朝の光がようやく森を照らし始めていた。
しかし、この一角だけは様相が異なっていた。
焦げた臭気と凍てつく冷気が入り混じり、清らかな朝の気配は一切届かない。

土はめくれ返り、岩は砕け、木々は根元から折れ伏している。
所々には焼け焦げた残骸がくすぶり、湿った地面には熱と冷気の残滓が絡みついていた。
まるで、大地そのものが災厄の記憶を封じ込めているかのようだった。

その焦土に足を踏み入れたのは、一つの巨影。
枝を払いながら姿を現したのは、漆黒の三つ編みを背に垂らした、筋骨隆々の女――大金卸樹魂。
重機の異名を持ち、いまはアビスに収監されている戦闘の亡者だ。

彼女は腕を組み、鋭い眼光を焼け焦げた草地と凍りついた倒木へと這わせる。
その視線は獣のように研ぎ澄まされ、あらゆる痕跡を見逃すまいと集中していた。

「……ほう。これはまた……随分と派手にやったものだな」

呟くと同時に膝を折り、地面へと身をかがめる。
掌をそっと地につけると、そこには未だ微かに残る温もりと冷たさが、皮膚を通じて伝わってきた。
掌の内から立ち上る微細な熱が、目に見えぬ空気の歪みに反応して揺れ動く。

「……なるほど。熱と冷気が拮抗していた。互いに退かず、正面から激突したか」

彼女は目を閉じ、感覚を研ぎ澄ませる。
この場所で間違いなく、炎と氷――相反する超力の大規模な衝突が巻き起っている。
熱を自在に操る力を持つ彼女だからこそ、そうした気配には極めて敏感だった。
大金卸が観測した水蒸気爆発もこれが原因であろう。

地面に残る微かな足跡を追うように、大金卸はゆっくりと焦土を巡る。
やがて、爆裂痕を見つけると、目を細めた。

「三人……いや、それ以上か」

焼け焦げと霜が入り混じる地形。炭化した草。ぱっくりと割れた土塊。
空気の流れ、湿度の残り香、焦げた匂いと凍りついた植物の感触。
それらは、単なる二元の戦いではないことを示していた。

「炎使いと氷使いだけではないな……もっと入り乱れていたか」

闘志、怒り、悲しみ、祈り。
内面からほとばしる感情が超力と共鳴し、力として放たれた。
それは理を超え、命を賭してぶつかり合った者たちの戦いの痕跡。
もはや災厄としか呼べない、戦場の名残だった。

視線を左右に流しながら、大金卸は立ち上がった。
爆心地を中心に、放射状に広がる破壊の痕跡。
だが、その一角には、まるで誰かが衝撃を正面から受け止めたかのような異質な歪みがあった。

「……ほう」

彼女の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
この衝撃を耐えた者がいたという事実――それは、彼女にとって何よりの歓喜だった。

踏み荒らされた木々の列が、遠くまで続いている。
その先に目を向けた瞬間、焦土の中に焼け焦げた布切れと、血痕が染みついているのが見えた。
近づき、屈み込んで調べると、血の付着した獣毛が落ちていた。

「これは……獣の毛、か」

だが、この会場に獣の姿を見たことなどない。
ならばこれは、人ならざる者――獣人系の超力者、例えばアンリのような者がいた証左だ。

「護られた痕、だな」

自らの言葉に頷き、状況を再構成していく。
燃やされた木々の、その影にひとつだけ、守られたように残る草むら。
凍土の裂け目の先に、靴跡が折り重なり、逃げるように続く方向。
位置関係からしてそう言う図式が見て取れる。

彼女は静かに目を閉じ、戦場の空気を深く吸い込む。
脳裏に、狂気の炎と絶対零度が交錯した光景が幻のように浮かび上がった。
得られた情報から、この場で起こった戦闘を、まるでシャドーボクシングのように再構成する。

ここにあったのは、単なる力のぶつかり合いではない。
譲れぬ想いが、それぞれの拳に宿り、誰かを守るために――あるいは止めるために――衝突した。
まさに魂の拳が交差する、熱き闘争だった。

