森を彷徨い、いつしか海辺を歩いていた。
 行く当ても定めず歩く、ソフィア・チェリー・ブロッサムの表情は暗い。
 懊悩と、憂いを漂わせ、何処を目指すとも無く歩き続ける。
 恵波 流都との邂逅と交戦を経て、暗く冷えていたソフィアの心に、再び火は灯ったものの。
 その火は何の為に燃えるのか。名簿に在る“牧師”や“焔の魔女”といった巨悪を焼き尽くすのか。
 それとも、恵波 流都の言った、悪人とは思えない囚人達を未来を照らす灯火となるのか。
 答えを得る為にも、誰かと接触したかった。
 出来れば、善良な者が良い。そう思いながら。

 「……あれは」

 彷徨の果てに、血臭を嗅いだソフィアは周囲を用心深く見渡し、砂浜に横たわる少女を見つけ、駆け寄ったのだった。



 白く凍り付き、乾いた血で赤黒く染まった砂浜に横たわる少女へと駆け寄ったソフィアは、5m離れた場所で足を止めた。
 眼を閉じて砂浜に仰向けに倒れている銀髪の少女を、無言で観察する。
 見た目は荒事とは無縁の少女だが、超力の存在が、旧世界ならいざ知らず、人を外見で判断する事が愚行の象徴となっているのが、『開白の日』以降の時代だ。
 幼児に小突かれただけで死にそうな老人が、高層ビルを倒壊させ。
 幼児が屈強な数十人の男を、瞬時に肉塊に変えてしまう。
 そんな時代にあって、凶暴な精神と、凶悪な超力を有する犯罪者達と戦い続けてきたソフィアは、儚げな少女の姿にも、警戒を怠らない。
 何よりも、この少女の首輪の文字は『死』。
 凶悪極まりない大罪者か、制御不可能な力を持って生まれてしまった新時代の犠牲者か、
 後者であれば、ソフィアにとっては難しい話では無くなる。超力が通じない身だ。そばにいても何も問題は生じ無い。
 問題なのは、前者だった場合だ。
 持って生まれた超力の為に、精神が歪み、人格に異常を来し、罪を重ねた者は無数に居る。
 純真無垢と呼んでも、万人から賛同を得られそうなこの少女が、そうでは無いと、果たして誰が言えるのだろうか。
 超力を無効化するソフィアではあるが、迂闊に近づくことは躊躇われる。
 近づく前に、ソフィアは砂浜に眼を向けた。
 夜でも白く輝く氷結した砂浜は、少女を襲った者の仕業だろう。
 名簿に在る名と照らし合わせれば、出てくる名は一つ。

「ジルドレイ・モントランシー……」

 かつて聖女と讃えられ、現在では悪魔と呼ばれ憎まれる、ジャンヌ・ストラスブールの所業を模倣し、死刑判決を受けた犯罪者に襲われたのだろう。
 凍てついた砂浜がジルドレイの仕業だとするならば、少女の能力は状況から考えて回復系能力。
 ジルドレイに、身体を切り刻まれて、意識を失ったと考えるのが、妥当だろう。

 「…………」

 胸が僅かに上下し、鼻腔も微小に動き続けているのは確認済み。
 死んでいない事と、少女が砂浜を凍らせたわけでは無い事を確かめると、少女を丹念に観察する。
 身体は血塗れだが傷一つ無く、同じく血塗れの囚人服の四肢の部分は、切り裂かれて本来布地に覆われている上腕や腿の肉を曝け出している。
 胴を覆う布地は、複数の穴が開き、少女の白過ぎる程に白い肌が、夜闇の中で妖しく存在を主張していた。
 破損しながらも、際どいところを絶妙に隠した囚人服は、少女の儚げな美しさに妖美さを加えて、同性であるソフィアですらが、息を飲む色香を放っていた。

 【……いけません。何を惚けているのですか!】

 両手で顔を挟み込む様に打つことで、気合いを入れて、ソフィアは少女に近付くと、両手で頭部をそっと抱えて、声を掛けた。
 不用心に近づき、接触までする迂闊極まり無い行為は、少女に対して、ソフィアがどれだけ動揺したかを物語っていた。
 或いは、信じたかったのかも知れない。
 この儚げで美しい少女が、邪悪な存在では無いと。

