◆
――――被告人、ルクレツィア・ファルネーゼ。
――――これより判決を言い渡します。
彼女は、ぽつんと佇んでいた。
身嗜みの化粧はろくに整えられず。
可愛げのない衣服を着せられて。
銀髪の手入れもさせて貰えず。
それでも彼女は、美しく佇んでいた。
由緒正しい家系に裏付けされた、気品に満ちた姿。
ただ其処に立っているだけで、優雅なる美しさが滲み出る。
麗しくも儚げな風貌で、まるで一輪の華のように立ち尽くす。
その眼差しは、自らを取り巻く状況をじっと眺めている。
被害者に耐え難い苦痛と屈辱――。
人道を著しく侮辱した悪質な犯行――。
極めて残虐と言える鬼畜の所業――。
更生の余地は全く見られず――。
そんな淑女に対し。
見下ろす裁判官は、粛々と言葉を述べる。
彼女の罪を示す論拠を、淡々と告げていく。
――その罪を鑑みて、被告に死刑を言い渡します。
やがて裁判官は、凛と佇む淑女へと告げた。
貴女は最早、生きるに値しない。
社会から告げられた、決別の言葉だった。
突きつけられた宣告を、暢気に受け止めながら。
彼女は何てこともなしに、周囲へと視線を向けた。
多くの聴衆が、自分という存在を監視している。
自分を取り囲むように並べられた席に座り、じっと凝視している。
その眼差しから滲み出るのは――嫌悪、憎悪、忌避の感情。
そして、“猟奇犯罪を犯した令嬢”に対する好奇の目が一匙分ほど。
彼らは今にも罵声を吐き出しそうな様子で、裁判を傍聴していた。
檻に入れられた動物なんかも、案外こんな気持ちなのかもしれない。
この状況を前に、ふいにそんなことを考えてみたが。
だとすれば、今の自分はもう“人間”ではないのかもしれない。
それは随分と寂しいことだなと、何気なく思ってみる。
思考とは裏腹に、感情は凪のように静まり返っている。
流し見るように、聴衆をざっと見渡していた中で。
ルクレツィアは、父の姿が居ることに気づいた。
由緒正しき貴族の家系であり、高名な資産家である父。
自らの娘の凶行を止めるべく、警察へと通報した張本人。
判決の行く末を、固唾を飲んで見守っていたようだったが。
死刑が下された瞬間から、彼は神妙な面持ちを浮かべていた。
納得と悲嘆。安堵と後悔。相反する感情が、複雑に入り混じるような。
そんな様子を見せて、父はただ死刑を告げられた娘をじっと見つめていた。
その逮捕が大々的に報じられて依頼。
彼女の悪名は、欧州にて広まった。
残虐にして無慈悲なる凶行の数々。
人を人として弄ぶ、悪魔の所業。
儚くして、可憐にして、悪逆非道。
それを成したのは、貴族の血を引く資産家の令嬢。
上流階級の間でも“麗しき淑女”として知られていた少女。
故にその犯行は、衝撃を以て受け止められ。
やがては畏怖や忌避と共に語られた。
――――やがてルクレツィアは、“最期の言葉”を促された。
即ち、数多の被害者への謝罪。自らの罪への懺悔。
裁判官は、目の前の淑女へと問い質した。
淑女は、惚けたように裁判官をじっと見つめてから。
それから暫しの間を置いて、ごほんと咳払いをした。
何か、喋る必要があるらしい。
裁判が始まる前に、弁護士から指示や助言も与えられたが。
死刑となった今では、最早どうでもいいことだ。
どうせ、これから自分は死ぬのだ。
自分ほどの重罪人なら、きっと噂の“地の果ての監獄”にでも幽閉されるのかもしれない。
そこで孤独に短い余生を過ごすことになるのならば。
きっと今こそが、自分にとって最期の“晴れ舞台”となるのだろう。
走馬灯のようなものは、特に思い浮かばなかった。
希薄な思い出。華美な装飾と、絢爛な邸宅。
代わる代わるに入れ替わる使用人や家庭教師。
倫理や道徳を説いてきて、道を示そうとする父親。
何もかもがどうでも良くて、煤けた記憶に横たわっている。
だからこそ、鮮明に過ぎる“高揚”だけが色彩を保ち続けていた。
それは猟奇の果てに得られた、快楽と興奮。
何度振り返っても忘れ難い、本物の悦び。
朧げな感覚を抱いて生き続けてきた自分にとって。
唯一にして至高と呼ぶべき、存在の実感――。
