◇
『おはようございますっ!!』
煩わしい声が、また飛び込んできた。
小学校、教室の片隅。窓際の座席。
私は机に頬杖を突いて、ぼんやりと外を眺めていたけれど。
その執拗な声の主に対し、うんざりと視線を向ける。
黒髪のショートカットが目立つ、ボーイッシュな女子だった。
『…………またアンタ?』
私は思わず、はぁと溜息を吐く。
誰とも関わりたくない。誰ともつるむ気はない。
どうせ周りには馬鹿や無能しかいない。相手する価値なんてない。
そう思っていたから、学校での交友関係なんて作らなかった。
唯一交流があるのは――家が近かった、山中 杏くらいのものだ。
それ以外は同性も異性も適当にあしらって、孤立を貫いていた。
『えへへ……アタシのこと、覚えてくれた?』
だというのに、こいつはいつも私に寄り付いてくる。
能天気な笑顔で、ニヤニヤと私に話しかけてくる。
覚えるに決まってる。だってしつこく関わってくるから。
『“はざまさん”でしょ』
『そう!羽間 美火です!』
クラスメイトの羽間 美火。
彼女はいつも、私につっかかってきた。
同じクラスになって、体育の授業でたまたま一緒になって。
それから彼女は、頻繁に私を気にかけてくるようになった。
気にかけてくるというか――しつこく話しかけてくるというか。
『しつこい』
そんな美火のことを、私はそっけなく突き返す。
鬱陶しいし、ただ面倒臭い。そう思っていた。
そもそも、授業でちょっと関わっただけの相手でしかない。
彼女が私に関わろうとしてくる意味が、理解できなかった。
『なんで話しかけてくんの?』
周りをつっぱねて、いつも孤高を気取っている。
そういう態度だから、女子のグループからは嫌われている。
男子からも腫物扱いされているらしいが、どうでもいい。
興味なんてなかったし、周りの目も気にしなかった。
そんな私とつるむメリットなんか、ありはしない。
『そりゃあ、だって――――』
でも、美火はなんてこともなしに笑顔を向けてくる。
何も考えてなさそうな、呑気な表情だった。
『体育のとき、やさしくしてもらったから!』
彼女はそういって、にかっと笑う。
私は思わず、訝しむような表情を作る。
――優しくしたっけ。あまり記憶がない。
少し面倒は見た気がするけど、それだけだった。
美火も大概変なやつなのは知っている。
嫌われてはいないけど、ちょっと浮いている。
クラスの日常を眺めてて、それくらいは察している。
『それだけ?』
『それだけじゃないよ!』
じゃあ、結局は“はぐれもの同士”と見られているだけなのか。
クラスで浮いてるやつが、クラスで孤立してるやつとちょっと関わって、友達になったつもりなのか。
そんな疑問を抱いて、私は投げかけてみたけど。
『ヒーロー!』
――思わぬ答えが返ってきた。
は?と私は呆気に取られた反応を零す。
『ヒーローにならなきゃいけないの!アタシ!』
美火は恥ずかしげもなく、バシッとポーズを決めた。
変身ヒーロー。特撮モノの主人公のような、勇ましい構えである。
そんな美火の返事を聞いて、私はぽかんと口を開く。
何を言ってるんだと、思わず唖然としていたけど。
だんだん可笑しくなってきて、苦笑いがこぼれた。
『……で、ヒーローがなんで私につっかかってくるの?』
『ひとりぼっちの“かがみさん”を助けたいから!』
私からの問いかけに、美火は即答した。
バシッと私を指差して、堂々と宣言してきた。
『こまってる人を助けるのが、ヒーローのしごとだよ!』
またしても、恥ずかしげもなく――真っ直ぐな瞳で。
私のことを射抜いて、そう告げてきた。
そんな美火の顔を、私はじっと見つめていた。
ちょっと絡んだ程度で、しつこく絡んできて。
こっちを“ひとりぼっち”呼ばわりして、勝手に人助けの対象にして。
デリカシーもへったくれもない。馬鹿馬鹿しくて、ひどく仰々しい。
けれど、そんな美火の態度には、一欠片の下心も見えない。
打算も裏表もなく、恥じらいすらなく、あまりにも真っ直ぐに。
美火は“ひとりぼっち”らしい私へと、手を差し伸べてきた。
『……困ってないっての』
そんな美火をしばらく見つめてから。
私はまた、苦笑いを浮かべてしまった。
どこか満更でもない気持ちが、心の奥底にあった。
◇
◆
まだ日常を捨てる前の、遠い日の記憶だった。
結局私は、平穏に背を向けることになったけど。
この交流だけは、ほんの少し、胸の奥底に残っていた。
けれど、もう振り返ることはないだろう。
思い出や、友情は、既に湖の底へと捨て去った。
氷藤 叶苗とアイ――あの娘たちの最期と共に葬った。
私はただ、駆け抜けていく。
自らの存在を賭けて、走り抜けていく。
その先に待ち受けるのは、乗り越えなければならない壁。
圧倒的で、完全無欠な存在。炎の偶像。
私は、彼女を超えなければならない。
この刑務を生き延びるとか、恩赦を得るとか。
そういう領域だけでは語れない、確たる意地がここにある。
例え彼女が、私を見ていなくても。
私は、彼女をずっと見ている。
だから、勝たなきゃならない。
ねえ、ジャンヌ・ストラスブール。
あなたは、今の私を見たら。
綺麗だって、思ってくれるかな。
◆
白い月の浮かぶ、宵空の下。
二人の乙女は、夜の草原を駆け抜ける。
夜の闇を照らす、二つの灯火と化し。
