――――その名が呼ばれることを覚悟をしていなかったわけではない。

新田拳正と水芭ユキの二人は来た道を引き返していた。
それは朝霧舞歌を埋葬するべくロバート・キャンベルが眠る探偵事務所に向かうためである。
正確に道筋を覚えているわけではないので若干彷徨った感はあるが、その道のりは大よそ順調と言えた。

船坂弘に託された朝霧舞歌の遺体は、現在はユキの荷物の中にしまわれている。
友人の亡骸を道具のように扱うのは気が引けたけれど、死体が痛むのは意外に早い。
このデイパックには質量を無視する機能に加え、食糧の状態を保つためなのか中身を保持する機能があるらしい。
窮屈な思いをさせてゴメンと心の中で謝りながら、一刻も早く供養してあげなくてはと想いが奔り、知らずユキは足を早める。

二度目の放送が彼女たちの元に届いたのは、その道筋のちょうど中ごろでの話だった。

等しく絶望を届ける声。
その声を聴き終えた拳正は何を語るでもなく、ゆっくりと黙祷の様に目を瞑る。
それはまるで波のない海のような静けさで、内にある激情などありはしないかのよう。
果たしてそれは表に見えないだけなのか、それとも本当に存在しないのか、一見しただけでは判断がつかない。

そしてその声を聞いたもう一人、ユキはそうはいかなかった。
彼のように静かな心ではいられない。
放送の中に含まれていた幾つかの名は彼女に衝撃を与え、その中でも特に強い衝撃を与えた名が一つあった。

――――尾関夏実。

彼女の親友。
いつも一緒にいた仲良し四人組の最期の一人。

嗚呼と涙が零れないように空を仰ぐ。
夏実はユキたちの中で一番積極的にみんなを引っ張ってくれる原動力だった。
少し思い込みが激しいところがあるものの、誰よりも友達想いで気遣いが出来るそんな女の子。
こんな事件に巻き込まれるのが間違いのような、本当に普通の女の子だった。

だからなんの力も持たない彼女の事は覚悟はしていた。
覚悟はしていたはずなのに。
もしかしたら、ここまで生き残ったのだから誰か悪党商会の人達のような強くて優しい人達に守られているのではないか、心の奥底でそんな淡い期待を抱いていた。
なんて、甘さ。

その甘さが雪だるま式に膨れ上がった重さとなってユキの心を打ちのめす。
堪えきれないほどの重さが心に圧し掛かって心が軋む。

それでも、決して絶望はしない。
己の行動に後悔もしない。
もうこの重さから逃げないと誓った。
ここで折れたら、何の意味もなくなってしまう。

ああ、それでも。
それでも挫けそうになる。

何度味わっても人死は慣れるようなモノではない。
友達が死んだと聞かされて、冷静でいられるはずがない。
そんな達観した人間には、どう足掻いてもなれなかった。

心が張り裂けそうだ。
叫ぶように泣き喚いて、全て投げ出しそうになる。

「……大丈夫か?」

その心中を察してか、少年が少女に問いかける。
少女は堪えるように唇を噛んだ。

「大丈夫…………じゃ、ない……かも」

そう絞るだすように言って、少女は縋るように少年の肩を掴んだ。

「…………ごめん、少しだけ」

それだけを何とか口にして、顔をうずめて泣き叫んだ。
叫んで吐き出さないと心が悲しみの波に浚われて押し流されてしまいそう。
切れてしまいそうな心の糸を必死で繋ぎとめる。
掴んだ腕は、彼女も気付かないうちに爪が食い込むくらい力が込められていた。

それでも少年は何も言わずに押しつぶされそうになる少女の体を支える。
慰めの言葉を掛けるでも、発破をかけるでもなく、少年はただそこにいるだけだ。

それだけでいい。
誰かが傍にいてくれると言うのは、それだけで救いになる。
触れ合う肌ごしに伝わってくる温もりからユキはそんな事を知った。

彼の胸元に埋めた耳元から少しだけ早い彼の鼓動が伝わってくる。
生きている証の音。
規則正しいそのリズムに合わせるように、少しづつ心の波が落ち着いてゆく。

「大丈夫か?」

ユキが落ち着きを取り戻したのを感じたのか、拳正は先ほどと同じ問いを投げた。
その問いにユキは少しだけ未練を残しつつも彼の胸元から離れ、腫れぼったい目を拭いながら頷きを返す。

