「僕はあの男を追う。
クリスくんは安全な場所に避難して待っていてくれ」
逃亡した危険人物を追うか、殺されても死なない少年に対応するか。
その判断を迫られた
カウレス・ランファルトはそう決断を下した。
カウレスは差別と魔族が嫌いだ。
確かに首を捻じられ平然としているクリスは異常である。
だが、仮にクリスがただの人間ではなったとしても、魔族でないのならカウレスにとっては敵ではない。
それに人ではない人というのはカウレスも同じだ、カウレスも人から外れた勇者である。正確には元勇者だが。
奇異の目を避けるためその事実を隠していた気持ちもわからないでもない。
だから、クリスが外れた人間であったとしても、それだけでは決定的な決裂理由にはならなかった。
どの種族であっても、良いやつもいれば悪い奴もいる。
それは個人の問題であり、人でないからと言って差別する理由にはならない。
それがカウレスの基本的な考えだ。もちろん魔族は除くが。
その観点で言えば、クリスはいい少年である。そのはずだ。
少し話しただけでこの少年の何を知ると言われればそれまでだが、少なくともこれまでやり取り全てが嘘だったとはカウレスにはどうしても思えなかった。
それはこの少年を妹に重ねているが故の甘さなのかもしれないが、信じたいと、そう思っている。
だと言うのに。
何故、己はこの少年の前から離れたいと思っているのか。
どういう訳か、山のような巨大なモンスターにすら怯まず向かって行ったカウレスがクリスに不気味を感じている。
それは畏怖というより幽霊や怪奇現象と言った得体のしれない何かに出会った時の心境に近い。
だがその心境に理由付けが出来ない。
理由のない違和感を感じている。
それならば、今は考えるよりも危険人物への対処を優先すべきだという理由で自分を納得させた。
結論を先送りにしたのだ。
「うん。わかった。いってらっしゃーい。頑張ってねぇ」
そんなカウレスの葛藤を知ってか知らずか。
クリスは仕事に行く家族に向けるように、和やかな笑顔で手を振って、カウレスを見送る。
カウレスは僅かにクリスを見て、そして迷いを振り切るように走り出した。
「…………さて、と」
そうして、カウレスの姿が見えなくなったところで、クリスは表情から無邪気な子供さを消して、冷酷な殺し屋へとその表情を変えた。
カウレスの葛藤を知らずとも、これからどうするかを考えていたのはクリスも同じである。
当初の予定ではしばらくはカウレスを利用して護ってもらうはずだったが、思わぬアクシデントだ。
不意打ちを食らったせいで、クリスがただの少年ではない事がカウレスに対して明るみになってしまった。
「あれ? そう言えば何で不意打ちを食らったんだっけ?」
首をひねってあの時のやり取りを思い出そうとするが、いまいち思い出せない。
一流の殺し屋であるクリスが、そう簡単にただの不意打ちを食らうはずもないのだが。
思い出せないが、思い出せないのならそれは大したことではなかったのだろう。
まだ最悪の事態にはなっていない。
ただの子供ではないと言う認識は持たれたが、純粋な被害者としての立場で発覚したというのはまだマシな方だ。悪意が漏れたわけではない。
だが、多少なりとも不信には思っているだろう。
こうなってしまうと、イザと言うときやりづらい。
「うーん。どうしようかなぁ」
ここでカウレスの帰りを待つか、それともカウレスを切り捨てて独自に動くべきか。
夕食のメニューを考えるような気楽さで、クリスは考え込むそぶりを見せる。
思い悩むようにその場でクルリとまわって、そこでクリスの目に逃げ惑う脱兎が写った。
「ははっ。見ぃ~つけたぁ」
偶然にも探し人の姿を見つけて、楽しげにクリスが笑う。
天使のような悪魔の笑みだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
カウレスたちの追撃から逃れるべく走っていた
長松洋平は、道沿いにとある建物を発見した。
少しだけ走るペースを緩め、後方をチラリと確認する。
見る限りでは追手の姿は確認できなかったが、まだ安心するには早いだろう。
前方に発見した建物を見る。
落ち着くまで一旦ここに隠れてやり過ごすか?
そんな考えが脳裏をよぎった。
動きからして敵は近接戦の達人だった。正攻法では分が悪い。
仮に建物に隠れてそこまで相手がきたとしても、室内の障害物の利用するなり、事前にトラップを仕掛けておくなりの準備をしておけばいくらか有利に戦えるはずだ。
それほど悪くない案に思える。
そう決断した長松は『
剣正一探偵事務所』と看板を掲げた正面入り口を通り過ぎる。
この建物内に既に誰かいる可能性も警戒して、念のため正面からの侵入は避けて、窓を一つ一つ確認していく。
そうして侵入できそうな窓を見つけ、そこから中に誰もいない事を確認すると、クリスの荷物から奪い取ったサバイバルナイフを取りだした。
そしてガラスとアルミサッシの隙間に刃をネジ入れ、てこの原理で手前に力を入れる、ピキと小さな音を立てて窓に一本のヒビが奔る。
この作業を繰り返す事二度。
内鍵近くのヒビを繋げて、音もなくガラスを割ると内鍵を開き、長松は事務所内へと侵入を遂げた。
そこで、ガタンと何かが落ちる大きな音が響いた。
無論、侵入に際して不用意に音を建てるような長松ではない。侵入にも慎重を期した。
これは誰かが仕掛けた侵入者を知らせるトラップである。
それはつまり屋敷内に既に誰かいるという事だ。
だが、トラップにかかった長松が感じたのは、焦りではなく歓喜だった。
こんな小賢しいマネをするのは、もしかしたらあのゴスロリ女かもしれない。
自分の同類。甘美なる殺し合いを望んでいるかもしれない存在。
もしそうならば、多少のリスクを冒してでも接触をしたい。
屋敷の主に自らの存在が既に知られていると知りながら、長松は引き返さず屋敷への侵入を続行する。
窓枠から土足のまま部屋へと踏み入れると板張りの床がキィと軋んだ。
そこはずらりと本が立ち並ぶ部屋だった。
規律よく並べられた本棚の群はこの屋敷の主の性格を表しているように厳格だった。
その本棚に並ぶのは書物ではなく、その殆どはラベルの付いたバインダーでまとめられたファイルであり、書斎というよりここは資料室なのだろう。
ファイルのタイトルは『能力犯罪対策マニュアル』『近年の急激な能力犯罪増加の傾向について』『国内能力犯罪組織一覧①~⑧』などと言った内容で。
この探偵事務所の仕事傾向が見えてくるような内容であった。
だが、残念ながらそのどれもが長松の琴線に触れるモノはなかったのか、長松はそれらをスルーして部屋に他のトラップが無いかの調査を始める。
余念なく慎重に罠を警戒して、ひとまずこの部屋には何もないことを確認すると、長松は次の部屋へと移動した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
長松を追って走り始めてから、程なくしてカウレス・ランファルトは足を止めた。
それはクリスの視界か消えてすぐと言っていいタイミングである。
クリスに気を取られている時間が長すぎたのか、その時点で完全に長松の姿を見失ってしまった。
