静寂に満ちた室内の空気を揺らす声。
 密やかに、愉しげに、笑う少女の声が、静まり返った室内の空気を揺らす。

 「随分と愉しそうですね。ルクレツィア」

 先程までとは異なり、熱心に書籍を読み耽るルクレツィア。
 黒檀の椅子に腰を下ろし、椅子と同じく黒檀で出来た机に、背筋をまっすぐ伸ばして座り、紫煙を燻らせていた煙管を消して読みふける姿。
 数ページ読んでは投げ捨て、また新しい本を手に取っていたルクレツィアが“当たり”を引き当てた事を意味していた。

 「愉しいですよ。ええ、とても」

 複数箇所で布地が裂けて、血の染み込んだ刑務服を着ているとは思えない優美さを感じさせる振る舞いでソフィアの方を向き、笑顔を見せた。

 「フフフ…他人のプライバシーを覗き見る事は、好きでは無いのですが……。何故そんな目で私を見るのですか?」

 「先刻しどーくんの事を、熱心に訊いて来たのは誰でしたか?」

 「他人では無く、友人でしょう。私達は」

 皮肉をアッサリと切り返され、ソフィアは口を閉ざす。

 「この本が気になりますか?友人ですから教えて差し上げたいのですが…。ソフィアの嗜好には合わないと思いますよ?」

 “合わないのは貴女の存在自体です”。と胸の内で思ったソフィアだが、無論口には出さない。

 「どんな内容かお教えしましょうか?気になるでしょう?」

 「結構です。ロクなものでは無いのでしょう?」

 「そうですね。読む事を勧める人を選びますね………。飼育記録…?いえ、観察記録?ですね、これは。
 “生き物”を飼うのはお好きですか?」

 「………?昔、飼っていたことが有りますが」

 「しどーさんは、どうでしたか」

 「彼は犬派で、わたくしは猫派でしたね」

 「幼い頃に色々とお父様が買い与えて下さったのですが…。私は何方も好きでは無かったですね。“すぐに“死んでしまいましたので。
 まぁ大型動物は長く生きますが…鳴き声が好きでは有りませんでした。
 今では好きなんですけれどもね、愉しめますし」

 微笑を浮かべたまま、少しの間、過去を振り返るかの様に遠くを見る。

 犬や猫でも、人が飼えば10年以上生きるが、ルクレツィアが言っているのは、そう言う事では無いのだろう。

 「やはり人間が一番好ましい」

 「………そんな事だろうと思いました」

 「虚勢を張って恐怖を隠し、意地の為に痛みを堪え、あざとく諂って苦痛を与えられない様に立ち回り、小賢しく痛みに屈した様に振る舞い、此方の関心を失わせようとする」

 人間が魅せる千差万別。その全てを痛みと苦しみで塗り潰し、“痛い”と鳴き、“苦しい”と訴える事しかできない様にする。
 その果てに、無惨に卑屈に無様に、死という救済を、生の終わりという安穏を、己を苦しめ抜いた相手へと、乞い願う様になるまでに貶める。
 そこで与える紫煙の夢。偽りの安楽。苦しみも痛みも恐怖も無い、紫煙揺蕩う理想郷。其処から現実へと引き戻された際の絶望と慟哭。

 「気高い人も、誇り高い人も、卑屈な人も、勇気ある人も、臆病な人も…。数多の人間が居て、人間の数だけ異なる反応が有る。
 動物では、ああまで愉しめませんね」

 過去に嬲り殺した人間を思い出しているのか。当然とした瞳で物思いに耽るルクレツィア。
 内面を知らずに、姿だけを見るならば、想い人を想う深窓の令嬢といった風情だが、思い描いているのは、血と臓物で彩られる赤黒い地獄絵図だ。

