『見習い魔法師の学園日誌』第12週目結果報告(後編)


3、参加型企画

「オーキスちゃん達の脱出ゲーム、楽しみだね」

  シャリテ・リアン は、久しぶりに「ロシェル」の身体を借りた状態で、ジュードと共に「クロード主催・オーキス作・ジャヤ脚本演出による脱出ゲーム」の会場へと向かっていた。「光が魅せる色」と題されたその企画は、オーキスの発案による特殊な「視覚効果」をテーマにしたパズルのようなゲームらしい。
 この二人は先日(ガーゴイル事件の直前)のシャリテからの告白を機に、恋人として付き合うことになった(discord「出張購買部」7月16日)。シャリテ(ロシェル)が「アネルカ」として購買部に出入りしていた頃から親しくなり始め、いつの間にか互いに相手のことを「特別な存在」と思うようになっていたらしい。

「そうですね。僕の仕事はもう前日の時点までに一通り終わらせていますから、脱出ゲームの後も、今日は一日中、心置きなく一緒にいられますよ。これから後のデートプランも、ちゃんと考えていますから」

 これまで、ずっと商売のことばかり考えてきたジュードが、初めて「数字上の合理性」とは別次元の存在として彼女を「自らの価値の頂点」に置くようになっていた。当初はビジネスパートナーとして接していた筈の彼女に対して、いつの間にか「好き」という感情が芽生えてしまっていたのである。

「別に、私はジュードと一緒にいられるなら、それだけで十分楽しいよ」
「それでも、より楽しい時間にしたいですからね」

 なお、日頃はシャリテは「狼」の身体でジュードと一緒にいることが多いのだが、屋内企画に参加する場合、どうしても体躯的に無理が出てしまうため、今回は「ロシェル」に頼んで、その身体を貸してもらうことにしたのである(現状、ロシェルの魂は一時的に眠っており、シャリテの「狼の身体」もまた、屋外で休眠状態にある)。
 シャリテにしてみれば「ロシェルの身体」の方が見た目の姿は本来の自分に近く、ジュードとは「女の子」として接したいという気持ちもあるが、あくまでも作り物の身体に憑依しているだけであり、五感の一部が欠けていることもあって、ジュードと触れ合うことによる感触は実感出来ない(この点に関しては「狼」の身体の方がよりはっきりと互いの「存在感」や「ぬくもり」を感じることが出来る)。
 そんなジレンマを抱えているシャリテとは対照的に、ジュードの方は「僕が好きになったのは、シャリテさんの『心』ですから」と公言しており、彼女の姿に対しては、そこまで強いこだわりはないらしい。そして、その純粋なるジュードの心こそが、「心」だけの状態でこの世界に投影されたシャリテにとっては、何よりも救いであった。

 ***

 同じ頃、 テラ・オクセンシェルナ ティト・ロータス もまた、同じ脱出ゲームの会場へと向かおうとしていた。
 もともと、この二人は図書館の常連組同士で、互いに物静かな性格ということもあり、なんとなく顔見知りではあったものの、そこまで親しい関係という訳ではなかった。それが、エリーゼの誕生会で共にダンスを踊った頃から少しずつ親密になり始め、そして今回も一緒に学園祭を回ろうと約束した。
 だが、話はそこで終わらなかった。その約束を交わした直後に、テラは無意識のうちに(衝動的に)ティトに対して「可愛い」と口にしてしまったのである。その言葉に困惑したティトに真意を問われると、テラ自身も自分で自分の言葉に動揺した状態のまま、ティトの手を取り、キスをした上で「貴女にだけ『可愛い』と伝えたくなる理由を、考えます」と告げて、その場を去って行った(discord「図書館」8月12日)。
 そんなやりとりを交わした後、まだテラが自分の中の「真意」を彼女に伝えないまま、学園祭当日を迎えてしまったため、二人の間に流れる空気は、どこかギクシャクしている。ちなみに、ティトの方は前日の夜に「どんな格好で行くか」で色々考えながらも、急に色々変えて、相手に嫌に思われるのが嫌なので、よそ行きの服を着るだけにとどめた上で、この日のデート(なのかどうか微妙な同伴行為)に臨んでいた。

「あの……、テラさん、頑張りましょうね、脱出ゲーム……」

 少しよそよそしい態度ながらも、極力平時と同じ雰囲気になるように心がけながらティトがそう語りかけると、テラもまた平静を装いつつ答える。

「はい。ジャヤ達が頑張って準備してくれた企画です。しっかり、楽しみましょう」

 ティトとしては「テラさんがあれ以来、思考の渦に囚われてしまっているのではないか」という不安もあったが、少なくともテラのその表情からは、もう「あの時のこと」で悩んでいる様子ではないことが伺える。

「そうですね……、私も、テラさんと一緒に、楽しみたい、です……」

 口調自体はいつも通りだが、それでも微妙にテンションが高そうな表情でティトは話しつつ、内心では、やはり「あの時のこと」が気になっていた。

(悩んでいない、ということは……、もう「答え」は出た、ということ、でしょうか……)

 ***

 それから少し遅れて、今度は テリス・アスカム が、ルームメイトにして同門の後輩のアカネ・アスカム(出典: 「極東少女の日常回想」 )と共に脱出ゲームの会場へと向かおうとしていた。

「お姉様、脱出ゲームって、何をするところなんですの?」

 アカネが道すがらにテリスに問いかける。彼女は基本的に、テリスが行きたいところに勝手についてきているだけのようで、その企画の内容も目的もよく分かっていないらしい。

「密室に閉じ込められた状態から、脱出する方法を探すゲームらしいですよ」
「密室!? それってまさか、魔法で作られた異空間に閉じ込められる、ってことですの!?」
「まぁ、この学校の人なら、そういうことも出来るかもしれませんけど、多分、そこまで本格的なものではなくて、そういう『設定』に基づいて、その状況を思い浮かべながら、緊張感を感じつつ、何か課題のようなものをクリアする、という企画ではないかと……。あくまで『ゲーム』なんですし……」

 とはいえ、異世界(特に地球)の物語においては「ゲーム」の名の下に次々と参加者が虐殺されていく展開も珍しくないため、油断は出来ない(かもしれない)。少なくとも、それくらいの緊張感を持って参加した方が、企画の趣旨は楽しめそうな気はする(ちなみに、テリスが愛読している「とある小説」においても、「脱出ゲーム」に近いような展開はあるらしい)。

「あぁ、どうしましょう……、もし脱出に失敗して、異世界でお姉様と二人きりで永遠の時を過ごさなければならなくなったら、私は……、私は……」

 深刻な妄想をニヤついた表情で語り始めるアカネをよそに、テリスは目的地となる教室を発見する。そこには、既に9名の先客が入口で並んでいた。その大半はテリスにとって「見覚えのある面々」だったため、彼女は駆け足で近付き、順番に挨拶していく。

「クリスさん、ジョセフさん、射撃大会以来ですね」
「おぅ、久しぶり!」
「その節は、大変お恥ずかしいところを……」

 あの時の優勝者のクリストファーと、失格者のジョセフは、対象的なテンションで答える。ジョセフにしてみれば、アンブローゼの前であまりその話を蒸し返してほしくなかった。

「あの時はジュードさんも、会場での物販活動、お疲れさまでした」
「こちらこそ、皆さんが盛り上げてくれたおかげで、たっぷり稼がせてもらいましたよ」

 実際のところ、あの大会中は直接会話を交わしてはいないが、もともと園芸部と購買部という関係上、必然的に肥料の買い出しなどで日頃から顔を合わせることは多い。

「ティトさん、黄金羊牧場の時は、お力になれずに、申し訳ございませんでした」
「いえ……、急なお願いで来てもらって……、私の方こそ、すみませんでした……」

 ちなみに、この二人はハンナの素材採掘のアルバイトの時も、別班ではあるが同行している。

「ロシェルさ……、あ、いえ、シャリテさんは、ガーゴイル騒動の時に、図書館で一緒に……」
「そうそう。でも、実はその前に、黄金羊牧場でも『狼』の姿として会ってるのよ」

 もっとも、その時はテリスはティトと共に後から合流したグループだったため、直接的にシャリテと一緒に行動する機会は少なかった。

「テラさん、孤児院での紙芝居、とても感動しました」
「あなた達こそ、一番手の重圧は大変でしたよね」

 「あなた達」と呼ばれたことで、テリスの隣にいたアカネが嬉しそうな自慢気な顔をする。

「ヴィルへルミネさんの紙芝居は、その完成度の高さに圧倒されました」
「ありがとうございます。石像さんの紙芝居も、とっても素敵なお話でしたよ」

 アカネが更に得意気な顔を浮かべるが、テリスはその様子には気付いていない。

「ジュノさんは、イミュニティの試験で……」
「やめて! 『アレ』はもう思い出したくない!」

 耳を両手で塞いで首を振りながら、ジュノはそう叫ぶ。そして、テリスはこの場にいる「残りの一人」に視線を向ける。

「えーっと、あなたは……」
「知らなくて当然よね。私がエーラムにいたのは、もう随分前だもの。はじめまして。私はアンブローゼ・オーディアール。今はファルドリアで契約魔法師をしているわ。よろしくね」
「はい。私はテリス・アスカムです。よろしくお願いします」

 その後、なんとなく全体で自己紹介する流れになり、互いに顔と名前を一通り把握し、ジョセフが思い出したかのようにエイミールから受け取ったビラを(既に持っていたジュードとヴィルへルミネ以外の)皆に手渡し終えたところで、脱出ゲーム企画の教室の「出口」と題されている方の扉が開き、「前の組」の参加者の面々が現れる。だが、彼等の表情は、ゲームを終えたことへの達成感や満足感とは程遠い様子であった。

「ぜんっぜん、分かんなかった、どういうことだ……?」
「どうする? あとでもう一回、挑戦してみるか?」
「いやー、無理だぜ、これ。てか、解ける奴いるのかよ……」

 落胆した様子でそんな言葉をこぼしている彼等であったが、そんな様子を見て、ジョセフとジュードは逆に闘志が燃え上がる。

(これこそまさに、アンブローゼ殿に私の成長をお見せする絶好の機会!)
(突破して、シャリテさんにカッコいい所をみせなければ!)

 他の面々もそれぞれにやる気を漲らせている中、今度は「入口」の方から「黒子姿の二人」が現れた。それぞれの手には、どちらもベレー帽を被った「水色のイルカ」と「桃色のイルカ」の手人形(パペット)が一頭ずつ装着されている。
 桃色のイルカが、入口で待っていた面々に対して語りかける。

「あの……、そこの人間さんたち、よかったら、私達の展覧会を見て行きませんか?」

 水色のイルカもまた、それに続いて語り始める。

「見て行って損はないぞ。なんと言ったって、この吾(あ)……、いや、僕と妹の開いた展覧会なのだからな!」

 どうやら、この二頭のイルカは「兄妹」ということらしい。そして、顔を隠してはいるものの、体格と声から、兄イルカはジャヤが、妹イルカはオーキスが演じている、ということが(それぞれの知人には)分かる。二人とも、それなりに一生懸命演技しようとしてはいるが、やはり目の前に「親しい人々」がいるせいで緊張しているのか、どこか演技も微妙にたどたどしかった。

「あ、でも、この部屋は定員が10名だから、ちょっと多いかも……」

 妹イルカがそう語る。脱出ゲームにおいては、一般的な1グループの定員(同時に参加する人の数)上限は「10人」とされているが、この場には「11人」いる。
 ここで、ヴィルウヘルミネが手を挙げた。

「あの、そういうことなら、私が抜けます。他の皆さんは、お知り合いの方々同士で来てるみたいですし、私は次の機会でも……」

 彼女はそう言うが、現実問題として、この後でファッションショー企画にも誘われているヴィルへルミネとしては、ここで「次の番」まで参加を遅らせると、間に合わなくなる可能性もある。
 だが、その直後に今度はアンブローゼが口を開いた。

「その必要はないわ。私はもともと見学のつもりだったから、そういうことなら私はここで待ってる。それでいいわよね? ジョセフ」

 アンブローゼとしても、さすがに子供が考えた謎解き企画に、本業の時空魔法師である自分が参加するのは大人げないと思っていた。

「構いません。私が謎を解く姿を直接お見せ出来ないのは残念ですが、私が見事脱出してここに戻って来ると信じて、待っていて下さい!」
「頑張ってね。他のみんなと協力して、知恵を合わせて解いていくのよ。脱出ゲームって、そういうものらしいから」

 アンブローゼはそう告げた上で、ジョセフが手に持っていたファッション研究部のビラを(持っていても邪魔だろう、ということで)預かることにした。
 ここで妹イルカが参加者10人に対して問いかける。

「ところで、皆さんは全員お友達、ですか?」

 その「微妙な問い」に対して、テリスが答える。

「一応、私は全員と面識がありますし、さきほど皆で軽く自己紹介はしましたけど、まだそこまでの間柄では……」
「そうですか。では、これから先、一緒に行動してもらうことになるので、皆さんの絆を深めるために、今から『私の言う通り』にしてもらえますか?」

 そう言われた10人は、彼女の誘導に従って互いに向き合い、そして、妹イルカが「せーの!」と言った直後、声を合わせて叫ぶ。

「よろしくお願いします!」

 その声が廊下中に響き渡ったところで、妹イルカは満足そうな声で告げた。

「はい、これでみんな友達です」

 どうやら、これは(一部の異界でおこなわれている)脱出ゲームにおける一種の「儀式」のようなものらしい。
 すると、いつのまにか部屋の中に入っていた兄イルカの声が聴こえてくる。

「妹よ、何をぐずぐずしている、置いていくぞ!」
「あ、ちょっと待ってよ、兄さん! 勝手に行かないで!」

 妹イルカはそう叫びつつ、チラっと参加者達の方を向いた後に、部屋の中へと入っていく。10人の学生達は、ひとまず「彼等」の作った物語設定に合わせて、彼等の描き出す「光が魅せる色」の世界へと足を踏み入れていくのであった……。

 ***

 この企画内で用いられている脱出ゲーム企画は、実際にネット上でプレイしてもらうことが可能です。プレイ希望の方は、Discord「みながく」サーバー内のプレイヤーチャンネル「脱出ゲーム『光が魅せる色』参加予約票へようこそ!」まで、御一報下さい。
 また、実際のプレイを希望する人々へのネタバレを防止するために、部屋に入った後の彼等が脱出ゲームの謎を解いていく過程は、この本編のページではなく、以下のリンク先のページに掲載されています。実際にプレイする予定のない方、および既にプレイされた方は、こちらから物語内容をご確認下さい。



 ……こうして、彼等は無事に脱出ゲーム「光が魅せる色」をクリアした。この時点で、ジュードとシャリテはオーキスに軽く話したいことがあったのだが、既に「次の来客達」が順番を待っていたこともあり、かなり忙しそうだったので、彼女に声をかけるのは後夜祭直前のタイミングまで待つことにした。
 その上で、ジュードとシャリテは次は演劇を見るために大講堂へと向かい、ヴィルへルミネは(セレネに言われていた通りに)その大講堂の裏口へと赴き、そしてテラとティトは食べ歩きのための屋台街へと去って行く。
 そして、入口付近で待っていたアンブローゼは、ジョセフに駆け寄って声をかけた。

「おめでとう! 無事に脱出出来たのね!」

 他の参加者達の雰囲気からそう判断したアンブローゼであったが、そんな中でジョセフの表情だけは達成感とは程遠い様子であった。

「いえ……、これは私の功績ではありません。序盤はともかく、途中から私は何の役にも立っていませんでした。私一人だったら、脱出出来ずに終わっていたことでしょう」
「別にいいのよ。これは団体戦なんだから。最初に言ったでしょ? 皆で知恵を出し合って脱出すればいいって」
「それはそうですが……」

 ジョセフとしては、他の者達、特に重要な局面で大きな役割を果たしたテリスに対して、大きく遅れを取ったという認識であった。

(彼女は確か、エイミールが「エネルギーボルト」の試験の時に「真の首席」と讃えていた人物……。その理屈には未だに納得出来ないが、確かに彼女が称賛に値する人物であるということは認めざるを得ない)

 そんな考えに至ったところで、ジョセフはふと、そのエイミールから預かったファッション研究部のビラのことを思い出す。

「そういえばアンブローゼ殿、入る前にお預けしたビラの紙束は、どうされました?」

 今の彼女の手元には、その紙束が見えない。

「あぁ、それなら、待ってる間にこの辺りの廊下を通っていた人達相手に、もう全部配り終えてしまったんだけど……、残しておかなきゃ、まずかった?」
「い、いえ! そこまでしていただけるとは思っていませんでした! すみません、あいつのための雑用を押し付けてしまうなんて……」
「いいのよ、どうせやることもなかったし。それに、あなたの友達なら、私にとっても大切な子なんだから。これくらいさせてよ」
「あいつには、そこまでしてやるだけの価値はありません!」
「本当にそう思っているなら、そもそも最初からビラを受け取ったりもしないでしょ? 何度も言うけど、友達は大切にしなさい」

 アンブローゼはそんな言葉をかけつつ、内心では自分の学生時代のことを思い出していた。

(私には、あんなに親しく声をかけてくれる友達なんて、いなかったんだから……)

 魔法の才能に恵まれず、教育課程についていくだけで必死だった彼女には、友人達と楽しい青春時代を送るような余裕もなかった。だからこそ、ジョセフには「自分のような学生生活は送ってほしくない」という想いもある。そんな彼女の思いなど露知らず、ジョセフは相変わらず、自分の不甲斐なさを嘆き、その上で、次に彼女と会う時までには、彼女に確かな成長を見せられるようにならなければ、と意気込んでいた。
 ジョセフ・オーディアール。14歳。軍師の道を目指す彼は、常に高みを目指し続ける。いつか彼女と並び称されるに至る日まで。

 ***

「実にお見事な推理でしたわ、お姉様! お姉様がいなければ、私達は永遠にあのイルカ達の虜囚として海の底で暮らさねばならなくなっていたのですから、まさしく命の恩人ですわ!」

 脱出後、アカネは興奮気味にテリスにそう力説していた。

「そんな設定だったかしら?」
「私はお姉様の偉大さを改めて痛感させられましたの。だから、この御恩を返すために、どうかこれからも、ずっとお傍にいさせて下さいね」

 結局、アカネはそれが言いたいだけらしい。

「ルームメイトなんだから、一緒にいるのはいいですけど、でも、別に私一人で解いた訳ではないですよ。皆さんの協力があったからこそ、脱出出来たのですし」

 ただ、アカネに関しては、脱出ゲームの間、ろくに役に立ってはいなかった。皆が必死で謎解きに専念している間、ずつとテリスのことしか見ていなかった以上、当然の話である。

「で、お姉様、次はどちらに参ります?」
「私は……、もうそろそろ、寮に戻っても良いかな、と……。この学園祭が終わったら、またすぐに中間試験がありますし、ここで遊びすぎると、また気持ちが切れてしまいそうですから」
「そんな……、まだ回り始めたばかりじゃないですか! もっと沢山見て回りましょうよ!」
「確かに、まだ他にも色々と興味のある企画はありますけど、でも、ただでさえ私は入院していて同世代の人達から遅れを取っているのですから、あまりのんびりしている訳には……」
「何言ってるんですか! お姉様は病気のせいで2年も『楽しい学園生活』を我慢し続けていたのでしょう? それでも諦めずに病気を克服して復学した自分へのご褒美として、今はもう少しくらい楽しい思いをしてもいい筈です! それに、入学当初の御学友の方々とは疎遠になってしまったかもしれませんけど、今のお姉様には私がいるではありませんか! 『遅れを取り戻す』なんて、そんな寂しいこと言わないで下さい!」
「寂しい、こと……?」
「そうです! お姉様から見れば不本意かもしれませんけど、私にとっては、今、お姉様が私の隣にいて下さるのは、『遅れ』ではなく『運命』です! かつての御学友に今からでも追いつこうというお姉様の向上心が悪いとは申しません。でも、今、共に学んでいる私のことも、もっとちゃんと見て下さい!」

 テリスとしては、別にアカネを蔑ろにしているつもりはなかった。しかし、アカネから見ると、テリスのストイックな姿勢は、自分と一緒に過ごしている「今の環境」に満足出来ず、そこから抜け出そうとしている(=自分を置いて去っていこうとしている)ように見えたのである。

