月は西に大きく傾いている。
空は白み始めているものの未だ濃い闇の中、迷いなき足取りで進む女性が一人。
白衣をたなびかせ、大股で歩くのは白井京子――――ではなく、彼女の姿を模したアバターに身を宿す枝島トオルだ。
その視線は北西、砂漠エリアに向けられていた。
十数分前、彼は運営から一通のメールを受け取った。
それは『砂漠のお宝さがし』なるイベントの開始を告げる知らせ。
メールによると砂漠エリア内の複数個所に埋められた宝を探すという単純なイベント。
LUKが高いか探索系スキルを持っていないと発見することが難しい仕様になっているようで、何が手に入るかは発見してみないとわからない。
彼は己の高いLUKを信じ、宝さがしイベントへの参加を決心していた。
当然危険はある。
イベントと称し、餌をちらつかせて参加者をおびき寄せているのだ。どんな輩がエリアに集うかわかったもんじゃない。
会場内には教え子である高井丈美がいる。
他にも自分がそうであるように本名とは違う名前や姿で存在している生徒もいるかもしれない。生徒の捜索は困難を極めるだろう。
現実ならいざ知らず、この世界における自分は美しく優しく、しかしか弱い女性の身体で、戦闘系のスキルを獲得しているわけでもない。
戦闘に直結するステータスも軒並み低い。
支給されたアイテムには戦闘に使えるものはない。
それは決してハズレアイテムだったことを意味しない。むしろアタリの部類と言って良い。
しかしそれでも銃は愚かナイフを持った相手に抗することすら難しいだろう。
それら全てを織り込んだうえで、しかし。
「生徒を保護して生きて帰る。そのために危険な橋を渡るのは教師である俺の当然の義務だ」
生徒に対しては平等に深入りしない姿勢を貫いている枝島。
しかし教師として、大人として。
リスクに飛び込み、生徒を守るための、元の世界に帰すための力を獲得する義務があるのだ。
故に枝島は進む。
生徒を守る力を求めて。
「あれは……」
湿地帯に差し掛かるころ、よく見知った衣服が見える。
赤みがかったグレーのブレザー。トオルが勤務する日天中学校の制服だ。
それに身を包んだ黒髪の少女が二時の方向に見える。
遠目なので自信はないが、その生徒の外見に見覚えはない。
「……ちょっと声をかけてみよう」
多感な年ごろの中学生だ。
外見にコンプレックスを持つ者や女性への変身願望を持つ者が外見を美しい少女のものに変えていたとしても不思議なことはない。
保健室の外で立ち聞きしたことがあるので、実際にそういう生徒が存在するということは把握している。
「そこの君!」
声をかけられ、制服の少女が振り返る。
白井京子の姿をした枝島を見た少女が喜色を露わに駆け寄って来る。
「白井先生!お久し振りです!」
見知らぬ少女に親しげに声をかけられた枝島は面食らう。
「えーっと君は…」
「ひっどーい!保健室には何度もお世話になったじゃん!陣野優美ですよ。女バレ部主将の。あ、元主将か。」
「あ…ああ!うん久しぶりだ!……だね!」
写真は資料でしか見たことがなかったので思い出すのに時間がかかったが、間違いない。
作年、県大会を目前に控えて突如行方不明になった女子バレーボール部主将・陣野優美だ。
姉である陣野愛美や親友の守川真凛、その他三人の男子高校生と共に何の痕跡もなく姿をくらましたと聞いている。
敬語とため口が混ざった言葉遣いから察するに白井京子とは相当に仲が良かったらしい。
自分が彼女の姿を偽っていることがバレたら信頼関係を構築するのはむずかしいだろう。決してバレるわけにはいかない。
「先生の名前なんて
メンバーにありましたっけ?」
枝島が逡巡している間に優美が尋ねてくる。
「…って、ああ『枝島京子』って先生のこと?それにその指輪…ひょっとして、結婚したんですか?」
「ああ…じゃない、うん。そうよ。同僚の枝島先生と」
「枝島…?うーん知らないな~。
ひょっとして、私たちがいなくなってから赴任してきた先生?」
「うん、確か去年の10月」
「あーそりゃわかりませんわ。
私らがむこうに召喚されたの去年の7月とかだもんね。てか時間軸同じなのかな」
「そ、そうだね。よくわからないけど」
召喚だの時間軸だの聞きなれない単語が飛び出しリアクションに困る枝島。
そんな枝島に優美は構うことなく続ける。
「子どもは?まだなの?」
「こ…ここ……こ、子ども!?