 「印象に残った方を除けば、一人一人を詳細に覚えている訳では有りませんが…。彼等は私を愉しませてくれましたし、私は彼等を愉しみ尽くしましたよ」

 赤黒く染まった衣服に染み付いたものでは無い、腐敗臭の混じった血の臭いが漂ってきそうな述懐だった。


 “話がそれてしまいましたね”。などと言うルクレツィアに、“逸らしたのは貴女でしょう”。と思うが、これも口にしない。

 「それでですね。此処に記録されている“生き物”ですが、ソフィアの興味を惹くとは思いますよ。書かれている内容は兎も角。
 ………知りたいですか?」

 「生き物…ですか。動物では無く」

 「生き物ですよ。動物では無く」

 話を振っておきながら、はぐらかすルクレツィアに、ソフィアが僅かに苛立ちを覚えたのを目敏く察し、ルクレツィアは核心を切り出した。

 「ジャンヌ・ストラスブールさんの、15歳から17歳までの記録です」

 「えっ……」

 とんでも無い事を言い出したルクレツィアに、ソフィアが魔の抜けた声を出して固まった、
 ルクレツィアは、ソフィアの反応が面白かったのだろう、クスクスと笑って、開いた“観察記録”をソフィアの前へ押しやった。

 「ソフィアが興味を持つだろうと思って、勿体をつけた甲斐が有りました。
 内容に関しては、捏造では無いと思いますよ」

 「何故そう言い切れます」

 「私の記憶と一致する箇所が有りますので」

 興味が有るなら御覧になります?と勧めてきたので、全力で拒絶する。
 ルクレツィアの言う“記憶と一致する箇所”とはつまち、ルクレツィアがジャンヌを“買った”時の記録だろう。
 記されている事は、容易に予想がつくし、必然として読みたくも無い。

 「何故こんなものが…?それに、こんなものが有るのならば、ジャンヌ・ストラスブールの無罪の証明になる筈…」

 「なるとは思いますよ。けれども、こんな記録が有りながら、ジャンヌさんは収監され、この刑務に駆り出された。
 ジャンヌさんが無実で有るかどうかはどうでも良いのではないでしょうか。
 寧ろ、ジャンヌさんが無罪であると主張する声が大きくなったときに、使われると思いますよ。此れは」

 続く筈のルクレツィアの言葉を、ソフィアが引き取り、代わりに続ける。

 「……これだけの虐待と凌辱を受ければ心が折れても仕方が無い。
 “あの”ジャンヌ・ストラスブールであっても、所詮は二十にも満たない少女。
 耐えられる筈が無い。耐えられる訳が無い。
 悪に屈して、罪を為してもおかしくは無い。
 本来なら死罪のところを、終身刑とされたのは、事実を汲んだ上での温情だ。
 そういう風に、無罪を主張する人達を黙らせられる」

 「何故ジャンヌさんが投獄されたのかは分かりませんが、この記録の用途はそんなところでしょうね。
それに……」

 僅かに頰を赤く染めて、潤んだ瞳をソフィアへと向けて、ルクレツィアは歌う様に続ける。

 「そう理屈を付けられる。そうやって、届かぬ高みにいる“聖女”を、自分達と同じ高さに居る“只の少女”にまで引き摺り下ろす。
 人は誰しも、そうやって自分よりも高いところに居る人を貶めるのが大好きなのです。
 誰しもが受け入れる、“失墜”の理由ですね」

 「貴女が言うと、真実味が有るわ」

 「否定はしませんよ…。そういう方が、痛みに泣き、苦しみに嗚咽し、私に対して吐き続けていた罵倒を一変させて、、救い(死)を懇願する言葉を紡ぎ続ける。
 其処にこそ…其処だけに存在する、“人を壊した”という確かな実感。
 そうなるまで壊した人間から感じる事が出来る“至上至高の痛み”。
 “人を貶める”という事に於いては、私は世の中の人達よりも、徹底して行いましたからね。
 愉しくて悦べる…。好きな行為ですよ。ええ、とても」

 “ジャンヌさんや、先程出逢ったりんかさんには、到底理解出来ない悦びでしょうね“。
 そう付け加えて、クスクスと笑うルクレツィアに、ソフィアは厭わしいものを見る目を向けていた。
 どれだけ厭わしくとも、ルクレツィアに呪われた様に、離れる事の出来ない己を自覚しながら。


 疲れた風情で息を吐き、ソフィアは黙考に耽る。
 無為に時間を過ごしている様にも思えるが、どうせ今は放送直前だ。殆どの刑務者は、フレゼア・フランベルジェの様な狂人でもなければ、行動せずに放送を待つ事だろう。
 それに、戦う者が居れば勝手に潰し合えば良い。
 ルクレツィアの死刑を回避し、かつアビスの外へと出さない事がソフィアの目的。
 他の刑務者達が勝手に潰し合って、勝手に消耗するのならば、首輪の取得が楽になる。

