◆
ギール・グロウは常に危険を犯す。
スリルを楽しみ、困難を楽しみ、自ら死地へと突き進むことを楽しむ。
例え窮地に追い込まれる可能性があろうと、目的の為ならば博打に出ることも厭わない。
破滅願望の類を持ち合わせている訳ではない。
彼の欲望は無尽蔵であり、彼は盗むことを至上の娯楽としているだけだ。
欲しければ盗む。標的が大物であるならば、難敵であるならば楽しむ。それだけのことだ。
盗んで生きることが幼い頃からの生業なのだ。決して楽な生活ではないが――だからこそ、そんな人生さえも楽しまなければ損である。
彼はそう考えていた。
魔王城への侵入劇は酒場での話題の種になった。
ギールは一匹狼の盗賊だが、決して独りで生きている訳ではない。
所謂盗賊ギルドとの繋がりは持っているし、その手の同業者が集う日陰の酒場で情報収集や雑談に勤しむこともある。
「命知らず」「最強の大馬鹿野郎」「本物の勇者」―――魔王城に忍び込んだというギールの武勇伝を聞いた酒場のアウトロー達は口々にそう言った。
呆れ混じりの驚嘆を肴に、その時のギールは相も変わらず次の標的について考えていた。
喝采を浴びるのは悪くない。
だが、称賛のために盗むのではない。
己のために、この享楽に身を投じるのだ。
◆
一筋の汗が頬を流れる。
鼓動の音が静かに響く。
肉体の反応と緊張感は、生身のそれと何ら変わらない。
海からそう遠くはないE-2、炎の塔まであと数百メートル程の地点。
積み重なった火山岩の大地で、ギール・グロウは足を止めていた。
蛇に睨まれた蛙のように、彼は動くことも出来ずに立ち尽くしている。
その視線は塔の方角とは逆側、50メートルほど離れた地点へと向けられている。
唇を噛み、歯を食いしばる。
気押されぬように、腹を括った態度で『敵』を睨む。
「ほう、人間がいたか」
岩石の上に立ち、ギールを見据える偉丈夫。
悪魔のような角。紫色の肌。漆黒のマント。その異様な風貌は、明らかに人間のそれではない。
それもそのはず。その男はあらゆる魔族の頂点に立つ存在なのだから。
カルザ・カルマ―――異世界を支配せんと目論む、魔王だ。
目を細め、此方を見定めるように睨む魔王に対し、ギールは金縛りを食らったように固まっている。
見覚えがあった。いや、忘れるはずがない。
アバターとやらを似せて作った紛い物――そんな可能性も思い浮かんだが、あの魔王に化ける輩などいるものか。
そんなことをすれば最後、あらゆる魔族から不届き者として命を狙われる。
そして、思い出したように魔王が口を開いた。
その一言を耳にし、ギールの脳裏に記憶が蘇る。
魔王城に侵入した時のことだ。意気揚々と乗り込んだはいいものの目ぼしい宝を見つけられず、やがて魔王の部下と思わしき女騎士に発見され、辛うじて逃げ延びた。
エル・メルティというのは、あの女騎士だろうか。ともかく、魔王はギールの顔を認識していたのだ。
魔王城は魔族のテクノロジーを結集させた要塞だ。魔術を応用した監視機能――現代社会でいう監視カメラのような――なども、城の至るところに設置されているのだ。
怠惰な魔王は部下のハイテクにもよく頼る。
そして怠惰であるが故に勇者出現まで殆ど強行的な行動を起こさず、それが結果として情報の秘匿に繋がっていた。
ギールは魔王城の監視機能を把握できず、そのまま顔を知られてしまうことになった。
魔王城の技術を知る由もなくとも、ギールは今の魔王の一言で悟った。
自身が城に潜入した盗人であることに気付いている。
つまり、相手は自分を間違いなく敵として認識する。
そう、あの魔王の怒りを買うことになる。
先程まで固まっていたギールが、瞬時に地を蹴る。
