抗えぬ性に苛まれる悲劇の主人公だったのか。
それとも、生来の悪を持つ殺人鬼だったのか。

この世に生を受けたのは二十八年前。
生まれは郊外のしがない古本屋だった。
本に囲まれた静謐な時間の中で、僕は読書家の父に育てられた。
母親は知らない。顔も見たことが無いし、父親は母というものに関して何も話してくれなかった。
僕が母について問いかけても、ただばつの悪い表情を浮かべて黙り込むのみだった。

母への情念を抱く僕を黙らせる為か、或いは単純に読書家としての性か、父は頻繁に本を与えてくれた。
彼は本に関しては雑食だったが、主に推理小説を好んでいた。
正義の心を持つ探偵が事件に巻き込まれ、謎を推理し、真相を暴く。
思えば、父の好んでいた推理小説こそが僕の原点だったのだろう。
僕は父と同じように、本に没頭した。
書の世界に己を沈め、数多の物語を読みふけっていた。

思えば、全ての切っ掛けは“魔が差したこと”だったのだろう。

十歳を過ぎた頃から、僕は命に興味を持つ様になり始めた。
何の躊躇も無く潰される虫螻。
何の疑問も抱かれずに食い潰される家畜。
人間という尊ばれる掛け替えの無い命。
その差は何処から生まれるのだ。
幼き僕はただ当たり前のようにそんな疑問を抱いた。

いつしか僕は死を観察するようになっていた。
齢にして十一の頃、掴まえた蛙を掌の中で握り潰したことが始まりだった。
命とは何なのか。死とは何なのか。殺す者と殺される者の違いとは何なのか。
ただ力があるか、そうでないかという二元論でしかないのか。
疑問は際限なく膨れ上がり続け、僕の所業は加速した。

それらが本心だったのか、欺瞞に過ぎなかったのか、今の僕には最早解らない。

ある時、僕は虫螻を殺した。
欠片すら無くなる程に踏み潰した。
体液の様な何かが僕の靴の裏にこびり付いていた。

ある時、僕は蛇を殺した。
頭部を踏み潰された胴体がビクビクと痙攣を繰り返していた。
死骸はそこいらの川に投げ捨てた。

ある時、僕は子犬を殺した。
スコップで何度も何度も殴打してやった。
誰かに気付かれる前に傷だらけの死骸を土の中に埋めた。

ある時、僕は猫を殺した。
胴体を押さえ込み、刃物で首を綺麗に切断してやった。
殺害する瞬間、尋常ではない昂揚感が込み上げた。
生首と胴体は森の奥底に投げ捨てた。
鴉の群れに死肉を喰わせてやった。


十五になって間もない頃、僕は父親を殺した。
なんてことはない。ただ今までの延長線上の出来事。
今まで殺してきた動物と同じように、人間を殺した。
記憶している内ではそれが初めての殺人だった。

掻き切られた首を抑え、悶え苦しむ父親にとどめを刺した瞬間。
僕の胸の内に去来したのはどうしようもない罪悪感だった。
自分は一体、何故こんな取り返しのつかない行為をしてしまったのだろう。
僕はどうして殺生に拘っていたのだろうか。
何の為に殺しという悪徳を繰り返していたのか。
命の価値を確認したかったから?生命の生死に興味があったから?
生と死を分けるのは運命なのか、知りたかったから?
最初はそうだったのだろう。僕の殺生の原点は好奇心だったのだから。
だが、その目的は次第にすり替わっていた。
否、もしかすると、初めからそうだったのかもしれない。
それを僕が哲学的な動機という自己欺瞞によって頑なに否定していただけなのかもしれない。

兎に角、確かな事実は一つ。
「何かを殺す愉しさ」という悪徳への享楽に、僕は目覚めていたのだ。

父を殺した後、僕が初めに行ったのは心理的な自己保身だった。
僕の仕業じゃない。本当は殺したくなかった。僕は何も悪くない。
僕は普通の人間に過ぎない。
少し魔が差しただけだ。
普通の人間と同じように、魔が差して殺しただけなのだ。
そうだ、“あいつ”のせいだ。
“あいつ”に唆され、魔が差してしまったのだ。
“あいつ”が僕に『殺せ』と囁いていたのだ。

父を殺したことに罪の意識を感じた筈だったのに。
殺人者として逮捕される恐怖に屈してしまった。

父を殺した日、僕は“探偵”になった。
第一発見者のふりをして警察に通報した。
かつて父から与えられた数多の推理小説の知識を活用し、『店の常連客』を強引に犯人へと仕立て上げた。
結果、無実の罪を着せられた常連客は殺人犯として逮捕された。
それがある意味で、今の僕の始まりだったのだ。

