この作品は性的表現が含まれています。
過激な性的描写が苦手な方には不快となる内容なのでご注意ください。
フローリングの床に敷かれた赤いカーペット。その上に散らばる時計を持った白兎やチェシャ猫のぬいぐるみ。
子供用に作られた本棚の中には『赤ずきんちゃん』や『白雪姫』を始めとしたファンシーな絵本。
クローゼットには『不思議の国のアリス』をモチーフとしたフリルのついたエプロンドレス風のお洋服。
それらを照らす豪奢なシャンデリア。
まるで童話の中を再現したような可愛らしい子供部屋ですが、ここには窓がありません。
その中央にあるトランプ柄のシーツのベッドにはお洋服を肌蹴けさせた小さな『アリス』。
そんな『アリス』に『パパ』はいけない子だと『お仕置き』していました。
『あぁ……いい気持ちだぁ……■■■。もっと締め付けてパパを気持ち良くさせなさい……』
ベッドがギシギシと軋むたびにパパは気持ちよさそうに笑います。
ですがお仕置きを受けているアリスはとても苦しそうな表情で泣いています。
『イ"……!ギぃ……!うぇえああ……!パパぁ……ママぁ……、助けてぇ……!』
『こら、■■■。天国にいる前のパパとママのことは忘れなさい』
ワガママを言うアリスにパパはめっと叱ります。
ほっぺたが赤くなったアリスは、『いい子』になりました。
いい子になったアリスへとパパは優しく語りかけます。
『初めは痛いかもしれないけれど、慣れれば気持ち良くなるから我慢しなさい、■■■』
そう言うとパパのお仕置きがさらに激しくなります。
アリスは『いい子』でいるために涙を流しながら、両手で必死に自分の口を塞いでいました。
どれくらい時間が経ったのでしょう。
パパはいい子になったアリスの黒髪を優しく撫でます。
『いいかい、■■■。今日からは私が君のパパなんだ。お仕置きされたくなかったらいい子にするんだよ。
ママは■■■がもう少し大きくなったらなれるから安心しなさい。女の子が生まれたら親子三人で仲良くしよう』
◆
「――――――ッ!!」
朝の陽光が差し込む未だ薄暗い一室にて金髪の女性、虎尾茶子は弾かれたように飛び起きた。
ウレタン製の床には多数の栄養ドリンクの瓶や飲み干された栄養補助目的のゼリー飲料、混ざり合った缶詰の残り汁が散らばっている。
ここは合コン用の服やドレッサーが鎮座している自室でもなければ、多数のゲームやカードが散らかされている愛しの弟分の部屋ではなく、ましてはあの忌まわしき部屋でもない。
(ああそっか……あたしは銃キチから逃げ延びて……)
満身創痍の状態で商店街の北口に辿り着いた茶子は運よく入り口近くにあったチェーン展開している某有名ドラックストアを発見。
木刀を杖代わりに立ち上がって店内の様子を伺うもゾンビの気配はなく、代わりに食い散らかされた死体があるだけであった。
安全を確認した茶子は店内へと入って必要物資を確保後、レジ裏にあるバックヤードへと侵入した。
鍵をかけた後に左肩の止血と固定の処置と左太腿の簡易的な治療を行った後、水分と栄養の補給を行った。
その後、バックヤードで見つけた目覚まし時計を6時丁度にセットして仮眠を取っていた。
枕元に置いた時計を見ると時間は5時3分。およそ40分程しか眠れていない。
だがそれは些細なことに過ぎない。問題は40分の間に見た夢。
「――――ッソがぁッ!!」
衝動的に目覚まし時計を壁へと叩きつけるように投げた。ベルや歯車、文字盤が床に散らばる。
ここ数年は見なくなった悪夢を何故今更見たのか。
それはきっと命の危機に瀕したため。自身を殺すために追いかけてきた薩摩圭介の姿が■■と重なってしまったからだろう。
「とりあえず……モーニングドリンクでも作って飲むっすかねぇ……」
臓腑の中で蠢く黒い感情を抑え込み、椅子に手をついて立ち上がる。
机の上にある赤いバスケットからエナジードリンクとブラックコーヒー缶を取り出し、プルタブを開ける。
そして同じく卓上にあるタンブラーへと注ぎ、割り箸で混ぜ合わせる。
(……つーかやっぱあの連中、碌なこと考えてなかったっすね)
思い出されるのはゴールデンウイークの二週間前、4月の中旬。
連中から仕事が入ったとの連絡を受けた茶子は溜まった有休のほとんどを消費し、都内へと向かった。
