くだらねえ癇癪が俺の未来を閉ざした。

 弾みだったんだ。殺そうなんて思っちゃいなかった。軽くビビらせてやろうとしただけなんだよ。
 ただ、あの日はほんのちょっとだけ飲みすぎてて、そんでほんのちょっとだけ手元が狂ってよ。
 あの警官は気の毒だったし、俺も悪かったとは思ってる。

 あんなことになるなんて、分かってたらやらなかったさ。
 分かってりゃあ、飲み過ぎることもなかったし、そもそも飲みにも行かなかった。
 そうだあの時、落ち着いて、もうちょっと先を視ていりゃ良かったんだ。

 今でもずっと後悔してる。
 つまらねえミスだった。
 たった一度のミステイクが俺の人生を大きく変えちまった。

 殺人罪。
 判決、無期懲役(imprisonment for life)。

 硬え寝床に臭え飯、塀の内側で早15年。
 捕まった当時まだ23だった俺も、今や38になっちまった。

 思えば俺は、ずっとそう。気がついた時にはいつも取り返しのつかない場所にいる。
 あの日、開闢の日からずっと、俺の人生落ちる一方だ。
 少し先を視たくらいじゃどうしようもない、どん詰まりにハマってばかり。

 そもそも俺の超力が悪い。
 目覚めた力があんなチンケもんじゃなきゃよかった。
 元々あった力も、もっと便利な、もっと先を視れるものなら良かったんだ。
 親父や、兄弟や、お袋みたいによ。

『ジェイ、いいこと、よく聞きいて』

 ふと、くだらねえ予言を思い出す。

『あなたはいつか、大きな偉業を成し遂げるわ』

 笑える話だ。
 現実はこの通り、家はとっくに没落。
 俺は偉業とは程遠い警官殺しの罪で15年をドブに捨てた。

『だから腐らず、前を向くのよ』

 なあ、おい、どうしてこうなったんだ。
 俺の15年、俺の人生、俺はどこで間違えたんだ。
 いったいどの地点なら、俺は取り返しがついたんだよ。 




 鈍い衝突音が真夜中の廃墟に響き渡る。
 不可視の切っ先から一瞬、ぱらりとオレンジ色の火花が飛び散り、次いで重たい振動が両者の接触点に伝達された。
 攻め手、驚愕とともに素早く腕を引き。受け手、超然とした佇まいで首を軽く捻るのみ。
 膠着時間は一秒に満たず、次の瞬間には大きく距離を空ける二者。
 一方はたたらを踏みながら後ろに下がり、一方は両足で大地を踏みしめたまま微動だにしない。

 たったいま飛び退った攻め手、ジェイ・ハリックは地面に四肢をつけた姿勢のまま荒い息を吐き、唾を飲み込んだ。
 その短めの茶髪の間を抜け、額から一筋の冷汗が流れ落ちる。
 特徴的なオッドアイの焦点は落ち着き無く、正面と周囲の地形を行き来している。

「て……んめっ……ざけやがっ……」

 舌がもつれ、呂律が回らない。
 失敗。その二文字が彼の頭を埋め尽くしていく。
 失敗した。何故。どうして。わけがわからない。
 意味のない事実確認に思考が制圧されている。

 超力によって作り出した不可視のナイフ。
 それは彼が視た光景に届いた筈だった。

 ジェイが得意としていた暗殺術。
 豹の如き歩法と猛禽の如き跳躍にて敵との距離を殺し、すれ違い際に鮮やかな流動で斬撃する。
 15年のブランクに訛った腕をそれでも研ぎ澄まし、敵の首筋に突き刺さる刃を、ジェイは確かに視たはずなのだ。

 これ、即ち必殺の判定。
 ではその光景が覆ったのか。
 否、違う。光景には続きがあったのだ。

「てめっ……首にナイフぶっささって、なんで生きてんだよぉ!?」

 その男はジェイの頭一つ分も上背が高く、全身が鋼の如き筋肉に覆われていた。
 服の上からでも分かる重厚な体躯に加えて、そもそもの質量が違う。
 筋肉だけではなく、骨格の厚みから常人とはかけ離れているような、存在の重さ。
 それは、鉄の如き男であった。

