「……きれい」

 幼い女子が、木々の葉の合間に覗く夜天の美しい星空に見惚れていた。
 彼女の名は交尾紗奈。齢10にしてアビスの受刑者として服役する幼き少女である。
 なぜ紗奈のような子供が、と疑問を抱いてはいけない。
 『開闢の日』を経て以降、超力という異能を誰もが手にした世界ではそれまでの法律が通用しない犯罪が多発した。
 取り分け、紗奈のような『開闢の日』より後に生まれたネイティブと呼ばれる世代は、力の使い方が分からない、あるいは制御できないがゆえに甚大な被害を与える例も多い。
 それゆえに、被害を抑えるという意味でも刑務所という場所に年齢を問わず隔離する措置はこの時代、必要不可欠だったと言える。

「私のいる静かな場所も、この星空みたいにきれいだったらいいのにね」

 ぽつりと呟く。
 "静かな場所”。それは紗奈の生きられる場所であり、紗奈に残された居場所。
 自分という存在を産んでおいて、売り飛ばした家族のように。
 欲望のままに私を貪っておいて、死神と罵ってくる大人達のように。
 保護するとか言いながら私に欲情してきたアビスの刑務官や受刑者達のように。
 攻撃してくる身勝手な大人達《化け物共》がいない場所。紗奈を守る絶対安全圏。
 それだけを望んでいた。

「……殺し合い、かあ」

 ふぅっ、と自分を落ち着かせるように深く息を吐く。
 看守長オリガ・ヴァイスマンによって下された刑務作業。
 殺した受刑者の刑期に応じて恩赦が溜まっていくようだが、紗奈には恩赦とやらには興味がない。
 むしろ、恩赦ポイントを利用して独房への禁固刑を増やしたいくらいだ。
 独房にいれば、誰も紗奈に手を出せないから。

「やっぱり、危ないよね。私も」

 夜風に当てられたか恐怖したか、ぶるりと震える紗奈。
 オリガに集められた場所を見渡せば、紗奈が恐れるような大人《化け物》が沢山いた。
 紗奈は、がさごそと自分の囚人服の中へと手を入れ、自身の履いている下着の中を探る。

「……あった」

 安堵したような顔をした紗奈は取り出したそれを見つめる。
 紗奈の手にあるのは、二対の手錠。『システムA』は搭載されていないものの、アビスに服役する受刑者の抵抗を封じるための、特殊合金で作られた強固な手錠だ。
 常日頃から行っている、所持品検査で「見逃さななければ今ここで脱いで手錠を嵌める」という紗奈の脅しが刑務官に効いたのが幸いだった。
 なぜ、それを10歳でしかない紗奈が隠し持つのか。なぜ服を脱いで手錠を嵌めるという行為が脅しとして機能するのか。
 それは他でもなく、紗奈の『自衛』のためであった。

「これがあれば……」

 そう言って紗奈は、あろうことか自分の着ていた囚人服を脱ぎ捨てて、しまいには下着すらも放り出して全裸になる。
 珠のようなきめ細かな肌に、紗奈の美人になることを約束されたようなかわいらしい顔立ちが月明かりの中で輝いている。
 少しでも支配欲だとか性欲、言ってしまえば人間の悪い部分を少しでも持っている者であれば、少なからず見惚れてしまいそうなほどに煽情的で、そして儚い裸体だった。

 そして紗奈は、両手を背中で組むと、持っていた手錠を手首にかけたのだった。

§

――この命は、誰かを救うためにある。

 それが葉月りんかが幼い頃から根付いていた信条だった。
 天涯孤独となった自分を引き取った葉月一家が惨殺され、身も心も汚されて生まれ持った肉体の殆どを義体に置き換えられアビスに堕ちた今も、それは曇りなくりんかの心で常に光っていた。

 森の木々を軽々と飛び移りながら、りんかは辺りを見回す。
 その150㎝にも満たない低身長に不釣り合いな、囚人服の上からでも分かるりんかの顔くらいはある大きさの乳房が、激しい動きをする度にばいんばいんと揺れている。
 りんかを構成する義手と義足は、そこらの超力を持つ人間よりも強大な筋力を授けてくれており、このようなアクロバティックな動きも難なく可能であった。
 りんかは探していた。同じ刑務作業を行っている受刑者を。
 そして、この刑務作業で少しでも多くの受刑者を救おうとしていた。