「……見事なものだ」

彼女の口元がわずかに緩む。
一見無秩序に見えるが、それぞれが信念を貫いた証が、そこかしこに散らばっている。
恐らくこの場所で、これから彼女が得ようとする『力』が振るわれたのだろう。

ここまでの衝突を生み出すには、相応の覚悟と技量が必要だ。
鍛え抜かれた拳に、魂を宿す者――彼女が最も好む真の強者たち。
そういう者たちが、ここで拳を交えたのだ。

最上の戦場――そう言って差し支えない。

三つ編みを背に流しながら、彼女は拳を強く握った。
胸の奥で高鳴る感情に呼応するように、拳に熱が灯る。
その場に立ち会えなかったことが、ただただ悔しかった。

「ここにいた者たちは……すでに立ち去ったか」

残された気配は、すでに風化を始めている。
闘いの終わりから、少なくとも数時間は経っているようだ。

「……ん?」

口惜しさを噛みしめていた大金卸の感覚が、ふと風の微かな変化を捉えた。
朝の陽が差し込む東の方角から、ひやりと肌を刺す冷気が忍び寄ってくる。

それは、自然がもたらす冷たさではなかった。
霜でも風でもない、意志を帯びた冷気。
それが人為によるものであると、彼女は長年の経験で即座に察知した。

体が反射的に動く。
眉一つ動かさず、呼吸を浅く抑え、足音を土に吸わせるようにして身を低く構える。
大地と一体化するかのような、無音の構え。

――聞こえる。

風でも木々のざわめきでもない。
氷が削れ、空気を裂く音。
微細な冷気の粒子が、空間を鋭く切り裂いていく。
その気配に視線を向けた刹那、数百メートルさきの草原に彼女はそれを見つけた。

「……滑っている、のか?」

朝靄に包まれた草原を、歩くでも走るでもなく、滑るように進む小さな影。
足元に生み出された氷が瞬時に地表を凍らせ、その上を音もなく滑走している。
まるで、氷上を舞うスケーターのように、自在かつ優雅な動き。

それは――年端もいかぬ少女だった。

未成熟な肢体を、薄氷の鎧が覆っていた。
見れば右腕は完全に氷でできた義手のようである。
その姿は神聖な静謐さと、どこか常軌を逸した狂気を同時に孕んでいた。
間違いない。氷を操る超力者だ。

「……ただの子供ではないな」

鋭く光る大金卸の眼は、少女の纏う練度を見逃さない。
氷の張る超力の運用に無駄がなく、体捌きに一切の迷いがない。
移動に合わせて完璧に足場を生成する制御――あれは、相当な鍛錬を積んだ者の所作。

ただの訓練では辿り着けない域。
どのような事情であれ、実践的に超力を使う極限環境に身を置いていた者の練度である。
名は知らずとも、ただの囚人ではないことは一目で分かる。

(……どこへ向かっている?)

少女の軌道には迷いがなかった。
明確な目的地に向かう者の動きである。
それは逃走ではない。追尾でもない。強襲の足運び。

目標を定め、制圧する――氷が導く滑走の軌跡が、その意志を明確に示していた。

その先に何があるのか。
大金卸が答えに至るよりも早く、空気が反転する。

今度は、熱だ。

突如として気圧が変化し、空気が密に膨らむ。
湿度が急激に上昇し、空間そのものが焼き破られるような圧が押し寄せてきた。

紅の翼を翻し、空を裂く流星。
氷の少女が現れたのと同じ東方から、炎の奔流が駆ける。

その推進力となっているのは、まとわりつく焔そのものだった。
黄金の髪。祈るような眼差し。そして、燃え上がる気高さ。
まるで空そのものを祈りで燃やすように、少女は超低空を跳ねるように飛翔していた。

大金卸の目が細められる。
彼女の顔は、氷の少女とまったく同じだった。
異なるのは、髪色と年齢。そこから至る結論は一つ。

(……姉妹か)

