東の空が、わずかに朱を含んでいた。
闇を押し返すように、冷たい光が地平を撫で、草の一つひとつを薄明の中に浮かび上がらせていく。
夜の名残をまとった草原に、ようやく新しい朝が訪れようとしていた。
鳥の囀りの聞こえぬ静寂の世界。
草葉は夜露を宿し、踏みしめれば靴底にじわりと水気が染みこむ。
低く垂れ込めていた霧が、白んでいく空に溶け込むたび、夜と朝の境界がゆるやかに融けていく。
緩やかな風が吹きぬけ、草が揺れ、朝露が空に舞う。
それは、夜を越えた世界が静かに動き出す、わずかな合図だった。
その草原を、二人の男が並んで歩いていた。
ディビット・マルティーニとエネリット・サンス・ハルトナ。
彼らは氷月蓮と別れた橋付近から、中心部の「ブラックペンタゴン」を目指していた。
水場よりも先に、標的を探す。それが彼らのとった方針だった。
確かに、水場を巡る争いは避けられないだろう。
だが、それが本格化するのは、夕暮れから夜にかけての後半戦。
水筒のような水の保存手段もない今、先に水場を確保したところで利は少ない。
それならば、今は人が集まりやすい場所を抑えて首輪を狙った方が得策だと結論づけた。
二人が進むのは、岩山の北側に沿って広がる草原地帯。
夜に踏破しいた鬱蒼とした森とは違い、開けた空間は風通しも良く視界も広い。
だがその分、隠れ場所の少ないこの地では、遠距離攻撃に晒されるリスクも跳ね上がる。
だからこそ、警戒を怠るわけにはいかなかった。
先頭を歩くディビットは超力を発動し、自身の観察力を4倍に引き上げていた。
草のしなり、風の抜け道、遠くに見える岩肌の凹凸。
その全てを精密に捉える鋭利な視線が、僅かな違和感を探し続けている。
その代償として、聴力は著しく鈍っている。
風のささやきも、鳥の羽ばたきも届かない。だが、この瞬間において必要なのは音ではない。
ふと、ディビットが足を止めた。
射抜く様に鋭く視線を細める。
「……妙だな」
その低い呟きに、後ろを歩いていたエネリットが足を止める。
即座に空気を読み取り、周囲を警戒するように視線を巡らせた。
一見して変わった様子はない。
朝露に濡れた草が風に揺れ、空気は清浄で、曙光に照らされた地平が静かに広がっている。
だが、ディビットは眉をひそめ、岩山の方向を見上げた。
「見ろ。あそこだ」
ディビットが指し示した先、岩山の稜線へ続く斜面をエネリットが見上げる。
そこに、不自然な空間があった。
よく見れば朝靄の流れが断ち切られている。
風に煽られるはずの砂粒が、ふわりと宙に浮かび、静止している。
小石が傾斜を転がることなく、地面から数センチの空中で、まるで時間が止まったように留まっていた。
それは、目を凝らさなければ見逃してしまうほどの静かな異常。
視覚的な歪みもなければ、結界のような境界も存在しない。
ただ物理法則だけが、何かの意志に切り取られたように消失していた。
「明らかに境界がおかしい。恐らく、領域型の超力だ」
ディビットは超力を一旦解除し、聴力を回復させた上で静かに推測を述べた。
その言葉に、エネリットが何かを考えるように眉をひそめる。
「……ディビットさん。山頂の方を確認できますか? 使い手がいるはずだ」
ディビットは軽く頷き、再び超力を発動する。
4倍化された8.0の視力で、朝焼けに霞む山頂を見上げる。
そこには、確かに人影があった。
「人がいる、いや……浮いているな。体格はかなり小柄だ……少女か?」
重力から解き放たれたように、空中にたゆたう小さな影。
輪郭は小柄で、どう見ても子供。
長い金糸のような髪が宙に漂い、胎児のように丸まった姿勢で、静かに眠っていた。
その言葉に、エネリットは瞳を細めた。
