ヤマオリ記念特別国際刑務所。通称アビス。
深淵に例えられる巨大収容所を、親子ほどに歳の離れた二人が並んで歩いていく。
一人はこの施設の所長である乃木平 天。
もう一人はGPA実行局の若き戦術実行班員、天原 蒼光である。


重厚な扉に手をかけ、ぎいと開くと、室内にはすでに一人の先客がいた。
地味な灰色の制服を着たその老人は、アビス職員というよりは一般事務員のようにも見える。
アビスの古参職員、教誨指導課の言であった。


「所長、帰っておられたんですな。
 急に菓子折り持って所長室に来いと呼び出されたもんで、なにごとかと思いましたわ」
「いつもすみませんねえ言君。なにぶん、突発的な事態が発生したもので……」

もっとも、アビスほど教誨指導という役職から縁遠い刑務施設もないだろう。
事実、この教誨指導課という部署は少々特殊な立ち位置にある。
受刑囚を抑え込めるほどの強さはないが、アビスに籍は入れておきたい特殊な超力者を寄せ集めた部署だ。
故に看守長の指揮下にはなく、乃木平が直に指令を出しても業務に何の支障もない。

この老人の現在の業務は、郵便物や物資の検閲・搬入の取りまとめである。
国際色豊かなアビスは様々な詫び菓子も備品として保管されており、
所長の机の上には、すでに高級な黒い箱が置かれていた。


「言さん、お久しぶりです。お変わりなさそうで何よりだ」
「ほぉ……天原の坊っちゃんですか。ずいぶん立派になったもんです。
 八つの頃は、まだ親父さんのもとで駄々こねとったのにな」

言語の壁を取り払う特殊な超力を持つ言は、アビス職員でありながら別の作戦に駆り出されることがある。
蒼光や天ともその縁であった。
思い出に老人の目が細まり、蒼光は苦笑いを返す。


「さて、蒼光君にはお茶が入るまで、ソファにでも腰かけてくつろいでいただく予定でしたが……」
天が姿勢を正すと、場の空気は再び公的なものに切り替わった。

「このたびは部下が礼を失し、ご迷惑をおかけしました。
 つまらぬものではありますが、謝罪の証と思って受け取っていただければありがたい」
天から蒼光へ、謹んで黒い箱が差し出され、天は深々と頭を下げた。

だが、これは蒼光本人に向けたものではない。
その後ろにいる天原家、ひいてはGPA実行局に対する謝罪である。


蒼光本人が気にしないからといって何もなしに帰すということ。
それはすなわち、アビスは唯一の『ノーブル』を軽視するという態度であると受け取られる恐れがある。
乃木平という男がかつて幹部候補として秘密特殊作戦部隊に入隊したのは、
そのような組織間の機微を理解し、折衝に努めることができるからだ。

「……ありがたく受け取ります。
 ただし、アビスに赴いて土産を持ち帰ったとなれば、"賄賂"と囁かれかねない。
 ここで開封し、今回のことは水に流すということでどうでしょう」
「ご配慮痛み入ります」

そして、蒼光もまた、このような事態においての立ち振る舞いを父親である天原 創から教え込まれている。
この場で消費するのはひとえに、些細ないざこざを外に持ち出さないという彼なりの配慮である。

高級感あふれる黒い箱を開けると、そこには黒・赤・黄・緑などの色とりどりの包装に包まれた菓子が現れた。
詫び菓子の王道、高級羊羹である。


茶の準備をしようとする言を天は手で制し、手ずから白湯を湯呑に注ぎ始める。
「ところで、私がここに呼び出された理由はこの立ち合いのためですかな?」
「元々、これがなくとも呼び出すつもりでしたがね。
 せっかくアビスに来たのですから、一言くらいかわすのが筋でしょう」
「そんな気ぃを使わんでもええんですのに。
 はは、まあ元気にやっとるようで何よりですわ」

知己としての立場でしばし天原家について談笑をおこない、
そろそろ放送が始まろうというころに、言は所長室を退室した。



所長室には、天と蒼光の二人が残った。
時計を見ると、まだ放送まではわずかに時間がある。
天は少し冷めた白湯を急須へ注ぎこむ。
蓋の下で、白湯は徐々に美しい薄緑へと変わっているのだろう。


蒼光は開いた羊羹を小さく切り分け、口に運んで味わっている。
そしてふと視線を落とし、羊羹の断面を見つめながら口を開いた。

「個人的な愚痴を言わせてもらうとですね……。
 またあのタグを勝手に付けられたなどと聞けば、今度こそ父は怒り狂うと思いますよ?」
「まあ……あの悪癖ばかりは、私も強く擁護はできませんねえ」
蒼光は困惑した表情を見せ、天は自嘲めいたように苦笑する。


トビを脱獄ジャンキーと呼ぶならば、ヴァイスマンは束縛ジャンキーと呼ぶにふさわしい。
今では明確な上下関係ができているが、天は創とともに、ヴァイスマンによってタグを秘密裏に付けられたことがある。
それは十年前、ギャル・ギュネス・ギョローレンが欧州で捕縛されたことに端を発する。



開闢の日に山折村から現れた正体不明の怪人、ギャル。
とある作戦のためにヤマオリの内部情報を欲しがったGPAが、捕らえたギャルを本部に移送するように命を下したのだ。
その移送を請け負った男こそが元警察官であるヴァイスマンであった。
キングス・デイによって腐敗しきっていた欧州警察と確かなパイプを持ち、移送要員の身柄の潔白を証明できる彼は、
アビスの職員でありながら前職よろしく移送の手配をおこなった。
そして、とある目的のためにギャルの尋問を要し、身柄を一時引き受けたのが、乃木平 天と天原 創である。