そうとしか思えないほど、瓜二つだった。
少なくとも、アビスの名簿に同姓の囚人はいない。
だが、姓の異なる姉妹など珍しくもないだろう。

見る限り、炎の少女は氷の少女を追っている。
彼女たちの間にいかなる事情があるのかは分からない。
だが確かなのは、血を分けた存在でありながら、氷と炎――異なる力、異なる意思を抱いてぶつかろうとしているということ。

それは、まさに爆心地に刻まれた水蒸気爆発の象徴そのものだった。

大金卸の口元が自然と綻ぶ。
先ほどまで辿っていた闘争の痕跡。
それと完全に一致する存在が、今まさにその目の前を駆けている。

風が再び強く吹き始めていた。
氷の軌跡は、露草の上に薄氷を残しながら、やがて朝靄に溶けて消えていく。
炎の残り香は、微かな熱流となって空に漂っていた。

姉妹のような二つの影。
重力を振り切る焔の飛翔と、大地を滑る氷の流星。
決して交わらぬようでいて、どこかで交差し続けている双曲線のような存在。

そこに、大金卸の戦士としての嗅覚が、確かな闘争の匂いを感じ取っていた。
これを見逃す理由など、どこにもない。

拳が自然と握り締められる。
自ら戦場と呼んだ焦土のさらに先に、また新たな魂の拳が衝突しようとしている。

ならば、選ぶべき道は一つだ。
だが、駆け出す前に、彼女はふと立ち止まった。

ふたりの少女は、既に遠い。
かつての自分であれば、考える間もなく飛び出していただろう。
ただ強者を求め、拳を交えることだけに価値を見出していた、あの頃の自分であれば。

だが、今は僅かに不純物が混じっている。

アンリの一撃。
ナチョの言葉。
そして、あの少女たちの、互いを庇い合う姿。
それらが、確かな迷いを彼女の中に生んでいた。

「……拳に、誰かを救う力が宿る、か」

呟いた自分の声に、思わず苦笑が漏れる。
それは、自分にはあまりに似つかわしくない言葉だった。
そんな考えが脳裏をよぎったのは、生まれて初めてだった。

だが思えば――拳こそが、我にとって唯一の拠り所だった。


生まれた時から、我は――異物だった。

人は皆、生まれたての赤子の身体は脆く、柔らかいものだと疑わない。
しかし、我は違った。
我の腕は、産声を上げたその瞬間から、岩のように固かったらしい。

幼子がふにゃふにゃと頼りなく親に抱かれる中。
我だけはどれほど強く抱かれても、泣き声一つ上げなかった。
代わりに、抱いた者の腕が痺れ、驚きのあまり手を離す始末だった。

その理由は肉の量。

曰く、筋肉の質に男女差はない。
差を生むのは、その筋肉量である。
ならば、生まれながらにして男児以上の筋肉を持った女児がいて、何がおかしいか。

我が存在は、その理の証明だった。
『ミオスタチン関連筋肉肥大症』と名付けられた症状。
この体質を『超人体質』と、そう呼ぶ者もいた。
だが、いくら理屈が立っていようと、人々の見る目が変わるわけではない。

幼い我に向けられる視線は、興味ではなかった。
羨望でも、尊敬でもない。

────畏怖。

それは獣に向けるそれと、寸分違わぬものだった。

可愛がられることもなく。
庇護されることもなく。
唯一与えられたのは、檻の中で育てる獣のような、監視と距離感だけだった。

隣の子供たちが無邪気に手を繋ぎ、笑い合う姿を、我は遠巻きに見ていた。
こちらから差し出した掌を、誰も取ろうとはしなかった。
だが、それを寂しいと、我はただの一度も思ったことはない。