どうにも注意力が散漫になっているようだ。完全なる失態である。
要因の一つとして、女体化していたのもまずかった。
走るなどの激しい運動をこの状態でしたことがなかったから知らなかったが。
身体能力に差がないとはいえ、下着なしでは走るたび胸が揺れて擦れて非常に邪魔である。
女性はよくこんなものを付けていられるものだと感心する。
そして失態の要因として、何より迷いがあった。
一人になり足を止めて、先ほど保留にした理由を改めて考える。
自分は本当に長松を放っておけないと思ったから追っているのか、それともクリスから離れたかっただけなのか。
確かに長松は危険人物ではあるのだが、それを追ってどうするというのか。
殺すのか。
それとも
アサシンと同じく勧誘するのか。
別段、人間相手とはいえ外道に落ちたモノを斬るのに躊躇いはない。
勇者の敵は魔族だけという訳でもなく、多くの村人を救うため、悪人を切り捨てることも少なくはなかった。
だからと言って、アサシンの時と状況がそう変わっているとも思えない。
変わっているとしたらそれは己の心だろう。
まだ完全ではないものの、既に勇者としての機能のほとんどが失われていた。
勇者の力は有限だ。
聖剣にも限界はある。
同時に存在できる勇者の数は一人だけ。
恐らく、新たな勇者にカウレスの力が流れて行っているのだろう。
聖剣が新たな勇者を選んだのだ。
心ひとつ定まっていない。
本来の自分はこんなに弱い人間だったのだろうか。
勇者でない自分が余りにも久しぶりすぎて、本当の自分がどんな物だったのかを思い出せずにいる。
あの村で当たり前に生きた自分は、いったいどこに行ってしまったのか。
勇者の使命と復讐心に塗りつぶされた〝本当”とはどこに。
己振り返り。
見つめ直したところで。
ふと、カウレスに気づきがあった。
己に対してではなく、クリスに対して。
彼に感じていた、違和感の正体について。
だが、その気づきに対して深く考えを至らす前に、絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
先ほどまで沙奈の心は魔人の恐怖から解放された歓喜に染まっていた。
あそこから逃れることしか頭になくて、嬉しさと開放感に突き動かされるまま何も考えずに彼女は走る。
脇目も振らずに目的地も分らずただ走って。
気付けば、いつの間にか彼女はスタート地点に戻っていた。
逃げるにしても、逃げる方向が不味かった。
正確な道筋を覚えていないとはいえ、道案内としてそこを目指していた事を完全に失念していた。
「やあ、また会えて嬉しいよ、沙奈お姉ちゃん。探してたんだよ?」
気付けば、目の前には少年が立っていた。
そして思い出す。
ここまで息を切らして逃げ続けた彼女が、そもそも何から逃げていたのかを。
恐怖の源泉。絶望の始まり。
彼女の逃走が始まった、そのスタート地点。
目の前には、あの時と同じ、何一つ変わらぬ天使のような笑み。
忘れるはずもない。
忘れられるはずもない。
沙奈の目の前でミュートスを刺し、そして恐らく殺害した殺人鬼。
クリス。
それが少年の名だ。
「いやッ! いや、いやぁ…………やめてぇ……ッ!」
「何を? 嫌だなぁ沙奈お姉ちゃん。まだ何もしてないじゃないか」
嗚咽のような声を上げて、沙奈が半狂乱になって取り乱す。
そんな沙奈を笑顔で優しく見守りながら、無くしていた玩具を見つけたような笑みを張り付け、クリスが沙奈へとにじり寄った。
そして、地面に転がっていた凶器を拾い上げる。ミュートスを殺したチェーンソーを。
「ひっ!? やめて……! お、お願い、殺さないで…………ッ」
血の付いたチェーンソーを見て、沙奈が短い悲鳴を上げる。
そして震える声で、祈る様に命乞いをした。
それに対してクリスは顎に指をあて、考えるようなそぶりを見せる。
「うーん。でもお姉ちゃん。僕が人殺しだって知っちゃってるからな~」
「だ、誰にも口外しません、復讐しようとも思いません……!
だから助けて下さい…………お願いします、お願いします。何でもしますから、命だけは助けてください……!」
もうプライドも何もない、年下の相手に沙奈は土下座する様な体制で懇願する。
死にたくない。
ひたすらにその一心で。
それを受ける少年は、その滑稽さを心底愉快だと言う風にハハと笑って。
「ダ・メ・だ・よ」
心底可愛らしい女神の様な声で、そう少女に絶望を告げる。
虫の羽でも毟る子供ような無邪気な笑顔でクリスはチェーンソーのスターターロープを引いた。
ブルンと馬の嘶きのようにエンジンが唸り、駆動音が沙奈の脳髄を揺さぶる。
「うっ…………ぁあ」
鼻先には回転する刃。
もはや振り切れた恐怖でロクに声が出ない。
沙奈は腰が抜けたようにその場にへたり込む。
その股間からは小水が漏れ出していた。
「あ、沙奈お姉ちゃん、汚ったないんだ~」
それを見てクリスは茶化すようにクスクスと嘲笑し、チェーンソー振り上げる。
「僕ばっちいの嫌いだから、とりあえず――――死んじゃえ」
変わらぬ笑顔を張り付けたまま何の躊躇いもなく、沙奈の額目がけて刃を振り下ろした。
沙奈に殺し屋の攻撃を躱せるような技量はない。
何より腰を抜かした状態ではどんな奇跡が起きようとも躱しようがないだろう。
次の瞬間、沙奈の体は五体をバラされ肉片へとなるのが現実だ。
だが、そうはならなかった。
次の瞬間、辺りに飛び散ったのは朱い血飛沫ではなく、白い光の粒子だった。
振り下ろしたチェーンソーが何か固い感触に弾かれる。
全力が弾かれた反動でクリスが後方にたたらを踏んだ。
クリスは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐさまその正体に気付き表情を変えた。
その存在をクリスは知っている。
何せクリスも一度この光の防壁に守られているのだから。
そして当然、それを作り上げた存在が何者であるのかも知っている。
「おかえり。思ったより早かったね。おねーちゃん」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
イヴァンに動揺はない。
落ち着き払った様子で現状を確認する。
恐らく亜理子が仕掛けたトラップが発動した音だろう。
それはつまりこの屋敷に侵入者があったという事だ。
残念ながらどの音がどの位置に対応しているのかは、トラップを仕掛けた亜理子しか知らない。
そのため侵入者の正確な位置は知れないが、亜理子の様に逃げようという気持ちはイヴァンにはなかった。
打って出るか、待ち伏せるか。
考えるとしたらそれくらいだ。
侵入者という存在に対して、迷うことなく殺すという選択肢を自然に選択する。
それは言うまでもなくマーダー病の影響によるものだ。
だが、マーダー病が発病したからと言って、猪突猛進に突撃していく考えなしになるわけではない。
イヴァンはあくまで冷静に、殺すための算段を整えていた。
耳を澄ませる。
流石に一階の物音までは聞こえないが、これと言った音がしないという事は二階には上がってきていないという事だろう。
トラップにビビって既に逃げたか、それともこちらの出方を伺っているのか。
1階を一室一室調べているのか?