 その様な願いを、“アビス”の住人に対して抱く事が、どれだけ無意味で愚劣な行為か、ソフィアは直に知る事になる。

 ◆



 ソフィアに呼び掛けられ、弛緩していた少女の肉体に力が篭もり、僅かな間を置いて、少女が瞼を開ける。
 「しっかりして」だの、「大丈夫」だのと言った事は言う必要が無い。
 少女の身体も服も乾いた血で赤黒く染まっているものの、少女の体には傷一つ無いことは確認済み。
 瞼を開けた少女の瞳が、緩やかに焦点を結んでいくのを確認しながら、何を訊くべきか思案を巡らせ────少女の瞳と視線が交差した。
 少女の鮮血色の瞳がソフィアを見て、状況を確認するかの様に瞬きする。
 ソフィアは少しだけ安心した。少女の瞳が“人間”を見るものだったから。
 ソフィアが対峙してきた犯罪者達は、皆全て人を人として認識していなかった。
 物として、肉として、穴として。欲望の捌け口か、歩く際に邪魔な路傍の石ころか。
 その様な眼を向けて来るのが、ソフィアが戦ってきた超力犯罪者達だった。
 だが、少女が向けてきた目は、“人間”を見るものだった。
 人が人を見る眼差し。
 この眼差しを向けてくるなら大丈夫。この娘は、殺し合いに乗っていない。
 そう、判断したソフィアは、少女を安心させる為に微笑んで。

 少女の右手の人差し指と中指が、ソフィアの鼻腔に根元まで突き込まれ。
 激痛と驚愕に見開かれたソフィアの視界の中で。
 ソフィアへと笑い掛けた少女が、腕を振ってソフィアを引き倒そうとしていた。





 目を覚ましたら眼前に居た女────ソフィアの鼻に指を突き込み、突き入れた指を曲げて、鼻と口の間に当たる部位に引っ掛け。指が抜けない様にする。
 その上で、頭を振り回し、ソフィアを引き倒してから、馬乗りになって殴り殺す。
 刹那の間に閃いた殺人計画。
 途上までは巧く行き、最後の段で、破綻した。

 「あら?」

 ソフィアを引き倒すべく振るった腕が、全く力を発揮しない。
 動かない訳でも無く、力が入らない訳でも無く、ソフィアが抵抗した訳でも無い。
 ただ単に、発揮できる膂力がいつもより小さいのだ。
 全力を込めても、並どころか鍛え上げられた身体の新人類を軽く凌駕する身体能力が発揮され無い。

 「このかん────」

 ソフィアの超力に気付いたと同時、女の振り下ろした拳が、ルクレツィアの顔面を撃ち砕いた。
 鼻が折れ、盛大に血が噴き出す。加減無しの強烈な一撃は、顔面の骨を砕いていた。
 それでも力が緩まず、頭部を固定するルクレツィアの右手を引き抜くべく、ソフィアは右の手首を捻り折って破壊。漸くルクレツィアの指を鼻腔から引き抜く事に成功した。
 左右の鼻腔から、噴水の様に血を噴き出しながら仰け反ったソフィアへと、ルクレツィアの左手が伸びる。
 五指を揃えて伸ばした貫手が、ソフィアの喉を捉えて、盛大に息を吐かせた。
 地面を転がって距離を取ったソフィアが、立ち上がり身構えるのを、ルクレツィアは倒れたまま見つめていた。
 噴き出ていた血が止まり、折れた鼻梁が元の優美さを取り戻す。
 砕けた顔の骨も、鼻よりも早く修復された。
 ソフィアが離れた途端に発揮された超回復。
 膂力が発揮されなかった時から察してはいたが、やはりこの女の能力は。

 「貴女の超力は…無効化ですね。ニケと同じですか」

 何げ無いルクレツィアの独り言は、ソフィアに衝撃を与えた様だった。

 「………ニケ?此処に収監されている死刑囚の小鳥遊仁花ですか?」

 「……私の友人をお知りですか?」

 返答が遅れたのは、ソフィアの発音は濁って聞き取り辛かったからだ。鼻血が喉と口腔に流れ込んだのだろう。不快気に溢れた血を吐き出し、ソフィアは答えた。

 「彼女を捕縛したのは私です」

 「成る程…。同じ無効化能力同士ならば、素の実力が勝敗を決する……。ニケを捕まえたとなると、私では、勝てそうに無いですね」

 後ろに飛んで距離を取るルクレツィアに、ソフィアが待ったをかけた。

 「逃げるつもりですか?

