同じ「女性歌劇」の劇団である、宝塚歌劇団との違いを、相違点と類似点(または共通点)としてまとめてみます。
大前提として、OSKも宝塚もそれぞれ「一興業形態に過ぎない」ということです。派生劇団も含め、どれが「正しい歌劇」ということはありません。
「宝塚とOSKの違いが分からない」「やっていることが同じ」等と言われることもしばしばありますが、両劇団には多くの違いと魅力があります。ぜひ、たくさん見比べていただきたいと思いますし、両劇団は刺激し合って、歌劇文化をより高めて欲しいと思います。
※『
ブギウギ』放送開始後、このページのアクセス数(だけ)が激増。最高は『あさイチ』(OSK潜入特集)放送当日11/30の7816アクセス/日(なお公式サイトもサーバーダウンしたとのこと)、次点が3-15(争議を巡り橘と大和の麗しい友愛が描かれた回)放送当日10/20の6952アクセス/日でした。
歴史
共通点
軍楽隊ブーム→少年少女音楽隊ブーム→少女歌劇ブームという明治末期から大正時代の一連のブームの中で、客寄せの出し物として誕生。
相違点
(※正確には、その当時の劇団名とするべきですが、分かりやすさを優先し、宝塚・OSKという呼称を用いています)
宝塚歌劇団が、一貫して阪急電鉄を親会社に、兵庫県宝塚市を本拠地としているのに対し、OSKは何度も親会社及び本拠地が変わっている。
宝塚は、三越少年音楽隊や白木屋少女音楽隊の成功を受けて、温泉地の客寄せのアトラクションとして1914年(大正3年)に誕生しました。
宝塚の成功を含む少女歌劇ブームの中、「在来の楽劇」を超え「新しい楽劇を創造」し「日本の楽劇」を興そうという壮大な理念の元、松竹が新たな事業として楽劇≒歌劇に取り組むこととなりました。宝塚のスタッフを招聘して1922年(大正11年)に誕生した「松竹楽劇部」こと、現在のOSKの方が、宝塚より8年後発なのは歴史的事実です。
しかし、OSK(正確には松竹楽劇部)の成功があって、1928年(昭和3年)に東京版の東京松竹楽劇部が生まれました。その東京松竹楽劇部(後のSKD)から、水の江瀧子という大スターが、1931年(昭和6年)に歌劇史上初の「ショートカットの男役」となるや一世を風靡し、今日まで続く男役スタイルが誕生しました。無論、宝塚(門田芦子ら)やOSK(アーサー美鈴ら)も追随します。
したがって、三越少年音楽隊・白木屋少女音楽隊の成功→宝塚の誕生・成功→松竹楽劇部(のちOSK)の誕生・成功→東京松竹楽劇部(のちSKD)の誕生→断髪の男役・男装の麗人の誕生・大ヒット→(現在へ)と、互いに影響しあって、今日まで続いているのもまた、歴史的事実であります。
女性だけの芸能なのも、短髪の男役がいるのも、今は無き少女音楽隊やSKDが発祥です。安易に「○○は宝塚/OSKのパクり」と言うのは、歌劇の歴史を踏まえれば、非常に乱暴な言い方です。
さらに後述するように、現在でもスタッフが一部共通しているのですから、「似ている部分があって当たり前」なのです。
OSKは親会社や本拠地が変わるごと、破壊と再生を繰り返しながら、力強く「新しい楽劇を創造」し続けています。
※捕足
最初期のOSKが、先行する宝塚のスタッフを招聘したのは事実ですが、「宝塚を目指して創設」は明確な誤りです。
※朝ドラ『
ブギウギ』を踏まえた補足:
ドラマ内の架空の劇団USKでは、1922年(大正11年)入団の1期生が、すでに1927年(昭和2年)時点で「短髪の男役」ですが、これはドラマ内の創作・フィクションです。
養成制度
類似点
ともに付属機関を有し、(現在は)二年制、厳しい上下関係・清掃・序列制度がある。
- OSK「OSK日本歌劇団研修所」
- 旧「松竹楽劇部生徒養成所」→「松竹音楽学校」→「日本歌劇学校」
- 宝塚「宝塚音楽学校」
(参考)
相違点
そもそもの位置付けとして、
OSK日本歌劇団研修所(日本歌劇学校を踏襲)は、「本科・研究科」の二年制で、劇団員はプロです。一方、宝塚音楽学校は劇団と一体であった歴史的背景から「予科・本科」の二年制で、劇団員は「研究科」であり、生徒と呼ばれます。一定の年数を経て、タレント契約となります。
時間割はOSKが2時間×3コマ(週5日)、宝塚が1時間30分×4~5コマ(週6日)です。
一年生の髪型にも厳格なルールがあるのは類似していますが、思考過程が異なります。OSK研修所の本科生は「早変わりの練習」という意味もあり、ハーフアップで通学し、おだんごに直し、さらにハーフアップに戻して帰宅します。一方、宝塚音楽学校の予科生は、平成以降、「崩れない髪型の練習」という意味で、『海老天』と通称される硬い三つ編みでした(※下記補足を参照)。
一年生が清掃担当なのも同様ですが、OSKは毎年の入所生数が一定では無いため、少ない期の場合、上級生も清掃をフォローしています。
厳しい規則や躾は、単なる礼儀に留まらず、狭い楽屋や舞台裏での安全や効率のための必要性(規律ある動き、整理整頓等)から設けられた点も共通です。100年誌によれば、OSKでは本科修了時に意見を聴取して見直しを図っていますが、1年間で研修生も必要性を理解し、本当に見直しをするものは少ないとのこと。
宝塚音楽学校は、原則、卒業生全員が宝塚歌劇団に入団しています。一方、OSK研修所(とかつてのSKD)は募集要項にある通り、入団試験の結果次第で可否が決まります。
※OSKの学年表記について補足:
近年(100年誌等)では、「1年次・2年次」の記載が併用されています。
※宝塚音楽学校の三つ編みについて補足:
昭和後期の写真では、太く肩下まで垂れた三つ編みです。令和2年(2020年)に、海老天の三つ編みも廃止と報道されました。
三つ編み廃止の報道は未確認ながら、令和5年(2023年)秋以降、予科生のシニヨン(お団子)姿が見られ、翌令和6年(2024年)春入学の112期生からは、入学式でもシニヨン姿でした。
スターシステム
共通点
相違点
OSKでは長らく、いわゆる「トップ娘役」「二番手男役」は固定されていませんでした。
例えば
2012年度劇団員名簿では、序列最上位の娘役は朝香さんですが、同年夏の南座公演でヒロイン:カトリーヌ役を演じたのは序列2位の牧名さんでした。前年には、朝香さんがヒロイン:浮舟役を演じています。
同様に
2019年度劇団員名簿の序列最上位の娘役は舞美さんですが、同年夏の南座公演のヒロインは5位の城月さんでした。舞美さんは、なんと外部の出演者を迎え、夜の部の座長をされていました。
このように、演目や公演形態に応じ、柔軟に配役することができ、「トップコンビ」という概念は希薄なものとなっていました。
令和3年(2021年)より、「娘役トップスター」の地位が明確化され、初代として舞美りらさん・千咲えみさんの二人が就任されました。
他方、宝塚は、本公演ではトップスターが絶対に主演(※轟理事の出演時を除く)で、トップ娘役が原則として相手役(恋人や妻等)、二番手男役がストーリー上重要な役というパターンが固定されています。梅田芸術劇場やバウホール等、他の公演ではもう少し柔軟ですが、上位の「番手」が覆ることはあまりありません。また、路線スターの前後の期にライバルを作らない「一人っ子政策」も度々あります。
OSKの豊富なアレンジも、宝塚の安定的なパターンもそれぞれの良さがありますね。