少なくとも、すぐにこの部屋に来ないという事は、イヴァンの位置は知れていないという事だろう。
ならばと、その間に弾丸を補充し、仕込みを入れて準備を整える。
そして準備が完了してから心の中でカウントを整え、ゆっくりと執務室の扉を開く。
そこでイヴァンの視界に移るのは妙に古めかしい探偵事務所の通路と、奥にある階段を昇る隻腕の男だった。
互いの視線が交わり、殺し合いの始まりを告げる。
肌がひりつくような殺し合いの予感に男が口元をゆがませ、イヴァンは野良犬でも見るような視線を向け見下すように息を吐いた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
戻ってきたカウレスの姿を認め、笑っていたクリスが少しだけ首を傾げる。
「あれ? おねーちゃんは止めたの? おにーちゃん」
見れば、カウレスの女体化は解かれ、最初に出会った青年の姿に戻っていた。
カウレスはクリスには答えず、倒れこむ少女へと手を差し伸べ立ち上がらせる。
そして回復魔法でボロボロだった少女を回復させると、厳しい表情のままクリスへと向き直った。
「逃げろ」
「え? あ…………うっ」
クリスに向いたままカウレスは背後の少女に告げるが、事態に脳が付いていっていないのか少女はよくわからないと言った声で戸惑うばかりだった。
「逃げるんだ…………走れ!」
「あっ、あわわわわ……っ」
怒鳴りのような言葉に弾き出され、いつかの様に沙奈は走り出した。
多少回復してもらったとはいえまだうまく足に力が入らず、足を縺れさせ四つん這いのようになりながら。
無様な逃走だったが、クリスは無理にそれを追おうとはせず、楽しげにカウレスを見る。
「あーあ。これでおにーちゃんも殺さなくちゃならくなっちゃったねぇ」
そう言って、悪戯がばれた子供の様にクリスは舌を出す。
自分の中にあった最悪の予感が当たってしまった事に、カウレスは苦虫を噛み潰したように表情を歪める。
「クリスくん……どうしてこんな……」
「どうして? 決まってるじゃないか。お姉ちゃんと一緒になるためだよ」
当たり前の事の様にクリスは言う。
それはつまり、殺し合いの勝者となって、ここから脱出したいという事なのか。
「違う違う。お姉ちゃんを探したいんじゃなくて、僕がお姉ちゃんになるんだよ」
「な、に?」
言葉の意味がカウレスには理解できなかった。
だがそれでカウレスの中で、少年に感じていた違和感は確信に変わる。
神への信仰と神を目指すことが別物であるように、姉との再会を望むことと、姉自身になることは全くの別物だ。対極であるといってもいい。
少年が狂っているというよりも、何か前提を間違えているようなちぐはぐさがある。
「……クリスくん。君の言うお姉さんとは何だ?」
「お姉ちゃんはお姉ちゃんだよ、僕のお姉ちゃんさ!」
くりくりとした瞳を輝かせ純朴な少年の様にクリスは言う。
だが、そんなもので誤魔化せる段階は既に過ぎていた。
思えば、彼の姉を言い表す言葉にはどれも具体性がない。
ただ曖昧なイメージだけで語っているようなそんな表現ばかりである。
だから、この違和感を追求せねばらなかった。
「曖昧な言葉で誤魔化すなよ。さっきの話の続きをしようクリスくん。
お姉さんの名前は? 年は? どんな顔でどんな声をしている?」
カウレスは長松の乱入で中断された彼の姉についての話を続ける。
彼の周囲の人間が踏まない様に遠ざけていた領域に、カウレスは自ら踏み込んでゆく。
クリスはエラーを起こした機械の様に、笑顔を張り付けたまま声も出せずに固まっていた。
「髪の色は? 身長は? 得意料理は? 服の趣味は? 好きな本は?
どうした? 答えろよクリスくん。答えてくれ」
怒涛の様な問いにクリスは何一つ答えられなかった。
もちろん答えようとはしている。
大好きな姉の問いだ、答えない理由がない。
ただ、何も答えが浮かばない。
「…………名前……名前は、えっと、ミュートス……」
「嘘をつくなよ。名簿に名前がないと言ったのは君じゃないか、その名は確か名簿にあったはずだ。
どうして嘘なんてつくんだい? 何を誤魔化そうとしている? 僕はそれが知りたい」
「う…………るさい」
直さに論破される、苦し紛れのごまかしなど通じない。
クリスが頭痛を堪えるように頭を押さえた。
ガラスでも頭の中につこまれってそのまま引っ掻かれたようなノイズが奔る。
「君はあんなにも楽しげに姉の事を話していたじゃないか。僕にはそれが全てが嘘だったとは思えないんだ。
だから、教えてくれよクリスくん。君の事を」
「僕の、こと?」
その蓋を引きはがそうとすると、どうしようもなく痛みが走った。
具体的な事を思い返そうとすると、思考に黒いノイズが奔る。
その瞬間、脳裏に浮かぶのは優しい姉の笑顔ではなく、不気味な男の張り付いたような笑みだった。
「そうだ。思い出せ、思い出すんだクリスくん。辛くとも苦しくとも、今の方が楽だったとしても思い出さなきゃダメなんだ。
そうじゃなければ君は、誰とも知れない誰かのまま自分を殺し続けることになるんだぞ。本当の自分を思い出すんだ!」
その言葉はカウレス自身に返る言葉でもあった。
これまでのカウレスは復讐心と勇者の使命で、本当の自分など跡形もなく塗りつぶされていた。
そんなカウレスだからこそ、クリスの違和感に気付く事の出来たの。
もしかしたらカウレスは、クリスに妹ではなく自分自身を重ねていたのかもしれない。
「本当の…………僕?」
少年が戸惑うような声を上げる。
カウレスの疑念は概ね正しい。
クリスという少年の全ては、誰かの都合で別の何かに塗りつぶされてしまっている。
だからこそ、カウレスはクリスをその鎖から解き放ってやりたいと願った。
だからその扉を叩き続ける。
「っ…………ぁあ…………ッ!」
その蓋が、開かれる。
決して開けてはならなぬと蓋をされた記憶の扉が開かれてゆき。
