【scrapper】(スクラッパー)
[スクラップ]解体業者、解体作業人のこと。
〈俗〉喧嘩っ早い人。
――あの夜のことは、今も鮮明に憶えている。
賑やかな酒場の喧騒と心地の良い疲労感。
鉄と油の残り香の中を通り抜けた、鼻腔をくすぐるワインの匂い。
「よぉ、功労者! 飲んでるかぁ!?」
「メカーニカ、早くこっちのテーブル来いよ!」
「飲み比べだ飲み比べ! 今日こそ勝つぞぉメリリ~ン……そんで今夜こそお前を……ぐへへ……」
「おまえ勝負する前からへべれけじゃねえか……。バカどものことは気にせず楽しめよ、メリリン!」
カウンター席の後ろを通り過ぎる仲間達が、代わる代わる私の背中を叩いてくる。
うぶ、と。
軽い振動によって、丁度口元に運ぼうとしていたジョッキからビールがこぼれ落ち、カウンターテーブルを少し汚した。
打ち上げが始まってからそこそこ時間が経っているのに、貸し切られた店内はずっと賑やかだった。
お酒は好きだけど、騒がしい場所はあまり得意じゃない。
数年前の私なら、30分と耐えられない空間だったろう。
そんな私でも、今日ばかりは空気を読んで大人しく祝いの席に座っている。
「我らが天才メカニック、メカーニカに乾杯!」
背後のテーブル席から、そんな歓声が聞こえる。
非認可技術者集団、メルシニカの取引は大成功の内に終わった。
本拠地であるラテンアメリカから欧州に販路を開くという遠大な計画はこの日、遂に結実を見たのだ。
組織は名実共に飛躍的成長を為し、今後は使える資金も潤沢になるだろう。
もっと色んなものが作れる。自由気ままに。技師達の理想を実現できる。
『メカーニカ、お前のおかげだ』、なんて。みんなが私を褒めてくれた。
天才メカニックなんて持て囃されて。それはちょっぴり悪くない気持ちだったけど、同時に、少しむず痒くて気が引ける。
だって私が組織に加入したのはほんの数年前で、10年近く前から、それこそ組織が発足する前から計画を進めていたのは―――
「メリリン、今日は来てくれてありがとね」
今、私の隣に座っている、彼女なのだから。
「こういうとこ、苦手なのに。無理させちゃって、ごめん」
隣のカウンター席に座るサリヤは、片手に持ったワイングラスを傾けながら小さく詫びる。
カウンターには私と彼女の2人だけ。
店主(マスター)は隅の方で静かにグラスを磨いている。
背後に仲間達の喧騒を聞きながら、私たちは一席分の距離感で視線を交わしていた。
「謝らなくていい。私が来たくて来たんだから。それに……その……前ほど嫌じゃ、なくなったし……」
「ふ~ん、それはどうして?」
「ほんの少し慣れちゃったんだよ。誰かさんが、いちいち振り回してくれたからでしょ」
非難がましく、と同時に少し照れ臭く、じとっと見つめてやる。
厭世的で引き篭もりがちなメカニックを組織に引き入れた彼女は、何かにつけてそいつを連れ回した。
そのせいでというか、おかげさまでというか、とっくに諦めていた対人能力というものをほんの少しだけ獲得した私は、今はこんな騒がしい飲み会にも参加している。
まあ本音を言うと、さっさと帰って機械弄りでもしてたい。そういう感性は今も変わらないけど。
でも、彼女や、彼女が紹介してくれた仲間たちと嫌々交流している内に、いつの間にか、たまになら悪くないなって、思えるようになっていた。
「そうね、ちょっと変わったわ、メリリンは。
昔はも~っと口下手で、踏み込まれるとすぐアタフタして、ウチベンケイで……あ、ウチベンケイは今もか」
「う、煩いな……っそ、そんなこと……ない」
「そうそう、こんなふうに吃りがちで。パニックになると今でもたまに出てるわよ、そのクセ」
「ば、バカにしてるでしょ?」
「ううん……私は可愛いと思うわ、そういう子。いじりがいがあって」
揶揄われてむくれる私をよそに、サリヤは嬉しそうに目を細める。
それはちょっと意地悪をしているとき特有の、彼女のクセだった。
サリヤ・K・レストマン。
私にとって、数少ない友人と呼べる存在。
彼女のフェーブがかった薄紫色の髪が、酒場の暖色ライトに照らされて、どこか浮世離れした空気を纏わせている。
今日は組織にとっても、彼女にとっても節目の日。
だから私も、ちょっとくらい頑張って慣れない場にも顔を出す。
それくらいはしても良いって思えるくらい、私はこの組織(ばしょ)に、彼女の隣に、価値を見出している。
「……ん」
「なあに? これ」
「今回の成功祝い、みたいなもの。でも意地悪ばっかり言うならあげない」
だから私はそれを持ってきた。
ぶっきらぼうに、彼女の目の前に突き出す。
今日ここに来たのは、実際のところ、それを渡すためだった。
「ごめんごめん……これ、耳飾り?」
「……ん」
「わぁ……素敵ね」
ちらりと、その表情を盗み見て。
ずるいなあ、と思う。
揶揄われて腹が立つので、渡したらすぐ帰ってやろうと思っていたのに。
そんな顔をされたら毒気を抜かれてしまう。
サリヤはいつも大人びていて、たまに怖いくらい冷静な女性なのに。
時折、こういう子供っぽい表情を見せるから、ずるいと思う。
「なんと高周波の虫除け機能つき。フィールドワークに行くとき使えるでしょ?