だがヴァイスマンはギャルのみならず、引き渡しの際に天と創もタグ付けをおこなった。
当時、アビス職員の超力を知るはずもない二人は、タグを不審視した蒼光の指摘でその存在を認識。
ギャルにもそれが付けられていたことで、情報漏洩や口封じの可能性が浮上。
これにより、ギャルを含む全員のタグの除去がおこなわれたのだ。

ヴァイスマンは自身の超力を過信し、人員を極限まで減らしていた。
これがめぐりめぐって、移送中にギャルの逃亡を許した挙句、警官が殉職するという大失態に繋がってしまう。
天と創も上官に責任を問われかけたが、今度はその上官にもタグが付いていることが判明し、さらなる騒動に発展した。
この過程でヴァイスマンは大目玉を喰らい、妻とも離婚調停を結んでいる。


余談ではあるが、その後ヴァイスマンはキングとディビットに施したタグを通してギャルの所在を割り出すことに成功した。
そして二度目の再度のタグ付けにも成功したが、その時には既に刑務作業の計画が動き出していた。
故に、此度の、他者から見ればあまりに"不可解な経緯"での捕縛となる。
さらに補足すると、ヴァイスマンであっても読み切れないギャルに対し、首輪を付けようとジョーカーの打診をおこなったが、試みは失敗に終わっている。
しかし初期配置を周到に調整することで、ブラックペンタゴンに誘導することには成功した。
仮にギャルがジョーカーを引き受けていた場合、ブラックペンタゴンへ向かうミッションが用意されていたようだ。



さて、ヴァイスマンの素行に小言を漏らし、二人は時計に目をやった。
長針はXIIに差し掛かり、まもなく正午を告げようとしている。

二人は特殊な監視カメラを通して、エントランスの様子を確認する。
ブラックペンタゴン内部の警備室でも同じ映像を見られるが、
あの部屋は、エントランスに備え付けられた監視カメラの存在を自然に見せるためのカモフラージュでもある。
直前にエントランスに入場した二人の受刑者には気の毒だが、
蒼光は彼らのことは知らないし、この是非について語る権限もない。故に、口をつぐむ。


天は急須を傾け、湯のみに均等に中身を注いでいく。
湯気とともにかぐわしい香りが部屋へと満ち、二人の鼻をかすめる。
最後に湯のみの底を布巾で拭くと同時に、ヴァイスマンの声がスピーカーを通して所長室にも届けられた。

「被験体:Oの投入。確かにこの目で確認いたしました」
「任務、ご苦労様です」
言うと同時に、天は淹れたばかりの高級煎茶をねぎらうように蒼光の前に差し出した。



――ああ、やはり罠だったのだ。
第二回目の放送が終わり、トビはいっそ天に昇る心地すらした。
あまりに鮮やかなヴァイスマンの手並みに、怒りよりも酔いしれるような感覚が広がった。


ブラックペンタゴンに留まる囚人に、看守長手ずから放送という絶望が差し入れられた。
十五人もの脱落者、そして立て続けに呼ばれる怪物たちの名前。
その中には刑務開始からトビと手を組んでいたパートナーの名前もあった。

「なあ、ナイトウ。どうだったよ?
 戦い続けて、満足はできたのかい?」

トビは虚空へと問いかける。


うすうす、こうなるだろうなとは思っていた。

四葉にとって、戦いとは目的ではなく生き方である。
そしてトビもまた、脱獄こそが己が人生を賭けるに値するものだと理解している。
二人は根本のところで同類だ。
故にトビは彼女に投げかけた問いの答えだって分かっている。

彼女はきっと、こう答えるだろう。
死ぬまで戦い切って満足だ、と。
そして、もっと戦いたかったのに残念だ、と。


大金卸樹魂、エルビス・エルブランデス、そして銀鈴。
四葉から間をおいて呼ばれた怪物たちの名だ。

一人ならば偶然、二人であっても立て続けに呼ばれることはあるだろう。
だが三人が別々の場所で個々に落とされる偶然をトビは信じない。
このブラックペンタゴンで、怪物たちによる大規模な潰し合いが起きたことに疑いはない。
これを最後の出涸らしまで味わえなかった四葉は忸怩たる思いを抱き、いまごろ地獄の底で臍を噛んでいるだろう。

『トビさんだけずる~い! こっちは一番美味しいところを味わう前に死んじゃったのにぃ~……』
そんな声が聞こえてきそうだ。
そんな幻聴が聞こえてくるほどに、自らの心が踊っていることを自覚する。


「悪いなナイトウ。
 オレ様は今、最高に滾ってやがる」

第二回目の放送を機に、ブラックペンタゴンは監獄と化した。
六時間後、ブラックペンタゴンは禁止エリアに塗り潰され、残った囚人は例外なく命を散らす。
配置されたるは400ポイント相当だとアビスが太鼓判を押す強大な門番である。
ブラックペンタゴンの外観がまるで監獄のように威圧的だったのも、今となってはすべて納得だ。

さらに視点を一段階引き上げれば、受刑者を閉じ込めるのは未だ全貌を見通せないシステムB。
それを統制するアビスも加えて、いわば三重の監獄にトビは囚われている。
成功に終わるにしろ、失敗して散るにしろ、この先きっと、これを超える監獄はないだろう。
それほどの場が整えられたのだ。


そしてトビを滾らせる要素がもう一つ。
それは今の盤面を描き、そこにトビを招き入れたヴァイスマンの手腕だ。

ヴァイスマンが最も好むのは"心理的な檻"である。
誰に強制されたわけでもない、自らの選択、自らの吐いた言葉。
己の選択によって自縄自縛に追い込まれる姿をあの男は愉しげに嘲り嗤う。


もし、仮に。
あり得ない前提として、もし、仮に引き返すことができたとすれば、それはいつだったか。
機密性の高い資料を閲覧したときか?
この島がシステムBだと判明したときか?
二階を柔らかな檻だと看破したときか?