二人の受刑者は、只管に走り続けていた。
その身から焔を放ちながら、全速力で疾走する聖女――ジャンヌ・ストラスブール。
迸る焔の推進力を駆使し、彼女は猛スピードでの移動を続ける。
その聖女に追従して奔る少女――葉月 りんか。
身体強化と自己鼓舞の超力によって、ジャンヌの疾さにも引けを取らない脚力を発揮する。
――F‐5からの最短ルート。二人は全力疾走によって、E‐4の禁止エリアへと強引に突入した。
そのままギリギリの直線上を横断する形でエリアを突破し、ブラックペンタゴンから見て西に位置する草原を移動していた。
一定の時間的猶予もあるとは言え、首輪爆破のリスクを背負う行動である。
されど二人は承知の上。この先に待ち受ける戦線へと加わるために、一刻も早く移動しなければならなかった。
黒蝿の導き。エンダ・Y・カクレヤマの眷属が、ジャンヌ達に道を指し示していた。
ルーサー・キングとの決戦の場へと、彼女達を誘導していた。
そう、つい先程までは。
――黒蝿が、突如として朽ちた。
――灰のように崩れ落ちて、消滅したのだ。
エンダを知るジャンヌは、その意味を理解していた。
眷属の消滅。即ちそれは、彼女が超力を維持できなくなったことを意味する。
恐らく彼女は、もう手遅れとなっている――ジャンヌはその現実をキッと噛みしめる。
そんなジャンヌの様子を、りんかはすぐ後ろから見つめていた。
「ネイ・ローマンも健在とはいえ――」
そしてジャンヌは、りんかへと語りかける。
「私達だけでキングと戦う可能性も十分に有り得ます」
エンダが既に散っている可能性が高いと判断したが故に、彼女は最後に意思を問いかけた。
「責めはしません。引き返すなら今が最後です」
ここから先は死地であり、引き返すなら今である、と。
だが、それでも。りんかの意思は変わらなかった。
決意をその眼に宿して、腹を括るように答える。
「――ジャンヌさん。覚悟はもう決めてますよ」
ジャンヌと共に行き、ルーサー・キングを討つ。
これ以上の悲劇を生み出さないためにも、立ち向かわなければならない相手だった。
「私は、走り続けます。それが望みですから」
少しでも多くの者達を救い続ける。
自分を受け止めてくれたこの世界に報いて、戦い続ける。
――その果てで、紗奈の祈りに応える。
己の願いを果たすためにも、りんかは引き返さなかった。
希望を背負う少女は、聖女と共に戦う道を改めて決意した。
そんなりんかの決意を、ジャンヌは静かな微笑みによって応える。
――ありがとう、と。言葉なき表情で伝えた。
その勇気と意思を認めるように、彼女の言葉を受け止めた。
ジャンヌは、エネリットから伝えられた話を振り返る。
ブラックペンタゴンに残存する面々。被験体との死闘を生き延びた受刑者達。
そしてジャンヌは、そこに一つの可能性を見出していた。
ジャンヌは、エンダのことを知っている。
彼女がどのような人物なのか、理解している。
故にこそ、ジャンヌは推測を立てていた。
――――彼女なら、アビスの思惑には乗らない。
――――彼女には、“目的がある”と聞いている。
エンダは恐らく、アビスへの反抗を前提に動いている。
彼女が脱獄王と結託していたという話からして、その可能性は極めて高い。
アビスに反発する受刑者、りんかのような善意を持った受刑者、そういった面々と手を結んでいるのではないか。
故にジャンヌは、戦場へと急ぐ。
例えエンダが散ってしまったとしても、彼女が繋げた縁が残されているのではないか。
そうした集団と合流すれば――りんかを託すことができるかもしれない。
りんかは外の世界で生きてほしいと、ジャンヌは切に願う。
紗奈もまた、それを願っていたのだ。
彼女はりんかの平穏を、自由を願っていた。
そして、りんかもまた――道を見据えている。
己の望みと、紗奈の望み。その二つを背負って生きるという、苦難の道を選んだ。
そこには紛れもなく、確固たる意志が宿っていた。
無期懲役囚であるりんかがアビスを脱するためには、本来なら恩赦ポイントを集めるしかない。
されど彼女は闘争を拒み、そのうえで未来を生きることを選び取った。
りんかが望みを叶えるためには、アビスの意にそぐわぬ手段を使うしかない。
――――即ち、脱獄である。同じ目的を持つ者達との合流は不可欠となる。
りんかが刑務を脱する上で、必要となるものとは何か。
脱獄囚となる彼女を守るための保障である。
その肩書きを背負う限り、りんかに安息は訪れない。紗奈の望みは決して果たされない。
しかし、アビスとはGPAに連なる権力。その追っ手を容易く振り払うことなど出来るはずがない。
アビスの、ひいてはGPAの権威を食い止めるするための術が必要になる。
例えば――――告発。
非人道的な刑務を世間に公表すれば、彼らを揺さぶることが出来るのではないか。
しかし、オリガ・ヴァイスマンらがその可能性を考慮していない筈がないだろう。
仮に恩赦が真実であるのなら、確実に口封じの為の先手を用意している。
GPAを揺さぶる為には、より大きな武器が必要になる。
彼らの権力による揉み消しを超える程の、大きな切り札が。
――そして、それは秩序を乱すことに繋がるだろう。りんかを解放することは、体制への反抗となる。
それも、決意の上だった。