「ごめんなさい。そんなつもりはなかったのですけど……、私の態度が、あなたに寂しい思いをさせていたのですね……」

 実際のところ、テリスはアカネからの病的なまでの自分への執着心に対しては無頓着である。むしろ、無頓着であるからこそアカネとの関係が維持出来ているという側面もあるのだが、自分はもう少し、「周囲から自分がどう見られているのか」ということを考えるべきなのかもしれない、と思えてきた。そのためにも、もう少し視野は広く持った方がいいのかもしれない、ということも、うっすらと自覚する。

「……分かりました。せっかくですから、もう少しだけ、色々見て回ることにしましょう」
「はい! お姉様!」

 こうして、一度は校舎の外へ向かおうとしていたテリスは、アカネと共にUターンして、他の参加型企画の教室を回ってみることにした。
 テリス・アスカム。14歳。彼女が今の「第2の学園生活」を通じて得られた人々との絆は、いずれ彼女を支える礎となるであろう。

 ***

「面白かったわね、クリス」
「あぁ。出来ればもう少し、自力で色々気付きたかったけどな」

 ジュノとクリストファーは、景品として貰った万年筆を見ながら、「学祭デート」の続きを楽しんでいた。

「ねぇ、クリス。来年は私達で、こういうアトラクション企画とか立ててみない?」
「お、いいな。どんなのをやる?」
「魔獣園を借り切った、もっとリアルな脱出ゲームとか?」
「それはさすがに許可が降りないだろ。危なすぎるし」
「じゃあ、魔獣に関するクイズ大会、とかどう?」
「お前が作る問題だと、さすがにマニアックすぎるだろうな」
「だったら、魔獣に乗ったレース大会とか、どう?」
「いや、だからリアルの魔獣を借りるのは、申請を通すのが厳しいって」

 その場の勢いで適当に提案するジュノに対して、クリストファーが真正面からダメ出しを続けていると、ジュノは少し不機嫌な表情を浮かべる。

「なら、クリスは何がいいのよ?」
「そうだな……、異世界をモチーフにした企画とか、やってみたら面白いかもな。異世界の住人の生活を擬似体験する企画とか」
「それって、前にクロード先生達がやってたTRPGってやつ?」
「んー、その企画にはオレは参加してないから知らないけど、たとえば教室の一つを異世界の一つの街に見立てた上で、俺達が『その街の住人』の役を演じて、お客さんには『街にやってきた冒険者』として、入口に入った段階で何か『依頼書』みたいなものを渡して、それを解決してもらうために、俺達に話しかけることで情報を集めて……」

 クリストファーもまた、なんとなくその場の勢いで考えた妄想を口にしてみるが、考えながら話しているうちに、段々と本当に実現出来そうな気がしてきた。

「……あれ? なんかこれ、マジで面白そうじゃね?」
「なに勝手に自画自賛してるのよ。でもまぁ、確かに、ちょっとやってみたいかも」
「だろ? よし! 帰ったら、ちょっと真剣に考えてみるか!」

 ……と、言ってはいるものの、学園祭のテンションで気分が高揚しているからこそ楽しそうに思えるだけ、という可能性もある。とはいえ、軽い気持ちで始めてみたジュノとの「初デート」は、クリストファーにとって様々な意味で新たな刺激を与えたようである。

 ******

 エーラムの学園祭の主役は基本的には学生と言われているが、例外的に教員の手による新たな魔法や魔法具のお披露目企画が開催されることもある。と言っても、そこまで本格的な内容ではなく、まだ実験段階の研究の中間発表的な位置付けの内容であることが多い。今年はアルジェント・リアン(下図左)とメルキューレ・リアン(下図右)により、新たな乗騎アーティファクトの試乗会を開催する、とう旨が発表されていた。
+ アルジェント/メルキューレ
 ただ、具体的にそれがどのような乗り物なのか、ということは公表されていない。つまりは、一種のサプライズ企画である。また、試乗出来るのは「魔法の基礎理論を習得済みの学生のみ」とされていたため、かなり特殊なアーティファクトなのであろうと噂されていた。
 そして、この日の朝の時点で、 ゴシュ・ブッカータ ルクス・アルティナス ロゥロア・アルティナス の三人は、試乗会の打ち合わせ会場へと向かっていた。今回の試乗会の募集定員は「六名」で、事前に希望のあった者達の中から主催者二人の独断で決定されたのだが、この三人はいずれもその選考に合格していたのである。おそらく、先日のガーゴイル騒動の一件で捜査に協力したことへのご褒美、という意図もあるのではないかとも言われていた。

「一体、どんな車に乗れるんか、楽しみやな」
「こないだのアシストの試験の時のカーレースも大盛況だったらしいのだ」
「それが……、どうもやら今回は『車』ではないらしい、という噂もある、です」
「車ではないって、どういうことなのだ?」
「なんでも、『空飛ぶ乗り物』らしい、です。メルキューレ先生だけでなく、アルジェント先生との共同主催になってるのも、それが理由だと言われてる、です」

 アルジェントの専門である静動魔法は、物体浮遊や重力操作を可能とする魔法である。確かに、空を飛ぶ技術の研究ということであれば、色々と関わってきそうな立場と言える。

「飛空船っちゅうやつか? そういや、ちょっと前にメルキューレ先生とバリー先生が共同で『熱気球』作ってたこともあったし、またそういうのかもしれんなぁ。それはそれで面白そうやね。風まかせののんびりした空の旅、とか」
「きいろのおーさまも、エーラムの空の乾いた風は大好きなのだ」

 ちなみに、この世界では「空を飛ぶ方法」自体はそこまで珍しくもない。魔法や邪紋の力で空を飛べる者は沢山いるし、空を飛ぶ魔獣などの投影体を従える者もいる。だが、「飛行能力を持つアーティファクト」となると、かなり珍しい。まだ試作段階だとしても、この技術が完成すれば、世界全体を大きく変える可能性を秘めた夢の技術と言える。

「ところで、ロアは異音研の方には行かなくていいのか? バリー先生は残念がってたぞ」
「…………まだ、ステージに立つのは少し早い、です」

 先日の修学旅行で、ようやく最後まで一曲演奏出来るようにはなったものの、彼女の中ではまだ、(外部の人々も含めた)大人数の前で演奏出来るだけの覚悟は定まっておらず、今の自分では力不足と考えていた。その上で、今は、この「見たこともないお祭り」を、友達と一緒に楽しみたいと考え、ルクスやゴシュと一緒に今回の企画に応募したらしい。

(ここでしか見れないもの、出来ないこと……、挑戦してみたいです)

 それが、今の彼女の素直な気持ちであった。

 ***

 一方、そんなロゥロアとは対照的に、自分の素直な気持ち通りに行動出来ない者もいた。 エト・カサブランカ である。彼は今回の学園祭で、ルクスと一緒にあちこち回りたいという思いを抱きながらも、なかなかそのことを言い出せず、気付いた時には彼女の当日の予定は埋まってしまっていた。

(せめて、ルクスちゃんが参加する試乗会の見学に行くか……)

 そんなことを考えながら校内を歩いていた時、彼は校舎裏の一角で「奇妙な光景」を発見する。そこでは、高等教員のカルディナ・カーバイト(下図)が、見たこともない「奇妙な姿をした謎の少女」と会話を交わしていた。
+ カルディナ

「……ということで、頼まれてはくれぬか? 裏虹色魔法師よ。『奴』が姿を現すとしたら、大講堂かこの企画のどちらかの可能性が高い。大講堂の方は私が向かう。だから……」
「まぁ、あんたに協力するエーラムの魔法師もそうそういないだろうしな。いいだろう、手を貸してやろう。闇魔法師が何をしようと知ったことじゃないが、せっかくの面白い見世物が台無しにされるのは許せん」

 二人がそんな意味深な会話を交わす中、エトは二人の背後に「見覚えのある巨大な生き物」がいることに気付く。見覚えがあると言っても、現実にそれを目の当たりにしたのは今回が初めてであり、そして、冷静に考えればそれは「エトの知っているそれ」とは、明らかに大きさが異なっていたのだが、ここでエトは思わず声を上げてしまう。

「それ、ウタカ……」

 エトがそこまで言いかけたところで、カルディナと「謎の少女」の視線がエトに向かう。

「お前……、確か、ルクス・アルティナスとは親しかったよな?」

 カルディナにそう問われたエトが頷くと、彼女は続けてこう言った。

「ならば、お前にも付き合ってもらうぞ。彼女の身に、良からぬことが起きるかもしれん、という話だからな」

 ***

「さぁ、皆様、お待たせしました! いよいよ今年の学園祭の目玉企画、『新型アーティファクト試乗会』の開催です! 実況は、現在屋台街で大正風ワッフル店を絶賛経営中のキリコ・タチバナ! そして解説は、主催者の一人でありますメルキューレ・リアン先生です」

 例によって例のごとく、先日のレース企画(「アシスト」試験)に続いて、今回も諜報機関「ヴァルスの蜘蛛」のキリコ・タチバナが、地球産の拡声器を使って高らかにそう宣言した。

「現在、私とメルキューレ先生は、魔法師協会所蔵の投影乗騎『SJ03型飛空艇』に乗船して、空の上からこの実況生中継をお送りしています。こちらからはエーラム上空から見た映像を、我々の音声と共にお届け致します」

 「SJ03型飛空艇」とは、元来は ミッドガルドと呼ばれる世界 に存在する小型の飛空船である。現在、この船を操縦しているのは、この船の召喚主である浅葱学科(召喚魔法学部の亜流派)の魔法師であり、その他の乗員はキリコとメルキューレ、そして投影装備「撮影機」を手にしたヴァルスの蜘蛛の構成員、の四人だけだった。その撮影機で撮った映像は、中央広場の一角に設置されたスクリーンに映し出され、そこにキリコとメルキューレの音声も届けられる仕組みになっていた。

「そして、今回は状況に応じて地上側からの映像も交えながらお送りする予定です。地上の第二カメラ担当のワトホートさん、よろしくお願いします」

 邪紋使いの雷光のワトホート(下図)は、その肩に巨大な「撮影機」を抱えた状態で、赤の教養学部の近くの公道に待機していた。
+ ワトホート

「俺の足なら、どんなアーティファクトでも余裕で追いつける。音速でも光速でも、好きなだけぶっ飛ばしやがれ!」

 元来、ワトホートはこのような雑用を引き受けるような性格ではないが、今回は「最新型アーティファクトに並走して撮影し続けることが出来るのは、あなたしかいない」と説得されたことが、依頼受諾の決め手になったらしい。

「さ〜て、それでは、さっそく今回の企画の概要について紹介させて頂きます! まず、既にお察しだとは思いますが、今回の試乗会に登場する6台の新型アーティファクトはいずれも飛行型で、搭乗者は全員は魔法師です。まずはこの辺りの詳細について、メルキューレ先生の方からご説明をお願いします!」
「はい。今回のアーティファクトはいずれも、現在私達が乗船している『SJ03型飛空船』のような『異界の乗り物』をモデルに作成しました。しかし、いずれもそれぞれの世界における特殊な力を動力源としているため、それらをこの世界で再現することは極めて困難です。そこで、混沌を利用して人間の精神力を機械の動力へと変換する装置を開発しました。それが、こちらの『魔力転換の魔法杖(タクト)』です」

 メルキューレはそう言って、一本の特殊な形状の魔法杖を取り出し、撮影係に見せる。

「この魔法杖は、混沌の力を利用することで自らの精神をこの魔法杖にリンクさせた上で、アーティファクトに差し込むことで、自らの魔力をアーティファクトに流し込むことで動力源とする、という魔法具です」
「なるほど〜。だから、混沌を操作出来る魔法師の方々でなければ扱えないのですね」
「そうです。アシスト試験の時に作成した自動車型アーティファクトとは異なり、今回御紹介する飛行型アーティファクトは、いずれも現段階においては魔法師専用の仕様です。しかも、魔力転換の効率もあまり良くないため、そこまで長期間飛び続けることは出来ません。その意味でも、まだまだ実用化には程遠い段階なのですが、ひとまず今回はその基礎システムの最初の試運転を披露する機会だと御理解頂ければ幸いです」
「分かりました。ちなみに、今回は『レース型』ではなく『リレー型』となっていますが、これは、それぞれの機体の特徴を一台ずつじっくり見てもらうため、という意図ですか?」
「それもありますが、そもそも現状において、この魔法杖自体があまり量産出来ていないので、今回は6人で同じ魔法杖を使いまわしてもらう想定です」
「ほうほう、つまり、その魔法杖が『リレーのバトン』の役割を果たす、と?」
「そういうことです。あまり詳しい事情は申し上げられませんが、現状においては、機体を一台作るよりも、この魔法杖を一本作る方が遥かにコストが高いので、今回はあえてこのような形にさせて頂きました。また、今回は6台がそれぞれに想定されている使用環境も目的も異なるので、それぞれの機体ごとに、その持ち味を発揮出来るようなコースをセッティングしています」
「つまり、今回の見どころは飛空能力だけではない、ということですか?」
「はい。それぞれの用途が異なるからこそ、同じ条件で飛行速度を競い合わせても意味がない、と判断した上で、今回はコースを六分割した上で、それぞれのコースに様々な『障害』を配置しました。各コースの担当者は、それぞれの機体の特徴を生かしてその障害を突破した上で、次の担当者に魔法杖を渡して頂きます」

 メルキューレはそう説明した上で、サイレントイメージの魔法を用いて「全体の地図」を画面の前に映し出す。

「現在、六台の新型アーティファクトとその操縦者は、エーラムの七学部の建物のうち、赤・橙・黄・緑・青・藍の六学部の本校舎の屋上に待機しています。バトンとなる魔法杖は既に「赤の教養学部」の屋上にいる「一番手の操縦者」に渡してあるので、その学生には自身の担当するアーティファクトに乗って「橙の元素魔法学部」の屋上へと向かい、そこに待っている「二番手の操縦者」に魔法杖を渡してもらいます。そして二番手の操縦者は自身の担当するアーティファクトに乗って「黄の静動魔法学部」へ、といった形で繋いでいき、最終的に六番手の担当者が「藍の時空魔法学部」から「紫の錬成魔法学部」へと到着した時点で終了、という形になります」
「要は、『エーラム一周・空の障害物リレー』ということですね。しかし、アーティファクト操縦にも慣れていない学生さん達が、いきなりそんな高度な代物を渡されて、しかも障害物を乗り越えて操縦しなければならないというのは、大丈夫なのでしょうか? もし万が一、事故で墜落でもしてしまったら……」
「大丈夫です。万が一の事態に備えて、我が兄アルジェント・リアンが空中で待機しています。常に彼等との距離を維持しながら移動しつつ、不足の事態に対応しますので、御安心下さい」

 今回の企画が「リアン兄弟の共同開催」という名義になっている最大の理由はここにある。自力で周囲の重力を操作出来るアルジェントであれば、確かによほどのことがない限りは大丈夫だろう(ただ、撮影しながらの警戒活動は集中力が散漫になるため、彼には撮影機は持たせていなかった)。

 ***

「ご解説、ありがとうございました。それでは、そろそろ皆さんお待ちかねの『新型アーティファクト』の紹介に移りたいと思います」

 キリコがそう告げると、中央広場のスクリーンの映像が、ワトホートが持っている「地上の撮影機」が映す「赤の教養学部の屋上」の光景へと切り替わる。そこに映し出されていたのは、先刻メルキューレが見せた魔法杖を持っているゴシュと、そして「木製の箒のような形をした謎の魔法具」であった。

「映えある最初の操縦者を担当するのは、極東出身のマイペース少女、ゴシュ・ブッカータさん。騎乗するアーティファクトは、高機動型箒『テンペスト』( 出典 )。箒の形状をした特殊な機械のようですが、これは、射撃大会の時にセレネさんが用いていたガンナーズブルームと、どこか形状が似ているようにも見えますね」
「はい。ガンナーズブルームと同じ『ファー・ジ・アース』と呼ばれる世界において、同じ企業の手で作られた箒型の魔法具がモデルになっています。ガンナーズブルームが攻撃性能を重視した構成になっているのに対し、テンペストは移動速度を重視した仕様です。今回紹介する六台のアーティファクトの中では最も小型ですが、スピードに関してはトップクラスと言って良いでしょう」

 なお、誰がどのアーティファクトを担当するかは、本人の希望と適性を加味した上でメルキューレが決定したのだが、ゴシュがこの箒を選んだのは「一番操縦が楽そうだったから」である(なお、射撃大会の時は出場も観戦もしていなかったので、セレネが同系統の投影装備であるガンナーズブルームを扱いきれずに暴走していたことは知らない)。

「まぁ、魔法師が箒に乗るんは、どこの世界でもようある話やしな。多分、ウチでもなんとかなるやろ」

 そんなことを呟きつつ、彼女はメルキューレから渡された特殊な魔法杖に自身の魔力を込め、それをテンペストに嵌め込むと、うっすらとその機体が浮き始め、そして「橙の元素魔法学部」へと向かって発進する。その初動速度は、先日のアシスト試験の時の自動車型アーティファクトをも遥かに上回る程の超高速であった。
「はっ、速! なんやこれ!? 思うてたんとちゃうけど、めっちゃ楽しいわ!」

 風を切りながら一直線に橙の学部へと向かうゴシュは、興奮気味にそう叫ぶ。そんな彼女を、地上のワトホートは全力で追いかけていた。

(さすがに、これは全力出さなきゃ追いつけねぇな……)

 そう判断した彼は、半獣化した上で、光と見紛うほどの速度で並走する。そして、その状況でも一切の「手ブレ」を起こさぬまま正確にゴシュとテンペストの映像を写し続け、その様子は中央広場で画面を眺めていたテオ(アルトゥーク条約創設者)とシルーカにもはっきりと映る。

「箒の魔法具と聞いたから、てっきりアルトゥークの魔女達のような飛行法かと思ってたけど、全くの別物だな、これは……」
「えぇ。さすがはエーラムの最新鋭の技術ですね……。きっと、スピードだけなら黒魔女ヤーナよりも速い……」

 多くの観客達がそんな驚愕の感想を胸に抱く中、ゴシュは気持ち良く橙の学部へ向かって飛んでいたが、その途中でメルキューレが事前に説明していた「あること」を実感する。

(これ、楽しいけど、むっちゃ疲れるわ……。なんか、どんどん気力が吸い取られてる気がする……)

 まだ幼いが故に精神力が乏しいゴシュにとっては、さほど長い訳でもない学部間移動に必要な魔力だけでも、相当な負担となっているようである。それでもどうにか橙の元素魔法学部の建物が見えてきた辺りで、突然、彼女に対して大量の「石つぶて」が飛んできた。

(ひぃぃぃっ!)

