かつての熱気や騒音溢れた活気はなく、静まり返った世界。
月光は、天高く伸びる煙突を浮かび上がらせる。

建物の明かりはないが、僅かな街灯が道を所々照らし上げていく。
使い古され風雨にさらされた燃料缶やコンテナ、パレットが散らばっている。
割れた舗装の隙間からは雑草が伸びて、我が物顔で穂を伸ばし種を散らせていた。


その中を歩いていく影が一人。
細めで身長が高く整った容姿に、似合わない刑務服が脱獄者のようで。
この場においては、それが刑務作業の参加者であることを示していた。


男は腕を前にかざし、力を籠めるように手指を動かす。
仕事柄、土地の違和感を感じ取るのには慣れていた。
つい先ほどかのように新しく、草を踏み倒した跡があったのを男の赤い眼光は見逃さない。
誰かがこの場所を通過したのではと感じて、自らの超力(ネオス)を発動し更なる情報を読み取ろうとした。

男の持つ超力は、過去の土地の姿の再現。
"トランスミシオン ヘオロヒコ(Transmision geologico)"と彼は自分の超力を呼んでいた。
イグナシオ・"デザーストレ"・フレスノ。彼はスペイン語圏の出身だった。


超力により、過去にその場所で起きた事象が再現される。
その特性上、人間の存在自体は再現されないが。
草を倒した時の様子、土埃の様子、足音の向かう方向。様々な情報が確認できる。
"どうしよう、とりあえず……"と、歩きながら発したのか思い悩むような若そうな男の声も再現される。

男は納得し発動を解除し、暗闇の中足跡の先を追っていく。



 ――――――――

 ◇

 ――――――――



たどり着いたのは、一つの工場の建物。
イグナシオは能力を定期的に発動しながら、この中に追う人物が入っていったことを確かめた。

薄暗い外よりも、更に暗くなっている屋内へと歩みを進めていく。
電力は少しは生きているのか、非常灯などが僅かばかり付いている。
また屋根は建屋の屋根は鋸切状になっており、昼は自然光を間接光として受け入れられるようになっている。
夜目が慣れれば、歩く程度には全く支障はなかった。


しかし、中に入って歩みを進めるとすくに目に付く物があった。
建屋内に壁や窓で区切られて設けられた、事務室として使われていたであろうスペース。
そこが不自然に全体的に白く浮き上がっている。

近づくほどに、何故か気温が下がるのを感じる。
そう、白いのは空気中の水分が温度低下によって付着した結露によるものだった。
窓は完全に結露し白く濁り、中の様子は全くうかがえない。


明らかに何かが起きたであろう怪しい部屋。
しかしイグナシオは臆することなく先へ進んでいく。

やがて部屋のドアの前までたどり着く。
よく見ると結露だけではなく霜もかなり付着し、細かく分枝した氷の結晶が金属部分を覆っていた。
失礼いたします、と呼びかける。

応答はない。
ノックする。応答はない。

ドアノブを、手を服の袖で覆って握って回そうとする。
しかし中からカギがかけられているのか、空回りするばかりだった。



イグナシオは……扉を無理に開けることは選択しなかった。
強硬手段を避けるかのように、中に言葉を投げかける。

「中にいらっしゃいますよね。
 私は戦闘をするつもりはありません。
 首輪を狙うつもりもありません。
 話をしていただけないでしょうか」

暫く沈黙が流れるが、やがて中の人物が返事を返した。
相手がすぐに戦うつもりは確かになさそうなこと、このままでは埒が明かないことを認知したかのように。

「なんでわざわざ話しかけに来るんですか。
 明かにやばそうでしょここ。
 こうしとけば、あんまり人が来ないんじゃないかって思ったのに……」

返事は、新雪のように柔らかい女性的な声だった。震えて、自信もなさげだった。
イグナシオは、ややいぶかしげな表情となる。
超力を発動して先程まで聴いてきた過去の声と、今聴いている声が一致しないからだ。
しかしそれについて考えるのは後にして、会話を続ける。

「そちらも積極的に戦うつもりでないなら、良かったです。
 戦闘は可能な限り避けたいと思っているんですよ。
 しかし、なぜこのようなことを?」
「ボクは今のところ、ここを出るつもりはありません。
 誰ともかかわらずにやり過ごしたいって思ってます」

一人称はボク。
そして声質は違うが、話し方は追っていた声とそっくり。
何か超力の影響で声が変わっているのか、とイグナシオは思案する。

「ここに籠るつもりなんですね。
 確かに刑務作業に関わらず24時間やり過ごせれば、プラスもマイナスもなく現状を維持できる。
「そうです。ボクは自分のために何かが欲しいとか刑期を短くしたいとかもない」


「――――けれど、本当に何もしたくないわけでは無いのでは?」

確信を持ったようなイグナシオの問い。
ここに来るまでに超力を使って回収してきた、中の人物の歩きながらの独白からの推測である。
単純だが、確かな証拠だ。


「何が分かってるんです? でも……そうですね。
 ボクは本当に何もせずやり過ごしたいってわけじゃあないです。
 でも、下手に出歩いたら他の囚人に殺されてしまうかもしれない」
「死ぬのが嫌だから――――では、無さそうですね」

また見透かされるような質問。不思議さを感じる。
しかし中の人物の方からしても、逆にこの方が遠慮も前置きもなく話しやすいとも感じていた。

「ええ……怖いのは自分が死ぬことじゃないです。
 もしも自分を仕留めた相手が凶悪犯だったら。
 その分の刑期が短縮されてしまうから。
 そうなったら彼らはそれだけ外の世界で悪事を働けるようになる。
 それが――――――恐ろしいです。とても」