清濁を共に飲む覚悟は決めていた。
この刑務に巻き込まれ、犠牲になった者達。
彼らは所詮悪人だったなどと、割り切ってはならなかった。
ましてや、りんかや紗奈のようなものでさえ巻き込まれているのだから。
彼女達のような者達にまで殺し合いを強いる――その現実を、是認してはならない。
ジャンヌが思案を続ける中で、りんかも現状を見つめていた。
思いを巡らせて、この刑務を振り返っていた。
紗奈と出会い、ここまで歩み続けてきた。
多くの受刑者達と相対してきた。
多くの苦難と対峙し、数々の死線を越えてきた。
弱さを背負い、苦悩を抱えて、厳しい道程を歩み続けて。
それでもりんかは――――ここまで生き延びた。
刑務の終結へと、時間は刻々と進み続けている。
恩赦による生還は望んでいない。出獄の為にこの手を血に染める道は、求めていない。
その上でりんかが自らの望みを果たすためには、このアビスを抜け出すしかなかった。
罪を背負うことは、りんか自身も理解していた。
それでもりんかには、このアビスでは収まりきれない大きな願いがある。
地の底で可能な限り手を差し伸べて、その先でも誰かを救い続けて――そうして掴み取った平穏な世界を見届けること。
ジャンヌの推測が正しければ、エンダ・Y・カクレヤマという受刑者が脱獄へと向けた結託を繋いでいる可能性が高い。
無期懲役――その判決を言い渡されていた時から、外に出ることはもう叶わないと一度は受け入れていた。
自分を案じてくれた支援団体や自警団の人々に感謝を抱いて、自らの運命に従うつもりだった。
そんなりんかの前に、一筋の蜘蛛の糸が垂らされている。
(もしも、その先に辿り着けるのなら――――)
りんかは、振り返る。
遠い日の記憶。犯罪組織に囚われる前。
家族と過ごす、平穏だった日々。
安らぎの中で過ごす、穏やかな世界。
全てを救って、救い続けて。
その先に、平和な世界を見届けることが出来たら。
自分はその時、どんな想いを抱くのだろうか。
願いを果たした時、どんな日々が待っているのだろうか。
――そこに、あの日の家族はいない。
――紗奈も、この世にはもういない。
けれど、そうだとしても。
自分が駆け抜けた先に、皆の想いが紡がれるとしたら。
その先には、一体どんな景色があるのだろうか。
りんかは、遥か彼方の結末へと思いを馳せる。
少女の心に、穏やかな灯火が照る。
二人の乙女は、走り続ける。
その果ての未来を掴むために。
この先に待ち受けるものを。
彼女はまだ、知らない。
――――そして、何処からか。
――――歌声が、聴こえてきた。
◆
舞台の上に立つ者。
舞台の下に降りる者。
彼女達の未来は、二つに一つ。
立つか、伏せるか。
生きるか、朽ちるか。
彼女達の顛末は、二つに一つ。
高揚の舞踏(ハッピー・ステップ)。
それは、立ち続ける者だけに許される。
主役たる偶像だけが踊る、眩き祝福だ。
去りゆく演者には、選別だけが残される。
役目を終えた女優は、舞台を降りていく。
彼女達が去ってゆくとき。
舞台の上に、何が遺されるのか。
その答えは、紡がれる物語だけが知る。
バイバイ、アイドル。
◆
《祈って――――》
この地の底(アビス)に。
透き通るような歌声が響く。
《祈って――――》
ジャンヌは、その歌声に気づく。
りんかもまた、遅れて反応する。
《祈って――――》
まるで硝子細工のように、美しい声だった。
その音色が、旋律が、二人の意識に差し込まれる。
《愛して――――》
それは、何処から聴こえてくるのか。
二人は咄嗟に足を止めて、周囲を警戒する。
《愛して――――》
その声は、余りに異様だった。
この場に、間違いなく響いているのに。
二人の鼓膜へ、間違いなく届いているのに。
何処から聴こえているのかが、分からない。
《愛して――――》
相手の位置が、全く分からない。
歌声の主が居る方角が、全く掴めない。
まるで周囲にスピーカーが張り巡らされているかのように、声が立体的な反響を繰り返す。
舞台(ステージ)に迷い込んだかのような感覚に、二人は幻惑される。
そのときジャンヌは、何かを察するように目を見開く。
この歌声が、誰のものなのか。ジャンヌはそれを理解する。
自らの記憶を手繰り寄せ、ほんの半日前まで行動を共にしていた相手――その少女を追憶する。
そして、追憶が火蓋を切るように。
その瞬間は、閃光のように訪れる。
《――――傷つけて》
りんかは、それを刮目した。
流麗に躍り出る敵を、目の当たりにした。
羽ばたくように跳ぶ影を、目の当たりにした。
それは闇夜の影から、突然舞台へと飛び出した。
白と黒の衣装を纏った――アイドルだった。
己こそが主役であると訴えるように、相手は真正面から突撃を仕掛けてきた。
小細工など無い。ジャンヌ達の真っ向から、アイドルは姿を現したのだ。
――にも関わらず、二人はその瞬間まで敵の気配を察知することができなかった。
死角から不意打ちをされたように、視認も感知も許さなかった。
りんかはおろか、ジャンヌでさえも。相手が至近距離へと接近するまで気づけなかった。
暗転する舞台に立つ役者へと、スポットライトが当てられるかのように。
殆ど唐突に、何の脈絡もなく、そのアイドルは“出演”を果たしたのだ。
不条理。理不尽。そうとしか言いようがない。