それから……試しに、前にサリヤが言ってた理論(アレ)を組み込んでみた。
オマケだし、実際に正しく機能するかは分からないけど」
「アレ……?」
「ほら、一度だけ……私の家で宅飲みしたことあったでしょ? あのとき言ってたやつ」
「憶えてない……」
「サリヤってさ……酔っ払うと記憶飛ばすよね……」
本当は、制作の過程で、同じものがもう一つ私の家にあって。
二つで左右ペアになる耳飾りなんだけど。
私は結局、このとき、それを口にすることは出来なかった。
重たい贈り物みたいになってしまいそうだったし。
なにより、サリヤは何故か、『分け合う』ことを極端に忌避するきらいがあった。
それを知っていたから。
「……とにかく、おめでと」
まあ、なにはともあれ。
私がやりたかったことは、サリヤにその言葉を伝えることだった。
大仕事を終えたメルシニカは明日から長期休暇に入る。
長く休んで、集まって好き勝手に製造して、取引を終えてまた休む。私達のルーティーン。
だけど今回の仕事は今までで一番大きいヤマだったわけで、次に集まるのは少し先になるだろう。
だからその前に、ちゃんと伝えておきたかった。
「……うん、そうだね……おめでとう、か……うん」
なのに、どうしてなのだろう。
「ありがと……メリリン。
あなたがいたから、私達は……私は……ここまで来れた」
サリヤの表情には少しだけ、影があるように見えた。
『―――I shot the sheriff,(保安官を撃ったのは俺さ)』
沈黙の合間に、酒場のBGMがすり抜けるようにして耳に入る。
『―――but I didn’t shoot no deputy.(でも副保安官をやったのは俺じゃない)』
それはジャマイカ人歌手による、古いレゲエソングだった。
正義に追われる男の独白。
哀愁漂う歌詞と、反してノリの良い軽快な曲調が組み合わさり、胸に染み込むような独特の聞き心地を与えてくる。
サリヤは左の手で耳飾りを握りしめたまま、右手に持ったワイングラスに口をつけ、軽く傾けた。
視線はカウンターの向こう、酒棚の上に鎮座したボロいテレビの画面に向けられている。
『違法薬物、"サイシン"の元締め、近く強制捜査か』
BGMと音がかち合わないよう、消音状態のテレビ画面に表示されたニュース番組、その字幕に書かれていた。
サリヤは躊躇うように数秒、間をおいて。
やがて、意を決したように、あるいは諦めたように、軽く息を吐いて。
「――ねえ、メリリン。本当の悪ってなんだと思う?」
そんなことを、口にした。
「なんだ、考え事か? 余裕だなァ、メカーニカ」
前方から聞こえた鋭い声に、乖離していた意識を引き戻す。
回想は一瞬。現在の焦点には、硬いコンクリートの床と、そこに転がったワインボトル。
ああ、そうか、アレを見て、私は、あの夜の記憶を想起したのか。
「別に……ちょっと昔を思い出しただけ」
視線を切って、前を歩く男の背を追った。
ブラックペンタゴン、刑務開始から目指し続け、やっとたどり着いた、島の中心施設。
その南東エリアの入口は、物資搬入口を兼ねているようだった。
先ほど見たようなワイン――酒類を初めとした食料品、衣類、日用雑貨など。
様々な物資の詰められたコンテナが、コンクリむき出しの壁に囲まれた作業場に所狭しと並んでいる。
ふと貴金属の詰められた箱が目に止まる。
レアメタルでも入っているならくすねておきたいところだけど、生憎といまの私に、勝手に足を止める自由はない。
キラリと光る宝石の輝きが、いつかのシーンを再生する。
そういえば、あの耳飾りはどこにいってしまったのだろう。
サリヤの遺体から、流星の形をしたアクセサリは見つからなかった。
私が持っていたもう一つは、確か……ああ、仕事で知り合った、可愛らしい獣人さんにあげてしまったんだっけ。
誰かとの形ある思い出は、時に痛みになる。
あの頃、あの耳飾りを見る度、私は辛くなった。
忘れるために、吹っ切るためにと手放して、あとになって馬鹿みたいに後悔したのを憶えている。
迷路のように入り組んだ隙間を抜けて、私は施設の奥へと進んでいく。
とはいえ、私の自由意志で進んでいるわけじゃない。
「一応の忠告だ。妙な気を起こすんじゃねえぞ?」
先導する男、ネイ・ローマンが、首だけを傾けてこちらを振り返り、ニィと口角を釣り上げる。
言われなくとも、私に出来ることは何もないし、抵抗するつもりはない。
少なくとも、今は。
ストリートギャング『アイアンハート』のリーダー。
ネイ・ローマン、新進気鋭のギャングスタ。
彼によって、私は強引にアイアン傘下への引き抜きを承諾させられ。
数十分前までのパートナーと分かたれ、こうして施設探索に同行させられている。
ローマンは私に無防備な背を向けたまま、ずんずん施設内を進んでいく。
けど、それは私を信頼しているわけでも、舐めきっているわけでも、どちらでもない。
「……さぁて、晴れて『アイアン』入りするテメェには、聞いておきたい事がある」
ピリピリとした、静電気のように突き刺すプレッシャーが、彼の背中からは常に放たれている。
まるで不可視の銃口が背から無数に生え出し、こちらを狙っているかのよう。
事実として、彼は振り返るまでもなく、気の向くまま、無手のまま、不動のままに私を殺せる。
その凄まじい破壊衝動(ネオス)によって。
ネイ・ローマンに敵対してはならない。
その不文律を守っているからこそ、私はまだ、生かされている。
「さっきも言ったが、今はバラけちまったとは言え、アイアンの本質は変わらねえ。
だからこいつはまァ、アレだ、そいつに沿えるかどうかの、入団テストみてえなもんだな」
「テスト……? こっちは強制的に引き込まれたんだけど?」
「はッ、テメエの言い分は最もだ。しかし話の通りなら、オレ達の関係は娑婆に出てこそ続くんだぜ?