「……ディビットさん。寄り道なりますが、少し確認しにいってもいいですか?」
「どういうつもりだ?」
この状況での接近は、無用なリスクだ。
領域型の超力者がいるという時点で、危険性は確実に高い。
「ちょっとした心当たりと懸念があります。ダメでしょうか?」
ディビットはしばし無言のままエネリットを見つめる。
その目には警戒があったが、やがて静かに息を吐いた。
「……考えがあるんだな?」
無言のまま、エネリットは頷きを返した。
「いいだろう。だが深入りはするな。戻れなくなったら元も子もない」
その了承を受け、エネリットは軽く一礼すると、岩山へと足を向けた。
草露を蹴って走り出すその背中に、ディビットは一瞬だけ視線を送る。
再び視力を強化し、浮かぶ少女の姿を睨んだ。
あれは偶然そこにいただけなのか。
それとも、何かの罠なのか。
新たな危機の予感が、静かに、確実に、夜明けの空に広がりつつあった。
■
近づいてみれば、その異常ははっきりと輪郭を持っていた。
視覚的な境界線は見えない。
だが、視界の悪い夜ならいざ知らず、朝日に照らされてよくわかる。
その足元に広がる現象は『向こう側』と『こちら側』で明確に世界が違っていた。
風が吹いても草は揺れず、朝靄は一定の高さから内側へと入り込まない。
重力を忘れたように、砂粒や小石が宙に浮かび、ぴたりと静止している。
まるで透明な水槽にでも仕切られているような、自然法則の断絶。
「ゆっくりながら領域が広がってますね……ディビットさん頂上の人影と領域の端までの距離は分かりますか?」
問われディビットが強化された認識力で目算を取る。
「そうだな……直線距離で500mと言ったところか」
「領域の拡大速度は1秒ごとにおおよそ3cm程ですね。1時間で約100mほど領域が拡大していると言う事になります」
ディビットが距離を測っている間に、エネリットも領域の拡大速度を計測していたようだ。
このまま進めば刑務作業終了時には半径2㎞以上の巨大領域になっていると言う計算になる。
「それで? どうするつもりだ?」
広がり続ける境界の寸前に立ち。
調査を要求した少年にディビットが問いかける。
「僕が直接、中に入って調べてみます。ディビットさんには命綱の役割をお願したいのですが」
エネリットは迷いなく言った。
自らリスクの中に飛び込んでいくことが当然であるかのような発言に、ディビットは眉間に皺を寄せた。
「気をつけろ。異常な領域だ。深く入りすぎるな」
エネリットは頷き、軽く息を吐いた後、目を閉じて集中する。
次の瞬間、彼の髪が静かに蠢きはじめた。
アビスの看守官――マーガレット・ステインの超力『鉄の女(アイアン・ラプンツェル)』。
エネリットが徴収したその力により、彼の黒髪は命ある鋼の糸のようにするすると伸び、一本の丈夫なロープと化す。
エネリットはその伸ばした髪の端をディビットへと預けた。
ディビットは領域の外に立ったまま、じっと険しい視線でその命綱を握りしめる。
「何か異変があれば即座に引き戻す。いいな?」
ディビットの言葉に、エネリットは再び静かに頷く。
そして、ゆっくりとエネリットが前に踏み出し、領域の境界を越えた。
境界の向こうに一歩踏み込んだ瞬間、彼の身体は宙に浮き上がった。
何の前触れもなく、浮遊感が全身を包む。
足元の踏み応えが消え、膝から下が重力の軛を失ったように宙に持ち上がる。
浮遊感に襲われつつも、エネリットは慌てることなく冷静に状況を観察する。
領域内部は、明らかに物理法則が乱れていた。
草は下ではなく横に向けて伸び、小石が弾丸のように散乱する。
宙に浮いた砂粒は微動だにせず宙に固定されている。