いや、違う。もっと前だ。
エンダと交渉を始めたそのときだ。
あの段階で、トビは既にもうヴァイスマンの檻に囚われた。


エルビスはトビ一人では決して抜けない戦力だ。四葉と二人がかりでも厳しい。
あの男の守りを突破して二階に上がるには、必ず誰かの協力が必要になる。

二階の階段を一つに絞り、そこに最強の守護者を配置する。
その配置こそが、トビ・トンプソンという男を確実に罠へと誘うための采配であった。


トビはエンダに『上階を検分する』と契約した。
脱獄王としての看板を掲げて、そのスキルを活かせるカードを切った。
これは言い換えれば、二階と三階を調査し終えるまでブラックペンタゴンから離脱しないと契約を結んだと同義である。

その相手がエンダだったのは偶然だが、誰かと契約を結ぶことは必然だった。
メアリーの件がなければ、"鉄の騎士"と"ナイト"にエルビスの相手を任せ、ヘルメスと共に二階の検分を引き受けていたことは想像に難くない。
その交渉相手が"メカーニカ"であった場合でも、トビが切るカードは変わるまい。
エルビスを抜くために必ずトビは上階を検分すると言うカードを切り、その言葉に縛られるのである。


己の心理を丸裸にされ、ヴァイスマンの意図を自分の意志のように選ばされる。
すべてはヴァイスマンの掌の上、その指先で延々と掌の上を転がされる。
この事実に気付いた時、並の犯罪者ならば……いや、アビスに放り込まれた凶悪犯であってすら、心が折れるだろう。
そこにいるヤミナのように、この世の終わりのような顔をして膝から崩れ落ちることだろう。


だからこそ、面白い。


不可能に挑むからこそ、面白い。
そそり立つ壁が高ければ高いほど、面白い。


トビはそこらの有象無象の犯罪者ではない。
脱獄中毒者であり、脱獄王だ。
故に、トビは罠であると正しく理解し、罠へと飛び込む。

ヴァイスマンの掌の上で転がされている。そんなこと百も承知。
いくら転がされようが、構わない。
最後にヴァイスマンの指先をへし折って脱出さえできれば、トビの勝利なのである。

脳裏には唇の端を吊り上げるヴァイスマンの偏屈な笑みがちらつく。
それに呼応するように、トビ自身の口元も吊り上がっていく。
この場に鏡があれば、野獣のように獰猛な笑みを浮かべた己自身の表情が映し出されているだろう。




ヤミナ・ハイドは絶望の淵に立たされていた。

耳の奥で心臓が爆ぜるように脈打ち、鼓動によって強かに肉体を打ち据えられているように感じる。
視界はじわじわと黒い幕に覆われ、世界が削り取られるかのように狭まっていく。
唇は震え、その隙間からは「こひゅう、こひゅう」と擦れるような呼気の音が途切れ途切れに漏れ出す。
肺は焼けつくように熱く、息を吸い込むたびに細胞が焦げていく錯覚を覚えた。
体内から湧き上がる熱を冷やすかのように大粒の汗が額からにじみ出し、それは空調から吹き付ける冷風に晒されて皮膚の表面だけが凍てつくように冷えていく。
内と外の体感温度の断絶は、極寒の雪山に立ちながら、同時に灼熱の砂漠に投げ込まれたような錯覚をもたらした。
この場に鏡があれば、土気色に彩られた不細工な表情がそこに映し出されているだろう。


――どうしてこんなことになってしまったんだろう。
――ほんの軽い気持ちだったのに。

そんな後悔を抱いたところで、もう遅い。
すべては冷酷極まりないヴァイスマンの狡猾なるワナだったのだ。
人間心理を熟知し、自らの思うままに動かす魔術師。
人間を思うがままに操るヴァイスマンの悪意に、ヤミナは見事に踊らされてしまった。


いや、それは違う。
ヤミナはこれから踊るのだ。



全裸で。

逆さで。

踊るのだ。



ヤミナ・ハイドは絶望の淵に立たされていた。
視線の先にある室名札。
そこに記されている室名は『戦略会議室』である。

そう、『D』ではなかった。
『 D で は な か っ た 』のである。

英語は世界語。
アルファベットは人類のコモングリフ。
『A』『B』『C』と並んでいるなら、次に来るのは当然『D』。
そんな全人類の常識を覆すかのように投げ込まれた特異概念だった。
せっかくドンとかいうパワー(物理)ハラスメントジジイから逃げられた矢先に、ヤミナはこんなところで尊厳を散らしてしまうのだ。


(でもでもっ、さすがにうら若き乙女相手に手心くらいは加えてくれますよね!?)

