輝幸は九十九の小さな体を抱え一心不乱に走っていた。
若菜を置きざりすることに対して激しい抵抗を示していた九十九だったが。
暫くしたところで抵抗らしい抵抗を見せなくなり、輝幸の腕の中で大人しく抱かれるようになった。
それは単純に体力的に限界が来たのか、それとも抵抗しても無駄だと悟り諦めたのかは分らないが。
途中、流れた放送で
夏目若菜の名前は呼ばれなかったというのも大きかったのだろう。
腕の中に感じる重さは想像以上に小さかった。
元より少女が軽かったのか、それとも大量に流れ出た血の影響か。
九十九は意識こそ失っていないものの、苦しそうな浅い息を繰り返している。
苦しげな息遣いを感じながらも、輝幸は合流地点と定められた温泉旅館に向かい走る。
急いだところで若菜がいなけれが意味がないのだが、気持ちばかりが逸り、どうしても足が急いてしまう。
輝幸は走りながら、何かを探すように辺りを見渡す。
応急的な止血はしたが銃に撃ち抜かれた九十九の傷は深い。
どこかで、ちゃんとした治療を施す必要があるだろう。
それを自分ではどうすることもできない輝幸は、何とかできる誰かを探し出し頼る事しかできなかった。
「くそ……ッ! 誰か、誰かいないか?」
誰か誰かと助けを求め、焦燥ばかりが募る。
誰かいないかと追い求めるが、かと言って誰でもいいという訳ではない。
出会ったのが危険人物では泣きっ面に蜂だ。この状況でも相手は選ぶ必要がある。
どうする? どうすればいい?
この状況を何とかしてくれるならもうこの際、二度と会いたくないと思った拳正でもいい。
そんな自棄にも近い気持ちになっていた。
そもそも何故こんなに自分が必死にならなくてはならないのか。そんな疑問が頭をよぎる。
輝幸が九十九を助ける明確な理由はない。
彼女を助ける義理も恩義もないのだ。
世話になった覚えはないし、むしろ無駄に気を使って鬱陶しいお節介を焼かれただけである。
だけど、関わってしまった以上見過ごせない。
さっきまで話してた人間が死ぬだなんて、想像しただけで吐き気がする。
それを見て見ぬ振りが出来るような器用な生き方は、輝幸にはどうしてもできなかった。
それに、
『――――任せたぞ』
……托されたからには投げ出す訳にもいかなかった。
破った所で何の損もない一方的な約束事だったけれど。
それを投げ出したら本当に最低になってしまう。
これ以上、自分を嫌いになるような、惨めな気持ちになるような事だけはしたくなかった。
そうしているうちに、幸か不幸か誰にも会う事は出来なく、指定された最初の合流地点である温泉旅館にまでたどり着いた。
結論から言うとそこは最悪だった。
温泉旅館は何者かに爆破されており、あるのはその残骸だけ。
それはつまり、ここで何か争いがあったと危険な場所である事を示していた。
危険そうなら離れろという事前の若菜の指示に従い、ここでの合流を諦め次の合流地点へと向かおう。
そう即座に判断し、踵を返したところで。
「どうしたのお兄ちゃん…………?」
振り返った輝幸の目の前に一人の少年が立っていた。
気配もなく現れた相手に輝幸は全身で警戒心を露わにするが、それが年端もいかぬ少年である事に気づき、僅かに気が抜けた。
少年はどこにでもいるような普通の少年だった。
特異な点があるとしたならば鞘に収まった西洋剣を背負っているという事だが、恐らく支給品だろう。
何ともアンバランスというか、小柄な少年では大きな西洋剣を背負うだけでも大変そうである。
「僕は
田外勇二って言うんだ。こんなところで立ち止まってお兄ちゃん何か困ったことでもあったの?」
そう勇二と名乗った少年は純粋そうな目で問いかけてきた。
その言葉に邪気は感じられず純粋な善意のようである。と言うより見るからにただの子供に見える。
出会ったのが危険な人物でなかった事に安堵するとともに、それがただの少年であったことに落胆してしまう。
この状況を救う助けにはならない。
「あ! 大変。お姉ちゃん怪我してるじゃないか!」
輝幸に抱えられる九十九の様子に気づいたのか。
勇二はパタパタと元気の良い足音を立てて輝幸の元に駆け寄ってきた。
急な接近に反射的に一歩引いてしまいそうになるが、子供相手にそこまで警戒するのはみっともないと妙な矜持で踏みとどまる。
「大丈夫、僕に任せて。僕ね、勇者になって回復魔法が使えるようになったんだ」
「…………魔法?」
勇者に魔法というのは何だがゲーム的な響きを感じてしまう。
どこか子供のごっこ遊びの様にも感じられる。
「あ、嘘だって思ってるでしょ? 本当だって、ほら!」
そう言って勇二は九十九を抱える輝幸の腕にそっと触れる。
何をするのかと流石にこれには警戒心を強める輝幸だったが、見れば、ここまでのゴタゴタで出来た小さな傷が触れられた腕から消えていた。
ね? と誇るような笑顔を向ける勇二。
