静かだった。
大地に伏せた草葉が、朝露を抱いて微かに揺れている。
朝の訪れた空は、まるで何も知らぬ顔でただ青く、清々しいほどに晴れていた。
「……りんか、寒くない?」
「ん、大丈夫ですよ。紗奈ちゃんがあったかいから……」
倒木の傍、苔むした岩に背を預けるようにして、二人は寄り添っていた。
恐怖の大王バルタザール。紅血の鴻鳥ブラッドストーク。虐悦の令嬢ルクレツィア。氷結の怪人ジルドレイ。
この僅か6時間で度重なる強敵との死闘があった。
2人の疲労、特にりんかは疲労の極みにあり、半ば眠ったようなまどろみの中で、紗奈の胸元に顔を預けていた。
紗奈の右手は優しく、りんかの髪を梳いていた。
その指先にはまだ、新たに得た力の残光が微かに残っている。
「……すごかったですね、紗奈ちゃんの変身」
「うん、自分でもビックリした。最初は身体が熱くて……でも怖くなかった。不思議と、守らなきゃって思ったの」
「……私、ほんとに守られちゃったんですね」
くすっと笑って、りんかが顔を上げる。
その笑みは誇らしくもあり、少しだけ寂しそうでもあった。
「……ありがとう、紗奈ちゃん。あのとき、紗奈ちゃんがいなかったら……私、きっと……」
「言わないで。それは私の役目だったんだもん。りんかが、あのとき私を守ってくれたみたいに……今度は、私の番だったの」
紗奈の声は震えていた。
喜びとほんの僅かな、焦りにも似た感情が混ざっていた。
「ねえ、りんか」
「うん?」
「これから先も……私が、りんかを守るから。だから、もう無理はしないでほしいの。りんかが傷つくの、見たくない」
その言葉に、りんかは小さく目を見開いた。
紗奈の真っ直ぐな瞳が、嘘ひとつない決意で満ちていた。
「……うん。その気持ちはすごく嬉しいです。けど、それは約束できません。
だって、私も紗奈ちゃんを守りたいから。ずっと一緒にいて、手を離さないって決めたから」
「ずっと……一緒」
そう繰り返す紗奈の表情に、かすかな朱が混じる。
望みが受け入れられなかったことよりも、その言葉に喜びのような形が口元に浮かぶ。
「分かった。私がりんかも守るから、りんかも私を守ってね。ずっと一緒にいようね」
朝の森の空気はどこまでも澄んでいる。
だがそれでも、二人の間には小さな影が落ちていた。
あまりにも強く繋がった心と心は、時に自分の輪郭さえ曖昧にしてしまう。
それが絆なのか、それとも依存なのか。
今の彼女たちは、まだそれを知る由もなかった。
それでも、確かなのはただ一つ。
今は、離れたくない。
壊れてしまってもいいから、繋がっていたい。
ふたりはそんな風に、互いの存在を確かめ合うように、そっと指を絡めた。
そして――静寂を裂くように、『放送』が響くのだった。
■
『――――定時放送の時間だ』
穏やかな森の静寂を破るように、冷たい声が落ちてくる。
風が止まり、葉擦れの音さえ鳴りを潜める。
「っ……放送……?」
りんかがゆっくりと顔を上げた。
どこにもスピーカーの姿はないはずなのに、ヴァイスマンの声だけが、空間を支配していた。
アビスを支配する者の冷徹な声。
地の底で何度も聞いた声。
しかし今だけは、胸のどこかがざわついていた。
そして、刑務作業の成果として、死者の名が機械的に読み上げられる。
その一つ一つが、終わった命の証であると知りながら、りんかの心は追いつけずにいた。
『アンナ・アメリナ、並木 旅人、羽間 美火──』
「っ……」
心臓が、鈍く跳ねた。
首筋に氷を押し当てられたような感覚に視界が一瞬、歪んだ。
口元が震え、喉が言葉をせき止めた。
「……う、そ……」
羽間 美火。
その名を耳が捉えた瞬間、全身の神経が逆流した。
「りんか……?」
紗奈の声が、脇から細く届く。