 「無効化能力者は、嬲っても気持ち良く無れないんですよね。殺さないでおいてあげますから、追ってこないで下さいね」

 踵を返したルクレツィアを、ソフィアは更に制止した。

 「待ちなさい。さっきはどうしていきなり攻撃してきたのですか?」

 「……気がついたら目の前に人が居ました。この様な場では、危害を加えてこないとも限りません」

 「嘘を言わないで」

 「どうして嘘だと」

 「小鳥遊仁花を友人と呼ぶ時点で、貴女にそんなまともな事情は期待出来ない」

 ルクレツィアは微笑を浮かべた。
 世界を渡り歩いて、拷問と惨殺に勤しんでいた友人の悪名は、どうやら広く知れ渡っているらしい、
 家に引き篭もって、人を嬲り殺していただけの自分とは大違いだと、そう思った。
 この人は多分追ってくる。とも。
 気が乗らないが此処で殺すことを決めて、ルクレツィアは返答する。

 「殺せそうだったからですよ」

 ルクレツィアは答えるなり、一気呵成に距離を詰める。
 5mも在った距離を、極小の時間でゼロとして、振るわれたルクレツィアの拳を躱し、ソフィアはルクレツィアの鳩尾へと拳を撃ち込む。
 まともに入って前のめりになった所へ、組みついて腹に膝蹴りを二発。
 蛙が潰れた様な声を上げたルクレツィアが、盛大に吐くのも構わず、後頭部に全力で拳を撃ち込み、頭蓋骨が叩き割れた確かな手応えを拳に感じた。
 ソフィアは手を緩めない。ルクレツィアの能力が、超回復だと知っているからだ。
 頭を潰して、確実に殺さねばならなかった。
 砂浜に俯せに倒れたルクレツィアの脳天目掛け、全力で踵を踏みおろす。
 ルクレツィアの頭部を潰すに足る一脚は、しかして虚しく砂浜の砂を蹴立てただけに止まった。
 必殺の攻撃が空振りした原因は、激しく立ち込める砂埃が雄弁に物語る。
 ルクレツィアが、外見不相応の身体能力を発揮して、攻撃を回避したのだ

 「お返しをさせていただきます」

 弾んだ様な声が聞こえるよりも早く、ソフィアの背後から撃ち込まれる拳を前方に跳躍して回避、空中で身を捩って振り向いた時には、既にルクレツィアが吐息がかかる距離にまで接近していた。

 【この娘…。回復だけじゃ無く、身体能力まで!】

 宙に在るソフィアへとルクレツィアの左腕が伸びる、訓練を積んだソフィアから見ても、尋常では無い速度だが、当たったところで、身体能力の強化分はキャンセルされ、素の身体能力で殴りつけたのに等しい結果となるだけだ。
 ルクレツィアの身体付きからして、ソフィアに対して有効打足り得るなど有り得ない。
 だが、ソフィアは血相変えて、ルクレツィアの腕を払いのける。
 理由は二つ。一つ目は、後ろに跳んでいる時に打撃を貰えば、姿勢が崩れて不利になる。最悪転倒してしまう。
 二つ目は、ルクレツィアの五指を揃えて伸ばした左手が、ソフィアの肝臓へとへと精確に伸びていたからだ。
 不安定な姿勢で、急所の打撃を受ける事の不利は計り知れない。
 右腕を動かして、ルクレツィアの左腕を払い除け、着地と同時に、右肘をルクレツィアの胸に決める。
 肋骨が折れた感触を確かに感じた筈なのに、ルクレツィアは一歩退がって距離を開けると、再度猛然と攻めかかってきた。
 新人類の基準でも、異常と断じて良い速度で、次々と繰り出されるルクレツィアの攻撃を捌き躱し続けるソフィアからは、血の滲む鍛錬と、幾多の実戦経験が窺い知れる。
 そのソフィアをしても、ルクレツィアの攻勢は異常だった。
 動きは素人そのもので、攻撃は悉く大振りのテレフォンパンチ。しかも攻撃をする際に、狙った部位に視線を向ける。
 牽制もフェイントも使わずに、コンビネーションも無く、単発の大ぶりな攻撃を繰り返す様は、まるで子供の喧嘩そのもので、ソフィアにしてみれば簡単に対処が出来るものでしかない。
 だが、そんな攻撃でも、間断入れずに1分、2分と続けば話しは別だ。
 疲労や肉体の痛みなど知らぬとばかりの攻勢に、ソフィアは既に幾度か被弾していた。