全裸を取っ払って、逆立ちを取っ払って、踊りを取っ払うくらいの手心は加えてくれるだろう。

トビを見る。なんだか野獣みたいに笑っていた。
ついでに、オレ様は今最高に滾ってるとかヌカしていた気がする。
ダメです。アウトです。刑に処されます。


ヤミナ・ハイドは絶望のエンジェルフォールから押し出された。
今の心地はさながら、存在しない滝つぼへ紐なしでダイビングするバンジージャンパーがごときである。
逃げるか抵抗すればいいのだが、ヤミナは心理的な檻に囚われている。
自らの吐いた言葉に縛られているのだ。
おのれなんと卑劣かヴァイスマン。
こうなればダメ元で温情を乞うしかない。ヤミナはその場に膝をつき……。

「気持ちは分かるが、オレ様を誰だと思ってやがる。
 折れてないで、さっさと立って付いてこい」
トビはヤミナを一瞥し、激励の言葉をかけ、すたすた横を通過した。
あまりに哀れな顔をしていたため、こいつでもショックを受けることはあるんだなと素朴な感想を抱き、珍しくトビは気をまわした。
床に掌つけるオーソドックスな土下座スタイルを披露するまもなく、トビはさっさと作戦会議室に入っていった。
なんか許されたっぽい雰囲気を感じ取ったヤミナは慌てて後をついていった。


ちなみにこの女、ちゃんと放送を聞いている。
たくさんの名前が呼ばれた、知っている名前はない。
禁止エリアが六時間後に8つ増える、場所はあとでデジタルウォッチの地図で確認すれば十分だ。
恩赦のお助けキャラが追加されたらしい、ぜひとも凶悪犯にポイントを献上してあげてほしい。

色々あるが緊急度は低そうな案件だった。
ヤミナはしごでき女子なので、そういう案件は時間があるときに確認するタイプだ。
絶望の状況にあってちゃんと放送を聞いたのだ。えらい。




分厚く重い鉄扉を押し開けた瞬間、トビは空気が変わったのを感じ取った。
学問の徒のための書籍部屋とはまた違った様相だ。
混沌を拒むように整えられた、冷徹で規律の香りが満ちる空間だった。


まず部屋に立ち入った人間の目に最初に飛び込んでくるのは、天井付近に掲げられた巨大な旗であろう。
誰もが一度は目にしたことがあるだろうその旗は、何を隠そうGPAのシンボルである。

濃紺に染め抜かれた布地が表すのは、遠大なる宇宙。
その中央には、美しい地球が緑と青で鮮やかに描かれ、前面に白い盾が刻まれている。
地球を守るように掲げられたそれは、イージスを模したものだという。
宇宙から飛来する脅威に対抗し、地球環境の保全を担うために結成されたGPA。
その理念が端的に示された組織の象徴だ。

そこから視線を下へ降ろしていくと、壁面のスクリーンに地図が映し出されている。
その地形には見覚えがある。展示室に、まさにそのジオラマが配置されていた。
8×8マスで区切られた地図は、山折村のそれであった。


この部屋で熟議される作戦の"重さ"を示すように、重厚な漆黒の長机がいくつも鎮座。
鏡面のように磨き抜かれた机上には、整然と資料が配置されている。
椅子の間隔すら整然と保たれ、雑音となるものは一切排されている。
角は寸分の狂いもなく揃えられ、作戦司令官の厳しい規律と兵士の練度を雄弁に物語るようであった。

室内の環境もまた、ごく自然に最適化されている。
光量は強すぎず弱すぎず。
室温は皮膚に心地よく、湿度も呼吸を妨げない。
ここに座れば、誰もが否応なく"作戦"に集中せざるを得ないだろう。


この世界はヴァイスマンが創りだしたものだ。
だが、この部屋は妙に現実味を帯びている。
まるで実在の戦略会議室を現実からそのまま切り取ってきたかのようだった。


「うへぇ……」
尊厳だのなんだの、そんなこと言ってる状況じゃなくなってることにようやく気付いたヤミナ。
堅苦しそうな部屋に、一瞬で己の場違いを悟る。
未だに観光客のような気楽さが抜けないのは一種の才能だろうか。

一方、トビはこの部屋に息苦しさを感じる。
トビのような悪党を捕えるために、ペンを走らせ線を引くための部屋なのだと、トビの直感が告げているからかもしれない。


「お行儀が良すぎるぜ。背中が痒ぃ」
「こういう部屋って、最後列の一番隅の席に座りたくなりますよね」

内職大好きな不良学生のような感想を漏らすヤミナに適当に返事をかえし、トビは長机へと歩み寄る。
足音は柔らかい床に吸収され、不自然なほどに響かない。
トビは並べられた資料の一つをつまみ上げる。
上質な紙が柔らかな音を立ててめくれ、つるつるした心地よい質感を皮膚に残した。




内部準備資料抜粋:『ヤマオリ探索隊』概要報告
機密区分:極秘/要配布制限
資料番号:YEP-PREP/ω-01
作成者:ヤマオリ探索隊記録係 ■ ■■

1.概要
本資料は、『ヤマオリ探索隊』について、その目的・背景・想定されるリスクを整理したものである。
調査・斥候・探索技術に長けた精鋭により編成され、探索対象は山折(ヤマオリ)村跡地である。
当任務はGPAの公式記録には残らない非公開任務となる。

2.背景
山折(ヤマオリ)村:かつて日本に存在した閉鎖集落。
極秘研究『Z計画』が進められていたが、震災を契機に生物災害が発生。
村は全滅し、国際的禁足地に指定。外部からの侵入は厳重に禁じられている。
現在は『聖杯』と呼ばれる遺物より溢れ出る原初の異能により、外界から隔離された特異領域と化している。

3.経緯
ギャル・ギュネス・ギョローレンの捕縛に成功し、
ヤマオリの内部状況をGPAの持つ情報と突き合わせることに成功。
他方、世界唯一の『■■■■』である■■ ■■の■■超力は、他者の超力への干渉が可能であると判明。
システム化された超力の確保に目途がついたことが、本探検隊の結成に至る契機となった。