「うん。大丈夫じゃないけど、大丈夫」

ユキは彼女たちの死を決して割り切ることはできないけれど。
きっとこれからも永遠に未練がましく引きずって行くのだろうけれど。
正直全然大丈夫じゃないけれど、それでも、きっと大丈夫だ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

――――その名が呼ばれることを予期していなかったわけではない。

カウレス・ランファルトその知らせを聞いたのはあとる少女を探していた最中の事だった。
カウレスが探しているのは、クリスに襲われていたあの少女である。
あの時はあしらうような対応をしてしまったが、決して少女の事を無碍にしたわけではない。
ただ、あのまま戦えば少女を巻き込んでしまっていただろうし、あの時はクリスとの決着を優先しただけである。
クリスとの決着がついた以上、一人無力な少女が彷徨っているのを放っておけるはずもない。
これは勇者としての義務の話ではなく、カウレス個人の性分の話である。

そうして少女を探そうと動き始めたところで、放送が流れた。
その中で、彼の人生の根本にあった二つの名が呼ばれることとなる。

ディウス。

まさかこの名が呼ばれるとはカウレスは思ってもみなかった。
それほどの強力な相手だったのだ。
魔族の王、人類の敵。
そして生涯をかけて追い求めた彼の仇敵。
カウレスは青春時代の全てを、この魔王を滅ぼすという一点に費やした。

だがあっさりと何処かの誰かの手によって復讐は成し遂げられた事を告げられた。
落胆はない。別段彼は自らの手の復讐にこだわっていた訳ではない。
あの魔王が討ち滅ぼされるという結果があるのならば、過程などどうでもいいとすら思っていた。

だが、宿願が適ったというのにどういう訳か喜びもない。
そんな事よりも、別の思いが彼の心を吹きすさぶように荒らしていた。

ミリア・ランファルト。

たった一人の妹。
その名が呼ばれる予感はあった。
勇者としての使命を失い道を見失いかけたあの時に聞こえた祈りのような声。
あの時感じた声は、ダメな兄の行く先を思う妹の最期のお節介だったのだろう。

カウレスは魔王の死を喜ぶよりも、妹の死に衝撃を受けていた。
その心境の変化に、彼自身も自分で驚いでいる。
以前の自分ならきっと、魔王の死に歓喜して妹の死をおざなりにしていただろう。
そんな自分を顧みられるくらいには冷静になっていた。

――兄さん。復讐なんて辞めて二人で静かに暮らしましょう。

旅の途中、一度だけ妹が漏らした弱音のような言葉が、今になって蘇る。
あの時のカウレスは効く耳を持てなかったし、きっとその言葉を告げたミリアも本気でその言葉を受け入れるとは思ってなかっただろう

彼が聖剣を手にした時点で彼の戦いは彼だけの戦いではなくなっていた。
人類の悲願、その全てを担う勇者としての戦いである。
それを投げ出すことなどできるはずもなかった。
きっとそれは、世界の全てから許されない裏切りだ。

それでも彼女は言わすにいられなかった。
それは人の事ばかりを気にしていた出来た妹の、たった一度の我が侭だったのだろう。
ただ一人、彼女だけが家族として、勇者ではないカウレス・ランファルトという一人の人間にはそう言う生き方もあるのだと。
血に濡れた修羅の道だけではないと、道を示していてくれたのだ。

あの時、勇者を選んだその選択に後悔はない。
勇者だったカウレスに投げ出すなどと言う選択肢はなかった。
ただ、今は。
勇者ではなくなった、今は。

「そうだな、ミリア」

使命から解き放たれた彼は自由だ。
義務ではなく自分らしく。
そういう生き方を追い求めるのも悪くない。
見失ってしまったカウレス・ランファルトの生き方を追い求めてみよう。

確かに魔族は許せない。
その復讐者としての憎しみは未だに心の奥底に燻っている。
今も魔族は斃さねばならないと思う。

だが、それは魔族に対する憎悪に縛られるのではなく。
自分と同じ悲しみを持つ人間を生み出さないため、力なき者を守るため、その為に戦う。
消えていった勇者の力と共に一緒に憑き物が落ちたようだ。
使命や憎しみではなく、あくまで自分のために戦うという決意がカウレスに漲る。

