見上げると、そこに天井はなかった。
淡く白みはじめた空が、ぼんやりと広がっているだけだった。
どれほど意識を失っていたのかはわからない。
まぶたは重く、耳の奥に微かな痺れが残っている。
喉はひどく乾き、こめかみは鈍く疼いていた。顎に走る鮮明な衝撃の記憶。
それでも身体には、不思議と冷たさも熱さも感じられなかった。
それが、生きていることを何よりも実感させ、ここが天国でも地獄でもないと気付かせた。
「……ん、あ……」
小さく呻きながら上体を起こそうとした瞬間、そっと肩に手が触れて、それを制した。
その手は静かで、優しく温かかった。
「……まだ無理はしないで。目は……ちゃんと開けられますか?」
穏やかな声で静かに語りかけてくるのはイグナシオだった。
いつものように柔らかな声。けれど今はそれに、どこか誇らしげな響きが混じっていた。
徐々に視界が定まり、世界が輪郭を取り戻していく。
まだここは大金卸樹魂と戦った工業地帯。
海辺に近い、ひび割れた舗装と歪んだ鉄骨の陰。潮風が、壊れたものの隙間を吹き抜けて唸っていた。
「フレスノさん……ボクは……」
「ええ。貴方は、自分の意思で、ちゃんと戦いましたよ」
その言葉を聞いた瞬間、安里の中に記憶が一気に押し寄せた。
圧倒的だった漢女の気配。足が竦むほどの恐怖。
それでも、自分の足で踏み出した一歩。
そして、渾身の尾撃を放った、その先で途切れた意識。
「……勝負は、どうなったんでしょうか」
そう問うた声は震えていた。
けれど、それ以上に知りたかった。
「勝敗だけで言えば、君の完敗です」
イグナシオははっきりと告げたが、すぐに穏やかに笑みを浮かべる。
それは戦いを終えた者同士に向けられる、敬意に満ちた微笑だった。
「けれど君の一撃は……彼女の胸に、確かに届いた。これは、間違いなく大きな一歩です」
あの、大金卸樹魂の胸元に。
たった一撃とはいえ、確かに傷を与えた。
それは、冗談では済まされない偉業だった。
「そして何より……君は、自分に勝った。
それが一番、素晴らしいことですよ」
顎を押さえながら、安里はゆっくりとうなずく。
その目に映る空は、もうすっかり白みはじめていた。
昨日よりも、ほんの少し。世界が澄んで見えた。
「それから、樹魂さんからの伝言です──『強くなれ』と」
それは短く、けれど深く、胸に刻まれる言葉だった。
「強く……」
思わず握りしめた拳が、微かに震えていた。
何もかもが曖昧だった自分が掴みたくて仕方なかった、何か確かなもの。
その一端を、ついに手にしたような気がした。
「もう大丈夫です……行きましょう、フレスノさん。時間が惜しいです」
「! ……ああ」
足元はまだふらつく。
けれどその声は、はっきりと前を見据えていた。
もう少しだけ、強くなれる。
そんな確かな予感が、安里の胸に静かに灯りはじめていた。
その姿を、イグナシオは複雑な眼差しで見つめていた。
■
工業地帯の片隅から、二人は静かに歩き出した。
足取りは慎重で、砂利を踏む音すら立てぬように。
イグナシオが落ちていた鉄片を避けるようにしかめ面をすると、安里もまた、その動きを真似て、足元を一つ一つ選ぶように進む。
夜は明けていたが、朝霧はまだ濃く、ひんやりとした湿気が周囲にまとわりついていた。
頬を撫でる風すらも湿り気を帯び、肺の奥まで冷たさを連れてくる。
目指すはスプリング・ローズの行方と、何者かの痕跡が重なったF-2方面。
どちらの後を追うかを決断するのは痕跡の行く末が分かれてからでも遅くはない。