 このアビスの刑務作業では、りんかのような者は完全に異端であろう。
 世界中の犯罪者を集めたアビスの刑務作業で何の寝言を言っているのかと作業者の大半は思うであろう。
 しかし、りんかは知っている。否、犯罪組織に拉致されてから今に至るまでの日々の中で知ってしまった。
 望まずに超力を利用させられた者。
 何かの間違いで意図せずして罪を犯してしまった者。
 洗脳されて尖兵として利用されていた者。
 たとえこれらに当てはまらなくとも心のどこかで救いを求めている者達が沢山いた。

 そんな彼らの、救いになりたい。
 無論、この刑務作業で自分を含めてそんな者達が生き残れるかどうかは分からない。
 しかしそれは諦める理由にはならない。
 ここに、すべてを奪われた挙句尖兵として利用され、その手を汚してしまってもなお、その罪すらも背負い救うことをやめない葉月りんかという人間がいるのだから。

 りんかは今まで支えてきてくれた人達に感謝していた。
 大好きな姉にお父さんやお母さん。ただ利用されるだけだったりんかを救い出してくれたカウンター勢力――アベンジャーズの人達。再び誰かを守る手、立ち上がる足、見逃さないための目をくれた団体の人達。
 ここまで堕ちた自分に、また救う機会を与えてくれた者達に感謝していた。
 そういう意味では、オリガにすらりんかは感謝を向けていた。
 りんかは一人じゃない。りんかに授けてくれた者が多ければ多いほど、りんかの歩む力は強くなる。

「あれ……?あそこに、誰かいますね!」

 すると、りんかは義眼による超視力越しに、木々の間に人影を見つける。
 急いで森の中へと降下し、早速接触を図ることにした。

「こ……っ、こんばんは!エターナルホープ葉月りんか!参上しましたよ!」

 人影の前に勢いよく登場したりんかは、ほんの少し決めポーズを取ってからハッとする。
 とりあえず、昔大好きだった特撮番組のヒーローの真似をして見たが、これでは逆に相手を警戒させてしまうだけではないか。
 それとは別に憧れていた海外のヒーロー、ジャンヌ・ストラスブールっぽく話した方がよかっただろうか。
 もう少し普通に話しかけた方がよかっただろうか。だが、殺し合いの場で普通の挨拶とは一体なんだろうか。
 11歳で攫われてからこの方、碌に対等な相手とも話す機会もなく、世間の事情を知る暇もない。洗脳を解かれたのもかなり最近のことだ。
 この一生とも思える4年という歳月は、りんかから確かに初対面の相手とのコミュニケーション能力を奪っていた。

「……こほん。まずは、えと、お話からでも……!」

 相手を刺激していないことを祈りながら、りんかはおそるおそる目を開ける。
 だが、彼女の目に飛び込んできたのは、幼い外見のりんかよりもさらに幼い少女の、全裸で拘束された姿だった。
 両手を背中に組み、両足にも手錠をかけて、少女の園を一切隠せずなおかつまともに動けない状態だった。


「って、えぇぇぇぇぇ―――っ!?」
「……」

 ぎょっとして叫び声を上げるりんか。
 少女――交尾紗奈は、りんかを睨むと、自身の幼い肢体と恥部を見せつけるようにしてりんかの前に、手錠で拘束された足をどうにか動かし、おぼつかない足取りで出てくる。
 そして、まるで誘惑するかのようにお尻を見せつけぺたんと座り、劣情を煽るような姿勢でりんかを誘惑してくる。

「……っ」

 ぱちくりと瞬きしながら上目遣いで見てくる。
 これまでずっと搾取されるだけだったりんかも、息を呑んでしまう。
 まるで自分に妹ができたと思ってしまうほどに、紗奈はインモラルな可憐さがあった。
 かつて溺愛してきた自分の姉の気持ちが、少し分かった気がした。

「っ、ど、どうしたんですか!?まさか、誰かに捕まったんじゃ……とにかく、今解いてあげますね!」

 しかし、りんかは戸惑いながらも紗奈に駆け寄る。よく見ると、周囲に服が散乱しているではないか。
 ほんの少し湧いた情をしまって、紗奈と同じ目線になって屈む。

「それと、そんな格好じゃ誰かに襲われますから!服も着ないとですね!」

 自分も同じような目にあったこともあるから、りんかにもよく分かる。
 大勢の前で、姉妹全員で服を脱がされ、裸を比べられる。そしてそれに欲情した獣と化した人間に恥辱の限りを尽くされる。
 そんな姿でいれば、積極的に刑務作業を行う者達の格好の的であろう。