4.任務目標
遺物の確保。
超力システム化のブレイクスルーを促す。

5.想定リスク
超常的危険:過去の違法探検隊の失踪要因と考えられる現象。永遠を植え付けられ、ヤマオリに留め置かれる怪現象。
対人危険:野良探索者との遭遇。永遠の一要素と化した村人との遭遇。女王『虎尾 茶子』との遭遇。
地形的危険:聖杯による地形の変化。空間の断裂。異界への神隠し。

6.部隊編成
…………。
…………。
…………。




トビは一枚目の資料にざっと目を通し、眉間に深い皺を刻んだ。
レイアウト自体はこれまでの研究室に置かれたものと似通っている。
ヤマオリを対象にした非公式の探索隊に関する作戦概要。
システムBの記述で、この探索隊については確かに触れられていた。


「じゃあ、何か?
 聖杯ってのがシステムBの源流か?」

喉の奥で小さく呟く。
システムBの技術的出発点たる、理論核となる異能。

――直感だが、違う気がする。

もし本当に理論核であるなら、『聖杯』というワードが伏字になっていてしかるべきであろう。
先に見た資料の黒塗りの長さとも合わない。

ならばこれはミスリードか。
単純に、聖杯とやらの代わりとなるものが見つかったのか。
あるいは、この部屋を用意したのはヴァイスマンとは別人物なのか。


探索初日、と資料は続いていく。
いずれにせよ、この場から真相をうかがい知ることはできず、考察する時間もない。


「おい、ヤミナ」
「はぁい、全部突っ込みまーす」

ヤミナはトビの指示でデイパックを追加購入していた。
資料をデイパックに放り込んでいく。


この六時間でやるべきことはいくらでもある。
食料の確保。人員の確認。館内の状況把握。被験体:Oの観察。そして、脱出路の確認。

今の状況は、エルビスの作り上げた花の監獄と少々似通っている。
最強の門番が唯一の脱出路を塞ぎとめ、一定時間が経つと死に至る閉鎖空間だ。


スケールは一回り大きい。故にまだ把握しきれていないことも多い。
たとえば、電子ロックよろしく、北西と南東の出入り口が封鎖されたが、本当に完全封鎖に至ったのか。
トイレからの脱出は、システムBの子機を確認したとき、排水先がH5らしいということで潰れた。
だが、たとえば元々破壊されていた北西出入り口に"スキマ"が生まれてなどはいないか。

それに電子ロックといえば、配電設備はトビが自らの手で破壊したが、補助電気室や倉庫にスペアがある可能性はある。
たとえばメカーニカがブラックペンタゴンにいるなら修復も可能かもしれない。


そして唯一の出入り口に立ちはだかる被験体:O。
言葉は通じるのか。釣り出すことはできるのか。
そのパーソナリティは不明だが、エントランスから動かないとトビは考えている。
囮に釣られて持ち場を離れ、大量脱出を見逃すような間抜けをさらすとは考えにくい。

ただし、これも前提が変わる可能性がある。
死刑囚を殺害して100ポイントを獲得し、対人レーダーを確保する可能性は否定できない。
そもそも恩赦ポイントを利用可能なのかが不明だが、正しい現状の把握は必要であろう。

膨大なタスクに重みを付け、順番を割り振っていく。
まずは、三階の最奥部までの検証だ。
トビたちはさらに奥の部屋へと向かっていった。




「さて、名を呼ばれた受刑囚は錚々たる面子でしたね。
 個人的な思いとして、大金卸受刑囚が脱落したことには驚かされました」

茶に静かに口をつけながら、天は27年前の雪辱を思い出す。
天はその当時、秘密特殊作戦部隊――SSOGに入隊したばかりのルーキーであった。
訓練所に迷い込んできた彼女を排除するどころか、その圧倒的な暴の前に一撃で伸された。

被験体:Oのオリジナル――大田原 源一郎は、彼女がSSOGの門を叩くことを実に楽しみにしていたようだ。
その後にヤマオリ事変が起こり、結局二人が顔を合わせることはなく。
再びそれをなぞるように、彼女が被験体:Oと武を競う機会もまた、失われた。


「蒼光君の知っている名もあったのではないですか?」

放送中、二煎目の準備をしていたものの、天は蒼光の動揺を見逃していない。
彼と関わりのある囚人も、この刑務作業には投入されている。
ソフィア・チェリー・ブロッサムの名が呼ばれたとき、彼の目は確かに揺れ、
銀鈴の名が呼ばれたとき、彼の目は驚愕に見開かれていた。


欧州超力警察機構の一員として、粉骨砕身の覚悟で正義に身を捧げていたのがソフィアだった。
蒼光は彼女と幾度か肩を並べて任務をおこなったことがある。
父・創と同じく、超力に頼らず肉体と技術を武器に戦う彼女は、蒼光にとっても呼吸の合う相手だ。
愚直に正義の志を信じ抜こうとしていた彼女に蒼光は敬意を表していた。

だが、今思えばそれは焦燥と孤独の裏返しだったのかもしれない。
必死に泳ぎ続けなければ沈んでしまうような、"溺れる者"だったのかもしれない。
結局、どの瞬間に彼女が足場を失い、アビスへ転げ落ちたのかは分からない。
あるいは、正義とは別の軸――恋人か親友が一人でもいれば、また違う未来はあったのだろうか。

蒼光は視線をずらし、静かに茶を含む天を視界に収めた。
口の中に、言葉にできない苦みが広がっている。
彼女がアビスに堕ちたことに、未だ納得はできていない。
だが、自分に何かできるわけでもなく、その無力感を口に出しても空虚が広がるだけだ。
紛らわすように、他の名前を挙げる。