これが魔法と言うやつらしい。
実演まで見せられて、悪魔を身に宿した輝幸がそれを突っ込むのも今更だろう。
「…………治療、出来るのか?」
「うん! 任せてよ、困ってる人を助けるのも勇者の仕事だからね」
こんな年端もいかぬ子供に頼らねばならない自分に情けなさを感じながらも勇二に任せることにした。
それに対して妙に明るい、屈託のない笑顔で勇二は一も二もなく快諾する。
年相応の無邪気な笑顔と言えばその通りなのだが。
どういう訳かそこで輝幸はその笑顔に言いようのない違和感のようなモノを感じた。
だが、それを追求できるほどの明確な理屈も余裕も今の輝幸にはなかった。
輝幸は九十九を慎重に地面に横たえ、勇二は傷口を見るようにその場に屈みこんだ。
九十九の傷口に向けて掲げられた勇二の手の平から暖かな光が放たれる。
その光に照らされ、苦し気だった九十九の呼吸が徐々に整って行った。
その様子を見て輝幸は張り詰めていた緊張の糸少しだけ緩めて安堵の息を漏らす。
ふと、そこで少しだけ余裕ができて気づいてしまった。
少年の視線が治療を施している九十九ではなく、ずっと輝幸の元へと向けられていた事に。
「――――――ところでさ」
少年の声。
輝幸はそこで真正面から少年の瞳を見た。
ギョロリと開いた少年特有の大きな瞳に捉えられ、底冷えするような冷さを感じ輝幸の全身に怖気が奔る。
輝幸をみる少年の双眸。
その瞳は星屑を撒き散らしたように輝いているのに、地の奥底に沈むように仄昏い。
何という目だ。本当にこれが年端もいかぬ子供の目か。
「お兄ちゃん、"混じってる"ね」
少年に張り付くのは、どこにでもいるような子供の無邪気な笑顔である。
それがとてつもなく悍ましい。
なぜそこに思い至らなかったのか。
半日で30名余りが死んだ地獄で、普通の子供が普通のまま生きていられるはずがない。
異常な環境での正常は異常に他ならない。
言いようのない怖気に、輝幸は本能的に飛び退き身を引いた。
「ああ、その反応。やっぱりだ」
言いながら、九十九の治療もそこそこに切り上げ勇二がゆらりと立ち上がる
そして、背中に背負った自分の身長ほどある剣を器用に鞘から抜き去った。
抜身の西洋剣が薄い光を放つ。
それが世界を救う勇者が担うとされる伝説の『聖剣』である。
本来、聖剣に魔族を判別する機能は存在しない。
魔族である
オデットが前勇者カウレスの旅に同行できたのはそのためだ。
そんなものがあれば、オデットはとっくにカウレスに叩き斬られていただろう。
魔族を憎悪する意識は改革できても、対象の識別は使い手に依存する。
それは使い手を必要とする聖剣の唯一と言っていい欠陥といえるだろう。
聖剣に魔族は認識できない。
では、退魔の名家、田外の力ではどうか?
「何だかおかしな状態だったからパッと見ではわからなかったけど、お兄ちゃんの奥底に魔族がいるね」
勇二はその小さな体躯にはどう見ても見合わない聖剣を正眼に構える。
抜身の刃が放つ白い輝きに照らされ、輝幸の全身を襲う悪寒が最高潮に達した。
あれはマズイ。
あれはダメだ。
あれは魔を宿す者にとっての不倶戴天の天敵である。
魔を払う聖なる気配に、内なる悪魔が逃げろ逃げろと騒ぎ立てていた。
悪魔に急かされずとも痛いくらいに肌が泡立ち、緩めていた危機信号はとっくに振り切っている。
本能的な恐怖に、無意識に後方に足が引けた。
『――――任せたぞ』
だが、その一歩を、輝幸は自らの意思を持って堪えるように踏みとどまった。
勇二の手元には九十九がいる。
逃げるにしても、彼女を見捨てて一人で逃げる訳にはいかない。
夢見るよう少年の様な希望と奈落の底の様な絶望が入り混じった、あんな不気味な目をした相手の手元に置いてはいけない。
「取りつかれてる? それとも取りつかせてるのかな?
どっちにせよ、魔族は滅ぼさくちゃいけないからね」
聖剣を構えた勇二が輝幸へとにじり寄る。
手には光を放つ聖剣。
恐怖と緊張で輝幸の手足が冷たくしびれ、鼓動が早まり米神がヒクつく。
渇いた喉がゴクリとなった。
あの剣は間違いなく天敵であると全身の細胞が告げている。
『呑まれるな』
動けなくなる前に、何時かの言葉が思い返された。
決して呑まれないようにと心を強く持とうとする。
それで恐怖がなくなる訳ではないけれど、気休め程度の効果はあるだろう。
だが、その決意を嘲笑うように、無理だ無理だ。あれには勝てぬと、内側から諦めを促す声がする。
輝幸に取りついた悪魔は彼に力を与えると共に、その死後に魂を貰い受けるために彼の内側に存在していた。
つまり、宿主の死は悪魔にとっては何の影響もない、むしろ喜ぶべきものである。
だが、この聖剣だけは例外だ。
聖剣は輝幸の内に潜む悪魔の魂ごと浄化する力を持っている。
この剣で殺されては、オセも輝幸諸共消滅するだろう。
「っ、ああ…………うるさいっ!! 黙ってろ!!