そこに居たいるために、2人は旧工業道路を北へ辿っていた。
舗装が剥がれた路面には、無数のタイヤ痕とひび割れた痕跡が刻まれていた。
アスファルトの裂け目には、自然に取り残された雑草が這うように根を張っている。
かつて人の手で作られた空間が、ゆっくりと自然に呑まれていく様は、どこか不気味ですらあった。
その風景の中を歩く二人の足音は、まるで異物のように場違いで静寂の中に、不安なリズムを刻んでいた。
「……この島の過去に、何があったんでしょうね」
ふと漏らした安里の呟きに、イグナシオは目を向けず、答えた。
「それを、今から確かめに行くんです。できる限り、ね」
システムAの様な特殊な妨害機構か、それとももっと別の理由か。
この島には彼の超力をもってしても再現できない過去(なにか)がある。
それが謎である以上、探偵であるイグナシオにとってそれを解き明かす事こそ譲れぬ一線だった。
足取りはゆっくりと、だが確実に痕跡をなぞってゆく。
そして、坂道を越えて視界が開けた、そのときだった。
腹の底に響くような振動が、地面を伝って鼓膜を揺らした。
金属が裂ける甲高い悲鳴。コンクリートが砕ける重く湿った音。
続いて、風を巻き込むような唸り声のような残響。
一瞬、安里の鼓動が跳ねた。
思わず立ち止まり、周囲を見回す。
「今の音は……?」
「……あちらからのようだ」
イグナシオが声を抑えながら鋭く目を細めた。
常人には聞き分けられぬ残響の層を、彼の耳は的確に拾っていた。
それは戦場に身を置いてきた者の感覚であり、探偵としての直感でもあった。
だが、その瞳に浮かんでいたのは、好奇心ではない。
確かな警戒である。
「どうしますか……行きますか?」
問いかける安里に、イグナシオは静かにうなずいた。
「そうだな……音はもう止んだようだ。戦闘は終わったと見ていいだろう。
だが、そこに何が残っているかは別の話だ。慎重に進もう」
言葉の通り、二人は足取りをさらに落とし、先ほどの轟音の方向へと進んで行く。
冷えた風が、瓦礫の隙間をすり抜けていった。
どこかで、乾いた音がひとつ。崩れかけた石材が落ちたような音が響いた。
安里の心臓が早鐘を打つ。
ただの恐怖や怯えによるものだけではない。
何かが待っているという、本能的な予感があった。
廃墟の向こう。
丘を越えて広がっていたのは、かつての建造物が密集していたはずの一帯だった。
だが、そこに建物と呼べるものは何一つ残っていなかった。
地面は剥がれ、鉄骨は折れ曲がり、壁も柱もすべて粉砕され、跡形もなく崩れ去っていた。
白灰色の瓦礫と鉄屑だけが、霞む朝の空の下に散らばっている。
「これは…………?」
まるで爆撃の中心地。
地形ごと、塗り替えられたような荒廃を前にして唖然としたまま立ち尽くす安里の視線の先に、なにか異様な存在があった。
人型。
だが、それはもはや人とは思えない死体だった。
瓦礫に囲まれたその死体は、驚くほどに直立していた。
巨躯。砕けた頭蓋。折れた膝。引き裂かれた両腕。
なのに、背骨だけが、まるで祈るように、奇跡的に真っ直ぐを保っている。
鉄の柱のように。
まるで、それは『鉄塔』そのものだった。
そして、イグナシオはこの鉄塔────呼延光を知っている。
中国裏社会の最強の凶手。
あの大金卸と、並び立つ程の武勇を誇る武の化身だ。
その男が、敗れて立ち尽くしている事こそが、この地の異常を誰よりも雄弁に語る存在だった。
「……立ったまま、死んでる……?」
呟いた声すら、音を憚られるような静けさだった。
乾ききった血の気配と、粉塵の匂い。
