ブラックペンタゴン最上階。
最奥に位置する一室は、まるで廃墟を思わせる無人の武器庫だった。

壁際には、まるで誰かが手入れし続けていたかのように整然と並べられた武器の数々。
どれも磨かれたように鈍く光り、時間の流れを拒んだような永遠の状態を保っていた。

棚に収められた銃器、テーブルの上に置かれたナイフ、壁に立てかけられたハンマー。
全てが、いつでも使えるように、誰かの手を待っていた。

「ここはもういい。出るぞ」

脱獄王、トビ・トンプソンは重たい空気を切るように短く言い放つ。
踵を返すと武器の並ぶ中心を無造作に歩き抜けていき、そのまま武器庫を後にしようとする。
だが、それにヤミナが意外そうな声を上げた。

「えぇっ!? この武器、持っていかないんですか?」

最奥部の武器庫に整然と並べられた、刀剣、鈍器、銃器の数々。
たとえ旧世代のものだとしても、このブラックペンタゴンの過酷な刑務を生き抜くうえでは、まさに宝の山。
これを持たずに出るという選択肢など、ヤミナには信じがたかった。

「いかねぇよ。荷物になるだけだ」

トビはにべもなく突き返す。
軽業師のようにしなやかで、柔軟な身のこなしこそが、トビ・トンプソン最大の武器だ。
重火器などを抱えていては、その身軽さを自ら殺すことになる。
トビにとって小回りの利くナイフ一本があれば、それで事足りる。

「それに、考えてもみろ。この場を用意したのはあのヴァイスマンだぞ? どんな罠が仕込まれてるかわかったもんじゃねぇ」

トビはちらりと背後を振り返る。
甘いエサが罠にすり替わる未来が予見できる。
まるで全ての武器が、獲物を待ち構えるようだ。

「でもでも、こんなの捨てていくなんてもったいないじゃないですか!
 全部タダですよ!? 無料の武器って、最高じゃないですか!」

ヤミナの目はキラキラと輝いていた。
もったいない精神が炸裂し、彼女の手はすでにデイパックのジッパーにかかっている。

「……好きにしろ。 どうなっても知らねぇけどな」

さすがに説得が面倒になったのか、トビは吐き捨てるように言い放ち、再び歩き出す。
残された時間を思えば、こんなところで言い合っている暇はない。

「やったー!」

ヤミナはひとり歓声を上げながら、ディスカウントセールのごとく、使えそうな武器を片っ端からパックに詰め込んでいく。
書類と武器でパンパンになったデイパックは、もはや救援物資かというほどの重量感だ。

その姿を見たトビは一切手を貸すことなく、黙って歩を進める。
――自業自得だ。あの荷物で足がもつれて死んでも、俺のせいじゃない。

そう背中で語るようにして、トビは重い扉を押し開けた。


最奥部の武器庫を後にし、トビとヤミナはかつて通過したまま放置していた中央の部屋へと戻ってきた。
なぜあの時足を止めなかったのか。その理由は単純だった。
トビにとって、この部屋はあまりにも意味不明だったからだ。

その部屋の異質さの正体がつかめず、即座に切り分けるべき情報とも思えなかった。
時間の限られる中で判断を保留し、最深部の調査を優先したのは、その場の判断として妥当な選択だったはずだ。
だが、改めてこの空間に足を踏み入れたトビは、同じ混乱を味わうことになる。

雰囲気からしておかしい。
異質と言う意味では明らかに異質だった。

これまでにあったサイエンス然とした無機質で冷たい資料室や、制度の権威を象徴する戦略会議室とも違う。
そこに広がっていたのは、素朴で温かみのある空間である。
それは余りにもこのアビスにそぐわない牧歌的なものだった。

木製の展示台に掲げられたパネル。
山に囲まれた小さな村の歴史、名産品、風景。
鎮守の山に鎮座する古い神社。
「豊かな暮らしを未来へ」と掲げられた、都市開発計画のポスター。
どれもこれも、まるで郷土資料館か、あるいは地方の道の駅の展示コーナーだ。

この部屋が扱っている題材が何であるかはさすがに分かる。ヤマオリだ。
なぜ、ブラックペンタゴンの最上階に、こんな空間があるのか?
この展示の目的は? 意図は? 何を見せたいのか? それが読めない。

いや、何かがあるとは思う。
ヴァイスマンの性格からして、ただのノスタルジーでこんな部屋を用意するはずがない。
何らかの皮肉か、あるいは暗喩的な罠が込められている可能性は高い。