「……ぎゃあぎゃあ喚くな。耳障りだ、雑魚が」

 男は冷徹に声を発しながら、首筋を軽く拭う。
 そこには僅かに抉られたような跡こそ見られたが、血の一滴も溢れていない。
 渾身の不意打ちを受けて、致命傷どころか負傷にすら至っていない。

 ジェイは打ち合うまでもなく確信できた。
 不意打ちですら傷一つ入らなかった相手に、正面戦闘で勝てるわけもない。

「それで暗殺者気取りか?
 目も当てられない手管だな、恥を知れよ」

 男の名、呼延光(フーイェン・グァン)。
 中華黒社会、巨大幇会(チャイニーズマフィア)の凶手。

 ジェイは彼の存在を知っていた。
 15年も服役していた彼は獄中である程度のネットワークを築き、それなりの情報網を得ることが出来ている。
 収監されてから1年程度の男の情報も、だからある程度は把握していたのだ。
 もちろん、彼が死刑判決を受けていたことも。

 無期懲役を下されたジェイが恩赦を得るには、一人以上の無期懲役、或いは死刑囚の首が必要になる。
 刑務開始早々、偶然見つけた男を見定め、必殺のヴィジョンを得た瞬間、腹を括ったのだ。


 敵の首筋にナイフを突き立てる光景。確殺の景色が眼の前にある。
 こんなチャンスは二度と無いかも知れない。
 今すぐ行動するしかないと決意して、なのに、なぜ。
 こんな、取り返しのつかないことになっている。

「赶紧去死吧小苍蝇(速やかに死ね、小蝿野郎)」

 瞬転、視界が真っ赤に明滅すると同時、聴覚から音の全てが吹き飛んで認識の天地が逆転する。
 殆ど感覚を失った両腕に迸る痺れが辛うじて、攻撃されたという事実を伝えていた。
 ジェイは今、自分の体が後方に跳ね飛ばされている状況を遅まきに理解する。
 予備動作の一つもなく、目にも止まらぬ一瞬で接近を許してしまった敵が放った正拳突き。
 腕を割り込ませてのガードが間に合ったのは、僅かに残った暗殺者としての直感だったのか。

 空中で体を捻り、無我夢中で指先に挟んだ3本の刃を投擲する。
 予想通り、追走してきた敵はその迎撃を避けなかった。
 刃は全て不可視である、ジェイの投擲技術は卓越しており、どのように躱してもどれか一本が直撃するよう計算されている。
 しかし根本的に、敵はそれを避ける必要など最初から無かったのだ。

「バケ、モンが……ッ」

 ジェイは泡を食いながら背後にある家屋の鉄筋を掴み、跳ねる体の軌道を変えた。
 三射全ての直撃を受けて尚、一切勢いを減じることなく真っ直ぐ迫りくる呼延光。
 その身体にはやはり、かすり傷一つ見られない。
 あまりに法外の肉体強度、しかも両者の差はそれだけに留まらない。

 鉄の重量が大地を踏みしめた一瞬の後、軋みを上げて跳ね上がる大樹の如き脚部(ハムストリングス)。
 砲撃の如き穿脚から逃れられた要因とは、単なる幸運に過ぎなかった。
 直前までジェイの身体があった場所を、蹴撃の半円軌道が木造家屋の壁ごと削り取っていく。
 呆気にとられつつ、彼は更に身を躱そうとし、そこで無情にも運は尽きた。

 天頂に突き上げられていたつま先が、雷の速さで引き戻される。
 中華武術に明るいとは言えないジェイですら、感嘆の念を禁じ得ない程の神技が落下する。
 そして、大地が吠えた。呼延光の直下を発生源とする局地的な震災。
 地を蹴るはずだったジェイの運動が纏めて殺され、その場に縫い止められて動けない。

「――が――はっ――!」

 功夫、震脚。
 地を踏み鳴らす。
 ただそれだけの、しかし達人が行えば絶技と化す、武の基本にして真髄の一つ。

 その究極を、鉄の重さを持って振るえばどうなるか。
 全身を宙に跳ね上げられたジェイは、身をもって思い知った。
 呼延光の半径5メートル四方の物体が砕けながら空を舞っている。