そんな憎しみに折り合いをつけたカウレスの元に、地を揺るがすような憎悪が届いた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

――――その名以外の名に、興味などない。

どこから流れているのかもわからない声が世界中に響き渡る。
固まったように蹲り、亀のように丸まったまま馴木沙奈は、その声を聴いた。

多くの名前が呼ばれた。
その中には彼女も聞き覚えのある名がいくつか含まれている。
彼女が殺してしまった名前も知らない誰かの名もきっと含まれていたのだろう。

だが、その事実は音と共に右から左に抜けて彼女の頭には届かない。
正直、彼女はそれどころではなかったし、そんなことを受け入れられるだけの余裕もなかった。

放送の内容は理解できているはずなのに、心が反応しない。
何も考えられない。考えたくない。
脳が思考を拒否していた。
この状況に悲しみも、怒りすらわかない。
ただ砂漠のように心が乾いていた。

放送を聞き終えても彼女は動かないままだ。
どれほどそうしていただろう。一瞬だったようにも思えるし、数年たったようにも感じられる。
ただ、同じ体勢を続けてすっかり冷えてしまい関節が痛んだ。

何も希望なんてないけれど、仕方なく絶望と共に地面に埋めていた顔を上げる。
零れ落ちた涙や口の周りに付いた嘔吐物はすっかり乾いてツンとした臭いと共に皮膚に張り付き非常に不快だ。
口の中は砂利の味がする。
気持ち悪くて沙奈は土の混じった唾を吐いて乱暴に口元を拭った。

何も考えられない頭で、ぼぅと痴呆のように曖昧な視線で周囲を見渡す。
乾いた風が吹いていた。薙ぐ風が少女の頬を撫で髪を梳く。
雲はゆるりと流れ、空はどこまでも抜けるように青い。
耳に聞こえるのは風に揺られる草木の音。
争いなんてどこにもないみたい。

ただ自分だけがどこまでも空虚で、ポツンと世界に取り残されたような錯覚を覚える。

だが、そんな澄み切った世界に歪みが生じた。
最初は、何かの見間違いかと思った。
それは異様な青黒い染み。
遠く遠方に、在ってはならない異物が在る。

何事にも興味を失ってしまう程に精神が擦れてしまった彼女だけれど、それを注視せずにはいられなかった。
なにせ、それは彼女がこれまで出会った中で一番、分かりやすい化物だったのだから。

そもそも形が人じゃない。
それは漫画や映画の中でしかお目にかかれないような龍という異形である。
普段漫画なんて少女漫画しか読まない沙奈にとってはそれこそ初めて見ると言っていい代物だった。

ただ龍という物に漠然とした知識しかない沙奈でもわかる。
あれはダメだ。
あれは、死にたくないのならば、人が関わってはならない存在であると、そう嫌が上にも理解できた。

龍もこちらの存在に気付いているのか、その影は徐々に大きくなる。
逃げなくてはという本能的な恐怖と、逃げられないという理性的な諦観が混ざり合い、どうにも体が動かない。
動けないの体力的な問題ではなく、心の問題だ。
動くためのガソリンがない。希望という名のガソリンが。
絶望が死に至る病のように彼女の足から力を奪う。
立ち上がることすらできない。
彼女にもう希望など、

「…………ぃゃ…………っ」

知らず否定の言葉が口をついていた。
全て諦めたはずなのに。
何も考えたくないと、何もかもを投げ出したはずなのに。
なのに何故。

「……錬次郎」

懺悔のように、あるいは祈りのようにその名を呼ぶ。
とっくに枯れたと思っていた熱い涙が双眸からあふれる。
心の底に最後の希望が残っていた。

だが、それもここまで。
邪龍はすでに見上げるほどの目の前に迫っていた。

目の前で震える無力な少女は、どう足掻いても巨大な龍の脅威になりえない矮小な存在である。
だが、そんな事は関係がない。

邪龍ミロにとって人間は全て憎き怨敵だ。
脅威であるとかないとかは関係がない。
存在するのならば全て叩いて潰すまでだ。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」

