変革の流星

プロローグ

いつからだろう、人々の表情から笑顔が消えたのは。人々が自分の、家族の、国の将来を、明るいものだと信じられなくなったのは。

強者たちによる資源の奪い合いが宇宙開発競争にまで発展し、弱者はそのための道具として、富を絞られるだけの労働力として使い捨てにされるようになった。いつしか世界の人口は伸び悩み、減り始め、それでも強者たちは、勝つための争いをやめなかった。
人類の衰退が見え始めたーそんな時代に、新しい力を持って生まれた若者たちが現れる。常人ならざる特殊な念動波を操る者たちは、まるで滅びゆく人類を救うために神から遣わされたかのように、超常的な力を持っていた。しかし、強者たちはそんな人々をねじ曲がった存在=「ウィグル」と呼んで蔑み、存在を無視し、そして彼らに宇宙を開発するロボット=モビルスーツの操縦適性があると分かると、今度は競争の道具にした。

2191年、アメリカ大陸に陣取る軍事コングロマリット「MASE」の宇宙基地アルカイドに、中国大陸の覇者「レンダ」の宇宙輸送艦ウォン・ファンが衝突。双方に甚大な被害を出した。これをレンダの武力攻撃と見たMASEは、宇宙および地上で兵器化したモビルスーツを投入。最初からそのつもりだったかのようにレンダもモビルスーツで応戦し、人類は2つの大国による東西戦争に突入した。
モビルスーツによる戦争にはウィグルの力は不可欠だった。しかし、生まれた子供に対してウィグルの素質を調べることはできても、人をウィグルに覚醒させる方法はついぞ見つからなかった。両国は互いの国を攻め合う傍ら、周辺の領土を拡大し、一人でも多くのウィグルを手に入れることに腐心するようになったのである。そんな彼らに反発し、各地でレジスタンスが立ち上がり、明日をも知れぬ抵抗を日々続けていた。

2200年1月。中東地区のレジスタンス「砂漠の月」の本拠地キング・ハリドがMASE軍によって捕捉された。MASE軍はインド洋上の拠点ディエゴ基地からリリエンタール級一隻を派遣。MSをほとんど持たない砂漠の月の心臓部に迫らんとしていた。

ディエゴ奇襲

「司令、長距離レーダーに反応です」
「何?レンダのリトヴァックか?」
「いえ、この速度は・・・おそらく航空機です」
MASE軍ディエゴ基地。冬でも温暖な赤道近くの海上の孤島で、奇妙な信号を捉えたオペレータが声を上げる。
「航空機で前線基地に接近?100年前の旅客機じゃないのか?」
「しかしまっすぐこちらへ向かってきます」
「ミサイルの線は?」
「それにしては大型ですが」
「まあいい。DAMASに異常は?」
「問題ありません。接近するものは叩き落とすでしょう」
ケイシー司令は面倒くさそうに質問を重ねた。司令と言ってもMSを9機備えただけの簡素な基地で、数十人の部下を従えるだけの存在だ。しかも唯一持っている航空輸送艦ーMASEのリリエンタールーがキング・ハリドに出張っているのだから、航空機が接近してきてもDAMASの防空レールガンが撃ち落とすのを待っていることしかできなかったし、それ以外のことをする必要もなかったのだ。

レールガンの耳障りな高音が鳴り響いた。DAMASの砲塔が未確認機に反応したのだ。航空機やミサイルならば回避することは到底不可能。この時代に航空戦力が攻撃に用いられなくなり、核ミサイルですら脅威とされなくなったのは、このDAMASの存在によるものだ。だが、今日の敵は、旧世代の遺物ではなかった。

突如耳をつんざくような爆音がして、DAMASの砲塔が次々と吹き飛ばされた。

「何だ!?」
「あれは航空機じゃない!」
赤い尾を引いて現れた流星は、その翼を畳むと真の姿を顕した。
「あれはモビルスーツです!」
漆黒の鎧に紅い光を纏ったそのMSは、空中を飛び回りながら口から光を吐いて、DAMASの砲塔を片っ端から破壊していった。放たれたレールガンをいとも簡単に回避する様は、あれが航空機ではなく機動性に長けたモビルスーツ、それも異常なほど強力なMSであることを如実に示していた。
「こちらのMSを出せ!」
ケイシーの声が響く。ドックのハッチが開き、3機のリベラが次々と出陣した。

「撃てぇ!」
小隊長の号令で、3機はビームピストルを構え、空中を飛び回るMSにビーム弾を撃ち込む。しかし。
「当たらねぇ!」
流星の機動力はMSの常識を遥かに超えていた。そもそも、空中をあれだけ単独飛行できるMS自体考えられない。明らかに通常のスラスターではない、あの両翼がその秘密を握っているのは明白だった。だが哀れな3人のパイロットに、その秘密を知るチャンスはついぞ与えられなかった。
急激に旋回したそのMSは、小隊の視界から消えたが速いか突如横腹に接近し、ビームの剣を抜くと瞬く間に3機を斬り伏せた。制御を失ったミスリルコアが爆発する数秒の間に、MSはまた空中へと舞い上がった。第二小隊が出撃するときには、第一小隊の命はすでになかった。
「なんだ、あいつは...」
第一小隊の壊滅を前に、第二小隊は完全に混乱状態に陥っていた。混乱したウィグルの放つビームなど、命中以前に威力が出ない。放たれた輝線はことごとくビームソードに弾き返され、やすやすと接近を許した小隊は、真っ二つに叩き切られた隊長機の爆発に巻き込まれて壊滅した。
「...艦がない?」
流星を操っていた赤髪の少年が呟く。小規模の基地とはいえ輸送艦の一つはあるはずだと睨んでいたし、それらしき発着場もあるのに艦がないのは妙だ。今まさに、どこかに出撃していると考えるのが妥当だろう。MSは基地司令塔に向き直ると、口部のビームチェーンガンを乱射しながら徐々に近づいた。
「いかん!退避だ、退避ー!」
基地の兵士が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。少年はその様子を見届けるとコクピットを開き、ビーム弾が開けた風穴へ飛び込んだ。

「はぁぁーッ!」
少年はフロアに着地するが早いか、手にした大杖をかざすと司令室の扉に緑色のビームを撃ち込み破壊。呆然としてへたり込むケイシーにゆっくりと歩み寄ると、杖の後ろの槍を突き立てた。
「艦はどこだ?」
「な、何だ貴様は!」
「艦は...どこだァァァ!!」
力任せに突き立てられた槍が、コンクリートの床を貫く。同時にその地点に衝撃波が発生し、哀れケイシーは吹き飛ばされて司令パネルに叩きつけられた。更に杖を構えた少年がケイシーに向き直る。
「司令!」
その瞬間、背後から声が響いた。殊勝にもケイシーの部下が哀れな上司を助けに来たのだろう。だが次の瞬間、少年は杖を翻すと、声に見向きもせずに杖からビームを発射した。直撃を浴びた兵士は頭を吹き飛ばされ、悲鳴を上げることもできずに爆風の中に消えた。
「艦は...どこだ?」
「う、さ、砂漠に、キング・ハリドに、レジスタンスを」
「...やはり、レジスタンスか...」
少年は杖を下ろし、袖からワイヤーを射出するとMSのコクピットに引っ掛けた。空中に飛ぶ少年。
「ま、待て!何だ貴様は!何者だ!」
「...オレはウェル・アジャン!貴様らの馬鹿げた戦争を破壊する流星だ!!」

コクピットに戻ったアジャンは、スラスター制御レバーをいっぱいに倒した。
「行くぞ、ブラッドガンダム...世界を、救ってやる!」
独り呟くアジャン。キング・ハリドに向け、ブラッドガンダムは飛び立った。

キング・ハリドの戦い

中東。かつては化石燃料の採掘で栄えたが、枯渇とともに周辺国家は急激に国力を失い、残された人々は一次産業主体の質素な生活を送っていた。その生活を突如レンダ軍が破壊したため、反抗しようとした人々はレンダからの脱走兵ケリー・ハワードのもとに集結。レジスタンス「砂漠の月」を結集し、レンダの侵攻を食い止めていた。この状況に対し、MASEが対レンダの前線部隊として砂漠の月の接収を交渉するも、砂漠の月は理念に反するとしてこれを拒否。決裂したと見たMASEからも狙われる立場となった。そして今、レンダに先んじてMASEが本拠地のキング・ハリドを捕捉。ディエゴ基地からリリエンタール級1隻を含む一個小隊を派遣し、砂漠の月を根こそぎ叩き潰すことを目論んだのである。

「チッ、見つかったか!!」
「ケリー、ここはもう!」
レンダとは真逆の方向からの攻撃に混乱するキング・ハリド。指揮を取るケリーはレンダから鹵獲したMS、アンジュに乗り込む。その後ろで基地スタッフの脱出をまとめている青髪の青年、リウヴィル・アストラル。その混乱を、砂漠の月の参謀オリバー・ベトルーガは憮然とした表情で見つめていた。
「馬鹿野郎!今更どこに逃げられるって言うんだ!」
「いったん降伏するんだ!そうすれば...」
「ふざけるな!中東をMASEに渡すことになるんだぞ!この戦争だってMASEが仕組んだんだろうが!」
「でも...」
リウヴィルの説得にも耳を貸さないケリー。接近してくるリリエンタールに向き合い、ヒートホークを構えた。鹵獲MSのミスリルタンクにロス粒子など残っておらず、ビームを撃つこともできないのだった。リリエンタールのハッチから3機のリベラがフォーメーションを組んで出撃してくる。言うまでもなくビームピストルを装備した3機に対して、勝ち目はないに等しかった。
「砂漠の月に告ぐ!これが最後だ...我々に降伏せよ!」
ディエゴ基地第一小隊、隊長のマイクが声を上げた。
「やるか!命に変えてもここを守る!」
突っぱねるケリー。ベトルーガの口角が上がった。
「ならば...」
ビームピストルを構えるマイク。

「...ん?」
「何だ?」
突如、小隊の動きが止まる。
「南からなにか来る!」
レーダーに反応した機影が、驚異的な速度で接近している。
「...間に合ったようだな」
流星は急減速すると、小隊とケリーの合間に割って入った。
「航空機!?いや、違う!」
「なんだあいつは!撃て!」
小隊から放たれるビームを、空中に浮き上がり旋回しながら回避するアジャン。ブラッドガンダムの挙動に独り熱視線を送っていたベトルーガ。
「あれはモビルスーツ...しかしあれほどの機体を制御するウィグルがいるというのか?」

「ふん、逃げないのは褒めていいのか、悪いのか...しかしいずれにしても、手出しはさせん!」
突如小隊の脇腹に着地したブラッドガンダムは、いきなり腰のライフルを抜くと眼にも止まらぬ早撃ちを繰り出した。放たれたビームは二機のレンダをまとめて貫き、マイクの左右で大爆発を生じた。
「ぐああああ!」
とっさにシールドを構えたマイク。視界が回復したときそこにいたのは、悠然と佇む正体不明のMSだった。ビームを連射するもブラッドガンダムにかすりもしない。マイクは震える手でピストルを捨てると、ビームナイフを抜いた。

「ほう、逃げないのは褒めてやる...」
アジャンは気に入った様子でビームソードを抜いた。出力されるビーム刃の長さが、ウィグルとしての才覚の差を残酷なまでに示していた。
「ぬう、うおぉぉぉ!」
突撃するマイク。受けて立つアジャン。最初の一太刀を躱すと、上段に構えて切り下ろす。ナイフで受け止めるマイク。
「ぐぅぅぅ!」
「...」
渾身の力を込めるマイク。しかし、ナイフのビームはすぐに崩れ始めた。アジャンのあまりにも強大なアルス波に支えられた共振粒子ビームは、並のウィグルの力で到底打ち崩せるものではなかったのだ。それどころかますますビームソードの出力は増していく。
「うわぁあぁ!ば、化け物だぁ!」
言い終わらないうちに、ブラッドガンダムのビームソードは、ナイフごとマイクのリベラを叩き切った。

「マイク隊、全機シグナルロスト!」
「なんだと!?一体何だあのモビルスーツは!」
「デ、ディエゴ基地応答ありません!」
「何...?本艦は戦闘エリアを離脱する!面舵90!」
リリエンタールは距離を取っていたが、状況を察知して退却を決断。しかし、高跳びしたブラッドガンダムが艦を捕捉した。
「敵機、接近しています!」
「馬鹿な!もう見つけたというのか!?」
驚異的な機動力を誇るブラッドガンダムは、離脱のため加速し始めたリリエンタールの上空へ回り込んだ。
「その艦...もらったぁぁぁ!!」
アジャンはブラッドガンダムのシールドを構えると、空中からリリエンタールのブリッジめがけて急降下。ブリッジクルーもろともブリッジを叩き潰し、そのまま艦首を下方向へ向けた。加速し始めていたリリエンタールは止まれず、力づくで胴体着陸させられる羽目になった。

機能を停止したリリエンタールの上にブラッドガンダムはいなかった。呆然とする砂漠の月の一同の前に着陸すると、まるで品定めでもするかのようにジロリと一瞥したのである。その威圧感に思わずヒートホークを構え直すケリー。しかし、生身のままのリウヴィルが割って入った。
「よせケリー!こいつは少なくとも敵じゃない!」
「まだわかんねえだろうが!」
「いや!」
ブラッドガンダムを見上げるリウヴィル。
「流れ弾のビームが当たらないようにわざわざ空中に逃げた...」
「...くっ!」
ヒートホークを下ろすケリー。
「ふうん...面白い奴がいるじゃないか」
アジャンには砂漠の月の通信回線はない。だが、リウヴィルの口の動きで何を言ったかは読めたようだった。意味深なセリフを残すと、彼は再び何処かへと飛び立った。

幻獣演説

それから一週間、東西両国、いや世界は大混乱に陥った。各地の戦地、それもレジスタンスが抵抗を続ける地域に突如謎のMSが飛来し、前線を壊滅させて飛び去るということが繰り返されたのである。
攻撃対象に選ばれたのはMASEやレンダの軍ばかりではない。アジャンは中米で一大勢力を築いていた麻薬組織「カルテル」の本拠地、東アジアの巨大カルト宗教「エジーナヤ」など、各地でタブー視されていたいわゆる"既得権益"を片っ端から攻撃して回ったのである。ものの一週間でこれだけの戦果を上げるに至ったのは、ブラッドガンダムの圧倒的な機動力と継戦能力、そして何よりもアジャンのウィグルとして、パイロットとしての卓越した素質、体力と精神力の為せる技だった。
文字通り彗星のごとく現れた謎のMSについて、全世界では白熱した議論が交わされた。あるものは救世の英雄と崇め、あるものは情勢を混乱させるテロリストと呼んだ。そのいずれの評も的外れとは言えなかっただろう。内政を軽んじて宇宙開発競争を繰り広げる超大国、人々の腐敗を糧とする麻薬組織、弱者の涙を蜜とするカルト宗教...それらをすべて敵に回す存在はある種の英雄であろうし、またそれによって、また新たな血が流れることも事実だった。しかし少なくとも言えるのは、善悪は別にしても、あの流星が世界を変えて行くだろうという確信が人々に宿ったということである。
アジャンはその確信を現実に変えるかのように、太平洋の真ん中から宇宙へ向けて叫んだ。後に「幻獣演説」と称される、アジャンの一世一代の演説だった。


...聞け、世界よ!我が名はウェル・アジャン!!ブラッドガンダムと共に、この滅びゆく世界に変化をもたらす者だ!!!
人類がエネルギー問題に勝利した70年前、人々はこれからの世界に期待を抱いたはずだ!世界はもっと素晴らしく、もっと住みやすくなるはずだと!
だが今、弱者は強者に搾取され、子供を作る暇も許されず、人口の減少はとどまるところを知らない!そればかりか、せっかく産まれた子どもたちに兵士の素質があると分かれば、戦争の道具にされている!
人類はどこで間違ったのだ!なぜ無限のエネルギーを手に入れた我々が、今なお苦難に甘んじねばならないのだ!
その答えは知っているだろう!その無限のエネルギーを生み出した者たちが既得権益となり、無益な競争を強い続けているからだ!!

新たなエネルギー、新たな材料!それらを生み出した者たちは、たしかに称賛に値するだろう!
しかし、その富をなぜ、世代を超えて一握りの連中が継承し続けることが許されるというのだ!!奴らなど、何の能力も努力もなく、ただその星の下に生まれただけじゃないか!!
そんな既得権益の権化がその立場を守り続けるためだけに、弱者の涙を蜜にし、弱者の血を啜り、そして次の糧を求めて争いを起こす!
血を啜られ、涙を流す弱者はその世界を変えることすら許されず、また次の糧として貪られる!!
そんな世界はもう終わらせる!!!

この一週間、俺とブラッドガンダムに襲撃された者たちよ!これは俺からの宣戦布告だ!!
人間にこの世界を変えられないなら、人間を超えた力が、幻獣が世界を変えて見せる!!
世界よ!俺と共に戦う意思があるのならば、この虹色の旗を掲げよ!!
俺はあらゆる属性を問わない!ウィグルか否かなどどうでもいい!!求めるのはただ!この世界を変える意思だけだ!!
力のある者よ、旗を掲げよ!力のない者よ、掲げられた旗に集え!諸君の間に何の差もない!意思ある限り、わが幻獣軍はすべてを等しく扱うだろう!!!


アジャンの表情は、力強い演説の割には渋かった。だが、SNSアノニマスで全地球、そして月にまで放送されたその演説は、膠着した世界に生きる多くの人々の心を捉えた。人々は口々に変革者の登場を噂し、また各地のレジスタンスはアジャンの支援を得ようと様々な策を講じた。あるものは虹色の花火を打ち上げ、あるものは地上絵を描いて、流星の落ちるのを待ちわびた。だが、次に流星が向かう先は早々に決まった。ヨーロッパのレジスタンス「解放戦線」が、アノニマス上で幻獣軍への参画を表明し大規模に旗揚げしたのである。

欧州の野獣

欧州はかつて世界でも有数の先進国群が揃う地域であった。しかし2100年代初頭の宇宙合金の開発競争に敗れ、国際的な競争力を失うと同時に貧富の差が拡大。少子化が進行し、人々の勤労意欲は低下、各国の国力は低下の一途を辿った。東西戦争が勃発すると、東西両国はMSを使って左右からヨーロッパを攻撃。MSも戦意も持たない各国はあっけないほどに次々と降伏していった。だが、その風潮を良しとしない若者たちがいたこともまた事実であった。
アレス・エドゼルもそんな若者の一人にして、その代表格と言うべき存在であった。彼は恵まれた出自を捨て、ヨーロッパ各地の抵抗勢力を持ち前の統率力で統一し「ヨーロッパ解放戦線」を設立。東西両国を敵に回す過激派ゲリラとして活動を続けていた。その振る舞いは降伏を主導したヨーロッパ内穏健派からさえ敵視され、国内の警察組織からも追われる身である一方、内心では降伏に反抗していた人々からの支援も同時に受けていた。人々は野獣のような彼らに対し、あるものは忌避を、あるものはエサを与えたのである。
ある意味で支援者がいないよりも孤独な彼らは、アジャンの登場で真の仲間を見つけたような気分になった。幻獣演説の後、アレスが即座に幻獣軍への参画を決定し、内部に大きな反対がなかったのはその裏付けと言えるだろう。彼はブラッドガンダムの攻撃を受けたレンダ軍基地「ツェーリ」の攻撃を決意し、内部から破壊工作を行うべく自ら戦地に赴いた。

「アレス...また無茶な作戦を立てる」
「いや、今度のは無茶じゃない。あの男...アジャンは必ず来る」
「そのセリフは聞き飽きた。あんなどこの馬の骨とも分からん奴に、なんでそこまで期待できるんだ?」
「思想が明らかに俺たちと同じだからだ。しかも、実際に行動に移している...それだけで期待できるよ」
「...ふっ」

アレスのほとんど当てずっぽうに近い勘がほとんど必ず当たることは、彼の幼馴染にして解放戦線のサブリーダー、スコット・クレイはよく知っていた。彼が「アジャンは必ず、俺たちが突入する風穴を開けている」と言えば、証拠など何もなくてもスコットは従うのだ。それにもっともらしい理由をつけて、出撃前のブリーフィングでメンバーを納得させるのが彼の役目だった。

「ブラッドガンダムがレンダのツェーリ基地を攻撃したのは周辺住民の証言から明らかだ。また、その時の目撃情報からするとあの機体は南から飛んで来ている。最初の襲撃が報道の通りキング・ハリドだとすれば、次の襲撃がツェーリになったということだろう。キング・ハリドは中東のレジスタンスを救援する目的で攻撃したようだが、次になぜツェーリを選んだのか?それにはアジャンの台所事情が関係しているに違いない」
「世界各地を一人で襲撃して回るのは普通に考えて現実的じゃない。それゆえにアジャンは複数人いるとの見立てもあるが...あれだけのMSとウィグルを複数用意できるものだろうか?俺はそれこそ現実的じゃないと思う。また、ブラッドガンダムの目撃者から提供された画像を示すが...このように、巨大なジェットエンジンのようなものをわざわざ背負って飛行能力を持たせている。そこまでして移動能力を確保したかったのだと考えるのが自然だ」
「となれば、少なくとも戦闘に関して、アジャンを支援する存在はない。となれば困るのは補給線だ...せっかく攻撃した基地も制圧することができなければ、利用できない。ブラッドガンダムは少なくともこれまでのところ、一機で世界を相手に戦えるほどの戦力ではない...実際、そうだから一刻も早く仲間を用意しようとして、そのために演説に踏み切ったわけだ」
「ならばアジャンは無意味にツェーリを襲撃したわけじゃない。おそらくはあの基地を制圧できるレジスタンスが近くにあると読んでの行動だったはずだ。それを誰がやるのか...ヨーロッパのレジスタンスとして、アジャンは俺たちに期待しているんだ。無茶でもやらないわけにはいかない」

「スコット、流石の演説だったじゃないか。あれならみんな納得したはずだ」
「答えがすでにあるなら、その過程を求める事自体は難しいことじゃないからな」
「そりゃ嬉しい言葉だ」
「...ふん」
「照れんなよ」
「...照れてねぇ」
基地へ向かう車の中でアレスは軽口を叩いた。もう幾度も繰り返された、決死の出撃前の会話だった。

ツェーリ強襲

ツェーリ基地、東部。スコットは基地の惨状を見て、アジャンが自分たちを呼んでいるとようやく確信した。
「やはり東側...隠れやすい森のそばの関門がめちゃくちゃにされてる」
「しかも施設にも相当な被害が出たようだな。本当に、頭数さえあれば襲撃当日にでも制圧できてただろう」
「だがそうしなかった。わざわざ無駄を承知で先に行動を見せた...それほどに、レジスタンスを信用させるのは難しいと知っていたというわけか」
「そしてこれだけの状況を作ってレジスタンスをおびき寄せる、か。手の込んだ罠だと言われたら信じるぞ」
「襲撃からまだ数日だ、復旧はもちろんだし補給もそうは望めないはずだ...行くぞ!」
薄暗くなった基地東部に、解放戦線の全軍が集結した。半ば旧式の兵器と化したアサルトライフル、バズーカを構えて突撃する軍勢は、しかし指揮系統が半ば壊滅状態の基地には脅威だった。焦土と化した宿舎を踏み越え、半壊状態の武器庫に迫る。MSハッチと思しき部分が破壊されており、侵入は容易だった。
「撃て!」
レンダ軍が解放戦線に躊躇なき射撃を浴びせる。先頭に立ったスコットは左手にくくりつけた大型盾を構えると味方を守り、その隙にアレスらが報復攻撃をかける。解放戦線が得意としてきた、唯一のウィグルであるスコットの腕力に頼った突破戦術だった。
「モビルスーツだ!」
「何!?いたのか!?」
補給が入っていないと思われていた基地だったが、MSドックにアンジュの姿が見えた。さらにパイロットが乗り込もうとしている。
「基地ごと俺たちをやる気か?」
「やらせるか!」
「スコット!?」
スコットが10mも跳躍し、コクピットのパイロットに殴りかかる。不意を突かれたパイロットはスコットの盾に殴り倒され突き落とされた。しかし、もう一機がすでに稼働している。スコットはとっさにアンジュのコクピットに乗り込んだ。
「生体認証はない!?やはり、パイロットは代えが効かないとな!」
すでにパイロットが起動していたアンジュは、コクピットに座ったスコットの思う通りに動くようだった。
「退路を作る!」
スコットは腰に装備されたヒートホークを抜き、ドックの隔壁を切りつけた。隔壁が引き裂かれる。
「外へ逃げろ!」
アレスの一声で解放戦線は武器庫からの撤退を始めた。
「くっ、逃がすか!」
レンダの新兵イゴールが隣のアンジュに搭乗していた。功を焦る彼は繋留ケーブルを引きちぎると、スラスターをふかしてハッチの穴から基地の外へ出た。
「止まれぇ!」
「うわぁ!!」
アレスがイゴール機の頭を狙ってライフルを打ち込む。カメラのノイズに混乱するイゴール。
「くそっ、スラスターはどうすんだ!?跳べ!!」
初めてのMSの中で四苦八苦するスコット。力任せに引いたレバーが両のスラスターに炎を宿し、スコットは空を飛び、バランスを崩して基地の外に転げた。