それ以来、僕は若くして父親の古本屋を受け継いだ。
店を営む傍らで作家としての活動も始めた。
無論、父親を殺した所で己の中の殺人衝動が解消される筈も無い。
時折殺人衝動を発散し、己の殺人を『推理』によって隠蔽する。
『犯罪を隠蔽する』『他者の犯罪を仕立て上げる』という点において、僕は天才的な才能を持っていたのかもしれない。
幾ら人を殺せど“あいつ”は僕の下に訪れ続ける。
嫌だった。僕はただ父の下で普通に暮らしていたかっただけだったのに。
一体何故、僕は殺人を犯さなければならない。
嗚呼、誰か気付いてくれ。
この苦しみを理解してくれ。
僕は今も尚、悲鳴を上げ続けているのだ。
殺人衝動を抑え切れない自分にも、自己保身を繰り返す自分にも、いつしか嫌気が差していた。
そんな人生に空しさを感じつつ、結局罪を償うことも悪党になりきることも出来ない。
ただただ、この感情を理解してほしかった。

◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆

京極竹人は、俯せの体勢で倒れ込んでいた。
何度も荒い呼吸を繰り替えし、両足の苦痛に耐え続けていた。

「はぁ………くッ……あ…………」

第一回放送後、彼はセスペェリアを殺害した―――――否、正確には殺していない。
だが京極は彼女が死んだものと認識していた。
同行者を殺害してしまった罪悪感と恐怖により、彼はあの場から逃げ出した。
山を下り、草原を走り、無我夢中で走り続けた。
運動には慣れていない京極だが、恐怖に鞭を打たれたことで身体が無意識のうちに全力を振り絞っていた。
ただただ只管に、あの場から離れ続けたのだ。

「………クククッ、」

そうして進み続けた果てにC-9の廃校へと辿り着くことになる。
休息を取るべく校舎へと入り、適当な教室で暫く身を隠そうとしていた。
そんな京極を襲ったのはワイヤーによるトラップだった。
一階の教室へと足を踏み入れた直後、彼の両足に事前に仕掛けられていた極細のワイヤーが絡み付いたのだ。
そのまま勢い良く彼の両側の脛は引き裂かれ、成す術も無く転倒した。
デイパックを奪い取られたのも、その直後のことであった。

「クククク、カカカ、カーカーカーカカカカカカカ!!!」

そして時間は現在へと至る。
京極の背中を踏み躙り、哄笑を上げるのは一羽の“鴉”。
下品に、大仰に、彼は嗤う。嗤う。嗤う。
絶叫にも似た大袈裟な笑い声が教室に響き渡る。

「カカカカカカカカカカァ―――どうよ、今の気分は!?」

京極の命を手中に収め、鴉は心底楽しそうに問いかける。
その仮面の下から漏れ出ているのは僅かに乱れた息。
そんな鴉を、京極は僅かに視線を動かして見上げていた。

「お前はこれから死ぬことになる!この“鴉”がお前を徹底的に食い荒らす!」

京極の細く白い首筋に鋭利な鉤爪が突きつけられる。
それは自分はいつでもお前を殺せるのだという意思表示だった。
そして鴉は同時に彼の殺害を宣言する。
徹底的に、残虐に、どこまでも惨たらしく殺す。
彼の態度、声色からしてその意思は明白だった。

「さて、最期に何か言い残すことはあるかな?
 思いっきり泣き叫んでみるか?何なら絶望の怨嗟でも連ねてみるか?」

足の力を強め、京極の身体を踏み躙る鴉。
獲物を弄ぶ様な問いかけに対し、京極は何処か己の危機を客観的に見ていた。
最早諦観にも似た様な感情が彼の胸の内を支配していた。

―――――逃げられない。

嗚呼、これが僕に与えられた『罰』なのだろうか。
これから鴉面の殺人者によって命を奪われるのだろう。
数多の命を奪い、数多の人間を犠牲にしてきた僕への裁きがやってきたのだろうか。
あれほどまで保身の為に駆け回っていたというのに。
いざ死を直面にすると、まるで他人事のようにどうでもよくなってしまう。
否、元からそういう性分だったのかもしれない。
昔から僕は都合の悪い現実より目を逸らしてしまう傾向にある。
故に、今目前に迫っている『死』と言う事象に対しても、客観的な視点で見てしまうのかもしれない。