まるで空間を支配されているかのように、余りにも突然。
まるで時間を支配されているかのように、余りにも速く。
その白い指先が、ジャンヌへと振るわれようとしていた。
あらゆる感知と警戒を突破し、疾風と化す偶像。
その奇襲に素早く反応し、咄嗟の防御行動を取るジャンヌ。
それは、殆ど反射的な動作だった。
ジャンヌはその身から治癒の黒炎を滲ませて、思考よりも判断で動く。
数多の戦闘を経てきた聖女だからこそ成せる、迅速なる瞬発力。
しかし、りんかは目を見開いていた。
――違う。あれは、駄目だ。
――あれは、受けてはいけない。
りんかは、半ば本能的に察する。
ルクレツィアの黒炎による治癒では、どうにもならない。
あれは、危険だ。あれは、死を纏っている。
必殺の一撃が、今まさにジャンヌの命を刈り取らんとしている。
ジャンヌもまた、それに気づいた。
しかし一瞬の動揺が、対応を鈍らせた。
――“彼女”が、迷いを捨てて殺意を向けてきた。
覚悟はしていた。可能性は考えていた。
それでもジャンヌは、現れた偶像の姿に“目を奪われた”。
その妖しい輝きを前に、ほんの僅かな隙を抉じ開けられた。
「――――ジャンヌさんッ!!!!」
咄嗟に動けるのは、その攻撃を妨げられるのは、りんかだった。
だからりんかは――――ジャンヌを突き飛ばした。
殆ど反射的な行動で、彼女を庇った。
思考が明滅する。想いが残響を繰り返す。
全てを救い続けること。命を燃やすこと。
穏やかな日々で、静かな生を過ごすこと。
紗奈の祈りに、ちゃんと応えること。
りんかの願いが、脳裏を駆け抜けて。
恐怖と躊躇によって、踏み留まりそうになって。
それでもりんかは、動き出した。
動かなければ、ならなかった。
《擦りきれるまで、捧げてよ》
――――その直後。
りんかの喉元が、一直線に引き裂かれた。
その首筋から、鮮血が止め処なく噴き出した。
たたらを踏んで、両目を見開く。
掠れた声が、喉から溢れ出す。
《君の全てを、いま》
そして、コンマ数秒後。
更なる追い打ちが、致命の一撃と化す。
りんかの左胸が、抉り取られる。
肉を割き、骨を越えて、その奥底。
心臓を的確に、その手で切り裂いて魅せる。
《終わらせてよ、この飢えを》
華麗に舞った“アイドル”が、踊るように手刀を放ったのだ。
たった二撃。刹那の合間に放たれた、奇襲の攻撃。
それが、葉月りんかに決定的な傷を刻み込んだ。
《私の全てを、いま》
氷月 蓮の“殺人を遂行する異能”。
たった1%の可能性が、脅威的な武器となる。
そして――彼女自身の超力“偶像崇拝(アイドラトリィ)”。
自らを神域に押し上げる異能が、絶対的な法則を敷く。
身体強化、自己治癒、対超力加護――。
そんな小手先の保険など通用しない。
舞台に立つ主役は、アイドルたる彼女だ。
舞台は主役に従う。主役が統べる。それが全てなのだ。
アイドルは、ステップを踏んで距離を取っていた。
その手でりんかに致命打を与えた筈なのに。
その指先は、一滴の血にも染まっていない。
白と黒の衣装は、一滴たりとも汚れていない。
化粧に彩られた顔は、決して返り血に穢させない。
当然だ。偶像なのだから。
完璧な振り付けで、返り血を拒んだ。
華麗な舞踏で、返り血を全て躱したのだ。
可憐で、美しき、舞台の星なのだから。
端役の血で汚させてなど、なるものか。
《ねえ、愛して――――傷つけて!!》
――――少女は、鳥だった。
黒き羽を羽ばたかせる、一羽の悪童だった。
痛ましい微笑みを張り付けて、舞台を踊る。
白き翼に憧れた、漆黒の鴉。
眩き純心に焦がれた、闇夜の狼鳥。
無垢と欲望に混濁する、宵影の怪鳥。
正しくなんか、なれない。
清らかな乙女には、なれない。
それ故に、その少女は美しい。
気怠げに、妖艶に煌めく。
癒えぬ悪徳を、己が腸に抱えて。
その嘴は、聖なる光を無惨に啄む。
鑑 日月。
死刑囚、偶像(アイドル)。
目的は、再び舞台に立つこと。
聖女を超えて、己の輝きを証明すること。
◆
誰かが“頑張れ”って言ってくれれば。
アイドルとは、それだけで輝けるもの。
誰かの応援があるから、立ち向かえる。
たとえ恐怖に縛られ、一歩を踏み出せなくても。
背中を押してくれる誰かがいれば、きっと踏み出せる。
アイドルとは、きっとそういうものだ。
けれど、傍に誰もいないのなら。
この掌にあるものが、我欲でしかないのなら。
自分を輝かせるものは――自分で見出すしかない。
日月は、孤独だった。
独りぼっちになってしまったから。
自らの舞台を、この地の底に築き上げた。
日月の超力は、自対象に酷似した“空間対象型”に分類される。
自己暗示によって“舞台(ステージ)”という領域を規定し、その範囲内で自らを偶像へと押し上げる。
その異能によって変化が齎されるのは、彼女自身だけではない。
空間対象――限定的な“世界改変の異能”であるが故に、日月が認識する領域そのものに“法則”を押し付けるのだ。
だからこそジャンヌとりんかを相手に“真正面から”完全なる奇襲を成立させた。
そしてりんかの自己回復効果をも突破して致命打を与えられた。
発動と維持のためには、日月自身がこの場を“舞台”として規定する必要がある。
故にこそ不安定。故にこそ、本領を発揮できる機会は限られる。
そして、だからこそ――。