肝心の仕事内容は反乱分子の始末と自衛隊から依頼を受けて開発された防護服の性能評価テスト。
どうやら反乱分子共は独自の私設部隊を作り出しているらしく、知的財産泥棒のお掃除のために茶子に白羽の矢が経ったのだと聞いた。
また、それと平行して行われる防護服のテストで重要視されるのは運動機能性と快適性。防御力は既にテスト済みのため割愛。
そして現場の孤島について一仕事。
銃火器の扱いを含めた戦闘技術や練度は村にいるヤクザ連中とは比べ物にならないほど高く、中には機械化された兵士もいた。
だが所詮アマチュア。自分の敵ではなく、弾丸は防護服を掠めることすらなかった。
仕事を終えたことを報告する際に「弾の一つでもわざと食らった方が良かったすかねえ」と冗談交じりの言葉をこぼした程だ。
(考えれば考える程、あたしも含めて関わった連中人でなしばっかだ。ホント嫌になるなぁ……)
必要とあらば人道にストンピングをかまし、人間性を焚べて燃料にできる倫理観ゆるキャラな方々ばかり。
中には愛する妻子がこの村にいるのにも関わらず平然とした面で後ろめたいことをやれる輩もいる位だ。
そんな連中と肩を並べられる人間性を持つ自分に嫌気が指し、嘆息する。
(そう言えば浅野女史と蛇茨のお嬢、今何しているのかな?)
タンブラーの中身をかき混ぜながら、汚れ仕事専門家二人を思う。
本来ならば今夜、彼女らから金銭の類ではない報酬を受け取り、誓約書にサインすれば連中とは完全に縁が断たれる筈だった。
だが予期せぬ事態が起こり、その結果有給だけ失った働き損になってしまった。
それだけで不幸は終わらない。VHの後始末として派遣された集団はアマチュアではなくプロフェッショナル。
自分の身一つでは勝てる気がしない。
(……ま、奴が村に来ていることが分かっただけでも完全なただ働きという訳でもないか)
VHが起こった以上、ヤクザ共も奴も平等に不幸の真っ只中だ。
自分の人生を台無しにして弄んだ連中も地獄の底で苦しんでいる。そう思わないとやっていけない。
「さぁて、特製モーニングドリンク無事完成…っす」
割り箸を投げ捨て、改めてタンブラーの中身を確認する。
汚泥を彷彿させる液体が炭酸によって溶岩の如く泡立つ。地獄色のカクテルを前に茶子の表情が引き攣る。
人間が飲んでもいいものなのか、これ。
「は、はすみがよく飲んでいた奴を混ぜ合わせただけだし……味はともかく効果はあるだろ、ウン」
為虎添翼、為虎添翼と呪文のように呟きながら500mlはある液体を一息で飲み干した。
「……まっずぅ」
◆
山折村の名物って何だっけ?
「虎尾茶子」として山折村で生きて十余年。唐突にそんなことを思う。
ここ商店街の一角にて小林麺吉店主が店舗を構えるジビエを使ったラーメンが人気の『山オヤジのくそうめぇら~めん』だろうか?
訳の分からない秘密結社から山折村を守っているという設定のご当地ヒーロー『山尾リンバ』だろうか?
毎年この時期になると行われる慰霊祭――犬山神社で神楽春姫と犬山はすみが剣舞を演じる『鳥獣慰霊祭』だろうか?
クロスズメバチの幼虫の甘露煮の混ぜご飯――役場が謎プッシュしている女子ウケ最悪のゲテモノ料理『へぼ飯』だろうか?
そら豆餡の饅頭をミョウガの葉で包んだ甘味――村民なら給食で一度は食べたことがあるであろうご当地スイーツ『みょうがぼち』だろうか?
だが少なくとも、自分の目の前にある物体は決して山折村の名物ではあってはいけないだろう。
「いやなんでドラックストアに普通に落ちてんだよこいつら」
レジカウンター前に並べられる長ドスにサバイバルナイフ、スタングレネード。
目の前に並べられた3つの物体に対して茶子は思わずツッコミを入れてしまう。
バックヤードから出てすぐ、茶子はドラックストアで物資の調達を始めた。
店内の死体から拝借したナップザック、非常事態ということで頂いた医療道具に缶詰各種に飲料水、大量の爆竹。
そしてドロップアイテムの如く現れた物騒なアイテム3種。思えば日本刀が地面から生えてる時点でおかしいと気づくべきだった。
いつから山折村はヤクザ連中が愛用していそうな便利アイテムが自生する危険地域になってしまったのだろうか?