けれど、それすらも遠くに感じた。
視界の端で紗奈が不安げに見上げているのが分かっていても、目を合わせることができない。
「なんで……美火ちゃんが……」
過去の記憶が脳裏をかすめる。
あの夕暮れの公園で憧れの必殺技を教えてくれた。
『ヒーロー』という概念を、りんかにくれた存在。
その彼女の名が、死者として淡々と読み上げられた。
「そんな……言ってない、よ……お礼……まだ……」
彼女に教わった『必殺技』で救われた命が、自分より先に消えていたという現実に思考が追いつかない。
まるで、燃える星が音もなく墜ちたかのようだった。
そんなこちらの思いなど無視して、放送は感情なく続く。
『……舞古 沙姫、ドン・エルグランド、宮本 麻衣、恵波 流都』
次に続いた名前に、こんどはりんかだけなく紗奈の瞼もぴくりと動いた。
今度の名には驚きではなかった。
けれど、確かな胸の鈍痛があった。
「流都さん……」
呟きは、苦くて重い。
あの時の戦い。
あの一撃。
そして、彼が背を向けた後の姿。
(……もしかしたら……とは思ってた)
思っていた。
りんかの記憶している流都の最後の姿は立ち去る背中である。
彼の死は確認していない、その前にりんかが死んでしまったからだ。
あのしぶとさだ。
あの男のことだ。
そうだと確定されるまでは、どこかで生きている気がしていた。
どこかでまたふざけた調子で「チャオ♪」とか言って戻ってくるんじゃないか、そんな都合のいい予感も、ほんのわずかにあった。
だから今、その名が「死者」として放送されてしまったことが、
どこまでも現実を突きつけてくる。
「……そっか。……そうだよね……」
小さく、目を閉じた。
涙の代わりに、胸の奥に静かで重たい蓋が落ちるような感覚があった。
一度は全てを否定しようとした男。
けれど、最後に見せた横顔。
りんかの言葉に、明らかに心が揺れたあの一瞬。
「……間に合って、なかったんだ……やっぱり……」
──美火ちゃんは、会いたかった。
せめてもう一度、ちゃんとお礼を言いたかった。
必殺技、使わせてもらったよって、あの蹴りで私、生き延びたよって。
──流都さんは、救いたかった。
救うって、豪語したくせに、間に合わなかったんだ。
ほんの少しでも救えていたら、という願いは、死と言う事実の前で言葉にさえできなかった。
その実感が、ようやく胸に降ってきた。
堪えきれず、涙がひと粒、地面に落ちた。
その胸の隙間を、紗奈の声が優しく埋める。
「……りんかは、救おうとしてたよ」
「……うん……」
その言葉に、また少し目頭が熱くなった。
「私が……ちゃんと強かったら……ちゃんと、救えてたのかな……」
「それは、きっと……誰にもわかんない。でもね」
紗奈が、ぎゅっとりんかの手を握る。
「少なくとも、私を救ってくれたのは──りんかだよ」
その一言に、膝から力が抜ける。
張り詰めていた心が崩れた。
「……う……うぅっ……」
嗚咽が、堰を切ったように溢れ出す。
膝をついて、紗奈の小さな胸元に顔を埋める。
「ごめんね……美火ちゃん……流都さん……ごめん……!」
押し殺した声が、森に溶けていった。
悲しさも、悔しさも、無力さも、全部。
りんかは隠さず、涙と一緒に吐き出した。
「あなたたちが残してくれたもの……私、絶対に無駄にしないから」
その言葉は誰に届くわけでもない。
けれど、確かにりんかの中に生き続けていく。
正義と、希望と、救いの灯として。
紗奈は何も言わなかった。
ただ静かに、りんかの背をさすっていた。
涙の数だけ、人は強くなる。
こうして少女はまた、ひとつ強くなった。
■
森を吹き抜ける風が少女たちの涙を優しく撫ぜる。
流れる涙も止まりその跡も乾いた頃。