沈んだトーンで発される女性の声。

「優しいお方ですね、貴方は。
 他人の事や平和の事をしっかりと考えていらっしゃって」

「――――優しい?
 言わないでください、そんな事。
 ボクは優しくなんてない。
 優しいって言われてもそれを信じられない。
 じゃあ何で、ボクは無期懲役でアビスに収監されているんだ?
 そしてそれだけに値する罪を犯したって、自分で納得できるんだ?」

自分のことを強く否定するような声。
自己否定の文言なのに、語気は強く自信があるかのよう。
しかしそれを更に否定しようとするイグナシオ。

「しかし、貴方は他人のことも考えられている。
 冷たい人物ではない。そう感じられましたよ」

「違いますよ。ボクは。
 優しいっていうのは、きっと他人のために積極的に動いて行動できることで。
 自分の気持ちやエゴに囚われずに。
 そして相手が良かったって、嬉しかったって後で思えるようなことを。
 でも、ボクはそれが何もわからない。
 間違えたくない…………人を傷つけたくないです。
 何にも確信を持って行動できません。
 それじゃあ動かず誰とも関わろうとしないように、迷惑にならないように。
 そうするしかないんです」

自分を卑下する言葉だけを綴る声。
しかし、イグナシオは見ている。
その裏に存在するであろう意思をも。
間を開けた後に、イグナシオが語り掛けていく。


「――――――もし宜しければ。
 私と共に、行動しませんか?」

誘いの言葉。返事はない。
イグナシオは続けていく。

「私は、改心の余地のある子供や、冤罪を訴える人々を護りたいと思っています。
 このような殺し合いで、そのような人々の命が奪われるのは間違っている。
 そうは思いませんか?
 ポイントに目がくらんだ凶悪犯から、彼らの生命を守る。
 それはきっと、他人のために積極的にやるだけの価値のある行動だと私は思っています」

イグナシオは行動指針を提示する。

中の人物は……思案する。
なぜそのような行動を自分で思いつかなかったのか。
一人で不安だったからか。
自分は積極的に動くのは向いていないと、ずっと思い込んでいたからなのか。
わからない。わからない。
ひどく自分が無能でちっぽけに見える。

しかし、その提案自体は非常に魅力的だった。
自分勝手な感情を抑えきれず人を殺してしまった自分が。
そんな自分が。
罪滅ぼしのように善行をできるかもしれない機会なのだから。

色々な感情が駆け巡る。
そうしてしばらく時間がたち、イグナシオが話し出す。

「どうでしょうか。
 正直私も、大きな目標を掲げたものの。
 一人だけで進めていくのは困難だと思っています。
 協力者がいてくれると非常にありがたいのですが……」

イグナシオの助けを求めるような発言。
それが、決心させる最後の一押しになった。

「わかりました。ボクもそれに協力します。
 ――いえ、違います。
 協力させてください。
 力になりたいんです」

肯定の声。
イグナシオは協力者が得られ、安堵する。
少し待ってくださいと女性の声が聞こえ……中から氷が蒸発するような不思議な音が聞こえた。

そして、扉を開けて出てくる男。
陰鬱そうな表情と堅めが隠れた髪型の、線の細い日本人男性。髪の色や爪の色に青が目立っている。
黒いマスク……は、没収されるアクセサリーとしての扱いではなく、気管や肺が弱いと言って医療用に許可して貰っている物である。
彼は超力の影響か体が冷えやすく、昔から風邪等にかかりやすかった。
アビスに入ってからは超力が封じられているためか風邪はないのだが、最初に申請した名残で今でもマスクが許可されていた。
自己紹介の場面だが忘れているのかそもそも外す意識が無いのか、着用したままである。

「イグナシオ・フレスノ。しがない探偵をやってました。
 超力は自分の前方に過去の土地の様子を再現して再生する能力です。探偵活動用ですね。
 よろしくお願いします」
「北鈴……安里です。超力は……その。氷を扱う龍に変化します。
 よろしくお願いします。フレスノさん」

自己紹介の声は、女性のものではなくしっかり変声期を経た男性のものだった。
安里は日本人としては大柄な自分より更に大きいイグナシオにやや慄き、同時に首輪に入った刑期の文字にもちろん最初に目が行く。
死刑、と書かれていた。しかしそれを恐れることはない。
自分も無期懲役ではあるが、アクの強いアビスの囚人の中では穏やかな人物ではあると思っている。
なら死刑だろうと穏やかな人物はいるのだろう、探偵なら政治的に不都合な真実を暴いてしまったとか事情もあるのだろうと思案するにとどめた。



 ――――――――

 ◇

 ――――――――




そこから2人が方針について詳しく話し合おうとは、ならなかった。

2人が対峙した直後のころ、更なる乱入者が一人建屋内に入ってくる。
足音の感覚は短く、子供のようで。
その音は奥の方にいる2人の耳にも当然入ってくる。
対応について2人は小声で話し合う。

「どうしましょうか、フレスノさん。
 たぶん子供が一人来そうですよ。護らなきゃいけない存在かもしれないですよ」
「分かっていますよアンリ君。上手く話して信頼してもらいましょう」

しかし不安そうに落ち着きがない安里。
それを見かねたイグナシオが促す。

「私一人で対応しましょうか?
 貴方は事務スペースの窓の結露を少し落として、そこから見ていてください」
「そ……そうですね。
 あまり人と話すの得意じゃなくて。ありがとうございます」