だが、読み解くための鍵が、どこにも見つからない。

展示に添えられたキャプションは、よくある観光案内の口調で、毒も皮肉もない。
壁には見慣れぬ日本の地名が並び、記述の内容も事実に即しているように見える。
だからこそ――不気味だった。

情報はあるのに、意味がない。
いや、意味が見えないだけで、もしかしたらすべてに意味があるのかもしれない。
それを思考しようとするたびに、霧がかかるように曖昧になる。

それは、この部屋だけに限った話ではない。
3階に来てからというもの、どうにも調子が狂っていた。
まるで濃霧の中に迷い込んだかのように結論にたどり着けない。
考えれば考えるほど、つかみどころのない違和感だけが、じわじわと胸の奥に広がっていくのだった。

トビは壁のパネルに視線を投げかけた。
そこに描かれていたのは、かつて確かに存在した村の、何気ない風景。

それに背を向け、何の結論を得られぬままトビは郷土資料館を後にした。


郷土資料館を抜けたトビとヤミナはそのまま戦略会議室を出てブロック間の通路へと辿りついた。
すると、廊下の奥から鋼鉄を叩きつけるような無骨な音が響き渡った。

「な、なんですか、今の音……?」

ビクビクと肩をすくめながら、ヤミナは反射的にトビの背後へ身を隠す。
規則的に響くその音は足音にしては重すぎた。まるで鉄靴でも履いているかのようである。
しかし、盾にされたトビはというと、その足音の正体に心当たりがあるようで、まるで気にも留めていない様子で片眉をわずかに上げる。

「野郎……この状況でこんな所まで何しに来やがったんだ?」

その言葉に呼応するように現れたのは、鋼鉄の四肢と、銃の意匠を宿した異形の頭部を持つ男。
人間と兵器の境界を曖昧にしたような存在。便利屋ジョニー・ハイドアウト。
その異様な男、ジョニーはトビを見つけるなり鉄が軋むような声で言った。

「よぅ――また違う女連れかよ、節操がねぇな、脱獄王(マッドハッター)」
「そっちこそ、独り身に戻ったってわけか? 鉄の騎士(アイアン・デューク)」

トビが皮肉で応じる。
どちらの口調にも、軽口の裏に微かに滲むものがある。

半日ほど前。
メアリー・エバンスの領域からの脱出の際に、彼らは一度だけ邂逅している。
その時、互いの傍には確かに女がいた。
トビの隣には内藤四葉が、ジョニーの隣には怪盗ヘルメスがいた。

だが今、ここに彼女たちの姿はない。
その時に互いに連れ立っていた女たちは先ほどの放送で死者として名を呼ばれた。
ここに残ったのは互いに、女に先立たれ無様を晒している男たちだ。

「メアリー・エバンスは倒されたようだな」
「ああ。怪盗(チェシャキャット)が、命を賭けて止めた」
「……なるほどな。アンタらも関わっていたか」

トビの声の底にはほんの僅かな敬意が滲んでいた。
ジョニーもルメスもメアリー討伐に関わっていたというのなら、彼女は己が信念の果てに倒れたのだろう。
掲げた信念が甘ちゃんであろうとも、貫き通したのならそれは本物だ。
己が信念時殉じるモノを脱獄王は嗤わない。

「そっちの戦闘狂(ラビット・マーチ)はどうなった?」
「別行動の間にくたばっちまったようだ。だがあの小娘が大人しくくたばるなんて、ありえねぇだろ。さぞ派手に暴れまわった事だろうぜ」
「はっ。違いない」

噛みつく野生の犬のような戦闘狂。
好き勝手に暴れまわって満足して逝ったのだろう。
関わりの薄いジョニーですら、それだけは想像に難くなかった。
その生きざまを肯定してやる事こそが彼らなりの賛辞と哀悼である。

「それで、この状況でこんな所まで何しに来たんだ便利屋?」

改めて、トビが問いかける。
ヴァイスマンの罠が発動したこの場は、今や受刑者を殺す黒い監獄となっている。
常識的に考えれば、誰もが出口に向かって脱出を試みるべき状況のはずだ。
その逆方向である最奥の袋小路にやって来るなど、通常であればありえない判断だろう。

「ああ。俺は迎えだ。下の奴らに頼まれてな」

鉄の騎士ジョニー・ハイドアウトはそう言って、金属の軋みを残しながらトビを見つめる。
脱獄王なら最奥にいると踏んで、二階を素通りして最短距離でここまで来た。
どうやら、その読みは的中したようだ。