 ────そもそもが、此処(ブラックペンタゴン)へ来るつもりなど無かった。

 ポイントを稼ぐ為に、ブラックペンタゴンへと赴き、適当な相手を見繕う。
 確かに理にかなっているが、ソフィアが欲するのは、ルクレツィアの罪を一等減じる事だ。
 その為に必要なのは、恩赦ポイントでは無い。
 ポイントは確かにいるが、かねてからの懸念である、死刑及び無期懲役の判決を受けた罪人達は、一括で罪を精算すること以外を認めない。という場合。
 死刑や無期刑には減刑など許さない。というルールだった場合。半端にポイントを持っていたところで意味が無い。
 この点を踏まえて考えれば、ポイント以外のアプローチが必要となる。
 つまりは囚人の持つポイントでは無く、囚人そのものの価値。
 言うならば犯罪者としての格。
 外に出た場合、世に及ぼす影響の大きい刑務者を仕留め、その刑務者の持つポイント(刑期)では無く、刑務者自身の名を交渉材料とする。

 その為にソフィアは、最初はルーサー・キングを狙っていたのだ。
 欧州に君臨する犯罪界の帝王。
 その生命の価値は、この刑務に服している刑務者全てを併せても、及ば無いだろうl。
 “アビス”の囚人で、世に出してはならない悪は誰かと問われて、誰もが挙げるだろう邪悪の巨名。
 ルーサー・キングの首は、大抵の要求を通せるだけの価値が有る。
 そのルーサーは、態々刑務に取り組む必然性は低い。
 内藤四葉や大根卸樹魂の様な戦闘狂なら兎も角、あと4年で出られる身でありながら、鉄火場に身を投じる理由が無いからだ。
 ソフィアはそう推測し、ルーサーを仕留めるべく、刑務者が集まるだろうブラックペンタゴンを避けて、島の周辺を捜索しようと考えていたのだが。
 その考えは、ソフィアが握りしめる地獄への片道切符が粉砕した。

 ソフィアとルクレツィアの二人で、ルーサー・キングに挑み、勝ち得るかと言えば否である。
 必然として、誰かに助力を仰がねばならない。
 そして、“牧師”を殺害する上で、協力を求める事が可能な刑務者は、二人。
 ネイ・ローマンとジャンヌ・ストラスブール。この両名。
 然し、ローマンとジャンヌの協力は仰げ無い。
 ルクレツィアが過去に拷問して嬲り抜いたジャンヌが、ルクレツィアと共に戦う事を承諾するかと問われれば、否だろう。
 ルクレツィアは自分の事など覚えていないだろうと言っていたが、全く当てにならない。
 もしもジャンヌが、ルクレツィアの事を覚えていれば、顔を合わせるなり殺し合いになりかね無い。


 ネイ・ローマンもまた、ルクレツィアが過去にアイアンハートの構成員を嬲り殺している時点で、避けるべき相手となる。
 ルクレツィアの身元が割れる様な不手際を、バレッジ・ファミリーがするとは思え無いが、ルクレツィア自身が口を滑らさないとも限らない。
 ルクレツィアは決して頭が悪い訳では無い。だが、刹那的とも言える享楽主義者である為に、その場の悦と思いつきで行動する傾向がある。
 ソフィアを殺そうとし、実際に生殺与奪を握りながらも、アッサリと殺す事をやめて、友人になろうと言って来たのが良い例だ、

 その為に行動が読み難いが、それは先刻ルクレツィアに襲われた二人が生き延びる事が出来た原因でもある。
 ルクレツィアが最初の予定通りに行動していれば、ソフィアは人の形を留めない二人の骸と対面する事になっただろう。
 ともあれ、気分次第で行動を変えてくるルクレツィアが、ローマンに過去の所業を喋らないとは限ら無い。
 “ネイ・ローマンに敵対してはならない”。
 欧州のストリート・ギャングの不文律は、ソフィアも知っている。超力を無効化できるソフィアだが、ルクレツィアが死ぬ危険性を慮れば、ネイ・ローマンもまた、避けるべきだった。