「なん……で……」

 しかし、紗奈はりんかに礼を言うことはなく、逆に戸惑いの視線を送る。
 まるで、自分を見たりんかの身に何も起こらないのを不思議がっているようだった。

「大丈夫ですよ!私はあなたの味方ですから!」

 りんかは紗奈を安心させようと、優しい言葉をかけつつ手を伸ばす。

「イヤッ!来ないでっ!!」

 しかし、りんかに返ってきたのは拒絶。
 紗奈はひどく取り乱しながら、不自由な手足で後ずさりする。
 この場面だけを切り取れば著しくりんかが誤解されそうな景色だ。

「ま、待ってください!話を――」
「どうして何も起こらないの!?こうしてれば怖い奴らに仕返しできたのに!」

 カチャカチャと手錠の鎖を鳴らしながら紗奈は言う。
 これが、紗奈の『自衛』だった。
 紗奈の超力『支配と性愛の代償(クィルズ・オブ・ヴィクティム)』。
 ほんの可愛いと思ってしまう程度でも支配欲または性欲を抱いてしまえば、ヤマアラシの針の如き返し刃が作動する超力。
 「紗奈が自分の意志で動かない部位」に応じて身体を捻じ曲げられる、誘惑に見せかけた殺意。
 紗奈は先んじて全裸拘束を見せつけて、手を出してくる大人達《化け物共》を撃退するようになっていた。

「やめて!触らないで!もうイヤッ!痛いのも恥ずかしいのも!!」

 紗奈はパニックになったか、ひどく取り乱す。
 家族に売られてから、ずっと紗奈は身一つで運命を受け入れなければならなかった。
 紗奈が売られた先は、海外の巨大なマフィアの系列に連なる裏組織だった。
 陵辱の限りを尽くされ、恥ずかしいことも沢山させられた。
 裸のまま縄で縛られて犯されそうになり、超力を発揮して犯罪者共を文字通り捻じ伏せても、状況は変わらなかった。
 紗奈は、用済みになった末端の組織を足切りするための、ご褒美に見せかけた『凶器』としての役割を担わされた。
 裸で拘束されて箱詰めにされ、用済みになった哀れな奴らに送り出された。
 自分を嬲ろうとする組織の者全員の手足を捩じ切って帰ると、今度は拘束を伴わない自分からの「ご奉仕」を求められた。
 拘束されていなければ超力が効果を持たないことを、紗奈を所有する組織はいち早く掴んでいたらしい。
 あれほど紗奈を道具のように扱って欲望を向けてくるのに、紗奈は陰では「死神」と罵られていた。


「みんな全部全部大キライっ!静かなところに行きたい!一人になりたい!!」

 手足を縛られた身体でじたばたと暴れながら、涙を流していた。
 もういっそのこと、自縄自縛して自分から刃を向ければ――。そう思った矢先に、紗奈は保護された。
 おそらく動画の中身を見ずに、末端の組織の誰かが拘束された紗奈を映した動画ファイルをネットの海にバラ撒いたのだろう。
 動画越しにも発揮する紗奈の超力は瞬く間に犠牲者を増やしていったらしい。
 自衛するようになってから、紗奈を襲おうとする者は少なくなっていった。
 しかし紗奈は、既に世界のすべてを信じられなくなっていた。誰からも手を出されない、独房での生活を望むようになった。

「落ち着いてくださいっ!」
「あっ……!?」

 その時、りんかは紗奈を手繰り寄せ、抱きしめた。
 しかしそこに攻撃の意図はなく、母性のある優しい抱擁であった。

「大丈夫……私が、葉月りんかがついています」
「……」
「もう怖がらなくてもいいんです。今では私がお姉ちゃんですから!」

 りんかの豊満な胸から顔をあげた紗奈に、りんかは微笑みかける。
 りんかは感じ取っていた。紗奈が救いを求めていることを。
 きっと、この女の子は私と同じなのだ。今も底なしの限りない泥の中をもがき苦しんでいる。
 絶望の中でりんかを庇った姉のように、次は自分が誇り高い姉になる番だと思った。
 この子のような受刑者の希望になるためにりんかはここにいるのだと、強く感じた。