◇
かちり、かちり。
カメラのフィルムが回る。
音響が淑女の声を拾う。
スポットライトが役者を照らす。
この世界の、遥か外側で。
悪辣なる女優に、焦点が当てられる。
◇
『私は、常々思うんですよ』
そうしてルクレツィアは、自然に口を開いていた。
その口元に、優雅な微笑みを浮かべながら。
自らの論理を、静かに説いていく。
『この世界は、命を粗末にし過ぎている』
まるで優美なオペラのように、流麗に言葉を紡ぐ。
誰もが理解できず、耳を疑うような一言を吐き出す。
『人を人とも思わず、焚いては棄ててばかり』
聴衆が彼女を見つめている。彼女を眺めている。
唖然とした様子で、その視線を突きつけている。
『誰も彼もが命と向き合うことを放棄して、自分の正当化に腐心し続ける』
お前は、何を言っているんだと。
どの口で、それを言っているんだと。
聴衆が、その眼差しで訴えかけている。
『――――そんなの、面白くないでしょう?』
けれど、麗しき淑女は意にも介さない。
父親から勧められた、退屈で堅苦しい歌劇。
その所作や発声を思い返しながら、彼女は発言を続ける。
『私は、命を平等に扱いました』
そうして、その笑みに恍惚が宿る。
頬がほんのりと赤らみ、妖艶に照らされる。
『白い肌も、黒い肌も、赤い肌も、黄色い肌も、亜人も異形も、すべて等しく人間なんですよ』
悪しき罪を裁く法廷に、淑女の声が反響する。
誰もが理解できぬ論理が、淡々と木霊し続ける。
『痛みを与えれば泣き叫び、苦悶に嗚咽して必死に足掻いて。
希望を根こそぎ簒奪され、絶望の中で何とか息をしようと藻掻き続ける』
透き通るような声に、静かなる熱が篭る。
それは、悪辣にして残忍な――演説だった。
『痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。
苦しい、苦しい、苦しい、苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい――――。
みんな同じように、そう唱え続けていました。
お父様と鑑賞した歌劇(オペラ)なんかよりも、ずっと甘美な旋律が部屋に響くの』
――――お父様、一体どう思われるのかしら。
淑女の脳裏に、そんな思考がふいに過ぎる。
けれど、最早どうだってよかった。
自分の快楽を阻む者のことなど、何だってよかった。
『やがて最期に、彼らはこう言うのです。
――“殺してください”。“もう楽にしてください”』
倒錯へと沈んでいく、絶え間ない愉悦。
白いシーツを、数多の血で染めていく興奮。
それが全てだった。それだけが彼女にとって。
『私が焦がれ続ける、“生の感覚”が其処にある』
――倒錯の果てに抱く、“痛み”の実感。
――それこそが、彼女の渇望。
『誰も粗末に棄てたりなんかしないわ』
紫煙を纏う淑女、ルクレツィア・ファルネーゼ。
彼女の魂は、悪徳に穢れ切っていた。
その逮捕が報じられてから。
やがて誰かが、彼女をこう呼んだ。
『人間の命は、こんなにも愛おしいもの』
――“血塗れの令嬢(エリザベート・バートリ)”。
華美にして残虐なる、鮮血の貴婦人。
大罪には、悪名が付き物だ。
そして最後に、スッと一礼をした。
まるで舞踏会で挨拶をする淑女のように。
瀟洒なる所作で、聴衆へと微笑みかけた。
『――――ご静聴、感謝いたします』
拍手も、喝采も、返ってはこない。
誰もが、言葉を失っているのだから。
◆
「やっぱり読書は退屈です」
椅子に背中を預けて腰掛けながら。
ぽい、と本を放り投げるルクレツィア。
つまらなそうに目を伏せて、はぁと一息を付いていた。
時刻は早朝、放送も目前。
場所はブラックペンタゴン。
1F北西ブロック、図書室。
都市部の施設を思わせる大規模な空間。
幾つも立ち並ぶ棚に、数多の本が整然と収められている。
その片隅には、読書用のスペースが設けられていた。
――そう、ルクレツィア・ファルネーゼは読書に勤しんでいた。
“ネイティブ世代の犯罪心理学”だの何だのというタイトルだったが、数分足らずで内容への関心を失った。