 ゴシュは即座にテンペストを操作して軌道を修正することで、かろうじてその襲撃を避けることに成功する。ここで、実況のキリコの声が中央広場に響き渡った。

「おぉっとぉ! これは元素魔法のストーンバレット! なるほど、これがこのコースにおける障害、ということですか」
「はい。元素魔法学部の学生の方々にお願いして、『操縦者が重症を負わない程度の攻撃魔法』を放ってもらっています。そして、テンペストは回避性能にも優れているので、戦闘慣れしていない操縦者でも、突然の襲撃などに対して対応可能だということが、今のこの映像からお分かり頂けたと思います」

 もっとも、それはあくまで(ゴシュ達よりは格上とはいえ)学生レベルの魔法師が放つ魔法だから避けられただけであり、そこまで飛躍的に回避力を高める効果がある訳ではない。そして、今の軌道修正で更に魔力を費やしてしまったゴシュは、息も絶え絶えな状態になりながらも、かろうじて元素魔法学部の屋上へと着陸する。

「ふぅぅぅぅ、これは、もうちょっと魔力を扱えるようになってから、改めてちゃんと乗ってみたい魔法具やな……」

 そう呟きつつ、テンペストから魔法杖を抜き取ったゴシュであったが、その表情は心地よい疲労感に包まれていた。

 ***

 そして、この屋上で待っていた「第二操縦者」が、すぐさまゴシュの元へと駆け寄ってくる。 

「お疲れ様です、ゴシュさん」

 そう言って彼女の前に現れて魔法杖を受け取ったのは、保険委員の マチルダ・ノート であった。彼女はすぐさまその魔法杖に対して(直前に登録されていた「ゴシュの精神とのリンク」を上書きする形で)「自分がこの魔法杖の持ち主である」という情報を注ぎ込む。

「さぁ、今、バトン……、じゃなくて、魔法杖が受け渡されました! 第二コースを担当するのは、“保健室の天使”マチルダ・ノートさん。彼女が搭乗するのは、ラクシア界の魔導機を元にしたアーティファクト『スカイバイク』 出典
です!」

 キリコがそう紹介すると同時に、撮影機もその乗騎を映し出す。それはテンペストとは異なり、明らかに未来的なデザインに基づいて作られた、一人乗りのアーティファクトであった。その先端には、砲門のような装置も備わっている。
 先刻同様、メルキューレがその構造について説明を始めた。

「純粋なスピードだけならテンペストには及びませんが、こちらはある程度の空中戦闘を想定した設計となっています。機体そのものが相当に頑丈なので、そのまま体当たりするだけでもそれなりに威力は出ますし、先端の砲門から放つレーザーガンは、時空魔法のライトニングボルトに匹敵する威力です。ただ……」
「そのレーザーガンを打ったら、魔力消費量がハンパない、とか?」
「その通りです。ですから、あくまでも『いざという時の切り札』であって、無闇に使うべきものではない、と彼女には伝えています」

 メルキューレはそう解説しつつ、内心では別のことが気になっていた。

(彼女が今回応募してきたのは、もしかして、キュアライトウーンズの試験の時に私が言ったことが原因なのだろうか……?)

 あの時、メルキューレはマチルダに「離れた場所にいる人々を同時に救うことの難しさ」を強調した。それは「時には救うことを諦めなければならない命もある」という現実を教えるためでもあったのだが、ここで彼女が「機動力を飛躍的に引き上げる乗騎」に興味を示したのは、彼女が「少しでも多くの命を同時に救うための方法」を模索しているが故なのかもしれない、と思えたのである。

(向上心を持つことは、悪いことではない。ただ、あまりにも多くを求めすぎたことで、自滅していく人々がいることもまた事実……)

 メルキューレのそんな心配をよそに、マチルダはスカイバイクに乗り込み、勢い良く空へと飛び出した。これまで治癒師一筋の精神で勉強を続けてきたマチルダにとって、このような異界の戦闘用バイクなど、当然、全くの未知の存在である。一応、先輩達からは「戦場では治癒師は狙われやすいから、不意打ちで接敵されてもすぐに逃げられるように、馬くらいは乗れるようにした方がいい」という助言は聞かされていたし、マチルダは貴族出身だけあって、幼い頃に兄と一緒に馬に乗せてもらったことはあるが、やはり馬とアーティファクトでは感覚が全く異なる。

(このスピードと風圧……、油断したら、吹き飛ばされてしまいそうですね……)

 ひとまず彼女はスピードを落とした上で、自分に制御出来る速度での安全運転に務める。すると、魔力の消費も少し抑えられているように思えた。

(別にスピードを競う訳ではないのですから、これでいいのです。今回は、確実に目的地に辿り着くことが第一……)

 年長者らしく落ち着いた考えで慎重な運転を続けた彼女は、やがて「黄の静動魔法学部」の建物がその視界に入るところまで辿り着く。だが、ここで唐突にその視界を遮るかのように、大量の「盾」が彼女の前に現れた。

「これは……」

 マチルダはその盾を避けるように迂回ルートを通ろうとするが、それに対応するように盾もまた移動してその進路を遮る。ここで実況席から再び声が上がった。

「さぁ、突如として現れた浮遊盾! おそらくこれは静動魔法学部の皆さんによる妨害工作なのでしょう。スカイバイクに乗ったマチルダさん、果たして、この局面をどう切り抜けるのか!?」

 そんなヒートアップするキリコとは対象的に、マチルダは一旦バイクを止めて、一旦近くの建物に不時着にして、打開策を考える。

「あれ? メルキューレ先生、途中で飛行を止めるのは、アリなんですか?」
「特に禁止とは言ってません。実際、海超えの任務などでもない限りは可能なことですし、状況によってはそれが必要になることもあります」

 マチルダとしては、この新型アーティファクトはエネルギー効率が悪いと聞かされていたので、浮遊状態のまま長考するよりは、こちらの方が魔力の消耗が抑えられると考えたようである。

(全てを避けて到達するのは難しそうですね……、この妨害を突破するには、最低限の数の盾を体当たりで破壊して通過するのが最善手でしょうか……? )

 マチルダは一瞬そう考えるが、先刻の盾の動きを思い出して、考えを改める。

(いいえ、それではダメです。もし、あの盾が一度の体当たりでは壊せなかった場合、何度も体当たりしている間に、他の盾が妨害に入って、結局、全ての盾を壊さなければならなくなるかもしれない。それならいっそ……)

 意を決した彼女は、密集状態にある浮遊盾に対して、意を決してレーザーガンを放つ。すると、一瞬にしてそれらの盾が消滅し、新たな盾が出現する前に、彼女は無事に黄の静動魔法学部の屋上に辿り着く。当然、彼女は先刻のゴシュ以上に疲れ切った様子であった。

(きっと、日頃から攻撃魔法を使う魔法師の人達にとっては、これくらいの魔力消耗は日常茶飯事なのでしょうね……)

 少し意識が朦朧としかけているマチルダに対し、一人の少女が駆け込んできた。

「大丈夫ですか! マチルダさん!?」
「あぁ……、カロンさん、ですか……」

 キュアライトウーンズの試験の時に同席していたカロンの存在に気付いたマチルダは、ゆっくりとした動作でスカイバイクから魔法杖を抜き取る。

「あとは、お任せします……」
「分かりました!」

 カロンはそう言って、彼女から魔法杖を受け取り、自らのアーティファクトへと戻って行ったのであった。

 ***

「さぁ、続いての操縦者は、猫耳帽子と猫のぬいぐるみがチャームポイントのカロン・ストラトスさん! 彼女が乗り込むのは、M2モータース製『ライトコプター』( 出典 )。巨大なプロペラが機体の上部に装着されているようですが、メルキューレ先生、これはどこの世界の乗騎がモデルなのでしょう? 地球産の投影乗騎で『ヘリコプター』と呼ばれているものと同系統ですか?」

 なお、「キリコの投影元の地球」にヘリコプターがあるかどうかは定かではない。

「『22世紀の地球』におけるヘリコプターの一種です。この世界に一般的に投影される地球の物品に比べると、かなり未来の時代の代物ですが、これはあくまでも偵察機として設計されている代物なので、戦闘力に関しては決して高くはありません。とはいえ、身体が野晒しだったこれまでの二つに比べれば防御性は高いですし、「二人乗り」なので、魔法師以外の人を載せることも可能です。また、上下、左右、前後、どの方面にも比較的容易に動けるという意味では、それなりに小回りが効くのが利点と言えます」
「なるほど……、って、あれ? カロンさんが外にいる状態で、既に中に誰か乗ってませんか?」

 キリコがそう言ったところで、中央広場のスクリーンの画面が、そのライトコプターの窓
へとズームアップされる。その助手席のところに座っていたのは、アストロフィ子爵ヨハネスであった。

「おや、あれに見えるは、麗しきバルレアの幼君じゃないですか! これはつまり、『要人警護という任務』が、このコースの『障害』として課せられている、といつことですか!?」
「いえ、別に陛下に乗ってもらおうと思っていた訳ではなく、むしろ今回は『サポーター役が必要だから、出来れば誰かと一緒に来て下さい』と伝えていたのですが、まさかあの方を連れて来るとは……」

 実際のところ、カロンは何人かの友人に声はかけたのだが、さすがにそのことを伝えられたのが当日の朝だったこともあって、既に皆、この時間帯の予定が埋まってしまっていた。一応、メルキューレからは「サポーター役は、いなければこちらで用意する」と言われていたので、別に一人で行けばいいかと思っていたところで、ヨハネスから同伴を申し込まれてしまい、そのまま勢いでこの企画にも彼が同乗したいと言い出したのである。

「ヨハネス君、大きくなったね……」

 中央広場の画面を見ながら、アレクシス(幻想詩連合盟主)はそう呟く。アストロフィは幻想詩連合の一員ということもあり、ヨハネスがもっと幼かった頃にアレクシスと面識があった。
 そして、すぐにカロンが魔法杖を持ってライトコプターの運転席へと乗り込むと、上部のプロペラが回転を始め、機体が宙に浮かび上がり、そしてゆっくりと緑の生命魔法学部へと向かって飛行し始める。

「あ、あの、陛下……、もし、途中で気持ち悪くなったりしたら、言って下さいね。すぐに途中で止めますので」
「うん。無理を言って乗せてもらって、ごめんね」

 ちなみに、ヨハネスの二人の護衛のうち、ベルは彼の乗船には反対していたが、クヌート(パレット)は快諾していた。なんだかんだで、パレットの中ではカロンの好感度は高いらしい。
 そして、ライトコプターが緑の生命魔法学部に向かって飛び立ったところで、キリコがふとした疑問をメルキューレに投げかける。

「そういえば、生命魔法学部の人達は、どんな妨害工作をしてくるんです? 常磐学科の人達がライダーキックで襲いかかってくる、とか?」
「いえ、彼等の攻撃手法は基本的に『生き物の体内構造を理解した上で内側から破壊する攻撃』なので、無機物のアーティファクト相手にはあまり意味がありません。ですが、初級の生命魔法の中には、対魔法師戦において極めて有効な魔法があります。それを、彼等は最初に仕掛けてきます」
「え? 最初に?」

 キリコがそう答えた瞬間、飛行中のライトコプターに対して、物陰から隠れていた生命魔法学科の学生が、「ファティーグ」の魔法をかけた。これは、魔法などを用いる際の精神力の消耗を倍加させるという魔法である。先刻のマチルダ以上に安全運転を心掛けていたカロンに、その攻撃を避ける余裕などなかった。

「は、早いですよ……、聞いてはいましたけど、こんなに早く……」

 カロンは表情を歪ませながら、そう呟く。ただでさえ魔力効率が悪いこの機体を動かす上で、魔力消耗の倍化は致命傷である。ただ、さすがにこのような凶悪な作戦を仕掛ける以上、メルキューレも事前にそのことは彼女達に伝えた上で、対策も教えていた。彼はその旨を観客に対しても説明する。

「このルートの近辺では、我が兄アルジェントが、様々なポイントに精神回復薬を『浮遊』させています。途中でそれを補充しながら進めば、操縦者がファティーグを受けた後でも無事に目的地まで辿り着ける筈です」
「あぁ、なるほど。その薬が空中にあるから、空中で正確に狙った場所に移動出来るヘリコプター型の乗騎が役に立つ、ということですね。で、操縦者が近くまで移動した後に、助手席に座っているサポーターが、窓から手を出してそれを確保して、操縦者に横から投与する、と」
「はい。さすがに初搭乗時にそれを一人でやるのは至難の技なので、そのためのサポーター、という訳です」

 なお、その精神回復薬が浮いているポイントについてはライトコプターのセンサーで察知出来るようになっているため、探し出す必要はない。とはいえ、ただでさえ精神消耗が激しくなっているカロンにとっては、正確にその座標まで移動させるのはかなりの難易度だった。しかも、機体の構造上、目的の座標に対して接触する角度を間違えると、回転するプロペラによってその薬瓶を割ってしまいかねないため、その意味でも空間把握能力が必要となる。
 更に言えば、それに加えてカロンにとっては「サポーターがヨハネス」という問題もあった。一応、いざとなったらアルジェントが助けてくれるとは言われているものの、自分と大差ない体格の彼が窓の外に手を伸ばして薬を手に採ろうとした場合、一歩間違えば転落する恐れもある。だからこそ、簡単に手を伸ばせる距離にまで着実に寄せなければならないという重圧もあり、カロンの表情はますます険しくなっていく。 

「大丈夫? いざとなったら、僕の聖印で君の精神力を回復させることも出来るけど……」
「いえ、ここは私が、ちゃんとやりきります。私だって、見習いとはいえ、魔法師なんですから!」

 彼女はそう告げた上で、全神経を集中させた上できっちりとライトコプターを正確に助手席の真横の位置にまで移動させることに成功する。そしてヨハネスは窓を開いてそれを手に取り、蓋を開いた上でカロンの口元へと持っていくと、ハンドルで両手が塞がった状態の彼女は首を伸ばしてその注入口をくわえ込む。

(はしたないし、恥ずかしいけど……、でも、戦場ではこうやって無理矢理な姿勢で薬を飲むことも必要だって言ってたし……、無作法だとか、そんなこと気にしてちゃダメなんだよね……)

 そんな形での薬品投与を何度か経た上で、どうにか目的の生命魔法学部の屋上へと到着したのであった。

 ***

「さぁ、ルクスの出番なのだ! 頑張るのだ!」

 ルクスはカロンから魔法杖を受け取ると、生命魔法学部の屋上に設置されている「巨大な魔物のような姿の機械」へと走っていく。

「続きまして、四番手の操縦者を務めるのは、仮面で素顔を隠した黄衣の少女、ルクス・アルティナスさん。彼女もまた謎のぬいぐるみを手に搭乗です。そして、彼女に与えられたアーティファクトは……、なんです、あれ? 手元の資料には『大翼竜』 出典 と書いてあるんですが……」
「はい、その名の通り、巨大な翼を持つ竜のような姿をした乗騎です。より正確には、乗騎というよりは兵器と呼んだほうが適切かもしれません。『あなたの投影元の地球』とは別の『ヒーロー世紀の地球』と呼ばれる世界で作られたものを元にしています」

 なお、それは先日のガーゴイル達の出身元である「ユグドラシル宇宙の地球」の別称とも言われているが、定かではない。

「あんな巨大なアーティファクトを動かすとしたら、相当な魔力が必要なのではないですか?」
「はい。ですから、彼女には大量の高級精神回復剤を最初から持たせています」
「あー、なるほど……って、操縦しながら飲む余裕なんて、あるんですか? 両手が塞がっていて難しいから、さっきはサポーターが必要だったのでは?」
「ヒーロー世紀の地球の巨大乗騎の中には、ハンドルなどを握らなくても、操縦席で『演武』を舞うことで、動かすことが出来るタイプも存在しており、あれもその一つなのです」
「うーん、どういう理屈でそうなるのかはさっぱり分かりませんが、とりあえず私は考えるのをやめます」

 二人がそんな会話を交わしている間にルクスを乗せた大翼竜はその機械の翼を広げて飛び上がる。その姿は、遠目から見れば普通に「巨大な魔物」にしか見えない。

「ルクスには風の加護がついているのだ! きいろのおーさまと一緒に空を駆けるのだ!」

 いつものぬいぐるみを片手にそう叫びながら、よく分からないポーズを取ることで、大翼竜は更にその飛行速度を増していく。しかし、やがてその前に、同じようなシルエットの別の飛行物体が現れた。例によって例のごとく、キリコの声が響き渡る。

「やっぱり出ました! そうです、このコースのゴールに待ち受けるのは青の召喚魔法学部! そこにこんなヤバいものが飛んで来たら、迎撃するのは奴しかいない! そう、ワイバーン選手の入場です! ワイバーン対メカワイバーン! 果たして勝つのはどっちだ!?」
「その言い方だと、どう考えても後者の方が負けそうなのですが……」

 メルキューレがそう呟いたところで、彼は一瞬、その二体(一匹と一台)の翼竜が向き合った空間の近くから、奇妙な気配を感じる。

(これは……、何かが収束しようとしている!?)

 そして、同じことに気付いていた者が彼の他にも(少なくとも)三人いた。一人は、戦場の様子を間近の空域から監視していたアルジェントである。

(少なくとも事前の打ち合わせでは、ここで出現させるのはワイバーン一体のみだった筈。だとすれば、これは混沌の偶発的収束なのか、それとも……)

 二人目は、たまたま近くをマリーネ(大工房同盟盟主)と共に通りかかっていた、彼女の契約魔法師のアウベストである。主と共に大講堂へと向かおうとしていたところで、彼は思わず立ち止まる。

「どうした? 何があった?」
「あの空間に、更に別の何かが出現しようとしています……」
「どうせ、それもまたこのくだらぬ余興の一部なのではないのか?」
「それならば良いのですが……」
「いずれにせよ、エーラム内で起きたことはエーラム在住の魔法師達が解決すべきことであろう」
「御意」

 アウベストはそう答えた上で、それ以上は何も言わなかった。実際のところ、この街は中立都市だからこそ、事情を知らない者が介入すべきではない、というのは真理である。
 そして最後の一人は、姿を消してこのコース内に隠れていたカルディナであった。

(やはり、動くとしたらここか……。どんな理由があろうとも、この余興を邪魔しようというのなら、私も貴様を邪魔させてもらう……)

 そして次の瞬間、突如としてルクスの大翼竜の側面から、大翼竜とはまた別種の「白と赤のカラーリングを施された翼竜のような姿の戦闘機」が現れる( 出典 )。

「お? なんだ? だいさんせーりょくか!?」

 ルクスがウキウキした様子で見つめる中、その周囲では更に続けて五つの混沌核が収束を始めようとしていた。だが、それらの収束が完了する前に、出現したばかりの「白赤の翼竜」が突如として消滅する。

「え?」

 それに続けて、収束しかけていた混沌核も次々と発散していく。ルクスも、キリコも、そして大半の聴衆達も、何が起きたのかさっぱり理解出来ない状態であったが、そこへ唐突にカルディナが(翼竜達の真下に)姿を現す。

「いやー、すまんすまん! なんか面白いことやってるから、つい混ぜてもらおうと思ったんだが、召喚にしくじってしまった。邪魔したな。そのまま続きをやってくれ!」

 唐突にそう言われても、大半の人々には全く状況が理解出来ていない。ただ、少なくともメルキューレとアウベストの目には、カルディナの言動は不自然に思えた。明らかに「何かをごまかそうとしているような素振り」としか思えなかったのである。
 一方、最も間近で状況を注視していたアルジェントの中では、概ねの予想はついていた。

(おそらく、先程の白赤の翼竜は「誰か」が二頭の翼竜の存在を触媒に召喚したものだろう。そして、続いて出現しそうになっていた五つの混沌核は、あの「白赤の翼竜」を触媒として出現しようとしていた。だが、その「誰か」はおそらく彼女ではない。むしろ、彼女の手で『白赤の翼竜』が強制送還されたことで、連鎖投影されかけていた他の者達も消えたのだろう。さて、だとすれば、白赤の翼竜を呼び出そうとしたのは、果たして何者なのか……、そして、彼女はなぜそのことを隠そうとしているのか……)

 一方、ルクスは状況を全く理解出来ていないまま、いち早く気持ちを切り替えていた。

「そにっくぶーむなのだ!」

 彼女がそう叫んで「何かを呼ぶような儀式」を運転席内でおこなうと、大翼竜から強烈な衝撃波がワイバーンに向けて放たれる。不意を突かれたワイバーンは深手を追い、そのままコース外へと退散していき(もともと、一撃喰らえば逃げる、という台本だった)、障害物がいなくなったことで大翼竜は悠々と召喚魔法学部の屋上へと降り立つ。カルディナはその様子を確認した上で、「上空」に向かって目で訴えかけた。

(今のはどうにかごまかしたが、まだ油断するなよ。お前の出番が必要になる事態が起きる可能性は、まだ消えてはいないのだからな)

 ***

「さて、何が何だかよく分かりませんでしたが、今、無事にルクスさんが召喚魔法学部に到着し、第五操縦者のミステリアス少年、テオフラストゥス・ローゼンクロイツさんに魔法杖が渡されました! 今回の試乗者の中で唯一の男子学生です。そんな彼が運転する機体の名前は『黄巾プレデター』( 出典 )だそうですが、デザインからして、これも地球産の乗り物がモデルですか? さっきのに比べると、比較的まともな『地球産の飛行機』の姿をしていいるようですが」
「はい。これは『22世紀』でも『ヒーロー世紀』でもなく『祖龍30年代』と呼ばれる年代の地球で作られた偵察機が元になっています。ただ、他の5台とは違って、これだけは元来は『乗騎』ではないのです」
「どういう意味です?」
「元来は無人偵察機なのです。ですが、それを可能とする『仙術』のシステムがどうしても再現出来なかったため、今回はあえてそれを人間が操縦する前提で設計しました。その結果として、操縦方法も他とは根本的に異なります」
「というと?」
「元来は人工知能が果たしていた機能の一部を搭乗者の脳にリンクさせることで操縦してもらうことになるので、搭乗者には高度な演算処理能力が必要となります。その意味では、動体視力や反射神経よりも、知力そのものの方がこの機体の運用においては必要になります」
「なるほど。それで、今回の学生達の中でも成績優秀なことで有名な彼に任せることにした、という訳ですか」
「はい。更に言えば、この機体はもともと偵察機であり、元の世界においては『特殊な魂の持ち主』を探知するセンサーが備わっていたのですが、この世界にはその魂の持ち主がおそらく不在のため、普通に混沌を探知する機能に置き換えました。つまりは、菖蒲の錬成魔法であるディテクトカオスのような機能が搭載されているため、それを運用するという意味でも、基礎学力のある人が望ましいのです。ディテクトカオスの精度は、混沌に関する知識量次第ですから」
「……ということは、今回はそのセンサーを駆使することが、コース上の『障害』を突破する鍵になる訳ですね」
「その通りです」

 彼等がそんな会話を繰り広げている間に、テオフラストゥスは無事に黄巾プレデターの発進に成功させる。彼は自身の脳と機体をリンクさせたことによって、自分自身の身体がアーティファクトそのものになったかのような特殊な感覚を味わっていた(ある意味、それは「ロシェルの身体に憑依している時のシャリテ」に近いのかもしれない)。

「なるほど、これが最先端の錬成魔法の技術か……。まるで魂が肉体から離れて、新たな依代を得たようにも思える。さすがは『今のアルジェント先生』を作り出した人物……」

 搭乗席でポツリとそう呟いた彼は、ふと「自分自身」について改めて問い直してみる。

(私は「死ぬ度に、この時代から人生を再スタート」というサイクルを繰り返していると思っていた。しかし……、そもそも「死」とは何だ? 「魂」とは何だ? もし、アルジェント先生のように、私の身体から魂が切り離され、別の身体へと移植された場合、それは「私の死」なのか? そうでないとするなら、どの段階で私の魂は死んで『この時代』に戻って来る? そもそも「魂の死」とは、何なのだ?)