「……迎え、ですか。すいません」
「ン…………?」

だが、その言葉に反応したのは蚊帳の外にいた女だった。
何となく視界には映っていたが、今その存在に気づいたようにジョニーが銃口めいた視線を向ける。

「トイレに向かったはずの大事な仲間が中々戻ってこなかったのですから、態々迎えをよこすのも大げさな気がしますが、そのくらいはするのも当然だと思います。
 すぐに戻れなかったのは申し訳ないとは思っています。それには止むにやまれぬ事情があったのです……」

そう言い訳のように聞いてもいない事情を語り始める女。
すぐに戻ろうとしたが帰り道の階段はエルビスによって塞がれていた、戻れないのならと皆のために真実を追い求めたのだと。
その他にも、鼻歌交じりにシャワーを浴びたり、真実を追い求めたのは功名心に駆られたからだったり、一通り調子に乗ったりもしたのだが、その辺はまあええでしょうと割愛され語られることはなかった。

「仕方なかった事とは言え、エンダちゃんと仁成くんには悪いことをしました……さぞ、心配してたでしょう?」
「…………………………ああ。そうだなっ!」

ジョニーはとりあえず話を合わせておいた。慈悲である。
エンダと只野の仲間らしいが、存在を聞いてすらいない。
それだけでヤミナは「ですよね~!」と安心した顔になった。

「そいつの相手はもういい。それより、下はどういう状況だ?」

トビが本題へと引き戻すように言った。
目を細めて、鉄の騎士に向けて鋭く問いかける。

「ひとまず、このブラックペンタゴンに閉じ込められた囚人たちで脱出まで協力することになった」
「ま。だろうな」

囚人たちが一時的に協力をして脱出を目指す。
あの放送を聞いた時点で予想した通りの展開ではある。
囚人同士が結束するのは、もはや自然な流れだった。

「その為にアンタの力が必要だ、脱獄王。力を貸してくれ」

ジョニーは真っ直ぐにそう言った。
金属の声に、迷いはなかった。
トビは口元を引き結び、ほんのわずかに表情を引き締めた。

「オレ様が、お前らに協力する理由があるか?」

それは当然の疑問だった。
この場にいる囚人たちに、トビ・トンプソンは何の義理もない。
報酬もなければ、助けて得するような関係でもない。

トビは、慈善家でも、ヒーローでもない。
金を積まれても、人助けに価値を見出すような男ではなかった。
トビには全員を見捨てて逃げる選択肢もあるのだ。

「アンタの探してたメカーニカも、一階にいる」

放たれたジョニーの言葉に、トビの眉がぴくりと動いた。

「それが、オレ様を繋ぎ止める鎖ってわけか?」
「そうは言ってねぇさ。だが恩を売っておいて損はないだろう?」

ジョニーの言葉には現実的な打算があった。
メカーニカの力は、トビの脱獄計画の鍵になりうる。
その彼女に借りを作るなら、今ここでの協力は一つの投資に近い。

「何より、全員を連れた脱獄。脱獄王にしかできない仕事だ。アンタ、そう言うのに燃える性質だろう?」

その言葉に、トビの口元がわずかに歪む。
難易度が高ければ高いほど燃える、脱獄性愛者(クレモフィリア)。

「……言ってくれるじゃねぇか、便利屋」

くくっと、喉の奥で笑うようにして、トビがニィと口端をつり上げる。

「中にいるのは、何人だ?」
「俺の把握してる範囲だが、ここにいる3人も含めて、13人だな」
「多いな……ダース超えてんじゃねぇか」

トビは眉間にシワを寄せて、肩を竦めた。

「オレ様一人ならともかく、それだけの数、脱獄(にが)すとなるとかなりの手間だな」

トビだけなら隙間ひとつあれば抜け出せるが、他の人間はそうはいかない。
人数が多ければ多いだけ脱獄の難易度は跳ね上がる。
ましてやこれ程の団体を全員を逃がすとなると、脱獄王をしても難しい仕事だ。

「つまり、最悪の状況になっても、アンタ一人なら逃げられる……そういうことか?」

便利屋がその呟きに反応したジョニーの声が、空気をわずかに震わせる。
その問いの意図を読み切れず、トビは訝しげに目を細めた。

「……まぁ、そうだな」

一人での逃亡に釘を刺しているのかと一瞬警戒を示すが、すぐにそうではないと理解する。
その答えを聞いたジョニーは、しばし黙した後、やがて静かに口を開いた。

「なら……今のうちに話しておきたいことがある」

銃口のような鋼鉄の顔に表情はない。
だが、ジョニーのその声には、鉄を叩くような重みが込められていた。
無駄な言葉を排した、まるで引き金を絞る時のような緊張感を帯びていた。