イゴールがようやく平静を取り戻したときには、転んでいたスコットも態勢を立て直していた。だが、新兵とはいえ正規のMSパイロットであるイゴールと、MSに乗った事自体初めてのスコットの優劣は明確だった。イゴールが抜いたビームピストルの一撃に、スコットは反射的に盾を構える。だがビームはアダマントの盾を貫通し、左腕もろとも吹き飛ばした。
「ぐぅ...これがビーム兵器!」
「へっ、ビームを盾で防ぐなんざ、モビルスーツ自体素人ってとこだな!」
ビーム兵器を盾で防ごうとしてはならないというのは、最近の教育を受けたパイロットにとっては初歩中の初歩だった。スコットのその様子を見て、新兵イゴールですら彼に何の経験もないことを読んだのである。
「うおおおお!」
スコットもビームピストルを抜いた。わけも分からず渾身の力で引き金を引くと、共振されたビームが撃ち出された。イゴールはステップして回避する。
立て続けに3発放ったスコットだが、最後の一射には共振の足りない粒子が混じっていた。ものの3発で彼はアルス波を使い果たしたのだ。
「くぅ...」
「...へっ、初めてで3発も撃てたのは上出来だぜ!だが、ここは訓練所じゃねえんだ!」
ビームを撃てなくなり疲弊したスコットを、イゴールが追い詰める。スコットは基地中心に向けて逃げ出した。せめて撤退する仲間からMSを引き離そうとしたのだ。それをイゴールがビームピストルを撃ちながら追跡する。恐慌状態の新兵の射撃は、後退していくスコットを捉えるには至らなかった。
「チョロチョロしやがってぇ!」
「ハァ...ハァ...」
疲労困憊で後ずさるスコットの目に、バズーカを構えたアレスが映った。
「あっちが敵だ!」
アレスにはスコットの歩き方で区別がついたようだ。後ろからイゴールめがけて砲撃を撃ち込む。
「ぐぁ!」
よろけるイゴール。実際には機体へのダメージなどないも同然なのだが、新兵の彼には機体に衝撃が走るだけで大事件だ。その隙にスコットは再びヒートホークを抜き、イゴールに飛びかかる。ビームピストルを叩き落とし、さらに本体に斬りかかろうとしたところで、イゴールもヒートホークを抜いて切り結んだ。だがその瞬間、基地から更に5機のアンジュが次々と発進した。
「何!まだあんなに...」
「逃げろスコットォ!!」
絶望の色を目に浮かべるスコットと対照的に、激昂したアレスはバズーカで発煙弾をアンジュ隊の足元に撃ち込んだ。しかしイゴールがスコットを逃さない。解放戦線の命運は尽きかけた。

突如、真ん中のアンジュに脳天から光が撃ち込まれた。ミスリルコアの爆風に巻き込まれ、4機のアンジュはまたも目標を見失う。急降下してきた流星は剣を抜くとたちまち2機を斬り抜いた。紛れもなくブラッドガンダムであった。
「...俺を止められるかぁぁぁ!!」
絶叫しながら突撃するアジャン。残る2機のアンジュを瞬く間に切り刻むと、呆然とするスコットとイゴールに向き直った。
「アァジャアァァァン!!」
絶叫しながらスコットの前に両手を広げて躍り出るアレス。
「何だあいつ!死ぬ気か!?」
この状況でMSを庇う意味はレンダ軍にはない。レジスタンスが味方の乗るMSを示そうとしたことは、アジャンには一瞬で読めた。しかし、そんなところに生身で居られてはイゴールを撃つこともできない。アジャンは盾を構えてイゴールに突撃すると、シールドでコクピット付近に打撃を与えた。衝撃でパイロットは気絶し、イゴール機は倒れてそのまま動かなくなった。
「この間モビルスーツはほとんど潰したはず...となればもう補給が来ているか...ならば艦がある!」
アジャンはそう呟くと飛び立ち、ツェーリ基地の戦艦ドックへ向かった。

「急げ!早くしろ!」
ブラッドガンダムに戦力を潰され、ツェーリ基地は放棄。撤退する人々がリトヴァック級に乗り込んでいる最中だった。
「まずい、見つかったぞ!」
「離陸急げ!」
無慈悲な流星が迫る。リトヴァックは両翼の下からロス粒子を吹き出し離陸した。
「,,,その艦も!もらったぁ!」
下へ回り込んだブラッドガンダムが、急上昇してシールドを右翼下に叩きつけた。そのまま凄まじい推力で押し続け、艦が急激に左に傾く。轟く悲鳴。
「左翼の浮力を上げろ!!」
左翼のロス粒子量が増加していく。艦は踏みとどまり、ピッチ角を戻し、そして右へ傾いた。
「なんだ、どうした!」
「右のスラスターが機能していません!!」
「何...」
ブラッドガンダムはとっくに右翼にはいなかった。左翼の下に回り込むと、加速を付けてシールドアッパーを叩き込んだ。アジャンに右翼のスラスターを機能停止させられた
リトヴァックは今度は立て直せず、そのまま錐揉みしながら地表へ真っ逆さまに堕ちた。

「...」

リトヴァックの複葉機のような形状は、頭から落ちた艦がそのまま逆立ちするのに都合が良かったようだ。その中では脱出兵たちがフロントガラスに叩きつけられミンチになっている。アジャンは、その悲劇のオブジェを哀しげな目で見つめていた。

邂逅

「スコットは?」
「部屋で寝かせてる。まあ数日経てば元気になるよ。筋肉痛みたいなもんだ」
制圧した司令塔の司令室で、アジャンとアレスは茶を汲んでいた。レジスタンスのメンバーたちは休憩室に分散して休んでいるが、アジャンは自ら司令室へ赴き、そこにアレスを招いたのだ。
「モビルスーツをいきなり操縦するなんて、やはり無理があった?」
「いや、動かすだけなら初めてでもそんなに難しいことじゃないんだ。自分の体を動かすのとそんなに変わらない。そのために人型にしてるんだしな」
モビルスーツのことは何も知らないと見えるアレスに、アジャンが説明を続ける。
「ただ初体験でビームをいきなり3発も撃った?そりゃああもなるよ。パイロットのアルス波、まあウィグルの持ってる脳波だが、その使い方も知らないままものすごい負荷を背負ったわけだからな」
「でも、敵のパイロットはもっと撃ってたじゃないか」
「それも訓練次第。アルス波をビームの共振に効率良く使うように訓練すれば、並のウィグルでも15発くらいは撃てるようになるんだ。初めてで3発も撃ったなら大した才能だよ」
アジャンはそういうと目を閉じて紅茶をすすった。妖艶さすら感じるこの美しい少年が、これだけの知識と軍事力を持ち、今世界を騒がせているテロリストだとは、アレスには信じがたいことだった。

「それより...大したもんだな」
「え?」
「小規模な基地とはいえ20人足らずで攻め込んで全員生き残るなんて、並大抵のことじゃない。これまでの苦労が手に取るように分かる」
「...今まで基地を攻めたことなんてなかった。進軍してくるレンダやMASEの出鼻をくじいて逃げる、それを繰り返してきた」
「うん」
「人数が少ないほうが必要な物資も少なくて済むし、敵にも気取られにくくなる」
「そうか。物資はどうしてた?」
「...支援してくれる人には困らなかった。ヨーロッパで暮らしてる大人たちに、レンダやMASEの支配に納得してる奴なんかほとんどいない。俺たちのことは水面下では有名だったし、一飯の恩だってそこらじゅうで受けた。レジスタンスにしちゃ、恵まれた方だと思う」
「そうか。ヨーロッパの人には待望の組織だったんだな」
「ああ...ただ......それだけだった」
「それだけ?」
「.........」
「.........」

果敢な男も、次の言葉を紡ぐ勇気を出すには時間が必要だった。

「......ヨーロッパは、本当は誰にも支配されたくなかったはずなんだ。でも時の政府は戦っても勝てないと踏んで何もせず降伏し、国民を明け渡したし...それに...」
「それに?」
「......国民も、そんな政府に逆らおうとはしなかったんだ。俺たちを支援してくれた人たちも...」
アレスの目には膝の上で握られた自分の拳だけが見えていた。

「...そうか。よく戦ってきたな」
「...俺が話すばかりじゃ不公平だ。アジャン、あんたは何のためにこんなことをしてる?そもそも、あんた一体誰なんだ?」
鋭い眼光に、少年の紅い瞳が映り込む。
「ああ、自己紹介がまだだったな。俺はウェル・アジャン...まあ、あの演説で喋った以上のことは、自分から話すほどのことじゃないな」
「なら色々質問させてもらう。まず、そのファミリーネーム...2194年の太平洋の反乱劇の...」
ウェル・カイザー
「...と...関係、ありそうだな」
「...いかにも。俺はカイザーの息子だ」
「息子...!?」

2194年、太平洋上の孤島でMASE軍に宣戦布告した謎の男がいた。彼はまだ当時有効性が確認されていなかったビーム兵器を搭載したモビルスーツを駆り、討伐に来たMASE軍に2度の大打撃を与えた。2度目の攻撃でモビルスーツは撃墜されたものの、その無謀なほどの行動は当時のレジスタンスに大きな勇気を与えたという。その反乱の主が、アメリカでビーム兵器の研究を行い、その後失踪したファーストウィグル「ウェル・カイザー」と同一人物ではないかとする都市伝説がまことしやかに囁かれていたのだ。それで、確たる証拠もないままその騒動は「カイザーの反乱」と呼ばれていた。

「では、あの反乱がウェル・カイザーによって引き起こされたというのは事実...!?」
「そうだ。カイザーはその時、自分の恋人だった女を一人連れて太平洋に逃げていた。それが俺の母親だ」
「そ、そんな...」
「俺が生まれたのは2185年だと聞いてる。多分正しい。物心ついたときには親父のガンダムを一緒に開発してたしな」

カイザーの存在は、レジスタンスでは英雄視されも、また異端視されもしていた。単身で軍一つに立ち向かうなどというのはあまりにも無謀すぎるし、その後あっけなく鎮圧されたのも事実だ。しかし、単身で軍一つに大打撃を与えたこともまた事実。その事実が、世界中のレジスタンスをどこかで支え続けていた。そしてその子が今、世界を相手に再び戦おうとしている。アレスは血というものの宿命を感じずにはいられなかった。

「では、カイザーは今...」
「...それがな。死んだと考えるのが普通なんだが...死んでない気もするんだよな」
「気...?」
「まあ、カンだよ。カン。俺はその後のことは知らないしな。基地から一人で脱出して、インド洋まで逃げたから」
「では、そこで6年も?」
「ああ、カイザーの遺産を使ってブラッドガンダムを作ってた。それで今に至る、ってわけ」

あっけらかんと話すアジャンを前に、アレスの背筋は凍りついていた。こんな少年が、孤独な島で、たった一人だれとも話さず、一人であれだけのことを...しかし、アジャンはそんなアレスなど気にもとめていないかのように話を戻した。

「で、この後なんだけどさ。ここにいられるのは一晩が限度だと思う。間違いなく近場の戦力をかき集めて攻撃に来る。ここじゃ補給もままならないし、立てこもるのは無理だ」
「ならリトヴァックの修理と掃除が済んだら逃げるか?でもどこへ?」
「理解が早くて助かるよ。インド洋の南極の近くにハード島という島がある。俺が拠点にしていた場所だ。まずはそこに戦力を集結させる」
「集結?」
「そうさ。ここへ来る前に世界中で騒ぎを起こしたんだ。お前らは一番最初だったが、これからもっと出てくる」
「それを一箇所にかき集めて軍にすると?」
「そうだ。ただそれなりの人数になるから、ずっと食わせるためにはちゃんと陸に拠点を作らないといけない。それが幻獣軍で初めての大戦になるってわけだ」
「狙いはどこに?」
「ハードから一番近い大型の拠点...レンダの中東方面軍のイーグル軍事基地だ」
「な...!」

砂漠の月

アレスら解放戦線を乗せたリトヴァック級輸送艦は、翌日の朝にツェーリを後にした。
「高く飛びすぎるとDAMASに見つかって蜂の巣にされるぞ。怖くても低く低く飛ぶんだ。民間人にしか見つからないくらいに」
声の主は艦長席のアレスではなく、操舵手のすぐ後ろに立つアジャンだった。DAMAS普及以後、人目を偲ぶ航空機は陸では低く飛ぶのが常識となっていた。だが皮肉にもレンダの輸送艦を利用したことで、民間人たちにその異常に気づかれることはなかった。
「海に出たらあとは指示した通りの航路だ。俺はこれから挨拶まわりだ。じゃあな」
いつの間にかブリッジと通信を繋いだらしく、アジャンはブラッドガンダムの中から語りかけ、返事を待つこともなく飛び立っていった。アレスが放送で間をつなぐ。
「皆、昨日は...本当によく生き残ってくれた。一度はヨーロッパを離れなければならないが、祖国の独立を捨てた為政者たちに、いずれ鉄拳を叩き込み、我々のヨーロッパを取り戻そう。で...この艦だが、記念すべき幻獣軍の初めての艦になる。我々で名前をつけよう...ハード島につくまで各自で案を練ってくれ」

ブラッドガンダムはまたも低空飛行で南方に急行していた。このモビルスーツが民間人に姿を現すことには、それなりの政治的意味があった。アジャンは、手を振ってくる人々を何度も見かけた。だが彼が手を振り返すことは一度もなかった。
「あの中東のレジスタンス...あのとき落とした艦を使えるようにしていれば、もうキング・ハリドには残っていないはずだ。リリエンタールはマザーベースにディエゴを登録してある...」
案の定、キング・ハリドはもぬけの殻だった。そのことが、砂漠の月が幻獣軍に与した証拠でもあった。アジャンはさらに南へ進み、ブリッジにブルーシートを被せられたリリエンタール級の姿を見つけたのは、ディエゴ基地の発着場だった。

「ケリー、ブラッドガンダムが!」
「ついに出てきたな、アジャン...その姿を拝んでやろうぜ」
リウヴィルが声を上げる。ケリーは発着場へ出ていくと、ブラッドガンダムに手を振った。アジャンはガンダムの右手を掲げてそれに応え、コクピットを開いて外に出た。
「こ、子供...!?」
ケリーにはアジャンの若さが少々衝撃だったらしい。その表情から意図を読み取ったのか、アジャンは10mほどの高さから飛び降りると、アルス波で衝撃を吸収して着地して見せた。紛れもなくウィグルに違いなかった。
「俺がウェル・アジャンだ。君は?」
「さ、砂漠の月のリーダー、ケリー・ハワード...ケリーと呼んでくれ」
「ケリーか。よろしく...早速仲間たちに引き合わせてもらいたいな、艦にあげてくれるか」
「も、もちろん、元はと言えばあんたが落とした艦だ...しかし、この騒ぎをあんたほどの子供が起こしていたなんて」
「俺の見かけがよっぽど意外だったらしいな。だが、おたくにも可愛いのがいるだろ?」
「え?」

艦長居室で、ケリーとベトルーガはアジャンと面会していた。もっとも、アジャンの目線は二人ではなく、もっぱら茶を淹れて持ってきたリウヴィルの方を向いていた。
「君は?」
「お、俺、ですか?俺は、リウヴィル・アストラル...」
「へえ、いい名前だ。見たところ中東の人間じゃないな?」
「ええ、まあ、元々はレンダにいたんで」
「ふぅん...それも並の経歴じゃないな」
「え?」
「でなきゃケリーと対等な口は聞けんだろう、この組織で」
「それは...」
興味とも下心ともつかないアジャンの執拗な追求を見かねて、ケリーが口を挟んだ。
「アジャン、あんた何しに来たんだ...?」
「もちろん、幻獣軍に参画してくれる君たちに挨拶に来たのさ」
「それはわかってる。大体、俺らもまだ参加するとは言ってないぞ」
「フッ。そうか?リウヴィル」
いきなりリウヴィルに話を振るアジャン。だが、彼の回答は意外にも冷静だった。
「いや...でなきゃ、俺たちはキング・ハリドを去らなかった。俺たちがあそこを放棄したから、あなたは俺たちが協力するつもりだと読んだ。そうでしょ?」
「...フッ」
アジャンはなぜか満足げだった。

「...というわけだ。当分悪いようにはしない、俺についてきてくれ、ケリー。それから、そこのじいさんもな」
「オリバー・ベトルーガ博士。ここの参謀だ」
「ベトルーガ。よろしく頼む」
「うむ...だが、ウェル・アジャンといったな?以前...」
「太平洋で反乱を起こしたウェル・カイザーの話か?」
「...やはり関係があったか...」
ベトルーガの反応には、アレスとは少し違ったニュアンスがあった。
「...ベトルーガ...父を、知っている?」

その瞬間に艦内に警報が鳴り響いた。にわかに浮足立つ一同だったが、アジャンは落ち着き払っていた。
「着いたか、アレス...全艦!心配はいらない!友軍の艦だ!」
「友軍!?あのヨーロッパの解放戦線か?」
「そうだ、通信をつなぐ!」

「アジャン!来たぞ!さっきから艦の警報が鳴り止まねえ!」
「当然だ、レンダの艦でMASEの基地に入り込んでるわけだからな。こちらも離陸する、航行を維持しろ!」
アジャンはアレスに口早に指示するとケリーらに向き直った。
「砂漠の月についても、今度教えてもらおう。今は幻獣軍をハード島に集結させる!」

集結

アレス率いる解放戦線と、ケリー率いる砂漠の月は、それぞれ敵対する軍の艦に乗り、ハード島へ集結した。アジャンは途中で南米に飛び去り、全く知らない2つのレジスタンスがこの孤島に降り立つことになったのである。島に発着場と言えるようなものはなかった。なるべく平たいところに、2隻の艦は降りた。二勢力のリーダーが顔を合わせる。
「俺は砂漠の月のリーダー、ケリーだ」
「よろしく、俺がアレス・エドゼルだ。ここのリーダーということになってるが、もう幻獣軍に組み込まれたなら関係ないかもな」
アレスに先んじられたような気がして、ケリーはほんのわずかに心を濁らせた。そんな必要はないというのは、本人にもわかっていた。
「アジャンから聞いたんだが、風呂が湧いてる、とか」
「風呂?」
あたりを見回すケリー。切り立った岩場の上に、火山のようにもうもうと白い煙が上がっている。だがそれは煙ではなく、湯気だった。
「あそこへ入れってのか?」
「何を考えているのかわからん男だ、ウェル・アジャン...しかし、ありがたいっちゃありがたいな...行くか!!」
ケリーが止める間もなく、アレスは湯の方へ走り出した。それを口火に、一同はハイキングをする羽目になった。

「湯に入るなんて、いつ以来だろ...」
アレスが呟く。他の誰もが心中でそう思っていた。服を脱ぎ捨てた彼らに、もはや解放戦線と砂漠の月の区別はなくなっていた。子供のように風呂の真ん中で水遊びに興じる。レジスタンスの大半は若者で、時代が時代ならまだ学生だったのかもしれなかった。これは自然な成り行きなのかもしれない。
そんな輪を遠巻きに見ていたのがスコット・クレイである。艦の中で一晩寝て、ふらつきながらも動けるようになった彼は、一応輪に加わろうとしてこの露天風呂にやってきた。しかし、顔を知らない連中と裸で一緒に遊ぶには彼の社交性は不足していた。
「いい湯ですね」
湯気に隠れて見えなかったが、すぐ横に色白の青年が座っていた。肌が白く髪が青いから、風景に溶け込んで気づかなかった。
「動かないと、ちょっとぬるいけどな」
言ってからスコットは少し反省した。いつもこうしてネガティブな発言から入る癖が彼にはあった。アレスが相手ならそれもある意味ちょうどいいのだが、初めて話す相手にもついこれをやるから、彼の周りには人が集まりにくいのだ。だがリウヴィルはクスリと笑うと言った。
「だいぶ疲れてそうですね。ツェーリの戦いで?」
「...なんで俺が疲れてると?」
「顔を見ればわかります。ひどいクマだ」
スコットは思わず顔を洗った。

「敬語はやめてくれ。年もそう変わらないだろ?」
「え?ええ、じゃあ...俺、リウヴィル、だよ?」
「...まあ無理しなくてもいいよ」
「...えへ、俺も人と話すのとか得意じゃなくて」
「そうは見えないけどな。話戻るけど、初めてMSを動かしたんだ」
「...モビルスーツを...」
「ビームを3発撃った。それで動けなくなって、このザマだ。まだフラフラするよ」
「初めてでビームを3発?それはそれは...」
「撃ったことあるのか?」
「...」
表情が曇るリウヴィル。聞かないほうがいいことを聞いたか、とスコットはまた反省した。だが、リウヴィルは言葉を繋いだ。
「...俺、もともとレンダの兵士だったんです」
「レンダの...」
「それはケリーも一緒。俺も昔はウィグルの力があって、モビルスーツを動かせてた。でも...」
「......」
スコットの口数の少なさが、今のリウヴィルにはかえって有り難かった。
「...いつからか、俺、モビルスーツを動かせなくなって...」
「......」
「...それで、捨てられたんです、レンダに」
「...そうか...」
ウィグルの力は、人間が持っている他の能力と本質的には大差がない。怪我をしたスポーツ選手はパフォーマンスが落ちることもあるし、脳の病気で知能が損なわれることもある。アルス波も同じで、心を病んだ人のアルス波が大幅に衰えることはある、と聞いたことがある。
「...それで、ケリーが立てた対レンダのレジスタンスに情報を持ってる奴として拾われて、そこで小間使をしてました」
「小間使って、お前...」
「それに不満があるわけじゃないよ、俺。でも、結果的にケリーに頼り切りになっちゃったし...情けなくて」
視線を反らして寂しく笑うリウヴィルの横顔に促されて、スコットは自分のことを考えてみた。自分は解放戦線では唯一のウィグルとして頼りにされてきたし、その力、その立場を失うなんて考えたこともなかった気がする。高校生の頃に覚醒して、アレスに誘われて解放戦線を立ち上げた。自分がウィグルじゃなかったら、アレスは自分を誘わなかったかもしれない。自分がもし、ウィグルじゃなくなったら...
「違う!」
「え!?」
考えるより先に口をついて出た否定の言葉。さしものリウヴィルも少し驚いた。
「俺は解放戦線で一人しかいないウィグルなんだ。だから俺がウィグルじゃなくなったらみんなが困る。だけど、そのせいで俺に価値がなくなるなんて、みんな思わないはずだ...だから、お前も...」
いつもの流れるような調子で演説を始めたスコットの声はすぐに小さくなっていった。リウヴィルは思う。この人にも確信はないんだ。自身が俺と同じようにウィグルじゃなくなったら、どうなるのか全く...それでも、スコットのその言葉はリウヴィルには救いになった。久しぶりにかけられた、励ましの言葉だった。
「...そうだね。ありがとう」

二人を含め大多数は早々に上がったが、アレスは水遊びを珍しがる砂漠の月の連中と日が暮れるまで遊んでいた。南極に近いこの島は日が暮れると途端に冷え込む。寒くなってから我に返ったアレスたちは、ぶるぶる震えながら地下壕に戻ってきた。犬のような彼らを見て、スコットとリウヴィルは顔を見合わせて吹き出した。

動き出す幻獣軍

地下壕には芋を練った妙ちきりんな食料が用意してあった。「ハヤイモ」と呼ばれるアジア発祥の芋で、僅かな水でも育つという。旨くはないが、栄養価は高く、人類はこれのお陰で餓死しにくくなったとされる芋だ。もっとも、人口が減って食糧事情が相対的に改善した現代、これを好んで食べる人は少ない。一同はまずいマッシュポテトを食べ、アジャンが作ったであろう、砕いた枯れ葉をビニールに包んだクシャクシャの布団で眠りについた。
翌日彼らの目を覚ましたのは、MSの足音だった。外へ出てみると、リリエンタールとリトヴァックにそれぞれMSが積み込まれている。MSはブラッドガンダムによく似ていた。
「おはよう!!」
MSのコクピットから大声でアジャンが叫んだ。彼はそこから飛び降りると、呆然とする一同の目前に着地した。アジャンはそんな彼らを気にもとめないかのように演説を始める。

「諸君!今日から幻獣軍として共に戦ってもらう。知っての通り、我々の目的は世界中の既得権益の破壊だ!中でも最大脅威である、MASEとレンダに対抗できる軍事力を確保せねばならない!!
我々はレジスタンスの得意とするゲリラ戦術で戦わざるを得ないだろう。だが、敵の独立部隊を狙ったチマチマした戦略は、支持母体を持たない我々には長くは続けられない!我々に必要なのは勝利!小さくても、世界中の人々を奮い立たせる勝利だ!!
諸君!忘れないでほしい、我々の勝利を待ち望んでいる人々が世界中にいることを!我々が勝てば勝つほどに、世界は我々についてくる!諸君はそれを体現するのだ!!」

「...アジャン、威勢のいいのはいいが、実際どうするんだ?」
スコットの反応は冷ややかだった。
「安心しな。最初の目標はレンダのイーグル基地だ」
「イーグル基地!?」

イーグルはレンダ中東方面軍の最大拠点である。レンダの大型拠点としては最も新しい部類に入り、最小限のDAMASしか搭載しない一方で、砂漠地帯の地下に隠したMS生産設備と練兵場を持つ、まさにMS時代の拠点といえる。これだけの情報が全員に共有されているのは、国際SNSアノニマスのレンダ公式アカウントが宣伝していたためだ。場所こそ秘匿されてはいるものの、MSの生産能力とウィグルの人数が戦力の決定的差となる現代において、そのアピールのためにレンダは公開したのだろう。砂漠の月への圧力が強まってきたのもイーグルの稼働前後からであり、中東を制圧するための拠点と考えて間違いはない。アジャンに真っ先に落とされたMASEのディエゴ基地も、イーグルの偵察のための前哨基地とみる向きが強い。
そもそも場所さえわからない、そんな大型拠点にどう挑むというのか。