 不意にそんな疑問が湧き上がった彼であったが、今の時点でいくら考えたところで、分かる筈もない。彼はひとまず、今の自分が為すべきことに集中することにした。黄巾プレデターに装着されているレーダーから得られる情報は、直接的に彼の脳に流れ込んでくる。その結果、彼はコース内の各地に「インビジブルの魔法によって生み出された空間の揺らぎ」の探知に成功した。

「どうやら、通常のディテクトカオスよりも明らかに性能が上らしい。さて、そうなると、彼等の攻撃魔法の射程に入らずにゴールに辿り着けるルートは…………、ここだな」

 自身の魔力消耗も加味しながら、一番確実に辿り着ける進路を慎重に探し出し、機体をその軌道に乗せた結果、彼と同化した黄巾プレデターは、無事に時空魔法学部の屋上への着陸に成功する。錬成魔法と時空魔法を極めようとする彼がこのコースに割り当てられたのは、色々な意味で最適の人選であったと言えよう。
 テオフラストゥス・ローゼンクロイツ。幾度目かの11歳。「今回の人生」は、彼の魂に何を与えることになるのであろうか。

 ***

「いよいよアンカーの登場です! 今、テオフラストゥスさんから魔法杖を受け取ったのは、ダルタニアから来た銀髪少女ロゥロア・アルティナスさん。そして彼女が駆るのは、天水級強襲揚陸・飛空戦闘唐繰り母艦・二番艦『五丈』( 出典 )。名前の長さもアレですが、それよりも驚きなのはサイズです。時空魔法学部の屋上全体を使ってギリギリ入るほどのその大きさ!」
「もともと、これは『昭和70年代の地球』において、『中国地区』と呼ばれる地域の支配者の専用艦だったそうで、正真正銘の軍艦です」
「そんなものを、一人で動かせるんですか?」
「無理ですね。魔力も学生一人では到底足りませんし、そもそもあの船に搭載されている機能を有効に使えるようにするには、オペレーターや操舵士など、最低でも10人は必要でしょう」
「えぇ!? じゃあ、どうするんです?」
「この船に関しては、あらかじめ必要なサポーターをこちらで用意して、中で待機してもらっています。ですから、彼女の仕事は、その人々と協力して魔力を供給しつつ、彼等を指揮して目的地へと先導するだけです」
「なるほど。色々な意味で、ここまでの五人とは勝手が違いそうですね。ところで、最後の目的地はメルキューレ先生の所属する紫の錬成魔法学部な訳ですが、当然、相当なレベルの障害が用意されているんですよね?」
「ご想像にお任せします」

 そんな二人のやりとりが中央広場にも届けられ、否が応でも観客達が盛り上がる中、魔法杖を受け取った上で巨大な飛空戦艦に乗り込もうとしていたロゥロアは、憂鬱な様子であった。

(まさか私が「指揮官」なんて……。どう考えても向いてない、です……。どうして、よりによって私が、この船の担当に選ばれてしまったのでしょう……)

 うつむき加減に館内のブリッジ(司令室)に到着したロゥロアは、そこに集まっている人々を見て、不思議な感覚を覚える。

「あなた達は……?」

 ロゥロアの中では、彼等にあった記憶はない。ただ、彼等の肌の色と独特の装束から、彼等が自分と同じダルタニア出身の者達であることは分かった。年齢も性別もバラバラで、おそらくは出身部族も異なりそうな、そんな面々ではあったが、このエーラムにおいては珍しいダルタニア人達に囲まれて、ロゥロアは懐かしさと困惑で頭の中がグチャグチャになる。すると、その中の一人の男性が彼女に声を掛けた。

「私達はいずれも、元はダルタニアの自然魔法師でした。しかし、ミルザー・クーチェスとの戦いに敗れて、祖国を追われ、生き場所を無くした我々は、同郷のバリー殿を頼り、エーラムへと亡命したのです」

 この段階で、ロゥロアは概ね状況を理解した。現ダルタニア太守ミルザーの方針に対して反発した勢力が次々と滅ぼされたという話は聞いていたし、その一部がエーラムに亡命していたとしてもおかしくはない。そして、バリーは確かにダルタニア出身であり、そしてバリーとメルキューレは(専門も性格も全く異なるが)なぜか昔から盟友として知られており、かつては新型アーティファクトの共同開発をした仲でもある、ということはロゥロアも聞いたことがある。おそらくは、バリー経由でメルキューレの企画への「助っ人」を依頼されたのであろう。
 ロゥロアは複雑な表情を浮かべながら問いかけた。

「皆さんは、私が今回の企画に当選したから、それで集められた、ですか? 少しでも私の気を楽にしよう、という先生方の配慮で……?」
「いえ、逆です。私達が協力することは最初から決まっていて、その上で、立候補者の方々の中から誰を艦長に迎えたいかと話し合った結果、満場一致でロゥロア様になりました」

 それに対して、別の男性が付言する。

「多分、ロゥロア様は覚えていらっしゃらないでしょうけど、俺、昔、ロゥロア様の御実家に程近い小さな集落の出身で、ロゥロア様の笛の音をよく聞いていたのです。俺の他にも何人か、ロゥロア様のことを知ってる人がいて、『あんな美しい音色を奏でる人が、悪い人である筈がない!』って言ったら、皆も賛同してくれたんです」

 男性は熱意を込めてそう語るが、まだ音楽に関しては(復活への糸口は掴んだものの)完全復活とは言えない状態のロゥロアとしては、少々耳が痛い。ただ、実質ほぼ初対面とはいえ、一部は自分のことを知ってくれている人々が協力者というのは、確かに心強かった。ちなみに、彼等の中には「自分の魔力を他人に渡せる魔法」が使える者や「魔法で機会を操りう能力に長けた者」もおり、それらもまた彼等が今回の協力者に抜擢された重要な理由であった(なお、いずれも異世界「ラクシア」からの投影体が彼等に伝えた技法であるらしい)。
 ロゥロアは事前に渡されたマニュアル通りに、魔法杖に魔力を込めた上で、司令室の一角にある該当装置にその魔法杖を指し、そして皆に大声で告げる。

「そ、それでは皆さん……、紫の錬成魔法学部に向けて、は、発進……、です!」

 さすがにぎこちない様子ながらも、ロゥロアがそう叫ぶと船員達のテンションは急上昇し、彼女達を乗せた「五丈」は、浮上を始める。ブリッジの側面には周囲の映像が映し出され、オペーレーターが達が周囲の状況を確認しながら、慎重に進軍する。何人かの乗員達がロゥロアに対して自身の魔力を供給することで、ロゥロアの気力は保たれてはいたが、それでもかなり激しい速度で消耗していることは分かる。

(やっぱり、なるべく早目に到着した方が安全、です。少しスピードを上げるべき、でしょうか……?)

 彼女がそんな考えを巡らせる中、オペーレーターの一人が通達する。

「前方にポイズンミストが発生しました。おそらくこの船には直接影響はありませんが、中にいる我々のところにまで侵食する可能性があります」
「で、では……、迂回して下さい、です」
「艦長、右側に迂回した場合、あちらの射石砲の射程範囲内に入る可能性が高いです。左側の方には光線鏡が……」
「それなら、上、です! 上方からならきっと……」
「ポイズンミストを確実に避けようと思うなら、かなり急上昇する必要があります。当然、エネルギーも消費しますが、それでも行きますか?」
「え、えーっと……」

 ロゥロアは判断に悩む。逆に低空飛行に切り替えるという道もあるが、その場合、おそらく火炎瓶を持って待ち構えている錬成魔法師達の標的となるだろう。どの道を進んだとしても、この船ならある程度までは耐えられそうだが、確実だと言える根拠はない。

「艦長、この船には数多くの戦闘艇が配備されています。それらを出撃させれば強行突破も出来ますが、どうしましょう?」

 確かに、この船の性能を披露するという今回の企画の趣旨を考えれば、それが正解なのかもしれない。ただ、もし万が一、やりすぎて錬成魔法学部の先輩達に深手を負わせることになったら申し訳ないい、という気持ちもあり、ロゥロアは躊躇していた。
 だが、ここで彼女は「あること」に気付く。

(そういえば、「私が魔法を使うこと」は禁止とは言われてないです)

 当然、その分の魔力を消費するため、その選択肢は諸刃の剣ではあるのだが、ロゥロアはそれが一番穏便にこの状況を解決する道であるように思えた。
 彼女は操縦士に「下降」を命じ、そして地上で待機している魔法師達に対して、渾身の力を込めたスリープの魔法をかける。

「スリープの方が射程は長い、です!」

 さすがに上級生だけあって、その魔法で完全に眠らせるところまでは至らなかったものの、彼等の集中力を乱すことには成功し、彼等の投げ込む火炎瓶によるダメージを最小限抑えることに成功する。
 こうして、どうにか途中の妨害工作を突破し、「五丈」は無事に紫の錬成魔法学部の屋上へと到達する。すると、そこにはいつの間にか、アルジェントとメルキューレ(とキリコ)が立っていた。

「最低限の損傷での到着だな。見事な判断だ」
「おめでとうございます。そして、お疲れさまでした」

 二人はロゥロアにそう告げてると、ロゥロアはメルキューレに、ここまで皆の手で受け継がれてきた魔法杖を手渡し、無事にこの日の試乗会は幕を下ろす。中央広場では観客達の拍手の苔が鳴り止まぬ中、ロゥロアは二人に改めて一礼した上で、色々な意味での「恩人」であるバリーにも「伝えるべき言葉」を伝えるために、音楽ステージが開催されている大講堂へと足を運ぶのであった。
 ロゥロア・アルティナス。10歳。いつか彼女が本当の意味で自分の「音」を取り戻した時、彼女にとっての「時」は再び動き出す。

 ***

 企画終了後、それぞれの機体はアルジェントとメルキューレが二人がかりで回収し、参加者達はそれぞれの到着時点からまたそれぞれに次に行きたい企画へと向かう。そんな中、ルクスは青の召喚魔法学部の屋上で、一人(正確には、きいろのおーさまと共に)風を感じながら、のんびりとくつろいでいた。

「気持ちいいのだ。ちょっと疲れたけど、おーさまと一緒に空の旅が出来て、楽しかったのだ」

 ルクスはおーさまに語りかけるが、おーさまは何も答えない。それでも、ルクスは満足そうな笑顔を浮かべていた。そんな中、唐突にルクスは眠気を感じ始める。

「んーーーー、ちょっと気力を使いすぎたのかもしれないのだ……、やっぱり、そにっくぶーむは疲れたのだ……」

 そう呟きつつ、彼女が意識を失いかけた瞬間、彼女の周囲で空間の歪みが発生し始めるが、その直後に再びカルディナが現れ、その空間に対してカウンターマジックの魔法をかける。

「エト! 今すぐ、こいつをこの場から連れ去れ!」

 カルディナがそう叫ぶと、上級から「巨大なフクロウ」 出典 が急降下して来る、その首の部分には「籠」がぶら下げられ、その中にエトは入っていた。

「ルクスちゃん!」

 フクロウが地上すれすれまで降りてきたところで、エトは手を伸ばし、既に意識が朦朧としたまま倒れようとしてたルクスを両手で抱えて、そのままフクロウと共に再び大空へと舞い上がっていく。
 それに対して、再びルクスの周囲で「何らかの混沌の作用」が起きようとしていたが、それもまたカルディナのカウンターマジックによって封じられていた。

「まさか我が師のみならず、あなたまでもが介入してくるとは。どういう風の吹き回しですか?」

 その声と共に、それまで姿を消していた「左右の瞳の色が異なる魔法師」が、ゆっくりとその姿をカルディナの前に現した。

「楽しいことを邪魔されたら、腹が立つだろう? それだけのことだ。あのメルキューレがどんな余興を見せてくれるか、私はそれなりに楽しみにしていたからな」

 カルディナは、先刻のリレー中における「謎の投影体の出現」はこの男の仕業であろうことは察していたし、この男もまた、それを邪魔したのがカルディナであろうことは気付いていた。

「しかし、今はその『楽しい余興』も既に終わった筈です」
「私に隠れて幼女と一緒に楽しそうなことされるのも、それはそれでムカつくんだよ。お前、あいつに何をするつもりだった?」
「ちょっと『お話』を聞きたかっただけなのですがね……。まぁ、今回は退散しましょう」

 そう言って、再びその男は姿を消した。カルディナは溜息をつきつつ、既に「巨大フクロウ」が完全に視界の外にまで飛び去ったことを確認した上で、大講堂に視線を向ける。

「さて、ウチのバカ娘のステージでも、見に行ってやるか」

 ***

「あれ、『ウタカゼ』の『乗りフクロウ』にやないか?」

 ルクスと同じように橙の元素魔法学部の屋上で余韻に浸っていたゴシュは、遠くの空を飛んでいるフクロウを眺めながら、そう呟く。

「いや、そんな筈ないわな。そもそもウタカゼのフクロウは、コビット族を乗せとるから大きく見えるだけやもんな。別に大きさ自体は普通のフクロウと同じ筈やし……」

 それでもゴシュがそう思ってしまったのは、そのフクロウの「首掛け籠」の形状があまりにも『ウタカゼ』(のサプリ)に掲載されていたイラストとそっくりだったからである。なお、その籠の中に乗っているのがエトとルクスだということまでは(さすがに遠かったので)分からなかった。

「ええなぁ……、なんか、ああいうの見てたら、またもう一度、空飛んでみたくなったわ」

 先刻の飛行時の感触を思い出しながら、ゴシュは遠い空の向こうへと思いを馳せる。

「いつか、もっと魔法を極めて、もっと長く、高く、遠くまで飛べるようになったら、『あの人』のおるところまで行けるんかな……」

 ゴシュ・ブッカータ。10歳。かつて出会った神格との再会を、今も彼女は願い続ける。その想いが叶う日は訪れるのであろうか。

 ***

「今日の試乗会、とても楽しかったです。ありがとうございました」

 マチルダは企画の撤収作業を手伝いながら、メルキューレに笑顔でそう語る。それに対して、メルキューレはふと気になっていたことを問いかけた。

「静動魔法学部の近くに出現したあの盾は、どれも一撃で壊せる程度の強度だったから、レーザーガンを使わなくても突破は出来た筈です。私は、レーザーガンは精神への負担が大きいから、あまり使うことはお勧めしないと事前に伝えた筈ですが、なぜ打ったのですか?」
「正直なところを申し上げると、今の私では、体当たりで倒せる敵なのかどうかは見極められませんでした。だから、より確実な方法を選んだのです」
「しかし、その結果として魔力を使い果たしてしまったら、たとえば到着した先で治癒魔法を使うことも出来なくなる筈です。そこまで考えていたのですか?」
「仰る通りです。でも、今回の私の任務はあくまで『魔法杖を届けること』でした。もし、到着した先で誰かを治療するという任務が課せられていたのなら、また別の選択肢を考えていたでしょう」

 これはマチルダの言っていることの方が明らかに正論である。メルキューレの方が勝手に「マチルダがこの試乗会に参加したのは、キュアライトウーンズの試験の時に自分が言った言葉を気にした上で、『遠距離にいる複数人』を同時に助ける方法を探すためではないか」という「余計な想定」に基づいた先入観で話しているだけのことであって、今回の試乗会におけるマチルダの行動は、純粋に一企画における一操縦者として、決して何も間違ってはいない。

「確かに、そうですね……。すみません、先日の試験の時、私も少し言い方が悪かったかもしれない、と反省していたので、それで、私の勝手な思い込みをあなたに押し付けてしまったのかもしれません」

 メルキューレがどんな思い込みをしていたのかはマチルダには分かる筈もなかったが、前半の部分に関しては、彼女はキッパリと否定する。

「あの試験の時に言われたことは、今でもその通りだと思っています。私のことを心配した上で仰ってくれた言葉だということは分かっていますし、そのことは今でも感謝していますから」

 彼女が笑顔でそう語ると、どうやら彼女に嫌われている訳ではないらしい、ということが分かったメルキューレは、一通りの撤収作業が終わった時点で、彼女にこう告げた。

「あなたがあくまでも『治癒師』としての道を志すなら、もし良ければ『錬成魔法学部』に進む道も考えてみて下さい。直接的な治癒魔法を使うことだけが治癒師ではありません。私の直属の門下生にも、薬品調合の専門家として契約魔法師を務めている女性はいます。豊富な知識を生かして薬を作り出すことで、より多くの人々を救えることもあるということを、あくまで一つの選択肢として、で結構ですので、考えてみてもらえると嬉しいです」

 メルキューレはそう告げた上で、彼女の前から去って行く。そんな彼の背中を見送りながら、マチルダは改めて、自分の目指すべき道に関して色々と思いを巡らせるのであった。
 マチルダ・ノート。13歳。求めた才能に恵まれなかった不遇な少女が最終的に選び取るのは、果たしてどんな道なのであろうか。

4、ステージ企画

 エーラムの中心部に位置する大講堂は、この街を象徴する建物である。だが、数年前にこの大講堂の演壇にて、当時の世界を二分していたハルーシア大公シルベストゥル・ドゥーセとヴァルドリンド大公マティアス・クライシェが、突如現れたデーモンロードに惨殺される「大講堂の惨劇」が起きて以来、不吉な未来を象徴する建物として認識されるようになり、この地で大規模な催し物が開かれる機会は激減した。
 そんな中、今回の学園祭では学生主体の様々な企画のためにこの建物が開放されることになり、久しぶりに多くの来訪者で賑わっている。とはいえ、当時の惨劇を目の当たりにしていた多くの者達にとってはトラウマを呼び覚ます地でもあるせいか、今回の出場者は、比較的最近になってエーラムに加わった教養学部の学生達が中心であった。

「お集まり頂いた皆方、どうか本日は、学生達のフレッシュかつエネルギッシュな演奏を楽しんでいって下さい!」

 高等教員のバリー・ジュピトリス(下図)がそう宣言すると、まずは彼の所属するジュピトリス一門の面々による管弦楽団による開会の演奏が会場内に響き渡る。
+ バリー
 観客達がその演奏を聞き入っている中、教養学部の中でも「最年少組」に相当する カペラ・ストラトス は、会場内の最後列で、その豪奢で柔らかな髪を揺らしながら、一人ぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