「……それは今するべき話か? 悠長な話をしている時間はねぇはずだがな」

トビは冷ややかに返す。
ブラックペンタゴンが全面禁止エリアになるまで制限時間は6時間。いや既に1時間を経過しようとしていた。

この場で立ち止まり、無駄話をしているような余裕など、あるはずがない。
だが、ジョニーがその程度の事を承知してないはずもなく、それを踏まえた上での発言だった。

「分かっちゃいるさ、だが大事な話だ。もしもに備えて伝えておかなくちゃならねぇ」
「ただの遺言なら聞く気はねぇぞ」
「そうじゃねぇ。いや、保険って意味じゃ、あながち間違いでもねぇんだが」

そう言って鉄の頭をかく。
金属のこすれる音が響いた。

「これは死にゆく女が託した願いだ、途切れさせるわけにはいかねぇのさ」

依頼として託された願い。
その依頼を自分が果たすというのは男の意地だ。

だが、それよりも大事な物がある。
自分が成し遂げるという覚悟は何の保険も打たないという事ではない。
己が果たせなかった時に備えて、未来へ繋げるのもまた、誇りを持つ男の義務だった。

トビは言葉を返さない。ただ、目の奥の温度が変わる。
その視線を肯定と捉えたのか、一呼吸の間を置いて、鋼鉄の騎士は口を開いた。

「怪盗が最期に託した『世界の深淵』についてだ」
「……深淵だと?」

トビは、その言葉に眉をひそめる。
この世の深淵たるアビスでおいそれとその言葉を口にすることの重さを、彼もまた理解しているからだ。

「ああ。GPAが進めている『世界の行く末』についての計画の話だ。
 奴らが進めているのは、ただの研究でも、兵器開発でもない。
 奴らが世界を真の意味で管理するための計画だ」

言葉を濁すことなく、真正面から告げるその内容に、トビは一瞬だけ目を見開いた。
そして脳内で行き当たった、その単語を呟く。

「……『ABC計画』」
「知っていたのか……?」
「名前だけな。見てねぇのか? ここまでの道中に資料室があったろう?」
「悪いな。アンタを探すのが優先で細かいとこまで見ちゃいねぇよ」

トビの探索を優先してきたため、途中の施設は素通りしてきた。
仕方なくジョニーへトビは簡単に説明する。

「3階の資料室にあったのは『システム』A~Cに関する断片的な資料だ。そこに『ABC計画』についての一文があった。
 だが、そこにあったのはあくまで各『システム』についての資料であって『ABC計画』についてではねぇ。
 それを世界の行く末と結びつけるには、確かに情報が足りてねぇな」

トビは言いながら、ジョニーの真意を探るように視線を向ける。
システムA~Cと言うパズルのピースが与えられたが、『ABC計画』という全体像のデータは存在しなかった。

「それを繋げる話をテメェができるってのか」
「ああ。だが、それは俺じゃなく、怪盗の持ってた話だがな」

その点を結びつける情報を、嘗て脱獄王が気まぐれに助けた伝令の神ヘルメスの名を持つ怪盗が持っていたというのなら、数奇な巡り合わせである。

「いいぜ。聞いてやる。あんたの『保険』になってやるよ」

そう告げて、トビは口元だけで不敵に笑った。
ヴァイスマンの思惑を上回るために、十分に耳を傾ける価値はあるだろう。

一瞬だけ、静寂が落ちる。

ジョニーはその間を受け止めたうえで、短く――だが確実に重く、口を開いた。

これより語られるのは、世界の深層。
怪盗ヘルメスが掴んだ、GPAの深淵。
そして、希望かもしれない、絶望かもしれない、ピトスの箱の中身を語り始めた。


「――――――異世界移住計画」


それは、まるで銃声のような言葉だった。
鋼の声が、静かに、だが確かに空気を揺らした。

「開闢以後、厄ネタが蔓延りまくって失敗してしまったこの世界を捨てて、新たな世界でやり直そうってクソったれな計画さ」


異世界移住計画――。

それこそが、『ABC計画』の核心だった。

トビの脳裏で、バラバラだった断片が音を立てて繋がっていく。
輪郭を持たなかったピースが、いま一気にひとつの構図として立ち上がった。

資料室で目にした『Anti Neos System』『Build Neos System』『Control Neos System』。
抑止(A)、構築(B)、制御(C)が担っていたのは、単なる秩序維持や技術実証ではない。

