西洋の食文化―特にフランス料理において、代表的な食事スタイルであるフルコース。
歴史は一六世紀半ばから始まり、現在に至るまでイタリア・オーストラリアの食文化を取り込んで発展を続けている。
しかし、如何に時間が経とうともその格式の高さは変わらず、未だ食文化のトップに君臨し続けている。
山折村にも自らフルコースを考案する若き紳士が一人。それを再現すべく麗しき助手と共に今、旅立つ。


「宇野和義さんの、住所……ですか~?」
「ええ、役場勤めの貴女なら知っているかと思いまして」

袴田邸の応接間にて。ソファに座るはすみはきょとんとした表情で隣合って座る夜帳の陰気な顔を見上げた。
ひなたとうさぎが袴田邸を出発してから既に数十分。口下手な自分の話の齟齬へ突っ込む存在がいない二人きりの空間。
当初の目的――リンを連れ去った宇野和義の情報を聞き出すまたとない機会が意図せずに訪れた。
聞き取り先は犬山はすみ。夜帳の異能によって彼の従順たる眷属となった麗しき乙女である。

はすみは山折村役場の施設課一職員でありながら、人当たりの良さや強い責任感により、度々村内のトラブル背負い込んできた苦労人である。
本来の業務である公共施設の管理から始まり、村の重鎮達の殴り合い寸前の議論の仲裁に至るまで彼女は身を粉にして働き続けていた。
また、彼女自身も村のイベントに積極的に参加するなどして村民と交流を深めているため、彼女のことを知らない村民はいないと言われている程。
そんな彼女だからこそリンを連れ去った宇野の住所も知っている可能性が高いと踏み、向かう先――古民家群にある彼の住処を聞き出そうと考えた。

「ええと……ごめんなさい、分かりません。宇野さんの奥さんには野菜を貰ったりしていたんですけど~。住所も聞いておけば良かったでしょうか~?」
「……そう、ですか……」
「本当にごめんなさいね~」

心から申し訳なさそうに目を伏せるはすみを責める訳にもいかず、夜帳は小さく溜め息をつく。
はすみの現在の状態や誠実かつ真面目な性格から鑑みるに、彼女が自分に嘘を言っている訳ではないだろう。
そんな彼女に対して無知を詰るほど自分は狭量な人間ではない。落胆こそすれ、怒る理由はない。
あわよくばという目論見が外れ、別の手段を模索しようとすると。

「でも、市民課担当の安遠課長……安遠真実さんのデスクに宇野さん一家の住民基本台帳のペーパーがあると思いますよ~」
「……なんですって?」

はすみの間延びした声に夜帳の動きが止まり、同時に頭に疑問が浮かぶ。
ここ数年、村長である山折厳一郎によって辺鄙な山折村にもIT化の波が訪れ、住民票などの個人情報は大部分がデータ化されたとのこと。
また都会から出戻りしてきた安遠も同様。厳一郎が周囲の声を無視し、前任の字蔵誠司を異動させて安遠を課長へと昇格させたらしい。

「安遠さん主導で役場のデジタル化を進められたと聞いていたのですが、役場のPCならともかく彼がペーパーを保管する理由が理解できかねます。
……そもそも彼は前職がシステムエンジニアだ。栄養剤を処方する際にも周りに吹聴していました。根拠はあるのですか?」
「安遠課長自身が私におっしゃられてましたよ~。ええと、確か茶子が有休を取っていたゴールデンウイーク二週間前でしたね~。
その時食堂でお昼をご一緒させて頂いたのですが――――」


『日本は平和で秩序の保たれた国というのが万国共通の認識でしょう。しかしそれは表向きです。実際は秘密結社が政府の中枢機関に根を張り我々の平和を脅かしているのです。数年前、政府高官の娘が海外旅行中に国際テロ組織に誘拐されたというニュースがありましたよね。あれは日本政府への警告ですよ。日本政府は秘密結社の契約を反故にしたため誘拐されたのです。運よく現地の軍隊が助けたと報道されていしたが僕は違うと踏んでいます。秘密裏に行われた取引で返されたのです。取引の内容は不明ですが、日本にとって不利益なものだったに違いありません。その証拠が今日の不況だ。もし政府が秘密結社との約束を破らなければ今も僕は都内でSEとして第一線で活躍しているはずです。時代錯誤の字蔵前課長のもとでこき使われていた時期は屈辱でした。しかし、捨てる神あれば拾う神ありとは言ったもの。村長が僕に正しい評価を下さったお陰で今の地位に就いて腕を振るうことができています。ああと、話が逸れてしまいましたね。秘密結社は日本政府に限らず世界をも牛耳っているのです。秘密結社の名前はフリーメイソンです。フリーメイソンは日本を完全に支配下に置くべく暗躍しているのです。頻発している地震も彼らが地下で核を爆発させて発生させている人工地震だと言われています。他にも急速に広まった5G通信も彼らが洗脳電波を流すために発展させた技術だとも言われています。これ以上フリーメイソンの思惑通りにはさせない。その意志の元、僕は動いています。プライベートではアルミホイル帽を被って過ごすのもその一環です。その意味を理解できない輩が多いことが嘆かわしい!妄想だと言う村民もいずれ真実に気づくでしょう。ちなみに村長は僕の主張を聞いてくれた数少ない一人です。アルミホイルを被る僕には苦い顔をしていましたがいつか理解を示してくださるでしょう。役場のデジタル化、あれは僕が提案したものですよ。若者が多くなった今こそ導入すべきだと訴えたところ、理解を示してくださいました。この村に潜り込んだ構成員でも僕が組んだセキュリティは突破できていないようです。しかし、フリーメイソンの技術は世界屈指のものです。いずれセキュリティが突破されて、個人情報が書き換えられてしまう恐れがあります。その対策として僕は紙でも住民台帳などを保管しています。原本があれば例え改竄されたとしても元に戻すことは簡単ですからね。僕をコケにする連中はいつか僕に泣きついてくる日が来るはずだ。こんなはずじゃなかったってね』