“血塗れの令嬢”――自身の心理傾向について考察したページもあったらしいが。
あれこれ理屈を並べているだけの内容に冒頭から辟易し、読む価値もないと判断した。
「幼い頃に何冊も読まされてから気付きましたけど。
やはり人は経験にこそ学ぶべきだと思います。
活字で得られるのは机上の能書きばかりです」
「わたくしが今しがた学んだのは、貴女に読書の素養は無いということですわね」
持論を述べるルクレツィアの傍らのテーブル。
その上には既に十冊ほどの本が雑多に散乱している。
ブラックペンタゴン突入後、二人は図書室へと足を踏み入れていた。
施設の案内板を見て興味を引かれたルクレツィアに促され、ソフィアがそれに渋々と従った結果である。
つい先刻、此処には二人の受刑者が滞在していた。
エンダ・Y・カクレヤマ。只野仁成。
彼らと入れ違いになる形で、ルクレツィア達は図書室へと居座っていたのだ。
ブラックペンタゴンの物々しい外装とは裏腹に、図書室は充実した空間となっていた。
本棚にはアビスでは検閲の対象となっているような書籍も散見され、“刑務”さえなければ此処で暫く時間でも潰せそうな程だった。
そうして二人は図書室を調査している内に、いつしかルクレツィアが勝手に本を漁り始めたのである。
「本当にぞんざいですね……」
「人は粗末に扱いませんけど、本は別です」
尤もルクレツィアは本を開いてはすぐに放る行為を繰り返しており、ろくな読書をしていない。
互いに上流家庭の出であり、相応の振る舞いを身に着けている二人だが――“血塗れの令嬢”は遥かに気まぐれである。
ルクレツィアは、憂鬱な眼差しを浮かべて。
潤う唇を、ゆっくりと動かしながら。
ふぅ――と、その口から紫の煙を吐き出した。
陶器のような白い右手には、古風な煙管が添えられている。
自らの超力を発動するための媒介であり、彼女の意思に応じて自在に出現する道具だ。
まだ二十に満たない乙女であるにも関わらず、長身の器具で悠々と喫煙をする。
蜃気楼にも似た妖艶な濃紫が、令嬢を取り巻くように漂っていた。
「にしても、煙管……どうしてわざわざ吸ってるのですか?
普段その超力は発揮できないのでしょう」
「落ち着くんですよ。吸っていると」
――赤ん坊の”おしゃぶり“みたいなものですよ。
そんなふうに、ルクレツィアは戯けて冗談を言う。
何処からかブックスタンドを用意し、読書の片手間に喫煙をしていた。
行儀の悪い所作であるにも関わらず、その佇まいも相俟って不思議と気品は損なわれない。
「読書もそうでしたけど、お父様からは日々芸術を勧められました。
“豊潤な感性が養われる”だの、“より広い視野で価値観が培われる”だの。
何やら四の五のと方便を並べていましたが、どれも下らないものばかりでしたね」
紫の煙を纏いながら、ルクレツィアは記憶を振り返るように淡々と述べる。
荘厳な劇場でオペラを鑑賞したり、歴史ある美術館で著名な絵画を見て回ったり。
家系に由来する父の貴族趣味に幼い頃から付き合わされたものの、いずれも令嬢の心には刺さらなかった。
「お父様、きっと心配だったんでしょうね。
私が使用人たちに怪我を負わせた時から」
幼き日に自分の希薄な感覚を埋め合わせるために、使用人達を傷付けて『痛み』を理解しようとした。
それを知った父からは厳罰を受けたものの――以来、父が自分を“芸術鑑賞”に連れ出す機会も増えた。
それは、父親による情操教育だったのだろう。
倫理を踏み外しそうになった娘に、道徳や感性というものを教えようとしたのだろう。
ルクレツィアは振り返って、思いを馳せる。
「歌劇(オペラ)も演劇(テアトロ)も、大抵は退屈だったけれど。
拷問の際に仮面即興劇(コメディア・デラルテ)を模して戯れたことはありますね。
まぁすぐに飽きましたけど、あの時はみな滑稽で楽しかったです」
――尤も、芸術に触れて得られたものがあるとすれば。
さして意味の無い教養と、拷問で趣向を凝らすためのアイデアくらいだった。
幾ら“まともな”教育を与えようとした所で、ルクレツィアの飢えは満たせなかったという訳だ。