力とは、孤独の代償であり。
拳とは、己の価値を刻むための言語だ。
そんな感覚が、物心のつくよりも早く、この身に沁みついていた。

だからこそ我は、誰に教わるでもなく、拳を握った。
正しい握り方を知ったのではない。
ただ、拳がこの身の中心にあると、信じたから。

己の存在を肯定する手段は、それしかなかった。
そして、拳を重ねるたび、思い知ることになる。

────力こそが、我の真実だ、と。

だが、いかに強くとも、世には上がいる。
その現実を我に突きつけたのは、まだ六つの頃だった。

小学生に上がろうという前に、我は実家を飛び出し、秘境の山中にある拳聖の道場の門を叩いた。
我の拳は、未だ粗削りだった。
恵まれた天賦の才を力任せに振るうだけで、技も理もなかった。

師範は、そんな我に拳の握り方から、足運び、呼吸、すべてを一から叩き込んだ
それだけではなく、礼節作法や雑用など、日常生活における基礎までも教え込もうとしていた。

今にして思えば、それは力だけではない、人としての生き方を教えようとしていたのだろう。
だが、幼い我にはそれが理解できなかった。

礼儀や他者の世話など拳の求道に不要と。
我は不満を漏らし、納得がいかぬなら拳で通せという道場の掟に従い、ひたすら挑み続けた。

ただ、勝ちたかった。
ただ、師範に褒められたかった。
ただ、兄弟子たちに一矢報いたかった。

同年代には敵はいなかった。
遥か年長の不良どもすら、我の拳を恐れて逃げ出した。

だが――この道場は違った。

兄弟子たちは、我を余裕でいなした。
拳は届かず、脚を絡め取られ、投げ飛ばされ、地を這った。
師範に至っては、まともに触れることすら叶わなかった。

十度挑んで十度負けた。
百度挑んで百度負けた。
千度挑んでも──勝てなかった。

拳を握るたびに思い知る。
ただ力が強いだけでは、届かぬ世界があると。
拳だけでなく、心をも磨けと、師範は伝えたかったのだろう。

それでも、我は諦めなかった。
泣き言を漏らす暇があれば、拳を鍛えた。
情けを乞うくらいなら、脚を鍛えた。

それは師範らの願いに沿う形の物ではなかったのだろう。
だが、拳を振るうために生まれた我が、拳を棄てて何になる。
ぶれることなく、逸れることなく、我は拳を研ぎ続けた。

ただ、打ち続けた。
ただ、立ち続けた。
ただ、前へ、前へと踏み出し続けた。

そして、十歳の年。
兄弟子の一人を――初めて、拳で叩き伏せた。

その兄弟子もまた、拳聖の下で武を磨いた強者である。
背丈も、体格も、技量も、当時の我を遥かに凌ぐ相手だった。
だが、あの日だけは、我の拳が先に、彼の身体を撃ち抜いた。

武の一字すら知らぬチンピラを叩きのめすのとはまるで違う。
圧倒的な強者と武を競い、勝つという麻薬めいた快楽を初めて知った瞬間だった。

その日からだ。
我が、己の強さをより強く追い求めるようになったのは。
さらに高みへと手を伸ばすことを、やめられなくなったのも。

だが、その道は決して平坦ではなかった。
他者に阿るのではなくただひたすらに武を磨き。
拳聖の後継となるべく、師範を超える道を選んだ。

師範を打ち倒したのは、十五の年。
だが与えられたのは皆伝ではなく、破門だった。
善意を理解出ぬ凶拳の烙印を押され、我は道場を離れた。

我の武は既に達人の域に達していた。
拳聖を打ち倒した我に敵う者はいない。
拳で届かぬ者はいない。
そう、思い込んでいた。

今となっては若さゆえの傲慢だったと言えるだろう。
当時の我にはそんな傲りが、確かにあった。

──あの日、あの男と出会うまでは。

十八歳の年。
まだ『開闢の日』より以前。
世界が未だ、常識に縛られていた時代のことだ。

日本の西の外れ。
そこは訓練用に封鎖された、自衛隊の山中演習場だった。
山籠もりを行っていた我はそこに偶然に迷い込んだのだ。

否、あるいは偶然はなく、あれは──我の『本能』が導いたのかもしれない。
拳を、より強く、より高く、磨くために。
無意識に、強者の匂いを追い求めていた。

演習場には、異様な気配が充ちていた。
野生動物のような、研ぎ澄まされた殺気。
街の不良どもが放つ雑音混じりの暴力とはまるで異なる、研ぎ澄まされた刃のような洗練された殺意。