そもそも暴力団木更津組やら人間の処理を行っている大地主蛇茨家がいる時点で今更な気がするが。
「ああもういいや、何か深く考えると無駄に疲れる気がする……」
これ以上山折村の新名物について追及するのは止めよう。
そう思い、危険物体3つを手に取り、某松本さんちから出発しようと開いたままだった自動ドアまで足を進める。
ドラッグストアから出た直後、茶子の前に現れたのは現在進行形で生まれている山折村新名物その二。
「あー、やっぱいるっすよねェ……。今じゃなくていいだろマジで……」
茶子はゾンビとエンカウントした。
恰幅の良い中年男性のゾンビで、背丈はおよそ180センチ程。
毛むくじゃらの丸顔や山歩きに適した装備やらがこのゾンビの生前という物を如実に表していた。
元山男のゾンビは茶子の存在を認知すると、緩慢な動きで襲いかかって来た。
対する茶子が構えた得物は制圧用の木刀……ではなく、刃渡り30センチ程のサバイバルナイフ。
「そんじゃ、性能評価テストといきますか」
己を捕食せんと突き出された亡者の両腕を僅かに左に動いて回避。
それと同時に踏み込まれた軸足を軽く蹴り、足払いをかける。
転倒する元山男。彼の頭が茶子の肩の位置まで落ちた瞬間、首目掛けてナイフを一度だけ振る。
茶子の右脇にドサリと巨体が倒れ込む。毛むくじゃらの丸顔はその十数センチ前に転がっていた。
遠藤俊介と臼井浩志の死。使い物にならなくなった左腕。二度目の薩摩の襲撃により間近に感じた死の気配。
僅か数時間の間に立て続けに起きた出来事は中々に堪え、己の中にあった慢心を甘ったれた考えと共に消し飛ばした。
加え、自身に配られた異能というカードは未だ不明。であるならば、今ある手札で勝負する他はない。
その為の第一歩として行動方針を大幅に見直すことを決めた。
有用な人材と極々一部の人間を除いた存在に対しては殺害を前提とした対応を行う。
ゾンビに対しても同様。積極的に殺しはしないものの邪魔だと判断すれば親しい人間以外は切り捨てる。
連中と同じ畜生にまで堕ちるが、甘い考えを捨てなければこの地獄からは生き延びることは不可能だろう。
「さて、今現在のあたしの性能評価は万全の時と比べると……100点満点中25点。
……赤点じゃないっすか。自己採点しておいて言うのも何だけど、酷いわこれ」
ナイフに付着した血を軽く振って払い、ベルトに装着したケースにしまう。その後に大きな溜め息をついた。
失血による体力減少。左腕の実質的喪失による体幹のバランス感覚の低下。それら二つの相乗効果により発生したパフォーマンスの大幅ダウン。
強力な戦闘向きの異能持ちや異能抜きでも怪物じみた戦闘能力保有者の相手をするのは無理だ。
だが、そこまで無茶をしなければ戦闘や逃走はある程度は可能なのはプラスだ。そこを考えて立ち回れば長生きできるかもしれない。
「ごめんねおっさん。あたしはまだ死にたくないんだ」
首が切り離されたゾンビに片合掌した後、背負っていたデイバックの中身を物色する。
荷物の中で見つけた有用そうなものはジッポライターにコンパスに腕時計、そして双眼鏡。
双眼鏡はいいお値段がしそうな代物。手に取って試しに覗き込んでみる。
「すっげ、100倍ズームの奴じゃん。……あれ?なんだありゃ」
双眼鏡の先には何かを喰らうボサボサの黒い毛玉。
その周囲に散らばっているのは衛生用品やら保存食やらの防災グッズの数々。
伸ばされた手にはビニール袋が握り締められており、時折ビクビクと痙攣する。
(何だあの黒毛玉。ゾンビにしては様子が変だ)
◆
―さっきとは違う、嫌な視線を感じる。
本日三度目となる食事を中断し、辺りを見渡す。
野鳥のようにこちらの食べ残しを期待して観察するのとは違う。
背中を見せた隙に食べている獲物ごとこちらを捕食しようとする野犬の群れともかけ離れている。
近いのはこちらを獲物として見ていた斑模様の人間の男のような爬虫類のような粘っこい視線。
―でも襲ってくる気配はなさそうだし、何だろう。
クマカイがこの村に来て初めて感じた背中がゾワっとするような不快な視線。
こちらへの害意がない以上、いちいち探し出す理由もない。
―ほんの少しでも私の邪魔をするなら見つけて仕留めよう。
見世物にされていることに苛立ちを感じ、不愉快そうに眉を潜めながらも食事を再開する。
