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&ref(twa_logo_1.png) ***&color(Khaki){&bold(){&size(23){初めに...}}} Total War: ATTILAの発売が間近に迫っていますが本タイトルのキャンペーンスタート時期、紀元395年とはどういった時代だったのでしょうか。 アッティラという人物自体、日本では知名度の低い人物なので少なからず疑問に思っている人もいるかと思います。 そこでこのページではTotal War: ATTILAに向けて紀元395年という年がどういった時代だったのかを軽く解説していこうと思います。 ***&color(Khaki){&bold(){&size(23){東西に分割されたローマ帝国}}} 時のローマ皇帝、テオドシウスはその死に際して帝国を東西に分割し二人の息子に与えました。 紀元395年はテオドシウス帝が死去し、ローマ帝国が東西に分割された年であり、それ以降ローマ帝国が再統一されることはありませんでした。 これ以後、西ローマ帝国は次男のホノリウス、東ローマ帝国は長男であるアルカディウスによって統治されることになります。 &ref(map.jpg) ***&color(Khaki){&bold(){&size(23){紀元395年のローマ帝国の現状}}} この頃のローマ帝国はほぼ完全にキリスト教国化されており、キリスト教の司祭や司教が絶大な権力を振るうようになっていました。 帝国の首都はもはやローマではなく長きに渡って栄華を誇った永遠の都ローマもその重要性を徐々に失っていきました。 西ローマ帝国はゲルマン民族大移動の影響をもろに受ける結果となり、確実に滅亡への道を歩むことになります。 東ローマ帝国も繰り返されるササン朝ペルシアとの戦争、フン族の侵攻により徐々に疲弊していきます。 ***&color(Khaki){&bold(){&size(23){フン族とは}}} 本作品のタイトルにもなっているアッティラという人物ですが、彼の治世は実はフン族の歴史においては短期間の、それも末期に属する一エピソードでしかありません。 彼がの生年は定かではありませんが紀元406年頃と言われているのでゲーム開始時の紀元395年時点ではまだ生まれてすらいないわけですね。 フン族が何者であるのか、その具体的な事は殆どの部分が謎に包まれています。 ただ確実に言える事はフン族は4世紀になって初めてヨーロッパに現れ、彼らがアジアをルーツとした遊牧民の一団であるということだけです。 このフン族とローマ帝国が最初に接触したのは紀元395年、フン族が東ローマ帝国へ大規模な攻撃を仕掛けたのが始まりでした。 それ以降、フン族は断続的にローマ帝国領(主に東ローマ帝国)へ侵攻を繰り返します。 一方では、ゲルマン民族との戦闘に際し、西ローマ帝国側に傭兵として参加したりもしています。 ***&color(Khaki){&bold(){&size(23){ゲルマン民族の大移動}}} 紀元376年、フン族に押された西ゴート族がドナウ河を渡りローマ帝国領へ侵入したのが始まりとされています。 それに続いて東ゴート族、アラン人、さらにはフン族を裏切ったフン人などが次々とローマ帝国領内に侵入していきました。 この帝国内を移動する軍・民混合となったゴート・アランの集団は後のローマ帝国に甚大な影響を与えることになります。 ***&color(Khaki){&bold(){&size(23){プレイアブルとして登場する各勢力}}} ****&color(Khaki){&bold(){&size(20){ササン朝ペルシア}}} &ref(100px-Sassanid_empire_flag.png) ササン朝ペルシアは長年ローマ帝国の仮想敵国的な存在であった大国パルティアを滅ぼし、紀元226年頃に台頭してきたペルシア系の国家です。 ゾロアスター教を国教にした最後の国であり、首都はパルティアと同じクテシフォン。 アケメネス朝ペルシャの再興を旗印にローマ帝国と幾度となく衝突しました。 過去にはシャプール一世が時のローマ皇帝を捕虜にするなどの大戦果を上げました。 ****&color(Khaki){&bold(){&size(20){西ゴート族}}} &ref(100px-Visioth_flag.png) 西ゴート族はゲルマン系の部族であり、紀元376年にダキアを経てドナウ河を渡り、ローマ帝国領内に侵入した部族です。 ゲルマン民族の大移動の先駆けとして知られていますが、もともとは傭兵や農耕に従事することを条件にローマ皇帝の許可を得た上での移住計画でした。 しかし予想を遥かに超えた数の西ゴート族がドナウ河を渡ったこと、それに乗じたアラン人や東ゴート族の侵入が重なりそれが後にゲルマン民族の大移動と呼ばれるようになりました。 西ゴート族は一向に改善されないローマ帝国領内での待遇を不満とし、武器を取り東ゴート、アラン人と連携して遂には紀元378年に、ハドリアノポリスの戦いでローマ帝国軍を打ち破りました。 これにより以後、西ゴート族は軍事力を保持したまま帝国内に居座る結果となり、後のローマ帝国の歴史に甚大な影響を与えることになりました。