「彼、正気ですか?」
「ええ、不思議なことに」

人間の補完機能とは恐ろしいものだ。
はすみの話は要点を抑えた内容だったのだが、夜帳の脳内ではキィキィと彼の耳障りな声が内容を勝手に膨らませて再生される。
ともかく、壊れた蛇口の如く彼の口から垂れ流された妄言の中にも有益な情報があった。
どうやら宇野和義の個人情報が記述されている住民基本台帳のペーパーは安遠真実のデスクに保管されているらしい。
彼のデスクの場所を知っているのは同じ職場の人間のみ。あの変人と交流のあるはすみに任せた方がいいだろう。

「夜帳さん、どうしましょうか~?」

こちらを覗き込んで小首を傾げた愛嬌のある仕草をするはすみ。媚びるような男心を擽る彼女に思わず夜帳の頬が緩む。
これで当初の目的が達成される手がかりを得た。時間的にも既に宇野は自宅に到着している可能性が高い。

「役場へと向かい、宇野さん一家の住所を探しましょう」

強い意志を持って答える。
待ち伏せて取り戻すという目論見は崩れたが、夜帳がリンを助け出して彼女から信頼を得るというのも悪くはない。
寧ろそちらの方が、リンの血を吸い尽くすには都合が良い。。
贅沢を言えば万全の状態で迎えに行きたかったが、時間をかけるほどリンの生存率が下がっていくのが現状だ。
袴田邸でメンバーの到着を待っていては永遠にたどり着けぬものになってしまう。
多少のリスクを負ってでも追い求めるだけの価値が、あの幼き姫君にはある。

「疑問に思ったんですが、どうして宇野さん宅へと向かいたいんですか~?お子さんは二人とも男の子のはずなんですけど~」
「ああ、それは彼に連れ去らわれた女の子……リンちゃんという名前の子の血を吸い尽くそうかと思いまして」

当夜帳は初考えていた言い訳で繕わずにありのままの願望を曝け出して正直に答えた。。
それは夜帳が巷で噂されていた女性ばかりを狙って殺害し、血を啜った殺人鬼だと自供するようなもの。
自ら危険人物であるという自己紹介に対してのはすみの反応は、いつもと変わらない朗らかで優しい笑顔。

「そうだったんですか~。変なことを聞いてごめんなさいね、夜帳さん」
「いいえ、寧ろ情報共有を怠った私にこそ非があります。こちらこそ申し訳ない」

犬山はすみは既に夜帳に血を分け与えられて吸血鬼の従順たる眷属になり果てている。
影響は彼女の心にまで及び、夜帳という怪異を是とする神職にあるまじき価値観へと変貌させた。
既に袴田邸ではすみと夜帳の毒牙にかかった犠牲者がいる。

「貴方の中で永遠に幸せになれるといっても恵子ちゃん一人じゃ寂しいと思うわ~。
夜帳さん、この家に集まった女の子達も幸せに導いてもらえないかしら~」
「ええ、いいですとも。不肖月影夜帳。麗しき乙女達のために尽力いたしましょう」

両手を差し出して淀んだ瞳で夜帳を見つめるはすみ。恍惚とした淫蕩な表情は狂信者そのもの。
その手を取り、真摯な眼差しで己の信者を見つめ返す夜帳。
彼らのやり取りは演劇の一幕、永遠の愛を誓うシーンを彷彿させる芝居掛かったやり取りであった。

字蔵恵子。烏宿ひなたに救われてから様々な困難を乗り越え、その末に幸せを掴みかけた少女。
己の殻を破って外界へと羽ばたく寸前。悪意に煮詰められて捕食されてしまった哀しき末路を辿った。
その魂は肉体という器を身に着けた異能と共に抜け出して吸血鬼の魂と交わった。

夜帳のキスマークのついた魂の抜け殻は布団が敷かれた居間に寝かされている。
果実のように瑞々しい肌はその潤いが抜けてドライフルーツを思わせるようなカサカサとした肌へと変わった。
ふっくらとして細身ながらも程肉のついた手足も病人のように瘦せ細り、愛らしい顔立ちもその面影を僅かに残すばかり。
ただ、その寝顔だけは遊び疲れた子供のように安らかなものであった。

はすみの思考はそのまま。しかし彼女の価値観は歪まされ、女性は夜帳に吸い尽くされてこそ至上の幸福であると認識している。
自分よりも他人を優先する奉仕体質。地獄においても変わらぬ性質は主の幸せのための十分に発揮されるであろう。

「では、夜帳さん。準備をしましょうか~」


ヒトという生き物は贅沢で欲深い存在だ。夢を叶えても決して満足はせず、新たな夢を生み出して催促を続ける。
かく言う己もヒトの性には抗えない。リンに限らず多種多様の乙女の血を求めるようになってしまった。
年甲斐もないと自覚しながらも夜帳はうきうきと心を躍らせながら準備を進めていく。
近くにはすみがいなければ歌を口ずさんでいたのかもしれない。

夜帳が己の中に巣食う性癖を自覚したのは学生時代。
同級生の女子がカッターで指を切り、保健委員としての義務をまっとうしていた時。
手当てが終わり、女子生徒が保健室を出た後。何気なしに彼女の血が付着した手を舐めた。
途端に溢れる充足感。スポーツや芸術に励んでも満たされなかった己が満たされる感覚。

時が経ち、己の歪な性癖に苦悩して何とか矯正しようしていた暗黒期。
血が好きであるのならば美食でも代用できるはずと世界中の様々な美食を味わった。
しかしどのような食事を味わっても「美味しい」と感じるだけで心が満たされることはなかった。
女性へ執着があるのならばと思い、恋人を作って愛を育んだ。
恋人への愛は本物であったと今でも断言できる。恋人も自分を愛していたと言える。
しかし、それでも心が満たされることはなかった。些細な行き違いから喧嘩別れをしてしまった。
そのことがきっかけか、友人達は愛想を尽かして夜帳から離れていき、彼はたった一人になってしまった。

苦しみに苦しみ抜いて、たどり着いた先が辿り着いた先が原点回帰。乙女の吸血である。

(袴田邸に訪れた乙女が六人。どなたも心身共に美しい方々でした)