安里はさっきまでいた事務スペースへ下がっていく。
そしてイグナシオが残り……やがて入ってきた少女と対峙する。



薄暗い明りの中でも、鮮やかな赤い髪が目立っていた。刑期は18年。
11-12際程度に見える小柄な身体。縮こまりおびえた様子だ。
なぜだか服は適性のサイズよりやや大きく緩いものを着ている。
イグナシオは優しげな表情を作り、しゃがんで姿勢を低くし目線を合わせる。

「お嬢さん、怯える必要はありません。
 こちらに貴方を襲う気はありません。戦う気はありません」
「そう……?
 後ろにもう一人いるでしょ?
 本当に?」
「ええ。本当です。後ろにいるのは私と同じ志の仲間です。
 子供がこのような場所で命を削って戦うことなんてないですよ。
 子供が死んでいくなんて、見過ごせませんから。
 保護したいと考えているんですよ」
「そう?怖かったの……ありがとう。
 それなら……」

少女がイグナシオにより近づいていく。

そして。

――――少女の身体が肥大する。

筋肉が節くれだつ。
全身がざわめいて、体毛が密生し身体を赤く彩る毛皮となる。
脚の関節が変化し、食肉目らしい瞬発力に優れた形態に。
耳の位置が変化し、毛におおわれて立っていく。
口吻部が伸びて、触毛がそこから生えそろっていく。
手には堅い肉球と、堅く野太い赤い爪。
背面には、獣化していくことを示す尾が現れる。

一瞬のうちに少女は、深紅の大きな人狼へと変化した。
その体格は、身長で見ればイグナシオと同等か。


変化が完了するより前、途中の段階ですでに少女はイグナシオへとびかかっていた。
そして……完了するころにはイグナシオの位置へ。
口を開き、首に噛みつこうとて……いたが、イグナシオは反応し横へ飛びのいていた。
それを確認し不意打ちが失敗したことを理解した人狼は、改めてイグナシオの方を向く。

「ちっ、全然警戒してんじゃねぇかクソ野郎」
「いえいえ、流石に一筋縄じゃ行かない子供も多いって分かってますよ」

鮮やかな髪を残し、気品さえ感じられるような狼の顔を似合わず歪ませて悪態を吐く。
そしてまだ微笑みを崩さないイグナシオ。

「アホくさ。血なまぐさ。
 狼の嗅覚ならわかるぜ、テメエどんだけ殺してきたんだよ?
 それでアタシに向かって"戦う気はありません"だってぇ?」
「ええ。本当に戦う気はありませんでしたよ。
 お嬢さんが、先に手を出してこなければね。ふふっ……」
「本当に戦う気がないなら、その場で首掻っ切っておっ死んでくれるとありがたいんだけどな?」
「それではいけません。そんな終わり方は私には許されません」

イグナシオが手を人狼に向ける。超力を発動する合図だ。
その超力は探偵活動用のはずである。
しかし……。



イグナシオの前方。
土地の様子が揺らぐように変化。
そして。

人狼の身体を急に冷気が襲う。
状況を判断できない。
とりあえず、引かなければ。
反射的に飛び退く。

しかし、間に合わなかった。
人狼の下半身は、イグナシオの眼前に形成された氷山に埋もれて固められてしまった。

「トランスミシオン・ヘオロヒコ!!
 これが私の超力です!」

超力を叫ぶイグナシオ。
その顔は先ほどまでの穏やかさが嘘のように、狂ったような笑みを浮かべていた。

イグナシオの超力、トランスミシオン・ヘオロヒコの効果は「過去の土地の様子の再生」。
過去は……ここ数時間や数年程度の人間が観測できる時間とは限らない。
太古の時代。目に見えるサイズの生物が全く存在しなかった頃。
地球は寒冷化し、全体が凍結し氷に覆われていた時代が存在した。
全球凍結。スノーボールアース。
イグナシオが再現した過去の風景は、これである。

――人狼は。
流石に身体まで凍ったわけではない。
氷を破壊して脱出を試みようと身体を動かし……やめた。
もちろん諦めたわけではなく。

やがて、身体が縮小していく。先ほどとは逆のように。
やはり一瞬のうちに体毛も引いていき、元の人間の姿へ。
その縮小した差分を利用することで、氷山からスマートな脱出を果たす。

「おやおや。イキったクソガキの頭を冷やすのには丁度いい技だと思ったんですがねぇ」
「冬の路地裏で一晩過ごすのに比べたら数段生温かったけどな」
「ふふっ、違いないですね!」
「決めた、テメエも後ろのナヨナヨしたジャップのホモ野郎もぶっ殺してタバコと酒に変えてやるわ」

同じ穴の狢なのだと理解し合う二人。
イグナシオは次の発動に備え能力を解除、氷山は消えていき後には工場の床が元通りになる。
少女は、再び人狼に変化し脚力を活かし高速で接近。
超力を発動させる時間も与えないように格闘戦を挑みに行く。

人狼の野太い爪の連撃がイグナシオに襲いかかる。
ネコ科の爪のような鋭さこそないが、硬さは充分。
肉を引き裂きえぐり取るような重さを持った攻撃である。
戦闘慣れしたイグナシオはその速さには対応できる。

格闘技とかを体系立てて習ったことはなくても、ただただ彼の周りにはいつも戦いがあったから。
生きるには強くなければならなかったから。

それでもギリギリで躱し受け流すのが精一杯。
やがて、受け止めきれず腕に重い一撃。
瞬間的に肩を引っ込め、後ろに飛び退き衝撃を受け流す。
そして。

「トランスミシオン・ヘオロヒコ!」

距離が離れたのをきっかけに超力を発動。
今度は……溶岩の海が出現し、工場内を赤く照らしていく。
原始地球の地殻がドロドロに溶けていた時代。
マグマオーシャン。表面温度は1000℃を超えるだろう。
マグマの比重は重く、人体はその上に浮遊して身体の自由が利かないまま肉を焼かれることになる。