 「はあ………」

 思い溜息を吐き、結論の出ない考えを続ける。
 ルーサー・キングの殺害が不可能ならば、代わりとなる巨悪を討たねばならない。
 “大海賊”ドン・エルグランド。“戦犯”アンナ・アメリナ。“炎帝”フレゼア・フランベルジェ。
 そして…。

 「……はあぁ…………」

 ”紅血の鴻鳥”ブラッドストーク。
 “開闢の日”以後の日本の裏社会に君臨する、巨大犯罪組織の支配者達を、自警団を隠れ蓑に育て上げ、その後も無数の犯罪者を“創り上げた”怪人。

 ブラッドストークの創り上げた犯罪組織が世に知られて以降。
 溢れ返った悪と暴力に対する自警行為に対して、社会の目線が厳しくなり、警察も自警団へと厳重な取り締まりを行うようになった。
 結果、日本に於ける自警を萎縮させ、何人もの自警団員が投獄される原因とされる、日本の治安を著しく悪化させたヴィラン。
 日本に限定するならば、ルーサー・キングに匹敵する巨悪。
 その巨悪も、葉月りんかと交戦して、傷ついた状態ならば、ルクレツィアと二人で掛かれば確実に仕留められた筈。
 そうする事なく、あの場を離れてしまったのは、ルクレツィアがふてぶてしくも眠りこけたのと、ソフィア自身があの二人の近辺にいる事に耐えられなかったからだ。


 頭を抱えて長い長い溜息を吐く。
 無性にやるせ無くなってきた、あと何だか腹立ってきた。

 ルーサー・キングを討つ為の助力も、ブラッドストークを仕留める好機も、全てはルクレツィアが吹っ飛ばしてしまった。
 思わず、恨めし気な視線を、未だに悍ましい“観察記録”を愉しげに読み耽るルクレツィアへと向ける。
 視線に気付いたルクレツィアが、ソフィアを見つめると、瞬きを二、三度して、口を開く。

 「どうかしましたか、お疲れのようですが」

 無言で立ち上がると、左右の拳骨をルクレツィアのこめかみに当てて、思い切りグリグリした。

 「あああああああ~~~~~~!!」

 貴女の所為で疲れてるんです。と言っても意味が無さそうなので言わない。
 妙に嬉しそうなルクレツィアに、わざと言ったんじゃないかという疑念が湧き、拳に更なる力を込める。
 暫く続いたグリグリと嬌声は、定期放送が始まるまで続いた。

◻️


 「………」

 名簿を見ながら、死者の名を聞いて、ソフィアの気分は沈んでいく。
 大地を灼熱の溶岩と変え、大気を呼吸することすら出来ぬ程の高熱にするという、無効化能力を持つソフィアにとってもやり辛いフレゼアの死は、歓迎する所ではある。
 ドン・エルグランドにしても、下手な強化系のネイティブを容易く凌駕する身体能力を誇る怪物。こんな化け物の相手はソフィアもルクレツィアも分が悪い。
 絶世の武功を誇る呼延光も同様、死刑囚とは言え、避けたい相手ではあった。

 だが、“虐殺者』アンナ・アメリナの死は痛い。
 自己の能力を強化するタイプの超力は、ソフィアにとっては最もやり易い。
 手練れの軍人とは言え、その本領は指揮官で合って戦場の勇者では無い。楽に仕留められる相手だったのだ。
 誰かの所得して99Pと、アンナ・アメリナという悪の巨名の持つ“価値”を思い、溜息を吐き掛け────。

 不意に反吐が出そうになった。

 なにを考えているのかと。他者の命にラベルを貼り、死んでも良い者とそうで無い者を選別するどころか、人を只の点数と、点数の入手難易度で判別するなどと。
 死者のポイントに思考を巡らせるのならばk先程ルクレツィア襲撃された二人が生きている事を喜ぶべきだろう。
 そう考えて、りんかと紗奈が傷ついた責任を、ルクレツィアに押し付けている事に気付いて、更なる自己嫌悪を抱く。
 鬱々とした気分を堪えて顔を上げると。

 「肩でも揉みましょうか?」

 ルクレツィアが両手の指を蠢かしながら訊いてきた。

 「結構です」

 肩の関節外されたり、痛点思い切り抉られそうでそうで嫌。あと何だか指の動きが淫猥なのが一番嫌。

 「……貴女は随分と嬉しそうですね」

 残念そうな素振りも見せずに、どことなく嬉しそうにしているルクレツィアへと、冷たい眼を向ける。
 人がこんなにも悩んでいるのに、何故にこんなに嬉しそうなのか?
 大体わたくしが悩む原因は、誰だと思っているのか?