字蔵恵子、烏宿ひなた、犬山はすみ、犬山うさぎ、天宝寺アニカ、金田一勝子。
何の偶然か。夜帳の根城に集まった乙女達は指折りの美女美少女ばかり。
その上、与えられたギフトは乙女の血を堪能することができ、その力を身に宿すことができる素晴らしき異能。
これだけの条件・逸材が揃っているのならば、長年の夢――乙女のフルコースが完成するのかもしれない。
若き紳士は夢見心地で目を閉じ、乙女達の赤ワインのような美しく味わい深い鮮血を夢想する。

月影夜帳が考案する、うら若き乙女のフルコース。

前菜(オードブル)は字蔵恵子。儚げで華奢な雛鳥を彷彿される可愛らしい少女。
先程吸い尽くしたその命は、ほど良い酸味と塩味と僅かな甘みがきいた食欲を呼び覚ます味だった。
控えめながら歩みを進めようとしていた彼女の命が表現されていて、幼気な見た目も夜帳を満足させる一品に仕立て上げられていた。
例えるのならば、生ハムが巻かれた水牛のチーズとフルーツトマトのカプレーゼ。

スープは一品に相応しい乙女が袴田邸にはいなかったので未決定。
メインを着飾るような心優しくも譲れない芯のある美少女が望ましいと考えている。
犬山姉妹を考えていたが、口惜しいことに彼女らの血は夜帳の体質を否定するもの。
仮に現時点の情報で候補をあげるとするならば犬山うさぎの友人である岩水鈴菜。
うさぎ曰く、大人びて儚げな美貌に反して幼い部分を残す性格であるとのこと。
勝子らに助けられた鈴菜の血を治療すると偽って飲み干すのもいいかもしれない。

魚料理(ポワソン)は烏宿ひなた。彼女の名前が示す通り、その容貌は活力あふれたその姿は太陽を彷彿させる。
天真爛漫かつ好奇心旺盛な彼女の瞳の奥に隠された確かな知性に、他の少女達にはない美しさを感じた。
もし夜帳が運命と出会わなければ、彼女がメインを飾っていたといっても過言ではない少女。
味を想像するのならば、ラタトゥイユソースの肉厚な本マグロのミィキュイ。
生命力が満ち溢れた彼女の血は、肉料理と変わらぬ満足感を与えてくれるだろう。

口直し(ソルベ)は天宝寺アニカ。ビスクドールを思わせる美貌もさることながら、何よりも目を引くのは長く美しい金の髪。
『天才』と各種メディアで持て囃されるだけあって、何気ない仕草からも育ちの良さや聡明さが滲み出ている。
欠点といえば護衛が見苦しい男であったこと。同じ剣道有段者でも見麗しい乙女であったなら文句はなかったのだが。
想像するのならば、アップルミントを添えたブラッドオレンジのソルベ。
幼くも品の良さが見える彼女の味は上品で爽やかな柑橘類のように、肥えた舌をリセットしてくれるだろう。

そして肉料理(ヴィアント)。つまりフルコースにおけるメインディッシュにあたる逸品。
夜帳にとって至上の乙女でなければならない。それに該当するのは只一人。
『リン』。夜帳の理想を体現したような美しさと愛らしさを併せ持つ真紅のドレスを身に纏った幼き姫君。
華奢で美しい手足。黄色人種とは思えぬほど白く透き通った肌。夜空を思わせるような濡羽色の黒髪。
黄金比を体現したかのような芸術品とも称すべき身体。それを包むラッピングは夜帳好みの鮮血のような赤。
容貌は妖艶と無垢が入り混じった天使そのものと言えるもの。仕草一つとっても男という存在を狂わせかねない色気が漂っている。
彼女こそ夜帳の理想の体現。彼女を一目見た時、夜帳の中で「美しさ」という概念が書き換わった。
例える味は想像がつかない。しかし、前の四品ですら前座にしかならぬだろうと確信している。

しかし、最後の逸品がなければフルコースは終わらない。
最後の締めこそ至上のフルコースを司る素晴らしき乙女でなければ、夜帳の美学が許さない。

デゼールは金田一勝子。リンを除いた四人の乙女と同様に彼女もまた穢れなき美しい女性。
貴族の様な上品な立ち振る舞いや女性として完成したといえる芸術品の様な肉体美、顔立ちも夜帳好みの西洋風の美貌。
気高き精神や集団を率いるカリスマ性もまた彼女の美しさを引き立てる要素に違いはあるまい。
その味を想像すると柑橘類のメレンゲと生クリーム、アイスクリームを挟んだヴァシュラン。
酸味のアクセントが聞いたコクのある濃厚なクリームの様な血液は、最後の逸品とは思えぬほど高カロリーなものだろう。
しかし今の夜帳の食欲は若さを取り戻している。デザートは別腹という言葉がある通り、その味を楽しめると確信している。

(……いけませんね、こうなってくると食前酒やサラダ、食後のコーヒーまで欲しくなってくる。我ながら贅沢な悩みだ……)

しゃがみ込んで準備を進めていた手を止め、夢のフルコースに想いを巡らせる。
今まで感じたことのない夢見心地。無防備になった夜帳の背後に人影が迫る。

「―――夜帳さん。大丈夫でしょうか~?」
「ひゃうッ!」

肩に置かれた女性の白い手に驚き、夜帳は文字通り飛び上がった。
尻餅をついて背後を見やると、はすみが目をぱちくりとさせていた。

「ごめんなさい、夜帳さん。驚かせるつもりはなかったのよ」
「い……いえ、気にせずに。私も早く準備をしなければ……」

真摯にあるまじき醜態を見せてしまい、夜帳は激しく動揺する。
その様子を微笑ましく笑い、はすみは夜帳の口元に人差し指をあてた。

「…………勃牙、してますよ」

紳士はひどく赤面した。


「お気遣い、感謝いたします。異能がバレては行動に支障がでますからね」
「いえいえ~。夜帳さんのパートナーとしては当然のことですから気になさらず~」

異能の発動の隠蔽するため、夜帳ははすみと共に不織布のマスクをかけた。
このご時世だ。マスクをしていたとしても不審に思われないだろう。
改めてはすみと向かい合い、持ち出す道具や装備、彼女の状態など出発前の確認を行う。