「思い…………出した」
クリスと呼ばれた少年の“本当”が呼び起される。
ただ一つ間違いがあるとしたならば。
「くく――――ハハハッハッハハ! 思い出したよおにーちゃん! 僕には何にもなかったという事をね」
その奥底に隠された“本当”がより碌でもない真実だったという事である。
そもそも、その記憶は思い出してはならない記憶だったのだ。
元よりクリスの中で名前与えられず何の価値もなく生きたことも、実験体としてNo13と呼ばれていたことも、決してなくなった訳ではない。
ジョーカーとして会場にいるあの
ワールドオーダーにも嘗ての認識が残っていたように。
あの能力は消し去ることも、上書きすることもできず、追記しかできない能力なのだから。
故に、忘れていたのではなく、余りにも現在と乖離しているため忘れることで自身を矛盾から守っていた。
その為に固く蓋をしていたのに、その扉は開いてしまった。
開いてしまった以上、もう後戻りはできない。
「クリスくん…………君は」
「ハハハハ! 何もなかったんだ、お姉ちゃんすらなかった! 本当の自分なんてなかったんだよおにーちゃん!!」
血を流すような泣き笑い。
決壊したダムの様に両目から涙を零しながら、何がそんなにおかしいのか少年は壊れたように笑っていた。
少年は最初から、それこそ生まれた時から終わっている。
とっくに壊れて、終わっていた。
それでもここまでやってこれたのは信仰があったからだ。
どこかの誰かに与えられた姉という神への信仰が。
だがその唯一の拠り所さえ虚像であると知った。
もうこの少年に齎される救いなど存在しない。
「あああああぁ! もういいよ、そんな話はどうでもいい! 戦おう、殺し合おうよおにーちゃん!」
全てを振り切るように何もかもを失った少年は叫ぶ。
過去に何もない以上、少年には現在しかない。
確かなものなど戦う事しか残っていなかった。
「ハハッ! 本当なんてどうでもいい、過去も未来も関係ないよ! 遊ぼうよ、おおにぃいいいちゃぁあああん!!」
狂ったように叫びをあげて、殺し屋は唸りを上げるチェーンソーを振り上げる。
元勇者は悔しげに顔を歪めながら、その腕に輝く光の剣を召喚した。
片や、人を超えた存在を目指し辿り着けなかった失敗作。
片や、人を超えた存在へとたどり着いたがその力を失いつつある元勇者。
共に、人でありながら人から外れた逸脱者たちが、思いのたけをぶつけるようにその刃を交えた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
銃撃戦の口火を切ったのはイヴァンだった。
得意の早打ちで出合い頭に弾丸を撃ち込む。
その狙いは標的を大きく外れたが、敵が頭を引っ込めたので牽制としてはよしだろう。
長松も負けじと、壁から手だけを出して盲撃ちにしてくるが、そんなものは余程の不運がない限りは当たらない。
その間にイヴァンは部屋の中へと引き返すと、分厚い部屋の扉を盾にして、そこから再び銃撃を放った。
そうして階段と執務室を繋ぐ通路を挟み、二人の男が弾丸を交し合う。
方や一般家庭に生まれ、バトルロワイヤルという極限状況で鍛えられた素人。
方や銃声を子守歌に育ち、恵まれた環境にありながら殺し屋を否定した玄人。
その生まれも育ちも全く異なる二人だが、今この空間においては平等である。
互いの身一つ、余計な邪魔も入らない。
対等な条件で殺し合えるという物だ。
長松が盾にしていた壁から少しだけ顔を覗かせると、敵を近づかせぬよう数発通路に向けて弾丸を撃ちこむ。
そのまま素早く引っ込むと、壁に背を預け銃弾をリロードしてニヤリとほくそ笑む。
ここにいたのは探し求めていたゴスロリ女ではなかったが、相手はマフィアか殺し屋か。
間違いなくその空気は裏の世界に生きる者のそれである。
殺し合うにふさわしい相手だ。
これはこれで面白かろう。
長松は楽しげに敵の隠れる扉に向けて再び銃弾を撃ち込んでいった。
銃声が豪雨のように鳴り響き、熱を持った薬莢が落ちて、火薬の匂いが充満する。
コンクリートの壁に次々と放射線状の弾痕が刻まれ、幾何学模様を描いてゆく。
通路には弾幕が張られ、もはや何人たりとも一歩踏み出せばハチの巣となる、決して越えれぬ死の境界線と化していた。
状況は膠着しているように見えるが、そうではない。
弾切れを待っているのか、それとも相手のミスを待っているのか。
ただ闇雲に打ち合っているのではなく、互いに機を待っている。
マホガニーの頑丈な扉を盾にしながら、イヴァンがトカレフの弾倉を入れ替える。
残弾これでカンバンだ。恐らく残弾に余裕がないのは相手も同じはずだ。
それに、いい加減扉の耐久度も限界だろう。
イヴァンは心の中のカウントを確認する。
殺し屋は殺し合いなどしない。
殺し屋が行うのは殺し合いではなく一方的な殺しである。
機は待つのではなく作るものだ。
リロードを追え、数発牽制に打った後、心の中で数えていたカウントが整ったタイミングで。
イヴァンは銃弾飛び交う空間に向かって飛び出していった。
「バカが」
弾切れを気にして勝負を焦ったのか、一か八かの賭けに出たにしてもこれは下策だ。
長松の待っていた機が訪れる。
長松も残弾を使い切り、残る弾丸は拳銃に込められた分だけだったが、それでも長松は辛抱強く待っていた。
根競べは長松の勝ちである。
飛び出してきたイヴァンに対して、長松は冷静に狙いをつけると、残る弾丸全てを撃ち込む。
急所だけは左腕を盾にしているが、しこたま弾丸を撃ち込まれれば結果は変わらない。
イヴァンも負けじと撃ち返し、その弾丸が長松の太ももを貫いたが、一矢報いるのもそれまでだ。
結果として喰らった弾丸はイヴァンが5発、長松が1発。
即死ではないものの、どう考えてもダメージはイヴァンの方が大きい。
今の攻防で互いに残弾を打ち尽くしたため、戦闘は近接戦に移行される。