だったら今後のために、白黒つけなきゃいけねえコトもあるだろうよ」
なにが、気に食わないのだろう。
そう、直感的に、私は思った。
ここに至る経緯が経緯だ。彼が私を信用できないのはわかる。
警戒を解かないのも自然の成り行きだ。
だけど、突き刺すようなこの敵意は、ずっと向けられ続けている苛立ちは、それだけが理由ではないように思えた。
「オレはここから出て、もう一度アイアンハートを復活させる。
そして今度こそ、欧州のヤクを根絶する。
テメエは、その為の役に立つと、そういう話だったろうが」
話しながら、ローマンは足早にコンテナの迷路を抜けていく。
同行者にまったく配慮のないペースなものだから、時折、小走りになりながらも追い続ける。
遅れたら殺すぞと、目の前の背中が告げていた。
「だが、オレのアイアンの中で、果たしてテメエがやっていけるのか。
オレはそいつが、どうにも心配でね」
一体、なにが、気に食わないのだろう。
もう一度、繰り返し、そう思う。
向けられ続ける敵意によって確信する。
ようするに、この男は私のことが嫌いなのだ。
今日まで一度も会ったこともない私に対して、一方的な嫌悪感を抱いている。
「能力は買ってやるがそれだけじゃ足りてねえ。気質ってやつが問われんだよ。
加えて言えば、女としてもオレの好みじゃあねえしな。年増は趣味じゃねえんだわ」
「ご心配どうも。じゃあさっさと聞けば?
……あとだれが年増だ! 一応まだ二十代なんですけどっ!?」
失礼千万である。
ネイ・ローマン、粗暴で、危険な男。
だけど、間違いなく、強い。
ネイティブ世代の中でも突出した暴力性とカリスマで、欧州のストリートギャングを纏め上げた若き新星。
極まった凶暴性に反し、違法薬物に対する苛烈な敵対心、売人と関わる組織に対する激しい攻撃で名を馳せた狂犬。
アイアンハート。鉄の絆は、鉄の掟によって固められていた。
彼らの掟(ルール)に反したものは、仲間であろうと容赦なき粛清の対象になるという。
なんて知識は、全部サリヤからの受け売りなんだけど。
私にとっては結局のところ、目的を達せられればそれで良い筈で。
ブラックペンタゴンの探索も、その先にある目的も、彼と共に行うことに異論はない、はずだ。
私は、サリヤの亡霊を終わらせられるなら、終わらせてくれるなら、それが誰であろうとも。
誰に従うことになろうとも構わないと思っていた。
でも、だとしたら何故、私はこんな事をしているのだろう。
先程から、ほんの少し、微量の超力を行使している。
そのことにローマンは気づいていないのか、あるいは泳がせているのか。
「そうかい、じゃあ質問だ」
ちょうどそのタイミングで、ローマンはゴールにたどり着く。
コンテナの迷路を抜け、南東エリア第2ブロックへ続く扉が目の前にある。
彼はそれを押し広げながら、もう一度、こちらを振り返った。
「いいか、改めて言うが、こいつはテストだ。慎重に答えろよ」
背中から不可視の銃口を突きつけたまま、彼は次のブロックに進む。
ウルフカットの白髪が闇に溶けていく。扉の先はだだっ広く、そして薄暗い空間のようだった。
私もまたその背を追って闇の中へ。
まだ、目が慣れない、何も見えない。
だけど、耳はその機能になんの不具合もなく。
どこからか、一定のリズムで響く駆動音の中でも、彼の質問は問題なく届いていた。
「――なあ、メカーニカ。テメエにとって、許せねえ悪ってのは、なんだ?」
「――ねえ、メリリン。本当の悪ってなんだと思う?」
―――I shot the sheriff,(保安官を撃ったのは俺さ)。
刹那、リンクした問いかけに、その言葉を思い出す。
―――but I didn’t shoot no deputy.(でも副保安官をやったのは俺じゃない)。
酒場の情景が甦る。耳に残るBGMが返ってくる。
彼女の声が、あの日の彼女の微笑みが、私の隣に戻って来る。
たしか、あの日、サリヤはこう続けた。
「……私にとって、それは『マリア・C・レストマン』という、一人の女性だったわ」
遠くを見るような目で語られた、本当の悪。
サリヤが自分のことについて話すのは、とても珍しかった。
酔いや仕事の成功による気の緩みを勘定に入れて尚。
自分のことになると、彼女はいつも話を煙に巻いてきた。
仲間の誰もがサリヤを知ろうとして、いつも柳のようなレトリックに躱され、有無を言わせぬ微笑みに黙らされるのが定番だったから。
「本当の悪を打ち破るためなら、相対的な小悪の全ては正義となる。
大戦の英雄が殺人の罪に問われることはない。
そういう驕り高ぶった自己正当化が、生命の冒涜者を生み出した」
生命の冒涜者。その蔑称が指す存在は、現代に一人。
"シエンシア"。10年ほど前に国際指名手配されていた逃亡被疑者。
その女の罪状は国家機密文書の窃盗と流出、そして違法な人体実験を目的とした誘拐、拉致、監禁、傷害致死。
素性は科学者だったらしい。それも元GPA所属、当時最先端だった超力研究チームのメンバー。
追われ始めて僅か数年後、女はオーストラリアの僻地にて、白骨化した遺体で発見される。
しかし、後に明らかになった生前の罪状は、筆舌に尽くし難い非人道性に満ちていた。
当時、女が配属されていた超力研究所アジア支部。
開闢当初、超力というカタストロフが人類に与えた影響は底知れない。
国家の裏側においても、超力の原理を明らかにするため、その効果的な活用法を他国に先んじて解明するために、表沙汰にできない人体実験が横行したという。
しかし、その枠組の中ですら、女は満足できなかったのか。
「生きた人間、オールド世代の身体を弄くり回すことに行き詰まった女は、次に生まれてくる存在、つまり赤ん坊に目をつけた。
だけど当時の研究チームも、流石にそこまで外道になれなかったんでしょうね。
結果として、公的機関では自分のしたい研究が出来ないと結論付けた」
そうして、女は暴挙に出る。
研究所が極秘に行っていた超力研究の黒い成果を国外に持ち逃げし、あろうことか犯罪組織へと売り渡したのだ。