 「知っている方が、誰も亡くなられていないのは、喜ぶべき事でしょう」

 「……知っている方?」

 「ええ、そうです。
 ジャンヌさんに、ジルドレイさんに、りんかさんに、紗奈さんに、面識はありませんがデイビッドさん。皆さんご無事で何よりです」

 「……………」

 嬲り殺しにしようとした二人の生存を喜べる精神が理解出来ない。
 絶句してしまったソフィアと、嬉しそうなルクレツィア。
 妙な雰囲気の時間が、少しの間続いて。

 「ジャンヌさんとあのお二人には、もう一度お会いしたいものです」

 「……ああ、そう」

 この狂人は、もう一度会って何をしたいのか。言葉にせずとも理解できる。
 傷付けて、辱めて、惨たらしく殺したいのだろう。
 それにしても────と、ソフィアの思考は再び自嘲を始める。
 人命をポイントとしか考えていなかったわたくし。
 他者に向けて悍ましい欲求を抱くルクレツィア。
 何方がより厭わしく邪悪なのか?
 改めて問うまでも無い。
 両方だ。
 わたくしもルクレツィアも、諸共に厭わしい。

 ────“似合いの友人”じゃないか。

 そんな事を思い、ソフィアの精神は更に陰鬱に沈んで行く。
 沈んだ表情で黙り込んだソフィアに、ルクレツィアは今後の方針について切り出した。

 「当面の間は争いを避けて、何処かに潜みたいのですが…。この刑務は本当に良く出来ている……悪意に満ちていると言っても良いですね」

 「……えっ?」

 意外な発言に、ソフィアは驚きを隠せない。
 即座に惨殺する獲物を求めて、繰り出すのかと思っていたのだが。

 「意外そうな顔をされると傷付きますね。私は戦う事は好きでも得意でも無いのです」

 「…………納得しましたわ…」

 ソフィアの心を折り、りんかを圧倒したとはいえ、ルクレツィア自身も超力による超回復が無ければ、とうに絶命しているダメージを受けている。
 戦闘に秀でていないと言うのは事実であり、殺人者でしか無いルクレツィアは、一方的な殺人ならば兎も角。確かに戦闘は好まないだろう。

 ソフィアの考えている事を察したのか、少しむくれた顔をして、ルクレツィアは話を始めた。

 「此処には刑務者が多く集まってくるでしょうから、隠れていれば、戦って傷付け合った刑務者を楽に殺せます。
 そう考えて気付いたんですよ。この刑務を構成する“悪意”に」

 「悪意ですか」

 「この刑務ではポイントの奪取も譲渡も有り得ない。ポイントを得る為には、刑務者を殺してポイントにするしか無い。
 つまり、恩赦を得る為には、必然的に誰かを殺すしか無い。
 隠れて他の刑務者が消耗するのを待つなど論外。そんな悠長な事をしていては、取得できるポイントが無くなってしまう。
 島の外周部に、円を描くように配された立ち入り禁止エリア…。どうしても殺し合って欲しいようですね。私達に」


 ルクレツィアの話を聞き終えて、ソフィアは黙って考える。
 ポイントの取得のみに気を取られていたが、アビス側の設定した条件からしても、殺し合いを強要している。
 それならば、何故に二十四時間という期間を設けたのか?
 そこまでして殺し合わせたいのならば、徹底して殺し合わせれば良いではないか?
 ポイントを物品と交換する任務に従事している超力者────ケンザキと呼ばれていた刑務官だろうが────の健康状態でも慮っているのだろうか?
 まさか労働基準法に抵触するからという訳でもあるまい。物品が支給されない時間帯を設ければ────ケンザキの休憩時間を設定すれば済む話だ。
 そこまで考えて、ソフィアは思考を打ち切った。
 考えても、答え合わせが出来ない以上は、意味が無い事だ。
 もっと有意義な事に時間を費やすべきだろう。
 例えば眼の前にいる、何を考えているか未だに不明な狂人との交流とか。