「イーグル攻略の第一条件...まず、場所を知らなきゃいけないよな?だけどな、間抜けなもんだよ。ウィグルじゃない人間がウィグルをまとめているんだからな」
「どういうことだ?」
アレスが口を挟む。
「強力なウィグルになると、微弱なロス場の動きも感知できる。ウィグルが一箇所に多数集まって集中してMSを動かせば、あるいはビーム兵器を使えば、わりと近くにいればそれを感知できる」
ケリーが驚愕の表情を見せる。
「中東勢力圏のDAMASの配置からしてイーグルの場所は大体予想がつく。あとは正確な場所を特定するだけ...ここから先は、中で説明するとしよう」

ハード・ハートの食堂に戻った一同。いつの間にか机の上は片付いており、その天面が巨大なスクリーンになっていた。アジャンは最初から、この人数が自分についてくることを読んでいたに違いなかった。
「俺がアルス波を読み取った限り、ルート砂漠...この地下にイーグルがあることは間違いない。今回の作戦は、俺が宣戦布告のときにDAMASを破壊し安全にしたルートを通ってルート砂漠の上空まで行き、夜襲をかけて制圧する」
「場所がわかっても入り口が開かないだろう、どうするんだ」
ケリーが尋ねる。
「秘密兵器がある...そいつで風穴を開けてやる。おそらくは地上に多少のMSが出てくるだろうが、そいつらを撃破すれば内部に侵入して蹂躙するだけだ」
「秘密兵器?」
「それは本番のお楽しみだ。で、編成だが、引き続きアレスにレギオン、ベトルーガにデザートムーンを託す」
レギオン、デザートムーンは、それぞれ解放戦線と砂漠の月が鹵獲したリトヴァック、リリエンタール各級につけた名称である。
「レギオンに俺、ケリー、スコットのMS隊を配置し、地表および地下の攻略に当たる。デザートムーンには共振粒子砲で援護してもらう...作戦は以上!さっそく訓練に移る!」
不安に思う暇もなく、幻獣軍人たちは訓練に駆り出された。

艦隊のブリッジクルーは砲撃演習を、解放戦線の突撃隊は武器の手入れを始めた。そして、数少ないウィグルであるケリーとスコットはアジャンに連れられMS工廠に向かっていた。
「こいつが俺の開発したMS、ベル・ドゥだ。ブラッドガンダムのフレームをそのまま使ってるが、性能は誰でも使える水準に調整してある」
「ブラッドガンダムの量産型...」
強い関心を示すケリーと対照的に、スコットは硬い表情でMSを見上げていた。
「操縦系はリベラとアンジュになるべく合わせたつもりだ。基本的な動作はミスリルネットワークで、スラスターは左右のレバーで操作する。早速乗ってもらおう!」
そういうとアジャンはコクピットに飛び込んだ。ケリー、スコットもそれぞれコクピットに乗り込む。
「通信は量子テレポート通信だ。俺の特製品だぞ」
「量子テレポート?」
「距離に関係なく、ラグもない通信だ。ただし音声だけしか送れないがな。映像は通常のデータ通信だから戦闘中のやり取りは難しい」

正規兵としての訓練を受けたケリーはもちろん、スコットも歩くだけならばさほどの苦労はなかった。ただし左右のスラスターをレバーで制御するのは初めてではかなり難しい。ジャンプの練習―それがMSパイロットの最初の壁だった。ようやく垂直に飛べるようになっても、今度は左右へのブーストが待ち受ける。スコットは何度も転び、その度に起き上がった。ケリーが手を貸したことも一度や二度ではない。
なんとか飛べるようになったスコットに次に待ち受けていたのはビーム兵器の扱いだった。
「ケリー、あとは頼む!」
「え!」
「お前ならスコットを見てやれる!」
そう言うとアジャンは空中のレギオンに向けて飛んだ。MSの着艦を試すつもりらしい。
「...あー、じゃあ、スコット、ビームショットガンを撃ってみるか」
「...よろしく」
「ビーム兵器を使うときは、手持ちの部分に意識を集中するんだ。全身に力を入れるとすぐ疲れる。アルス波をMSの腕を通してロス粒子に流し込むイメージだ。まあ、すでに撃ったことはあるらしいから、練習あるのみだろうな」
「...わかった」
「...寡黙な奴」
ビームショットガンは共振粒子を拡散させて撃ち出す。戦闘経験の少ないパイロットでもこれなら当てやすいだろう。ただし一発あたりの消耗は大きいようで、3発も撃つとスコットはまた疲労困憊になった。
「スコット、一旦やめておけ、無理してもすぐにはできるようにならない」
「...そうか...」
「...俺は戻るぞ?」
「...ああ、ありがとう」
「...なんだ、あいつ」
ケリーには、戦闘能力の低い上に愛想のないスコットは、どうも面白みのない存在だった。

イーグル攻略戦―前編

わずか1日の付け焼き刃の訓練を経て、幻獣軍艦隊はルート砂漠へ向けて出発した。まだ空も白む前、イーグル基地上空にブラッドガンダムの姿があった。イーグル基地の司令室には警報が鳴り響いた。
「何事だ!」
「光学映像出ます...ブラッドガンダムです!」
「何?ここを嗅ぎつけたというのか!?どうやって...」
「しかもあれは...なんでしょう、バズーカのようなものを」
ブラッドガンダムは見慣れない大砲を右肩に抱えていた。
「DAMASを出しますか?」
イーグル基地司令のドン・チューエー准将は落ち着き払っていた。
「いや...みる限りあの程度の火器なら、このイーグル基地の岩盤すら貫通はできん。DAMASを出してもどうせ破壊される」
「では...」
「核だとしたら、あんな距離で撃つことはできん。奴が何をするか見て、そのあとでMSを出して撃墜すれば良い」

空中のアジャン。
「ウィグルの気配はあのあたりに一番感じる...おそらくはパイロットの宿舎か...しかしアルス波は弱い...基地は動かんか。俺に気づいていないはずはない...やはり、思った通り...」
意味深に呟くと、肩に乗せたビーム砲―バスターランチャーを構えて目を見開いた。アジャンの秘密兵器とは実に単純なもので、単なる巨大なビーム攻城砲であった。ただ、その大きさは確かに常軌を逸していた。巨大なミスリルタンクには莫大なロス粒子が貯蔵され、さしものアジャンもこれをすべて共振させるのにはそれなりの集中を要するのだった。だが、チューエー司令の余裕が、却ってアジャンにその隙を与えたことになった。
「高エネルギー反応!」
「何?あれはビーム砲か!?」
「司令!」
「しかし、この岩盤を貫通するほどのビームを共振させるウィグルなどいるはずが...」

「...おおおぉぉぉぉ!!」
宵闇に突如現れた光の柱が、地下に潜る悪魔を裁くかのように大地に突き立った。奔流は岩の防壁を熔かし、隔壁をも貫いて、若く無邪気なウィグルたちの頭上に降り注いだ。居住区に直撃したビームは、未明に休んでいた人々を根こそぎ焼き払い、砂漠にキノコ雲を立てた。大混乱で逃げ惑う人々。

恐怖していたのはレンダ軍の兵士ばかりではない。
「あ、あれが......アジャン...」
デザートムーンのオペレータ席に座っていたリウヴィルは、絞り出すように声を上げた。ハード・ハートで見た、小柄な少年にあれだけの力があったとは...
リウヴィル自身、ウィグルとしての力に苦しめられた過去はある。ウィグルは、アルス波を介して近くのウィグルの気配を察知することができる。当時の彼にとって何よりの苦痛は、そういうウィグルたちが死ぬ瞬間、彼らの"気配"がふっと消滅する瞬間だった。それが彼に人を殺すことをより強く実感させ、彼の心を蝕んだ。
アジャンはアルス波でわざわざ宿舎の位置まで特定してビームを撃ち込んだ。そんな彼にあの恐ろしい感覚が宿らないはずはない...それでも、彼は…

「あんな量の粒子...一生かかっても使い切れない...」
ケリーもアジャンの力に驚愕していたが、その意味はやはりリウヴィルとは全く違うものだった。ウィグルとしてのもはや桁外れの力。自分とは違う、桁外れの力...
そんなケリーの憔悴を知ってか知らずか、デザートムーンの艦長―ベトルーガは満足そうな笑みを浮かべていた。

「ハァ...ハァ...艦隊、前へ、出ろ!」
流石のアジャンも息切れしたようだ。しかしブラッドガンダムの挙動は相変わらず俊敏だった。彼はデザートムーンのリウヴィルに通信を繋いだ。
「リウヴィル、ブラッドガンダムは帰艦する!ベル・ドゥの予備を出せ!」
「え!?」
「今のビームでガス欠だ!ミスリルコアを一旦休ませる!俺が合図したら射出しろ!!」
ミスリルコアの発電能力は実質無限とはいえ、瞬間的な出力には限度がある。機体に貯蔵されている電力を一気に使い果たしたブラッドガンダムは一時的なパワーダウンに陥ったようだ。アジャンはすぐさま機体を取り替える。
「ケリー、スコット、来い!地上にMSが湧き出るぞ!」
「了解!ケリー・ハワード、出る!」
「...スコット機、出るぞ!」
スコットの表情はいつも以上に硬かった。

「スラスターをふかせ!」
「スピードが出てる、スピードが」
「落ち着け!この程度なら大丈夫だ!」
初めての発進に恐怖を隠しきれないスコットをアジャンが励ます。3機は無事降下したが、隠しハッチからMSが10数機出現した。
「貴様らはショットガンで援護しろ!俺が狙っていない敵を撃つんだ!」
アジャンはそう叫ぶとアンジュ部隊に突進した。ケリーとスコットは言われるがままにショットガンを構える。
「くそっ、こいつ!」
「ちょこまかと!」
機体性能に大差がなければ、アジャンの技量が勝る。ビーム弾を回転して華麗に回避すると、その勢いのままにビームスピアを叩きつけ、さらには左手でショットガンを抜くと、敵に見向きもせずに発射。瞬く間に6機を撃破した。
残るアンジュは散開してアジャンを包囲しにかかるも、左右に展開した部隊はケリーとスコットのショットガンに狙い撃たれた。
「確かに当てやすい!」
ケリーが満足げに呟く。結局、地上に出撃したMS部隊はあっさりと蹂躙された。

「もっとMSを出せ!」
「パイロットが足りないんです!宿舎が撃たれて」
「ええい!奴らに踏み込まれるぞ!こうなったらリュウを出せ!」
チューエーの怒号が響く。
「地上のMSは倒したか?これっぽっちしか出てこれないとは、やはり宿舎を狙って正解だった...地下へ向かうぞ!デザートムーンは手はず通り、地上をビームで砲撃!湧いてくる敵を潰せ!」
アジャンは小隊を引き連れ、バスターランチャーの風穴へ飛び降りた。未だ爆風の余波は残っており、そこらじゅうが燃えている。
「アダマントは熱には弱い!燃えているそばで戦うな!」
降下したアジャン隊は司令塔に向けて進撃し始めた。爆心地付近の人々が一目散に司令塔へ向けて逃げていて、位置の特定は用意だった。だが。

「...何だ?」
行く手に立ちはだかる大型のMS...と思しき兵器。思しき、というのは、その兵器は通常のMSのように2本足ではなかったからだ。
「四つ脚!?」
ケリーが叫ぶ。確かに下半身が馬のように見える。あんな複雑なMSを操作できるとなれば、通常のパイロットとは到底思えない。
「...ケリー!スコット!貴様らはMSをやれ!」
左右からすでにアンジュが出撃してきている。アジャンは二人を後ろに下げると、四つ脚の化け物に向かって突進した。
「この俺とケイローンガンダムを相手に逃げんか...上出来だ、楽しませて見せろ!」
ビームスピアを振りかざして斬りかかるアジャンに、ケイローンガンダムはビーム方天戟を悠然と構えた。武器のパワーに明らかな差があるが、アジャンは柄を打ち合わせて対抗する。

「やるな!貴様がウェル・アジャンか!」
「いかにも!貴様は!?」
「俺の名はリュウ・ベルベット!呂奉先の再来だ!!!」
呂布の再来を名乗る男は、アジャンとの格闘戦でも一歩も引かなかった。しかし、アジャンも天性の格闘センスの持ち主である。方天戟と四つ脚で小回りが効かないのを見抜き、更に距離を詰めると右足で胴体にラウンドキックを叩き込んだ。

「ふん!」
コクピットにかなりの衝撃が走ったはずだが、リュウは微動だにしなかった。そして平然と方天戟を上段に構えると、一気に振り下ろしてベル・ドゥの左腕を叩き切った。アジャンも機体の捻りを利用してビームスピアを回転させ、ケイローンガンダムの左マニピュレータを破壊していたが、次の太刀でスピアを真っ二つに叩き切られ、後退してビームピックを拾い直す羽目になった。
「やるようだが...これで終わりだ!」
「何!?」
「ぬぉぉぉぉ!!最強を見せてやる!!!」
距離を取ったアジャンに方天戟を向ける。赤黒い共振粒子を纏った方天戟から、稲妻が放たれた...上方へ。その稲妻はイーグルの天井を破壊し、空いた穴から大量の砂が流れ落ちてきた。アジャンはビームが発射される直前に方天戟の下へ滑り込み、ビームピックで方天戟を突き上げて軌道を変えさせたのだった。
「ぬぅ!」
「大した奴だ...こいつで倒すには時間がかかりすぎる!今は引かせてもらおう!!」
倒せない、とは決して言わずに引き下がるアジャン。本心か意地か。
「貴様!!」
激昂して追跡しようとするリュウ。だがその瞬間、チューエーからの通信が入る。
「何をしているリュウ!MSの撃退は貴様の役目だろうが!」
「たった今、撃退はした...」
「馬鹿め!MSは一機ではないのだぞ!!他の2機が暴れ回っておろうが!!」
「...」
「早く追撃せい!!あとの2機も仕留めろ!!」
「,,,」
見るからに興の冷めた様子のリュウ。
「おい、聞こえているのか!!おい!!」
言い終わらないうちに通信を切ると、ケイローンガンダムはゆっくりと司令塔へ向かって帰還していった。

イーグル攻略戦―後編

「うおおおおおおおお!!!!」
レギオンが風穴に向けて特攻をかける。岩盤をかすめて地下に突入すると揚陸し、アレスは解放戦線を率いて出撃した。居住ブロックに残っていた兵士との銃撃戦を開始する。幻獣軍のアダマント製歩兵用アーマーの防御力は卓越しており、歩兵同士の銃撃戦での優位を確保していた。

一方、前線のMS戦は互角に推移していたが、不慣れなスコットはアルス波が尽きかけていた。
「おい、それ以上無理するな!」
「ハァ...ハァ...ケリー...しかし!」
「後退しろ!足手まといだ!!」
「くっ...」
その瞬間、ハッチの影からアンジュがビームピストルを撃ち込んだ。スコットへの直撃コース。割って入るベル・ドゥ。
「アジャン!?」
ケリーの声。ケイローンガンダムとの戦闘で武器を失ったアジャン機が身を挺してスコットを庇ったのだ。胸部に直撃を受け、機体が白い煙に包まれる。
「ちぃっ!!」
新兵が操るアンジュは、狂乱状態で更にビームを数発撃ち込んだ。爆散するベル・ドゥ。
「アジャン!!」
スコットの泣き叫ぶような声が走る。だが、次の瞬間彼のアルス波がアジャンの生気を捉えた。

「ケリー!スコットを連れて爆心地に下がれ!」
ベル・ドゥの頭…もとい、脱出ポッドからアジャンの通信が入る。彼はそれだけ言うと脱出ポッドから飛び出し、ケイローンガンダムが開けた天井の風穴へ向けて空中を駆け上がった。
「...リウヴィルゥゥゥゥ!!!!」
岩盤を揺るがすような彼の絶叫が響き渡った。声が聞こえるはずもないのに、リウヴィルは彼の意図を認識した。
「ハッチ!ブラッドガンダムを射出!!」
「射出!?」
ハッチは慌てた。
「射出ってどうする!パイロットもなしで!」
「ハンガーで押せ!!」
無理やりハッチから押し出され、墜落していくブラッドガンダム。そのコクピットに、アジャンが突入する。
「よくやった...充電は十分!」
空中で態勢を立て直すブラッドガンダム。蟻地獄のように砂が流れ落ちる風穴に再度突入する。

「ブ...ブラッドガンダムだぁ!!」
アジャンは恐怖に逃げ惑うレンダの新兵たちを瞬く間に撃ち抜いた。僅かなMS戦力を根こそぎ奪われ、レンダの戦線は明らかに崩れ始めた。
徒歩や車で司令塔へ向けて脱走する兵士たちも見える。アジャンは早くも疑問を感じていた。
「大勢は決したはず...なぜ奴ら、投降しない?」
投降を厳禁されているとしか思えない動きだ。自分たちは最も安全な司令塔にいながら、前線の兵士に逃げることを禁じる。アジャンは卑劣な司令官に憎悪を覚えつつも、逃げ惑う人々をビームチェーンガンで撃ち続けた。

イーグルの司令塔では、チューエー司令のもとにリュウが帰還していた。
「馬鹿者!どの面下げて帰ってきたか!!戦場に戻れ!基地を死守するのだ!!」
「この戦闘は負けだ、チューエー...すぐに撤退指示を出せ」
「何様のつもりだ!この設立したばかりの基地を捨てろと言うのか!死守だ死守!!」
「...」
無表情のまま、リュウは背中に背負っていた方天戟を構える。
「な、何をするつもりだ!貴様、反逆者ならば...!」
チューエーはいきなり銃を抜くと、リュウへ向けて撃った。だが、方天戟に弾き返される。
「ぬん!!」
リュウが方天戟を突き出すと、ロス場の衝撃波が生じてチューエーは吹き飛ばされた。パネルに叩きつけられたかつての上司に、リュウは無表情のまま近づいていく。
「き、貴様...これまで目をかけてやったというに...」
「...最初の襲撃のときに、パイロットを司令塔へ逃していれば、まだ抵抗できただろうに」
「何...?」
「優れたウィグルは他のウィグルの気配を読める。若いパイロット共を貴様がどう誘導したか、俺には分かっている」
「貴様...!」
「貴様らはウィグルを使い捨てにしすぎた。俺達はもう、貴様の戦争の道具ではないということだ」
「化け物の分際で!!」
それがチューエーの最後の言葉だった。次の瞬間、リュウに投げつけられた方天戟に貫かれて、彼の心臓は動きを止めた。

「うん?」
突如撤退の動きが加速したことに違和感を覚えたアジャン。今までの指揮官の指揮とは思えない。
「リュウ・ベルベット...もしかすると、指揮権を握ったのか?ならば...デザートムーン!」
アジャンはベトルーガを呼び出した。
「敵は撤退を開始した!今指定したポイントに敵の車両が出てくる可能性が高い、共振粒子砲で制圧しろ!」
「了解した...」
回頭するデザートムーン。共振粒子砲の射程に、地下からの車両が上がってきた。
「待ってベトルーガ!撃つ前に俺に時間を!」
「何?」
「レンダのリトヴァックならスピーカーが付いてるはずなんだ!」
デザートムーンの艦底から拡声器が出てきて、逃走する兵士たちに呼びかけた。

「レンダ軍に告ぐ!今投降すれば命の保証はする!投降しろ!」
レンダ軍の若い兵士たちが一斉に艦を見上げた。
「俺はもともとレンダの兵士だった!軍を追い出されてこっちにいるんだ!お前たちが戦いたくもないのに戦わされてるのは知ってる!仲間もいる!投降しろ!!」
撤退する隊列に明らかな乱れが生じた。若い兵士にリウヴィルの言葉は刺さったらしい。投降しようとふらふらと列を外れる車両がいくつも出てきた。だが、その後ろから督戦隊が銃を向けた。
「な...何をしてる!?」
隊列を離れた新兵は蜂の巣にされた。
「やめろ!よせ!督戦隊!!」
訴えは届かない。
「撃つな!撃つなああああ!!」

「粒子砲、照準...撃て!」
ベトルーガが声を上げた。デザートムーンの共振粒子砲が、隊列の最後尾に狙いを付けて火を吹く。だが、そこにいたのはあの「四つ脚」だった。
「...おおおお!!!」
リュウの咆哮とともにケイローンガンダムは再び方天戟を掲げた。雷撃が放たれ、共振粒子砲のビームにぶつかり一瞬のうちに消滅させる。
「何!?」
雷撃はなお勢いを失わず、艦に迫る―

「でやああ!!!」
その雷撃を斬り裂いたのはブラッドガンダムだった。いつの間にやら地上へ上がってきていたアジャンは、デザートムーンの直下で一部始終を見ていたのだった。
最後の一撃を防がれたリュウは、憮然とした表情で砂漠の朝日の彼方に消えた。

自由

「アジャン、地下施設の制圧は完了した。人質が十数人残ったがどうする?」
「ご苦労...俺が直接会おう。解放戦線の面々はまずは休んでくれ...」
「アジャン...」
「アレス...慣れてるんだな。仲間を失うことに」
「...慣れてなんかいるもんかよ。何度もあったけど、何度やっても慣れねえよ」
「...すまん、そんなつもりじゃなかった」

気丈なアレスと対照的に、アジャンは沈んでいるように見えた。その表情からは戦勝の喜びなど微塵も感じられなかった。
無論、アレスも気丈に振る舞っているだけで、手放しで喜んでいるわけではない。解放戦線のメンバー2名が、降下作戦中に殺されたのだ。しかし、アジャンの言う通り、アレスは仲間を失うことは多く経験してきた。負けて死ねばまだいい方、逃げられたり裏切られたりも何度もあった。それがいつしか彼にある種の諦観をもたらし、また彼自身がそれを振り払うためにアジャンの言葉に逆らったのだ。

「素直だな?そんな奴だとは思ってなかったぞ」
「...ふっ」

アレスの喝が効いたのだろうか?アジャンは少し表情を緩めると、居住ブロックの方へ歩き始めた。一棟だけ生き残った宿舎のロビーに、十数人のレンダ兵が集められていた。彼らは戦闘中、宿舎にこもって震えていたために難を逃れたのだ。アジャンは見張りを帰すと、新兵たちに向き直って語り始めた。
「諸君...俺がウェル・アジャンだ。今回、君の同僚たちを殺したのは俺だといっていい」
思わぬ言葉に新兵たちは驚愕の目を向けた。
「君たちは、なぜ自分たちは来たくて来たわけでもないこんなところで、こんな目にあわされるのかと疑問に思ったかもしれない。その通りなんだ。君たちは、なぜこんなところに来てしまった?来たかった者はいるか?」
誰も手を挙げない。
「...では、なぜここへ来た?教えてくれる者はいるか?」
アジャンの言葉は優しかった。一人の新兵がおずおずと手を挙げる。
「俺は、小さい頃にウィグルの素質があると言われて、それ以来施設で、教官の言う通りにしてきました。ここへ来たのも、教官に言われたからです」
「そうか、ありがとう。同じだ、似ているという者は?」
残りの者の多くが手を挙げた。
「ありがとう、下ろしてくれ。今手を挙げなかった者は、どこが違う?」
か細い声で答えが返ってきた。
「俺は、ウィグルじゃありません」
「そうか、ウィグルじゃないが、同じようにここへ来た者は?」
後の若者たちが手を挙げた。
「ありがとう。下ろしてくれ」

「...君たちはここに着いたばかりで、これから兵士としての訓練を本格的に行うはずだった。だが、君たちに訓練を施してくれるレンダの教官はもういない。で、君たちに尋ねたい...もし、今からどうしてもいいと言われたら、どうする?」
新兵たちは顔を見合わせた。「何をしてもいい」なんて、生まれてこの方言われたこともない、とでも言うかのように。
「俺がもし、君たちを束縛することなく、もうこれで終わりだ、好きなところへ行っていい、と言ったらどうする?」
もう一度尋ねるアジャン。答えられない新兵たち。
「...分かるか?俺がこんな手段を選んだ...世界を相手に戦いを引き起こした訳が。今、世界中の人間たちが君たちと同じように、自分が何をしていいか分からない、何もしないんだ。それでいて、自分が与えられたものに文句ばかり言ってる。ただ従いながら、文句ばかり。そんなことがもうずっと続いて、人間が減り始めて、社会が後戻りし始めて、それでもずっとこのままなんだ。俺はそんな世界を変えようとしているんだ。自分が何を為すべきか、誰もが真剣に考える世界を作って、人間という種を未来に残したいんだ。この先ずっと、宇宙が滅びるまで」
徐々にアジャンの語気は狂気を帯びていった。
「そのためには肥大した勢力が邪魔なんだ。大きくなった組織は、その存在を守るために、若者たちを潰して取り込んでいってしまう。ちょうど君たちのように!俺はそんな奴らを許さない!絶対に許さない!!」
彼の美しい大きな目は見開かれ、血の涙がこぼれ落ちんとするようだった。
「...君たちは解放する。俺たちはテロリストだ。国家と人質の交渉ができる立場じゃない。君たちは好きにしていい。だが、俺たちとともに戦うというのなら、俺たちは拒まない...」
アジャンが話し終わっても、誰一人として立ち去ろうとはしなかった。それが彼らの答えだった。