「これは……モデルガンですか~?」
「ええ、こちらは私の異能を発動させるために使います。流石は小説家のお宅だ。ネタ出し用の物資も豊富でした」

閻魔から奪い取った異能『威圧』は恐怖をトリガーとして効果を発揮する常時発動型のもの。
外見に限れば本物とほとんど差異が見当たらない精巧な作りのモデルガンを向けられれば、一般人ならば少なからず恐怖を感じるだろう。
ましてや現在の山折村は猟銃が地面から生えてくる異常事態。異能発動の成功率は高い。
サブウェポンとして金槌も持ち出している。標的が背中を見せた瞬間、殺さずに無力化できる。
医療関係者として信頼を得るための薬物も含めた医療道具にも不足している物資はない。
恵子を眠らせた抗不安剤のストックもまだ十分にある。薬剤師としては暴力ではなくこちらで目的を果たしたいところだ。

また、はすみも同様に袴田邸の物資をかき集めて夜帳のサポートができるような装備を整えた。
荷物としてはかさばる救急箱の医療道具は夜帳のものと大部分が被るため、最低限のものを持ち出すことに決めた。
また、夜帳に差し出す供物を捕獲するアイテムはスタンガン。袴田が持っていた理由はネタのためか、自己防衛のためか。
宇野からリンを取り戻す時のことを考えて柳刃包丁も台所から持ち出した。彼女自身も『威圧』を持っているのでそれを生かすための物資。
リンのアフターケアも考えてテーブルにあったチョコレート菓子と水筒も回収しており、彼女らしい細やかな気遣いが見て取れる。

「―――と、まあこんな感じで大丈夫でしょう」
「お疲れ様です~」

苦労を労うようなはすみの笑顔へ夜帳もまた笑顔で返す。
彼女を眷属にして正解だったと何度目か分からない満足感を覚える。
山折村でのはすみ老若男女問わず誰からも好かれる信頼できる女性という安心安全のブランド。
夜帳の従順な下僕と化してからその奉仕体質は、彼に都合がいいものへと変わっている。
そんな彼女を易々と手放すわけにはいかない。そのためには。

「はすみさん、これをどう思います」
「――ッ!」

汚物を扱うかのような親指と人差し指で摘まんだ所作ではすみ自身が作り出した護符をはすみの目の前に突き出す。
ずいっと顔に近づけると彼女は心底嫌そう美貌を歪ませて顔を背けた。

「…………そんな汚らしいもの、見せないでください……」

夜帳とて好き好んでこんな悍ましいものに触れてなどいない。
自分の傀儡となった彼女の状態を確かめるためだ。もしかすると彼女の異能にも影響が出ているのかもしれない。

「この護符は異能により生み出されたものだ。貴女の御妹のうさぎさ―――はすみさん、大丈夫ですか?」
「く……ぅ……」

言葉が終わる前に頭を抱えて苦しみ出すはすみに夜帳は護符を投げ捨てて彼女の顔を覗き込む。
頭を抱えて苦悶の声を漏らすはすみの様子を気遣いつつもその原因は何かと考える。
医療関係者としての考えは違う血液型で輸血したため拒絶反応が起きたと考えた。
しかし、袴田に血を分け与えたときは、夜帳の血液型とは違うものであったが生ける屍と化していた袴田の身体に異変は見られなかった。

(はすみさんの血筋は神社の家系。私の異能は吸血鬼に関係するもの。だとすると血が混じったことで拒絶反応が起きたのでしょうか?)

陰と陽。吸血鬼と巫女。血筋からして犬山はすみは怪異とは決して相容れぬ存在。
吸血鬼に新生した怪異としての夜帳の思考が顔を出す。その考えが正しいとするのならば。

「はすみさん、私がOKを出さない限り異能の使用を控えるように」
「え……でも」
「貴方のためではありません。私のために言っているのです」
「…………はい」

ある程度、体調を取り戻したはすみは夜帳の言葉にうなだれる。
夜帳の忠実な下僕と化したはすみにとって、彼の言葉は何よりも優先される。

はすみがあらかじめ持っていた異能を使用した場合、彼女の身に何が起こるのか不明。
替えの利くゾンビではない貴重な手駒を失うリスクは避け、安全策を取るべきだろう。
しかし、他人を優先する彼女の性質から考えると自分が見ていないところで勝手に異能を使用してしまう可能性もある。
面倒事を避けてできる限り安全策を取りたい夜帳は、念のため釘を刺しておいたが、いつ破られるか不安で仕方ない。

(全く……度が超えた奉仕体質というのも考え物ですね……)
「では、そろそろ出発――」
「ま、待ってください!」

「何か」と眉を潜めてはすみの方を向くと、差し出されたのは紙切れ。

「これ、ひなたさん達が帰ってきたときの書き置きです。念のため、確認お願いします。
それから私達が出ていったことを怪しまれないように部屋の配置を変えてから出発した方が――」


『こんばんは、星空が綺麗ですね。少しお話しいいですか?レディー』

『謹んでお断りって言ったらどうする……話の途中で銃弾撃ちこむとか正気かしら?ブルーバード』

『少なくとも下で職員を虐殺した貴女には言われたくありませんね』

『その根拠は何かしら?私以外にも同じ服を着た連中が下で堂々と歩きまわっていた筈よ』

『……貴女以外に防護服を着た連中はSSOG。彼らのターゲットはテロ組織の残党。研究所関係者ではないはずです。
貴女が殺しまわっていたのは研究所関係者。死体の損壊具合も異なりました。
残党の死体は原型を留めていないものが多数。銃火器によるものが多かった。対して、研究所関係者の死体は全て鋭利な刃物によるもの。
先程銃弾を弾いた技量を見るに、下手人は貴女でしょう?』