OSKでは、宝塚でいうところの「路線」の要件も曖昧です。具体的に、○○で主演・東上、○○を実施などの、いわゆる「カードを揃える」如き要件はなく、年一回更新される名簿の序列が上がっていくこと、様々な主演機会が増えること等が、スター候補生の特徴と言える程度です。
かつての序列は、成績や実績が反映され、トップスター以外は、上位でも変動することが起こり得ました。したがって、「番手」と「序列」は必ずしも一致しません。(※現在、公表される名簿は期別順)
また宝塚と異なり、OSKは(現在は)組制度がなく、単独のカンパニーです。つまり、トップスター及びそれに次ぐトップ候補を一人ずつしか作れません。そこで、トップ候補ではない別格スターが小規模公演の主演をする他、『
春のおどり』等メイン公演でも、単独又は複数名で場面の中心になっており、宝塚より遥かに別格スターの活躍の余地が大きいことも特徴です。
メイン公演のポスターでも、トップ候補の中堅~上位スターだけでなく、上級生の別格スターが掲載されることが多いです。
このようにOSKと宝塚では、スターシステムの構造・運用が異なります。
公演システム等
類似点
(現在は)特になし。
相違点
宝塚は各組が、宝塚大劇場・東京宝塚劇場という専属劇場での「本公演」をメインに、本公演と本公演の間に、宝塚バウホール、大阪・東京・神奈川の主要劇場や全国ツアーでの公演を組んでいます。また、中日劇場(名古屋)、博多座(福岡)での中規模公演も、劇団全体で年1回定例化しています。
OSKは、現在は、春の松竹座「
春のおどり」公演と10月頃の「
たけふ菊人形」公演以外は、固定されたパターンがありません。
1967年(昭和42年)に大阪劇場の興業打ち切り以降、1987年(昭和62年)に近鉄劇場での公演を再開するまでの間、大都市中心部での公演がありませんでした。年に1度の近鉄劇場公演と、年2~4回程度のあやめ池公演、そして全国各地の旅館・温泉などでのショーや外部出演が複雑に組み合わさっていました。
一時解散後、2004年(平成16年)に松竹座「春のおどり」公演復活後は、「大阪のレビュー劇団」としてのアイデンティティを意識してか、大阪中心部での公演が多くなっています。
松竹座以外で、大阪中心部において複数回公演を行っているのは「近鉄アート館」「大阪府立男女共同参画・青少年センター(ドーンセンター)」「ABCホール」「心斎橋PARCO・SPACE 14(旧大丸心斎橋劇場)」があります。
また、京都「南座」、東京「新橋演舞場」「三越劇場」「博品館劇場」での公演があります。過去には東京の「日本青年館」「日生劇場」でも公演実績があります。
コロナ禍の2020年(令和2年)夏、大阪中心部に「OSK Revue Cafè in Brooklyn Parlor」が開場し、いち早く配信体制を作り、その後も小規模ながら常打ち専用スペースとして運営しています。
宝塚の大劇場・東宝劇場の2000人規模ではなく、松竹座や南座でも1000人台のキャパシティですので、客席との距離感や花道の位置も異なります。したがってレビューの構成や制作者側の着意も全く異なるものになります。
規模
類似点
(現在は)特になし。
相違点
宝塚は、一組あたり約80名で、全員が本公演に出演する。ただし「その他大勢」の方は、出演場面が著しく少なく、上級生でも台詞が数個ということもある。さらに下級生では、技量や肥満等が原因で、本公演以外の作品への出演機会が無い方もいる。
OSKは松竹系列劇場での公演で約40名、たけふ菊人形で約20名弱、その他の劇場公演で約10名強、角座・Brooklyn Parlorやイベントでは約3~5名です。
したがって、「その他大勢」になることはできず、ステージの規模と役目に応じた技量が、常に求められます。入団早々から役が付くチャンスや、小規模公演の座長・主演として中堅~別格スターの活躍の場が開かれている一方、残念ながら、出演機会が著しく少ない方もいらっしゃいます。
また、宝塚のような人海戦術は取れないため、早変わりが活用されています。平成19年(2007年)に結成されたチェリーガールズは、「機動性の高いユニット」として、見事な早変わりを得意としていました。
大勢の中で頭角を現さねばならない宝塚、常に観客の視線を受けるOSK、それぞれの厳しさ・やり甲斐があります。
娘役の扱い
類似点
特になし。
相違点
宝塚では、娘役は「男役スターの相手役」であり、引き立て役として「かすみ草」に例えられることも多いです。スターシステム確立以降は、娘役が(ヒロインではなく)主演となることは、ほぼありません。退団前に人気のあるトップ娘役等が、バウ主演をする位で、本公演での娘役主演は長く途絶えています。女性が主役の作品でも、『エリザベート』のように改作されたり、『風と共に去りぬ(スカーレット編)』のように男役が主演になったりします。
OSKでは、娘役のみの場面もあります。娘役が群舞のセンターとなり、男役を率いることもあります。序列(令和3年以降非公表)が男役娘役混合であるため、娘役が座長≒主演になることも珍しくありません。
メイン公演でのポスターの扱いを見ても、(男役の)トップスターを中心に男役と娘役が対になる配置が多くなっています。また、いわゆる「トップコンビ」としての配置もほとんどありません。
しかし、宝塚との最大の違いは、娘役の「旬の時期」「活躍期間の長さ」です。
宝塚では、トップ娘役の候補者は早期に抜擢され、入団3~7年程度でトップ就任、入団5~10年程度で退団となってしまう。例えば入団10年で退団した南風まいさん(元星組)のように、『戦争と平和』で大劇場で実質的な主演をするのが退団の餞になってしまう。また3~7年程度でトップ就任できなければ、上級生での就任はまずあり得ないため、活躍の場が減るよりは、潔く退団する方も多い。
OSKでは、平成2年に入団した湖上芽映さんのように多くの先輩娘役スターを飛び越して近鉄劇場ヒロインを務め、入団8年で退団するような例は稀です。
過去も今も上位の娘役たちは、入団10年前後の方が多いです。
かつて『シンデレラの階段』というドキュメンタリーで、密着取材を受けた初々しい本科生が若木志帆さん、生駒山の野外公演や入団試験に向き合う美貌の研究科生が北原沙織さんでした。…取材から16年後の一時解散時、娘役序列2位(全体3位)の若木さんと4位(同6位)の北原さん、お二人がOSK存続の会に残留し、再出発したOSKを牽引し、ともに在団約18年で退団されたことを思うと、感動的なものがあります。
OSKの娘役は活躍期間が長く、男役を引き立てるだけでなく、力強くしなやかに、少女から成熟した大人の女性まで、芸の力で自在に表現できるのが魅力です。
令和3年より、「娘役トップスター」(※男役の相手役に過ぎない「トップ娘役」ではない)の地位が明確化され、さらなる活躍に期待大です。
ラインダンスの扱い
共通点
ショーの演目で、必ず実施する定番演目。
相違点
宝塚歌劇団では、毎春の初舞台生によるラインダンスが恒例。通常公演では、有望なスター候補生(いわゆる路線)は、早々に出演しなくなります。
一方、OSKではスター候補生の登竜門であり、センターで誰よりも脚を上げて踊ることが求められています。若手男役が「ロケットボーイ」を務めることも珍しくありません。OSKはこのラインダンスにおける脚あげ速度・回数を誇りにしています。
一時解散から復活した平成16年(2004年)『第1回 春のおどり』では、研修生含め30名強しかいない事情もあり、若手だけでなくスター級の団員やベテランも総出でラインダンスを披露しました。