しかし、人狼は慌てない。
脚に力を入れ……思い切り溶岩の表面を蹴って踏み切る。
そして、身体が大きく跳ねた。
液体だろうと、強い力で蹴り出せば反作用により上で跳ねることは可能である。
水面で素早く足を動かして進まないように走るのと、原理は同じことだ。

溶岩にミルククラウンのような跡を残し跳び立ち、イグナシオへ飛びかかっていく人狼。
しかし、イグナシオも相手の膂力を理解し対策をすでに作っていた。

「ああ……痛い!痛いですねえ!」

同時に後ろへ飛び退きながら、超力を解除、再発動。
イグナシオの前に今度は大量の水が、下から浮かび上がっていく。
まるで海が下から工場の天井あたりまで円柱形にくり抜かれたかのように、徐々に水は溜まっていった。

太古の地球は、現代の地球より水の量が多かった。
海抜0mの高さも、もちろん現代より高い位置に来ることになる。
すなわちこのような島ならば、過去の時代を再現すれば海の中の水中をも作り出すことができる。



飛びかかる人狼は、突然現れた水に突っ込む形となり勢いが一気に抑えられ動きが制限される。
そしてその怯んだ隙を見逃さず、イグナシオは即座に能力を解除。
水がなくなり垂直落下する人狼に合わせ、腹部を思い切り蹴り上げる。

流石の人狼も新人類の全力の蹴りを入れれば吹き飛んでいく。
しかし、地面に着地する前には体勢を立て直し受け身を取った。
それを見やるイグナシオ。どうやら大したダメージにはなっていないらしいことを理解。

「強いですねえ貴方!
 私はここで終わってしまうかもしれない!
 その死と隣り合わせの恐怖が!
 私に生を実感させてくれます!
 "Me quemo!"」
「狂ってんなテメエ。まあそんな奴珍しくもないけどなぁ!?」

目を爛々と光らせながら、次の一手を思案するイグナシオ。
溶岩は脱出される。全球凍結も反応されて回避されれば意味がない。隙を作って完全に閉じ込めなければ。

とりあえず大ダメージを与えるか……月形成のジャイアント・インパクトか、後期重爆撃期か。
生身の人間ならまずぺしゃんこになる威力の一撃だが、まあ一発なら死にはしない気がする。
それとも大気に酸素が少なかった植物繁栄前の時代を再現して酸欠させて嵌めるか。呼吸を止めていたら効かないが。

一方で人狼も、相手の手札を出来る限り明らかにしようと伺っている。
氷にも溶岩にも水にも、次はもっと効率よく対応できる自信がある。
戦い慣れこそしているが、身体能力は通常の人間と変わりない。
噛み付きか、蹴りか。致命的な一撃を通せさえすればいつかは勝てる相手だ。
自身の耐久力が破られる様子もまだないし、今のところは余裕がある。


暫く生まれた硬直。


しかし、そこに横やりが刺さる。
雹の礫が2人に向けて、ボコボコと細かいジャブのように襲い掛かってくる。

反応し、雹の襲ってくる方向を見やる二人。

全速力で駆け寄る、細身の白を基調とした体色のドラゴン。
そして、二人の間にたどり着き、地面に手を叩きつける。

手を突いた先、ピキピキと音を立て地面から何かが生えてそびえていく。
それは、複数の1mから2m程度もの長さのある氷柱だった。
剣山のよう名密度で、徐々に面積を増やしていく。


そうして、イグナシオと人狼は分断された。
相手側の援護か?と思う人狼。

しかしドラゴン……氷龍は、イグナシオに向かって行き気性荒く話しかける。

「フレスノさん!
 何やってるんですか!
 何めちゃくちゃに戦ってるんですか!
 相手は子供ですよ!」

息を強く乱して吐きながら、雪のように柔らかな声を吹雪のように荒立てて話す氷龍。
冷静ではないのか、声とともに口からは冷気のブレスが少しずつ漏れ出ている。
その度にイグナシオは凍えるような、皮膚が凍てつくような感覚を感じる。
寒気と同時に、興奮も徐々に冷えて収まっていった。

「アンリ君、何するんですか?
 この子はもっと痛めつけないと大人しくなりませんよ。
 大人としてちゃんと?って躾けないと」
「じゃあ何であんなに楽しそうに戦ってるんですか!
 ボクに穏やかに優しく、子供を護りたいって言ったのは嘘だったんですか!
 超力も全然探偵活動用と違うじゃないですか!
 あのままじゃどっちかが死んでしまいます!」

口論する二人。その声を聴いて人狼は、まあ仲間割れしてるなら放っとくかと待機する。
というかさっき後ろに見えてたの男だったよな?
何で女の声で雌っぽいドラゴンなんだ? と、当たり前の疑問を少し考える。

「それは別に対立しませんよ。ふふっ。
 これが私なんです。
 戦いが好きで、血が好きで。それで自分が生きていると実感できる。
 でも、自分から狂犬のように喧嘩を売ろうとは思っていない。
 子供や冤罪の人々を護りたい、それも嘘偽りない私の心です。
 私の超力も、探偵活動に使えるのも事実、戦闘に使えるのも事実。
 かなりの痛手を負わせても、殺すつもりはありませんでしたよ」

「そんな――――そんなことがあるんですか?
 あんなに楽しそうで、狂ってるように見えたのに。
 貴方は自分を自制出来ているんですか?」

「そうですね。自制は、正直に言うとそこまでできていません。
 そうでなければ、この首輪に書かれたように死刑になんてなっていませんよ。
 それでもどうしても越えたくない一線が私にはある。
 それが、子供を殺したくない。将来を奪いたくない。
 子供に、私のような荒んだ道を歩ませたくはないという気持ちです」

