今のゲーム業界からクインテットを見る

クインテットと関連する会社を取り上げる。
会社はなるべく今の形で記述するようにした。

クインテット

このページのメインとなる会社。
日本ファルコムでイース(1~3)を作ったスタッフが主となり設立。
当初は「プログラマー」「企画」「グラフィック」「サウンド」から「カルテット」の社名にするつもりが、近くにカルテットを冠する会社があったため、「プロデューサー」を足して「クインテット」にした。
スーパーファミコン時代に作った『アクトレイザー』『ガイア幻想紀』『天地創造』(販売はいずれもエニックス)がよく知られる。
その後、中堅ゲーム会社の技術交換ネットワークGD-NETに参加。GD-NETを発展させたESPにて『コードR』を作る。その後もセガとの関係は続いたようだ。
セガがハード事業から撤退した後は、下請けでシナリオやサウンドの開発を行っていたが、2009年頃に倒産した模様。
アーカイブで確認できる最古のページ
アーカイブで確認できる最後のページ
+ エインシャント
古代祐三が立ち上げたゲーム会社。ゲーム音楽だけでなく制作もいくつか行っている。
スラップスティックではエインシャントもクレジットされている。アクトレイザーに古代祐三がクレジットされていたのと同じ感覚だろうか。
GBAのスーパーロボット大戦ではクインテットと共同でサウンドを担当している。
ホームページ
+ シェード
1995年設立のゲーム会社。クインテットと共にグランストリーム伝紀、ブライティスを開発した。
クインテットがマジカル封神(GBA)を開発した際、連動先のバトル封神(GC)を開発したのが同社である。
共に下請けであることには変わりないものの、据え置き型ゲーム機のシェードと携帯機のクインテットは対照的にも見える。
クインテット亡き後も健在で、天地創造などを作曲した曳地正則氏も移籍している。
トライエースを傘下に抱えるNJホールディングスが2016年に子会社化したが、翌年全株式を代表取締役に譲渡し手放した(記事)。
この代表取締役こと横田幸次氏だが、イース3のグラフィックデザインとして名前がある。
クインテットの子会社
クインテットの子会社だったようで、昔のHPに記載がある(会社概要を参照)。
子会社として設立されたのは、ESP(つまりセガ)との関係を強めたクインテットが、表立ってPSソフトを開発出来なかったためとか。
グランストリーム伝紀は普通にクインテット開発と書いてある(説明書のスタッフ欄とか)が、設立当初は公に出来なかったのかもしれない。
公式サイト
+ ギガ・ファクトリ
宮崎友好氏がクインテット倒産前後に代表取締役を勤めていた会社。事情は不明だが、同社のサービスとしてアクトレイザーの名前があった。現在、アクトレイザーだけ権利関係がクリアな理由と関係あるのだろうか。
ホームページ(ウェブアーカイブ)
+ スタジオ斬
クインテットの開発者が移籍したという情報あり。詳細はこれから調べる。
ホームページ

