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南京虐殺『2~20万人』『30万以上』  歴史認識日中隔たり

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南京虐殺『2~20万人』『30万以上』  歴史認識日中隔たり

2010年2月1日 朝刊

 日中両国の有識者による初の歴史共同研究の成果をまとめた報告書が三十一日、公表された。焦点の南京事件(一九三七年)については、日本側も「日本軍による虐殺事件」と認定したが、犠牲者数をめぐっては、日本側が「二十万人を上限に四万人、二万人などの推計がある」と指摘したのに対し、中国側は「三十万人以上」と主張。近現代史を中心に両国の歴史認識の違いがあらためて浮き彫りになった。 

 報告書は「古代・中近世史」と「近現代史」の二部構成で計約五百五十ページ。両国の担当者がそれぞれの立場から共通の時代、テーマについて執筆した論文を併記した。近現代史のうち、天安門事件(八九年)などが含まれる「戦後史」については、国内世論への影響を懸念する中国側の要請で報告書に盛り込まれなかった。

 報告書では、特に近現代史で対立点が目立った。日中戦争全体での中国人死傷者数に関しては、日本側は全体像を示さなかったが、中国側は「不完全な統計」としながらも「約三千五百万人」と言及した。

 従軍慰安婦問題と、細菌研究の特殊部隊「七三一部隊」については、日本側が詳しい説明を避ける一方、中国側は「日本軍は慰安所を設け、強制的に多くの女性を性奴隷とした」「人体実験、生体解剖を実施」などと踏み込んだ。

 日中戦争の解釈については、日本側が「戦場となった中国に深い傷跡を残した。原因の大半は日本側がつくり出した」と加害責任を明確にした。一方、中国側は「日本軍国主義による全面的な侵略戦争」と断定した。

◆発表自体が成果
 歴史共同研究委員会の日本側座長・北岡伸一東大教授の話 日中に歴史認識で大きな差があるのは周知の事実だが、両国の研究者が一緒の場に集まって議論し、それぞれの見解を互いに示し合い、発表にこぎつけることができたのは成果だ。

 落ち着いた議論ができたが、中国側の議論に納得できないことも多かった。中国側の強い要請により、近現代史のうち戦後史が発表できなかったのは残念だ。メディアは極端な意見しか取り上げず、大多数の歴史家の考えは紹介されにくい。今回は極端でない意見を示すことができた。そういうことを国民に知ってもらえればいい。今後も専門家の間で淡々と議論を積み重ね、共同研究を続けていくことが望ましい。

◆相互理解の環境整備を
 <解説>日中両国の歴史認識の溝は埋まらなかった。三十一日に公表された歴史共同研究の報告書は、南京大虐殺の犠牲者数などの争点で従来の見解をぶつけ合うだけに終わった。

 共同研究は二〇〇六年、小泉純一郎首相の靖国参拝で悪化した日中関係の打開を図る安倍政権の提案でスタート。「冷静な研究を通じて学術的に歴史の事実を明らかにし、歴史問題をめぐる対立感情を和らげる」(報告書の序文)ことが目的だった。だが、研究者同士とはいえ、共産党の一党独裁体制を維持する中国と、学問の自由が保障されている日本が、同じ土俵で議論するのは無理な話だった。

 中国側は一時、戦後史以外の論文公表も拒んだ。最終会合を二度にわたって延期させたのも、北京五輪などを前に、歴史問題で国民を刺激するのを恐れたためとみられている。

 両国の見解が一つの報告書にまとめられたのは「画期的」(外務省幹部)かもしれない。ただ、中国側の要請で討議記録が明らかにされなかったため、研究の成果がどのように各論文に反映されたのか分からず、言いっ放しの感は否めない。

 両国は共同研究を継続する方針を確認している。政治体制の違いに翻弄(ほんろう)される愚を繰り返さないためには、もっと純粋な研究環境を整える必要がある。 (政治部・佐藤圭)


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