盗人は迷いなく駆け出す。魔王へと向かっていくのではない、魔王から全力で離れるのだ。
そして疾走と共に振り返り、『アイドルのCD』を手元に出現させる。
そのまま後方にいる魔王へと向けて、円盤とケースを手裏剣のように投擲した。
魔王目掛けて勢い良く迫る二つの飛翔体。
しかし、それらが命中する寸前。
「くだらん」
空中で、静止した。
まるで風のクッションに受け止められるように、円盤とケースが宙に浮いたまま微動だにしなくなる。
紫色の手でそれらを軽く摘み上げ、魔王は走りゆく盗人を睨む。
「我から逃れる気か?」
魔王が一歩、大地を踏む。
そして、次の瞬間。
神風のような勢いと共に、魔王は猛進した。
詠唱もなしに、自身の『すばやさ』を瞬間的に上昇させる強化魔法を発動したのだ。
AGIで勝っている筈のギールが、魔王との距離を詰められていく。
ギールは目を見開く――『逃亡』スキルの発動に失敗した。
判定に用いるAGI値は元々大きな差も無く、更に魔王自身のバフによってそれすら埋められた。
元より低い確率の博打に敗北したのだ。故に、逃げることはできない。
ギールが咄嗟に振り返った。
そして、勢いよく右腕を伸ばした。
迫る魔王に掴み掛からんとしているのか。
しかし、その抵抗は虚しく。
彼の肉体に、凄まじい衝撃が叩き付けられた。
それが強化魔法による瞬発力を上乗せした魔王の鉄拳であることに気付く前に。
ギールは容易く吹き飛ばされ、火山岩の大地を無様に転がっていく。
「げほっ、ごほ、がはァッ……」
岩石にぶつかり、漸く止まったギールは血反吐を吐く。
肉体の内側に響くダメージに喘ぎ、悶え苦しむ。
辛うじて致命傷は免れた。幸運だったとしか言い様がない。
VIT値が最低ランクのEであるギールは、下手すれば今の一撃で命を落としかねなかった。
生命を繋いだのは奇跡的とも言える。されど、彼の身に叩き込まれたダメージは計り知れない。
一時的な強化魔法が解除された魔王は、遠く吹き飛ばされたギールを悠々と見据える。
今の一撃を生き延びた盗人に感心しつつ、悶える彼を冷ややかな眼差しで嘲る。
「フン、鼠めが―――」
その一言と共に右手を構えようとした矢先、けたたましい轟音が響いた。
突如としてばら撒かれた『それ』に目を見開き、咄嗟に防御魔法を行使。
次々に迫り来る『鉄の塊』を、盾状のバリアによって弾いていった。
蹲りながら、ギールはコントローラーを握り締めていた。
アイテム欄から咄嗟に取り出した『機銃搭載ドローン』を操作し、闇雲の掃射を行っていたのだ。
宙に浮かび続けるドローンは魔王を牽制するように、そのまま弾丸をばら撒き続ける。
魔王は防御魔法を維持し、銃弾を弾いていく。
未知のカラクリへの驚愕と警戒によって思わず後手に回った。
しかし、それが使い魔やゴーレムのような類いであることにも魔王はすぐに気付いた。
襲い来る弾幕も集中砲火を喰らえば痛手にはなるが、一発一発は大したものではないと防御の最中に分析する。
がむしゃらに放たれる弾丸を凌ぎつつ、魔王は攻勢に回るべく構えようとした。
だが、そのとき魔王は気付く。
蹲っていたはずの盗人が、いつの間にか走り出していたのだ。
身を屈め、岩陰や地形で巧妙に姿を隠しながら魔王との距離を離していく。
闇雲な掃射を行っていたのは、逃走と足止めを同時に行うためだった。
走りながらのドローン操縦でまともな精密動作を期待できる筈もない。
だからこそギールは弾丸を撒き散らし、この未知のカラクリによって僅かな時間だけでも魔王を足止めしたのだ。
逃がすものかと魔王が再び魔法を行使しようとした、次の瞬間。
盗人の姿が、消えた。
否、消えたのではない。