チェリーガールズ初代リーダーの春咲さん曰く「脚上げてナンボ」。そして100年誌では「OSKのすべての基本であり、アイデンティティであり、誇りでもある」と記述されています。
90年誌によれば、OSKラインダンスの「パターン」は、近鉄時代の制作スタッフである野尻憲司(一時解散後も研修所職員、2004年逝去)が確立させ、それぞれの振付家がそのパターンを守りつつ振付を創りあげているとのこと。体格差がある中、あらかじめ角度等を決めるのでは無く、全員が全力で踊ることで揃えるため、体力的に2分半~3分未満が限界とされています。
小規模ながらリズミカルな弾み・速度のOSKと、大人数で入れ替わり立ち替わり5分近く踊る宝塚、それぞれのパターンや良さがあります。
日本物の扱い
共通点
『
春のおどり』『
秋のおどり』(※宝塚は、『をどり/踊り』表記が混在)を中心に、日舞を西洋音楽で踊るショーを上演する、女性歌劇独特の演目。
両劇団とも減少傾向にある一方、和化粧や日舞要素が少ない「和風ミュージカル」は増加傾向。
相違点
宝塚の、特に日舞レビューの減少傾向は顕著だが、OSKは、旧近鉄劇場や
松竹系大劇場でのメイン公演でも多く上演している。
以下に、OSKは松竹系列の1000人規模での劇場又は近鉄劇場、宝塚は本公演を対象とし、ショー(レビュー)と芝居(ミュージカル)に区分して比較します。
ご覧の通り、『春のおどり』復活以降、OSKはほぼ毎年、日本物レビューを上演しており、宝塚歌劇団とは明確な違いが生じています。
OSKは平成29年(2017年)12月から、道頓堀角座→心斎橋角座にて、外国人向けノンバーバルショー『REVUE JAPAN』の常打ち公演を実施し(※日本人も観劇可能)、コロナ禍での中断を経て、2023年(令和5年)に再開しています。小規模かつ劇場の条件上制約も多い中、本格的な日本物レビューとなっています。この他に、中小劇場で、郷土史を題材とした和風ミュージカルにも、多く取り組んでいます。
かつて松竹を親会社としていた時期に、歌舞伎と合同公演を行ったことがあります。
また、OSKは歴史上、必ずしも格式ある劇場での公演だけでなく、旅館や(80年代にブームだった)地方博覧会等のショー、そして有名歌手公演の応援出演を引き受けてきました。また、
たけふ菊人形公演では、長年、菊人形の主題(大河ドラマ、地域史)に沿った「和」の演目を披露してきました。こうした場所で好まれる「日本らしいもの」に加え、劇団員がOSKの誇りを持って「芸の品格」を、ともに真摯に受け継いできた結果、今日、ステージの大小・格式を問わずOSKは日本物に強みがあるのだと言えましょう。
なお、宝塚は、平成15年(2003年)月組『花の宝塚風土記』のサブタイトルを最後に『春の踊り』の、平成22年(2010年)星組『花の宝塚絵巻』のサブタイトルを最後に『秋の踊り』の、それぞれ名称自体を使用していません。
年度 |
OSK |
宝塚 |
昭和62 |
夢見桜ラプソディ |
|
雪組:宝塚をどり讃歌 |
星組:紫子 |
63 |
|
|
花組:宝塚をどり讃歌88' |
花組:春ふたたび、雪組:たまゆらの記、月組:恋と汽笛と銀時計 |
平成元 |
|
相生橋夢物語 |
星組:春の踊り |
月組:新源氏物語 |
2 |
|
|
|
雪組:天守に花匂いたつ、月組:川霧の橋 |
3 |
|
大津皇子 |
雪組:花幻抄 |
|
4 |
|
|
|
雪組:この恋は雲の涯まで、雪組:忠臣蔵 |
5 |
|
|
星組:宝寿頌、月組:花扇抄 |
|
6 |
|
天上の虹 |
|
星組:若き日の唄は忘れじ、雪組:雪之丞変化 |
7 |
|
|
|
雪組:あかねさす紫の花 |
8 |
|
|
花組:花は花なり |
|
9 |
|
|
|
星組:誠の群像、雪組:春櫻賦 |
10 |
|
|
|
雪組:浅茅が宿 |
11 |
|
|
|
|
12 |
|
|
|
花組:源氏物語 あさきゆめみし |
13 |
|
|
月組:いますみれ花咲く |
星組:花の業平 |
14 |
|
|
|
|
15 |
春のおどり 夢燦々 |
|
月組:花の宝塚風土記 |
花組:野風の笛 |
16 |
春:桜咲く国、秋:なにわ祭りファンタジー |
|
花組:飛翔無限 |
雪組:スサノオ、月組:飛鳥夕映え |
17 |
春:平安☆レジェンド |
|
|
星組:長崎しぐれ坂 |
18 |
春:義経桜絵巻、秋:なにわ祭り抄 踊る道頓堀 |
|
|
宙組:維新回天・龍馬伝! |
19 |
春:桜・舞・橋、レ:源氏千年夢絵巻 ~ロマンス~(南座) |
|
星組:さくら |
|
20 |
春:お祝い道中、レ:源氏千年夢絵巻 ~輪舞曲~(南座) |
|
|
月組:夢の浮橋 |
21 |
レ:桜颱風 真夏の京も桜満開(南座) |
|
雪組:風の錦絵 |
|
22 |
レ:みやこ浪漫 RYOMA(南座) |
|
星組:花の宝塚絵巻 |
|
23 |
春:さくら桜サクラ、虹:安土ロマネスク(南座) |
|
|
|
24 |
春:桜舞う九重に |
|
|
雪組:JIN |
25 |
春:桜絵草子(日生+松竹座) |
|
星組:宝塚ジャポニズム |
|
26 |
春:桜花抄(+夏:新橋) |
|
月組:宝塚をどり |
雪組:一夢庵風流記 前田慶次 |
27 |
春:浪花今昔門出賑 |
|
|
雪組:星逢一夜、花組:新源氏物語 |
28 |
春:花の夢 恋は満開(+夏:新橋) |
|
花組:雪華抄 |
|
29 |
春:桜鏡 ~夢幻義経譚~(+夏:新橋) |
|
|
雪組:幕末太陽傳 |
30 |
春:桜ごよみ 夢草子(+夏:新橋) |
|
宙組:白鷺の城 |
星組:ANOTHER WORLD |
31 |
春:春爛漫桐生祝祭(+新橋) |
|
|
月組:夢現無双、雪組:壬生義士伝 |
令和2 |
春:ツクヨミ(+新橋)、サ:陰陽師(南座) |
|
月組:WELCOME TO TAKARAZUKA |
月組:桜嵐記 |
3 |
春:ツクヨミ(+新橋) |
|
|
月組:桜嵐記、星組:柳生忍法帖 |
4 |
春:光(+新橋)、レ:陰陽師(南座) |
|
|
雪組:夢介千両みやげ |
5 |
|
|
|
月組:応天の門、花組:鴛鴦歌合戦 |
6 |
春:春楊桜錦絵(+夏:新橋) |
|
宙組:宝塚110年恋のうた |
|
7 |
|
|
宙組:宝塚110年恋のうた |
|
【凡例】
春・夏・秋・虹:春のおどり、
夏のおどり、秋のおどり、
虹のおどり
レ:
レビュー in KYOTO
サ:OSK SUMMER SPECIAL
新橋:新橋演舞場
日生:日生劇場
+:松竹座公演以降の続演。
特記なければ松竹座公演を指す。
※鬘や衣装、メイク、設定等が伝統的な日本物様式ではない作品は除外しています。近年増加傾向にある「和風ミュージカル」として、OSK『魔剣士』『闇の貴公子』『新・闇の貴公子』『桜彦翔る!』『海神別荘』、宝塚『MAHOROBA』『るろうに剣心』『NOBUNAGA』『桜華に舞え』『邪馬台国の風』『MESSIAH』『元禄バロックロック』など。
衣装について
類似点
着回しも見所のひとつで、過去の公演で○○さんが着ていた衣装、リフォーム等を探して楽しむ。
数十年近く着回されることも珍しくない。
相違点