人間への憎悪を吐き出すような咆哮が轟いた。
癇癪めいたその憎悪は、その祈りごと少女を容易く叩き潰すだろう。
その憎悪を象徴するような指の欠けた腕が勢いよく振り上げられた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「ごめんなさい、私ばっかりこんなで。新田くんだって心配なはずなのに」

探偵事務所までの歩みを再開させながら、ユキはそう詫びを入れた。
何でも無いようにしているが、拳正だって大事な人間が巻き込まれて不安がないはずがないのだ。
そこに思い至れず自分の感情ばかりを吐き出してまだ子供だなと、ユキは自分の不甲斐なさに肩を落とす。
これじゃあミロの時と何も変わっていない。

「んー。まあ居場所が分からないんじゃ動きようがないだろ。
 右に全力で走って行って、実は左にいました、じゃ話にならねぇ」

普段バカしてる様子からすれば意外と言うか何というか、この辺の判断は非常に冷静である。
それこそ不気味な怖さを感じるくらいに。

「けど、何もしないって不安じゃない?」

ともすれば、何もしないと言うのは何かをする以上に消耗する事もある。
心が逸っているときは特にそうだ。
少なくともユキには無理である。

「だから何もしないって言う訳でもないんだがな。
 さっきの船坂ってオッサンにも一応それっぽいの見つけたらって言伝は頼んであるし」

いつの間に。と抜け目ない行動に関心と呆れを覚えながら。
二度も交戦しておいて、ここで初めて船坂というあの男の名をユキは知った。

「馴木はさっきちょっと見たけど。他に生き残ってる学校の連中は九十九に若菜と錬次郎か」

生き残っている。
その言葉の重みに少しだけ胸が痛んだ。
何故か大量にいたはずの学友たちはもうそれだけになっていた。

「あとは音ノ宮先輩もいるわよ」
「オトノミヤ……誰それ?」
「3年の先輩だけど、結構有名な人だと思うけど……知らない?」
「しらねー」
「まあ……噂とか世間の話題に興味なさそうだもんね新田くんは」

普段からどこまでも我が道をゆく人間だった。
そう言えば彼が噂話のネタになる事はあっても、彼が噂話に興じている所など見たことがない。

「ま、とりあえず他はともかく若菜に関しちゃ心配ねぇ、と言いたいところだが、ここはどうにも温くねぇ。
 さっきの船坂とかいうオッサンや、俺が最初の方に出会った殺し屋のオッサンみたいなのまでいる。
 俺らみたいなただの学生(ガキ)じゃ、まともに行くにゃちとキツイぜ」

ここに居る面子と私たちでは隔絶した差異がある。
拳正は自分だけじゃなくユキも含めてそう評した。

「それでも……あいつが殺されるってのはちっと想像しづれぇな。
 あいつ、マジで冗談みたいな運動神経してるからな」
「あなたに言われるとか相当ね……」

ユキからすれば拳正も大概なものだと思うが。
だが、体育は男女別なので体育祭の時くらいしか直接お目にかかったことはないが、日本の至宝とまで呼ばれる夏目若菜の噂は嫌と言うほど聞き及んでいる。

「そこまで言うってことは、夏目くんってそんなに喧嘩も強いの?」
「いや。喧嘩なんてしてる所は俺も見た事ねぇな。俺とやり合ったとして何でもアリならまず間違いなく俺が勝つだろうぜ。
 けど、ルールがあって、よーいドンで始めるって前提なら、アイツを仕留めるのは多分プロでも難しい」

実際、柔道の授業などでは負け越しているらしい。何とも驚きの話である。
確かにそれくらいやれる人間がクレバーに生き残りに徹すればそう簡単にはやられないだろう。

「けどそうだな。アイツが負けるとしたら、それは……」
「それは…………?」

そこまで言って拳正は言葉を切り、足を止める。

「どうした、の…………?」

何事かと、その視線の先を追って、ユキも思わず息を呑んだ。

目的地である探偵事務所は燃え尽きていた。

事務所を構築していた瓦礫が四方八方に飛び散り、その周囲ではまだ炎は僅かながらに燻っていた。
探偵事務所が燃え堕ちてまだそれほど時間は立っていないのだろう。
それもそうだ。
何せ先ほどまで彼女たちはここに居て、それから1時間ほどしか経っていない。