今は黙って力を貸せよ――――オセェ!!」
自らの内側に潜む悪魔を一喝し、輝幸は悪魔オセの力を解放した。
筋肉が波打つように広がり、ただですら大きいその体躯が一回り膨張する。
上半身は豹の様なシルエットを象り、黄金の毛並が逆立つように風に揺れた。
「正体を現したなこの悪魔めッ! 魔族は全部、僕が滅ぼしてやる!」
勇二は正体見たりと罵倒の言葉を浴びせる。
不穏な気配を感じ身を起こした九十九は輝幸の変貌を見て、驚いたような顔をしていた。
勇者は聖剣を抜き、悪魔は表出た。
互いに臨戦。
相容れない互いの尊厳をかけて、もはや戦う他に道はない。
「ちょっと、二人とも、やめ――――」
その止めようのない空気に静止を掛けようと九十九が声を上げる。
だが皮肉にも、それを合図として、勇二が動いた。
勇二は地を踏みしめ、小さな体を弾丸へと変える。
一息で輝幸へと飛び掛かり、その勢いのまま相手を一刀両断せんと豪快に聖剣を振るう。
その動きに、輝幸は獣の如き俊敏性を持って跳び退き、何とか回避を成功させた。
初撃を空振った勇二は地面に着地するや否やゴムマリのように跳ね上がり、再び輝幸へと襲い掛かる。
恐ろしいまでの鋭さの切り返し。
幼い小さな体に勇者の力を秘めた今の勇二は、小回りの利く小型車にロケットエンジンを積んだようなものだ。
加速性、俊敏性、全てに置いて桁が違う。
その動きに獣化により身体能力の向上した輝幸も何とか反応できたものの、鋭さすぎる動きに完全には躱しきれず聖剣の刃先が太腿を霞めた。
かすり傷のような小さな傷だが、傷口から溶かした鉄でも注ぎ込まれたような灼熱の痛みが襲い掛かる。
これが魔を滅ぼす聖剣の力。対魔属性を秘めた聖剣の特性。
「くッ、ぁぁあ…………ッ!!」
痛みに喘ぎながらも、輝幸は牽制のため爪を振るって反撃に転じる。
勇二は苦も無く身を引きその一撃を躱すが、これで間合いは開いた。
その隙をついて輝幸は踵を返して走り出す。
「逃がさないよ!」
それを追って勇二も駆ける。
その速度に振り回されている嫌いはあるが、勇二の方が速さは上だ。追いかけっこをしたところでどうせ逃げられない。
だが、輝幸は逃げだしたわけではない。
輝幸が走り出したのは時間を稼ぐためである。走りながら『考える』時間を稼ぐための時間を。
状況は聖剣を操る勇二が主導権を握っている。
輝幸唯一の長所である身体能力においても勇二が上だ。
どう考えても勇者側の圧倒的有利である。
だからと言ってそう簡単に諦めるわけにはいかなかった。
輝幸は死にたくない。
死にたくないのならひたすらに考えるしかないのだ。
己が相手よりも勝っている点はどこか。
相手の弱点はどこで、相手に隙はないのか。
どう戦えばいいかを、勝利するための方程式を。
空でも飛ぶような勢いで大地を駆ける勇二を相手に、追いかけっこは長くは続かなかった。
このままの勢いならば勇二は輝幸の背にあと数歩で追いつく。
そのタイミングで輝幸は背後に向かって切り替えした。
今度は輝幸が機先を制し仕掛けに行く番だ。
これは守っていればいつか過ぎ去るという類の戦いではない。
この戦いはお互いの生き残りをかけた殲滅戦である。
攻めに出なければ、戦わなければ生き残れない。
輝幸の動きはロケットエンジンで縦横無尽に飛び回るような勇二の動きとは違い、ネコ科動物特有のしなやかな筋肉を活かした柔軟性のある動きだった。
単純な速さでは勝てずともその動きは十分に効果的だ。
滑らかに後方へと振り返ると、大砲の様な勢いで迫りくる勇二をすれ違い様に切りつける。
だが、不意を打つような動きも、勇者の反射神経は凌駕する。
勇二は駆ける勢いを緩めず爪を避けるべく身を屈め、そのまま反撃の刃を振るう。
豹の悪魔の爪先は勇二の肩先の掠め、服を僅かに切り裂く。
対して勇二の刃は輝幸の身には届かず空振った。
ちぃ、と勇二が幼子らしからぬ舌打ちを鳴らす。
この一瞬の交錯は何とか輝幸の狙い通りに終わった。
輝幸が勇二よりも優れている点。
まず解りやすい所で言えばリーチの長さが上げられる。
元より長身である輝幸の手足は長く、それが獣化によって更に延長されていた。
聖剣を持っているとはいえ、相手はまだ成長途中の子供である。
爪の長さを加味すれば輝幸の方が幾分かリーチが長い。
木偶の棒と揶揄された体の大きさが武器になる。
まずはこのリーチを生かす。
再び飛びかかった輝幸は、敵は届かず、自分だけが届く距離を見極めそこからから爪を繰り出した。
この突撃は聖剣の腹で受け止められるが、当たった時点で瞬時に引くことにより相手の反撃を許さない。
このアウトボクサーめいたヒットアンドウェイを繰り返しナイフよりも鋭い五指の爪で、勇二の表面を削ってゆく。
「こぉのッ!」
「くっ…………!」
かといって付け焼刃の技術だ。完璧とはいかない。
間合いを見誤り反撃に振り抜かれた一撃に、輝幸の腕先が切り裂かれた。
深い傷ではないが、聖剣の一撃だ、悪魔にとっては猛毒に等しい。