宝塚は、宝塚衣装部こと「(株)宝塚舞台 衣装課」が担当している。トップスター・トップ娘役は新調が多い。特に、任田幾英や有村淳がデザイナーとして著名であり、近年では加藤真美のデザインも注目されている。特に21世紀以降、流行の色彩や、凝った素材・デザインを取り入れ、衣装だけの展示会が成立したり、また宝塚ホテル(阪急系列)では常設スペースもあるほどです。
OSKは、近鉄傘下時代に衣装(と音源)を保有していた「(株)近鉄レジャーサービス」より引き継いでいます。
この他、大阪市
TOP MODE JAPAN(村山明子)による製作→納入や、「(株)東京衣装」からのレンタルがあります。TOP MODE JAPANは、100周年を機に新調された桜パラソルのデザイン・制作も担当しています(
参考)。
ポスター等を見比べる限り、トップスターも含めて、衣装の着回しの頻度は、宝塚とは比べ物にならない位多いのが現実です。しかし、OSKは同じ衣装でも、演出や振付により、似た場面にならないところが、素晴らしいです。
OSKは着回しの多さに対応すべく、シンプルなデザインが多く、OSKの魅力であるダンスを際立たせています。
身長について
共通点
男役の方が背が高く、娘役の方が背が低い。
研修所又は音楽学校で、本人の希望に加え、概ね身長によって男役・娘役の別が決まる(実際には、極端に標準的な身長からかけ離れて希望をしても、役柄や相手役が限られることになるため、身長はやはり無視できない要素である)。
どちらの劇団も、身長はあくまで「夢の舞台上の数値」であることに留意が必要。また、同性同士の芸能である特性上、ペア・コンビを組む相手とのバランスが重要なのも、同様である。
相違点
宝塚では『宝塚おとめ』に、公称身長が掲載されている。
- 1980年代頃:男役165cm~、娘役154cm~
- 2000年代頃:男役167cm~、娘役156cm~164cm
日本人女性の平均身長の上昇もあって、宝塚の公称身長の下限(娘役は上限も)、上昇傾向にあった。ただし、サバを読む方も少なくなく、例えば紫城るいさんは、男役時代は167cm、娘役転向後は165cmに変わった。仙堂花歩さんも在団中は158cmだったが、退団後は154cmになった。他方、愛希れいかさんは、男役から娘役転向後も変わらず167cmだった(トップ娘役としては歴代最高値)。
なお宝塚では、入団後に男役→娘役転向する例は枚挙に暇が無いが、その逆はない。
OSKでは復活後の『
OSK FACE』に
身長の記載は無い。宝塚と異なり、娘役→男役への転向も容認されるため、小柄な男役スターもいる。また、研修所には以前は「身長158cm以上」の出願要件があったが、実際にはそれに満たない方も入所・入団し、娘役としてソロ場面など大活躍していた。
このようにOSKでは実質的に身長の概念が無く、宝塚以上にそれぞれの適性が重視されている。身長・体格差は、各々が全力で踊ることで克服される(ラインダンスの節を参照)。
ただし、長身が魅力の男役スターの場合、報道などで「身長17Xcmの恵まれたスタイル」等と記載されることもある。
フィナーレ(パレード)
共通点
出演者が全員登場し、最後がトップスター。余韻を残しつつ、華やかに幕が下りる。OSK、宝塚双方に、それぞれ100年余りかけて築いたスタイルがある。
相違点
OSKでは、概ね番手・序列順に登場し、一旦幕が下りた後、アンコールで『桜咲く国』の合唱・傘回しが行われます。
ただし、本来、春公演のテーマ曲だった『桜咲く国』がOSKで恒例化したのは、近鉄傘下を離れて以降です。一時解散に伴い、「存続の会」及び「NewOSK日本歌劇団」が、旧OSKの正統な後継者であることを内外に示す意義がありました。
近鉄時代まではOSKの各種テーマ曲が、公演テーマ曲と区別されて歌われることもありました。
宝塚では、幕開けのエトワールの歌唱の後、番手順にスターが登場し(ポスター、プログラム、おとめ掲載順と異なる)て大階段を歌いながら降りて、客席に一礼します。この順番や、特に二番手の羽のサイズは『路線』を可視化したものとして、重要な意味を持ちます。
そして、暗転の中トップスターは円形の大羽根(ナイアガラ付)を背負って登場し、独唱、客席に一礼した後、銀橋を渡ってさらに客席に挨拶。出演者同士で挨拶を交わし、舞台に戻って幕。
羽の大きさは1970年代以降巨大化し、2000年代以降は現在のサイズと格が定着しました。かつては一本物の芝居(ミュージカル)では、トップスター含め、役柄又はそれをイメージした衣装(羽無し)での登場が一般的でしたが、2010年代以降は、トップスター・トップ娘役・2番手男役のみフィナーレ衣装(大羽根あり)も珍しくなくなりました。
宝塚ではアンコールは特殊な場合(初日、千秋楽、イベント時)しかありません。また、全員がシャンシャンと呼ばれる公演テーマをイメージした小道具を保持しています。
さて、OSKでは、宝塚におけるエトワールも、大階段も、大羽根も、シャンシャンも、有ったり無かったりします。100周年記念『春のおどり』では階段のない平場で、かつ羽根のないシンプルな衣装であり、100周年の節目に、さらに新しい歌劇文化を創る意欲を感じさせる、素晴らしいフィナーレでした(もちろん『桜咲く国』あり)。さらに2024年(令和6年)『春のおどり』は、花道を活かした演出で、これまでに無い斬新なスタイルでした。
階段や羽根そのものは、欧米のレビュー文化の影響ですが、それを巨大化させたのは宝塚歌劇団の文化です。なので、いくらスタッフが共通しているとは言え、OSKで「露骨に宝塚っぽい」演出だと、がっかりしてしまいます。
OSKの自由度の高さ、宝塚の様式美、どちらもそれぞれの劇団の文化として、大切にして欲しいと思います。
劇団員の呼称
類似点
特になし。
- OSK「劇団員」「技芸員」
- 宝塚「(研究科)生徒」「タカラジェンヌ」「(○組の)組子」
(参考)
相違点
宝塚歌劇団は、劇団と音楽学校が一体であった名残から劇団員のことを「生徒」と呼びます。かつて真琴つばささん退団写真集のタイトルの意図として、「(宝塚は)プロでもアマチュアでも無い」とおっしゃっていたように、宝塚の良くも悪くもセミプロな面を象徴しています(だからこそ巧いスターが際立ち、若手を応援したくなるのが魅力でもありますね)。
そして創設者小林一三の発案によるパリジェンヌを捩った造語「タカラジェンヌ」、さらに略して「ジェンヌ」は、宝塚歌劇団員の愛称でありお洒落な令嬢イメージとして、社会で広く認知されています。
一方OSKでは、かつての劇団員の正式名称「技芸員」があります。近鉄時代まで用いられた呼称で、「技芸員補」として入団した後昇進することができました(SKDでも類似の幹部制度がありました)。今日では、あまり用いられていません。
OSK劇団員のことを「生徒」と呼ぶのは、明確な誤りです。
象徴する花、歌
類似点
両劇団とも、団歌以外に劇団を象徴する歌があり、それに由来した花がシンボル。
- OSK日本歌劇団『桜咲く国』→桜
- 宝塚歌劇団『すみれの花咲く頃』→すみれ
相違点
『桜咲く国』は、もともと「第5回春のおどり」のテーマソングで
昭和5年(1930年)3月に発表された、オリジナル曲です。
OSKだけでなく、SKDでも歌われ、松竹系女性歌劇を象徴する歌です。
(OSKとSKDで僅かに音、歌詞が異なります)
『男はつらいよ わが道を行く』では、浅草の国際劇場でSKDを観た主人公:寅さんが帰路、楽しそうに口ずさむ場面があります。
また近鉄バファローズ応援歌(出塁時のテーマ)としても長年親しまれてきました。