全ては、己の理想とする研究を進めるために。
女が望んだのは非合法の実験を可能とする資金と、GPAの追手から身を隠すための場所。
そして当時、欧州進出を狙っていたオーストラリアの麻薬女王、『サイシン・マザー』は、この科学技術を喉から手が出るほど欲していた。
ここに、利害が一致する。
そうして、闇の中で芽吹いた背徳の研究成果。
生まれる前から狂わされた命、超力を改造された状態で生まれた子供たち。
デザイン・ネイティブ。その第一世代、麻薬製造に特化した超力を付与された、ネイティブ・サイシン。
技術を悪用するべく繰り返された誘拐と人身売買。GPA研究技術の流出は、結果として夥しい数の子供を殺した。
――マリア・"シエンシア"・レストマン。
生命の冒涜者。しかし犯罪組織においては、"シエンシア"の名は畏敬をもって扱われる。
その技術は、確かに裏社会に莫大なる富をもたらしていたから。
「女はよく言っていたわ。本当の悪は人類の"停滞"だって。
そいつを打ち破るためなら、全ての小悪は肯定される」
そして現在、組織の中でも一部の者は、サリヤをこう呼ぶことがある。
"シエンシア"の再来。
彼女自身がそれを肯定したことは一度もない。
ただ、彼女は確かに、"メルシニカ"に超力の先端科学を与えていて。
仲間が冗談めかして、"シエンシア"と呼ぶと、少し辛そうに笑うのだった。
「サリヤの"お母さん"は、マッド・サイエンティストだったの?」
意を決して、口にしたその問いに。
彼女は呆気なく、答えた。
「きっと、そんな上等なものですらないわ。小さい頃はずっと、あの女の助手をさせられていたけど。
昔は野心なんて微塵も見せなかったもの。
多分、ロシアの諜報員だった父に誑かされたっていうのが、私の見立て」
その父も失踪して、サリヤ・K・レストマンは天涯孤独になった。
ただ、親の罪だけを、傍らに残されて。
「私は、私にとっての『本当の悪(シエンシア)』が死ぬだけじゃ、納得できなかった。
間違いから生まれたものは、間違いしか産まない。
だから、彼女が残した一切を否定したかった」
サリヤの視線は、酒棚のテレビに向けられたままだ。
『違法薬物、"サイシン"の元締め、近く強制捜査か』
揺らぐ、オーストラリアの犯罪組織。
ラテンアメリカ系麻薬組織との競争に負けたサイシン・マザーは欧州への求心力を失い、盤石なる足場を失いつつある。
メルシニカによる物流開拓が、ラテンアメリカの側を勝利に導いた。
その舵取りを行ったのは他でもないサリヤだ。偶然とは思えない。
シエンシアの負の遺産、彼女はその全てを消してしまいたいのだろうか。
「でもね、笑っちゃうでしょう? 所詮、血は争えないってことかしら」
彼女が今、何が言いたいのか、わかる。
そうして目的の一つを達しても、ちっとも嬉しそうじゃない、その理由も。
巨悪、シエンシアの遺産の一つ、ネイティブ・サイシン。その根絶。
非人道的な人体実験の連鎖を止めることと引き換えに、私達が為した、無視できない悪がある。
サイシンの代わりに、ラテンアメリカの麻薬が欧州へと流れ込む。
それはまるで―――本当の悪を打ち破るためなら、相対的な小悪の全ては黙認されるという理論を実践したようで―――
「"真理は汝を自由にする"。聖書の引用、あるいは曲解。あの女の口癖だった。
……人って、嫌いな人の言葉こそ、いつまでも憶えているものね。嫌になっちゃう」
その皮肉に、彼女は自嘲しながら俯いた。
「シエンシアの遺産はデザイン・ネイティブだけじゃない。
チカラの発現、改造、変質、消失、そしてコントロール。
畢竟、超力のシステム化という、研究者達が目指した理想への道程。
暴走した知識欲は……真理(すべて)を手に入れるまで止まらない」
命を解体する人体実験。
人間の生(はじまり)と死(おわり)、神の聖域を侵した冒涜者。
「ずっと……家族が嫌いだった。それこそが、私の定義する悪(まちがい)だったから。
でも、だったら、その悪から生まれた存在って、一体なんなのかしら」
間違いから生まれたものは、間違いしか産まない。
その理論、彼女が否定するものの中に、間違いなくサリヤ自身も含まれている。
それはとても悲しくて、寂しいことのように思えた。
彼女と初めて会った日のことを思い出す。
明るくて、コミュニケーション能力に優れた、私とはまるで正反対な女性。
隅っこが落ち着く陰キャな私と、既に組織を立ち上げ、人の中心に立っていたサリヤ。
彼女の差し出した手を取った、あのとき、私の人生の停滞は終わった。
『私たち、きっと似た物同士ね』
最初はまるで意味のわからなかった言葉が、いつしか理解できるようになっていた。
私とサリヤは表面上は正反対で、だけど心の芯に、共通する孤独を抱えている。
誰にも分かってもらえない。期待なんてしたくない。
だけど、心のどこかで思っている。
誰かに、分かってもらいたいと。
「自分を否定するようなこと、言わないでよ」
「どうして?」
「私が、嫌だから」
「それは……どうして?」
「……だって、私達――――」
『――"家族"みたいなものなんだから』。
なんて、声にしようとした言葉を、あのとき言えていたら。
なにかが、変わったのだろうか。
どうして躊躇ってしまったのだろう。
きっと、怖かったんだ、私も。
否定されることを恐れていた。
「――"親友"、なんだから」
「……うん」
少女のような切なげな笑みで頷いたサリヤが、グラスをテーブルに置く。
「あーあ、良くないわ。喋りすぎちゃった……普段はこんなに酔わないのに。
メリリン相手だと、なんだか口が軽くなっちゃうみたい。
……お酒とメリリン、こいつは危険な組み合わせね」
照れ隠しのように冗談めかして、おどけた表情を浮かべ、サリヤは再び顔を上げる。
私に軽く流し目を送った後、テレビの画面に目線を戻し。
そうして、その瞳が大きく見開かれた。
「……メリリン、今回の休暇って、なにか予定ある?」
「んー、いつも通りかな。家で機械いじったり、パーツ集めにトラック転がしたり……」