「あの――」

 紗奈は、感じたことのない温かさに戸惑っているようだった。

「――ッ!隠れて!!」

 紗奈が何かを言おうとしたその時、りんかに突き飛ばされるような形で奥の木陰に隠される。
 りんかの背後に、いつの間にか巨大な影が佇んでいた。

「……デリカシーのない人ですねっ!何者ですか!?」
「―――」

 りんかが振り向くと、そこには別の刑務作業者である巨人の如き大男が立っていた。

「―――」

 大男はりんかを押し黙ったまま、ただ見下ろしていた。
 2mを悠に超える体格に筋骨隆々な巨体が、周辺の木々すらも萎縮させているようだ。

「(デカいですね……っ)」

 その威圧感にりんかも思わず圧倒されてしまう。
 何よりも目を引くのはその体格もさることながら、彼の頭を覆うフルフェイスの仮面と手足に嵌まった拘束具だ。
 しかしその拘束具は紗奈の手錠のように手足を束ねてはおらず、四肢に付けられた枷から伸びている重厚な鎖と鉄球がなんとも不気味。
 明らかに対話できるとは思えない、刑務作業者の中では一際異様な外見だと分かるだろう。


「■■■――」

 蒸気が噴出するかのように、その仮面の合間から息が吐かれる。
 大男の名は、バルタザール・デリージュ。
 30年もの年月を監獄で過ごし、『開闢の日』も監獄の中で迎えた男。
 素性は不明。記憶がないまま30年の時を塀の中で過ごしてきた、監獄の中で天寿を全うするはずだった男だ。

「……念のため問いますが、その拘束具。あなたがあの子をあんな格好に?」
「■■■――?」

 バルタザールに嵌められた拘束具を見たところ、悠にトンを超える重さがありそうなのにそれを苦にしている様子はない。
 おそらく拘束具を出現させる超力――ならば超力でバルタザールが紗奈を拘束したのか。
 そう推測したりんかが聞くも、バルタザールは仮面から息を吐きながら首を傾げる。
 バルタザールが一向に言葉を発さないのは、何かしら障害を抱えているのか仮面のせいなのか。

「私の勘違いでしたか。すみません――では質問を変えます。あなたは、私の首輪のこれを目当てに来たのですか?」

 りんかは、自分の首に嵌まった「無」と表示されている枷を指差す。

「―――!!」

 それを見たバルタザールは、手から伸びる鎖を引き寄せて、その先の鉄球をハンマーのように振りかぶった。
 その答えは、すなわち肯定。恩赦を得るためにお前を殺しに来た、の意であった。

「そうですか。なら……仕方がありませんね――変身!!」

 そう言って、りんかも臨戦態勢へと入った。
 超力を覚醒させたりんかはその姿を変えていく。
 身長と髪は伸び、義体だった手足と右は生身へと変わる。
 そして服装も囚人服から黒いレオタードスーツと茶のバトルジャケットとバトルスカートを身に付け、その姿はさながら変身ヒロインと言っても差し支えない。

「葉月りんか、シャイニング・ホープ・スタイル!!」

 『希望を照らす聖なる光』。りんかの姉の遺志を継いだかのように、姉そのものの姿を借りた形態へとシフトした。
 本心を言えばバルタザールをも救いたい。
 しかし、今のりんかには紗奈がいる。守るべき者がいる以上、首輪を狩ろうとする輩は強引な手段で対抗しなければならない。

「――!!」

 声にならない声を発しながら、バルタザールの鉄球がりんかのいた場所に振り下ろされる。
 それをりんかは側転して避ける。
 鉄球が着弾すると同時に周囲に小さな地震が起こり、木々の葉がざわめき出す。

「なんて力……!」

 これこそがバルタザールの超力『恐怖の大王(ドレッドノート)』。
 手足に枷を顕現させ、それはバルタザールを縛る枷ではなく武器となって敵を屠る。
 日本には鬼に金棒という諺があるが、刑務作業者の中でバルタザールほどそれが似合う者はいないだろう。

(あれに当たったらひとたまりもないですね……!)