何かあったのか。なんてバカバカしい事は言わない。
この場を離れている僅かな間に何かがあったのは間違いないのだから。

当然ながら建物は勝手に爆発などしない。
それはつまり、これをやった人間がまだ近くにいるかもしれないという事だ。
ユキが周囲への警戒を強める。
すると、どこかから、哭くような声が彼女の耳に届いた。

「これって…………」

それはユキにとってどこか聞き覚えのある声のように感じられた。
確証はない。
確証はないが、ないからこそ行って確かめなくてはならない。

この状況で舞歌の埋葬を優先して後回し、という訳にもいかないだろう。
そんな事をしては舞歌に怒られてしまう。

「……ごめん、後で必ず」

そう謝りながら、ユキは何があったのかを確かめるべく声の方向へと向かって駆けだしていった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」

小さな少女めがけて巨大な龍が鋭い爪を振り下ろす。
その一撃は少女を一瞬で肉片に変えるだろう。

「――――そうはさせない」

ザッと疾風が薙いだ。
邪龍の魔手から少女を庇うように、男――カウレス・ランファルト――が飛び込んできた。

勇者だとか魔王だとかそんな話ではなく。
困っている女の子がいるんなら助ける。
そんなのは当たり前の事だ。
その当たり前に従って、カウレスは少女を抱え込むようにして飛び込んだ勢いのまま大きく飛び退いた。

「ぐっ………………!」

だが、龍の一打は躱し切れず強かに背を打たれる。
クリスを助けた時のように少女を抱えて、攻撃範囲から離脱する予定だったのだが、勇者の力を完全に失った今ではそうは上手くいかないようだ。
吹き飛ばされながらも、カウレスは少女を護る様に地面を数度転がり、すぐさま立ち上がり体制を整える。

そうして勇者ではないただの戦士は、正気を失った邪龍に二度目の相対を果たす。
背に受けたダメージは思いのほか深くない。
力を失ったのはカウレスの方だけではないようだ。
目の前の龍の傷は一度目の相対時よりも深くなっていおり、もはや瀕死とも言えるレベルである。
碌に力も入るまい。

とは言え、決して油断はできない。
相手は龍族。
一説によるとその王たる龍王の力は魔王にも匹敵すると言われる最強種である。
人間界に干渉することはないため、長い旅をしてきたカウレスも合ったとこがない。
まさかこの場で二度も戦う事になるなどどは思いもしなかった。

なによりカウレスは数多の戦闘経験から手負いの超獣を侮りはしない。
油断なく先手を取って魔法を詠唱する。

妹と違ってカウレスには魔法の才能がない。
聖剣のバックアップを受けないカウレスに扱えるのは初級の攻撃魔法くらいのものである。
そんなものは高い魔法抵抗を持つ蒼龍には通じはしないだろう。

「mOb――――!」

だが、才がないのなら創意工夫あるのみである。
カウレスは爆発魔法を敵ではなく、その真下、地面へと目がけて打ち込んだ。
地面が爆風に舞い上がり、土埃が立ち込め視界が狭まる。
タダですら片目を失い視力を落としているミロからすれば、この状態で敵を視認するのは困難だろう。

「今のうち、こっちへ!」

この隙にカウレスは倒れこんでいた少女の手を引とり、走り出そうとした。
だが、引く手に返るのは僅かに重い抵抗感。
掴んだその手は力はなくだらんと垂れ下がったままであり、少女は動き出すことなくその場に力なく崩れ落ちたままだった。

何処か負傷し痛めているのか、それとも恐怖で足がすくんで動けないのか。
ともかく少女は動けそうにない。

カウレスが少女を抱えて走る、という選択肢もあるが。
動きに制限がある状態で龍に背を向け逃げるというのはリスクが高い。
先ほどのように手痛い一撃を喰らう可能性が高いだろう。

そうなると、少女が動けないのならこちらから場所を移すしかない。
幸いなことに龍は少女を特別に狙っていると言うより、破壊衝動に突き動かされ目の前の全てを破壊しているだけの様である。
引付ける事は容易いだろう。