敵意

アジャンは言葉巧みに人質の新兵たちを丸め込むと、彼らをアレスに託し、自分はデザートムーンへ向かった。着陸した艦のブリッジで、ケリーとベトルーガが戦勝を語り合っていた。
「アジャン!大勝だったな、被害をほとんど出さずにこの戦果とは」
「ケリー...ご苦労だった。初めて使ったベル・ドゥであれだけやるとはな」
「伊達に砂漠の月を守って来たわけじゃねえぜ」
得意げなケリーの横からベトルーガが口を出す。
「アジャン、もう教えてくれていいだろう。なぜこの基地が新兵ばかりだと踏んでいた?最初からそれがわかっていたとしか思えん」
「...MS生産工場に練兵場...奴ら、単なる宣伝のつもりだっただろうが、アノニマスに多くを書きすぎたんだよ」
「何?」
「そもそも中東はレンダにとって、対MASEという意味ではもっとも安全な地域だ。そこにMS工場と練兵場を置くこともまあまあ理にはかなってる。だが、ならなんでわざわざ宣伝する必要があった?それは中東のレジスタンス...砂漠の月への牽制だ。奴ら、お前たちをターゲットにして新兵を実戦訓練するつもりだったんだよ」
「...」
「まあ確かに、戦力の乏しいレジスタンスが相手なら良い機会だっただろうな。だからこそ、中東にさほどの戦力は割いていないはずだと読めた。だが...」
「...あのモビルスーツか、四つ脚の」
ベトルーガは一番聞きたかったことを聞いた。
「...ケイローンガンダムのリュウ・ベルベット、と名乗っていた。自分で呂奉先の再来とまで言ってたな」
「リョホウセン?なんだそいつは」
ケリーはこの手の話題に興味はないらしい。ベトルーガが解説を入れる。
「古代の中国で英雄と言われた将軍だ。無双と言われたほど強かったという。あの長い得物も方天戟と言って、その呂奉先の愛用の武器と言われている」
「へぇ...」

アジャンが説明を続けた。

「で、あれだけの長物を扱うとなればそれだけでかなり難しいもんだ。それを片手で軽々と。モビルスーツ以前に武術だけで大した奴だ」
「...」

ベトルーガが唇を噛んでいる。知りたいのはそういうことではないらしい。

「もちろん、ビーム方天戟の出力といい、あの雷撃といいウィグルとしてもとんでもない水準だ」
「そうか!奴と比べて自分はどうだ?アジャン」

ベトルーガがいきなり溌剌として言葉を返した。

「俺と?さぁな。負けてる気は全くしないが...だが、少なくとも世界で5本の指には入るウィグルだろうよ。戦闘力も含めて、あれが天然に生まれて来たと考えると恐ろしい話だ」

少し引っかかる言い回しだったが、ベトルーガーは満足したらしく、気に止めなかった。

「そうか、そうか...」

満足げなベトルーガをよそに、ケリーが質問を重ねた。

「あの四つ脚はなんだったんだ?あんなMS、どうやって操縦するっていうんだ」
「多分だが...あいつは馬にもそうとう長けてると思う。馬を自分の体の一部のように操れるから、あんな芸当が可能なんじゃないかね。いきなりやれと言われたら俺にもできるかどうか」
「おいおい...バケモンじゃねえか」
「ああ、だが今度は倒す...っと、おしゃべりはこのへんだ。俺は用があって艦に来たんだ」

そういうとアジャンは席を立ち、デザートムーンの居室へ向かった。

「リウヴィル」

部屋の外からの声に、机に突っ伏していた彼は起き上がって戸を開けた。

「アジャン...」
「偉いじゃないか。そんな状態でも出てきてくれるんだな」

リウヴィルの白い肌には、赤く染まった目が余計に映えていた。彼は思わず顔を背けたが、アジャンは無遠慮にもつかつかと部屋に踏み込み、平気な顔で机に座った。小柄な彼の足はプラプラと浮いていた。

「リウヴィル...」
「...」
「...」

長い沈黙が続いた。

「...アジャン」
「...うん...」
「...俺、何が間違ってた?」

絞り出したのは自責の言葉だった。

「...間違ってたと思うのか?」
「...でなきゃ、あんなに死なせずに...」

声が震えて涙がまたこぼれ落ちる。優れたウィグルにして優れた兵士だったこの青年の最大の弱点は、常に自分を責め続けていることそのものだった。それが彼の心を蝕み、力までも奪っていったのだ。

「...あのとき俺の言ったとおりにベトルーガが撃っていれば全員殺していた。お前がああ言ったおかげで奴らは全滅はしなかったんだ。そうだろ?」
「......でも...」
「...お前が死なせたくなかった奴らが死んだ」

リウヴィルは声には出さずに頷いた。これを声に出して肯定するほどの勇気は彼にはなかった。

「...お前は優しいヤツだからな。でも、ああいう督戦隊がいる限り、お前の声は届かない。それに、あの督戦隊だって家族を人質に取られてる...」
「...うん」
「だから俺は根本を断ちたい。悲しみの連鎖の、根本を」
「...そのために、撃つの?」
「撃つ。どのみち奴らの大半は本国で殺される」
「...俺には、出来ないよ...」
「...いいんだ、出来なくて。それがリウヴィル・アストラルなんだから。それは俺の役目だ」

冷たく、そして暖かく言い放つアジャンに、リウヴィルはどこか悲愴な影を見た。俺の役目...?罪もない若者たちを殺すのが?
アジャンに会ってまだ数日しか経っていない。だがリウヴィルには目の前のこの少年がどうしても、世間で言われているような血も涙もない化け物とは到底思えなかった。逆らうものは容赦なく殺すと言い放ち、それを実行に移している。本来なら彼が一番嫌いなはずの人間だった。だが、何かが違う...

「...じゃあ、俺の役目は、何?」
「お前にはお前にしか出来ないことがあるんだ。俺の声が聞こえただろう?」

リウヴィルは、アジャンの聞こえるはずのない声に応えてブラッドガンダムの射出を命じた瞬間を思い出した。

「あれは、なんだったの?」
「優れたウィグルは他のウィグルの気配が読める。それだけさ」
「でも、俺の力は...」
「アルス波ってのは世間の連中が思ってるほど単純なもんじゃないんだ。お前の力は完全に枯渇したとレンダの教官共は思っただろうし、バカ正直なお前のことだ、奴らの言葉を信じて自分の力に蓋をしてきたんだよ。だがお前の能力は枯渇なんかしちゃいない。確かに一時的には弱まっただろうが、今はもうかなりの水準まで回復してるはずだ」
「そんな...」
「だが、その力をどう使おうとお前の自由だ。ウィグルは戦争の道具じゃない。その力を幻獣軍のために使うのも、使わないのもな」
「......」

リウヴィルは背筋が冷たくなるほどの不安を感じる自分に気づいた。アジャンはそれを知っていたかのように言葉を続ける。

「...自由って嫌だろ?誰かに決めてもらって、その決定に文句を垂れながら従うほうが遥かに楽なんだよ。世の中にはそんなやつのほうが多いってことがそれを証明してる」
「...」
「でもそんなことばっかりやって、人類は世の中をこんなにしちまった。俺はそういう奴らと戦うための手段としてこの戦争を起こしたんだ」
「アジャン...」
「ま、そんなわけで、俺はレンダやMASEの若い兵士なんか本当は一人も殺したくはねえんだけどな。だが、奴らもまた力を持ちながら、誰かの決めたことにただ従うだけの連中だというなら...容赦はしない」

最後の一言だけが耳の奥にまで染み込み、リウヴィルはまた違った寒気を覚えた。

「...俺が戦わなかったら、アジャンは俺を殺すの?」

不安が顔に出ているリウヴィルを、アジャンは妙な視線で見回すとニヤリと嫌な笑みを浮かべた。

「んなこたねえよ。自分で決めて選ぶなら、俺の敵にならない限りは、大事にするぜ?」

砂漠の空には太陽が高々と上り、不快なほどの熱が地上に降り注いでいた。

ポリシア自警団

アジャンは南米に飛ぶブラッドガンダムのコクピットの中でスヤスヤと寝息を立てていた。世界を敵に回して戦うこの少年がいつ寝ているのか世間ではしばしば問われるところだが、解答は存外安直なものである。
イーグル攻略に使った戦力はすべてルート・ガスター―イーグル基地の幻獣軍での名―に残していた。戦闘経験の少ない彼らはこんな連戦に到底耐えられないし、幻獣軍にはMSもパイロットも輸送艦も不足していた。アジャンはそんなことすべて折込済で、たった一人で南米に向かって飛び続けている。それは彼にとっていつものことだった。
それにしても、振動も少なくない飛行するMSの中で良くも寝付けるものである。彼は夢も見ない。寝ようと思った瞬間に眠れ、そして起きようと思った瞬間に起きることが出来る。これも、彼の父が彼に与えた歪んだ贈り物の一つであった。睡眠とは脳と身体にエネルギーをチャージするだけの無機質な時間にすぎず、それを完全に制御し時間を最小限にすればより効率よく活動できる、と思ったのだろう。それは実際間違っていなかったらしい。

ぱちり、と音がしそうなほど大きな瞳が開いた。その数秒後、ブラッドガンダムのモニタに通信が入る。
「...」
「...もしもし、南米自警団ポリシアです」
「...幻獣軍のウェル・アジャンだ」
モニタの向こうでざわつきが起きた。先方―南米自警団「ポリシア」のメンバーたちが顔を見合わせたのだ。

「アジャン総帥。私はポリシアのエドワード・ペレルマンと申します。この度は協力、感謝します」
壮年の黒人男性がモニタに映し出された。
「ククッ、戦時には不釣り合いな...貴様らのことは調べようとしたが、インターネットには情報がないな?」
「はい、アノニマスのメッセージで送りました通り、我々は元々警察組織ですので」
「ああ」
「中南米はいまから200年近くも前から麻薬汚染が始まったと言われています。その中で、違法物品の売買で稼ぎを得る犯罪組織が台頭し始めました。時の政府はこれに対する対策として、もっとも身近になってしまっていた麻薬である大麻を合法化したのです」
「聞いたことがある。その結果、組織はもっと効果の強い麻薬を売買するようになって、イタチごっこが続いたと」
「はい。しかしほんの30年ほど前、私が警察に入った頃まではまだ、そういったものは闇世界の話でなんとかなっていたのです」
「ほう?」
「15年ほど前からでしたが、どうやら麻薬組織が結託して一つの"カルテル"を形成し、それが政治に侵食し始めたらしいのです。そして、当時の麻薬組織対策チームが上からの圧力で解散に追い込まれたのが6年前...」
「...」
「ほとんどのメンバーはそれでいなくなりましたが、中にはカルテルの捜査を続けようとしたものもいます。そういったものが中南米から集まり、この自警団ポリシアを作ったのです」
暗い面持ちでモニタ越しに語るペレルマンを、アジャンは大きな目で見つめていた。
「...カルテルについては大体わかった。で、今回そのカルテルの拠点を洗い出したので、攻撃をかけたいという話だったな」
「はい」
「しかし仮にも貴様ら警察だろ?よもや俺のようなテロリストの力を借りようとするとは」
「...ここにいる者たちはいずれも、カルテルに家庭や友人、職を奪われたものばかりです。私は妻と娘を殺されました。解散に追い込まれる直前でした」
「...」
「ポリシアは警察のチームに端を発した組織とはいえ、もはや完全に警察とは無関係になっています。生活のため、偽装のために未だ警察に身を置いているものもいますし私もそうですが...もはや我々にとって警察としての誇りなどはありません。そもそも、警察にそんなものがなくなってしまったのですから」
「...そいつは、不幸だったな...」
「我々は生きているのです。不幸なのは理不尽にもカルテルに人生を奪われた者たちです」
「...」
ペレルマンの口調は淡々としていた。悲しみにはもう慣れた、と言わんばかりだった。

「...諸君の心持ちはよくわかった。ただ一つ確認しておきたいことがある。...カルテルを潰しただけで自分たちの戦いが終わると思ってないだろうな?」
「...どういう意味ですか?今回の協力の見返りに、幻獣軍の作戦行動に参加せよ、と仰るならば、最初からその覚悟ですが」
「違う。そもそも君たちの目的を果たすには、MASEを敵に回さなきゃいけないってことだ」
ポリシアのアジトではまたもざわめきが起きる。
「...MASEがカルテルと繋がっているというのは陰謀論の一つとしてよく語られるところですが...」
「陰謀論ってのは中身に正解が混じってることが多いもんだ。いいか?カルテルが政治に侵食し始めたのが15年前だろ?しかしそれまで200年近くの歴史を誇る犯罪者集団がどうしてそんな急に政治に手を出すってんだ?」
「...確かに...」
「その時期にちょうどウィグルに関する研究が完成して、ウィグルが宇宙開発や戦争の道具として有用だと権力者たちが気づいた。各国が自国の領土を広げて人口を増やそうとし始めたころだ。MASEにとっては最も近い大陸、手を出さないはずはない。問題はどうやって手を出すかだ」
「...」
「ヨーロッパでも似たような事例があってな、あそこは腰抜けの政府がせっせと国を切り売りしてたって話だ。だがおたくらの当時の政府は多分割合まともだったのか、それとも単に縄張り意識が強かっただけか...いずれにしてもそういうことをしなかった」
「それでMASEがカルテルに手を出した、と?」
「時系列的にそう考えるのが一番自然だ。MASEはあれでも一応は公的な企業、ダークな仕事は自前でやるにはリスクが高い。南米の麻薬汚染は北米でも有名だったし、南米と関わり合いを持つこと自体を忌避する株主も多かっただろうからな。東西戦争前は武力制圧することも出来ないし…外交圧力に屈しない国家に対しては、裏から手を回すしかなかっただろうな」
「なんと...」
「となれば、南米のカルテルの拠点を攻めれば、何らかの形でMASEの南米方面軍が介入してくるのは必至だ。そもそも今、MASEは南米にそんなに戦力を割いてないんだ。その謎も解けた」
「カルテルがMASEの南米方面軍の役割を一部担っていると?」
「ああ。だからカルテルを攻撃することはMASEを敵に回すのと同じことなんだよ。そもそも、カルテルにMASEの軍が控えていてもおかしくないぜ?奴ら、資金と人間の見返りに軍を貸すくらいはやりそうだ」
ポリシアの拠点では三度のざわめきが起きた。自分たちが戦ってきたものの大きさを改めて認識させられたようだった。アジャンは更に言葉を足した。
「…弱者は群れるって言うけど、逆なんだよ...強者こそ群れるんだ。MASEとしても汚れ仕事をやらせる人材と人口領土が手に入るし、カルテルだって南米における地位を強固にできるし軍だって借りられる。便利な共生関係だよ」
「そんな...それでは、どうやってカルテルを...」
「...ククク...偶然とはいえ、俺に助けを求めたのは正解だったな」
アジャンは不敵な笑みを浮かべた。

「と、言うわけで、俺としても貴様らのカルテル討伐を支援するが、結果として諸君もMASEを敵に回す...交換条件というより、否応なく君たちは、幻獣軍に参画せざるを得ない。それでもやるか?決断に時間がいるなら...」
「...いえ、答えは決まっています。我々だけではカルテル単体ですら倒せない...MASEが背後にいるとなればなおさらです。参加させてください。我々はカルテル抹殺のための集団です」
ペレルマンの背後に映るメンバーたちが力強く頷いている。

「...大した結束だ。いいだろう、では早速作戦を練るとしよう」
アジャンがモニタに南米大陸を映し、北西部のマンタを指した。そこにはMASE南米方面軍の一大拠点がある。
「カルテルだけを攻撃してもMASEの南米方面軍の餌食になるだけだ。ここはMASEの南米方面軍とカルテルを同時に攻める」
「同時に?我々が散開するということでしょうか。お言葉ですがそれほどの人数は...」
「俺一人で十分だ」
「一人!?」
「南米方面軍には細かい前哨基地はいくつかあるが、大規模な基地と言えるのはこのマンタ基地だけだ。ここを叩けば南米のMASE軍全体を混乱に陥れられる。その隙に大陸を飛び回ってカルテルの拠点を順につぶしていく。今回洗い出されているリストをくれるか?」
「は、はい、12箇所...」
「12か。十分現実的だ。で、お前らだが...俺が最初にマンタを攻略するから、その基地を制圧しておいてほしい」
「制圧、ですか...」
「中を見て回って施設を使えるようにしてもらおう。ま、細かい指示は現地から行う。今からモビ※で飛べば4時間くらいでつくだろう」
「はっ!」

※2140年頃にドローンの発展形として実用化された少人数用の電動飛行機で、自動車の時代を終わらせたと言われる製品。既存の自動車メーカーが開発に取り組んできたものの集大成で、ミスリル発電の普及により電力をほぼ無制限に使えるようになったことで生まれた製品の一つである。これの登場で人々は少なくとも個人レベルの移動においては地形の制限はなくなり、既存の飛行機や洋上船は、大陸間のような長距離の移動手段として棲み分けられることになった。

南米に降る流星

「さて、確認だがそちらの人数は?」
「今回の作戦に参加出来るものは40人ほどです」
「まあ、十分か。そのうち他のメンバーも合流してもらえば。あと、そちらにウィグルはいるか?」
「あ...」
「ん?」
「い、いるにはいますが、子供なもので...」
「子供?」
困った表情のペレルマンをどけて、褐色の肌の少年が割り込んだ。
「俺に用か?アジャン」
「アランブラ君!待ちなさい」
「ウィグルに用なんだろ?MSのパイロットに使うのか?」
「アランブラ君!」
「...」
少年は不服そうな表情で席に座り込んだ。

「総帥、失礼しました。彼はジョセフ・アランブラ...両親がもともとポリシアに参加していましたが、最近両親をカルテルに殺されまして、我々で引き取っているのです」
「...彼がウィグルだと?」
「はい、他国だと珍しいようですが、彼が生まれたころはまだこちらには出生時検査が浸透しておらず…覚醒したことでウィグルだと分かったそうです。ですがまだ15なもので...ポリシアとしても彼になにかさせているということはありません」
「そうか、俺と同い年だったな」
「え、あ、そう、ですか...」
「...彼と話させてくれ、ただ他の連中には退席してほしい」
「え!」
「俺は間もなくマンタ基地に到着する。戦闘に入ったら通信は切って、一段落ついたらこちらから連絡する。他に言っておきたいことはあるか?」
「...わかりました、ご武運を。では、アランブラ」

部屋から人が去り、アランブラだけの空間になった。
「...アランブラ。俺がウェル・アジャンだ」
「聞いていたよ」
「クク...普通の15歳ってこんな感じなのかな?」
妙に自嘲的な笑いを浮かべるアジャンに、アランブラは思わず毒づいた。
「普通だって?カルテルに両親を殺された俺が?」
「...そんなつもりはなかった、すまない、取り消す」
「...素直だな...そんな奴とは思わなかった」
「よく言われるよ」
「...で、俺をMSに乗せるんだろ?やれよ。いつだ?」
「今回の作戦にはMSを持ってこなかった。お前の機体はないが、マンタを制圧すればMSの一機や二機手に入るよ」
「...」
「...そんなにやる気があるというのは珍しいな。MSに乗りたいのか?」
「ちげぇよ。俺は自分の手でカルテルを潰したいんだ。最も今の話を聞いてると、カルテルだけ潰したんじゃ足りなさそうだがな」
「...復讐、か」
「当然。皆殺しにしてやるよ」
「...ククク...そいつは結構だが、皆殺しのあとはどうするよ?」
「え?」
「お前はまだ若い。カルテルを潰したあとも人生は続くんだぞ?復讐だけを目的に生きて、それが終わったらどうするつもりなんだ?」
「...」
「...難しく考える必要はない。自分のために生きても、他の誰かのためでもいい。ただ、復讐のため、じゃもったいないぜ」
「...」
「...満足なら、通信を切れ」

通信はすぐに切れた。アランブラは何も言わなかったが、"満足"だったのだろうか。通信の切れたモニタをアジャンはしばらく見つめていた。
「...家族を殺された、か...」

程なくして西海岸が見えてきた。もとよりアジャンはこのつもりで、最初からマンタ基地に向けた進路を飛んでいたのである。
「DAMASは残したほうが得、か...」
アジャンはそう呟くと急激に高度を落とし、海面ギリギリを高速で飛行し始めた。DAMASのレールガンは超高初速の代償として反動が強く、大地に支えられる上方向以外には撃つことが事実上できない。陸上を歩行するMSが時代を席巻した所以である。それを低空飛行で代用したことで圧倒的な機動性とDAMASの回避を両立したのがブラッドガンダムの優位性であった。
「来たか...!」
哨戒部隊に発見されたのだろう、リベラが続々と出撃してきた。大規模な基地だけあってMSの数は2,30はありそうだ。
「...雑魚が数に頼もうが!!」
急激に加速するブラッドガンダム。
「ついにマンタ基地にも...撃て!撃ち落とせ!!」
リベラ隊がビームピストルを斉射するも、例のごとくブラッドガンダムにはかすりもしなかった。返す刀でビームライフルを連射し瞬く間に前線のリベラを崩すと、着陸してビームソードを抜き突撃。蜘蛛の子を散らすように逃げ惑うリベラを蹂躙した。実戦経験の少ない基地では、精神面からして勝ち目はないのだ。

「ええい、俺が出る!」
状況を見かねたか、左腕に大型のガトリングガンを携えたリベラが出撃した。パイロットはマンタ基地守備隊長のエルヴィン・ジャスティ。ファーストウィグルとして覚醒後定職に付けず放浪していたところを、ウィグル研究を開始した頃のMASEに拾われて現在はパイロットとなり、その強さから最前線を任されていた逸材であった。
「あれは...守備隊長機?」
「堕ちろ、ガンダム!!」
エルヴィンは猛烈な勢いでビームガトリングを乱射した。空中を縦横無尽に飛び回って避けるアジャン。ブラッドガンダムといえどもこれだけの弾幕を張れば一時的に攻撃を中断せざるを得なかった。
「やる!ならば射撃戦と行くか!」
アジャンは空中で剣を収めるとライフルに持ち替え、弾幕を回避しつつもビームライフルを足元に撃ち込んだ。
「くっ!」
あの激しい回避運動中になぜ狙ったところにビームが行くのか。かろうじて回避すると再び弾幕を張るエルヴィンだったが、その僅かな隙にアジャンは距離を詰めていた。接近されれば僅かな距離の移動に対しても大きく射角を変えねばならない。重いガトリングガンではどうしても瞬発力に差が出る。次のビームが足元に撃ち込まれたとき、態勢を立て直したエルヴィンの眼の前にはすでにブラッドガンダムが降り立っていた。
「やるじゃないか!あれだけのビームを扱うとは...しかし!」
アジャンは再びビームソードを抜いて斬りかかった。エルヴィンもビームナイフを抜いて打ち合わせる。ナイフと呼ぶには惜しいその刃渡りの長さは、彼のウィグルとしての才覚を物語っていた。
しかし、今回ばかりは相手が悪かった。リーチでもパワーでも負けている上、左腕に重量のあるガトリングを持っている彼の機体はブラッドガンダムとの接近戦に耐えうるほどの運動性を持てなかったのである。
「そんな機体を持たされるにはもったいないぜぇ!」
アジャンは嘲笑と共に右脚でビームナイフを蹴り飛ばし、そのま一回転すると左のキックを叩き込む。次の瞬間、突き飛ばされてよろけたリベラのコクピットブロックにスマッシュシールドが撃ち込まれ、強烈な衝撃でエルヴィンは血を噴いて気絶した。

「...正解の判断、だな...」
アジャンは空っぽになった基地を見下ろして呟いた。あのガトリンガーがアジャンを足止めしている間に、MASE軍は逃亡したらしい。おそらくは緒戦の結果を踏まえて、ブラッドガンダムに遭遇時は時間を稼いで撤退するように末端の基地に通達されているのだろう。
「...さて、司令塔か」
アジャンは司令塔に近づくと、その最上階の壁にビームソードの先端を突き立てた。壁に穴が空き、その輪郭が赤熱する。アジャンは観客のないサーカスを演じて司令室に転がり込んだ。
「...やはり、生体認証か」
司令室の制御パネルを一瞥してその掌握に必要なものを悟ったアジャンは、邪悪な笑みを浮かべると赤熱の冷めない輪をもう一度くぐり外に出た。滑空して向かう先は、エルヴィンのリベラのコクピットブロックであった。

「...う...」
気絶していたエルヴィンは、急に差し込んできた南米の太陽の光で目を覚ました。体中が痛くて手足が満足に動かせない。声も出せず、やっと絞り出したのがこのうめき声だった。
「ククッ...やはり生かしておいて正解だったか...」
ガクン、といきなり体が引っ張られてコクピットから引きずり出された。自分を担いでいるのは子供?体を乗せている肩が薄くて固くて、痛い。しかもいきなり飛び上がるものだから、全身を挫傷しているエルヴィンは激痛でまた呻く羽目になった。そしてすでに光を失いつつある輪を抜けたかと思うと、エルヴィンの額はいきなり壁に打ち付けられた。
「ようこそ、エルヴィン・ジャスティ」
無機質な機械音声が響く。アジャンがエルヴィンの体を使って生体認証を解除したのだ。彼はそのままエルヴィンの体を司令室のソファに放り投げた。三度激痛が走る。
「ぐぅ!う...」
「...貴様は今は殺さないで置くよ。しばらくすると俺の軍がやってくる...そいつらに処遇を決めてもらうとしよう」
「な、何...」
アジャンはそれだけ吐き捨てると、あとの呻きはすべて無視してペレルマンに通信を繋いだ。
「はい、ペレルマンです」
「こちらはマンタ基地のアジャンだ。基地のMS部隊を掃討し司令塔を奪取した」
「え、もう?...我々はあと1時間ほどで到着するかと思いますが」
「奴らは恐らくブラッドガンダムを相手にしないように言われていたんだろうな。すぐに逃げ出しやがったが、一人だけ健気にも時間を稼いでみせた奴がいる。そいつが捕虜だ、お前らで処遇を決めろ」
「我々がですか?」
「ああ、俺はこれから各地のカルテルを攻撃せにゃならん」
「は、はあ...」
「が、多分今回の攻撃では根絶はできないだろうな...悪いが」
「まあ、それは心得ています。我々が洗い出した拠点というのも全部だという保証はありません。ですが大打撃を与えることはできるでしょう」
「末端にはな。だが、敵はもうMASEに取り入ってるかもしれんのだぞ?」
「そ、それは...」
「まあ、やってみるさ。あとは頼んだぞ、多少の物資は置いていくから」