サリヤは話題を変えようとしている。
彼女の背景について知る、珍しい機会が過ぎようとしている。
なのに、不思議な安心感を得たのはなぜだろう。
「そ、私もいつも通り、またフィールドワークに出かけるわ」
「へえ、今度はどこに行くの?」
―――『ハイブを名乗る逃亡中の軍勢型(レギオン)、欧州にて死体で発見される』。
「日本よ。メリリンもたまには一緒に来る?」
「ええ!? 私も!? うーん……」
「冗談よ、言ってみただけ。あんな人の多い国、メリリン空港で昏倒しちゃうわ」
微笑みながら、サリヤの琥珀色の片目(アンバー)はニュースの字幕を追い続けている。
その横顔は、ぞっとするほど冷たい。
氷のように玲瓏な、それは彼女の、敵に向けられる顔貌だった。
―――『ストリート・ギャングとの大規模な衝突があったと見られている。遺体は既に検死に回され、現地警察が経緯を捜査中――――』。
「てか日本なんて、今更なにしにいくの? 例のヤシオリだかヤマナシだかいう土地?」
「ヤマオリね、アレは多分、今後10年以上は近寄れないし行っても無駄よ。今のトレンドはやっぱりカクレヤマね」
「オカルトでしょ? よくわかんない。サリヤもなんだかんだで学者っていうか、知りたがりだよね」
「メカニックさんは分かんなくていいの。現実だけ見てなさい。
……ふふっ、でも確かに、やっぱり血は争えないわね。私も、真理に惹かれてるってことか」
テレビから視線を切って、私に目を向けた彼女の表情は嘘のように穏やかで。
先程までの冷たさなんて微塵も残っていない。
いつも通りのサリヤだ。
ほっとする。良かったと、安心する。
さっき感じた嫌な予感なんて、きっとまやかしに違いないと。
このとき私は、呑気な気休めを心地よく受け入れた。
「帰ってきたら、また一緒に飲みましょう。美味しい日本酒(おみやげ)買ってくるね」
微笑みながら、オッドアイの片目を閉じている。
人差し指を唇の端に押し当てる。
彼女のそんな可愛らしいクセは、どういう意味を持つんだっけ。
「……ん、楽しみにしてる」
心地よい酩酊と、安寧の中で思考が溶ける。
私達には時間がある。きっとまた、機会が巡ってくるはずだから。
今夜のようなときが、もう一度やってきたなら。
そのときこそ、本当の意味で、ちゃんと彼女を理解しよう。
伝えるべき言葉を、伝えよう。
次の夜にこそ、きっと。
彼女が帰ってきたら、きっと。
「またね、メリリン」
だけど、これがサリヤとの、最後の会話になった。
機会は二度と、訪れることはなかった。
一ヶ月後に帰ってきた彼女は、何を語ることも、聞くこともない。
つめたい死体になっていたから。
「言いたいことがあるなら、ハッキリ言えばいい」
「なに……?」
薄暗い空間の中で、前を進む男が立ち止まる。
「あんた、私が気に食わないんでしょ? 理由を言いたいなら、聞いてやるって言ってんの」
「オレの質問に質問で返すとはいい度胸じゃねえか。死にてえのか、オイ」
徐々に目が慣れてきた。
薄っすらと、ここがどういう場所か見えてくる。
ローマンも気付いたはずだ。
だけど私にとっては、見るまでもなく、最初から分かっていた。
ゲートをくぐったときから聞こえる駆動音、それに混じって伝わる、金属同士が擦れ合う摩擦音。
耳に馴染む、固くて煤けた交響曲。
「昔、友達が言ってたわ。禅問答を仕掛けてくる奴は大抵、何かを語りたがってるって」
「……へえ、例の親友ってやつか?」
「さあね」
男の足が止まる。
ブロックの中央、大きな作業台の傍らで、ネイ・ローマンは振り向いた。
ナイフの如く鋭い目つきが、改めて私を値踏みするように、突き刺すように睨み据える。
「御名答、オレはテメエが気に入らねえ。もっとに言えば、"テメエら"が、だ」
「その割には随分、私達の周りを調べてたみたいね。わざわざ、こっち(ラテンアメリカ)の探偵まで雇ってたって聞いたけど」
「まあな、こういうの何ていうんだっけな。"汝の敵を愛せ"ってやつか?」
「違うと思うけど」
「現にこうして勧誘してやったんだ、そう遠くもねえだろう」
つまり彼は、"メルシニカ"のあり方について、前々から思うところがあったのだろう。
「さっきも言ったけど、私達がアイアンに危害を加えたことなんて一度もない。
なのに、あんたたちは前々から、私達を一方的に目の敵にしてた。
そりゃ麻薬組織と関わったことは、容認出来ないかも知れないけど―――」
「テメエらの在り方は不細工だ」
私の言葉を遮って、ローマンは切り捨てるように言った。
「動いてるだけでも気色悪ぃのに、そいつらがオレのルールに抵触したんだ。なあ、潰したくなるのも道理だろうが」
ルール、それが指しているのはアイアンの法、なのだろうか。
ヤクをやるな、ヤクを売るな、ヤクを売る者を助けるな。
理屈はわかる。それでも、目の前の男がぶつけてくる怒りに対して、こちらも思うことろが無いわけじゃない。
「確かに違法ドラッグは悪だろうね。それを扱う組織に運送機材を売ったのも、悪いことだよ。
それくらい、私達も分かってる。私達の生き方が正しいなんて、思ってない。
だけど、じゃあんたは? あんたは全部正しいっていうの?」
ヤクの根絶を掲げる意思。それは立派な心意気だ。
だけど、それだけをもってして、ネイ・ローマンは善人か。
他人の悪を糾弾できる程の聖人か。
ヤクが絡まなければ、振るう暴力の全ては肯定されるのか。
そんなわけがない。
殺人罪、暴行罪、窃盗罪。下された刑期こそ15年。
それでもストリート・ギャングの頭たる彼の背負った罪科は、決して軽いものじゃないはず。
つまり、そう、お前が言うなって話。なのに――
「馬鹿が。正しいに決まってんだろうが。
オレがやってきた全部は、オレが正しいと思ったからやったんだぜ」
返された答えは、ビックリするほど清々しい俺様宣言。
彼は本気で、自分の悪徳の全てを肯定している。
マジか。こうもまっすぐ堂々と言われると、流石にちょっと面食らった。
「『私達の生き方が正しいなんて思ってない』、だぁ?