僕はここで死ぬだろう。
思い残すことは何だ。
そうだ――――――最期に。
僕が知りたいことが、一つある。

「………君は何故、殺人を犯す」
「あ?」

京極より投げ掛けられた突然の質問。
鴉は呆気に取られた様にぶっきらぼうな声を上げる。
沈黙の直後、彼の覆面の下から含む様な笑いが溢れる。

何故殺人を犯すのか。
ピーリィ・ポールと同様、そんな当たり前の質問を聞いてきたのだ。
おかしくならない筈が無い。

「決まってるだろう、楽しいからさ。悪徳が大好きだからさ!
 お前の目の前にいるのは最低でクソッタレな殺し屋だぜ?
 そんなこと聞くのは愚問って奴さ」
「…………そうか………」

両腕を広げ、どこか大袈裟な身振りでそう答える鴉。
彼の答えに対し、京極はどこか安堵したかの様な冷静な相槌を打つ。
京極の落ち着き払った態度に鴉は覆面の下で静かに眉間に皺を寄せる。
直後、京極の口がゆっくりと開かれた。


「『最低でクソッタレ』……それは違う。
 殺人は犯罪だが、その所業は所詮常人の範疇のものに過ぎない。
 殺意というものは……誰しも……当然の如く備えている物なのだから……」


震える声で、京極は語り始めた。
まるで殺人者である鴉に少なからず理解を示すかのように。
彼の所業に対する肯定を行うかのように。


「人を、殺人に駆り立てるのは…異常な環境でも…歪んだ精神性でもなく、…ほんの一瞬の意思なんだよ。
 言うなれば、魔が差したかどうか……犯罪者と非犯罪者を分かつのは…その一点に過ぎない」


―――――誰だって一度は誰かをぶっ殺してやると思ったことくらいはあるだろう?
―――――やらないのはやり方を知らないだけさ、一度やってみれば誰だって気づくよ。意外と大したことじゃないってね


鴉の脳裏に過ったのは、ほんの数時間前の己の言葉。
犯罪者と非犯罪者は決して別の存在ではない。
ただ実行出来たか、そうでないか。それだけでしかない――――全くの同類だ。
手段さえあれば、誰でも簡単に行える。
ほんの少し魔が差せば、簡単に境界を踏み越えられる。
足下の男は、鴉の思考と類似した論理を語っていたのだ。
「ただの獲物でしかない被害者」への認識が、唐突に「同じように一線を越えた加害者」へと変わる。


「そう、僕も…………魔が差してしまうんだ………
 心中で“あいつ”が姿を現す度に……僕は抗えなくなってしまう………
 殺したくないのに……殺したくなってしまう………殺したく………ないのに…………」


直後―――――京極の瞳から、ぽたりと雫が流れ落ちる。
感極まった様子で、彼は涙を流し始めた。
目の前の「殺人者」に対し、「同じ穴の狢」に対し、己の感情を吐露する。
自分は殺人者だ。だが、殺人者も非殺人者も根本は同じ。
魔が差したか、そうでないかの違いでしかない。
まるで己の罪に対する自己弁明を行うように、京極は殺人の正当化を行う。
彼の理性が悲鳴を上げ、抗えぬ性に関する釈明を行う。

いっそ、こんな理性さえ無ければ。
自分は彼のように楽になれたのだろうか。
京極は刹那の間にそんな思いを抱く。



「……君のようになれたら、僕はどれほど楽になれただろうか」



そう言って、京極は微かな諦めと憧れの混ざった眼差しで鴉を見上げた。
鴉の動きがぴたりと止まる。

「僕は、」

更に言葉を紡ごうとした京極の脇腹に―――――――爪先が突き刺さる。
ごふっ、と苦痛の声と共に彼は踞った。



「……今のお前の立場、解ってんだろ?」


苛立った様子の鴉が彼の脇腹に蹴りを叩き込んだのだ。
そして、二度目。
再び京極の脇腹に爪先が勢い良く捩じ込まれる。


「解ってんならさあッ!」


そして、三度目。
四度目。五度目。六度目。七度目。八度目。
京極の身に容赦のない蹴りが何度も何度も叩き込まれる。
次第に血反吐混じりの唾液が京極の口から吐き出される。
焦燥をしているかの如く、鴉は京極への暴力の勢いを強める。


「賢しらに語ってんじゃねえよッ!!」


そして、とどめと言わんばかりに全力の蹴りが叩き込まれた。
京極の身体が教室の床を転がり、残骸のように残されている机にぶつかった。
机が床に倒れ、がしゃんと喧しい音が響く。
京極は抵抗することも出来ず、ぼんやりとした表情で床に倒れ込んでいた。