(ひとがいっぱい……、おんがくはきこえるけど、まえがみえない……)

 音楽ステージを観覧するために大講堂を訪れたものの、大講堂内には基本的には立ち見席しか存在しないため、小柄な彼女の身長では「人の背中」しか見えない。そんな中、彼女が困っているその様子に気付いた者がいた。

「お、カペラ! どうした? ステージが見えないのか?」

 そう言って声をかけたのは、以前に彼女と一緒に「秘密基地」を作ったカイルである。その左肩には、その秘密基地の守護神(?)でもあるヘカテー(下図)がちょこんと座っていた。
+ ヘカテー
 研究発表を終えたカイルは、後夜祭での花火打ち上げの準備のために一旦秘密基地に帰ったところでヘカテーと遭遇し、彼女から「音楽ステージを見に行きたいから、連れていってほしい」と頼まれたのである。さすがに大講堂の惨劇という前例があるため、この会場への入場に関しては色々と規制が厳しく、「エーラムの正規の学籍がある者」および「その友人」以外の入場は許可されないため、カイルの同伴が必要だったらしい。

「かみさまも、おんがくがすきなの?」
「そこまで造形が深い訳ではありません。ただ、どうやら『私の加護を受けた者』が楽曲を披露するらしいので、聞いてみたくなったのです」

 カイルの肩の上からヘカテーがそう告げると、いつもは自分よりも低い位置にある彼女の目線が、今はカイルと変わらない位置にあることが羨ましく思えた。

「ねぇ、カイルさん、わたしのせたけじゃみえないの。だっこしてほしいわ!」
「おぉ、いいぜ!」

 そう言ってカイルはカペラを両手で抱え上げるが、カイルもそこまで背が高い訳ではないので、これでもステージを見るには少々厳しい。そこで、ヘカテーが二人に提案した。

「いっそ、肩車した方が良いのではないでしょうか?」
「え? でも、そしたらヘカテー様が……」
「こうすれば、良いでしょう?」

 ヘカテーはそう言って、「カイルの左肩」から、そのカイルの両手に抱かれているカペラの頭上へと移動する。カペラにしてみれば、突然頭の上にリスに飛び乗られたような感覚であった。

「あぁ、なるほど。それじゃあ……、よいしょっと!」

 カペラの頭上にヘカテーが載ったまま、カイルはカペラを肩車する。ただ、さすがにこの状態になると、ヘカテーもバランスを取るのが難しいようで、少しフラつき始める。

「おぉっと……」
「だいじょうぶ? わたしがだっこしようか?」
「……お願いします」

 ヘカテーがそう答えると、カペラは「カイルに肩車された状態」のまま、ヘカテーを自分の手元で抱きかかえる。こうして、どうに体勢が落ち着いたところで、オープニングの楽曲が終わり、次の奏者が準備を始めるタイミングで、また新たな客が入口から入ってくる。その中に、カイルは見覚えのある人物がいた。

「あ、ミラさん!」

 屋台の商品を売り切ったミラが、最年少のエリカを連れてステージを見に来たのである。他の子供達はそれぞれ自由に学内を散策しているが、エリカだけは先刻の迷子の件があったため、ミラに同行させることにしたらしい。

「あら、カイルくん。あなたも小さい子の面倒見てるの。偉いわね」
「いや、まぁ、その、なりゆき、というか……」

 実際、カイルはマイペースなように見えて、なんだかんだで面倒見が良い。そんなところも、ミラからの評価が高い一つの理由なのだろう。
 そして、ミラはカペラの手の中にいるヘカテーの存在にも気付く。

「ヘカテー様、先日は私の呪いを解いて下さり、あり……」

 そこまで言いかけたところで、ミラの隣にいたエリカが声を上げる。

「あー! お人形さん!」
「いや、エリカ、あの方はお人形さんじゃなくて……」
「わたしがさっき広場で見たお人形さん! あの子だよ!」

 先刻、エリカは友達とのお使いの途中で「ちっちゃいお人形さん」が歩いているのを追いかけようとして、迷子になったと言っていた。

「あぁ、確かに先程、私の眷属の三人が経営する屋台の様子見のために、中央広場には行きましたが……、その時に見られていたのですね……」

 ヘカテーはなるべく人目につかないようにこそこそと移動していたつもりだが、幼女の目線からは「ちょうど見やすい位置」にいたらしい(ちなみに、彼女は三姉妹の店だけでなく、ユタの様子も見に行っていたのだが、そのことは言わなかった)。

(まぁ、確かに、何も知らないエリカから見れば「小さいお人形さん」にしか見えないわよね)

 ようやく気になっていた疑問が解けたことで、少しすっきりした様子のミラは、カイルの隣でエリカを肩車しつつ、演壇に視線を向けるのであった。

 ***

 その後も、次々と様々な学生達が演奏を披露していく中、やがてメル達に順番が回ってくる。

「緊張するな……、初めて人前で演奏するのが、こんな大ステージになるなんて……」
「大丈夫だよ。ちょっとぐらい間違えたって、ちゃんと演奏すれば、気持ちは伝わるから」
「ここまで来たら、あとは運を賽に任せるだけ」

 三人がそう語る中、直前の組の演奏が終わり、ステージが一旦、暗転する。

「さぁ、続きましての登場は、今回の学園祭のためだけに結成された異色の3ピース・ガールズバンド『TMR』です。全く異なるバックグラウンドを持つ三人が生み出す、今日この日だけの特別な化学反応(ケミストリー)を、どうかご堪能下さい!」

 バリーが観客に対してそう語っている間に、三人は足早にステージへと向かう。

「確か、聞いていた順番だと、次はツムギちゃんの出番だった筈だから、きっと『T』はTsumugiちゃんの『T』ね」
「『M』はおそらく『Mer』のことでしょう。『今の私』が初めて加護を受け授けた子です」
「わたしもそのひとしってる! かにのから、わってくれたの!」
「ってことは、『R』も誰かのイニシャルか……、Riviera? Rochelle?」

 ミラ、ヘカテー、カペラ、カイルの四人がそんなことを話しているところで(なお、ロゥロアは「L」である)、ステージに光が灯される。そこに現れたのは、拡声器を持ったツムギ、ウクレレを持ったメル、そして、左手に本、右手にハーモニカを持ったラトゥナであった。
+ ラトゥナ

「あ! まぎかろぎあのひと!」

 カペラが思わずそう叫ぶ。ラトゥナがまだ「ラトゥナ」となる前、カペラはエトやロシェル達と共に彼女に学内を案内したことがあった(ただ、カペラは早目に帰ったため、命名の瞬間には立ち会っていなかった)。

「でも、あのひと、おんがくはよくわからない、っていってたのに……」

 ゴシュに楽器屋に連れていかれた時点では、彼女は確かにそう言っていた。だが、その後、 彼女の姉妹達 の中に音楽を司る者が二人いたことを思い出した彼女は、いつか妹達がこの世界にオルガノンとして出現した時のことを想定して、後日一人でその楽器屋に行って、(彼女は自分の本体であるルールブックを手放すことが出来ないため)「片手で演奏出来る楽器」としてハーモニカを紹介してもらい、密かに練習していたのである。
 もともと『マギカロギア』には特技の六分野の中に「歌」が含まれていることもあり、ラトゥナにはそれなりに音楽の素質は備わっていた。そして、徐々に演奏技術を身につけていくにつれ、いずれどこかで演奏を披露してみたいと考えていたらしい。
 この三人はいずれも、つい最近エーラムに来たばかりの面々であり、学内でもあまり知られた存在ではない。そこで、まず最初にツムギが簡単に挨拶することにした(本来ならこのバンドの「リーダー」はメルなのだが、口下手な彼女はその役をツムギに委ねたのである)。

「はじめまして。TMRのボーカルのツムギです。こっちはウクレレ担当のメルちゃん、そして、ハーモニカ担当のラトゥナさんです。今から演奏するのは、メルちゃんの故郷の舟歌のメロディに、私の故郷の詩を乗せて、ちょっと色々アレンジした曲です。聞いて下さい。椰子の実」

 彼女がそう宣言すると、メルがウクレレで「潮風」をイメージさせるようなコードを奏で始め、そこにラトゥナがどこか懐かしさを感じさせるようなハーモニカの音色を重ね、会場全体がその世界観に包み込まれたところで、ツムギの歌声が響き渡る。

名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ故郷(ふるさと)の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月

旧(もと)の木は生(お)いや茂れる 枝はなお影をやなせる我もまた渚を枕 孤身(ひとりみ)の 浮寝の旅ぞ

実をとりて胸にあつれば 新たなり流離の憂海の日の沈むを見れば 激(たぎ)り落つ異郷の涙

思いやる八重の汐々 いずれの日にか故国(くに)に帰らん

 それは、ツムギの故郷の街から程近い片田舎の半島の先端に流れ着いた椰子の実をモチーフにした詩であり、唱歌としても有名な曲である。今回は、あえてそれを全く異なる旋律に乗せることにしたため、最初は微妙に歌い方で混乱することもあったが、最終的には「他のどの世界にもない、この世界にしか存在し得ないオリジナル楽曲」として完成に至った。
 海に揺られて遠い異国へと辿り着いた椰子の実、というモチーフは、ある意味、投影体としてこの世界に辿り着いたツムギやラトゥナの魂とも重なり合うテーマであり、海育ちのメルにとっても、今の自分の境遇に重ね合わせられる歌詞である。そして、それは故郷から切り離される形でこのエーラムへと集められた多くの学生達にとっても、心に深く染み入る郷愁の楽曲であった。

(いずれの日にか故国に……、帰れるのかな……?)

 歌い終えた瞬間、ツムギはそんな気持ちに至り、一瞬だけ複雑そうな表情を浮かべるが、その直後に観客から盛大な拍手が沸き起こり、すぐに笑顔に戻り、手慣れた様子で観客に手を振る。そんな彼女の後ろ姿に対して、メルは心の中で深く感謝する。

(ありがとう、ツムギさん……、あんたのおかげで、アタシ、少し自信が持てたよ。どうにかこのエーラムでも、やっていけそうだ)

 メル・ストレイン。12歳。港町から山国へ流れ着いた小さな椰子の実は、いずれこの地で大輪の花を咲かせることになるであろう。

 ***

 その後も音楽ステージは大盛況のまま幕を閉じ、続いての「演劇ステージ」が始まる前に、観客は「総入れ替え」となる。中には複数のステージを見たい人もいるだろうが、大講堂の広さも無尽蔵ではないため、原則として「観覧は一人一ステージまで」とされていた(もっとも、それなりに熟練の魔法師達にしてみれば、いくらでもごまかす方法はあるのだが)。

「あの『椰子の実』の子達は良かったね。まだ拙さはあるが、三人とも将来有望だ。」

 大講堂から出たアレクシスは、笑顔で側近の騎士達にそう語る。

「ですが、三人のうちの二人は投影体で、残りの一人もまだ入学して間もない学生とのことですので、契約魔法師の候補としては、いかがなものかと」
「別に、魔法師としてでなくてもいいよ。いずれ王宮に楽士として招くことが出来るなら、それでもいい。その時はまた、ハルーシアでは聴けない音を聴かせてくれそうだ」

 そんな彼等の様子は、同様に大講堂から出てきたカイルやミラ達の目にも映る。

「あ、ミラさん、あの人、さっき俺の研究報告に興味を持ってくれてたんですよ」
「……カイルくん、あの人が何者か、分かってる?」
「なんか、どこかの大貴族の人じゃないか、ってリヴィエラは言ってましたけど」
「うん、あの、後でゆっくり教えてあげるね……」

 先刻ビートから聞かされていたとはいえ、カイル本人の口からはっきり伝えられたことで、ミラは改めて事態の重大さを痛感する。
 一方、別の方向から、カイル達に対して声をかけてくる者がいた。ツムギである。

「あ、カイルくん、ミラさん、聴きに来てれて、ありがとう!」

 彼女はステージを終えた後、メルやラトゥナと一旦分かれて、それぞれにステージ上から見つけた知人達に対して、挨拶に回っていた(なお、さすがにメルはヘカテーの姿までは見つけられなかったらしい)。

「おぉ、すごく良かったぜ」
「素敵な歌声でしたよ」

 この二人は、ツムギとは修学旅行と魔法修得合宿で同行した仲であった。そして、ここでカイルの足元にいたカペラもまた、ツムギに語りかける。

「あなた、ちきゅうのひと、なのよね?」
「そうよ。私はツムギ・ストレイン。よろしくね」
「わたしはカペラ。あのね、わたし、かにのむらにいったときに、あなたとおなじ、ちきゅうからきたおんなのこにあったの」
「え!? それって、どんな人だった!?」

 もしかしたら知人かもしれない、と思ったツムギは、やや食い気味に問いかける。

「あなたとおなじくらいのとしで、かわいいこえで、おほしさまのうたをうたってくれたの。なまえは、アカリさん」

 残念ながら、ツムギの知り合いにその名前を持つ者はいない。ただ、その名前に心当たりは無くもなかった。

(まさかとは思うけど、『名古屋八八プロジェクト』の不知火灯ちゃんじゃないわよね……?)

 それは、彼女の地元のローカルアイドルグループである。とはいえ、「アカリ」という名前自体は彼女の故郷では珍しい名前ではないので、それだけで特定には至らない。

「そう……、ありがとう。いつか私も、その子に会ってみたいな」
「あのひとも、そういってた。こんどは、あなたがうたう『おほしさもうた』もきいてみたいわ」
「お星様かぁ……、『流星ロケット』……? あ、いや、むしろ『星降る夜になったら』かな?」

 ツムギは過去にライブで実際に歌った楽曲を思い出しつつ、「いや、でも、どっちもあんまり小さな子に聞かせる歌じゃないかも?」などという想いもよぎり、選曲に迷い始める。そんな彼女に対して、カペラは「たのしみにしてるわ」と言って笑顔を浮かべていた。
 カペラ・ストラトス。9歳。汚れを知らない彼女の微笑みは、様々な闇を抱えるこの地の住人達にとって、貴重な清涼剤であった。

 ***

 その後、再び皆と合流した上で諸々の機材の後片付けをしていたツムギに対して、今回のステージの総責任者のバリーは語りかける。

「ツムギ君。前から思っていたんだが、異世界音楽研究会に入らないか? まぁ、君にとっては、この世界の方が『異世界』なのだろうから、ちょっと違和感があるかもしれないが」
「うーん……、今回はメルちゃんが『一緒に演奏してくれる人がほしい』と言ってたから参加したんですけど、やっぱり、あんまり小さい子達の中で出しゃばるのは、ちょっと……」
「あ、いや、異音研の構成員は、別に教養学部の子達だけじゃない。普通に高等学部の学生達もいるし、何なら僕以外にも教員の参加者もいる。だから、そんなことは気にしなくていいよ。そもそも、音楽を楽しむのに、年齢とか考える必要もないだろう?」
「まぁ、それはそうなんですけどね……。とりあえず、考えておきます」

 ひとまず今の時点ではそう答えるに留めた上で、ツムギはひとまず荷物の整理を終えて、ふと窓から外を眺める。すると、そこではカイルが大きな荷物を持ってどこかへ向かおうとしている姿があった。

(あぁ、そういえばあの子、花火を打ち上げるって言ってたっけ……。この世界で花火を作るのは難しいらしいけど、うまくいくといいな……)

 ツムギはそんな想いに浸りつつ、ふと、地球にいた頃にステージで歌った「花火を題材とした楽曲」を思い出し、無意識のうちに小声で呟くように歌い始める。

「きーみーがーいたなーつーはー、とおいーゆーめーのなかー……」

 彼女がその歌に、どんな思いを込めているのかは分からない。一説によれば、投影元の世界においては、自分が投影体としてアトラタンにいる時の状況を「夢」で見ることもあるという。地球で暮らしている「唄代紬」の夢の中に、「ツムギ・ストレイン」のこの歌は届いているのだろうか。そして、いつの日か「ツムギの心」と「紬の心」が交わる日が訪れるのであろうか。
 ツムギ・ストレイン。18歳(投影体年齢は0歳)。遠い夢の中をさまよう彼女の物語の終着点は果たしてどこにあるのであろうか。

 ******

 それからしばらくて、大講堂の特設ステージは「音楽用」から「演劇用」へと切り替わり、高等教員のフェルガナ・エステリア主催の舞台劇「異世界勇者と白銀の車輪」の看板が入口に掲げられることになった( 出典 )。
+ フェルガナ
 今回の舞台は、フェルガナが持っていた異世界に関する蔵書の中から、学生達の間で「舞台として使いたい世界」を選び、そしてその世界における冒険譚を学生達自身の手で書き下ろしたらしい。その中心メンバーの一人であったアツシが、会場の前で活弁士のように観客を煽る。

「さぁさぁ皆さん、これから始まる大舞台! 異世界から召喚された若き勇者は、悪の魔導師を打ち倒し、麗しの巫女を救い出すことが出来るのか!? 次回、勇者か……」
「ネタバレするな!」

 後ろから現れたフェルガナが異界のハリセンでアツシの頭をはたきつつ、そのまま何処かへと連れて行く。なお、アツシは大道具役として参加しているが、舞台には立たないらしい。一説によると、当初の構想ではアツシを主演にする予定だったらしいが、「舞台上でふざけすぎるから」という理由でクビになったという噂である。

「私、演劇とか見たことないので、楽しみです♪」
「僕も、こんな大きなステージの演劇を見るのは初めてだよ。今のアストロフィには、そういう楽しみに力を割く余裕がないんだ」

 カロンとヨハネスは、大講堂の入場列に並びながら、そんな会話を交わしていた。最初の頃は緊張気味だったカロンも、様々な企画を回っているうちに、徐々に自然体でヨハネスと会話が出来るようになっていた(なお、その背後にはベルとパレットの姿もあったが、その存在すらもあまり気にならなくなっていた)。

「ところで、この主演の人は、名前からして、君と同じ一門の人なの?」
「はい。と言っても、ストラトス一門は人数が多いので、そんなに親しい訳ではないすけど、ただ、あんまり演劇とかやるような人だとは思ってなかったので、ちょっとビックリしてます」

 その少し後方には、クリストファーとジュノの姿もあった。

「いやー、楽しみだなぁ。異世界冒険モノらしいけど、どんな世界なんだろうな」
「聞いた話だと、この世界とそんなに大きくは変わらないらしいわよ。ただ、なんか色々な種族の人達がいるらしいけどね」
「それって、色々な異世界から色々な種族が集まってる、ってことか?」
「うーん、詳しくはよく分からないけど、ただ、この話の主人公の『アーシアン』っていう種族は、異世界というか『地球(アース)』から来た人らしいわね」

 なお、初期の段階でアツシ主演構想があったのも、「アツシが一番アーシアン(地球人)っぽいから」という理由だったらしい(実際、彼は「元地球人の神格」の投影体なので、あながち間違いではなかった)。
 また、更にその後方には、先刻クリストファー達と一緒に脱出ゲームをクリアしたジュードとシャリテも並んでいた。なお、会場内には狼の姿でも入れなくはないが、やはり場所を取ってしまうという理由で、今回も「ロシェル」の姿を借りたままである。

「この世界の演劇って、どんなカンジなのかしら?」
「多分、地球の演劇とそんなに変わらないと思いますよ。当初の方針は、フェルガナ先生が舞台装置とか色々準備してくれる予定だったのが、最終的には殆どそういったものは使わずに、『ダンボール』という地球産の素材を使ってセットも作ったみたいですし」
「正直、こっちの世界でダンボールを見ることになるとは、私も思わなかったわ……」

 そして最後列には、エマ・ロータス(下図)の姿もあった。
+ エマ

(はぁ……、予想はしてたけど、やっぱり、学園祭って、カップルで回ってる人が多いのね……。というか、この演目も、異世界冒険モノって書いてはあるけど、なんだかんだで恋愛要素もあるみたいだし、そうなるとやっぱり、カップルで見たくもなるわよね……)

 周囲のそんな空気に少しだけ憂鬱な気分になりつつも、エマは先日の病床の際に「彼」から貰ったメッセージカードを見ることで、心を落ち着けようとする。そこに書かれていたのは以下のような内容であった。