全ては、世界を作り直すという一点に向かって、繋がっていた。

『システムA』――発端は開闢による超力の拡散に対応するための秩序維持システムだったはずだ。
それがABC計画に転用されたのだろう。

だが、Bからは違う。この計画を前提として明らかに方向性が変わってきている。
『システムB』――それは、移住先となる異世界の構築に用いられるシステム。
『システムC』――新世界を旧世界の二の舞にしないように、正しく管理する為のシステム。

この三つのシステムにより、新しい世界の形を作る。
それが『ABC計画』の全貌だった。

「つまり、この刑務作業はそのテストケースという事か?」

トビが低く呟く。
驚愕ではない。むしろ、苦々しいほどの納得がその声に滲んでいた。

この刑務作業は、異世界移住計画を支えるシステム群の実証実験場だったということだ。
資料。装置。地形。封鎖機構。全てが完成度の高い見本市。
すべてが計画のプレゼンだったのではないかという思考が走り、トビは奥歯を噛んだ。

「……オレ様たちをこうして殺し合わせてるのは、てっきり戦闘データの収集か何かかと思ってたがな」
「それも『当たり』だろうさ。この計画が公になれば、世界中で暴動になるのは目に見えてる。
 奴らはその暴動鎮圧を見越して、暴徒化した超力者たちをどう抑え込むかもここで実証試験してるんだろうよ」

ジョニーの言葉に、トビは舌打ちを漏らす。
世界のリセットを計る以上、大半の人間は旧世界においていかれるだろう、新世界を享受できるのは一部の特権階級のみ。
そんな事実が知れれば取り残される人間の暴動が起きるのは間違いない。

この刑務作業を仕向けた連中は曖昧な未来ではなく、暴動の制圧と言う確実に起こる大規模戦闘を見越していた。
実に無駄のない事である。

「……そうなると、この刑務作業の『恩赦』ってのも本気(ガチ)だった訳か」
「そうなるな」

ジョニーが短く返す。
トビは忌々しげに鼻を鳴らした。
計画を知ることにより、この刑務作業の全容も見えてきた。

「――あの、よく分かんなかったんですけど」

その空気を割って、脇から質問するように手を挙げる声がひとつ。
振り返る二人の視線の先で、ヤミナが首を傾げていた。

そう言えばこいつも居たなぁという、二人の視線が集中する。
存在自体をすっかり忘れて話し込んでいた。

「恩赦がマジって、そりゃあそうなんじゃないですか……? 看守長もそう言ってたし」

今話しているのは聞くだけで命が脅かされるレベルの厄ネタであるのだが。
そんな話だと微塵も気づいていない女は、よくわかっていない様子で素朴な疑問を口にしていた。

「治安維持を目的としたアビスが、犯罪者、それもこの刑務で生き残ったような凶悪犯を素直に野に放つと思うか?」
「え、恩赦は嘘だったって事ですか!? おのれヴァイスマン! 嘘を付くとは卑怯な!」

ヤミナが憤然と拳を振り上げる。
別にヤミナは恩赦なんて最初から狙っていなかったのだが、なんか抗議できそうなチャンスだったんで流れに乗っただけである。

「違ぇよ。だから、その恩赦がマジだったんじゃねぇかつぅ話だよ」
「え、そうなんですね。看守長、実はいい人なのでは?」

一秒で意見を覆す。
自分の意見などないかの如き風見鶏も驚きの掌返しである。

「ところで、何でそうなるんです?」

納得の後に疑問が来る。複雑な思考回路の女が尋ねる。
二人の男がシンクロするようにため息を零す。
お手上げと首を振る脱獄王に代わり、便利屋が答えた。

「GPAの偉いさんたちは、この世界から新しい世界に移住しようってんだ。
 見捨てるつもりの世界に凶悪犯を何人放とうが、もはや痛くも痒くもねぇのさ」

犯罪者に恩赦を与えるという、破格の報酬。
それは虚言ではないが、その前提自体が詐欺のようなものだった。
何せいずれ見捨てる予定の世界だ、そこに何人か犯罪者を放逐したところで何の痛手でもないだろう。
この世界の治安など、精々計画が完成するまでのタイムリミットまで持てばいい。