荒い息を整えながら、鴉は横たわる京極を仮面の下で睨む。
彼の様子からは明らかな焦燥が伺えた。

鴉は思う。
苛々する。
焦燥と苛立ちが込み上げてくる。
最低の殺人者は自分、被害者はこの男だ。
だというのに、こいつの眼は何だ。
こいつの饒舌な口は何だ。
泣くんだったら、もっと泣き喚け。恐怖しろ。絶望しろ。俺を畏れろ。
俺を最低最悪のクズ野郎として蔑め。

そうしなければ、案山子の奴を後悔させてやることが出来ないじゃないか。

鴉は焦っていた。
断罪者・案山子から与えられた『罰』が彼を蝕んでいた。
宿敵と思い込んでいた相手が、自身のことなど歯牙にも掛けていなかったという滑稽な結末。
断罪者を弄んでいた筈が、その実断罪者に弄ばれていたという真実。
復讐すべき断罪者は既にこの世にいない。
案山子は己の死を以て悪党を道化へと貶めた。
故に道化は悪足掻き同然の復讐を画策した。

他者を徹底的に踏み躙り、殺戮の限りを尽くす
この殺し合いを最悪な惨劇へと貶める。
救いも希望も、全てこの鴉が残忍に喰い漁る。
案山子が己を放置して死んだことを必ず後悔させる。

「――――はァーーーーッ………」

迷走する鴉は溜め息を吐き、横たわる獲物を見下ろす。
全てを諦め切った様な男の表情に苛立ちを覚えながら、拳を強く握り締める。
そのまま彼の傍へと、よろよろと歩み寄った。

普段ならばこの程度の相手に苛立つ訳が無い。
そもそもこいつの言い分は理解の範疇だし、共感出来る部分もある。
ピーリィ・ポールの時のように、適当に弄ぶことが出来た筈だ。
だというのに。
何故だ。何故だ。何故だ何故だ、畜生。
何でこんなに惨めな気分にならなくちゃあいけないんだ。
ふざけやがって。
生き残っているのは俺だ。案山子じゃない。
勝ったのは俺のはずなんだ。
あいつを後悔させられるのは、この俺だけだ―――――――





そして京極の頭部を鉤爪でかち割ろうとした瞬間。
カラン、コロンと奇妙なプラスチックの音が教室に小さく響き渡る。





「…………は、」
「え?」


僅かに声を上げた鴉。
ぽかんとした表情を浮かべる京極。
先に状況を理解したのは、危機察知に長ける鴉の方だった。

足下に転がっていた『手榴弾』を鴉が目の当たりにする。
鴉は咄嗟に両足を躍動させ、その場から動いた。
そのまま勢い良く扉を突き破り、廊下へと飛び出す。
次の瞬間、京極の取り残された教室内で強烈な爆炎が迸った。


◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆



「―――――よっとォ」



爆炎によって一部分を焼き尽くされた教室。
開かれた窓辺を乗り越え、一人の影が屋内に入り込んでくる。
黒い長髪。漆黒のセーラー服。華奢な体付き。
一見すれば女学生にしか見えないその風貌。
だがその瞳に宿された戦意、その口元の不敵な笑みは、彼女が―――――彼がただの青年ではないことを物語っている。


「いっちょあがり、って訳でも無さそうだな」


りんご飴
狂犬とも称される生粋の喧嘩屋。
狂気的かつ理性的。そんな二つの一面を併せ持つ戦闘狂。
彼こそが教室に手榴弾を投げ込んだ張本人だった。

ディウス空谷葵への復讐も彼にとっては重要だ。
だが、恐らく彼らはあの場から離れているだろう。
ディウスの様子からして、葵を制御している可能性が高い。
故に二人が交戦に至ることはないと一応の判断を下す。
そして残るは瀕死のミリアのみ。彼女を仕留めるのは余りにも容易い。
恐らく、自分が飛ばされている間で既にどこかへと移動しているだろう。
そう判断し、彼は取り敢えず近場の廃校へと移動し―――――窓越しに二人の参加者を発見したのだ。
故に彼は襲撃を仕掛けた。
回復錠剤の代償として、他の参加者を仕留めなければならないのだから。