 土くれ、砂利、ガラス片、家屋の廃材、転がっていた瓦の破片。
 それらと一緒に落下するジェイを、鉄の拳が待ち受ける。

 ほら、またこうなった。
 鈍化する感覚の中で彼は思う。
 気づけば取り返しのつかない場所にいる。

 今回もまた、足掻きようもない場面に至ってやっと気づく。
 それでも彼がそれを行ったのは何故か。
 他にやることが無かったからか。あるいは、もしかすると。


『だから腐らず、前を向くのよ』





 空気を引き裂くような音が聞こえた。
 鼻先まで迫っていた拳の行き先が変更される。
 突如として横合いから割り込んできた空気の弾丸を、鉄の拳が打ち払う。

 ジェイは驚きを隠せない。自らを救った実体のない銃撃に、ではない。
 呼延光はいま防御をした、その事実に。
 首筋にナイフの直撃を受けてすら不動だった男が身体を守った。
 なぜ、と思う。ジェイの攻撃と今の攻撃に、一体どんな差があった。

 なにか特別な攻撃だというのか。
 威力自体はジェイのナイフ投擲とさほど変わらない筈だ。
 それとも、まさか、重要なのは攻撃そのものではなく。

 考える間もなく、不可解な援護射撃は継続されている。
 呼延光は明らかに警戒した様子で身を躱し、距離を取って家屋の影に身を隠した。

「あ、あの、だ、大丈夫です、か?」

 地面に転がったジェイの隣に、いつの間にか男が立っていた。
 呼延光とは比べるべくもない、ジェイと比較しても地味な、影の薄い男だった。
 指をピストルの形にして、その銃口を呼延光の退いた先、工業地帯の闇の奥に向けて構えている。
 見間違いでなければ、先程の攻撃は指鉄砲の先端から発しているようだった。

「ま、まだけ、警戒をおお、怠らないでくださいね。あ、あの男まだ、ち、近くにいるから」
「てめえ……誰だよ」

 15年服役していたジェイの知識でもってしても、彼の容貌に憶えはない。

「あの、僕、本条っていいます。よろしくお、お願いします」

 ジェイとて全ての囚人の情報を頭に入れているわけではない。
 しかし目の前の男の首輪には【無】と刻まれていた。
 つまり無期懲役の刑を受けている。重罪を犯して収監された者はそれなりに情報が流れてくる筈なのだ。
 しかし名前を聞いても、全く聞き覚えがない。
 本当にそんな名前の男がいたのだろうか、なんて思ってしまうほど。
 今も、男の輪郭は曖昧なままだ。

「なんにせよ助かったぜ。ありがとな」

 気持ちが悪い。なにかが引っかかっている。
 引っかかるが、今は素直に礼を言うことにした。
 助けられたのは事実であったし、それに、無期懲役の首は、死刑囚の首と同等の価値がある。


 ジェイは男の姿をじっくりと観察する。
 細く華奢な体躯。荒事に慣れているようには見えない。
 呼延光の相手をするより、よっぽど楽そうだ。

「とりあえずここはお互い協力して切り抜けようや」
「そそ、そうですね」
「無事に逃げ切れたら、改めて礼を弾むぜ」

 そして男から一度視線を外し、闇の向こうを睨む。

「しっかし、あいつからどうやって逃げき……」
「わ、分かりました。では前払いでお願いします、ね」 
「あ?」

 びす。
 そんな間抜けな音が、ジェイの腹の内側で鳴った。
 間を置かず、じわじわと赤い染みが服の内側から広がっていく。

「あ……え……?」
「よ、よかったあ。い、良い人そうで。
 ここでファミリーを増やすなら、できればあ、あなたのような温厚な人がいいなあって、ずっと思ってたんです」
「なにやって……だ……てめ……」