互いに残る獲物はナイフだが、イヴァンのナイフは非殺傷性の代物だ。
相手を殺すつもりならば、素手で戦うしかないだろう。
隻腕の長松相手とはいえ、負傷はイヴァンの方が大きい。
加えて獲物に差があるとなればイヴァンの圧倒的不利は否めない。
だと言うのに、イヴァンは勝利を確信し血塗れの口で笑った。
ここで、戦闘開始から心の中で数え続けていたイヴァンのカウントがゼロになった。
同時に、イヴァンの傷が回復する。
語るまでもなく、それは現象解消薬の効果である。
戦闘が開始される前、イヴァンは戦闘の準備として薬を飲んでいた。
後は心の中でカウントを取って、タイミングを見て飛び出すだけ。
捨て身でも命を奪われなければその時点でイヴァンの勝利である
「はっ! 殺すしか能がないお前らなんかとは! 頭の出来が、違うんだよ!」
イヴァンは高らかに勝利を宣言する。
ギャンブルで破綻するのはギャンブラーだけだ。
イヴァンはギャンブルなどしない。
カジノの胴元の様に確実に勝つ仕組みを作り上げる男である。
無傷となったイヴァンの動きが万全の物に変わった。
銃弾一つ撃ち込まれれば人間の動きは大いに鈍る。
無傷のイヴァンと銃弾を撃ち込まれた長松では、いくらなんでもイヴァンが勝つ。
イヴァンは長松の振るうナイフを躱すと、足を狙ったタックルで長松を階段から突き落とした。
宙に長松の体が飛ばされる。
長松は受け身も取れず、階段から転がり落ちていった。
今の落ち方からして、最悪即死、運がよくとも昏倒は免れまい。
だが、まだ生きている可能性もある。
長松の持っていたナイフを奪い取り確実にとどめを刺すべくイヴァンが階段を下ってゆく。
「…………?」
だが、その瞬間少しだけおかしな事が起きた。
意識などないはずの長松の体が、ビクンと跳ねたのだ。
痙攣のような動き。
打ち所が悪く、泡でも拭いたかとイヴァンが訝しんだ、瞬間。
轟音と共に正面玄関が吹き飛んだ。
「な………………ッ!?」
爆風に身を晒されながら、突然の事態に呆気にとられるイヴァン。
踊るように炎が舞い、一瞬で探偵事務所は業火に落ちた。
「…………一階の、各部屋に、C-4を仕掛けておいた。っあぁ。……気付けとしちゃいい具合だろう?」
一階を覆う炎に促されるように、何かのスイッチを片手に長松がゆらりと立ち上がる。
カウレスが追ってきた時の仕込みとして各部屋にクリスの荷物から掠め取ったプラスチック爆弾を仕掛けておいた。
二階に上がってくるまでに時間がかかったのはそのためだ。
「な、バっ…………! バカかお前!?」
「おっと……出口が塞がれちまったか。まあいい。さぁ殺し合いを、続けよう」
入口は崩れた瓦礫と炎に包まれている。
逃げるどころか、仮に勝者が抜け出る道すらない。
こうなっては殺し合いも何もない。
「細かいことは気にするなよ兄弟。今を愉しめよ。殺し合いを謳歌しろ。なんだったら、他の爆弾も起爆してやろうか?」
「おい、バカ。やめろッ。そんなことしたら、」
イヴァンの静止など聞かず、長松が続いて起爆スイッチを押した。
今度は資料室に当たる部屋が爆炎に包まれ、崩壊する。
地鳴りのような重々しい音が鳴り、建物全体が大きく揺れた。
このままでは建物自体が倒壊しかねない。
「…………イカれてやがる」
心底呆れたようなイヴァンの呟き。
そんな事は気にせず、長松はナイフを握りしめ階段を昇る。
「いいじゃねぇか。殺し合うのに何の支障もない」
「その階段に足をかけるんじゃあねぇッ! オレは上! テメェは下だ!」
イヴァンが叫びを上げながら無意識のうちに後ずさる。
長松は後方に迫る炎すらも意に介さず、それ以上の炎を宿して前へと進む。
「つ、付き合ってられねぇよ」
震える声でそういうと、イヴァンは踵を返して執務室へと駆け出した。
マーダー病は強い意志により凌駕される。
殺してやるという思いよりも、殺されるという恐怖が上回った。
二階にも炎が回り始め、黒煙が探偵事務所の中に充満する。
一階はもうダメだ。
外に出るには二階の窓から飛び出すしかない。
だが爆発の影響か、開かれていたはずの執務室の扉は閉じられていた。
さらに不運な事に扉が歪んでしまったのか、どれだけドアノブを捻っても開く気配がない。
「クソッ、クソがッ! 開け、開けよォ!!!」
弾丸を受けてボロボロになった扉なら蹴破れるのではないかと思い至り、靴底で扉を蹴り飛ばすがこもまたビクともしない。
先ほどまでその頑丈さを盾としていただけにいっそう恨めしい。
そうしてイヴァンが扉相手に格闘している間に、後方にナイフを持った長松が迫る。
片足を撃ち抜かれその動きは遅いが、確実に一歩一歩、恐怖を呷るように迫ってきていた。
「来るな! ちくしょう! 来るんじゃねぇ、俺は、俺はこんなところで死ぬ男じゃ……ッ!」
紅い焔が回る。
もはや吸う息すら灼熱であり肺が燃えるようである。
焦りと暑さでイヴァンの顔面に濁流のような汗が伝った。
後ろでは片足を引きずった狂いがナイフを持って迫る。
「ちくしょう…………俺は……俺は、俺はッ! 闇の世界の支配者になる男なんだよぉぉぉおおおおおおおおお!!!」
イヴァンの絶叫。
それに呼応するように、ピシリと建物全体から破滅の音が鳴った。
柱が崩壊し、天井が崩れ落ちる。
同時に建物全体が崩壊した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
光剣と鎖鋸が衝突する。
ズギャギャギャと何かを削るような音が響き、光の粒子がまき散らされる。
回転する刃の勢いに押されて、光の剣が弾かれカウレスが体勢を崩した。
そこに振り下ろされた一撃を躱し切れず、カウレスの肩口が切り裂かれる。
「ハハッ!」
楽しげな声が上がる。
戦っているクリスは楽しげだった。
今この瞬間は、過去も未来もない。ただ現在だけがある。
クリスにとってはこの瞬間が全てだ。