黄緑色のポニーテールの少年は光を失いつつある瞳で己の血液で汚れた彼女の顔を見つめていた。
◆
(あれ、嶽草さんの甥っ子さん……確か優夜くんじゃないっすか)
オープンテラス席のある小洒落たカフェの屋上にて、茶子は黒毛玉の様子を双眼鏡で見ていた。
念のため、背後の手摺に黒と黄色のマーブル模様のロープ、通称虎ロープを括り付けただけの逃走経路を確保してある。
嶽草優夜。彼の叔父は保健福祉課で働いている役場職員だと記憶している。
優夜はうっかり屋の叔父に弁当を届けるためにちょくちょく役場へと訪れており、自分だけでなく友人のはすみからも好感度が高い。
また、彼の叔父も穏やかな人柄かつ優秀な人材であるため窓際族の字蔵某とは違い、職場でも高い評価を受けている。
親子関係はまだあまり上手くいってないらしく、心に傷を負った優夜とどう接すればいいのか分からないと度々相談を受けていた。
「…………」
できることなら助けてあげたかったが、あの傷では例え今この瞬間にVHが解決したとしても助かる見込みはない。
こちらができることは生き残るために捕食者のことを観察することだけだ。
(というかあの黒毛玉、理性があるっぽいっす)
こちらの視線に感づいたのか、時折警戒するように辺りをキョロキョロと見渡している。
食欲だけしかない亡者ではあり得ない知性的な行動。
つまりはだ。今優夜を捕食している薄汚い少女は正常感染者。即ち異能持ちの存在。
薩摩の時と同じ轍を踏まないためにも異能について知る必要がある。
(そもそも正常感染者が同じ正常感染者を食ってるなんておかしくない?)
ゾンビが正常感染者を食うのは理解できる。しかし視線の先で起こっているのは明らかに共食い。
嶽草優夜がゾンビであると仮定しても、正常感染者が同じ人間を食うのは異常だ。
(あの黒毛玉の正体は何だ?)
幼さの残る全裸の女体は土や垢で薄汚れ、ぼうぼうと伸びた黒髪はヤマアラシのようだ。
まるで生まれてから野生で生きてきたかのような風貌に茶子は頭を捻る。
施設から脱走した被検体が正常感染者になった?―――自分の知る限り被検体には子供はいない。
狼にでも育てられたか?―――ニホンオオカミは十九世紀初頭に絶滅したからそもそもあり得ない。
それなら熊か?―――尚のことあり得ない。熊が子供を育てたなんてフィクションですら聞いたことがない。
野猿か野犬にでも育てられたのか?―――これが今まで立ててきた仮説の中で一番正解に近いだろう。
(……でも『野猿』って名前は安直すぎるよな。100パーないけど熊に育てられたみたいな見た目してるし、『
クマカイ』って呼ぶことにしよう)
名づけから程なくして
クマカイの食事が終わる。
すると、観察対象の身体に肉が纏わりついてくる。
数秒後には
クマカイの姿はどこにもなく、彼女の立っている場所には自分の良く知る嶽草優夜の姿そのものがあった。
(なるほど……捕食した存在そっくりに擬態できる。あれが
クマカイの異能か)
ショートパンツのポケットから腕時計を取り出す。現在の時刻は5時25分。観察した時間は数分程。
これだけの短時間で得た情報は多いが、まだ
クマカイの擬態の精度はどのくらいなのか分からない。
引き続き観察を続けようと双眼鏡を覗き込む。
優夜に擬態後、
クマカイは獣のように身体を起こし、辺りを警戒するように顔を動かした。
ふと、ある一点に頭を向けたまま、
クマカイの動きが止まる。
じりじりと摺り足でその方向へ進んで飛び掛かり、何かを押し倒す。
直後、宙に浮いたような
クマカイの下に人体と言う土台が出現する。
(
クマカイが察知したのは風景に溶け込む正常感染者みたいっすね)
クマカイに襲われた男は首元に歯を立てようとする彼女を引き離そうとする。
知り合いかもしれないと双眼鏡の倍率を上げて男の顔を確認する。
顔を恐怖で限界まで引き攣らせた無精髭の中年。服装を始めとした格好や雰囲気から胡散臭さを醸し出す彼を茶子は知っていた。
「……斉藤さんじゃないっすか」
斉藤拓臣。一昨日の昼休憩時に山折村についての記事を書くということで茶子に聞き込みをした胡散臭さMAXの中年男性。
役場の観光課へと案内しようとしたが、ディープな話が聞きたいとのことなので、猫を被って対応していた。