「――――信じていいんですか?」

「これからの言動で、証明します。
 それが守れなかったら、君は私を殺しても構いませんよ」
「そんな……。もう、ボクは信頼しようとした人を殺したくないんですよ。
 ずるいですよ。そんなことは言わないで下さいよ……」


俯く氷龍。
しかし、それは今は彼を信じてみるしかないという肯定の意志でもある。
イグナシオも、狂気に染まった笑みはいつの間にか消えていた。

しかしそれで終わらせてくれないのが、対峙している人狼である。

「うざっ。なにセンチになってんだよ。
 オカマドラゴン野郎、ポコチンも寒さで縮こまって消えちまったか?
 そっちのバトルジャンキーと1対2でもこっちは何も構わないぞ?
 内蔵引っ張り出してぐちゃぐちゃのシワくちゃにしてやるよ。
 ドラゴンのモツはどんな味がするんだろうな?」

イグナシオが挑発に乗らず応答しようとする。
しかし、その前に口を開いたのは氷龍の方だった。

「君は……!
 君はさ。どうしてそこまでして戦って、恩赦ポイントが欲しいんだよ?」

恐る恐るというような問いかけ。
人狼は傲慢さと侮蔑の感情を隠さずに応答する。

「あっ? んなもんこの豚箱から出るために決まってんだろオカマトカゲ」
「そうだろうけどさ……出たら何したいんだよ。何のために出たいんだよ」
「入る前と同じだよ。
 クソ野郎のダチ共のとこに帰って馬鹿やったり気に入らねえ奴殴ったり、クソ面倒だけど面倒みたりすんだよ」

沈黙し、思慕する氷龍。
時間は流れ、やがてしびれを切らしたように人狼がまた挑発をかけようとする。
しかしそこに被せるように、氷龍が先に言葉を発した。

「あのさ……その。それなら。
 ボクの首輪のポイントあげるよ」

空気が固まる発言。意図がわからないイグナシオと人狼。
言葉を続ける氷龍。

「もしもボクが死んだら、ボクの首輪のポイントを君にあげるから。
 もしも殺し合いの最後までボクが生き残ってたら、ボクを殺してポイントにしていいから。
 それでさ、この場は戦うのやめてくれないかな……」

静かな自己犠牲の発言。

しかし、聴いている2人はその発言に流石に突っ込みを入れざるを得ない。

「は? 自殺大国ジャップのメンヘラは考えることが違うな?
 脳味噌まで玉袋みたいに萎んで機能低下したか?」
「アンリ君、そんなに命を粗末にしてはいけないですよ」

「――――ボクは本気です。君の刑期は18年でしょう?
 これで子供が一人助けられるなら、ボクの命は軽いもんですよ。
 フレスノさんも子供を助けたいんでしょう?」

冷たい青黒い目は変えず、憂いを帯びた表情のまま話す氷龍。
しかし、そんなことは周りは受け入れられない。

「それでこの子を本当に助けられるって考えですか? アンリ君」
「なるほどなあ。全然助かるけどね。
 本気だってんならさ、今すぐこの場で死んでポイントになってくれよ。
 余った分でタバコとか酒とか買うからよ、100ポイントさん」
「それはできない。君、ポイント計算せず使っちゃいそうだし。
 それにボクが生きたまま君と共闘したほうが、君が殺し合いの最後まで生き残れる可能性が高くなる」

何言ってんだコイツと、人狼が氷龍に歩み寄り殴ろうとする。
イグナシオはそちらに手を向け、超力の発動を仄めかし牽制。

「アンリ君、本当にこれでいいとお思いですか?」
「じゃあどうすればいいっていうんですか?
 仲間たちの下へ帰りたいってのは人間の自然な感情でしょ?
 ボクにはそんな人たち、もういない。
 それならボクが死んでこの子が恩赦を得るのがいいはずじゃないですか」
「あのですね……」

二人が口論を始めようとする。
それを見ていた人狼。
意味が分からないし、やる気が削がれ呆れだす。

「はあぁぁぁぁ。もうメンドイ。
 このままお前らと戦うのもめんどいし、お前らの話に付き合うのもめんどい。
 誰かを護りたいとか建前にして戦いたいだけのジャンキーと、自殺志願者と来た。
 疲れたし暫く休んでる。
 何かアタシがもっと納得できるような分かり易い話をちゃんと考えて持ってこいよ」

そう言い残し、工場建屋内の少し離れたスペースへ歩んでいった。



 ――――――――




姿が見えなくなってから、イグナシオと氷龍がまた話し出す。

「アンリ君。たぶん分かってないと思うので言いますが、彼女はストリートギャングのリーダーですよ」
「ストリートギャング?
 アメリカのオープンワールドゲームとかに出てくるやつですか?
 あんな小さい女の子が、そんなこと……?」

その発言から、イグナシオは安里の人となりを想像した。
たぶん、世界の中でも治安がまだマシな方の日本の中でも、さらに平和な地域の出身だったんだろう。
犯罪組織の存在なんかを普段意識せずに過ごせる地域は、世界的に見れば存在している。
イグナシオの出身はラテンアメリカであり、生憎とそういう地域ではないのだけれど。

「そのストリートギャングですよ。
 日本も治安は悪化していますが、まだ良いほうですよ。世界的に見れば珍しいものですよ。
 でも福祉支援が人々にいき届かなかったり、充実した生活から溢れてしまう人々がいます」