「すまない、借りるよ」

そう一言少女に詫び、カウレスは先ほどのドタバタで少女が落としたナイフを拾い上げる。
少女は何の反応も返さなかったが、さすがに武器を奪っていたいけな少女を丸腰で放り出すのは気が引けるので、代わりと言っては何だが自らの荷物を少女の脇に置いた。
その中に銃器を含むいくつかの武器が含まれている。ナイフ一本の対価としては破格だろう。

クリスとの戦いで銃器の効果や大よその扱い方は理解したが、それでもカウレスとしては銃器なんかよりもナイフの方が扱いやすい。
カウレスにとっては等価な取引である。

刃先は血糊で濡れているが、幸か不幸か多くの戦場を駆け抜けてきたカウレスにとっては気に留めることの事ではなかった。
確かめるようにナイフを振るい、その勢いで血糊を払う。

そしてカウレスが見定める先、砂埃が晴れてゆく。
その中心で標的を見失い狂ったように龍が暴れまわっていた。

「じゃあ、僕はあいつを惹きつけるから、逃げられるんなら遠くまで逃げてくれ」

それだけ言って、砂埃のスクリーンに浮かぶ巨大な龍の影に向かってカウレスが駆けた。
狙いも何もなくただ暴れているミロの攻撃は大振りで隙が大きい。
だが、触れれば吹き飛ぶ嵐のような暴力である。
その暴風の中を勇気を持って踏み込み、掻い潜って勢いよく飛び蹴りを放った。

返るのは大木でも蹴ったような感触。
ダメージは全くと言っていいほど通っていない。
だが、注意を引くだけなら十分だろう。
邪龍は片方しかない紅い瞳で恨めしそうに懐の小さな羽虫を睨んだ。
カウレスはそのまま跳び蹴りと言うより壁蹴りの要領で龍の鳩尾を蹴り飛ばすと、距離を取りつつ自分に注意を惹きつけるように叫ぶ。

「よし! こっちだ、付いて来い!」

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「やっぱり、ミロさん……!」

その光景を見たユキが叫んだ。
声を辿って辿り着いた平地には、戦場を移しながら小競り合いを繰り返す人と龍の姿があった。

ユキの声を聞き、拳正が弾かれた鉄砲玉のように走り出す。
相変わらずの即断即決。
その速度は出遅れたユキでは追いつけない程に速い。

「どっちだ!?」

一刻でも惜しいと前へと駆けながら拳正が叫ぶ。
その端的な問いの意図を一瞬理解しかねたが、瞬時にユキは察する。
そういえば、拳正に対してミロの事を一緒に行動していた子供としか説明していなかった。
つまり、どちらがミロなのか、という問いだった。

「でっかい龍の方!」

それを聞いて拳正が大きく舌を打った。

「……どこがガキだよ、くっそったれ!」

悪態をつきながら、蒼い槍を携え突風が奔る。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

先ほどの少女の居る位置から、どれほど離れただろうか。
カウレスはミロの攻撃をいなしながら、相手の姿を見据えたまま細かなバックステップで距離を稼いでいた。

その間、蒼龍の特徴とも言われる魔法は一度も放たれることはなかった。
前回の交戦の際に放たれたあの黒い奔流も放たれそうな気配はない。
どうやら満身創痍の見た目通り、魔力も枯渇しているようである。

魔法勝負なら話にならなかっただろうが、体術勝負なら今のカウレスでも喰らいつける。
だが勝利をつかみ取るには問題が一つあった。

「…………っ」

カウレスの攻撃が固い感触に弾かれる。
最硬であるとされている黒龍ほどではないにせよ、龍鱗は強固であり、ただのナイフではカウレスの技量をもってしても切り裂く事は難しかった。
鱗のない内側を狙っても、肉厚な筋肉の壁を突き破れず、このナイフでは通らない。

「eRif」

ならばと、カウレスが魔法を詠唱した。
それは小さな炎を生み出すだけの最下位魔法。
これを直接ぶつけるのではなく、自らの持つナイフの刀身を熱するために使用する。

簡易性ヒートナイフ。
これを以て、大振りをする相手の懐へと忍び込み腹もとの軟肉へと突き立てる。
ジュという肉を焼く音と共に今度は刃が通った。

僅かに鮮血が舞う。
あの巨体からすればこの程度の傷は傷にも入らぬ些事だろうが、確かに傷つけられる。
傷つけられるという事は殺せるという事だ。
勝ち目のない戦いではない。