株式会社スクウェア・エニックス

RPGの2大タイトルを抱えるライバル会社が合併により誕生したのは2003年。旧社から続く人気タイトルの続編を中心にリリースを続ける。
現在、クインテットタイトルの権利を持っているはずだが、何か問題があるのか復活の動きはほぼ無い。
唯一、アクトレイザーのみ権利関係がクリアである模様。
+ 社名
社名
社名はスクウェアを先に持ってきた。最大市場であるアメリカではスクウェアの方が知名度が高いため、自然な判断である。
知名度の差が歪みを生んだ例は、バンダイナムコやタカラトミーがある。
バンダイナムコは海外ではNAMCO BANDAI Games Inc.であった。バンダイナムコエンターテイメントにするにあたり、海外でもバンダイナムコ(BANDAI NAMCO Entertainment Inc.)の社名を使用している。
タカラトミーの海外名は、ゾイドで知名度が高かったTOMYを採用し(TOMY COMPANY,LTD.)、現在もそのままである。
+ ロゴ
ロゴ
新しいロゴは黒と赤からなるシンプルでシャープなもの。
エニックス贔屓の筆者にしてみれば、エニックスの緑を無くしたことがスクエニの現状を表しているとか言ってみる。
しかし、これ以上のロゴを考えてみると案外難しい。
元々スクウェアのロゴはAに赤加えることでアクセントとしていた。
スクウェア・エニックスの略称にSQEXがあるので、「Q」を赤黒にすればそれで済む気がする。
しかし、ガンガンコミックスの背表紙にある「SE」も略称の一つだ。
「S」は一画なので、「E」を赤黒にすることでアクセントが生まれる。
ここを赤黒にすることで、「E」一文字でスクエニを表すこともでき、実際ホームページのロゴなどは「E」一文字である。
+ 存続会社
存続会社
これだけ見るとスクウェア贔屓に見えるが、手続き上の存続会社はエニックスである。
更に株式交換比率はエニックス1に対してスクウェア0.85だった。元々1対0.81だったのを、スクウェアオーナーの宮本雅史が反対したため改められた経緯がある。

株式会社エニックス

エニックスから書き始めるのは、クインテットとより関係が深いから。
ドラゴンクエスト(ドラクエ、DQ)で有名なゲーム会社。開発は他社が行い、パブリッシャーに専念する経営方針が特徴。
クインテットとはスーファミ時代のパブリッシャーであり、PSのプラネットライカではクインテットがプログラミングを務めた。
ドラクエ頼みな部分があり、ガイア幻想紀のCMでは「ドラクエのエニックスから」と言っていた。
ホームページ(2002年1月24日のアーカイブ)
最後のホームページ(スクウェア・エニックスのサイトへ誘導、2003年9月20日)
+ ドラクエのエニックス
ドラクエのエニックス
エニックスは有り体に言えばドラクエの会社である。
少年ガンガン擁する出版部門も柱だったが、その雑誌名もドラクエの作戦名「ガンガンいこうぜ」から来ている。
ガンガン初期を支えた柴田亜美や衛藤ヒロユキは『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』出身である。
ゲームでもドラクエ以外の柱を立てようとし奔走し、スターオーシャンを生み出す。
中でも『~セカンドストーリー』は72万本のヒットを記録し、ガンガンで漫画化。
しかし、エニックスお家騒動で作者が引き抜かれ連載終了。
この危機を救ったのが『鋼の錬金術師』で、作者の荒川弘は衛藤ヒロユキの元アシスタントだった。
エニックスにとってドラクエは、バンダイにとってのガンプラみたいなものなのだろうか。
+ クインテットの誕生
クインテットの誕生
そのドラクエは、基本となるシステムを3で完成させており、それ以降、ドラクエとは何かを問いつつ、シリーズを緩やかに発展させていった。
1~3は1年おきに発売されていたが、4は発売まで2年かかっている。
4の発売が90年2月、クインテットが設立されたのは前年89年の4月。
スーファミ時代のエニックスは、ドラクエ以外の柱を欲していた。
実際ワンダープロジェクトJ2のファンブックで、エニックスの藤本広貴氏が「『J』シリーズを『ドラクエ』以外の2本目の柱とするべく~」と語っている。
その役割を担ったのが、クインテットとプロデュース、アルマニック(後のギブロ)であった。
これら3社のソフトは、高い評価を得たものの、大ヒットには至らなかった。
結局、ドラクエに続く柱は『スターオーシャン』擁するトライエースが担うことになる。
+ クインテットとの関係
クインテットとの関係
クインテットの本社はエニックスからの借り物で、エニックスの研究所が同地にあったという。
資本関係は不明なものの、トライエース(旧エニックス本社を間借りしていたことがある)や任天堂とインテリジェントシステムズ(2003年から10年間旧任天堂本社に入居)のようなものか?
エニックスプロデュースを離れ、ESPと関係を持った頃には「はよ出てって」と言われたそうだが、実際出ていくまでは期間が空いており、プラネットライカの件を踏まえると、完全に関係が切れたわけでも無いような。
エニックス後のクインテット作品は(そんなにプレイした訳じゃないが)やりたいことに時間や資金が追いついていない感じがした。
やはりエニックスプロデュースの力は大きかったし、エニックスはもっと売れるような仕掛けを考えるべきだった。
まぁ、開発側の姿勢を尊重する(ように思える)エニックスが好きだったわけだが。

