&br() &br() &br() &br() #blockquote(){ #center(){&bold(){&size(30){他の勢力}}} #center(){ &ref(1.png,,http://www53.atwiki.jp/r2tw/pages/25.html) &ref(2.png,,http://www53.atwiki.jp/r2tw/pages/17.html) &ref(3.png,,http://www53.atwiki.jp/r2tw/pages/27.html) &ref(4.png,,http://www53.atwiki.jp/r2tw/pages/28.html) &ref(5.png,,http://www53.atwiki.jp/r2tw/pages/31.html) &ref(6.png,,http://www53.atwiki.jp/r2tw/pages/38.html) &ref(7.png,,http://www53.atwiki.jp/r2tw/pages/39.html) &ref(8.png,,http://www53.atwiki.jp/r2tw/pages/40.html) &ref(9.png,,http://www53.atwiki.jp/r2tw/pages/55.html) &ref(10.png,,http://www53.atwiki.jp/r2tw/pages/56.html) &ref(11.png,,http://www53.atwiki.jp/r2tw/pages/57.html) &ref(Seleucid_icon.png,,http://www53.atwiki.jp/r2tw/pages/72.html) } *スパルタ &ref(SpartaMa.png,,center) &br() #center(){&bold(){&color(yellow){&size(30){「規律。名誉。征服。」}}}} &br() &ref(30.png,,center) スパルタ人の社会と生活は全て戦争のためにあると言っても過言ではないでしょう。彼らはギリシア世界を支配するため、おそらくヘレニズム文化の時代を通じて最強の兵士を産み出し続けます。スパルタ人はアゴゲとクリュプテイアという風習により訓練と鍛錬を極め、彼らの戦士と指導者は規律と忠誠の化身となりました。 スパルタ人は自らの国をラケダイモンと称しており、その社会はスパルティアタイ(市民)、ペリオイコイ(非市民である自由民。商工業に従事した)、ヘイロタイ(農業等の肉体労働に従事する奴隷)というヒエラルキーによって成り立っており、冷酷ですが効率的な戦争機械そのものでした。アテナイでは奴隷に労働を任せ、市民は芸術と哲学を高めましたが、スパルタの市民は完全なる戦士を追求しました。スパルタの王族と共に戦うことが許されるのはほんの少数であり、生き残って物語を伝える者はさらに少なかったのです。 わずか300人で大軍に抗戦したテルモピュライなどペルシア戦争で卓越した役割を演じ、続くペロポネソス戦争で勝利を得たスパルタはギリシアの覇権を握りましたが、コリントス戦争とそれに続く余波のあと凋落の道を辿り始め、BC371年のレウクトラの戦いで決定的な敗北を喫しました。その後新興したマケドニアのフィリッポス2世をスパルタは認めず、BC331年にはマケドニアに反旗を翻してメガロポリスの戦いが生起しましたが、勇戦したものの結局は失敗に終わりました。 現在、スパルタが向かおうとしている道筋は不透明です。史実ではポエニ戦争が勃発した際、彼らはローマと盟約を結んでいます。しかしどの道を辿るのであれ、かつての領土と栄光を取り戻すことはないと、誰に言えるのでしょうか? 他に比肩するもののないレベルにまで訓練された技と勇敢さにより、スパルタ軍は完璧な戦士となっています。他方で、容赦ない弾圧を加えているヘイロタイの怨嗟により、奴隷がいる他の国家と比べてもスパルタは深刻な社会的不安を抱えています。また軍事に傾きすぎた関心と質素を旨とする慣習のため、スパルタは天然資源から少ない利益しか得られないのも弱点となるでしょう。 &br() &ref(700px-Sparta.png,,center) &br() }