 「貴女は恩赦に興味が無いのですか?ルクレツィア」

 ルクレツィアに対して、好意を抱く事は無いだろうし、抱きたくは無い。
 それとは別にして、ルクレツィアからの好意は得ておかなければならない。
 唐突に心変わりして殺しに掛かって来られない様に、鉄火場でソフィアを見捨てて逃げ出さない様に。
 ソフィアはルクレツィアを切り捨てる事は出来ないが、ルクレツィアはソフィアを切り捨てる事が出来る。
 二人の関係は、決して対等では無いのだから。
 ルクレツィアがどれだけ友好的に接してこようが、ソフィアのシバキを笑って受け入れようが、二人の関係は対等では無い。
 それでも、ソフィアはルクレツィアを手離せない。まるで呪いを掛けられた様に。

 「最初は恩赦を得ようと思いましたよ。牢獄から出られたのが嬉しくて、気分が高揚していましたので。
 けれぢも…時間が経って冷静になると、この刑務は恩赦というもので刑務者を争わせていますが、本当に恩赦の約束を履行するのかと、そう疑問に思いまして」

 「どうして、そう思ったのですか」

 「ソフィアの事ですから、エルサルバドルという国を知っていると思いますが」

 「ああ……」

 国内外の凶悪犯罪者達を収容した巨大刑務所の崩壊。
 それにより国内に解き放たれた三十万にも及ぶ犯罪者達。
 瞬時に政府は崩壊し、地獄と化した国家。
 エルサルバドルの惨状と、それを招いた原因を知っていれば、この刑務で得られる“恩赦”に疑問を抱くのは当然だろう。
 アビスに収監されているのは、更生など望めぬ凶悪犯か、強力な超力を有する、人のカタチをした兵器と呼ぶに相応しい者達。
 ルクレツィアの様な狂人を外に出しただけでも、結果を想像したくもない。
 ましてや、フレゼアやドミニカの様な、破壊と殺戮に特化した超力を有する者など、決して外には出せないだろう。

 「……世間の事には関心が薄いと思っていましたが」

 思わず口を吐いて出た疑問を、ソフィアは直ぐに後悔する事となる。

 「エルサルバドルの方と、少し“御縁”が有りまして、難民だったそうです」

 「…………」

 「他人のプライバシーには興味が無いのですが、あの方…とは他人とは言えない間柄になりましたので」

 ポストアポカリプスそのもと化した故国を脱し、異国の地で艱難辛苦の果てに、売られたのか捕まったかを経て、“血塗れの令嬢”を彩る鮮血の一部となった、顔も知らぬぬ異郷の人。