エニックスの関連会社

エニックスと関連の深い会社について記述する。書いていくと、ドラクエの開発会社とオリジナルタイトルをエニックスに販売・プロデュースしてもらう会社に分けることができる(クインテットは後者)。
浮き沈みの激しい業界ではあるものの後者で存続している会社は皆無。
それだけならまだしも、作品の再販もほぼされていない。
+ チュンソフト
中村光一が設立したゲーム会社。『ポートピア連続殺人事件』や1~5のドラクエを開発していたが、その後は『かまいたちの夜』『不思議のダンジョン』シリーズなどオリジナルタイトルを展開していく。
2005年にドワンゴの傘下に、2012年に同じドワンゴ傘下のスパイクと合併しスパイク・チュンソフトになる。
そのドワンゴも角川と合併しKADOKAWAに。
+ ハートビート
チュンソフトに所属していた山名学が設立した会社で、同社からドラクエの開発引き継いだ。
6と7、PS版4を開発後に活動休止。
その後山名はジニアス・ソノリティを設立し、ポケモンタイトルに関わる。
ジニアスとして『ドラゴンクエストソード』の企画を担当したことも。
+ アルテピアッツァ
エニックスのPCゲーム『ジーザス』などを手がけた眞島真太郎が設立した会社。
眞島氏は『ソウルブレイダー』にもグラフィックで参加している。
最初はグラフィック担当だったが、エニックス所属で堀井雄二の初代秘書だった杉村幸子が後に合流。
ハートビート解散後はプログラマも合流したようだが、プログラムに関してはキャトルコールに任せることもある。
真の代表作はコーエーから発売されたオプーナで、売上は振るわなかったものの、ネタとしてコーエー(後のコーエーテクモ)のマスコット的な位置に落ち着く。
設立の経緯からエニックスと縁の深い会社だが、『ロマンシングサ・ガ2』のリメイクでスクウェアタイトルにも関わる。
+ ランダムハウス
森田将棋の森田和郎が設立した会社。
エニックスがファミコンで最後に出した『ジャストブリード』や逆にゲームボーイ最初のソフトとなった『ダンジョンランド』の開発に関わる。
99年に設立された悠紀エンタープライズに営業権を譲渡したが、その悠紀エンタープライズも2016年に解散。
+ ギブロ
旧社名:アルマニック
この中ではクインテットとの関係が一番ある会社と思われる会社。
代表の米田氏(マジカル封神をクインテットと一緒に制作)やコードRの七條氏など、クインテット作品に関わったスタッフが多い。
『ワンダープロジェクトJ』はたのみこむで2008年に行われた「復活して欲しいレトロゲーム」で1位になり、そのせいか『J2』が携帯アプリで復活した。
しかし、復活した2010年はスマートフォンの普及が始まっており、一番ファンが期待したであろうバーチャルコンソールの配信は実現しなかった。
この「微妙な復活」はクインテットにも共通するが、何か事情があるのだろうか。
+ ゲームプラン21
スーパーファミコン版『46億年物語』と『エルナード』の発売元で、エニックスの謎子会社。
46億年物語の開発元アルマニック(後のギブロ)
エルナードの開発元はプロデュース。
+ プロデュース
『ミスティックアーク』や『パカパカパッション』で知られるゲーム制作会社。
クインテットとの関係はほぼないものの、どちらもエニックスをパブリッシャーにスーパーファミコン用ソフトを制作していた。ミスティックアークは天地創造と発売日が近かった(7月と10月)ため、ゲーム雑誌の広告では一緒に扱われたことも。
代表取締役の今田真二氏はアイレム出身。スーパーボンバーマンシリーズに関わっているのは、アーケード版ボンバーマンをアイレムが出したことも関係しているだろうか。
同氏はエニックス最後のファミコンソフト『ジャストブリード』のゲームデザインも担当している。