「なるほどなー。どうせ崩れる建物なんだから、ガラスが割れようがどうでもいい、って感じですね」

妙に納得した様子でヤミナが腕を組む。
だが次の瞬間、何かを思いついたように手を打ち、ひとつの疑問を口にする。

「けど、それって……結局、GPAの偉い人たちだけが異世界に移住するって話ですよね?
 でも、そんなことして、働く人がいなかったら生活回らなくないですか?」

意外にも的を射た問いに、男たちは即答できず思わず考え込んだ。
偉い人は左団扇でふんぞり返るだけで働かないだろうと言う偏見まみれの下っ端視点の意見ではあるが、一理ある。

労働者の存在なくして、どんな理想郷も動かない。
特権階級だけで作られた箱庭に、誰が電気を通し、誰が水を回し、誰が病を診るのか。
新世界を回す労働力は、果たしてどう確保されるのか。

「……向こうで人間を作るつもりなんじゃねぇのか? デザイン・ネイティブみたいに」

ジョニーの口から出たのは、現在の世界に蔓延る闇の一つ。
超力を調整した子供をつくる、今思えば『システムC』めいた技術である

「結局あれも試験管ベイビーの延長線だろ? 成長の過程は普通の人間と大して変わらねぇ。時間も手間もかかる。量産には向かねぇな」
「なら成長培養、それこそクローンでも使うってのはどうだ?」
「人間のクローン研究は国際条約で禁止されてるはずだが……ま、その手の技術はある所にはあるか」

昨今は超力絡みの研究がトレンドであるため、そちらの路線の研究は闇情報でも聞かない。
だが、表だって行われていなくともアングラな世界ではもはやありえないと断言できる根拠のほうがない。

「だが……案外、その答えは、もうこの場にあるのかもな」
「どういう意味だ……?」

トビが意味深に呟く。

「この刑務作業が『ABC計画』の実証実験ってことなら、それに関する試験があっても不思議じゃねぇってことさ」
「いやいや、いくらなんでも全部盛りはねぇだろ……?」

そう否定するが、ジョニーの声には確信がなかった。
ありえないなんてことはありえない事を、この刑務作業で嫌と言う程理解していたからだ。

「被験体:Oって人がそうだったり? なんつって、ははっ」

嫌な沈黙が落ちる中、呑気に核心を突く女の笑い声だけが空しくブラックペンタゴンに響いてた。


ひとまずルメスから託された『ABC計画』の全容は伝えられた。
後はこの事実をもって生き延びるだけである。
だが、その中で、ふと気づけばトビだけが渋い顔をしていた。

「……どうした? まだ何か納得できない所でもあるのか?」

ジョニーが尋ねると、トビは険しい顔のまま動かない。
明かされた計画の衝撃に呑まれている――わけではない。
その目には、どこか納得していないような光が宿っていた。

「……いや、納得はしてる。これまでの調査や資料とも整合は取れるし、理屈も通ってる。全体の筋も、まぁ分かった」

静かに言いながらも、トビの表情から険は消えなかった。

「……だが、どうにもしっくりこねぇ」

それは理屈じゃない。
計算や分析では拾えない、皮膚の下をざらつかせるような違和感だった。
言葉にはしづらいが、確かにそこにあるズレ。
その感覚を共有できていないのか、ジョニーは考える様に一呼吸置いて問い返す。

「どの辺りがだ?」

自身の感覚を言語化するように、慎重にトビが呟く。

「……そうだな。その『異世界移住計画』ってのは、どうにもヴァイスマン“らしくない”」

アビスという巨大な檻の番人にして、病的なまでの支配願望を持つ男。
その思考はあくまで、既存の檻をどう制御するかという一点にあるはずだ。
その性質からして、世界を作り直すという思想は、トビの中のヴァイスマン像とあまりに合致しない。

「そりゃまあ……ヴァイスマンも計画の中身は知ってるんだろうが。
 主導してんのはGPAの方だろ? アビスはあくまでその下部組織ってだけさ」

ジョニーが補足するように言う。
アビスはGPA管理課の組織ではあるが、数ある関連機関の一つに過ぎない。
その一管理職に過ぎないヴァイスマンもまた、単なる末端に過ぎないだろう。

「――――――それだ」

パチンと、トビが指を鳴らした。
それは、3階に来てからずっと感じてたズレがアジャストする音だった。

違和感の正体。
それは3階の仕掛けが、ヴァイスマン像と余りにもかみ合わない事だ。

思い返せば、2階までは奴のらしさがそこかしこに滲んでいた。
ブラックペンタゴンに仕組まれた罠が明らかになった今となっては、実に奴らしい性格の悪さだ。
だが、3階からは明らかに様子が変わり、読み切れない事が多くなった。