全てのものが、違う意思を持ったかのように、元あるべき法則から逸脱していた。
エネリットは、慎重に右腕を持ち上げようと試みる。
しかし、反応したのは左足だった。
指を動かすと、瞼が開閉する。脚を伸ばそうとすると、頭が僅かに横に傾く。
この領域では、体の各部位の制御が完全に入れ替わってしまっているようだった。
この異界常識に対して、エネリットはまるで知っていたかのような落ち着きようである。
エネリットは集中を深め、ひとつずつ、動作と反応を試しながら少しずつ身体の法則を理解していく。
試行錯誤を繰り返すうちに、徐々にぎこちないながらも身体の動きが制御可能になり始める。
そうして、ようやく呼吸を整え直し、状況を正確に観察しようとした――その時だった。
突如、視界の端に巨大な影が現れた。
空中で静止していた巨大な岩塊が、唐突に火山弾のようにエネリット目掛けて急激に動き出したのだ。
物理法則の乱れの中でも、その動きは異様なほど俊敏だった。
エネリットは咄嗟に『鉄の女』を操作し火山弾を弾こうとするが、超力の操作が覚束ず、まるで間に合わない。
岩塊は、確かな殺意を帯びて真正面からエネリットに襲いかかった。
「チッ……!」
領域外からその光景を凝視していたディビットが舌打ちをして、鋼の髪を力強く引き寄せた。
エネリットの身体が瞬間的に宙を走り、境界線を越え、外へと引き戻される。
岩塊は領域の外にまでは追いかけてこず、その寸前で空中に止まり、そのまま静止するとまたふわふわと風船みたいに宙に浮かんでいった。
「無茶をするなと、言ったはずだが」
「こほっ……すみません。ありがとうございます」
直後、鋭い視線のディビットが彼を睨みつける。
エネリットは岩肌に叩きつけられるように着地し、軽く咳き込みながら呼吸を整えた。
「それで、何が確認できたんだ?」
ディビットが鋭く成果を問う。
エネリットは呼吸を整えながら、静かに顔を上げた。
「あの領域の主は、メアリーちゃんで間違いないようですね」
「メアリー……メアリー・エバンスか」
ディビットの眉間の皺が僅かに深まる。
その名はディビットも知っている。アビスに収容された危険指定児童。
世界に七人しか存在しない空間対象型の常時発動型超力者であり、世界を改変する異端児。
「知った風な口ぶりだが、どういう関係だ?」
「お互いアビス育ちですから。それなりに、ですね」
物心つくよりも前にアビスへ収監され、外の世界を知らずに育ってきた『生まれながらの囚人』。
彼らは罪を犯したのではなく、存在そのものが罪とされた者たちだった。
己を含んだその境遇をエネリットは何の感傷もなくただ事実として語る。
「ディビットさん。アビスでの彼女の身柄がどう収容されてるか、ご存知ですか?」
「いいや。知らないな」
「彼女は直接システムAの枷を取り付けるのではなく、システムAの壁で取り囲まれた部屋に幽閉されています。
僕たちがあの超力空間の中で生きていけないように、超力のない彼女はこの現実世界では生きられない。
だから彼女を生かして管理するには、常に超力を維持させ続ける必要があるんです」
「ふん。世界に慣らしてやらねば、それこそ生きていけないだろうに」
ディビットがつまらなそうな口調で吐き捨てる。
だがその感情の矛先は少女ではなく、その管理体制そのものに向けられているようでもあった。
「ケンザキ刑務官が赴任してからは幾分と状況が改善されたようですが、以前の彼女の『お世話』は相当に大変だったと聞いています」
それこそ食事一つ与えるのに死者が出かねない状況だったと聞く。
その過酷さに職を辞した職員も少なからずいたようだ。
「涙ながらの苦労話だな。それで? 結局何が言いたいんだお前?