『パカパカパッション』はナムコからの発売だが、これはすでにエニックスが『バスト ア ムーブ』という音ゲーを出していたからだろうか。
同作はD4エンタープライズが商標を取得し、ゲームアーカイブスで配信中。だが、ミスティックアークは…。
2000年頃解散したと思ったら、破産手続開始が2015年(リンク)。ミスティックアークが復興されない理由はますます不明である。
会社概要のアーカイブス
+ J・フォース
日本テレネットのプログラマー、ウルフチームの代表を務めた秋篠雅弘が設立したが、同氏が失踪し倒産。
エニックス関連だと『熱血大陸バーニングヒーローズ』の開発会社だが、この作品がウルフチーム発案なのかは不明。
開発途中だった『ドラゴンフォース』はセガが引き継いで完成させ、オリジナルメンバーはアイディアファクトリーで『スペクトラルフォース』を制作した。
+ トライエース
エニックスが関わった会社の中では、文字通りエース級の活躍をみせる会社。
代表作はスターオーシャン(SO)とヴァルキリープロファイル(VP)。
テイルズオブシリーズ第一作『〜ファンタジア』のチームが制作途中で一部独立し設立。
この制作チーム(ウルフチーム)はビジュアルに定評がある日本テレネットから派生したチームで、テイルズもSOもビジュアルの強さがヒットの要因だろう。
VPは寡作でSOも最新作『6』が低評価を受けるなどしているが、ソーシャルゲームで存在感を示している。
+ ビーエムエフ
指紋認証を研究するエニックス研究所として1987年に設立。2000年に現社名に変更して独立。本社の住所がクインテットの旧住所と同じ。
その後、同じ川崎市黒川内で移転しているようだが、2015年以降の活動が確認できない。
公式ページ(アーカイブ)
川崎企業紹介〜ビーエムエフ〜
国税局 法人番号公表サイト
+ トレジャー
セガ陣営と見る向きも多いトレジャーだが、『ゆけゆけ!トラブルメーカーズ』で64にも参入。
エニックスが64に供給したのはこれが最後で、ワンダープロジェクトJ2とわずか2作品に終わる。
その後、せっかくだからと『爆裂無敵バンガイオー』を制作。発売元は…ESP?
売れなかったのか任天堂にパートナーを組み換え『罪と罰』を制作。
やはり売れなかったが(コアな)任天堂ファンに認知されることとなる。
+ メトロ
バストアムーブの開発元。2019年現在も存在(HP)。
+ システムサコム、ムームー
ゲームアーカイブスで配信されている数少ないエニックスタイトル、アストロノーカの開発元。
システムサコムは今作付近でゲーム事業から撤退しているが会社としては存続。
ムームーも2016以降の活動が確認できないが、ホームページは残っているので存続してる?
会社が残っていると配信のハードルが下がるのだろうか。
+ サンドロット
ヒューマンで『リモートコントロールダンディ』を作ったチームが独立して設立した会社。
エニックスではPS2で『ギガンティックドライブ』を開発。
そのエンジンを流用し、SIMPLE2000の『THE 地球防衛軍』を発売。
コードRの経験を『THE ゼロヨン』に活かせなかったクインテットと対象的に、同作はSIMPLEシリーズの域を超える人気を博し、後にフルプライスでシリーズ化されることになる。
+ バンプール
アーティスティックでシュールな作風で一部で熱狂的なファンを持つ、ラブデリック(代表作はmoonなど)から派生した会社。
ラブデリックはスクウェアから独立したスタッフによって作られた会社である。
エニックス関連ではPS2で『エンドネシア』を開発。
売上としては任天堂と組んだ「もぎチン」で花開くわけだが、あの作品はチンクルというキャラクターあってこそなので、エニックスがずっと抱えてても意味なかったと思う。