しかし、飛んでくる質問は『過去に存在してた村の因習』やら『地元ヤクザと警察の癒着』など見た目通りの胡散臭そうなものばかり。
しつこい上に『今でも夜這いっていう風習があるって本当ですか』などというセクハラ紛いの質問をしてきたため、郷田の親父を呼んで対応してもらった。
見た目で自分を軽薄な女だと決めつけ、只でさえ悪い機嫌を更に悪化させたヘラヘラとしていて嫌味っぽい小汚いおっさん。
当然の如く茶子は彼に良い印象は持っていない。だが――――。
「
クマカイの事を知るついでに助けてあげますよ、斉藤さん」
地上と屋上。茶子と
クマカイの距離はそれなりに離れている上、こちらの存在は認知していない。
観察した異能も薩摩のようにアウトレンジからの攻撃が可能な異能ではない。
そして今までの挙動から鑑みるに人間の文明についてはほぼ無知に近く、こちらには彼女を引き付ける手段が存在する。
ナップザックから爆竹を取り出し、ジッポライターで火をつける。
「そんじゃ、茶子さん主催の爆竹オンリーの花火大会開始っす!」
火のついた爆竹を
クマカイと拓臣が組み合っている数メートル前まで投げる。
パンパンパンと彼らの背後で銃声にも似た火薬が破裂する音が響く。
ビクッと
クマカイが文字通り飛び上がり、音のする方へ顔を向ける。
力が緩んだ隙に拓臣は渾身の力で
クマカイの身体を突き飛ばす。
火事場の馬鹿力という奴だろうか。
クマカイの身体が宙に浮き、およそ2メートル先の石畳の上に背中を打ち付けた。
足をもたつかせながら必死に商店街の南口に向かって走り出す拓臣。
捕らえかけた獲物を逃すまいと
クマカイが飛び掛かろうとする寸前に再び爆竹を投げ込む。
二度目の爆音が
クマカイの手前で鳴り響く。驚きはしたが先程のようなリアクションはしない。
音だけで実害がないということがバレたようだ。
そうこうしている内に拓臣は商店街を脱出し、茶子の拡張された視界からも遠ざかっていく。
なおも拓臣を追いかけようとする
クマカイ。しかしその追尾を山折村新名物その二が阻む、
「こんだけ音が鳴ると否が応でもゾンビ共は集まってくるよね」
嶽草優夜の肉体は歯と両手で襲い掛かる亡者の群れに対処する。
しかし、一分も経たぬうちにキリがないと諦めてゾンビ達に背を向け、爆竹を鳴らした音の主を探し始める。
走り出す
クマカイの行く手を阻むように再び爆竹を何度も投げ込む。
(奴さん、熊と猿、野犬の走法を良いとこどりしたみたいな動きだな)
縦横無尽に駆け回り、時には跳躍して回避行動をとる。そして避けられない障害物には四肢を使って対処する。
生まれてから大自然で生きてきたようなしなやかで無駄のない、洗礼された動き。
強力な異能を持とうとも並の人間では太刀打ちできないような運動能力。
(……万全の状態だったら搦め手使われても楽に勝てそうな相手だけど、現状じゃあなあ……)
ちらりと包帯と添え木で固定された左腕を見る八柳新陰流皆伝持ちの女。
足運びや攻撃手段、視線の動きを見るに
クマカイが今まで戦ってきた相手は主に猪や野犬、熊などの四足歩行の生物だろう。
自身が巨大な生物に搦め手を使うことに慣れていても、対人相手で搦め手を使われる事には慣れていないようにも思える。
更に異能は不意打ちに特化したもの。強力なものだが、ロジックを理解して人間性を放り投げれば対処できそうだ。
引き続き爆竹を投げようとした瞬間、双眼鏡越しに
クマカイと目が合う。
「やっべ、バレた」
◆
白い蔓のついた木の皮の束が投げ込まれる度に乾いた音が鳴り響き、知性のない人間の群れが襲い掛かってくる。
それが何度も続き、他の人間とは違う、生命力と知性がありそうな顔に体毛が付いたオスを逃がしてしまった。
だが、そんなことはもうどうてもいい。
石と木でできた人間の塒の上にいる柿色の髪のメス。左腕には白い布が巻かれているため怪我をしていることが分かる。
手負いの状態でありつつも、先程逃がしたオスとは比べ物にならない強さを持っていることが分かる。
雰囲気は斑模様の皮を纏った二人のオス――特に蛇のような目をしたオスに似ている。
―あいつもきっと、斑模様の人間と同じくらい美味い。
何度も繰り返される破裂音。
彼女は
クマカイの移動先に紙束を投げ、理性のない人間に襲撃させる。
―あれが人間達を操っているものか?