激痛により、一瞬ではあるが輝幸の動きの止まる。
その隙を逃さず、これまでペースを握られっぱなしだった勇二が攻勢に転じる。
間合いを潰し懐に飛び込むと、躊躇なく聖剣を横薙ぎに振るう。
避けることも叶わず、聖剣の直撃を受けた輝幸の体は下腹部から真っ二つに両断された。
「?」
だが、戸惑いは切り裂いた勇二から漏れた。
今の一撃に、手ごたえがなかったのだ。
その戸惑いと同時に、横合いから衝撃。
振り抜かれた丸太の様な剛腕が勇二の脇腹を強かに打った。
吹き飛ばされた勇二は空中で何とか体勢を立て直し、四足の獣のように着地すると、顔を上げ周囲を見る。
そこには、幾数もの黄金の豹の化物が勇二を取り囲むように出現していた。
――――悪魔オセ。
ソロモン72柱の序列57番。
30の悪霊軍団を統べる地獄の大総長であり、神学、教養学と言った知識を持つ識者でもある。
狂気を司り、『変身』と、そして『幻惑』の力を持つ。
言う間でもなく、これはオセの幻惑の力によるものだった。
これまで幻惑の能力を使えなかったのは、輝幸自身が変身の能力で満足してその先を望まなかったとう点もあるのだろうが。
それ以上にこれまでオセは輝幸を認めておらず、あくまで力を貸してやっているという立場だったという側面もあるのだろう。
だが、今は違う。
オセは大総長という立場の気位故か、召喚者であろうとも自らを召喚するに値する者でなければ認めないという扱いづらい面を持つ。
だが、逆に言えば、認めた召喚者には最大の加護を与える存在であると言える。
オセですら恐れた聖剣使いに、真っ向から立ち向かう召喚者の勇士をオセは認めた
勇二に聖剣の加護付いているというのなら、輝幸にもオセが付いている。
「――――くっ!」
両手では足りない数の悪魔が全方位から勇者目がけて一斉に襲い掛かった。
勇者も前面に迫る三体に向かい聖剣を振るうが、幻影を切り裂くのみである。
背後から実態を持った鋭い爪が肩口を抉った。
一撃を当てた輝幸だったが、ここに来てもなお深追いはせず身を引き距離を取った。
決定的な勝機が見えるまで突撃はせず、あくまでアウトレンジからの慎重策を続行する。
ある意味臆病とも言えるその慎重さだが、相手をする側からすれば実に厄介極まりない。
捨て身で一か八かの賭けに出ることすらできないのだから。
「ああ゙っ! 鬱陶しいなぁ! 隠れんぼしようってんならさぁ!」
イラついたように吐き捨て、勇二が地面を乱暴に手の平で叩いた。
次の瞬間、地中から光の糸が四方八方に飛び出し、さながら獲物を捕らえる蜘蛛の巣のように周囲に散る。
広がる糸の束は全ての幻影を掠め通り、本体である輝幸をも捉え、その全身に巻き付いた。
ただの糸ではない。
邪龍すら繋ぎ止めた勇者の力で紡いだ田外の拘束術である。
獣の筋力で幾ら引いても断ち切れそうにない。
「本体、みぃぃっけ!」
拘束され動きを封じられた輝幸目がけ、白刃を掲げた勇二が迫る。
拘束されては逃げられない。今度こそ絶体絶命である。
だけど、輝幸はその瞬間も諦めなかった。
諦めだけは、悪い男だった。
「うぉぉぉおおおおおおおお!」
輝幸が雄叫びを上げ、後ろに逃げるのでなく、前へ向かって突撃した。
本来この糸による拘束術は、自身を中心に四方に飛ばすのではなく、敵を四方から囲むように使用する業である。
そうでなければ片手落ちだ。
前からだけの拘束ならば逃げるのではなくその方向に進めばいい。
気づいてしまえば間の抜けた話だが、慌てふためいていた頭では気づくことができなかっただろう。
冷静に、考え続けることを辞めなかったからこそのこの結果だ。
刃を寝かせ突き出しながら突撃する勇二に向かって、肩を突き出し正面から衝突する。
ズブリと左肩に刃が刺さり、焼けるような灼熱の痛みが突き抜けた。
同時に、勇二の小さな体が大きく後方に吹き飛んだ。
輝幸と勇二を比較して輝幸が圧倒的に勝っている要素はその重量である。
物体の運動エネルギーは物体の質量と速さに比例する。
ならば、互いに突撃した場合、真正面から突撃すれば吹き飛ぶのは勇二の方だ。
「ぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ!!」
腕が燃え尽きるような痛みは叫びで誤魔化し、緩んだ糸を爪で切り裂く。
そして輝幸は吹き飛んだ勇二を追って追撃に走った。
相手が子供だとか、とどめを刺すと言う事がどういうことなのか、そんな事を気にしている余裕はなかった。
元より輝幸に加減も躊躇もする余裕などない。
ここが勝機だ。
そこに向かってただ必死で抗うだけだ。
「ぐぅ――――――のっ!」
受け身も取れず地面に叩き付けられた勇二だったが、ダメージを受けながらもそれを気にせず反撃の態勢を整える。
強かに背を打ち咳き込むよりも早く、回転しながら立ち上がりそのまま剣を振るう。
体全体を使って大斧でも振り回すかのような大振りで、向かい来る悪魔を迎え撃った。