クソが、テメエらと一緒にすんじゃねえ、虫唾が走るんだよ」
ピリピリと凄まじいプレッシャーが押し寄せてくる。
2メートル以上の距離があるのに、眉間に銃口を突きつけられているような、暴力的な圧にプレスされる。
この鋭い敵意に、ほんの少しでも敵意(へんじ)を返したら、私の頭はザクロのように弾け飛ぶのだろう。
「いいか、オレにとって許せねえ悪はな、メカーニカ。
"オレの真理(ルール)"に反した奴だ。シンプルだろうが」
正体不明の怪物のようだった彼のことが、ほんの少しだけ分かった気がする。
つまり彼にとっての法とは、倫理とは、国家が定めたものじゃない。
彼の定めた、アイアンの掟のみが、彼にとっての法なのだと。
「オレはオレの生まれた国の中じゃあ、死ぬまで奴隷だったろう。
奴隷が自由になるにはどうすればいいと思う?
方法は一つだ、自分の国(そしき)を作るんだよ」
アイアンハートは、ネイ・ローマンの国だ。
鉄の掟こそ彼の法、彼にとって自由の象徴。
善悪は、神が決めたものではない。
「組織(くに)を組織として成り立たせるものが二つある。
真理(ルール)、そして暴力(パワー)だ」
やっと、彼が言いたいことが見えてきた。
「オレがイースターズを認めねえのはな、奴らの真理(ルール)が破綻してるからだ。
力だけ振り回す能無し共、キングの野郎に玩具にされたガキの集まり、反吐が出るぜ。
そして、お前らは――その逆だな」
メルシニカ。裏社会に溶け込む技術者集団。
そう言えば聞こえはいいけど、ようするに根無し草の臆病者達。
地に足をつけて君臨するに足る力(パワー)を示そうとしない。
隠れ潜んで、犯罪組織に利用価値を表明して、器用に立ち回ることで敵を作らず姑息に生き延びてきた。
「真理(ルール)を真理たらしめるものは、後ろ盾になる暴力だ。
力もねえ、テメエでやったことの責任も取れもしねえくせに。
テメエらはいっちょ前に、裏社会に無視できねえ影響を与えてきやがる。
属する度胸がねえなら、大人しくカタギでせせこましくしてりゃあいいものを」
私達の在り方は確かに歪だった。
やったことの責任から逃れるような、ふわふわとしたスタンス。
大きな組織に属することを嫌っていたのか、恐れていたのか。
「遅かれ早かれ。無力なテメエらは潰されたろう」
事実、サリヤの舵取りを失った後、私達はあっけないほど簡単に瓦解したのだ。
認めてもいい、彼の言葉にも一理ある。
「覚悟もなく自由を気取る代償を、じきに支払わされていた筈だ」
だけど、やっぱり彼は、少しだけ誤解している。
「ルールとパワー。
二つを両立させた存在を、オレは認める」
真理と暴力。
この島で最初に会った漢女のようにな、と。
誰かを思い出しながら、彼は言った。
「つまり、あれだな、"真理に従って力あり"、ってやつだ」
まただ。またしても引用、そしてわざとらしく曲解じみた誤用。
馬鹿にしたように、吐き捨てるように、苦々しげなトーンで放たれる声に、私は気づく。
そして同時に、気づかせないように、会話を続ける。
「そんなに神様が嫌いなの?」
「なんでそう思う?」
「不快そうに、聖書を引き合いに出すものだから」
「意外と敬虔な信者かも知れないぜ?」
「散々ドミニカのこと挑発しといてよく言うわ。それに……」
「それに?」
「……人は、嫌いな奴の言葉こそ憶えているんでしょ」
「……ま、そりゃ、違いねえ」
この男は粗暴に見えて頭が切れる。
敵のことを知って、自分なりに理解した上で、容赦なく叩き潰す。
理性と獣性を両立させたギャングスタ。
だから慎重にやらなきゃいけない。
気づかれないように、ゆっくりと。
少しでもボロを出すと、今に―――
「とにかく、あんたが、私達を嫌う理由は分かった」
「結構、それでテメエはどんな答えを返す? オレに認めさせる答えを知ってるか?