 ルクレツィアに呪われた身では、そんな資格などないと知りつつも、ソフィアは深く哀しんだのだった。


◻️️

️️

 ────危ないところでした。

 ルクレツィアはソフィアの隣を歩きながら、密かに安堵する。
 エルサルバドルの難民の話をした時に、口を滑らせて、殺したのが姉妹だった事を話してしまうところだった。

 ────ソフィアが聞けば、きっと気を悪くしたでしょうね。

 妹を庇う姉と、姉を傷つけられて泣く妹と。

 ────りんかさんと、紗奈さん事を、ソフィアも思い出すでしょうから。

 姉を庇う妹と、妹を傷付けられて慈悲を乞う姉と。

 ────友人とはいえ、そこまで気分を害する話をする訳にはいきません。

 眼の前で、庇った妹を解体される姉の絶叫。

 ────私やニケとは、ソフィアは違うのですから。して良い話を選ばないと。

 ルクレツィアに呪詛を叫び続けた姉が、死を懇願する言葉を紡ぎ続ける様になるまで行った加虐。

 ────それにしても、りんかさんと紗奈さんがお元気そうで良かったです。

 念入りに五体を砕き、全身を切り裂いて、息も絶え絶えになった姉に、初めて使った“紫煙”。

 ────もう一度、御二人揃って、お会いしたいものです。

 その時に感じた法悦。
 あの悦びを再度味わえそうな二人は、果たして此処に来るのだろうか、来たとして再開出来るだろうか。

 ────互いに生きて再会したいものです。

 己の“悪”を肯定する令嬢は、暫し邪悪な思考に耽るのだった。

◻️


 「さて、何時迄も此処で時間を潰していたいものですが……。他にも人が来そうなんですよね。何処に行きましょうか?」

 ルクレツィアがソフィアに決断を要求してくる。
 奔放かつ気ままな御令嬢ではあるが、ソフィアに対して合わせようという意思は有るらしい。
 単純に面倒事を押しつけているだけなのかも知れないが。
 陰鬱さが占めていた精神に、微妙に怒りが混じるのを感じながら、ソフィアは応じた。

 「此処に来たいと言ったのは貴女ですよ?……それはそうとして…そうですね、隠れるとすれば物置……。待ち伏せするとすれば、一箇所しかない階段ですね。
 先ずは物置きに潜んで、それから階段で待ち伏せをするのが良いでしょう。
  先刻わたくしが会いたく無いと言った三人は、全員が室内戦闘を得手とします。警戒を怠らない様に」

 これは嘘でも何でも無い。室内では壁や天井を泳ぎ回る怪盗や、少しの空間があれば潜める脱獄王は、確かな脅威だ。
 ジェーン・マッドハッターにしても、超力で煙草の煙を強力な毒ガスとする事で、何の変哲もない室内を、ガス室に変える事ができる。
 全員が全員。この刑務に於いて、油断出来ない難敵である事だろう。

 真面目に刑務に取り組んでいれば、だが。

 図書室を後に、周囲を警戒しつつ物置へと向かう。
 その道すがら、ふと思い出したのは、死者の名を告げられた際に、名簿を再確認したからだろう。

 ────ハリックね…。"あの”ハリックなのだろうか?

 血統とともに受け継がれる予知能力を活かし、GPAに優秀な人材を提供し続けるハリック家。
 確か、10年以上も前に、アビスの囚人となったハリック家の者が居たと聞いた事があった。
 もしも、わたくしが知るハリック家の方なら…。
 ソフィアの超力は、超力しか無効化しない。
 ハリック家の者が持つ“予知”には無力なのだ。
 難敵の尽きない事に溜息を吐いて、ソフィアはルクレツィアと並んで歩き出した。

 ルクレツィアの尽きせぬ邪悪さに、深まる一方の嫌悪感に苛まれつつも、決してルクレツィアを手放せない己を、この“血塗れの令嬢”に呪われている様だと自嘲しながら。



【D–4/ブラックペンタゴン1F 北西ブロック(中央) 図書室付近/一日目・朝】
【ルクレツィア・ファルネーゼ】
[状態]: 上機嫌 血塗れ 服ボロボロ
[道具]: デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針] 殺しを愉しむ
基本.
0.もっと素直になれば宜しいのに。
1. ジャンヌ・ストラスブールをもう一度愉しみたい
2.自称ジャンヌさん(ジルドレイ・モントランシー)には少しだけ期待
3.お友達(ソフィア)が出来ました、もっとお話を聞いてみたい気持ちもあります
4.さっきの二人(りんかと紗奈)は楽しかったです。出来ればもう一度会いたいです。

【ソフィア・チェリー・ブロッサム】
[状態]:精神的疲労(大)
[道具]:デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.恩赦を得てルクレツィアの刑を一等減じたい。もしも、不可能なら……。
0.暫く潜んでから、疲労した刑務者を仕留める
1.ルーサー・キングや、アンナ・アメリナの様な巨悪を殺害しておきたい
2.この娘(ルクレツィア)と一緒に行く 。例え呪いであったとしても
3.あの二人(りんかと紗奈)には悪い事をしました
4.…忘れてしまうことは、怖いですが……それでも、わたくしは
5.ハリック…。あのハリック家の方なのでしょうか?

078.Lunar Whisper 投下順で読む 080.満漢全席
時系列順で読む
遊興と渇望のアフターマス ソフィア・チェリー・ブロッサム We rise or fall
ルクレツィア・ファルネーゼ

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最終更新:2025年06月02日 23:52