同じ境遇で苦労をしてきた相手だから殺したくないとでもいうつもりか?」
脅しつけるような低い声。
そのような甘さを見せるのなら即座に関係と共に命を断ち切るという凄みが含まれていた。
だが、エネリットは首を振る。
「まさか。本題はここからですよ」
アビスで価値観を育んだアビスの申し子。
殺したくないなんてそんなまともな感情があるはずもない。
一拍置き、表情を引き締めて告げる。
「僕は、一度だけ彼女の幽閉区域に忍び込んだことがあります」
「…………何?」
話の核心を告げる。
子供のいたずらのように語られるが、アビスで他者の独房に忍び込むなどそう簡単にできる話ではない。
「その時に彼女の超力を味わったことがあります。
ですが、今しがた体験した空間は、当時とは明らかに性質が変質していました」
体験と体感を基にしたエネリットの報告にディビットの目が鋭く細まる。
「どう違った?」
「基本構造は変わっていません。重力や感覚、運動機能の『世界の法則』が塗り替えられている点は同じです。
ただ、その改変が以前よりずっと攻撃的になっているよう感じられました」
エネリットは少し言葉を選ぶようにして、続けた。
「そうですね……以前の世界は、なんというか別の法則で動いていて、ただ『生きづらい』だけでした。
今回は『殺しにくる』空間です。まるで、異物の侵入を許さないような排斥の意志を感じました」
エネリットの言葉に、ディビットが真剣な眼差しで耳を傾ける。
「それに、以前の僕は彼女の世界で1時間掛けても指一本まともに動かせませんでした。
でも今回はものの数分である程度は身体の操作が出来るようになった。
一度経験していることを差し引いても、明らかに身体操作の難易度が下がっています」
前回は指先一本どころか表情筋一つの操作すら別のところにつながっていたが、今回はその配線がだいぶ大雑把にまとめられていた。
コツをつかめば無重力空間でも動くこと自体は可能だろう。
「ただ、その代わりと言っては何ですが、明確に難易度が上がっているものがありました」
「それは何だ?」
「――――超力の操作です」
ディビットの問いにエネリットが答える。
「あの岩塊が襲ってきた瞬間、僕は『鉄の女』を操作して対応しようとしましたが、ですがまるで操作が出来なかった。
これは初めて彼女の世界に触れた時に感じた身体操作の混乱に近い感覚でした、度合いで言えばそれ以上かもしれません。
おそらく、あの世界は対超力を強く意識した方向に改変されています」
エネリットの説明に、考え込むようにディビットが腕を組む。
そして静かに問い返した。
「それは意図的な変化だと思うか?」
「わかりません。超力が精神状態や成長によって変質する事例はない話ではない。
ですが、あそこまで急激に攻撃的に変質したとなると……メアリーちゃん、ぐれちゃったのかな?」
何気ない様子で疑問を呟く。
ディビットはそれには取り合わず、追及を続ける。
「だが、外から持ち込んだ髪は問題なかった。つまり、外部から発動して持ち込んだ力なら通る、そういうことか?」
「そうですね。領域内での発動が阻害されるだけで、既に発動した超力の効果そのものまでは打ち消されていませんでした」
内側からは超力を封じ、外からの状態は維持される。
中に入ってから力を使おうとしても遅い。
「どう攻略するか。対抗策はあるのか?」
「正攻法なら、やはり超力の無効化ですね」
「無効化系の超力者を使うってことか」
ディビットは腕を組みながら視線を落とす。
その手の超力者はレアではあるがそこまで珍しいものではない。
今この刑務作業に参加している者の中にいる可能性もあるだろう。
「それも一案ではありますが、最も有効なのは、メアリーちゃん自身の超力を無効化することです。それだけで彼女は完全に無力化できます」
超力という海がなくなってしまえばメアリーは地上に打ち上げられた魚のように、生きていけなくなる。
「だが、システムAでも使わなきゃ無効化は難しい話だろう……いや、そうか」
ディビットは目を細める。
思い当たる節があった。
「お前の超力が、疑似的なシステムAになる、だったか」