 しかもルクレツィアの攻撃は、狙いが全て人体の急所に目掛けて放たれる。
 人体の各所の痛点や、内臓の有る場所、筋肉の薄い場所に、骨によって守られていない箇所。
 それらの位置を熟知しているかの様に、精確無比に狙ってくる。
 素人そのものの動きに対し、人体急所の悉くを知り尽くした狙い。
 これが意味するところは二つ。
 ルクレツィアが、外科や解剖学に精通しているか、それとも実践で人体を知り尽くしたか。
 「殺せそうだから」という理由で殺しにかかって来た事からすれば、おそらく後者。
 常軌を逸した身体能力に、殺人を最も容易く実行に移す精神性。更にはルクレツィアが『死罪』となった行為を雄弁に物語る、人体への昏く深い理解。
 ルクレツィアは正しく“アビス”の住人であり、外に出してはならない鬼畜だった。
 本来のソフィアであれば、この場で殺さなければならない相手だと判断し、そのつもりで戦っただろうが。
 懊悩する今のソフィアには、その様な精神は持ち得ない。
 それでも、ルクレツィアに対処しなければ殺される。
 ソフィアは無心でルクレツィアの攻撃を捌き切り、強烈な前蹴りをルクレツィアの腹部に決めた。
 口から盛大に胃液を吐き出し、ルクレツィアの身体が宙に浮く。そこに叩き込まれる二撃目。
 後ろ回し蹴りが綺麗に胸部に入り、ソフィアの身体は10m以上も跳んで、頭から地に落ちた。
 肺がが破裂した感触が確かに有った。蹴り飛ばし、頭から落ちた時、確かに首が折れるのを見たし、頭蓋が割れる音を聞いた。
 通常ならば死んでいる筈、なのだが。
 ルクレツィアの超力は、肉体にこれ程の損壊を与えても、生命を繋ぎ、傷を治す。
 ソフィアの耳朶を揺らす、熱い吐息。
 緩やかに、優美な動きで立ち上がったルクレツィアの顔へ紅潮し、心なしか目が潤んでいた。

 「やはり…良いものです……『生(き)の痛み』は」

 熱の籠った、粘ついた目線を向けられて、ソフィアは総毛だった。
 ソフィアの理解が及ばない反応だった。

 「こればかりは…ええ、直に肉体で味わうのが一番ですが……。他人のものを擬似体験するのとは比べ物になりませんが……。私の身体では、難しいんですよね」

 何処か虚な鮮血色の瞳が、ソフィアへと向けられる。

「もう…お終いですか?私は未だ…生きていますよ」

 呂律が回っていないのは、頭蓋が割られたダメージの為か。

 「もっと続きを、望むのですが…」

 フラフラと近付くルクレツィアに対し、ソフィアははっきりと怯みを示した。

 「ふふふ…怯えなくても宜しいのです。先ほどまでの様になされば良いのです」

 上擦った声、陶酔を湛えた眼差し、緩んだ表情。

 初めて見る、何故かどこか既視感の有るルクレツィアの姿に、悍ましさを抑え切れなくなったソフィアは、我を忘れて殴りかかった。



 最初の拳打で、鼻が潰れ。
 直後の手刀で、耳が削げ。
 続く肘打ちで、目が落ち。
 更なる掌打で、歯が飛び。

 20秒と掛からず、ルクレツィアの幻想的と言っても良い美貌は、無残な肉塊と化した。
 顔を赤黒く染めて倒れたルクレツィアへ、ソフィアは更なる破壊を実行。
 胸骨を砕き。肋骨を折り。四肢を捻り。首を踏み折り。
 ルクレツィアの五体を十分かけて破壊し尽くすと、仰向けに倒れたルクレツィアが、小刻みに痙攣するだけで起き上がってこない事を確認すると、踵を返して走り出す。

 殺人を経験した事が無い訳ではない。だが、あそこ迄無惨に人を殺した事などは無かった。
 明らかに過剰な破壊行為に、ソフィアの良心と良識とが、あの場に留まる事を拒否したのだ。
 砂浜に転がった無惨な骸から逃げ出したソフィアが、森へと駆け込む寸前。