 鉄球に直撃してバラバラにされる嫌な未来を見てしまい、りんかの顔に冷や汗が垂れる。
 正面対決では分が悪いと判断し、地形を生かして木々の中に隠れる。


「――」
「なっ……!」

 そこをバルタザールは、両腕を合わせて一対の鉄球を振り回し、二重の鎖で周辺の木々を薙ぎ払った。
 重量のある鎖を軽々と振り回すその破壊力に容易く木々は幹を破壊され、轟音を立てながら一斉に崩落した。
 恐れ知らずを意味するドレッドノートの名を冠するにふさわしい、滅茶苦茶な力だ。
 咄嗟に木の幹に張り付いていなければ、りんかの上半身と下半身は亡き別れをしていただろう。

「きゃっ……」

 紗奈が隠れている場所からも声が聞こえる。
 りんかは案じるも、紗奈のいる場所にまでバルタザールの鉄球は届いていないようだった。
 安堵しながらも、りんかは次の手に移る。
 浮き上がった木々に姿を隠しながら、幹から幹の合間を転々と飛び移る。
 バルタザールはその場に佇んでおり、木々が落ちてりんかが姿を現す時を待っている様子だった。

「そこですっ!!」

 その隙を突くように、りんかはバルタザールの背後から急襲する。
 その手に嵌まった白銀の篭手から流し込む光のエネルギーで、バルタザールを「浄化」しようとする。

「えっ――」

 しかし、バルタザールが軽く手を掲げると、なんと枷から伸びる鎖が彼の元へ集結、まるで即席の鎖帷子となってりんかの拳を防いだのだ。

「あっ!?」

 それだけではない。バルタザールが蚊を振り払うように掲げた手を宙空で一回転させると、りんかの肢体にぐるぐると巻き付いたのだ。

「ぐぅっ……がああああっ!!」

 バルタザールの鉄球ほどに大きい乳房を除き、りんかの全身はぐるぐるに巻き上げられてギチギチと締め上げられる。
 足元の鉄球と手枷を真逆の方向に引っ張られ、そこからさらに鎖はりんかの肢体を絞るようにきつくなっていく。
 りんかは振りほどこうと力を込めているが、そもそも純粋な力勝負で言えばバルタザールの方が上である以上、捕えられた時点でりんかに鎖を破れる可能性は無に等しい。

「がはっ……!」

 バルタザールはさらに締め上げるだけでは済まさず、そこからさらにりんかの身体を何度も叩きつけた。
 硬い地面にりんかは受け身も取れずに激突し、何度も、何度も、何度もりんかは全身を揺さぶられる。

(まだ……っ!私には救わなければならない人が沢山いるのに……っ!)

 次いで襲い来る、軋み、痛み。
 四肢を切断された時の激痛に比べれば幾分かマシだったが、それでもりんかの身体にダメージとして刻まれていく。

「今だッ……!」

 そして、りんかの身体がもう一度振り上げられた時――なんとりんかはバルタザールの鎖を力ずくで引き千切り、拘束から脱出したのだ。
 『りんかに鎖を破れる可能性は無に等しい』というのは、バルタザールの鎖が万全の状態であればという条件がつく。
 りんかの一撃を鎖で防いだあの時、りんかのエネルギーを流し込まれた鎖は既に半壊しており、それもあってエネルギーを溜め込んでいたりんかは脱出することができたのだ。
 りんかの超力『希望は永遠に不滅(エターナル・ホープ)』。彼女の精神性を裏付けるその力によって恩恵を受けているのは、他らなぬりんか自身なのだ。
 身体能力では、りんかも並居る肉体派新人類に後れを取らない。
 ここからりんかのバルタザールへの反撃が狼煙を上げた――かに見えた。


「ぶっ――」

 直後に響いたのはりんかが息を吐き出す声だった。
 なぜならそこには、りんかの土手っ腹に拳を炸裂させたバルタザールがいたのだから。

「―――」

 鎖の状態は超力の主であるバルタザール自身が最もよく理解している。
 あの時、鎖が半壊状態であることを悟っていたバルタザールはわざと鎖を傷つけるようにりんかを地面にたたきつけ、彼女が脱出する瞬間、そこで見せる隙を狙っていたのだ。
 りんかは生まれて15年。バルタザールは投獄されて30年。
 そこにあるのは、単なる力の差だけではなく研鑽によって培われた戦術の差。
 その仮面の奥では自身の勝利を手繰り寄せる鋭い観察眼が鈍く光っていた。