けれどそれ以上に、この場には、空間そのものを支配するような重圧があった。
異様な場に飲み込まれる安里と違い、イグナシオは検分でもするように冷静に死体を見やりながら呟く。
「この潰れ方……衝突じゃない。押し潰されたのでもない。
──叩かれたんだ。強く、真上から」
彼の目が捉えたのは、明確な痕跡。
鉄球やハンマーのような巨大な凶質量の暴力によって打ち砕かれた、即死に近い致命傷。
大金卸と呼延の戦闘が行われ、この被害はそれによるものかと思われたが、彼女は容疑者がから外される。
もっとも、いかに超人同士であろうとも素手の戦いで周囲にこれほどの被害をもたらす事になるとは考えづらいが。
「……それでも、倒れていない」
死してなお屹立する身体。
その事実こそが、最も異常だった。
この姿勢を貫いたのは、単なる死後硬直ではなく、武人としての意地だったのか。
「『見せてください、荒々しい古の壌を(トランスミシオン・ヘオロヒコ)』」
イグナシオがそう唱えると同時に、指先が虚空へと静かに伸びる。
その瞬間、空気がわずかに脈打つように揺れ、空間の一部が熱を帯びたように歪んだ。
廃墟と化したコンクリートの上に、じわじわと別の時間の輪郭が滲み始める。
音もなく、しかし抗いがたい力に引き寄せられるように、過去が姿を現した。
次の瞬間――かつて壁だった場所が、何の前触れもなく弾け飛んだ。
砕け散るコンクリート。撓みきった鉄骨。吹き飛ぶ建材。
重力を歪めるかのような力が、空間を幾度となく襲い、建造物のあらゆる構造が破壊されていく。
嵐の中心に放り込まれたような錯覚。だが風はない。ただ凄まじい暴力だけが吹き荒れていた。
まるで巨人の拳が、無差別に周囲を殴り続けているようだった。
太さ数十センチに及ぶ柱が根元からねじ切られ、散弾のような瓦礫が空間を駆け抜ける。
壁も、梁も、機材も、見る間に粉塵と化し、再現された過去の中で暴風のように吹き飛ばされる。
破壊は一瞬たりとも止まらない。
床材が剥がれ、下にあった配管や鉄網がぐしゃりと潰される。
かろうじて立っていた壁は崩落し、何かの重機と思しき物体が巻き込まれ、原型を留めぬまま砕け散った。
しかも、それはただ一度では終わらない。
わずか数秒のうちに、同じ範囲内で三度、四度と破壊が重ねられる。
容赦のない連打。獲物を逃がす気など一切ない、明確な殺意の連続。
「…………っ」
安里は声を失っていた。
あまりに苛烈な光景。あまりに非現実的な破壊。
こんなものが人間にできるのか、そんな問いすら、もはや虚ろに響く。
人が兵器と化すこの超力社会にあってなお、異常としか言いようのない何かが、ここには存在していた。
イグナシオでさえ、息を詰めて見入っていた。
呼延光が、なぜ屹立したまま死を迎えたのか。
なぜ、あの男でさえ為す術なく終焉を迎えたのか――今なら、わかる。
再現されているのは直径五メートルの空間に過ぎない。
だがその外にも、無数の破壊が同時多発的に生じていたことは明白だった。
範囲外で何が起きていたのかは見えない。だが見えないがゆえに、想像は際限なく膨らむ。
どれほどの地獄が、この一帯を呑み込んだのか。
やがて再現は終わり、幻のような光景が消えて、現在と風景が重なる。
コンクリート片も、鉄骨も、宙を舞っていた粉塵すら、空気へ溶けるようにして消え去った。
残されたのは、沈黙と、変わらずその場に立ち尽くす、ひとつの影。
呼延光の死体。否、『鉄塔』と呼ぶべきそれは、何も語らぬまま今もそこにあった。
あの凄惨な破壊の渦中に在りながら、倒れもせず、屈することもなかった。