彼女は四角い鉄の塊を指で開いて火を出す。
そして紙束から生える白い蔓に火をつけて投げる。
すると破裂音が響いて人間達をおびき寄せる。
種さえ分かれば何も恐れることはない。
迫りくる一匹の人間の頭に飛び乗った後、飛び石の要領で人間の頭を踏みつけつつ塒まで距離を詰める。
それでも柿色髪のメスは逃げようともせず、こちらを待ち構えている。
逃げないなら好都合。彼女を助ける存在もいないため、美味しく頂けそうだ。
足をかけた電柱のボルト部分から跳躍し、金属製の手摺に乗り移る。遂に獲物がいる屋上まで辿り着いた。
今から喰らうメスを見る。クリっとした大きな瞳に整った鼻梁。サラリとした長い柿色の髪。
そしてこれ見よがしに固定された動かせそうにもない左腕。
涎を垂らすのを抑えて、弱点に狙いを定める。
―それじゃあ、いただきます。
距離を詰めるべく手摺を蹴って爆発的な速度で飛び掛かる。
仕留めるべく手を伸ばしたコンマ一秒にも満たぬ時間の間で獲物の姿が掻き消えた。
クマカイの顔に困惑の表情が浮かぶ。
獲物の居場所を探るべく視線を動かした瞬間、鳩尾に猪の突撃にも似た強烈な衝撃が走る。
ベキリと己の中で何かが砕ける音が響く。それと同時に内臓を圧し潰されたような激痛。
「ガ…ぁ……!!」
小柄な少年の身体が宙を舞う。
下に視線を向けるとそこには拳を上に突き出した柿色髪のメス。
肺腑を圧迫されて
クマカイから僅かに吐き出された血が獲物であった存在の髪を赤く染める。
背中から床に激突し、一度身体が跳ねてから手摺にぶつかって勢いが止まる。
追撃が来ると身構えるしかし近づいてくる様子はない。
不思議に思って様子を伺う。女の手には木に似た色をしている筒状の物体。
本能で危険を察知し、屋上から飛び降りようとするも既にそれは
クマカイの眼前に投げ込まれていた。
一瞬の空白。せめて命だけでも失うまいと腕を持ち上げた瞬間。
破裂音と共に世界が白く染まった。
◆
「ハロハロ~。そこの素敵なおヒゲのお兄さ~ん、ちょっといいかしら?」
商店街南口から少し離れた道路。消防車のすぐ傍で反吐をまき散らす拓臣の背中にかけられた軽快な女の声。
反射的に飛び跳ねた後、声が聞こえた方向へと恐る恐る顔を向ける。
そこには笑顔を浮かべた長身でスーツ姿の美女。その背後にはおどついた様子の白衣の男とブレザー姿の女子高生。
普段の拓臣であれば、見麗しい麗人に鼻の下を伸ばしつつもゴシップライターとしての職務を全うすべく聞き込みを行うだろう。
「―――何ッッなんだよッッッ!!この村はよォ!!!!」
何か一つでも記事のネタ持ち帰らなければ命を懸けて山折村まで来た意味がない。
消防車を乗り回している中で生まれた、拓臣の物書きとしての使命感。
道端に車を停め、デジタルカメラとICレコーダー、スマートフォンを持って商店街へ突撃した。
そこにはこの世の地獄が具現化されていた。気配を殺しつつ、持ってきた機材で撮影と録音を続けた。
少年ゾンビが人間を喰らっている姿を取ろうとした瞬間、拓臣は存在を気づかれて襲われた。