「銀鈴の名には驚きましたね。
 相対したのはアビスに封じられている凶悪な受刑囚とはいえ、やはりあれを倒せるイメージが湧かない」

八年前、システムC実験体の捕縛作戦。
通常戦力では捕縛は不可能と結論づけられ、最終手段として蒼光の投入が検討された。
あの頃、十歳だった彼は、記録映像越しに銀鈴を見て、震えが止まらなかった。
ただ画面越しに睨まれただけで、心臓が凍りつく思いだった。

銀鈴の怪物性は、脳の自認に肉体が引っ張られて変質する現象の極致である。
支配者であると、人を超えた新人類であると、そう自認し続けたことで肉体が深淵を宿す器へと変質した。
銀鈴は事実支配者の血統であり、加えて最初のネイティブであるという特別性を持ち合わせていたことがその変質を強く促したのだ。
銀鈴。親から与えられた名は良玲。氏族名は金(アイシン)。
彼女は150年以上前に流刑に処された大帝国の皇族の末裔であった。


「確かに、彼女がこの段階で脱落したのは私も驚きましたよ。
 捕縛作戦の立案を求められたとき、頭を抱えたものです」

エドワード・ハリックによる捕縛任務は失敗。それを引き継いだのが天であった。
送られた情報を元に作戦を組み立てた天は、言葉で彼女の興味を引き、領域の境界近くまで誘致。
Crepitansの名を継ぐアジア最強の女性狙撃手の協力を仰ぎ、
システムA子機を加工して作成した特注のグラップリングガンで境界外に引きずり出すことで、捕縛に至ったのである。


「彼女は君にとっての、IFのような存在ですよ」
天は茶碗を机に置き、真っすぐ蒼光を見据えた。

「もし、君がその特殊な生まれや超力に飲み込まれていたならば、
 今ごろ彼女のような怪物に成り果てていたでしょう」

蒼光は思わず眉を寄せた。
あれと同じになるなど、どうにも実感の湧かない話であるが。
環境が違えば、そういうケースもあり得たのかもしれない。
そして、それがGPA上層部の冷徹な見解であり、蒼光への警戒なのだろう。

「そちらに堕ちないように育ててくださった、ご両親に感謝を忘れないことです。
 強力な力を持つ者は、得てして上からも下からも疎まれがちですので」

天はふぅと長く息を吐いた。
それは、これまでの苦難を思い返しているようでもあった。


蒼光は初めて天と顔を合わせたときのことを思い出す。
十年前、後のシステムBの原型となる規格外の超力を確保するために、蒼光はヤマオリ探索隊の特別隊員として抜擢された。
天や言とも、はじめてそこで顔を合わせた。

そして、まだ幼かった蒼光は天に対して無邪気に口にした――『すごい超力ですね』と。
その言葉に対して、天は笑顔を浮かべた。だが、次に戒めるように、こう告げた。
『あまり大っぴらには口に出さないでいただけますか。
 この超力は、部下の死を前提とした、忌まわしい超力なのです』と。


天が超力を使用した公的な記録はない。
だが、蒼光には天の超力が見える。

彼の中には幾多もの超力が眠っている。
天に命じられて命を落とした部下たちの超力が、彼の中に眠っている。

任務の果てに殉職した部下の超力を受け継ぐ。
それが、標的の名も部下の名も背負い続け、秩序のために手を汚し続けてきたこの男の超力である。



「そうそう、これは私の人生訓にすぎませんが……」
天は湯呑を置き、静かに言葉を繋いだ。
背筋を伸ばし、硬質な声にわずかな苦味を滲ませる。

「どれほど強くても、個である限りは必ず限界があるものです」
その言葉の裏には、世界の秩序を人知れず護り続けてきた者の確信が宿っていた。


事実、この刑務だけで見ても、猛者たちが既に幾人も命を落としている。
ドンも、大金卸も、銀鈴も、等しく命を落としている。

過去にさかのぼれば、かつて人類最強と畏れられた大田原でさえ、それを上回る野生の暴威の前には抗えず、膝を屈した。
世界の理を書き換えるほどの力を持った魔王アルシェルは、数百年積み重ねられた怨念に呑まれて消え、
人類から覇権を奪い取ろうとした"女王"は、人類の悪意と覚悟、そして業の前に野望を散らした。
盛者必衰。強大な個は、必ず打ち破られる。


「被験体:Oとて、個である限りはその例外にはなりえないでしょう」

その言葉に蒼光は思わず目を見開いた。
再現不可能というわけではないが、軍艦一隻をゆうに超える莫大な費用をかけて生み出された生体兵器が被験体:Oだ。
それほどの価値を持つ兵に対して、この男の口から飛び出した言葉は、まるで敗北を織り込んでいるかのようではないか。

「おっと、誤解させてしまいましたね」
天は柔らかな笑みをたたえる。
だが、その笑みは温かみよりも、ぞっとするような執念が滲んでいるように感じられた。

「だからこそ、必要なのです。正しく兵を運用する将が、ね。
 そして、適切な制御のために、被験体:Oのすべては明らかにされねばならない」
その言葉には粘りつくような重みがあった。
執着じみた何かが感じられた。


蒼光は、ふと、気にかかっていたことが一つあったことを思いだした。
「ひとつ、伺ってもよいでしょうか」

天は茶をすすり、無言で続きを促す。
蒼光は視線を外さぬまま低く問うた。


「GPAの保管所で、ヤマオリの遺物の持ち出し記録がありました。
 あれを刑務場に投入したのは、なぜです?」




ブラックペンタゴン最上階最奥部。
長い長い道のりの果てに、二人の受刑囚がついに足を踏み入れた。
最奥部に相応しい、封印といっても差し支えない重厚で厳めしい扉を押し開ける。
そこに広がっていた光景は、ブラックペンタゴンでも特に異質であった。