最近だと『舞妓さんちのまかない』で、舞妓さんが口ずさむシーンがあります(OSKは南座公演や、舞妓・芸妓さんとの共演があります)。
アスファルトやシャンデリア、と外来語が用いられ、当時のモダンで煌びやかな大阪の雰囲気に加え、桜舞う春の幻想的な情景の中、淡い恋や青春を讃える、素晴らしい歌です。なお、現在のアレンジは近鉄時代後期のものです。
一方、昭和5年(1930年)8月、宝塚の『パリゼット』劇中で『すみれの花咲く頃』が登場。
昭和3年(1928年)にドイツのレビューで発表され、欧州で広くカバーされたヒット曲をいち早く、欧州遊学中の白井鋳造が翻訳して輸入したものです。
原題は『再び白いライラックが咲いたら』で、白井が影響を受けたのはフランス語版『リラの花咲く頃』。過ぎ去った恋を歌う、少し切ない、でも清々しくロマンチックな歌です。
阪急グループを象徴する歌として、阪急百貨店でも用いられています。
正装
共通点
正装として袴姿がある。
- OSK:色紋付(紫ぼかし、ピンク※)又は黒紋付(※)に緑の袴
- 宝塚:黒紋付(家紋はそれぞれ、舞台衣装としては竪琴マーク)に緑の袴
※黒紋付(五つ紋)。家紋ではなく、丸に桜マーク。
※紫ぼかし:色留袖(五つ紋)。袖の下部は、流水に桜模様。家紋ではなく、丸に桜マーク。
※ピンク:色無地(一つ紋)。
(参考)
- SKD:赤紋付に紺袴
- ハウステンボス歌劇団:薄紫紋付(薔薇マーク五つ紋)に紺袴(刺繍デザイン)
相違点
歴史の長さ、導入経緯が異なります。
大正~昭和前期までの草創期には、洋装の方がモダンで洗練されたイメージであり、OSKやSKDはこの系統でした。
逆に宝塚は、第1期生が着用した様子が質素で「生徒」らしく、創設者小林一三の目に留まって、1920年代には正式な服装とされました。宝塚の創設理念の一つは、(水商売と異なり)女性に芸事や教養の教育を施すことであり、袴姿の持つ教師・学生の純朴で貞淑かつ健全なイメージが重要でした。
日中戦争~WW2が激化し、ナショナリズムが高揚する中、1930年代後半からOSKやSKDも和服着用が増え始めます。『50年のあゆみ』では、華美を禁ずる国策・世相の中、1939年(昭和14年)10月にOSSK(当時)は、三つ紋の黒紋付と緑袴を「日本物の制服とした」とされます。
さらに、和装が日常着の地位を喪失した昭和中期以降、宝塚の古風なクラシカルスタイルが新鮮に受け止められるようになりました。1950年代に至り、OSK、SKDとも袴姿を制服の一つに採用するようになります。
宝塚では今日、宝塚音楽学校でのすみれ売り、音楽学校卒業式→宝塚歌劇団入団の口上や退団挨拶といった節目、毎年の拝賀式、(トップスターによる)新年の口上や鏡開き、毎年更新の『宝塚おとめ』のプロフィール写真に、『歌劇』の新年や退団ポートレート、さらには周年記念の集合写真等、草創期からの「劇団の象徴」として着用の機会や露出が非常に多いです。黒紋付の正装だけでなく、小紋~振袖の柄物を着用することも多いです。
一方、OSKでは研修所卒業式では着用するものの、他は固定の機会は宝塚ほど多くありません。製作発表で袴姿で勢揃いしたり、
OSK FACEでも袴姿の写真の掲載があります。一時解散前後に、劇団員が袴姿で署名活動に奔走していた姿も、忘れ難い記憶です。
宝塚では黒紋付が全員の正装である一方、OSKでは序列により着用する色が異なります。
- 黒紋付:トップスター、ベテラン
- 紫ぼかし:トップスター、上位スター、ベテラン
- ピンク:全員着用可能
厳密な区分ではなく、あくまで多数名が集合する場合に、スターが際立つように色で区別されています。トップスターがピンクを着ることもあります。家紋ではなく、現在の桜マークに統一されたのは1980年代後半頃です。なお、柄物を着用することは、ほとんどありません。
また、旧日本歌劇学校の卒業式では、卒業する研究科生は黒紋付(家紋)で、髪飾りは白や赤のリボンや花、フェザーなどを思い思いに付けていました。
退団イベント
共通点
公式には両劇団とも「退団」を用いるが、花嫁学校の名残から「卒業」とも呼称され、白を基調とした衣装や花を身に着ける。また、退団公演では、花を持たせる場面が用意される。
様々な事情で、公演時以外の時期(OSKは月末、宝塚は公演の稽古集合日が多い)に退団することもあり、この場合は、観客への挨拶の機会は無い。
参考:衣装デザインTOP MODE ブログ記事より、OSK退団者の楽屋用品の詳細
相違点
OSKの場合、近鉄傘下を離れて以降、現在では公演パターンが固定できていないため、特定のパターンや様式はありません。
また退団公演後でも、余韻に浸る暇なく、退団付日までは公演以外の活動(感謝の集い、桜まつり、表敬訪問等)に参加することもあります。
主演~別格スタークラスでは、
松竹系大劇場公演後に「さよならショー」「ラストソング」の機会や、別途これに相当する公演(リサイタル、コンサートなどの場合あり)が行われます。また、大阪中心部の常設スペース開設以降、「フェアウェル・パーティー」として、中核スター以外でもその退団者をメインとした小公演が催されるようになりました。平成22年(2010年)頃の公式ブログ開設以降は、退団に際し、思い思いのメッセージを掲載することができます。
OSKの伝統的な別れの歌曲も存在します(歌い出し:またそのうちに、お目にかかりましょう)が、来歴は不詳となっています。
なお、歴史的経緯から袴姿は宝塚ほど重視されておらず、最後の挨拶や写真も、思い思いの衣装(黒紋付、色紋付、黒燕尾、白系のドレス等)です。
宝塚の場合、入団5年目(研5)以上だと本公演終演後に袴姿で大階段の中央を降り、挨拶する資格があります。ただし有償だとされており、トップスター退団時の同時退団が多いのは、この費用の多く(又は全て)をトップスター側が負担するからとも言われます(トップスターの場合、退団DVD・生中継等で劇団にも収益が入ります)。私設ファンクラブでは、退団に備えた積立やカンパが行われることもあります。
この大階段での挨拶では、トップスターのみが唯一、袴姿以外の衣装を着用することができ、その先駆けが大地真央さんです(1985年退団)。以来、黒燕尾、白燕尾、はたまた思い出の衣装で退団したトップスターは枚挙に暇がありません。
退団公演の稽古最終日には、退団者に花が贈られます。千秋楽には、本人の楽屋入りの衣服、楽屋の化粧前が白を基調として飾られます。舞台では、退団者はショーで生花(ブートニア)をあしらい、スターで無くとも目立つパートが与えられます。スターが退団者(や観劇している婚約者)をアドリブでイジり、祝意を込めて盛り上げることも。一旦幕が下りた後、組長が退団者を紹介(近年は映像投影もあり)した後、退団者が現れます。スターでは無い、大多数のジェンヌにとって、大階段の中央を独りで降り、スポットライトを中央で浴びるのは最初で最後になります。「同期」と「組」から「退団ブーケ」と呼ばれる二分割された特殊な花束を受け取り、挨拶をします。最後にトップスター始め全員で「すみれの花咲く頃」「フォーエバー・タカラヅカ」「さよならタカラヅカ」等を歌唱して幕となります。
退団者は袴姿のまま楽屋を出、揃いの白い服を着た家族や友人、そしてファンの出迎えを受けます。その後、レストランやホテルの式場で、「フェアウェルパーティー」が行われます。