確かに、高価なシステムAを活用した児童養護施設とか障害者施設なんかも日本には一応ある。
でも、世界がそういう設備を充実できるとは限らない。
行き場のない人々は、暴力する超力や衝動を抑えきれない人々はどうなるのだろう。

「そして、行き場のない子供たちが集まり超力犯罪を幾度となく引き起こした悪名高いストリートギャング"イースターズ"。
 幼い頃から暴力的な獣化の超力を発動し、9歳にしてトップに立ったリーダー。
 人間の姿のときわずかに見えた首回りのバラのタトゥー、そして真紅の人狼に変化する超力から見て間違いないと感じました。
 スプリング・ローズ、それが彼女です」
「スプリング・ローズ……」

安里は、その名前に聞き覚えはなかった。
安里が投獄されたのは三年前。
日本なら裏社会の関係者でもない限り、その頃には耳に入れようがないだろう。

「それを知った上で、どうします?
 彼女がこのまま恩赦を受ければ、前と変わりないように犯罪行為を繰り返していくでしょうね。
 そしてまた同じように逮捕されアビスに収監されてしまうかもしれません。
 18年の刑期は、更生のための期間とすれば妥当とも言えますよ」
「そんな……それならどうすれば……。
 犯罪の道から抜けさせるには、ここで誰も殺さないように説得するには……」

小さい子供の凶悪犯罪者。
安里もアビスの中で自分より小さい子供の犯罪者を見てきてはいた。
しかし、今までは他人と極力関わらないようにしていた。
こうして実際に出会い、どうすればいいか悩むのは初めての経験である。

「フレスノさん。どうすればいいんでしょうか」
「君も良く考えて見てください。
 自分で考えるんですよ。君も子どもから大人になる年齢だ」
「そんな……」



 ――――――――

 ◇

 ――――――――




工場建屋内の片隅。段ボールや発泡スチロールの集積された廃棄物置き場。
スプリング・ローズは人狼の姿のまま横になり目を閉じていた。
体躯は人間の際よりだいぶ大きいが、その寝顔は気を抜いた野生のオオカミのようにどこか可愛らしさも併せ持っていた。

そこに歩みを進めていくのは、青髪に黒マスクの日本人の青年。

やがて距離が近づくと、真紅の人狼が反応した。

「どうしたナヨナヨホモ野郎、何か話はついたか?」
「いや……そういうわけじゃないんだけれど」
「ああ? アタシの話聞いてなかったのか? お子ちゃまか?
 帰ってパパのミルクでも飲んでネンネしてな」

安里は……スプリングからの煽りはほとんど響かなかった。
自分に自尊心がなく、反応して怒るような気分にもなりようがないからだ。
貶されても、まあそうかと思う程度に心が低調なのだ。

一方でその煽りの表現を聴いて。
彼女も子供の頃、性的虐待などを経て孤立せざるを得なかったのか等と思案する。
しかし、あの強靭な狼になれる彼女がそんなことをされてる所は想像できなかった。
実際にないのだろうとは思う。たぶんギャングの仲間とかネットとかで知ったんだろう。
でも性犯罪関連の加害者も、被害の経験もある者も結構いるのがアビスだ。
3年もいれば噂は色々耳にするし、というか自分が加害者ではあるのだから。

「いや話を持って来るにしてもさ、こっちは君のこと全然知らないし。
 少しくらい君から話を聞かないとと思って」
「――気に入らねえこと話したらすぐにでも殺してポイントに変えるぞ、引きこもりジャップのザコが」

とりあえずすぐに追い返されることはないようで、安心する安里。

「あの……本気で、人を殺すこととかに抵抗はないの?」
「別に。普段は殺そうとすると色々めんどいけど、殺しに大きいメリットがあるならやらないわけねえじゃん」
「そうか……本当にギャングなんだ」
「ああ? 今更かよ」

話題を変える安里。

「どうして狼の姿のまま寝てるんだ?」
「……人間に戻る必要がないだろ。
 手を器用に使いたいわけでもねえし、仲間に目線合わせる必要もねえし、ヤクも酒もねえし」

怠そうにスプリングが答える。
最初に見せた可愛らしい少女の姿はどこへ行ってしまったのか。

「もしかして子供の姿の方がいいのかテメエ?
 キモいやつとかお節介やヤツはだいたいそういうこと言うよな。ロリコンかよ?」
「いや違うよ……ボクもドラゴンに変化する超力だし、人間じゃくても全然」

否定せず素直な気持ちを伝える安里。

「薬物とか酒とかやる時は、人間のほうがいいんだ?」
「そうだな。どうもこっちの身体だと効き目が弱くなる。
 ただ一度だけこっちの身体だとどれくらいでラリるのか試したことがあったが、だいぶヤバかったぞ。
 平和ボケのジャップにはわかんねえか」

安里は……それを聞いて一つ気になったことを聴く。
自分の過去の罪に関することだ。

「あのさ……セックスとかするときは、人狼の方と人間の方どっちでやる?」
「は? 気になんのか? まあ場合によるな。
 色々試したよ、セックス系のドラッグも色々やったし。
 噛み付いたりしながらヤると、雄どもが痛がりながら喘いだりしててめちゃくちゃ笑える」
「へえ、やばいねそれ……」

笑った方がいいのかどうか分からず、無表情で返す安里。
日本人のくせに驚かないのか? 可愛そうだとか思うのか?
とか、聞かれるかと思ったけどそんなことはなく。

本当に彼女は他人にどう思われようと気にしないんだろう。
その場の快楽で刹那的に生きながらも、自分らしさを貫いている強い人間なのだ。
そう安里は思い、気が抜けたように。