もし回答を間違えたらテメエ、分かってるよな?」
男の圧力が強まる。ネイ・ローマンの超力は凄まじい。
ジェーンとドミニカ、殺し屋と魔女の鉄槌。
私よりもずっと強い二人を、不動のまま一撃で打倒した彼の実力は本物だ。
伝え聞く、ストリートの不文律。そして先程見た現象から確信する。
彼の爆発的な破壊衝動が破壊力に転化される。
それだけでも恐ろしいのに、敵対者の敵意が倍掛けになって跳ね返る。
ネイ・ローマンに敵対してはならない。
この男に敵意を向けてはならない。
ジェーンもドミニカも分かっていなかった。
いや分かっていても、実践出来る者など存在しない。
敵意をぶつけられながら、敵意を抑え続けることなど。
「私も、神様なんて、信じたことない」
「オレに媚でも売りてえのか?」
「でも別に、嫌いってわけでもなかった。
どうでもよかったって言うのかな。
私は神様よりも、もっと信頼できるものに囲まれていたから」
子供の頃は、家族も環境も、決して良いものじゃなかったけど。
私にはそれがあったから、生きていけた。私はそれが、人間よりも神様よりも、ずっと好きだった。
人間も悪くないなって思えるようになるのは、ずっと後になってからのこと。
「そうかい、ところで、チルチルミチルのマネごとはもう終いか?」
「……バレてたの?」
「気づかねえと思ったのか、馬鹿が。
味方頼りの他力本願。テメエらしい小細工だぜ」
ここに至るまでの道中。私は超力を使い続けていた。
さり気なく金属類を動かして、コンテナ迷路の壁に傷を付け。
後から追ってくる者への、道しるべを残していた。
あのとき、ジェーンと交わしたアイコンタクト。
彼女の目は闘志を失っていないように見えた。
『ふざけるな、契約は終わっていない、必ず追いつく』、と。
私は、そう受け取ったから。
「この区画に入ってからはやってないよ」
「だから何だよ。黙って泳がしておけば、好き勝手やりやがる。覚悟は出来てんだろうな?」
「その意味は考えないの?」
「あぁ?」
薄暗い空間の中で、音が聞こえる。
「私がここにきて、童話の真似事を止めた理由だよ。あんた、そういうこと、ちゃん考えるタイプでしょ?」
「んなもん、さっきと違って、こう広い場所じゃあ目印なんざ残す意味もねえだろうが。やる必要も……」
アルミの振動が伝える駆動音、鉄と鉄が擦れ合う摩擦音。
「テメエ、まさか」
「そうだよ。ネイ・ローマン」
ばらまかれるネジ、ボルトを流すコンベアー、鉄の棒に加えられる熱と力。
「やる必要がなくなったから、やめたんだ。だって、もう助けを待つ必要はない」
それらは、この南東第2ブロック、工場エリアで駆動する。
「私は一人で、あんたと闘うことが出来るから」
機械たちの交響曲だ。
「――補え、私の愛する人工物質(モルデオ・アルティフィシアル)」
遂に抑えきれなかった敵意が摩擦する。
迸る火花と衝撃に、私はおもいっきり後方に吹き飛んだ。
背後にあった機材に衝突し、引き倒しながらぶっ倒れる。
それでも、問題ない。ちょっと身体を打った程度だ。
なぜなら既に、生成は終了していたのだから。
「オイオイ、こいつは驚きだな」
ネイ・ローマンの、怒りと困惑の入り混じった声が響く。
彼も漸く目が慣れたのだろう、その視界に見えたはずだ。
全身をアーマープレートで固めた女が起き上がる姿、そして、周囲の状況を。
「ここに来たのは間違いよ。ネイ・ローマン」
広大な金属工場エリア。
加工された金属類、ガラス、アルミ、そして設置された機械設備の数々。
ここは、私のテリトリーだ。
「殻に籠もった程度で何をのぼせてやがる。んなもん2、3発あれば余裕で凹んで終いだろうが」
人工的な物質を操り、変形加工する。それが私の超力だ。
鉄を組み立てガラスを集めアルミを曲げて武器(ガジェット)を作る。
そのためのパーツが、この場所にはごまんとあるのだから。
「一つ、あんたの誤解を解いておく」
一歩踏み込んだローマンの足が、ぴたりと止まる。
次いで、左右をそれぞれ一瞥し。
「鬱陶しいんだよッ!」
挟み込むように設置されていたボルトガンを、飛来するボルトごと、一瞬にして叩き潰した。
ついでに、またしても敵意を向けた私の身体は再び宙を舞い、壁に叩きつけられて床に落ちる。
プレートのおかげで大きな怪我にはならないものの、とても痛い。
気を失わないよう、意識をしっかりもたなければ。
「こんな玩具並べて、オレに勝てるつもりかァ!?」
「私達は、無力じゃない」
「ナメてっと本当にぶっ殺すぞテメ―――」
男の声が途切れる。
ポタり、と赤い雫が床に落ちた。
咄嗟に顔面を腕で庇ったのは流石の勘。
だけど、その上で、ローマンは驚愕とともに自分の右腕を眺めている。
彼の手の付け根の部分に、二本のボルトが突き刺さっていた。
彼と言えども、常に全方位に気を配ることは出来ない。
左右に設置されたボルトガンへの注意、そして同時に正面から私が向けた敵意。
その隙間を抜けた一撃だった。
彼の背後を取っていた、空中に浮かぶ小型ドローンに設置されたボルトガンの銃口。
「そうか、ここに入ってから、ずっと作ってやがったのか……!」
細心の注意を払ったとは言え、気取られないかと、ずっとどきどきしていた。
幸い、超力を使っていたことは第1ブロックで行った小細工が隠れ蓑になって。
ドローンやボルトガンの生成音は工場自体の駆動音が誤魔化してくれた。
既に、無数の銃口がローマンを包囲している。
会話によって稼いだ時間で、最低限の準備は整った。
ボルトガンを取り付けたドローンが4機、四方に散って旋回する。
更に自走するラジコンが3機、死角の多い工場床を走り回り、攻撃の補助を行う。
そして、それだけでは終わらない。
「あと、言っておくけど」
あたり一面に撒き散らされた工具がひとりでに動き、新たな機械を生成する。
「御生憎様、私達、相性最悪だね」
ネイ・ローマンに敵対してはならない。
この男に敵意を向けてはならない。
分かっていても、実践出来る者など存在しない。
敵意をぶつけられながら、敵意を抑え続けることなど出来ない。
しかしここに、例外は存在する。
「私にとって、許せない悪を教えてあげる」
感情無き機械の攻撃に、敵意は乗らない。
つまり、私の可愛い機械が放つ間接攻撃は、彼の超力に摩擦しないのだ。
「他人の都合を考えずに、自分勝手なルールを一方的に押しける輩だよ。憶えとけクソガキ」
示された戦いの構図はシンプルだ。
ローマンは私を殺してしまえば、それで私の超力も止めてしまえる。