落ちたのだ――魔王は気付く。
どぼん、と水音が小さく響いた。
◆
E-2は火山エリアにおける海沿いの地点だ。
北東へと進めばすぐに海へと辿り着くし、その気になれば飛び込むこともできる。
あの盗人は5メートルほどの断崖から跳び、迷わず海へと潜り込んだのだ。
断崖の上に立ち、魔王は目を細める。
夜の海は暗闇に染まっており、視界はハッキリとしない。
最早あの盗人を探すことは無意味だろう。
それを悟り、魔王は大人しく海から背を向ける。
目指す先は炎の塔だ。
(アバターっちゅうモンも、不便やなぁ……)
魔王カルザ・カルマは思わず心中でごちる。
幾ら怠惰で面倒嫌いとはいえ、己はあらゆる魔族の頂点に立つ絶対的存在である。
人間など赤子同然。あの恐るべき勇者達とも互角以上に渡り合った。
だが、今の体たらくはどうか。
あんな鼠一匹も仕留めきれず、あろうことか逃走を許してしまったのだ。
そして―――アイテム欄から、支給品が一つ消失していることにも気付く。
先の戦い、強化魔法と共に魔王がギールに一撃を叩き込んだ直前。
ギールは咄嗟に振り返り、魔王目掛けて右腕を伸ばしていた。
あの時は単なる悪あがきかと思っていたが、寧ろ魔王が「してやられた」のだと気付く。
通知欄にいつの間にか入っていた「アイテムが盗まれました」というメッセージを苦々しく見つめる。
ギール・グロウは『強奪』スキルを持つ。
(自LUK-相LUK)/4の確率で対象からアイテムを盗むことが出来る。
『逃亡』スキルこそ失敗に終わったものの、LUK値が最低である魔王カルザ・カルマから強奪することは寧ろ容易だったのだ。
本来ならば魔王には有り得ない程の失態の数々。
特殊スキルのおかげで戦闘は今までのようにこなせるものの、やはり肉体や魔力そのものは大きく劣化している。
アバター化による一種のハンデを認識した魔王は、改めて気を引き締めた。
彼が炎の塔を目指していたのは、自身を滅ぼした勇者――陣野愛美と郷田薫との戦いに備えるためだ。
GPを蓄えれば戦力の拡張に繋がる。塔の支配権を得ることは十分に意味があると判断したのだ。
先の戦闘で、魔王はその方針を更に噛みしめる。
このゲームはまさに未知の戦い。魔の覇者ですら足元を掬われてもおかしくないのだ。
己の油断と慢心を戒めながら、魔王は歩を進めていった。
◆
『炎の塔』の頂上にて、魔王はオーブに触れる。
塔を登るまでに何ら障害はなく、あっさりと屋上に辿り着いた。
そして所有権もまた容易く得られたのだ。
余りの呆気なさで拍子抜けに思いつつも、魔王はアイテム欄からあるものを取り出す。
(しかし……何やろなあこの円盤……それと箱……あの女の子おるやんけ)
あの盗人が投擲した武器らしきものだ。
チャクラムや手裏剣の類いかと思っていたが、その割に素材が貧弱で頼りない。
回収したそれをまじまじと眺めて、魔王は目を細める。
四角い箱――即ちCDケースのジャケットを見た。
5人組の少女が笑顔で並んでいる。うち一人は先程出会い、そして別れた魔族の少女『
安条 可憐』だった。
共に並んでいる他の四人が彼女の言っていた『家族』なのだろうか。そもそも、この物体は何なのか。何故彼女達の肖像が刻まれているのか。あのチャクラムモドキの円盤も何なのか。
魔王はハイテクに頼るが、現代社会のハイテクなど知る由もない。
まあ、ツラ覚えられたし結果オーライやな。
笑顔の少女たちを見つめながら、魔王はそんなことを思っていた。
[E-1/炎の塔/1日目・黎明]
[魔王カルザ・カルマ]
[パラメータ]:STR:A VIT:B AGI:C DEX:C LUK:E
[ステータス]:魔力消費(小)