その日の夕方から夜にかけて、南米大陸全土に点在していた麻薬組織カルテルの拠点は尽く襲撃を受け、壊滅した。あるときはビームライフルを上空から撃ち込まれ、あるときはビームソードを地下までねじ込まれ、あるときは建物ごと踏み潰された。しかもアジャンはその一つ一つを映像に撮り、マンタ基地を経由して世界中へ発信していた。その中には、南米各国の警察やMASEの関係者が映り込んでいるものも少なくなかった。アジャンは一夜にして、MASEと麻薬組織の癒着スキャンダルを暴き出し、そしてそれを踏み潰して見せたのだ。いかにも彼が好みそうな、無謀で強引な展開だった。

権力の現実

「エルヴィンさん、見ましたか?MASEの現実を。まあ、我々も今日知ったことですけど」
「...」
「あなたは正義感の強い方とお見受けします。MASEに正義があると信じて今日まで戦われて来たのでしょう。ですが、ちょうど警察が麻薬に汚染されていることに気づいたときの私たちのように、あなたもこの現実に直面する時が来たのかも知れませんね」
「...じゃあ、あんたらテロリストに正義はあるのか?」
「いえ、私達はもう正義では戦っていません。カルテルを倒し、家族の復讐をして、南米を取り戻す...そのためだけの軍勢になりました。成り果てた、といいましょうか」
ペレルマンは冷静な口調でエルヴィンに語りかけていた。

「...俺をどうするつもりなんだ?こんな手当をして、痛み止めまで打って...」
「テロリストである幻獣軍は戦時条約の類を結んでいません。正直、我々はあなたをどうすることもできます。あなたがいくら強力なウィグルとはいえ、その状態では抵抗するのは無理でしょうし...ただアジャン総帥は、我々に判断を一任されました」
「何?」
「ここへ来る途中で言われました。正直その意味がわかりませんでしたが...貴方に会ってわかりました。敵のことも味方のこともよく知らずに戦っているのですね、貴方も」
「...」
「ですがアジャンが貴方を殺さなかったのは、まあ利用価値があったというのもあるでしょうけど、一人で自分に挑んできたことに感心したんじゃないですか?あんな重たい装備のMSでブラッドガンダムに勝つなんて容易なことじゃないのは見ればわかります。貴方もわかっていたはず...それでも任務のためにか、仲間のためにか、逃げなかった。その思い切りを気に入ったんだと思います」

ペレルマンは言葉を尽くして敗軍の将を労った。

「私が言うのもなんですが、アジャンという人物...気に入らない人間を生かしておくような男ではありません。今日のカルテルに対する攻撃の様子を見ても明らかです。あれはもう、カルテルを憎む私から見ても、ちょっと背筋が寒くなるほどの殺戮ですよ」
「…何が言いたい」
「私も貴方を気に入ったということです。我々と同じで、何も知らないまま必死に戦っている…私も貴方を死なせたくありません」
「…俺に幻獣軍に参加しろと言いたいのか?」
「できれば。ですが、貴方はテロリストの味方をするような人物とは思えませんし、そこまでは言えません。出奔するなら、それを止めるつもりもありません。ただね、助けた見返りに...その傷が治るまでで構いません、うちの若いのの父代わりを頼みたいのです」
「は?」

意外な言葉に思わず頓狂な声を出したエルヴィンに、ペレルマンは続けた。

「カルテルのせいで両親を失った15歳の子供がいるのです。名前をジョセフ・アランブラと言います。両親を失ってからというもの、すこし荒れ気味で...しかも強力なウィグルらしく、我々で面倒を見るのもなかなかうまく行かないことが多いのです」
「...ウィグルだから、親をやれと?」
「それは偶然です。本当のところは、アランブラに我々と違う人と関わってほしいのですよ」
「...」
「アジャン総帥は明朝には帰還されるでしょう。私はその準備をして、今日は休みます。あとの手当はアランブラにやらせますから、話を聞いてやってください」

程なくしてハヤイモのペーストを携えて、アランブラが気まずそうな顔で司令室にやってきた。
「...」
「...ありがとう」
「...一人じゃ食えないでしょ」
「...ああ」
「...食わせればいいの?」
「...頼む」
アランブラはまだ熱いペーストを冷ますとエルヴィンの口元に運んでやった。ハヤイモは冷めすぎると土臭さが出て余計不味い。ほんの1時間前の食事でアランブラはそれを体験していたのか、エルヴィンの口に触れたものは暖かだった。アランブラの心の底に触れたような気がした。

「...初めて食べたな、このイモ」
「アジャンが本拠地で大量生産してるらしい。あいつ、こんなもんばかり食ってるらしいが嫌にならないのかね」
「かつてアジアで食料危機を救ったと言われたイモなんだ。どんな過酷な環境でも高速で育つし、栄養価も高い」
「いくら栄養があったってこんな味じゃなあ。土じゃん、これ」
「まあ...軍用の食料も、今はこれよりはマシな物が多いな」

思ったより自然な会話になっていることにエルヴィン自身が一番驚いた。彼自身はMASEとカルテルの繋がりは把握していなかったとはいえ、そのMASEの軍人とカルテルに親を殺された少年の間で会話が成り立つこと自体が奇妙に思えた。

「...あんた、MSパイロットなんだろ?」
「ああ、この基地の守備隊長をやってた。アジャンに負けて、このとおりだ」
「ならさ...俺にMSを教えてくれ」
「何?」
「俺はこの手でカルテルを潰したい。その裏で糸を引いてた連中も同じだ。そのためには力がいるんだ」
「...その、糸を引いてた連中、の一味でもか?」
「...ペレルマンから聞いたけど、あんた、何も知らなかったんだろ?それもそれで間抜けだけどな」
「...MASEはもともと企業なんだ。その部門の一つとして軍がある。俺を含めて軍のメンバーのほとんどはカルテルとのつながりなんて知らされてなかったんだ。多分今回のアジャンの暴露で、MASE軍自体も相当混乱する」
「ふーん...まあどうでもいいよ、それより俺にMSを」
「...俺は構わないが...ペレルマンやアジャンはいいのか?」
「ダメと言われてもやるよ。まあ、この戦力不足ならダメとは言わないはずだけど」

翌日の朝、マンタ・チェストに改称された基地の演習場にアランブラはいた。通信画面にはベッドの上のエルヴィンが見えていた。初めてのMSに苦戦するアランブラの脳裏には、MASEを糾弾するアジャンの演説が遠く聞こえていた。


全世界の諸君!昨日から今朝にかけて公開したとおり、南米大陸の深刻な麻薬汚染の黒幕はMASEである!!
そもそもこの東西戦争とは、新しい力を持った人類「ウィグル」を戦争の道具としてなるべく多く確保するために、レンダとMASEが領土拡大を狙った結果生じたものである。その結果ヨーロッパに大規模な戦線を形成したのみならず、レンダは中東、MASEは南米に進出を図った。中東におけるレンダ最大の拠点、ルートの旧イーグル基地を先日陥落させたことは周知のとおりだ!
レンダが中東の罪なき人々を弾圧していたように、MASEもまた南米の人々を弾圧していた!しかしレンダと違ってMASEは一企業に過ぎない。それがなぜ他国の政治にまで介入できたのか?その答えが麻薬組織「カルテル」にある!!
カルテルは前身まで遡れば、200年近い歴史の中で違法薬物の取引により力を付けてきた組織である。だが、政治に介入しこれを汚染するようになったのはほんのここ10年の話だ。なぜたかが犯罪組織が大陸の政治まで汚染できたか?その背景にMASEの軍事力があり、カルテルがまたMASEに南米大陸を切り売りするための尖兵に成り果てていたからだ!!
諸君!!MASEの上層部は、レンダを独裁国家と非難し、その強硬な領土拡大政策を糾弾してきた。だが、MASEも何らかわりはないのだ!所詮は既得権益にしがみついたクズ共が、自国の防衛と他国の牽制を理由に周辺国家を弾圧しているだけの!!!
聞け!!俺は貴様らを許さん!楽には殺さんぞ!!!

群れる強者、孤独な弱者

幻獣軍というテロリストの出現以降、MASE、レンダ両軍は彼らに対する積極的な攻勢を見せて来なかった。幻獣軍の明確な目的が不明瞭である以上、互いに相手と潰し合わせるのが得策だと見ていたのである。だが両軍ともにヨーロッパ外の拠点を落とされ、ここに来て初めて幻獣軍を明確に第三勢力として認識する。両軍の思惑は一致し、レンダ軍主席ジンタオ・ヒューとMASE軍CAO(Chief Army officer)ヴィクター・ストライドは共同で声明を発表した。

「幻獣軍全軍に通達、こちらはウェル・アジャンだ。たった今、レンダとMASEが共同で声明を出した。一時停戦の上、幻獣軍の討伐に全力を傾ける、とのことだ」
ルート・ガスター、マンタ・チェストの幻獣軍にどよめきが生じた。
「おそらくはこちらが制圧した基地を奪還しに来て、あわよくばそのままこちらの本拠地を探し出して潰す、という意図だろうな」
「おい、アジャン!」
ケリーの声だ。通信に割り込んできたようだ。
「何だ?」
「何だじゃない!このタイミングでレンダとMASEが手を組むなんて...」
「予想してたさ」
「な!?」
アジャンは淡々と続ける。
「あの手合は自分たちの立場を守るためなら何でもするもんだ。だが逆に言うと、自分の得にならないことはしない。今回はそこを突く」
「…どうやって」
「奴らはこちらの本拠地がどこにあるかまでは突き止めていない。だからまずはこちらの前線基地であるルート・ガスターとマンタ・チェストをそれぞれで狙ってくる。この二箇所を制圧したあと、本拠地を探すつもりだろうな」
「...」
「俺は一人しかいないし、ブラッドガンダムも一機しかない。この二箇所を同時に守るのは今の戦力では不可能だ。だがそいつは利用できる」
「...何を言ってるのか...」
「...片方の基地だけ守りきれば、総攻撃は発生しないんだよ」
「え?」

「いいか?MASE、レンダとも手を組んで幻獣軍の討伐に当たると言っている。だがな、奴らはあくまで自分の得になることしかしない。両軍が足並み揃えて損害を回復すればともかく、片方が手こずれば、もう片方はわざわざそいつらを助けに行くようなことはしない。自分たちの基地の復興に時間を使ったほうが得だ。そうなれば手こずってる方は不信を抱くだろうなあ。その後で俺たちが狙いを変えても、助けには行かねえだろうなあ」
「...」
「俺たちに今必要なのは時間なんだ。幻獣軍というこの小さなテロリスト集団を、もっと巨大で大掛かりなものにするための時間。それを稼ぐのに、この構図はうってつけなんだよ。わかるか?」
「...」
「と、いうわけで...せっかくだが、ルート・ガスターを放棄する」
「お、おい!なんでこっちなんだ!」
「...放棄した基地は爆破する」
「え?」
「ガスターを放棄して、レンダを呼び込む。その間俺たちはチェストで徹底抗戦といく。レンダは思いの外あっさりとガスターを制圧できたことに安堵して、チェストで苦戦するMASEを花見気分で眺めることだろう。俺たちがMASEを撃退し、MASEがレンダに不信を抱き始めたころ...ガスターに仕掛けた時限爆弾を爆発させ、レンダ軍を一掃する。それをやるには、民間人の被害を避けるために、砂漠のど真ん中の地下基地のほうが都合がいいんだ」
「そ、そんなこと...」
「俺を誰だと思ってる?ミスリルコアを暴走させて爆発させる時限プログラムを作るなんてわけない。あれは一昔前の原子力発電みたいなもんだ。それ自体が強力な兵器なんだ」
「...」

通信が切れ、それぞれの基地の幻獣軍人たちは不安と恐怖、そして興奮にかられていた。自分たちが命を預けるこの少年がどれだけ賢く、どれだけ残虐かを否応なしに知らされたからだ。あれだけの苦労をして手に入れた基地を片方放棄した上に爆破?それも手を組んだ軍を分断するためだけに?
間もなく、アジャンからの具体的な指示が送られてきた。ルート・ガスターの幻獣軍は火事場泥棒をしなければならなかった。デザートムーン、レギオンはもちろん、残っていたリトヴァック級にもありったけの物資と兵器を積み込み、大輸送船団を編成する羽目になった。マンタ・チェストの幻獣軍たちは、必死の戦闘訓練に追われていた。両軍の総攻撃まで、時間は一週間とないだろう。

次の連絡は三日後に入った。
「こちらはウェル・アジャンだ。敵の総攻撃はおそらく標準時で次の0時、つまり12時間後に開始されるようだ。作戦は事前に通達した通り。ルート・ガスターの艦隊はレギオンを旗艦、デザートムーンを護衛艦として編成、MS部隊はデザートムーンに集中配置する。殿として艦隊を守りながら後退、戦線を離脱後はキング・ハリドに直行し、砂漠の月の施設を母体に基地設備を構築してもらう」
「レギオンのアレス、了解」
「そちらの艦隊は任せる。チェスト防衛戦だが、こちらはパイロットが二人しかいない上に、手負いと新人だ。だがここに俺を加え、イーグル基地攻略戦は成功している。今回も成功するものと確信している。具体的な作戦としては、序盤はMSを動かさず、DAMASと共振粒子砲で基本的には戦う。指揮はペレルマンに」
「ペレルマンです。了解しました」
「引き付けた部隊は俺が後ろから叩く。完全には掃討できないから、その分をエルヴィン、アランブラに頼む。互いに万全とは言えないだろうが、頼むぞ」
「...アランブラ、了解」
「...」
エルヴィンは答えなかった。
「幻獣軍全軍、我々の戦いは常にターニングポイントだ。安全なところにいるだけの両軍のお偉方にとっては、今回の作戦も数ある戦闘の一つでしかない。だが、俺たちにとってはすべての作戦が生死を分ける。その俺たちが負けるということがあろうか!全員で勝ち、全員で生き残る!!」

通信が切れた直後、エルヴィンのもとにアジャンからの通信が入った。
「エルヴィン・ジャスティ、ちゃんと話すのは初めてだな」
「...総帥自らとは」
「幻獣軍はMASEじゃない。かしこまるな」
「...しかし、俺はMASEの捕虜...」
「関係ない、こちらに協力してくれるのだからな。だが、その理由は気になるところだ。アランブラの面倒をみるということに、お前にはそんなに価値があるのか?」
「...」
「...ということは、後で聞かせてもらおう。今回の戦闘、お前にかかっていると言っても過言じゃない。傷はどうだ?」
「...十分です。あなたの一撃は効きましたが」
「ククク、恨み節が言えるなら問題ないな。貴様のリベラも壊さなくて正解だったようだ。だが、この戦闘を生き残った暁には、まともなMSの配備をさせてもらうぞ」
「え?」
「貴様の才能、あの程度のMSにもたせるには惜しい。MASEでは立場のあった貴様だが、幻獣軍ではアランブラと同じ新人だ。あいつをサポートし、戦果を上げろ。それに見合った名誉を与えてやる」
「...」
「どうした?お前はそういうのを喜ぶ人間と思っていたが」
「...はい。だからこそ、嫌で」
「ああ、そういうことか」
「...自分はたしかに名誉のために、正義のためにと思って戦ってきました。ですがMASEにも正義があったわけではない...」
「そうだ。そして、俺にも正義はない」
「...」
「だから今は、自分にとって大切なもののために戦え」
「...はい」

見えてきた歪み

レンダ本国。ジンタオ主席の腹心、ロン・ウェイ少将に詰め寄る人物がいた。
「ロン!なぜ俺を討伐隊から外した!!」
「リュウ...貴様、チューエーを守れず尻尾を巻いて逃げてきたというのに、その言い草が通ると思っているのか?」
「負け戦でいたずらに戦力を消耗してどうする!あそこで俺が撤退の指揮を取らなければ、今頃討伐隊を組むことも容易ではなかった!」
「黙れ!貴様、自分が少し優れた素質があるからと言って、他人を見下しおって!!」
「ふざけるな!貴様では話にならん、ジンタオに通せ!」
「ジンタオ主席も本件はよくご理解なさっている。敗軍の将に討伐隊は任せられん、とのお達しだ!」
「馬鹿な...!」
「ふん、所詮はMSを動かすしか脳のないクズが...!」

ロンの罵倒はリュウの激昂を呼ぶに十分だった。彼は思わず背中に背負った方天戟に手をかける。
「リュウ様!」
甲高い、しかし美しい声がリュウの手を止めた。振り向くと、彼には見慣れた美しい女性が立っている。体に張り付いた軍服はその魅惑的な肢体の形を浮き立たせ、目のやり場に困るほどだ。
「テン...」
「リュウ様。ここで争っても得になりません...どうかここは」
「リュウ、シケーダ少尉の言うとおりだぞ?ここで武器を抜いたらどうなるかわかっておろう?」
嫌味を吐くロンを睨みつけると、リュウは無言で踵を返した。ロンは去りゆくテンの下半身を眺めながら吐き捨てた。
「テン・シケーダか...あんないい女、なんであんな男に...」

部屋に戻ってから、テンはリュウの機嫌を取るように甘い声で話しかけた。
「リュウ様...上層部は先のイーグル基地でのリュウ様の行動の意味を理解していません」
「分かっている。チューエーの指揮では壊滅も免れなかっただろう...だがこれでは、討伐隊もイーグル基地の二の舞になる」
「はい...あのウェル・アジャンという男、何を考えているかわかったものではありません。だからこそリュウ様が必要だというのに」
「ああ。だが、テン...俺はどうすればいい?討伐隊の壊滅が免れないとしても、その後も奴らにいいようにされていては、本当に幻獣軍にすべて飲み込まれるぞ」
テンはリュウに水割りを出しながら微笑みかける。
「リュウ様、そうなったら、リュウ様が一軍の指揮を取ればよいのです。あなたにはその才がおありになる...」
「...」
リュウは水割りを一息に飲み干した。氷が音を立て、その後しばらくは止まなかった。


「レンダ軍を確認した!偵察部隊はこちらで撃破したが、じきに侵攻してくるはずだ」
「スコット、ご苦労だった。ガスターの艦隊全軍!機関全速、キング・ハリドへ後退する!」
アレスの号令で艦隊は一斉に向きを変えた。旧来の価値観に沿えば、幻獣軍の人数でこれだけの艦隊を動かすのは容易なことではないはずだ。だが、この人口減少の時代に大人数を要する軍艦というものは存在自体が駆逐され、現在は整備班とブリッジクルーくらいで艦は動くのだ。
「スコット、レンダ軍の戦力は?」
「先鋒だけでリトヴァック12隻...はいた」
「MSを積み込んでれば72機か。総勢ならおそらく200機以上...なんて戦力を投入してきやがった...」
「本国で動かせる戦力を全部投入した、って感じだな。だが遠方から確認した限り、あのケイローンガンダムはいなかった」
「前線に出てないってことか?」
「少なくとも。だがあれだけの戦力を後ろに引っ込めてるってのも妙だ...」

基地のDAMASと共振粒子砲が起動した。侵攻してくる艦隊に対して砲撃を行っているが、地上を進んできたMS部隊に砲台は次々に破壊されていく。
「敵MS部隊、戦闘エリアに突入!」
「よし...奥の手を出せ!」
基地のMSハッチが開き、多数のアンジュが出撃した。全機がヒートホークを携えている。
「隊長、MSです!」
「抵抗してくるのか、戦闘に入れ!」
格闘武器しか持っていない幻獣軍のアンジュはもはや七面鳥撃ちの様相だった。動きも鈍く、見るからに素人パイロットが乗っている。だが、戦闘経験の少ない本国のパイロット達にとってはMSが出てくるだけでも手こずる要因ではあったようだ。MSの侵攻が遅れ、それと同時に砲台の破壊が遅れ、艦隊の足も止まる。時間稼ぎには十分過ぎた。

デザートムーンでベトルーガがそれを見ていた。
「...無人のMS、か。確かにヒートホークならパイロットがいなくても使えるが...」
「あれだけの大型のロボット、制御するのだって簡単じゃないはずなのに。アジャン、急にプログラムを送り付けてきたけど、一体いつあんなものを...」
これまでの戦闘データから、アジャンはMSの自律制御まで可能にしていたようだ。もちろん、アルス波を発するパイロットがいなければビーム兵器を使用することはできない。だが、アンジュの格闘兵装はウィグルに負担をかけないようにヒートホークにされている。そこを逆用したのだ。もとより基地で余るほど生産されていたアンジュの再利用は、幻獣軍にとっては懐の傷まない作戦だったに違いはない。無人のMS隊の奮戦をよそに、幻獣軍艦隊は戦線を離脱した。

マンタ・チェスト攻防戦

「総帥、来ました...」
「...よし。俺、アランブラ、エルヴィンでアジャン隊を組む。発進待機!」
マンタ・チェストに向かっているMASE軍もかなりの大軍勢だ。リリエンタール級が20隻以上はあろうかという大艦隊で、各艦とも主翼や胴体にまでMSを懸架しているようだ。総勢200機ほどのMSはあるかもしれない。かたや幻獣軍は絶対的なパイロット不足で、MSはアジャン隊の3機のみ。マンタ基地に残されていたリリエンタール級こそ3隻ほど残ってはいたものの、まともな戦力とは言い難かった。
「こちらの戦力は乏しい、基地のビーム砲が生命線だ。向こうもそれを承知の上で、MSを展開して砲台を破壊することを優先してくるはずだ。アジャン隊はそれを正面から叩きつつ、徐々に後退して敵を引き付ける。敵艦隊をこちらのビーム砲の射程に引っ張り込んで殲滅する!そいつが第一段だ。俺が中央、アランブラが左翼、エルヴィンに右翼を」
「...アジャン、アランブラ一人では危ない。俺とセットで動かしてくれ」
エルヴィンが口を挟んだ。アジャンがニヤリと笑みを浮かべる。
「よかろう。アランブラとエルヴィンに左翼を任せる。俺は右から中央に攻め込む!」
「感謝する。それとアジャン...本当にそのMSで出るのか?」
「ん?」
アジャンのブラッドガンダムはいつもと違っていた。ビームライフルは左手に握られ、かわりに右手には大型のガトリングガンが握られている。エルヴィン専用リベラのガトリングの予備を拝借したものらしい。
「俺に言ったじゃないか、そんなガトリングをもっていたら機動性が落ちると。いいのか?」
「ああ、今回ばかりは武器が多いほうがいいからな。それに、ブラッドガンダムならこれくらいは大丈夫だ。面白い武器だよ、こいつ」
「...そうか。俺はいやいや持たされていたが...」
「俺は本当はこういうのが好きなんだよな。...さあ、行くぞ!」

たった3機のMSが、数十機で編隊をなすMS部隊の前に躍り出た。
「アランブラ、ビームはなるべく撃つなよ!」
「なんで!」
「お前は訓練を始めて一週間もたたない!撃てるのはせいぜい5発かそこらだ!まずは敵を引き付けろ!」
「...了解!」
アランブラは前に出て、軽快な動きで撃ち込まれるビームを回避してみせた。その隙に後ろからエルヴィンがビームガトリングを撃ち込み、前線のMSを撃破する。出だしは順調のようだ。

一方、アジャンは相変わらずだった。
「そらそらそらぁ!」
「うわぁ!!ブラッドガンダム!」
「何としてもここで落とすぞ!撃て!」
無数のビームが放たれるより早く、アジャンのライフルが火を吹きたちまち3機のリベラを貫いた。その爆炎にまぎれて敵陣の上を取ると、空中から右手のガトリングと口部のビームチェーンガンを斉射してみせた。ビーム弾を浴びたリベラが次々に爆散する。
「そんな程度か貴様らはぁ!!」
絶叫しながら火器を乱射するアジャンに阻まれ、北側のMASE軍は完全に進軍を停止した。これでは砲台を破壊することはできず、艦隊が進めない。膠着した戦線に、MASE軍討伐隊司令のブラッドリー大佐の判断は早かった。
「北側のMS隊、ブラッドガンダムに苦戦!進めません!」
「...MS隊を南側戦線に回せ!艦隊もビームの射程ぎりぎりまで近づけろ!そちらから突破をかける!」

アランブラの守る左翼にMSが集中し、リリエンタール級一隻がせり出してきた。
「敵が増えてる、敵が!」
「艦隊が押し出して来たか...仕方ない、艦を沈めろ!」
エルヴィンがガトリングでMSを掃除しながら叫ぶ。
「リリエンタールの弱点はブリッジか左右のエンジンだ!狙って撃て!」
「くっ...!」
アランブラは走りながら空を見上げた。リリエンタールの飛行機のようなシルエットが見える。下からではブリッジは見えそうにない。幅広な両翼のほうが狙いやすそうだ。しかしビームピストルを掲げた瞬間、リリエンタールが横へ回避運動を始めた。
「うおおっ!」
一発撃つが、当たらない。照準を直してもう一発。当たらない。
「は、外れた...」
もう一発。当たらない。
「動きながら動くものに当てるなんて...」
絶望の色が浮かんだアランブラの後ろからビームが放たれ、リリエンタールの右エンジンを撃ち抜いた。
「右エンジン被弾!」
「態勢を立て直せ!」
エルヴィンが立て続けにもう一発を左エンジンに撃ち込む。リリエンタールは墜落していき、アランブラの後方に落ちて爆発炎上した。
「はぁ...はぁ......エルヴィン...!」
「アランブラ、まだ来るぞ!煙の手前へ逃げ込め!」
二人は後退を続け、リリエンタールの爆炎を盾にする。火力のあるエルヴィン専用リベラがいる以上、MS隊も迂闊には近寄れない。