我を見つけた兵たちは、声をかけるでもなく即座に排除に動いた。
物騒なことこの上ない判断だが、封鎖された区域に、所属も知れぬ恐るべき威圧感を纏った異物が迷い込めば、排除命令も下ると言うもの。
拳を極めたと自負していた我ですら苦戦を強いられる程の強者たちを数名を打ち倒した所で、その男は現れれた。

一際、異質な男が。

顔は四角く、ゴツゴツと削られた岩のよう。
髪は刈り込まれ、瞳は濁り一つなく、全身に纏う空気は鍛え抜かれた鋼そのもの。

我らは言葉は交わさなかった。
ただ、拳で語らった。

そして────完膚なきまでに、叩き伏せられた。

既に熊殺し、牛殺しを成し遂げ、あらゆる生物に敵なしと豪語していた我が。
拳を振り上げれば、先に骨を砕かれた。
脚を踏み出せば、容易く甲を踏み抜かれた。
隙を突けば、技で無力化された。

あまりにも、何もできなかった。

にも拘らずこの胸には跳ねるような高鳴りがあった。
それは、恋に似ていた。
あるいは、恋そのものだったのかもしれない。

拳で全てを測ろうとしてきた我が、拳一つで屈服させられた。
己が頂点であると傲慢を抱えていた己の未熟を突きつけられたことが、たまらなく嬉しかった。
強者に心惹かれる浮気性な我ではあるが、その奥底に己より強い相手を求める漢女心もあるのだ。

「――――鍛え直して来い」

苦もなく我を打ち倒した男は、それだけを残して去っていった。
その背中を見送りながら、我は地に伏したまま、涙をこぼしていた。

悔しさではない。
拳には、まだその先があると知った。
いつか再び、彼に挑める未来があるという希望に、胸が震えたのだ。


あれから幾年。
時は流れ、世界は変わった。

『開闢の日』を境に、人も、力も、常識さえも、すべてが塗り替えられた。
かつて積み上げた価値の多くは崩れ、残ったのは――己自身と拳だけだった。

何事も極めてしまえば、伸びしろは消える。
拳を完成させてしまえば、その先には何もない。
それは、終わりに等しい静寂。
否――絶望にすら近いものだ。

今の大金卸樹魂もまた、その淵に立っていた。
心を奪われるほどの敗北も、魂を震わせるような高揚も、長らく味わっていない。
もはや、呼延のような同じく『道』を極めた者との命懸けの立ち合いだけが、かろうじて火を灯してくれる。
だがそれも、刹那的な刺激にすぎなかった。

だが、今、我が感じているこの高揚。
それは、あの時――あの男に叩き伏せられた日の感覚に似ている。

絆の拳。

これまで見向きもせず、無意味だと切り捨ててきたその在り方。
だからこそ、そこにはまだ、我の知らぬ『余白』がある。

この拳は――まだ、進化できる。

その確信が、再び我を戦場へと駆り立てている。
ならば、試してみる価値はあるではないか。

「誰かを守るための拳」というものが、本当にこの手に宿りうるものなのかどうか。

師に説かれ、かつての己が否定した力。
今の己が、それを試してみたいと思うようになった。
それを成長としてとらえるべきか、あるいは変わらぬ我欲であると捉えるべきか、自分自身では判断できない。