 首に腕が巻きついた。

 背中に柔らかく温かい感触。

 「いきなり去ろうとするなんて…未だ治り切っていないから、追いつくのは大変だったんですよ。短い時間でしたが、その分激しくて良かったですよ」

 「~~~~~~~~~~~ッッッ!!!」

 耳元で囁かれた声に、ソフィアの精神が決壊した。
 更には速度を上げて走りながら、意味を為さない絶叫を挙げたソフィアの視界が、突如として上を向く。
 次いで極小の間の浮遊感。そして急速落下。
 咄嗟に受け身を取ったソフィアだが、全身を強く打って、一瞬だけ息が止まった。
 愕然と身開かれたソフィアの眼に、飛び出した右眼がぶら下がったままの、ルクレツィアの笑顔。

 「驚かせてしまいましたね。歯は新しく生えるというのに、眼は戻さないといけないのは何故なのでしょうか?」

 言って、右目を眼窩に収めると、驚愕で隙だらけのソフィアの鳩尾に拳の一撃。
 短く息を吐いて絶息したソフィアの身体を俯せにすると、背中に腰を下ろし、ソフィアの両脇の下に自身の両膝を差し込み、ソフィアの顎の下で両手をクラッチして、ソフィアの身体を退け反らせた。
 完璧に決まったキャメルクラッチ。脇に差し込まれた膝の為に腕は動かせず、顎の下でクラッチされた力を加えられている為に、口を開く事も出来ない。

 「貴女の名前を未だ訊いていませんが、まあ良いでしょう。
 苦しいですよね。背骨を逆に曲げられている上に、鼻腔は血で塞がり、口を開く事も出来ない。
 このまま失神するまでこうしておいてから、気絶した後に両手足を折って、時間を掛けて嬲り殺して差し上げたいのですが…貴女はそうしても愉しく無い。
 それに、誰かに言われて人を殺すのも、誰かの為に人を殺すのも、私は好きじゃ無いんですよ。
 なので貴女の事を殺す気にはなれないんですよ」

 そこで────と、ルクレツィアが続けた言葉は、ソフィアを更に混乱させた。

 「友人になりましょう」




 理解出来ない事態だった。
 再生能力持ちでも、あそこまでやれば痛みで動けなくなる筈だ
 なのに何故、平然と動けるのか?痛みに全く怯まないのか?
 混乱する思考に投げかけられた言葉は、更にソフィアの思考を乱す。

 「何を…言っグアアアアア」

 「未だ話の途中です」

 ソフィアの背骨を更に曲げながら、愉しげな笑みを浮かべて耳元で囁くルクレツィア。

 「貴女は私の超力(ネオス)を無効化できる。
 生(き)の感覚を与えてくれる。
 より強く、より瑞々しい生の感覚を与えてくれる。
 なので…なって欲しいんです。友人に」

 顎に加えられる力が緩む。

 「はあ…はぁ……貴女の様な、殺人狂を、外に出す為に協力しろと!?」

 「殺人狂…ですか」

 「一体、何人殺せば…ああまで人体に詳しくなると」

 「今までに摂った食事の献立を、一つ一つ覚えている訳が無いでしょう」

 「………」

 「余程気に入った相手の事しか覚えていませんよ。
 フェッロ・クオーレ……アイアンハートでしたか?という所の方を殺した時など。良く覚えていますよ。
 麻薬を取り扱うマフィアの方々を、目の敵にされていた様で、バレッジさんの所にも大きな損害を与えたとか。
 その為、見せしめにするので、とびきり酷く殺して欲しいと言われた事があります。
 気が乗らなかったので、お断りしようと思ったのですが、再生能力持ちだったので引き受けましたが……。
 やはり気が乗り切りませんでしたね。
 それでも、幾らでも刻めて潰せる身体というのは愉しめました。
 そのお陰で良く覚えていますよ、あの方の事は。
 此処にも同じ能力の方が、いらっしゃると嬉しいのですが。
 けれど、刑務で殺すのは、やはり気が乗りませんね」