楽しげなクリスと違って、カウレスは一度たりとも戦いを楽しいと思ったことはない。
戦いは手段だ。
復讐という目的を成し遂げるための手段であり、勇者として世界を救うための手段だった。
カウレスはあくまで目的のために戦ってきた。
目的の達成に喜ぶことはあれど、戦い自体に喜びを見出したことはない。
今だって目的のために戦っている。
「どうしたの、おにぃーちぁゃん!? もっと楽しませてよ!」
「くっ!」
クリスの追撃にカウレスの体にいくつもの傷が刻まれてゆく。
カウレスは自身を回復する手段を持たない。
勇者の機能である自動回復(オートリペア)に感けて自己回復の魔法習得を怠った。
何があるか分からないので覚えておくべきだ、という妹の助言は正しかったと今になって思う。
クリスの振るう武器は銃と同じくカウレスの世界には存在しない代物だが、銃なんかと違ってその効力は至極わかりやすい。
多数の小さな刃を高速で回転させることにより対象を断ち切る特殊剣。
鍔迫り合いになれば先ほどの様に競り負けるのがオチだろう。
「――――DlEihs」
ならばと、今度は盾を張ってその攻撃を受けとめた。
光の障壁と電動刃が衝突する。
攻撃は防いだが、今度は障壁も砕けた。
クリスの一撃が鋭かったというより、障壁の耐久度が落ちている。
それはカウレスの魔法力が減衰している事を意味していた。
刻一刻と、カウレスは己の力が弱くなっていっているのを感じている。
カウレスが自身の力に明確な衰えを感じたのは、邪龍との戦いからだった。
アサシンとの戦いのときは感じなかった、恐らくその間に新たな勇者が現れたのだろう。
力がどこかに流れ込んでいるのか分かる。
(僕はもう用済みかい? 聖剣よ)
心の中で問いかける。
別にそれ自体に不満はない。
あの聖剣が新たな勇者を選んだと言うのなら是非もない。
元よりただの利害関係だ、カウレス以上の後釜が見つかったら乗り換えるのも当然の話だ。
命は決して平等ではない。
取捨択一の優先順位はつくし、命に価値という物はどうしようもなく付いてまう。
例えどんな犠牲を払ってでも生き延びねばならない命は確かにある。
だから勇者は決して死ぬわけにはいかない。
それは自分の命可愛さという意味ではなく。
勇者というシステムが魔王を殺すための一番効率のいい方法だからである。
だから全てを救う勇者は、特定の誰かのために命を投げ出したりはしない。
投げ出すとしたら、それは魔王を斃すその時だけだ。
もし他に魔王を滅ぼす効率的な方法あるとしたら、彼は喜んで命を差し出すだろう。
力の減衰を感じた時、カウレスが感じたのは以外にも失望ではなく解放だった。
勇者の使命からの、解放を感じたのだ。
己の命が軽くなるのを感じた。
確かに己が手で魔王を殺せないのは復讐者としては口惜しい。
だが、魔王を殺すよりよい勇者(しゅだん)が現れたというのなら不満を漏らす理由もなくなる。
使命は失われ、残った復讐心も使命と共に宙ぶらりんのまま消え去った。
残ったのは何もないカウレス・ランファルトというただの人間である。
そんな道に迷い何をすべきかわからない彼の所に、
魔法使いの祈りが聞こえたような気がした
幻聴だったかもしれないけれど、それで決意が固まった。
失うばかりの人生だったけれど。
少しだけ失った自分(もの)を取り戻してみよう。
使命ではなく、復讐でもなく、己の理由で戦ってみようと思う。
「クリスくん。君を救う(ころす)」
死が救いになるのかなど、カウレスには解らない。
解るのは死は終わりだという事だけである。
だから、続いているのが悪夢ならば、ここで終わらせなくては。
「ハハッ! どう、やって…………ッ!?」
クリスが駆ける。
今のカウレスでは捉えるがやっとな程に、その動きは速い。
施された肉体改造によりクリスの能力値は人としての限界値にまで達している。
人の外にある連中に苦戦することはあれど、人の身に堕ちた勇者に苦戦する事などあり得ない。
対して勇者としての力を失った今のカウレスの力は熟練の冒険者と言ったレベルが精々だろう。
人間の極限を相手にするには少し厳しい。
だが、カウレスが唯一勝っている要素がある。
それは戦闘経験である。
クリスとてアメリア最大のマフィア、カボネファミリーの殺し屋として幾多の修羅場を超えてきたが、カウレスの経験はその比ではない。
それこそ毎日のように自分よりも大きい相手、小さい相手、格上、格下、人間、人外。ありとあらゆる相手と戦い続けてきた。
恐らく、その経験値は全参加者を比較したとしても並ぶ者のいない程に抜きんでているだろう。
勝利を手繰り寄せる戦闘理論は彼の中にある。
クリスがチェーンソーを振り下ろす。
カウレスはクリスではなく振り下ろされたチェーンソーに向けて、思い切り光の剣を振り下ろした。
チェーンソーの回転を受けた光の剣が折れると同時に、チェーンソーのチェーンが断ち切れ、刃が弾けるように飛び出した。
チェーンソーはあくまで土木作業用の工具であり、戦う事を想定して作られた武器ではない。
攻撃に耐えうるような想定はされていなかった。
互いに武器を失い、破壊された衝撃で後方に弾かれた。
こうなると決め手となるのは互いここまで隠し持った切り札の存在である。
クリスは袖口に隠した銃身長3インチの小型銃を取り出した。
レミントン・モデル95・ダブルデリンジャー。
ブレイカーズの大幹部ミュートスすらも騙し討った隠し武器である。
クリスが銃口をカウレスに向ける。
銃弾が放たれるよりも早く、カウレスが再召喚した光の剣を振るった。
だが遠い。
互いの距離は離れ、剣の間合いではなく既に銃の間合いである、届くはずがない。
それに構わずカウレスは剣を振り切った。
勇者には聖剣という最強の剣があるため、他の武器など必要としない。
にも拘らず、カウレスが魔法剣の作成などという魔法を習得したのは何故か?
