だけがかろうじてその姿を保ち続けていた。

「……ぁ」

 なんとか電算機器が満載の頭部は守り抜いていた。もちろん火傷やかすり傷は目も当てられないほどの爪痕ととして顔を含めた全身に残っているし、ご自慢の羽もその例に洩れることはない。しかし高々電子戦用エンジェロイドでしかないニンフが、あの空の女王の最大の一撃を真正面から受けたというのに右腕一本の喪失のみで耐えたというのは、これはもう称賛に値するどころの話ではない大金星だ。

 例えそれが制限の元の一撃であろうとも。
 例えそれが赤い魔槍の破壊と同時に放出された、ニンフにとって未知のエネルギーが『APOLLON』の威力の大半を相殺した結果であろうとも。
 例えそれがイカロスが余熱からの自身の防御のためにメダルを割いたことも鑑みようとも、である。

 最も、その栄光をニンフに誇れと言うのはこの上なく非道な話だ。

 ああ、なんとままならない話であることだろう。誰も彼もが実にツイてない。誰も悪くない、というところが何より最低の不運であり、同時に最高の皮肉だ。

 盲の羽蟲に相応しい物語の果てで、ニンフはただ独りぼっちだった――……



【E-3/公園】

【ニンフ@そらのおとしもの】
【所属】青
【状態】身体ダメージ(極大)、全身に火傷や裂傷多数、羽はボロボロ、右腕喪失、強い混乱、深い絶望
【首輪】0枚:0枚
【装備】なし
【道具】なし
【思考・状況】
基本:知り合いと共にこのゲームから脱出する。
 1.どうして……?
 2.知り合いと合流(桜井智樹優先)
 3.トモキの偽物(?)、裸の男(ジェイク)、カオスを警戒。
【備考】
※参加時期は31話終了直後です。
※広域レーダーなどは、首輪か会場によるジャミングで精度が大きく落ちています。
※“フェイリスから”、電王の世界及びディケイドの簡単な情報を得ました。
※このためイマジンおよび電王の能力について、ディケイドについてをほぼ丸っきり理解していません。
※イカロス、フェイリスの行方を把握していません。
※『APOLLON』のダメージによって放出したセルメダルはイカロスに吸収されておらずニンフの周りに散らばっています。


【全体備考】
※E-3の公園を中心に半径500メートル程度が完全な焦土と化しており、半径一キロに渡って衝撃波や火災と言った影響が及んでいます。
※ゲイ・ジャルグ@Fate/zeroは消滅しました。





OOO

 ……――斯くして長々と語られた羽蟲たちのバラッドは一応の終わりを見る。
 もしこの悲喜劇にあえて訓戒をつけるとするならば、そう。
 「人の話はよく聴きましょう」と、そういったものであるはずだ――……





067:ドミナンス 投下順 069:鈴羽の敵はそこにいる
067:ドミナンス 時系列順 069:鈴羽の敵はそこにいる
028:Iの慟哭/信じたいモノ イカロス 073:流浪の心
ニンフ 077:X【しょうたいふめい】
フェイリス・ニャンニャン 073:流浪の心



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最終更新:2012年11月16日 23:48