 後ろから撃たれた。
 致命傷だ。そんな事は分かっている。
 だが解せない。なぜ男はわざわざ一度ジェイを助けたうえで、一瞬で裏切るような行動に及んだのか。

「へ、へ、へ。ようこそ。
 こ、これから僕達は一心同体(ファミリー)です。よ、よろしくお願いします、ね」

 視界が霞む。何もわからない。
 わからないまま死んでいく。
 それでも最後に一つだけ、分かったことがある。

「化け、物ども……」

 きっと恐ろしいことが起こる。
 ここには想像の及ばない怪物達が犇めいている。

 選択を誤った。
 だけど取り返しの着く場所なんて、最初から無かったとしたら。

 自らの意思が巨大な何かに飲み込まれていくのが分かる。
 魂がラッピングされて、キリキリ回る弾倉の、薬室(チャンバー)の一部屋に放り込まれる。
 これは合成獣ならぬ、合成銃。彼らは両手を上げて歓迎する。
 新たな弾丸の一発として、ジェイの意思は選ばれたのだ。

 何か大きな存在の一部になる。
 個我の境が消え去り、心同士が接続する。
 そこに堪らない快楽を憶えてしまう事実が恐ろしい。

 どん詰まりの未来の先にあるものを、どこか他人事のように眺めながら。
 彼の意識はゆっくりと溶けていった。






【ジェイ・ハリック 死亡】


















【亡死 クッリハ・イェジ】





。たっいてれ薄とりくっゆは識意の彼 
。らがなめ眺にうよの事人他かこど、をのもるあに先の来未のりま詰んど 
。らたしとたっか無らか初最、てんな所場く着のし返り取どけだ 
。たっ誤を択選 
。るいていめ犇が達物怪いなば及の像想はにここ 
。るこ起がとこいしろ恐とっき 
「……もど物、け化」
。るあがとこたっか分けだつ一に後最もでれそ 
。くいでん死ままいならかわ 
。いならかわも何。む霞が界視 
「ね、すましい願おくしろよ、よ。すで(ーリミァフ)体同心一は達僕らかれこ、こ 
。そこうよ。へ、へ、へ」
。かのだん及に動行なうよる切裏で瞬一、でえうたけ助をイェジ度一ざわざわは男ぜな。いなせ解がだ 
。るいてっか分は事なんそ。だ傷命致 
。たれた撃らかろ後 
「……めて……だ……てっやにな」
「すでんたてっ思とっず、てっあないいが人な厚温なうよのたなあ、あばれきで、らなすや増をーリミァフでここ 
。でうそ人い良、い。あたっかよ、よ」
「?……え……あ」
。くいてっが広らか側内の服がみ染い赤とわじわじ、ずか置を間 
。たっ鳴で側内の腹のイェジ、が音なけ抜間なんそ 
。すび 
「?あ」
「ね、すましい願おでい払前はで。たしまりか分、わ」
「……きげ逃てっやうどらかついあ、しかっし」
。む睨をうこ向の闇、し外を線視度一らか男てしそ 
「ぜむ弾を礼てめ改、らたれ切げ逃に事無」
「ねすでうそ、そそ」
「やうよけ抜り切てし力協い互おはここずえありと」
。だうそ楽どぽっよ、りよるすを手相の光延呼 
。いなえ見はにうよるいてれ慣に事荒。躯体な奢華く細 
。るす察観とりくっじを姿の男はイェジ







 ジェイは男の姿をじっくりと観察する。
 細く華奢な体躯。荒事に慣れているようには見えない。
 呼延光の相手をするより、よっぽど楽そうだ。

「……は? あ? ああ!?」
「ん、どうしたんですか?」

 なにを馬鹿な。
 今すぐ逃げろと本能の全てが吠えている。

「ふ……ざ……けんなよおおおおおおおおお、お前ェッ!」

 線の細い男を突き飛ばし、ジェイは駆け出した。
 僅か数秒後に予知していた死の未来から逃れるために。

 不可視の刃とは別の、ジェイ・ハリックのもう一つの力。
 『開闢の日』を待たずして、彼の一族が持っていた能力。
 未来予知。彼のそれは非常に短期的な物であったが。

 そして短期的であるがゆえに、フルオートではなく意思によって発動することはメリットであり、デメリットでもあった。
 使えば自分の意志でいつでも予知できる。裏を返せば、使わなければ見落とすし、状況に使う余裕がなければ使えない。
 絶望的な状況で抵抗を諦め、苦し紛れに行使した予知によって、彼は偶然にも九死に一生を得たのである。