このように宝塚では様式化された大規模なセレモニーイベントであり、「歌舞伎は襲名披露で、宝塚は退団公演で稼ぐ」と言われる程です。退団ブーケ等の専門生花店として、らんすいえん(宝塚市)が著名です。
バウ公演や別箱・地方公演で、大きな役を貰った際や、地方公演で故郷に錦を飾った際に辞める方もいます。この際も生花を付けたり、千秋楽のみ別演出、ひと言挨拶等の配慮を受けることもありますが、確約されたものではありません。集合日付退団の場合も、白い衣装でファンの出迎えを受けた方もいます。
スターは機関誌に特集記事が組まれます。スター以外も、ベテランは『歌劇』に黒紋付袴のポートレートが掲載され、また同誌には退団挨拶が入団年数を問わず掲載されます。
かつては、宝塚は「結婚(=婚約者あり)」「結婚準備(=婚約者なし、予定なし)」の二種類の退団理由しかなく、少なくとも2000年代までは結婚を想起させる「お幸せに」と言うメッセージも、ファンから贈られていました。
なお、両劇団とも複雑な事情を想起させる、不自然な退団(挨拶なし)の方もいます。いかなるご事情にせよ、青春を捧げた劇団での最後の瞬間が、幸せなものであることを願っています。
同窓会
共通点
それぞれ同窓会を有し、OG同士の交流や、現役団員の支援をしている。
- OSK日本歌劇団『忘れな草会』『OG桜の会』
- 宝塚歌劇団『宝友会』
相違点
規模が違います。
創設以来の宝塚歌劇団員の総数が数千名を数えるのに比し、OSKは元々小規模かつ、近鉄時代以降は
OSK日本歌劇団研修所にもまとめた通り、毎年の入団者が一桁の年がほとんどです。
しかしながら、劇団公式HPでは時折、OGの出資で都内の駅に『春のおどり』ポスター掲出や、OGから差し入れを頂いたことが、公表されています。
劇団創設90周年時には、多数のOGが集めたイベントが開催され、現役生とともに記念撮影をなさっています。
私設ファンクラブ等による応援
類似点
私設ファンクラブ(いわゆる会)があり、トークイベント(いわゆるお茶会)や観劇会(いわゆる総見)を実施している。
相違点
宝塚の私設ファンクラブは、劇団非公認で、ファンリーダーが勝手にやってるもの(という建前)ですが、OSKは楊さんのファンクラブHPがあるところからも、ある程度公認されているようです。
宝塚に比し、ファンクラブの活動規模も小さく、退団公演でもない限り、大規模な入り出待ちもなく、観劇時に目立つようなことはありません。OSKは、宝塚が花の受け入れを辞退して以降も、公演時に贈られた花を劇場ロビー等に飾っており、その中にはファンクラブの方から贈られたものもありました。
宝塚歌劇団では、(ポストカード・ブロマイド等の公式個人グッズ売り上げ、手紙の数、入出待ち人数等が人気の指標になると信じられているものの)、給与システムも含めてこのような明確な事情が公表されたことはありません。宝塚が「街やシステムも含めた全てが夢の国」なら、OSKは「現実世界にある夢の舞台」と言えましょう。
宝塚の私設FCの、揃いの服を着て整列して楽屋待ち、集団での拍手等の「観劇のお作法」は独特ですが、ファン仲間との交流が楽しいのだと思います。そうした活動がゆるい(あるいは無い)OSKも、また純粋に舞台だけを楽しめるので、それぞれの良さがあります。
公式ファンクラブ、後援会
共通点
公式ファンクラブ「宝塚友の会」「桜の会」を有する。
相違点
宝塚は、もともと(1950年代以前)は、バレエ等の経験者を1年制で音楽学校に入学させていました。高度成長期前ですから、バレエや日舞等の芸事をできるのは、かなり裕福な家庭の令嬢に限定されます。こうした人脈もあって、社会的に地位のある男性ファンによる「愛宝会」があります。愛宝会は劇団員への表彰を行っており、劇団公認の存在です。長らく、政治家の櫻内義雄氏(衆議院議長ほか)が会長を務め、現在の会長は倉林公夫氏(株式会社FS総合研究所 代表取締役 社長)です。
こうした劇団外でのバックアップ体制・ネットワークが、1974年のベルばらブームを機に、1980年代~90年代にかけて東京通年公演体制の確立(東京宝塚劇場の専用化、代替公演用地の確保)、放送チャンネルの開局など、日本全国及び海外への発信力を高めていく足掛かりとなったのは疑いの余地はありません。
他、阪急電鉄グループ内の宝塚後援会として「阪急すみれ会」もあり、表彰を行っています。
一方のOSKは、芸に邁進するストイックさから、戦後のレビュー黄金時代にも部外のスポンサー(パトロン)と積極的にかかわってきませんでした。このことは90年史p.133でも触れらています。
遅まきながら、「大阪商工会議」や公益財団法人「関西大阪21世紀協会」等から後援を受けるようになりました。
劇団創設90周年の2012年(平成24年)には「OSK日本歌劇団支援委員会」が設立され、在阪経済人が参画されています。同年から始まった学生への「訪問ダンス授業」のスポンサーは「象印マホービン」(本社:大阪府大阪市)ですし、公演スポンサーに「ユーハ味覚糖」や「牛乳石鹸共進社」(いずれも本社:大阪府大阪市)がついたこともあります。
着実に、在阪企業から支援・支持を受け、大阪の劇団としての地位を盤石にしつつあります。
なお、2017年(平成25年)には「岡山OSK日本歌劇団後援会」も立ち上げられています。
派生劇団等
共通点
特になし。
相違点
OSKの前身である、松竹楽劇部の東京版が、東京松竹楽劇部で、のちの松竹歌劇団(SKD)です。SKDは多数の有名女優を輩出しました。
1960年代~1996年まで存在した、那須ロイヤルダンシングチームのショーにも、振付の大谷盛雄・奥山賀津子ら、音楽の中川昌ら、OSKおなじみの先生方が多数参加されています。資料が少ないのですが、写真を見る限り、当時のOSKによく似ています。
その後、親会社であった近畿日本鉄道(近鉄)の支援打ちきり後、劇団員は複数の団体に分かれました。うち、最終的にOGの1/3が参加した『存続の会』が、結果的に劇団の正統な後継団体として合意し、今日のOSKとして存続しています。
和倉温泉加賀屋専属の『雪月花歌劇団』は、この一時解散時にOGがかなり移籍し、その後は公演ごとにオーディションをしているようですが、こちらも15年余りにわたって継続しています。OSKでお馴染みの、演出家北林佐和子らが参加されています。残念ながらコロナ禍で活動を長期休止中です。
元トップ那月峻主宰の『歌劇ビジュー』は兵庫県を中心にスター級のOGが出演し、敬天(あつたか:恋香うつる)が脚本や演出を手掛けていました。平成26年(2014年)に敬天氏が逝去し、平成28年(2016年)1月の公演を最後に、舞台公演が途絶えています。
そして、『ハウステンボス歌劇団』に、『雪月花歌劇団』から複数のOSK OGが移籍し、活躍されています。なにより、発足当初は、OSKの楽曲が多数使われていました。ただし、劇団員やスタッフの経歴にOSK出身と明記しないなど、OSKファン視点では、もやもやするものがあります。
このように、OSKからは歴史上、派生劇団・影響を与えたプロ劇団がいくつもあります。商業劇団ではありませんが、ダンスやミュージカル教室を主宰し、公演を行う方も複数いらっしゃいます。「女性歌劇」という文化を広く根付かせたことは、OGの奮闘も含めて、誇るべき歴史です。
一方の宝塚には、最初期のOSK等、影響を与えた劇団やアマチュアの「もどき劇団」は多数あるものの、公式に派生・協力した劇団はありません。宝塚OGが、ハウステンボス歌劇団やアマチュアの歌劇団立ち上げに劇団員・スタッフとして参画する等、個人・グループ単位での活動に留まります。