『だと言ったらどうするかしら?今更貴女が正義のためだとか言ったらお笑いね』

『……隣にいる拘束された研究員。彼を保護するために派遣されました』

『あら奇遇。私も彼を回収するために呼ばれたのよ』

『私と貴女の目的は違うみたいですね』

『同じでしょう?』

『同じというのならば彼をもっと丁寧に扱ったらどうですか?せめて拘束と目隠し、口枷を取ってくださらない?』

『無理ね。守秘義務がある以上、彼には静かにして貰わない……あッ……コイツ!』

『……ッ……そこの人、聞いてください……!彼女は――――!それから……できれば……僕は大丈夫だってス……ガッ!』

『ったく、油断も隙もないな。暫く寝とけ……で、どうするの?ヘリが来るのはあと五分。大人しく引けば五体満足で貴女を見逃してあげるわよ』

『そちらこそ彼を解放すれば五感無事で見逃しますよ。私は最強なので実力差を理解して正しい判断を期待します』

『奇遇ね。私も最強なの。どうやらそちらも引く気はないようだし、残念だけど交渉決裂ね』

『ええ――』『では―――』

―――殺し合いましょう。

四月某日の関東地方にある離島、新島にて。
ここ数年で急激に開発が進んだこの孤島に建設された複合施設『テクノクラート新島』。
その施設を中心に、既にリーダーを失ったはずのテロ組織が新島全土を占拠した前代未聞の大規模テロ事件。
事態収束まで一週間、日本どころか世界も注目していたこの事件は派遣された自衛隊によって収束したと言われている。
しかし現地の住民によると、とある二人組が事件を解決に導いたと言われており、名前は伏せられていたが一人は有名人だったらしい。。
また彼らと同様に観光客であろう女性も事態収束に一役買ったとされ、現地の人々からメディア越しに名無しのヒーローに感謝の言葉が述べられていた。

死傷者こそ大規模テロとは思えぬほど少なかったものの、国民を恐怖に陥れたこの事件の熱はそう易々と冷める筈はない。
事態が収束して二週間――ゴールデンウイーク前でも流れるニュースはおススメ観光スポットではなく、大多数がテクノクラート新島のテロ事件である。
多少落ち着いてきたとはいえ、熱中は未だ冷めず。山折村の住民もよくこのテロ事件を話題にしている。
山折村に潜入捜査中の若きエージェント――天原創もこの事件に注目し、山折村の調査と並行して独自の情報収集に務めていた。

山折村の古民家群南東部。そこには荒くれ者が集う『八藤空手道場』が建っており、木更津組事務所ほどではないにせよ治安の悪い地域になっている。
八藤空手の師範や跡取り息子がガラが非常に悪いことも相まって、用事があるか余程のもの好き出ない限り、村民の大多数はそこに寄り付かない。
そのような危険地帯にある一軒の古民家を『天原遥』という仕事で家を空けがちな姉が家を借りている、という設定で創は一人暮らしをしている。
そのせいか、学校ではそれなりに親しい友人がいるのにも関わらず、創の家に遊びに来るクラスメートはほとんどいない。
例外があるとするのならば、日野珠や堀北孝司、岡山林などの物好きな友人達や、創を気に入った八藤空手跡取りの八藤龍哉くらいである。

(国際社会を揺るがし兼ねない事件にも関わらず、犠牲者の数は極端に少ない。
事態収束のために特務機関のエージェントが多数派遣されたとはいえ、この少なさはおかしい)

ノートパソコンから特務機関のデータベースにアクセスし、派遣されたエージェントの名簿と彼らの報告書に目を通す。
かつて創も参加した国際犯罪シンジゲートの殲滅作戦の時のように同僚達の死を覚悟していたが、彼らは怪我の大小はあれど全員生還。
重傷である者も治療に専念すれば早々の現場復帰が可能な塩梅である。
しかし、なぜテロリスト達ががテクノクラート新島に狙いを定めたかの理由は不明。
テロ首謀者の男は自衛隊やSOGに引き渡された以外の記述はなく、勤務していた筈の研究所職員や存在するはずのテロ残党達は行方不明。
表向きは収束したとされている事件だが、創には真相が闇に葬られたようにしか思えなかった。

『■■■■』『■■■■■』

「く……ゥ………!」

前触れもなく脳に響くノイズが軽い頭痛と共に訪れる。痛みと不快感に創は顔を歪める。

(…………根詰めすぎたかもしれないな。少し休もう)

時計を見ると既に夜九時。少し遅い夕飯時だ。
この時間になると山折村の飲食店や小売店はほとんど閉店しており、開いていそうな店は居酒屋。未成年である創では入店拒否される可能性がある。
友人宅へお邪魔して夕飯をご馳走になることも一瞬頭を過ぎったが、何と言うか気恥ずかしいので即座に却下。
冷蔵庫の食材は空。インスタント食品もなく、あるのは僅かな白米オンリー。食料が尽きていることを知っていたのに買い出しを怠った自分が悪い。
さてどうしたものかと頭をひねっていると、ピンポーンとチャイムが鳴った。

「人参ジャガイモ玉ねぎ白米カレールー。こっちのチルド便は鶏肉豚肉牛肉シーフードミックス。カレーでも作れってことですか、師匠」

荷物の発送者は『天原遥』。創の師匠――青葉遥本人。
特務機関から国外の諜報機関に映った彼女には創の架空の保護者のことは知らされていないはずである。
だがあの人は創が想像がつかない方法で独自に情報を仕入れたのだろうと創は確信していた。
創の頭には得意げにピースサインをした彼女の姿。あの人には永遠に叶わない気がする。

「夕飯は肉じゃがでも……これは」

師匠の意向を無視して献立を決める。食材を冷蔵庫へしまい込むために荷物を漁ると、一通の手紙と何かが入ったウエストポーチ。
手を止めて手紙を開くと暗号で書かれた文章が並んでいた。
曰く、創も知っているのかもしれないが自分もテクノクラートに派遣されていたこと。
そこで真実を探るべく研究施設に潜入したが、所属組織不明の女性工作員に阻まれて重要参考人の保護に失敗したこと。
何とか手に入れられた情報をもとに近々山折村に向かうことになったこと。
創にも協力を仰ぐかもしれないから、可能な限り学校内を除いてプレゼントしたウエストポーチを身に着けていて欲しいこと。
言うまでもないかもしれないが、ウエストポーチの中身は確認して欲しいこと。
それから学校生活は楽しいか、今度キミの口から聞かせて欲しいとのこと。

創の中に奇妙な寂寥感が漂う。
青葉遥の来訪。それは創の任務が終わりに近いということ。
定期的に本部に贈っていた調査レポートに記述された情報は微々たるもの。
年単位の任務だと思っていたがテロ事件で手に入れた情報が思いの他大きく、それによって大幅に短縮されたらしい。
何故か思い浮かぶのは学校で友人達と過ごした日々。その日々にピリオドが打たれるのはいつの日か。