アジャンは一人で中央から右翼の戦線を抑え込んでいたが、ガトリングの弾が切れた。
「ブラッドガンダム、エネルギー低下の模様!」
「全員で戦え!奴の戦力とて無限ではない!!」
一気呵成と攻めかかるMS隊だったが、ガトリングを捨てたブラッドガンダムは腰から別のビームライフルを抜き、二丁で敵を片っ端から撃ち抜く。ビームは尽くリベラのコクピットに飛んでいき貫いた。さっきまでの猛連射とは打って変わって精密な射撃だ。怯んだMS隊をよそに、両手のビームライフルでリリエンタール級のブリッジを二隻同時に撃ち抜き、さらに後ろから両翼のエンジンを同時に撃ち抜いてまたたく間に3隻を撃沈してみせた。
彼の視界に左翼の爆炎が映る。

「ん?リリエンタールを落とした?ならば艦が出てくるはず...潮時か!ペレルマン!」
「はっ!」
基地のペレルマンが応え、基地砲台を斉射した。射程外にいたはずのMASE艦隊先鋒は、全身にビームの雨を浴びて次々撃沈された。

知恵と力

「先鋒艦隊、壊滅!!」
「何!?射程外のはずだ!」
何よりもマンタ基地を知り尽くしているのはMASEだった。そのビームの射程を誤るはずがない。だが現に基地のビーム砲に撃ち抜かれて艦隊は壊滅したのだ。
「...仕方ない、MS隊を前進させろ!奴らもかなり後退したはずだ!」
MS隊の圧迫が続く。
「アランブラ、狙って撃て!」
エルヴィンの励ましが飛ぶ。彼もガトリングは撃ち尽くし、ビームピストルで抗戦を続けていた。
「...行け!」
アランブラの放ったビームがリベラに当たって爆散させた。
「当たった...!」
「いいぞ!逃げながら撃て!」
しかし、次のビームには未共振の粒子が混じり始めた。
「はぁ...はぁ...」
「...息切れか...アランブラ、退け!後退しつつ引きつけろ!」
「エルヴィン...」
もとよりたった2機で支えている戦線など崩れ始めれば脆い。二人は建造物を盾にしながら後退したが、程なくしてビーム砲防衛ラインに到達した。これ以上下がってはビーム砲を攻撃される。

「させるかぁ!!」
ブラッドガンダムが割って入り、前線のMS隊を撃ち抜いた。しかし、彼もライフルのビームが尽きる。
「チッ、出直しか...エルヴィン、2分持たせろ!砲台はもういい!!」
「了解!」
その意図まではエルヴィンは分かっていなかった。しかし、そう言われれば従うのが軍人というものなのだ。二人はビーム砲を盾にしながら後退していく。
「アランブラ、退け...ぐふっ!」
「エルヴィン!!」
血を吐き出したエルヴィン。手負いの体には無理のありすぎる戦闘だった。
「ふたりとも、引いてください!その機体ではもう無理です!」
「ペレルマン...」
「アジャンには考えがあります!退却を!」
彼に促されるまま、二人は防衛ラインまで走り続けた。

「敵基地ビーム砲、壊滅の模様!」
「ようやくか...艦隊前進!一気に叩き潰せ!」
MASE軍の艦隊挙動は正確だった。艦隊の脅威となるビーム砲を潰したと見るや、艦隊を一気に進めて対地ビームで防衛線を破壊しにかかったのである。しかし、今回も、相手が悪かった。

バスターランチャーを携えたブラッドガンダムが艦隊の高さに浮いている。アジャンはゆっくりと砲塔を構えた。
「今回はこのあとも仕事があるからな...フルチャージってわけには行かねえが!!」
バスターランチャーが光を噴いた。そのまま角度を変えつつ照射したビームは、進撃してきた艦隊を一撃のもとに薙ぎ払った。
「くぁあっ!!」
アジャンは変な声を上げながらバスターランチャーを投げ捨てた。無理やり途中で発射を止めた砲身は、紫電が散ったかと思うと爆発した。

「ち、中堅艦隊も壊滅の模様!」
「何だ!何が起こった!」
「ブラッドガンダムのビーム攻撃です...!」
「馬鹿な...」
支援の艦隊が潰され、地上には大量のMS隊が取り残された。
「まだだ!ブラッドガンダム一機なら...!」
勇敢な兵士が空中に浮くガンダムを見上げた。彼の見たものは、リリエンタールの艦隊だった。

「前線の艦隊は潰した...あとはもう、地上のMSを撃つだけだ!ペレルマン!!」
「艦隊、ビーム砲で地上を掃射!!」
リリエンタール艦隊から放たれる対地ビームで地上のリベラたちは蹂躙された。何よりもこれでアジャンが自由になる。またもライフルを二丁持ったブラッドガンダムが、地上で逃げ惑うリベラ達を空から攻撃する。航空戦力を喪失したMASE前線部隊は空中からの攻撃に対応できず、崩れ始めた。
「当てようと思わなくていい!撃つだけで総帥の援護になるぞ!」
ペレルマンの声に励まされてビームを撃ちまくる艦隊。その中央にブラッドガンダムが突っ込む。とっくにビームを撃ち尽くしたアジャンは、あの大軍にビームソードを抜いて接近戦を挑んだのだ。優勢を悟ったエルヴィンは、アランブラと後ろからその様子を見ていた。
「まだ油断はできないが...これは勝てるかもな」
「はぁ...はぁ...俺...パイロット向いてねえのかな...」
珍しく弱音を吐いたアランブラ。
「いや、よくやった。初めての実戦で大したものだった」
「はぁ...そうか...」

「前線のMS消耗率80%!このままでは!」
「くっ...MSを収容、撤退する!」
「司令!前線のMSは呼び戻せません!艦隊がやられて...収容も...」
ブラッドリー大佐は苦渋の決断を迫られた。前線の若い兵士達を見殺しにするか。艦隊を危険に晒すのか。
「......艦隊まで失うわけにはいかん!前線は投降させろ...!」

アジャンに抵抗していたMS隊が、突然武器を捨てた。
「うん?投降?」
「総帥!MS隊から投降の申し出が!」
「...全軍攻撃中止!中止だ!!」
ブラッドガンダムはビームソードを収めた。十数機のMSが生き残り、武器を捨てて手を上げている。
「...今回の指揮官は、まともだったな...」
アジャンはイーグル基地で戦ったレンダ軍を思い出しながら独り呟いた。

狂気のカウントダウン

帰還したアランブラとエルヴィンは、基地スタッフになっていたポリシアのメンバー達に拍手で迎えられた。
「アランブラ!やったな!」
「お、俺は何も...」
「いや、見事だった。よく敵を引き付けた」
「...へへっ」
「エルヴィンも流石だったなあ。エースパイロットってのはすげえぜ。って、MASEの軍人だったんだっけか?もう忘れちまってたなあ!ハハハ!」
ペレルマンはその様子を遠くから見ていた。両親を失ってから、アランブラが見せた初めての笑顔かもしれない。戦争に巻き込まれたというのに、なぜだろう?誰もが平和を望んでいると学校では教わってきたし、自分も警察として市民の平和を守るために働いてきた。でも彼は今、戦いの中に自分の居場所を見つけている...
そんなことを考えていると、いつの間にかアジャンが隣に立っていた。
「ペレルマン、ご苦労だった。さすがの統率力だったな」
「いえ、総帥。完璧な作戦でしたな...」
「なまじ相手の指揮官がまともだったからうまく行った。だが...誰だか知らねえが、国へ帰って無事じゃいられないだろうな...」
「...」
ペレルマンは、この目の前の憂い顔の少年のことも改めて考えざるを得なかった。ウェル・アジャンという少年は、なぜこうも非人道的なほどの残虐性と、この妙な人間味を併せ持っているのだろう。どちらが彼の本音なのか?それとも、両方とも彼の本音なのだろうか?次の瞬間にはアジャンはいつもの表情に戻って、エルヴィンの元へ駆け寄っていた。

「エルヴィン、流石だったよ。アランブラのサポートも文句のつけようがない」
「...」
「...同胞殺し」
「え!?」
「と、自分を責めてるんだろう?わかるぞ?」
「...」
「だがな、人類みな兄弟だぜ?誰を殺したって同胞殺しだよ。それを、なんで生まれた位置がたまたま近かっただけの連中に限って」
「...」
アジャンの冷徹な言葉に表情を曇らせるエルヴィン。

「と、俺は思う。で、お疲れのところ悪いが、傷の手当が済んだらもうひと仕事してほしい」
エルヴィンは思わず口元を拭った。血が滲んでいたのをこの少年は目ざとく見つけていたのだ。
「...傷は大したことありません。止血剤で十分です」
「そうか...ならすぐに。捕虜にした少年兵達の尋問を頼みたいんだ」
「尋問...?」
「ああ。ウィグルが十数人も手に入った。今回、処遇は貴様に任せる。よろしくな」
「ま、任せる?何を...総帥!!」
アジャンはあっという間にいなくなってしまった。取り残されたエルヴィンは、助けを求めるようにペレルマンを見たが、彼は頷くだけだった。

会議室に捕虜のパイロットたちが閉じ込められていた。ウィグルはアルス波を利用して近くのものに強い衝撃力を与えられるので、通常の金属の手錠では破壊されてしまいかねない。彼らの捕縛はアルス波を反射するミスリル手錠で行う。
入室したエルヴィンがMASEの軍服を来ているのを見て、一人が意外そうに尋ねた。
「...あなたも捕虜ですか?部隊にいましたっけ」
「...俺は捕虜、というか、今回の戦いの捕虜じゃない。このマンタ基地の守備隊長をしていたエルヴィン・ジャスティだ」
「...?」
「知らずにいてくれるならそっちのほうがいい...俺は前の戦いで捕虜になり...そして今回、幻獣軍について戦った...」
「え!?」
若く純粋な目がみるみる怒りに満ちていく。
「あ、あなたは...同胞を殺したのか?あのガトリングをもっていたリベラはあなたか!」
「そうだ...」
「ふざけるな!後ろからアジャンを撃てばみんな死なずに済んだのに!MASEの一員がなぜ!!」
捕虜たちの罵倒を浴びるエルヴィン。その一つにも返す言葉はなかった。傷とは違う痛みを全身に感じて、逃げるように部屋を飛び出した―そこにはアジャンが立っていた。
「説得は順調かい?」
「...俺をいたぶる気なのか?」
「そんな無駄なことはしねえよ。彼らにはお前が必要だと思ったから会わせた。それだけだ」
「必要?」
「もう一回だ。中へ」

また部屋に入っていったエルヴィンに若者たちはなおも怒りを向けようとしたが、アジャンが後ろから出てきたので皆一斉に口をつぐんだ。
「諸君。君たちを幻獣軍の捕虜として扱うことにする。助命するかわりに情報を提供してもらおう。まず今回の作戦だが、総司令の名前を教えてもらおうか」
誰も口を開かない。アジャンは皮肉めいた嫌な笑みをエルヴィンに向けた。
「...流石はMASEの軍人、捕虜の心得があるな?エルヴィン」
「...」
「俺はお前に彼らの処遇を決めろと言った。決めないのなら俺が決めちまうぞ?ん?」
「...どういうことです?」

「...こういうことだよ」
アジャンは凍りつくような冷たい声で言い放つと、一番近くにいた少年兵の髪を掴み、首筋に大杖の槍を突き立てた。頑強だった少年兵の表情はにわかに恐怖を映し、喉の奥からはかすかな悲鳴が上がった。
「お前が決断するまで、俺は一分に一人ずつこいつらを殺す」
「ば、馬鹿な!正気か?」
「首筋にこの槍を突き刺してな。一瞬だ」
アジャンは機械のような冷たい声で語りながら、徐々に槍に力を入れていく。どれだけ鋭利に研がれているのか、少年の柔らかい肌はあっという間に突き破られ、鮮血が垂れ始めた。周囲が息を飲み、その空気を察したかのように哀れな彼は震え始めた。
「やめろ!」
「あと30秒...」
徐々に刃が食い込んでいく。耐えきれなくなった少年が、たすけて、とかすかな声を上げた。アジャンの強化され尽くした五感は、その波動さえも逃さなかった。
「...今さら...遅ェんだよォォ!!!!!!」
爆音、と形容したほうが正確なほどの大声をアジャンが発した。あの小さな体のどこからあの声が出ているのだろう。大音声は部屋を振動させ、その場にいた全員を凍りつかせた。哀れ耳元で絶叫を聞かされた少年は、恐怖で失禁した。
「10...9...8...」
「アジャン...」
「5...4...3...2...」
「やめろ!俺が説得する!全員面倒をみる!!」

その声を聞いた瞬間、機械のように冷たい表情と声をしていたのが嘘だったかのように―いや、嘘だったのかもしれないが、アジャンはいつもの表情に戻った。そして手早く槍を抜き取ると、一瞬で止血テープを少年の首筋に貼ってやった。
「そうかぁ!じゃあ、あとはよろしく頼む!」
妙に快活な声を上げるとアジャンは杖でエルヴィンの肩を叩き、部屋を出て行って鍵をかけた。

部屋に取り残されたエルヴィンは、若者たちの雰囲気がさっきと全く違っていることに気がついた。戦意をへし折られた、とでも言うのだろうか。哀れな彼らはもはや自分たちに敵意を向ける勇気もなく、ただ恐怖に震えているだけだった。
そもそも新兵と大差のない彼らに、敵とこんな形で邂逅した経験があったとは思えない。とりあえずMSとビーム兵器の扱いだけ叩き込まれて、それで戦場に駆り出されているのだ。ある意味、敵というものの恐怖を、彼らは今ので初めて知ったと言えるのかもしれない。

「...」
「...驚かせてしまったな。首は大丈夫か?」
哀れな少年兵は、涙目のまま首を弱々しく縦に振った。
「...私も、あのウェル・アジャンという少年に、この基地で倒されて今こうしているんだ。彼は私のMSに打撃を叩き込み、私を一撃で気絶させた。その後、私をあえて殺すことなく、生体情報を使って基地を乗っ取った上、私の処遇は自分で決めず、彼の部下に決めさせた...」
若者たちはいつの間にか、エルヴィンの言葉を大人しく聞いている。
「彼の部下は結局私を殺さなかった。南米のレジスタンスのメンバーだと聞いているが...そればかりか、私に、レジスタンスの保護した若者の面倒を見ろ、とまで言ってきた。ちょうど君たちと同じか、少し若いくらいだ。私に息子がいたら、あれくらいだった...」
若者たちは息をのんだ。
「私は、彼の面倒を見るなどという馬鹿げた仕事を突っぱねることもできた。そうなれば私は殺されていたかもしれないが、死を恐れたつもりはない。私もMASEの軍人、諸君らと同じ、死は恐れぬ戦士だ。だが...」
言葉に詰まるエルヴィンから、誰も視線を外さない。彼らの脳裏には、エルヴィンの言葉が反響し始めていた。

第二波

レンダがあっさりと旧イーグル基地を陥落させた一方、MASE軍は総攻撃をかけるも撃退され、マンタ基地を奪還することはできずじまいとなった。この「不公平感」が即席の同盟に与えた影響は小さくはなかった。

「ブラッドリー、貴様、この失態の責任をどう負うつもりだ?」
「申し訳ありません。なぜビームの射程が伸びたのか...」
「言い訳はいい!レンダ軍はとっくにイーグル基地を陥落させたんだぞ!このままではレンダとの総攻撃は失敗する!それがどういう結果になるかわかっているのか!」
「は、その間はレンダ軍がイーグル基地の修復を自由にでき...」
「わかっているならなぜ負ける!」

MASEの事実上の総帥、軍事部門のトップであるヴィクター・ストライドは、この有能な指揮官を厳しく叱責した。叱責といってもほとんど八つ当たりのようなものだった。MASEはあくまで一企業、いまや社長以上の権限を持つとまで言われるヴィクターであろうと、形式上雇われの身であることには変わりない。下手を踏めば自らの立場は危うい。高いところに立っているがゆえに、崩れ落ちればタダでは済まないのだ。しかし、ブラッドリーに八つ当たりすることはその有効な解決策にならないことは本人もよくわかっていた。

「…次の敗北は許さん。本来なら即解任ものだが、今から別の指揮官を送り込むのは却って時間の無駄というものだ」
「は…では、もう一度攻めろと?」
「当然だ、この戦闘で負けてはレンダに対する示しがつかん。先の戦闘で基地のビーム砲は破壊したのだろう?」
「ほぼ全壊に追い込んだと見ています」
「残存戦力は?」
「リリエンタールが4隻、MS10機と少し」
「敵は?」
「確認したものはブラッドガンダム含むMS3機、基地の持っていたリリエンタール3隻が出撃していました」
「ビーム砲も無ければ互角に戦えるだろう、貴様も出ろ!その責任、自分の手で果たして見せろ!」
「…は!」

「ビーム砲のオーバーロード?」
「そう、単純な話だ。固定式の共振粒子法は、投入した電力に応じた威力と射程を持つ。特に、加速器に大きな電力を投入すれば射程を伸ばせる」
「それをあの短時間でビーム砲に実装したというのですか?」
「追加の電源を繋げば一発なら撃てるんだ。ただ、おそらく加速器はその一発でおじゃんだ」
「だから使用後のビーム砲は盾に…しかし思い切った策ですな」
「こちらはMSが足りない以上、地上の小競り合いは間違いなく押し込まれるからな。向こうはそのつもりでビーム砲を潰しに来る。だから、小細工をするならビーム砲のほうなんだよ」

一時の休息を取りながら、ペレルマンはアジャンから今回のからくりの説明を受けていた。まるで作ったような理屈だ。この少年に「想定外」はあるのだろうか?ペレルマンはその疑問を口に出そうかとも思ったが、もっと重要な話がある。

「アランブラは、どうでしょうか」
「大した奴だよ。エルヴィンもうまく面倒を見ている。このままうちのパイロットとして使わせてもらいたい」
「私にそれを良いとか悪いとか言う権利はありませんが、本人はどう思っているんでしょう?」
「まんざらでもないみたいよ。あいつ、あの年まで人に必要とされたことないだろう?」
「え?」
「子どもだからって、守られるばかりで。自分の両親が殺されたってのに、まだ…」
「…」

ペレルマンのわずかな誤解を解くようにアジャンは言葉を続けた。

「そんなつもりじゃない、お前たちが守って来なければアランブラはもっと早くに死んでいたはずだ。だが、人間ってのは時折、守られるより自分で傷つきに行くほうが却って嬉しい、って瞬間があってな」
「…あなたもですか?」
「俺?俺は…」

アジャンがなにか言いかけたとき、警報が鳴った。

「また敵ですか?」
「第二波だ…こんなに早く来るということは…」

「ブラッドリー司令、本当に攻め込むおつもりで?」
「攻めねばならん。ただそれだけだ」
副官に尋ねられたブラッドリーは伏目のまま答える。
「司令、しかし互角の戦力で、あのブラッドガンダムを相手に取るとは…」
「私も自分のガンダムで出る。私があのガンダムに遅れを取るとでも?」
「…は、失礼しました」

視線を床に落とした副官は、ブラッドリーの吹き出す声を聞いて顔を上げた。
「…フフフ。あんな化け物相手に、どうにかなるというものではない」
「し、司令、それでは!」
「いや…この勝負、ブラッドガンダムを撃墜できなければ負けというわけではない。あちらの台所事情を考えてみろ」
「台所事情…ですか?」
「幻獣軍にはどう考えても十分な人数はいない。それでもなんとかああしてリリエンタールを4隻も動かしているが、おそらく人数のほぼすべて、あの艦隊に乗っているはずだ。それに、マンタの守備隊長だったエルヴィン・ジャスティもおそらくは与した…それらをすべて討ち果たせば、ブラッドガンダム一機で何ができる?」
「…まだ、仰ることが」
「いいか。我々の目的はマンタ基地の制圧だ。ブラッドガンダムはマンタに永遠に駐留できるものではない。レンダがイーグル基地を制圧した以上、そこから敗走する友軍の支援にも行かねばなるまい?」

副官はようやくブラッドリーの言わんとすることを悟った。この男、たとえ自分が負けても、基地の幻獣軍戦力を一掃できれば目的は達せられると見ている。その下につく自分としては複雑な心境だったが、その軍人魂に対する感激にもまた堪えなかった。


「奴らは残りの戦力をまとめて持ってきた。それでも、俺以外を倒すには十分と判断したわけだ」
「総帥、以外、をですか?」
「奴らの目的はあくまで基地の制圧だ。ブラッドガンダムはずっとここにおいておくわけには行かない戦力だ。となれば、他の戦力を掃討できれば、戦力を使い切ったとしても目的は達せられる」
「…!」
「敵の指揮官、ブラッドリーというそうだが、大した男だ。この状況下で、大局が見えてる…殺すには惜しい」
「…では、どうするのです?」
「この勝負、生き残らなければならないのはブラッドガンダムじゃない。お前たちの方だ。それにだけ注意すれば…」

一騎打ち

幻獣軍はリリエンタールを1隻ずつ左右に分け、右翼にブラッドガンダム、左翼にエルヴィン専用リベラ含む2機を配置した。MASEは右翼から二隻、左翼から二隻を進軍させ挟み撃ちの態勢を取る。
右翼のMSの中に、ひときわ目立つ大槍を携えた隊長機が見える。そのパイロットこそ、紛れもなくブラッドリーだった。MASEは良くも悪くも実力主義の組織、軍で成り上がった者には相応の理由がある。

「ブラッドリーは年齢的には俺と同じファーストウィグルに当たる。最初はMASEの軍人で、ウィグルの扱いが定まって来た頃にパイロットに転向したのも俺と同じだ。だが奴は俺より頭も切れるし腕もいい」
「貴様より?だとしたら相当な使い手だな。それで一軍の司令まで出世したってわけか。こんな僻地の守備隊長の貴様と違って」
「返す言葉もない。奴は能力も高かったし、組織での立ち回りも上手かった」
「ククク…俺は、人間としちゃあ貴様のほうが好きだがな…しかし、それならば楽しみだ」

「よし、MS隊、艦隊、戦闘態勢に!可能な限り多くを撃破せよ!」
MASE軍は進軍を始め、双方の艦隊の共振粒子砲が火を吹く。ジリジリと間合いを詰めたMS隊がビームピストルでの射撃を始め、幻獣軍のMS隊を一瞬にして焼き払った。
「やはりむこうにはまともなパイロットはいない…MS隊続け!ブラッドガンダムを交わして艦隊を攻める!」
ブラッドリーの駆るMSーガンダムエクエスはブラッドガンダムを大きく迂回して戦線に切り込んだ。アジャンはそれを見届けると、自分も同じくMS隊を無視して艦隊に切り込む。いや、正確には数機のMSが護衛についていたのだが、アジャンの前にそれは特に意味のないものだった。

「司令!ブラッドガンダムにより当方のリリエンタール級二隻撃沈!」
「臆するな!奴らを掃討すれば我々の勝利!攻め込め!!」
ブラッドリー直属のMS隊は流石に果敢だった。またたく間に右翼の護衛艦を撃沈、左翼から攻め込んだ部隊と合流する。
「戦果を報告せよ!」
「は、リリエンタール級一隻とリベラ2機を撃破!」
「…一隻?こちらも一隻だが、残りの二隻はどこに?」

「…集まりすぎたなああ!!!」

突如、猛烈な速度で赤い尾を引く流星が突っ込んできて、数機のリベラを一閃で薙ぎ払った。正確な斬撃はコクピットを切り裂き、ブラッドリーの部下たちは一瞬にして蒸気と化した。

「何!?散開!」
「遅い!」
部下への指示も虚しく、ビームライフルで狙撃され残りのリベラも爆散した。ブラッドリーは辛うじて躱し、空中のブラッドガンダムに向き直る。

「…読まれていたというのか…艦隊!基地を砲撃しろ!」
生き残った左翼の艦隊が前進してくる。それを見たアジャンもブラッドリーに狙いを看破されたことを知った。
「…大した奴だ…殺すには惜しいが、投降してくれる相手でもないだろうな…」

ブラッドリーは、アジャンのここ最近の無謀とも言える作戦行動の数々が、味方を増やすという目的のためでしかないことを読んでいた。ならば、ブラッドガンダムをここで倒せなくても、アジャンが集めた友軍を削げれば十分だった。
アジャンはその思惑を読み、最大の財産であるポリシアのメンバー、そしてエルヴィンを始めとするMASE軍の捕虜は基地内に駐留させたリリエンタール級二隻の中に隠してあったのだ。そして囮として空っぽのリリエンタール二隻を戦闘エリアに浮かべ、自動制御でただうろうろするだけのリベラを何機か並べておいた。戦闘エリアにいるのはアジャンたった一人だった。
MASEが全軍を集中してブラッドガンダムを攻めていれば勝負はわからなかった。マンタ奇襲のときと違い、こちらは万全の編隊で勝負に望め、ガンダムエクエスもいるのだから…だが、すでに手遅れだった。最初からブラッドガンダムを避けていたMASE軍は、アジャンに反撃の隙を与えてしまっていた。

