斉藤拓臣は走っていた。
記者は足で稼ぐものだという言葉もある。
実際、取材対象を追って走りまわることも珍しくはない。
だが、今の拓臣は違う。取材の為ではなく逃避のために駆け出していたのだ。
思えば、今日この村に来てからずっとこうだ。
大地震により引き起こされたトンネルの崩落の中を駆けだし、九死に一生を得た事に始まり。
精も根も尽き果て意識を失って目を覚ましたところに響く謎の銃声を聞き、混乱に陥って逃げるように走りだした。
震災直後は治安が荒れ、窃盗や性犯罪などの犯罪が多発するモノだが、銃声と言うのは行き過ぎだ。
この村は山々によって世間から隔絶されているとはいえ現代日本である、銃などそうそう手に入るものではない。
確か山折村には地元に根差したヤクザ――木更津組だったか――がいたはずだ。
震災の混乱に乗じてそいつらが発砲した? それとも駐在が撃った、はないにしても、その拳銃を誰かが奪いでもしたか。
文屋の端くれとして反社を取材対象にしたことは1度や2度ではない。
撃たれた事こそないが、生の銃声だって何度も聞いたことがある。
聞き間違えだったという可能性もあるだろうが、聞き及んだ音が銃声に酷似していたのは間違いない。
震災直後の非常事態。
銃声もそうであるという前提で動くべきだ。
能天気に正常性バイアスで死ぬなんて御免だ。
常に最悪を想定して動く。それが上手く生き残るためのコツだ。
地震の影響か、それとも元よりそうなのか。
いずれにせよこの村はまともじゃない状況である可能性が高い。
ジャーナリストとしてのこの村をかぎつけた嗅覚は間違ってなかった、と言う喜びの感情があるのも事実だが、それ以上に身の危険を感じている。
取材は飯の種だが、生きるために飯を食うのであってその為に命をかけては本末転倒だ。
残念ながら拓臣は二流ゴシップ記者であり、命を懸けて戦場でレポートするジャーナリストではないのである。
村外に避難しておきたい所だが、唯一の出入り口のトンネルが地震によって塞がれてしまった。
外部からの救助を待つしかないのだが、こんな辺鄙な場所の救助などいつになるのか。
それまで、村内の安全な場所に避難するか。
だが、どこが安全な場所なのかなど知るはずもない。
「って、どこだここ…………?」
足を止めて荒くなった息を整える。
安全な場所以前に現在位置すら分からくなっていた。
恐怖に駆られてがむしゃらに走ってきたが、ここは村のどの辺だろうか?
周囲を見渡せど見えるのは闇ばかり。
地震の影響もあるだろうが、北部に比べ開発の遅れている南部という事もあってか周囲に明かりが殆どない。
足元を照らすのは田舎特有の眩いばかりの星々と月明りくらいのものである。
取材対象として初日にある程度のフィールドワークを行い簡単な地形は把握しているが、流石に夜道を地図もなく迷わず歩けるほどの土地勘は得ていない。
ひとまずポケットから取り出したスマホのライトを灯す。
漠然と暗闇を進む不安を紛らわすという意味も強かったのだろう。
貴重なスマホの充電を消費するのはもったいないが、どうせ地震直後の電波障害で繋がらないのだ、懐中電灯代わりにした方が有用である。
程なくして足元を照らすライトが土を均しただけの田舎道を見つけた。
どこに繋がる道なのかは分からないが、取り敢えず道なりに進んでゆく。
シンボルマークとなる建物が見つかれば現在位置も把握できるだろう。
とぼとぼと一人歩き続ける。
暗闇を恐れるような性質でもないが、状況が状況だけに不安感に襲われる。
そして、しばらく進んだところで、右手側に建造物の影を見つけた。
それは2階建ての四角い建物だった。
1階はまるまる駐車用のスペースで埋まっており、シャッターの開いたガレージの中央に鎮座する真っ赤な車が目を引いた。
みんなの憧れ働く車、消防車である。
つまりはここは消防署、と言うより規模的に村の消防団の詰所だろう。
診療所とは逆方向である。