少女を慰めていた風が、唐突に止んだ。
それは自然の気まぐれではなかった。
まるで森そのものが、何かに恐れを抱き、息をひそめたかのような異常な静寂だった。
次の瞬間――ドン、と低く地を這うような重低音が森の奥から響いた。
それは足音というにはあまりに重く、まるで巨獣が眠りから目覚めたかのようだった。
「……地響き……?」
りんかが顔を上げ耳を澄ます。
風の音はなく、木々の葉も凍ったかのように動かない。
そして、『何か』が、こちらに近づいてくる。
「りんか……」
怯えを滲ませる紗奈の声。
その細い指が、無意識にりんかの服の裾を掴む。
ドン、ドン――。
地を踏みしめるたびに、大地が微かに震えた。
そのたびに枯葉が跳ね、空気がざわつき、風が逆流する。
存在そのものが異常だった。
ただ歩くだけで空気の密度が変わる。
音だけで、世界が沈黙するようだ。
「……なに、この気配……?」
まるで猛獣の接近を察した子ウサギのようにりんかたちの鼓動が跳ねる。
そして次の瞬間、森の木々を薙ぎ、土煙を巻き上げながら、それは姿を現した。
「―――――失礼をする」
凛とした低声が、空間の支配権を塗り替える。
ただの一言で、世界が変わる。
圧倒的な――筋肉(マッスル)。
広い肩幅。
はち切れんばかりの囚人服。
分厚い胸板、幾重にも刻まれた古傷。
これまで出会った誰とも違う。
拳と肉体だけで己を証明してきた、『怪物』の姿だった。
「移動中、周囲が禁止エリアに指定されてしまってな。急ぎ離脱していた。
その折、人達の気配を感じた故、こちらにはせ参じた。驚かせたのなら、詫びよう」
簡潔に語られる状況説明。
しかし、その声は重い岩のようにのしかかる。
「……あなた……いったい誰……?」
紗奈が『怪物』の正体を訪ねる。
応じるように『怪物』が名乗った。
「我が名は、大金卸樹魂。そちらの名は?」
森の木霊のように響くその名に、どこか獣の咆哮めいた重さがあった。
しばしの沈黙の後、りんかが口を開いた。
「……葉月りんか、です」
「交尾紗奈……」
緊張に喉を絞られながらも、ふたりは名乗りを返した。
名乗りを受けた大金卸は一つ頷き、目を細めると周囲を見渡した。
まるで猟犬のように空気を嗅ぎ、視線を地に落とす。
氷の跡。抉れた地面。乾いた血。痕跡のひとつひとつをなぞるように観察する。
そして、改めてふたりを見つめ直し、問いを放つ。
「我はこの付近にて発生した、“水蒸気爆発”と“白と紅の光の交錯”を追って来た。
りんかと紗奈よ。この周囲で何があったか、いやここで誰が戦ったかを知っているか?」
言葉は決して荒くない。
だが、その声には、有無を言わせぬ空気の芯を揺らすような圧力があった。
「……その『白と紅の光』の『白の光』の方は、多分、私です」
りんかは下手な誤魔化しはせず、正直に名乗りを上げた。
止めるように咄嗟に手を伸ばす紗奈だったが、りんかはそれを制し、まっすぐ大金卸を見つめる。
その瞳を見て、大金卸の目が細く細く、笑みに似た弧を描く。
「お主が?」
「はい。ここで“ブラッドストーク”と戦ったのは、私です」
年若き少女の口から語られた戦歴。
だが、大金卸は驚きも疑いもしなかった。
なにせ大金卸もりんか程の年頃には既に牛殺しを果たしている。
超力が蔓延した今の時代であればなおさらだ。
彼女の中に芽生えるのは、疑念でも畏れでもなく、飢えた本能。
外見が酷く愛らしい少女であれど、それが戦士とあらば闘争あるのみ。
「強者を見ると……どうにも、拳が疼く性質でな」
ぞわりと、その背から空気が逆巻く。
殺気ではない。それは純粋な『闘気』だった。
相手を殺したいのではなく、ただその力を試したい。
その一点だけの欲求が、これほどまでに圧を持つという事実。