[アイテム]:HSFのCD、機銃搭載ドローン(コントローラー無し)、不明支給品×2
[GP]:10pt
[プロセス]:
基本行動方針:同族は守護る、人間は相手による、勇者たちは許さん
1.勇者(陣野愛美、郷田薫)との対決に備え、力を蓄えていく。
2.あの盗人(ギール)は次会ったら容赦せん。なに人のもんパクっとんねん
※HSFを魔族だと思ってます。「アイドルCDセット」を通じて彼女達の顔を覚えました。
※「炎の塔」の所有権を獲得しました。
※ドローン本体を回収しました。少なくともアイテム欄にしまっている最中は他参加者による遠隔操作が不可能になるようです。
◆
「―――はーっ……ふぃーーー……」
黎明の海にぽつんと浮かぶ影が一つ。
ギール・グロウは大柄な丸太にしがみつき、海上を漂流していた。
出会い頭、魔王と対峙した時点で『アイテム透視』スキルを使って支給品の一つを把握した。
そして魔王が限界まで接近してきた瞬間に『強奪』スキルを発動、判定に成功した。
そのアイテムは『破壊の丸太槌』。あらゆる防御を突破して攻撃することができる大柄な丸太だ。
そのサイズと形状ゆえ武器として振り回すには相当の筋力が必要となるものの、ギールはあくまで海に逃げ込むためにそれを盗んだ。
浮力を利用し、浮き輪代わりに使うのだ。
一か八かの賭けだったが、こうして海を漂流することに成功している。
炎の塔へは辿り着けず、ドローンを失ったのも痛いが、命を掴めただけでも儲け物だ。
ギールの口元から、微かに血が溢れる。
先程のダメージによるものであることにはすぐ気づいた。肉体が消耗しているのも明らかだ。
にも関わらず、その表情は満足げだった。
――あの魔王を相手に、盗んだ。
その事実が、ギールを少なからず満たした。
圧倒的な存在を前にしてアイテムの奪取に成功し、そして逃亡をも果たした。
悪くない気分だった。目指すべき最終目標は優勝と言えど、こうしたスリルも大切なのだ。
魔王は課せられた制約を認識し、己を省みた。
しかし盗人は違う。彼は変わらない。
ギール・グロウは危機を楽しむ。困難を楽しむ。
追い詰められることも、逃げ延びることも、日常茶飯事に過ぎない。
これもまた、ある意味で享楽なのだ。
丸太にしがみつき、盗人は夜空を見上げて不敵に笑った。
[E-2/海上/1日目・黎明]
[ギール・グロウ]
[パラメータ]:STR:D VIT:E AGI:B DEX:B LUK:B
[ステータス]:疲労(中)、全身にダメージ(大)
[アイテム]:破壊の丸太槌(E)、両手剣、アイドルCDセット&CDプレーヤー(HSFのCD喪失)、ドローンのコントローラー
[GP]:10pt
[プロセス]:
基本行動方針:この殺し合いで優勝し、報酬獲得を目指す
1.海の流れに乗って陸地に上がる。
2.他の参加者と出会ったらまずは様子見。隙があればアイテムや命を奪う。
3.「郷田薫」、「陣野愛美」、「魔王カルザ・カルマ」に警戒。
[備考]
1.CDを確認して参加者である「TSUKINO(大日輪 月乃)」、「HSF」のメンバー、「真央ニャン(黒野真央)」、
「美空 ひかり(
美空 善子)」の顔を覚えました。
※「破壊の丸太槌」にしがみついて海上を漂流しています。
【破壊の丸太槌】
魔王カルザ・カルマに支給→ギール・グロウが奪取。
城門破壊に用いる丸太槌を個人携行可能にした異常兵器。
敵の防具や防御行動を無視して貫通ダメージを与えることが可能。
また防壁や結界を攻撃した際、確率で一撃破壊する。
尤も丸太自体が極めて大柄なので、武器として使うには相当のSTR値が必要となる。
最終更新:2020年11月10日 21:50