見当違いの方向に来てしまったようだ。
がっくり肩を落とすが、すぐに頭を切り替える。
詰所なのだとしたら中に消防団の誰かいるかもしれない。
助けを求めることもできるかもしれない。少なくとも銃声がした異常事態を報告だけでもしておくべきだろう。
それ以前にトンネルのダイハードから走りっぱなしで水の一杯でも貰いたい。
何にせよ、人がいるかどうかを確かめなくては話にならない。
地震の直後ともなれば、救助作業で出張っていて誰もいない可能性も高いだろう。
拓臣はガレージを横切り、建物横に備え付けられた鉄の階段を上がって行った。
カンカンと安っぽい足音が響く。
そして2階の踊り場まで登ったところで足を止めた。
「すいませーん。誰かいらっしゃいますかー?」
アルミサッシの扉をノックして呼びかける。
しばらく待つが返事はない。
どうすべきか僅かに悩むが、仕方なしにドアノブに手をかけゆっくりと捻る。
どうやら鍵はかかっていないようだ。
「…………お邪魔しますよ~」
遠慮がちにそう言いながらゆっくりと扉を開く。
開いた隙間から室内の光が漏れ出し、急に刺し込んで来た強い光に目を細める。
徐々に目が慣れて行き、視界に入ってきたのは畳部屋だった。
恐らく普段はこの部屋に集まり団員たちが会議や定例会と称して駄弁ったりしているのだろう。
畳の上には座布団や団員の私物と思しき雑誌や煙草が転がっていた。
そんな憩いの場も地震によって倒れたであろうロッカーが横倒しになり、割れた食器類が畳の上に散らばり酷い有様であった。
そんな部屋の中央。
地震の影響か不安定に点滅する白熱電球に照らされながら、オレンジの消防服に身を包んだ一人の男が立っていた。
恐らく地震直後の火災を警戒して詰所まで駆けつけた真面目な消防団員だろう。
「あのぉ…………」
躊躇いがちに呼びかけるが、返事はない。
気付いていないという事もないと思うが、田舎特有の排他的な不愛想さかだろうか。
反応がないのに強引に部屋に入る訳にもいかず、かと言ってこのまま下がるも微妙な気まずさがある。
どうした物かと戸惑っていると、男に動きがあった。
男がゆっくりと振り返る。
その顔は。
「…………ぅぅぁあぁ」
そこには狂気があった。
血走り白く濁った瞳。
食い縛った歯から犬みたいに涎を垂らす。
その白い瞳が侵入者を認め、一直に飛び掛かってきた。
「うわぁああ……!!?」
押し倒され、踊り場で揉み合いになる。
振りほどこうと抵抗するが、押し倒す相手の力が強く引き剥がせない。
拓臣は腐っても記者だ。
強引な取材で取材対象に暴行を受けることもあっても殴り返したりはせず、粛々と法的な手段に訴えかけてきた。
ペンは剣より強し。殴り合いの喧嘩なんて野蛮人のすることである。まともな喧嘩なんてしたことがない。
何より、不摂生な生活を送っている拓臣が鍛え上げられた健康的な消防団員相手に力勝負で勝てるはずもない。
このまま訳も分からないまま、訳の分からない輩に襲われ殺されてしまうのか。
「冗、談……じゃねぇ…………!」
こんなところで死んでたまるかと、力を振り絞って暴れまわる。
火事場の馬鹿力か、なんとか隙間が生まれ、片腕だけは自由になった。
再び封じられる前に、この片腕をどう使うか。
殴る? 叩く? それとも掴む?
その判断が生死を分けることになる。
拓臣が掴んだのはジャーナリストの魂だった。
つまりはカメラである。
相手の目の前でシャッターを切りフラッシュを浴びせる。
強い光に相手が怯んだ隙に拘束から抜け出す。
「どおりゃああああああああ!」
フラッシュで目を焼かれた影響か、拓臣を完全に見失っている相手に向かって全力で肩から突っ込む。
タックルによって吹き飛ばされた相手はそのまま階段を転がり落ちて行った。
そして、1Fの地面まで落ちるとそのまま動かなくなった。
「ハァ……ハァ……」
全身が心臓になったように脈動する。
命懸けの死闘であった。
地面に落ちた男は生きているだろうか?