安里の身体は氷に覆われていき、氷は肥大化していく。
そうして、氷山のようになった氷は割れ、中から白いドラゴンが現れた。

「なんだ? アタシが怖くなったか? オカマ野郎」
「そうかもね」

仰向けのスプリングから少し離れた横、腹ばいの姿勢になる氷龍。
特に深い理由はなかった。単純に人外の存在同士で同じ目線の高さになりたかったのだ。


「君、スプリング・ローズっていうんだって?」
「あ? 知ってんのか?」
「いや、さっきフレスノさん、イグナシオ・フレスノさんに聴いた。
 結構裏社会では有名人だって」
「まあそりゃそうだな」
「ボクは……北鈴安里」
「知らねえよ。覚える気もねえ。
 オカマのドラゴンってのは頭の隅に残りそうで嫌だけどよ」
「まあ、そりゃそうか……」

横になり並ぶ人狼と氷龍。
次に話す言葉が思いつかない。
沈黙が流れてしまう。気まずい。

すると人狼の方が口を開いた。

「お前が近くにいると寒気がすんだよ。
 変態だからか? どっかいってろよ」
「あ、ああ……」

そう言われてしまっては、流石にすごすごと氷龍は退散していく。



 ――――――――

 ◇

 ――――――――



イグナシオの下に戻ってきたのは、男ではなく氷龍だった。
まるで幻想生物動物園だなあ、と考えて少し笑みが出るイグナシオ。

「どうでしたか、アンリ君」
「少し話したんですけど、追い返されちゃいました」

落ち込んだトーンで話す氷龍。

「あの、フレスノさん。
 氷龍になったボクの周りって寒いですか?」
「いえ? 冷気を使ってなければ特には感じませんよ」
「そうですか……」

安里は……悩んでいる。

強い精神を持った彼女。同じ獣化系の能力を持ちながら自分とは全く違う。
憧れすら感じてしまう。
獣化した姿は自分とは違う方向性で、ワイルドさと可愛らしさと気品が全て備わっていて綺麗なのだ。

そう、強いままの彼女でいてほしいと思う。
でも、犯罪をしてほしくないとも思う。

ボクは彼女にどうなってほしいのだろう?
そもそもそれを考えること自体が危険ではないのか?

だって自分の勝手な理想が肥大化しすぎた結果、感情をどうしても抑えきれなくて。
ずっと心で後悔し続けているあの結果を、殺人事件を起こしてしまったのだから。
もうあんなことは絶対に起こしたくない。
でも、また自分の心が悲しみや怒りで化け物になってしまう可能性があることを、自分は完全に否定できない気がする。
自分で自分が怖すぎる。
どうすればいいのか。
自分に自信がないから、他人を思いやれない。


「フレスノさん。
 どうすれば、越えたくない一線を作れるんですか。
 どうすれば、それを越えずに済むんですか」

答えは期待していなかった。
イグナシオは精神の専門家ではないのだから。
カウンセリングとか精神の薬などを活用して徐々に衝動に耐性を付けるのが、本来の治療方法なんだろう。
それは何となく頭で理解している。

「そうですね。確かに私にもわかりません。
 でも、この殺し合いにおいては。
 さっき君が私を止めようとしてくれたように。
 君が暴走してしまったら私が止める。
 それで充分ではないでしょうか」
「そうですね……ありがとうございます、フレスノさん。でも……」

「いえ、充分私は強いですよ。きっと貴方も止められます。
 といか全力の貴方とぶちのめして戦意を失わせるのも、一度やってみたかったるするんですよ。ふふっ。
 いえ、戦わないに越したことはないですけどね」
「笑えないなあ……」



 ――――――――

 ◇

 ――――――――




刑務作業が始まる前のある日。

アビス内の一室。
時間をごくごく限って利用できる、遊具などが置かれた部屋。

細めで身長が高く整った容姿、青黒い髪に赤いメッシュの髪。赤い眼。
囚人服を着たイグナシオ。
しゃがんで姿勢を低くしている。

それに対峙して話しかけているのは、小柄で可愛らしい緑の毛皮の犬型獣人。
セラピードッグという珍しい役目でアビスに勤めている刑務官、王磊福だった。

「ボクは、何が正しいのか分かりません。
 精神も身体も、何年も経っても子供のままだから。
 それでもいろんなことを考えてしまいます」

「優しいところがある人でも、大きな罪を犯しているなら。
 その罰として……死刑があるっていうのはしょうがないことだと思います。
 ボクのご主人も、フレスノさんが来る前に死刑が行われました。
 二度と会えないのは悲しいけど。でも、仕方ありませんよね」

「ボクよりちょっと大きいくらいだったり、小さいくらいだったりする子供もアビスには結構います。
 そんな子供をこんなところに閉じ込めてしてしまうのは……ちょっと考えると嫌な気分になることもあります。
 でも、ボクにできるのはそういうみんなの遊び相手になることくらいですし、それを全うしたいです」

「冤罪を訴えている人もいっぱいいます。それが本当かどうかはわかりません。
 看守のボクがどうこう言っていいことでもないと思います」

「でも、もしかしたら何か新しい証拠が見つかるかも。真犯人が後で見つかるかも。
 その気持ちを応援はできないけれど、でも苦しい気持ちを癒すことが出来たら。
 それがボクの生きがいです」

一方的な独白。
しかし目線は、イグナシオの方以外にもふらふらと。
部屋内の何もないある一点を、チラチラ見やるようにしていた。

そうして、犬獣人は去っていき、入れ替わりに入ってくるのはまた個性的な刑務官。
全体的に白を基調として、球や円筒で構成された姿。
看守官補佐として用意された人型ロボット、AG-1(アビス・ガーディアン1号)。