「…………ゴールデンウイーク、堀北達と遊びに行ってみようかな」


特務機関のエージェント達には高いスキルが常に求められ、それをクリアできないと特務機関の下部組織へと回される。
一線で活躍するエージェントには戦闘能力、追跡術、多くの専門知識、整った容姿といった専科百般が求められる。
余計な警戒心を抱かせないための最後の条件も重要で、クリアするために整形手術を行ったエージェントも多い。
天原創は厳しい訓練と生まれ持った才能で手術を受けることなく、全ての要件を高水準でクリアしている。
精神面が未熟であるという欠点があるものの、一四歳という若輩者でながら既に前線で活躍している。。

故に時間を要したもののゾンビ達の足跡から不自然に北口へ向かう足跡を見つけ出し、その後を追うことが可能でだった。
足跡の向かう先は放送局。当初は誰もがそこで地獄の始まりを告げるチャイムが鳴らされたと思われていた発信源。

大地震の影響か、はたまた年季の影響による者か。放送室内の設備は大部分が破壊されてその機能を喪失していた。
長年村人に見向きもされなかったのか故に綿埃があちこちに積もっており、そこを踏み躙った足跡は見当たらない。
その中で創は只一人、特殊部隊らが訪れたという手がかりを探索していた。

(………当てが外れてしまったのか?そもそも放送室に向かっていたとはいえ、碓氷誠吾らと断定したのは早計過ぎたか)

頭に過るのはバイオハザード発生後から現在に至るまでに失態の数々。
最たるもの、が護衛対象であったスヴィア・リーデンベルグが特殊部隊一行に連行されたこと。
そして、同行者である哀野雪菜との会話の最中で蘇る己の記憶。
未だノイズがかかり靄がかかった記憶。それはどれも『山折村の『厄災』と関わり深いと確信するキーワード。

エージェントとしての天原創であるのならば、そ血らの調査こそ事態収束の鍵となる優先事項と認定。
最優先で調査のために動くだろう。スヴィア・リーデンベルグを見捨てて。

(そんなことを考えてしまうなんて、非人間的だな……僕は)

一瞬でも彼女を見捨てること考えてしまった己に自己嫌悪を感じる。
記憶と当時に思い出したのは『天原創』という人間のオリジン。少年の原点たる想いがその選択を拒絶する。
エージェントとして正しいのは見捨てる方が正解だと思う。しかし今の自分が優先しているのはスヴィアの救出。
個人の感情を優先するエージェントとは思えぬ三流以下の判断。同じエージェントがいたのなら誰もが創を厳しく咎めていたことだろう。

だが、創の師匠――青葉遥なら、ほんの少し困った笑顔を浮かべながらも自分の背中を押してくれる。そんな気がする。
それだけで創の中に少しだけ力が沸いてくるように感じる。

放送室では手がかりが見つけられず、期待薄とは感じながらも談話室を調べる。
こちらもあるものは年代物のソファに綿埃の被った木製のテーブル。手使えそうなものはバールぐらいしかない。
もしスヴィアが何らかの治療や尋問を受けていたのだとしたら血痕などの痕跡があってもおかしくないのだが、一向に見当たらない。

(ここも手がかりなし……か。だとするのならばスヴィア先生はどこに……ん?)

談話室を出ようとドアを開けた時。隙間に隠された『それ』を創は見つけた。


「天原さん、手がかりはありましたか?」

放送局手前で待つ短い黒髪の少女――哀野雪菜が創を出迎えた。
微々たる可能性に過ぎないが、特殊部隊との戦闘があると想定し、彼女に見張りを頼んでいた。
本人は不服そうであったが、特殊部隊と正面から戦える戦力は現状は創しかいない。
放送局という閉鎖空間での戦闘を想定すると雪菜は足手まといになりかねない。
その事実を身に染みて理解している雪菜は、創の判断に口を挟むことなく彼を送り出した。

「はい、発見できました。これです」
「これって………糸……じゃなくて髪?」

差し出されたのは二本の糸。老人の様なごわごわした白髪ではなく、透き通るような美しい銀の髪。
そのような特徴的な髪を持つ人物は山折村にはたった一人――スヴィア・リーデンベルグしかいない。

「……特殊部隊の隠蔽工作は完璧だったと思います。事実、僕もスヴィア先生の髪を発見できるまで半信半疑でした。
彼女は特殊部隊の監視をすり抜けて、命がけで痕跡を残したと思われます」
「そう……ですか……。あの、天原さん。スヴィア先生は何を思って……髪を……?」
「…………分かりません」

俯いて力のなく創は答える。その声にほんの一時間前のような覇気はない。
つい先程までは済む世界が違う人間と断定して彼の力に縋っていた自分。自分の事ばかり考えて彼を詰ってしまった。
叶和との会話を経て自分を取り戻した時、彼の姿は以前と違ってとても小さく見えた。
生き方が違っているとはいえ彼もまた自分と同じ。色々なものを背負いすぎてパンク寸前になっている。
表には出していないが疲弊しきった様子を見てそう感じ、彼にシンパシーを感じた。
であるのならば、自分ができることを彼にしなければ。

「天原さん、顔を上げてください」

雪菜の言葉に創はゆっくりと顔を上げる。一見ポーカーフェイスだが雪菜には怯えているように見えた。

「ごめんなさい。私、天原さんのことを完全に信用しきれなくて隠していたことがあるんです」
「……そうですか。でしたら無理に話していただかなくても……」
「だからこれは自己満足。少しでも私を信じてくれるのならば、見て欲しいです」

創の反応を待たずに右腕――叶和が残してくれた痕。彼女と自分を繋ぐ最後の証。そこに手を当てる。
もう私は大丈夫。きっと大丈夫だから。貴女の想いはずっと――永遠に。。
魂からくみ上げる叶和の想い。散る儚げな火花のイメージ。その具現は痕(きずあと)に。手のひらに。
手を離すとそこに彼女の証は存在しない。真っ白なキャンパスへと変わり叶和の面影はなくなった。