教室の様子を見て彼は即座に理解した。
廊下に通じる扉が乱雑に開かれている。
あの鴉面―――――――恐らく噂に聞く殺し屋『鴉』。
あっちの方には逃げられたか。



「………あァ…………が………あ………」



そして、りんご飴は教室の隅へと視線を向ける。
顔を無惨に焼かれ、胴体を満遍なく焼かれた男――――京極竹人が倒れている。
奇跡的に息はあるものの、爆破による衝撃で壁に叩き付けられた右腕があらぬ方向に折れ曲がっている。
その眼の焦点すら合わず、上の空を愕然と見つめている。
言葉としては受け取れぬ呻き声を上げ、左腕で床を掻き毟るように這いずろうとしていた。


「ま、こっちの方はもう虫の息か」


重傷を負った京極に興味を示すことも無く、彼は廊下の方へと眼を向ける。
この男の命は最早風前の灯。放っておいても勝手に死ぬだろう。
数多の視線を乗り越え、数多くの死を垣間見てきたりんご飴だからこそ即座にそう判断出来た。


「残るはあの“鴉”一匹―――――」


既に瀕死の獲物に興味は示さない。
肝心なのは『生きている方』だ。
手榴弾の爆撃から逃げ延び、命を拾っている“鴉”。
彼はりんご飴の標的に選ばれた。


「さて、狩りの始まりだ。覚悟しやがれトリ公」


◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆


奔る。奔る。奔る。
一羽の鴉は逃げるように廊下を駆け抜ける。
今の彼は狩られる側だった。
まだ断罪者が生きていた頃と同じように、彼は敵から逃げていた。

足の速さには自信がある。
あの案山子からは何度も逃げ切っている。
警察の追跡も悉く振り切ってきた。
それらは単純な身体能力のみならず、優れた直感と危機認識能力によって培われたものだ。
卓越した逃走能力。それこそが此処まで鴉の命を繋いできた技能だった。

「クソ、クソッ―――――――――!」

だが、今の彼は冷静さを失っていた。
苛立ちと焦燥が頭の回転を妨げている。
どう進めば逃れられるのか。
どう奔れば抜け出せるのか。
どうすれば敵を撒けるのか。
普段ならば容易く割り出せる思考ですら上手く機能しない。
羽を広げられぬ鴉は、ただ我武者らに地を駆けるのみだった。

今は兎に角奔るしかない。
校舎の玄関口を飛び出し、廃校から離脱しようとした矢先。
疾走を続けていた鴉は唐突に両足にブレーキをかけた。
その場で立ち止まり、目の前に立ちふさがる『敵』を見据える。



「よーう、あんた鴉だよな」



鴉の前に立ちはだかったのは、セーラー服を身に纏った青年。
その口元に予想通りと言わんばかりの不敵な笑みを浮かべる。
先程鴉を狙った喧嘩屋――――りんご飴だ。
りんご飴は鴉の行動を予測し、事前に先回りをしていたのだ。

「――――――ッ!」

覆面の下で鴉は舌打ちをする。
その異様な風貌、身に纏う雰囲気を目の当たりにし、すぐに相手が何者であるかを認識する。
殺し屋と幾度と無く交戦してきたという喧嘩屋。
ヒーローの協力者としてブレイカーズと戦う戦闘狂。
通り名は「りんご飴」。
その凶暴性、危険性は鴉も認識していた。
敵に回して下手に逃げられる相手ではない。
否―――――今の自分では、逃げ切ることが出来ない。

最早逃げ場はない。
こいつを倒さない限り。

瞬間、鴉の衣服の左袖から複数本のワイヤーが姿を現す。
ピーリィ・ポールから奪い取ったランダムアイテム、その内の最後の一つ。
先程に京極竹人が引っ掛かったトラップもこのワイヤーによるものだ。
暗殺・戦闘用に改造されたそれは人間の身体をも引き裂く威力を持つ。