だからこのプレートが壊れてしまう前に、配置したガジェットが彼を行動不能に追い込むことが出来るかどうか。
彼にとっても、私にとっても、半ば時間との勝負といえる。
そんな事を考えていた私を他所に、ローマンの動きは止まったままだった。
腕のボルトを引き抜き、床に投げ捨てた後は、直立不動で黙り込んでいる。
男の腕からは血が流れ続けている。
「…………」
てっきりブチギレて手がつけられなくなると思っていただけに。
逆に不気味というか、薄ら寒い気配がした。
というかおかしい、なぜすぐに攻めて来ないのだろう。
時間が経てば立つほど、ガジェットの数は増え、機械の脅威は育っていく。
状況が不利になるのはあっちなのに。
「…………く」
ややあって、男の口から息が漏れる
「…………くく」
それは聞き間違いでなければ、笑い声のように聞こえた。
「くは、は、はははははははッ!!」
乾いた笑いをひとしきりもらした後。
彼はゆっくりと、こちらに歩き出した。
大慌てでドローンとラジコンを動かし、同時並行でプレートの修復を開始。
次いで、ガジェット達に一斉掃射を命じようとして。
またしても、困惑させられる。
ローマンは私との中間地点にある作業台の前で足を止めた。
そして乱暴に椅子を引き、そのままふんぞり返るようにして腰を下ろしたのだ。
「な……なに?」
「合格だ」
「は?」
ほら、お前も座れよ、と。対面の席を指し、気安く促してくる。
信じられない。この男は今、全方位17機のボルトガンに照準を合わせられた状態で。
そして、それに気づいていて尚、涼し気な表情で座っている。とんでもない胆力だった。
嫌な予感がする。
男はさっきまでずっとキレかかっていた筈なのに、一体どんな心境の変化があったのか。
「どういうこと? ビビったの?」
「はッ、ずっとビビってんのはお前だろうがよ」
「言っとくけど、油断はしないからね。作る手も止めない」
「好きにしろよ。そのままで聞け」
ローマンは椅子の上でふんぞり返った体勢のまま、こちらを指さして、口角を釣り上げた。
剥き出し犬歯と歪む頬の古傷が、壮絶な笑みの形を作り出す。
私の背中を、猛烈な寒気が駆け上がった。
「認めてやる。オレは確かに、お前を誤解してたらしい。
さっきのは良い答えだったぜ。ああ、気に入ったよ。心からな」
こいつまさか、本気で言ってるのか。
「お前をアイアンに入れてやる。正式にだ」
呆れて物も言えない。
こいつ、事ここに至って、なんて上から目線。
「もう、そんな状況じゃないってわかるでしょ。
ついでだから、もう一度ハッキリ言ってあげよっか?
私もあんたが嫌い。だからあんたに認められなくても結構」
「ああ、勘違いさせちまったか? じゃあオレも言い直すぜ」
だけど事は、私が思っていたよりも深刻な状況だった。
「オレは、お前を、アイアンに、入れるんだ。
気に入ったと言っただろ?
お前が欲しくなった。だから、オレのものにする」
「………………はい?」
意味が分からない。
いや、分かりたくない。
「あの……え? 状況、分かってるよね。
もっかい言うけど、もう殺し合い始まってるっていうか」
「ああ、続けるのか?
それでも別に良いぜ。どっちでも結果は変わらねえからな」
ふざけんな。
こんなの、聞いてない。
「あのさ、一応、聞いておくけど、どういう結果が、変わらないって?」
「お前が、オレのものになる。っていう結果に決まってんだろ」
ネイ・ローマンに敵対してはならない。
とは聞いてたけど。
「オレはずっと、欲しいものは己の手で掴み取ってきた。
だからそうするってだけの話だ。まあ、実を言うと、ちょいと自分に驚いてんだよ。
いや、年増は趣味じゃねえ筈なんだが、なかなか世の中、奥深いもんだな」
ネイ・ローマンに"気に入られてもいけない"、なんて。
聞いてないよ、サリヤ。
「だ、だから年増いうなっ!
ていうか誰が、あ、あんたのものになんか……!
ええい、はよ立ていっ、こ、殺し合いの続きするぞクソガキ!」
半ばパニックになりながらローマンに近づき、ガジェットを動かそうとして。
「shhh...! 静かに」
「あんた、一体なんなの……?」
またしても機先を制される。
口元に指を当てた白髪の男は私を見上げながら、ほんの少し悪戯っぽく笑っていた。
そのおどけた動作がどこか、誰かと重なったからだろうか。
初めて、この危険極まりない男が、年相応の青年に見えた気がした。
「別に続きをやってもいいけどよ。もうちょっと後にしようぜ」
「どうして?」
「決まってんだろ、ほら」
ビリ、と。空気中に伝わる電子音の気配。
そうしてやっと、思い至る。
やはり、私は冷静じゃなかったらしい。
色々なことがありすぎて、すっかり忘れてしまっていたのだ。
刑務開始から、今がちょうど、6時間。
混乱する私を置いて、時計の針は進んでいる。
「座れよ。静かに聞こうぜ、一緒にな」
私の戸惑いも、彼の感情も、誰かの想いも。
何もかもを、置き去りにして。
始まるのだ―――第一回、定時放送が。
【E-5/ブラックペンタゴン南東第2ブロック・工場エリア/一日目・早朝(放送直前)】
【ネイ・ローマン】
[状態]:両腕にダメージ(小)、疲労(中)、右手首にボルトによる刺し傷
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.やりたいようにやる。
0.……おもしれー女。
1.ブラックペンタゴンでルーサーとローズを探す
2.ルーサー・キングを殺す。
3.スプリング・ローズのような気に入らない奴も殺す。
4.ハヤト=ミナセと出会ったら……。
※ルメス=ヘインヴェラート、ジョニー・ハイドアウトと情報交換しました。
【メリリン・"メカーニカ"・ミリアン】
[状態]:全身にダメージ(小)、フルプレートアーマー装備、軽い打ち身
[道具]:デジタルウォッチ、生成ドローン4機、ラジコン3機、設置式簡易ボルトガン。
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.生き延びる。出られる程度の恩赦は欲しい。サリヤ・K・レストマンを終わらせる。
0.ひとまず放送を聞く……か。
1.サリヤの姿をした何者かを探す。見つけたらその時は……。
2.ローマンに従いブラックペンタゴンを調査する?
3.山頂の改編能力者を警戒。取り敢えずドミニカに任せる。
※ドミニカと知っている刑務者について情報を交換しました。
最終更新:2025年05月13日 22:13