どれほどの衝撃を受けてもなお、立ち続けたその姿こそが、この場で起きた何かの、唯一にして決定的な証拠だった。
「……ここを離れよう。今すぐにだ」
イグナシオの声には、珍しくはっきりとした切迫を帯びていた。
先ほど再現された惨劇は、あまりにも常軌を逸していた。
あの呼延を殺すような存在が、この廃墟のどこかに潜んでいるのだとしたら、もはやここはこの島でもっとも危険な地雷原だと言っても過言ではない。
もしこの正体不明の怪物に襲われでもしたらイグナシオ一人ならまだしも、安里を守護れる自信はなかった。
だからこそ、イグナシオはすぐにこの場を退くべきだと判断した。
だが、その言葉に、安里はすぐには頷かなかった。
「…………アンリ君?」
彼の沈黙に、イグナシオは僅かに眉をひそめる。
空気の張りつめた気配。問いかけるまでもなく、少年が何らかの意志を宿していることに、すぐに気づいた。
「さっきの破壊を起こした相手が……まだこの辺りにいるかもしれないってことですよね……?」
「…………そうだ。だから、離れるんだ。今ならまだ間に合う」
言いながら、イグナシオは気づいていた。 自分のその言葉が、わずかに遅れて出てきたことを。
言うべきだとわかっていながら、一瞬だけその口が閉じてしまっていたことを。
──見たいと思っていたのだ。
あの破壊の続きを。
呼延光すら屠った、その何かの在処を。
『災害』のようなこれ程の破壊をもたらした怪物は、どんな構造で、どんな形で、どんな狂気を孕んでいるのかを。
(……駄目だ。落ち着け、今は……フレスノでいろ)
自分を律するように、イグナシオは歯を噛みしめる。
けれどその一方で、奥歯の奥に微かに宿る熱。
誰にも言えぬ、抑えきれぬ本能的な血の滾りが疼いていた。
この場を離れるべきだという彼の切迫には外的な脅威だけではなく、内側の衝動に対する焦りも含まれていた。
あの大陸の闇を駆け抜けた『デザーストレ(災害)』としての己が、危険という名の香りに呼応している。
だがその衝動を表に出すわけにはいかない。目の前にいるまだ未熟な少年のためにも。
「わかってます……でも」
安里が言葉を繋いだ。
その声は、迷いと勇気の狭間を振り切ったように、震えていない。
「もし、その人が……今も誰かを傷つけようとしているなら……ボクは、それを黙って見ているわけにはいきません」
その目に、迷いはなかった。
大金卸との戦いの中で、確かに何かが変わった。
臆病で、引きこもっていたあの少年はもう、ここにはいない。
「怖いです。……本当に怖い。フレスノさんがすぐに逃げようって言うくらいの相手なんですから。
でも、それでも……何もせずに背を向けるなんて、ボクはもう、したくないんです。
少しでも……今のボクにできることがあるなら、やりたい……!」
勇気を振り絞るように言い切ったその声は、少し息が上ずっていた。
けれど、大金卸との戦闘を経て、少年の中で自信の芽が確かに生まれ、彼の中で息づきはじめている。
だが、その言葉を受けたイグナシオは眉をひそめ、心を落ち着けるように静かに息をついた。
「……アンリ君。危険すぎる。さっきの再現だけでもわかるはずだ。
ここには、まともではない何かがいた。下手に探ればその牙は私たちに向くかもしれない」
イグナシオの静かな制止に、安里の肩が小さく揺れる。
一瞬、口を開きかけて閉じる。けれどやがて、視線をイグナシオに向け直して、言葉を吐いた。
「わかっています。けど…………! そんな危ない相手だからこそ放っておけないじゃないですか!