間髪入れず、無数のワイヤーが勢い良く鞭のように振るわれる。
狙うは―――――棒立ちのりんご飴。


しかし、りんご飴はただぼんやりとそれを眺めていたのではない。
優れた動体視力でワイヤーの動きを見切っていたのだ。


「っとォ!」


瞬間、りんご飴が動き出す。

曲芸めいた動きによる回避。
身を屈めて紙一重の回避。
踊る様なステップでの回避。

何度も鞭のように振り回される銅線を悉くいなし、獣の如く身を屈めつつ鴉へと接近。


「チィッ―――!」


迫り来るりんご飴を見据え、鴉は咄嗟にワイヤーを引き戻す。
そのまま間髪入れずに右腕の鉤爪を振り上げた。
獰猛な凶器が華奢な身体を引き裂かんと迫る――――が。


「遅ェよ」


接近の勢いを利用し、鉤爪を回避しつつ鴉の真横を通過。
鴉は咄嗟に振り返り、擦れ違ったりんご飴の方へと向き直そうとした。


直後、鈍い打撃音が響き渡る。
鴉が振り返った瞬間に叩き込まれたのは、りんご飴の回し蹴り。
鴉の身体が回転しながら勢い良く吹き飛ぶ。


ドシャリと地面に叩きつけられ、覆面の下で咽ぶ。
地面に踞る鴉に決定的な隙が生まれる。
それを見逃すほどりんご飴は甘くなかった。
再び地面を蹴り、小刻みな動きで鴉へと接近。
そのまま倒れ込む鴉目掛けて、跳躍と共に踵落としを放った。
しかし鴉は咄嗟にその場から転がり、攻撃を回避。
一定の距離を取った鴉は起き上がりがら左腕を振るう。

直後、再び無数のワイヤーがりんご飴へと迫る。
踵落としによって隙を生じさせた彼には回避することも出来ず――――!


「残念、引っ掛かったのはあんたの方だ」


――――出来ない筈だった。
予想通りと言わんばかりの不敵な笑みを浮かべるりんご飴。
体勢を整えつつ、デイパックより勢い良く『それ』は引っ張り出される。
ワイヤーが目前に迫ったりんご飴の両手に、強引に握り締められ。



「おッらああああァァァッ!!!!!!!!」



デイパックから引っ張り出した勢いを乗せ、それは振り回される。
魔斧グランバラス。三条谷錬次郎より奪い取ったランダムアイテムだ。
大質量を持つ斧が振り回され、刃と柄で強引にワイヤーを絡み取る。


「――――――――ッ!!!」


斧にワイヤーを絡め取られ、鴉の体勢が崩れた。
斧が振り回される遠心力によって身体がワイヤーごと引っ張られる。
即座にワイヤーを取り外そうと試みるも既に遅く、彼の身体は校舎の壁に叩き付けられる。
凄まじい勢いによる衝撃は、彼の全身の臓器を揺るがした。


「ごは……が……ッ!」


壁に叩き付けられ、鴉は覆面越しに血液を吐き出す。
先程の衝撃で内臓を損傷したようだった。
腹部を抑えながらも、何とか立ち上がろうとする。
内臓の損傷、脳震盪の双方故か、その動きはよろめいており。
そんな一瞬の隙が、鴉に取っての命取りとなる。




カチャリとピンが抜き取られ。
それは放り投げられた。
先程放たれたものと同様の――――――手榴弾。
咄嗟に躱そうとした鴉が、爆炎によって吹き飛ばされた。





かろうじて四肢の欠損を免れた鴉が地面に踞る。
全身を焼かれ、何度も咽び、荒い息を吐き。
誰が見ても即座に理解出来る様な、重傷。


「おい、鴉チャンよう」


対するりんご飴は、余裕の態度。
傲岸不遜に笑みを浮かべ、鴉を見据え続けている。
無論、その身に傷一つ付いていない。



「そんなもんかよ、もっと死ぬ気で掛かってこいよ」



挑発的に、嘲笑うように、りんご飴は言い放った。
それを見上げるのは、羽を捥がれた一羽の黒鳥。

鴉は殺し屋だ。
暗殺者としての腕は間違いなく高い。
数多くの依頼を遂行し、数多くの死線を乗り越えてきた。
そこいらのチンピラに遅れを取る様な人物ではない。
彼は飛び切りの悪党であり、あの案山子から逃げ延び続けた犯罪者なのだから。
だが、彼の専門はあくまで『暗殺』だ。
生粋の戦闘者と正面切って戦うことよりも、標的の隙を突き首をかすめ取ることを得意とする。
敵と戦って切り抜けることよりも、敵を出し抜きその場から逃走することに長けている。
小物には決して遅れを取らない。それだけの実力はある。
しかし戦闘者ではない。あくまで彼は殺し屋なのだから。


対するりんご飴はどうか。


彼は数多くの殺し屋との死闘に乗り出し、その悉くを生き延びてきた。
それどころか、複数人の殺し屋を倒したという実績すら持つ。
その実力はヒーローからも買われており、ジャパン・ガーディアン・オブ・イレブンの『ボンバー・ガール』とコンビが組まれる程だった。
卓越した戦闘センス。『殺し屋』との百戦錬磨の戦闘経験。
それらを併せ持つりんご飴が、鴉を圧倒するのは道理だった。


◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆



何故だ。
何でだ。
何で、勝てない。

大火傷を負い、踞る鴉はりんご飴を見上げる。
無傷かつ余裕の彼とは違う。
鴉の身は重傷だ。まともに身体を動かそうとするだけで傷が痛む。
最早戦うことは出来ない。
完全に、負けていた。




(畜生。何でだ、何故、勝て、逃げ、逃げられ―――――――――)




心中で呪詛のように鴉が呟く。
何故勝てない。
俺は鴉だ。断罪者と敵対する生粋の悪党だ。
俺はあの案山子からも逃げ延びてきた存在なのに。
何故こんな、チンピラ一人に手子摺っている。
疑問と苛立ち、怒りが胸の内より込み上げてくる。

何故だ。
俺は、鴉だ。
あの案山子に“勝利”した、ただ一人の――――――――





(―――――――あ、)





その瞬間、彼の脳裏に記憶が過る。

断罪者を名乗る案山子との出会い。
正義を称する案山子との敵対。
案山子を嘲笑うべく、弄ぶべく、その実力を磨いてきた。
あの日以来、自分は案山子と戦い続けてきた。
案山子から幾度と無く逃げ続けてきた。
正義というものが大嫌いだったから。
鴉は悪党として、案山子という断罪者との追いかけっこを続けてきた。




「……カ、カ、カカ、カ」



だが、案山子が自ら死を選んだ。
残虐なシリアスキラーと信じてきた案山子は。
自ら裁かれる時を選んだ。
正義と悪の争いは、そんな呆気ない結末で終わりを告げた。
思い返せば返す程、笑いが込み上げてくる。
自分の情けなさが、滑稽さが、解ってしまう。






「カーカーカカカカカカカカカカカカカ、カカカカハハハハヒヒヒャハハハハハハハハハハハハアァッ!!!!!!!!!!」






案山子に“負けて”。
鴉は“死ぬ”。
それこそが、最期の罰。
案山子を失い、案山子によって屈辱を与えられた鴉は取り乱し、自らの嘴によって羽を削ぎ落とす。
鴉はようやく全てを理解した。
自分は、自分の考えていた以上に案山子に執着していたということを。
彼を嘲笑い、見返すことこそが己の存在意義となっていたことを。
彼が鴉という悪に対し『対決』してくれるのを望んでいたということを。
だが、案山子は敢えて自らの命を他者に差し出した。
己が生み出した復讐者に対し、死を選んだ。
そう、鴉のこと等気にも留めずに。





案山子が自ら死を選んだ時点で。
鴉は、敗北していたのだ。





.




「これが、罰って奴かよ!なあ、おい!!」


鴉が取り乱すように叫ぶ。
身体の傷など構うことも無く、狂ったように嗤う。
笑う。嗤う。嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う。
まるで悲鳴の様な、絶望の様な、狂気的な叫びを上げる。



「罰なんか、認めてたまるかよ!俺は鴉だ!!お前から生き延びた、たった一人の悪党だッ!!」



認めてたまるものか。
こんな結末があってたまるか。
絶望はいつしか憤怒へと、憎悪へと変貌していく。
己を最悪の形で裁いた案山子への怒りで、叫び続ける。
故に彼は生きることを望む。
この殺し合いに勝ち残ることを望む。
決して認めはしない。

俺は、案山子に勝ったんだ。
生きているのは俺だ。
案山子に裁かれたことなど、有り得ない。
決して俺は、裁かれない。






「俺は、お前にッ、裁かれなんて、しねえんだよ案山子イイイイイイイィィィィィィィィィィィッ!!!!!!!!!!!!!!!」






絶叫にも似た咆哮。
鉤爪を構え、形振り構わず鴉は突撃。
最早策も駆け引きも、何一つ存在しない。
己の感情を爆発させた、無謀な特攻。



振るわれた鉤爪の刃が、りんご飴に迫る。
その軌道は容易く読み取れる。
身を屈めるだけで、軽く避けられた。

必死に声を荒らげ、何度も鉤爪を振るう鴉。
それらを全て躱す。りんご飴は躱し切る。
噂に聞くものとは程遠い、我武者らで滑稽な姿だ。

だが。
そんな必死で、無様で、焼けっぱちな彼の姿は。
りんご飴の眼に確かに焼き付いていた。
自分の感情を剥き出しにした狂犬、悪党こそが。
彼が好む『敵』なのだから。
皮肉にも、己を失った鴉はりんご飴に気に入られたのだ。