「がはっ……っ」

 バルタザールの拳に弾き飛ばされたりんかは切り株を何個か破壊しながら飛び石のごとくバウンドし、やがて大木に身を受け止められる形で静止した。
 気絶したのか、その変身は途切れ、頭を地面に埋めるようにして股間と尻を天に突き出したかのようなだらしない――でんぐり返しを途中で止めたかのような――姿勢でピクリとも動かなった。

「―――」

 バルタザールは、りんかにとどめを刺そうと彼女に向かって歩みを進めようとする。

「待てっ!!」

 しかし、それに待ったをかける人物がいた。
 それは他ならぬ、交尾紗奈だった。
 声がした方に、バルタザールはゆっくりと向き返る。

「これを見ろっ!!」

 紗奈は今も素っ裸のまま手足を手錠で縛ったままバルタザールの前に出てきていた。
 そんな紗奈は、余裕がないのか誘惑することも忘れて、自分の恥部を仮面越しにもよく見えるように突き出して強調する。

「お前ら汚ねぇ大人の大好きな女児の裸だぞ!犯し放題だぞ!こっちを見てみろよ!」

 喉が張り裂けんばかりの声でバルタザールに叫び、そして挑発する。
 貧相ながらも色気のあるその肢体を外気に晒して、自分の倍はあろうかという巨漢に向かって、抵抗を一切許されない裸一貫に拘束具を嵌めた身体で立ち向かう。
 すべては、紗奈の超力でバルタザールを屠るためだ。

「ふーっ、ふーっ……!」

 心臓がバクバクと鳴る。嫌な汗が噴き出てその肌を艶めかしく彩る。
 しかしそれは興奮していることによるものではなく、文字通り命がけの決死の行動ゆえに起こっているものだ。
 それゆえか、自分がどんな格好をしているか考える暇もなく、蟹股になり腰をへこへこと前後させて無様に痴態を大男の前で晒し続けている。

 なんでこんなことをしたのか、紗奈にも分からない。
 大人は信用できない。身勝手に子供を弄び搾取して虐める悪しき生物。
 りんかも紗奈からすれば十分大人と言える年齢だ。その気になれば、手錠とセットで持ってきた鍵で拘束を解いた上でこっそり逃げ出すことはできた。
 だというのに、できなかった。
 彼女に抱きしめられた時の、温かさ。それを二度と感じられないと思うと、紗奈は逃げ出すことができなかった。
 だからこそ紗奈は、手足の動きを封じられるリスクを冒してでも自衛以外で超力を使う選択をしたのだ。


「―――」
「あれ、なんで……っ」

 しかし悲しいかな、バルタザールはじっと紗奈を見下ろしたまま彼女の命懸けの痴態を見つめていた。
 紗奈の超力で手足が捻じ曲がることもなく、五体満足で彼女の前に立っていた。

「ほ、ほらっ、大人ってこういうの好きなんでしょ!?碌に抵抗できない力の弱い子供!ねぇ!犯したいよね!?」

 バルタザールはゆっくりと紗奈に向かって歩を進めてくる。
 対して、紗奈は怯えでガタガタと震えながら手錠で制限された足でよちよちと後ずさりする。

「なんで!?大人ってそういう生き物じゃない!なんでお前も何ともないの!?」
「―――」
「ねぇ……?大人なんでしょ……?性欲とか支配欲くらいは……あるんだよね……?」
「―――」
「あっ……」

 紗奈が後ずさりし続けていると、やがて背後の木の幹にお尻が当たってしまう。

「―――」
「ひっ……!?」

 ようやく、紗奈は悟った。
 バルタザールもまた、りんかと同じで紗奈の超力の範囲外にある人間なのだと。
 その理由は単純で、バルタザールが欲とは無縁な人物であったからだ。
 理由不明の刑期すらも受け入れて過ごしてきたバルタザールには、今手に入りそうな「自由」以外には欲しいものがない。
 否、欲しいものが浮かばないと言うべきか。
 そんなバルタザールに裸を見せつけても、動じるはずがなかったのだ。

「あ……嫌……」

 追い詰めたと見たか、バルタザールは手枷の鎖の先の方を掴み、鉄球をハンマーの如く振り上げる。
 きっと痛い思いをするのは酷だろう、せめて一思いに痛みを感じる間もなく殺してやろう、とばかりに。
 背後に、確かな死の予感が忍び寄ってくることを、紗奈は本能的に感じ取る。