「ああそうだ、ソフィア。
私、好きな映画(フィルム)ならあります」
ソフィアは何とも言えぬ表情のまま、ルクレツィアの話を黙って聞き流していたが。
その沈黙にかこつけるように、彼女がふいに話を振ってきた。
「……はあ、何ですか?」
「『ローマの休日』」
――余りにも“らしからぬ”古典的なタイトルに、ソフィアは訝しげに眉を顰めた。
対するルクレツィアは、仄かな恍惚に頬を染めている。
「ローマの……はい?」
「オードリー・ヘプバーンの映画ですよ。
古典とはいえ、それくらい知ってるでしょう?」
思わず聞き返したソフィアに対し、ルクレツィアは飄々と言葉を返す。
確かに知っているが、そういう問題ではない。
この暴虐の淑女が、そんな映画を嗜んでいることにソフィアは意表を突かれたのだ。
麗しき王女と冴えない新聞記者、ローマを舞台に描かれる身分違いのラブロマンス映画である。
束の間の休日の中で二人は心を通わせ、最後には思い出を胸にそれぞれの道へと分かたれていく。
映画界では当時無名だった英国の舞台女優オードリー・ヘプバーンを大スターに押し上げた古典の名作だ。
「それはまた、随分とロマンチストというか……懐古趣味ですわね」
「ええ。あの映画のオードリー、とっても可愛らしいのよ。
私がグレゴリー・ペックだったなら、間違いなくあのままオードリーを監禁していたと思います」
うっとりした表情で、物騒な願望を語るルクレツィア。
――でしょうね、と言わんばかりにソフィアはジトッとした目付きで彼女を流し見る。
あの映画の主演女優であるオードリーが可愛らしいこと自体は、ソフィアも否定はしないのだが。
どうせ邪な想いでもあるのだろうと勘ぐっていたら、案の定だった。
“開闢”の混乱を経た現代において、彼女のような“世界規模の大スター”という概念は衰退傾向にある。
国際情勢の悪化に伴い、多国間の文化交流の場がカルチャーを問わず減少しているからだ。
そんな中でも老齢でありながら今なお主演やスタントを務め、世界初の“超力アクション映画”をプロデュースしたことでも有名な米国人俳優トム・クルーズは数少ない“生きる伝説”と称されている。
――――閑話休題。
「というか、初めから“そういう作品”でも見ていれば宜しいでしょうに」
「暴力や悲劇の物語はわざわざ見ませんよ。
どれも嘘っぽくて胡散臭いですから」
マルキ・ド・サドの本とかは幾らか参考になったんですけどね、と付け加えつつ。
芸術への関心が薄いルクレツィアは、かといって“露悪的な作品”への興味も乏しかった。
他者を傷つけることに慣れ過ぎているが故に、作劇で見ると“虚構性”が鼻についてしまうのだ。
幾ら物語の中で暴虐の有様が繰り広げられていても、大抵は単なる想像力の産物。
故にどこか偽物っぽくて、つい茶々を入れたくなってしまう――有識者の如く。
そもそも人身売買で“拷問用の人間”を確保できるルクレツィアからすれば、わざわざ架空の物語で嗜虐性を楽しむ必要がない。
「空想(ファンタジア)は、やっぱり空想として楽しみたいのです。
血の匂いというものは身近すぎて、作劇で描かれると却って色々気になってしまいますから」
それで好きな映画が『ローマの休日』というのも、奇妙な話ではあるが。
ともかくルクレツィアは、そんな自らの拘りや趣向をつらつらと語っていた。
ソフィアは、そんなルクレツィアを無言のまま見つめている。
――彼女が、眼前の“血塗れの令嬢”へと抱く想い。
倫理の破綻に慣れ親しんだ物言いに対する、確かな嫌悪感。
今なお言動の真意を掴み切れない、仄かな不安のような感情。
ルクレツィアを赦したくはないし、認めたくもない。
彼女は紛れもなく、他者を踏み躙ることを厭わない“理不尽”なのだから。
その欲望と好奇心の赴くままに、数多の命を消費し続けてきた。
どれだけ気さくに話しかけられようと、彼女に対して心を開きたくもない。
ソフィアはまるで戒めを刻むように、そう思い続ける。
それでも、今の自分にとって。
ルクレツィア・ファルネーゼという悪女は。