「ブラックペンタゴンの設計には複数の意図が折り重なってる。
 その裏に――ヴァイスマンじゃない誰かがいる」

それは考えてみれば単純な話だった。
ブラックペンタゴンの設計にヴァイスマン以外の人間の意図が含まれていたというだけの事。
トビ自身がヴァイスマンに拘り過ぎていたせいで見えなくなっていた。

「誰かってのは?」

ジョニーが問いを投げる。
トビは顎に指を当て、静かに思索を深めた。

「GPA本部の誰か……あるいは、もっと直接的な上役……それこそアビスの所長、ってのはどうだ?」

その名を口にした時、微かに空気が張り詰めた。
管理職である看守長より上の役職など限られている。

「所長ねぇ……仮にそうだったとしても、顔も知らねぇ相手だ。考えようもないだろ? 材料がなさすぎるぜ?」

アビスの所長など囚人の立場では名前も顔も知らない『存在X』でしかない。
その意図を考察しようとも、そのパーソナリティなど知りようがなかった。

「――いや、あるさ」

トビが目を細め、空間全体を見渡すように言った。

「そいつが設計した空間そのものがここにあるじゃねぇか。
 そこには設計者の意図がある。そこからヴァイスマンらしからぬ要素を除外していけば残されたのが、そのまま“X”の人物像になる」

目に見えない設計者の意志。
その歪みを、トビは論理と思考であぶり出す。

3階にたどり着いてまず最初に感じた違和感は展示室だ。
あそこで明らかにヤマオリの模型だけが浮いていた。

そして何より異質だった最奥のブロック。
御大層な作戦司令室が示すのは刑務官でも警察官でもなく、軍人という属性だ。
その属性はアビスにもヴァイスマンにも、どちらにも当てはまらない。

物々しい作戦司令部から続く何の変哲もない村の歴史。
そして、最後にたどり着く戦場の名残のような武器庫。

この順番こそが重要ではないのか、そんな気がした。
そこから導き出される結論は。

「“X”は、おそらくヤマオリ作戦に従事していた元軍人だ」

トビはそう結論づけた。
当然、この場でその真偽を確かめる術はない。
だが、断定ではなく仮説として投げられたその言葉は、
ここを見ている監視者に、明確な矢を放ったことになるだろう。


三人は無言のまま歩き出していた。
ひとまず、語るべき話は終わった。
禁止エリア発動までのタイムリミットは刻一刻と迫っているのだ、立ち止まっている余裕などない。
そんな中、ふとジョニーが歩調を緩め、後ろを振り返った。

「――随分と大荷物だな、嬢ちゃん」

ヤミナの足取りが明らかに重い。
背中には、見た目にも不自然なほど膨らんだデイパックがふたつ。
ジョニーは苦笑まじりに手を差し出した。

「よけりゃ、片方持つぜ」
「え、えへへ……じゃ、お願いしますぅ」

何故か妙に卑屈な笑みでヤミナは片方のデイパックを差し出した。
何の気なしにジョニーがそれを受け取った瞬間、鈍く響く金属音が内部から伝わった。
その鈍い重量感が、中身の不穏さを主張する。

「なぁ……中、見せてもらっていいか?」
「どぞー」

不穏な気配を感じたジョニーは許可を得てバッグの中を覗く。
そこにぎっしりと詰まっていたのは――銃器と刃物の山だった。

「……こりゃまた、物騒だな。これだけの武器をどこで手に入れた?」

恩赦Pで武器を買えると言っても、半端なポイントで買える量ではない。
この、箸にも棒にも掛からなそうな女がそれだけの恩赦を稼いだとも思えないが。

「ああ。それですか? 最奥の武器庫に置いてあったんですよ」
「いや……罠だろ」
「だろうな。俺はやめとけっつったんだが」

トビが吐き捨てるように呟く。
ヤミナはそれにケロッとした表情を返していたが、空気は微かに冷えていた。

ジョニーはデイパックの中身をじっと見据える。
無機質なはずの金属の塊から、どこか澱んだ気配が滲んでいる。
ある種の骨董品には怨念が宿っているものだが、これらの武器にはそれと似たような妙な気配が感じられた。

「……嬢ちゃん。この武器、俺に譲ってもらえねぇか?」

どこか決意を含んだ声でジョニーが言った。
ヤミナは目を瞬かせたあと、すぐさま満面の笑みを浮かべた。

「ぜひぜひ! もう好きなだけ持ってっちゃってください!」

ヤミナは即答した。まるで解放されたかのように。
喜々として応じたその声には、一片の親切心もない。
ただ――本当に重かったのだ。

本当は持ち出した時点で後悔していた。
だがトビを押し切ってまで持ってきた手前、「やっぱり置いていきたい」などと言い出すことはできなかった。
だからこの申し出は、彼女にとっても渡りに船だったのだ。
満面の笑顔は、責任と荷重からの解放の笑みである。