「りんかよ。お主との立ち合いが望みだ。我が拳と、お主の力が、どちらが上か試させてもらいたい」
その声は、森の全てを揺らす。
言葉も所作も礼儀正しい武人のそれだが、相手の都合など考えず果たし状をたたきつけるような無礼。
りんかと紗奈は、言葉を失ったまま、ただその眼差しを受け止めていた。
「……本気なの?」
紗奈が震える声で問うた。
その瞳は恐怖と怒りと、そして困惑に揺れていた。
唐突に現れ、唐突に喧嘩を売ってきた、理不尽に周囲を巻き込む災害のよう。
「我は、冗談を解さぬ」
ずし、ずし――と、大金卸が一歩、また一歩と前へ進むたびに、空気が震える。
森の木々までもが圧力に耐えかねて沈黙していた。
重力そのものが狂ったようにすら感じられる。
「……恩赦が目的、ですか?」
怯えを隠せぬまま、りんかが問いかける。
だが、大金卸は静かに首を振る。
「否。我が欲するは一つのみ。拳を交えるに足る強者よ」
その声には、欲も憎しみもない。
あるのはただ、戦いへの純粋な希求、それだけだった。
戦闘そのものを歓びとする者。
拳を高めることを己の生とする者。
それが、大金卸樹魂という存在であるた。
「待ってよ! 見ればわかるでしょ……今のりんかは、戦える状態じゃない!」
紗奈が声を張り上げる。
まるで、りんかの代わりに全てを引き受けようとするかのように。
大金卸はしばし無言のままりんかを見つめ、ゆっくりと吐息を漏らした。
「見たところ……四肢は義肢か。腹部に強い打撲痕、背面には刺突創。腎部にも損傷が見られる。
鼻と喉に軽度の外傷、口腔内には裂傷。だが――意識は明瞭、立脚可能。反応速度にも異常なし」
大金卸はまるで医師のように、冷静に状況を分析してみせる。
「――十分に戦える。その肉体も、魂も折れてはいない」
その判断に一片の迷いもなかった。
戦士にとって戦えるか否かは、心と肉が前に出られるかだけだと。
大金卸目にはりんかは一人前の戦士として映っていた。
「決闘を、断ったらどうなります……?」
「悪いが、その場合は我が先に仕掛けるだけだ。お主らは否応なく応じることになろうな」
その声音には、悪意も敵意もなかった。
彼女はそうやって世界各地で様々な猛者や組織に一方的に喧嘩を売って叩き潰してきた。
ただ限りなく純粋で振るう相手を選ばない。善悪を超越するとはそう言う事だ。
「ダメよ! りんかは私が守る!」
紗奈の声が、空気を裂いた。
その言葉に、大金卸の足が止まる。
少女がその細い身体で、前に出ていた。
傷だらけの体。それでも、瞳には確かな覚悟が宿っていた。
「りんかはもう限界なのよ……! これ以上、彼女に無理はさせたくない……だから……手を出すなら、私が、相手だぁ!」
紗奈の背中を、りんかが黙って見つめていた。
あんなに小さくて、いつも守ってきたはずの背中が、今は自分の前に立っていた。
「……ありがとう、紗奈ちゃん。でも……私だって、紗奈ちゃんを守りたいよ」
静かに、でも確かに強く。
りんかもまた、一歩前へ出る。
その言葉は、ふたりを繋ぐ光の糸になった。
「どっちかだけが傷つくなんて……もうイヤ。だから――戦うなら、私たちは二人で!」
その言葉に、紗奈も頷いた。
「うん、一緒に。二人で……!」
守られるだけでも、守るだけでもなく。
ふたりで、共に立ち、共に戦う。
それが今の彼女たちの答えだった。
「二人同時か。構わぬ――来るがいい!」
低く、重い咆哮のような声が空気を裂く。
巨漢の筋肉がきしむように膨らみ、漢女は腕を掲げる。
そして――光が走った。
りんかの背中に、再び光の羽根が宿る。
希望を象徴する羽が輝きながら展開し、その身を包み込むように形を成していく。