「うっわ~。……えっ、こんなものがあっていいんですか?」
ヤミナが思わず声をあげた。
その視線の先に並んでいたのは、数々の武器であった。


脇差。剣ナタ。サバイバルナイフ。スレッジハンマー。
ダネルMGL。H&K SFP9。AK-47。ライフル銃。

刃物。鈍器。銃器。
お互いに関連性の見当たらない多彩な武器が、丁重に並べて置かれている。
この部屋は、最上階入り口の展示室を思わせながらも、より物騒な空間――武器庫というべき空間であった。


「なんで、こんなもんが置かれてやがる……?」
トビは目を細め、訝しむ。

ブラックペンタゴンの二階には、恩赦ポイントを形骸化しかねない数々の物資が配置されていた。
それは争いを放棄した囚人たちをそこに留めるための罠であった。
被験体:Oを門番とする巨大な檻に、囚人を閉じ込めるために用意された撒き餌であった。

だが、最上階の最奥部に置かれた数々の武器は、恩赦ポイントの形骸化こそ促すものの、餌とは言い難い。
むしろ、被験体:Oと戦うために用意されたと言われるほうがしっくりくる物資である。


「篭城戦でも想定してやがるのか?」
最奥部に配置された戦略会議室に、武器の数々。
被験体:Oが階下から侵入してきた場合、ここを最終防衛線として迎え撃つ――そう考えれば筋は通らなくもない。
刑務の目的が戦闘実験であれば、あり得なくはない。
が、どこか腑に落ちない。

トビは一つ一つの武器に慎重に近づき、医務室で確保しておいた使い捨てグローブを装着して確かめていく。
手に取ったのは、極道が所持していそうな脇差。
丹念に使い込まれているが、手入れもまた行き届いている。
ほかの刃物や鈍器も同じく、使われた形跡がある。血の跡がついているものもあった。
銃器もまた中途半端に弾倉が残っており、まるで誰かが戦闘の途中で放棄したものをかき集めてきたかのようだ。

「30年近く前の規格か……?」
どの銃器も、かなり昔に製造されたもののようだ。
にもかかわらず、まるで時が止まったように真新しい。
金属に錆はなく、艶めいている。


トビはAK-47を手に取る。弾倉を確認すると、満杯の30発であった。
壁に向かって一発、二発、試し撃つ。
硝煙が鼻を刺す。性能は至極標準、何の細工も施されていない。
実に標準規格の銃器である。

ふと、思うところがあって弾倉を確認する。
だが、弾が無限になるというようなこともなく、28発の銃弾が残っている。


そのころヤミナは、拳銃を構えて『動くな!』と警告するカッコいい自分を妄想していた。
トビに向けてそれをやったらバチクソに怒られそうなのですべては脳内スペースでのお試し武装である。



「……どうにも納得いかねぇな」
おそらくはこれらの武器はヤマオリに関係するものだ。
戦略会議室でも、展示室でも、ヤマオリに関する資料があった。
戦略会議室の資料にあった、『永遠』とはこの武器の状態のことを指すのだろうか。


だが、ヴァイスマンがそれを置く意図が見えない。
決定的なピースが欠け落ちているようにしか思えなかった。


「ふふん、どうですか? コーディネート、キマってません?」
能天気な声に振り替えると、ヤミナが胸を張っていた。
彼女の胸には、どこから持ち出してきたのか、軍の徽章らしきバッジが輝いている。
古びた意匠ながら重みを感じさせるそのバッジは、どこか人を威圧する気配を放っていた。

ヤミナは歴戦のSP気取りで銃を構え、中腰に構えて左右に銃口を向け、誰もいない空間に発砲。
煙を上げる銃口を上に向けて、悩ましげな表情でふっと息を吹きかける姿が、なぜか無性にイラついた。


前時代の武器は今となっては力不足だが、それでもライフル銃などは人間にとっては十分な威力を持つ。
被験体:Oに通用するのかは不明だが、素手よりはずっと頼もしい。
だが、どう作用するのかは想像もつかないが、これを罠だと感じるのも確かだ。

満悦したヤミナが視界に映る。
彼女の胸に輝くバッジからは、深淵に引き込まれるような不吉さを感じた。




ヤマオリの遺物。
それは探索隊が山折村から持ち帰った品々である。
聖杯こそ、その影響の大きさから獲得を見送ったが、
人類最強の細胞と、異能:『不思議な世界へようこそ!(イン・ワンダーランド)』を持ち帰ることに成功した。
そのほかにも、世界の理から外れてしまった遺物を探索隊はいくつも持ち帰っている。

たとえば、ヤマオリの地で落命したSSOGの徽章もその一つである。
それはいわば、遺品である。何の効果もなく、研究価値は極めて低い。
武器にしても、数十年前の骨董品に過ぎない。
そのような遺物を、天はGPAの許可の元で刑務作業場に配置したのだ。


「蒼光君。この刑務作業が、受刑者の処刑ではないことは、君も重々承知かと思いますが」

蒼光の問いに、天は応じた。
その声には、どこか背筋を震え上がらせる凄みが生じていた。

「私は受刑者が被験体:Oにぶつかり、何も分からないまま全員が脱落する展開は望みません」

それは決して囚人たちへの慈悲ではない。
彼の背負う深い業の底から湧いて出た選択であった。

「彼らは全力を尽くしてなお、被験体:Oに蹂躙されるのか。
 それとも、打ち破ることができるのか。
 もし被験体:Oが敗れるのなら、その条件とは何か。
 刑務作業で私が注視しているのは、そこなのです」