「いやぁっ!!」

 紗奈は咄嗟に逃げようとする。
 両手と両足の動きを手錠で制限された状態で。
 背中で束ねた拳を握りしめながら、手錠の嵌まった両足でうさぎ跳びのように跳ねて逃げるが、バルタザールの広い歩幅の前ではすぐに追いつかれてしまう。

「あうっ……」

 やがて、地面の木の根に足を取られ、あっさりと前のめりに転んでしまった。
 寝返りを打ち尻もちをついた状態で、怯え切った目で紗奈はバルタザールを上目遣いで見上げる。
 カチャカチャと手足に嵌まった手錠の鎖を鳴らすが、紗奈の手足を縛る拘束は解けない。
 鍵は、脱いだ服と一緒に置いてきてしまっている。

「やめて……」

 バルタザールの拘束具は武器であるのに対し、紗奈の拘束具は拘束具のままだ。
 超力が意味を為さない今は、完全に紗奈の自由を奪うだけのものに成り果てた。
 手足を拘束された紗奈は、目の前の『恐怖の大王』の前で逃げることも許されず、身を守ることすらできない身体で鉄球に押し潰されようとしている。

「うぅ……ぐすっ……誰か……助けてぇ……」

 紗奈の頬を、涙が伝う。
 嫌だ。死にたくない。死の間際を実際に味わっているからこそ、生への願望が強くなる。
 だが頼みの超力は効かなかった。あるのは手足を拘束された哀れな全裸の幼女だけ。他に何に縋れというのだ。
 恐怖からか、紗奈の股からは黄金色の液体が流れ出て、土に小さな水溜まりを作っていた。


「―――」

 対してバルタザールの方も、意図せず動きが鈍くなる身体に戸惑っていた。
 何故だ。これはただの刑務作業のはずだ。受刑者を殺害して恩赦ポイントを溜めれば自由になれる。
 何の感傷を抱く必要もない、バルタザールにとっては不意に巡ってきた幸運程度のチャンスだったはずなのに。
 目の前で怯える小娘――ただ搾取されるのを待つしかない哀れな子供を見ていると、うまく狙いが定まらないのだ。

 子供相手に日和ったか?
 否。情けは既に与えているはずだ。痛みを感じさせずに殺すというせめてもの情けを。
 だというのに、身体がまるで鎖に絡めとられたかのように動かない。
 後は鉄球を振り下ろすだけだ。ただその一つの動きをするだけで恩赦ポイントが小娘の首輪にあるように45ポイントも貰えるのだ。
 なのに――知らない自分が、忘れ去られた自分が暴れて身体をうまく制御できない。

「―――!!」

 無理に頭を働かせようとすると身体が固まる。無理に身体を動かそうとすると視界がブレる。
 それでもバルタザールはこれまでの節制の日々を思い出し、どうにか内なる意識を押さえつける。
 そして、哀れな子供の受刑者に鉄球の墓標を立てるべく振り下ろした。

「――はあああぁぁぁっ!!」

 ……はずだった。
 聞き覚えのある声がしたかと思うと、あの葉月りんかが変身を解除した状態ながらも颯爽と現れたのだ。
 そして、すれ違い様に手足を手錠で縛られてへたり込む紗奈を抱え上げ、全力で駆け抜けていく。

「―――!!」

 突然現れた邪魔者。
 もうバルタザールの身体を縛る気配は完全に消えていたため、鎖を振り下ろしてりんかを紗奈ごと潰そうとする。

「あ、あなたは……」
「言ったはずですよ!葉月りんかがついてるって!」

 そう言いながら、りんかは狙いの甘い鉄球の振り下ろしを軽々と避ける。
 舞い上がった土煙の中からは、着弾した鉄球の上に乗る紗奈を抱えるりんかが現れた。

「―――!?」

 鉄球を引き戻そうと鎖を引き戻した時、バルタザールはしまったと思った。
 その懸念通り、りんかはバルタザールの鉄球を足場にして、振り上げた勢いのままに上空に飛び去って行ったのだ。