絶対に、必要不可欠な存在であり。
そして、彼女は自分を“友人”と呼び――。
そんな現状を俯瞰して、ソフィアの心はざわめく。
まるで潮の満ち引きのように、感情が揺れ動く。
自分が今、何処にいるのか。何処に佇んでいるのか。
それさえも曖昧になるような動揺の中で。
ソフィアはふいに、口を開いていた。
「……ねえ」
ルクレツィアが挙げた映画のタイトルを振り返って。
ソフィアは、何処か躊躇いがちに、静かに言葉を紡ぐ。
「ルクレツィア」
――“自分がグレゴリー・ペックなら、あのままオードリー・ヘプバーンを監禁でもしていた”。
先程ルクレツィアがぼやいた、酷く不純な願望。
その言葉を、忌まわしいとさえ思ったのに。
ソフィアの心の奥底には、一種の共感のような想いがあった。
「わたくしは、嫌いですよ。あの映画」
しがない新聞記者と、麗しき王女。
たった一日限りの、束の間の“休日”。
もう二度と出逢うことの叶わない二人の恋が。
もう永遠に通い合いことのない二人の愛が。
あんなにも美しく描かれていたのだから。
それが憎らしくて、妬ましかったから。
夢から永遠に醒めてしまうくらいなら。
夢に浸り続けていた方が、良いじゃないか。
それこそ――――ずっと縛ってでも。
◆
――図書室へと足を踏み入れ、内部を調べた際にルクレツィアと共有した事柄。
それは“明らかに物色された痕跡があり、恐らく既に先客が此処を訪れている”ということだ。
ルクレツィアを尻目に、ソフィアは思考する。
既にこのブラックペンタゴンには、他の受刑者が足を踏み入れている。
そのことは明白であり、恐らくこれから先も“更に増える”ことが予想される。
この刑務の会場となる孤島の中心に聳える大規模施設。
刑務に反抗する者ならば、脱出の手掛かりを探すために。
刑務に積極的な者ならば、他の受刑者が集う狩場として使うために。
そのどちらにせよ、水道や電気の生きた“拠点”を求めるために。
複数名の受刑者達がこの施設を目指す可能性は極めて高いと推測された。
故に、既に図書室に物色の跡があったことも予想の範疇だった。
現時点ではまだ施設内で他の受刑者との対峙はしていないが。
恐らくは次の放送を前後して、更なる鉄火場になることは必至だった。
そして、それこそが恩赦ポイントを求めるソフィアの望むところである。
その上で、懸念は複数に渡って存在する。
ルクレツィアに恩赦ポイントを稼がせて、彼女の罪を一等減じて無期懲役にする。
それはルクレツィアの超力を利用し、尚且つ彼女を檻の外へ出さないためのプランだった。
しかし、果たしてそれは可能なのか――その一点がそもそも最大の問題だった。
自分の目的を果たすために、少なくともルクレツィアを生存させねばならない。
もしも死刑囚や無期懲役囚が“恩赦ポイントの一括払い”のみしか認められない場合。
即ち“100年扱いの刑期を帳消しにして釈放させること”のみしか出来ない場合。
彼女の罪を一等減じるというソフィアの目論見は外れることになる。
それでも今後の可能性を掴む為に、恩赦ポイント自体は集めなければならない。
仮に一等減がルール上認められずとも、恩赦を稼ぐことで刑務官側に此方の要求を通せる可能性もある。
そうでなくとも、恩赦さえあればルクレツィアの生存は保証できる。
減刑にせよ、釈放にせよ、己の目的のためには彼女が必要となる。
――彼女という凶悪犯が外界へと解き放たれる可能性は、隅に置いた。
当然に分かっていながらも、自ら目を逸らした。
そうして問題を先送りにするように、ソフィアは思考を続ける。
ルクレツィア・ファルネーゼが、何故これまで猛威を振るってきたのか。
これから直面するであろう交戦を前に、ソフィアは考察する。
超再生能力に物を言わせたタフネス。
人体の破壊や苦痛を熟知した暴力の行使。
骨の髄まで狂気に染まり、常軌を逸した精神性。
その理由は様々に挙げられるだろうが。
より端的に述べるなら、二つの事柄が肝となる。
一つ目は、”恐ろしさ“という単純明快な脅威。