ああ、うん、子ども、子どもね!まだ!うん、まだだよ!」
「動揺しすぎ!どうかしたんですか?」
「なんでもない!なんでもないさ!」
「子ども」という単語から情事を連想して取り乱す枝島。
動揺のあまり口調が素に戻ってしまったが優美が気にする様子はない。
「まあいいか。先生が幸せなら私も嬉しいよ」
優美が枝島に抱き着く。
大人びた魅力を持つ美しい少女に抱き着かれ、胸元にあたるふくよかな感触に顔が上気する。今は自分にも同じものがついているのだが。
幼少期から絵画に打ち込み、所属するあらゆる共同体で「陰キャラ」のポジションに鎮座し続けた彼には、異性と触れ合う機会などほとんどなかった。
教師と生徒として接触する程度であればどうということはないが、ここまで直接的な身体接触となるとさすがに冷静さを失ってしまう。
左の肩口が熱くなる。
動揺と興奮により心臓が平時より遥かに高速で拍動し、体温を高めていく。
(お、落ち着け……!俺! 相手は子ども!相手は子どもなんだ!
こんなのただのスキンシップだ!動揺するな~~~~~!!)
普段生徒として、子どもとして接しているのと同年代の少女からの抱擁。
教師として、大人として邪念を捨てねばならぬと努めたのが良かったのか少し冷静さを取り戻した枝島はあることに気付く。
(あれ?ドキドキしたときこんなところ熱くなったっけ?)
――否。良くはなかったのかもしれない。
不思議に思い、首を向けた彼は気付いてしまった。
異形の爪が肩口を刺し貫いていることに。
その爪はおそらく、自分を抱きすくめる陣野優美から伸びているらしいということに。
「その幸せを私の手で壊せるから」
その言葉が合図だったかのように、刺された肩が激痛を訴えだした。
「先生、行方不明になった私たちが、どこで何してたか教えてあげよっか」
爪が引き抜かれ、ぬかるんだ湿地帯の地面の上に押し倒される。
枝島の着る白衣や刺された傷が泥にまみれるが、優美は気にせず語り掛ける。
「一年前、私達は異世界に召喚されたの。わかります?異世界。
一応私も他のみんなと同じ勇者として召喚されたんだけど、私だけ何のスキルももらえなくてね。
しばらくは一緒に冒険してたし、戦い以外の部分でそれなりに活躍してたんだけど、兆の馬鹿がギャンブルで借金こさえて。私、その返済のために性奴隷として売られたの」
さすがにひどいと思わない?と付け加えながら話を続ける。
「そりゃあ私もそれが初めてってわけじゃなかったけどさ。
ローションも避妊具もないからすっごく痛かったし、デキちゃうんじゃないかってすごく怖かった」
目の前の、自分より一回りも年下の少女から語られる性の話に絶句する枝島。
しかし優美はそんな彼にはやはり構わず続ける。
でもそんなの全然序の口だった、と呟きながら、爪を人間の形に戻してはにかむ。
「ねえ先生、私のこの姿どう思います?普通の女の子に見えます?答えて」
「見……える」
「うん。ありがと。
でもこの姿、アバターで再現したものなんだ」
少女が、先ほどとは違い悲しげにはにかむ。
「私の本体はもうぐちゃぐちゃなの。
歯はペンチで全部引っこ抜かれたし、腕は切り落とされてオークションで売られた。
眼球は逸物突っ込むためだけにくり抜かれたし、脚は調理して食べられた。
しかもその脚、私二切れくらい食べさせられたんですよ。歯全部引っこ抜かれてるから噛めないし、何より嫌悪感で味なんかわからなかった。かといって吐き出したらしこたま殴られますから気合で呑み込んだんですけど。
それと先生、昔『子宮はお腹の中で赤ちゃんを育てるための部屋』って教えてくれたよね。
私のは魔法で摘出されて目の前でハンマーで潰されたよ。
いやあ本当、ゴミみたいに扱われたなあ。地獄だったよ」
語られるあまりに凄惨な体験を、枝島は僅か数分前に貫かれた肩の痛みすら忘れて聞き入る。
理不尽にもそんな目にあわされた彼女の絶望はいかなるものか。
平和な世で平和に絵を描き暮らしてきた自分には想像することすらできない。
再び爪を変形させた優美がすっくと立ち上がる。
纏う雰囲気が変わる。
どうやらここからが本題らしい。
「ねえ白井先生」
ザグリ、と枝島の右肩に爪が刺さる。
悲鳴をあげそうになるが、優美にものすごい形相で睨みつけられ、それを噛み殺す。
「私が彼氏に裏切られてひどい目にあわされてる間、先生は恋愛して、結婚して、多分旦那さんと家族計画なんかも話し合ったりしてたんだよね。
あんなに仲良くしてくれた私のことなんかコロっと忘れて」
そんなことを言われても、というのが枝島の本音だ。
枝島自身は陣野優美とは面識などなかったし、そもそも枝島と白井の結婚自体が枝島の願望に過ぎず虚言でしかない。
とはいえここでネタばらしなどしたところでこの少女は行動を変えないだろう。
むしろ怒り狂ってどのような行動に出るかわからない。
ズブリと両ひざに爪が刺さる。
爪を引き抜いた優美は、蠱惑的な仕草で血を舐め取る。