「決着をつけるぞ、龍よ」

カウレスはそう宣言する。
理性も大儀もなく、破壊を振りまくだけの害悪と化した龍をここで討つ。
再び魔法で熱を帯びさせたナイフを手に、カウレスが駆ける。
これを受けるミロも、鬱陶しく飛び回る小蝿に苛立ちを爆発させるように、雄叫びと共に爪を振り上げた。

今にも衝突の火花を散らさんとする刹那。
その戦火の渦中に蒼い疾風が飛び込むように割り込んできた。
拳正だ。

ぶつかり合う二人の間に乱入した拳正は中ごろを持った槍を満月を描く様に回転させ、突き出されたナイフの腹と振り下ろされた爪を同時に弾き落とす
そしてピタリと槍の穂先を龍の喉笛に、石突きを戦士に突き付け、双方の動きを同時に制した。

「――――お前ら、そこで止まれ」

言って睨みを利かせる拳正。
カウレスは突然の乱入者が戦いを止めようとする意図が分からず戸惑った。
だがもう一方、正気を失った怪物に牽制など意味がない。
正しい状況判断など出来るはずもないのだから。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」

喉元に刃が刺さることも厭わず、龍が目の前の邪魔者を排除すべく前へと踏み出した。
押し当てられただけの刃は表皮を僅かに突き破ったが分厚い肉壁に阻まれそれ以上は刺さらない。
むしろ前へと進むその圧力に槍を持つ拳正が押し負けバランスを崩した。

「…………っとと」

そこに振り回された丸太のように巨大な尻尾が迫る。
拳正は体勢を崩しながらも斜め後ろに跳び、同時に槍を盾に直撃を防ぐ。
圧倒的な重量差を槍を回転させることで受け流すが、全てを逃し切れず数歩たたらを踏んだ。

その拳正が数歩引いた僅かな隙間を縫って、カウレスが出る。
ミロの注意は乱入してきた拳正に向いており、攻撃後の隙が出来た今なら、獲れる。
喉元を切り裂き一瞬で決着をつけて見せよう。

「なっ…………!?」

だが、駆けだしたその足を引っ掛けるように、横合いから石突きを差し込まれた。
一瞬バランスを崩しかけたが、咄嗟に倒れることなく体勢を立て直す。
そして、その疾走を妨害した少年の方へと向き直る。

「何故、邪魔をする!?」
「悪ぃな。連れの用が済むまであんたはここで足止めだ」

言って。槍を構えた少年は龍に背を向け立ち塞がる様にカウレスの前へと割り込んだ。
それはまるで龍をカウレスから守っているように見える。
その少年の背後、巨大な邪龍の元には髪の白い小さな女の子が駆け寄って行く様が見えた。

「バカな……何を考えているんだ君は」

まさかあの邪龍と少女を、一対一で対峙させようというのか。
どう見ても正気を失っているアレを見て、危険性が理解できないはずがない。

「どういうつもりかは知らないが…………」

みすみす死にに行くような真似を見過ごすわけにはいかない。
どんな事情があるかは知らなくとも、自殺志願者がいるのならカウレスは止める。
カウレスはナイフを逆手に構え、応じるように拳正は槍の穂先を下げ深く構えた。

「そこを――――退け」

【D-5 草原/日中】
【カウレス・ランファルト】
[状態]:ダメージ(大)、魔力消費(大)
[装備]:サバイバルナイフ
[道具]:なし
[思考・行動]
基本方針:出来ることを精いっぱい成し遂げる
0:邪龍を打ち倒す
1:聖剣を持つ勇者がいるなら探したい。
2:オデットと合流したい
※完全に勇者化の影響がなくなり人間になりました

【新田拳正】
状態:ダメージ(大)、疲労(中)
装備:蒼天槍
道具:基本支給品一式、ビッグ・ショット、ランダムアイテム0~2(確認済み)
[思考]
基本行動方針:帰る
0:用件が済むまでミロとユキに手を出させない
1:クラスの面子を探す
2:脱出する方法を考える