『シャイニング・ホープ・スタイル』
構築されるのは、誰かの希望を守るためのヒーロー。
その姿は、かつて命を懸けて彼女を救ってくれた姉・楓花の姿を写すように、気高く、美しい。
幾多の痛みと記憶を背負いながら、それでもりんかは立ち上がる。
同時に、紗奈の体にも、柔らかく強い光が走る。
幼い姿は急速に成長し、白銀と黒の意志が絡み合ったような騎士の装いへと変わる。
その瞳に浮かぶのは、過去の痛みを知った少女だけが持ちうる決意の輝き。
『シャイニング・コネクト・スタイル』
白銀の鎧と長くしなやかな黒髪、そして手にしたのは光のリボン。
それは愛と守護の象徴、そして、必要とあらば敵を封じる裁きの鞭。
かつての傷と絆が、彼女を希望の守護者へと変えた。
「これが……私たちの……!」
「光!!」
並び立つふたりに光が収束してゆく。
ふたりの少女が、互いを信じ、誓い合うことで宿した希望の光。
ひとりは純白の英雄、ひとりは白銀の騎士。
純白と銀光が重なり、森の風景をまばゆく塗り替えてゆく。
大地がわずかに震えた。
大金卸樹魂が、わずかに顎を上げて微笑んだ。
「いくよ、紗奈ちゃん――!」
「うんっ、りんか!」
先手はりんかだった。
光の翼を広げ、高く飛翔した彼女は、掌を突き出す。
「ホーリー・フラッシュ!」
閃光がりんかの掌から迸り、大金卸の視界を白く焼く。
直撃を狙ったものではない。あくまで閃光による撹乱。
その刹那、草陰から飛び出した紗奈が、両手のリボンを螺旋状に撃ち出した。
「今……ッ!」
リボンは幾筋にも分かれ、大金卸の足元へと絡みつく。
拘束が決まれば、その間にりんかがフィニッシュを入れる算段――だが。
「甘いな」
大金卸が右足を少し傾けただけで、膝に絡まるはずのリボンは逆に捻り飛ばされた。
片腕を素早く薙ぐと、空中のリボンすら切断されたかのように飛散する。
「紗奈ちゃん、退いて――ッ!」
りんかが叫ぶ。
リボンに対処するその僅かな隙を突くように、空中で翼を大きくはためかせ回転軌道に乗って急降下する。
受け継がれし必殺の――――。
「――――――――シャイニング・キック!」
りんかの身体が閃光をまとい、高空から回転を加えて急降下する。
本来ならば、聖光と共に降り注ぐそれは、悪を砕く流星そのもの。
刹那、大金卸が腕を交差し、簡素な防御姿勢で迎え撃つ。
交通事故めいた轟音と共に空気が歪む。
地面に衝撃波が広がり、葉が舞い上がる。
しかし――大金卸の姿は、微動だにしなかった。
「っ……!」
落下中にすでに、りんか自身も悟っていた。
連戦の疲労とダメージが、確実に肉体を蝕んでいる。
打撃の速度も、タイミングも、本来の切れ味からは程遠かった。
「きゃっ……!」
振り払うように大金卸が腕を横に薙ぐと、りんかの身体が吹き飛ばされる。
だが、りんかが空中に放り出されたその瞬間、左右からリボンが鋭く走った。
横合いから再び走った紗奈のリボンが大金卸の片腕を捉える。
「今度こそ……封じるっ!」
リボンがその場で発光し、相手の超力を封印を試みる。
相手の超力は不明だが、この常識外れの力の一端が封じられる筈だ。
だが、その目論見は外れた。
「きゃあああっ!?」
巨女の筋肉が唸る。
巻き付いたリボンごと紗奈の体が引き寄せられた。
恐るべきことに、その剛力に超力は一切関与していない。
大金卸の怪力が、拘束ごと少女を振り回し放物線を描いて空へ放たれる紗奈。
「紗奈ちゃん!!」
間髪入れず、その身を追ってりんかが翼を広げる。
「シャイニング・ウィング――ッ!」
先ほど自分が吹き飛ばされた無理な体勢のまま、強引に風を掴んで飛翔。
腕を伸ばし、落下する紗奈をぎりぎりで抱き留める。
そのまま着地――膝を突き、土を滑らせながら衝撃を受け流す。