 脇目も振らず駆け出したジェイの姿が夜に溶けていく。
 静まり返った廃屋に残されたのは、異様なる二体の怪物であった。 









「あ、あれ、なんで逃げちゃった?」

 取り残された男は夜の虚空に向かって問いかける。

「残念だな、せ、せっかくファミリーにな、なれると思ったのに」

 ぶつぶつと続けられる、どもりがちな独り言のような言葉。
 しかし、それに、応ずる声が上がった。

「そりゃ~清彦がキョドーフシンだったからじゃないの?」

 女性の声である。
 姉御肌な気風を帯びつつも、品の良い透明感のあるウィスパーボイス。

「普段身内としか喋んないからキモがられんの。
 勧誘したいなら、もうちょっとスラスラ喋る練習したら?」
「ひ、ひどい。杏のせいでぼ、僕はこんなになったのに……」
「ひとのせいにするなんてサイテー。後でサリヤに言いつけてやるから」
「ご、ごめん。謝るから……それは……や、やめてよ……」

 しかし、そこに立つ影は依然として一人だった。
 一人の人間が、一人芝居のように二つの声で話している。

「えと、で、その、さ、サリヤちゃんはいま……」
「鼻の下伸ばすなキモい。まだ寝てるよ。てか全然起きる気配なし」
「そっか……けっこう超力借りちゃったから、お、お礼言いたかったけど」
「起きてから言えばいいじゃん。それより剛田のおっちゃんが言いたいことあるって」
「宗十郎さんが? 珍しく起きてるんだ。ど、どうしたんですか?」
「……此処、未だ戦場也。努々、本懐を忘れるでない」

 そして今、3つ目の音色が発生した。
 砂嵐のようなハスキーボイス。
 老いさらばえた武人を思わせる、乾きの中に強かさを内包する声。

「ああ、そっか、そ、そうだったそうだった」
「忘れるところだったね」

 多重人格者と似て非なる、人格略奪者。
 それが、ここにいる怪物。我喰いと呼ばれた殺人鬼。
 他者の人格を殺人を経由して奪い、混じり合った奇怪なる存在。
 本条清彦という記号を持った個体、否、群生。

「僕達は君の願いを叶えに来たんだったね、星宇(シンユ)」

 男のシルエットが蠢いている。

「そこにいる彼に会うことが君の望み、そうだったろう?」

「……谢谢(感謝する)」

 影の薄い特徴のない青年から、少しずつ、体格の良い漢民族の壮年へと変わっていく。
 声音だけでなく肉体を伴って現れた4人目は、工業地帯の闇の奥をまっすぐに見据えていた。
 そこにいる者、未だここに残る、もう一体の怪物を。

「さあ、撃鉄を上げよう。今日は引き金を引いたって構わない。
 いつだってファミリーとの別れは辛いけど。
 君の晴れ舞台だ。涙と一緒に見送るよ、王星宇(ワン・シンユ)」

 そうして向かい合う二人の男。
 装填された弾丸(じんかく)の一発が、ここに宿敵との対峙を果たしていた。




「生きていたとはな、星宇(シンユ)」

 物陰から身を晒した呼延光。
 対峙する王星宇。
 二人のアジア人。彼らはかつて、同郷にて兄弟の誓いを交わした仲にあった。

「光(グアン)、お前には、俺が生きているように見えるのか?」
「いいや、訂正しよう。死人が動いているとはな、と言ったほうが適切だったか」
「呵呵、死体から蘇ったのはお互いさまか。俺の方はこの通り、見るに耐えない有り様だがな」

 先程の銃撃。空気の弾丸が狙っていたのは呼延の眼孔だった。
 瞼を開いている限り、どうしても鋼鉄化できない彼の数少ない弱点。
 それを初手から突いてくる存在とは、呼延光をよく知る者でしかありえない。

「お前を殺すために、俺は化物の一部に成り果てた」

 王星宇。
 かつて呼延を裏切り、始末することを命じられた幇会の幹部。
 そして死の淵から蘇った呼延による報復の結果、他の構成員と共に殺害された筈の男。
 今は、我喰い(リボルバー)に装填された弾丸の一発。