「…………ミロさん」

龍の少年と悪党の少女は再会を果たした。

恐らく今のミロはユキを正しく認識していまい。
認識したとして許されるかもわからない。

ひょっとしたら怒りをぶつけられ無残にも殺されるかもしれない。

それでもいい、とは思わない。
だが、そうなっても仕方ないとは思う。

ミロを象徴するような子供らしさは見る影もない。
傷だらけの痛々しい今の姿は彼女の責任だ。

だからこそ真正面から向き合わねばらならない。
彼がこうなってしまった責任を果たさなくては。

「ミロさん、あなたに話があるの」

【D-5 草原/日中】
【水芭ユキ】
[状態]:疲労(中)、頭部にダメージ(治療済み)、右足負傷(治療済み)、精神的疲労(小)
[装備]:クロウのリボン、拳正の学ラン
[道具]:ランダムアイテム1~3(確認済)、基本支給品一式、風の剣、朝霧舞歌の死体
    ロバート・キャンベルのデイパック、サバイバルナイフ・裂(使用回数:残り2回)、ロバート・キャンベルのノート
[思考]
基本行動方針:この痛みを抱えて生きていく
1:ミロと向き合う
2:舞歌を埋葬する
3:悪党商会の皆を探す
4:お父さん(森茂)に会って真実を確かめたい

【ミロ・ゴドゴラスV世】
[状態]:左目完全失明、右目軽傷、左腕喪失、右指数本喪失、ダメージ(極大)、疲労(極大)、魔力枯渇、意識朦朧、憎悪、再生中
[装備]:なし
[道具]:ランダムアイテム0~2(確認済)、基本支給品一式
[思考]
基本行動方針:にんげんを皆殺しにしてうちにかえる
1:にんげんを殺す







そうして喧騒が過ぎ去り、少女に再び静寂が訪れる。

またしても馴木沙奈は取り残された。
これまで通り、少女の与り知らぬところで事態が動き、少女はそれに巻き込まれ、少女に関係なく過ぎ去ってゆく。
それに対して少女は何もせず、何も動かず、何も出来ぬまま、ただ一人取り残される。

事態についていけてないのだから、取り残されるのは当然と言えば当然と言えた。
こんな事に巻き込まれたのが間違いの様な少女なのだから、付いて行けるだけの力がないのは仕方ない事だ。これに関しては彼女は何も悪くない。
悪いと言うのなら、どう考えてもこんな事に彼女を巻き込んだワールドオーダーが悪い。

彼女は決して悪くない。
彼女は善人ではなかったけれど、これほどの目に合わなくてはならないほど悪人ではなかったはずだ。
なのに何故、こんな目に合わなくてはならないのか。

それはきっと、何もせず、何も動かず、何も出来なかったからなのかもしれない。
彼女は人を殺してしまったけれど
それだって、ただ流された結果に過ぎない。
彼女の意思で殺したわけではない。
自分で何かを選んだわけじゃなかった。

それは決して罪ではないけれど、決して救いにもならないのだから。

自分の意思で何かを選べなかった。
そういう人間は選ばれない。ここはそういう世界だった。

自ら向こう岸に辿り着こうとしなければ、ただ渦のように引き寄せられる災厄に抵抗する事も出来ず流されるだけだ。
その渦がまた渦を生み、大きな災厄を引き寄せるだろう。
彼女は今、その大きな渦の中心に沈んでいた。

「馴木?」

そして、その渦に引き寄せられた者が、また一人。

【C-4 剣正一探偵事務所跡周辺/日中】
【馴木沙奈】
[状態]:疲労(極大)
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式、ランダムアイテム1~3、レミントン・モデル95・ダブルデリンジャー(2/2)、41口径弾丸×7、首輪(佐野蓮)、首輪(ミュートス)
[思考]
基本行動方針:――――――

【夏目若菜】
【状態】:疲労(小)、肩に銃傷(小)
【装備】:なし
【道具】:なし
[思考・状況]
基本思考:安全第一、怪我したくない
1:九十九たちと合流する
2:クラスメイトを探して脱出するプランも検討

115.私の運命の人 投下順で読む 117.Bite the Dust
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想う心 新田拳正 デッドライン
水芭ユキ
田外さん家の鴉天狗 ミロ・ゴドゴラスV世
生と死と カウレス・ランファルト
馴木沙奈 夢をみるひと
俺達のフィールド 夏目若菜

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最終更新:2016年05月16日 11:33