これは初の実戦投入に違いない。
だが、本番ではない。模擬実戦であり、試験である。
正常系と準正常系の試験は、過去の試験で検証が取れている。
次に見るべきは、負荷試験と異常系の試験である。


被験体:Oを客人のように丁重に扱うつもりなどさらさらない。
むしろ逆だ。実戦と並行して、過酷なストレスを叩きつける。
この刑務には被験体:Oにゆかりのある人物が複数投入されている。


ヤマオリから分化したカクレヤマの里、その縁者、そしてシステムCの関係者。
大田原 源一郎が後継を期待した稀代の格闘家。
カクレヤマの住人であり、ヤマオリ・カルトの飾り巫女。
大田原 源一郎を殺害した八柳の血脈。
開闢の日にヤマオリから現れた正体不明のギャル。

ヤマオリに関連性の薄い人物ほどエントランスに近く。
関連性の強い人物ほどエントランスから遠く。
そうなるように初期位置を調整させている。

そのうち、大金卸 樹魂と本条 清彦は脱落したが、他の三人はきっと被験体:Oに接触するだろう。
そのとき、被験体:Oはどのような反応を返すのか。


天はぽつりとつぶやく。

「決戦を前にして、預かった兵を無為に散らす。
 戦場に立たせるという最低限のことすらできずに。
 将にとっても、兵にとっても、これほど無念なことはないと思うのです」

言葉は静かだったが、その奥底に滲む痛みは隠しきれなかった。


ヤマオリ事変において、天は部下を犠牲にしてまで最強の兵――大田原 源一郎の指揮権を手にした。
だが、その後はどうだったか。
天は彼を戦場に投入することすら失敗し、その命が散るのを画面越しに眺めるしかなかった。
それは将として落第でしかなかった。
しかし皮肉にも、ヤマオリ事変の功績によって、天は隊長の座を与えられた。
その事実は、今なお彼の心に鋭いトゲとして突き刺さり続けている。

だからこそ、天は決めていた。
被験体:Oを一兵卒として確かに活用できるように、徹底的に試す。徹底的に叩く。
そこに妥協などありえない。


だが、そもそもの疑問として。
蒼光の胸に、ひとつの疑念が浮かぶ。

肝心な局面で、被験体:Oが機能不全を起こす。
そのようなピンポイントで都合の悪い状況が、本当に起こりえるのか?


そう考えた矢先に、蒼光の脳裏にひとつの事象の名が浮かんだ。

「永遠のアリス……」

自らの口から漏れたその言葉に、天がゆっくりと頷く。


それは、蒼光に課せられた最大のミッション。
永遠のアリス――現れるだけで、その場を新たなヤマオリへと変質させる特級呪霊。
ある国では広大な森林地帯が、ある国では秘境の村が、またある国では地方都市がヤマオリと化した。
今もヤマオリは世界中で増え続けている。


被験体:Oそのものは、"ヤマオリ"を適切に管理できれば問題はない。
だが、"ヤマオリ"を振り撒く永遠のアリスを管理することはできない。

被験体:Oが投入された戦場には、人か武器か土地か、"永遠"が必ず紛れ込んでくると考えるべきだ。
そんな仮定を考えすぎだと笑うことは蒼光にはできなかった。


だからこそ、この刑務作業の孤島には意図的に"永遠"を帯びた遺物が仕込まれている。
ブラックペンタゴン最上階の最奥部。
そこには"永遠"が眠っている。

【D-5/ブラックペンタゴン 3F北東ブロック 武器庫/1日目・日中】
【トビ・トンプソン】
[状態]:皮膚が融解(小)
[道具]:ナイフ、デジタルウォッチ、デイパック
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.ヴァイスマンの思惑ごと脱獄する。
0.武器を持ち出すかどうかを検討する。
1.被験体:Oを突破するために館内の状況を調査する。
2.首輪解除の手立てを探す。構造や仕組みを調べる為に、他の参加者の首輪を回収したい。
※エンダが秘匿受刑者であることを察しています。
※デイパックの中に北西ブロック三階中央の部屋等から持ち出したものが入っているかもしれません。

【ヤミナ・ハイド】
[状態]:各所に腐食(小)
[道具]:警備員制服(SSOGの徽章付き)、デジタルウォッチ、H&K SFP9(12/20)、デイパック(食料1食分、エンダの囚人服、資料・書籍類)、デイパック
[恩赦P]:32pt
[方針]
基本.強い者に従って、おこぼれをもらう
0.トビに媚びる
1.エンダと仁成に会ったら交渉、ダメそうなら謝る
2.被験体:Oは誰かなんとかしてくれるでしょ
※34Pよりデイパック二つ購入→32P

※共通備考
  • ブラックペンタゴン北西ブロック外側:戦略会議室
  • ブラックペンタゴン北西ブロック中央:不明
  • ブラックペンタゴン北西ブロック内側:武器庫
  • 徽章/武器ともに永遠が付与されています
  • ここで登場した銃器の残弾数は以下の通り
 ダネルMGL(1/6)
 H&K SFP9(12/20)
 AK-47(28/30)
 ライフル銃(3/5)

116.呉越同舟 投下順で読む 118.ハーダー・ゼイ・カム
時系列順で読む
ABC計画の■■及びそれを取巻く世界の実状について ヤミナ・ハイド 新世界
トビ・トンプソン
第二回定時放送 乃木平 天 [[]]
天原 蒼光 [[]]
DUTIES START 言 文寧 [[]]

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最終更新:2025年09月21日 17:23