「体調が治ったら、また二人で遊びに行こう。そして、もし無事に文化祭が開催されることになったら、演劇ステージに出るから、観に来てほしい。それが終わったら、一緒に色々回ろう」

 まだ彼からの「返事」を正式に貰っていないエマとしては、心のどこかで微妙に不安な気持ちはあるものの、舞台に立つ彼の姿を想像して、思わず表情が緩む。

(ロウライズさんの勇者姿……、カッコいいんだろうなぁ……)

 ***

 入場が完了し、皆の期待が高まる中、舞台が暗転した状態のまま、 ロウライズ・ストラトス の台詞が会場内に響き渡る。

「どこだ、ここは!? 俺は、あの時……」

 次の瞬間、舞台の後方に、サイレントイメージで作り出された映像が浮かび上がる。そこにいたのは「巫女」の衣装を身に纏った(セレネの双子の妹の)ディアナ・アルティナス(下図)であった。
+ ディアナ

「ここはエリンディル大陸。あなたの住む世界とは、少しだけ違う世界……」
「どういうことだ? 俺は異世界に来たってことか?」
「勇者ユウキ・キヤマよ、聖剣クラウソラスと共に、どうかこの世界をお救い下さい」

 そして舞台に光が灯り、そこには一本の剣を手にしたロウライズの姿があった。そしてその周囲では「村人」に扮した演者達が取り囲んでいる。

「おぉ! 巫女様の予言通り、勇者様が現れてくれた!」
「これで世界は救われる! 」

 よく事態が把握出来ないまま、「ロウライズが演じる少年」が村人達に事情を問いかけると、どうやらこの「エリンディル」と呼ばれる大陸では、今、闇の魔導師ウィットフォードの手によって、危険な邪神を復活させられようとしているという。この村に住んでいた巫女のアリスはその危険性を人々に訴えていたが、先日、彼女はそのウィットフォードに攫われてしまった。どうやら、そのアリス自身が邪神復活の鍵を握る存在でもあるという。
 しかし、アリスは連れ去られる直前に「アーシアンの勇者ユウキが、聖剣クラウソラスを手にこの世界に現れて、この世界を救ってくれる」という予言を残していたらしい。そして、今の彼が手にしているのがその「聖剣クラウソラス」であると村人達は語っている。

「勇者ユウキ、か……。まぁ、そんな柄じゃないが、呼ばれたからには仕方ない。俺が救ってやるさ。世界も、彼女も」

 こうして、勇者ユウキの冒険物語が始まった。

 ***

 その後、勇者ユウキは様々な仲間達と出会い、多くの魔物達(ダンボール製)を斬り伏せつつ、遂に闇の魔導師ウィットフォード(下図)の前に対峙する(なお、演じているのは教養学部の最年長学生ケネス・カサブランカであった)。その傍らには、祭壇の上で倒れている巫女アリスの姿もあり、それは紛れもなく、冒頭で勇者の心の中に現れていた女性であった。
+ ウィットフォード(ケネス)

「アーシアンごときが、この私の崇高な計画を邪魔するというのか? 片腹痛いわ!」
「何が崇高な計画だ! お前にこの世界を、そして彼女を、好きにする権利なんてない!」
「貴様こそ、何の権利があってこの世界に介入している? この世界の未来はこの世界の人間が決める! 異世界人に口出しされる謂れなどないわ!」
「俺は彼女に、この世界を救ってくれと言われたんでね。それだけでも、介入するには十分な理由だろう」
「我が娘が、貴様のような蛆虫を呼び寄せたというのか? まったく、余計なことを……」
「娘だと!?」
「あぁ、そうだ。彼女の真の名はアリス・ウィットフォード。私の娘だ。そしてこれから、我が偉大なる神の復活の依代となる存在」
「貴様! 自分の娘を何だと思っている!?」
「親になったこともないような青二才が、知ったような口を叩くな!」
「あぁ、そうだな! もうお前相手に語るべき言葉はない。俺がこの手で全てを止めてみせる!」

 勇者ユウキがそう叫んだ瞬間、気を失っていたと思われた巫女のアリスが、唐突にすっと立ち上がる。

「アリス!?」
「バカな、お前の魂は、完全に眠らせておいた筈……。まさか……!?」

 驚愕する二人の前で、アリスは神々しい光を放ちながら、ユウキに対して何かを放つ。すると、ユウキの鎧もまたその神々しい光に包まれながら、「女神の鎧」へと生まれ変わった(なお、この演出はアツシの神格投影体としての力によるダンボールの加護の付与の効果である)。
 激情した様子で魔導師ウィットフォードは叫ぶ。

「こ、この光……、まさか貴様!? 我が娘の身体を既に乗っ取っていたというのか、アリアンロッド!」

 それは、この世界において「運命の女神」と呼ばれている存在の名であり、彼が蘇らせようとしていた邪神とは相対する存在である。

「いいえ、『私』は最初から、この世に『あなたの娘』として生を受けた時から、ずっと『私』です。あなたはそうとは知らずに、ただの人間『アリス』として育てていたようですが……」
「おのれ……! 謀れていたのは私の方だったというのか!?」
「さぁ、勇者ユウキよ、この魔導師を倒し、この世界をお救い下さい」

 彼女がウィットフォードを指し示しながらそう言うと、ユウキは聖剣クラウソラスを振りかぶって斬りかかる。それに対してウィットフォードは何か魔法を唱えたようだったが、その効果は神の鎧(ダンボール製)によって弾かれ、そして聖剣がウィットフォードの身体を貫いた。

「わ、私は諦めんぞ、何度転生してでも、必ずや我が大望を……!」

 そう叫びながら、ウィットフォードはその場に倒れる。そして「巫女アリス」こと「女神アリアンロッド」は、勇者ユウキの胸へとすっと身を寄せ、彼は両手で女神を抱き締める。

「ありがとうございます! 勇者ユウキ!」

 そのシーンを見た瞬間、客席のエマの中にはモヤモヤした感情が芽生えた。

(もし、私がヒロイン役に立候補してたら、私があの場にいられたのかな……? いや、うん、無理だよね。さすがにそれは押し付けがすぎるわ……。そもそも私、演技なんてろくに出来ないし。そんな私が、自分のわがままのためだけに舞台に立候補するなんて、そんなことしたら、今度こそ本当に嫌われちゃう……。ロウライズさんは、学園みんなことを考えてる人だもの。自分のわがままのために周囲を振り回す女なんて、受け入れてくれる筈ないわ……)

 エマが一人で勝手にそんな思考に陥っている間に、舞台では抱き合った状態のままの二人の会話が進んでいく。

「まさか、あんたが女神様そのものだったとはな。みんなが騙されてたって訳か」
「私の正体が知られれば、私の力を利用する者が次々と現れることになるでしょう。だから、隠さざるを得なかったのです」
「なるほど。まぁ、それは仕方がないな」
「でも、騙していたのは、私だけではない筈です」
「ん?」
「あなたも本当は、アーシアンではないのでしょう?」

 大団円と思われた展開の中で唐突に出てきたその台詞に、観客達の表情は一変する。

「あぁ、俺の故郷は地球じゃない。俺の本当の故郷はアトラタン。そして、俺の本当の名は、ロウライズ・ストラトス」
「あなたを最初に召喚した時の違和感から、なんとなく察してはいました。おそらくは私の『運命を変える力』が、あの男によってかけられていた闇の魔法によって捻じ曲げられてしまった結果、ユウキ・キヤマではなく、あなたが召喚されることになってしまったのでしょう」
「やっぱり、そういうことか」
「人違いだと分かっていた上で、それでも手を貸して下さったのは、どうしてですか?」
「まぁ、人違いだろうが何だろうが、世界が危機に陥ってるっていうなら、助けない訳にはいかないだろ? 女の子に助けてくれと言われて、助けない奴なんていないよ」
「私が『女の子』ではなく『女神』だと知って、失望しましたか?」
「いいや? 巫女だろうが、女神だろうが、あんたは一人の女の子だ。それは変わらない」

 そんなロウライズの台詞に、アリスことアリアンロッドは少しだけ頬を赤らめる(それが魔法による演出なのか、ディアナの素なのかは不明である)。

「最初は人違いだったとしても、あなたを呼び出したことは、やはり間違いではなかったようですね。でも……」

 アリアンロッドは寂しそうな顔を浮かべながら、ロウライズの腕の中からすっと離れつつ、彼に問いかける。

「……あなたにはきっと、『元の世界』に待っている人がいるのですよね?」
「なぜ、そう思う?」
「女神としての勘、です。それに、あなたのような素敵な方なら、きっと、あなたのことを想っている人が元の世界にいない筈がないですから」
「まさか、女神様からそのような言葉をかけてもらえるとはな……」
「でも、いるんでしょう?」
「あぁ……」
「分かりました。ならば私の力を用いて、あなたを元の世界にお還しします」
「出来るのか!?」
「えぇ。私は『女神』ですから。もっとも、この力を使えば、おそらく『今の私』は消滅します」
「そ、それは……」
「いいんです。私は女神ですから、もしこの世界に私の力が必要になったら、自然と『私』はまたこの世界に現れます」
「だが……、それは『今のあんた』とは違うんだろう?」
「厳密に言えば、そうですね……。でも、いいんです。『今の私』にとっては、今のこの瞬間が頂点ですから。これから先、ずっと『故郷の想い人』のことを考えて憂鬱な表情を浮かべるあなたの姿を見続けて生きるよりは、『来世』に期待する方が、私にとっては幸せな未来ですから」
「そうか……、じゃあ、頼む……」

 ロウライズがそう告げると、アリアンロッドの周囲に光が集まり、そして次の瞬間、舞台が暗転する。そして、寂しそうな彼女の声だけが響き渡った。

「さようなら、勇者ロウライズ……」

 ***

 唐突な展開に会場内がどよめく中、再び会場に光が灯る。舞台上にいるのは、ロウライズただ一人。その手には既に聖剣もない。その上で彼は、客席に向かって語り始めた。

「いままで応えられなくて、ごめん。俺には覚悟が足りていなかった。でも、君と会うたびに、分かったんだ。俺はエマに気持ちに応えたい。あの時、正面から思いっきりぶつけてくれた気持ちに!」

 そしてこの瞬間、客席のエマのところにライトの魔法が灯される。ロウライズは彼女の瞳をしっかりと見据えながら叫んだ。

「俺と、付き合ってくれッ!」

 これが、エマの「公開告白」に対するロウライズの返事であった。彼女が自分に対して示してくれた誠意と覚悟に応えるには、散々待たせてしまった以上、これくらいのことをしなければ釣り合わないと考えたのだろう。
 だが、エマにしてみれば、あまりにも大きすぎる、数倍返しの返答だった。

「な……」

 しばしの沈黙の後、ようやくエマは声を絞り出す。

「何やってるんですか!? ロウライズさん!」

 その返答は、誰も予想していなかった。ロウライズも一瞬戸惑いの表情を浮かべるが、エマはそのまま叫び続ける。

「あなたは、いつもみんなのために頑張ってる人じゃないですか! そんなあなたが、どうしてこんな、みんなで作り上げた舞台を無茶苦茶にするようなことをしちゃうんですか!? こんなの、私の好きなロウライズさんじゃないです!」

 エマはこう言っているが、実際のところ、これは別にロウライズが勝手にやっていることではなく、皆で話し合った上での演出であった。というのも、今回の舞台において、当初はロウライズは端役程度の協力の予定だった。それが、アツシが降板したことにより、ロウライズが主役に抜擢され(その理由には「TRPG経験があるから、演技も上手そう」というフェルガナの判断だった)、その時にロウライズは「舞台が終わった後で、観客の一人に対して公開告白する時間がほしい」と言い出したところ、それに対してアツシやディアナが「それなら、いっそ物語の中に組み込んでしまった方が盛り上がる」と言い出して、終盤の脚本が大きく書き換えられることになったのである。
 とはいえ、ロウライズにしてみれば、確かに自分のわがままに周囲を巻き込んでしまった自覚はある以上、弁明する気はなかった。

「あぁ、そうだな……。確かに、俺は変わってしまったのかもしれない。君と出会って、今までの俺ではなくなってしまった。それくらい、俺の中で君が特別な存在になってしまったんだ!」
「そんな……、私のせいで、ロウライズさんが私みたいな『空気読まない人』になっちゃったなんて……、私はどう責任を取ればいいんですか!」

 もはや何に対してキレているのかも分からなくなっているエマに対して、ロウライズは改めてきっぱりと宣言する。

「俺を狂わせた責任を取りたいというのなら、俺と付き合ってくれ! その代償として、俺は君を世界一幸せにしてみせる!」
「そんなの……、代償にならないですよ。だって……、だって……」

 体を震わせ、目を潤ませながらも、エマは満面の笑みで答えた。

「……私は、あなたと出会えた時から、もう既に、ずっと、今も、世界一幸せなんですから!」

 エマががそう叫ぶと、突然、彼女の足元から台座(ダンボール製)が出現し、彼女の身体が舞台と同じ高さにまで押し上げられる。そして、そこから舞台まで一直線の道(ダンボール製)が現れた。エマが一瞬の戸惑いを見せるものの、彼女の視線の先で、ロウライズが手を広げている姿が目に写る。

「エマ!」

 その声に吸い寄せられるように、エマは舞台への道(ダンボール製)を走り出す。

「ロウライズさん!」

 彼女はロウライズの腕の中に飛び込み、そして次の瞬間、舞台の幕が降りてくる。二人の顔がゆっくりと近付こうとする絶妙のタイミングで幕が二人の顔を隠したことで、会場内は、祝福の拍手と、囃し立てる口笛と、最後まで見せろというブーイングが入り交ざり、騒然とした雰囲気に包まれ(そんな中、一人の「喪服のようなドレスの女性」が無言で立ち去ったことには誰も気付かぬまま)、演劇企画は無事に終焉を迎えることになる。
 ロウライズ・ストラトス。14歳。「不特定多数の誰か」のために生きてきた彼が、初めて「特定の誰か」を見つけた瞬間であった。

 ***

「なんというか……、すごい舞台でしたね……」

 それがジュードの素直な感想であった。最後のインパクトが強すぎて、それまでの物語本編の内容が吹き飛んでしまった、というのが正直な実感であり、実際のところ、それは他の大半の観客も同様であった。
 一方、投影体であるシャリテは、物語本編の最後の展開が、少し引っかかっていた。

「私だったら、元の世界には帰らないかなぁ……」
「そうなんですか?」
「少し前までの私だったら、帰りたいって思ってたけど、でも今の私にはジュードがいるもの」

 どうやら「そういう文脈」の上での話らしい、ということを理解したジュードは、あえてそれとは異なる文脈から切り返す。

「それは『待っててくれる人』がいるかどうか、という違いでしょうね。もし、『今の僕』があの世界に転生することになったら、僕は迷わず帰りますよ。たとえ、邪神と取引してでも」
「そりゃあ、私だって、今から更にまた別の世界に行くなんて、まっぴらごめんよ。まぁ……、ジュードが一緒に行ってくれるなら、また話は変わってくるけどね」

 二人はそんな会話を交わしつつ、まだオーキス達の企画は終わっていないであろうことを想定して、今度は出店街の方に向かうことにした。

 ***

 一方、ジュノもまたクリストファーに対して、似たような問いかけを投げかけていた。

「ねぇ、クリス。あなたはずっと前から異世界に行きたいって言ってるけど、もし、あなたが『彼』の立場だったら、どうする? 帰る? 残る?」
「うーん、状況次第ではあるけど……、もし出来るなら、どこかまた別の世界に行ってみたいな」

 クリストファーのその答えに対して、ジュノは苦笑を浮かべる。

「きっとそう言うだろうな、って思ってたわよ。まったく、あなたって本当に、ただ好奇心だけで生きてる人なのね」
「好奇心をなくしてしまったら、人生なんて何も残らないだろ?」
「まぁ、そうかもしれないけどね。でも、新しいものだけに目を奪われてたら、他の大切なものが見えなくなることもあるわよ」
「どういう意味だ?」
「たとえば、あなたにとって『自分が誰かから大切に思われてること』は、大切なことではないの?」

 唐突なその問いかけに対して、クリストファーは戸惑う。

「うーん、他人にどう思われてるかって、あんまり考えたことなかったからな……」
「まぁ、あなたはそういう人よね。それに、あなたがそういう人だからこそ、あなたを大切に思う人もいるのかもしれない」
「さっきからお前、何の話をしてるんだ?」
「別にいいのよ。気付かないなら気付かないでも。私はクリスのそういうところ、嫌いじゃないから」

 思わせぶりなのかそうでないのかよく分からない言葉を呟きながら、ジュノは笑顔でクリストファーを見つめる。その笑顔の意味が何なのか、クリストファーにはまだ分からなかった。
 クリストファー・ストレイン。13歳。異世界渡航を夢見る少年は、いつかその夢が叶った時、その夢の先に何を見るのであろうか。

 ***

「演劇って、すごいんですね……」
「あぁ、うん……、僕も、こんなに感動的なものだとは思わなかった……」

 「一般的な演劇」の在り方を知らないカロンとヨハネスは、終盤の怒涛の展開に圧倒されて、少し呆けた様子で大講堂を後にする。そして、少し人通りの少ない場所まで移動したところで、ヨハネスは護衛の二人に目配せをすると、すっと彼等はヨハネスとの距離を取るように、後ろに下がる。
 そして、ヨハネスは改めてカロンにこう告げた。

「今日は本当にありがとう。楽しかったよ」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございました」

 猫のぬいぐるみと共に深々と頭を下げるカロンに対し、ヨハネスは寂しそうな顔を浮かべる。

「本当は、まだもう少しここにいたいんだけど……、僕は今から、アストロフィに帰らなきゃいけない。というか、本当は、もっと早く帰る予定だったんだけど、無理を言ってこの時間まで残ることにしたんだ。でも、そうして良かったと思う。君と一緒に学園祭を回れたことは、僕にとって、本当に大きな宝物だよ」
「そ、そんな、私はただ、自分の行きたいところに行ってただけで……」

 改めて恐縮した様子のカロンに対し、ヨハネスはふと問いかける。

「君は、卒業後の進路は考えているの?」
「今はまだ、卒業するために勉強することで精一杯で、そこまでは考えられません。私は才能がないので、人一倍努力しないと、みんなに追いつけないんです。でも、いつかは必ず、どれだけ時間がかかっても、私は『素敵な魔法師』になりたい、と思っています」
「うん。君なら絶対になれるよ。そして僕も、いつかきっと『素敵な魔法師』を側に迎え入れられるような『立派な君主』にるから」
「陛下、それって……」
「じゃあ、またね。君のことを待ってるから。バルレアで」

 ヨハネスはそう言って、後方に控えていたベルとパレットの元へと走り出す。そして、ベルとパレットはカロンに対して軽く一礼した上で、ヨハネスと共にカロンの前から去って行った。
 カロン・ストラトス。11歳。ひたむきな彼女の努力は、いつか多くの人々を笑顔へと導くことになるだろう。この日の彼のように。

 ***

 その頃、楽屋では、アツシが演者達に対して称賛の言葉をかけていた。

「いやー、みんな、良かったよ! 最高だった! 感動した!」

 何目線なのかも分からないような態度で、アツシはそんな「心がこもっているのかいないのか、よく分からない祝辞」を皆に投げかける。ただ、ここで彼は、いつの間にかロウライズの姿が消えていたことに気付いた。

「あれ? 我等が主役は何処に?」
「まぁ、ここから先は『二人だけの時間』にさせてあげましょうよ」

 ディアナがそう答えたところで、突然、楽屋の扉が開いた。

「そうだな。ロウライズ君は免除してやろう。だが、君達にはこれから『第二幕』に出演してもらう! ここで帰れると思うなよ!」

 その言葉の主は、エイミールである。

「あなた……、確か、セレネにプロポーズしたっていう、例の……」
「その通りだ! 我が義妹よ! さぁ皆、お色直しの時間だ!」

 彼がそう叫んだ直後、その楽屋にまた別の人物が現れる。

「おぅ、アツシ、いるか? 借りてたダンボール、返しに来たぜ!」

 ミラから各方面への配達役を頼まれていたダンテが、一通り全部届け終えたところで、空箱になったダンボールを届けに来たようである。

「いいところに来たな。よし! これも運命だ! 今から君の分もコーディネイトしてやろう!」
「は?」
「この僕の手にかかれば、君もまた時代を輝かせる一等星へと生まれ変わることになる! 覚悟するがいい!」

 ******

 演劇ステージを終えた後、今年の学園祭の大講堂の最後を飾るのは、セレネが部長、エイミールが副部長を務めるファッション研究部である。メインステージは演劇時の舞台をそのまま使った上で、アツシがエマのために即興で作ったダンボールロードをそのまま舗装してランウェイとして利用することにした。
 こうして準備が整い、観客が集まったところで、司会進行役としてエイミールが皆の前に登場する。彼はエーラムの七学部を象徴する虹の七色を絶妙な配色バランスであしらった光沢付きのタキシード姿で、観客に対して高らかに宣言した。

「さぁ、みんな! いよいよ真打ち企画、ファッション研究会によるショータイムだ! 本日のテーマは『新たな可能性』! 僕とセレネ君の手でコーディネートされた、いつもとは異なる様相の皆の姿をとくと観覧するがいい!」

 いきなりハイセンスすぎる姿で現れたエイミールを目の前にして、観客の間ではこの後に登場する面々のファッションに対して不安そうな空気が広がるが、実はこれもエイミールの作戦のうちであった。

(まず最初に、凡人には理解出来ないレベルのファッションで観客の脳髄に強烈な印象を与える。そうすることで「この空間は何でもアリの自由な享楽の世界だ」という印象を植え付ける。そうすれば、この後でどんな衣装が現れても、何の先入観もなく、まっさらな状態で受け入れることが出来るだろう。どうだ、この僕の完璧な戦略!)