少年ゾンビの力は人間のものとは思えぬほど強く、死を覚悟した瞬間、背後で爆竹の音が響いた。
抑え込まれた力が緩んだ瞬間、少年の身体を突き飛ばして背後を振り返らずに全力で逃げた。
命からがら消防車の前に辿り着いた瞬間、抑え込んでいた恐怖が一気にぶり返し、反吐という形で放出された。
「まあまあ、落ち着いて落ち着いて」
女が拓臣の背中を擦ろうとするも、反射的に手を振り払ってしまう。
ふと、背後に視線を向けるとそこには前日に取材をした白衣姿の天然パーマ。
「……あんた、与田四郎さんだよなッ!!山折総合診療所に勤めている!!」
「え……はい。そうですけれど……」
困惑する声を無視し、消防車に乗って助手席からあるものを取り出し、四郎へと手渡す。
「これ!九条和雄の妹の一色洋子っていう女の子に渡してくれ!!」
四郎の隣にいるブレザー姿の少女の顔が僅かに強張る。
その様子に気づくことなく、拓臣はさっさと消防車へと乗り込む。
「ちょっとお兄さん!この村は―――」
「うるせえ!!危険なのは十分分かってんだよ!!もうこんなクソ村に一秒だっていられるか!!」
美女の制止する声を聞かずにシフトレバーを倒してエンジンを吹かせる。
幸いにも取材記録は落とさずに手元に残ってある。少なくとも危険に晒された意味はあったのだ。
自己暗示のように自分に言い聞かせ、拓臣は山折村から脱出すべく消防車を走らせた。
【F-4/商店街入口前/1日目・早朝】
【
斉藤 拓臣】
[状態]:ダメージ(小)、疲労(中)、精神的ショック(大)、恐怖(大)、錯乱
[道具]:デジタルカメラ、ICレコーダー、メモ、筆記用具、スマートフォン、現金、その他雑貨、山折村周辺地図
[方針]
基本.山折村から脱出する。
1.和雄の義理は果たしたので山折村から脱出する。
※放送を聞き逃しました
※VH発生前に哀野雪菜と面識を得ました。
※異能を無意識に発動しましたが、気づいていません
【
田中 花子】
[状態]:疲労(小)
[道具]:ベレッタM1919(7/9)、弾倉×2、通信機(不通)、化粧箱(工作セット)、スマートフォン、謎のカードキー
[方針]
基本.48時間以内に解決策を探す(最悪の場合強硬策も辞さない)
1.人の集まる場所で情報収集
2.診療所に巣食うナニカを倒す方法を考えるor秘密の入り口を調査、若しくは入り口の場所を知る人間を見つける。
3.研究所の調査、わらしべ長者でIDパスを入手していく
4.謎のカードキーの使用用途を調べる
【
与田 四郎】
[状態]:健康
[道具]:研究所IDパス(L1)、一色洋子へのお土産(九条和雄の手紙付き)
[方針]
基本.生き延びたい
1.花子に付き合う
2.花子から逃げたい
【
氷月 海衣】
[状態]:罪悪感、精神疲労(小)、決意
[道具]:スマートフォン×4、防犯ブザー、スクールバッグ、診療所のマスターキー、院内の地図
[方針]
基本.VHから生還し、真実に辿り着く
1.何故VHが起こったのか、真相を知りたい。
2.田中さんに協力する。
3.女王感染者への対応は保留。
4.朝顔さんと嶽草君が心配。
5.洋子ちゃんのお兄さんの……?