それは別の利点があるからに他ならない。
利点とは、今の状況の様に武器を失った状況にも使用できることと。
そして、光の剣は物質ではなく魔法で構築された魔法剣であるという事である。
物質でない以上、形状は剣に捕らわれない。
とは言え、自在な形状を維持すると言うのは勇者の力を失った今のカウレスでは不可能なのだが。
今できるのは刀身の長さを操作する、その程度が精いっぱいだった。
そしてこの状況では、それで十分である。
振るわれた刀身が伸びて、ダブルデリンジャーの引き金を握るクリスの人差し指が両断された。
自身の指が地面に落ちる様子を見送り。
何が起きたのか理解できず、引いたはずの引き金が引かれない事に相手が戸惑う一瞬の隙にカウレスは踏み込み、返す刃で首元に切り込んだ。
隙間を通すような一撃が首輪の上の喉を裂いて、開かれた喉元から鮮血が噴出した。
「ごっ…………フッ」
血の塊を吐いて、クリスが前方に力なく倒れこんだ。
カウレスは容赦なく、死に体になったからだを突き刺し、その心臓を貫いた。
攻撃を阻止し、隙を付き、とどめを刺す。見事に完成された三連撃だった。
同時に役目を終えたようにクリスの心臓を貫いていた光の剣が霧散する。
維持するだけの力が完全に失われたのだろう。
これで正真正銘、完全に勇者としての力は失われてしまった。
剣を失った手で、倒れこむ少年の体を抱きしめるように支える。
大量に零れる少年の血がカウレスを濡らす。
少年は力なく、今にも命の炎を燃やし尽くそうとしていた。
そんな自分の殺した少年に向けて、カウレスは口を開く。
「―――――今の僕は君を忘れない」
それが、カウレスが過去も未来もないと嘆いた少年に告げられる精いっぱいだった。
それがどれほどの救いになったのか分からないが、少年の力が抜けていく。
手の中で少年の命が失われていくのを感じた。
カウレスは初めて人を殺した。
勇者として、より多くを救うための殺しではなく
己の意思で、ただ一人を救うために殺した。
カウレス・ランファルトとして初めて人を殺した。
こうして、勇者は人間になった。
【クリス 死亡】
【D-4 草原/昼】
【カウレス・ランファルト】
[状態]:ダメージ(大)、魔力消費(大)
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式、ランダムアイテム1~3(確認済み、カウレスに扱える武器はなし(銃器などが入っている可能性はあります))
レミントン・モデル95・ダブルデリンジャー(2/2)、41口径弾丸×7、首輪(
佐野蓮)、首輪(ミュートス)
[思考・行動]
基本方針:魔王を探しだして、倒す。
1:聖剣を持つ勇者がいるなら探したい。
2:ミリアや
オデットと合流したい
※完全に勇者化の影響がなくなり人間になりました
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
探偵事務所跡が爆弾により倒壊した。
そこに残ったのは瓦礫と僅かに燻った炎だけである。
揺らめく焔以外に動く者はなく、生命など全て吹き飛ばされた、かに思われた。
だが、倒壊した瓦礫の一部が僅かに揺れる。
「ブッ……! ごほ……っ、ごほ……っ」
瓦礫を押しのけ、その下から立ち上がったのはイヴァンだった。
爆炎と倒壊に巻き込まれたにもかかわらず、その身は多少の火傷はあるだけで大方無傷である。
余程の強運で奇跡的に助かったのか、というとそうではない。
これは奇跡などではなく、人事を尽くした結果である。
イヴァンはあの時、薬を2錠飲んでいた。
長松の銃撃に対して発動したのが1錠目、そして5分後に飲んだ2錠目の効力が今効いてきたのだ。
10錠しかない希少な薬だが、出し惜しみをするのは馬鹿のすることである。
よもやこのような大事になるとはさすがに想定外だが、イヴァンの判断は正しかったと言えるだろう。
見れば、爆風で吹き飛んだのか少し離れた所に長松洋平の死体が転がっていた。
ピクリともしない、どう見ても死んでいる。
「……やはり、天は俺に味方している」
両手を掲げ、イヴァンは高らかに天に向かって謳い上げる。
妄想でも過信でもない、確信をもってイヴァン・デ・ベルナルディは己が天運を自覚した。
己に逆らったから奴は死んだのだ。
そう無謀に挑んだ相手の死体を満足げに見送ると、イヴァンはその場を後にした。
【C-4 剣正一探偵事務所跡周辺/昼】
【イヴァン・デ・ベルナルディ】
[状態]:精神的高揚、全身に落下ダメージ、マーダー病発症
[装備]:サバイバルナイフ・魔剣天翔
[道具]基本支給品一式、トカレフTT-33(0/8)、現象解消薬残り7錠
[思考]
基本行動方針:生き残る
1:何をしてでも生き残る。
2:仲間は切り捨てる方針で行く。
3:天は俺の味方をしている…!
※マーダー病が発症しました
イヴァンが立ち去り、その場に残ったのは死体だけだった。
誇張も過剰表現もなく、長松洋平の体は確かに死んでいる。
だがビクンと、痙攣するように長松の死体が跳ねた。
一度だけではない。
地上に打ち上げられた魚の様に体を、小刻みに痙攣を繰り返す。
これは先ほど長松が階段から落ちた時にも見られた現象だった。
同様の現象が繰り返された以上、それは偶然ではなく意図を持った必然である。
そう、これが長松洋平の切り札である。
大金をつぎ込み切り札を作り上げるにしても、武器を体に仕込むだの肉体を機械化するなどと言った事はしない。
人から外れた存在を許さない長松がそんな事をするはずもないだろう。
彼が望むのは対等の立場での殺し合いだ。
そして、殺し合いを少しでも長く楽しむことである。
そのために彼は『もう一度』を望んだのだから。
ならば、施した仕掛けはより殺し合いを楽しむための物に他ならない。
例え死んでも、まだ殺し合いを続けられるそんな仕組みだ。
それは長松の心拍が停止した際に発動する自動蘇生。
自動体内式除細動器による電気による心肺蘇生。
及び発動時に大量投与される麻酔により痛みを無視した強制動作が可能となる。
これこそが長松の望む永遠。
死ぬまでどころか、死んでも殺し合いが楽しめる。
「ぷはっ…………はっ!」
その望み通りこうして復活を遂げてた。
長松にとっても死ぬのは初めての事である。
血が凍り、全てが先から腐っていくような感覚。
自身が世界に溶け堕ちて、存在ごと漆黒に消えていくような何もないが訪れる。
その全てが、言いようのない程の甘美な快楽だった。
これが死か。
これ程の快楽ならもう一度、いや何度でも味わいたい。
今回の相手はこれを味わうには絶好の相手だった。
誰よりも人間で、生き残るためにすべてを尽くす。
殺し合うならこういう相手がいい。
だと言うのに、死から蘇り、起き上がった長松の目に入ったのは、遠ざかり小さくなってゆくイヴァンの後姿だった。
「何だよ…………逃げるなよ」
どこか寂しげな声で長松はつぶやく。
そんな事をされては、せっかく沸き立った炎が醒めてしまう。
その背を追おうとして、踏み出した足がふら付き、その場にガクリと膝をついた。
無理矢理に生き返っただけで、傷が治る訳じゃない。
痛みは麻痺しているが、死に至るだけのダメージが蓄積されていることに変わりはない。
今は、身を休め回復に努めるのが賢明だろう。
だが、それでも。
「待てよ……待ってくれよ、もう一度、殺し合いを」
長松が縋るように手を伸ばす、
だが、遠く離れてゆく背には、いくら伸ばせど届かない。
悔しくて長松が歯噛みする。
この沸き立った情動をどうすればいい。
これじゃ喰い足りない。
もっと、もっと、もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっとだ。
殺し合いを。
闘争を。
生を。
死を。
誰か。
誰でもいい。
この情動をぶつけられる相手を、誰か。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
そうして彼女は終わり(ゴール)に到達した。
「はぁ…………はぁ……はぁ……ッ!」
馴木沙奈は走っていた。
あれからずっと走り続けていた。
もう体力なんてとっくに空で、その速度は恐らく歩みよりも遅いけれど、それでも懸命に走っていた。
なんだか今日は一日走りづめだ。
酷く疲れた。脳に酸素が足りなくて、思考が上手く廻らない。
お家に帰ってお風呂に入って汗を流して、柔らかいベットでぐっすり眠りたい。
そう言えば何で走っているんだっけ?