「大丈夫、紗奈ちゃん……!」
「……うん、ごめん……でも、まだいける」
ふたりは泥に塗れ荒く息を吐きながらも、互いに背中を預け合うように立ち上がる。
痛みはある。傷も深い。だが、信頼の光が瞳から消えることはなかった。
互いが互いを支え、高めあっている。
「……なるほどな」
その姿を見た大金卸が何かに思い当たったのか、唸るように呟いた。
そして、はじめて一歩後ずさる。
ただの戦術的退きではない。
そこにあったのは、わずかな思案。そして――問い。
「一つ、問いたい」
右手を前へ差し出し、明確に戦闘の中断を宣言する仕草。
息を整えようとするふたりに、大金卸は真っ直ぐに問いかける。
「そなたたちが互いを守ろうとするのは――それは『善意』によるものか?」
互いを庇いあう2人の姿を見て大金卸の脳裏に過ぎったのは数時間前に見た、北鈴安里とイグナシオの姿だった。
未熟で無力、それでも誰かを守るために立ち上がった少年。
この少女たちにも、似た匂いを感じた。
だからこそ、大金卸は問うた。
イグナシオより投げられた『善意』と言う課題について。
その問いに、りんかと紗奈は、顔を見合わせて言葉を詰まらせる
「……善意って言えば、そうかもしれないけど……」
りんかの口から漏れた答えは、曖昧で、どこか頼りなかった。
その言葉が、正しいのかどうか自分でもわかっていない。
どう言語化すればいいのか、言葉に詰まる。
そんなりんかに代わって、紗奈が一歩前に出た。
「全部が善意ってわけじゃない。りんかがいなくなったら……私、きっと壊れちゃう。
だから守りたいの。それは私自身のためでもある……でも、それでも……守りたいって気持ちは本物なのよ」
手を震わせながら、懸命に絞り出すように語る紗奈。
その言葉を、りんかがその言葉をしっかりと受け止め、優しく頷く。
「……私もそうです。紗奈ちゃんのために戦いたいって気持ちは、ただ優しさだけじゃない。
私もきっと、救いたかった自分を、紗奈ちゃんに重ねてる」
かつて流都に言われた、痛みを伴う真実。
『自分が赦されたいだけじゃないのか』と、問いかけられたあの言葉が、胸の奥に今も刺さっていた。
「それでも、紗奈ちゃんの光になりたいって思えた。
そう願ったのは、全部が偽りじゃない。だから……」
不完全で、混ざりものだらけの祈り。
それでも、確かに心から生まれ彼女たちの真実だ。
その言葉を聞いていた大金卸が考え込むように僅かに瞳を閉じる。
しばしの沈黙ののち、彼女はぼそりと呟く。
「……成る程な」
その声音には、かすかな納得の響きが宿っていた。
脳裏に過るのは、数時間前に拳を交えた、未熟な少年の姿。
実力は遥かに格下。戦士としては未熟の極み。
だがあの少年は、確かに大金卸の身体へ一撃を通した。
それは、きっと彼に守りたい者が、ナチョのためにという戦う理由があったからだ。
――そういうこと、か。
安里も、そしてこの二人の少女も。
己のためではなく、誰かのために拳を振るっていた。
その在り方は、大金卸樹魂という、己の強さだけを信じただ『個』を突き詰めてきた存在にとっては、異質だった。
「……我が問いに答え、感謝する」
低く、静かな声。
大金卸は、ゆっくりと構えていた拳を下ろす。
そして、そのまま、深く一礼に近い動作を取った。
「……こちら望んだ立ち合いにもかかわらず、身勝手とは承知で言おう――ここで立ち合いを、中断したい」
唐突な申し出に、りんかと紗奈は目を見開く。
一方的に仕掛けられたりんかたちからすれば願ってもないことだが、どういう風の吹き回しか。
「……なぜ……ですか?」
恐る恐ると言った風にりんかが尋ねると、大金卸は真正面からその問いに答えた。