 その戦略が正しいのかどうかは分からないが、ともあれエイミールは高らかに最初の出演者の名を発表する。

「まずは僕等の学友、赤の教養学部所属のヴィルへルミネ・クレセント君に御登場頂こう! 大自然の加護を受けた彼女は、その高貴なる出自にばかり注目されることが多い。だが、彼女の高貴さの本質は、その魂そのものにある! 今日この場に集ってくれた諸君は、その最初の証人となるであろう!」

 彼のその紹介に合わせて、ヴィルへルミネはやや緊張した様子で姿を表す。それは、清楚な白いワンピースに上品な麦わら帽子という「高原のお嬢様コーデ」であった。よく見ると、足元のサンダルには、彼女のトレードマークである耳飾りに合わせた装飾が組み込まれている。
 マレビトの血を引いているということもあり、日頃はどこか異国情緒漂う独特の雰囲気を醸し出している彼女に、あえて正統派の「クセのない、さわやかなお嬢様ファッション」を施すことで、彼女の出自の特殊性に隠れて日頃は見えにくくなっている「内なる高貴な魂の尊さ」を引き出そう、というのがエイミールの意図であった。

(しょ、正直、これを着るとなった時は、ちょっと……、というか、かなり恥ずかしかったんですけど……、でも、いざ着てみたら、なんだか思ったよりもしっくりきてるというか……)

 そんな想いを抱きながら、最初はぎこちない様子でステージに立ったヴィルへルミネも、段々と気持ちが入ってきたのか、いつしかかろやかな足取りでランウェイを歩き始める。なお、ランウェイにおける一般的な作法などは、出場者には一切伝えていない。これは「ファッションデザイナーの腕を見せつけるファッションショー」ではなく、「モデルとなる人々の魅力を引き出すためのファッションショー」である以上、どのような形で魅せるかは各自のセンスに委ねていた。

(わたし、やっぱり、エーラムに来て良かった。魔法だけじゃなくて、色々なことが学べる。歴史、文化、食べ物、ファッション、物の見方、考え方……、他にもいろいろ、ここでしか学べないことが、沢山ある)

 様々な人々との交流を経て、ヴィルへルミネの心も柔軟に色々なものを吸収出来るようになってきた。それは、魔法師としても人間としても、これから先の彼女を支えていく上での大きな素養となっていくことは間違いない。
 ヴィルへルミネ・クレセント。9歳。彼女には幼いながらも筋がある。あとは枝葉を育てれば、いずれ壮麗な大樹となるであろう。

 ***

「続いて登場するのは、同じく我等が赤の教養学部の同胞マシュー・アルティナス君と、既にいくつもの高級学部を卒業したジェレミー先輩だ! この二人には、我がファッション研究部の一員であるロゥロア・アルティナス君からの助言を元に、このようなエキゾチックなコーディネートを施させてもらった。さぁ、この二人の美しさを、その目に焼き付けるがいい!」

 彼がそう叫ぶと、メインステージの両脇から、ダルタニア風の衣装に身を包んだマシューとジェレミーが現れる。エイミールに参加を打診された後、マシューはジェレミーにも声をかけ、「二人で一緒に出るなら」という条件で、ジェレミーも出場することになったのである。
 セレネもエレミーもダルタニア系の装束の基礎についてはロゥロアから学んでおり、その知識を生かした上で、華奢な体格のマシューには、膨張色である白系のクルタシャツの上から(髪と瞳の色に合わせた)緑地の上に黒糸で刺繍を施したベストを羽織らせる一方で、ジェレミーには薄桃色をベースにした踊り子のような布面積の少ない衣装とヴェールを着せた上で、色鮮やかな宝石を随所に散りばめていた。

「なんだか、違う自分になったみたいで、面白いですね」
「それはそうかもしれないけど、さすがにちょっとこれ、露出が多すぎない!?」
「綺麗ですよ、先輩」

 特に他意もなくサラッとそう言ってのけるマシューの一言で、ジェレミーは少し気が楽になる。

(多分、この子はまだ子供だから、別にイヤらしい目で見てる訳じゃないのよね……。だからこそ、この子に言われると、私も素直にその言葉を受け取れるんだわ……)

 ジェレミーがなんとなくそんな自己分析を施しつつ、どうにか気を落ち着かせてランウェイを歩いていく中、マシューもマシューで、ふと「今の自分」のことを冷静に思い返していた。

(こうやって、衣装を変えれば、周りの人達の見る目も変わる。多分、エーラム制服を着ている時と、そうでない時とでは、僕の印象も違うんだろう。でも、僕の中身はどうなんだろう? エーラムの服を着慣れてきたことで、何かが変わってきたのかな? そもそも、変わるべきなのかな?)

 そんな答えの出ない問いを漠然と思い浮かべつつ、彼は「今の自分がやるべきこと」は、このファッションショーをこのまま盛り上げることだと割り切った上で、観客に対して笑顔で手を振りながらランウェイを歩いていた。
 マシュー・アルティナス。13歳。「他人にやさしくあり続けること」は果たしてこれから先も彼の基軸であり続けるのであろうか。

 ***

「さぁ、次に控えるのは、赤の教養学部の中でも一、二位を争う傾奇者として名高い、アツシ・ハイデルベルグ君だ! 彼の生み出す独特の世界観と、それをファッションという形で具現化させた我等が部長セレネ君の夢のコラボレーションが、今ここに顕現する! 刮目せよ! この奇跡の瞬間を!」

 その前口上が終わった瞬間、一旦会場全体が暗転する。その後、ステージの中央にライトが灯されると、そこにはアツシの姿があった。彼は、上半身が隠れる程のポンチョ、地球のジーンズを模したボトムズ、やや厚底の革靴、そしてテンガロンハットといったアイテムで身を固め、ダンボールを巻いて作った疑似葉巻を加えた「地球における新大陸開拓時代のアウトローファッション」を着込んだ状態から、観客に向かってこう語りかける。

「竹の子のない場所でこのレベルの竹を生やすとは……!」

 その言葉の意味を理解出来た者は誰一人としていない。そして全体のライトが再び照らされると、アツシは何かになりきっているかのような素振りでランウェイを歩き始めた。
 今回の唐突な依頼に対し、アツシは「それなら、俺の大好きな卑劣戦隊タケノコンジャーに出てくるライバルキャラの衣装にしてくれよ」とセレネに頼んだ。当然、そんな特撮番組など知る筈がないセレネであったが、アツシから聞いた特徴を元に、その番組に登場する一番の美形ライバルキャラ「キノコーラのジョー」をイメージして作り上げたのが、このコーディネートである。本物に似ているかどうかはアツシにしか分からないが、ともあれアツシは気に入ったらしい。

「お前さん、エーラムで一番の悪党だと触れ回ってるらしいな。チッチッチ、お前さんはせいぜい二番目さ。一番は誰かって?」

 ランウェイの中央で、誰に対して喋っているのかも分からない状態のままそんな台詞を吐きつつ、アツシは親指で自分を指す。そんな彼のパフォーマンスに何の意味があるのか、この場にいる者達は誰一人として理解出来なかったが、そんな様相を見ながら、彼を知る者達の心の中で導き出された結論は同じだった。

(結局、どんなファッションを着飾ろうが、アツシはアツシだ)

 当然、セレネもそのことを分かっていたからこそ、そのアツシズムの普遍性を改めて認識させるためにも、彼自身が望む姿をそのまま再現するのが一番だと考えたのだろう(再現出来ているのかどうかは分からないが)。
 アツシ・ハイデルベルグ。10歳。彼の正体を知る者は少ないが、知られたところで何が変わる訳でもない。アツシはアツシである。

 ***

「次に控えるのもまた、赤の教養学部きっての異端児! 純血の魔法師にして魔剣使いのダンテ・ヲグリス君だ! 孤高の戦士の本質は、心に秘めたる鋭き刃! ならばその刃を最も美しく彩る鞘は何なのか? その答えの一つが今、皆の眼前に現れることになる!」

 そんな煽り文句を背に現れたのは、極東の島国において「お祭り」の際に着ると言われている紺色の浴衣を着流しつたダンテの姿であった。

「これが極東風ファッション、ってぇやつか。悪くねぇな!」

 カラン、コロン、と下駄の音を鳴らしながら、ダンテは悠然とした物腰でランウェイを歩く。もともと髪型にも気を配らず、ラフな格好を好む彼にとって、軽くて風通しの良いこの服は、やたら堅苦しいエーラム制服よりも、よほど自分に合っているようにも思える。

(そういや、極東には独特の剣術を用いる流派がいるらしいな……、そして、独特の魔剣だか妖刀だかも眠ってるって言われてるんだっけか……)

 最近になってようやく勉強し始めた世界地理のことをふと思い出す。

(まぁ、どんな奴がいようが、どんな魔剣があろうが、最後はこの俺が全て食らい付くしてやるさ! 「アイツ」と一緒にな!)

 ゴルフ場の村で出会った「魔剣」のことを思い出しながら、ダンテはランウェイの中央で、無刀の状態のまま「居合斬り」のイメージトレーニングをおこなう。当然、そのことに気付いていた者は会場内には誰もいなかった。
 ダンテ・ヲグリス。15歳。いつか成長した彼が「彼女」と再会した時、果たして二人の間に何が起きることになるのであろうか。

 ***

 その後も、次々と様々な者達が彼等によってコーディネートされた衣装で会場内に姿を現していくことになる。
 自身の研究発表のためにファッション研究部から各地の民族衣装を借りていたアメリは、その御礼にこの企画には自身がモデルとして参加することになり、細身で長身の彼女はシャーン北部のシェンム地方に伝わる女性用のドレス(チャイナドレス)を着させられることになった。優等生故に制服以外で人前に出ることが少ない彼女が、スリットの入ったセクシーな赤い民族衣装で現れたことに、会場内は大興奮の渦に包まれる。
 一方、(アツシ同様に)直前のステージ企画終了後の勢いで巻き込まれた、赤の教養学部の最年長学生ケネスは、ルクレール(アロンヌ北部)地方の軍服をベースとした上着を着込みつつ、黒地の二角帽子を被るという海軍提督風の装束でステージに現れる。だが、その人相と義手のせいか「海軍というよりは、海賊だよなぁ……」という声が会場内の各地から漏れ聞こえ、その評に対してはケネスも苦笑しつつ納得していた。
 また、今回の出演者はエーラム学生だけでは終わらなかった。セレネとエイミールが手当り次第に道行く人々に声をかけた結果、意外な人物達が次々と参加を承諾したのである。
 その一人が、雷光のワトホートであった。戦闘訓練の時以来、なんとなく彼等のことを気に入っていたワトホートは、二人の申し出を受け入れた上で、イスメイアで有名な仕立て屋が用意した黒のブランドスーツを着て、堂々たる物腰でランウェイを歩く。日頃はそもそも半裸でいることが多い彼がビシッとした装束で現れることで、いつもとはまた違った意味での「デキる男」の雰囲気を漂わせ、一部の女性客を魅了する。
 そんな彼に続いて、今度は「少し胸元を開いたエーラム制服」を着た女性が現れる。いつもとはあまりにも異なる様相で現れたその女性の正体は、行商人のアストリッドであった。エイミールが甘味街で片っ端から勧誘していた時に、ダメ元で声をかけてみたところ、気まぐれで乗ってきてくれたのである。日頃はタダ働きはしない彼女だが、今回は大講堂の出口付近での物販スペースの提供を条件に協力することにしたらしい。
 そして、同じ甘味街でスカウトされた地球人のキリコは(ワトホート同様、アーティファクト試乗会が終わってから駆けつけたのであるが)、「黒装束にとんがり帽子」という、より古典的な「魔女」の姿で参戦する。地球人の彼女にとっては「ハロウィン衣装」の感覚のようだが、思った以上に観客の反応は好評であった。ただ、彼女の本音としては、ここでもエイミールに代わって「司会役」がやりたかったようである。
 こうして、次々と多種多様な衣装に包まれたゲスト達が会場を彩る中、エイミールが最後の出演者の登場をアナウンスする。

「さぁ、名残惜しいが、いよいよこれが本日の集大成だ! エーラムに舞い降りた二人の美神の、おそらくはこれが、最初で最後のステージ共演となるだろう。あえて『この場所』で『この二人』が『この姿』で現れることの意味を噛み締めた上で、その美しさに酔いしれるがいい!」

 彼がそう宣言すると、舞台の左袖からは「ウェディングドレス姿のディアナ」が、そして右袖からは「タキシード姿のセレネ」が、それぞれに現れる。この瞬間、観客の中からはどよめきが起きた。

「この大講堂で、結婚式の真似事だと!?」
「自分達が何をやっているのか、分かっているのか!?」

 数年前の大講堂の惨劇は、世界を一つにまとめるための、アレクシスとマリーネの結婚式の際に引き起こされた。その時以来、「大講堂」と「結婚式」の組み合わせは、多くの人々にとって完全に「禁忌」となっていたのである。
 だが、そんな声に対して、エイミールは一喝した。

「黙れ! 何も分かっていないのは君達だ! 確かに、かつてこの地で惨劇が起きた。だが、その原因は何一つ特定されていない。何も分からない状況下で、何を恐れる? 何の根拠もない思い込みだけで、自分達の未来を勝手に制限することに、何の意味がある? そんな妄執に捉われて何も出来なくなっているような者達に、世界を司る魔法師や、世界を導く君主としての資格はない!」

 世界中の君主や魔法師達が集まるこの場でそう言い切った彼に対して、会場の奥から同時に三人の者達が拍手を始める。一人はカルディナ・カーバイト。そして残りの二人は、テオ・コルネーロとシルーカ・メレテスであった。だが、既に完全に「自分の世界」に入り込んでいるエイミールは、その称賛の拍手にすら気付かぬまま、演説を続ける。

「ファッションは、人の生き方そのものだ! そこには無限の可能性が広がっている。今あるものだけで満足することが悪だとは言わない。だが、その先に広がる未来を見据える心があれば、人生も、そしてこの世界も、より豊かになる! その探究心の大切さを、この舞台を通じて理解するがいい! それこそが、この企画に参加した者達だけに与えられる、最高の特権なのだから!」

 そうして彼が語り続けている間に、セレネとディアナは、ステージの中央で向かい合う。なお、セレネは当初、あくまでもコーディネート役に専念するつもりだったのだが、ディアナが「セレネが一緒に出ること」を出演条件に提示したため、やむなくこのような形での出演となった。当初は「二人揃ってウェディングドレス」という案もあったのだが、先日のエイミールからのプロポーズをまだ保留中のセレネとしては、「自分の花嫁姿」をこの場で披露することにどうしても抵抗があり、このような形に落ち着いたらしい。

「正直、最初はどんな人なのかと心配だったけど……、いい人に、選んでもらえたみたいね」
「ま、まぁ、それはその……、その件については、もう少しだけ、時間がほしいぞ……」

 珍しく本気で困った様子のセレネを見ながら、ディアナは笑顔を浮かべる。

「私もいつか、そんな人に巡り会えるかな……」

 ディアナはそう呟きつつ、セレネに手を引かれながら、ゆっくりとランウェイを歩き出す。やがて、当初は困惑していた観客も徐々に二人の世界に引き込まれて、称賛の声を上げるようになる。こうして、無事にランウェイを二人が歩き終えたところで、この日の出演者が全員揃って壇上に上がり、揃って一礼することで、無事にこの日のステージ演目は全て幕を下ろすことになるのであった。

 ***

 演目終了後、出演者達の着替えが終わった後、エイミールはその衣装一つ一つを丁寧に畳み、そして彼等に貸し出していた装飾品なども回収していく。これらはいずれも、彼とセレネがそれぞれに勉強し、知恵を凝らした上で集めた装束であり、装飾品の一部に関しては、エイミール自身の手で作り上げた代物も含まれていた。その一つ一つを手にしながら、自分自身の手でここまでやり遂げたことに、エイミールは深い感慨に至っている。
 そんな中、一番最後まで着替えに時間がかかっていたセレネとディアナが戻ってきたところで、エイミールは、さっそくセレネに声をかけた。

「大盛況だったな、セレネ君!」
「当たり前だぞ! セレネとエイミールちゃんが手を組めば、世界中のどんな人達でも感動させられることが出来る! それが、ファッション研究部なんだぞ!(ふんす)」

 いつも通りのテンションでそう語る二人であったが、内心では、やはり互いに「プロポーズの返事」をどうするか(いつ聞くか/いつ答えるか)という問題もあり、まだ微妙にぎこちなさも残っていた。そんな中、今度はディアナがエイミールに声をかける。

「エイミールさん、ふつつかな姉ですが、どうかよろしくお願いします」
「ちょ、ちょっと待つんだぞ! まだセレネは返事してないんだぞ! それを勝手に……」
「あなたが答えるのを待ってたら、いつになるか分からないわ。だから、私は言える時に言っておく。私だって、これから色々と忙しくなるし、いつまた会える機会があるのかも分からないんだからね」

 そう言って去って行くディアナの後ろ姿を見ながら、エイミールはひとまず今の微妙な空気を振り払うために、話題を変える。

「と、とりあえず、まだ今でもやっている企画もある筈だから、回れるところだけでも回ろうか?」
「そ、そうだぞ! 今日はずっと勧誘と衣装選びしかやってなくて、結局全然何も見れてないんだぞ! これじゃ不公平だぞ!」
「あぁ、その通りだ。僕達自身も、ちゃんとこの学園祭を楽しまなきゃな! この衣装の整理が終わったら、まずは屋台街にでも行ってみようか!」

 先刻までセレネが着ていたタキシードを衣装箱にしまい込みながら、エイミールはいつか「その日」が訪れることを信じて、今はただセレネの答えを待ち続けることにした。
 エイミール・アイアス。13歳。エーラムでの生活は彼の可能性を大きく広げた。そして今後も彼は、新たな可能性を模索し続ける。

5、後夜祭

 学園祭も終わりが近付くにつれて、展示企画の大半は看板を降ろし始める。クロード主催の脱出ゲーム企画も無事に最終公演が終わり、撤収作業に入り始めていた。

「お疲れさまでした。結局、私は殆ど何もやることはありませんでしたが、あなた達だけでここまでの企画を作り上げたこと、心から感服致します」

 クロードはそう言って、ジャヤとオーキス、そして裏方で手伝ってくれた面々を労いつつ、発光装置などの魔法具を鞄に詰めていく。

「とりあえず、ジャヤは私と一緒にこの機材を研究室まで運んで下さい」
「分かった」
「オーキスさん達は、この部屋の清掃をお願いします」
「了解したわ」

 二人はそれぞれそう答えつつ、ジャヤがオーキスに提案する。

「オーキス、撤収作業が全部終わったら、二人で屋台街を回らないか? 多分、まだ開いてる店もいくつかあると思う」
「そうね。少なくとも、ノギロ先生の店は後夜祭の時間帯まで開いてる予定だと言ってたから、仕事が終わったら、そこで待ち合わせするのはどう?」
「分かった。中央広場の薬膳料理の屋台だな」
「えぇ、私より先に着いたら、先に何か食べててもいいから」