 そう言ってクスクスと笑ったルクレツィアに、ソフィアは悍ましいものを感じたが、生殺与奪を握られた身では、この凶人に逆らえる筈も無い。

 【適当に騙して、この拘束を外させないと……】

 騙して拘束を解かせる。その上であらためて仕留める。
 方針を決めたソフィアは、ルクレツィアに偽りの友誼を誓約する。

 「分かったわ。貴女の友人になる。どの道、わたくし一人じゃ、この刑務で生き延びるのは難しいし」

 これは事実である。超力(ネオス)が通じないソフィアであっても、シンプルに強い者には分が悪い。
 新時代の強者は、皆が皆等しく超力(ネオス)を前提として闘うが、ソフィアの超力(ネオス)はその前提を覆す。
 旧時代の戦いを、相手に強いるのだ。
 必然、相手の優位を潰し、棋戦を制する事が叶うが、超力(ネオス)に依らずとも強い相手には苦戦を免れ得ない。
 誰かと組む必要が有るかと問われれば、有ると答えるしか無い。
 その組む相手が、この狂人というのは、不服という域を超えているが。

 「有難う御座います。ああ…友好の証に、貴女を殺す気になれない理由をお教えしますよ。
 私の超力(ネオス)は、二つ有って、一つは人に望む夢を見させる代わりに、私は夢みる人が過去に体験した苦痛を全て味わえるというものです。
 けれども、貴女に私の超力(ネオス)は効果を発揮しません。
 なので殺す気にはなれないのですよ。
 他者に与えた苦痛自らで味わった時に、私は生を実感し、他者を壊したと実感できるのですから。
 これが貴女に、友人になって欲しいとお願いした理由ですよ」

 「今…なんて……」

 「貴女を殺す気になれなかった理由ですか?」

 「貴女の超力(ネオス)よ!!」

 ソフィアの剣幕に、茫洋としたルクレツィアの表情が僅かに揺れた。

 「……一つは人に望む夢を見させる代わりに、私は夢みる人が過去に体験した苦痛を全て味わえるというものですよ」

 「……………嘘」

 「本当ですよ。意識が朦朧としていなければ、効きませんが」

 ソフィアは考える。
 この狂人の超力(ネオス)が有れば、夢の中とは言え、もはや会えない恋人との逢瀬が叶う。
 超力(ネオス)に関しては、システムAで、自身の超力(ネオス)を封じれば良い。
 方便からの同盟締結に、思わぬ要素が絡み出し、ソフィアの思考を泥沼へと沈めていく。

 ルクレツィアの差し出した手を取って、偽りの楽園へと行く事は、地獄への片道切符だと理解している。
 それでも、ルクレツィアと共に行くという選択は、ソフィアの心を捉えて離さなかった。



 「それでは…お友達になってくれた貴女に、お願いが有ります」

 妙に蕩けた顔で、ルクレツィアが頼み事をしてきた。

 「……何ですか」

 狂人の頼みという時点で、ソフィアの警戒は強い。

 「私の全身を撫でて欲しいのです。無効化能力をお持ちの方に撫でてもらうのは、とても気持ちが良いので」

 「………………はぁ!?」

 ペッティングでもして欲しいのだろうか?
 そんな事をふと思い、先刻のルクレツィアの様子に感じた既視感について思い当たった。

 【あの人と愛し合った時のわたくしの顔ですか!?】

 いきなり赤面して、両手で顔を覆ったソフィアを、ルクレツィアが不思議そうに眺めていた。


【D–1/海岸沿い/一日目・深夜】

【ルクレツィア・ファルネーゼ】
[状態]: 疲労(中) 上機嫌
[道具]: デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針] 殺しを愉しむ
基本.
1. ジャンヌ・ストラスブールをもう一度愉しみたい
2.自称ジャンヌさん(ジルドレイ・モントランシー)には少しだけ期待
3.お友達(ソフィア)が出来ました
4.早く撫でて欲しいのですが

【ソフィア・チェリー・ブロッサム】
[状態]:ダメージ(小) 精神的疲労(中)
[道具]:デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.自分の成すべき事を探す
1.他の囚人達を探しに移動する。
2.この娘(ルクレツィア)と一緒に行く


027.嵐時々鋼鉄、にわかにより闇バイト 投下順で読む 029.エンカウント・クレイジー・ティーパーティ
026.chang[e] 時系列順で読む
このまま歩き続けてる ソフィア・チェリー・ブロッサム 交わらぬ二つの希望
巡礼者と殺人者 ルクレツィア・ファルネーゼ

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2025年03月12日 00:07