「ブラッドリー司令だな!俺がウェル・アジャンだ!」
「聞き及んでいる!貴様の策を読みきれなかったこと、一生の不覚!かくなる上はこのガンダムエクエス、一騎打ちを申し込む!いざ尋常に!」

槍を向けるガンダムエクエス。ブラッドリーの威勢は不自然なほど良かった。アジャンは邪悪な笑みを浮かべると、ライフルのカートリッジをゆっくりと交換しながら降りてきた―だが次の瞬間、ブラッドガンダムは視線をガンダムエクエスに向けたまま背後の艦隊へビームを放った。

「何!」

普通のビームなど届かないはずの距離だったが、放たれた閃光は数kmは離れていようかという左翼の艦隊に到達し、リリエンタールのブリッジを貫いた。普段のアジャンのそれと比べても、桁外れの一撃だった。

「...ペレルマン!!」

アジャンはそれだけ言うと、カートリッジをもう一度入れ替えた。

「艦隊!応答を!」

ブラッドリーの呼びかけに返答はなかった。おそらくは幻獣軍の隠していたMS隊と戦闘に入ったのだろう。護衛機もないまま戦艦一隻でどうにかなるものでもない。ブラッドリーは自身の負けを悟った。

「…ウェル・アジャン…最初からお見通しだったというわけか?」
「貴様はよくできた軍人だ、判断も正確だった…第一波の撤退のタイミング、第二波の思い切り、いずれにしても最善だった」
「…」
「それが故に読みやすい相手でもあった…お前は最善"しか"選べないことを自分で教えてしまった…」

「…まだだ」
「何?」
「私の望んだ通りの一騎打ちだ、ここで私が勝てば、この戦争は貴様らの負けだ」
「…この俺に、サシで勝とうというのか?」
「貴様は多少なりとも消耗しているはずだ、私でも相手にならないわけではない」
「……身の程知らずがぁ!」

アジャンはいきなりライフルを向けると、ガンダムエクエスの足元に正確な射撃を撃ち込んだ。ブラッドリーはジャンプで避けると、そのまま盾を構えスラスターを噴かして突っ込んでくる。アジャンは着地地点を狙ってさらにビームを撃つが、ブラッドリーの回避もまた正確だった。第二射を左へ避けたブラッドリーは、第三射を大きなジャンプで避けてアジャンの視界を外れ、そのまま上から槍を突き立てた。
アジャンもまた冷静だった。右を引いて半身になる形で躱すとそのまま回転し、槍を地面に突き刺したガンダムエクエスの右側に後ろ回し蹴りを叩き込んだ。ブラッドリーは右の大盾で自然に受けるが、アジャンは続けてスマッシュシールドを大盾に突き立て、その反動を使って飛び退きながら槍の持ち手を狙ってビームを撃つ。
しかしそこにすでに槍はなかった。すでに槍はガンダムエクエスの手の中にあり、ビームはその脇腹をかすめたものの直撃には至らなかった。アジャンの表情にわずかな驚愕が浮かぶ。

「…ぬおおおお!」

ブラッドリーはその隙を逃さなかった。大盾を構えたまま一気に間合いを詰めると、体勢を崩したブラッドガンダムにバックフィストを見舞う。ビームライフルが弾き飛ばされた一瞬、がら空きのミスリルコアに渾身の突きが迫る―

「「…!!」」

槍のビームがブラッドガンダムのやはり脇腹をかすめた。ブラッドガンダムは錐揉みのごとく回転しながら引き下がる。その瞬間、ガンダムエクエスの盾の裏面が光る。放たれた細いビームがブラッドガンダムのホバリングスラスターを貫く。盾の中にビームガンが仕込まれていたのだ。
そして、それが最後の一撃となった。

「…もらったぁ!」

ブラッドガンダムはそのまま回転しつつ、ライフルを失った右手で左腰のビームソードを抜いた。突きの反動とビームガンの発射で身動きの取れないガンダムエクエスは、ブラッドガンダムの居合抜きを躱すことはできなかった。上段に振り抜いたビームの刃はガンダムエクエスの盾、肩、槍を一直線に切り裂いた。

分断

ブラッドガンダムはそのまま左脚を軸にもう一回転すると、右脚で回転を止めガンダムエクエスに向き直った。
ガンダムエクエスもまた大地に立っていた。しかしその手に持つ槍は根本を切り落とされもはや光はなく、裏面をえぐられた大盾にももはや隠し矢を放つ力がないことは明らかだった。一文字に切り裂かれた傷跡は痛々しく赤熱し火花が飛び、この勇敢なガンダムの命がそう長くないことを如実に示していた。
アジャンが無表情のまま口を開く。

「…俺の、勝ちだな」
「…なぜ機銃を使わなかった?」
「クク…貴様ほどの使い手と斬り結んでみたかっただけさ」
「…馬鹿な…自分が負ければ戦争自体に負けるのだぞ!?」
「そうさ、だからどんな手を使ってでも勝とうとするのが最善だ…だから俺に読まれた」
「…」
「その槍はまだいい…だがその盾!MS戦にそんなものを担いで来るなんざ間抜けじゃ済まねえだろ?たしかに見映えはするから、一見不自然に見えねぇけどな…」
「…」
「そんな装備で戦いに来る奴は、よっぽど見てくれにばかり拘るボンクラだろうな…その盾に意味がない限りは…盾を直接撃たなかったのも、何か仕込んでいるだろうと思ったからさ」
「…たったそれだけのヒントで…」

アジャンの表情は穏やかだった。

「…最後に聞いておくが、俺に与するつもりはないか?」
「…」
「貴様ほどの男、死なせるには惜しい」
「…無理だ。私にはMASEを離れるわけにいかぬ理由がある」
「…そいつは結構なことだ…いつか会うことがあったら伝えておいてやるよ!お前のせいで、優秀なパパを味方にできなかった、ってなぁ!!!」

アジャンの捨て台詞は、ガンダムエクエスの誘爆に紛れて消えた。ブラッドリーの胸に光っていたペンダントも、消えた。


「総帥!ご無事で…!」
「ペレルマン、そちらもうまくやったようだな」
「ビームが飛んできたときは何事かと思いましたが、あれで一隻沈みましたからだいぶ楽になりました。低空を飛んで来たので撃墜も容易だったようです」
「アランブラ、手柄だったな」
「…」

少年はまんざらでもない表情を浮かべているが、素直に喜んで見せるほど大人でも幼稚でもなかった。

「二人は休んでいい、エルヴィンはどこだ?」
「あいつなら医務室に、まだ傷が治りきってないから」
「そうか。アランブラ、今日は一人で休んでくれ。ペレルマン、捕虜は?」
「エルヴィンさんがだいぶ懐柔したようです、随分大人しくなっています」
「…ククク、順調だな」
「はい、しかし…」
「…ブラッドガンダムか?」
「…はい、あれほど損傷させられて大丈夫なのですか?今後の作戦に支障は…」
「それは問題ない、が、今はまだ理由を話せん。貴様なら聞き分けるだろう」
「…承知しました」

意味深な言葉を残すとアジャンはエルヴィンのいる医務室へ向かった。

「…総帥が機体を損じられるとは」
「貴様の言った通り、大した使い手だったな。何より周到だった、いろいろと」
「…昔から、戦いが始まる前に勝負をつけてしまうような、そんな男でした」
「それが故に強かったし、それが故に俺が勝ったんだ」
「…それで、なんの御用で?」

アジャンはまた邪悪な笑みを浮かべた。

「…MASE司令のヴィクター・ストライド…あの男の性格を話せ」
「性格、ですか…」
「一番知りたいのはプライドの高さ、そして執念深さだ」
「…ご想像のとおりです。そうでなければあの立場には立てません」
「ククク…十分だ、寝ていい」

翌日、アノニマス上はレンダ軍の旧イーグル基地奪還、MASEのマンタ基地での戦闘の2度にわたる敗北の話題でもちきりとなった。レンダはほぼ無損失でこの戦果を出したことを、ジンタオ・ヒュー主席の以下のコメントをつけて大々的に報じた。

「我々は幻獣軍の必死の抵抗にも関わらず、迅速に、かつ最小限の損害でイーグル基地を奪還した。私はレンダ軍の勇敢なる兵士、士官諸君を誇りに思う。しかし、今回の作戦はMASEと共同にて幻獣軍を追い詰める作戦である。MASEはマンタでの苦戦が続いているが、彼らにはより一層の奮戦を期待し、MASEのマンタ基地奪還が成れば我々はMASEとの共同作戦に着手するだろう」

言うまでもなくこの挑発的なコメントはMASE、特にプライドが高く執念深いヴィクターを激怒させた。過程はどうあれ結果がこれでは、社会的にMASEが嘲笑の的になるのは避けられない。MASE本軍から、およそマンタ基地には似つかわしくない規模の幻獣軍討伐隊を編成して集結をかけようとしたときだった。
旧イーグル基地でミスリルコアの暴走によるものと思われる大爆発が発生し、基地まるごと灰燼と化した。レンダはイーグル基地の復旧のためにかなりの資源と人数を送り込んでいたが、それが一夜にして泡と消えた。
この報に一番喜んだのも、やはりヴィクターだった。更にその後、マンタ奪還作戦から帰還した部隊がブラッドガンダムの中破を報告したことにより、彼はさらに狂喜して次のような声明を出した。

「いまや幻獣軍という共通の敵を討たんとする盟友であるレンダ軍が、旧イーグル基地の爆発で大損害を被ったことに対して心から哀悼の意を表する。爆発の直接の原因はミスリルコアの連鎖暴走であるとされているが、まさかレンダ軍の精鋭がそのような事態を引き起こす失敗を演じるとは考えにくく、幻獣軍の罠によるものだったとの噂も実しやかに流れている。ならば幻獣軍があっさり基地を明け渡したのも罠だったのだろうか?思えばマンタ基地の防衛には幻獣軍も力を入れており、ブラッドガンダムもこちらで目撃されたが、忠勇なるMASEブラッドリー司令は自らの命を顧みず、ブラッドガンダムに打撃を与えた」

こうして両軍による皮肉合戦は泥沼化し、互いに次の戦力を出し渋る雰囲気が醸成された。結局、幻獣軍討伐のために自分たちのほうが多くのリソースを割いてしまえば、その分相手に対して不利になることが明白になったのである。少なくとも幻獣軍は、それだけの相手であると彼らも認めなければならなくなったのだ。
幻獣軍は自ら生み出したこの均衡状態を利用しない手はなかった。総帥アジャンはこの時間の使い方を二通りに当てた。一つは戦力の充実。もう一つは、宇宙への進出の準備であった。宇宙労働組合SLU代表セイバー・ランスロットが、幻獣軍との謁見を求めてきたのである。

始動

「全幻獣軍に告ぐ!東西に別れての今回の戦い、総合的に見て作戦は成功だ!諸君らの奮戦に感謝する!」
アジャンの溌剌とした声が各拠点に響いた。彼は今、艦隊を率いてハード・ハートの幻獣軍拠点に帰還しており、マンタ・チェストに駐留させたポリシアの部隊と、旧イーグル基地を放棄してキング・ハリドに向かった砂漠の月の部隊に呼びかけていた。
「今作戦の成功で、MASEとレンダは一時の膠着状態に陥った。この僅かな時間を、我々は最大限に活用して戦力を増強する必要がある。早速だが、幻獣軍の二大前線基地として、マンタ・チェストとキング・ハリドを設定し、ここにほぼ全戦力を集中して練兵に当たる。マンタのMS守備隊長にはエルヴィン・ジャスティ、司令官にエドワード・ペレルマンを指名。キング・ハリドは守備隊長をケリー・ハワード、司令官をオリバー・ベトルーガとする!」
マンタではエルヴィンとペレルマンが顔を見合わせ、キング・ハリドではケリーとベトルーガが当然のような顔をしていた。
「ここまでの戦闘でMASE、レンダ両軍から若いウィグルたちを捕虜とした。だが俺は諸君らを捕虜とは考えていない!幻獣軍に身を置きたくなければ去ればよい!我々は人質など取る必要もない!」
今度は若者たちが顔を見合わせる。
「いいか諸君!MASEの経営者達もレンダの政治家共も考えていることは同じ!諸君ら若いウィグルは使い捨ての駒だ!!貴様らを人質にしたところで奴らにとってなんの訴求力にもならん!奴らは貴様らに忠誠を要求しながら、貴様らのことなど歯牙にもかけていないんだ!今回の戦いの報道を見ろ!貴様らのことなど誰が気にしている!!」
若者たちにとっては耳の痛い言葉だった。彼らはついこの間まで、心の何処かで、自分の忠誠に対し"彼ら"は報いてくれるだろうという甘えがどこかにあった。その甘えを認めたくないから、また狂信的に忠誠を誓う。その輪廻から抜け出せないでいた。
「俺は貴様らに忠誠など求めない!ただ、貴様らが自分のために戦うことを求める!貴様らは俺の与える機会を利用し、俺も貴様らの力を利用する!それが嫌ならば去ってよい!!」

この演説が全員に響いたわけではない。ただ結果として、彼らが捕虜にしたウィグルたちは一人として幻獣軍を去ることはなかった。他のものが去らないから自分も去らない、という思考は、この期に及んでも彼らからは抜けていなかったのだ。それを利用しないアジャンではなかった。彼は全員に、少なくとも「この状況は自分で選んだ」という錯覚に近い感覚を抱かせることに成功していた。


こうして幻獣軍は第二の始動のときを迎えた。各基地で今後の相談が行われる。
「ベトルーガ、MSはどうする?」
「アジャンから通信があった。あの黒いMS、ベル・ドゥをハード・ハートで量産しているらしい。イーグル基地から接収したリトヴァックでマンタとここへピストン輸送する計画だそうだ。数日で全員分のMSが揃うと」
「MSは届くか。だが、まさかレンダの新人共を俺が教育することになるとは…」
「おまえはレンダ軍をよく知っている。ちょうどいいんじゃないか?」
「…まあな。こいつらを使えるようにすれば、砂漠の月の目的もいずれ達成できるかもしれないしな…」

そこに司令室―砂漠の月の元会議室―にスコットが入ってきていた。
「あ?スコット、お前、ここなのか?」
「守備隊長を支えつつMSの戦闘を学べ、とのことだ。引き続きよろしく頼む」
「…しょうがねえな…あの、アレスだっけ、あいつらは?」
「別行動になるとかいって、さっき出発した。一旦ハード・ハートに戻るらしい。ヨーロッパは遠すぎて、しばらく攻略対象にならんだろうからな」
「…まあ、いいか。練兵については任せておけ。まず口頭で説明するから、新人を集めろ!」
「承知した」


そのころ、マンタ・チェストでも新体制のための準備が始まっていた。
「エルヴィンさん、MSは数日で全機揃うそうです」
「艦隊を使ってのピストン輸送とは考えたな。しかし、その作業をすべて無人化しているというのか?アジャンという男、底が知れない…」
「総帥には驚かされっぱなしですね。あと、MS工廠が使えるかを調査するように言われているのですが」
「んー…俺もMS乗りで工廠にはあまり行ってないからな…場所はあっちだが、動かせるかどうかは」
「いえ、そのへんももう総帥が準備しているらしいです。ただ、リベラではなくベル・ドゥを生産するには少し改造がいるから、その指示が来ていまして」
「…いつのまに工廠を?」
「…あなたを倒して、我々が到着する前に調べ上げたようですが…」
「…」

「エルヴィン、全員準備できたぞ」
アランブラが守備隊長を呼びに来た。
「おう、では司令、練兵に出ます」
「ハハハ、司令、は調子が狂います…さて、ポリシア集合!MS工廠で改造に着手する」


そして、ここはハード・ハート。アレスは解放戦線の仲間と別れて独り、ピストン輸送する艦に乗ってアジャンと合流した。次の作戦に別働隊として参加せよ、との指示が下ったためだ。
「…アジャン、スコットのことだけど…」
「お前から彼を引き剥がしたのはすまないと思ってる。だが、地球ならともかく、宇宙じゃ生身は通用しない。いずれMSは覚えてもらわなくてはならなかったし、彼もそのつもりだったからな」
「…いや、心配してないといえば嘘になるが、あいつなら大丈夫だと思ってる。どっちかというとあの、砂漠の月のほうが心配かも」
「…クク、お前とはよく意見があうな?アレス」
「…」
「…で、お前だが、宇宙に上がってもらう」
「…宇宙!?」
「SLUという団体を知っているか?」
「SLU?」
「かつて宇宙を開拓するためにMASE、レンダから送り込まれた人々が、所属を超えて団結した労働組合だ。もっとも、結成してまもなく戦争状態になって、表立った活動はできないはずだがな。で、そこの代表が幻獣軍にコンタクトを取ってきた…」
「労働組合の代表が?」
「宇宙で働く人々は、ほとほと自分の組織に嫌気が差したんだろうな。危険な職場に送り込まれて、お偉方は地球で左うちわときちゃあな」
「…どこか共感を感じなくもない」
「だろ?だから会いに行こうってんだ。何より奴らは、戦闘経験こそほぼないだろうが、MSを宇宙で動かすにはエキスパートだ。幻獣軍の宇宙方面軍の母体にはこの上ない」

率直な打算を打ち明けるアジャンにアレスは少し呆れながら聞いた。

「しかし、宇宙に上がる手段があるのか?マスドライバーどころかシャトルだってないだろう」
「ブラッドガンダムは単機で大気圏を離脱できる。ホバリングスラスターがやられたから快適とはいかないが、なんとかしてみせる」
「メインスラスターと姿勢制御スラスターだけで大気圏を抜けようってのか?しかし俺は?」
「俺が"カイザーの反乱"から脱出するときに使った小型の潜水艦がある。あれな、実は真空にも出られるんだ」
「…は?」
「だが推進機がない。急造だが、鹵獲MSからはがした旧式の推進剤型の推進機を取り付けた。それを俺が担いで宇宙に上がる。お前はそれに乗れ」
「…死にに、行くようなもんだな」
「ブラッドガンダムなら加速をつけてお前をL1から月へ送り出せる。SLUに話を通しておくから、お前独りで月へ乗り込むんだ。潜水艦、ノーティラリーには独りしか乗れないからな」
「そうまでして俺を宇宙に上げる意味は何だ?」
「俺はおそらくL1で艦隊の足止めに集中せねばならん。そうなったらSLUへ行くやつがいない。あちらに量子テレポート通信のデバイスも当然ないから、一度宇宙に上がったら連絡手段が絶たれる。お前をその連絡手段に使う」
「アノニマスじゃだめなのか?」
「アノニマスの通信中継機はかつての宇宙旅行船の航路上にしかないんだ。今のMASEとレンダの航路上からは通信は届かないと思う。今回俺が攻撃するのはあいつらだからな」

宇宙へ

翌日夜、アジャンはブラッドガンダムのコクピットに、アレスはノーティラリーのコクピットにいた。ブラッドガンダムにはノーティラリーが抱かれていた。まるで恐竜の卵でも運んでいるかのようだった。
アレスの左腕には光るものがあった。一見すると腕時計のようなそれは、アジャン特製の小型通信機だった。量子テレポート通信の最も小型なデバイスであるそれは、スイッチを引くとタイムラグなく相手のデバイスを通して肌に針で突かれたような弱い刺激が走る。これを利用してモールス信号で通信するのだ。

「アレス、操縦は説明したとおりだが、何か質問あるか?」

アレスは言葉では答えず、左腕の通信機のスイッチを二回引いた。

「使いこなしているようだな。L1まで7時間、その後月まで2時間ほどの予定だ。射出した後は自動制御でデブリなんかは避けてくれるはずだ」

アレスはまたスイッチを一回引いた。

「クク、言葉で話せるのは今だけだぞ?」
「...今更作戦についてはなんの疑問もない。L1付近で俺を射出後、そのころ付近を航行する予定のレンダの輸送艦隊を叩き、さらにL1のビッグディッパーにも突っ込んでかき回す。その間に俺がSLUを蜂起させて艦隊を出し、お前を回収しつつ地球へ戻る、だったな」
「その通り」
「…ただ、俺達が宇宙に上がった後、地上で何も起きないとは限らないよな?というかむしろ、起きると思うんだが」
「...」
「俺達が宇宙で戦うのはほかでもないMASEとレンダなんだろ?ブラッドガンダムが宇宙に上がったとは知られる。地上は手薄になったと思われるだろうし、残りの戦力をかき集めて潰しに来るだろう?ここまでの戦闘でだいぶ戦力を補強できたとはいえ、依然として奴らとは大きな開きがある。アジャンがいない間、地上はしのぎ切れるのか?」
「...そうだな、このタイミングで同調して攻めて来られたら厳しいだろうな」
「来られ、たら?」
「その確率を下げるためにこれだけの大立ち回りをやったんだ。両者に、自分が動いたら損だと思わせるためにな。俺が地球に戻るまで時間を稼げるように」
「...すると、賭けだな?」
「賭けだ。俺の予想、というか願望に反して奴らが俺の留守を狙うことがあればそれまでだ。幻獣軍自体は宇宙で存続させられるが、地上に残した奴らは...」
「...」
「どのみち地上にいても時間の問題なんだ。今回全軍に支給したベル・ドゥで、手持ちの資材はほぼ使い切った。一刻も早く宇宙に拠点を作らなければ、後一回大規模な戦闘が起きれば幻獣軍はおしまいだ。兵站の話ができるようなまともな軍人は幻獣軍にはほとんどいないからな。気づくとしてもエルヴィンだろうが、あいつには若者たちを任せて忙しくしてやったし、もともとどっちかといえば兵士肌だからな。今この事実を認識しているのは俺と貴様だけだ」
「...なぜ俺を選んだ?」
「ん?」
「その話をなぜ俺にだけしたんだ」
「…こんな危険な作戦に駆り出されるって時にさえそれを聞かずにいて、今聞くような奴だからさ」

アジャンはどこか満足げにそれだけ答えると、コクピットのレバーを引いた。ブラッドガンダムは飛び立ち、そのGでアレスは目を閉じた。


その頃、SLUでも騒ぎが起こっていた。SLU代表のセイバー・ランスロットのもとに、アジャンからの連絡が入ったのである。彼がL1のMASEを叩いた隙に月で蜂起せよ、連絡手段として従者を一人送るというものだった。
セイバーは副代表のサーベラスにその連絡を見せた。

「セイバー、これを信用するのか?俺達を蜂起させるだけさせて、漁夫の利を狙おうってんじゃないだろうな?」
「ビッグディッパーに何かあって、こちらの艦隊が動けば気配は感じるはずだ。それがはっきりとあれば行動に移せばいい。少なくともそこまで行われていれば利害は一致してるってことだ」
「…そうか。アジャンの狙いは月の艦隊を誘い出すことなのか」
「多分な。そうでもしないと俺達が蜂起しないことは向こうも織り込み済みだろう」
「それならたしかになんとかなるかもしれない。が、いくらなんでも月の艦隊を全部一人で相手にしようってのは無茶じゃないか?」
「…それは、そうだ。誘い出したとしてその後、あの大軍勢を相手にするなんてことができるものなのか…でも、それを今までやってきたからな…」


アレスが次に目を覚ましたのは7時間後だった。

「アレス、起きたか?」
「...もうついたのか?」

まるで飛行機の中の会話だった。珍しくパイロットスーツを着用したアジャンがモニタから語りかけてくる。

「そろそろだ。お前を射出したあと、俺は戦闘に入る。レンダの定期便を叩いて、L1のMASEの戦力も可能な限り削る。お前は向こうに到着した後、SLUを出発させろ」
「なるべく急ぐが、どれだけかかるかわからないぞ?それに、向こうにも督戦隊みたいなのがいるだろうから足止めを食らうかもしれない」
「俺がここで暴れ回れば、奴らは月の戦力を可能な限りL1に向けるはずだ。そいつらを駆逐すればお前たちはしばらくフリーパスになる...両軍の宇宙艦を可能な限りかっぱらえ。それにありったけの資材を積み込んで大気圏へ戻れ。宇宙艦は大気圏突入はできる、打ち上げにはマスドライバーがいるけどな」
「そこまでするとなると数日じゃ終わらないんじゃないか?」
「時間はかかってもいい。俺なら大丈夫だ...」
「...信用するっきゃないな…じゃあ、行ってくる」
「…任せた、アレス」

ブラッドガンダムから切り離されたノーティラスは、月へ向けてたった独りの航海に出た。L1をすぎれば月の引力に引かれて落ちていく。SLUが迎えに来れば助かるが、もし迎えに来なければ命はないことはわかっていた。並の人間にそう気軽に決断できる状況ではないはずだった。しかしそれができるからこそ、アジャンは彼を選んだのだろう。

「...さあ、ブラッドガンダム、行くぞ...!」

アジャンは尾を引く流星となって、レンダの月輸送艦隊の航路へ向かった。防衛のMS隊が反応し、艦隊が振り向くのがわかる。
彼はライフルを構えた。

交錯する思惑

ブラッドガンダムのライフルから放たれたビームは、艦隊の先鋒にいた輸送艦ウォン・ファンの急所を一撃で貫いた。
「敵襲!敵襲!」
「あれは...まさか...しかし、なんで宇宙に...」