彼女がアイドルとして、自らの心身を完璧にセッティングすることが出来れば。
ここは紛れもなく、鑑 日月の世界と化す。
己が主役であると主張し、絶対的な優位を生み出す。
極められた領域型超力。その出力と強度は計り知れない。
完全なる偶像と化した少女。
彼女に与えられたのは、たった1%の殺意。
世界(ステージ)に織り込まれたのは、小さな凶器。
その可能性の芽が、偶像を紅く躍らせる。
その些細な刃が、偶像を死神(ワルキューレ)へと変える。
そして、その上で少女は――――。
自らの傍に立っていた殺人鬼を振り返る。
自らの“有能な相棒”を演じていた殺人鬼を顧みる。
あの男の在り方は、正しかった。
合理的で、打算的で、常に冷静沈着だ。
日月が勝つ為の道筋を、粛々と敷き詰めていた。
現実的な計算で、優秀な補佐役として振舞っていた。
だからこそ、彼は主役になれないのだと。
日月という偶像は、殺人鬼を否定する。
どれだけ彼の後押しを受けようと。
どれだけ彼に助言をされようと。
あの男に抱く感情は、侮蔑のみだった。
込み上げる苛立ち。鬱屈。
屈折のような怒りが、胸中で渦巻く。
――――消えろ、殺人鬼。
――――お前はもう用済みだ。
賢しらに振る舞うだけか。
盤上の打算に勤しむだけか。
お前は“輝き”を理解しているのか。
お前に舞台の何が分かるのか。
人を殺すだけが能の素人が、教導者になったつもりか。
“脇役(おまえ)”が偶像を語るな。
“脇役(おまえ)”に役目なんて無い。
情動こそが、少女を奮い立たせる。
――希望と絶望の鬩ぎ合い。
――理想という輝きへの仰望。
それこそが、私の心を揺さぶる。
そんなことさえ、お前は理解していない。
せいぜい小細工に勤しんでいるがいい。
舞台裏の走狗に甘んじているがいい。
お前はしょせん、空っぽの道化だ。
主役を引き立てる為の道具でしかない。
お前のような小物では、神に触れられない。
お前ごときに、スポットライトは当てられない。
――ただただ、無価値だ。
価値があるのは、この激情だけ。
女の魂は、いつだって緋色に燃える。
耐え難い鬱屈を、燃え滾る炎に焚べながら。
躍動する偶像は、眼前の有象無象へと感情をぶつける。
自らが越えねばならない相手――その狭間に立つ少女。
葉月りんかへと、鑑 日月は冷ややかな殺意を突き付けた。
ああ。失せろよ、虫螻。
“端役(おまえ)”にも出る幕なんてない。
私のステージの邪魔をするな。
鑑 日月の相手は、ジャンヌ・ストラスブールだけだ。
日月が初手で狙ったのは、りんかだった。
りんかを殺す術として、ジャンヌへと奇襲を仕掛けたのだ。
それこそが、偶像の見出した道筋。
虚ろなる“殺人の資格(マーダー・ライセンス)”が導き出した答えだった。
◆
激しい目をしている、なんて。
りんかは、ふと思った。
哀しい目をしている、なんて。
りんかは、ふと思った。
鑑 日月。彼女が向けた眼差し。
りんかの意識へと、それは鮮明に焼きついた。
――――“彼らは心の中に正義の炎”。
――――“ヒーロースピリットを持ってる”。
――――“だから、ヒーローになれるんだ”。
痛みと熱が駆け抜けていく中。
昔の記憶が、不意に蘇った。
在りし日の父の姿が、りんかの脳裏に浮かんだ。
優しい父から与えられた、正義の心。
誰かを救う魂。優しい炎の意志。
ヒーローとしての在り方を、あの温もりの中で知った。
――――“それは血で受け継ぐもんじゃない”。
――――“心で、魂で受け継ぐもんなんだ”。
己は、そんなヒーローとして生きられただろうか。
父が教えてくれた道を、貫くことが出来ただろうか。
りんかの胸中で、記憶が走馬灯として駆け抜けていく。
あの災厄の上で、己の生きる道は始まった。
沢山の犠牲を経て、家族に手を差し伸べられた。
その意味を、りんかは自分なりに受け止めている。
自分は、皆の優しさに報いたい。
世界に報いて、祈りに殉じたい。
きっとそれが、私の生まれてきた理由だから。
――――”アタシの方がおねえさんだから!”
――――“りんかちゃんにもとくべつに教えてあげる!”
記憶の残響。思い出の反復。
公園で仲良くなって、ヒーローの必殺技を教えてくれた少女。
ほんの僅かな関わりだったけど、それはりんかの心に刻み込まれている。
ヒーローを愛して、ヒーローになろうと励んでいた。
彼女の笑顔を、輝きを、りんかは忘れられない。
彼女のおかげで、りんかはヒーローをもっと好きになれた。
――――“りんかちゃん!またね!”
またね、美火ちゃん。
手を振るあの娘に、りんかもそんな挨拶を交わした。
それ以来、彼女とは会えなかったけれど。
あの娘の小さな輝きが、ひどく鮮明に焼き付いていた。
ああ、また会いたかったなぁ――と。
りんかは、寂寞の感情を抱く。
自分を愛してくれた誰かが、ヒーローを教えてくれた。
ヒーローという偶像が、今の自分を形作っていた。
だからこそりんかは、救済と贖罪のために戦い続けていた。
そんな中で出会った、一人の女の子。
この地の底で見つけた、ひとひらの希望。
葉月りんかを愛してくれて、本気で案じてくれた少女。
紗奈の顔が、声が、想いが――この胸に宿っている。
――――“りんかッ!!”
――――“がんばれ!! りんかーーーーーっ!!”