だって、もしかしたら次に襲われるのがボクの知っている人、大金卸さんや……ローズさんかもいしれない」
イグナシオの目がわずかに細められた。
それはまるでかつての自分を、別の角度から再現するかのような台詞だった。
「あの二が、ボクなんかよりずっと強いってことも分かってます。
でも、誰かが危ないってわかってて何もしないのは……やっぱり、嫌なんです」
真っすぐな意見だった。
それこそがようやく得た彼の自分の意志なのだろう。
(……変わったな、君は)
彼の中に、あの人の影がある。
自らの信念に従い、力の意味を問うことなく拳を振るうあの人の姿が。
不思議と、安里の言葉の端々に大金卸の口調すら僅かに滲んでいるようにすら感じた。
安里はあの大金卸に一撃を届かせたという成功体験を得た。
遥かに格上の相手とも戦えたという手応えが、彼の背中を押していた。
その成長は喜ばしい事であるはずだった。
だが、イグナシオの胸は重く、騒がしかった。
(だが、違う。これは……)
心の奥底に、どす黒い警鐘が鳴る。
この言葉、この姿勢、この瞳。全てが彼にとって懐かしいものだった。
かつて、イグナシオが故郷で見たものと、まったく同じものである。
大金卸に惹きつけられた者の末路。
その目覚めの多くは、破滅に至るものだった。
その影響を受けた者は、勇気と無謀をはき違え、誤った自信をつけて斃れていく。
かつてのナチョもそうだった。
イグナシオの脳裏に浮かぶのは、あの汚れたリゾートの光景。
あの時、彼に『戦え』と言った大人がいなければ、今の『狂った探偵』など存在しなかったかもしれない。
安里もまた、同じ末路を辿ろうとしている。
そして、今、その文岐路に立とうとしている少年の前にいる大人は自分自身になっていた。
(だが……これは、危うい)
彼が今向かおうとしているのは、誰かを助けるためではなく、自分の力を試すためではないか。
いや、それは純粋な善意と衝動が結びついているだけに、余計に危うい。
今ここで「それでいい」と言えば、安里はイグナシオと同じ道を進むだろう。
あるいは、破滅していった多くの子供たちと同じ末路を辿るのかもしれない。
いずれにせよ、その道は闘争を肯定する『戦いの渦中』に繋がっている。
だが、ここで否定すれば、ようやく芽吹いた自信は潰えるかもしれない。
性別も、過去も、自分自身すら曖昧だった少年が、今ようやく『自分』を手に入れようとしているというのに。
大人とは、本来それを肯定してやるべき存在ではないのか。
イグナシオの胸に、言葉にならない苦悩が渦巻く。
かつての自分と、今の自分が、葛藤の末にせめぎ合い、なにを言えば正解なのかわからなかった。
その心の奥に宿るものは、もはや『迷い』ではなく『責任』だった。
胸の奥で、二つの声がせめぎ合っていた。
──肯定しろ。あの時の自分のように、戦わせてやれ。
──否定しろ。もう誰も、あの泥濘の路に堕とすな。
だが、どちらの声も正しくはない。
それをイグナシオはよく知っていた。
肯定すれば、安里はいつか破滅するだろう。
否定すれば、安里は今得た自信と自己を否定し、また失ってしまう。
目の前の少年は変わったのだ。
逃げていた者が、戦おうとしている。
殻にこもっていた者が、誰かを守ろうとしている。
ならば、彼の先達であり、大人であるイグナシオにはこの変化に、応える責任がある。
沈黙の果て、イグナシオはそっと視線を伏せた。
その目に映るのは、砕けた鉄骨と瓦礫に覆われた地面。
朝の光が、破断面に沈んだ鈍い輝きを滲ませていた。
ふっと、イグナシオの肩が緩んだ。
まるで迷いが抜けたように、柔らかな息を吐く。
「……いいでしょう」
安里がはっと目を見開く。
驚きと、戸惑いと、希望と、すべてが混ざった表情がそこにあった。
「君の言っていることは、よくわかりました……その覚悟も、伝わってきた」
イグナシオは安里の目を、真正面から見据える。
もう、逃げずに。
「だが、私は探偵です。命を賭けることが仕事じゃない。真実を暴き、危機を未然に防ぐことが、私の戦いです」