そんな疑問が酸欠で白く靄のかかった頭をよぎる。
何も考えられない頭で思い出す。
ああ、そうだ。
走っているのは、走れと言われたからだ。
誰に言われたのか。
男だった気もするし、女だった気もする。
だけど、もう顔も思い出せない誰かにそう言われたんだった。
その誰かを思い出そうとして。
「あ――――――」
朱い。
腹を刺される女の姿が脳裏に浮かんで足を止めた。
「ッハ――――ハァ――――ッ!」
足を止めて動けなくなった以上、そこが彼女のゴールだ。
走って走って走り抜いて、ようやく彼女は終わりにたどり着いた。
「―――よう。誰でもいい、お前でもいいから、俺と―――殺し合おうぜ」
そうして彼女は終わりに出会う。
第一印象は死者。
終わりに待ち受けていたのは生きているのが不思議なくらいボロボロな男だった。
全身が血塗れの赤に染まっており左手がないが、これは潰されたと言うより元からないのだろう。
皮膚は服と共に焼け焦げケロイド状になって張り付き一体となってた。
とっくに彼岸に行って、何がの間違いで戻ってきたようなそんな男で、何より目が、生者のモノではない。
その右腕には鈍い光を放つナイフが握られていた。
足を引きずりながらも一歩一歩、幽鬼のような動きで沙奈へと迫る。
「い、いやっ!!」
「ッ!?」
沙奈はその魔の手を反射的に突き出した腕で跳ね除ける。
満身創痍の男はその程度の抵抗に抗う力もないのか、あっさりとナイフを落とし、尻餅をついて倒れこんだ。
相手が倒れこんだ隙に、沙奈は再び逃げようとするが、その足を倒れた男に掴まれる。
疲労が限界に達していたのは沙奈も同じだ。
抗う事も出来ずすっ転び、地面に顔面を打ち付ける。
沙奈の鼻奥から赤い液体が伝い、地面にポタリと落ちた。
「いやっ! いやっ! いやっ! 離して!」
沙奈は狂ったように暴れ、足元の男の顔を踏みつけるように蹴り飛ばした。
だが強く握りしめられた男の手は離れない。
何処にそんな力が残っているのか、がっちりと万力のような圧力で沙奈の足首を絞めつけてくる。
足首に奔る痛み。
ここまで逃げ続けてきた沙奈にとって、肉体的な痛みを感じるは初めての事だ。
それは死に至るほどの痛みではなかったけれど、精神的に限界を迎えていた彼女にとっては最後の引き金となった。
殺される。
このままでは殺される。
混乱の極みに至った彼女は無我夢中で手元にあった拳大の石を手にした。
そして足元の男の顔面めがけて思い切り打ち付る。
ガツンという低めの鈍い音。
硬い頭蓋を打つ感触が沙奈の手に響く。
沙奈の足を掴んでいた男の指が解かれると、男はぐったりとして動かなくなった。
「…………え? ぁあ、ちが……わ、私、」
その男の様子を見て、じわじわと認識が追いついてきた。
自分が何をしてしまったかに気付いて、沙奈の顔から血の気が引く。
人を、殺してしまった。
だけど、仕方なかった。
殺されそうになっていたのは自分だ。
殺さなければ殺されていた。
仕方のない事だったのだと、沙奈は自分の中で自分自身に言い訳をする。
自らの仕出かした事の大きさに震える沙奈だったが。
その罪の象徴である男の死体が突然跳ねた。
「は……はっ……! ぃいぞ……!」
地獄の様に掠れた声で、死んだはずの男が笑い声をあげた。
唖然とする沙奈を置いて男がゆらりと立ち上がる。
そして、地面に転がったナイフを拾い上げようとする動きを見せた。
「だ、ダメっ!」
そうはさせじと、今度は沙奈が男へと飛びついた。
タックルと呼べるほど上等なモノじゃなかったが、バランスを崩した男を押し倒すことに成功する。
地面でもみ合いになるが、行かせまいと男に一心不乱にしがみ付いて、巧い具合に沙奈は男に馬乗りになった。
そうして動けなくなった相手に向けて、今度は明確な意思をもって手の中の石を振り下ろした。
額に向けて念を入れて二発。
完全に息の根を止めたのを確認したが、数秒の後男は再び復活を遂げた。
「くっ…………はぁ。やって……くれるじゃねぇ、か」
「ひっ!?」
光など一遍もない漆黒の眼光に睨まれる。
恐怖に駆られた沙奈は三度目の殺害を実行した。
死した男、長松に対して行われている蘇生処置は、あくまで医療行為の延長だ。
失敗することもあるし、そもそも修復不可能なレベルで肉体が破損すれば復活も叶わないだろう。
だが、沙奈の力ではそう上手く肉体を破壊することもできない。
だから何度も殺し、そのたびに生き返るを繰り返すこととなる。
「えぐっ……ひっぐ……うぅっ……!」
「はっ……ははは……っは! そうだ! もっと、もっとだ…………ッ!」
その光景は常軌を逸していた。
殺している方が泣いていて、殺されている方が笑っていた。
地獄のような責め苦に沙奈は大粒の涙を零しながら振り下ろした石で頭部を打ち続け。
極楽の心地を味わう長松は死に至るたびその快楽に酔うように笑った。
幾度目かの生と死の狭間。
いい加減打ちつかれた彼女は、ここにきてようやく地面に落ちていたナイフの存在を思い出した。
そして彼女は、幾度目かの長松が死んでいる間に、落ちていたナイフを拾い上げ、そして、
「うぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁあ!!!」
両手で握りしめた刃を胸部に向けて何度も何度も振り下ろした。
完全に死んだと安心できるまで何度でも。
なにせゾンビの様に蘇る男だ、そう簡単に安心などできない。
死亡の合図である心肺蘇生が行われ始めても、その手を全く緩めなかった。
血と肉が飛び散り、骨も内蔵もズタズタに切り刻み、体内に仕込んだ蘇生装置も破壊して。
完全にその活動を静止させた所で、ようやく沙奈はその手を止めた。
今度こそ、長松は蘇らなかった。
ナイフをその場に落とし、茫然とした顔のまま力なく長松の上から降りる。
「う…………っ!?」
全身に浴びた返り血の生ぬるさと、手に残った感触が余りにも気持ち悪くて彼女は嘔吐した。
嘔吐は意外に体力を消耗する。
それで全ての体力を使い果たしたのか。
彼女は寒さに震えるように蹲ると完全に動かなくなった。
「うぅっ…………くうっ………………」
ただ一人嗚咽を漏らす。
どうしてこんな事になったのか。
いくら考えても彼女には分らなかった。
「…………もう………………もう、イヤだぁ…………」
呟かれた少女の絶望は何処にも届く事はなく。
乾いた風が無慈悲に少女の慟哭を掻き消した。
【長松洋平 死亡】
【C-4 剣正一探偵事務所跡周辺/昼】
【馴木沙奈】
[状態]:疲労(極大)
[装備]:サバイバルナイフ
[道具]:なし
[思考]
基本行動方針:――――――
最終更新:2016年01月13日 10:18