「――――――――悪くねェじゃねえか、“鴉”」




ニヤリと笑みを浮かべたりんご飴が、グランバラスを振り上げる。
魔斧の刃によって鉤爪が弾かれ。



鴉の首が勢い良く跳ね飛ばされた。



◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆



息が上手く出来ない。
身体が熱い。痛い。苦しい。




「あ……あ、あ………………」




焼かれた教室の内部。
這いずっていた京極竹人は、仰向けの姿勢になりぼんやりと天井を見つめていた。
ああ、僕はこれから死ぬのだろう。
死を恐れていた筈なのに。
自分に与えられる裁きを畏れていた筈だったのに。
今は不思議と清々しい気分だった。

ようやく、“あいつ”から解放されるのかと思うと。
いっそ死ぬことも悪くないかなと、そう思えるようになってきた。

思い残すことは幾つもある。
父を殺してしまったあの日から、僕は後悔してきた。
人を殺さなければならない性を背負ってしまった自分を呪っていた。

自分の苦しみを、誰かに理解してほしかった。
誰にも理解されない悲しみを知ってほしかった。


本に囲まれた静かな世界で。
普通に歳を重ね。
普通に死にたかった。
そう、魔が差して道を踏み外すことも無い様な、普通の人間のように。
ただ――――――平凡に生きたかった。
そんなささやかで詰まらない願いが、京極竹人にとっての切実な望みだった。
殺人鬼が唯一望む幸せだった。


「……は、は……………」


これが自分に与えられた罰か。
そう思うと、口から笑いが溢れてきた。

走馬灯のように、過去の記憶が流れ込んでくる。
書に包まれし静謐な空間。
物静かで優しかった父親。
ただ無心で本を読みあさっていた日々。

そして。
初めて何かを殺した時。
初めて父親を殺した時。
初めて他者に罪を被せた時。
探偵へとなった時。
数多の人間を殺してきた、かつての記憶。
それらは平等に頭の中へと傾れ込んでくる。

そんな死の間際に、彼は思い出した。
思い出せなかった『ある記憶』を蘇らせた。






『―――――――どうやら君は、“失敗”のようだ』






記憶の片隅に微かに残っていたのは、幼き僕の前で不敵に笑う帽子の男。
唐突に脳裏を過った彼は何者なのか。
それを思い出す前に、彼の意識は闇の中へと墜ちた。


◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆




先に逝った宿敵に翻弄される悲劇の悪役だったのか。
それとも、道化へと墜ちた無様な殺人鬼だったのか。




誰もいなくなった廃校の玄関にて。
一羽の鴉が散っていた。





【C-9 廃校/昼】
【りんご飴】
[状態]:疲労(小)、『ハッスル☆回復錠剤』使用
[装備]:M24型柄付手榴弾×2 魔斧グランバラス、
[道具]:基本支給品一式×3、鍵爪、サバイバルナイフ、超改造スタンガン、ワイヤー複数本、超形状記憶合金製自動マネキン、お便り箱、デジタルカメラ、ブレイカーズ製人造吸血鬼エキス、ハッスル回復錠剤(残り2錠)、ランダムアイテム0~2(京極竹人の支給品)
[思考・行動]
基本方針:殺し合いの中でスリルを味わい尽くす。優勝には興味ないが主催者は殺す
1:ディウスと空谷葵を殺す
2:6時間以内に一人、12時間以内に三人殺害する。
3:参加者のワールドオーダーを殺す。
4:ワールドオーダーの情報を集め、それを基に攻略法を探す
※ロワに於けるジョーカーの存在を知りましたが役割は理解していません
※ワールドオーダーによって『世界を繋ぐ者』という設定が加えられていました。元は殺し屋組織がいる世界出身です
※6時間以内に一人殺害、12時間以内に三人殺害のどちらかが達成できなかった場合、首輪が爆発します。
 現在二人殺害済みです。


[ワイヤー]
戦闘・暗殺用に改造された極細のワイヤー。複数本支給。
物体の切断や対象の絞殺などに使える。
アサシンの商売道具の一つだが、ガントレットやナイフと比べると使用頻度は低い模様。




【京極竹人 死亡】
【鴉 死亡】





099.roots 投下順で読む 101.全体幸福のために為すべきことは
時系列順で読む
案山子が僕らに遺したもの GAME OVER
偶然な予定通り 京極竹人
男同士、廃墟、殺し合い。何も起きないはずがなく… りんご飴 愛のバクダン

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最終更新:2016年03月02日 17:45