ああ――紗奈ちゃんに顔向けできないなあ、なんて。
そんなことを、りんかは思った。
彼女の優しい“海の瞳(オーシャンアイズ)”が、私の心を射抜く。
紗奈にだって、穏やかな目があった。
他でもない、自分に向けてくれたのだ。
“あなたが私を助けて、守ってくれた”。
紗奈は自分に、そう言ってくれた。
りんかが居たから希望を取り戻せて、ここまで立っていられたのだと。
それは、りんかにとっても同じだった。
あの娘と出会ったから、此処まで戦ってこれた。
守るべき相手。自分にとって初めての、妹同然の存在。
ずっと傍で支えてくれた、最愛の親友。
紗奈がいたからこそ、りんかは勇気を振り絞ることができた。
たった一人で、孤独に戦うよりも――ずっと、ずっと。
この刑務が始まってから、バルタザール・デリージュとの再戦で離別するまで。
自分と紗奈は、行動を共にし続けた。互いに支え合いながら、歩み続けた。
りんかは振り返る。紗奈の姿を、鮮明な色彩によって脳裏に蘇らせる。
――――“穏やかに生きて、歳を取って。
――――“そうして平和なまま、みんなに看取られて死んでいく”。
――――“りんか。それが私からあなたにかける呪い”。
生きてほしいと、穏やかな日々を手に入れてほしいと。
沢山の友達に囲まれて、平和な世界で最後まで生きてほしいと。
そう願ってくれた紗奈の祈りが、死にゆくりんかへと悲哀を刻み込む。
彼女の優しい呪いが、自分の心を救おうとしてくれたのに。
結局自分は、“誰かを救う道”に殉じることを選んでしまうのだと。
自分を傷つけるような生き方で、走り抜けてしまうのだと。
りんかは、自らの業に想いを馳せる。
自分も、思い描いていた。
全てを救った先。平穏な世界。
紗奈や家族達の想いを紡いだ果て。
そんな日常を、りんかも見届けたかった。
救い続けた果てに、辿り着いてみたかった。
――ああ、でも。
――これが、私なのだ。
それが、葉月りんか。
それが、自分という悪童。
我儘で、身勝手で、傲慢で。
どうしようもなく、人を救いたい悪だから。
それこそが、自分という人間なのだと。
彼女は、己の生き方を理解していた。
りんかは、己の欲望を抑えられない。
理想を貫くことにこそ、自分という存在がある。
その上で、紗奈の願いも果たしたかった。
それは過酷で、無謀な道のりだった。
結局それは、志半ばで終わりを告げてしまうけれど。
それでも、それでも――。
魂が心から渇望していることに。
彼女は、背を向けたくなどなかった。
葉月 りんか。
無期懲役囚、“シャイニング・ホープ”。
目的は、誰かを救い続けること。
救って、救って、救った先へと辿り着くこと。
彼女は、この世界を愛している。
「ぐ、う、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――――――――っ!!!!!!!!!!!!」
そしてりんかは、動き出した。
必殺の一撃を受けても尚、肉体を躍動させた。
雄叫びにも似た咆哮を上げて。
彼女は、最期の意地/悪徳を貫き通す。
その首元から血を噴き出しながら、彼女は奔る。
その胸元を真紅に染め上げながら、彼女は往く。
未来への希望。正義の遺志を受け継いでくれる者へと。
りんかは、全てを託すことを選ぶ。
――――がんばれ、と。
“転生の少女”は、聖女を鼓舞する。
遺される偶像へと、祈りを捧げる。
ジャンヌ・ストラスブール。
彼女へと触れる。彼女の手を掴む。
目を見開く聖女を、りんかは真っすぐに見つめる。
そして、全身全霊を込めて――。
自らの異能を、ありったけに注ぎ込む。
超力――“希望は永遠に不滅(エターナル・ホープ)”。
自らに鼓舞された者の肉体と精神に、強化を与える異能。
全ての希望を、全ての余力を、ジャンヌへと施す。
最期の力を振り絞って、りんかは無垢なる献身を貫く。
眩い光が、ジャンヌを包み込んでいく。
迸る熱量が、ジャンヌに加護を与えていく。
驚愕する彼女を見つめながら、りんかは静かに微笑む。
――ああ、これでいい。
りんかは、ひどく安心していた。
悔いはなかった。彼女になら、託せる。
彼女が立ち続ければ、希望は潰えない。
(ごめんね、紗奈ちゃん)
そんな安堵に、罪悪感を抱く。
自らの未来を案じてくれた少女に、謝罪を手向ける。
彼女の祈り/呪いを、静かに嚙み締める。
きっと私達は、天国で再会できると。
優しいジャンヌは、そう言ってくれた。
けれど自分は、向こうで彼女には会えないだろう。
自分から死ぬような真似をして、天罰を受けて。
約束を破ったから、紗奈にも顔向けなんて出来ないだろう。
(もしも、生まれ変われるとしたら)
だからこそ、せめて。
転生(リンカネーション)があるのなら。
次に生まれ変わる時が来るとしたら。
またやり直せる日が来るとしたら。
その時は、今度こそ。
(今度こそ。紗奈ちゃんとの約束、守るから)
――今日も平和で退屈だな、って。
そんなふうに思える日々の中で、過ごしていきたい。
安らかな平和の中で、最期まで穏やかに生き続けたい。
いつか、そんな時が来たら。
紗奈ちゃんは、私を許してくれるかな。
【葉月 りんか 死亡】
◆
ジャンヌへと最後の力を与えて。
茶髪の少女は、そのまま崩れ落ちた。
その命を燃やし切って、地に伏せた。
遺されたのは、紅い血潮と――物言わぬ死骸のみ。
超力が消滅し、変身が解除されて。
子供のように小さな体型の少女が、そこに横たわっていた。
光を失った海色の瞳と、どこか満足げな微笑。
そんな少女の亡骸を、ジャンヌは静かに見下ろしている。
その表情は、窺い知れない。ただ沈黙の中で、佇んでいる。
「――――…………」
日月は一瞬、言葉を失った。
少女が最期に見せた意地を前に、驚愕を隠せなかった。
無期懲役囚。大台の100ptを確保できることさえ、一瞬忘れるほどに。
間違いなく、致命の攻撃だった。
たった1%の確立を手繰り寄せた、必殺の一撃だった。
確実に命を奪うべく突き立てた、己の殺意を。
あの少女は――耐え切って、動いたのだ。
超力による延命だったのか。
あるいは、一種の奇跡だったのか。
その答えはわからない。しかし。
――――“それだけじゃないよ!”