その四肢を徹底的に潰されようと、彼女は生きる屍のように蠢き続ける。
破綻と荒廃に歪んだ自らの狂気を振り撒き、対峙した相手の心さえも蝕む。
幾ら己の血肉を撒き散らそうとも、ルクレツィアは決して怯まない。決して動じない。
嗜虐的な笑みを浮かべながら、“人間”を甚振ることを愉しみ続ける。
そうして相対する他者は、ルクレツィアへの畏怖に絡め取られていく。
――ソフィア自身もまた、何度壊しても追い縋ってくる彼女に対して心を折られたのだ。
恐怖や戦慄を植え付けるという点で、この淑女の猟奇性は群を抜いている。
二つ目は、“初見殺しを封じられる”という点。
超力戦闘とは、常に敵の手札を探ることが重要となる。
相手が如何なる異能を使い、如何にして自身のルールを押し付けてくるのか。
敵の術中に嵌まることを避けながら、それを見極めていかねばならない。
そうした戦闘では、往々にして“相手が見極める前に嵌め殺す”という先手必勝が生じるものだ。
しかしルクレツィアはその驚異的な回復能力によって“初見殺し”を凌ぐことが出来る。
先刻彼女が相対した“自身の拘束部位に応じて人間の四肢を捻じ曲げる超力”など、本来ならば一撃必殺の技となりうる異能なのは明白だ。
純粋な殺傷力による“当てれば勝ち”の超力を強引に受け止め、即死を凌ぎつつ敵の手札を暴ける――そんな泥臭い強みを有していた。
このブラックペンタゴンでの戦闘は、十中八九混迷を極める。
突発的な遭遇戦から、複数の受刑者が入り乱れる乱戦など。
これまでの自分やルクレツィアが経てきた交戦とは、間違いなく構図が変わる。
されどルクレツィアの強みは、そうした情勢にも幾らか優位に働くだろう。
数多の超力が入り乱れ、これまで以上に即殺が罷り通る戦局。
そんな中で“初見殺しの無効化”を押し通し、強引に攻められる彼女の強みは大きい。
上手く行けば、敵の手札を暴きながらこちらが後手で優位に出られる。
ルクレツィアの強みはそうした部分に依存する。
彼女は恐ろしい。彼女はしぶとい。
それらの強みに物を言わせて、強引な暴力を押し付ける。
逆を言えば、それが通用しない相手に対しては効果的な決め手を失うのだ。
揺るがぬ精神力で、精神の汚染をものともしない者。
卓越した体術により、白兵戦での制圧に長ける者。
より力押しの火力によって畳み掛けてくる者。
暴力以外の搦手によって、敵を封じ込める者。
ルクレツィアは暴力に長けているが、戦闘者ではない。
人体の急所を熟知し、破壊や殺傷を行うことには優れている。
しかし体術の技量や駆け引きという点では、明確な素人なのだ。
よって彼女の強みを封じ込める受刑者が現れれば、一気に窮地へと追い込まれかねない。
故に、“超力を封じる超力”を備える自分がその弱点を補う必要がある。
ルクレツィアも、ソフィアも、敵の超力を強引に封じ込めることに長けているが。
より直接的な攻勢に出ることを得意とするのは、文字通りの無効化が可能なソフィアの方だ。
彼女を死なせる訳にはいかない以上、そこも含めて戦術を意識せねばならない。
これから図書室で敵の来訪を待ち伏せるか。
あるいは、一階の探索を続けて敵を探すか。
まだ決まっていないが、いずれその答えは出ることになる。
今後の突発的な交戦に際し、ルクレツィアとの連携を確認する必要もある。
此処からが正念場なのだ。
恩赦ポイントを稼ぐために、本格的な交戦へと突入する。
覚悟せねばならない。これから、凶悪な犯罪者達と相見えるのだから。
可能であれば、彼女に殺されても構わない凶悪犯を選別したい。
悪辣な淑女を誘導して、自らの思惑へと沿わせる。
外界に解き放ってはならない悪党を始末し、危険度の低い面々は回避させる。
そうすることで少しでもルクレツィアによる被害を減らし――。
そんな言い訳がましい思考を繰り返して。
ふいにソフィアは、我に帰るように思った。
――――何をしているのだろう、自分は。
奸計の真似事か。
慣れもしない暗躍か。
参謀でも気取っているのか。
そもそも、何を考えている。
自分は、何を思っている。
――目的のために彼女を生かす?