正当防衛ではあると思うが、人を殺してしまったかもしれないという事実は重い。
階段から落ちた男の生死を確かめるべく、拓臣は意味もないのに足音を殺しながら階段を下る。
急に起き上がって襲い掛かってくることも警戒したながら倒れた男の生死を確かめる。
幸いと言うべきか不幸と言うべきか、男は完全に死んでいた。
直角に首の骨が折れて生きていたら、これでそれこそゾンビだ。
「………………ゾンビ、か」
自分の思いつきを反芻する。
襲い掛かってきた男の様子は正しくそうだった。
男を殺してしまったという事実があっても、比較的罪悪感が薄いのもそのためだ。
明確な正当防衛だというのもあるだろうが、人を殺したというよりもゾンビを殺したような非現実感があるからだろう。
この村に大地震が起きたのは分かる。
だが、それ以上の異常事態がこの村で起きている。
消防団に見せかけた座敷牢か何かで、自分を消防団員と思い込んでいた精神異常者が閉じ込められていたのか?
それとも自陣によって石碑が壊れて封じていた悪霊でも解き放たれたのか?
拓臣はゴシップ記者特有の想像力を働かせる。
これがここだけではなく村中で起きているとしたら……。
先ほど聞こえた銃声もゾンビに対して撃ったというのなら合点も行く。
「冗談じゃない! こんなゾンビだらけの村にいられるか! 山越えでも何でもして逃げ出してやる!」
幸いと言うべきかここは村の東端に程近い、山越えをするならお誂え向きだ。
地震直後の山崩れというリスクはあるが、この村に留まるリスクと天秤にかければ一考の余地はある。
そう考えその足を、山の方に向けたところで。
ふと、自分の持っていた子供向けを極めたような安っぽい色合いの袋が目に入った。
崩れ行くトンネルで手渡されたトイザらスの玩具袋。
託されてしまった妹を思う兄の気持ち。
「クソったれ! こいつを届けるだけだからな……ッ!」
悪態をつきながら踵を返して山に背を向ける。
何でこんなものを受け取ってしまったのか。
これを届けるという仕事だけは、しておかないと寝覚めが悪い。
だがどうする。
確か病院は西端。端から端への大移動だ。
ゾンビが徘徊する中を徒歩で行くなんて真っ平御免だ。
ゾンビ1人相手に死にかけてるんだ、複数名に囲まれたら余裕で死ねる。
どうした物かと考えていたところで、ふと赤い車が目に入った。
「マジかよ…………」
自分の思いつきに愕然とする。
そこに在ったのは当然、消防車だ。
これに乗って行けば例えゾンビがいようとも安全に移動できる。
だが、そのためには鍵が必要だ。
和雄には悪いが、自らの命を危険にさらしてまでしてやる義理はないはずだ。
これが見つからなければ諦めよう。
そう自分に念押すように言い聞かせて、ひとまず手を合わせてから消防服の懐を弄る。
ポケットから出てきたのはハンカチ、防火手袋、そして何かの鍵だった。
いつでも出動できるよう準備をしていたのだろうか、形状からして車の鍵だろう。
見つけてしまった。
溜息をつきながら、乗用車とは違う大きな車体に足をかけ拓臣は消防車に乗り込む。
付属の鍵で扉は開いた、どうやら残念なことに消防車の鍵で間違いないようだ。
消防団の詰め所に備え付けられてる一台だけの消防車は中型のタンク車である。
拓臣が持っている運転免許は普通免許で、中型は持ってないのだが非常事態だ、許されるだろう。
まあ、人一人を殺しておいて今更だが。
運転席はごちゃごちゃとしているが、ポンプを操作せず普通に車として運転する分には多分変わらないはずである。
念のため運転方法を確認していると、収納ボックスに置かれていた四角く折りたたまれた紙を見つけた。
手に取って広げてみると、どうやらこの村の地図のようだ。
土地勘のない拓臣からすればかなり助かる代物である。
ひとまず地図を懐にしまう。
車でさっさと突っ切って荷物を届けたら災厄だらけの村をおさらばする。
病院が無事かどうかも不明だが、届けられないような状態ならその時は潔く諦める。
そう決めて、拓臣は消防車のキーを捻った。
【F-8/消防団詰所1F・消防車内/1日目・黎明】
【
斉藤 拓臣】
[状態]:ダメージ(小)、疲労(大)、恐怖
[道具]:デジタルカメラ、ICレコーダー、メモ、筆記用具、スマートフォン、現金、一色洋子へのお土産(九条和雄の手紙付き)、その他雑貨、山折村周辺地図
[方針]
基本.山折村から脱出する。
1.消防車で医院に行き、一色洋子に会う。
2.それが終わったら山越えでも何でもして村から逃げる。
※放送を聞き逃しました
※VH発生前に哀野雪菜と面識を得ました。
※異能を無意識に発動しましたが、気づいていません
最終更新:2023年02月08日 01:02