建築家。建築物は時代によって様式が異なる。20世紀前半に「モダニズム」という目的に即した機能的な建築様式が生まれた。20世紀なかばを過ぎたときに様式を否定する様式として過去の古い様式のパッチワークのような建築法が生まれた。
時代や文化に応じた様式が存在していたが、19世紀になると写真の発明によって写実的に描くという画家の仕事がなくなる。そこで画家は自分たちのスタイルを前面にだし、それによって画家のオリジナリティを主張するようになる。しかし、それも20世紀になると個人がそれぞれのスタイルを作るということの不可能性に気付き、オリジナリティの価値が否定され、ポストモダン状況へと遷移する。
思想においても、ポストモダンという言葉が使われ始めた。その口火を切ったのが リオタールの『ポストモダンの条件』(1979)である。
「大きな物語」が終焉した。例えば人間は理性があり、教育などにやり合理的な考え方ができるようになるという「啓蒙」の物語である。知識はもはやそのような啓蒙のためにあるのではなく、情報として交換するものとなる。
リオタール以前に、ポストモダンが何を意味するのかを捉えた議論として1960年代にアメリカや日本でとりざたされた「情報化社会」の到来についての議論がある。
ダニエル・ベルは『イデオロギーの終焉』(1960)において東西冷戦というイデオロギーの対立はすでに終わっており、知識産業中心の新しい社会が生まれつつあると指摘した。リオタールの議論はベルの議論の焼き直しに過ぎない。
情報化社会という捉え方には情報化によって人類の未来はますます豊かになるという楽観的なものだったが、1970年代になると環境破壊等の問題により悲観的な見方がされるようになった。
ない。デリダの「脱構築」などの「ポスト構造主義」それであるという考えは間違っている。「ポスト構造主義」という名前は構造主義の思考を理解できなかったアメリカ知識人が構造主義批判をしたデリダの思想に与えられた名前である。
スローガンに過ぎない。差異という概念は確かに20世紀になって重大な意味を持ち始めた。ベルクソン、構造主義、ハイデガーの「存在論的差異」、デリダの「差延」etc.しかし、思想家によって差異の概念は明らかに異なっており、かみあわせることすら困難にみえる。このスローガンはポストモダンを近代の概念に従って一つの時代と捉えてその時代の背後にも新しい哲学があるはずという希望を書いているに過ぎない。
文化批評である。さまざまな哲学書を文学作品のようにして読み、そのパッチワークで面白い話を仕立てあげてくれる業界のことである。
例えばデリダの脱構築はアメリカのイウェール学派によって文芸批評の一手法として捉えられた。