氷月に対して説明したように、エネリットの超力は疑似的なシステムAとして機能する。
「それは双方の同意を得て譲渡をした場合ですね。
一応強制的に徴収もできますが、その場合効果は半減にとどまりますし、使用にも一定以上の好感度というか信頼関係が必要となります」
「はっ。なるほどな。遠くから手でも振ってガキをあやしてみるか?」
皮肉を交えてディビットが笑い飛ばす。
殺すために好感度を稼ぐというのもなかなかに倒錯している。
何より、現実的ではないだろう。
「無効化という意味では、領域型同氏をぶつける、という方法もありますが」
「領域型同士の干渉か。だが、強度で勝る力がなきゃ打ち消せんだろう」
「そうですね……単独ではおそらく無理でしょう。メアリーちゃんの領域強度は、下手をすれば世界有数ですから。
何らかの強化(バフ)を得て強度を高めるか、複数の領域を同時にぶつけるかすればあるいは……と言ったところですね」
圧倒的な支配力を誇る彼女の超力に、まともにぶつかって勝てる領域型などそうそういるものではない。
もとより領域型の超力は貴重だ、複数名そろえるというのも難しいだろう。
「中で発動できないのなら、範囲外からの遠距離攻撃は有効なんじゃないのか?」
ディビットが超力を発動できる外からの攻撃を提案する。
「それも厳しいでしょうね、彼女の領域は、物理的な干渉を内部で歪める性質がある。
半端な攻撃では放ったところで弾道も、熱も、空間も、破滅的な世界の環境に全て潰されてしまう。
それこそ音に聞くネイ・ローマン級の超力であれば届くとは思いますが」
「どうだろうな、奴が恨みもない幼子相手に強い敵意や殺意を抱けるとは思えんが。そうなると、遠距離攻撃での攻略は難しいか」
ディビットは短く吐き捨てるように言った。
「けれど、メアリーちゃんがこの場に転移されている以上、ケンザキ刑務官の超力は通っていると言う事です。
ならば、外部から攻撃を放つのではなく、直接対象を指定する『他対象』の超力であれば通るはずだ」
物理現象を発生させるのではなく、直接的に対象に発動する超力。
そういった使い手であればメアリー・エバンスの世界を超えられる。
「直接は無理でも、外から間接的に干渉するのはどうだ?」
「間接的というのは、どういう方法でしょう?」
「さっきお前が突入した時のように外部と内部を繋ぐ導線を使って、外から内部の人間を遠隔操作するってのはどうだ?」
中の人間がどれだけ自由を奪われていても、自由を維持している外の人間が突入した人間を操り人形のように操作すればいい。
「いやぁ……さすがにそれはどうかと。それにこの髪は8メートルほどしか伸びないので、いずれにせよ届きませんよ」
目算で山頂のメアリーとは数百メートルは離れている。
借り受けた『鉄の女』ではまるで足りない。
「結局は、攻略のためには内部に突入するしかないと言う事か」
「そういうことになりますね」
最終的にはもっとも原始的な結論に帰結する。
「ただ、以前と違って身体操作が容易になったというのは大きい。
体の動かし方を学んでしまえば、あとは中で起きる現象にすべて対応できる身体能力があれば攻略は可能だ。
それこそ、対応力を倍加したディビットさんなら攻略可能なのでは?」
「ふん。無重力でさえなければな」
ディビットの言葉にエネリットも苦笑する。
仮に自由に体を動かせるようになったとしても、重力が歪んだ世界ではまとも動くことはできないだろう。
何より、ディビットの強みは状況に応じて長所を切り替えられる点だが、空間内ではその強みも封じされる。
可能性はあるにしても、リスクが大きすぎる。
「……手詰まりか」
案を出し合ったがこれといった有効打は浮かばなかった。
いくつかの攻略法はあるにはあったが、現時点ではまともに運用できる方策はない。
今すぐできるのは一か八かの特効だけだが、そこまでのリスクを冒すにはまだ早い。
「そのようですね。今は打つ手がなさそうだ。
できれば今のうちに処理をしておきたい案件ではあったのですが」
エネリットは真剣味を帯びた表情でそう呟く。
「何故だ?」