株式会社スクウェア

ファイナルファンタジーを擁し、ドラゴンクエストで有名だったエニックスと長らくライバル関係にあった会社。
クインテットとは直接関係ないものの、ライバル同士なので間接的には影響があると感じる。
+ クインテットと関係ありそうな部分
アクトレイザーの古代祐三氏が同じスーファミ音源で衝撃を受けたのが光田康典氏が作ったクロノ・トリガーだとか。
スクウェアの看板作品の聖剣伝説。クインテット3部作と同じアクションRPGなため、たまに比較される。特に、聖剣3と天地創造は発売日1か月違い。
クインテットがサターンで出した、レースゲーム+ADVの『コードR』。
対してスクウェアがPSで出したのは、レースゲーム+RPG『レーシングラグーン』。
コードRのRもRacingPoemGameの略なのだろうか。

スクウェアの関連会社

スクウェアの場合、FF7ヒットによる性急な会社拡大についていけなくなったスタッフが独立して設立した会社が目立つ。
クエスト
ドリームファクトリー
T&Eソフト
サクノス→ノーチラス
ラブデリック→パンチライン・バンプール・スキップ
アルファドリーム
ブラウニーブラウン
モノリスソフト
タイトー(単独で扱うべき?)

日本ファルコム

日本ファルコム

ドラゴンスレイヤーシリーズ、イースシリーズ、英雄伝説シリーズで知られるゲーム会社。家庭用ゲーム機が強い日本の中で、長年PCをプラットフォームに活動し続けていた。PSP参入から、PS系ハードにシフトしているがSteamを通じてPCへの供給も続けている。
クリエイターの独立が多い会社でもあり、クインテットはイース3のスタッフが主となって設立された。ゼノシリーズの高橋哲哉や『君の名は。』の新海誠も同社出身である。
ホームページ


バンダイナムコエンターテインメント

バンダイとナムコが合併して出来た会社。2015年まではバンダイナムコゲームスだった。D3パブリッシャーも今はここの親会社。

株式会社ディースリー・パブリッシャー

廉価ソフトのSIMPLEシリーズで知られるゲーム会社。
ソフトの販売形態が多様化した現在では、SIMPLEシリーズから派生したオリジナルソフトや、乙女ゲームの販売が主。
THEゼロヨンの責がこの会社にだけあるとは思わないが、なぜあの出来で出してしまったのか知りたい。
ちなみに、ニンテンドーDSで『アゲ♂アゲ♂ゼロヨン深夜』というソフトを出している。
開発はSIMPLEファンにはお馴染みのタムソフト。
冒頭でゼロヨンの説明を(ちゃんと)行い、ギャルゲー要素を取り入れたりと改善(ある意味コードRへ回帰)している。
共通するスタッフはいるのかチェックしたい。

エンターテインメント・ソフトウェア・パブリッシング(ESP)

1997年に設立されたゲーム会社。中小ゲーム会社の技術交換ネットワーク「GD-NET(GAME DESIGNERS NETWORK)」を母体にして設立された。
資本金は2億円で、当時セガの親会社だったCSKグループより1億円(50%)を出資し、残りの50%をゲームソフト制作会社9社から出資した。この出資会社にクインテットも名を連ねることになる。
米ハリウッドを手本としたソフトウェアに対する「投資システム」、「プロデュースシステム」の確立を目指したが、肝心のサターンが米国市場で失敗した事で計画が頓挫。
ハリウッドシステムはファイナルファンタジー擁するスクウェアが目指すこととなった。
セガがハード事業から撤退した後も、PS2やDS向けにソフトを出していたが、2010年ディスリー・パブリッシャーに吸収。
技術力のある中小ゲーム会社が団体を作る例は、何の因果か、スクウェアが幹事を務めたディスク・オリジナル・グループ(DOG)がある。
DOGは会社ではなくブランドだが、こちらも上手くいったわけではなく自然消滅している。
CSKプレスリリース1996年8月20日(インターネットアーカイブ)
ディースリー、D3パブリッシャーとESPを吸収合併
10年前くらい(PS・SS時代)のゲームソフトチラシいろいろ(GD-NETのチラシあり)