――逃した。

 バルタザールがそう感じた時には、りんかと紗奈の姿は見えなくなっていた。

§


「……どうして」
「ん?」
「どうして、私を助けたの?あのまま逃げられたはずなのに」

 森の上空を舞いながら、紗奈はりんかに問う。
 それにりんかは奇妙な質問だなと思いつつも、素朴な答えを述べる。

「助けてと言われたら救わなきゃいけないじゃないですか!それに――」

「――お姉ちゃんは妹を見捨てたりはしませんから」

 どこか寂し気な、困ったような笑顔を浮かべながら、りんかは言った。

「……紗奈」
「え?」
「交尾 紗奈。私の名前」
「はい!紗奈ちゃん、ですね!」
「私は葉月りんかっていいます!」
「りんか、ね。わかった」

 紗奈が初めて名乗ってくれたことに、りんかは純粋に嬉しかった。
 互いに名乗り合った後、紗奈はそのまま続ける。

「……私の超力。もうどんな効果があるか分かってるでしょ?」
「ええ。確か……裸で拘束されたのを見ると何かが起こるんでしたっけ?」
「動かない場所が捻じ曲がるの。そうして私は自分を守ってきた」
「そう……なんですね」
「なんでりんかには何も起こらなかったのかなって思って。あの仮面の怖い人みたいに気持ちよくなりたい欲とかない人なの?」

 バルタザールのことを思い返しながら紗奈は言う。

「あ、いやその欲は多分ありますよ!えっと……恥ずかしながら敏感なところはすごく敏感だったりします……」
「ふうん」

 恥ずかし気に言うりんか。
 実際のところ、りんかの身体はとてつもなくデカいバストに象徴されるようにかなり開発されている。
 また、性欲や支配欲自体はりんかにもある。
 媚薬付けにされて放置された時には男の逸物を一日中欲しがったし、今もその時の記憶は残っているため何かの拍子でスイッチが入ってしまう――かもしれない。この状況で絶対に入って欲しくはないが。
 支配欲については、一瞬でも紗奈のことを可愛いと感じて見惚れてしまった時点で少ないながらもあると言える。

「じゃあ、なんで効かなかったんだろう……」
「多分……『本物じゃないから』だと思います」
「どういうこと?」

 紗奈が聞き返すと、りんかは言い淀みつつも答える。

「私、手足ないんですよ。今この手で紗奈ちゃんを抱えているのは、両方とも義手です。この足についているのは、両方とも義足です」
「え……」

 驚いたようにりんかの顔を見る紗奈。
 りんかはぎこちなく俯いた後、話の流れを変えるかのように切り出す。

「それよりも!まだ紗奈ちゃんすっぽんぽんじゃないですか!しかもまだ手錠を付けてる!早く降りて拘束を解きましょう!」
「で、でも鍵は――」
「大丈夫です!こっそり回収しておきました!囚人服もありますよ!下着は見つからなかったですけど……」
「そう、なんだ……」

 よく見ると、りんかの手には紗奈の身に付けていた囚人服が握られており、その手の中には両手と両足を縛る手錠の鍵が握られていた。

「……ありがと」
「え?何か言いました?」
「なんでもない」

 そう言って、りんかは全裸拘束された紗奈を抱えたまま、着地できそうな手頃な場所を探すのだった。



【D-2/森/一日目 深夜】
【バルタザール・デリージュ】
[状態]:健康
[道具]:なし
[方針]
基本.恩赦ポイントを手にして自由を得る
1.(……あの二人(りんか、紗奈)を逃してしまったのは痛いな)
2.(なぜあの小娘(紗奈)を殺そうとした時、動けなくなったのだ?)


【D-2/森上空/一日目 深夜】
【交尾 紗奈】
[状態]:全裸、両手両足に手錠(施錠済み)、失禁
[道具]:なし
[方針]
基本.死にたくない。襲ってくる相手には超力で自衛する。
1.超力が効かない相手がいるなんて……。
2.りんかは信用していいのかな……?
※手錠×2とその鍵を密かに持ち込んでいます。

【葉月 りんか】
[状態]:ダメージ(大)、腹部に打撲痕
[道具]:交尾紗奈の囚人服、交尾紗奈の手錠の鍵×2
[方針]
基本.可能な限り受刑者を救う。
1.まずは安全な場所見て着地しないとですね……。
2.紗奈ちゃんの拘束を解いて服を着せてあげないと……。

011.剣が無ければ枝を振るえばいいじゃない 投下順で読む 013.神様はいずこに。
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PRISON WORK START バルタザール・デリージュ 耐え忍べ、生きている限り
PRISON WORK START 葉月 りんか chang[e]
PRISON WORK START 交尾 紗奈

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最終更新:2025年03月12日 00:02