――狙う相手を選別する?
自らの非合理に対し、無理矢理に合理を塗装しているだけじゃないのか。
それらしい方便を並べて、自分の罪を誤魔化したいだけじゃないのか。
心の奥底で、そんな糾弾の声が顔を擡げてくる。
それを自覚した瞬間から、言い知れぬ疲弊感がどっと押し寄せてきた。
まるで何かに絡め取られるような。
自分で用意した縄に、雁字搦めにされるような。
そんな息苦しさと、罪の意識が、己を縛っている。
地獄へと向かう切符が、この手の中にある。
自分は、それを握っては離さない。
自らの意思で、この道を歩もうとしている。
結局は、それが全てではないのか。
ソフィアの胸中に、そんな不安と動揺が渦巻く。
どれだけ御託を並べようと、行き着く事実はひとつ。
自分は、ルクレツィア・ファルネーゼを見逃すために尽力している。
積み重ねている理屈も、言い分も、何もかもが“そのため”に焚べられている。
どのように取り繕っても。
今の自分は、“人殺し”の友人だ。
その事実を、見つめた瞬間に。
ソフィアは、闇の奥底へと引きずられるような。
そんな焦燥と、それでもなお逃れられぬ渇望を掻き抱いた。
自分の“これまで”とは。
一体、なんだったのだろう。
ソフィアは、ふいに思う。
離別を経て、何も得られず。
離別の果てに、愛を守ることも出来ず。
結局は転げ落ちていくだけの道のりだった。
きっと、つまらない人生なのだろう。
きっと、無意味な旅路だったのだろう。
これまでも、これからも、変わらない。
だからこそ――――。
在りし日の夢にしか、縋ることが出来ない。
視線を交わして、悲しみを瞳に湛えながら。
それでも清々しく別れを告げて、自らの生きる道を進んでいく。
そんな“王女と記者”には、何時までもなれやしない。
だから、私(ソフィア)は。
誰かを殺す為の合理を、必死に固めていく。
血塗れの淑女と歩む為の理由を、吐き出しそうな顔で積み重ねる。
そうして、これから。
この死線の渦中へと、身を投じていく。
◆
ねえ、ソフィア。私達はね。
愛しき人(オードリー)を縛れるんですよ。
だって、誰もが“あの日”を迎えたから。
“開闢の日”を経て――――。
人間は、人間を傷付ける力を手に入れたんですよ。
自らのエゴを押し通す力を抱いて、生まれ落ちるのです。
それは何よりも愛おしい、祝福と呼ぶべきもの。
生来の欠落さえも、いつしか喜びに変わったように。
私達はきっと、自分を肯定することを赦されている。
だから、安心してください。
貴女の罪は、私が認めてあげます。
堕ちた先にも、安らぎがあるから。
これ以上、離別に胸を痛める必要なんてない。
身勝手な遊興と渇望に浸っても、赦されるの。
それって、本当に喜ばしいことでしょう?
ソフィア。
この世界というものは。
とっても、美しいんですよ。
◆
【D–4/ブラックペンタゴン1F 北西ブロック(中央) 図書室/一日目・早朝】
【ルクレツィア・ファルネーゼ】
[状態]: 疲労(小) 上機嫌 血塗れ 服ボロボロ
[道具]: デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針] 殺しを愉しむ
基本.
0.もっと素直になれば宜しいのに。
1. ジャンヌ・ストラスブールをもう一度愉しみたい
2.自称ジャンヌさん(ジルドレイ・モントランシー)には少しだけ期待
3.お友達(ソフィア)が出来ました、もっとお話を聞いてみたい気持ちもあります
4.さっきの二人(りんかと紗奈)は楽しかったです
【ソフィア・チェリー・ブロッサム】
[状態]:精神的疲労(中)
[道具]:デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.恩赦を得てルクレツィアの刑を一等減じたい。もしも、不可能なら……。
0.待ち伏せるか、動くか。
1.ルーサー・キングや、アンナ・アメリナの様な巨悪を殺害しておきたい
2.この娘(ルクレツィア)と一緒に行く
3.あの二人(りんかと紗奈)には悪い事をしました
4.…忘れてしまうことは、怖いですが……それでも、わたくしは
最終更新:2025年05月12日 22:46