その表情に微かに不穏なものを感じ取り、ディビットが目を細めた。
エネリットは短く答えた。
「――――朝が来たからですよ」
■
──山頂。
空はわずかに白み始め、東の稜線が冷たい金色に染まっていく。
その光を背に、岩山の頂に浮かぶ一つの影――メアリー・エバンスは、宙に身を委ねたまま眠っていた。
胎児のように膝を抱え、小さな身体を丸めて。まるで、世界そのものが揺り籠になったかのように。
やがて、彼女の指先がかすかに動く。
何の前触れもないその微動に、空中を漂っていた石片たちが軌道を変えた。
別の法則。別の重力。
その命に導かれるように、ゆっくりと静かに、物理が歪みを始める。
睫毛が、微かに震えた。
夢の奥底にある何かが、現実という薄膜を突き破り、染み出してくる。
空気が鳴ることもなく、何かが動き始めていた。
■
「朝が来れば、彼女が目覚めます」
世界の危機でも伝える深刻さでエネリットは静かに呟いた。
■
光が差し込む。
朝陽が、まだ温度を持たぬ鋭い刃のようにメアリーを照らした。
その眩しさに誘われるように、彼女の瞼が開かれる。
深く、限りなく透き通った、未明の空のような青い瞳。
彼女だけが見ていた夢の続きが、確かに瞳の奥に広がっていた。
メアリーは言葉を発しない。
ただ、指先をゆっくりと空に伸ばす。
まるで、夢を引き寄せるように。現実へと連れてこようとするように。
その動きと同時に空間の重力がねじれる。
遠く離れた草原の端で、小石がふわりと浮いた。
引力が、圧力が、方向が、意味を失いはじめる。
■
「……目覚めてしまえば、動くんですよ、彼女は」
観念めいた声で、エネリットは当たり前の言葉を継いだ。
■
そして―――メアリーが、もう一度瞳を瞬かせる。
そのまばたきが、古き世界の夜を終わらせた。
微睡みの続きをそのまま引きずるように、彼女の身体が空中でゆっくりと回転する。
くるりと円を描き、やがてり、無重力の中で少女が起立する。
足は地についていない。そもそも、彼女の世界に地面など存在しないのだから。
そして大きくあくびを一つ。
メアリーは、ゆっくりと顔を上げた。
その青い瞳に、まだ誰も知らない物語が浮かんでいる。
現実は少女の夢に侵食される。
無垢で、優しく、凶暴で、理不尽な、少女の世界が動き始めた。
■
「――――――新世界(じごく)を引き連れて」
【E-6/岩山中腹/1日目・早朝】
【エネリット・サンス・ハルトナ】
[状態]:鼻と胸に傷、衝撃波での身体的ダメージ(小)
[道具]:デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.復讐を成し遂げる
1.標的を探す
2.ディビットの信頼を得る
※刑務官『マーガレット・ステイン』の超力『鉄の女』が【徴収】により使用可能です
現在の信頼度は80%であるため40%の再現率となります。【徴収】が対象に発覚した場合、信頼度の変動がある可能性があります。
【ディビット・マルティーニ】
[状態]:苛立ち
[道具]:デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.恩赦Pを稼ぐ
1.恩赦Pを獲得してタバコを買いたい
2.エネリットの取引は受けるが、警戒は忘れない。とはいえ少しは信頼が増した。
3.ルーサー・キングを殺す、その為の準備を進める
【F-6/岩山頂上/1日目・早朝】
【メアリー・エバンス】
[状態]:目覚めた、少しご機嫌斜め
[道具]:内藤麻衣の首輪(未使用)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.不明
※『幻想介入/回帰令(システムハック/コールヘヴン)』の影響により『不思議で無垢な少女の世界(ドリーム・ランド)』が改変されました。
より攻撃的な現象の発生する世界になりました。領域の範囲が拡大し続けています。
※麻衣の首輪を並木のものと勘違いして握っています
※メアリーがありすに助けを呼んだその時に、何が起こるかはご想像にお任せします
最終更新:2025年05月06日 22:01