如何なるダメージを負おうとも戦闘継続を可能とする勇者の特性。
その復帰は輝幸の想像以上に速い。
それに対して、輝幸は踏み込み過ぎた。
この一撃は躱せない。
弾丸すら弾く分厚い筋肉の壁が、いとも容易く切り裂かれた。
澄まし通すように刃が右の鎖骨を両断しながら輝幸の体に侵入する。
そのまま深く胸元を切り裂きながら、斜めに切り裂くように腹筋にまで刃が到達した。
臓腑に灼熱が突き抜ける。
拳正によって打たれた浸透勁による攻撃ではなく、刃は直接内臓に届いていた。
「…………ごぷっ」
血を吐いた。
勝機を見誤った。
地獄の苦しみの中で、素人の付け焼刃ではここまでかと自嘲する。
だが、まだだ。
まだ終わってはいない。
諦めてしまえば楽なんだろうけれど、どうしても諦められなかった。
相手の攻撃が届いたという事は、輝幸の手も届く距離だという事なのだから――――!
「!?」
勇者の直感が異変を感じ勇二が身を引こうとする。
だが、輝幸の腹筋に突き刺さった聖剣が抜けず、僅かに行動が遅れた。
「ぅぁあああああああああああ――――――――――!」
獣ではない、紛れもない少年の咆哮。
聖剣によるダメージのため完全に無効化は出来ていないがオセの狂気を操る力によって痛みを感じる感覚はマヒしている。
血濡れの口で自らを鼓舞する様に雄叫びを上げ、痛みで倒れる前に一歩、輝幸は前へと踏み出した。
そして束ねた爪を突き出して勇二の脇腹へと突き立て、肉を抉った。
「…………ぐはっ!」
互いに腹を抉り合い血と刃でつながれた二人は、力なくたたらを踏みながら離れていった。
輝幸は傷口から滝のように赤い血流を垂れ流し、膝から地面に崩れ落ちる。
勇二は樽から栓を抜いたワインの様に脇腹から鮮血をまき散らし、その場に倒れこんだ。
自らの血だまりに沈む二人。
互いに致命傷を受け満身創痍。
輝幸は立ち上がろうとするが、血と共に力が体の底から抜け出してゆき上手くいかない。
このまま血が流れ続ければマズい事になる。
「はぁ…………はぁ……はぁッ!」
そんな状況で先に立ち上がったのは、勇二だった。
止血を施したわけでもないのに脇腹の刺し傷は徐々に塞がり始め、蛇口をひねったような出血は緩やかに収まっていた。
勇者の機能の一つ『自動回復』だ。
だが回復しつつあるとはいえ傷は深く、正直立ち上がったのがやっとというった風である。
とどめを刺すにしても、相手も満身創痍なのだ。
このまま素直に回復を待って、体勢が立て直るのを待つべきである。
だが、勇二はそうはしなかった。
勇者はそんな消極的な選択肢は取れない。
一刻も早く目の前の邪悪を消し去らなくては。
ふらつきながらも使命感に突き動かされる聖剣を手にした勇者の魔の手が迫る。
輝幸も悪魔の力によって常人よりも高い回復力を持っているが、勇者の持つ自動回復には及ばない。
未だ聖剣につけられた傷は深く、輝幸は動けそうにない。
「……………………僕の…………勝ちだ」
勝利宣言と共に、輝幸の元へとたどり着いた勇二が聖剣を高らかに振り上げる。
眼前に迫る勇者の刃。輝幸は逃げられない事を悟り堪えるように強く目を瞑った。
だが、刃はいつまでたっても振り下ろされることはなかった。
おずおずと目を開くとそこには勇二と輝幸の間に入り、両手を広げて立ち塞がる者がいた。
その相手に向けて、呆れたように勇者が言う。
「…………どいてよお姉ちゃん。そいつ殺せない」
勇者の前に立ちふさがるのは一般人一二三九十九である。
彼女の貫通した傷跡は辛うじて塞がって入るがそれだけだ。まだ血の気が足りず足元はふら付いている。
その体調を押してここまで駆けつけてきたようだ。
「絶対にどかない。
傷を治してくれたことはありがとう。お礼を言うよ。けど、それとこれとは話が別。
どんな事情があるかは知らないけれど、つまらない喧嘩はここまでにして」
何の力もない少女は勇者と魔族の生存をかけた戦いをつまらない喧嘩とそう称した。
二人の持つ力や戦いの壮絶さを理解できていない訳でもないだろう。
それを理解した上でそう吐き捨てる程に、この少女には珍しく怒っていた。
「つまらない喧嘩なんかじゃないよ。見てよそいつは魔族だよ。人間の敵だ。
人間に化けて人を殺そうとしていた魔物だよ? お姉ちゃんも驚いたでしょ? お姉ちゃんも騙されてたんじゃないの?」
違う、そうじゃない。
輝幸はそう叫びたかったが、声が出なかった。
ただ恐ろしくて、顔を上げて九十九の顔を見ることは出来なかった。
「うん。確かに輝幸くんが変身したのにはビックリした」
九十九は偽らず、彼の瞬間に抱いた素直な感想を認める。
悪魔の姿となった輝幸の変貌に九十九が戸惑わなかったと言えば嘘になる。
「ビックリしたけど、それだけだよ。やっぱり輝幸くんは輝幸くんだよ。
必死に怪我した私を何とかしようと走り回ってくれた輝幸くんだよ。庇わない理由がない」
「へぇ。あくまで庇うって言うんだ。それはつまり魔族に協力するって事?