改めて創の方へと顔を向ける。
驚いたように傷のなくなった右腕へと視線を向けていた。

「哀野さん、これは一体……」
「…………信じてもらえないかもしれないけれど、大切な親友からの贈り物です。
奴らにスヴィア先生が連れ去らわれてから、目覚めました」

何かを考えるように創は黙り込む。
創が自身の正体を隠しているように雪菜も事情を隠している。
息が合わないちぐはぐな二人芝居。とても見せられるものではないけれど、賭ける思いは一緒。

「天原さんの事情は知らないし問うつもりもない。だから私のことも今は何も聞かないでください」

随分と都合のいいことを言っている自覚はある。
創のポーカーフェイスは僅かに崩れ、困惑の色が見え隠れしている。

「だから天原さんを利用して私はスヴィア先生を助けます。天原さんも私を利用してスヴィア先生を助け出してください。
天原創という一人の人間の価値を私は信用します」

言葉と共に差し出す右手。私は守ってもらう立場ではないという傲慢を彼に見せつける。
一瞬彼はきょとんとしていたが、口元に明確な笑みを浮かべた後、自分の手を取った。

「分かりました。僕も哀野さんを利用してスヴィア先生を救出します。
その後に僕も事情を話しますから貴女も異能を身に着けた経緯を話してください」

出会いは最悪で協力に至った過程もほぼ成り行き同然。
だがわだかまりは解け、共通の目的を得たことで再び対等な関係としてを取り合う二人。
そこに―――。

「そこの二人~!大丈夫ですか~!」

北方から届く間延びした女性の声。
創と雪菜は身構え、声のした方へと視線を移す。
そこには巫女服姿の女性と少し離れた所に猫背気味の陰気な長身の男性。
犬山はすみと月影夜帳。奇妙なカップルがこちらへと駆け寄ってきた。


「…………そうですか。まさか碓氷さんと小田巻さんが……。こちらの不手際でご迷惑をおかけしました」
「いえ、お気になさらず。こちらこそ貴重な情報をありがとうございます」

夜帳は創からもたらされた情報に顔を歪ませる。
夜帳と創。二人の情報交換はどちらもタイムリミットが存在するだけあり、提供する情報は最小限。。
情報交換の途中、雪菜に割り込まれてぼかされた『先生』とやらの存在――特に性別が気になるが、今は気にしている場合ではない。

改めて思い浮かぶのはろくでもなさそうな顔つきの碓氷誠吾と愛らしい顔つきの小田巻真理。
所詮彼らは自分の身可愛さに自分達を売るろくでもない連中だったのだ。
小田巻は愛らしい女性である故に許せそうであるが、碓氷は論外。
初遭遇の時に殺しておけばと心底後悔する。
そんな苦労を知ってか、傍らのはすみは握り締めた彼の拳を優しく解きほぐすように美しい手で撫でる。

「夜帳さん、私がいます。そんなに落ち込まないでください」

はすみの瞳には優しい色が灯っており、ささくれだった夜帳の心に再び潤いをもたらした。
その様子を創と雪菜が訝しげに――特に雪菜に至っては敵意すら見えた。
余計な警戒心を抱かせてしまったか、とちょっぴり反省。
ごほんと咳払いし、改めて創へと話を切り出す。

「天原さん、話の途中で『烏宿ひなた』さんの名前が出た時、明らかに動揺されてましたよね?」
「それは……有名人だったので驚いただけです」
「……あぁ~。確かひなたさんは山折村独自の固有種を発見したとかでその界隈では有名人ですからね~」
「なるほど。補足説明ありがとうございます」

再び見せられるはすみの色気の漂う笑顔。その笑顔が向けられているのは自分だけ、ということもあり夜帳の自尊心が満たされる。

だが、心の均衡が保たれたところで問題が解決するわけではない。
これから向かう先で特殊部隊と遭遇するリスク。
役場で手に入れた宇野の情報をもとに極上の少女を頂けリターン。しかも麗しい少女のおまけつき。
リスクも大きいが、それを上回るほどのリターン。
安全第一の夜帳に訪れる苦渋の決断。心配そうに見上げる従僕を他所に夜帳の苦悩が一層深まる。
そんな夜帳を露知らず、少年は紳士に告げる。

「僕達は先生を助けるために役場へと向かいます。犬山さんと月影さんはどうしますか?」


結局リターンの魅力に抗えず、夜帳とはすみは創達に同行することになった。
創曰く、特殊部隊と戦闘して生き残れたのは自分の異能が戦闘用かつ強力な者であったかららしい。
詳細については不明。彼の傍らにいる雪菜も信頼が足りないせいか、終始口をつぐんだままであった。

だが、それでもいい。時間をかけて彼女の心を解きほぐしていけばいずれ自ら話してくれるだろう。
幸いにも傍らにいるのは山折村でも屈指の善人、犬山はすみ。
その人柄に心を許しているものは多く、特に地獄と化したこの地において、男性に対し一層警戒心を持った少女達の心を解きほぐす存在となってくれるだろう。
それでも足りなければ強硬策を持たせているのでさして気にする必要もない。

そして傍らで番犬のように隣を歩く少年、天原創。
ベルトに差しこまれた拳銃に手に持つバール。強力な異能を持っていると申告した彼は邪魔だ。
閻魔のように阿呆でもなければ、感情の起伏が分かりやすい哉太でもない、正体の知れない少年。
だが、哉太のように心底くだらない正義感とやらがあるのだろう。
乙女の正義感は美しいと感じるが、野蛮な男の正義感など見っとも無いにもほどがある。
何とか彼を雪菜から引き剥がして彼女の血を啜りたい。
もし、行先に特殊部隊がいればその正義感とやらを煽り、相打ちに持ち込ませたいものだ。

その手段、それは傍らで歩く美女。

「―――はすみさん、お願いいたしますよ」
「―――ええ、喜んで」


スープは哀野雪菜。白い肌に巻かれた包帯が、彼女の美しさを隠すベールのよう。
情報交換のときに見せた彼女の瞳は穢されることへの嫌悪感と潔癖な心が見て取れた。
字蔵恵子を思わせる儚げな印象だが、内面は彼女と正反対。燃え上がる様な決意があった。
血の味はおそらくオマール海老のビスクスープ。ほど良い酸味が彼女の強さを際立出せるような味。
もっと彼女と交流を深めれば、その味の再現度を深められるかも知れない。

「――――ああ、楽しみだ」


”天原さん、読唇術使えますか?”