クインテット以外の構成企業

+ ゲームアーツ
『テグザー』や『シルフィード』など、技術力に定評のある会社で、メガCDに注力した事から、セガファンには広く知られた存在。
ESPの社長を同社の宮路洋一が務めており、その中で作られた『グランディア』はサターンやゲームアーツを代表する作品に。
シリーズは発売元をハドソン、エニックス→スクウェア・エニックスと変えながら『3』まで続いたが、徐々に人気は降下。手が空いたところでスマブラXの開発が舞い込み、イケショタピットを爆誕させることに。
グランディア3発売から間もなく、ガンホー・オンライン・エンターテイメントの傘下に入ることとなった。その後はあまり表に出ることがなくなったが、吸収されることなく存続している。

トレジャー

メガドライブを代表する『ガンスターヒーローズ』『幽☆遊☆白書 魔強統一戦』を発売したことで、こちらもセガファンにはおなじみの会社。
サターンでも『ガーディアンヒーローズ』を発売し、『レディアントシルバーガン』でシューティングゲームファンにも知られることとなった。
幽遊白書から続く、ハイクオリティなキャラゲーも健在で『鉄腕アトム アトムハートの秘密』『BLEACH DS』などを手がける。どちらもハード事業撤退後のセガが販売。

アルファ・システム

熊本にあるゲーム会社。「あ。」
出資してくれたのはサムシンググッドという会社で、後に筆王やウェブマネーを開発する会社である。
なぜか北海道に本社を置くハドソンと業務提携し、札幌に開発室を置く。本社熊本なのに
PCエンジンタイトルを多数手がけ、スーファミやサターンにも顔を出すが、選ばれたのはプレステでした。
『俺の屍を越えてゆけ』『高機動幻想 ガンパレード・マーチ』がコアなファンを獲得するが、その後ちょっと暴走。
PSPのテイルズやファンタシースターポータブルの開発に回りつつ、俺屍関連やシューティングゲームをリリース。

スティング

スクウェア最後のスーファミソフト『トレジャーハンターG』の開発元。
代表作は『バロック』『ユグドラ・ユニオン』など。ユグドラは最近スマホアプリ版が出るなど、根強い人気がある。

ネバーランドカンパニー

サターン末期の隠れた名作『カオスシード〜風水回廊記〜』やスーファミの『エストポリス伝記』で知られる。派手さは無いものの良作名作を多数手がけており、ルーンファクトリーが看板シリーズになりつつあった矢先の2014に倒産。ただし、シリーズは続いており、別会社に移籍したスタッフもいる。
タイトーから出た『エストポリス伝記』は、後にタイトーを子会社にしたスクエニから『エストポリス』として、ジャンルをARPGに変えて発売。ほとんどの人が「別物としてなら…」と評する誰得ゲーに。ARPGにするならクインテット三部作でも出してくれなかったものか。

CSK総合研究所(CRI・ミドルウェア)

当時は、セガと同じCSK傘下だった企業。英語表記のCSK Research InstituteからCRIと呼ばれることもあり、現社名に引き継がれている。
現在ではミドルウェア開発に専念しているが、『エアロダンシング』シリーズなどのゲームソフトも作っていた。

ビッツラボラトリー

古くは「Workss」名義で、様々な作品の開発を行っていたメーカー。
『ボコスカウォーズ(FC版)』『キングスナイト』『トゥルーラブストーリー』など、関わった作品も様々。
残念ながら現存していない模様。

日本アートメディア

アレサやルナシリーズを開発している会社。現存しているようだ。ホームページ

オニオンエッグ

ESP関連だと『スレイヤーズろいやる』『~2』(発売:角川書店)を開発した模様

角川書店(現・KADOKAWA)