「だからちょっとくらい私の苦痛を分かち合ってくれても良いよね」
二コリと笑った優美は『京子』の下腹部に五指の爪を突き刺し、くるりと手首を返す。
そして、くり抜き取り出した『それ』を潰すと同時に枝島の肉体は消滅した。
◆◆◆
罪悪感なんて感じない。良心の呵責なんてない。
けれど、それを感じないことへの違和感は確かにあって。
あの世界で凌辱され虐げられる中で精神はすっかりすり減って、発散する術のない憎悪だけが優美の命を繋いでいた。
シェリンというAI少女にこの世界に呼びつけられ「勇者になって、他の勇者を殺してください」と言われた時、姉・陣野愛美も同様に呼ばれていると直感した。
優美にはいつでも優しく接してきたあの姉が。
優美のものを何でも奪い取ろうとするあの姉が。
売られていく優美を恍惚とした表情で見ていたあの姉が。
たとえ兆が、誠が、薫が、真凛が呼ばれていなくとも、あの姉だけはこの世界に存在していると確信した。
ようやく得た復讐の機会、逃すわけにはいかない。
だから『悪辣』なんてスキルを取った。
善性で殺意が鈍らないよう、わざわざスキルで消したのだ。
そうして先ほど郷田薫を殺し、今、白井京子を殺した。
自分が苦しんでいる中で、のうのうと幸福を享受していた者を殺した。
これは罰だ。
助けて、と藻掻き苦しむ私に手を差し伸べてくれなかった全てのモノに私が下す――――罰なのだ。
◆◆◆
F-4。市街地内にある診療所。
枝島トオルはそこで目を覚ます。
「何だったんだあの子は……?」
内蔵を抉り潰される体験など夢だと思いたかった。
しかしそうではないと肩やひざの痛みが告げていた。
考えるのは後だ、と傷の処置を始める。
刺し傷を泥につけてしまったのだ。処置が遅れれば敗血症や破傷風を発症する可能性がある。
湿地帯で殺害されたはずの枝島が市街地で蘇生したのは彼の支給品『コンティニューパペット』の効果だ。
所有者を設定して設置すると、その場所に一定確率で、決定的な致命傷を治療したうえで転移させ蘇生するというもの。
砂漠に向かう前、市街地を徘徊していた時に発見したこの診療所に設置しておいたものだ。
使い捨てのアイテムであるため二度目はないが、とにかく枝島はその博打に勝利し蘇生を果たしたのだった。
「秘密兵器を失った以上もう少し慎重になるべきか……だがそれでは生徒たちが……」
スキル『白衣の女神』が教えてくれる通りに、手際よく処置を行う枝島。
消毒液を傷に垂らして顔をしかめるのだった。
「ぎゃひぃ!!」
[F-4/市街地、診療所内/1日目・早朝]
[枝島トオル(枝島杏子)]
[パラメータ]:STR:E VIT:D AGI:C DEX:B LUK:A
[ステータス]:両肩、両ひざに刺し傷
[アイテム]:変声チョーカー、不明支給品×1
[GP]:15pt
[プロセス]
基本行動方針:白井杏子のエミュをしながら生徒の保護。
1.治療を終えたら砂漠に向かう?
2.高井丈美との合流を目指す。
3.他に生徒がいれば教師として保護する。
4.陣野優美、陣野愛美もできれば救ってやりたい
5.耳が幸せ。
【コンティニューパペット】
スカーフェイスにサングラスをかけたぬいぐるみ。
設定された所有者が死亡すると、設置した場所に決定的な致命傷のみを治療したうえで転移させ蘇生する。
一度この効果で蘇生した者はいかなるスキルやアイテムの効果でも、二度と蘇生できない。
蘇生の成功率は以下の通り。
LUK:S 70%、A 50%、B 30%、C 10%、D 1%、E 自動失敗
◆◆◆
砂漠に向かって歩き始めた優美は気付いた。
いつまでたってもポイントが付与されないことに。
薫の時は、その身体が消滅すると同時に付与された。
しかし白井京子の身体が消滅し、数分が経過した今も優美の所持するGPは変わっていない。
この状況から導き出せる答えは一つ、白井京子は生きている。
スキルの効果かアイテムの効果はわからないが。何せゲームの世界だというのだ。そのくらいはあり得るだろう。
「白井先生。お仕置きが足りないなら何度でもやってあげますよ」
彼女の復讐譚は始まったばかり――――。
[D-4/湿地帯/1日目・早朝]
[陣野 優美]
[パラメータ]:STR:E→D VIT:E→D AGI:E→C DEX:E LUK:A
[ステータス]:状態異常:興奮、疲労(中)、両腕の骨にヒビ、胸部に穴、全身に軽い火傷、いずれの傷も自己再生中
[アイテム]:爆弾×2、不明支給×3(確認済)
[GP]:60pt
[プロセス]:
基本行動方針:全部、消し去る。
1.姉(陣野愛美)は絶対に殺す。
2.自分に再び勇者を押し付けたシェリンも、決して赦さない。
※スキル「憎悪の化身」によるパラメータ上昇は戦闘終了後に数分程度で解除されます。また肉体の変質によって自己再生能力もある程度上昇します。
最終更新:2020年12月28日 23:21