「己の中に、迷いが生じた。今この瞬間、闘争に集中できぬ。その状態で拳を交えるは、戦士としての矜持に反する」
言葉に一切の誤魔化しはなかった。
彼女にとって、戦いとは魂のぶつかり合いであり、それが濁っているならば、拳を振るうに値しない。
それは、かつてネイ・ローマンとの一騎打ちの中でも見せた姿勢だった。
彼女は常に、肉体よりも精神の完全性を重んじている。
「だが、そちらが継続を望むのであれば受けて立つつもりだ」
「い、いやいやっ、それは……! 大丈夫です! 全然!」
りんかは慌てて手を振った。
大金卸のように万全ではない相手とは立ち会えないなどと言う話ではなく。
単純に今の二人に大金卸とまともにぶつかる余力はない。
「無論――再戦は望む。今度はお主らも我も、互いに澱なく拳を交えられる時に」
言葉とは裏腹に、その声からはもう迷いが払われていた。
今はただ、ひとつの結論を静かに口にしていた。
返事を待つことなく、大金卸が踵を返す。
静かに歩み始めるその背中に、呼び止める言葉はなかった。
だが、その巨躯が森の奥へと消えかけたその時、彼女はふと立ち止まり振り返らずに、ひとことだけを残した。
「……己以外のための強さ――覚えておこう」
そして、大金卸樹魂は森の奥へと消えていった。
圧倒的な質量が、森の奥へと遠ざかっていく。
足跡だけが、戦場となりかけた大地に刻まれていた。
圧倒的な存在が去った後、風がようやく森に戻ってくる。
呆然としながらりんかと紗奈は、どちらからともなく手を取った。
正直なところ、りんかたちの側に戦う理由などないし、この怪物との再戦などご免被りたい。
だが今この場は命を賭けずに済んだことに安堵する。
この怪物のような強者の心に、一歩でも何かを刻むことができたのならそれは、十分すぎる成果だった。
■
約束が一つ果たされぬまま終わり、そして、一つ新たに芽吹いた。
定時放送にて告げられた――呼延光の死。
その名が無機質な声で読み上げられた瞬間、
未だ果たされていなかった決着の火種は、音もなく消えていた。
確かに、口惜しさはあった。
だが、それ以上に胸をざわつかせたのは、あの呼延光を打ち倒した何者かが存在するという事実だった。
(一度、工場跡に戻ってみるか……否、まずは近場の水蒸気爆発の現場を確認してからでも遅くはあるまい)
思考が奔流のように頭を巡る。
高まり始めるのは、戦いへの欲求。
次なる強者の気配を求めて、魂が疼く。
――己の浮気性が、実に困ったものだ。
そう呟いて肩をすくめるその姿は、滑稽ですらあった。
だが、それもまた、大金卸樹魂という漢女の、生まれながらにして変えられぬ性である。
森を駆け抜けるその歩みに、迷いはなかった。
けれど、胸の奥の芯には、確かに微かな揺らぎがあった。
それは、久しく味わっていなかった感覚だった。
彼女は生まれてこの方、己の欲求に忠実なまま拳を振るってきた。
誰かのために拳を振るったことなど、一度もない。
守るためではなく、奪うためでもなく、ただ戦うこと自体に快楽を覚える者。
勝ち、負け、斃れ、打ちのめす。そのすべてに高揚を覚え、戦いという純粋な本能に酔ってきた。
だが、彼や彼女たちは違った。
彼らは、己のためではなく、「誰かを守るために」拳を振るっていた。
その理由には、未だ共感はできない。
『善意』や『絆』という言葉に、憧れなどない。
けれど、その一撃が、確かにこの身に届いたのだ。
その事実を否定することはできない。
思い出すのは、まだ若く、血気盛んだった頃の記憶。
己の拳に、何一つ迷いのなかった時代。
あのとき、師範が静かに言った言葉。
『――お前の武は、我欲に満ちている』
それは、技術の話ではなかった。