もともと東西戦争は宇宙資源の奪い合いがもとで始まった。しかし今に至っても、宇宙は地球からまだ遠かった。月面のレアアース採掘基地を叩けば相手に長期的な打撃を与えうることは互いに承知していたが、地球から月までの補給線は長すぎて、まともに戦争を行うだけの体勢を整えることは互いに不可能だった。それでいつしか、東西戦争は地球上でMSを使っての勝負になったのである。
そんなわけで、レンダにしてもMASEにしても、宇宙MS隊は必ずしも戦闘のプロではなかった。少なくともMSの操作自体には相当慣れていたのだが、ビーム兵器を満足に扱えるウィグルは多くはなかった。彼らはあくまで工員として宇宙に派遣されていたのだ。そこにブラッドガンダムが切り込んだのだから、数の違いを差し引いてもレンダに勝ち目はなかった。

「沈めぇ!!」

アジャンのライフルは絶え間なくビームを放ち、艦隊を次々と沈めていった。護衛のMS隊もなけなしのビームピストルで応戦するが、アジャンは初めて宇宙に出たとも思えない華麗な動きで付け入る隙を与えない。

「あれが、ブラッドガンダム…」
「ユエ基地の警護艦隊に連絡!ブラッドガンダムの襲撃を...」

言い終わる前に最後の艦は爆発した。都合6隻の輸送船団が宇宙の塵となり、取り残されたMS隊はただ宇宙を彷徨う以外の選択肢を奪われた。アジャンはそれを見届けると、踵を返してL1の宇宙ステーション「ビッグディッパー」へと進路を取った。

月面のレンダ軍採掘基地「ユエ」。「ブラッドガンダム」という単語を最後に連絡が取れなくなった定期便からの通信は、彼らに起きたことを無言に語っていた。
「コウガ司令!定期便がブラッドガンダムの襲撃を受けた模様です!」
長い黒髪の、妙齢というには少々トウの立った、しかし美しい女が答える。
「...この時間ということは、L1の脇を通ったあたりですね?」
「はい、艦隊はすでに通信が繋がりませんが、位置情報から見てもその通りかと…警護艦隊に出撃の指示を!救援に向かい、ブラッドガンダムを攻めなければ…」
「…」
「…司令?」
「…MASEに動きはありますか?」
「MASE?いえ、いまのところ情報はありませんが…」
「…これがMASEの流した偽情報であったならば?」
「は…?…あ…」
「ユエ基地が手薄になったところに攻め込むこともできますね?」
「…確かに…しかし、彼らは確かに"ブラッドガンダム"と」
「我々はまだブラッドガンダムを直接見ていません。MASEが何か新兵器を投入した可能性もあります」
「しかし、地上では停戦中のはずです!」
「…地上ではね」
「…しかし、いずれにしても救援に向かわねば…」

コウガ・イーというこの女こそ、レンダの月面基地ユエの総司令だった。ウィグルの夫が基地に派遣されるのについていき、基地で働き始めるとみるみる頭角を表して基地司令にまで上り詰めたという。夫を「アルカイドの悲劇」からの戦闘で失って以降MASEに対して強い敵意を見せるようになり、それを見込んだ本国の意向もあって異例のスピード出世となったのだった。
若干の依怙贔屓はあったのだろうが、それを差し引いてもこの女、確かな才覚はあった。

「…MASEに連絡を」
「…MASEですか?」
「休戦中ですから、そういうことはやっても構わないでしょう。MASEのオルドリン司令に」
「…は!」

一方、MASEのムーンベース。こちらも大混乱となっていた。ブラッドガンダムがL1ビッグディッパーを急襲したとの報せが入ったのである。司令のオルドリンのもとに部下が駆けつけた。

「司令!ビッグディッパーからの連絡によれば、防衛の艦隊はすでに壊滅!宇宙ステーションの要塞も破壊され、艦隊がほぼ出撃できない模様です!」
「なんということだ…ブラッドガンダムが宇宙に上がって来ていたとは…」
「いかがいたしましょう、早急に救援を向かわせねば…」
「うむ、しかしこちらを空けてはレンダに攻められる危険も否定できん…」

「司令!失礼します、レンダのユエ基地コウガ司令から連絡が」
「何?つなげ!」

ビデオに年増の女が映し出された。

「オルドリン司令。…ただ事ならぬ様子ですな」
「なんの用だ、こちらも暇ではない!」
「暇だと思って連絡差し上げたのではありませんが、それでだいたいわかりました」
「何がだ!」
「ブラッドガンダムの襲撃を受けたのですね、L1も」
「…貴様らもか?」
「はい。定期便をやられました。すぐにでも救援の艦隊を差し向けるところなのですが、おそらくはあなたと同じ理由で、それを躊躇していました」
「…それで連絡してきたというわけか…」

先を越されたことと、この女の頭の切れ味に改めて苦杯を舐めさせられた気がして、オルドリンは苦虫を噛み潰したような表情を見せる。コウガと対照的に、オルドリンはウィグルとして現場の開発を行い、豪快な気質で人望を集めてリーダーになった男だ。歳を重ねた今ではその豪快さが気難しさに変質してきたような面も否定できないが、本人は少なくともそのことには気づいていなかった。

「我々は定期便がL1の近くで襲撃されたと聞いてその可能性に気づくことができました。貴方がたがそこまで考えられなくても不思議はありません。しかし、こうして情報が出揃った以上、取るべき道は一つと存じますが」
「…わかっている!こちらもブラッドガンダム討伐のための艦隊を差し向ける!この状況で我々が潰し合っても、あのテロリストが得をするだけだからな!!」

まもなく、MASE・レンダ両軍がかつてない規模の宇宙艦隊を組織した。各軍、輸送艦20隻ずつはあろうかという大艦隊である。各基地の防衛に戦力を割かなくてよい、と双方の司令が合意したからこそ実現した規模であった。搭載機のパイロットたちも、先程アジャンに蹂躙された素人ではない、正式に宇宙での戦闘訓練を積んだ部隊であった。彼らは、平時は督戦隊として工員達の仕事を監視しているのだった。

ムーンベースで平時と変わらぬ労働に従事させられていたセイバーとサーベラスも、状況の変化に感づいていた。

「セイバー、あの艦隊…」
「督戦隊が減ったと思ったらあれか。どうやらアジャン、本当に何かやったらしいな…」
「…やるか?」
「ああ、動くならあの艦隊が月を離れて、アジャンの従者がここへ到着するまでの時間だ。そのタイミングでSLUの全メンバーに呼びかける」

少し補足しておくが、「督戦隊」というのはMASEパトロール艦隊の労働者の間での別称(蔑称)である。一応MASEは民間企業で、本来の意味での督戦隊は存在しない。だが、レンダとの戦争状態に突入し戦況が深まる中、レンダ軍の動向を監視するチームとしてパトロール艦隊が組織され、それがいつしか工員たちも監視するようになったのである。当然のように彼らは嫌われ、工員たちの間では「督戦隊」という不名誉な呼ばれ方をしているのだった。
そもそも戦争に突入する以前、MASEとレンダの宇宙開発は、現場レベルに限れば割合友好的なものだった。アダマントの加工に優れるレンダとミスリルの扱いに長けるMASEは得意とする技術分野が少し異なるため、月面基地の開発においてもMASEがレンダ産の設備を使うことは多かったし、逆も然りだった。共同の採掘基地を開発する話もあり、技術者・工員レベルでは結構盛んな交流があったのである。
SLUもその中で生じた一つの動きであった。直接の会話から発展して、例によってアノニマス上で交流が持たれたのである。しかしアルカイドの悲劇後は、MASEとレンダの間での個人的な通信は禁止されたし、独裁国家であるレンダに至っては個人にアノニマスなどにアクセス可能なデバイスの所持を禁止した。MASEの人間であるセイバーらはアノニマスにアクセスし幻獣軍と連絡を取ることもできたが、レンダ側への連絡手段は持っていなかった。

「紫の信号弾、準備いいか?」
「ああ、十分ある。いよいよ使うときが来たんだな」
「"もしこの仕事から開放されるために戦うときが来たら、紫の信号弾を打ち上げよう"…あのとき決めておいて良かったよな、ほんとに」
「10年前の話だが覚えてるかね?レンダの連中…」
「覚えてるさ。俺の人生でも、あの短期間であんなに仲良くなったことないし」
「お前がそう言うならそうなんだろう」
「…戦争にならなきゃ、もっといい仕事ができて、地球にとっても何も悪いことなかったはずなのに、どうしてこうなっちまったんだろ」
「…なんでだろうな」
「MASEもレンダの上の連中も馬鹿なんじゃないかと思うぜ。戦争してどうするってんだ?長い目で見りゃ自分にだって得なんかないだろうに」

連合艦隊がL1へ向けて出航する。その姿を採掘場のMSコクピットから見守っていた彼らは、やがて倉庫へ向かうと信号弾を手に取った。

蜂起

突如放たれた紫の信号弾に、各勢力の司令部は混乱した。それと呼応するように、MASE・レンダ両軍の工員達がMSを使って蜂起したのである。正規軍の頭数はあまりに足りず、いくらビーム兵器を携帯しているといっても反乱を完全に抑え込むのは不可能だった。
それと時を同じくして、アレスの乗ったノーティラリーも月近郊に到着していた。セイバーのレンダに通信が入る。

「…バー…せよ…」
「…通信?アジャンの従者か?」
「…セイバー…せよ…」
「こちらSLUのセイバー・ランスロット、聞こえるか?」
「きこ…」

「セイバー、アジャンの従者か?」
「そのようだ。俺が直接行く!お前はMSをまとめて司令部へ行け!」

セイバーは月面を離脱し通信の方向へ向かう。月面では蜂起した労働者達が取り残された督戦隊と殴り合いを展開していた。空中ではなおも紫の信号弾が飛び交っている。尋常ならざる状況を互いに知らせようとしているかのようだった。
ほどなくしてセイバーのリベラのもとに、推進機をくくりつけられた潜水艦が飛来した。その不格好さに、彼はデブリの可能性を最後まで捨てられなかったが、速度を合わせてキャッチすると月面までの距離を使って減速、停止した。通信がつながる。

「こちら幻獣軍のアレス・エドゼルだ!SLUのメンバーか?」
「SLUのセイバー・ランスロットだ…まさか本当に身一つで飛んでくるとは…」
「…よ、よかった、助かった…何度か死を覚悟したぜ…」

さしものアレスも安堵に一息ついたが、すぐに表情を引き締めた。

「状況は?」
「こちらのMSは蜂起したが、中枢への進軍中に督戦隊の残りに足止めを食っている状態だ、制圧にはまだかかる」
「了解、レンダ軍のほうはどうなっている?」
「いかんせん連絡を取る手段がない、向こうでも動きはあるようだが…」
「レンダ軍のMSとの通信手段を持ってきた、こちらの通信機にリベラの電源をよこせ!それからお前の声も!」

ノーティラリーにも小型のミスリルコアは搭載されていたが、遠く離れたレンダのユエ基地にまで信号を届けるには電力が不足していた。アレスはセイバーのリベラのミスリルコアからの電源も接続すると、通信機を起動した。

「これで信号をブーストできる。レンダにも届くはずだ!何か言え!」

セイバーに突然話を振るアレス。しかし、セイバーはこういうことには強かった。声が月面のMSに響き渡る。

「月で働く者たちよ!覚えているか、SLUのセイバーだ!ついにこの日がやってきた!幻獣軍が我々に力を貸し、我々はこの支配から脱出する可能性を見出した!戦うぞ!」

飛び交う信号弾がひときわ力を増したように見えた。返事はそれで十分だった。
続いてアレスの声が送信される。

「こちらは幻獣軍のアレス・エドゼル、アジャンの代理人としてここにいる!現在、L1付近でアジャンはMASE,レンダの両軍と戦闘中だ!彼があの軍勢を駆逐すれば我々は地球へ帰ることができる!艦隊を確保せよ!手持ちのミスリル、アダマントはじめ資材を可能な限り確保するのだ!タイムリミットは24時間後、それまでに集められるだけかき集めろ!かき集めてムーンベースへ来い!!」

ブラッドガンダム参戦の報はSLUに勇気を与えた。その名は宇宙にまで轟いていた。

「さて…セイバー、ビーム兵器は?」
「簡単な訓練は受けたが…」
「十分だ、アジャンからビーム・ピストルを一丁預かってる。お前に預けるからこのまま司令部へ攻め込め!こちらを一時でも制圧すればレンダ側を呼び寄せられる!」
「…了解!」

セイバーはアレスをコクピットに移し、仲間たちが空けた風穴へと向かった。アレスの右手には、いつものようにバズーカが握られていた。

「ランスロット!貴様なんのつもりだ!」

いきなりコクピットに通信が入る。どうやらこの基地の司令官のようだ。セイバーは憎悪に満ちた表情を浮かべ、口をつぐんで答えない。

「聞こえないのか!ランスロット!貴様、この反乱が何を意味するかわかっているのか!?クズめ!」
「...文句があるなら勝負といこうか?」

答えたのはアレスだった。思わぬ対応にオルドリンはおろかセイバーも驚愕の表情を見せる。

「何!?」
「この反乱は貴様らが9年前に解散させた労働組合、SLUが引き起こしている。その代表である俺を殺せば、騒動は収束すると思わないか?」
「貴様…あの寄り合いを未だに維持していたというのか…!」
「出てこい、オルドリン!最後くらい自分の手を汚してみろ!!」


司令室の兵士は、この短気な司令官を止めようと必死になっていた。

「司令、あのような挑発に乗っては…」
「うるさい!私のリベラを用意しろ!どのみちパイロットもそうおらんのだ、私が出なかろうとこの基地が陥落しては終わりだ!」
「罠かもしれません!」
「黙れ!何があろうと私があの程度のウィグルに負けるものか!」

頭に血の上った様子のオルドリン司令は、最も安全な司令室を飛び出すと、廊下を飛んでMSドックに向かった。実際、彼の言っていることはあながち間違っていない。ビーム兵器の扱いに長けているようなウィグルはこんな僻地で掘削業務になど従事することはないのだ。SLUのメンバーになっているような工員達はほとんどが、戦闘員としてはお世辞にも優秀とは言えないメンバーではあった。ただ、オルドリン自身もその一員であったことを本人も忘れていたらしい。
彼はエアロックを出て、空いているリベラのコクピットに乗り込もうとした―その瞬間、アレスのバズーカ弾がコクピットに撃ち込まれた。何かの気配を感じて振り向いたときにはもう遅かった。リベラは徐々に誘爆していき、アレスも爆風を浴びて弾き飛ばされた。

「アレス!」

セイバーのリベラが吹き飛ばされた彼をキャッチし、コクピットに匿う。幸い外傷はないようだ。アレスがヘルメットを外す。

「…死ぬかと思ったぜ」
「なんて無茶をやるやつだ、お前がいないとアジャンと連絡が取れないんじゃなかったのか?」
「まぁな、だがここで勝てなきゃそれも無意味だろ?」
「…なんて奴だ…」

セイバーはここへ来て、アジャンが彼を送り込んできた理由を知る。MSがあるかどうかもわからない状況では、下手なウィグルよりもむしろこの男のほうが頼りになっただろう。セイバーは再び通信を始めた。

「SLUおよび月面のMSに告ぐ!SLUはムーンベース司令のオルドリンを殺した!この男はもともと我々の同胞でありながら、権限を得た途端に手のひらを返し、我々の権利を蔑ろにした!MASEの督戦隊共、貴様らにもはや勝ち目はない!基地を放棄しろ!!」

セイバーの声が響いて後、10分もしないうちに基地は静かになってきた。オルドリンが死んだことは近くにいたウィグルならばSLU,督戦隊の別なく分かることだった。中枢へ向かったサーベラスから無事の通信が入る。中枢を守っていたMS隊はほどなくして降伏したらしい。
崩壊したMSドックで、アレスとセイバーはつかの間の言葉を交わす。

「…よくあの司令が人望なしなのを見抜いたな?」
「こんな突発的な反乱でこれだけの人間が動いて、味方につくやつがほとんどいないなんて人望なしもいいとこだぜ」
「…それだけじゃなく、短気で有名なのも見抜いてたとしか思えねぇな。ああ言われて司令室を飛び出すようなやつだと分かっていたとしか思えねぇ」
「本質がどうあれ、あの状態じゃ誰だって短気にはなるさ」
「…あんたらと戦うのは楽しみになってきたよ…これからどうすればいい?結局もらったピストルも使わないまま基地を制圧しちまったな」
「SLUの人数はどのくらいいる?」
「ここのパイロットは200人くらいだが、MSは半分程度だ、二勤だからな。今動いているのはさらにその半分とかじゃないか?」
「いいだろう、艦隊は?」
「輸送艦隊が一つあるはずだ」
「そいつらをできる限り根こそぎかっぱらえるか?」
「戦艦ドック近くに艦隊は係留してある。あの辺りまで制圧できれば」
「ならばそちらへ向かえ!SLUに与するメンバーも可能な限り収容しろ!」

司令の行方不明で混乱する正規軍を尻目に、アレスの通信機により連携が取れるようになったSLUのMSたちは、出航直前の艦隊を取り囲み制圧した。味方機が相手ではDAMASも機能しない。セイバー機のコクピットからアレスが通信をつなぐ。

「こちら幻獣軍のアレス・エドゼルだ!艦隊司令、名を名乗れ!」
「…MASEのシムス少佐であります」
「見ての通り艦隊は包囲した。このリベラは貴様のいるブリッジにヒートホークを突きつけている状態だ!いつでも貴様らを殺すことはできる!ブリッジを潰してもこの艦が機能することは知っているぞ!貴様らの選択肢は2つだ!ここで死ぬか、我々に与して地球へ帰るかだ!」
「…」

アレスは急に声色を変えた。
「…一つ言っておくが、地球に帰ったら、その後は好きにしていい。束縛することはない」
「…!?」
「艦隊を俺達のために動かせ。それが条件だ。どうだ?」

まるでアジャンが乗り移ったかのような説得劇だった。シムスは力なく答える。
「……わかりました」

オルドリンと督戦隊を殲滅したSLUはムーンベースを制圧した。蜂起から6時間後のことだった。
オルドリンの人望のなさは、現地の労働者たちがSLUにつかないまでも、オルドリンを守ろうという方に一切動かなかったことによく現れていた。月へ連れ出された労働者たちは、当初の契約だった年に一度の地球帰還の休暇も与えられず、ひたすらに労働に従事させられ続けていた。逆らえば命はなく、団結してストライキでも起こそうものなら地球からの補給を絶たれて総員餓死は避けられない状況だった。
そんな彼らが督戦隊からも、もともとは労働者仲間だったのに権力を得た途端に言う事を変えてしまったオルドリンからも解放されれば、アレスの言うことに逆らわないのも当然だった。

「…本当に制圧しちまった…」
「よくやってくれたな、セイバー」
「どうみてもあんたの手柄だ。SLUを立ち上げたときには、誰もが両手を上げて賛成はしてくれなかった。実際動いて、こんなに大多数が大人しくついてきてくれるとは全く思ってなかった」
「俺も地球で似た経験をしててな。結局、大多数の奴は流れに流されてるだけなんだよ。流れを作っちまえば人は動かせる」
「その話、興味あるな。後で聞かせろよ」
「いいぜ。お前とはいい酒が飲めそうだ」

どこか気質の似た二人はにわかに意気投合し始めたようだった。

「あとは…レンダからの合流を待てばいいのか?」
「そうだな、出航前の輸送艦隊がたまたまいたのは幸運だった。というか、アジャンはこのタイミングを狙って今回仕掛けたのかな?あいつなら何かの情報からこの周期を判断していてもおかしくないかも」
「…ウェル・アジャン、思った以上にとんでもない奴らしいな」
「ああ…あいつは、やばいぜ。ただ、まだ連絡がないようだが…」

燃え尽きる流星

アジャンはたった独り、レンダの定期便艦隊を壊滅させ、MASEのビッグディッパー防衛艦隊も半壊に追い込んでいた。ビームライフルはとうに撃ち尽くし、ビームソードと弾切れのないビームチェーンガンだけが彼の戦線を支えていた。

「…消え失せろ!!」

普段よりも一際長く伸びたビームソードが、エクスプローラ級を真っ二つに叩き割る。レンダの定期便よりは戦闘に慣れたものの多い防衛艦隊だったが、この大立ち回りの前には恐怖に慄きろくに攻撃することもできなかった。

「ば、化け物だ…」
「あんなやつと戦っても死にに行くようなもんじゃないか…!」

しかしその恐怖も、レンダ・MASEの連合艦隊が月から到着するといくらか軽減された。宇宙ではもっとも戦闘に長けた両軍の月艦隊が総力を上げてブラッドガンダム討伐に乗り出し、L1付近の戦闘宙域に到着したのである。その隙を突く形で月面でSLUの蜂起がなされたのはこのころだった。アジャンはそのことを左腕に走る刺激で知った。

「アレス、うまくやれよ…さて、あの大軍は…」

ヘルメットの下に覗くアジャンの目は血走り、額には珍しく汗が滲んでいた。それもそのはず、もう3時間以上も独りで戦い続けている。幻獣戦役の最初の一週間、各地を転戦しながらの勝負ではあったが、初めての宇宙でこれだけの大立ち回りをぶっ続けでやっていて消耗しないはずはなかった。だが、彼以上にブラッドガンダムの消耗が激しかった。ビームソードのミスリルタンクに貯蔵されていた粒子が使い切られ、刃が消滅する。

「…ならば…」

アジャンはその様子に活気づいてビームを撃ちながら近づいてくる防衛艦隊のリベラにあっさりと接近した。迂闊にもビームナイフを抜こうとして隙を見せたリベラから左手でビームピストルを奪い取り、そのままシールドで頭部を殴りつけた。凄まじい衝撃にパイロットは気を失い、抜こうとしたビームナイフを手放した。アジャンは粒子切れを起こした自分のビームソードを宇宙に投げ捨てると、奪い取ったビームナイフとピストルを片手に、接近してくる連合艦隊に突入する。

「…貴様らを消せばアレス達は帰れる…悪く思うな!!」

そこからのアジャンの戦いもまた鬼気迫るものだった。リベラのビームピストルでは射程外になる距離からビームを撃ち込み直撃させ、5機をまたたく間に撃墜した。乱れた戦列に、刃渡りの異常に長くなったビームナイフを振りかざして切り込んだ。ブラッドガンダムのマニピュレータは、リベラとアンジュの武装両方に対応できるように設計されていたのだ。
高速で突っ込んでくるブラッドガンダムに果敢にも立ち向かったリベラ達だが、設計限界を超えた出力を発揮しているビームナイフの前に、一振りで薙ぎ払われた。すぐに機能不全を起こしたナイフを、アジャンはまた投げ捨てる。
だがその瞬間、レンダ軍からの艦砲射撃がブラッドガンダムの左腕に直撃した。シールドごと腕が吹き飛ぶ。

「やった!もっと撃て!」

ブラッドガンダムは回転しながら回避しようとしたが、圧倒的多数による銃撃は彼の技量をもってしても回避のしようがなかった。右肘にもビームがかすめ、マニピュレータが吹き飛ぶ。アジャンの目の色が変わった。

「…潮時か…」
「撃てぇ!!」

一層多くのビームが撃ち込まれる。ブラッドガンダムの命運は尽きた。

「…何!?」

ブラッドガンダムに撃ち込まれたビームが弾き返され、共振粒子がブラッドガンダムを包むように球状に展開されている。

「何だ?もっと撃て!」

射撃は激しさを増し、艦隊からの砲撃もなお加えられたが、結果は同じだった。共振粒子は弾き返され、ブラッドガンダムの周囲に滞留している。
よく見ると両翼のメインスラスターからも大量の粒子が吹き出している。それは通常のミスリルスラスターから吐き出されるロス粒子ではなく、赤々と力を湛えた共振粒子に違いなかった。

「高エネルギー熱源、あれはビームのバリアです!」
「バリア…?」

あれだけの量の共振粒子をバリア状に展開することは不可能だと思われていた。理論上、それが成せればビームに対するバリアとして機能する。しかし、あの量の粒子を共振状態に維持するには凄まじい強度のアルス波が連続的に必要で、そんなことは現実的ではないとされていた。

「…ぉぉぉおおおお!!」

コクピットの中のアジャンの体は燃えるような赤いオーラを放っていた。彼がガンダムにアルス波を供給し、余波が彼自身の体からほとばしる。身体の周囲でさえロス場から粒子の叩き出しが生じ、それがオーラとして見えているのだ。

「うおおおおおぁあああ!!!」
「お、おい、あれ…」

ブラッドガンダムを包んでいるビーム球の形が変わっていく。ガンダムの頭から長い首が生え、スラスターから翼が生え、両脚を粒子が纏う。その姿は、燃え盛る不死鳥そのものだった。

「あれは…鳥?」

不死鳥を目にした者たちの命運は、その瞬間に尽きた。ブラッドガンダムに纏っていた不死鳥はその共振粒子のすべてを解放し、周囲に展開していた連合艦隊のすべてをビームの爆風に飲み込んだのだ。突如暗闇の宇宙に現れた巨大な赤い爆風は、外から見ると一つの星の誕生のように見えた。
そして、彼から放たれた莫大なアルス波は、遠く離れた地球、月にいるウィグルの一部にも感じられた。ことに距離の近い月では、多くのウィグルがその異変を感じ取った。

「…ん?」
「セイバー?どうした?」
「いや…何だ?何かが…」

胸騒ぎを覚えたセイバーに、外を警戒していたサーベラスの通信が入る。
「セイバー!」
「サーベラス?何だ?」
「外を見ろ!星が…」
「星?」

崩壊したMSドックから外に出たセイバーとアレスは、空を見て驚愕した。L1の方向、地球と月の間に、赤い星が燃えている。

「…何だあれは…アジャン…?」

星は、やがて燃え尽きた。
最終更新:2025年02月22日 09:20