&ref(twa_logo_1.png) ***&color(Khaki){&bold(){&size(23){初めに...}}} Total War: ATTILAの発売が間近に迫っていますが本タイトルのキャンペーンスタート時期、紀元395年とはどういった時代だったのでしょうか。 アッティラという人物自体、日本では知名度の低い人物なので少なからず疑問に思っている人もいるかと思います。 そこでこのページではTotal War: ATTILAに向けて紀元395年という年がどういった時代だったのかを軽く解説していこうと思います。 ***&color(Khaki){&bold(){&size(23){東西に分割されたローマ帝国}}} 時のローマ皇帝、テオドシウスはその死に際して帝国を東西に分割し二人の息子に与えました。 紀元395年はテオドシウス帝が死去し、ローマ帝国が東西に分割された年であり、それ以降ローマ帝国が再統一されることはありませんでした。 これ以後、西ローマ帝国は次男のホノリウス、東ローマ帝国は長男であるアルカディウスによって統治されることになります。 &ref(map.jpg) ***&color(Khaki){&bold(){&size(23){紀元395年のローマ帝国の現状}}} この頃のローマ帝国はほぼ完全にキリスト教国化されており、キリスト教の司祭や司教が絶大な権力を振るうようになっていました。 帝国の首都はもはやローマではなく長きに渡って栄華を誇った永遠の都ローマもその重要性を徐々に失っていきました。 西ローマ帝国はゲルマン民族大移動の影響をもろに受ける結果となり、確実に滅亡への道を歩むことになります。 東ローマ帝国も繰り返されるササン朝ペルシアとの戦争、フン族の侵攻により徐々に疲弊していきます。 ***&color(Khaki){&bold(){&size(23){フン族とは}}} 本作品のタイトルにもなっているアッティラという人物ですが、彼の治世は実はフン族の歴史においては短期間の、それも末期に属する一エピソードでしかありません。 彼がの生年は定かではありませんが紀元406年頃と言われているのでゲーム開始時の紀元395年時点ではまだ生まれてすらいないわけですね。 フン族が何者であるのか、その具体的な事は殆どの部分が謎に包まれています。 ただ確実に言える事はフン族は4世紀になって初めてヨーロッパに現れ、彼らがアジアをルーツとした遊牧民の一団であるということだけです。 このフン族とローマ帝国が最初に接触したのは紀元395年、フン族が東ローマ帝国へ大規模な攻撃を仕掛けたのが始まりでした。 それ以降、フン族は断続的にローマ帝国領(主に東ローマ帝国)へ侵攻を繰り返します。 一方では、ゲルマン民族との戦闘に際し、西ローマ帝国側に傭兵として参加したりもしています。 ***&color(Khaki){&bold(){&size(23){ゲルマン民族の大移動}}} 紀元376年、フン族に押された西ゴート族がドナウ河を渡りローマ帝国領へ侵入したのが始まりとされています。 それに続いて東ゴート族、アラン人、さらにはフン族を裏切ったフン人などが次々とローマ帝国領内に侵入していきました。 この帝国内を移動する軍・民混合となったゴート・アランの集団は後のローマ帝国に甚大な影響を与えることになります。 ***&color(Khaki){&bold(){&size(23){プレイアブルとして登場する各勢力}}} ****&color(Khaki){&bold(){&size(20){ササン朝ペルシア}}} &ref(100px-Sassanid_empire_flag.png) ササン朝ペルシアは長年ローマ帝国の仮想敵国的な存在であった大国パルティアを滅ぼし、紀元226年頃に台頭してきたペルシア系の国家です。 ゾロアスター教を国教にした最後の国であり、首都はパルティアと同じクテシフォン。 アケメネス朝ペルシャの再興を旗印にローマ帝国と幾度となく衝突しました。 過去にはシャプール一世が時のローマ皇帝を捕虜にするなどの大戦果を上げました。 ****&color(Khaki){&bold(){&size(20){西ゴート族}}} &ref(100px-Visigoth_flag.png) 西ゴート族はゲルマン系の部族であり、紀元376年にダキアを経てドナウ河を渡り、ローマ帝国領内に侵入した部族です。 ゲルマン民族の大移動の先駆けとして知られていますが、もともとは傭兵や農耕に従事することを条件にローマ皇帝の許可を得た上での移住計画でした。 しかし予想を遥かに超えた数の西ゴート族がドナウ河を渡ったこと、それに乗じたアラン人や東ゴート族の侵入が重なりそれが後にゲルマン民族の大移動と呼ばれるようになりました。 西ゴート族は一向に改善されないローマ帝国領内での待遇を不満とし、武器を取り東ゴート、アラン人と連携して遂には紀元378年に、ハドリアノポリスの戦いでローマ帝国軍を打ち破りました。 これにより以後、西ゴート族は軍事力を保持したまま帝国内に居座る結果となり、後のローマ帝国の歴史に甚大な影響を与えることになりました。

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