魔物に協力するって言うんなら――――お姉ちゃんも斬るよ」
その幼さ故に勇二には駆け引きなどを行う老獪さはない。
人間であろうとも魔族に与する者であれば斬る。その言葉は脅しではない。
これ以上輝幸を庇い続ければ、勇二は九十九を本当に斬るだろう。
それが恐ろしくないはずがない。
刀匠として剣の恐ろしさなら九十九が一番よく知っていた。
実際、見せないようにしているが手だって震えてる。
それで一歩も引かず、瞬きすらせずに真っ直ぐな視線をそらさず言う。
「魔族だとかなんだとか、そんな事は知らない。私は輝幸くんの味方だ」
「そう、わかったよお姉ちゃん。お姉ちゃんは魔族に協力する悪いやつなんだね。
じゃあ、勇者として悪は殺さなくっちゃ」
正義に楯突くのだから悪である。
子供らしい二元論だった。
敵の判別を勇者の認識に任せる聖剣のシステムは欠陥ではなく。
ある意味こういった事態を想定してのことなのかもしれない。
その結論に九十九は怒っていた眉を下げて、どこか哀しい顔をした。
「君みたいな子供が誰かを殺すなんて言わないで。君は私を助けてくれたじゃんか。
それなのにそんな君にそんな間違った事は事はさせられないよ」
九十九はこの状況においても目の前で刃を構える少年の善性を信じている。
それは何も知らず無知で愚かなだけなのかもしれないけれど。
それでも人間の性根を信じていた。
勇二はその言葉にキョトンとした顔で首を傾げる。
「子供じゃないよ。僕は、勇者だよ。聖剣に選ばれた勇者だ。
勇者である僕が間違ったことをするわけがないじゃないか」
己の結論に何の疑問も抱いていない言葉だった。
幼さによる純粋さと聖剣による精神改革。
この二つが合わさり、勇二の中ではこの結論は覆ることのない真実である。
「…………聖剣、ね」
少年の手の中で光を放つ剣を、刀匠は猜疑心に満ちた目で見つめた。
九十九は世間一般で魔剣や妖刀と呼ばれる代物が実在する事を知っている。
その完成度の高さ故に人を惹きつける魔力めいた魅力を持ち、切れ味を試さずにはいられないと人心を惑わす魔性の刀。
そもそも刀とは、包丁などと違って設計思想からして人を斬るために生み出された凶器である。
無論、現代では芸術品としての側面もあるが根本の思想は否定できないだろう。
だが、刀匠の端くれとして、刀=悪という価値観には異議を申し立てたい。
人を殺すために生み出された兵器だって、人を守るために使うことだってできる。
どのような道具であれ、善悪は扱う人間の問題だ。
刀自身に全も悪もないのである。
だが、その剣から感じた印象は違った。
正しさが後付されるのではなく、正しさが先にあって作られたような、そんな激しい違和感を感じる。
その在り方は酷く恐ろしい。
正しさが先あるのだ、何をやっても正しく在ってしまう。
勇二を、少年を狂わせるには十分なほどの魔性である。
「それが君を惑わす原因だと言うのなら、そんなものは今すぐ捨ててしまった方がいい。
そんな悪い剣(やつ)とは早く縁を切りなさい」
刀匠はそう聖剣(ただしさ)を一言の元に切り捨てた。
だが、その言葉は、勇二にとって受け入れがたいものだった
聖剣の意識改革はある意味心の支えだ。
目の前で大切な人間を失った少年の幼い精神は既に崩壊しかかっていた。
勇者として巨悪を討つべく挑んだ戦いにおいて彼を庇って愛は死んだ。
家族を犠牲にした以上、もう勇二は後には引けない。
彼女の命に報いるためにも、彼は勇者を成し遂げなければならない。
今更聖剣を、勇者を捨てることなど出来ない。
「僕は勇者であり続ける、邪魔をするんなら――――死んじゃえ!」
勇二が聖剣を振り上げる。
このまま聖剣が振り下ろされ、白の聖剣が少女の血糊で赤く染まる。はずだった。
だが、刃は振り下ろされることなく、空中で差し止められていた。
「――――取り込み中のところ悪いのだがな」
それは鉛よりも重く響き渡る声だった。
勇二の背後より現れた男はあろうことか聖剣を素手で掴み上げ、その動きを封じていた。
勇二は咄嗟に振り向きその拘束を振り切ると、男の姿を見て怯えるように距離を取った。
そこにいたのは歴戦の戦士と言った風貌の男ではあったのだが、それよりも勇二を慄かせたのはその内側である。
呪いに満ち満ちた黒い闇が渦巻く深淵なる魔。
それは魔王にも近しい闇の王気だった。
その余りの禍々しさに気圧されるように勇者が引いた。