まるで自分自身にも言い聞かせるように、イグナシオは語る
それは理性による防波堤。疼き続ける本能の渦を、せめて言葉で制御するための誓いだった。
「いいですか、アンリ君。我々は今から『怪物の痕跡』を追います。けれどそれは、『怪物を討つ』ためではありません。
今どこにいるのか、何をしようとしているのか。危険を把握し、次の犠牲を防ぐためです。
もちろんその時に襲われる人がいれば助けにはいることにはなるでしょうが、倒すことまでは考えない、その線引きを忘れないでください」
「……はい」
安里はまっすぐに頷いた。
彼の中で、何かがようやく地に足をつけたようだった。
イグナシオは言葉を続ける。
「必要なのは覚悟ではありません。観察力と判断力、そして──生き延びる意志です」
イグナシオは一歩前へ出て、そっと安里の肩に手を置く。
「君が手にしたその『誇り』を、大切にしてください。
でもそれは、戦うための理由に使うものではない。
君自身を支える柱であって、武器じゃないんです。その『誇り』の使い方を、どうか間違えないように」
その言葉には、祈りが込められていた。
彼の意思を肯定した上で、自分とは違う道を進んで欲しいという願い。
それが、イグナシオがようやく辿り着いた、第三の答え。
戦いに溺れるのではなく、自分を誇れる道を進ませる道しるべとなる。
誰も彼に教えてくれなかった、自分自身への贖いだった。
「……ありがとうございます、フレスノさん」
それは、心からの声だった。
自分を否定せずに、受け入れてくれたこの大人が。
どれほどの意味を持つ存在か、今はもう、はっきりとわかる。
イグナシオは微笑んだ。
ほんの一瞬だけ、柔らかな顔で。
「では、始めます……私の力で、この場の『痕跡』を追いましょう。
周囲を調べて行きますので巻き込まれないように少し下がっていてください」
「はい!」
「相手に気づかれないよう、声は出来る限り小さくしてください」
「…………すいません」
イグナシオの指摘に慌てて自分で口を手で押さえる安里。
その様子にイグナシオが苦笑した。
「……可愛い奴だな」
誰にも聞こえぬよう、口の中で呟く。
それはもう失ったと思っていた、他人を思う感情。
そしてその残り火が、安里の姿を見て確かに、また灯り始めていた。
「行きますよ」
虚空へと手をかざす。
探偵の超力が、戦場に残された怪物の痕跡を撫でるように追い始める。
夜が明けた世界の中、朝の霧がゆっくりと晴れ始めていた。
そして、瓦礫の影から新しい一日が、ゆっくりとその姿を現していた。
【F-2/工場跡地周辺(東側)/一日目・早朝】
【北鈴 安里】
[状態]:顎と脳にダメージ、疲労(大)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.自分の罪滅ぼしになる行動がしたい。
1.暫くは、生きてみたい。
2.イグナシオの方針に従う。
3.本当に恩赦が必要な人間がいるなら、最後に殺されてポイントを渡してもいい。けれど、今はもう少し考えたい。
4.スプリング・ローズには死んでほしくない。
※イグナシオの過去、大金卸とのあらましについて断片的に知りました。少なくとも回想で書かれた全てを聞いているわけではありません。
まだ聞いていない部分について、今後間違った妄想や考察をする可能性もあります。
【イグナシオ・"デザーストレ"・フレスノ】
[状態]:腕に軽い傷
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.子供や、冤罪を訴える人々を護る。刑務作業の目的について調査する。
1.怪物の痕跡を調べる。あくまで調査のみで戦闘はしない。
2.自分の死に場所はこの殺し合いかもしれない。
※ラテン・アメリカの犯罪組織との繋がりで、サリヤ・K・レストマンのことを知っています。
※島内にて“過去に島民などがいた痕跡”を再現できないことに気付きました。
最終更新:2025年05月25日 13:45