1945年、国文学者の角川源義により創業された出版社。2代目の角川春樹により大きく成長する。
書くのが面倒なので、あとはWikipediaでも読んでくれ。

メディアワークス(現・KADOKAWA)

角川兄(春樹)の横暴に耐えきれなくなった弟がマル勝スタッフを引き連れ電撃的に設立した会社。
しかし、設立からまもなく兄が電撃的に逮捕されたため、弟は角川とメディアワークスの社長を電撃的に兼任。
色々あって今は角川。

バンダイ

楽しい時を創る企業。
後にキャラクターゲームを作るクインテットがお世話になることに。
セガとの合併が取り沙汰された事もあったが、企業文化に違いがあるということで破局。
後にナムコとくっつく。

CSKベンチャーキャピタル(現 ウィズ・パートナーズ)

セガの親会社CSKグループだった会社。2010年に独立して現社名に。
その名の通り、資金面でESPを支えたようだ。

セガサミーホールディングス

2003年サミーがセガを吸収して設立。
セガの社名が前に来るのは、パチスロ・パチンコメーカーのサミーより、ゲームメーカーのセガの方が好感度が高いからだろうか。
当時セガの親会社だったCSKは、セガのハード事業撤退やオーナーの大川功が死去した事により、売却を模索していたとされている。

セガ

セーガー
エニックスプロデュースから離れたクインテットが新たに組んだパートナー。ただし、最初はセガ自体ではなく、ESPやゲームアーツからのラブコールに応えたというのが妥当か。
ESPの活動が停滞した後も、セガから開発を任されたようだ。
ハード事業撤退後の共演は確認できていない。本体を立て直すのに必死で、クインテットにかまっていられなかったであろう。


ハードメーカー

※ここまで書いておいて何だが、クインテット全然関係ねぇ。
よって作品解説に統合されると思う。

任天堂

1977年にカラーテレビゲーム15で業界参入。
80年のゲーム&ウオッチ、83年のファミリーコンピューターでその地位を不動のものとする。
64でプレイステーション擁するソニーにトップの座を奪還されるが、沈みかけていたゲームボーイがポケットモンスターでまさかの復活。
以降、暗中模索しながら、NintendoDSやSwitchなど、ユニークなゲーム機を作り続ける。
本体性能よりアイディア勝負といったところ。強力なソフト陣が魅力だが、任天堂以外が育たないと「子ども向け」の印象を与えてしまうことも。

ソニー・インタラクティブエンタテイメント

スーパーファミコンのCDドライブを作っていた久夛良木健が、交渉決裂後、独自に作り上げたのがプレイステーション。
家電メーカー仕込みの高性能が売り

マイクロソフト

セガ撤退と入れ替わるようにして参入したのがマイクロソフト。
PCのアーキテクチャを利用したXBOXで市場に殴り込み。
あの重量は本気で漬物石になりうる。

セガ

セーガー

バンダイ

パナソニック

エレクトロニックアーツ創業者が手掛けた、3DOというゲーム機を製造。
インタラクティブマルチプレイヤーというよくわからない名称で売ったため、単に高いゲーム機と認知される。

NECホームエレクトロニクス

ハドソンと共同開発したPCエンジンでファミコンがほぼ独占していた市場に切りかかる。
初期はナムコが参入していたが、後に撤退。入れ替わる形でコナミが参入し、ときめきメモリアルを作る。
その路線を継続し、後継機PC-FXを発売するが全く売れず、解散してしまった。

ATARI

ゲーム業界の父ともいえる会社。
ATARI2600は日本でも発売されたが、同時期に高性能低価格なファミコンが出たため売れなかった。
逆に発売前のテレビCMがテレビゲーム自体の認知度を上げ、ファミコンが売れる土台を作ってしまったといわれている。

このATARIのロゴが富士山を元にしたといわれるのがなんとも泣ける話である。

エポック社

最終更新:2019年09月27日 23:43