隣りを歩く雪菜の手が故意的に創の手へと当たる。
見ると、創を横目で見ながら雪菜が口を分かりやすく動かしていた。

”私は使えません。ですから一方的な会話になります。”
”月影夜帳と犬山はすみは信用できません。”

その言葉に創は頷く。彼らは地獄を潜り抜けたにしては妙な落ち着きがあり、そこに違和感があった。
渡された情報は妙にリアルで信憑性が高い。故に情報の大部分は真実であるのだろう。
だが、彼らは本当に事態収束を目指しているのか?

”月影夜帳は私のことを品定めをしているような目で見ていました。”
”犬山はすみも同様です。私個人の意見ですが……彼女は、私の母のようでした。”

女性としての視線。それは創にとっては貴重な意見だ。
創は初心な少年であるが、任務となると別人のように変わる。
例え妖艶な女性が艶やかな衣装を身に纏い、誘惑してきても躊躇いなく拘束し、情報を聞き出せるという自負がある。
任務とは関係ない一般人との交流は少なく、そういった女性の意見は非常に貴重なもの。
雪菜の意見に、心で感謝の言葉を述べる。

ふと、思い出すのは青葉遥からの手紙。彼女が唯一失敗した任務のこと。
彼女と互角に渡り合い、最強のエージェントという称号に泥をつけた所属不明の女性工作員。
そのコードネームは、「Ms.Darjeeling」

【E-5/Y路地手前/1日目・昼】

天原 創
[状態]:異能理解済、疲労(小)、記憶復活(一部?)、犬山はすみ・月影夜帳への警戒(中)
[道具]:???(青葉遥から贈られた物)、ウエストポーチ(青葉遥から贈られた物)、デザートイーグル.41マグナム(3/8)
[方針]
基本.パンデミックと、山折村の厄災を止める
1.スヴィア先生を取り戻す。
2.スヴィア先生と自分の記憶の手がかりとを得るため、役場へ向かう。
3.月影夜帳らからの情報はあまり信頼できないが、現状はそれに頼る他ない。
4.役場では特殊部隊と戦闘になるかもしれないので警戒を怠らない。
5.珠さん達のことが心配。
6.「烏宿ひなた」という感染者が気になる。
7.「Ms.Darjeeling」に警戒。
※上月みかげは記憶操作の類の異能を持っているという考察を得ています
※過去の消された記憶を取り戻しました。

哀野 雪菜
[状態]:異能理解済、強い決意、肩と腹部に銃創(異能で強引に止血)、全身にガラス片による傷(異能で強引に止血)、スカート破損、二重能力者化、月影夜帳への不快感(大)、犬山はすみへの不信感(大)
[道具]:ガラス片、バール、スヴィア・リーデンベルグの銀髪
[方針]
基本.女王感染者を探す、そして止める。
1.絶対にスヴィア先生を取り戻す、絶対に死なせない。絶対に。
2.ありがとう、そしてさよなら、叶和。
3.天原さんに全てを背負わせない。自分も背負う。
4.月影夜帳の視線が気持ち悪い。何か、品定めしているみたい……。
5.犬山はすみはまるで昔の母を見ているようで何一つ信用できない。
[備考]
※通常は異能によって自身が悪影響を受けることはありませんが、異能の出力をセーブしながら意識的に"熱傷"を傷口に与えることで強引に止血をしています。
無論荒療治であるため、繰り返すことで今後身体に悪影響を与える危険性があります。
※叶和の魂との対話の結果、噛まれた際に流し込まれていた愛原叶和の血液と適合し、本来愛原叶和の異能となるはずだった『線香花火(せんこうはなび)』を取得しました。

犬山 はすみ
[状態]:異能理解済、眷属化、価値観変化、『威圧』獲得(25%)
[道具]:医療道具、胃薬、不織布マスク、スタンガン、水筒(100%)、トートバッグ、お菓子、柳刃包丁
[方針]
基本.うさぎは守りたい。
1.夜帳さんの示した大枠の指針に従う。
2.女性生存者を探して夜帳さんに捧げる。
3.役場に向かい、安遠真実のデスクから宇野和義の住民基本台帳を探す。
4.夜帳さんに哀野さんを捧げたい。きっと恵子ちゃんみたいに幸せになれると思う。
5.天原くんの処遇は夜帳さんに任せる。
6.………………うさぎ。
[備考]
※月影夜帳の異能により彼の眷属になりました。それに伴い、異能の性質が変化したのかもしれません。
※袴田邸に書き置きを残しました。内容は後続の書き手にお任せします。少なくとも月影夜帳が不利になる情報は記述されていません。また部屋の配置も変わっています。
※天原創の異能が強力な戦闘向けの異能だと思っています。


月影 夜帳
[状態]:異能理解済、『威圧』獲得(25%)、『雷撃』獲得(75%)、高揚
[道具]:医療道具の入ったカバン、双眼鏡、不織布マスク、モデルガン、金槌
[方針]
基本.この災害から生きて帰る。
1.はすみと協力して、乙女の血を吸う
2.和義を探しリンを取り戻して、彼女の血を吸い尽くす。
3.役場に向かい、はすみに和義の現住所を探させる。
4.天原創から哀野雪菜を引き離し、彼女の血を吸い尽くす。
5.特殊部隊と遭遇した場合は天原創を身代わりにする。
[備考]
※哉太、ひなた、うさぎ、はすみの異能を把握しました。
※袴田伴次、犬山はすみを眷属としています。
※袴田伴次に異能『威圧』の50%分の血液を譲渡しています。
※犬山はすみに異能『威圧』の25%分の血液を譲渡しています。
※天原創の異能が強力な戦闘向けの異能だと思っています。

095.THE LONELY GIRLS 投下順で読む 097.司令部へ
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未来福音 天原 創 呉越同舟と、その先
哀野 雪菜
化け物屋敷 犬山 はすみ
月影 夜帳

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最終更新:2023年11月19日 10:54