 裏切り、復讐。
 そして今、復讐の復讐。
 血塗られた連鎖の果て、男たちは対峙している。

「懐かしいな、光。あの時も、俺達はこうやって殺し合った」

 王星宇の全身を覆う体毛が長く鋭く変じていく。
 全身が人間とはかけ離れた、肉食動物のそれに近づいていく。
 生前の彼が修めていた功夫に、獣化による完全変異を組み合わせた奥義。

 装填はもう済ませた。 
 撃鉄が上がっていく。
 引き金に指をかける。
 後は、放たれるのみ。

「安全装置(セーフティ)は解除した。こいつを使えば俺は消える。それで構わない」

 決死行に赴くことへの躊躇いはない。
 虎の如くに変態した後ろ脚が地を蹴る。
 恩讐の化身は自らの存在意義を果たすために、鉄を穿つ弾丸と化したのだ。

「你也下地狱吧,光(貴様も地獄に来い、グァン)!」

 人間の動体視力ではとても捉えきれない俊足の歩法と、肥大化した獣の筋力。
 鋼鉄を突破せしめる重機の衝突は刹那の後に。

「因果报应吗? 真是无聊的故事(これが因果か? 眠たい話だ)」

 つまりその迎撃を成し得た根幹とは、特異なる超力でもなんでもない。
 彼が極めた人の絶技。
 功夫の最奥。

 それはテイクバックを挟まぬ静かなる打撃技。
 水の流れるように鮮やかな動作で、腰だめに構えた拳を軽く正面に突き出す。
 ごく当たり前のように、ぴたりと止められた拳の置き場所は、完璧な間合いで獣の突進と重なっていた。

「消失吧,亡灵(消え失せろ、亡霊)」

 空間そのものが劈けるような悲鳴を上げる。
 引き絞られた全身によるインパクト。
 筋肉(メタル)が射出する運動量を拳の一点から流し込み、獣の肉体を内部から破壊する。
 それは銃撃、いやもはや爆撃と形容してよい程の破壊規模だった。

 吹き飛んでいく敵の肉体、かつての友の成れの果てを見つめながら。
 呼延は別れの言葉すら発することはなかった。
 それは彼にとって、既に一年前に去った過去の残穢でしかなかったから。








「光(グァン)、お前は強すぎたんだ」

 それは過ぎ去ったいつかの記憶。
 裏切りの日。
 豪雨降りしきる夕暮れの港で、旧友から告げられた言葉こそ、真実だったのかもしれない。

「お前には何度も助けられた。お前の強さを、みんな心から信頼してた。
 幇会がここまでデカくなったことに、お前の働きは欠かせなかったろう。だから悪いとは思ってる……」

 呼延光。超力によって常時全身を装甲する鉄人。最強の凶手。
 近接戦闘において無敗を誇る彼の無力化を成し遂げたのは、味方であった筈の幇会の構成員だった。
 世界にごく僅かしかいない、呼延光の弱点を知る者たち。
 そして彼が唯一、身内だと思っていた、家族だと信じていた筈の。

「それでも俺達は、お前の心を信じることが出来なかった。
 お前が未来永劫、俺達の味方であり続けると、鉄の砲塔が俺達に向くことがないと、誰が保証してくれる?
 敵が居なくなっちまうと、誰もが考えずにはいられねえのさ。
 今しかねえんじゃねえか、今殺しておかなきゃ、取り返しのつかねえことになっちまうんじゃねえかって」

 真っ黒い海に放り込まれ、冷たい水底に沈みながら、彼は思った。
 こうなることは、きっと分かっていた筈だ。
 彼らの呼延光を見る目の色、少しずつ畏れと忌避感が濃くなっていたこと。
 いつかこんな日が来てしまうのではないかと、気付いていなかったわけではない。
 なのになぜ、彼はまんまと裏切られ、こうして危機に陥ってしまったのか。

「ただ、強すぎた。お前の罪は、それだけなんだ」

 それとも信じていたかったのだろうか。
 誰も並び立つ者のいない、圧倒的な力をもってしても。
 揺るぎない情の存在、力よりも尊いと信じられる、目に見えない精神の繋がりを。