「何だ、お前はぁああ!!」
勇者となって初めて出会う明確な格上の存在。
己の中の恐れを認められず、勇者は叫ぶように問いかけた。
その問いに、当然のことのように堂々と男は名乗りを上げる。
「我が身は大日本帝国を総べる皇、
船坂弘である。
剣を収めよ。こちらに交戦の意思はない」
船坂は剣を構える勇二に制止をかけるが、勇二は聞く耳を持たない。
勇二からしてみればフィールドで魔王にエンカウントしたようなものだ。
やすやすと警戒を解けるはずもない。
「聞く耳もたんか、仕方あるまい」
船佐がやれやれと嘆息する。
少年兵の怖さを知る船坂は相手が子供であろうと容赦はしない。
向かってくるならば打ち倒す、それが船坂の基本スタンスである。
だが、今は別の懸念からその行為を行うには躊躇があった。
目の前の相手は、船坂の知る日本人とは別の日本人である可能性がある。
例えば世界線、例えば時間軸。
それを確認したく、彼らから話を聞ききたかったのだが、そうもいきそうにない。
「我が国民である可能性がある以上殺しはせぬか、生憎と悪童の躾にはコレを使う性質でな」
そう言って鋼鉄よりも固い拳骨を握りしめる。
殺さないからと言って手を出さないという訳ではない。
何事にも躾は必要である。
「言ってきかぬなら痛みで覚えよ」
僅かに漏れ出す闘気。
それを前にして、恐怖に背を押されるように勇二が奔りだした。
輝幸から受けた脇腹のダメージからか、先ほどまでの爆発的な速度ではないが、傍から見ていた九十九では捉えられないほどの十分な速度だ。
その勇者の一撃に対して魔人皇は悠然と空手を構える。
それはゆっくりとした動きに見えるのに、向かい来る神速に合わせて間に合う魔法の様な動きだった。
船坂は振り下ろされた刃の腹をいなすように裏拳で払いのける。
そこから刃に拳を押しあてたまま力を流動させ、勇二の体勢を崩した。
勇二の体がクルリと回転して、空中に放り出される。
驚くべきことに船坂は真剣相手に合気を合わせたのだ。
そして無防備になった、勇二の鳩尾に容赦なく砲弾のような鉄拳を突き刺さした。
「ぐは………………っ!!?」
幼子の口から血反吐が吐きだされた。
全力でこそないものの、踏み込んできた一撃の技量を見て相応の力を込めた一撃である。
見た目通りの幼子であれば即死、鍛えあげた大人でも昏倒は免れないだろう。
それほどの一撃を、脇腹の傷は避けているものの、急所に叩き込まれたのだ。
そのダメージは半端なものではないだろう。
だが、それでも勇二は膝をつかなかった。
聖剣を杖代わりにして、全身を震わせながら踏みとどまる。
「………………僕は」
加減はしたとはいえ、他ならぬ魔人皇の一撃を喰らって膝をつかないなど尋常ではない。
それは勇者の力というよりも、もっと精神的な、いわば執念である。
「僕は…………負けるわけには――――」
勇二が杖代わりにしていた太刀を担ぐ。
聖剣が光り輝き、熱風が周囲に吹き荒れる。
勇者が魔に屈すればこれまでの犠牲が無意味になってしまう。
一番最初に一番大事な人を犠牲にした勇者は、諦めることなど許されなかった。
悪を斃し続けて己の価値を証明し続けなければ、そうでなければ意味がない。
「む――――――っ!?」
その聖光に、魔人皇が警戒するように目を細める。
それほどの力の渦が目の前で展開されようとしていた。
「――――――いかないんだあああぁぁぁぁぁぁああああ!!!」
刹那。
世界は聖なる光に包まれた。
「ッ――――ハァ…………ハァ………ッ!」
不浄を焼き払う光の渦が世界を貫き、そこに残されたのは破壊の跡だけである。
生命はおろか何一つ欠片もなく勇二の目の前から消滅していた。
その破壊力は先の邪龍戦の時よりも確実に向上している。
勇者の力が馴染んでいる証拠だろう。
だが、それに比例して消耗も激しかった。
悪魔と魔人皇から負ったダメージも合わさって、さすがに限界が近い。
勇二には神にも等しい霊力と勇者の力がある。
このダメージも少し休めば、回復するだろう。
しかし勇二は休息と言う選択肢を取らなかった。
そんなことしている暇はない。
一刻も早く、勇者として世界を救わなくてはならなかった。
「僕が……世界を救うんだ」
ふら付きながら、勇者は進む。
魔王と言う明確な悪を持っていた歴代勇者と違い、何から何を救うのかもわからぬまま。
【D-5 草原/日中】
【田外勇二】