「じゃあ、遠慮なく」

ジョニーが小さく頷くと、トビが皮肉気に口を挟む。

「罠とわかって踏み込むとはな。酔狂だな」
「力は必要だ。それだけの話だ」

淡々とした口調で返すと、ジョニーはデイパックの中へ手を伸ばす。
次の瞬間――金属が擦れ合い、変形するような低い音が空間を満たした。
ジョニーの両手が、デイパックの中身を吸い込むように融合していく。

それは、異様な金属音と共に、人間がまるごと兵器へと変貌していく異様な光景だった。

右腕には、脇差、剣ナタ、サバイバルナイフ、スレッジハンマーなどの近接武器が次々と組み込まれていく。
刃が筋繊維に沿って並び、関節の可動を計算するようにハンマーの機構が組み込まれる。

左腕には、銃器類が順に接続されていく。
旧時代の規格であろうとも、ジョニーの内部で再構築されれば、その威力も構造も桁違いの強度を持つだろう。

鋼鉄の外殻が全身を覆い、すべての武装が彼そのものと同化していく。
不気味な静寂の中に、ただならぬ暴力の匂いが立ち込める。

「……これで、少しは戦えるか」

ジョニーが呟く。
永遠を帯びたヤマオリの遺物をその身に抱いた鋼鉄の騎士。
その姿は、どこか神々しく、だが同時に禍々しさすら纏った異様な存在感を放っていた。
その姿を見て、ヤミナがぽつりと感想を漏らす。

「うわ……なんか、ラスボス感、出てますねぇ」
「ま。どこまで通用するかは分からねぇがな」

禍々しい外見とは対照的な冷静な声でジョニーが分析する。
それなりに戦えるようになったが、今の自分でもあの怪物、銀鈴に勝てるとはとても思えない。
果たして、この力が送り込まれた被検体とやらにどれほど通用するか。

鋼鉄の騎士が一歩踏み出す。
訪れた時よりもはるかに重さを増した足音。
それは、静かに鳴り響く、戦場へ向かう者の足音だった。

【E-5/ブラックペンタゴン 3F南東ブロック 通路/1日目・日中】
【トビ・トンプソン】
[状態]:皮膚が融解(小)
[道具]:ナイフ、デジタルウォッチ、デイパック
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.ヴァイスマンの思惑ごと脱獄する。
1.ブラックペンタゴンからの脱獄方法を検討、調査する。
2.首輪解除の手立てを探す。構造や仕組みを調べる為に、他の参加者の首輪を回収したい。
※エンダが秘匿受刑者であることを察しています。
※デイパックの中に北西ブロック3階中央の部屋等から持ち出したものが入っているかもしれません。

【ヤミナ・ハイド】
[状態]:各所に腐食(小)
[道具]:警備員制服(SSOGの徽章付き)、デジタルウォッチ、H&K SFP9(12/20)、デイパック(食料1食分、エンダの囚人服、資料・書籍類)
[恩赦P]:32pt
[方針]
基本.強い者に従って、おこぼれをもらう
0.トビとジョニーに媚びる
1.エンダと仁成に会ったら交渉、ダメそうなら謝る
2.被験体:Oは誰かなんとかしてくれるでしょ

【ジョニー・ハイドアウト】
[状態]:健康、破損(小)、ヤマオリ、永遠
[道具]:デイパック
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.受けた依頼は必ず果たす
1.ひとまずエネリットたちと合流、脱出に必要ならトビに協力
2.怪盗(チェシャキャット)の依頼を果たす。
3.夜上神一郎への強い不信感と敵意。
※ネイ・ローマンと情報交換しました。
※ルメス・ヘインヴェラートが掴んだ情報を全て伝えられています
※ヤマオリの遺物を取り込みました、永遠が付与されています
※右腕には脇差、剣ナタ、サバイバルナイフ、スレッジハンマーが取り込まれています
※左腕の銃器の弾数はグレネード(1発)、ハンドガン(12発)、アサルトライフル(28発)、スナイパーライフル(3発)

123.守りたいのはたった一人 投下順で読む 125.黄金の七人
時系列順で読む
遺物 ヤミナ・ハイド [[]]
トビ・トンプソン
呉越同舟 ジョニー・ハイドアウト

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最終更新:2025年09月24日 23:35