セカンドキャリア(退団後)
共通点
少女歌劇には「花嫁学校」としての側面がある。
退団後、芸能活動を続ける方や、ダンス・声楽・ヨガ等の講師が多い。他の職業に就かれる方、結婚して家庭に入られる方もいる。
相違点
OSKの宝塚との大きな違いな一つが、入団年齢の上限です。
近鉄傘下時代には、上限が20歳(専門・短大卒、大学中退)まで、
それ以降は23歳未満(大卒)までとなっています。
旧歌劇学校休校後の数年にわたる募集停止や一時解散による劇団員数の激減から、年齢上限を上げざるを得なかったものの、結果的には、多様な生き方を尊重する現代の価値観に合うことになりました。
OSKでは、入団前に取得した資格や経験を活かし、舞あかりさんのように保母資格(保育士資格)を有したダンス講師として専門技能を生かした活動をされる方や、京極遥さんのように看護師として働きながら、レビュー普及活動を続ける方もいらっしゃいます。
宝塚に比べて全国的な知名度が劣り「元OSK」の肩書だけでは通用しないのもまた現実で、その分、セカンドキャリアが多様性に富んでいます。
近鉄時代にOSKがショーを行っていた経緯から、和倉の加賀屋:雪月花歌劇団に出演する方や、ハウステンボス歌劇団に経験者採用で入団する方もいます(
他歌劇団のトップスターも参照)。
一方、宝塚音楽学校で、高卒資格が取得できるようになったのはごく近年のことで、退団後、一般社会からのブランクがかなり開いた状態で進学や再就職をしなければなりません。OGの華陽子さん(元花組娘役スター、池田銀行イメガ)は退団直後”バスの乗り方が分からなかった”と話されています。
退団後に進学してキャリアアップし、再就職・起業や家業継承で活躍なさる方もいます。特に、美園さくらさんが、トップ娘役になる努力と、通信制大学卒業を両立されたのは、本当に素晴らしいことです。
このように市井の社会人、あるいは芸能人として、きちんとセカンドキャリアを送る方も多数いらっしゃいますが、劇団の知名度があるがゆえに、露出の多さに比し活動実態が乏しく「元宝塚歌劇団」しか肩書の無いOG、「宝塚の暴露話」や「一般社会とズレている話」を披露するしかないOGの姿には残念な気持ちになります。
女性の社会進出が進み、華やかな舞台の次は、結婚しておしまい、
ではなくなったのですから、各方面での両OGの活動・活躍に期待します。
劇団員のスタッフへの転身
類似点
両劇団とも、OGの劇団スタッフ(演出、振付、声楽・ダンス指導、養成所講師、衣装など)が少なからず存在する。
相違点
OSKの場合 、新人が作品を手掛ける機会が少なくない。
はやみ甲さんは、1982年(昭和57年)入団ですが、その初舞台公演『花と光の舞踏会』で、なんとトップスター嵯峨みさ緒さんの振付に携わったとのこと(参考:
大人の文化村)。退団後もOSK公演や、自身の主宰するユニット夢組での演出・振付で活躍なさっています。
近鉄傘下後だと、研修所83期の中村李弥(演出家としてはRi-ya)さんは、研修所こそ中退されましたが、同期である83期の卒業公演を手掛け、翌年84期の卒業公演も担当。その後、郷里の市民劇団で活動を続けて経験を積み、『SILVER ROSE』や『プリメール王国物語』で再びOSK公演に参画しています。
宝塚の場合、専科の超ベテランを除けば、在団のままスタッフを務めることは稀です。在団中に演出を手掛けた春日野八千代さんがいらっしゃいます(『ローサフラメンカ』『光明皇后』等)。
プロ野球
共通点
かつては、親会社が歌劇団と球団を保有。
相違点
阪急では、小林一三の遺訓であり歌劇団と球団を手放してはならないとされてきました。
しかし、阪急の「二大お荷物」として、昭和63年(1988年)をもって球団をオリエンタルリース(現オリックス)へ売却。
同時期から歌劇団の東京進出を本格化させ、遊園地も手放しながらも
歌劇団の知名度、ブランド力(高級・令嬢イメージ)を向上させて「孝行娘」にし、今日の隆盛を築き上げました。
近鉄は長年にわたり散漫経営が続きました。
リーグ優勝を何度も果たしてきましたが、選手の待遇は劣悪だったとされます
(詳しい話は、OBの金村義明氏が「貧乏球団」の思い出をよく披露なさっています)。
Jリーグ発足の危機感から1990年代前半に各球団がマスコットやダンスパフォーマンスを充実させていますが、
これをOSK団員が「バファローズギャル」「OSKチアリーディングチーム」として担当していました。
OSKはいわば「本業」以外の近鉄傘下の旅館等のショーを手掛け、これらの収入が重要でした。
近鉄時代末期のあやめ池遊園地は、OSK観劇料が安く、それでもガラガラであり、
心配したファンからは値上げするよう声があった程です。
宝塚がブランドイメージを作り上げたのと対照的に、マーケティング戦略を誤ったとしか言えません。
2000年代に入り、いよいよ近鉄本社・近鉄レジャーサービスの経営が厳しくなると、
平成15年に近鉄の支援打ち切りでOSKが一時解散の憂き目にあい(そこからの奇跡の復活は、語るまでもないでしょう)、
翌平成16年には近鉄・オリックス合併を端緒に、球界再編騒動が巻き起こりました。
そう、現在の『オリックス•バファローズ』は、両歌劇団の親会社2社をルーツとしています。
歌劇史の面からも、大変興味深い結びつきだと思います。
関係者
OSK日本歌劇団
演出家 横澤英雄(横沢秀雄) |
父横沢三郎が、『東京セネタース』『阪急ブレーブス』選手 |
宝塚歌劇団
野球と少女歌劇が大正~昭和初期に勃興したのを反映し、
黎明期から婚姻による結びつきがあることに驚嘆します。
横澤英雄 |
演出家 |
OSKに同じ。 |
春日花子 |
5期生 |
明治大学、大阪毎日野球団の投手を経て『毎日オリオンズ』監督の湯浅禎夫と結婚。 |
花野春子 |
12期生 |
横沢三郎と結婚。 |
尾上さくら |
20期生 |
横沢三郎の妹、横澤英雄の妹。 |
代々木ゆかり |
26期生 |
『読売ジャイアンツ』選手のち監督の川上哲治と結婚。 |
草間淑江 |
29期生 |
『南海ホークス』選手のち監督の鶴岡一人と結婚。 |
歌園いすゞ |
42期生 |
『大阪タイガース』他選手:河津憲一と結婚。 |
瀬戸みちる |
44期生 |
『中日ドラゴンズ』『ロッテ•オリオンズ』選手:江藤慎一と結婚。 |
多麻可津美 |
54期生 |
『大洋ホエールズ』『南海ホークス』選手:伊藤勲と結婚 |
白川亜樹 |
65期生 |
在団中に『阪急ブレーブス』投手:山沖之彦と婚約し大きなニュースとなり寿退団。 |
秋月志保 |
70期生 |
『広島東洋カープ』選手のち監督:野村謙二郎の姉。 |
松波美鶴 |
73期生 |
『阪急ブレーブス』選手:高井保弘と結婚。 |
はやせ翔馬 |
74期生 |
江藤慎一夫妻の娘。 |
鈴奈美央•沙也 |
76期生 |
双子姉妹。河津憲一夫妻の娘。 |
琴まりえ |
83期生 |
『広島東洋カープ』投手:今井啓介と結婚。 |
芹香斗亜 |
93期生 |
宙組に在団中。山沖之彦夫妻の娘。 |
麻央侑希 |
94期生 |
『読売ジャイアンツ』選手、『ヤクルトスワローズ』『西武ライオンズ』監督の広岡達郎の孫娘。 |
暁千星 |
98期生 |
星組に在団中。『南海ホークス』投手:山内和宏の娘。 |
姫歌ひな乃 |
99期生 |
笘篠誠治夫妻の娘。元子役、退団後は「笘篠ひとみ」。 |