 瓦礫の山にヒトガタが残されていた。
 死体位置を示す白線のように、廃材の絨毯が落ち窪んでいる。

 殺した。
 その手応えがあった。

 死体は残されていない。
 周囲には既に、人の気配もない。
 あの奇妙な合成獣(キメラ)の如き存在は、おそらく逃げてしまったのだろう。

 しかし同時に、呼延は確信していた。
 殺した。
 王星宇の影は今度こそ、この世界から消え去ったのだと。

 拳を見る。
 僅かな血液が付着していたので、拭き取って払う。
 そんなことをしても、もう身体から血の匂いが取れることは一生ないと知っていた。

 鉄と血は混ざりあい。
 彼の人生からは切り離せない。

 信じるものから裏切られ、信じていた全てを自ら滅ぼした男は一人、今も荒野を歩み続けている。
 両の拳から僅かに、鈍い赤色を零し続けながら。








「さようなら、星宇(シンユ)」
「さよなら」
「ばいばい、王(ワン)ちゃん」
「……さらばだ」

 影が、蠢いている。

「ごっほ、がは……おぉえ……へ、へへへ、あーあ、ま、また一発、減っちゃた……」
「やっぱり死んじゃったね、王さん」

 影は男の形をしていた。
 奇妙なほどに人の印象に残らない素朴な男は、ふらふらと工業地帯を歩いている。
 相変わらず、一人芝居のように、奇妙な会話劇を続けながら。

「ていうかダメージやばいよね。
 ほとんど王さんが引き受けてくれたからよかったけどさ。
 一歩間違えたら私たち全員死んじゃったんじゃない?」
「ほんとだね、き、気をつけ、ないと……。
 これ以上ファミリーが減っちゃうのは、さ、寂しすぎるから」

 巣立った誰かを見送って。
 影は形を変えながら這いずり進む。
 彼の、彼らの、根幹となる目的は一つ。

「寂しくなるなあ。寂しいのは、嫌だなあ」

 生存すること。
 群生としての在り方を維持すること。
 リボルバーとして完全な状態であること、そのために。

「は、早く、次の弾を、こ込めないと」

「次のファミリーを迎えないと」

「次の――」

 銃弾を見つけないと。
 現在、回転式弾倉(シリンダー)に込められた残弾(じんかく)は4発。
 薬室(チャンパー)には2つの空きがある。

「見つけなきゃ」
「見つけなきゃ」
「見つけなきゃ」
「見つけなきゃ」

 装填せよ。装填せよ。装填せよ。装填せよ。
 完成された群生であるために、真に魂から結ばれた絆であるために。
 そして消え去るその時まで、もう誰も、ずっと寂しくないように。



【F-2/旧工業地帯・廃墟/1日目・深夜】


【ジェイ・ハリック】
[状態]:疲労(中)、全身にダメージ(中)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.生き延びる。チャンスがあれば恩赦Pを稼ぎたい。
1.とにかくここから逃走する。
2.呼延光、本条清彦に対する恐怖と警戒。


【呼延 光】
[状態]:疲労(小)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.24時間生存する。降りかかる火の粉は払う。
1.言われた通り殺し合うのも億劫だが、相対する敵に容赦はしない。



【本条 清彦】
[状態]:疲労(小)、全身にダメージ(小)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.群生として生きる。弾が減ったら装填する。
1.殺人によって足りない2発の人格を補充する。
2.それぞれの人格が抱える望みは可能な限り全員で協力して叶えたい。

※現在のシリンダー状況
Chamber1:本条清彦(男性、挙動不審な根暗、超力は影が薄く人の記憶に残りにくい程度)
Chamber2:山中杏(女性、姉御系、超力不明)
Chamber3:剛田宗十郎(男性、詳細不明、超力不明)
Chamber4:欠番
Chamber5:サリヤ・K・レストマン(女性、詳細不明、超力は指先から空気銃を撃ち出す程度)
Chamber6:欠番(前6番の王星宇は呼延光との戦闘により死亡、超力は獣化する程度だった)

016.光と影の、『アイドル』 投下順で読む 018.新世界の嬰児
時系列順で読む
PRISON WORK START ジェイ・ハリック 耐え忍べ、生きている限り
PRISON WORK START 呼延 光 超人武闘
PRISON WORK START 本条 清彦 名無し(ノーネーム)vs多重名(マルチアカウント)

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最終更新:2025年03月12日 00:02