「フレスノさん。
 少しそのウデのシステムAをチョウセイしたいのですが。
 前にシケイになった人からのリュウヨウですし、劣化が見られるカノウセイがあります」

と告げて、器用にも道具を使い腕のシステムAを外していく。
AG-1にはシステムAを外した囚人も制御できるよう、触れている相手の超力を弱体化できる「マイナスシステム」が搭載されている。
超力を完全に無効化は出来ず、ある程度は使用できてしまうのだが。

イグナシオは……システムAの調整中に。
磊福の見つめていたあたりに手をかざし、周りに見られないように超力を発動した。
マイナスシステムの影響下でも手のひら大程度の範囲なら、過去の様子を再現することは可能だった。


"もうすぐ、とある「ケイムサギョウ」が行われます。
 くわしくはわかりません。
 でも、さんかする囚人がたくさん死ぬかもしれないらしいです。
 ボクは、アタマも良くないし何が正しいのかはよくわからないけれど。
 小さい子供や、エンザイをうったえてる人がそんなことで死ぬのはさすがにまちがってると思います。
 どうか、そういう人を死なせないでください。守ってあげてください。"


浮かび上がるのは、一つのメッセージ。
子供が使うホワイトボード的な遊具に描かれていた。

再生する時刻を遅らせる。
すると、次に浮かび上がるのはロボットのプロジェクターで投影されたような文字。


"私も、人が死ぬ可能性のある作業はおかしいのではと考えます。
 どれだけ愚かで更生の余地のなさそうな犯罪者にも、人権はある。
 不完全でこそありますが、それが人間の作った法律のはずではないですか。
 粛々と死刑にされるべきだったり、一生収監されるべきだったり、将来釈放されるべきだったりするはずです。
 何かの意図で刑務作業で死なせること自体、変ではないですか。
 人道に反してはいませんか。"

"私はこの刑務作業について、密かに裏を調べたいと思っています。
 元探偵の貴方にも、刑務作業の会場で調査活動をして頂けると助かります。
 手がかりもない状態で無理を言っているのはわかります。
 正直に言うと、殺人犯で死刑囚の貴方に頼むこともおかしいのではと考えてもいます。
 それでも、磊福さんは貴方が優しい人だと言います。それを信じました。
 どうか、お願いします。
 私は人類全体が愚かだとは、まだ真剣に考えたくはないのです。"



なるほど。直接このことを囚人に伝えたら、それは看守の規則に違反してしまう。
あくまで自分が超力をうまく使って、勝手に気がついたということにしたいわけかと納得するイグナシオ。

頼みを引き受ける義理は全くない。
自分は、戦闘欲求のままやり過ぎて相手を殺してしまうこともある男だ。
冤罪を訴えている相手だからといって、恩赦を狙って他人を襲うことはありうる。
それを殺さずに無力化して、しかも守るというのは殺すよりもきっと難しい。

それでも。
子供のままの精神を余儀なくされた男の子。
製造されてから日の浅い、少し危うく純粋なロボット。
彼らの理想論に過ぎない現実のわかってない願い。
幾らでも現実を分からせるように、厳しく指摘することはできる。

それでも。
完全に無碍にするという気分にもならなかった。
できる範囲で、引き受けようと思った。

今までの人生。他人の過去を掘り返す能力なんて嫌われて当然だ。
でもそういう能力なんだから仕方ない。
でも今この二人からもらった、信頼という気持ちは少し暖かかった。



 ――――――――

 ◇

 ――――――――



アンリ君にはあんなこと言いましたが。
自分も薄々、この殺し合いが死に場所ではないかと思っているんですよ。
もともと血塗られた人生を歩んで、戦いの中で死ぬものだと思ってたのですから。
生き延びてしまった以上、他人の為に使うのも良いでしょう。

別に自分は生き残らなくてもいい。
誰かを助けられれば。
調査で分かったことを誰かに託せれば。


自分のニックネーム。イグナシオの短縮形でナチョと呼ばれることも昔はありました。
でも、嫌われ者となり荒れた生活で親しい人間はほとんど去って。

探偵さんや、フレスノさんと呼ばれるか、あるいはいつの間にか付いていた呼び名"デザーストレ"。


"Desastre(災害)"


屍になる前に、この刑務作業の裏で何かを企んでいる奴らへの。
想定外の"災害"になるのも、悪くはないでしょう。

【G-1/工業地帯/一日目 深夜】
【スプリング・ローズ】
[状態]:疲労(小)、脚に僅かな熱傷、腹に軽い打撲(自然治癒中)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.ポイントを貯めて恩赦を獲得する。
1.疲れたので少し休む。
2.タバコや酒が欲しい。ヤクはないのか?


【イグナシオ・"デザーストレ"・フレスノ】
[状態]:疲労(小)、腕に軽い傷
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.子供や、冤罪を訴える人々を護る。刑務作業の目的について調査する。
1.スプリングに対処する。
2.首輪には盗聴器があるだろう。調査について二人に話していいものか。
3.自分の死に場所はこの殺し合いかもしれない。


【北鈴 安理】
[状態]:健康
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.自分の罪滅ぼしになる行動がしたい。
1.イグナシオの方針に従う。
2.スプリングに対処する。
3.本当に恩赦が必要な人間がいるなら、最後に殺されてポイントを渡してもいい。


022.ハイイロノヨル 投下順で読む 024.深淵
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PRISON WORK START スプリング・ローズ ランブルフィッシュ
PRISON WORK START イグナシオ・"デザーストレ"・フレスノ
PRISON WORK START 北鈴 安理

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最終更新:2025年05月25日 13:49