妃純凛 |
100期生 |
月組に在団中。『近鉄バファローズ』他投手:太田幸司の娘。 |
草薙稀月 |
101期生 |
『中日ドラゴンズ』選手:松永幸男の娘。 |
大路りせ |
105期生 |
宙組に在団中。『阪急ブレーブス』他選手:風岡尚幸の娘。 |
(参考)松竹歌劇団
小倉みね子 |
1期生 |
『大阪タイガース』他選手の小島利男と結婚。 |
瞳はるか |
|
『西武ライオンズ』選手:笘篠誠治と結婚。 |
オリンピック
共通点
両劇団とも、オリンピックに直接・間接的に関与している
相違点
令和3年(2021年)の東京オリンピック開会式に宝塚OGの真矢みきさんが出演され、さらに閉会式で現役スターが国歌を斉唱したことは記憶に新しいと思います。「兵庫県の劇団」がどうして「東京」オリンピックに?というツッコミは、宝塚が昭和9年(1934年)から中断を挟みながらも90年弱公演を続けてきたので、東京に縁がある存在であることによると理解しています。
遡ること令和2年(2020年)には、花組『ダンス・オリンピア』や、星組『Ray』中の五輪を想起させる場面、そして月組『Welcome to Takarazuka』の訪日客をターゲットにした日舞レビューなど、劇団全体でオリンピックの機運を盛り上げようとしていた姿がうかがえます。
一方のOSKは、OGの石崎共美(55期、在団時の芸名:津田馨)氏がアーティスティック・スイミング(旧シンクロナイズド・スイミング)の振付家をしています。また、令和3年の東京五輪では、OGの八洲承子さんが、奈良県斑鳩町で聖火ランナーを務めています。
連続テレビ小説(朝ドラ)
共通点
朝の連続テレビドラマは、若手俳優(主に女性)が起用され、生活習慣として広く視聴されている。この朝ドラの主要キャストに現役団員が出演し、全国的な知名度や人気を高めた。
また劇団そのものが題材(モデル)又は舞台となったこともある。
相違点
宝塚歌劇団は、朝ドラヒロインを複数名輩出しています。また題材となったことも複数回あります。
OSKは、NHK令和5年後期『
ブギウギ』でOG笠置シヅ子さんがモデル(内容はフィクション)となり、主要キャストに翼和希さんが出演することになりました。
この他『おちょやん』でのOSK現役団員のエキストラ出演が確認されています。
OSK日本歌劇団
年度 |
題名 |
区分 |
登場概要 |
令和5 |
NHK『ブギウギ』 |
モデル、現役団員出演 |
ヒロインのモデルが笠置シヅ子。梅丸少女歌劇団(USK)に入団し、歌手として活躍する歴史ドラマ。 |
長期の夜ドラマシリーズ『チコちゃん日記』に小柳弥栄が出演した例があり、短期の夜ドラマシリーズである銀河テレビ小説『我が歌ブギウギ』で笠置シヅ子さんが題材になり、現役団員(英みち、有希晃)が出演している。
この他、夜の民放ドラマのレギュラー出演に若木志帆の例がある。
宝塚歌劇団
年度 |
題名 |
区分 |
登場概要 |
昭和50 |
TBS『加奈子』 |
現役団員主演 |
遥くららが主演。現代ドラマ。 |
55 |
NHK『虹を織る』 |
題材、現役団員出演 |
ヒロインが宝塚少女歌劇団に入団する歴史ドラマ。 |
平成5 |
NHK『ぴあの』 |
現役団員主演 |
純名里沙が主演。童話作家を目指す女性の現代ドラマ。 |
15 |
NHK『てるてる家族』 |
題材、現役団員出演 |
ヒロインが宝塚音楽学校に入学(入団せず)する歴史ドラマ。 |
『加奈子』主演後、遥くららさんは多数のドラマで活躍。この他、夜のドラマの主演に鮎ゆうき、レギュラー出演に星蘭ひとみの例がある。
宝塚歌劇団やOGを題材にしたドラマに『越路吹雪物語』(瀧本美織&大地真央W主演、伝記ドラマ)や『愛と青春の宝塚』(藤原紀香主演、フィクションドラマ)がある。
「宝塚落ち」について
今日、宝塚歌劇団の付属機関である宝塚音楽学校は20倍前後の高い倍率があり、言い換えれば不合格になる方も非常に多いです。
出身スクールにまとめましたが、OSK劇団員には宝塚受験スクールに在籍していた方も少なくありません。
一方、元々ミュージカル女優やダンサー、教員(幼稚園、小学校)志望の方が転向されたケースもあります。専門学校や、大学•短大時代に歌劇を志した方は「宝塚落ち」になりようがありません。宝塚に関心はありつつ、受験しなかった方もいらっしゃいます。
当然のことながら、OSKが大好きで、あるいは一日も早くプロになるべく、中卒•高校中退(=宝塚への受験機会がまだある状態)で、OSKに入所(入学)する方もいらっしゃいます。
また体格に関して、宝塚歌劇団では、娘役なら公称160cm、男役なら公称170cm前後の痩身な団員が多く「粒ぞろい」な印象です(良く言えば統制美、悪く言えば画一的)。他方、OSKは宝塚基準では「規格外」の体格ながら、機敏で魅力的な方が多い印象です。
「宝塚落ち」が、舞台人として劣っていると言うことは全く無く、それぞれの劇団の雰囲気や規格に合うか合わないか、なのです。
出身スクール一覧を見れば、スクール生同士では「宝塚受験」としては明暗が分かれたことでしょう。しかし、楊さんのように奮起してOSKトップスターに上り詰め歌劇史や
松竹カレンダーに名を残したり、翼さんのようにNHKドラマ『
ブギウギ』に重要な役で出演する方もいるのです。
それぞれの教室で少女時代に同じ志を持って一緒に努力した仲間同士の友情は続き、OSKや宝塚公演相互に団員の目撃情報もあります。優劣や勝敗を煽るのではなく、それぞれの所属劇団で努力なさっていることに敬意を表すべきでしょう。
なお、宝塚音楽学校受験の有無とは別に、同校附属の別科やコドモアテネ出身者もいます。
(参考)
全盛期(昭和30年代)のSKD付属「松竹音楽舞踊学校」は、宝塚と年齢制限が同じ一方、試験日・授業開始日を宝塚の合格発表より前に設定していたため、「宝塚落ち」は入学・入団不可能だった。
「宝塚落ち」を公表しているスター
共通するスタッフ
※加筆予定、全てを網羅できているものではありません。
OSKのみに参画しているスタッフも多数います。宝塚所属・出身の方をOSKは多く受け入れていますが、その逆はほぼ無い傾向にあります。
演出家
- 横澤英雄(宝塚所属→出身、OSKでは横沢秀雄名義も)
- 植田紳爾(宝塚所属)
- 中村一徳(宝塚所属)
- 荻田浩一(宝塚出身)
振付家
日舞
- 山村友五郎(旧芸名:山村若※六世宗家)(宝塚音楽学校講師、植田紳爾の長男)
- 藤間豊宏(宝塚音楽学校講師)
- 花柳寿楽
- 飛鳥峯王(長男は市川右團次)
- 藤間瑛乾
- 尾上菊之丞
- 十一世 西川扇藏(旧名:西川箕乃助※五代目)
- 花柳達真
洋舞
- 山田卓
- 大谷盛雄
- 名倉加代子
- 中川久美
- 内田喜隆
- 小沢周三
- 関根玲子
- 羽山紀代美(宝塚出身)
- 麻咲梨乃(宝塚出身)
- 藍エリナ(宝塚出身)
- 尚すみれ(宝塚出身)
- 伊賀裕子(宝塚出身、芸名:江真千晶)
- 芹まちか(宝塚出身)
- 仲本智代(宝塚出身、芸名:荻代彩乃、宝塚音楽学校講師、OSK92期:羽那舞の母)
- れい美花(宝塚出身、芸名:麗美花)
- 上島雪夫 ※OSKでは演出も
- 桜木涼介
- 平澤智 ※OSKでは演出も
- 鳥居かほり
- 港ゆりか
- 三井聡
- 大野幸人(旧名:萩原幸人)
- 原田薫
- 風馬翔(宝塚出身)
音楽
最終更新:2024年08月18日 09:44