それがたとえ、ただの気まぐれであっても。
過ちであっても構わない。

これは救済でも、善意でもない。
あくまで力を欲する求道の一環だ。

この拳にどのような力が宿るのか。
どのような変化が起きうるのか。
我の興味はそこに尽きる。

結果がどうであろうとも、今の己に必要なのは――実践だ。

「……決めた」

草を踏みしめる足元には、かつてのような獣じみた重さはなかった。
ただ、己の意志で一歩を進めるための、確かな質量だけがあった。

この先に戦があるならば、そこには必ず勝者と敗者がいる。
強者と、弱者がいる。
ならば。

「次の闘争では、我が拳を、『弱者』のために振るうとしよう」

それが正義かどうかなど知らない。
善意という言葉の意味も、未だ大して理解してはいない。
だが、もしそれによって拳に何かが宿るのならば――――知りたい。

ナチョが信じ、安里が信じ、あの少女たちが選んだもの。
自分にはなかった力の源泉が、本当に『絆』と呼べるものなのかどうか。

善悪が分からずとも、戦力と戦況を読むことにかけては誰にも劣らぬ自信がある。
だからこそ、駆け付けた際にその場で『もっとも弱き者』のために拳を振るう。

それは単純な実力の話ではない。

強者に蹂躙されようとする者がいるならば、その前に立つ。
数に追い詰められる者がいるならば、その背を支える。
踏み潰されそうな者がいるのならば、その剣となる。

駆け付けた戦場で、もっとも追い詰められた者をこの拳で庇護しよう。

それは、まだ欲望の延長線にある選択だ。
学ぶのではなく、試すのだ。
拳を、高めるための一つの手段として。

「一度だけなら……確かめてみる価値はある」

その一歩は、確かに、これまでの彼女とは違っていた。
その拳が向かう先には、初めて己以外の存在がある。
それこそが、第一歩。

「……次の戦場が、楽しみだな」

大金卸樹魂は、ゆっくりと歩き出した。
その背に朝日が差し、影を濃く落とす。
影の先には、微かに温かな色が差し込み始めていた。

戦場とはかくも心躍る場所だが、この浮き立つような心持ちは久方ぶりである。
この拳が完成に至って以来、久しく感じていなかった新たな技を試してみたくなるような感覚。

その歩みは、かつて戦場を蹂躙していた重機のものではない。
新たな『武』を求める、修行者の一歩だった。

彼女は――確かに変わり始めている。

まだ誰も気づかぬ、小さな変化。
だが、それでも。

その一歩は、いつか世界を変える拳になるかもしれない。

【C-4/森の中/一日目 午前】
【大金卸 樹魂】
[状態]:胸に軽微な裂傷と凍傷、疲労(中)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.強者との闘いを楽しむ。
0.炎と氷の姉妹を追う。
1.新たなる強者を探しに行く。
2.万全なネイ・ローマンと決着をつける。
3.ネイとの後に、りんかと決着をつける。
4.善意とはなにか、見つけたい。誰かのための拳に興味。

【C-3/草原/一日目 午前】
【ジャンヌ・ストラスブール】
[状態]:疲労(大)、全身にダメージ(大)、右脇腹に火傷
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.正義を貫く。だが、その為に何をすべきか?
1.ジルドレイを追い彼の凶行を止める
2.ルーサー・キングとの合流地点(港湾)を目指す。
3.刑務の是非、受刑者達の意志と向き合いたい。
※ジャンヌが対立していた『欧州一帯に根を張る巨大犯罪組織』の総元締めがルーサー・キングです。
※ジャンヌの刑罰は『終身刑』ですが、アビスでは『無期懲役』と同等の扱いです。

【B-3/草原/一日目 午前】
【ジルドレイ・モントランシー】
[状態]: 右目喪失(氷の義眼)、右腕欠損(氷の義肢)、怒りの感情、精神崩壊(精神再構築)、全身に火傷、胸部に打撲
[道具]: 無し
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本. ジャンヌを取り戻す。
1.港湾と灯台に向かい、ジャンヌの光をジャンヌに証明する
2.出逢った全てを惨たらしく殺す。
※夜上神一郎によって『怒りの感情』を知りました。
※自身のアイデンティティが崩壊しかけ、発狂したことで超力が大幅強化された可能性があります。


095.狂犬は踊る 投下順で読む 097.血の宿命
時系列順で読む
絆の力 大金卸 樹魂 [[]]
氷の偶像 ジャンヌ・ストラスブール [[]]
ジルドレイ・モントランシー [[]]

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最終更新:2025年07月11日 20:26