 こうして、二人は軽い「打ち上げ」の約束を交わしつつ、それぞれの撤収作業へと向かう。そして、オーキス達の清掃作業がようやく終わろうとしたタイミングで、ジュードとシャリテが彼女の前に現れた。

「お疲れ様でした、オーキスさん。今、お時間よろしいですか?」
「そうね……、もう掃除も殆ど終わったし……」

 彼女がそう答えると、シャリテがすっと彼女の前に一歩踏み出る。

「今の私があるのは、オーキスちゃんのおかげよ。だから、親交の証として、これを受け取って」

 そう言って彼女が差し出したのは「オオカミの刺繍が入ったしおり」であった。

「ありがとう……、でも、私、今、何も返せるものを用意してなくて……」
「そんなのいいのよ! 私があげたくなったんだから。それを受け取ってくれることが、私にとって一番うれしいことだから」
「そう……、じゃあ、大切に使わせてもらうわ」

 オーキスがそう答えると、シャリテとジュードは彼女の前から去っていく。

(てっきり、今日はずっと二人で一緒にいると思ってて、わざわざ時間を割いて終わった後にまで会いに来てくれるとは思ってなかったから、何の準備もしてなかった。完全に不意打ちだったわ……)

 そんな想いを抱きつつ、貰ったしおりは大切に鞄の中にしまった上で、自分から今のシャリテに贈り物をするなら何がいいのだろう、ということを考えつつ、彼女は清掃点検を終えた後に、ジャヤとの約束通りにノギロの屋台へと向かうのであった。
 オーキス・クアドラント。12歳(実年齢は約3歳)。彼女の「心」は友との交流を通じて、今後も成長を続けていくことになる。

 ******

「良かったですね、ティトさん。綿飴屋がまだ空いていて」
「はい……。私、昔は身体が弱くて……、お祭りには、行けなかったので……」

 テラとティトはそんな会話を交わしつつ、学内を散策していた。当初はぎこちなかった二人であったが、ティトが嬉しそうに綿飴を頬張る姿を見て、テラの頬も自然と緩む。
 そんな中、二人は中央広場へと向かおうとするジャヤの姿を発見する。

「ジャヤ!」
「ジャヤさん」

 すぐにその声に気付いたジャヤは、立ち止まって二人の方に向かいつつ、声をかける。

「兄様(あにさま)! ティト! 先程は遊びに来てくれたこと、感謝する」
「こちらこそ、楽しませてもらって、ありがとうございます」
「難しかったけど……、とても、楽しかったです……」

 実際のところ、教養学部の学生だけで最後まで脱出出来たのは、テラ達の組以外にはいなかった。この点に関しては、クロードからも「一般的な学祭企画として開くなら、もう少し難易度は下げても良かったかもしれませんね」と言われている。

「私も、何かお手伝い出来ることがあれば良かったのですが……」
「いえ、兄様には、兄様のやるべきことがある。吾は吾のやりたいことをやった。それだけのこと。それに、やはり兄様に『一参加者』として挑戦してもらえたのは、嬉しかった」
「そうですね。来年は、もし機会があれば、ご一緒させてもらいたいところです」

 テラがそう答えたところで、ジャヤは改めて「目的」を思い出す。

「吾はこれから、オーキスと一緒に『食べ歩き』の約束をしているので、これにて失礼する。ティト、兄様をよろしく頼む」

 二人にそう告げた上で、ジャヤは改めてノギロの屋台へと向かって歩き出す。その充実した様子の後ろ姿を、テラとティトは優しい瞳で見守るのであった。
 ジャヤ・オクセンシェルナ。11歳。過酷な運命を経てこの地へ辿り着いた少年は、少しずつ、自分の生きる道を見定め始めていた。

 ******

 オーキスへのプレゼントを終えた後、シャリテは「狼の身体」に戻った上で、再びジュードとともに学内を散策する。とはいえ、さすがに大半の企画は既に片付け作業に入っているため、もう回るべき場所もさほど残ってはいない。そんな中、ジュードがふと彼女に提案した。

「シャリテさん、ちょっと今から、いつもの購買部に行きませんか?」
「え? うん、まぁ、いいけど。どうしたの?」
「ちょっと、見せたいものがあるんです」

 そう言って、ジュードはシャリテを連れて購買部へと向かう。この日は閉店しているため、当然、店内にもその周囲にも人はいない。その状況を見越した上で、彼は「とある仕掛け」を施していた。
 現地に到着した時点で、シャリテもそのことに気付く。

「あれ? なんか内装がこないだ来た時と違う、というか、ちょっと懐かしいような……」
「あなたが初めて『本を持ち込みに来た時』と、同じ状態にしておきました」(discord「出張購買部」4月19日)

 さすがに全ての出品物まで全く同じ状態に揃えることは出来なかったが、全体的な雰囲気は明らかに当時の状況を再現出来ている。この頃はまだ出品物自体が少なく、店舗全体がこじんまりとした様子であった。

「……思えば、僕があなたを無意識にですが特別扱いし始めたのは、この時でした。おそらく、この時あなたの心に、一目惚れ、のようなことをしたのでしょう」

 もっとも、ジュードが自分のその気持に気付いたのは、もう少し後の話である。

「今日一緒に回って確信しました。あなたの隣はとても居心地がよく、あなたが笑うと自然と僕も表情が綻びます。これから多くの人に出会うでしょうが、僕はきっとあなた以上の人に出会うことはできないと思います」

 彼はそう告げた上で、シャリテの前に二つの指輪を取り出す。そのうちの一つを自分の指に、もう一つにはチェーンをつけた上で、シャリテの首にかけられる状態にした。

「……これからずっと、隣にいてくださいますか?」
「もちろんよ、ジュード。これからも、ずっと一緒に……」

 シャリテはそう言うと、ジュードに首を寄せ、そして彼の手によってチェーンを首に巻いてもらう。その過程で互いの顔を自然と近付けることになった二人は、ごく自然に、互いの口を重ね合わせるのであった。
 ジュード・アイアス。11歳。若くして商才を発揮し続けてきた少年は、ここに来て初めて、打算では測れない価値観を手に入れた。
 シャリテ・リアン。11歳(狼年齢は不明)。魂と身体を捻じ曲げられた少女は、本来の身体よりも先に、魂の居場所を手に入れた。

 ******

 先刻のジャヤとの邂逅の後、ティトが綿飴を食べ終わった時点で、テラは彼女に対して、こう告げる。

「ティトさん、私はこれから少しだけ、一人で行かなければならないところがあります」
「え? そう……、なんですか……?」
「はい。ですが、それほど時間がかかる用事ではありません。後夜祭の焚き火が灯り始める頃、こちらの教室に来て下さい」

 そう言って彼は一枚の紙を手渡し、彼女の前から去っていく。そこには教室の略地図が書かれていたが、そこに指し示されていたのは、今回の学園祭では使われていない筈の教室であった。

 ***

 エーラムの学園祭は、陽が落ちた頃に中央広場での焚き火を周りに展開される「後夜祭」を通じて幕を下ろすことになる。もっとも、「後夜祭」には明確なルールはなく、ただ巨大な焚き火の周囲に人々が集まり、自由に歌い、踊り、語り、そして笑う。そんな雑多な目的のために学生達が雑多に集まってくるだけの空間にすぎない。
 その焚き火が灯った頃、ティトはテラに言われた通りに、紙に書かれていた空き教室へと向かう。すると、その部屋のカーテンは閉め切られ、部屋全体が真っ暗になっていた。その中に、ポツポツと光が浮かぶ。灯籠に似た幾多の灯が、暗闇にテラの姿を浮かび上がらせた。

「少し、準備をしてみました。こういったものはお好きですか?」
「びっくり……、しました……」

 急に感想を聞かれても、それ以上の言葉は出てこない。そんな率直な反応に対してテラは笑みを見せるが、その直後、一転して真剣な表情を作って頭を下げた。

「先日は申し訳ありませんでした。許される事とは思っておりません。ただ、伝えたい事があります」

 テラは頭を上げる。目線は、外さない。

「私は、貴女の事をよく知っている訳ではありません。でも、いえ、だからこそ、……知りたい。貴女を知りたいと思う」

 確固たる決意を込めた瞳で凝視しながら、彼は「その先の展望」もはっきりと口にする。

「貴女にとって私が、幸せになる為の要因の一つになれたら。……とても嬉しく思います」

 彼はそう告げて、ティトの前に跪いた。

「ティトさん、貴女を愛しています。どうか私に、貴女の人生の一部を分けては下さいませんか」

 これに対して、ティトも率直な自分の気持ちを伝える。

「…………テラさんに図書館で『可愛い』と言われた時、キスをされた時、びっくりして、ドキドキしました……。部屋に戻って考えても、一緒に今日学園祭を回っても、このドキドキは治まるどころか、さらに強くなっています……。貴方ともっと一緒に居たい、もっといろんなことをしたい、もっといっぱい思い出を作りたい……。…………強く、そう思っています……」

 そこまで言ったところで、自分を直視し続けているテラに対して、あえてこう言った。

「…………目を、閉じてもらっても良いですか……?」

 テラがその言葉に従うと、彼女はそっと顔を近付けて、彼の額にキスをする。テラが反射的に目を開けた瞬間、彼女は笑顔で伝えた。

「……これが、私の気持ちです……。…………テラさん、私は、貴方のことが、大好きです……!」

 テラは、笑顔で涙を流しながら、その細い腕で、自分よりも更に細身の身体のティトを、しっかりと抱き締めた。
 テラ・オクセンシェルナ。17歳。人との会話すらままならなかった青年は、彼女と出会い、世界に対する己の立ち位置を見つけた。
 ティト・ロータス。13歳。病弱故に限られた世界での生活を強いられてきた少女は、彼と出会い、未来への新たな希望を見つけた。

 ******

「さぁ……、陽も落ちて、後夜祭で皆の気持ちが盛り上がってる。ここが頃合いだな」

 中央広場では焚き火の周囲に人々が集まり、徐々に後夜祭が盛り上がり始めている頃、カイルは一人、赤の教養学部の屋上にいた。数時間前にはアーティファクト試乗会のスタート地点となっていたこの場所に、カイルは自作の発射台を設置する。
 これまで彼は、何度も何度も失敗を繰り返してきた。だが、それでも着実に一歩ずつ前に進んでいる実感はある。発射台も、花火玉も、幾度も試行錯誤を繰り返して、幾度も作り直してきた。混沌という自然法則を捻じ曲げる因子が蔓延するこの世界では、繊細な火薬の配合は至難の業であり、だからこそ、混沌爆発以前の時代に存在していた花火の技術も、今はもう殆ど失われてしまった。
 それをカイルは自らの手で再び蘇らせようと考えているのである。教養学部の学生の挑戦としては、あまりにも無謀である。多くの者達から嘲笑されてきた。しかし、それでも諦めずに創意工夫を凝らして、不可能を可能にするための道を切り開いてきたのである。

「頼むぜ……、この夜空に満開の花、咲かせてくれよ!」

 彼は祈るようにそう呟きながら、導火線に火を付けた。

 ***

 その頃、夜陰に紛れて一羽の巨大なフクロウが魔法学校へと帰還しようとしていた。その首から下げられた籠の中には、エトとルクスの姿があったが、ルクスは今もまだ昏睡状態にあった。
 この巨大フクロウは、もともとは「マリア」と名乗る謎の少女が連れていた。彼女は路地裏にてカルディナと「危険な闇魔法師の暗躍」について相談しており、その場に偶然居合わせてしまったエトは、その闇魔法師がルクスを狙っていると聞かされて、彼女達に協力することになったのである。上空に(カルディナの魔法によって)姿を隠したまま待機し、ルクスの身に危険が起きた時は、彼女を連れて安全な場所まで逃げるために。
 そして実際、エトはカルディナに言われたとおりに昏睡状態のルクスを街の外へと連れ去った後、しばらく人目につかないところで隠れていたのだが、その間もルクスはずっと眠った状態が続いていた(おそらくは、闇魔法師の手によってかけられたスリープの魔法が原因だろう)。そして先刻、彼の脳内にマリアから「もう帰って来ても大丈夫だ」という声が届き、こうして校内に戻ってきたのである(なお、マリアが何者なのかはエトは知らないが、カルディナ曰く「少なくとも、私よりは無害な存在だ。おそらくな」と語っていた)。
 そして、焚き火の周囲で後夜祭で賑わう人々の声が聴こえてきたあたりで、ようやくルクスが目を覚ます。

「んにゃ……、あれ……? エト……?」
「良かった! ルクスちゃん、気がついたんだね!」
「……ルクス、もうゴールしたよな? なんでまだ空の上にいるのだ?」
「うん、まぁ、その、色々あってね……、とりあえず、あとでゆっくり説明するよ。と言っても、僕もよく分かってないことが多いんだけど……」

 エトの中では、そのことよりも先に、まずルクスに伝えたいと思っていたことがあった。

「あ……、あのね、ルクスちゃん……、えとえと……、その、ずっと前から言おうと思ってたんだけど……。僕、君のことが…………」

 その時、赤の教養学部の屋上から爆音が響きわたり、エトの最後の言葉が掻き消された。
+ 掻き消された言葉




「……好き、なんだ」





 次の瞬間、夜空に色とりどりの光が輪のように広がる。

「もしかして、これが……、花火……?」
「すごいのだ! 綺麗なのだ!」

 花火の光に照らされたルクスの屈託のない笑顔を目の当たりにしたエトは、自分の言葉が伝わっていないことを察する。だが、今は、このルクスの笑顔を見ているだけで満足出来る。そう思えるくらい、エトの心は満たされていた。
 エト・カサブランカ。10歳。記憶を失くした少年は、黃衣の少女の中に何を見出し、彼女に何を求めようとしているのであろうか。

 ***

 その光は、エーラムの下町にも届いていた。孤児院に子供達を連れ帰ったミラは、夜空に描かれた光の紋様を見て、感慨深く微笑む。その隣には(出店の手伝いを通じて孤児院の子供達と仲良くなってそのまま同行した)ビートの姿もあった。

「花火、成功したんですね、カイルさん……」
「そうね、カイル君。ずっと頑張ってきたんだもんね……。本当に、良かった……」

 少し涙ぐんだような口調で、ミラはそう呟く。ビートも、周りの子供達も、次々と打ち上げられる花火の光に、ただひたすらに見入っていた。

 ***

「65点、ってとこかな……」

 赤の教養学部の屋上で、用意していた花火玉を全て打ち尽くしたカイルは、苦笑しながらそう呟いた。確かに花火は打ち上がった。だが、彼が想定していた通りの形に花開いた球は、実は一つもなかった。一部の星(火薬)が反応しなかったもの、きれいな円形にならなかったもの、炎色反応が思い通りにならなかったもの、どの火薬玉も、どこかが微妙に彼の想定とズレていた。それでも、花火を知らない者から見れば、十分に美しい「光の芸術」のように思えただろうが、カイル自身としては、納得出来る結果ではなかった。
 とはいえ、それでも確かに、打ち上げることすら出来なかったこれまでに比べれば、大きく前進していることは確かである。ひとまず今は、それだけでも十分に満足すべき結果と言えよう。

「本当の花火の美しさは、こんなもんじゃない! 見てろよ……! 来年こそは、ちゃんとした『完成形』を見せてやるからな!」

 誰もいない屋上で、一人心にそう誓いつつ、カイルは発射台を片付け始める。彼の心の中では、もう既に「今後修正していくべき方向性」についての脳内検証が始まっていた。
 カイル・ロートレック。12歳。祖父から受け継いだ想いを胸に、夜空に満開の花を咲かせる日まで、彼の挑戦の日々は続いていく。

 ******

 その後、ルクスは学内の人目につかない場所に降ろされ、エトがフクロウを持ち主(?)に返すために飛び去って行くのを見送った後、一人、寮への夜道を歩いていく。一応、エトから「闇魔法師に狙われているらしい」という旨は聞かされた彼女は、その「心当たり」が封印されたきいろのおーさまに対して語りかける。

「『この薬』を使うことは、やっぱり、いけないことなのか? でも、どうしていけないことなのだ? 誰に何を聞いたら、本当のことを教えてもらえるのだ?」

 改めてそんな問いを投げかける。おーさまは、黙って何も答えない。名状しがたい感情がルクスの中に広がり始めたところで、ふと、先刻の「花火が打ち上がる直前のエト」の表情が脳裏をよぎる。

「そういえばあの時、エトは何かを言っていたような……、よく聴こえなかったけど、あれは、何だったのだ……?」

 もしかしたらそれが、今のこの心のモヤモヤを晴らしてくれる鍵になるのかもしれない。そんな根拠のない憶測が浮かび上がったところで、中央広場から聞き覚えのある声が聴こえてくる。それは、あまり聞き馴染みのない独特のリズムに乗せた、ルクスにとっては未知の音楽だった。

「この声……、セレネの声なのだ……」

 彼女がその声に何を感じたのかは分からない。ただ、寮に帰る前に一度、誰かに会いたい。そんな気持ちが彼女の深層心理の中に広がっていたのかもしれない。
 ルクス・アルティナス。10歳。仮面で素顔を隠した少女は、「二つの危うさ」を抱えたまま、光と闇の狭間で彷徨い続けていた。

 ******

「どうにか今年の学園祭も、無事に終わったようだな……」

 センブロス・ストラトス学長(下図)は、後夜祭で盛り上がる学生達を学長室から見下ろしながら、安堵の溜息をつきつつ、そう呟いた。
+ センブロス
 現在の赤の教養部には「いわくつきの学生」が多いと言われている。「魔法」の範疇を超えた力を内包する者もいれば、そもそも(厳密な意味での)「人間」ですらない者もいる。その一方で、各地の有力貴族の血筋の学生達も多く、様々な意味でトラブルの種となりかねない者達で溢れかえっていた。
 そんな中、学内では謎の薬を広める闇魔法師の存在が報告され、周辺の村々では聖印教会の宣教師が暗躍し、そして先日はガーゴイル大量召喚未遂事件が起きた。このような状況下で学園祭を開催すること対しては(エーラムの最高決定期間である)賢人委員会内でも異論はあったようだが、それでもセンブロスは強硬に開催を主張した。このような時代だからこそ、いわくつきの学生達だからこそ、彼等の健全な育成のためにも、この機会は絶対に潰してはならないと考えていたのである。

「この世界の未来を決める権利は、彼等の手の中にある。いずれ訪れるであろう『選択の時』に、この日に培った経験が役に立つことを、今はこの学長室から祈らせてもらおう。見習い魔法師達の未来に、どうか、幸多からんことを……」

 そんな彼の視線の先では、ラップ(のような何か)のリズムに乗せたセレネの歌声が響き渡っていた。もともとは音楽祭に飛び入り参加しようとして、オリジナル楽曲を用意していた彼女であるが、どうしてもファッション研究部の準備との兼ね合いで不可能だったため、この後夜祭の機会に披露することにしたのである。彼女の歌声に気付いた友人達が集まる中、彼女の心の叫びを込めたその声は、彼等の胸へと確かに届いていった。

ぼくらは目指した すごい魔法師
遊び学びときどきケンカ
いっぱい笑ったこの場所は
永遠に忘れないよ

ぼくらが見ていた この景色
赤い夕焼け沈んでも
そこにあるのはきらめく星空
一緒に見ていたいな

ぼくらは歩む 違う道
虹色の先のいろいろな土地
たとえ世界が変わっても
絆はずっとずっとずっと

絆は絶対絶対絶対

ぼくらの中に生きてるよね

これからもずっとずっとずっと

 セレネ・カーバイト。13歳。最低の見習い魔法師と評されながらも、彼女は魔道を歩み続ける。いつか輝く未来に繋がると信じて。

(見習い魔法師の学園日誌・完)

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最終更新:2020年09月15日 13:43