[状態]:勇者、消耗・大(回復中)鳩尾にダメージ(回復中)脇腹に刺し傷(修復中)
[装備]:『聖剣』
[道具]:基本支給品一式、
[思考]
基本行動方針:勇者として行動する
[備考]
※勇者として完成しました
「……さて、ここまで来れば十分か」
そう告げたのは重く威厳のある声だった。
ドサリと、音を立てて二つの荷物がその場におろされる。
先ほどの場所から少し離れた草原に立っているのは船坂だった。
その脇には九十九と輝幸の姿もある。
あの瞬間、船坂は己が呪術を全力に駆使して極光の軌跡を変えた。
そして光が消滅するまでの間に二人を抱えてあの場から離脱していたのだ。
とは言え、あれ程の一撃である。
流石の魔人皇とはいえ無傷とはいかなかった。
「あの、腕が…………」
あの一撃を防いだ代償として片腕が消滅していた。
これは片腕のみの犠牲であの一撃を軌跡を変えた魔人皇の技量を褒め称えるべきか。
それとも、彼の魔人皇の片腕を持って行った勇者の成長を称賛すべきなのだろうか。
判断に迷う所である。
「気にするな、そのうち直る。それよりもだ、」
魔人皇は己の欠損を気にせず、地面に寝かせ付けた少年――輝幸へと視線を向けた。
「童――――最後に言い残す事はあるか?」
「え?」
「……どういう、意味ですか?」
「そのままの意味だ。この童はもう、助からん」
九十九の問いに何一つ誤魔化すことなく魔人皇はハッキリと告げる。
戦場で幾多の死を見届けてきた魔人皇の見立てだ。
そこに間違いはないのだろう。
自分の事だ。当の輝幸もそれは薄々ながら理解していた。
死にたくない。
どうしようもない彼の本音である。
だけどそれを、ここでみっともなく喚いても意味がないし、なにより喚けるようなそんな余力もない。
悔しいと思いつつ、言い残したことは何かという問いが頭の中で響いていた。
遺言はと問われ、真っ先に浮かんだのは家族と文芸部の友人たちの顔だった。
悪魔の力を手にして調子に乗ってしまってからは、すっかり疎遠になってしまったけれど。
それでもやっぱり、輝幸にとって大事な人たちだったのだ。
だからと言って、この場で彼らへの遺言を残すのは違うと思った。
彼らはこの場にいないのだし、遺言を人に託すのもまた違う気がする。
かと言ってこの場にいる人間に何を遺せと言うのか。
輝幸はこの場で有った人間、九十九も拳正も、若菜だってそうだ。
明るく自身に満ちていて、ズルをしてそれを得た輝幸とはまったくもって違う人種ばかりで、ハッキリ言って全員大嫌いだった。
そんな大嫌いな相手に――自分の手を握って涙をこぼす女に――遺す言葉は何があるだろうか。
「…………生きてよ、あんたは」
何の飾り気もなく、気の利いた言葉ではなかった。
ただその内容だけはどうしようもない本心だ。
悪魔によって余命を定められ、命のタイムリミットを知らされた。
それから、輝幸は誰よりも死について考えてきた。
誰よりも死の恐怖について考え、誰よりもその恐怖に脅えて生きてきた、そんな彼だから。
誰にもそんなものは味わってほしくないな、とそう思ってしまった。
彼らの事は大嫌いだったけれど、それでも死んでほしくはないとは思う。
世界中のだれもがなんてお花畑な事は言わない。
ただ、自分の知る誰かにそんなものは味わってほしくないなという酷く個人的な願いだった。
言い残したことを言って、最期に目を瞑る。
手のひらには温もりと熱い雨の様な何かが降り注いでいるのを感じる。
その温かさがどこか遠くに感じられるようになってきて、呟くように言葉漏れた。
「あぁ………………死にたくないなぁ」
【斎藤輝幸 死亡】
【D-4 草原/日中】
【一二三九十九】
【状態】:左の二の腕に銃痕
【装備】:日本刀(無銘)
【道具】:基本支給品一式×3、
クリスの日記、サバイバルナイフ、ランダムアイテム1~5(確認済み)
[思考・状況]
基本思考:クラスメイトとの合流
1:若菜が心配
【船坂弘】
[状態]:右腕消失
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式、ランダムアイテム0~1、輸血パック(2/3)
[思考]
基本行動方針:自国民(大日本帝国)と
クロウの仲間以外皆殺しにして勝利を
1:拳正の言う日本について確かめる
2:
馴木沙奈を探す
最終更新:2016年03月16日 10:25