◆
炸裂音による耳鳴りと強烈な閃光による目の眩み。
その二つから漸く解放された
クマカイは辺りを見渡す。
周囲だけではなく、建物の真下や黒と黄色の蔓が巻き付いていたところを覗き込んでもあのメスの姿は影も形もない。
―逃げられちゃった。
己が喰らうはずだった人間の逃走。
それは
クマカイに取って久しく忘れていた感覚を思い出させた。
―悔しいなあ。
あのメスは自分が打倒した片目の羆には絶対勝てない。
それどころか己がよく仕留める猪にすら劣るだろう。
しかし、手負いであっても自分を確実に仕留められる強さを持っている。
屈辱も怒りも当然ある。しかし、当たり散らすような真似はすまい。
人間が知恵を回すように獣も知恵を回す。
であるならば、今回の敗北も己の糧としよう。
あのメスから学んだことは数多くある。
理性のない人間は破裂音などの大きな音に誘蛾灯に群がる蛾のように集まる。
そのための道具もここにあり、使い方も学んだ。
そして、自身の耳と目を一時的に奪った筒。それもあれば次の狩りはきっとうまくいく筈だ
ふと、自分の足元を見る。割れたタイルの下で何かが光沢を放っている。
タイルを引きはがすとそこには―――。
ーやった♪
柿色髪のメスが使っていた道具、スタングレネードを手に取り少年の姿をした少女は無邪気に笑った。
【E-4/カフェ屋上テラス席/1日目・早朝】
【
クマカイ】
[状態]:右耳、右脇腹に軽度の銃創、肋骨骨折、内臓にダメージ(小)、嶽草優夜に擬態
[道具]:スタングレネード
[方針]
基本.人間を喰う
1.次の狩りのための準備
2.準備が終えたら怪我の手当て
3.特殊部隊及び理性のある人間の捕食
4.理性のある人間は、まず観察から始める
※ゾンビが大きな音に集まることを知りました。
※ジッポライターと爆竹の使い方を理解しました。
※スタングレネードの使い方を理解しました
◆
「時刻は5時55分。結構いい時間まであそこで休めたっすね」
時間を確認した後、茶子はポケットに腕時計をしまった。
辺りを見渡すとそこには人の原型を留めていない元ゾンビの肉体が転がっている。
つまり、薩摩圭介に再度襲撃された場所へと戻ってきたことになる。
(二時間近く経てば、あの銃キチもどこかに行っているだろ)
首に下げた双眼鏡で辺りを見渡すも人の気配はどこにもない。
例えこの場に留まっていようともある程度の異能のタネが分かったため、弱体化していようとも次は薩摩を確実に殺せる。
(これからどうするか)
考えるのはVHに巻き込まれてしまったであろう連中の関係者。
その一人としてあげられるのは凄腕エージェント『浅野雅』
身体能力こそ自分に劣るものの対応力は己を超える女傑。
もし自分が情報を必要以上に漏らせば、こちらを確実に始末しに来るだろう。
それはきっとVHの真っ只中であろうとも、事態収束後であろうともあのキリングマシーンは変わるまい。
故に必要とするのは嵐山岳や
スヴィア・リーデンベルグといった明晰な頭脳を持つ存在。
プロフェッショナルとやり合うことも考えると未だ見ぬ強力な戦闘能力持ちの正常感染者。
今後の方針についても、根本的なものは変わりない。
まず第一に知り合いとの合流。それは彼らがゾンビであったとしても変わりはない。
そして、この村に滞在しているというある人物の―――。
「ともかく、まず必要なものは情報よね」
首から下げた双眼鏡を覗き込む。辺りに人はいないため倍率を上げる。
すると交番と道を挟んだ先にある一軒家を見つけた。
(とりあえず、あそこに行ってみるか)
目的地を定め、未来人類研究所の派遣バイト、虎尾茶子は歩き出す。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。行きついた先にあるものは何か。
自分と同じ正常感染者か、はたまた一時的な休息をとっている危険人物か、それともSSOGか。
「ま、その時はその時ってことで!」
【D-4/草原/1日目・早朝】
【
虎尾 茶子】
[状態]:左肩損傷(処置済み)、左太腿からの出血(処置済み)、失血(中)、■■への憎悪(絶大)
[道具]:木刀、双眼鏡、ナップザック、長ドス、サバイバルナイフ、爆竹×6、ジッポライター、医療道具、コンパス、缶詰各種、飲料水、腕時計
[方針]
基本.協力者を集め、事態を収束させる
1.極一部の人間以外には殺害を前提とした対処をする。
2.有用な人物は保護する。
3.未来人類研究所の関係者(特に浅野雅)には警戒。
4.■■は必ず殺す。最低でも死を確認する。
[備考]
※自分の異能にはまだ気づいていません。
※未来人類研究所関係者です。
最終更新:2023年04月01日 20:04