何故だか、昔の友人を思い出した。
まだ小学生だった頃。舞台の上を知らなかった頃。
いつも孤高を気取って斜に構えていた自分に、気さくに話しかけてきた女の子。
あの廃墟での氷藤 叶苗との遣り取りでも振り返った、数少ない友人。
――――“ヒーローにならなきゃいけないの!アタシ!”
羽間 美火。彼女の顔が、脳裏をよぎった。
霞んだ記憶が、鮮明に浮かび上がった。
日月は、奇妙な感覚を抱いた。
かつての友人である美火の姿が、今しがた仕留めた少女に重なったのだから。
あの眩さと純粋さを、何故だか思い出してしまったのだ。
道理を蹴飛ばし、非合理を押し通す。
無茶を貫き、有り得ない奇跡を手繰り寄せる。
そして、眩しいほどの希望を繋ぎ止める。
――まるで、偶像(ヒーロー)のようだった。
あの娘が目指していた、理想の主人公のようだった。
そのことに、僅かな感傷を抱いて。
ほんの微かにでも動揺と衝撃を受けて。
しかし偶像は、自分に言い聞かせるように平静を取り戻し。
ゆっくりと目を細めて、“今”へと意識を戻す。
とうに終わったことだ。
社会の闇も、舞台の光も――――。
まだ何も知らなかった頃の、些細な記憶だ。
今さら振り返る意味なんて、有りはしない。
感傷に浸る意味なんて、何処にもない。
そう、ヒーローは死んだのだ。
己が手で殺したのだ。それが全てだ。
葉月りんか。彼女が見せた輝きの意味を知ることは、日月にはもう出来なかった。
彼女がかつての友人に重なったことの意味も、日月は悟ることが出来なかった。
――美火はもうこの世に亡く、葉月りんかも日月が仕留めたのだから。
答えは葬った。初めから不要なものだった。
今の偶像に必要なものは、彼女達(ヒーロー)ではない。
日月は孤独だ。たった一人でステージに立っている。
信頼できるスタッフも、マネージャーも、何処にもいない。
自分を応援する者は、自分しかいない。
とうに分かっている。けれど、その茨の道を進むと決めたのだ。
全ては、再び輝くために。
それが新時代の悪童、鑑 日月に残された望み。
――貴女自身が本当に輝く為に私を討つというなら。
――私は、殺されても構わない。
刑務の序盤。初めて聖女と出会った一幕。
最初に交わした遣り取りが、日月の脳裏によぎる。
あのとき日月は、ジャンヌを試した。
その正義の器を、偶像としての格を確かめようとして。
そして日月は、その輝きを前に眼を灼かれた。
自分では手に入らない無垢を背負う、その狂的なまでの輝き。
負けたくないと願いながら、その光を前に擦り切れていく心。
きっと自分は、ジャンヌ・ストラスブールに勝てなかった。
「ねえ、ジャンヌ・ストラスブール」
しかし、今は違う。
今の鑑 日月は、偶像として此処に立っている。
なればこそ、日月は再び問う。
「正義の味方の貴女は――――ここから、どうするつもり?」
あのとき。聖女へと投げかけた台詞を、再演する。
偶像の視線の先。そこに佇むのは、眩しい程の紅蓮だった。
葉月りんかの亡骸へと、哀悼の意を示し。
神妙な表情で、聖女は静かに立ち続ける。
悲哀。後悔。決意――あらゆる感情を、凛とした面持ちの中に留めて。
焔の聖女は、ゆっくりと日月へと目を向ける。
赤と黒の炎が入り混じり、聖女の身から溢れ出る。
激情と悲嘆が混濁した焔が、その強靭な意志によって統べられる。
そして、聖女はその背に“焔の翼“を顕現する。
――――それは、異様な姿だった。
――――それは、神域の姿だった。
聖女が背負い、猛々しく迸る焔の翼。
その姿は、より強大に。より神々しく変質を遂げていた。
一対の翼は、六枚羽による荘厳なる姿へと変異していた。
激しく燃え盛りながらも、神秘的な輝きを放つ。
それはまるで大天使――“熾天使(セラフィム)”のようだった。
――進化の途上。変質への道筋。
フレゼア・フランベルジェの超力継承から、彼女はその狭間に立ち続けていた。
絶望を踏破するだけの意志を備えながらも、彼女は未だに境界を越えられていなかった。
余りにも完成された強靭なる精神性が、聖女の覚醒への一押しを妨げていたのだ。
だが、りんかから与えられた熱量が、最後のピースを埋め込んだのだ。
聖女はその右手に、焔の剣を握り締める。
より強大に、より荘厳な姿と化した、一振りの刃。
その眼には、滾る燈火のような意志を宿して。
ただ真っ直ぐに、眼前に立ちはだかる日月を見据えている。
そんなジャンヌの佇まいに、日月は一瞬だけ戦慄を抱く。
――刑務序盤。炎帝フレゼアを制した、あの瞬間の風格。
あのとき感じた言い知れぬ恐怖が、再び記憶の中で反響する。
しかし、それでも日月は再び身構える。
自己暗示。精神調律。自らこそが偶像である、と。
彼女は己を鼓舞して、一呼吸を置く。
そして、真っ直ぐに聖女を見据える。
決して眼を逸らさず、覚悟を抱いて立ち続ける。