いかに肉体を鍛え上げ、技を極めようとも、人としての在り方が足りなければ、真の継承者にはなれない。
そう師は言ったのだ。
当時の彼女には、その意味がわからなかった。
理解しようとも思わなかった。
だが、今は少し違う。
今なら、その言葉の輪郭だけでも、指でなぞれる気がする。
「……拳に、誰かの命が宿ることがあるのか?」
ぽつりと零れたその声は、朝露を割る風よりも静かだった。
その瞳には、こちらに立ち向かう安里と互いを庇いあうりんかと紗奈の姿が確かに焼き付いている。
(他人のために振るう拳が、あそこまで強くなるというのなら)
彼女は拳を開いた。
掌を空へと向け、朝日にかざす。
雲間から射す陽光が、拳を赤く染める。
「……確かめてみても、いいかもしれぬな」
静かにそう呟き、大金卸樹魂は再び歩き出した。
『善意』や『絆』。これまで顧みる事すらなかった力。
だがそれを、己の『武』をより高みへ押し上げる『手段』として捉えるならば。
恐らくそれは師範やナチョが望んだモノではないのだろう。
彼らは『善意』や『絆』を『目的』として望んでいたのだ。
だが、こればかりは変えようのない大金卸樹魂の生き様である。
日に向かって進む。
足跡だけが、戦場になりかけた地に深く刻まれ、朝の陽光に滲んでいた。
【D-3/森の中/一日目 朝】
【大金卸 樹魂】
[状態]:胸に軽微な裂傷と凍傷、疲労(中)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.強者との闘いを楽しむ。
0.爆発地点(C-3付近)へ向かう。
1.新たなる強者を探しに行く。
2.万全なネイ・ローマンと決着をつける。
3.ネイとの後に、りんかと決着をつける。
4.善意とはなにか、見つけたい。誰かのための拳に興味。
【葉月 りんか】
[状態]:シャイニング・ホープ・スタイル、全身にダメージ(極大)、疲労(中)、腹部に打撲痕、背中に刺し傷、ダメージ回復中、紗奈に対する信頼、ルクレツィアに対する怒りと嫌悪
[道具]:なし
[方針]
基本.可能な限り受刑者を救う。
1.紗奈のような子や、救いを必要とする者を探したい。
2.この刑務の真相も見極めたい。
3.ソフィアさん…
4.ジャンヌさんそっくりの人には警戒しなきゃ
※羽間美火と面識がありました。
※超力が進化し、新たな能力を得ました。
現状確認出来る力は『身体能力強化』、『回復能力』、『毒への完全耐性』です。その他にも力を得たかもしれません。
【交尾 紗奈】
[状態]:シャイニング・コネクト・スタイル、気疲れ(中)、目が腫れている、強い決意、りんかに対する依存、ルクレツィアに対する恐怖と嫌悪
[道具]:手錠×2、手錠の鍵×2
[方針]
基本.りんかを支える。りんかを信じたい。
1.新たに得た力でりんかを守りたい
2.バケモノ女(ルクレツィア)とは二度と会いたく無い
3.青髪の氷女(ジルドレイ)には注意する。
※手錠×2とその鍵を密かに持ち込んでいます。
※葉月りんかの超力、 『希望は永遠に不滅(エターナル・ホープ)』の効果で肉体面、精神面に大幅な強化を受けています。
※葉月りんかの過去を知りました。
※新たな超力『繋いで結ぶ希望の光(シャイニング・コネクト・スタイル)』を会得しました。
現在、紗奈の判明してる技は光のリボンを用いた拘束です。
紗奈へ向ける加害性が強いほど拘束力が増し、拘束された箇所は超力が封じられるデバフを受けます。
紗奈との距離が離れるほど拘束力は下がります。
変身時の肉体年齢は17歳で身長は167cmです。
※『支配と性愛の代償(クィルズ・オブ・ヴィクティム)』の超力は使用不能となりました。
最終更新:2025年07月04日 21:40