やがて日月は、呼吸を整えながら。
――その顔に、微笑みを貼り付ける。
動揺など一欠片も感じさせぬ、超然たる表情。
着飾ること。演じること。自分の十八番だ。
虚勢を張ってこそ、アイドルなのだ。
だから、なんてことはない。日月は己を鼓舞する。
これがアイドルとしての意地であり、矜持。
そうして日月は、神域の存在としてそこに在り続ける。
「貴女の話は、知っているわ」
日月は、ゆっくりと口を開く。
眼前の聖女へと、言葉を投げかける。
ジャンヌ・ストラスブール。
彼女の噂は、幾度も耳にしていた。
欧州の自警団“アヴェンジャーズ”の顔役、旗振り役。
犯罪者達との戦いで、数多の犠牲を乗り越えた。
多くの仲間達が散っていく中でも、彼女は戦い抜いた。
彼女の輝きに惹かれて、数々の同志達が集った。
その希望と正義に殉じて、命を落とした者達が数多いた。
やがては巨大犯罪組織の魔手によって、彼女は堕ちた。
巨悪の怒りを買ったことで、家族や友人の全てを喪うことになった。
そして今――彼女の正義が、この地の底でも犠牲を生み出している。
海色の目をした少女は、きっと清らかな想いで散っていったのだろう。
氷藤 叶苗。アイ。彼女達も、きっとジャンヌを信じていたのだろう。
フレゼア・フランベルジェやジルドレイ・モントランシー。
彼女らもまた、ジャンヌという焔に灼かれて狂乱の中で駆け抜けている。
「貴女は天使よ。誰かに死を齎して、死体とばかり愛し合う」
そんな聖女に対し――偶像は、嘲るように告げる。
その在り方を蔑み、呪うように吐き捨てる。
聖女は、何も答えない。何も言わない。
「――――私は違う。私が身を捧げるのは、屍の山じゃない」
偶像、日月は言葉を続ける。
己の立つべき戦場を、その決意の中で見定める。
自分はジャンヌではない。死を背負う聖女ではない。
死に愛される者ではない――生の中で、輝きを背負う者だ。
光り輝き舞台の上へと、自分は返り咲くのだと。
日月は、自らの神性を迸らせる。
「私は――――それでも、信じています」
そして、沈黙を続けていた聖女。
ジャンヌもまた、静かに口を開く。
その眼差しに、確固たる意志を込めながら。
彼女は、偶像と相対する。
「正義を貫いた先に、人々の希望があると」
そう告げる聖女の顔に、寂しげな笑みが浮かぶ。
悲壮を滲ませながらも、どこか神秘的な――そんな微笑みだった。
その笑みには、まさしく天使に似た、超然とした神性が漂う。
それは虚勢でもなければ、着飾るための演技でもない。
ありのままの感情。聖女が見せた、心からの発露だった。
ジャンヌ・ストラスブール。
無期懲役囚、“聖女”。
目的は、正義を貫くこと。
ただ、それだけだった。
◆
【D-3/草原/一日目・夜(じきに夜中)】
【ジャンヌ・ストラスブール】
[状態]:疲労(大)、全身に激痛(中)、超力進化?(六枚羽の焔翼)
[道具]:流れ星のアクセサリー
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.正義を貫く。
0.鑑 日月を討つ。
1.ネイ・ローマンと結託し、ルーサー・キングを討つ。
2.刑務の是非、受刑者達の意志と向き合いたい。
3.嵐求士堂…忘れません。決して。
※ジャンヌが対立していた『欧州一帯に根を張る巨大犯罪組織』の総元締めがルーサー・キングです。
※ジャンヌの刑罰は『終身刑』ですが、アビスでは『無期懲役』と同等の扱いです。
※流れ星のアクセサリーに保存されていた『フレゼア・フランベルジェ』の超力を取り込みました。
フレゼアの超力が上乗せされ、ジャンヌの超力が強化されています。
完全に肉体に馴染んだ時、更なる進化を遂げる可能性があります。
※ルクレツィアの超力が上乗せされ、ジャンヌの超力が変質しました。
傷を癒す、黒煙を噴き上げる黒ずんだ炎を出せる様になりました。
但し、この炎で傷を癒すと、凄まじい激痛が生じます。
【鑑 日月】
[状態]:肉体の各所に火傷(傷隠しメイク)、《偶像》、超力『殺人の資格(1%)』
[道具]:アイドル衣装、ワイヤレスイヤホンマイク、化粧品、香水、デジタルウォッチ(楽曲(タイトル不明)DL済み)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.輝く。其の為に生きて、其の為に死ぬ。
1.ジャンヌを超える。絶対に。
2.氷月蓮と協力して恩赦ptを稼ぐ。使い物にならなくなったら、すぐに棄ててやる。
3.アビスからの出獄を目指す。――――本当の意味で手段は問わない。
4.ルーサー・キングとの接触は可能な限り避ける。
※人生を舞台と見立て、常時超力を高出力で発動させています。
[共通備考]
葉月 りんかの恩赦ポイント(100pt)は未回収です。
最終更新:2026年03月03日 21:09